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イザヤ書研究 - TAP Bibles

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イザヤ書研究 - TAP Bibles
Research in Isaiah
イザヤ書研究
ジョン・R・ハイムズ著
By John R. Himes, MA
第1課
イザヤ書の著者の概覧
初めに 旧約聖書の書には、創世記を除いてイザヤ書はもっともよく攻めら
れている。また、もっとも大きな攻撃はイザヤ書の著者に対してである。した
がって、イザヤ書の紹介はとても重要である。
I
イザヤ書の人間的な著者
A イザヤの生まれ
1 名前の意味は、「エホバの救い」である。
2 「アモツの子」(1:1)ユダヤ教の伝説によると、アモツは
アマツヤ王(2列王記12章∼15章)の兄弟であった。本当で
あれば、イザヤはウジヤ王のいとこであった。
3 エルサレムに住んでいだ。
B イザヤの家族
1 妻も預言者(8:3)
2 息子は二人いた。イザヤは二人ともに預言に関する名を与えた。
a ジェアル・ヤシュブ(7:3)――「残った者が帰る」とい
う意味である。
b マヘル・シャラル・バシュ・バズ(8:3)――「戦利品に
急ぎ、えじきに早く行く」という意味。アッシリヤの攻撃を
示していたであろう。
C イザヤの奉仕
1 イザヤは「ウジヤ王が死んだ年に」(6:1)――預言者として
召された。紀元前740年か739年ごろと思われている。
2 アッシリヤのセナケリブ王のエルサレムに対する攻撃は紀元前
701年であった。当時、イザヤがまだ生きていたので(36章)、
イザヤは40年間以上預言したと言える。
3 ある学者によると、イザヤは50年間以上預言した。
4 イザヤは「メシヤの預言者」と呼ばれている。
5 イザヤはイザヤ書の他にも、書を書いた。
a ウジヤ王の伝記(2歴代誌26:22)
-1-
D
II
b 「ユダとイスラエルの王たちの書」(2歴代誌32:32)
c イザヤ書だけは今まで残っている。
6 イザヤの預言はユダに受け入れられないことを最初から知ってい
たのに、(6:9∼13)、彼は忠実に終わりまで預言した。
イザヤの死
1 のこぎり
タルムード(ユダヤ教の伝説書)によると、イザヤはマナセ王に
鋸 で殺された。
2 これはヘブル書11:37の示すことかも知れない。
高等批評のイザヤ書の著者に対する攻撃
A 高等批評によると、イザヤはイザヤ書の1∼39章だけ書いた。40
∼66章は150年後の「デェテロ・イザヤ」(第2イザヤ)に書か
れたそうである。なぜなら――
1 聖書の霊感を信じない学者によると、イザヤ書の預言はあまりに
も詳しく書かれたので、歴史として書かれたであろう。特に、
クロス(44:28、45:1)についての預言を見てください。
2 イザヤ書の前半と後半の表現方が違う。
3 前半と後半の神学も違う。
B 現代の自由主義学者は第2イザヤの存在を証明することができないの
で、編集者を想像した。
C 私たちの返事――イザヤ書の全部はイザヤに書かれた証拠
1 イザヤ書1:1にはっきりと書いてある。
2 18世紀まで、誰も疑問しなかった。
3 第2イザヤは歴史にも伝説にも残っていない。
4 新約聖書はイザヤの著者を証明する。(特にヨハネ12:38∼
41)
5 前半と後半の相違は、ユダの状態もイザヤ自身も変わったからで
ある。
6 死海写本(紀元前2世紀ごろ)は分かれていない。
-2-
第2課
イザヤ書の概覧
I
当時の歴史
A イザヤはユダ(南の王国)の四人の王に預言した。(1:1)
1 ウジヤ(紀元前791∼740年)――良い王であった。
