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書 評
 書評 71
書 評
市川紀男 著
『再建期後の南部作家像:黒人ナレーターに託されたメッセージ』
英宝社 2001 年 8 月 236 + 7 pp.
¥3150
19 世紀の後半から 20 世紀の初頭はいろいろな意味で激動の時代だった。ア
メリカを南と北に分けて戦われた内戦が終わり,「奴隷」という消耗品とされ
たアフリカ系の人々は解放され法的には人権,公民権を約束された。 Civil War
とその後に続く Reconstruction は現在にまで様々な形で影響を残しており,芸
術作品の題材としては勿論政治政策や(近年よく使われる語彙の)国民の
_Memory_ としても面影が見受けられる。学界でもこの時代の研究は,新たに
掘り出される資料をもとに,文芸や特に歴史の分野でますます活発になってき
ている。市川紀男氏の本著もこのトレンドに合ったタイムリーなものと言える。
本著は Thomas Nelson Page,Joel Chandler Harris,そして Charles W. Chesnutt
の 3 人の個性的な作家とそれぞれの作品の比較と考察を試みる。一般的にアフ
ロアメリカン文芸の評論家研究家の間では,ペイジは,奴隷制度が確固として
いてアフロアメリカン「奴隷」とアメリカ白人との主従関係が明白だった,古
き良きアメリカ南部を感傷的に描き,アフロアメリカンが忠実な隷属者である
という虚構のイメージを確立した作家として認識されている。ハリスについて
は意見が分かれる。アフロアメリカン間で伝承されてきた物語を収集した事に
ついては一定の評価があるが,彼のアフロアメリカンの描写は人間として非現
実的で不完全だと批判される。なお,ハリスはアフロアメリカン文化を理解し,
彼(女)らの向上を願っていたと主張する研究者もいる。しかしながら,ペイ
ジと同様ハリスも,分割された南部と北部が再び(南部の「良さ」を保ったま
ま)一つになるという願いを表現することが多かった。対照的に,チェスナッ
トは作家としてはアフロアメリカンショートストーリーをスタイルと内容の面
で確立した人物として認められ,知識人,政治活動家としても Du Bois 博士や
Anna Julia Cooper と並べて賞され,近年更に評価が高くなってきている。市川
氏は大胆にもこういったユニークな三者を比較し,また時には共通点もあると
指摘する。これまでに発表された三者についての研究にも詳しく,三者の書簡
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やエッセイ等も用いているが,自己の論と解釈を貫いているという点で本著は
非常に個性的であるといえる。
市川氏はアメリカの南部の文芸の「ローカル・カラー文学」は旧南部の心理
的な自己防衛策(自己合理化)の表れの一つと考え,南部の文芸のスタイルと
題材について独自の論を展開する。隷属状態に置かれていたアフリカ系の人々
をナレーターとして用いた作品を比較することで,社会の「最下層階級」の「南
部家族ロマンス」における役割を検証するのも本著の目的の一つとなっている。
本著は三人の作家それぞれの短編集の細かな分析を試みるのだが,この分析を
著者は三者三様の社会経済的階級の視点を比較しながら立体的に試みる。更に
は,用いられたスタイル,更に細かな手法や登場人物の役割,そしてそれらの
目的についても独特の解釈を提示する。それぞれの作家の作品に託した目的や
果たした役割などについての仮定もユニークで新鮮だ。特に,著者のそれぞれ
のテキストを頻繁に引用し細部にわたって解読を試みて行く手法は丁寧で本著
の目的に適している。
文学的解釈が主であるので,歴史学的,社会学的な背景や _Race_ の社会で
の役割と人に与える影響等について深くは語られていない。それらがなされて
いれば,更に幅と深みを持つ論が期待できたであろうと思うと残念だ。しかし
ながら,「ローカル・カラー文学」のアメリカ文芸史上における一つのジャン
ルとしての位置についての再考を促す市川氏の論は新鮮で,文学界に投じられ
た貴重な一石といえる。 (評者:吉岡 貴雄)
武田貴子・緒方房子・岩本裕子 著
『アメリカ・フェミニズムのパイオニアたち:植民地時代から 1920 年代まで』
彩流社 2001 年 9 月 343 pp.
