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世界都市マニラと〈新貧困層〉 途上国都市の貧困層研究の視座転換に
『日本都市社会学会年報』 日本都市社会学会 19号 2001年 107-121頁 世界都市マニラと〈新貧困層〉 ━途上国都市の貧困層研究の視座転換にむけて━ 第一節 新貧困層の視座 世界都市仮説 経済のグローバリゼーションは、途上国都市研究のキー・ワードとなった。その概念の 下、途上国都市研究の基本枠組の再考が議論されている。そして先進国と開発途上国、都 市と農村、フォーマル経済部門(フォーマル部門)とインフォーマル経済部門(インフォ ーマル部門)という二項図式の有効性が疑われている。 ウオーラースティンの世界システム論の視座を踏襲し[Wallerstein,I.,1977]、サッセンの労 働・資本の国際移動とアメリカの都市変容の研究と歩を一にして[Sassen,S.,1988]、フリード マンは世界都市仮説を示し、都市研究における視座転換の必要を説いた[Friedmann,J.: 198 6,訳,191-201頁](1)。世界都市とは、資本・商品・情報・人間の国際移動において、主導的 な位置(中心性)と機能を担う結節空間(媒介性)をなすような都市をいう。世界都市仮 .... 説は、現代の先進国及び途上国の中枢都市に生じた諸変容を統一的に把握するという意図 をもつ。その都市認識の視座は、三点に要約される。一つ、先進国及び途上国の中枢都市 の変容は、新国際分業(2)の機能の都市に現われた二つの現象である。中枢都市の形成過程 そのものがグローバル化した。二つ、世界都市は、世界経済に組み込まれる世界都市化の 過程でもある。諸都市は、その過程への参入の度合に応じて互いに序列化される。三つ、 新国際分業システムの下、「中心」先進国の中枢都市に新たな下層労働者という「周辺」 が生まれ、「周辺」(途上国)の中枢都市に新たな中間層(新富裕層)という「先進」が 生まれた。今や「中心」対「周辺」という二項図式の有効性は失せた(3)。 途上国首座都市 本稿は、フィリピン・マニラの底辺の階層変動を明らかにし、それを経済のグローバリゼ ーションの脈絡で解釈するものである。フリードマンによれば、マニラは半周辺国に位置 づく第二次都市ということになる[Friedmann,J.:1986,訳,193頁]。同時に、マニラはフィリ ピンの首座都市でもある。このことを念頭に、世界都市仮説にみる途上国の首座都市の特 徴を要約すると、三点に整理される。一つ、途上国の首座都市は、国際資本・情報の国外 /国内の媒介基地である。そこには、多国籍企業や金融センターの現地本社が集中する。 また途上国内の経済的機能が、そこへ一極集中する。二つ、首座都市に、一方で新たな経 営・管理・事務職種やサービス職種が生まれ、そのための労働市場が形成される。郊外地 域から都心部へ通勤する労働者も増加する(4)。他方で資本が郊外化し、郊外農家の労働力 が製造業の賃労働者として雇用され、首都圏の労働市場が拡大する。いずれの場合も、首 都圏で需要される労働力は、次第に農漁村の出稼ぎ労働者から、首座都市と郊外地域で供 給されるようになる[田坂,1989,p.14]。こうして途上国の首座都市は、工業化なき都市化 としての過剰都市化と貧困のインヴォリューション(involution)の段階から、都心部のサービ ス業化、郊外地域の工業化、都市労働市場の拡大、労働力の都市内再生産という、世界都 市化の段階に移行しつつある[伊豫谷,1993,p.157 & p.184](5)。 都市貧困層 途上国首座都市の労働市場の変容は、その底辺をなす都市貧困層(urban poor)の変容を含む。 これまで都市貧困層は、インフォーマル部門を担う労働階層とされてきた。今、その構図 が崩れつつある。まず、フォーマル部門を担う階層が分化する。その上層で、商工業の経 営職種を担う旧中間層(旧富裕層)に、新たな経営・管理職種やサービス職種を担う新中 間層(新富裕層)が加わる(6)。他方下層部分で、商工業の賃金労働者(低賃金で、実質は 旧貧困層)に加え、新たな経営・管理部門やサービス経済部門が生む(雑多な)下層職種 を担う労働階層(新貧困層)が現れる(7)。次に、インフォーマル部門を担う階層が分化す る。その上層で、零細経営が事業として成長し、経営層が富裕化する。その一部がフォー マル部門に「昇格」する。また、フォーマル部門から資本を携えてインフォーマル部門に 参入する者もいる。さらに、インフォーマル部門就労者の子弟の一部が、中高等教育を経 てフォーマル部門の賃労働者となる(8)。他方、インフォーマル部門の下層に、零細事業を 担う人々(旧貧困層)がいる。