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経済を強くする米国の移民改革

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経済を強くする米国の移民改革
みずほインサイト
米 州
2013 年 7 月 2 日
経済を強くする米国の移民改革
政策調査部
不法移民対策だけではない制度改革の狙い
03-3591-1307
部長
安井明彦
[email protected]
○ 米上院で移民制度改革法が可決された。論争的だった改革がようやく前進した背景には、「制度改
革は財政収支の改善につながる」との試算の発表があった
○ 移民制度改革が財政収支を改善させるのは、人口の増加で税収が増えるからだ。不法移民問題に注
目が集まりがちな今回の改革だが、それ以外にも移民の増加を促す側面があることは見逃せない
○ 労働人口の増加等により、移民制度改革は米国のGDPを増加させると予測されている。改革の実
現は予断を許さないが、移民を引き付ける求心力が米国の大きな強みなのは確かである
1.改革前進への追い風となった財政試算
2013年6月27日、米上院で移民制度改革法が可決された1。下院での審議を経て同法が成立すれば、
ロナルド・レーガン政権下の1986年以来の大規模な制度改革となる。
不法移民に合法的な滞在への転換を可能にする改革の実現は、数年来の米国政治の大きな論点だっ
た。バラク・オバマ政権と同様に、これに先立つジョージ・W・ブッシュ政権も同じ方向性の改革を
目指している。当時の取り組みは、2007年の米上院による改革法審議の打ち切りで挫折した。6年の歳
月が経過し、ようやく移民制度改革は当時越えられなかった上院の「壁」を乗り越えた2。
絶好の追い風となったのが、移民制度改革が財政に与える影響に関する試算の発表である。2013年6
月18日に米議会予算局(CBO)が発表した試算では、制度改革が財政収支の改善につながる姿が示
された3。CBOの試算によれば、移民制度改革法が成立した場合の米国の財政赤字は、2014~23年度
の累積で約2,000億ドル減少する(図表1)。また、試算期間を向こう20年間に延長しても、財政収支
の改善傾向は変わらない。それどころか、2024~
図表1
33年度の影響に関する試算では、収支の改善額(累
(億ドル)
積)は約7,000億ドルに膨らむ。さらに、民間機関
800
(CRFB)の試算によれば、CBOの試算に財政
600
赤字の減少にともなう利払い費の変動などを加え
ると4、2014~33年度の収支改善額(累積)は約1兆
歳入
歳出
400
200
0
2,000億ドルになる(次頁、図表2)5。移民制度改
▲200
革が実現した場合には、2033年度の米国の財政赤字
▲400
がGDP比で0.4%ポイント、債務残高は同3%ポイ
移民制度改革の財政への影響
財政赤字
2014
16
18
20
22 (年度)
(注)現行法に対する変化
裁量的経費、財政赤字の変化に伴う利払費の変化を除く
(資料)米議会予算局資料により作成
ント低下する計算である。
1
こうした財政試算は、二つの点で移民制度改革への追い風となった。
第一に、「移民制度改革は財政赤字を拡大させる」との懸念への回答が提供された。制度改革に対
しては、「不法移民の合法化によって、医療・福祉などの財政負担が膨らむ」との批判が根強い。健
全財政を重視する議員は、「制度改革は財政健全化に貢献する」という試算結果の発表によって、改
革法に賛成しやすくなった。
第二に、不法移民の流入対策を強化する財政的な余裕が生まれた。「不法移民の流入阻止を先行さ
せるべき」との意見は、移民制度改革への有力な反論の一つである。こうしたなかで、制度改革によ
って生まれた財政上の余裕は、改革全体としては財政赤字を増やさずに、国境警備の強化にかかわる
費用を捻出する財源になる。実際に、上院での制度改革法の審議では、CBOによる試算の発表を受
ける格好で、国境警備の強化を中心とした修正が行われている。原案よりも10年間で約400億ドルの歳
出増となるこの修正には、
「国境を武装する」といわれるほどの手厚い対策が盛り込まれた6。例えば、
国境警備の人員は現状からほぼ倍増の約4万人となり、全員を動員すれば米国の南側の国境に約80メー
トル間隔で配置できる陣容となる7。改革法が上院で可決される決め手となったのは、提案者をして「行
