...

27.イエス・キリストは実在したか? - So-net

by user

on
Category: Documents
15

views

Report

Comments

Transcript

27.イエス・キリストは実在したか? - So-net
27.イエス・キリストは実在したか?
著者:Reza Aslan
原題:The Life and Times of Jesus of
Nazareth
原著発行:2013 年
訳者:白須英子
発行所:文芸春秋
訳書発行:2014 年7月 10 日、1850 円
著者のレザー・アスランは、1972 年テ
ヘラン生れ。1979 年イラン革命時に家
族と共に米国に亡命。大学で宗教学を
学び、神学と創作学の修士号を取得
し、宗教史の博士号を取得した。現
在、カリフォルニア大学リバーサイド
校創作学科準教授。
訳者の白須英子は 1935 年生まれ。日本
女子大学文英文学科卒。翻訳家。訳書
に「オスマン帝国衰亡史」など多数。
訳者の主な翻訳書はこのサイトにあり
ます。/l
(1)前書き
最近、私(筆者の林久治)はナザレのイエスとキリスト教を少々研究している。
なぜなら、これらは謎の多い問題であるからである。イエスに関しては、本感想文
の第1-5回で取り上げた。また、第 15-16 回には、スペイン映画「アレクサンド
リア」を取り上げ、4-5世紀におけるキリスト教の異教弾圧の実態を紹介した。
第 17 回には、「ローマ帝国の神々」(小川英雄著)を取り上げ、古代オリエントに
存在していた様々な宗教(神々)が、ローマ帝国の時代にキリスト教に収斂して行
った過程を考察した。第 18 回には、「禁じられた福音書」(エレーヌ・ペイゲルス
著)を取り上げ、「ナグ・ハマディ写本」における「グノーシス諸福音書」の豊穣
な可能性を紹介した。
今回は、最近出版された「イエス・キリストは実在したか?」(以後、本書と呼
ぶ)を取り上げる。本書の題名には、キリスト教徒ではない人々(特に、多くの日
本人)には大変興味をそそられる。私も、本題に惹かれて本書を購入した。しかし、
購入してみると、本題名は「羊頭狗肉」であることが分かり、かなり失望した。出
版社の宣伝に騙された分けである。
本書の原題は「The Life and Times of Jesus of Nazareth」であり、イエスの実
在を前提にしている。本書の本来の目的は、日本語の題名から期待される「イエス
が架空の人物かどうか」を検討することではなく、「実在したイエスはキリスト
(救世主)ではなく、暴力も厭わない革命家だった」ことを明らかにすることであ
1
る。換言すれば、「革命家であった人の子・イエスが、どのような経緯で神の子・
キリストにされたか」を本書は解説している。「このような主題でも面白い」と思
う人であれば(私もその一人であるが)、本書は読む価値がある。
それから、本書は「イスラム教徒による実証研究で全米騒然の大ベストセラー」
との触れ込みであるが、これは明らかな誇大広告である。本書(p.10-12)で著者は
次ぎのように述懐している。「イランで生まれた私は、ペルシャ人だからムスリム
なのだという程度の自覚しかなかった。イラン革命で、家族が仕方なく亡命したの
は、今やイランを支配するイスラーム法学者たちに対する敗北の結果であった。私
は米国に来て、新たに発見した宗教に熱烈に帰依した。私に紹介されたのは『主で
あり救世主でもある』イエスというよりも、深い、個人的な関係を持てそうな、最
高の友達のようなイエスであった。」
しかし、著者は「聖書から意図的に排除された事実」に気付いてしまった。著者
が教わった「福音派キリスト教」の根底にあるのは、「聖書の言葉一つ一つが神の
霊の導きのもとに真実を伝えるために書かれた、文字通りに読んで間違いのないも
のであると無条件に信じる」ことであった。著者は「聖書にはおびただしい明らか
な間違いや矛盾が山のようにある」ことに気付き、キリスト教信仰を捨てた。
著者はキリスト教の起源について、20 年にわたって厳密な学問的研究を行い、心
から「ナザレのイエス」の信奉者になった。本書では、「ナザレのイエス」の生涯
と伝道活動について、著者の 20 年にわたる新約聖書と初期キリスト教史の研究に基
づき、著者が最も最も正確かつ筋の通った論証であると信じる資料をもとに、著者
の物語を構築した。
(2)本書の目次
第Ⅰ部
ローマ帝国とユダヤ教
プロローグ
テロリストよ、祭司を刺せ!
1章
ローマ帝国と手を結ぶユダヤの大司祭たち
2章
「ユダヤ人の王」ヘロデの実像
3章
ヘロデ王は、赤子大虐殺などしていない
4章
地上の革命を求める者たち
5章
世界最強帝国に宣戦布告する
6章
聖都壊滅という形で現実化した「世の終わり」
第Ⅱ部
革命家、イエス
プロローグ
イエスはなぜ危険視されたのか?