¥2800
便利でありがたい本である。本書は当初,女性史の授業用テキストをめざし
て執筆されたことが,そのあとがきで述べられているが,十分にその役目を果
たすと思われる。執筆者は武田貴子,緒方房子,岩本裕子(表紙の記載順)の
3氏。武田氏が文学関係,緒方氏が白人女性,岩本氏が黒人女性というのが大
まかな分担の割り振りである。3氏の共著ではあるが,中部支部所属の武田氏
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がその執筆の中心となっていたことは,氏の発案によって本書が書かれたこと
からもわかる(執筆の分量も3氏の中でもっとも多いようだ)。
扱われている時代は,本書のタイトルが示しているように植民地時代から,
1920 年代までである。 1920 年代までということについては,武田氏によって
書かれたまえがきに「1920 年代フェミニズムが花開く時代まで」とあるだけで,
積極的な根拠は示されていない。19 世紀後半の女性運動の大きな柱だった女性
参政権が,1920 年代に憲法修正によって獲得されたことを一つの区切りと考え
たのかもしれない。扱われているのは,45 名の「パイオニアとして活躍した」
アメリカの女性たち。彼女たちについて,事典風に人物ごとに読むことができ
る,読みやすい作りとなっている。また本書の特徴は,「女性史の本でどのよ
うな活躍をしたかについて目にする機会は多いが,どのような生涯を送り,女
性の権利にどのように目覚めていったのかについては語られていないことが多
い。私たち執筆者の関心はその点にあり,主に女性の権利に目覚めていく過程
に焦点を合わせた伝記的内容となっている」という武田氏の説明からも明らか
なように,「アメリカで最初の」という言葉を冠して語られることの多い女性
たちの,いわば公的な面だけでなく,私的な面にも目配りをしているところに
ある。私的なことにも配慮するとなれば,当然彼女たちの日常や,彼女らの生
きた社会にも多くの目配りをしなければならなくなる。本書の執筆者たちは,
個々人の伝記的記述だけでなく,彼女たちが生きていた時代の背景,女性たち
の日常についても記述し,時代のさまざまな制限の中で奮闘した彼女たちの姿
を立体的に描き出そうとしている。たとえば,女性(だけではなかったのだが)
をとりまく環境が大きく変化したとされるアンテベラム期を扱う第 3 章では,
マーガレット・フラーやエリザベス・ケイディ・スタントンら 9 人の女性を扱
い,その個々の記述の前には次のような項目をもうけ,彼女たちが生きた時代
の歴史的,社会的背景についての解説がなされている。市場革命がもたらす社
会変化,女の毎日(性生活, コミュニティの暮らし),ヴィクトリア的女性の理
想像―「分離した領域」と「真の女らしさの崇拝」,バイブルと女―女性の地
位と宗教事情,ユートピア社会(シェイカー共同体,オナイダ共同体,モルモ
ン共同体),トランセンデンタリズム,チェロキーの女たちと涙の道である。
これらの項目を見ただけでも,本書が十分な存在価値と意義を持っていること
が明白だと思う。
このように話が進めば,書評では,広くおすすめしたいと結ぶのが普通だ。
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評者も本書にはいろいろ教えられることが多かったし,重宝もしているので広
くおすすめしたいと思う気持ちに少しの偽りもない。ただ当初,授業用のテキ
ストとして計画され,おそらくそのように使われることを期待されているとな
ると,僭越だが少し注文をつけさせていただきたいという思いにかられる。ま
ずないものねだりから。このような本の執筆に際しては,常に人物の選択とい
う問題が避けられないだろう。この本に関してもタイトルに「パイオニア」と
あるが,どのような点が「パイオニア」なのか,その人物についての記述を読
んでも良くわからない人物がいる。たとえば,イーディス・ウォートンがそう
で,「パイオニア」ということなら,彼女よりは(作家ではないが),初めて女
性として大統領選挙に立候補したヴィクトリア・ウッドハル(本文中に名前は
出てくるが個別の項目はない)あたりのほうが良かったのではないかなどと思
ったりもした。また取り上げられている人物たちも,(おそらく)執筆者の思
い入れの大小に比例して,ページ数にばらつきのあることも若干気になった。
またテキストあるいは事典という性格を考えるならば,それぞれの人物の項目
の終わりに Further Reading 的な書誌が付されていたらとも思えた。次は注意願
いたかった点。それは校正をすりぬけてしまった過ちが少しあることだ。 2,3
例をあげると,ヘンリー・ウォード・ビーチャーはストウ夫人の兄ではなく弟
(220)。ハリエット・ジェイコブ→ ハリエット・ジェイコブズ( 150)。スト
ウ夫人の夫,カルヴィンが奉職し,またアメリカ文学史に何度か登場する
Bowdoin 大学はボードウィンではなく [bóudn]と普通読むのではないだろうか
(162)。良い本なので小さな傷が惜しい。 (評者:松崎
博)
進藤鈴子 著
『アメリカ大衆小説の誕生』
彩流社 2001 年 11 月 245 + 27 pp.