き過ぎかもしれない(ボブ・コルカー上院議員)」といわせた国境警備策の追加だった。
2.改革がもたらす人口の増加
移民制度改革が財政収支の改善をもたらす背景には、改革によって見込まれる人口の増加がある。
前述の財政試算のなかでCBOは、今回の移民制度改革によって、米国の人口が2033年度までに1,620
万人増加すると試算している(図表3)。比率に直すと、約4%の人口増に相当する規模である。人口
の増加は、医療・年金などの歳出増加につながる。しかし、CBOの財政試算に明らかなように、こ
うした歳出増加の度合いは、人口増がもたらす税収の増加には及ばない(前頁、図表1)。
移民制度改革による人口の増加は、不法移民とは異なる理由によるものだ。不法移民対策に注目が
集まりがちな制度改革だが、それ以外にも移民の流入を促す内容が含まれていることは見逃せない。
図表2
移民制度改革の財政への影響(長期)
図表3
移民制度改革の人口への影響
(億ドル)
歳 出
低所得者向け
高齢者向け
その他
利払い費
歳 入
2 0 14 ~2 3 年度
20 2 4~3 3 年度
2 01 4 ~33 年度
2,5 7 0
5 ,10 0
7 ,6 70
2,450
7,100
9,550
40
700
740
400
700
1,100
▲ 320
▲ 3,400
▲ 3,720
4,5 9 0
1 5 ,00 0
1 9 ,5 90
15,000
19,590
▲ 9 ,90 0
▲ 1 1 ,9 20
給与税
2,140
その他
2,450
財 政 赤 字
▲ 2,0 2 0
(注)現行法に対する変化
「その他」には歳出上限を超えた裁量的経費分(立法措置必要)を含む
「利払い費」には、財政赤字の増減に伴う変化分を含む
「歳入」の 2024~33 年度分については内訳なし
(資料)Committee For A Responsible Federal Budget 資料により作成
2
(万人)
3,000
合法化
2,000
1,000
一時滞在者
新規移民
人口
0
不法移民
▲1,000
▲2,000
2014
18
23
28
33 (年度)
(注)現行法下での人口(ストック)に対する変化
「合法化」は合法滞在への転換プロセスに入った
不法移民を含む
(資料)米議会予算局資料により作成
今回の改革には、大きく分けて三つの内容が含まれる。第一の不法移民関連の改革では、一定の条
件の下で不法移民に合法的な滞在に転換する道が開かれる。同時に、これ以上の不法移民の流入を防
ぐために、国境警備の強化などが図られる。第二に、新規の移民受け入れに関する枠組みが改革され
る。これによって、とくに高技能の労働者を中心に、移民ビザが発給されやすくなる。第三に、専門
技術者や農業労働者などを中心に、米国での一時滞在に関する取り扱いが変更される。ここでも、ビ
ザの発給数が増加する見込みである。
このうち不法移民に関する改革は、人口の増加にはつながらない。不法移民は既に米国内に居住し
ており、その滞在合法化自体が直接米国の人口を増加させるわけではない。前述のCBOの試算でい
えば、合法化プロセスに入った不法移民分の人口増は、これに対応した不法移民数の減少で相殺され
ている(前頁、図表3)。むしろ、国境警備の強化などが行われるために、不法移民関連の改革は、
現行法対比で人口を純減させる要因になる。
人口増に最も寄与するのは、不法移民からの転換ではない「新規の移民」である。CBOの試算に
よれば、制度改革によって2033年度までに新規の移民が1,560万人増加する。同じく制度改革によって
2033年度までに予測されている人口増の総数と比較すると、実にその9割以上に相当する規模である。
また、相対的な人数は少ないが、制度改革による一時滞在者の増加についても、2033年度までに290
万人が見込まれている(前頁、図表3)。
財政の観点で好都合なのは、制度改革によって増加する移民に勤労世代が多いと考えられる点だ。
勤労世代の移民の場合には、直ちに所得にともなう納税義務が発生する一方で、公的年金やメディケ
ア(高齢者向け公的医療保険)などの高齢者向けの給付を受ける年齢には達していない可能性が高い。
実際に、制度改革によって増加する歳出のうち、圧倒的に大きくなると予測されているのは低所得者
向けの給付であり、高齢者向け給付の比重は小さい(前頁、図表2)。また、移民制度改革によって
当初の10年間に改善する収支のほとんどが、公的年金の収支において発生する(図表4)。公的年金