7章
イエスの陰に隠された洗礼者ヨハネ
8章
善きサマリア人の挿話の本当の意味
9章
無償で悪魔祓いをする男
10 章
暴力革命も辞さなかった男
11 章
イエスは自分を何者と見ていたのか?
12 章
ピラト裁判は創作だった
2
第Ⅲ部
キリスト教の誕生
プロローグ
「神」になったイエス
13 章
ユダヤ人ディアポラから生まれたキリスト教
14 章
パウロがキリスト教を世界宗教にした
15 章
イエスの弟ヤコブが跡を継いだに見えたが…
エピローグ
歴史に埋没したナザレのイエスの魅力
図1.左:西暦1世紀当
時のユダヤの地図。
右:考古学の発掘により
復元された西暦1世紀頃
のユダヤ人の顔。
(3)本書の紹介
本書の以下の部分で、私(筆者の林)は本書を紹介し、感想を書こうと思う。本書にお
いて、私は従来のキリスト教の本にはないユニークな視点を多数見出した。この点に関し
ては、私は本書を高く評価したい。しかし、私は本書を読んでも、まだ十分に納得できな
い問題が残る。それは、「イエスは何を本当に狙ったのか?」とか、「イエスの時代には
偽メシアが多数いた中で、なぜイエスだけが本当のメシアとして後世の人々に受け入れら
れたのか?」とかの問題である。そういう問題を念頭に置きながら、本書を紹介する積も
りである。なお、以下においては、私の意見や注釈を青文字で記載する。
図1左に、西暦1世紀当時のユダヤの地図を示す。図1右に、考古学の発掘により復元
された西暦1世紀頃のユダヤ人の顔を示す。私は「イエスの本当の顔は本図のようだった
可能性が高い」と思っている。
3
私(筆者の林)は「キリスト教の成立を考察するためには、西暦1世紀前後のユダヤに
おける政治情勢を考慮する必要がある」とかねてから考えていた。しかし、従来の殆どの
本では、西暦 30 年頃にナザレのイエスが突如としてユダヤ教の現状を痛烈に批判し始めた
ことから話を始めている。これを契機としてユダヤ国中は大騒動に陥り、民衆の決起を懸
念したユダヤ教の司祭階級はイエスを逮捕した。イエスはローマ総督のピラトに引き渡さ
れて、磔刑に処せられた。しかし、イエスは死後に復活してキリスト教が成立したことが
色々と解説される。現在の人々は間違いなく「イエスの出現は世界史上における最大の事
件である」と考えている。
しかし、本書によれば、「イエスの運動は西暦1世紀前後のユダヤではよくある事件の
一つに過ぎない」ことになる。当時のユダヤでは、地上の革命を求める者たちが満ち満ち
ていたことを、本書の4章では解説している。なぜそうなったかを解説している本は少な
い。本書は、西暦1世紀のユダヤに革命運動が勃発した歴史的理由を説明している。その
ような解説は従来の書物では極めて少なく、本書の優れた点の一つである。
第Ⅰ部
ローマ帝国とユダヤ教
本書は紀元前6世紀から紀元後1世紀までの、ユダヤの歴史(原題の Times に相当
する)を次ぎのように解説している(p.43-57)。
①紀元前 586 年:バビロニア人がユダ王国を滅ぼし、紀元前 10 世紀にソロモン王が
エルサレムに最初に建設した神殿を破壊した。(バビロニア人はユダヤ人の有力者
たちをバビロンに強制連行した。これが有名な「バビロン捕囚」である。)
②紀元前 538 年:ペルシャ人がバビロニア人を征服し、ユダヤ人を故郷に帰し、エ
ルサレムに神殿の再建を許した。
③紀元前 330 年:アレクサンドロス大王がペルシャ帝国を滅ぼす。それ以後、ギリ
シャ人はエルサレムにギリシャ文化と思想を持ち込んだ。
④紀元前 323 年:アレクサンドロス大王が急死し、エルサレムはエジプトのプトレ
マイオス朝(ギリシャ人の王朝)に支配される。
⑤紀元前 198 年:シリアのセレイコス朝(ギリシャ人の王朝)がエルサレムを支配
する。アンティオイコス・エピファネス王は、自分こそ神の化身であると名乗って、
エルサレムでのユダヤ人の神の崇拝を禁止する。
⑥紀元前 164 年:ハスモン家はゲリラ戦によってセレイコス朝に抵抗し、エルサレ
ムを奪回して、400 年間で初めて、ユダヤ全土にユダヤ人の支配権を復活した。
⑦紀元前 63 年:ローマはハスモン家の内紛に乗じてユダヤを保護国とした。ローマ
は常套手段として地元の地主貴族階級と同盟した。エルサレムでは、一握りの裕福