2 ヨタム(紀元前750∼736年)――良い王であった。
3 アハズ(紀元前736∼716年)――悪い王であった。
4 ヒザキヤ(紀元前716∼687年)――良い王であった。
5 マナセ(紀元前696∼642年)――悪い王であった。
B ミカ(紀元前740∼760)年ごろ)――もイザヤと同じごろ
エルサレムで預言していた。
C 当時、イスラエル(北の王国)で預言していた預言者。
1 アモスは、紀元前765∼750年ごろ預言した。
2 ホセアは、紀元前755∼715ごろ預言した。
D イザヤの死までに、イスラエルもサマリヤもアッシリヤに征服された。
また、ユダも何回もアッシリヤの攻撃を受けた。したがって、当時に
アッシリヤの恐れはすごいであったに違いない。
E ユダの状態は偶像崇拝などで、ますます悪くなっていた。
II
イザヤ書の写本
A 死海写本が見つかったときまで持っていた写本は、「マソライト写本」
と言われている。なぜなら、「マソライト」というユダヤ人の学者た
ちは非常に丁寧にヘブル語の旧約聖書を守って作った写本である。
B イザヤ書のもっとも古い写本は死海写本(紀元前2世紀ごろ)である。
C 死海写本はマソライト写本にとても詳しく賛成するので、現代のイザ
ヤ書は原文にとても忠実であると言える。
III イザヤ書の特色
A イザヤ書のテーマ――信仰による救い。
B キリストについての預言が多い。旧約聖書の中に、詩篇だけがイザヤ
書よりキリストについての預言が多い。
-3-
C イザヤ書はとてもよく新約聖書の著者に使われた。
D イザヤ書の最も有名な箇所で、もっともすばらしいのは52:13∼
53章に違いない。
IV
イザヤの表現方
A 美しさと力でいっぱいな書である。
1 イザヤはたびたび詩で預言した。
2 イザヤ書には、象徴的な箇所が多い。
3 イザヤ書に譬え話もある。(2:7、5:1∼7、23∼29)
B イザヤ書は1回で書かれたわけではない。いろいろな預言やメッセー
ジが含まれている。書くことは長くかかった。
C イザヤ書の単語は、他の預言書より数が多い。
V
イザヤ書のまだ成就されていない預言的なテーマ
A 主の日:イザヤ書に「その日」という表現はよく出る。(2:10∼
22など)
B 回復されたイスラエルの祝福(2:4∼16など)
C パレスチナに帰国したイスラエル(11:11∼12など)
D パレスチナ地方の回復(35:1∼10など)
E 地球の都になるエルサレム(2:3など)
F 生き残ったイスラエル人の上に祝福(12章など)
G 国々(異邦人)の上に祝福(2:1∼4など)
H 永遠の祝福(65:17など)
-4-
イザヤ書研究のアウトライン
預言の当時に関する祝福と罰の預言
1章∼35章
I
ユダとエルサレムに関する預言(1章∼12章)
A 書の紹介――イザヤの最初のメッセージ(1章)
1 イザヤの自己紹介(1節)
2 神の民の反逆(2∼4節)4節によると、神の国民の反逆は、
a. 心の反逆――「主を捨て…」
b. 言葉の反逆――「イスラエルの聖なる方を侮り…」
c. 行いの反逆――「背を向けて離れ去った。」
3 反逆の結果――霊的な病気と神の裁き(5∼8節)――特に、
この呪いを他の呪いに比べてください。(レビ26:16,21,
31∼32など;申命28:29)
4 残った信者(9節)――救われる人の人数が少ない。パウロは
この節で信仰によって受けた義を説明した(ローマ9:29)
5 外面的な宗教に対する御言葉(10∼15節)――正しい宗教は
正しい心と正しい行いに基づいている。(ヤコブ1:26∼27)
この箇所は日本の宗教(仏教と神道)にぴったりではないか。
6 悔い改め方(16∼20節)――救われる前に、考え方を変える
必要がある。そうしてから、主のあがないによって罪の赦しを受
