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IIABA Big”I”Convention
東京代協理事大藪邦嗣氏のご厚意により寄稿いただきました 2005 年 IIABA 総会に出席された際 のレポートを原文のまま掲載しました。 IIABA Big”I”Convention ―9,10∼12,2005 NY 道中記− 大藪邦嗣 本年度のIIABA(米国独立代理店協会)総会はニューヨーク(以下NY)ヒルトン ホテルで9月10日∼12日の3日間開催された。今回の大会には福岡代協や生協系代理 店から多くの方が参加され、数人の保険会社社員を含めて49人の日本参加団となった。 9月7日夕方5時ニューヨーク/JFK空港に降り立った私は「松井」のネームが入っ た青いオリジナルタオル50本を大切に抱えて、直ちにイエローキャブをヤンキースタジ アムに走らせた。そこにはスタジアムの年間シートを3つ保有しているJC時代からの友 人が待ち構えていた。 試合開始前に周辺のヤンキーズファンに松井タオルを無料で配り応援を頼む!巨人にいた ライトの息子が初回に4点取られ3番シェフィールドはケガで退場。さらにヤンキーズは 3回までノーヒットといやなムードが漂い始めた。この劣勢の4回に松井が登場!僕らの 周りは松井タオルを掲げて全員立ち上がって声援!すると松井のバットから快音が響き私 の左スタンドにボールが吸い込まれていった!!ゆっくりダイヤモンドを回る松井。バッ クスクリーンには「祝・400号」の文字が輝く。先発ライトも立ち直ってきた。6回に は松井が2打点ツーベースを打ち1点差に。8回にはついにジアンビが逆転ツーラン。そ して最後はリベラが抑えて見事な5:4の逆転勝ち!「松井は僕が来るのを待って打って くれた?」3時間の中でのスピード感のあるエキサイティングな試合を堪能できた。 翌8日は友人が運転するレンタカーを5時間走らせ憧れの野球の聖地クーパーズタウン へ向かう。人口2,500人の田舎町はまさにフィールドオブドリームの町だった。中心 にある「ダブルディ・フィールド」は野球発祥の地として小さい球場ながら威厳があり、 まさにそのグランドから往年の名選手が出てくる映画のシーンそのものがある。こんな雰 囲気の古いストリート街には選手の記念品やグッズや人形などが飾られた野球ショップが ずらりと並んでいた。通りを歩く観光客もお好みの球団ユニホームをきている人が多い。 ベーブルースと最後の4割バッターTウイリアムの人形が出迎えている1939年に建て られた野球殿堂にいよいよ入る。沢村英治とベーブルースやルーゲーリックが対戦した伝 説の日米大野球の日本語ポスターなど数々の資料に目を点にする。しかし何といってもノ ーヒッターコーナーにさん然と輝く野茂写真と2個のボール。それに262という看板が あるイチローコーナー。さらに1階には昨年までの260人の野球殿堂入りした名選手の 肖像レリーフがずらり並んでいる。私の英語力でも野球用語が同じだったので?彼ら一人 ひとりの記録を読み取ることができた。 1 9日は復路NYへ。宿敵レッドソックス戦である。5時開門から入ってバッティング練 習を見る。ペタジューニもよく飛ばしていたが松井は練習でも2本スタンドに入れ好調を 維持しているようだ。試合はまたも初回に3点取られたものの8:4の逆転勝ち。私は大 会参加者最後のNYヒルトン入りとして深夜11時30分にチェックインをした。なお、 今回の参加団の何人かは5倍のプレミア料金を出してこの試合を観戦していたという。 10 日1日目の日本人用のプログラム 第一セミナーは代理店のテクノロジー 代理店用のソフトウエアを開発しているアップライト社システムの説明だ。 25年間代理店用に汎用システムを作っており、随時改良されて現在は10,500社の 代理店(シェア27%)と12万以上の従業者が愛用している。 代理店の全ての事務仕事ができる機能を持つ目的で①マーケッティング②会社経理と精算 ③顧客データ-管理④保険会社と代理店のコミュニケーションを主体に小(従業員5名まで) 中(50名まで)大(3,500名)の代理店用にソフトを分けている。バッチングシス テムでは各保険会社からのデータ-や情報を代理店用に落とし伝える機能でリアルタイムシ ステムは2社以上の保険会社に情報を送る機能である。アコードという統一申込書に情報 を入力すると照会案件が自動的に各保険会社に送られ、数分で回答が出てくる。引き受け 条件が各社で異なる場合でも、コンピュターがその会社用の内容にマッチさせている。 