Comments
Description
Transcript
学校週5日制と部活動
学校週5日制と部活動 M a y 春の大会が一段落しました。男子ソフトテニス 団体優勝。個人でも永○・山○ペアが優勝。他、 男子では 3 組、女子も 2 組が県大会出場を決めて います。野球 3 位、ソフトボール 3 位、サッカー 3 位、卓球男子 3 位。なかなかの試合結果でした。 先生方にはせっかくの祝日も祝日にならずで申し 訳ありません。それにしても、ここ 10 数年の間に ずいぶんと大会が増えたと感じています。 中学校教育において部活動が占める比重は重く、 部活動抜きには中学校教育を語れないでしょう。 文部省時代、着任早々に初等中等教育局長に呼 ばれ尋ねられました。「中学校教育を部活動と受験 を抜きに語ってみなさい」。 皆さんならどう答えられるでしょうか。 私は答えられませんでした。なぜ局長がそのよ うなことを尋ねられたのか、その時は真意が測れ ませんでした。 今は何となく理解できます。 完全学校週 5 日制は平成 14 年に始まりました。 当初は 15 年からの予定でしたが1年前倒しての実 施でした。その前倒し 1 年は自分のセクションの 仕事で、学校をスリム化して学校の負担軽減を図 るというねらいを込めたものでした。 教育は学校だけで行うものではありません。家 庭、地域(社会)、学校、それらのバランスの上に 行われているはずですけれど、何もかも学校が背 負い込み、もうこれ以上抱えきれないという認識 のもとに、バランスを正す、いわば教育全体の構 造改革を狙ったのでした。 しかしながら、その後はご存じのとおりの学力 低下の大合唱で学校週 5 日制否定論まで登場する 始末でした。それに呼応するように学校には負担 が重く重くのしかかってきたのがこの 10 年です。 自分もわずかにかわった学習指導要領は学力低 下論の前に早くも平成 15 年に見直しが行われ、い わゆる歯止め規定がなくなりましたが、あれなど は教育現場に身を置き、学習指導要領の水準と子 供の実態とを見ればいかに非現実的なことか分か ります。省内にそれを察知するシステムが働かな かったということでしょう。だいたいが、我が国 の教育課程は年齢主義と課程主義との狭間にあっ て落ちこぼし構造になっているのに、学習指導要 領の内容が最低基準などというのは笑えてくる話 です。この学習指導要領は平成 22 年度で終わって 私の退職とともに賞味期限切れです。万感の思い です。学習指導要領様にはずいぶん失礼しました。 ロマンがあった学習指導要領でしたのに。 学校週 5 日制の是非論等も笑止すべきことで、 平成 14 年の完全実施を前に学校週 6 日制を実施し ていたのは韓国と日本だけでした。国際的に見た らアブノーマルな状況で、そういう意味でも日本 の学校は国際的には特異な存在でした。 欧米諸国いわばキリスト教国では、日曜礼拝が 根付いていましたから、休みとなる 2 日のうちの 1 日は宗教の日ともいうべきで、家庭教育・社会教 育の日でもあったのです。学校は家庭や社会の土 台の上にあって機能します。学校が教育のすべて 7 , 2 0 1 0 を背負い込めるような存在ではないのです。日曜 礼拝などは地域社会が行っていた道徳教育のよう なものです。部活動等のようなものは当然学校教 育の範疇ではありません。 バレー部の顧問時代、私はALTに「クレイジ ー」と言われました。私の指導内容についてでは ありません。教諭である私がスポーツクラブであ るバレーボールを指導していることが、彼から見 たらとうてい信じられないことだったからです。 局長には、日本の学校教育改革を進めていく方 向性の一つには、学校教育についての国際感覚が があったのだろうと推察しています。 私は平成 8 年に静岡県から自分の計画で相手方 とも自分で折衝し一人で海外に行ってきなさいと いう出張をいただき、NHK名古屋や現地の日本 人学校の協力も得てヨーロッパ 5 カ国を視察して きました。その中、ミュンヘンで見た環境施策や 教育、スポーツクラブの実情が大変印象深く残っ ています。ドイツの小学生の終業は早く、学校が 終わるやいなや地域のスポーツクラブに直行しま す。