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8-2 循環器毒性

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8-2 循環器毒性
はじめに
食品の安全性,環境汚染,医薬品の安全性など,今,毒性学に関わる諸事項が社会から大き
な注目をあびています。特に,比較生物学に関する広範な知識と技能をもつ獣医師のこれら分
野への貢献が期待されているところです。
獣医師国家試験に毒性学が取り入れられて以来,『獣医毒性学』( 白須泰彦・吐山豊秋著 ),
『毒性学─毒性発現のメカニズム─』( 土井邦雄著 ),『毒性学─生体・環境・生態系─』( 藤田
正一編 ) などの優れたテキストが世に出て,多くの学生の教育を支えてきました。それととも
に,毒性学分野に不慣れな教員にとってもバイブル的な存在として大きな役目をはたしてきま
した。しかし,これらの優れた著書は,昨今の著しい毒性学分野の進展にともなって,古い記
述そして改訂・加筆が必要な項目が多々出てきたと思われます。さらに,獣医師国家試験を考
えた場合,全国共通で使うことのできる教科書が必要であるとの声がかねてからありました。
このような中で,2007 年 9 月の日本比較薬理学・毒性学会拡大評議員会で,前年度に発足し
た毒性学教科書発刊準備委員会からの提案が了承され,「新獣医毒性学」が 2009 年 10 月に刊行
されました。
その後,獣医学教育の改善の道筋のなかで重要な決定がなされました。獣医学教育モデル・
コア・カリキュラムの策定です (2011 年 3 月 )。獣医学教育モデル・コア・カリキュラムとは,
獣医学生が修得すべき基本となる教育内容であって,全大学に課される共通の具体的な到達目
標が定められているものです。幸い,
「新獣医毒性学」は,獣医師として知っておかねばなら
ない必要最低限の知識を記載すること,獣医師国家試験に準拠した内容であることを目指して
企画されたことから,今回公表された平成 23 年度版獣医学教育モデル・コア・カリキュラム
と大きな隔たりがありませんでした。しかし,今回コア・カリキュラムに新たに加わった項目
も幾つかあり,またキーワードも記載されたことから,今般,「新獣医毒性学」 を改訂し,獣
医学教育モデル・コア・カリキュラムに準拠した「獣医毒性学」を発行することにしました。
本書の内容は,獣医学教育モデル・コア・カリキュラムの一般目標と到達目標に準拠させまし
たが,一部アドバンス項目として,コア・カリキュラムにはない内容も含んでいます。
本書により獣医毒性学を体系的に学んだ学生が,公衆衛生分野あるいは毒性評価・研究機関
等で活躍することを願うとともに,今準備が進んでいる獣医学共用試験のための学習にも役立
つことを希望しています。
編集委員 一同
編集・執筆者一覧 (50 音順 )
▼編 集
いしづか ま ゆ み
石塚真由美
おざき
ひろし
尾㟢 博
さとう
こういち
佐藤 晃一
しもだ
みのる
下田 実
つ
だ
しゅうじ
津田 修治
てらおか
ひろき
寺岡 宏樹
▼執筆者
北海道大学教授
東京大学教授
山口大学教授
東京農工大学教授
あさい
ふみとし
あずま
やすたか
いけだ
まさひろ
浅井 史敏
東 泰孝
池田 正浩
いしづか ま
ゆ
み
石塚真由美
うんの
としひろ
おおた
としお
かねだ
たけはる
さとう
えい き
さとう
こういち
岩手大学教授
海野 年弘
酪農学園大学教授
太田 利男
金田 剛治
佐藤 栄輝
佐藤 晃一
しもだ
みのる
下田 実
しろた ま
り
こ
代田眞理子
つ
だ
しゅうじ
津田 修治
てらおか
ひろき
てんま
きょうすけ
ひらが
たけお
ふるはま
かずひさ
まつお
さぶろう
寺岡 宏樹
天間 恭介
平賀 武夫
古濱 和久
松尾 三郎
みやもと
あつし
宮本 篤
わ
く
い
しん
和久井 信
麻布大学獣医学部獣医学科
大阪府立大学大学院生命環境科学研究科
宮崎大学農学部獣医学科
北海道大学大学院獣医学研究科
岐阜大学応用生物科学部獣医学講座
鳥取大学農学部獣医学科
日本獣医生命科学大学獣医学部
帯広畜産大学大動物特殊疾病研究センター
山口大学農学部獣医学科
東京農工大学農学部獣医学科
麻布大学獣医学部動物応用科学科
岩手大学農学部獣医学課程
酪農学園大学獣医学部獣医学科
北里大学獣医学部獣医学科
酪農学園大学獣医学部獣医学科
岩手大学大学院農学研究科
大阪府立大学大学院生命環境科学研究科
鹿児島大学農学部獣医学科
麻布大学獣医学部動物応用科学科
目 次
第 1 章 毒性学と社会 ( 津田修治 古濱和久 )
第 2 章 化学物質の生体内動態 ( 下田 実 )
第 3 章 毒性試験の実施と評価 ( 松尾三郎 津田修治 )
第 4 章 化学物質の有害作用 ( 浅井史敏 太田利男 )
第 5 章 化学物質のリスクアナリシス ( 代田眞理子 津田修治 宮本 篤 )
第 6 章 遺伝毒性・発がん性 ( 天間恭介 和久井信 )
第 7 章 生殖発生毒性 ( 平賀武夫 )
第 8 章 臓器毒性
8 - 1 呼吸器毒性 ( 佐藤晃一 )
1.呼吸器系の構造と機能
2.呼吸器毒性物質の性状および動態
1) 気体,蒸気の性状と動態 2) エアロゾルの性状と動態
3.化学物質による呼吸器障害
1) 喘息 2) 肺線維症 3) 肺水腫 4) 肺気腫 5) 肺癌
4.呼吸器毒性物質の化学的特徴と毒性
1) 二酸化硫黄 ( 亜硫酸ガス ) 2) 二酸化窒素 ( 亜硝酸ガス ) 3) オゾン
4) パラコート 5) アスベスト
5.吸入毒性試験の特徴と実施方法
1) 暴露濃度 2) エアロゾルの粒径 3) 被験物質の暴露方法 4) 毒性試験
演習問題と解説
8 - 2 循環器毒性 ( 佐藤晃一 )
1.循環器の構造と機能
2.化学物質による循環器障害
1) 不整脈 (QT 延長 ) 2) 心筋症 3) 高血圧 4) ショック 5) 動脈硬化
3.循環器毒性物質の化学的特徴と毒性
1) アコニチン 2) 強心配糖体 3) ドキソルビシン 4) テルフェナジン
演習問題と解説
8 - 3 免疫毒性 ( 東 泰孝 )
8 - 4 肝毒性 ( 金田剛治 )
8 - 5 腎毒性 ( 池田正浩 )
8 - 6 皮膚・粘膜毒性 ( 古濱和久 )
8 - 7 感覚器・運動器毒性 ( 古濱和久 )
8 - 8 内分泌毒性 ( 佐藤栄輝 )
8 - 9 血液毒性 ( 佐藤栄輝 )
8 - 10 神経毒性 ( 海野年弘 )
8 - 11 消化管毒性 ( 海野年弘 )
第 9 章 環境毒性 ( 石塚真由美 )
1.環境汚染物質の動態
1) 大気相
2) 水 相
3) 土壌相
4) 生物相
2.環境破壊と環境汚染物質
1) 酸性雨
2) オゾン層の破壊
3) 地球温暖化
4) 重金属
5) 有機ハロゲン化合物
3.生態毒性試験
4.環境汚染に関する法規と法で定められた環境毒性物質
1) 大気汚染物質などに関する規制
2) 水質汚濁物質
3) 土壌汚染物質
4) 廃棄物
5) 農薬取締法使用規制対象物質
6) ダイオキシン類
7) 化学物質の規制に関するその他の国際的な取組み
演習問題と解説
1
第 8 章 臓器毒性
一般目標:臓器および生体機能に対する化学物質の特徴を理解し,その試験方法につい
て説明できる。
臓器毒性とは,特定の臓器や組織において,その機能や形態に異常が現れる特殊毒性のことで
ある。変化が現れる臓器や組織によって,
「呼吸器毒性」,
「循環器毒性」,
「肝毒性」,
「神経毒性」
などと呼ばれる。本章では各臓器の構造と機能から解説を始め,各障害の特徴,毒性物質の種
類と特性,および毒性試験方法について概説する。
8 - 1 呼吸器毒性
到達目標:呼吸器毒性について概説し,呼吸器毒性物質と吸入毒性試験方法について説明できる。
キーワード:エアロゾル,空気力学的質量中位径 (MMAD),喘息,肺線維症,肺水腫
肺気腫,肺癌,二酸化硫黄,二酸化窒素,オゾン,パラコート,アスベスト ( 石綿 )
急性毒性試験,短期毒性試験
1.呼吸器系の構造と機能
脊椎動物の呼吸器は,鼻腔,咽頭,喉頭,気管,気管支,肺からなる。また,鼻腔から肺胞へ至る空
気の通路が気道であり,喉頭を挟んで上気道,下気道とも呼ばれる。鼻腔から肺胞に至るまで気道は分
岐を繰り返し,個々の気道断面積は小さくなり,対照的に総断面積は増加し,流速は遅くなる。気道の
始まりである鼻腔は,単なる空気の通り道の他に,複雑な鼻腔壁の構造や鼻甲介の存在により,吸気の
温湿度調整やフィルターとして防塵の役割も担っている。