乗合代理店用に顧客管理やクレーム進捗も統一された代理店用システムから各保険会社に 必要条項だけをピックアップされ通信しあう。保険会社ごとのシステムで確認する日本の 代理店とは全く違っている。買取りで160万だが月リースの4,5万円が最近の傾向だ。 第二セミナーではリスクマネジメント(以下RM)である ナショナルアライアンスによる講義。予想のできない多様な問題からの解決とコストの低 減を図り利益の増大させるRMの定義から入った。代理店にとっても顧客と長期で強固な 関係と早期解決が図れる手段である。その理論より実践を重視する資格としてCRMが1 995年に創設された。現在の資格者は1,300名。主に企業のリスクマネジャーが取 得している。コストと保険金の対比表など興味深い資料もあった。 ① RMの定義②RM分析③Rコントロール④Rファイナンシャル⑤RM実践のコースが あり各 20 時間講義の後2時間半の試験がある。5コース合格でCRMとなる。 CRMは国家資格ではないが「消費者から認められる専門家としての資質の高さ」の基礎 になっており、究極のRMでは保険が最終手段であることを改めて感じた。ただ日本とは、 法律・環境・金融関係など状況が異なるので全てのプログラムがマッチするとは限らない と思われるが、付き合いやセット販売を主力とされる日本の保険市場を残念に思った。 企業が保険商品よりRMを買った方がメリットを出せる。それを伝えるためにはフィービ ジネスの定着と機関企業代理店の廃止及びRマネジャーの育成が急務と考えさせられた。 2 第三セミナーではクラスター制度の活用 ミシッシッピ州にあるサウスグループインシュアランスの代理経営の歴史から始まった。 テュバチーニ氏は 1975 年 25 歳の時に人口 4 万人の町で 2 名で代理店経営を始めた。規模 が小さく委託先保険会社も少なく安い求率ももらえず厳しい経営だったので、70 人の代理 店と合併し、10 社の保険代理委託を受け経営を握り 1992 年に 2 社を加えた。その後保険 会社との交渉を有利にするために 7 社でマーケッティングのクラスター制度を作った。 保険会社からのボーナスコミションは保険料・増収や損害率などで大きく異なり収入面を 不安定にしているので、このクラスター制度の共同保険などでリスクカバーの活用をして 安定させてきた。しかし経営は各代理店が独立しており、無駄も多くあった。2000 年から 経理・顧客管理・テクノロジー・人事をコントロールする会社を 7 社の代理店オーナーが 出資して設立した。2002 年から株主 16 社の販売クラスター制度と統一したサービスや上 記のバックオフィス的機能を充実させ一応の組織を完成をみた。満期所有権と営業権は1 6の代理店が持っている。この背景には 30 年間の保険業界の厳しい変化があった。 ① テクノロジーの改新②ファイナンシャル機能を含む銀行窓販や直販等の販売の多様化 ③連法・州法・保険業法などの強化④30 年間での手数料率半減などの変化。 現在50社の委託代理店・ブローカーとサープラスラインを取扱っている。損保収入11 0億・手数料収入15,4億をグループ内132名のスタッフで得ている。しかし今後も 直販や通販などからの個人保険市場の厳しさと銀行からの金融商品の圧力なども予想され 更なる変化も必要と考えていた。 クラスターグループでの保険会社との求率などの交渉や入金や保険料精算業務。営業支 援・顧客管理や全般経営などの日本で言う「バックオフィス」的機能を彼の本社が行って いるが、その経費・費用は全て保険会社からのプロフィットコミッションで補っていた。 保険会社は収益性のない小規模代理店には商品を販売させない(代理店の廃業・淘汰)施 策と一方では大型店にプロフィットコミションの優遇策を出している。その生き残りの競 争の中から生まれた「代理店経営での改革戦略」であった。 銀行窓販でも専業代理店を傘下に納めて販売させる「保険はプロのもの」という米国環境 と自己・特定契約問題での解釈や副業代理店制度など「ついでや付き合い」の日本環境と は異なる面があったが、日本でも復代理が認められた時、銀行の傘下に入る代理店グルー プとは別のネットワーク型専業グループのモデルであるように思った。 二日目の総会ではNYの9・11の当日ということで、黙祷から始まり半旗の中で消防士 による国家独唱で幕を開けた。トーマスグルー会長の挨拶の後、メインデスカッションは チューリッヒアメリカなど5社の保険会社社長による「パネルデスカション」。その後は約 200社が出展している2Fのコンベンションセンターでのブース見学で説明を受け、保 険商品流通の市場の真ん中でランチョンとなった。 