け入れることができる。(特に18節ご覧ください。)
7 罪深い状態と神の裁き(21∼24節)――イスラエルやエルサ
レムは良く旧約聖書に、神の妻と例えられている。また、21節
にあるように、迷ったイスラエルは良く遊女に例えられている。
8 復興のご計画(25∼26節)
a. この「かなかす」と「浮きかす」(25節)とは、罪のことで
はなく、救われていない人の意味をする。(マタイ13:
24∼30,24:40∼42,25:31∼33)
b. 26節の預言の成就には、色々な解釈がある。
①士師時代の復興
-5-
B
②バビロン捕らわれから帰国した人々。
③王国の復興
④メシヤの来られること。正しい解釈は何であろうか。成就
される時は、キリストの再臨の時であろう。この「さば
きつかさたち」と「議官」とは、キリストの12弟子で
あろう。(マタイ19:28)
9 罪人の恥(27∼31節)
a. 誰の「公正」と「正義」(27節)であろうか。可能性のある
解釈は――
①「神の行いの」
②「国民の」
③「26節のさばきつかさたちと議官の」
④「神の」 正しい解釈は何であろうか。この公正と正義は、
イエス・キリストのに違いない。同じように、28節の
そむく者と罪人とを裁く方も、イエス・キリストである。
(黙示録19:11∼21)
b. 29節の「樫の木」と「園」とは、偶像崇拝に関係があった。
①申命記16:21∼22
②この節のヘブル語の単語も、偶像崇拝のために用いられた
単語である。
③日本の偶像崇拝のように、イスラエルの偶像崇拝も園で
行われた。
イザヤの第2メッセージ:清めを通して千年王国の祝福(2章∼4章)
1 王国の都になるエルサレム(2:1∼5)
a. 2∼5節はミカ4:1∼3と同じである。三つの解釈がある。
①イザヤはミカから捕った。
②イザヤもミカも他の預言者(たとえばヨエル)から引用し
た。
③イザヤもミカも神に教えられた。
b. 2節の「終わりの日」とは、いつであろうか。これは広い意味
を持って、使徒2章の五旬節の日のリバイバルより、千年
王国までのことである。(使徒2:16∼17,ヘブル1:
1∼2,1ヨハネ2:18)
c. 従って、ある箇所を使って(例えば1テモテ4:1∼2,2
テモテ3:12,2ペテロ3:3など)「終わりの日が来た
-6-
C
よ」というメッセージは、間違った解釈である。
d. 4節の預言は神の力しか成就される可能性がない。
2 主の日(2:6∼22)
a. これは大いなる苦難、栄光の再臨、国々の裁判(マタイ25:
31∼46)を預言している。
b. ピリピ2:5∼11
3 ユダの罪と主の日(3:1∼4:1)
a. 1節が文字通り成就された時:ネブカデネザルの攻撃とローマ
帝国のテトス将軍の攻撃(紀元70年)
b. イザヤの預言通りより現代まで、イスラエルは弱い国民である。
①例えば、第2次世界戦争の時に死んだユダヤ人は、ほとん
ど文句せずにナチ党に殺されたそうである。
②例外もある――紀元前2世紀のマッカビー族、第2次世界
戦争のワルソー・ゲットー反乱(1943年の4月、6
万人のユダヤ人はドイツ軍と戦った。ほとんど皆死ん
だ。)、現代イスラエルなど
c. 女性にもプライドがある。(16∼24節)神は外面的な美し
さだけのある女を裁く。(箴言11:22,1ペテロ3:1
∼6)
d. 主の裁き(3:24∼4:1)
4 あがなわれた生き残った者のための栄光(4:2∼6)
a. 生き残った者は「主の若枝」を受け入れる。(2節)
①キリストの預言である。)彼がダビデの子孫であるという
意味である。(エレミヤ23:5,33:15,ゼカリ
ヤ3:8,6:12,マタイ24:32∼34もご覧く
ださい。旧約聖書の箇所は全部同じヘブル語である。)
これはいい説教になりそう!