鼻腔は,粘膜の性状により,鼻前庭部,呼吸部,嗅部に分けられる。鼻前庭部は色素に富む重層扁平
上皮と鼻前庭腺をもつ鼻粘膜で覆われる。鼻腔の大部分を占める呼吸部の粘膜は,線毛上皮と,粘液を
分泌する杯細胞からなる。鼻腔から侵入した異物は粘液層に付着し,線毛運動により後方または前方に
送られ排除される。
喉頭から続く気管は左右に分かれ気管支となり,肺門部より肺実質に入り,さらに分岐を繰り返し終
末細気管支となる。気管と気管支には線毛上皮細胞が分布し,分泌腺や杯細胞から分泌された粘液によ
り覆われている。線毛上皮細胞は,粘液を喉頭まで送り出すことで,バリアとして機能している ( 粘液
エスカレーター )。
終末細気管支より末梢部は呼吸細気管支へと分岐し,呼吸細気管支,肺胞管,肺胞嚢,肺胞からなる
細葉を構成する。終末細気管支より末梢では,杯細胞が消失し,高い薬物代謝機能をもつクララ細胞が
分布する。肺胞表面は,扁平で肺胞の大部分を占めるⅠ型上皮細胞と分泌能をもつⅡ型上皮細胞で覆わ
れ,肺胞内には異物除去を担う肺胞マクロファージが存在する。
2.呼吸器毒性物質の性状および動態
1) 気体,蒸気の性状と動態
吸入毒性 inhalation toxicity においては,気体 gas と蒸気 vapor は同一性状の物質として扱われる。気
体の全身への毒性は,化学物質が肺胞から全身循環へと移行し発現する。そのため,毒性作用は気体の
2
獣医毒性学
血中への溶解度,分配係数,排泄や代謝に依存する。また,吸入された気体は呼吸器に対し直接傷害を
起こし,その作用部位は気体の種類により異なる。オゾンなどの低水溶性気体は,肺胞まで到達し傷害
を与える。しかし,亜硫酸ガスなどの高水溶性気体は,呼吸道の途中で粘液などに吸収され肺胞まで到
達しない。そのため,咳や気管支炎など比較的気道上部での障害を誘発する。
2) エアロゾルの性状と動態
エアロゾル ( エーロゾル ) aerosol とは,気体中に浮遊する微小な液体または固体の粒子を指す。エア
ロゾルはその生成過程の違いから,ミスト mist( 液体微粒子 ),ダスト dust( 固体粉砕微粒子 ),ヒュー
ム fume( 固体が融解・蒸発後に再固体化 ),煙 ( 有機物の焼却生成物 ),スモッグ smog( 煙霧;smoke と
fog の造語 ) などに分類される。吸入毒性試験の主な対象はミストとダストである。
(1) 性状と動態
エアロゾルの毒性はエアロゾル粒子の性状と呼吸器内到達部位によって決定され,到達部位と量は粒
子の形状と粒径に依存する。ミストは球形であり粒径は容易に計測できるが,微細な固体粉末であるダ
ストの形態的粒径の計測は困難である。そのため,粒径は空気中の粒子の運動を考慮した空気力学的等
価径 aerodynamic diameter で表され,その粒子の分布は空気力学的質量中位径 mass median aerodynamic diameter(MMAD) とその幾何標準偏差 geometric standard deviation(σg) で表示される。粒子
のバラツキを表すσg が小さいほど均一なエアロゾルといえる。粒子の捕獲および粒径の測定にはカス
ケードインパクターが用いられる。
(2) 気道内沈着
エアロゾルの気道内沈着 deposition in respiratory 機構には,慣性衝突,沈降,拡散,引っ掛かりが
ある。エアロゾルは粒径および形状によって,呼吸器内の異なる部位へ異なる機構により沈着する。粒
径の大きなエアロゾルは,気流速度が速い上部気道においては気道壁への慣性衝突により,また,速度
が緩やかになる気管支以降では粒径の大きなエアロゾルは沈降により,小さなエアロゾルは拡散により
沈着する。粒径が 1μm 未満では肺胞まで到達可能であり,粒子がブラウン運動を起こし,拡散によっ
て沈着する (図8−1)。アスベストなどの線維状物質は,粒子が気道粘膜へ接触し,引っ掛かりにより
沈着するため,線維が長いほどこの機構で沈着しやすい。
(3) 粒子クリアランス
粒子クリアランス particle clearance は,沈着した粒子の体内からの消失除去を意味し,エアロゾル
の化学的性状の違いにより異なる機構を介して行われる。
難溶性エアロゾルは,鼻咽頭腔ではくしゃみなどにより体外へ排出されるか,喉頭部へ送られ嚥下さ
れる。気道や気管支へ沈着すると,粘液エスカレーターにより喉頭へ送られ嚥下される。肺胞まで達し
た場合には,肺胞内マクロファージによる貪食が重要な役割を担う。
可溶性エアロゾルは,難溶性エアロゾルの動態に加え,沈着後の粘液層への溶解と細胞への吸収を伴
い,脂溶性の高い化学物質ほど体内への吸収が速まる。
3.化学物質による呼吸器障害
1) 喘 息
喘息 asthma は,アレルギー反応などを発端に起こる慢性の気管支炎であり,気道の過敏性亢進や可
逆性の気道狭窄を起こし,発作的な喘鳴,息切れ,咳などの症状を呈する。
喘息の発症因子には,①素因 ( アトピー素因など発症因子のうちで遺伝的なもの ),②抗原物質 ( アレ
ルゲン ),③増悪因子 ( 気道炎症や急性気道収縮の誘発により喘息発作を引き起こすもの ) がある。喘息
の原因となる大気汚染物質には,亜硫酸ガス,亜硝酸ガス,浮遊粒子状物質 suspended particulate
matter(SPM) などがあり,気道収縮や気管支の過敏性を亢進させる。また,これらの大気汚染物質は,
気管支内のサイトカイン産生を亢進することで炎症を慢性化し,症状を増悪させる。
第 8 章 臓器毒性
3
呼吸器の
気流速度
とても速い
速い
遅い
とても遅い
呼吸器の部位
(平均内径)
鼻咽頭・喉頭部
(22∼13 mm)
慣性衝突
沈降
★
気管
>30 µm
(22∼13 mm)
沈降
★
3 ∼30 µm
気管支
(10∼1 mm)
沈降・拡散
★
1 ∼3 µm
終末細気管支
呼吸細気管支
(1∼0.5 mm)
肺胞道
肺胞
(0.4∼0.3 mm)
★:到達できるエア
ロゾルの粒径
拡散
(ブラウン運動)
★
<1 µm
図8−1 吸入したエアロゾルの気道内沈着機構
呼吸器の内径は,鼻咽頭・喉頭部から肺胞に向かって気道が分岐するに従い小さくなる。そのため,粒径の
大きなエアロゾルは上部気道で沈着し,1μm より小さなエアロゾルだけが肺胞まで到達できる。また,気
道内径の減少とともに呼吸器の気流速度は減弱していくため,エアロゾルの沈着様式は,慣性衝突,沈降,
拡散と変化していく。
2) 肺線維症
肺線維症 pulmonary fibrosis とは,肺胞壁両側の肺胞腔に面した上皮細胞直下の基本構造が線維化し,
肥厚した状態を指す。病理学的および生化学的所見の特徴は肺胞間隙中のコラーゲン線維の増加であ
る。原因としては,膠原病などの自己免疫疾患,ブレオマイシンなどの薬物副作用,肺炎などの慢性
化,また原因不明の特発性などもある。特発性間質性肺炎 idiopathic interstitial pneumonias は肺線維
症患者の多数を占め,難病に指定されている。
特発性肺線維症と類似の臨床的所見を示す疾患に,石綿症 asbestosis( アスベスト肺 lung asbestosis)
がある。空気中に浮遊した微細なアスベストの吸入により,数十年をかけて緩やかな速度で肺線維症を
発症する。
3) 肺水腫
肺水腫 pulmonary edema は,肺胞周囲に分布する毛細血管から漿液が滲出し,肺胞内および間質に
多量に貯留した状態を指し,滲出液による肺胞のガス交換阻害による呼吸困難を主訴とする。内因性の
肺水腫の原因として,左心不全や僧帽弁狭窄症などによる毛細血管内圧亢進,肝硬変やネフローゼ症候
群に起因する血中水分保持機能の低下,肺炎や化学物質などによる血管透過性の亢進が考えられてい
る。外因性としては,アロキサン,ホスゲン,アンモニア,オゾンなどの化学物質の吸入による呼吸器
系細胞の傷害に起因する。
4) 肺気腫
肺気腫 pulmonary emphysema は,肺胞壁または呼吸気管支の拡張や破壊により,終末細気管支より
4
獣医毒性学
肺気腫肺
正常肺
胸郭と肺の膨張
気管
横隔膜
樽状の胸郭・平らな横隔膜
肺胞が破壊され,
膨張する
正常な肺胞
肺気腫の肺胞
図8−2 正常肺と肺気腫肺の特徴
肺気腫肺では胸郭と肺の膨張に伴い,樽状の胸郭となる。また,肺胞は破壊され容積が増大する。
末梢の容積が異常に増加した状態を指す (図8−2)。通常,肺組織の炎症性破壊により肺胞が異常に膨
張するが,線維化を伴わないことが多い。初期症状は労作時における息切れや呼吸困難で,その後,
