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Allen Ginsberg fr
b&LEnffi
―逸脱する視点 はあらゆる債僣籠か ら自由である―
三
上
昭 人
序章
第 一章・ So What Beat Generation'
第二章・Allen Ginsberg in Kyoto"
So What Allen Cinsberg"
第二 章 “
最終章・Break on through to the Other Side'
Allen Cinsbergと は一 体何者だろ うか。狂 気 の天才詩人か ? 我国流て い う還暦 を迎えた現在、
Bob Dylanの 言 った反対制詩人の イメー ジはか なり薄れて きたことは確かだ。
Ginsbergの “Howド は 」ack Kerouacの “On the Road・ と共に唯物論的価値を 否定す る Beat
の特徴を描 き出 して 、 アメリカにおけ る新 しい何かの 出現を多 くの読者 に知 らしめたよ うに思われる
。
Howl・ や on the Road・ が 出版 され る前か ら、 19"年 代 のアメ リカには非同調者、あるいは
確か に “
ボヘ ミア ンと して生 活 して い る何千人 もの 人 々がいたが 、Ginsbergや KerOuacが 己の ライ フス タイ
ルを見事 に描写 し、古 い良 きアメ リカの 友情や自由の重要性を強力に擁護 した ことによ って、
彼 らの 本
が既成の優値観 に対す る一つの 脅滅 とな り、あ らゆる種 の 反発を買 うこととった。 Beat Generation
の作家 たちは後 に Cinsbergが 存在 の幻影的本質 と呼んだ 実存 の はかな さに対す る共通の認
識 を持 っ
ていた。 Ginsbergに と って Beat的 であ るとい うことは、社会的 の善悪 の概念を超えて、
社会を裏側
か ら見 つめるこ となのだ。
1988年 、 H月 3日 、 京都大学西部 講堂 において Allen Ginsbergの 詩 の 朗読会がお こなわれた
。だ
が、そこで は50年 代 に登場 した、燃えるよ うな予言 の叫びは存在 しなか った。石垣島・
白保 のサ ンゴ礁
の保護を呼びかけ、反 核団体 と共 に朗読会を開 く Ginsbergの その 姿 は・ Howi"か ら感
じられた狂熱
は感 じられない。彼 は もう過去の人 とな って しまったのだ ろうか。
Allen Cinsbergは ただ 吠えて い るばか りの詩人で はない。 ・HOwl"の フ ァクシ ミリ版 が その こと
を証明す る。 彼 も書 く詩人であ った事実 も忘 れ るわけにはいかない。 だが 、Giisbergの 詩 には、それ
で もなお、詩語 の圧縮、集 中 に欠 いていると思われるところが ある。彼にはオ能 がないの か
。実はそ う
ではない。 A Ginsbergは 詩的言語か ら逸脱 す ることによ って、 既成 の 伍値観、あ らゆ る概念か
ら飛
びだ し、外側 (裏 側 )か らの視点 を手に入れ るのだ。 Ginsbergは そこで 自由とな り、色 々な価値観 に
縛 られた私たちを見て笑 うのであ る。彼は概念 とい うかん じが らめの街か ら飛びだ したチ ンピラで あ り、
その世界観はシニ カルであろ う。
(指 導教員
―-133-―
中村
敦志 )
e.e.cummingsの 詩 における前衛絵画性
浅
野
大
成
o o cummingsは 1894年 にマサチ ュセ ッッ州 ケ ンプ リッジに生 まれた詩人、 小説家、面家で
ある。
二 十世紀の アメ リカにお いて パ ウン ドやウイ リアムズとな らんで
もっとも実験 的活動を した詩人の ひと
りであ る。●。cummingsは 第 一 次大戦後 しば らくのあ いだ滞在 して いたフ ラ ンスの
新 しい文学運 動
か らの影響を受 けたと思われ る植字法によって伝統を無視 し、破壊的な
作品を作 り上げたので あ る。滞
在 して いた当時 の フランス文学 はダダや シュール レア リズム など新 しい