②「地の実」もキリストの名の1つであろう。(イザヤ27
:6,ヨハネ12:24)
b. 清められて、悔い改めた生き残った者。(3∼4節)「さばきの
霊と焼き尽くす霊」とは、聖霊のことに違いない。
c. 守られた生き残った者(5∼6節)――文字通りに解釈しよう。
(出エジプト13:21∼22)
イザヤの第3メッセージ――イスラエルの罪の罰(5章)
1 たとえ話で教えられた(1∼7節)
-7-
D
a. 神の愛は、良い畑を与えたこととその畑の世話を通して示され
た。(1∼2)
b. 「酸いぶどう」、ユダの罪(3∼4節)――黙示録3:15∼
16に比べよう。
c. ぶどう畑に対する裁き(5∼6節)
d. たとえ話の解釈(7節;ローマ11:1∼26,マタイ21:
33∼41もご覧ください。)
2 罪のリスト(8∼23節)
a. 欲望(8∼10節)
b. 飲酒――アルコールを飲むことなら、いつも罪である。その
結果はいつも不従順である。
①聖書の中に、「ぶどう酒」という言葉は時々グレープ・
ジュースの意味を持つ。ヘブル語の単語もギリシャ語の
単語も同じく二つの意味を持つ――ただのグレープ・ジ
ュースと、アルコールが入っているワイン。どの意味で
あるかと言うことは、前後関係を読まないと分からない
かも知れない。
②聖書の中に、はっきりとアルコールの意味である時は、い
つも飲酒が禁じられている。
③キリストの最初の奇跡(ヨハネ2:1∼11)はよく議論
されているが、はっきりとグレープ・ジュースである。
アルコールのワインを作るために、グレープ・ジュース
が腐らなければならない。キリストは決して腐った者を
作られたことがない。
c. 神を知らないこと、その罪と裁き(13∼17節)
d. 嘘つき(18∼20節)
e. 知識の高慢(21節)――愛なき知識はいつも危ない。(1コ
リント8:1)
f. 政治の罪(23節)
3 捕らわれ人になる預言(24∼30節)
a. 神の民が御言葉を断った罪の罰(24節)
b. 神の怒り(25節)
c. 強い敵軍が来る。(26∼30節)
預言者の召命と任務(6章)――ウジヤ王は紀元前758年に死んだ。
1 神の栄光(1∼4節)
-8-
2
3
a. ウジヤ王のこと(2歴代誌26章)
①16歳で王になった。色々なことで成功した。(2歴代誌
26:1∼15)戦争の天才であった。
②しかし、強くなったら、プライドになり、罪を犯した。
(5節、16∼21節)
b. 天国にも宮がある。(1節、ヘブル8:1∼5,黙示録7:
15,11:1∼2&19,14:15∼17,15:5∼
8)でも、新しいエルサレムにない。(黙示録21:22)
c. 御使いには、色々な種類がある。セラフィム(2∼7節)は
1つだけである。他には――御使いのかしら(ユダ9)、戦
う御使い(イザヤ37:36)、見守る御使い(マタイ18
:10)、ケルビム(創世記3:24,1列王記6章、エゼ
キエル10章など)
d. 「聖なる、聖なる、聖なる…。」(3節)三位一体であろう。
預言者の罪と清め(5∼7節)
a. 聖なる主を見たイザヤは怖がった。人間は、罪深いままで神を
見れば、死ぬ。(出エジプト33:20)
b. しかし、イザヤは清められて、生きていた。これは、救いで
あったかどうかは不明である。
預言者の召命(8節)
a. 召命には、二つの種類がある――場所に関する召命と奉仕に関
する召命。奉仕の召命のために、神は色々な召し方を使われ
る。
①人間の意志を通して(イザヤ6:8)
②強いて、聖霊の力を通して(エゼキエル2章)
③誕生よりの準備を通して(エレミヤ1:4∼10)
④幻を通して(アモス1:1)現代、使われていない。
⑤御言葉を通して(ヨナ1:1∼2)
⑥奇跡を通して(出エジプト3:1∼10)
⑦手を置くことを通して(申命記34:9)
⑧人間の言葉を通して(1列王記19:15∼21,マタイ
4:18∼21,9:9)
b. いずれも神の主権による。しかし、私たちは神が働き人を召さ
れるように、祈るべきである。(マタイ9:37∼38)
c. これはイザヤの最初の召命であったか。はい。
-9-
E
①1∼5章の内容はこの任務と同じ
②罪は赦されたばかり
4 イザヤの任務(9∼13節)