の財源である給与税の納税義務が発生する一方で、実際の給付は始まらない移民が増えるためである。
3.見込まれる経済への好影響
図表4
財政に限らず、移民制度改革による人口の増加
は、米国経済にとっても好ましい結果をもたらす。
(億ドル)
CBOでは、これまで取り上げてきた財政試算と
800
600
時期を同じくして、制度改革が経済に与える影響
についての試算を発表している8。これによれば、
移民制度改革法が実現した場合、米国の実質GD
Pは2023年で3.3%、2033年には5.4%増加する(次
頁、図表5)。やはり引き金は人口の増加であり、
公的年金以外
400
200
0
▲200
▲400
公的年金
2014
同じ試算によれば、2033年時点の米国の労働人口
移民制度改革の財政赤字への影響
16
18
財政赤字
20
22 (年度)
(注)現行法に対する変化
裁量的経費、財政赤字の変化に伴う利払費の変化を除く
(資料)米議会予算局資料により作成
は、制度改革によって約5%増加するという9。
3
人口の増加が経済への影響を先導するという事実は、制度改革当初に一人当たりに引き直した効果
が出遅れる点にも現れている。CBOの試算では、10年後にあたる2023年時点の制度改革による一人
当たり実質GNPの変化は、0.7%の低下とされている10。もっとも、次第に人口の増加に生産が追い
つくために、2033年の一人当たり実質GNPは、制度改革によって0.2%増加する見込みである。
平均賃金についても、時間が経過するにつれて制度改革の好影響が明らかになってくる。CBOの
予測によれば、20年後の2033年の平均賃金は、制度改革によって0.5%引き上げられる。高技能移民の
増加などを理由に、生産性の上昇が見込めるためだ。ここでも好影響が明白になるには時間がかかり、
10年後の2023年時点の平均賃金は、改革がなかった場合を0.1%下回る。ただし、制度改革によってそ
れぞれの労働者の賃金が実際に下がるとは限らない。改革初期に賃金水準の相対的に低い新規移民が
増加し、これによって全体の平均賃金が引き下げられている側面があるからだ。
注意する必要があるとすれば、制度改革が平均賃金に与える影響に、労働者の技能水準による違い
が生じる点だろう。技能水準という点では、今回の移民制度改革によって増加する移民は、高技能と
低技能の二極に偏っている。産業界などの意向もあり、新規移民・一時滞在者に関する改革が、これ
らの技能を持つ移民の受け入れ拡大に重点を置いているためである。結果として、制度改革による平
均賃金の変化は、労働人口が大きく増加する高技能・低技能の労働者で、相対的に上昇度合いが小さ
くなる。CBOの試算によれば、全ての技能水準の労働者の平均賃金が、2033年までに制度改革によ
って引き上げられる。しかし、相対的な上昇度合いを比較すると、高技能・低技能の労働者の平均賃
金が制度改革によって引き上げられる度合いは、全体の平均を0.3%下回る。その一方で、中技能の労
働者については、平均賃金が制度改革によって引き上げられる度合いが、全体の平均を0.5%上回る見
込みである。
4.移民に対する求心力は米国の強み
以上のように、米国による移民制度改革は、米国の財政や経済に好ましい影響を与える可能性が高
い。制度改革によって移民を引き付ける力を持っているという事実が、米国の大きな強みであること
は明らかだ。国際比較を通じて「移民が財政に与え
図表5
移民制度改革の経済への影響
る影響はそれほど大きくない」と結論づけているO
(%)
ECDの研究でも、若い世代の移民が多い米国は、
その流入が財政収支の改善に貢献する度合いが大
きい稀有な事例とされている11。
もちろん、財政や経済に好ましい影響があるから
2023年
2033年
実質GDP
3.3
5.4
労働人口
3.5
5.0
といって、移民制度改革の実現が約束されたわけで
一人当たり
実質GNP
▲ 0.7
0.2
はない。とくに不法移民に合法滞在への転換の道を
平均賃金
▲ 0.1
0.5
開く点については、社会・倫理的な観点から根強い
全要素生産性
0.7
1.0
反対がある。今後の下院における移民制度改革法の
審議は、難航が予想されているのが現実である。
4
(注)現行法に対する変化
予測中央値
(資料)米議会予算局資料により作成
言い換えれば、移民制度改革に関する財政・経済面での懸念の低下は、改革の実現を阻む真の論点
が、社会・倫理的な面にあることを浮き彫りにしている。制度改革の実現によって、米国が「移民に