な祭司階級の名家が神殿を維持することを認め、その換わりにローマに納める税金
や貢物を集めたり、反抗的になりつつある住民の秩序維持の任務を負わせた。
⑧ローマがエルサレムを征服してわずか数年で、ユダヤの小作人は多額の借金を背
負わされ、耕地からも追い出されたので、仕事を探しに都市へ移住した。だが、ガ
リラヤでは、土地を奪われた農民がユダヤ貴族やローマの代理人に対して攻撃をし
かけた。こうした農民ギャングはあちこち放浪しながら、「ユダヤ版ロビン・フッ
ド」よろしく、裕福な人から盗み貧しい人々に与えた。彼らは貧しい人々の英雄で、
国賊的なユダヤ貴族に対する神の正義の執行人であった。ローマ人は彼らを「レー
ステース」と呼んだ。「レーステース」とは、「盗賊」もしくは「民衆扇動家」の
4
意味であった。叛徒集団は、自分たちこそ神の代理人と自称し、自分たちのリーダ
ーを聖書に登場する王や英雄に見立てて、「神の国」をこの世にもたらす露払いの
役目を演じさせた。そのようなカリスマ性のあるリーダーの一人であったヒゼキア
は「自分はユダヤ人に栄光を取り戻す役割を約束されたメシアである」と宣言した。
「メシア」とは「油を注がれる者」を意味した。「メシア」はダビデ王の末裔で、
その一番大事な任務はダビデの王国を再建し、イスラエルという民族国家を再建す
ることであった。
⑨紀元前 48 年:イドマイ出身でハスモン朝の武将であったアンティパトロスはロー
マのカエサル(前 100-44)に取り入って、ユダヤ全土の行政管理権を与えられた。
(イドマイは図1左が示すように、ユダヤの辺境であった。)アンティパトロスは数年
後に死亡したが、息子のヘロデはハスモン朝の残党を粛清し、レーステースを討伐
した。(ヘロデはヒゼキアを捕らえて、斬首した。)ローマはヘロデの働きを評価
し、彼を「ユダヤ人の王」に任命した。しかし、ヘロデはイドマイ人でユダヤ教の
改宗者であったので、臣下の多くは彼をユダヤ人と考えていなかった。ヘロデは残
忍な独裁的支配者で、ローマを見習ってユダヤにギリシャ化政策を導入する一方、
ユダヤ人の機嫌を取るためにエルサレム神殿の大改造を行った。
⑩紀元前4年:ユダヤ人から売国奴として嫌われた「ヘロデ大王」は、この年に 70
歳で死亡した。ローマ皇帝アウグストゥス(在位:前 27-後 14)はヘロデの王国を彼
の三人の息子に分与した。しかし、無秩序と流血沙汰がとどまるところを知らず続
いたため、皇帝は紀元6年にはユダヤ全土をローマの直轄領とした。
次に、本書は新約聖書に捏造された物語があると指摘している(p.58-68)。(私
は「現在社会の捏造は、小保方さんの行為のような悪いことである。しかし、古代社会で
は、正当な目的のための捏造は方便として認められていた」と考えている。)
①初期キリスト教徒はイエスの生涯(特に、生誕地や処女降誕)に無関心であった。
紀元 50 頃に書かれた「パウロの書簡」には、イエスの十字架刑と復活以外の彼の人
生を述べていない。紀元 70 年頃に書かれた「マルコによる福音書」は、イエスがヨ
ハネから洗礼を受けた以降の物語しか述べていない。その後、初期のキリスト教徒
共同体の一部で、イエスの誕生の問題を取り上げる必要が出てきた。イエスを誹謗
するユダヤ人から、イエスがナザレ生まれならメシアであるはずがないと中傷され
たからである。
②そこで、紀元 90 年頃に書かれた「ルカによる福音書」と「マタイによる福音書」
において、前者では「皇帝アウグストゥスから全領土の住民に登録せよとの勅令が
出た」こととし、後者では「ヘロデ大王は、イエスという赤子を探し出そうとして、
ベツレヘム周辺で生まれた男児すべてを抹殺した」と述べている。著者によれば、
「これらは、イエスがベツレヘムで生まれたことを物語るための捏造」であった。
著者は「ヘロデ大王について書かれた数々の年代記から、彼が赤子大虐殺を行った
証拠はない」と述べている。
③ルカやマタイは、現代世界の私たちが言うような「歴史」というものを持ってい
なかった。歴史とは、注意深く分析すれば、客観的にも実証的にも分析可能な過去
の出来事であるという概念は現代社会の産物である。歴史とは、「事実」を暴露す
ることではなく、「真実」を明らかにすることだと思っていた福音書記者たちにと
っては、それはまったく異質の概念だった。神々や英雄たちの物語を描く古代世界