a. メッセージの内容――赦しのない罪(9∼10節)
①赦しのない罪とは、聖霊の名を汚したり、彼の愛を断った
りすることである。(マタイ12:24∼33)
②クリスチャンは赦しのない罪を犯すことができない(ヨハ
ネ5:24,コロサイ2:13)しかし、信者は死に
至る罪を犯すことができる。(1ヨハネ5:16,使徒
5:1∼11)
③赦しのない罪を犯した者は、自分の心をかたくなにする。
④であるから、神もその者の心をかたくなにされる。(イザ
ヤ6:9∼10,ローマ1:28,出エジプト8:15,
9:6∼12)
⑤救われたい人はまだこの罪を犯していない。(黙示録21
:6)
b. 任務の期間は、神の裁きまで(11∼13節)――昔の伝説に
よると、ちょうどイザヤがこの幻を見たころ、ロミュラスと
いう人が生まれた。彼はローマ市の創設者であった。そして、
そのローマ市が生んだ帝国はその預言を成就させた。
インマヌエルの預言(7章)
1 歴史的な背景(1∼2節、2列王16:5)――レツィンとペカ
は、紀元前736年に、アッシリヤに反対するためにユダの協力
を頼んだ。しかし、アハズはそれを断って、アッシリヤの仲間に
なった。その理由でイスラエルとシリヤ(アラム)は735年に
ユダに責めてきた。
2 アハズに対して励みの預言(3∼9節)――アハズは神にだけ
頼るべきであった。もう、戦争で負けているのに、心配は要らな
かった。
a. 8節は文字通りに成就された。エフライム(北王国)はバビロ
ンに負けた。イスラエル人は捕らえ人になった。また、外国
人は残った者と結婚して、新約聖書時代のサマリヤを造った。
(サマリヤは混じった国民であったので、ユダヤ人に嫌われ
ていた。)
3 神のしるし(10∼15節)――アハズは神からしるしを願うべ
- 10 -
きであった。
a. しかし、アハズは霊的なふりをして(申命記6:16)断った。
b. であるから、11節の「あなたの神」は13節に、「私の神」
となった。
c. 14節の「処女」はヘブル語の「アルマ」より訳された。高等
批評によると、これは「若い女」という意味であるが、聖書
の用法は違う。イザヤ7:14を入れて、アルマは9回、
旧約聖書に出る。
①創世記24:43∼44――しもべはイザクのために妻を
探しているから、意味は明らかに処女である。
②出エジプト2:8――両親と共に住んでいた処女のミリヤ
ム
③1歴代誌15:20,詩篇46の紹介、詩篇68:25
――これらは処女の聖歌隊であった。
④箴言30:18∼19――姦通や結婚は不思議ではないの
で、処女のことであろう。
⑤雅歌1:3――ソロモン王はもちろん、処女ではない若い
女を受け入れられるはずはない。
⑥雅歌6:8――処女ではない妻たちは別である。
d. 14節の「アルマ」が処女であることの他の証拠
パ ル セ ノ ス
①マタイは(1:22∼23)ギリシャ語の !"#$%&'((処女)
を使った。
パ ル セ ノ ス
②70人訳もイザヤ7:14に !"#$%&'( を使った。
e. 15節はキリストの人間性質を預言している。(ルカ2:52)
4 16節は誰を意味しているか。
a. キリストのことであってもおかしくない。(ルカ2:52)
b. イザヤの赤ちゃんであった解釈(イザヤ7:3)――紀元前
732年ごろに、ティグラテ・ピレサー王はシリヤを敗って、
レツィンを殺した。また、2年ぐらい後で、ペカも殺された。
5 アハズに対して罰の忠告(17∼21節)
a. ユダは汚くなる。(17∼19節)
b. ユダはアハズが信頼したアッシリヤに敗れる。(20節)
c. 食物が少なくなる。(21∼25節)
F アッシリヤの侵入の預言と、希望を与えるイマヌエル(8∼12章)
1 ダマスコとサマリヤが敗られる。照明するものは二つある。
- 11 -
2
3
4
5
(8:1∼4)
a. 書かれた御言葉(1∼2節)――人間は御言葉を読めば、分か
ることができる。
b. 生ける御言葉(3∼4節)――イザヤの次男の名前は板に書か
れたのと同じであった。これは生ける御言葉のキリストの
タイプである。(ヨハネ1:1)
不信仰の選択とその結果(8:5∼8)
神の恵みによる守り(8:9∼15)
a. ユダの敵はとうとうまける。なぜなら、「神が、私たちととも
