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新課程に望まれる地図帳のあり方

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新課程に望まれる地図帳のあり方
新課程に望まれる地図帳のあり方
東京大学教授 荒
井 良 雄
帳は事情が異なる。
「情報が詰め込まれている」
と
「学び方を学ぶ」
いえば、まことにそうなのだけれども、であるが
2003年度にはじまる高等学校新課程の基本目標
ゆえに、そこから自分で情報を読みとる作業をし
は「学び方を学ぶ」という言葉に集約されるで
ないと、何もわからない。いまどき、
「地図帳に書
あろう。本稿は、
「新課程に望まれる○○のあり
いてある地名や産物を舐めるように全部覚えろ」
方」というシリーズの一環だが、それらの最初に
などといいだす先生もいないだろうから、地図帳
書かれた「地理A編」
(
『地理・地図資料2002年4
を使った学習は、自然と「学び方を学ぶ」ことに
月号』
)の中で、中村和郎先生は、信州諏訪の地理
ならざるを得ないのである。
教育者三澤勝衛の例をあげて、
「知識か学び方か」
それでは、こうした新課程の基本理念に即した
という問題を語っておられる。そこには、三澤は
地図帳のあり方とはどのようなものだろうか。こ
「教科書に書いてある知識だけを覚えて、眼前の
こでは、現行版の『新詳高等地図』の内容を取り
事実を見ようともしない生徒」をきびしく叱った
上げ、
(1)
グローバルな視点からの地域関係の理
こと、三澤の教えを受けた考古学者藤森栄一が、
解、
(2)
多元的な環境問題の理解、
(3)
時間と空間
後年の信州の教育が知識偏重に陥ってきたと嘆い
の広がりの中での地域認識、という3つの視点か
たこと、が記されてある。今回の新課程が検討さ
ら、具体的な検討を加えてみたい。なお、文中の
れる中では、教科としての地理が知識偏重だとし
ページ番号は地図帳での所収ページである。
て、存続の危機にあったというから、「学び方を学
グローバルな地域関係の理解
ぶ」という新課程の理念は、これまでの地理教育
に大きな変革を迫るものであることはまちがいな
グローバル化を支えるものとしての国際航空路
い。
の図はずいぶん以前からあるが、現行本では、そ
ところで、上の三澤の言葉にも象徴されるよう
れに加えて国際通信網が取り上げられている(図
に、一般の教科書はどうしても「知識が詰め込ま
1)
。この図からは、日本人にとっていささか衝撃
れた」ものである宿命があり、まじめな生徒であ
的な事実が読みとれる。世界の中で、国際通信網
ればあるほど、片っ端からその内容を覚えようと
がもっとも高密度に張り巡らされている(すなわ
することになりがちなようだ。いくら「書かれて
ち、情報のやりとりがもっとも多い)のは大西洋
いる内容ではない、考え方が大事なのだ」といっ
を挟んだヨーロッパと北米の間であり、日本はそ
てみたところで、整然と文章で書いてある以上、
うした緊密な関係からはずれた存在である。また、
言葉としての知識の呪縛から逃れることはむずか
日本からは東アジアや東南アジアへの通信網は整
しかろう。
備されているが、その範囲を超えて伸びている通
しかし、はなから文章がまったくなくて、いろ
信網の主力は太平洋を渡る北米方向であり、グロ
んな地図やグラフがただひたすら並んでいる地図
ーバルなネットワークへの接続に関しては北米に
―4―
済的関係があるし、人の交流も重
要である。アフリカの場合には言
語や宗教といった文化的側面も見
逃せない。そうした多元的な観点
からグローバル時代の世界の地域
構造を読みとることができる地図
帳づくりが求められるだろう。
多元的な環境問題の理解
図1 帝国書院版『新詳高等地図』p.5
依存するところが多い。そうした点からいえば、
日本は「極東」ではなく「極西」なのである。
この国際通信網の図はミラー図法で書かれた小
さいものなので、同じページの航空路の図に圧倒
されてあまり目立たないが、ITがなければ日常
生活が成り立たなくなっている今日の状況を考え
れば、
もう少し大きく扱われるべきものであろう。
また、高校生にとっても身近なものになりつつあ
るインターネットの普及などのデータもほしいと
ころである。
もちろん、グローバル化は交通や通信の局面だ
けでとらえられるものではない。図2は世界貿易
の空間構造を、それぞれ日本・アメリカ・EUを
中心とする3枚の図を組み合わせて表現しようと
している。アメリカやヨーロッパに比べて日本の
地位低下が危惧されている昨今だが、それでも、
世界をちょうど3分する形で形成されている3極
構造が、今日の世界認識の基本であることに異論
はあるまい。この3枚の図を比べてみると、3極
間の関係が強いのは共通しているが、それぞれに
特徴的な結びつきが見つかる。日本人にとって、
日本とアジアとの関係は自明なことだが、アメリ
カと南米やヨーロッパとアフリカの結びつきの強
図2 帝国書院版『新詳高等地図』p.90
さは、普通の高校生にはあまり意識されていない
のではなかろうか。
最近はどの教科書でも、環境問題に関する記述
しかし、地域と地域との結びつきは貿易だけで
が増えているが、地図帳でもかなりのページがそ
はない。貿易以外でも投資や開発援助といった経
れに充てられている。たとえば、図3は東南アジ
―5―
アの環境問題に着目し、森林と海岸湿地の問題を
っていることを示唆し、環境破壊のメカニズムに
扱っている。東南アジアにおける環境破壊は、森
関心を向けさせるよう配慮されている。