咳,痰,むくみ,頭痛の他,バチ状指やチアノーゼが現れる。病状の進行に伴い,胸の周囲が樽状に広
がるビール樽状胸郭を示すこともある。
肺気腫は喫煙で誘発されるが,その詳細な発症機構は不明であり,マクロファージや好中球が産生す
るエラスターゼや活性化マクロファージによるα1 ─アンチプロテアーゼの阻害が報告されている。
5) 肺 癌
肺癌 lung cancer は,肺を原発とする上皮性悪性腫瘍の総称であり,全がん死の中で特に多い。肺癌
は気管支腺癌,扁平上皮癌,小細胞癌,肺大細胞癌などに分類される。一般的症状として,咳,痰,呼
吸困難,胸痛などがあるが,進行するまで無症状であることが多い。
発がんの4大要因として,喫煙,放射線,遺伝的感受性,ウイルスが考えられているが,喫煙は肺癌
の最大の危険因子とされている。タバコなどに含まれる発がん性物質以外の肺癌の原因物質としては,
アスベストやニッケル nickel,( 六価 ) クロム chromium,ベリリウム beryllium などの金属製エアロゾ
ルがある。特に,アスベストと喫煙の組み合わせにより肺癌の危険性は大幅に増加する。
4.呼吸器毒性物質の化学的特徴と毒性
1) 二酸化硫黄 ( 亜硫酸ガス )
二酸化硫黄 sulfur dioxide(SO2) は石炭や石油に多量に含まれる硫黄化合物の燃焼により発生し,工業
活動により大量に排出される臭気の強いガスである。二酸化硫黄は水溶性が高いため気道上皮を覆う粘
液層に吸収されるので,その作用部位は気道上部に限られ,肺深部まで到達しにくい。そのため二酸化
硫黄の呼吸器に対する傷害はそれほど深刻ではない。ただし,二酸化硫黄を吸着するようなエアルゾル
と一緒に吸入すると呼吸器の深部まで到達して傷害を与えることがある。
2) 二酸化窒素 ( 亜硝酸ガス )
二酸化窒素 nitrogen dioxide(NO2) は窒素酸化物の一つで,石油や石炭などが高温で燃焼されること
により発生する。自動車から出る排気ガスも大きな発生原因となっている。またサイロ中の牧草は一酸
化窒素 (NO) を発生し,空気中の酸素と反応してより毒性の強い NO2 となり,サイロ内で作業中に人が
中毒に陥ることがある ( サイロ充塡者病 silo-filler’s disease)。
第 8 章 臓器毒性
H₃C−N+
5
N+−CH₃
図8−3 パラコートの構造式
NO2 はあまり水溶性が高くないため肺深部まで到達して傷害を起こし得る。NO2 は吸入時にはほとん
ど呼吸器に傷害を与えないが,数時間後には肺胞上皮の傷害によって致死性の肺水腫を起こすことがあ
る。高濃度の吸入はメトヘモグロビン血症 methemoglobinemia を合併する。
3) オゾン
オゾン ozone(O3) は,3つの酸素原子からなる最も反応性の高い酸素同素体である。強い酸化力と高
い腐食性をもつ毒性の高い物質で,光化学スモッグの主成分である。オゾンの吸入により,胸部痛,気
管支炎や胸部のうっ血などを引き起こし,気腫や喘息を発症する。オゾンの反復吸入は不可逆性の肺細
胞の損傷を引き起こす。
肺障害の機序として,きわめて反応性の高いオゾンが肺胞上皮を覆う液層を通過して直接細胞に到達
するとは考えにくい。オゾンによる傷害は,一連の二次反応生産物,たとえば上皮を覆う液層の脂肪酸
などの物質のオゾン分解によって起こるアルデヒドやヒドロペルオキシド,およびラジカル反応によっ
て起こる活性酸素などによって引き起こされる。
4) パラコート
パラコート paraquat(図8−3) はビピリジニウム系の非選択型除草剤で,雑草に対して即効性は強い
が持続性はなく,散布後はすぐに不活性化する。そのため容易に使用でき,安価で経済的という点から
も広く用いられてきた。しかし,致死性が高く解毒剤もないため,現在では毒物に指定されている。
経口暴露されると,血流を介して肺へ到達し,過酸化水素や活性酸素を継続的に産生して肺障害を起
こす。酸素供給能の高い肺胞では,肺胞上皮の壊死,肺水腫,肺線維症を起こす。酸化還元反応が毒性
発症の機序であるため,中毒時の酸素吸入は症状を悪化させるので注意が必要である。
5) アスベスト ( 石綿 )
アスベスト asbestos とは,繊維状鉱物ケイ酸塩の総称であり,優れた耐久性と耐熱性の特徴から,工
業用品あるいは建材として広く使用されてきた。しかし,日本では石綿暴露による各種健康被害の問題
から 2006 年に原則的に製造禁止となった。
アスベスト吸入による疾患としては,肺線維症,良性胸膜疾患,気管支癌,悪性中皮腫が報告されて
いる。特に,悪性中皮腫はその原因の多くがアスベストの暴露によると考えられているが,その発症機
構についてはまだ解明されていない。
5.吸入毒性試験の特徴と実施方法
吸入毒性試験 inhalation toxicity test とは,目的とする化学物質を動物の呼吸器系を介して生体に取
り込ませることで,その作用を明らかにする試験である。吸入毒性はその暴露経路が特異であるため,
特殊毒性に区分されるが,動物反応の観察や解析は一般毒性試験と同様である。しかし,試験における
化学物質の投与量や粒径などには注意を必要とする。
1) 暴露濃度
一般に吸入する化学物質の投与量は濃度 (mg/L や mg/m3 ) で表示される。気体の濃度に関しては,
6
獣医毒性学
ppm(parts per million) や ppb(parts per billion) などの体積比表示が用いられることもある。また,吸
入毒性試験における個体への投与量 (mg/kg 体重 ) は,動物の呼吸量から計算され,一般に[濃度×暴
露時間×呼吸量]で求められる。
2) エアロゾルの粒径
動物が吸入した際に気管支以降へ到達するエアロゾルの粒径は 15μm 以下であり,1μm より小さな
エアロゾルだけが肺胞まで到達できるなど,粒径により到達部位が異なる。一般的な吸入毒性試験では
MMAD が 3 ∼ 5μm に調整される。σg を小さくし粒径を統一することで,呼吸器系の特定部位への
暴露が可能となる。
3) 被験物質の暴露方法
被験物質の供給方法は気体とエアロゾルで異なる。気体は直接ガスボンベなどから供給されるが,エ
アロゾルはネブライザー ( ミスト ) やダストフィーダー ( ダスト ) で発生させた後,目的とする MMAD
とσg をもつ粒子群として供給される。
動物への暴露方法には,全身暴露,鼻部暴露,気管内暴露がある。それぞれ下記のような特徴がある
ので,試験を行う際には,これらを考慮する必要がある。
①全身暴露はチャンバー内に動物を入れるため,暴露中の行動や臨床症状の観察が容易であるが,経
口や経皮暴露を受ける可能性がある。
②鼻部暴露は鼻部からの経気道暴露が可能であるが,動物の固定によるストレスや実験の煩雑さがあ
る。
③気管内暴露はカニューレ挿入のために麻酔薬を投与することから,その影響を避けることができな
い。
4) 毒性試験
試験は一般毒性における急性毒性試験に準じて行われる。被験物質を1時間または4時間暴露し,暴
露中および暴露後 14 日間観察する。一般毒性試験と同様に,死亡動物と試験終了動物のすべてを剖検
するが,特に呼吸器系は詳細に観察することが必要である。
短期毒性試験試験は一般毒性における短期毒性試験に準じて行われる。被験物質は1日最低5時間,
1週5日間,13 週間にわたって暴露される。
第 8 章 臓器毒性
演 習 問 題
1.粘液エスカレーターとしてバリア機能をもつ細胞はどれか。
a. 扁平上皮細胞
b. 線毛上皮細胞
c. 杯細胞
d. 肺胞マクロファージ
e. Ⅰ型上皮細胞
2.固体が融解し蒸発後に再固体化されたエアロゾルはどれか。
a. ミスト
b. ダスト
c. ヒューム
d. 煙
e. スモッグ
3.呼吸器障害に関する記述で誤っているのはどれか。
a. 喘息は気道過敏性が高まり発症する疾患である。
b. 肺線維症では肺胞間隙中のコラーゲン線維が増加する。
c. 肺水腫とは肺胞内および間質に漿液が多量に貯留した状態である。
d. 肺気腫では終末細気管支より末梢の容積が増大する。
e. 呼吸器毒性では化学物質の暴露経路は吸入に限定される。
4.急性中毒を起こした場合に酸素吸入により症状が悪化する化学物質はどれか。
a. 二酸化窒素
b. 二酸化硫黄
c. パラコート
d. アスベスト
e. オゾン
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8
獣医毒性学
解 答
1.