そしてサッカーコート 6 面、8 面もあるよう なサッカー練習場で小学生からお年寄りまでバイ エルンミュンヘンの選手らとともに練習している のです。スポーツを学校体育に依存している国が、 このような国に勝てるわけがありません。 学校週 5 日制による授業時数の減少は、当然の ことながら学力低下の懸念を呼びます。この点に ついては第 15 期中教審の第 1 次答申は、「学力を 単に知識の量という点でとらえるとすれば学力水 準は落ちるという懸念はあるかも知れない。」と述 べた上で「学力の評価は、単なる知識の量の多少 のみで行うべきでなく、…略…変化の激しい社会 を[生きる力]を身に付けているかどうかによっ てとらえるべきである」と量的な学力観からの転 換を求めています。 平成 7 年当時、大臣官房審議官だった、かの局 長は、「教育展望」臨時増刊号に学校週 5 日制につ いて「休業日となった土曜日。学校図書館が開放 されている。月曜日から金曜日までの授業におい て、様々な分野で知的好奇心を刺激され、自分な りに課題意識や興味・関心を持った子どもたちが、 土曜日を待ちかねて学校図書館で学習に取り組む、 ということになったらどうか。」と書いておられま すけれど、このように「自ら」が学びを広げてい く姿を、私は横軸の生涯学習と呼び、これからの 子どもたちに求められる学力ととらえています。 土・日が子供たちの学びの場として機能する、 それには関心・意欲・態度を最上位にする学力観 に基づいた授業と地域や家庭での教育機会の多様 性と充実が必須です。 では、それが成功したかどうか。それは言うま でもありません。皆さんがご存じのとおりです。 休業日となった土・日で盛んになったのは部活動 と塾だけと揶揄される始末です。 第 15 期中教審第 2 次答申で入試改善が熱く語ら れたにもかかわらず受験制度をそのままにしてお いたために、少子化時代に経営が苦しくなるはず - 37 - の私学や予備校等の大手受験産業は、東京の中央 線沿いに次々にビルが建ったと言われるように隆 盛を極めました。まるで焼け太りです。 学校週 5 日制はひょっとして私学救済の装置だ ったかもしれないと今になってはそう思っていま す。公立は学校週 5 日。私学は週 6 日。受験制度 はそのまま。私学有利に決まっています。 ブオンリーです。なぜか。これも簡単な話です。 当時、東京の殆どの公立中学校では課外クラブ は消え失せていましたが、地方では先生方が熱心 に指導していました。その課外クラブの教育的意 義を認め、エキスだけを教育課程に位置づけて平 等化したのがクラブです。これにより地方では課 外クラブは部活動と名を変えて、校長が認める教 育課程外教育活動として残ったのです。 学校週 5 日制を理解するのには、「総合」がなぜ 部活動は学習指導要領によらない教育課程外教 創立されたのかが鍵になります。実は平成元年告 育活動でしたから、いくつかの課題が生じます。 示の学習指導要領で生活科が、平成 10 年告示の学 まずは、活動中に万が一の事故が起こった場合 習指導要領で「総合」が新設されていますけれど、 です。これは「校長が承認したものであれば、正 共通しているのは体験活動の重視です。原理的に 規の教育活動として認められるもの」(昭 35,4 学 申し上げれば、ペスタロッチ以来、教育は直観(体 校保健安全法説明会における「質疑応答」)とされ、 験)→概念化→実践化という図式を描きます。学 学校安全会の支給対象となって解決です。 校は、この概念化を図るのが主目的になりますが、 次に報酬の問題ですが、わずかですが特殊勤務 社会の変化により、この直観(体験)や実践化の 手当で対応することにして決着です。しかし、こ 機会が著しく低下し、知識が言語シンボル化しか れは諸刃の刃で、手当をもらうことは勤務であり、 ねない状況に陥っています。学校で学んだことが 公的な教育活動として認知したようなもので、そ 生活の場で生かされ、生活の場で学んだことが学 の分責任が増したということです。昭和 45 年に起 校で生かされという双方向の関係が描けず、本来 きた柔道クラブ生徒負傷事件では、時間外とはい は総合化されているはずの知が総合化できず知恵 え、指導担当教師はその職務上の義務としての生 にならないのです。