¥2500
アメリカの女性作家の作品は 1850 年代にベストセラーとなり,男性作家の
作品を圧巻した。パティは 1850 年代を「女性の時代」と呼んでいる。しかし,
アメリカ文学史上では,1850 年代はマシーセンにより「アメリカ・ルネッサン
ス」と命名され,ホーソーンやメルビルを初め, 5 人の男性作家がアメリカ独
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自の文学を開花させた時期である。文学史では,女性作家はストウ夫人とフラ
ーの二人が僅かに扱われるにすぎない。『アメリカ大衆小説の誕生』の根底に
は,1850 年代の女性作家の作品が「家庭小説=感傷的」であり,アメリカ的で
ないという理由で文学史から政治的に除外され,不当な扱いを受けたとの異議
がある。著者は,女性作家の作品が「家庭小説」であることを否定するのでは
なく,女性作家が女性の自立や社会参加に果たした役割を明らかにし,そこに
価値を見出しているのである。本書は「アメリカ・ルネッサンス」の時期の作
家とは別の角度から,1850 年代の出版業界,宗教界,女性の生き方を解説して
くれる。また,本書は女性作家をライバル視した唯一の男性作家,ホーソーン
を扱い,「語る女」としてのハッチンソンからへスター,ゼノビアの系譜を明
らかにすることで,人間ホーソーンにメスを入れている。
本書がアメリカ大衆小説の起源として第 1 章で取り上げたのは,「感傷小説」,
ラウゾンの『シャーロット・テンプル』(1794)である。アメリカの「感傷小
説」は,扇情的,キリスト教的道徳,女性の忍従と貞節,幸せな結婚を特徴と
しているが,イギリスの「感傷小説」は主人公の道徳的行動を特徴としている
と著者は説く。アメリカの「感傷小説」は無垢な女性の誘惑を描いた「誘惑小
説」から,少女の成長を描いた「家庭小説」へと変化していった。「誘惑小説」
の範疇に入る『シャーロット・テンプル』は,自由恋愛を戒め,中産階級の若
い女性たちの道徳のテキストとしての役割を果たした。フォスターの『コケッ
ト』(1797)も「誘惑小説」であり,ここでも自由恋愛を求める女性は社会か
ら厳しく罰せられる。著者はセンチメンタルと言われる大衆小説から,涙を流
さずにはいられなかった当時の女性の厳しい現状を読み取っている。
第 2 章では,ウォーナーの『広い,広い世界』(1850)が扱われている。セ
ジウィックに先鞭をつけられた「家庭小説」は,この小説で一気に読者層を広
げた。その背景には,強い信仰心の女性主人公が困難に打ち勝つこの小説が,
政教分離の国家にあって民衆の心をつかもうとした福音主義プロテスタンティ
ズムにより,女性の指南書として推薦されたことがあった。カミンズの『点灯
夫』(1854)でも下層の自立する少女がヒロインであるが,彼女の根底にもプ
ロテスタンティズムがある。当時,外で働く男性には無縁になりつつあった宗
教界に推薦された女性作家の「家庭小説」は,教会に通う女性読者により講読
され,結果的に女性読者が出版業界の発展に貢献したという因果関係の解説は
興味深い。
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第 3 章と 4 章では,アメリカの女性像が主として述べられている。ホームズ
の「家庭小説」,『嵐と陽光』(1854)に登場するヒロインで,天使のような「忠
実な女性」(true woman)と,サウスワースの『クリフトンの呪い』(1852)の
ヒロインで,たくましく敬虔な「実際的な女性」 (real woman) の言及は興味深
い。ここで注目すべきことは,「忠実な女性像」が主流の時代にあって,サウ
スワースが出版社の検閲にも曲げず,「実際的な女性像」を描き続けたいきさ
つである。一歩,進んだ「自立する女性」を描いたのは『ルース・ホール』
(1855)
である。これは従来の「家庭小説」とは異なり,政治小説とも読めるものの,