正解 b
解説 気管,気管支の上皮は分泌腺や杯細胞からの分泌液で
覆われている。吸入暴露された化学物質の一部は粘液
に捕獲され,線毛上皮細胞の働きによって粘液ととも
に喉頭へ運ばれ,嚥下または痰として外部へ排出され
る。
2.
正解 c
解説 エアロゾルとは空気中に安定状態を保って浮遊する固
体粒子または液滴のことである。その構成成分によっ
て,液滴からなるミスト,微細な固体粒子からなるダ
スト,固体が蒸発後に再度固体化したヒューム,大都
市や工業地帯で発生する塵埃や煤煙の粒子が凝結核と
なったスモッグに分けられる。
3.
正解 e
解説 呼吸器毒性とは,化学物質と呼吸器の相互作用によっ
て発生する器官毒性である。一般には,気体やエアロ
ゾルなどのように呼吸器を介して暴露された化学物質
による毒性を指すが,ブレオマイシンやパラコートな
どのように吸入以外の経路で暴露された化学物質によ
り起こる呼吸器障害も含まれる。
4.
正解 c
解説 パラコートが生体に暴露されると,ポリアミン輸送系
により肺胞細胞へ蓄積される。局所濃度が高まったパ
ラコートは,酸化還元サイクルを繰り返すことにより
活性酸素を放出する。この時,肺胞内に酸素が供給さ
れると,放出される活性酸素濃度も高まり障害がさら
に増大する。
第 8 章 臓器毒性
9
8 - 2 循環器毒性
到達目標:循環器毒性物質とその発現機構について説明できる。
キーワード:不整脈 (QT 延長 ),心筋症,高血圧,ショック,動脈硬化
アコニチン,強心配糖体,ドキソルビシン,テルフェナジン
1.循環器の構造と機能
循環器とは,血液とリンパ液の循環を担う器官の総称であり,心臓,血管とリンパ管から構成され
る。全身へ血液を供給する心臓は筋組織に富んだ肉厚の器官であり,心機能の維持には心筋細胞の電気
的興奮,刺激伝導系,心筋細胞の収縮弛緩のすべてが関与し,そのいずれかが障害を受けると心毒性
cardiotoxicity が発現する。また心臓は,収縮弛緩のエネルギーを細胞内 ATP に依存しているため,エ
ネルギー代謝に影響する化学物質の影響を受けやすい。膜の興奮と刺激の伝導には各種イオン輸送機構
が関与するため,イオンの膜透過性に影響する化学物質の影響を受けやすい。そのため多くの化学物質
が心毒性を誘発する。
心臓から送り出された血液は,①大動脈,毛細血管,大静脈を経て心臓へ戻る体循環と,②肺動脈,
肺毛細血管,肺静脈を経て心臓へ戻る肺循環の2種類の経路を介して循環する。血管は基本的に,①一
層の内皮細胞からなる内膜,②結合組織と平滑筋細胞で構成される中膜,③外周を結合組織で囲み血管
の強度を保つ外膜の三層から構成されている。大動脈では中膜が発達し,分岐し径が小さくなるに従っ
て平滑筋主体となり,毛細血管では内皮細胞のみで構成される。内皮細胞からは多くの収縮因子や弛緩
因子が放出されるのみならず,血管の増殖や分化を調節する生理活性物質も放出されている。
2.化学物質による循環器障害
1) 不整脈 (QT 延長 )
不整脈 arrhythmia とは,心拍数や心臓のリズムが一定でない状態を指すが,その原因は多岐にわた
る。心臓の興奮伝導系の異常である QT 延長症候群 long QT syndrome は,多形性心室頻拍 torsades
de pointes や心室細動など重度の心室性不整脈の要因となるため,心電図所見の中で特に重要視されて
いる (図8−4)。
QT 延長は心筋障害により発生するが,低カリウム血症や低カルシウム血症などの電解質異常,各種
の抗不整脈薬や H1 受容体遮断薬の副作用としてもみられる。
2) 心筋症
心筋症 cardiomyopathy は,心機能異常を伴う心筋疾患と定義されており,特発性心筋症と原因の明
らかな特定心筋症に分類される。
アントラサイクリン系抗生物質など,ある種の抗悪性腫瘍薬は副作用として薬剤性心筋症を誘発す
る。また,エタノールの大量摂取により肝臓に蓄積したアセトアルデヒドが,タンパク質合成やミトコ
ンドリアの呼吸を抑制することでアルコール心筋症を発症させる。
3) 高血圧
血圧は基本的に心拍出量と末梢血管抵抗によって規定される。そのため高血圧 hypertension は,循
環血液量と1回拍出量や心拍数の増加により起こる。また,末梢血管抵抗の増加を起こす交感神経活性
化,血液粘性増加,血管を収縮させるオータコイド,ホルモン,生理活性物質によっても引き起こされ
る。
10
獣医毒性学
R
T
P
Q
S
QT時間
図8−4 標準的な心電図波形
心電図波形は PQRST 波と呼ばれ,心房から心室の一連の興奮を表す。
血圧調節には多数の因子が関与するため,毒性作用として血圧上昇を起こす化学物質も数多くある。
アドレナリン adrenaline( エピネフリン ) やニコチンは直接あるいは神経を介して一過性の高血圧を起こ
す。エストロゲン作用をもつホルモン薬はアンギオテンシノゲン angiotensinogen の産生を増加するこ
とで,鉛やカドミウムなどの重金属は血管障害を起こすことにより,持続的な高血圧を発症させる。
4) ショック
ショック shock とは,急性末梢循環不全により全身の臓器・組織に低酸素症を起こし,細胞の代謝障
害を起こすことである。末梢血管の虚脱,静脈血還流量の減少,心拍出量の低下,組織の血液循環能力
の低下などの循環機能障害を起こす。急激な出血,体液喪失,外傷などにより起こる高度の血圧低下に
より引き起こされる。
毒性学的には,黄色ブドウ球菌または A 群溶血連鎖球菌の感染に伴って産生された外毒素により多
臓器障害を呈する中毒性ショック,薬物や毒物による直接的またはアナフィラキシーによって発生する
薬物性ショックが重要となる。
5) 動脈硬化