そこへ、新たな経営管理部門の最末端で、また新中間層に 個人サービスを供する「雑業」層(新貧困層)が加わる。 首座都市の実態分析でも、仮説としてさえも、このような労働市場の変容過程が明確にさ れてきたわけではない。フォーマル部門/インフォーマル部門(の上/下層)間の労働移 動及び労働力配分の実態も、定かでない。「旧」「新」の区分も、仮説的なものでしかな い(9)。にもかかわらず、このような労働市場の動態は首座都市の世界都市化の不可避の過 程としてある。ここで、三点が強調される。一つ、新たな経営・管理職種やサービス職種 の増加は、新中間層(新富裕層)のみならず、新たな都市貧困層(新貧困層)も生み出し た。二つ、労働・生活階層として見る時、階層動態の焦点は、フォーマル部門/インフォ ーマル部門の分化でなく、両部門に跨る(新・旧)富裕層/(新・旧)貧困層の分化、と くに新富裕層と新貧困層の分化に移りつつある。三つ、新貧困層の中心部分は、首座都市 で生まれた人々から成る。都市貧困層に占める農村出稼ぎ者の比重は低下しつつある。… 以上の過程を図示すると、図1のようになる。こうして、首座都市における都市貧困層の構 成と機能が変容し、貧困の意味も変容しつつある。農村出稼ぎの旧貧困層が今なお都市貧 困層の多数を占めようとも、首座都市出身の新貧困層の増加は避けられない。 ならばこれらの過程は、マニラの都市貧困層の場合どうだろうか。下層労働者の動態に、 どこまで新貧困層の出現を見ることができるだろうか。これが本稿の主題である(10)。もと より途上国都市の貧困層の研究で、<新貧困層>という視座や概念はいまだ登場していな い。本稿は、途上国の貧困層研究の視座転換を期し、新貧困層仮説の検証をめざす(11)。 第二節 マニラの労働人口 労働人口の動態 マニラ(首都圏)の人口は、一九九五年に九四五万余人で、フィリピン人口の一三・八% を占めた。マニラは、一九六〇年~七〇年代に全国から出稼ぎ人口を吸収して膨張した。 その後も人口増加を続けたが、増加率は漸減して今日に至っている。表1を見られたい。こ の人口増加の原因はどうだろうか。一九八五年~九〇年に地方からマニラへ流入した人口 は、四六万二五八六人であった[NSO,1997,pp.402]。反対に、マニラから流出した人口は三三 万五〇九八人であった。結果、純流入は一二七、四八八人、年平均で二万一二四八人であ った(12)。他方、この間のマニラ人口の自然増(誕生人口-死亡人口)は年平均一九万八五 三九人であった[NSO,1997, p.368]。したがって、増加人口に占める流入人口率は一〇・三% となる[二万一二四八÷(二万一二四八+一九万八五三九)×一〇〇]。すなわちこの時期すでに、 マニラの人口増加に占める地方からの流入人口は一割余にすぎなかった。 ちなみに一九八九年~九〇年に製造業で資本投資した企業数及び投資額でマニラが全国 に占める割合は、表2の通りである。企業数は漸減しているし、投資額も半減に近い。全国 におけるマニラの製造業は低下している。それは、地方都市で製造業が成長した結果であ る。このような産業活動の拡散(decentralization)に伴なう地方都市での就労機会の増加が、 マニラへの人口流入の歯止めの主因をなしてきたと思われる。他方マニラの労働力人口は、 毎年漸増している。表3を見られたい。先の議論からすると、この労働人口の増加の大部分 は、マニラの中で生じたことになる。すなわち、今やマニラの労働力補填の中心は、地方 からの出稼ぎ人口でなくマニラ内での再生産に依っている。 就労人口の動態 マニラの産業構造が、変容しつつある。まずマニラはインフラストラクチャが整備され、 集中的な工業化を果たしてきたが、一九八〇年代以降その歩調は落ちた。全国の工業生産 に占めるマニラの比重は、一九八〇年に四四・七%、九二年に三九・〇%で、それは先の 製造業投資額の減少に照応する[Balisacan,A.M.:1996,p.25]。これに対して、マニラのサービ ス業の比重は漸増してきた。全国のサービス業生産に占めるマニラの比重は、一九八〇年 に三六・七%、九二年に四一・三%であった。それは、マニラの産業別就労人口の動向に 照応する。一九八八年~九八年の産業部門別の就労人口比は、表4に見る通りである。マニ ラの就労人口に占める第二次産業部門の比重が減少している。しかしその比率は、それで も全国より高い水準を示している。これに対して、第三次産業部門の比重が増加している。 全国の就労人口比も増加したが、それでもマニラでははるかに高い比重を示している。就 労人口を見ても、マニラの第三次産業部門化(サービス経済化)が指摘される。