作者,ファーンのスキャンダルで書評が悪くなったという記述に,当時の時代
精神の未熟さが示されている。
女性作家とホーソーンに関して,ホーソーンが女性作家をライバル視したと
いう著者の見解に対し,異論はないであろう。逆説的に言えば,ホーソーンは
自由に語っていると思われる女性作家,「語る女性」の能力や精神を認め,羨
望の眼差しを向けていたと考えられる。ホーソーンは「忠実な女性」の信奉者
というよりも,雄弁で,時にはセクシュアリティに溢れている「語る女性」た
ちに惹かれ,怖れつつも,彼女たちがものを書く原動力になっていたのであろ
う。
『アメリカ大衆小説の誕生』は,比較的取り上げられてこなかった 19 世紀
の女性作家を調べ,作品の解説も含め,作者と作品の関係,出版社と作者との
関係,当時の出版事情等を詳しく紹介している点において,今後のアメリカ文
学研究に示唆を与えている。 (評者:倉橋 洋子)
アメリカ文学の古典を読む会 編
『亀井俊介と読む
古典アメリカ小説 12 』
南雲堂 2001 年 7 月 380 pp.
¥3800
本書は亀井俊介先生を囲んだ錚々たる気鋭の会員諸氏が,「古典」の名に相応
しい 12 作のアメリカ小説を取り上げ,その一作一作について,作品を深く読み
こなした上で重ねられた数年におよぶ議論の精髄を文章化された,実に読みご
たえのある名著である。「古典」を敢えて配された表題そのものの決断に,必要
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十分な討議を重ねられたという事実は,この研究会の魅力を如実に物語ってい
る。
目にするだけで興奮を覚えさせる表題に違わず,本書は,読めばさらに心を
ワクワクさせる無数の示唆を与えてくれる。それぞれの作品に鋭い分析と豊か
な討論が繰り広げられている 12 の作品名は,以下に,どうしても記しておき
たい。 *Charles Brockden Brown, Ormond; or the Secret Witness (1799)
Fenimore Cooper,
Thither (1849)
The Pioneers (1823)
*Herman Melville, Mardi and A Voyage
*John William De Forest,
Miss Ravenel's Conversion from Secession
to Loyalty (1867)
*Harriet Beecher Stowe, Oldtown Folks (1869)
Charles Dudley Warner, The Gilded Age: A Tale of Today (1873)
Democracy: An American Novel (1880)
*William Dean Howells,
Octopus (1901)
*James
*Henry Adams,
*Helen Hunt Jackson, Ramona (1884)
A Traveler from Altruria (1894)
*Upton Sinclair,
*Mark Twain &
The Jungle (1906)
*Frank Norris,
The
*Ellen Glasgow, Barren
Ground (1925)
表題の「古典」は,いわゆる<主流のアメリカ文学>以外にも読まねばなら
ない作品の代表格として本研究会が広い視野に立って選定された,と理解すれ
ば良い。誤植などまず見当たらないが, 361 ページ,第三章,最初のエントリ
ーは,aではなくAだと思う。本書が本研究会の 6 年にわたる苦闘の結実とし
ての労作であることを,また徹底した討論の果てに紡ぎ出された本書にアメリ
カ小説の古典が本質的にえぐり出す精髄を看破するのは評者だけではないと確
信していることを,最後に申し添えておきたい。 (評者:横田 和憲)
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