動脈硬化 atherosclerosis は,結合組織の増殖により動脈壁が肥厚し硬化する病変で,血管内膜に巣状
あるいは斑状の脂質沈着や線維性肥厚を生じる。一般にアテローム性動脈硬化を指し,脂質異常や糖尿
病,高血圧,喫煙により生じる。各種要因により血管内皮が傷害され,平滑筋細胞の増殖,内膜肥厚,
細胞変性が起こり,そこに多量の脂質が蓄積したアテローム atheroma( 粥腫 ) が生じプラーク plaque を
形成する。動脈局所に発生したプラークや血栓が血液中に流出することで,脳梗塞や心筋梗塞となる。
動脈硬化を誘発する化学物質として,自動車排気ガスに含まれるアリルアミンやベンゾ[a]ピレン,
ヒ素やカドミウムなどの有害金属が報告されている。
3.循環器毒性物質の化学的特徴と毒性
1) アコニチン
アコニチン aconitine(図8−5) は,キンポウゲ科トリカブト属の植物に含まれるジテルペンアルカロ
イドで,アコニットアルカロイドの活性主成分である。Na + チャネルのαサブユニットに結合し,チャ
ネルの不活性化を抑制することで,細胞膜の持続的脱分極を起こす。
最も強力な毒性を有する植物毒の一つであり,激しい神経麻痺作用と心臓への作用を特徴とする。全
身作用としては,嘔吐,痙攣,呼吸困難,心臓発作を引き起こす。心臓への作用としては,心室性期外
収縮,心室性頻拍,迷走神経刺激による不整脈や房室ブロックがある。
第 8 章 臓器毒性
11
CH₃
O
HO
H₃CO
H₃C
O
O
N
OCH₃
H₃CO
OH
OH
OCH₃
図8−5 アコニチンの構造式
O
OH
O
OH
OH
MeO
O
OH
O
O
H₃C
NH₂
HO
図8−6 ドキソルビシンの構造式
2) 強心配糖体
強心配糖体 cardiac glycosides は,ゴマノハグサ科のジギタリス類とキョウチクトウ科のストロファ
ンタス類など,構造に配糖体 ( グリコシド ) をもつ植物成分で,心機能促進作用をもつ。
心房細動や心房粗動などの上室性頻脈,浮腫を伴ううっ血性心不全,不整脈の治療薬として用いられ
るが,心筋症などで心筋能力が低下している場合には治療効果は得られない。
強心配糖体は Na+ ポンプ (Na+, K+ ─ATPase) のαサブユニットに結合し,その機能を阻害する。この
ため,細胞内 Na + 濃度が上昇し,Na + /Ca2+ 交換が逆向きに回転し,細胞内のカルシウム濃度が上昇す
る。その結果,心筋の収縮力が増大する。
3) ドキソルビシン
ドキソルビシン doxorubicin(図8−6) は抗悪性腫瘍薬のアントラサイクリン系抗生物質であり,固形
がんを含む各種の腫瘍に作用する。腫瘍細胞の DNA 塩基対と架橋を作るとともに,トポイソメラーゼ
Ⅱに作用して抗腫瘍活性を発揮する。また,フリーラジカル形成も活性メカニズムの一つと考えられて
いる。
副作用として,心筋障害,心不全,心電図異常,頻脈などの強い心毒性があり,その障害機構の一つ
として,心筋細胞内のミトコンドリアに作用することが知られている。
4) テルフェナジン
テルフェナジン terfenadine(図8−7) は,花粉症治療薬として発売された抗ヒスタミン薬であるが,
重篤な心室頻拍例が報告された。テルフェナジンは,肝臓で代謝を受けカルボン酸型代謝物 ( フェキソ
フェナジン fexofenadine) として作用を発現するが,肝障害患者や,マクロライド系抗生物質との併用,
12
獣医毒性学
H₃C CH₃
CH₃
OH
N
H OH
図8−7 テルフェナジンの構造式
グレープフルーツジュースの飲用などによりテルフェナジン代謝が抑制されると,未変化体が体内に蓄
積し毒性作用を発揮する。作用の特徴は,QT 延長から多形性心室頻拍を起こして,突然死亡するとい
うものである。
テルフェナジンはその毒性により 2001 年に販売中止になり,フェキソフェナジンがそれに代わる抗
ヒスタミン薬として使用されるようになった。
演 習 問 題
1.循環器障害に関する記述で誤っているのはどれか。
a. QT 延長は心室性不整脈の原因となる。
b. 心筋症では心筋の形態異常を起こすが機能異常は伴わない。
c. 鉛やカドミウムなどの重金属は持続的高血圧を発症する。
d. アントラサイクリン系抗生物質は薬剤性心筋症を誘発することがある。
e. 動脈硬化は結合組織の増殖による動脈壁の肥厚を特徴とする。
2.ショックに関する記述で誤っているのはどれか。
a. 末梢の循環不全障害を伴う。
b. 全身性の低酸素症を伴う。
c. 心拍出量低下等の循環器障害を伴う。
d. 末梢血管の虚脱を伴う。
e. 高度の血圧上昇を伴う。
3.循環器毒性物質に関する記述で正しいのはどれか。
a. 強心配糖体は Na+ チャネル不活性化を阻害し神経麻痺作用をもつ。
b. アコニチンは Na+ ポンプを阻害し心筋収縮力増強作用をもつ。
c. ドキソルビシンによる心毒性にはフリーラジカルが関与している。
d. アリルアミンやベンゾ [a] ピレンは心室頻脈を誘発する。
e. テルフェナジンは動脈硬化を誘発する。
第 8 章 臓器毒性
13
解 答
1.
正解 b
解説 心筋症は,心臓の機能異常を伴う心筋疾患であり,心
筋の収縮性低下や,心室内容積の低下などが起こる。
原因不明の特発性心筋症と原因の明らかな特定心筋症
に分類される。 アントラサイクリン系抗生物質など,
ある種の抗悪性腫瘍薬は副作用として薬剤性心筋症を
誘発する。
2.
正解 e
解説 ショックでは,急性の末梢循環不全による全身性の低
酸素症を起こす。末梢血管の虚脱,静脈血還流量の減
少,心拍出量の低下,組織循環能力の低下などを伴う。
急激な出血,体液喪失,外傷などによる血圧低下によ
り発生する。
3.