就労人口 を産業別に見ると、表5のようになる。まず「金融保険」を除いて、全体に製造職及びサー ビス職、販売職の率が高い(「農林漁業」「電気ガス」は考察外、以下同じ)。いずれも、 低賃金や不安定就労等の問題を抱える現場を多く含む職種である。反対に事務職、専門技 術職、経営管理職の率が低い。それらは、高賃金や安定就労の階層である。もっともそれ らを合わせて二四・二%で、就労者のほぼ四人に一人がホワイト・カラーということでは ある。ホワイト・カラーは、サービス業では二九・三%つまり三人に一人に及ぶ。 マニラの就労人口を職業別に見ると、表6の通りである。一九九〇年代を通して製造職の 率が減り、サービス職及び販売職で増えている(事務職の率の減少は、製造職のそれに伴 なうと思われる)。しかしそれでも製造職の率は、全国平均に比べると高い。ここに、工 業化の高い水準を保ちながらサービス経済化するという、マニラの職業構造の二重の変容 過程を窺うことができる。次に、職種別の就労実態について見よう。表8を見られたい。ま ず職業別に所得の型を見ると、全体に「賃金給与」の率が高い。これには、企業規模から 零細事業に至る雇用者が含まれる。また「自己所得」が五人に一人に及ぶ。それは、零細 事業者が多いことを窺わせる。販売職で「自己所得」及び「未払家族」の率が高い。ここ も、零細な卸小売業者が多いことを窺わせる。経営管理職の「自己所得」の多くは企業者 とみられる。所得型を女性について見ると、表8の通りである。女性で、販売職に「自己所 得」が高い(経営管理職がこれに続く)。ここから、販売職(及び経営管理職)の中心が 零細な卸小売業であることが知れる。最後に、代表的職種につき、一九九五年時点で月額 の平均賃金を見ると、表9の通りである。賃金は、専門・事務・熟練工の一部で六〇〇〇~ 七〇〇〇ペソ台、サービス・半熟練工で四〇〇〇~五〇〇〇ペソ台、事務補助・サービス・ 未熟練工で三〇〇〇ペソ台となる。同年のマニラの公定最低賃金は一四五ペソ/日で、月 に二二日(土曜・日曜休み)働いたとして月額三一九〇ペソであった。この限りいずれの 職種も最低賃金を上回る額にある。しかし、同年のマニラの公定貧困線は月額六〇七四ペ ソ/人であった[MMHP,1996,p.12]。とすると事務職や熟練工でさえ、賃金は最低生活水準に 及ばないことになる(13)。 第三節 インフォーマル部門 近年の動向 途上国の都市貧困層の労働は、インフォーマル部門とともに語られてきた(14)。そのため、 インフォーマル部門をめぐる議論は多い。そこでの共通理解は、農村から流入する労働力 の都市での受皿としてインフォーマル部門があり、それは工業化なき都市化の結果である というものであった。その議論の初発が、ILO(国際労働機構)によるインフォーマル部門 の定義にあるといわれる。そこでインフォーマル部門は「物的・人的資源の制約や、技術 的制約にもかかわらず、その参入が雇用と収入を得ることを目的として、商品やサービス の生産・流通にたずさわる小規模な生産単位から構成される経済活動又は事業体」と定義 された[Sethuraman,S.V.,1980,p.17](15)。その後、この定義の不備を補うとしてインフォーマ ル部門概念がさまざまに定義され、部門内部の職種が分類され、都市経済における部門の 経済的機能や、部門と法・政治の関わり等をめぐって議論されてきた(16)。ここでは、それ らの議論に介入しない。ただインフォーマル部門とは、参入が容易で、法的規制を逃れた 零細な事業体及びその就労者という程度に捉えておく。 とはいえインフォーマル部門をめぐる最近の議論は、本稿の関心にとって重要である。そ れは、フォーマル部門が一九八〇年代以降に経済的危機に陥って雇用を縮小し、多くの人 が排出されてインフォーマル部門へスキッドした、今やインフォーマル部門は農村流入者 の受け皿からフォーマル部門を排出された人々のそれへ機能転化した、その上政府による インフォーマル部門のフォーマル化政策が重なり、フォーマル─インフォーマルの二分割 は揺らいでいるという指摘である[池野,1998a,p.14,][児玉谷,1998,p.101][池野, 1998b,pp.163172]。池野等の指摘はアフリカの諸都市の実態に基づくものであるとはいえ、その論調は、 マニラで(も)フォーマル─インフォーマルの分化より両部門に跨る(新・旧)富裕層/ (新・旧)貧困層の分化、とくに新富裕層/新貧困層の分化が重要になってきたという、 本稿の仮説に合致する。以下、その一つの論証を試みよう。 マニラの実態 屋内での見えない仕事が多い、移ろいやすい仕事が多い等のインフォーマル部門の性格上、 マニラでもインフォーマルな事業体と就労人口の実態をダイレクトに教える資料は少ない。 