運動があ り、パ リで発 行 された
本 には書名 も著者名 も大文字 はひとつ も使われていない もの や、 文字を横に した
り上 下 にず らしたりし
た方法を使 った ものが あ った。 こ ぅぃ った ものの影響 を受け cu m mingsは
作品 に取 り入れて いった と
思 う。 しか し、何故、世 界的 に は最初ではな い cummingsの 手法が見 とめ
られたのだ ろ うか を 2、 3
編 の詩を例 に とって考察 してい きたい。
まず、 “
in Just―・ か ら考えて い きたい。 この 詩は早春を歌 った の
も であ り、それ を表現す るため
に言葉を解体 したり、溶接 した りした ものであ る。大文 の い
字 使 方 も一般的な詩 とは違 った使 い方を し
てい る。例えば、 “
"の
in」 ust―
題に して も春が来たことを読み手 に強 く訴えか ける為 に Justの Jを
大文 字 に したと思 う。それか ら、・ goat― foOted"と い う
言葉を使 ってギ リシア神話 の
に連想 させ るの も春を強 く印 象 づ けるのであ る。
Panを 読み手
次 に絵画的な詩 と して ‐
1(a"と い う作品を考察 してい くことにす る。 この作品 は絵画においての
同
時主義を用 いた もの だと思 う。葉が落 ちて い くと同時にその時感 じる心を
描 くために言葉を解体 したの
だ と思 う。そ うすることによ って普通 の詩 の様 に一 づつ
行
書 くよ りも感 じることと見た ことが 同時 に行
なわれたことが ぃっそ ぅ感 じられ ると思 う。
cummingsの 前衛的な ものに はダダや シュール レア リズ ム とい った
ものの影響 を受 け絵画の手法を
その まま詩 にお きかぇた ことにあ ると思 う。 前衛的 な
ものに は受 け手 によ っての 解釈 によ って意味を
持 った り意味な ど一っ も無か った りす る。それは前衛的な ものに とっての
強味であ った り弱味で もある。
cummingsの 詩に対す る基本 的な考え 方 は 「学生に対す る詩人の忠 Jに かれ
告
書
て い る。 「詩 とは
感 じることで あ って 、知 った り、信 じた り、考えることではない。」cummingsは
感 じることか ら物 ご
とを11り 出 していったに違 いない。
(指 導教員
―-151-―
中村
敦志 )
Emily DickinsOnの 詩に見 る生 と死、 その魅力の追究
太
田
泰
子
エ ミリー・ デ ィキ ンス ンの詩 は、死後百年以上経 った今 日、
全世界で
読 まれ る様になり、人気を増 し、
高 い評価を受 ける様 に もな りました。 そ して、今、私を含めた文化 の異 った 日本人 に さえ熱心な
愛読者
がお ります。 もしかす ると、四行 か ら精 々数十行 とい う詩 の短か さ、極
限 まで凝縮 した構成 が、 日本 の
い
短 詩歌を好む 伝統 に近 い為、親 しみ易 いか らなの か もしれ ません。彼女の の に
詩 中 は、時代 と空 間 と
文化 の差を越えて人 々の心 に訴え、感動 させる何 か を もっているのです。 そこで は、
私
読者を何が感動
させ、秘 きつ けるのか とい う事を、二つの詩の分析を通 しなが ら考えて い
きた い と思 い ます。
まず最初 に 、彼女の詩 は、美 しい 自然描写 と、隠喩を使 った もの 、又、それに
心 象を結合させて い る
もの なので 、汚れ き った現代を生 きる人 々には、新鮮 で 、一つ一つの美 しい
言葉が、心のやす らぎにな
るか らだと思い ます 。彼女 の 欲求 と、人 々の欲求は、孤 独の 中の満 た され ない
欲求 の願望 と、ある意味
では共通 してい るの で、秘 きっ け られ るの です。
さて、 2つ めの理 由と して、 多 くの場合、詩が難解だか らです。 彼女の
詩は理解す るのに大変だか ら
こそ、 いろ いろなイメー ジを抱 き、11造 をか きたて られ、理 解 しようと
す るたびにのめ りこんでい くの
です。
