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シャントと共に生きて
シャントと共に生きて トと共に生きて ―患者体験談― 石塚 裕也 / いしづか・ゆうや 石塚 裕也 1981年、埼玉県生まれ。2003年、専門学校を 卒業し、診療放射線技師国家試験に合格。現在、 放射線技師の仕事に就くべく、就職活動を行っ ている。 私は幼 稚 園 の 卒 園 間 際であった5 歳 のときに交 通 事 故に遭い、 シャント(*1 )を試したのですが、2 回とも詰まって失 敗してしまったの すぐに 市 立 越 谷 病 院 に 搬 送され、検 査を受けることになりました。 で、3 回目に( 株 )東 機 貿が開 発 販 売しているソフィサ社 製の圧 可 結 果はクモ膜 脳 腫を起こしているということでしたが、手 術をしなく 変 式 バルブ(*2 )を埋め込むことになりました。幸い、この 手 術は成 ても一 生を平 穏 無 事に過ごせる可 能 性もあることや、私がまだ小さ 功し、無事退院することができたのです。 かったこともあり、手術をするかどうか担当医や家族も悩んだそうです。 しかし、将 来 的にクモ膜 脳 腫は脳 内 出 血などを起こしやすいという 高校2 年生の2 学期をほぼまるまる休学してしまったので、進級で ことがあるため、相談の末入院して手術を受けることが決まり、圧固 きるかどうかおぼつかなかったのですが、担任の先生や水泳部顧問 定式のシリコンのシャントチューブを埋めることになりました。 の先 生のご尽力で、なんとか無 事 3 年 生に進 級し復 学できることに なりました。時々頭 痛はあったものの、高 校 生 活は順 調に送ること うまくシャントも適合したのか、その後は何事もなく過ぎ、高校2 年 ができました。 生になるまでは、シャントを入れているからといって特に注 意して生 そして大 学 進 学を考える時 期になったころ、やはり自分が病 気に 活することもなく、むしろシャントを入れていることすらすっかり忘れて なった経験を活かせるのは医療系しかないと思い、また当時東海村 普通に高校生活を送っていました。 の 原 発 事 故 の 問 題から放 射 線に関 心を持ったこともあって、放 射 ところが、高校2年生に進級したころから頭痛が頻繁に起こるよう 線技師の養成専門学校に3年間通うことを決意しました。学校では、 になり、特に昼過ぎになると痛みは耐え難いほどで、保健室に行って 時々頭痛のためにテストを受けられないなどのハンデがありましたが、 は薬をもらってベッドに横になっているという生活がしばらく続きまし 臨 床 実 習 のときには腰 椎 穿 刺を受けている患 者さんの 気 持ちが た。そうこうするうちに、当 時 水 泳 部に所 属していたのですが、大 会 痛いほど分かるなど、他の学生とは違った視点で学校生活を送れた のあったその日にあまりに具合が悪くなり、これでは参加は無理だと ことは、 とても意義があったと感じています。 いうことで試 合を棄 権して帰 宅する途 中、頭 痛のために乗っていた ただ、今 年の2月下 旬からしばらく頭 痛がひどかったため、検 査 入 自転車ごと倒れ、救急車で病院に搬送されるということがありました。 院を繰り返し、病 院のベッドを確 保しながら学 校に通うという日々が そのときは、筋 肉 性の頭 痛ではないかと診 断され、1カ月ほど自宅 続きました。そのようなときでも、私はよく周 囲に「患 者の気 持ちが 療 養をしていたのですが、一 向によくなる気 配がありませんでした。 分かる放 射 線 技 師 になってみせる」と言っていた覚えがあります。 私は倒れたときから、 「これは幼稚園のときのことが原因なのではな 手 術、入 院、検 査など、一 通り色々なことを経 験してきたので、やは いか」と感じていたので、それを病院側に告げ再検査をしてもらった り患 者さんの気 持ちはよく分かります。そこくらいは他 人よりも一 歩 ところ、体がシャントに依存してしまっていて脳脊髄液を自分で吸収 秀でていると考えぜひ活かしてみようではないかと、強く心に思った しなくなってしまい、水頭症を発症しているということが判明しました。 のです。こうして、なんとか学校も卒業し、無事国家試験にもパスす 既に脳 圧が 高くなっていてあぶない 状 態だということがはっきりし ることができました。 ましたので、1カ月間は腰 椎にチューブを通して脳 脊 髄 液を体の外 に流すという処 置をとり、その後、手 術に踏み切ることになりました。 また、こちらの( 株 )東機貿の佐多社長が「医療機器を愛してくだ それ以降、市立越谷病院の角田先生のお世話になっています。 