近年の資料として、国家統計局(NSO)が一九九五年にマニラのインフォーマル部門を調査し たものがある(Urban Informal Sector in Metro Manila)。ILOは、その概要を紹介しかつ自らの 事例調査をも入れて、 マニラのインフォーマル部門の全容を描いた[ILO, 1997]。その結果は、 次の通りであ[ILO,1997,Foreword & Chap.1]。 マニラのインフォーマル部門就労者は、一九九五年に五三万九〇〇〇人であった。内、事 業者(一〇人以下の従業員の事業体の経営者)は三五万一〇〇〇人であった。事業内容は 卸・小売業四七%(内、サリサリ・ストア三〇%)(17)、サービス業(洗濯・掃除・修理等) 一四%、製造(繊維・衣料・皮革が主)一一%、交通(運転・助手等)九%、建設(土工) 三%、農業三%、その他三%であった。卸小売業の比重は、先の表7の「販売」×「自己所 得」率の高さに照応する。事業者の八一%は、一人で働く規模である。女性の事業者は全 体の四九%を占める。これは、表8の女性の「販売」×「自己所得」率の高さに照応する。 インフォーマル部門の雇用者は一八万八〇〇〇人で、内、女性は四四%で、雇用者の三分 の二は非親族から成る。インフォーマルな事業体は増えている。一方で、マニラの労働人 口の増加率が人口増加率を上回る(四%台>三%台)。他方で、フォーマル部門の雇用創 出率が低減する(一九八八年の二八%から九三年の一三%へ)。この結果、インフォーマ ル部門への参入者が増えた。これは、先の表4・表5・表6に見た、マニラにおける就労構造 のサービス職種への傾向に照応する。また、マニラへの農村流入者は減っている。一九九 五年に、インフォーマル部門就労者で過去一〇年以内にマニラへ移住した人は、五%に止 まった。今やマニラの労働力は、(マニラ移住一〇年以上の者や移住二世・三世の)都市 住民から補填されている。 インフォーマル部門の事業体と就労者の増加にともない、部門内の階層分化が進んでいる。 中西は、職種への参入障壁と生産性を基準に、インフォーマル部門を低生産性部門と高生 産性部門に分類したが(中西:1991、130-137頁)、今その分化が進んでいる。一方で、少なく とも事業体の一〇%余は成長し、労働者に雇用と収入の安定を保証している。部門就労者 を世帯収入で見ると、月額五〇〇〇~一万ペソの者が三三%いる[ILO,1997, Foreword & Ch ap.1]。これは、貧困線をやや上回る階層である。さらに、一万ペソ以上の者が二三%いる。 これは、安定した生活階層である。中には、フォーマル部門からインフォーマル部門の「高 生産性部門」に流れる者も出ている(Yu,S.O.:1996,p.5)。この人々は、収入が貧困線を上回る 非貧困者である。他方一九八八年に、インフォーマル部門就労者の七〇%が貧困線以下の 収入であったが、それは九五年には三九%に減った。絶対的貧困者は、とくに女性世帯主 に多い。 以上の事実は、前掲のインフォーマル部門をめぐる議論に大筋合致する。 第四節 労働のインフォーマル化 マニラの労働市場が変容しつつある。マニラで、その変容は、労働のインフォーマル化と して議じられている。就労のインフォーマル化という場合、三つの意味が含まれる。一つ、 フォーマル部門の就労実態がインフォーマル部門に重なるという意味である。二つ、フォ ーマル部門に付随して新たなインフォーマル職種が現れるという意味である。三つ、既存 のインフォーマル職種が膨脹するという意味である。 フォーマル部門のインフォーマル化 まず、フォーマル部門のインフォーマル化である。それは一般に、就労のカジュアル化 (期間雇用化 casualization)及び契約化(contractualization)として要約される。市場開放と自 由競争の下、企業間競争が激化し、弱小企業が淘汰される。企業は人件費を切り詰め、製 品のコスト・ダウンによって競争をしのぐ。これが、雇用者の人員整理と就労のカジュア ル化を結果する。これに、人材派遣企業からの契約労働者の導入が加わる(18)。いずれも雇 用が不安定で、賃金は安く、労働条件は劣悪で、組合を持たず、雇主との団体交渉権がな い。フォーマルな企業に雇用されながら、その就労実態はインフォーマル部門と大差ない。 就労のカジュアル化や雇用の契約化は、元請─下請の重層構造をとる建設業や製造業から 始まった。その後、零細経営が多いサービス業や卸小売業へ広がり、今や産業全般に広が った。表10を見られたい。それは、産業別の契約労働者の率を示している。契約雇用率は 建設業で群を抜き、全産業で七・九%とある。