結局、デ ィキ ンスンの詩 が 、人気を得、読 者をひきつ けた理由は、 デ ィキ ンスン
が、 「人生の意味」、
「人生の 目的」とい った、人 間誰 し
もが もつ問題を扱 った詩人だ ったか らなのです。特に現代 の 自由社
会 の よ うな公的 な、共 通 の信条が失われて 、各自が 自分で人生の意味
を探 り求めねばな らない時代 に 、
又、
誠実に生 きた い と願 ってい る時代に、
強 い共感を呼 ぶ詩 だか らなので
す。 このよ うな詩 に、人 々は、
す ご く魅 力を感 じてい るの です。人生 の根本的苦悩 の問題 はデ ィキ ンス ンの
詩 の中で も未解決に残 され
て い ます。 私は、 これか ら生 きて い く上で、誰 もが深 く考えていか
な くてはいけないの ではないか とい
う事を、デ ィキ ンスンの詩か ら学 びま した。 自分の人生を 自分 らし
く有意
いか貧欲 に考え、そ して必ず解答をださなければ い けな い
と思い
義 に生 きるに はどうすれば よ
ま した。更 には、生 と死 、自分ではど
うする事 もで きな い問題、因果関係を探 ってみようと思 い ます デ
。 ィキ ンスンの
詩 は、現代 の人 々が 考
察 しなけれ ば いけない、生 と死の 問題 の追究を提 示 して くれたのです。又、彼
女 自身に も秘密 めいた所
が 多 くある事 も、人気がでて くる理由だと思 い ます。 これか らも、
彼女自身、又、彼女の詩 も、永遠 に
世界中の人々に愛 され、読 まれて い く事 と思います。
(指 導教員
―-152-―
中村
敦志 )
自然 と人間生活 ―Ted Hughes詩 論
田
中
正
和
Ted Hughesは 、 1980年 に、 イギ リスの MythOlmrOyd(W"ι Riding Yα
鮨ぬtre)で 生 まれた詩
人である。 1956年 、彼はアメ リカの女流詩人 Sylvia Plath(1932-63)と
結婚す る (静 人と して Syl宙 a
か らの影響 は無 い)。 その後、 1959年 頃か ら詩 作 に専念 し、数 々の
賞 を取 り、 D.H_Lawrence(18851980)な どか ら影響を受 け、 自然 (動 植物 や架空の生物など)か
ら多 くを取材 し詩 に取 り入れ る、 自然
詩人 として知 られ、又 、人生の底知れぬ不気味 さや、実在主義的 な
不安などが詩 の主題 とな ってい る。
60年 代の代表詩人で もあ る。
・ Full M∞ n and Little Frieda・
とい う詩では、 Hughesの 最初 の子供 であ る PHeda Rebecca
について書かれてぃ る。人 生 の血 なま ぐささゃ、残忍
・ a dart r■
さ、暗 さを
unspi110d
― ご b100d・ 、“
milk"、 とい ぅ言葉で表わ し、次行の “
moon"の 明 るさと対比 されて い る。 この様 な 「明 るさと嗜
さ」又は rゃ さ しさと きび しさ」な どの 相反す る表現を Hu ghesは
好 んで使 って ぃ る。詩集 W…
の最初の一 篇・ Ъ istles・ と い う詩で Hughesは
葉 についた トゲを唯 ―の 量 8と し、人間や 牛などの
敵を相手 に抵抗 し続 ける雑草 の 力強 さを表 し、同時 に人
間 も強 ぐ生 きなければ な らないとい う事 もう っ
‐
たえていると思 う。詩集 ″οぁ
・
"の 最後の一籍 WOdw。 `ま 、架空の生物 の主題 に使 った詩である。
これは、自分の姿や名前、大 きささぇ もわか らない一 の
匹 生物が 、 r自 分はい ったい何を してい るのだ
ろ う」 とい う疑間を持ちなが ら、森の中を 歩 き回 ってい
る姿を、 Hughes自 身が その生物にな ったかの
様 に、その生物の 考えて い る事を書 いて 行 くとい う発想が とて ユニ ー
も
タな詩だ。人間誰で
も一度 は 「自
分 はいったい何で、 ここで何 を してい るのか ?Jと 考えたことが
ぁると思 うのです。 Hughesは この様
な考えを、一匹の生物に置 き変えて書 いた詩なのだ と思われ