正解 c
解説 強心配糖体は,Na + ポンプを阻害し心筋細胞内の Ca2+
濃度を増加させることで収縮力を増加させる。アコニ
チンは,Na + チャネルの不活性化を阻害し,神経細胞
や心筋細胞の膜を持続的に脱分極させる。アリルアミ
ンやベンゾ[a]ピレンは,頻脈ではなく動脈硬化を起
こす。テルフェナジンの未変化体は QT 延長から多形
性心室頻拍を起こす。
( 佐藤晃一 )
14
獣医毒性学
第 9 章 環境毒性
一般目標:環境中における化学物質の動態と生体および生態に対する影響について理解
し,評価および防止方法について説明できる。
環境毒性とは,環境中に放出された化学物質が生体および生態に及ぼす毒性のことである。化
学物質はその特性により地球規模での汚染につながることがあることから,環境毒性は,地域
のみならず地球規模での影響についても考慮する必要がある。本章では,環境や生態系におけ
る化学物質の動態の特性,それらが引き起こす人や野生動物を含む生物への毒性,環境化学物
質を規制する法規や国際的な取り組みについて概説する。
1.環境汚染物質の動態
到達目標:化学物質の環境中の動態とその影響について説明できる。
キーワード:大気相,水相,土壌相,生物相,生物濃縮,オクタノール / 水分配係数 (Pow)
化学物質は環境中へ放出されると,物理化学的特性に依存して,大気相 ( 気圏 ),水相 ( 水圏 ),土壌
相 ( 地圏 ),そして生物相 ( 生物圏 ) の複数の環境相間で平衡状態に達するまで移動すると考えられてい
る。化学物質は各相に特異的な輸送過程を経ると同時に,様々な変換過程を受けて分解・消失する。
1) 大気相
大気相における化学物質は,エアロゾル aerosol など大気中の微粒子に吸着された状態の他,ガス態
として存在する。粒子吸着状態の化学物質は,粒子とともに,あるいは雪や雨に払い落とされて地表面
に落下する。ガス態として存在する化学物質もまた,雨や雪に溶解して地表に降下する。一方で,ガス
態化学物質は,地球表層に存在する吸着 ・ 溶解表面との接触により,分配係数 partition coefficient に従
って平衡状態を持続する。一般的に蒸気圧の高い物質ほど大気相に移行しやすく,環境汚染物質の大気
相の輸送は,地球的規模での広域化につながる場合もある。また,大気中の化学物質は,移動中に光化
学反応などの変換反応を受ける場合がある。紫外線や可視光放射などによって光分解される他,ヒドロ
キシラジカル hydroxy radical などの化学物質と反応して,脱ハロゲン化,異性化,酸化反応などの変
換過程を経る。
2) 水 相
水相での環境汚染物質は,土壌粒子やプランクトンの死骸などの生物起源粒子に吸着する他,溶存状
態として存在する。水相での化学物質の変換過程には光分解・化学反応,微生物による分解があり,そ
の速度は pH,温度,塩濃度,無機栄養分濃度,溶存酸素量,微生物の棲息状況などによって影響され
る。
3) 土壌相
環境汚染物質の土壌相から大気相への移行は揮発によって起こり,化学物質と土壌粒子との相互作
用,上層大気の状態,土壌相と大気相の濃度勾配や水相の撹乱などで決定される。また,土壌相から水
相への移行では,土壌相と水相での濃度勾配が重要な要因となり,河川,湖沼および海の堆積物の場合
は,水流や棲息生物による表層撹乱が移行を左右する要因としてさらに加えられる。土壌相内における
第 9 章 環境毒性
15
化学物質の変換は光分解や化学反応,微生物による代謝が重要な位置を占めている。光分解はほとんど
が土壌の表層で行われる。化学反応は粘土表面,金属酸化物,金属イオン,有機物などによって触媒さ
れる。
4) 生物相
(1) 生物濃縮
環境化学物質の生物相への移行は,生体の大気相,土壌相,水相への直接暴露の他,食餌・飲水など
の摂取による経路をたどる。生体内で代謝・分解されにくい化学物質は,生体に取り込まれた後も排出
されずにその生物の生存期間を通じて徐々に蓄積される。その結果,難分解性の化学物質は食物連鎖の
過程で栄養段階が低次の生物から高次の生物種へと受け渡されていくことになる。このように,ある生
物が化学物質をその棲息環境以上に高濃度に蓄積する現象を生物濃縮と呼ぶ。
(2) 生物濃縮係数
生体内で化学物質の蓄積が定常状態にある場合の生体内濃度と環境中の濃度の比から,生物濃縮係数
(KB) bioconcentration factor(BCF) を求めることができる。生物濃縮係数は,環境中のある物質が生体
内で高濃度に蓄積される場合,その程度をあらわす目安として利用する。
生物濃縮係数はまた,オクタノール/水分配係数 octanol/water partition coefficient(Pow) のような物
理化学的平衡定数からある程度推定することができる。多くの場合,難分解性の化学物質は脂溶性が高
いため,これらの化学物質の生物体内への蓄積は脂肪への蓄積として考え,生物濃縮係数は P ow から脂
肪層への溶解性を推定することで予測できる。
2.環境破壊と環境汚染物質
到達目標:環境汚染物質の毒性作用および生態系への影響について説明できる。
キーワード:酸性雨,オゾン層,フロン 地球温暖化,有機スズ,鉛,水銀,カドミウム,
残留性有機汚染物質,DDT,農薬,PCBs,ダイオキシン類
1) 酸性雨
硫黄酸化物や窒素化合物は,石炭や石油などの化石燃料の燃焼などに伴って大気中に放出される。こ
れらの化合物は雲粒に取り込まれてオゾンや炭化水素・水分子から生成されたヒドロキシラジカル
(HO・) やヒドロペルオキシラジカル (HOO・) と反応して光化学反応を起こし,硫酸イオンや硝酸イオン
の酸性粒子あるいはガスなどに変化する。また雲粒中に溶解した二酸化硫黄 (SO2) が過酸化水素と反応
して硫酸 (H2SO4) を生成する場合もある。このようにして生成された酸性物質が降下中の雨水に取り込
まれたり,粒子状となって落下し酸性雨となる。
酸性雨は,狭義の酸性の降雨のみを意味することは今日では少なく,酸性の強い霧や雪などの他,ガ
スや粒子状の酸性降下物も含む概念として使われる。
2) オゾン層の破壊
オゾン ozone とは3つの酸素原子からなる分子 (O3 ) である。オゾン層は高度 15∼35km の成層圏に存
在し,生物にとって有害な太陽からの紫外線を吸収する働きをもっている。このオゾン層がフロン fron
などによって大規模に破壊されると (図),地表に到達する紫外線量が増加し,生態系へ様々な影響が現
れることが懸念されている。フロンによるオゾン層破壊は地球規模で起こっている。
3) 地球温暖化
温室効果ガスには,赤外線を吸収する働きのある二酸化炭素 (CO2 ),メタン (CH4 ),亜酸化窒素
16
獣医毒性学
UV
オゾン
フロン
F
Cl
O
O
C
O
O
Cl
O
Cl
①
塩素原子
Cl
②
O
F
Cl
C
Cl
③
Cl
O
O
一酸化塩素
O
UV
図 フロンによるオゾン層破壊
フロンによるオゾン層破壊にはいくつかの過程が存在する。フロンは工場などから放出されると,ほとんど
分解されずに成層圏に達する。①成層圏のフロンは太陽からの紫外線 (UV) を受けて起こる光解離によって
塩素原子 (Cl) を放出する。②塩素原子はオゾンと反応し,一酸化塩素に変化する。③この一酸化塩素はさら
に酸素原子と反応し,塩素原子と酸素分子 (O2) が生成される。塩素原子はさらに再びオゾンと反応すること
で②〜③を繰り返し,オゾン破壊の反応サイクルが循環する。この反応サイクルによって塩素原子 1 つがオ
ゾン数万個を連鎖的に分解することができる。
(N2O),クロロフルオロカーボン (CFC) などがあり,水蒸気もこれらのガスと同様の働きをする。地表
から熱放射された熱はこれら赤外線吸収ガスによって再び地表に戻るが,このガス濃度が上昇すると地
表熱をより吸収するため,地表面の気温は高温に保たれる。気温上昇に伴う海水の膨張,氷河の溶解な
どの現象によって,海水面の上昇が引き起こされると考えられる。また,水の蒸発量の増加によって水
の地球規模での循環が加速され,降雨量の分布が変化し,土壌流出,砂漠化,洪水などの被害とそれら
に伴う食糧事情の悪化が起こると考えられている。これらの変化によって,動植物分布や生態の変化,
熱帯の伝染病を媒介する生物の棲息域の変化 ( 拡大 ) などの影響も予想されている。
4) 重金属
(1) 有機スズ
海産巻貝類について,有機スズ organotin による内分泌撹乱作用が報告されている。船底防汚塗料や
魚網防汚剤として多く用いられてきたトリブチルスズ tributyltin は,海水中1ng/L という低濃度でも,
海産巻貝類に対して不可逆的にインポセックス ( ペニスや輸精管などの雄性生殖器が雌に形成され,産
卵不能に陥る一連の症状 ) を引き起こすと考えられている。現在では 100 種類以上の腹足類のインポセ
ックスが世界各地で観察されるようになり,日本でも,イボニシ (Thais clavigera) やレイシガイ (T. bronni ) など,ほぼ全国的に高率にインポセックス個体が観察されている。
(2) 鉛
鉛中毒 lead poisoning はローマ時代から発生の記録がある古典的な中毒であるが,現在でも大きな問