建設工事が終る度に飯場が解体され、労働 者が解雇される建設業で契約雇用率が高いのは当然として、それでも建設業を含め、全産 業の契約率は実態よりかなり低い。そこには一〇人以下の零細企業が外されている、一九 九四年の集計でやや古い等の統計上の限界がある。非常雇労働者どころか常雇労働者でさ え、事業所の閉鎖や人員整理のため雇用が不安定化し、製造業等では常雇労働者は少数派 にまでなったという指摘もある[IBON,1999.11,ppp.5-6]。 一九九七年にマニラに四三一二の組合があり、組合員は二七六万八一一八人であった[DO LE,1997,p. 294]。一九九五年に比べれ、組合は七・二%増で、組合員は〇・九%増であった {DOLE,1995, p. 304]。組合は増えるが、組合員があまり増えないという傾向である。一九 九五年に労働争議の団体交渉で六四〇件が、九七年には二六三件が雇主との間で妥結した {DOLE,1997,p.302]。妥結件数が激減した。他方一九九五年に六〇七件、九七年に五九一件 のストライキ宣言が出された{DOLE, 1995,p.320][DOLE,1997,p.311]。ここから、交渉妥結の 激減は組合の交渉力が弱化したからだと知れる。一九九七年のストライキ宣言に一五万八 一二七人の労働者が参加し、五三件の争議がストライキに突入し、これに三万六九六四人 が参加した{DOLE,1997,pp.311&315](19)。ストライキの突入率は九・〇%、組合員の参加率 は23.4%である。ストライキの突入率及び参加率が低い。それは、雇主側の「産業の平和」 (industrial peace)の名によるストライキ弾圧やロックアウト攻勢が激しかったことだけでな く、常雇労働者がどんどん非常雇労働者に代替される中で、雇用不安に陥った常雇労働者 の争議への逡巡が影響していると思われる{IBON,1999.11,p.8](20)。 フォーマル部門の新インフォーマル職種 次に、フォーマル部門に付随する新たなインフォーマル職種の膨張である。マニラの建設 業にとって、一九九〇年代は停滞期であった。しかしそれでもビル・ホテル・住宅の建設 や、高架鉄道LRT(Light Railroad Transit)・高速道路等のインフラの建設と、建設工事は多い。 マニラで一九九六年に一〇四件の大規模工事(大部分が交通インフラ建設)があり、一八 〇億ペソが投資された(内、七八・九%が外国資本)。一九九七年に全国の建設事業投資 の四割がマニラに集中し、その八五・二%がマカティに集中した。二〇〇〇年までにマカ ティ(Makati)で三三、オルティガス(Ortigas)で二九の高層ビル建設が見込まれた(Belgosa,B. D.:1997,p.57)。マカティからオルティガスを経てクバオを繋ぐエドサ通りに、高層ビル群が 現れた。この活発な建設工事は、マニラの国際・国内の経済活動が高度化していることを 示す。建設工事の発注者の中心をなすのが、消費産業と情報産業である。これらの産業の 隆盛の中で、今、二つの新たなインフォーマル職種群が生まれつつある。 一つ、マニラ市内の随所に、レストランやコンビニエンス・ストア、モール、ブランド品 専門店が増えた。これらに、フィリピン企業の成長とともに、外国企業(とくにアメリカ) の投資が目立つ。消費産業の雇用創出は大きい。しかし雇用の多くは、常雇でなく期間雇 用である。また賃金は安く、労働時間は不規則で長い。一例として、次のような話がある。 一九九九年一一月、大手スーパー・マーケットShoemartの常雇労働者が賃上げのストライキ を打ち、会社に平均賃金二七三ペソ/日に六五ペソを上積みさせ、勝利の内に終結した。 しかし、同じ仕事をしながら企業との交渉権がない契約労働者や研修生の賃金は、最低賃 金以下の平均一八九ペソ/日に据え置かれた[KMU,1999.11-12]。消費産業の期間雇用自体は、 最近の現象ではない。しかし、新中間層の人々を顧客とする消費産業の成長と期間雇用の 急増は、明らかに一九九〇年代以降の現象である。 二つ、情報産業の隆盛に伴ない、コンピューター関連職種の需要が増えた。そのため、プ ログラマーを養成するコンピューター大学や専門学校、職業訓練校が増え、それらはすで に四〇〇校に上るといわれる(21)。若者の間に、コンピューター・ブームが広がっている。 とはいえ、プログラミング技術を使える仕事に就労できる若者は(まだ)少ない。幸運に 就労できた場合でも、期間雇用で賃金や労働条件は劣悪である。この点、消費産業の場合 と変わらない(22)。…これらの労働者は、フォーマル職種がインフォーマル化したというよ り、初めからインフォーマル待遇で雇用された人々である。 