ます。
Ted Hughesの 詩 は、動植 物 な どの 自然を題 材 に し、そ
して、それ を人間生 活 と掛
な事を我 々に語 りかけてぃ るのだ と思 い ます。それ
は人
あ った り。Hughesは 、 これ らの事を考え、想像 しそ して
、詩 と して描 いて い るのだ と思 い ます。
(指 導教員
―-153-―
け合わせ て色 々
間の弱 さや無気力であ った り、生命 の 力強 さで
中村
敦志 )
William Carlos Williamsの 詩の二 面性
―その内面性 と外面性 についての考察 ―
● 田 裕 巳
William Carios Williams(1883-1963〉
とい う詩人は、アメリカの New Jersey州 生まれの時人
である。彼は長 い詩人生活において長篇詩 Pa″ rs。 2(5巻 、1946-58)を 中心 としてその他、長、短
篇等を含めると膨大な量の詩を残 している。大抵の詩人の場合、それぞれの詩人の持つ個性が詩 にに し
み出て、それによ って、ある種の詩における関連性 とい うものがあるものだが、ウイリアムズの詩には
それがないのである。言い換えれば、詩を読んで作者を判別することが困難であるといえるのだ。この
ように、膨大な作品があ りそ してそれぞれの作品の関連性が少ないのであるが、詩における内面性と外
面性という2つ の視点か ら何とかまとめ上げてみよう。
ウイリアムズは初期の作品において Imagismの 影響が多分 に見 られたのである。lmagismと い う
のは、それ までの詩の持 っている重 々 しい形式主義の詩に反抗 して生 した自由詩運動であり、詩の内容
的には深い意味は持 たな くて も、新 しい リズム、自由な形式で詩を書 くのである。 ウイリアムズの初期
の作品は Imaglsmの 影響を受けて いたため、明 らかに外面的な特徴がみ られるのである。
ウイリアムズは New Jersey tt Rutherfordと いう田舎町で生れ育 ったのだが、Paι ersο ●はこの生
れ故郷を主題として書かれた長篇詩である。 この長篇詩はそもそ も、 ウイ リアムズが長期戦になるのを
覚悟で 〈
実際に、全 5巻 で12年 かかり、それでも書き終 らなか った。)ア メリカを詩に描がこうとい う
試みから初まった。 ウイリアムズはなぜ長 い時間を費や してちっぼけな田舎町を描 いたのだろうか。ア
メリカを描 くのな らば、近 くの大都市であるニ ューヨー クを取り上げて もよいのではないか。 これには
何かウイ リアムズなりのアメリカに対するある種の思 い入れがあるに違 いない。その理由を探る手がか
・FLght tO the City'と ・Spring
りとして彼の代表的な詩集である ort●g αttdス ι
ι
〈1923)の 中か ら、
and All"と い う 2つ の短篇詩を例に上げて論証することによってウイリアムズのア メリカに対する心
情を探り出 してみる。 12年 もかけて P● ι
ers● れを書 いた とい う事実か らも判断 で きるように、彼のアメ
リカに対 しての情熱が彼の試作を一貫 して支えているのであり、そのことが彼の詩の内面性と言えるの
ではないか。
(指 導教員
-154-
中村 敦志)
生 きる喜 びを見いだせた詩人デ ィラ ン 0ト マス
渡
辺
1914年 10月 27日 にイギ リスの ウェールズ とい う街 に生 まれ、些か39年 とい う短 い生涯 の大部分 を病苦
と貧困、過度 の飲酒 と喫煙 によって苛 まれ、第 1次 大戦後の経済的不況 の時代 か ら第 2次 大戦 とその後
の数年 まで との 間を生 きた ネオ・ ロマ ンテ ィ シズムの詩人、 デ ィラ ン・ トマス、そのなかで彼 は人 間の
生 と死、性 と愛 とい うテ ーマ を選 び200篇 に近 い詩を この世 に残 した。彼が級 る詩 は一般 に イメー ジの
弁証法 といわれ る方法を用 いてい る為か、かな り難解な ものが多 い。 これは彼 の もつ 1つ の イメー ジに
もう 1つ 別 の イメー ジを対立 さ じめ 、 これによ り生 まれた新たな イメー ジに彼 の もつ知的、批評的な聞