の書き手にとって、それらにまつわる物語が本質的には不正確であるとは知りなが
5
らも、そこにあるメッセージは真実だと受け止めるのは至極当たり前で、実際そう
解釈されることを期待していた。
本書は、読み書きの習慣のない社会にいたイエスについて次ぎのように述べてい
る(p.69-73)。
①イエスが生まれたころのナザレは小さな村で、大工仕事はあまりなかったことが
分かっている。イエスの職業は、大工または建設労働者を意味する「テクトーン」
だったという。この彼の職業についての記述は、新約聖書全体で一ヶ所しかない。
これが事実だとすれば、イエスは職人または日雇労働者だったわけで、ローマ人は
「テクトーン」という言葉を教育のない、あるいは読み書きの習慣のない無学者を
指す俗語として使っていた。(本書の著者も、「イエスは無学な職人または日雇労働者
だった」と見做している。私は「福音書の捏造の衣を剥ぎ取っても、イエスは卓越した宗
教家であったことが分かる。従って、彼は幼年時代からユダヤ教の教育を十分に受けた学
者か、クムラン教団かエジプトで厳しい修業をした行者であろう」と考えている。)
②イエスの処女降誕に関しては、「ルカによる福音書」と「マタイによる福音書」
しか触れていない。「パウロの書簡」、「マルコによる福音書」、および「ヨハネ
による福音書」は全く触れていない。処女降誕の記述があまりにも少ないので、か
えって大勢の学者たちに、処女降誕物語はイエスの父親についての不都合な真実を
隠すためにでっち上げたのではないかという憶測をかき立てている。2世紀のケル
ソスは、「イエスの父親はパンテラという名のローマ兵である」と書いている。
(著者は「ケルソスの話はあまりにも反論が多いため、真に受けるわけにはいかない」と
述べている。私は、著者のこの意見は独断的で賛成できない。)
③著者は「ナザレにおけるイエスの初期の生活について語るのは不可能である」と
いう。その理由は、「メシア」といわれる前のイエスの生活にはだれも関心を持っ
ていなかったからである。イエスの「メシア」としての独自性を神学的に補強でき
そうな事項だけを想像力をたくましくして考え出したに過ぎない。
本書は、地上の革命を求める者たちが世界最強の帝国に宣戦布告をした経緯を次
ぎのように述べている(p.75-93)。
①ヘロデ大王の時代は途方も無い建築ブームで、数十万人の貧民が雇われていた。
彼らの大半は、旱魃や飢饉、強欲な借金取りから追われて都会に来ていた。ヘロデ
の死の少し前に建築ブームが終わったので、大量の人口が地方に戻り、革命活動の
温床となった。
②ヒゼキアの息子で「ガリラヤのユダ」とよばれる教師が叛徒集団を結成した。こ
の集団は、ユダヤ教の三派(ファリサイ派、サドカイ派、エッセネ派)と区別する
ために、「第四宗派」と呼ばれた。この派が他の三派と違うのは、彼らがイスラエ
スを外国支配から解放するための断固とした決意を持ち、死に至るまで、唯一の神
以外には絶対に仕えないと熱烈に主張したことであった。
③紀元6年にユダヤがローマの属州となると、税金徴収のため住民登録を実施した。
ユダの集団はこれに反対して蜂起した。ローマに貢納するのは、彼らの住んでいる
ところが神の土地ではなく、ローマに属する土地だと思い知らされるからである。
当時の大司祭ヨアザルはローマへの卑屈な追随者で、同胞ユダヤ人に住民登録に協
力することを奨励したので、ユダの大義名分を支援することとなった。
6
④ユダは父ヒゼキアのメシアの権威を引き継ぎ、ダビデ王のような王位につく資格
がある人間だと宣言しようとした。ローマ軍はユダを捕らえて殺害し、ガリラヤの
首都セッフォリスを焼き払い、男たちは虐殺され、女子供は奴隷となった。二千人
以上の叛徒とその同調者が十字架に架けられた。
⑤紀元 26 年には、ピラトが総督としてエルサレムに着任した。彼は残忍、冷酷、融
通の利かない人物で、臣民の心情への配慮のない、誇り高い軍人であった。福音書
では、彼はイエスの命を救おうとする高潔だが意思の弱い人間として描かれている。
これは完全な作り話で、彼の極端な腐敗、ユダヤ人の律法や伝統の完全な無視、ユ
ダヤ民族全体に対するあからさまな嫌悪は有名であった。彼は何千人ものユダヤ人
を裁判もなしに磔にしたので、エルサレムの住人は皇帝に正式抗議状を提出した。