題となっている。歴史的に一部の食器や化粧品,密造酒 ( 禁酒法時代の米国 ) などに鉛が含まれていた。
この他,古いペンキは鉛を含んでいるため,古い建物では空気中の鉛濃度が高い場合があり,小児の精
神発達に影響を与える危険性がある。また,以前のガソリンはアンチノック剤として鉛を含んでいたた
第 9 章 環境毒性
17
め,大気汚染の原因として問題となった。
鉛はトランスフェリン transferrin 結合鉄および非結合鉄の網状赤血球への取り込み障害,ピリミジ
ン 5 ─ヌクレオチダーゼ活性障害,K + チャネルの活性低下および赤血球細胞膜の Na + ポンプ阻害によっ
て溶血性貧血を引き起こす。また,δ─アミノレブリン酸脱水酵素 (δ- ALAD) に対する阻害によって,
ヘム合成を阻害するため,尿中のδ-ALA,コプロポルフィリン排泄が増加し,血中δ-ALAD 活性が低
下する。
鳥類は餌を筋胃ですり潰すため,砂や小石を取り込む習性があることから,誤って飲み込んだ鉛散弾
や釣具の重りが胃酸によって溶解し,鉛中毒症を呈する水鳥が報告されてきた。1980 年代後半からの
数年間に,100 羽以上の水鳥が死亡する事件が北海道の宮島沼で起きた。また,猛禽類は散弾を受けた
エゾシカや水鳥を餌とする際に鉛弾を体内に取り込んでしまい,二次的に鉛中毒症となる。鳥類におけ
る鉛中毒症の主症状として,行動異常,体重減少,削痩,翼の下垂,弛緩性麻痺,食欲不振,衰弱,緑
色下痢,嗜眠,起立不能,貧血などが上げられる。また,病理解剖により,肝臓の黒緑色化,腺胃の拡
張,骨髄の水腫化,糞便の緑色化が観察される。日本では,現在,鉛ライフル弾,鉛散弾の使用が禁止
されている。
(3) 水 銀
無機水銀はチオール (SH 基 ) に結合し,その活性を阻害する。腎臓では,脂質の過酸化を促進する。
また,メチル水銀では脳や末梢神経のタンパク質合成能の低下や酸化障害が報告されている。
チッソ水俣工場では,合成酢酸の原料アセトアルデヒドを作るための触媒として,硫酸水銀が用いら
れた。この過程で硫酸水銀が有機化してメチル水銀が副生される。熊本県の水俣湾や周辺では,魚介類
を食べたことで中毒性の中枢神経疾患が発生した。その主な症状は,手足のしびれや運動障害,視野狭
窄などであり,チッソ水俣工場から不知火海への排水に含まれる有機水銀が魚介類の体内に蓄積された
のが原因であった。水俣病は,同じ魚介を摂取したネコや鳥類でもみられた。
近年,水銀は世界的にも汚染が拡大しており,特に,金の精練に使用されている無機水銀による汚染
が深刻化している。環境に放出された無機水銀は蒸発し,オゾンで酸化され水銀イオンとなり,降雨に
より地上へ落ちる。土壌や底質中の無機水銀は微生物によりメチル化してメチル水銀となる。また,光
学反応的にもメチル水銀が生成される。このような無機・有機の水銀サイクルにより,水銀は食物連鎖
系に入ることが報告されている。
(4) カドミウム
生体に取り込まれたカドミウム (Cd) の 50∼70%は肝臓および腎臓のメタロチオネイン結合体として
蓄積される。Cd の主な標的器官は腎臓で,尿細管傷害や糸球体変化がみられる。日本では Cd による環
境汚染で発生したイタイイタイ病が問題となったが,これは栄養失調など複数の要因が原因であるとさ
れている。Cd 濃度の高い食品を長年にわたり摂取すると,腎機能障害を引き起こす可能性がある。
5) 有機ハロゲン化合物
塩素,臭素,フッ素などの有機ハロゲン化合物は,一般的に難分解性かつ脂溶性であるため,環境に
おける残留期間が長い。このような化学物質は残留性有機汚染物質 (POPs) として分類され,食物連鎖
や哺乳を通して,生物に蓄積される。有機ハロゲン化合物の中でも,DDT( ジクロロジフェニルトリク
ロロエタン dichlorodiphenyltrichloroethane) をはじめとする有機塩素系農薬や PCBs( ポリ塩化ビフェ
ニル polychlorirated biphenyls) などの有機塩素化合物は,現在では製造や使用を規制している国が多
いが,大気相により地球規模で拡大している。近年では難燃剤に用いられるポリ臭素化ジフェニルエー
テル polybrominated dihenyl ether(PBDE) などの臭素化合物や,撥水剤であるパーフルオロオクタン
スルホン酸塩 perfluorooctane sulfonate(PFOS) など有機フッ素化合物による汚染も問題になっている。
北米大陸とカナダにまたがる五大湖は,DDT やダイオキシン類など有機塩素化合物による汚染が進
み,1970 年ごろから鳥類で数多くの奇形や卵殻の薄化,胚の死亡率の増加,繁殖異常が報告されるよ
18
獣医毒性学
表 生態毒性試験の対象生物,試験,試験項目
対象生物
試 験
試験項目
藻類
生長阻害試験
50%生長阻害濃度 (EC50),
(Pseudokirchneriella
無影響濃度 (NOEC)
subcapitata )
ミジンコ
急性遊泳阻害試験
50%遊泳阻害濃度 (EC50)
繁殖阻害試験
50%生長阻害濃度 (EC50) および
その無影響濃度 (NOEC)
ヒメダカ
魚類急性毒性試験
50%致死濃度 (LC50 または TLm)
魚類初期生活段階毒性試験
最小影響濃度 (LOEC),NOEC
セスジユスリカ
ユスリカ毒性試験
羽化率
鳥類
繁殖試験
死亡および中毒症状,親鳥の体重,
雛鳥の体重,親鳥の摂餌量,雛鳥の摂餌量,
(マガモ,コリンウズラ,
NOEC
ウズラ )
その他の生物
ミミズ急性毒性試験,ヒメミミズ繁殖試験,ミツバチ急性経口・接触毒性試験,
ウキクサ生長阻害試験
EC50:50% effective concentration NOEC:no observed effect concentration
LC50:50% lethal concentration TLm:median tolerance limit
LOEC:lowest observed effect concentration
うになった。1979 年から 1987 年にかけて行われた調査によれば,五大湖周辺に棲息するミミヒメウの
雛 31,168 羽の奇形発生率は 0.22%であり,その他の地域に棲息する同種の奇形発生率 (0.0095% ) をはる
かに超える値であった。
3.生態毒性試験
到達目標:生態毒性試験について説明できる。
キーワード:生態毒性試験,生物濃縮試験,魚類毒性試験,50%致死濃度 (LC50 または TLm)
経済協力開発機構 (OECD) テストガイドライン,または「化学物質の審査及び製造等の規制に関する
法律 ( 化審法 )」に基づき,魚類毒性試験など,表にあげる生物種を用いて生態毒性に関する試験が実
施されている。
生物濃縮試験 bioconcentration test は,化学物質の生物における蓄積性を評価するものであり,魚類
などにおける生物濃縮係数などを評価の指標として用いる。生物蓄積性は,生物濃縮係数または log
Pow を評価の指標とするが,通常,生物濃縮係数が優先される。
4.環境汚染に関する法規と法で定められた環境毒性物質
到達目標:環境汚染物質に関する法規制や国際的な取り組みについて説明できる。
キーワード:化審法,光化学スモッグ,大気汚染防止法,水質汚濁防止法,水道法,
農薬取締法,ダイオキシン類対策特別措置法,残留性有機汚染物質 (POPs) 条約
人の健康や生態系に有害な作用を引き起こす恐れがある化学物質については,環境中への排出量およ
び廃棄物に含まれての移動量を事業者が自ら把握して行政庁に報告し,さらに行政庁は事業者からの報
第 9 章 環境毒性
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告や統計資料を用いた推計に基づき排出量・移動量を集計・公表する「PRTR 制度 (Pollutant Release
and Transfer Register:化学物質排出移動量届出制度 )」が定められている。また,新規の化学物質の
製造または輸入に際して「化学物質の審査及び製造等の規制に関する法律 ( 化審法 )」が定められてい
る。化審法は,環境中の動植物への被害防止の観点からも審査・規制や監視を行うことや,化学品の登
録,評価,認可および制限に関する欧州の規制 REACH(Registration, Evaluation, Authorisation and
Restriction of Chemicals) を受け,改正が行われている。
化審法の第一種特定化学物質は,
「難分解性,高蓄積性及び長期毒性又は高次捕食動物への慢性毒性を
有する化学物質」として定義されている。これには PCBs や DDT などが指定されており,原則的に製
造・輸入が禁止されている。第二種特定化学物質は,「難分解性であり,長期毒性又は生活環境動植物へ
の長期毒性を有する化学物質」として,四塩化炭素,トリクロロエチレン,トリブチルスズ化合物など
が指定されている。
その他,第一種監視化学物質や第二種監視化学物質,第三種監視化学物質が指定されている。
1) 大気汚染物質などに関する規制
大気汚染物質として環境基準が設定されている物質は,二酸化硫黄,一酸化炭素 (CO),浮遊粒子状物