対する求心力」という強みを活かせるかどうかは、社会・倫理的な観点での選択に左右されるといえ
そうだ。
1
Border Security, Economic Opportunity, and Immigration Modernization Act(S.744)
2006 年の議会審議では、不法移民に合法滞在への転換の道を開く内容を含んだ移民制度改革法案が、上院で可決さ
れている。しかし、この法案は当時の下院で議論された法案と内容が大きく異なっており、両者の調整は失敗に終わっ
ている。Ruth Ellen Wasem, Brief History of Comprehensive Immigration Reform Efforts in the 109th and 110th
Congresses to Inform Policy Discussions in the 113th Congress, Congressional Research Service, February 27,
2013
3 Congressional Budget Office, S. 744, Border Security, Economic Opportunity, and Immigration Modernization
Act, June 18, 2013
4 ここでの試算には、利払い費の変動のほかに、現行の歳出上限を超える裁量的経費の負担増分が含まれる。現行法の
継続を前提とするCBOの試算の基本的な考え方では、移民制度改革によって歳出上限を超える裁量的経費の負担が必
要になった場合には、その他の歳出が削減されることが想定され、結果としての裁量的経費の総額は既存の上限と同じ
になる。これに対して、ここでの試算では、移民制度改革によって裁量的経費が歳出上限を超えた場合には、立法措置
による上限の引き上げで対応する(裁量的経費が増加する)ことが前提とされている。
5 Committee For A Responsible Federal Budget, Understanding CBO’s Analysis of the Senate Immigration Bill,
June 20, 2013
6
Congressional Budget Office, Senate Amendment 1183 to S. 744, the Border Security, Economic Opportunity,
and Immigration Modernization Act, June 14, 2013. 本稿での財政試算は、上院司法委員会可決時点の内容を前提と
しており、本文中で触れている国境警備の強化などを含んだ修正条項の影響は含まれていない。
7 Lisa Mascaro and Brian Bennett, “Immigration Bill Pins Hopes on ‘Border Surge’ 30B Plan to Hire Agents
Aimed at Winning GOP Vote”, Chicago Tribune, June 21, 2013
8 Congressional Budget Office, The Economic Impact of S. 744, the Border Security, Economic Opportunity, and
Immigration Modernization Act, June 18, 2013
9 移民制度改革によって増加する人口(移民)は米国平均よりも労働参加率が高いと見込まれるため、制度改革による
労働人口の増加率は人口の増加率を上回る。
10 CBOでは、一人当たりの影響を的確に読み取るためには、
「米国民」の生産に焦点をあてたGNPの方が、「米国
内」での生産を意味するGDPよりも望ましいとしている。
11 David Jolly, “Immigration Cost to Countries Is Overstated, Study Finds”, The New York Times, June 13,
2013
2
●当レポートは情報提供のみを目的として作成されたものであり、商品の勧誘を目的としたものではありません。本資料は、当社が信頼できると判断した各種データに
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