⑦ピラトが十年近いエルサレム在職中に相手にした大祭司はカイアファだけであっ
た。二人はうまく提携して、政治的動乱に繋がりそうなユダヤ人の革命運動を容赦
なく抑え込んで行ったが、ヒゼキア、ペレアのシモン、羊飼いのシモン、ガリラヤ
のユダなどの蜂起によってユダヤ人の心に燃え上がりつつあった情熱を消し止める
ことはできなかった。ピラトがエルサレムに着任して間もなく、新手の説教師、予
言者、民衆煽動家、自称メシアが聖都をほっつき歩き、弟子を集め、ローマからの
解放を説いて、「神の国」の約束をしていた。
⑧紀元 28 年には、ヨハネという名の苦行僧のような男がヨルダン川で洗礼を始めた。
この「洗礼者ヨハネ」の人気があまりにも高くなったので、ピラトの管理下にあっ
たヘロデの息子(ヘロデ・アンティパス)がヨハネを処刑した。それから数年後に、
イエスという名のナザレの大工が弟子たちを連れてエルサレムに乗り込み、神殿を
冒瀆し、自らを「ユダヤ王」と称したようなので、ピラトは彼を処刑した。紀元 36
年には、「サマリア人」としてしか知られていないメシアを名乗る男がゲリジム山
に信奉者の一団を集めた。ピラトはローマ兵を派遣してこれらの一団を殺害した。
⑨紀元 44 年には、テウダという預言者が自らメシアと名乗り、数百人の信奉者を連
れてヨルダン川に行き、モーゼのように水を分けると約束した。ローマ人はこれに
対して軍隊を出動させてテウダの首を刎ね、信奉者を砂漠に追い払った。紀元 46 年
には、ガリラヤのユダの二人の息子が祖父と父の足跡をたどって革命運動を始めた
が、二人は十字架刑に処せられた。
⑩紀元 48 年にユダヤ総督に着任したクマヌスは、神殿を侮辱したローマ兵に激怒し
た群衆を虐殺した。サマリアでユダヤ人旅行者の一行がサマリア人に襲われた事件
があった。サマリア人から賄賂を貰っていた総督クマヌスは彼らを罰しなかったの
で、ディナエウスの息子エレアザルという男が率いる叛徒の一団がサマリア人を片
っ端から殺した。クマヌスに替わって着任した総督フェリクスは大祭司ヨナタン
(アナヌスの息子の一人)と提携してエレアザルを捕らえた。エレアザルはローマ
に送られて十字架刑に処せられた。
⑪エルサレムでは新たな叛徒・シカリ党(短刀を持った人々)が頭角を現した。彼
らは終末的世界観を持ち、この世に神の支配を確立させようと熱烈に努力する熱血
漢たちであった。彼らはローマの支配に屈服した裕福な祭司貴族階級に復讐心を持
っていた。当時のシカリ党のリーダーはガリラヤのユダの孫メナヘムであった。紀
元 56 年、メナヘムの部下が群衆の中で大祭司ヨナタンを短刀で暗殺した。シカリ党
はテロ攻撃を激化して、ユダヤ人の支配階級を攻撃し始めた。
7
⑫ヨナタンの死で、エルサレムではメシア待望指向が興奮状態に近いほど激しくな
った。エルサレムでは、アナニアの息子イエスという名の聖者が突然現れ、聖都は
破壊されてメシアが間もなく帰還すると預言した。また別の「エジプト人」と呼ば
れるユダヤ人魔術師は、自分が「ユダヤ人の王」だと名乗り、オリーブ山に数千人
の信奉者を集めた。群衆はローマ軍により虐殺された。総督フェリクスは更迭され、
後任の総督フェストゥスはシカリ党の気ままな殺害や略奪に打つ手がなく、辺境地
帯の大勢の預言者やメシアを取り締まる手段がなく、職務の重圧に耐えられず、着
任後まもなく死亡した。後任の総督アルピヌスと総督フロルスも私腹を肥やすばか
りで、ユダヤ人蜂起の原因を作った。
⑬紀元 66 年、総督フロルスは突然、ユダヤ人にはローマに対する未払いの税金が十
万ディナールあると発表し、護衛兵の一団を引き連れて神殿の財庫へ突入して、ユ
ダヤ人の神への献げ物である献納金を強奪した。これをきっかけに起きた暴動でエ
ルサレムは大混乱に陥った。神殿の守備隊長エレアザルは叛徒を支持した。メナヘ
ムとシカリ党員はエレアザルに味方して、ローマ兵を一人残らず殺害し、ローマ人
の占領が神の都に及ぼした諸悪を徹底的に掃討した。以後、後戻りはなかった。ユ
ダヤ人は史上初の世界最大の帝国に宣戦布告をしたわけである。
ユダヤ人のローマに対する蜂起の結末は、本書の6章(p.94-108)で詳しく述べ
られているので、ここでは簡単に紹介するに留める。皇帝ネロの自殺(紀元 68 年)