午後も4セミナー「プログレッシブ保険」「リッツデンガー氏の講義」「ジェフイエイツ氏 3 の講義」 「仮想大学」などがあったが、ランディジョンソン投手が私に会いたいと言うので? 後ろ髪を引かれながらもセントラルパークとヤンキースタジアムに向かうために地下鉄に 飛び乗った。しかし地図にある駅が目の前を通り過ぎていく「ここで降ります!」と叫ん でも・・・急行から各駅に乗り換えて戻ったり、ジョンレノンのダコタアパートで迷子に なったりとまさに悪戦苦闘で試合開始ギリギリに間にあった。レッドソックスのセンター は何と7月まで巨人にいたキャプラー。「おーい、○○泥棒!」と声をかけると笑顔で?振 り返ってくれた。相手の先発ウェイクフィールドは私が投げるような115km。魔球の ナックラーは双眼鏡でみても揺れるのが判るしキャッチャーも取れないこともある。1回 のジアンビのホームラン1点に抑える。こちらは159kmの剛速球で押すランディジョ ンソン。とにかく早い7回まで1安打に抑え、柔と剛はそれぞれ10個以上の三振をとっ ていた。最後はお決まりのリベラへつなぎ1:0。結局私が見た3試合は全てヤンキーズ が勝ち、松井55のユニホームやヤンキーズ帽子も胸を張って帰国できた。 ホテルに帰って、TVの日本語ニュースから自民党総選挙大勝を知ったが、その後に何と 「冬のソナタ5話」チュジュ姫とチュンさんの再会後のいいシーンが・・・(帰国後続きを 時差ぼけの中で見直しています) 12 日第3日はグランドゼロ近くのウォール街の代理店訪問 ボリンガー社はアテネオリンピックで金メダルを取った6団体などを基に、スポーツ団体 傷害を募集している。学校やサークルを中心に案内しウエップネットで申し込みを受けク レジットカード決済で加入証も自宅でプリントできるシステムを作り出している。 全米で32位の売上100億円で毎年15%伸ばし、全社で350名のスタッフがいる。 3支店は営業のみでバックアップ機能と保険会社との交渉全般と営業をニュージャージー の本社で250名がおこなっている。年2社づつ買収もしている。損保の委託は25社だ が、プロフィットコミッションは非常に高く一人当たりの生産性は手数料約2,700万 と非常に高額であった。 NY支店は15名だが来月吸収で45名になる。顧客3万人から一人当たり55万∼55 0万の保険料を得ている。またホールセール部門で独自商品を他の代理店に卸している。 この商品はAIGで特別な料率と特約を作ってもらっており、保険料 2 万位で他の代理店 は扱えない。この支店は不動産分譲での保険や会社契約も扱っている。生保・医療などの 営業は本社が行うが支店の扱いプロデューサーに手数料を戻してくれる。Vプレジデント から「規制緩和組が選挙に勝って良かった!小泉カットを真似したい」とのジョークも。 ST.ジョージア大学にある 1870 年に創設された保険大学と図書館を見学した。船の形を 模擬した建築物だ。大学・社会人の保険プロフェッショナルセンターで米国保険の基礎を 勉強する学校システムをとっており、1年の短期講習もある。①現在の保険業界の課題を 検討・分析する。②世界120のネーム(スポンサー)企業への情報提供とネットワーク 4 ③アニュアルレポートの作成や保険の歴史と検証などが主な活動であり、日本人の学生も いた。また先週には三井住友海上の井口会長もネームの一人として訪れていた。 図書館には100年前の証券や現在の全ての約款・規定の保管されていた。現在の基本的 な110の証券もデジタル化されて保管してあった。しかし何と言っても膨大な保険関係 の図書資料が目に焼きつく①各州の法律・規定や証券等の②ゼネラル的な統計資料③過去 2年間の全保険関係のジャーナル・本の保管④それ以前の雑誌・ニュース・ペーパー等の クリッピングされたファイルなどであった。インターネットで検索や閲覧もできる。 飾っている大きなグランドゼロの航空写真が印象に残っている。 そして自由の女神をバックにサンドイッチの昼食をとった。 午後の訪問したのはJPWest社。Cooのアイリーン女史からのRM提案例。 彼女は日本の保険会社の米国でのアンダーライターなども経験され、代理店として独立し 業界歴23年。最初に米国の保険の現状と彼女の代理店ビジネスの方向性が説明された。 ① RM中心の提案営業。しかし顧客にあった商品を見つけることが難しい。保険会社の委 託が難しく手数料の格差も激しい。地方は2億∼5億の小代理店が多い。平均7∼8人。 ② フォールセール(卸売店GMA)を通じての保険商品の仕入れ ③ サープラスラインの活用(州の認可外の保険商品) ④ 保険以外の提案。