学校全体に体験的な活動が増 徒の生命・身体の安全について万全の注意を払う 加してきている一つの理由は、そのような変化へ べき義務を負っていると熊本地裁は判決を下しま の対応という意味合いがあります。「総合」を創設 した。また昭和 52 年の東京高裁は部活動に従事す したのも同様です。「総合」は学校で完結させるも ることは国賠法 1 条に該当する公権力の行使だと のではなく、学ぶ楽しさを体験させ、拡充させて しました。要するに正規の教育課程の実施と同様 いくことが重要です。ですから土・日等のゆとり な公務と認め今日に至っているのです。 は、そのような「自ら」の学びをはぐくむ時間と そして、教育的な意義です。もともとは自由研 して重要と考えられるのです。 究から出発したということは述べた通りです。ク しかしながら土・日に子供たちが体験活動に取 ラブ活動に止揚されもしました。ですから単に競 り組んだり、自ら学んだりするようになると部活 技技術を向上させて勝てばいいというものではあ 動とバッティングが生じます。平成 9 年 9 月の保 りません。ですけれど高校、大学も部活動の隆盛 健体育審議会の運動部のあり方についての調査協 は看板塔にもなることから様々な優遇措置を設置 力者会議は部活動を週 2 日休むよう提言しました して選手を集めて勝利を競うようになっていきま けれど、これは学校関係者の猛反対にあい、翌年 した。高校野球がいい例です。その高校野球等の の保体審の答申には盛られませんでした。 選手養成が中学校に降りてきているのです。いや 中学校に指導者いないとなればクラブチームが雨 部活動に話を戻します。 後の筍のように林立です。中学校の部活動から消 部活動は意義があるということですけれど、そ えていった水泳や体操などはまだ棲み分けができ の意義とは何でしょう?あれこれあげる必要はあ ていますけれど、中学校でも盛んな野球やサッカ りません。かつて特別活動には小中ともにクラブ ーは競合です。将来的には部活動的なものは完全 活動があって、そこに掲げられていた目標や目的 に学校外に移行するでしょう。しかし、そのため がそのままに部活動の意義と理解していいのです。 の学校体制づくりは着手すらされていませんし、 なぜか。部活動の歴史を考えてみれば答えは出て 平成 9 年当時に見られたように中体連関係者は黙 きます。 っていないでしょう。社会の機運も未成熟です。 部活動の濫觴は戦後の自由研究にあります。自 そういう意味では過渡期ですが、それだけに苦し 由研究がやがて課外のクラブ活動になり、それは みは続きます。 有意義だからと教育課程に位置づけられ正課に止 けれども中学校教育には子供たちの自校への所 揚したのでした。私どもの年齢の教員は、このク 属感が重要です。先日見えた柔道の外部指導者が ラブ担当になった経験があるでしょう。 仰っていましたけれど、初めて部活動で対外試合 技術はなくていいのだと言われ新採まもない私 に行ったときが「わが校」を意識した初めてだっ は弾いたことがないギタークラブの担当になって たと。所属意識は子供たちに共同体意識や自制心 子供に指導を受けていたのが昨日のように思い出 をはぐくみ規範意識を育てます。北欧諸国の例に されます。当時、私のギターを指導してくれた生 ならえば学力も向上させます。部活動に所属しな 徒は現○○高の鈴○副校長です。旅行クラブ、絵 い子供にはそのリスクが伴うのです。そのことに 画クラブ…。結構楽しくて、ギタークラブなどは ついて保護者や一般の方々の認識は私どもが肌で 子供たちとオン・ステージまでやってしまいまし 感じているほど高くはありません。その難しさに た。 直面する時代に入ったと私は感じています。 しかしながら、このクラブ活動は理念的に部活 部活動の歴史は、結局は学校現場の先生方の熱 動との仕分けが難しく同心円だとか異心円だとか 意に支えられたもので、それゆえに極めて日本的 訳の分からない概念で説明しようとしましたけれ でヒステリックになりやすく、行き過ぎた練習や ど説明できるわけがありません。部活動は静岡県 逸脱した指導がしばしば問題になってきましたが、 等地方から生まれたもので、東京では正課のクラ 同時に教師の指導力を伸ばす場でもあったのです。 - 38 -