で鎮圧は少し遅れた。その間、ユダヤ人側でも内紛が続いて結束が出来なかった。
紀元 70 年4月、ローマ軍はエルサレム市内に突入し、老若男女、金持ちも貧乏人も、
蜂起に加わったもの、ローマに忠誠を貫いたもの、貴族であれ、祭司であれ、市内
にいたすべての人々を無差別に殺害した。全市は炎上し、神殿も崩れ落ちて灰と瓦
礫の山となった。
ローマ人は生き残ったユダヤ人をエルサレムとその周辺から追い出し、町の名前
も最終的に「アエリア・カピトリーナ」と変更し、全域をローマの直轄領とした。
ユダヤ人にとっては、聖都壊滅という形で現実化した「世の終わり」であった。こ
れを、「第1次ユダヤ戦争」(紀元 66-70)と呼ぶ。
ここで私(林)の感想を少し書きたい。西暦1世紀のユダヤ人にとっては、ユダヤ教の
聖典(キリスト教で旧約聖書と呼んでいる文書)が人生の全てであった。この聖典は唯一
神(日本では、エホバ神とかヤハウェ神と呼ばれる)からユダヤ民族に与えられた聖典で、
ユダヤ民族にとっては自然法則であり、憲法であり、法律であり、生活規範であった。
「創世記」によれば、神は最初アブラハムに顕現し、彼は神と契約を結んだ。この契約
は「彼と彼の子孫が神との契約を遵守すれば、神は彼らにカナンの地を与える」というも
のであった。アブラハムが神の命令で一人息子のイサクをあわや犠牲にする直前に、神が
アブラハムに現れて「汝の信仰心を試した」と犠牲を止めさせた(本書の p.265)。その後、
イスラエル民族がエジプト王の奴隷となって苦しんでいた時には、神はモーゼに顕現し、
彼をしてイスラエル民族をエジプトから脱出せしめた。
西暦1世紀のユダヤでは、「メシア」とか「神の子」とかを自称する多数の革命家が出
現した。彼らの誰もが「俺が決起すれば、神は必ず俺に顕現されるはずである。そうなれ
ば、俺はモーゼと同様に神のご助力を得て、ローマを追い出して、ユダヤ民族に神の国を
もたらすことが出来る」との信念を持っていた。しかし、彼らの誰にも神は顕現せず、彼
らの殆どは捕らえられて処刑されてしまった。私(林)は「ナザレのイエスも、そのよう
にして処刑された自称メシアの一人である」と考えている。
8
第Ⅱ部
革命家、イエス
本書は、イエスの教えにある「神の国」はどんなものかを、次ぎのように解釈し
ている。
①「洗礼者ヨハネ」は、駱駝の毛皮をまとい、イナゴと野蜜を常食とする野生人で
あった。彼は「終末は近い。神の国は近づいた。斧は既に木の根元に置かれている。
良い実を結ばない木はみな、切り倒されて火に投げ込まれる」と警告し、ヨルダン
川で「悔い改め」のための洗礼を行った。彼は「神の国」という世界秩序の到来を
期待させた。その期待自体が、暗く不穏な時代に生きたあらゆる階層の大勢のユダ
ヤ人を惹きつけた。(p.119-121)
②紀元 28 年頃、ヘロデ大王の息子の一人で、ペレア地方一帯の分封領主アンティパ
スは「洗礼者ヨハネ」の人気を恐れ、民衆煽動罪で逮捕して密かに殺した。ヨハネ
の名声は、彼の死後も長く残った。彼の生涯と伝説は「洗礼者口伝」として保持さ
れ、町から町へと伝えられた。大勢の人々が彼はメシアだと思い込んだ。彼は死者
から甦ったと考える人々もいた。福音書記者たちは、ヨハネの名声があまりにも大
きかったため無視することができず、彼がイエスに洗礼を授けたこともよく知られ
ていたので隠すことができなかった。そこで、ヨハネの物語を改竄して差し支えの
ない話にする必要があった。(p.121-126)
③ヨハネと出会う前のイエスは、ガリラヤの無名の貧農兼日雇労働者であった。ヨ
ハネから洗礼を受けたことにより、彼は悔い改めて新たなイスラエルの民の一員と
なったばかりではなく、ヨハネの側近グループに仲間入りした。イエスが荒野にし
ばらく滞在したのは、福音書記者たちが想像したように「サタンから誘惑を受け
る」ためではなく、ヨハネから学び、彼の信奉者と親しく交わるためであった。
(p.129)
④ヨハネの逮捕後、イエスはヨハネを継ぎ、「神の国は近づいた!悔い改めて福音
を信じなさい!」と述べ始めた。だが、イエスのメッセージはヨハネよりはるかに
革命的で、彼の自己認識と使命感はヨハネよりずっと危険なものだった。群集を驚
かせたのは、イエスの話し方がカリスマ的な権威に満ちたものであった。司祭貴族