インフォーマル部門の膨張 最後に、既存のインフォーマル部門の膨張である。マニラのインフォーマル部門の就労者 の増加については、先に見た。サービス経済化に伴い、対事業・対個人サービスの職が増 加する。その中心は、新津のいう「フォーマル部門直接依存部門」の職種群である[新津,19 89,53-57頁]。そこにはまず、企業に雇用されるインフォーマル職種であるサービス職種(清 掃、警備、門衛、運転手等)が含まれる。次に、フォーマル部門に就労する新中間層の人々 に対する個人サービス職種(家事・育児・庭師・美容師等)が含まれる(23)。表7で「賃金 給与」を得る「サービス職種」や表9の「サービス職」の多くに、これら対企業・対個人サ ービス職種の人々が含まれる。 一九八〇年代後半から九〇年代にかけて製造業の就労者が減り、その分卸小売業の就労者 が増えた。ここに地方からの参入者が少ないことも、先に見た。サービス経済化に伴ない、 インフォーマル部門は内部分化し、その上層部分が増大した。そこへ、フォーマル部門か ら人々が資本を携えて参入した。他方下層の人々は、インフォーマル部門の伝統的職種に 滞留する。これに、フォーマル部門下層の不安定就労層が接する。こうして、インフォー マル部門の中で上層―下層、伝統的職種―新規職種の分化が進んだ。インフォーマル部門 上層は、大きい収入創出力をもつビジネスとしての性格を強める。他方下層は、相対的過 剰人口のプールとして、生存維持的な性格を持続する。同時に、フォーマル部門とインフ ォーマル部門は繋がった。都市貧困層はインフォーマル部門に、労働者や中間層はフォー マル部門に就労するという二重市場論は、もはや妥当しない。 第五節 新貧困層の形成 新貧困層 限られた資料に依りながら、一九九〇年代マニラの下層就労構造を見てきた。フォーマル 部門を含めて就労のインフォーマル化が進んでいること、インフォーマル部門内で分化し つつあることが指摘された。これを新・旧の階層分化というコンテキストで解釈すると、 次のようになる(新・旧区分の仮説性は先述の通りである)。まず、フォーマル部門の就 労者について。サービス経済化に伴ない、新たな職種に就労する人々が増えている。その 一部は、新中間層として富裕化しつつある。他の部分は、不安定な雇用、劣悪な賃金・労 働条件の下で貧窮状態にある。この人々が新貧困層である。また旧中間層の人々の一部は、 経営を破綻させてインフォーマル部門に「下降」しつつある。次に、インフォーマル部門 の就労者について。サービス経済化に伴ない、インフォーマル部門内が分化し、一部がビ ジネスとして成長し、これにフォーマル部門からの参入者が加わる。この人々は富裕とま でいえなくとも、貧困を脱出した人々である。他方、新たなインフォーマル職種が生まれ た。これに就労する人々が新貧困層である。さらに、従来のインフォーマル職種もまた膨 張している。旧貧困層の人々の増加である。 こうして全体に、就労のインフォーマル化が進み、新貧困層が形成されつつある。新貧困 層の形成は、経済のグローバリゼーションの下、マニラ経済の国際・国内的位置の変動の 必然的な結果である。経済成長とともに貧困が解消するのでなく、新たな貧困が生み出さ れるという冒頭の仮説は、一部なりとも論証されたといえよう。マニラの都市貧困層の全 体は、なお停滞的な絶対的窮乏層であるかもしれない。しかし今、貧困層の意味・脈絡は 変容しつつある。都市貧困層も分解と再編の途にある。過剰都市化論と都市インヴォリュ ーション論の都市貧困層論からグローバリゼーション論の都市貧困層勞論へ、視座の転換 が迫られている。 マニラ 今、途上国都市の研究において新中間層・新富裕層の形成が指摘されている。ならば同様 に、新貧困層の形成も指摘できるはずである。それは、途上国都市に先進国型の貧困層が 生まれているということである。世界が先進国による途上国の収奪という枠組にありなが ら、両者の単純な対抗関係は崩れて複雑化した。先進国の中に「後発」が、途上国の中に 「先進」が生まれている(24)。これが、グローバリゼーション論の基本認識である(25)。で は、この過程のマニラに見る特徴は何だろうか。本稿は国際比較が直接の目的でないため、 この点についてとくに固執しなかった。国際比較を以てマニラの特徴を抽出することは、 次の論考に属する。ただ最後に、マニラの特徴について二点補っておく。 一つ、フィリピンの政治権力の基盤は脆く、そのため世界銀行や多国籍企業に抗して強力 な保護的経済政策を採る余地が少ないということである。政府は、資本・商品の自由化・ 規制緩和、そのための構造調整、公営企業の私有化等を進める新自由主義による経済成長 をめざす(26)。