におられるからだ。」(インマヌエルの意味;8:9∼10)
b. しかし、信じないユダヤ人は裁かれる。(8:11∼15)
イザヤの証(8:16∼22)
a. アハズと違って、御言葉だけでいい。(8:16と20)
b. 私は主を待っている。(8:17)
c. 主が今までなさったことを見よう。(8:18,詩篇109:
27)
d. 悪い宗教のものに聞かない。(8:19,2ヨハネ9∼11)
e. 悪い宗教を信じる者の終わり(8:21∼22)
希望を与えるメシヤ(9:1∼7)
a. 神の助けが来る。(9:1)メシヤの出身はガリラヤである。
b. 異邦人にも希望がある。(9:2)
c. イスラエルの復興(9:3∼5)
d. 千年王国の王(9:6∼7)
①「生まれる」とは、メシヤの人間性質を示している。
「与える」とは、キリストの神性である。
②キリストの名前(9:6)
( a) 「不思議な助言者」――ヘブル語の「不思議」とは、
「区別する」とか、「ユニークな」と言う意味を
持つ。キリストがいいると、退屈になれない!また、
キリストよりすばらしい助言者がいない。(出エジ
プト3:3,ルカ2:18,ルカ4:22,黙示録
3:20,1ヨハネ3:2,ヨハネ6:68,
エレミヤ10:23,イザヤ55:8,詩篇1:1,
ヤコブ1:5,コロサイ2:3)
( b) 「力ある神」――人間はこの力が要る 。(マタイ1:
- 12 -
23,ヨハネ14:9,ヨハネ20:28,ヘブル
1:8,ヘブル1:1∼3、コロサイ1:15∼
16,エペソ3:20∼21)
( c) 「永遠の父」――ヘブル語の「父」とは、時々「みな
もと」という意味をする。例えば創世記4:20。
(伝道者3:11,1ヨハネ1:1∼2,ヨハネ
6:68,ヘブル1:2,黙示録21:6)
( d) 「平和の君」――ユダヤ人にとって、「シャロアム」
(平和)と言う言葉は普通より意味深いであるので、
挨拶として使われている。(ヨハネ14:27,
イザヤ32:17,コロサイ1:20∼22,詩篇
85:10,エペソ2:14,ガラテヤ3:28,
ヘブル7:1∼3,ヨハネ16:33,詩篇72)
⑨王の主権(9:7)
6 イスラエルに対する裁き(9:8∼10:4)――この預言はイ
スラエル全体(北の王国と南の王国をあわせて)に対するのであ
ろう。なぜなら、北の王国は歴史的にペリシテ人(12節)に
攻められなかったが、ペリシテ人はアハズの時代にユダを攻撃し
た。(2歴代誌28:16∼19)
a. イスラエルのプライド(9:8∼10)
b. そのプライドの罰(9:11∼12)
c. イスラエルの指導者の罪(9:13∼17)
d. 悪が増える時(9:18∼21)
e. 悪い指導者に対する呪い(10:1∼4)
7 アッシリヤの侵入(10:5∼34)
a. 裁くアッシリヤが裁かれる。(10:5∼19)
①アッシリヤは神の道具であった。(10:5)
②それなのに、神はご自分の道具を呪われ、裁かれた。
(10:5∼7)
③問題はアッシリヤの動機であった。(10:7)
④神は決して悪を行わない。
( a) イザヤ57:15,ヨブ34:10など
( b) イザヤ書には、神の聖さについての箇所は30回ぐら
い出るそうである。
( c) しかし、神は悪人の犯した罪を通してご自分の御心を
- 13 -
成就させる時がある。(詩篇76:10,ローマ8
:28)
⑤アッシリヤのプライド。(10:8∼11)
( a) アッシリヤは、イスラエルが前に征服した国と同じで
ある、と思ってしまった。しかし、イスラエルは
特別な国である。(創世記12:1∼3,詩篇
122:6)
( b) アッシリヤは自分の偶像の神々に、真の神の栄光をあ
げてしまった。(10:10∼11)これは神に
対する大変な失礼であった。(イザヤ48:11)
( c) 呪われた道具についての例――炎には、光も熱さも
ある。
b. イスラエルの生き残った者が帰国する。(10:20∼23)
21節をイザヤ9:6に比べてください。
c. アッシリヤを怖がる必要がない。(10:24∼34)
8 インマヌエルと彼の王国(11章)
a. インマヌエルの先祖はダビデ王であった。(11:1)
b. インマヌエルの力は聖霊から来る。(11:2)