階級の権威は厳粛な研鑽や神殿との密接なつながりから生じたものであったが、無
学なイエスの権威は直接神から授かったものだった。イエスは地上における神の代
理人として、神殿の守護者に真っ向から対立する立場に自分を置いた。(p.130141)私(林)はかねてから、「イエス自身がどのような経緯で、自分自身の権威は神から
授かった、と自覚するようになったか?」との疑問を持っている。キリスト教会は、「イ
エスは三位一体の神だったのだから、当然である」と言うであろう。本書の著者は多分、
私と同様に「イエスは人であった」と考えているだろう。もしそうなら、イエスの権威の
由来について、著者の意見を知りたい。私は前ページで書いたように「イエスは自分自身
がメシアだと思っているので、神は(モーゼを助けたように)自分の決起を助けてくれる
はずだ、と確信していた」と考えている。ちなみに、ヘブライ語の「イエス」という名前
は、「神は救う」という意味である。
⑤イエスは「自分の使命は、ユダヤ教の真髄であるモーゼの律法を廃止するのでは
なく、完成することだ」と断固主張した。(p.166)イエスの言葉の意味するところ
ははっきりしている。「神の国」はまもなく地上に樹立されるはずだ。神はイスラ
エルに栄光を復活させる寸前にあるが、神による復活は、現存する秩序の破壊なし
には起こりえない。神の支配は、現存する指導者たちが完全に一掃されなければ、
9
樹立されない。神が選ばれた民のためにとっておいた土地を強奪したローマ帝国は、
土地を神に返さなければばらない。一言で言えば、「神の国」とは革命への呼びか
けである。(p.164)
⑥「神の国」についてのイエスの教えには、何の具体的な計画がない。それは、神
が決めることであった。だが、イエスの「神の国」での役割は明確であった。彼は
「私が神の指によって悪霊を追い出しているのであれば、神の国はあなたたちのと
ころに来ているのだ」と言っている。彼はこの世における神の代理人として、「神
の国」の到来を告げつつあり、彼の奇跡行為を通じて神の支配を確立しつつあった。
彼の他にだれが「神の玉座」につけたであろうか。イエスが総督ピラトの前に連れ
てこられたのは、「おまえがユダヤの王なのか?」というたった一つの尋問に答え
るためであった。(p.171-172)
⑦現代人にとっては、イエスの癒しと悪魔祓いの話は、どうみても信じがたい。イ
エスの奇跡行為は、どれ一つとして、それを裏付ける証拠はない。イエスの奇跡物
語は、時間の経過とともに潤色され、キリスト論によって複雑な意味づけが行われ
ているために、歴史的に検証できない。西暦1世紀には、イエスは唯一の奇跡行者
ではなかった。この時代は、魔術に心を奪われる人が多い世界で、イエスは放浪す
る数知れない易者、夢占い、魔術師、まじない師の一人に過ぎなかった。(p.147 149)現代でも、アフリカや、南米や、東南アジアの密林では、村には魔術師がいて病気の
治療や雨乞いの儀式を行っている。西暦1世紀では全世界がそのような状態であったので、
私は「イエスが民衆の心を掴んでいたので、福音書ではそれを表現するために、彼が多く
の奇跡行為を行ったと潤色した」と考えている。
⑧イエスの革命的な教えや行動は、神の神殿を占拠しているユダヤ人ペテン師や、
ユダヤを占領している異教徒帝国ローマの両者から脅威とみなされるようになり、
両者とも彼の死を求めるようになった。(p.142)
第Ⅲ部
キリスト教の誕生
イエスの死後、弟子たちは深遠な信仰の試練に直面した。イエスの十字架上の死
で(神は十字架上のイエスを救わなかった)、現制度を転覆するという夢は断ち切られ、
地上における「神の国」は実現しそうになかった。そこへ普通ならあり得ないよう
なこと(イエスの復活)が起こった。本書の著者は「実際にはどんなことだったかを
知ることは不可能である」と書いている。生き返ったイエスを見たと証言した人々
が、その証言の撤回を拒否することで次々と残酷な死に追いやられた。イエスの初
期の信奉者が彼の復活を信じた真剣さが、イエスの前後にも目的を成就できなかっ
たメシアが数多くいたにもかかわらず、彼だけがいまだにメシアと呼ばれている理
由となった。(p.226-227)本書は、残念ながら、「イエスの復活」の謎から逃げている。