力の一切を適応 させ るという もの で、 こう したイメー ジが彼の詩 の 中 には数多 く登場す る。 このイメー
ジの弁証法でさえ このよ うに理解 しが たい ものだか ら トマス詩 が 難解 なの は当然の ことだ ろ う。しか し、
これが逆 に トマス詩 の魅力にな ってい ると もいえる。
イギ リスの詩壇で、 1940年 代 はデ ィラン・ トマスの時代 とい うことがで きる。 イメー ジの弁証法、持
のなかヘ イメー ジを圧縮す る力、そ してポエ トリー・ リーテ ィングをはや らせ る 1つ の き っかけとなっ
た詩人であ り、天才を感 じさせて くれ ます。彼 の詩 は一 見、言葉 の論理 とい うよ りもイ メー ジの論理で
組み立てて い るようにみえますが、彼自身が言 って い るようにそ うい う生 まれ 出 た イメー ジに 自分 の持
てるあ らゆる知 的な、批評的な 力を適用 して詩を完成 させて い るらしいの です。 そこが シュル レア リス
ム と違 うといえ るところで、そ うい う点で は非常 に知的な要素 が強いのだと感 じます。そ して彼 の後 の
詩人達 が多かれ少なかれ 「私」 という私小説
うの視点 を詩か らはず さな いで書 いて い くことにな った
`、
の も彼の影響 だろうと思われ ます。詩人の アイデ ンテ ィティとい う問題 が モ ダニ ズムの時代か らだ いぶ
問題 にな って きて いて、 どこに作品 の焦点 を求めた らいいかわか らな くな って きた時代 に トマスが もう
一度 アイデ ンテ ィテ ィとい うもの を 「私」とい うところに持 ち帰 った とい うの は後退 的 な進歩だ ろ うと
思 い ます。 詩 の もつ音楽性を きちん と した定 型でわか りやす く聞 かせ、イギ リス国民は もちろん世界中
の一般大衆か ら愛 されたその詩人 は最期 まで生 きることはなお至上の薔饉 であ り喜びであるとい うこと
を僕 らに確 信 させるに役立 つ ことで あろうと思われ ます。
(指 導教員
-155-―
中村
敦志 )
セオ ドア・ レ トキ (Theodore Roethke)の 憂鬱 につ いて
菊
池
泰
秀
詩は他者へ の メ ッセー ジとい う役割 だ けではな く、自己の 内に向 う意識を よ り巧み に具象化す ること
によって広 い意味での実 を形成 し、他者 においてそれを普遍化 させ る力を持 って い る。詩 と小説 の違 い
は、端的 にいって言葉を使 う上 での 方法論 の違 いにす ぎな い。英文学 史 においての産声が Ballad(物
語詩 )で あ ったように元を たどれば同 じような所にたどりつ くに違 い ない。 もちろん詩 と小説は、時代
の流れ の中 で、 どこかつなが りつつ もそれぞれ の可能性 を求 めて 独 自の変化を遂 げてきて い る。英詩 は
20世 紀 に入 ると、その ス タイルにおいて もテーマにお いて も革新的 な変化があ った。
さて、ゼ ミナールではア メリカ現代詩 とい うことで主 に20世 紀 の 英米詩人 について学 んで きた。 1910
-30年 代 に全盛を期 したイ マ ジズムか らモ ダニ ズムヘ といった詩人の 「意識 Jと 「スタイル」の 変化 や
アバ ン・ ギ ャル ドや ダダ、 シュル レア リスム といった諸芸 術運動を知 る ことによ って 、モダニ ズムの英
語詩が イギ リスの もの と い うよりもア メリカ的現象 といわれ る理 由かわか る。
まず、イギ リスにお いてはイギ リス詩の伝統 (題 材及び詩型 )が 詩人の 変化を許 さなか った。 モ ダニ
ズムの特徴 であ る自由詩型 の尊重、
詩的構成 にお ける実験主義 は伝統 の乏 しいアメリカにお いて根づ き、
詩人は画期的 に新 しくなることが求 め られ たといっていいだろう。 ゼ ミナ ールで学 ぶ うちに現代詩 人 と
呼ばれ る様 々な詩人 の作品 に触 れ ることができた。その なかで も先 に上げたよ うに、詩 の中で意識の 具