さい」というキャンペーンを展開していると知り、私はとても共感を覚 手術自体は大したものではなく、終わって1 週間もすれば抜糸でき えました。 るようなものだったのですが、何度もシャントが詰まってしまって、結局 専門学校に通っていたころ、担任の先生が「医療機器はちゃんと 計 3 回も手 術を受けることになりました 。初めのうちは、体 へ の 侵 愛してあげないと動かないんだよ」と言っていたことを思い出しました。 襲の度 合いの少なさも考えて、こちらのほうが体によいだろうとL-P 確かに医療機器あっての放射線技師ですから、そういった意味での 5 高校の文化祭にて 発 言でもあったのかもしれませんが、実 際 臨 床 実 習 中にリニアック ソフィサ社製 圧可変式バルブ たというか、世の中には病気をする人としない人がいて、私は病気を から電 子 線が出なくなってしまうというトラブルが起きたときに、 「も する側なのだから、それではいっそその人 生を思いっきり楽しんで過 う少し頑 張ってくれよ」と何 度か声をかけると、不 思 議に動くように ごそうではないかと考えられるようになったのです。 なって、ああ本 当のことなんだなあと実 感したという経 験もあります。 また、私自身についても、シャントに心の中で語りかけるということ しかし、色々苦しいことや 辛いことはあったものの、やはりここま をよくしています。頭 痛がすると、 「シャント君、ちゃんと動いてよ」と でなんとか無 事に過ごしてこられたのは、両 親や 市 立 越 谷 病 院 の 念を送りますし( 笑 )、外 出 中に頭 痛が 起こったりすると「 俺がまず 角田 先 生、そして今 私の頭の中で必 死に動いてくれているシャント 頑張って駅まで行くから、駅まで行ったら今度は君がちゃんと動いて バルブのおかげには違いありません。なかなか言 葉にすることはで くれよ」と話しかけたりもします。でもそうすると、不 思 議と痛みが楽 きないのですが、いつもみなさんには心の中で感謝しています。 になったりするときがあるのです。シャントなしでは普 通の生 活が送 これからもまだまだみなさんの協力を必 要とするかもしれませんが、 れないわけですから、常にシャントは私の意 識にあり、またシャントが 放 射 線 技 師として無 事 就 職を決め、そして患 者さんのために一 生 あってよかったなあと感じることが日常生活において多々あります。 懸命働いていければと思っています。 病院と相談した結果、今後の計画としては、シャントの圧を変えな がら自身の治 癒 能力を向 上させ、元の体に戻すということですので、 最 後に、今 回このような紙 面をお借りし、体 験 談を掲 載させてい シャントはそのような意 味でも私の人 生にとっての相 棒であり、また ただいたことを大変感謝しています。今後も、 ( 株 )東機貿には、より 案内役のようなものでもあると言えるでしょう。 一層充実したシャントバルブの開発をお願いし、また私のような水頭 それ以外にも、やはり病気をして意識が変わったと感じるときがあ 貿のますますの発展を心より祈念いたします。 症 患 者 のために頑 張っていただきたいと思っています。 ( 株 )東 機 ります。高 校 生のときに手 術を受けた際、何 回 手 術をしてもシャント が詰まって失 敗してしまうので、このままでは治らないのではないか、 死ぬのではないかと本気で心配したことがあったのです。そのときに、 なにかの 本を読んで「 死 にざま」というものを強く意 識するように なりました。 以 前はどちらかというと引っ込み思 案で地 味な性 格だったのです が、どうせ死ぬならやりたいことをやって死のう、笑って楽しく過ごし て生きようと、どこか吹っ切れたというか、自分の意 識が変わったな ということをふと感じました。これも本で読んだのですが、その中の一 文に「人間は一生で二度死ぬ。一度目は肉体が死んだときで、二度 目はその人のことを覚えている人々がいなくなったときだ」というも のがあって、心にとても残ったのです。それならば、よい意 味で、周 囲 の 人 の 印 象に残るような人 間になりたいと思うようになりました。 自分も笑って笑って、そして人を笑わせて生きてみようと。 病 気になったばかりのころは、病 気のことを隠していたのですが、 今は話のネタにもできるくらいです。よい意味で一線をひいてしまっ (*1 ) カテーテルを腰 椎・クモ膜 下 腔 内に挿 入し、腰 椎クモ膜 下 腔から腹 腔 内に脳 脊 髄 液 を排液するというシャント法 (*2 )1985年にソフィサ社が開発した、世界初の埋め込み式の圧可変式シャントバルブ 6