その結果、経済のグローバリゼーションに組み込まれる過程は早く、したが ってマニラの産業構造と労働市場の再編は大きかろうということである(27)。その分、新貧 困層が形成される度合が高くなる。「貧者の味方」エストラダ大統領の人気が二〇〇〇年 に入って低落している。その最大の理由は、貧困層の救済に繋がる経済政策が貧弱とされ る点にある(28)。二つ、フィリピンでは工業基盤の形成が弱く、近代的な労働者階級の形成 が未熟である。その中でサービス経済化が進んでいる。その結果、カジュアルな雇用や最 低賃金にさえ及ばない雇用が増える、ということである。労働者に最低賃金さえ払ってい ない企業が、マニラで二〇・八%に及ぶという指摘もある{IBON, 1999.11,p.10]。ここでも その分、新貧困層が形成される度合が高くなる。…これらの推論の根拠と論証は、本稿の 課題を超える。国際比較を含めたマニラ研究の一層の展開を要する。 注 (1)世界都市論の研究レビューは、次の論文に詳しい[Friedmann,J.:1995,訳,pp.23-47] [Hall,T.D.:1996,pp.440-454]。 (2)新国際分業とは、世界的規模での潜在的労働力のプールの形成、生産過程の単位工程 への分割、生産の立地と管理の地理的制約の消失等の条件が成熟し、企業内・間の国際 的分業と単一の世界労働市場が成立するに至った状態を指す[Fröbel,F.:1980,pp.34- 36]。 (3)世界都市論の問題点も指摘されている。要するにそれは、世界都市論は経済のグロー バリゼーションという流通主義的な視点に立っているため、一国内の独自の資本と賃労 働の矛盾的な生産構造や、国家や都市の歴史的背景が軽視されているという批判である。 [松岡:1992,pp.8-9]を見られたい。 (4)マニラで激しくなる一方の交通渋滞は、首座都市への経済機能の一極集中と、首都圏 の拡大に追いつかない交通インフラの未整備の現れである。 (5)ウォーラースティンやフリードマン等の所説は、一九七〇~八〇年代の都市の現実に 基づいているため、過剰都市化論や都市インヴォリューション論に依っている。 (6)中間層の定義は一様でない。高山は中間層を、①平均以上の所得を得ており、②職業 は中小企業経営者、大企業管理職、医師、会計士等の専門職及び公務員で、③中高等教 育を受け、④郊外・都心近くのコンドミニアムやアパートに住み、都市的ライフスタイ ルをもち、⑤貯蓄や資産を投資活動に振り向ける層と定義した[高山,2000,p.80]。 (7)新「貧困」層は新「富裕」層概念と同様、労働階層概念というより生活水準を示す概 念である。本稿はその点を留意しつつ、それらを新たな労働下層や新中間層に照応する 概念として援用する。労働階層と生活の関係については言及しない。 (8)松園はバンコクを事例に、スラムに生まれた移住者二世が中等教育を受け、フォーマ ル部門に雇用され、賃労働者になっていく過程を指摘した(松園:1998,pp.201-202)。 (9)中間層及び貧困層の旧・新の区分は、グローバリゼーションを介して形成された階層 部分であるか否かにある。しかしいまだ、明確な時期区分とてできない仮説に止まる。 本稿では、旧・新の区分を以てひとえに貧困研究の視座転換の必要を強調する。 (10)新貧困層の視座は、途上国都市がどれほど産業発展しようとインフォーマル職種や貧 困層が消失することはないという予測に発している。この点でも、過剰都市化論や近代 化論の予測と相容れない。それは、サッセンが分析したアメリカ諸都市の下層労働や、 日本の日雇労働者やホームレスの形成をみても明らかである。問題は、途上国都市にお ける貧困の意味変容である。その解釈は、世界都市仮説を以てはじめて可能となる。 (11)データはこの一〇年にマニラで断続的に収集した行政・民間の二次資料、官吏・NGO 職員・労働運動家・労働者への聞き取りから成る。 (12)同時期の人口の純流入率は二・一二%であった(純流入人口÷一九八〇年の五歳以上 人口×一〇〇)[NSO,1997,p.402]。 (13)ただし労働者は、賃金の他に手当・ボーナス・現物等を受け取る。一九九五年の マ ニラ労働者の実質手取りの平均額は六五七五ペソであった[DOLE,1997,p.139]。それは、 賃金の三三%増となる。しかしそれでも、貧困線をやや上回る水準にすぎない。 (14)インフォーマル部門は都市貧困層の労働過程に、スクオッターは生活過程に照応する 問題群として論じられてきた。 (15)翻訳は次のものによる。[新津,1989, 51頁] (16)インフォーマル部門をめぐる最近の議論の一つとして、次のものがある。[池野・武 内,1998] (17)サリサリ・ストア(sari-sari store)は、雑貨や食品等を売る小さな万屋(売店)をいう。 