林伐採やマングローブ地帯でのエビ養殖など、日
環境問題をその原因にまでさかのぼって考えさ
本との関係も深い問題として関心が高く、環境問
せようとする姿勢は重要だが、この図が想定して
題を考えさせる題材として、適当なものであろう。
いるメカニズムはやや単線的に過ぎるかもしれな
この図では、まず各地の熱帯林の分布を確認し
い。森林減少は、単に木材出荷のための伐採だけ
たうえで、森林減少面積を国別で見るとインドネ
に原因を求めることはできない。インドネシアの
シアがもっとも大きいこと、そうした熱帯林の減
スマトラ島などでは油やしやゴムなどのプランテ
少が、木材輸出(とくに日本向けの)に深く関わ
ーション開発にともなう大規模な森林伐採があい
ついでいる。このような開発行為は途上国の経済
構造とも密接に結びついており、環境問題の背後
にあるこうした構造に気づかせるような資料の提
示が必要であろう。同図に含まれているエビ養殖
によるマングローブの破壊問題についても同様な
配慮がほしいところである。
環境問題に関してもう一つ例をあげてみよう。
図4は中国の大気汚染を示すa図と鉱工業生産の
分布を示すb図を並べてある。実際に、地図帳で
もこの2図はこのように並んで配置されている。
a図からは、大気汚染の原因になる硫黄酸化物の
排出量が、シェンヤンを中心とする東北地区から
ペキンを中心とする華北地区およびシャンハイを
中心とする華東地区北部にかけて、とくに多いこ
とが読みとれる。もちろん、その原因のひとつは、
図3 帝国書院版『新詳高等地図』p.23
これらの地区に集中してい
る重化学工業向け火力発電
に求められるが、b図に示
されている鉱工業生産の分
布は経済区別であるために、
地域単位が大きすぎて、大
気汚染の分布と重ね合わせ
て考えることがむずかしい。
b図には工業都市の分布も
入っているが、単に位置を
点で示しているだけだから、
これも大気汚染の分布とつ
図4 帝国書院版『新詳高等地図』p.14
―6―
ながりにくい。もし都市別の工業生産の分布が示
とも関心を集めている中東諸国が切れてしまって
されていれば、大気汚染と工業生産との関連は非
いることである。目下、切迫した状況にあるパレ
常にわかりやすくなるであろう。さらに、a図に
スチナ問題などもヨーロッパと中東との歴史的な
入っている酸性雨の分布もこれだけではメカニズ
関係についての認識なしには十分に理解しにくい
ムがわかりにくい。スーチョワン盆地などの内陸
ものであることを考えても一工夫ほしいところで
工業地域での酸性雨多発には、地形的な要因が関
ある。
係していることを気づかせるような工夫が望まれ
同様の例として、中央アジアをあげることがで
るところである。
きよう。昨年の不幸な出来事以来、世界の注目を
集めることとなったアフガニスタンの理解には、
時間と空間の中での地域認識
この地が、かつてシルクロードの中継点として文
ひとつの地域の成り立ちは、決して一朝一夕に
明の十字路と呼ばれた地域であること、19世紀末
生まれるものではなく、長い歴史的経過の中で、
からはロシアとイギリスという当時の超大国がせ
周囲のさまざまな地域との結びつきをもって徐々
めぎ合う「グレートゲーム」の舞台であったこと
に形成されていくものである。そう考えれば、わ
を忘れることはできない。このような国際関係に
れわれがある地域を正しく認識するためには、歴
ついてp.7∼8「ユーラシア・北極・オセアニア」
史という時間軸と地表という空間軸双方の広がり
の図で概観し、さらにp.29∼30「西アジア」の図
の中で地域の成り立ちを見直すという観点が重要
でパキスタンをはじめとするイスラム諸国との関
であることがよくわかる。
係を読みとりたい。別の地図帳であるが、
『地歴
このような観点に立って、これまでの地理教育
高等地図』のp.31∼33「アジア南部」の図では、
の場での世界像を反省してみると、いくつかの大
まさにアフガニスタンが文明の十字路と呼ばれた
きな欠落があることに気づく。たとえば、上でも
地域であることが、一目瞭然にわかる。歴史的経
指摘したヨーロッパとアフリカとの密接な関係を
緯も理解しやすい図取りを時代が要請している一
われわれが見落としがちなのは、大陸別という伝
つの例であろう。
統的な世界地誌の記述法に引きずられて、地中海
おわりに
地域という脈々とした存在に思いが至りにくいか
らではないか。最近では、この点には多少配慮が
以上、
『新詳高等地図』を素材として、新課程
向けられるようになってきており、p.41∼42には
に対応した地図帳に求められる内容や表現の具体
地中海地方の基本図が掲載されている(図略)
。こ
例を検討してみた。もちろん、ここで取り上げた
の図取りでは、ジブラルタル海峡からキプロス島
のはあくまでもいくつかの例に過ぎない。これ以
まで、地中海の全域がカバーされており、かつて
外にも、
「学び方を学ぶ」
ための素材は随所にある。
世界史の表舞台であったこの地方を挟んでヨーロ
新課程に向けた改訂では、そうした点には十分な
ッパとアフリカ・中東がいかに密接な関係にあっ
配慮が払われようが、やはり、最後は現場での創
たのかがよく納得できる。惜しむらくは、判型
意工夫にゆだねられるところが大きいことはいう
の限界から東側ではレバノン、イスラエルがわず
までもない。新課程への移行を機会に、地図帳を
かにのぞくところまでで終わっていることで、イ
活用した「学び」方の工夫を大いに進めていただ
ン、イラク、サウジアラビアといった、今日もっ
くことを期待したい。
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