象化を試み るセオ ドア・ レ トキに興味 を党えた。
セオ ドア・ レ トキは1908年 5月 25日 に ミシガ ン州 サギ ノーに生 まれ、父の経営 して いた農場 の温室 で
遊 ぶなどして幼年期を過 した。 ミシガ ン大学を卒業後 はハ ーヴ ァー ド大学院 に学 んだ。 その後 は大学教
授 とな り英語を教えて いた。 1936-43及 び48年 はベ ンシルヴァニ ア州立大学で教え、彼の処女詩集 『開
かれた家 1(Ol● ●π″οιse、 1941)は その時代 に出版 された。 レ トキの詩的出発 は1930年 代 に さかのぼ
り、 この詩集 の標題作 ②″れ″ο Seに も当時 の メタフィジカル詩 の 影響 が感 じられ る。後期 の作品 と
“
比べ てみて も、よ り観念的 な色合 が 強 く、
彼 の詩 の題材 が社会性 よ りも自己認識 に向 ってい ると言える。
の開放 である。 しか し、この
とヽ
この詩では自己開放が テーマにな ってい る。開けひろげの家、す なわち′
心の開放 とい う観念 は容易 に結論 づ け られては いい。心を完全にさらけだ して しま いたい とい った欲求
の下 には、一 種 自開症的な疎外感を含んだ精神 の存在があるようだ。彼を憂鬱 にさせた この 自己開放 と
い う観念 も植物 のなかに精神 の 具象を みるとい う手法 で彼はオ能を開花 させて いった。 ステ レオタイプ
とい う現代 の憂鬱 に彼 の 詩 は積極的 に新 たな感受性を与 えて くれ る。
ゼ ミナールで英文 の ままの詩を読 んだ り、一 人の詩人 について取組 んでみたのはいい経験 とな った。
今後 も積極的 に詩 の世界を追 ってい きたい。
(指 導教員
―
-156-―
中村
敦志 )
ロバー ト・ フロス トにとっての 自然 と自己の感情
志
村
用
宏
三年生か ら四年前期 の約 1年 半 のゼ ミナールにおける私 の研究 は、 アメ リカの 詩 についてで した。 そ
の 中の詩人 ロバ ー ト・ フロス トについて専門的 にや らして いただ きま した。 フロス トとい う詩人は、ア
メリカの ニ ュー・ イングラン ド出身 で、 ダー トマス大学 に学 びま した。詩の特徴 と しては、自然描写的
な詩が多 く、
単 に 自然描写 とい うだけではな く、その詩 の 中 に 自分 の感情や生活 をとけ込 ませて い ます。
代表作 と して ・StOpping by Woods on a Snowy Evening"が あ ります。
(「
雪 の 降 る夕暮れ に、
森 の近 くに、そ りをとめて」)こ の作品は、雪 の降 る夕暮の中で、そ りにの って森 の近 くにさ しかか っ
た時 に、雪 の振 りつ もる森 の 美 しきに心をひかれ、馬を止 め、 しば らくの間そ の様子を眺 めた時 の詩で
あると思 う。 この森 の所有者 の考えを予測 し、 自分 なりに結論を出 して い る。詩 の 中 に 出て くる馬に関
して も、まるで馬を人間 の よ うな思想を持 っている様に描 いて い ると思 う。最後 に文中の私、多分 フ ロ
ス ト自身だ と思 うか、思 いが 込め られて い る部 分がある。 自分な りの 考えでは 、 フロス トは、いつ まで
もこの美 しい景色を見て いたいが とい う思 いが感 じられ る。
ロバ ー ト・ フロス トは、長 い間
VermOntの 農場 で生活 して いた ことがあ った。 フ ロ ス トはそ こで
ニ ュー・ イングラン ド地方 の 素朴 な農民 と自然 を描 いた。その時 の一部で、 ‐Putting in the Seed"
・ The Pasture"が ある。 “Putting in the Seed"は 、田園に住む者 に して の の
対
春 喜びを うた った詩
だと思 い ます。その 中 に 自分 の生活をとけ込 ませ、 自然描写 と自分の 心情が うま くとけ合 ってい ると思
・The Pasture・
い ま した。種 が 発芽す る状態 に関 して も、土を もりあげ る力強 い様子 が うかがえ ます。