質 ( 大気中に浮遊する粒径 10 μ m 以下の粒子状物質 ),二酸化窒素 (NO2 ),光化学オキシダント ( オゾ
ンやその他光化学反応により生成される酸化性物質 ),ベンゼン,トリクロロエチレンなどである。光
化学オキシダントやエアロゾルが大気中に浮遊しスモッグ状になると光化学スモッグが発生する。大気
汚染物質は大気汚染防止法により規制されている。オゾン層については,「オゾン層保護のためのウィ
ーン条約 (1985)」
,
「オゾン層を破壊する物質に関するモントリオール議定書 (1987)」があり,日本では,
「特定物質の規制等によるオゾン層の保護に関する法律 ( オゾン層保護法 )」を 1988 年に制定した。この
中には特定物質として特定フロンやハロン,四塩化炭素が含まれており,一部の国を除き,1996 年以
降,製造が停止された。定期的に開かれる同議定書の締約国会議では,最終的に全廃を目指して,順次
規制強化が図られている。また,京都で行われた気候変動枠組条約第3回締約国会議以来,二酸化炭
素,メタン,亜酸化窒素など6種類の温室効果ガスを対象とする削減の実施が求められた。
2) 水質汚濁物質
水質汚濁防止法は工場・事業場からの公共用水域への排出水と地下への浸透水を規制している。一
方,水道水の水質基準は,
「水道法」に基づき厚生労働省令で定められている。
3) 土壌汚染物質
土壌汚染とは,大気汚染や水質汚染などを通じて,Cd,Cu,トリクロロエチレンなどの有害物質が
土壌中に蓄積することを指す。土壌汚染に関する環境基準は,「土壌汚染対策法」に基づき,トリクロ
ロエチレンなど 25 物質が特定有害物質として定められている。
4) 廃棄物
廃棄物は,
「廃棄物の処理及び清掃に関する法律 ( 廃棄物処理法 )」により規制されている。廃棄物は
一般廃棄物と産業廃棄物に区分されるが,爆発性,毒性,感染性などの有害特性を有する廃棄物につい
ては,特別管理一般廃棄物,特別管理産業廃棄物として区別されている。
特別管理一般廃棄物には PCBs を含む電化製品や煤塵,感染性一般廃棄物があり,特別管理産業廃棄物
には燃えやすい廃油,腐食性を有する廃酸や廃アルカリ,PCBs,水銀およびアスベストなどを含む産
業廃棄物が含まれる。
20
獣医毒性学
5) 農薬取締法使用規制対象物質
国内で販売されるすべての農薬は「農薬取締法」により,毒性・残留性などについて検査を経て登録
を受けなければならない。環境汚染防止上の観点から,作物残留性農薬 ( 酸性ヒ素鉛剤など ),土壌残
留性農薬 ( ディルドリン,アルドリン ),水質汚濁残留性農薬 (PCP 除草剤,ロテノン剤,シマジン剤,
エンドリン剤など ),販売禁止農薬 (DDT 剤,BHC 剤 ) に分類され,使用規制されている。
6) ダイオキシン類
ダイオキシン類 dioxins は,PCDDs( ポリ塩化ジベンゾ─ p ─ジオキシン polychlorinated dibenzo-p-dioxins) および PCDFs( ポリ塩化ジベンゾフラン polychlorinated dibenzofurans),そして PCBs の中でも
平面構造をもつコプラナー PCBs の総称である。ダイオキシン類は,農薬の不純物として含まれる他,
金属精錬の燃焼工程や紙などの塩素漂白工程,廃棄物の焼却などの過程によっても生成される。コプラ
ナー PCBs は,主として PCB 製剤中に含まれるものの他,一部は廃棄物の焼却によっても生成される。
ダイオキシン類の毒性は,発がん性,生殖発生毒性,免疫毒性など多岐にわたるが,WHO などによ
り,人が1日に摂取しても影響がないとされるダイオキシン類の量「耐容1日摂取量 (TDI:tolerable
daily intake)」が算出されている。わが国では,1999 年から「ダイオキシン類対策特別措置法」が定め
られ,環境基準が設けられている。その基準値は,最も毒性の高い,2, 3, 7, 8 ─TCDD(2, 3, 7, 8 ─四塩化ジ
ベンゾ─ p ─ジオキシン ) の毒性に換算した値〔毒性等量 (TEQ:toxic equivalent 値 )〕として提示され
ている。廃棄物焼却炉などの特定施設について,ダイオキシン類の排ガス・排水の排出規制基準が設け
られている。
7) 化学物質の規制に関するその他の国際的な取組み
環境中での残留性が高い PCBs,DDT,ダイオキシン類などの残留性有機汚染物質 persistent organic
pollutants(POPs) について,一部の国々の取組みのみでは地球環境汚染の防止には不十分であり,国際
的に協調して POPs の廃絶・削減などを行う必要から,2001 年に「残留性有機汚染物質 (POPs) に関す
るストックホルム条約」が採択された。また,OECD 加盟国の少なくとも 1 カ国で年間 1,000 トン以上
生産されている高生産量化学物質 high production volume chemicals(HPVC) について,HPVC 点検プ
ログラムにより,有害性の初期評価を行うために必要と考えられるデータを加盟国で分担して収集・評
価を行っている。一方,
「化学品の分類および表示に関する世界調和システム (GHS)」が勧告され,環
境有害性に関する GHS 基準として「水生環境有害性」が定められている。このような国際的取組みの
上で,さらに包括的な化学物質管理のために,2006 年に第1回国際化学物質管理会議が開かれ,「国際
的な化学物質管理のための戦略的アプローチ (SAICM)」が採択された。科学的なリスク評価に基づく
リスク削減,予防的アプローチ,有害化学物質に関する情報の収集と提供,各国における化学物質管理
体制の整備,途上国に対する技術協力の推進などを進めることを定めている。
GHS:Global Harmonized System of Classification and Labelling of Chemicals
SAICM:Strategic Approach to International Chemicals Management
第 9 章 環境毒性
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演 習 問 題
1.環境汚染物質の生体内の動態に関する次の記述で誤っているのはどれか。
a. メチル水銀は無機水銀に比べると胎盤を通過しにくい。
b. DDT は脂肪に蓄積しやすい。
c. 無機水銀はチオール (SH 基 ) に結合しやすい。
d. ダイオキシン類は食物連鎖の上位に立つ生物種ほど高濃度に蓄積される。
e. カドミウムの多くは肝臓および腎臓のメタロチオネインに結合し,生体に蓄積する。
2.化審法の第一種特定化学物質に指定されている物質はどれか。
a. トリクロロエチレン
b. カドミウム
c. 光化学オキシダント
d. PCBs
e. メタン
3.ダイオキシン類に関する記載で正しいのはどれか。
a. ダイオキシン類は PFOS,PCDFs,コプラナー PCBs の総称である。
b. ダイオキシン類は 1 日摂取許容量 (ADI) が算出されている。
c. ダイオキシン類の「毒性等量」は最も毒性が高い 2,3,7,8 -TCDD の毒性に換算した値であ
る。
d. ダイオキシン類は「残留性有機汚染物質に関するストックホルム条約」(POPs 条約 ) には
含まれない。
e. ダイオキシン類はイタイイタイ病を引き起こした。
4.環境汚染物質と毒性作用もしくは環境への影響の組み合わせで誤っているのはどれか。
a. 光化学オキシダント ─ 大気汚染
b. トリブチルスズ
─ 巻貝のインポセックス
c. メチル水銀
─ 水俣病
d. DDT
─ オゾン層破壊
e. 鉛
─ アミノレブリン酸脱水素酵素の阻害
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獣医毒性学
解 答
1.
正解 a
解説 メチル化した水銀は人の胎盤を通過して胎児に中枢神
経毒性を引き起こす。無機水銀はチオールに結合しや
すく,腎障害等を引き起こす。
2.
正解 d
解説 化審法の第一種特定化学物質は「難分解性,高蓄積性
及び長期毒性又は高次捕食動物への慢性毒性を有する
化 学 物 質 」 と し て 定 義 さ れ て お り,PCBs や DDT,
PFOS などの有機ハロゲン化合物の多くが対象となっ
ている。
3.
正解 c
解説 ダイオキシン類には PFOS は含まれない。ダイオキシ
ン類は ADI ではなく,1 日摂取耐容量 (TDI) が算出さ
れている。環境中の残留性が高いダイオキシン類は
POPs 条約の規制対象汚染物質になっている。イタイ
イタイ病の原因物質はカドミウム。
4.
正解 d
解説 DDT は難分解性の有機塩素系農薬で,鳥類の卵殻の薄
化など様々な毒性を引き起こす。オゾン層破壊の主な
原因物質として規制されているのはフロンである。
( 石塚真由美 )
制作 獣医学教育モデル・コア・カリキュラム準拠共通テキスト委員会
株式会社 近代出版
2011 年3月 28 日
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