(キャピティブ・自家保険・ラージ免責) ⑤ 傘下のサブエージェンシーの活用(復代理店が特定団体や企業を握って紹介してくる) その上で小額契約者用のRM提案パンフや団体募集用チラシを紹介してくれた。また大型 物件用のプレゼン資料としてパワーポイントと提案書(P180)を解説してくれた。 特に相手企業を事前によく調べていること。その企業の物件写真などを巧に織り込んだ提 案書作成。他の代理店との違いの強調性。自社の契約経歴や組織や担当社員の履歴資格な ど。契約後のフォロー等と共にコンサルタントとしての保険以外の提案も参考になった。 4時半からはクロージング総会だ 次年度のウイリアム・ビル・ステンガー会長挨拶と基本方針説明の後、日本から来たイチ ロービジネスマンとして今回の団が紹介された。ワールド保険代行の高橋亜紀男会長と野 田節子女史が壇上に上がり、高橋会長が「今から100年前、ここNYの裁判所で独立代 理店は満期所有権を勝ち取った。そこから米国独立代理店の自立と誇りある発展が始まっ たと思う。今回のNY総会に私達も参加でき大いに勉強させて頂いた。日本支部設立を始 め保険業界発展のために努力していく決意を今新たにしている。今後ともご指導をよろし くお願いしたい。最後にハリケーンカトリーナで被害に遭われた方々へ、日本団としてド ネーションを用意してきたので受け取って頂きたい」と挨拶したところ、約3,000人 の参加者全員からスタンディングオベーションを受けた。私も回りにいた数人から握手と 感謝のメッセージを受けることができとても熱い気持ちにさせていただいた。 5 最後にジュニアー二前NY市長による「リーダーシップについて」の記念講演で幕を閉じ た。リーダーに必要な条件を以下の6つであると講演された①ゴールの目的を設定してい る②楽観主義である③勇気を持って集中してチャレンジする④できるだく多くのトラブル を想定して対応できる準備をしている⑤チームのルールを作り上げる⑥人を大切にコミュ ニケーションを図ることをユーモアを交えて熱弁を振るわれた。 来年はワシントンで 4 月 26 日∼29 日まで開催される。その再会を期して閉会となった。 夜はサンフランシスコでも食べたいつものステーキハウスで「Tボンステーキとワイン」 の打上げ会を15名でおこなった。 雑感 規制緩和の一方での過度な取り付け書類の多さや会社からの制約などから閉塞感を感じる 中で、恒例のIIABA総会に参加しての新たな空気を吸うリフレッシュが目的だった。 それに今回は 40 年前の野球少年が夢見た世界も加えてみた。大リーガーの中ではあの松井 でさえ小さく見えることを実感させられた。一方ではカトリーナの被害よりテロの被害を 強調したり原油高の原因を中国発展だけに置き換えるアメリカ一国中心主義がさらに強く なってきたようにも思えた。 グローバル化と規制緩和が進む中で、日本にも米国の手法やシステムが今後も強く導入さ れてくる。さらに今後の代理店には生損保の保険代理店の機能と能力だけではなく、金融 代理店としての証券・銀行業務代理そして郵便特定局の役割も期待されてきている。 日本の周辺法律や商慣習などが異なる中で、全てをルックアメリカとは言えないまでも、 保険代理店の、ある意味での生き残りの見本が米国の厳しい競争の中にあった様にも思う。 ライバル販売チャネルの拡大や米国代理業の手数料半減の中で、経営努力やシステムを作 り上げ「消費者の信頼を得て誇り高き利益の出せる職業にしている」ことを改めて知った。 合併やクラスターなどの果てしない経営システムの改善策やRM提案にもタフなネゴシェ ターを感じ取れた。 私達日本の保険代理店業も自己満足ではない、志の高さと推進・実行力がためされてきた。 消費者の代理として日本の保険代理店は認知されているのであろうか?代理店経営という 点での戦略や利益や株主配当を出しているのであろうか?私達の代理店業界のゴールとは どんな組織と代理店像を描いているのだろう。これから一層進む自由化と規制緩和の中で 「消費者に選ばれる?信頼される代理店」になるためにさらに大きな障壁と苦難を乗り越 えていくために、新しい環境を代理店自らが作り出す必要性があると考える。 個々の代理店が経営力と顧客グリップ力を含めて「タフで強くなければいけない」と感じ た体験となった。 最後に皆様にご心配をかけました4日夜の洪水での「水没した愛車ベンツE320」の保 険金は帰国後入金されていました。でも思い出を失い新たなローンが残りました。リスク カバーより予防と準備が大切だと改めて感じております。 6