これは牧場 とい う意味に とれ ま した。牧場 に春がお とずれた様 子を、 ニ ュー・ イングラ ン ド人 らしい、
ひかえ日で、大げさな感 じがほとん と しな い表現で描 いてい る様 に思えた。 その 中 に、自分が妻、 もし
くは、恋人を呼んで い る風 な表現 も見 られ る。 これは、妻か恋人への呼 びかけで もあるが、 この詩を読
む者に対 しての誘 いの よ うに もとれ る。
フロス トは、視覚 と して提示 された情景を自己の心情 や感情を もり込 んで詩を書 き、なおか つ、自然
の様子 も鮮明 に描 いて い る感 じが します。
(指 導教員
―-157-―
中村
敦志 )
テ ド・ ヒ三―ズ と動物 の存在 について
坪
内
仲
人
テ ド・ ヒュー ズは幼 い頃 か ら動物 とい うものに大 きく関心を持 っていた。 その中で彼は生 き物 の形、
習性などを観察 して い く際 に、生命 とい う不思議 き、生命が持 つ美 しさ、その 美 しさと表裏 一体をなす
生命 の残酷 さを感 じと っていた。彼の詩 は何 らかの形で このような生命 の持 つ宿命的 な残酷 さと獣臭 さ
がに じみでてお り、それが精密 で客観的な描写 と相 ま って大 きく展開 して い く。
幼 い頃、脱毅す る時期 になると、辺 りを通 い回る二十 日ネ ズ ミを追 いか け、そ して補 まえて いた。 ま
た彼 の 兄と一緒 に野山を通 い回 って 、 カササギやフクロウや兎やイタチや ネズ ミなどを集 めていたが 、
彼 にとって 兄が射 る ことがで きた動物 では満足 しきれて いなか った。 この時、彼 の心 の 中 にあ った動物
をつか まえ ることと、詩 を追求 し始 めた熱情 は舞台 は違 うけれ ど同 じであ った。 それは彼 に と って詩が
一種 の動物、まさに野山を駆け巡 る生命あ れ る動物 であ ったか らである。それ によ つ この生命あ れ
=、
`、
る詩はどんな人格か らも独立 し、何物 もそれに加え る こと も取 り去 ること もで きない ものなのである。
も しそ うしたのな ら、詩 は不具 にな って しまうか、あるいは死んで しまうか も しれない傷つ きやす い も
のなのであ る。
しか し、彼の 関心 は特 別 に動物 あるいは詩を追 い求 め ることではなか った。彼の 本当の心 の内 にあ つ
た ものは、 自分以外 の生命を もつ もの 、生 々と した生命を もつ もの を追 い求 めたので あ った。事の全て
がそ うであ った と して も、動物 に対す る関心 は彼 の人生が始 ま った時 にすでに始 ま っていたのだ った。
彼の魂 には幼 い 日を過 した ヨー クシャが高地の 自然 の荒 々 しさが異常 なまでに刻印 されて いて 、 その幼
い 日の 印象 の まま、彼 にとって 自然 は生涯超越的な ものにな っていった。 この 自然 のす さまじいエ ネル
ギーに とりまかれて い る人間は無力 と不安定であるが動物 は激 しい生 の体臭 とその裏 につねにつ きま と
う死 の匂 い、そ して得体 の知れぬ 神秘的 な暗 い情熱 と恐怖感を も ってい る。動物 の 情熱 と恐怖感 とがそ
の まま彼の もの と重ね合わ されて、動物 の存在を描 くことが、付加を除去 をな らぬ彼 自身の実存を語 っ
ていることになる。
彼は自然 と人間 の和解 をのぞみ、永遠 に素朴 でき く新 しい人間の ことを求め、時 には幼 い 日に親 しん
しぎな光の 中 に活動す る彼
だ動物 のイメージを持 に登場 させ、 自分 の心 の 中を展開 させてゆ く。あの
`、
の動物は単なる観察 の対象ではな く、類 いない想像 力 によ る自然 と生 の象徴 で、彼をとりまいて きた動
物 たちの存在が 今 の彼を作 り上げて きたのだということをゼ ミナール を通 じて深 く理解す ることがで き
た。
(指 導教員
―
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中村
敦志 )
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