「イエスの復活」こそが、「彼が神だった」証であり、キリスト教の根源である。私は、
本書の著者の意見を聞きたかった。
イエスの信奉者によれば、彼は死者から甦っただけではなく、この復活によって
メシアであることを証明したという。当時のユダヤ人は、メシアが苦しんで死ぬな
ど思いつかず、勝利者として生きているメシアを待ち望んでいた。イエスの信奉者
が行ったのは、ユダヤ人のメシアの本質そのものと役割についての驚くほど大胆な
再定義であった。文字とは無縁の一団が、忘我状態で言いふらす、こうした斬新で
まったく正統でないメシアの解釈に、イエスを知っていたエルサレムの人々のみな
10
らず、聖都から遠く離れて住んでいた離散ユダヤ人たち(ディアスポラ)までもが、
イエス運動に参加した。(p.216-218)私は「初期のイエスの信奉者は、イエス様は近
いうちに必ず再臨し、回心した人々だけが神の国に受け入れてくれると信じていた。」と
考えている。その証拠として、一部のキリスト教徒はユダヤ戦争の時に、エルサレム篭城
に参加していた。彼らは、ローマ軍が聖都に迫った時に、イエス様が再臨してローマ軍を
打ち破ることを期待していたようだ。しかし、その時に至ってもイエス様は再臨せず、こ
れらのキリスト教徒は他のユダヤ人と共に、ローマ軍に虐殺されてしまった。
イエスの正統的継承者は、イエスの弟ヤコブであった。人々は彼を「義人ヤコ
ブ」と呼んでいた。イエスの死後、住まいをエルサレムに移していたヤコブは、こ
の上なく敬虔で、質素に暮らし、貧しい人々を擁護していた。彼はイエスの信奉者
に、主(しゅ)の血筋を受け継ぐメシアとの繋がりを感じていた。ユダヤ当局でさ
え、ヤコブの品行方正さと、揺るぎない律法の遵守を褒め讃えていた。彼は、律法
を無視し、異説を唱えるパウロを激しく非難した。(p.254)
新約聖書にある「ヤコブの書簡」は、イエスと同様に無学者であったヤコブが直
接書いたものではないかも知れない。おそらく内輪のだれかが書いたものであろう
が、紀元 62 年にヤコブが殺される直前に、彼が行った説教を編集、充実したものと
思われる。「ヤコブの書簡」はイエスの信仰を伝えている。ヤコブは、極貧の人々、
疎外された人々のために戦った。金持ちに対しては、激しく非難した。彼の富裕者
への激しい批判こそ、強欲な大司祭アナヌスの怒りをかきたてた。(p.261-263)
ユダヤ教の律法をめぐって、ヤコブとパウロには対立があった。ヤコブは律法を
日常生活に適用することが、キリストとしてイエスを信じるための必要条件と考え
ていた。パウロはそのような「実践」と、「救い」とは無関係であると考えていた。
「ヤコブの書簡」は、パウロの説教を矯正する手段として書かれた可能性が高い。
(p.264-265)
パウロがローマに行ったのは、できればヤコブの権威から逃れたいと思ったから
だった。しかし、ヤコブもパウロもユダヤ戦争を知らずに殉教している。ユダヤ戦
争の結果、紀元 70 年にエルサレム神殿が破壊され、聖都は破壊され、エルサレム教
会の残存者たちは散り散りになった。イエスに関する文書は、パウロの書簡だけが
残った。エルサレム崩壊後のキリスト教は、ほとんど異邦人の宗教だった。それに
は異邦人の哲学を必要としていた。パウロはまさにそれを提供したわけである。
(p.270-275)
最後に著者は、「救世主イエス」と「人間イエス」とを比較している。パウロの
創り上げた救世主イエスは、歴史上の人物としてのイエスをすっかり包含してしま
った。人間としてのナザレのイエスは、地上における「神の国」の樹立を目指して、
弟子たち軍団を集めながらガリラヤ全土を歩き回り、社会の大変革を意図していた
熱烈な革命家であった。エルサレム神殿の祭司階級の権威に盾突く魅力ある伝道者、
ローマ占領に反抗する急進的なユダヤ人ナショナリストとしてのイエスの面影は、
ほとんど完全に歴史の中に埋没してしまった。著者は「人間イエスは救世主イエス
に負けず劣らずカリスマ的で、人を動かさずにはいられない魅力に溢れる、賞賛に
値する人だ。一言で言えば、彼は信じるに値する人物だ」と述べている。(p.276)
私(林)は、著者の上記の意見に大賛成である。私は「ナザレのイエスは、神の顕現であ
った」とはとても信じることが出来ない。
(執筆完了:2014 年7月 20 日)
11
Fly UP