多くは、主婦の自宅での家計補助の副業としてある。 (18)人件費の削減には、一つの仕事に二人以上の労働者を宛がう、時間給や出来高払いに する、一定量の仕事を請負わせる等の方法がある[Nera-Lauron,1999,p.57]。 (19)雇用労働省(DOLE)に報告される労働争議は、実際の争議の一部でしかない。また報 告の大半は、零細企業での争議が占める[IBON,1999.11p.5]。 (20)重建築の鉄筋組立て会社ECCO-ASAIAで争議が起こり、二〇〇〇年五月に会社と組 合が妥結したが、その合意内容に、すでに二年から一二年働いている一六〇人の契約労 働者を常雇にするという条件があった。常雇労働者も実質契約雇用扱いで、その平均賃 金は一九一ペソ/日であったが、これは公式最低賃金を下回った[KMU,2000.6.8]。 (21)英語を話すフィリピン人に、インターネットは好都合である。しかし、コンピュータ ーの所持率は1%未満といわれる。若者は、大学のコンピューターや街角のインターネ ット・カフェで使用料を払ってコンピューターを打つ。二〇〇〇年五月、I LOVE YOU というウイルスが世界を騒がせたが、その送信元がマニラにあるとして若者が逮捕され た[朝日,2000.5.22]。筆者のスクオッター観察でも、若者で、授業料の高い大学に行く よりも専門学校に通ってプログラマーをめざす者が増えた。 (22)スクオッターで、若者がプログラミング技術を習得して就職したという話を聞かない。 タクシーに乗り運転手と仲良くなり、息子(娘)があなたにEメールを送るからよろし くと言われて別れても、後日メールが来たことはない。しかしインターネットは、マニ ラの人々のステータス・シンボルの一つになりつつある。 (23)マニラの六〇~七〇%の人々がサリサリ・ストアや屋台等を利用するという指摘もあ る[Nera-Lauron,1999,p.69]。この中には当然、新中間層の人々も含まれる。 (24)サッセンは、(アメリカを極とする)国際的な資本と労働の移動を分析して、この過 程を明らかにした[Sassen, 1988]。 (25)チョスドフスキーは、経済のグローバリゼーションが先進国による途上国の収奪の強 化を生み、途上国の従属性を強めるとした。「いったん(世界銀行が要求する─引用者) 構造調整を受け入れると自立経済への道が塞がれ、国際債権団の監視のもと、多国籍企 業による自国市場・産業・企業の収奪が際限なく繰り返され、世界的規模で見るならば、 一部の富裕者・国と圧倒的多数の貧者・国へと二極分解していく。」[Chossudovsky,M., 1999, 訳3頁]。この見方は筆者の認識と矛盾するどころか、その前提である。 (26)エストラダ政権の政策指針は、一九九九年~二〇〇四年を達成目標にした「フィリピ ン中期開発計画」(Medium Term Philippine Development Plan)に集約される。 (27)貿易自由化によって、靴・衣料等の軽工業が壊滅状態に陥り、他方エレクトロニクス や自動車部品組立て等の工業(いずれも外国資本)が興隆した[Ofreneo,R.E.,1995,p.21]。 (28)社会情勢研究所(Social Weather Station)の世論調査によれば、大統領を支持する人は、 一九九九年六月の七八%をピークに、二〇〇〇年三月には四三%まで低落した[朝日新 聞, 2000.627]。大統領の不人気は上層・中間層にも広がっている[PDI, 2000.1.17]。 参照文献 朝日新聞(大阪版)[二〇〇〇・五・二二]「いびつ 比のネット社会」 朝日新聞(大阪版)[二〇〇〇・六・二七]「エストラダ大統領就任二年」 池野旬[一九九八a]「序論」池野・武内[一九九八]所収 三~一七頁 池野旬[一九九八b]「タンザニアの農村インフォーマル・セクター─国民経済の新たな担 い手を求めて」池野・武内[一九九八]所収 一四五~一七六頁 池野旬・武内新一[一九九八]『アフリカのインフォーマル・セクター再考』アジア経済研 究所 伊豫谷登士翁[一九九三]『変貌する世界都市―世界と人のグローバリゼーション』有斐閣 児玉谷史朗[一九九八]「ザンビアにおける経済危機と都市インフォーマル・セクター」池 野・武内[一九九八]所収 一〇一~一四三頁 高山正樹[二〇〇〇]「都市経済構造と中間層の成長」生田真人・松澤俊雄編『アジアの大 都市(三)クアラルンプル/シンガポール』第三章 田坂敏雄[一九八九]『東南アジアの開発と労働者形成』勁草書房 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