c. インマヌエルの政府は正しい。(11:3∼5)
d. インマヌエルの王国は平和的である。(11:6∼9)
①この箇所には、三つの解釈がある。
( a) 合理的――文字通り解釈すべきでありながら、理想的
であるので、成就しないであろう。
( b) 象徴的――王国の平和を示しているだけ。
( c) 文字通り――王国の動物はエデンの状態に戻る。これ
は正しい解釈である。
②「聖なる山」(9節)とは、エルサレムの山である。
e. インマヌエルは異邦人をも御国に受け入れてくださる。
(11:10)この節はローマ15:12に引用されている。)
f. インマヌエルはユダヤ人を御国のために集められる。(11:
11∼16)11節によるとこの帰国は「再び」であるから、
はっきりとバビロン捕らわれからの帰国ではなく、千年王国
の初めの帰国である。
9 王国のイスラエルの賛美(12章)――王国のイスラエルの賛美
(12章)――この章には、説教の種がたくさんある。
- 14 -
a. 主の救い(12:1∼3)
b. 主の業と栄光(12:4∼6)
II 国々に対する宣告(13章∼23章)――「宣告 」(ヘブル語で「マッ
サ」)とは、よくこの章に出る。
(イザヤ13:1,14:28,15:1など)
「宣告」の代わりに、他の可能性は「幻」や「重荷」である。
A バビロンに対する宣告(13:1∼14:23)
1 イザヤの見た宣告(13:1)
a. 「見た」という言葉が出たので、「幻」と訳した方が良いであ
ろう。しかし、この宣告は時々「バビロンの重荷」とも呼ば
れる。
b. 高等批評によると、バビロンの宣告のイザヤの著者が不可能。
①13:17によると、裁きはメディヤを通して来るが、そ
の国は当時に弱かった。
②13:17によると、バビロンはもう帝国であったらしい
が、それは当時に本当ではなかった。ニネベ市の方が
有名であった。
c. 根本主義の返事――
①13:1はとてもはっきりである。
②この章には、イザヤの単語と表現法ははっきりとある。
③イザヤの当時までに、バビロンはアッシリヤの後の帝国に
なることがもう広く認められていた。(2列王記20:
12∼19)
④神には、不可能がない。
2 聖別された軍隊(13:2∼5)
a. メディヤとペルシアの軍隊であった。(ダニエル5:28)
b. 「聖別された」の意味を良く覚えるべきである。「聖なる者」
ではなく、「御心おために分けて置かれた。」と言う意味であ
る。メディヤ人は聖いクリスチャンではなかったが、やっぱ
り神の道具であって、御心を行うために選ばれた。
c. 5節――アッシリヤ人はメディヤ人のことを「遠い所に住む
メディヤ人」と呼んでいた。
3 主の日(13:6∼16)
a. 前後関係を読むと、これはバビロンのことであると言わなけれ
ばならない。つまり、地域的な「主の日」であった。しかし、
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4
5
6
①5節の「世界」も9節の「地」も、13っ節の「大地」も、
すべて同じヘブル語である。
②いつでも裁きを見れば、最後の裁きを覚えるべきである。
(ルカ13:1∼5)
③バビロンは、創世記11:9より黙示録14:8まで、悪
とプライドの象徴である。
b. この箇所を黙示録6章∼16章に比べることができる。
メディヤの軍隊(13:17∼22)
a. 17節――古代ギリシャ人のゼネホンの歴史書によると、
クロス王(ペルシャの王)はメディヤ人が本当に金や銀がほ
しくなかったと認めた。
b. 20節は文字通りに成就された。現代のアラビヤ人はバビロン
市の廃墟に近づかないそうである。
c. 紀元前1世紀までに、バビロン市はもう空であった。バビロン
は色々な国に攻められたが、バビロン帝国はメディヤとペル
シヤの攻撃で終わった。
イスラエルの復興(14:1∼4前半)
a. イスラエルは強くなる。(14:1∼2)
b. バビロンは帝国になっても、永久に強くなるわけではない。し
かし、イスラエルは神の選ばれた国であるから、永遠に祝福
される。(14:3∼4後半)
イスラエルの勝利の歌(14:4後半∼21)
a. この詩は葬儀用の形であるが、バビロンに対する「あざけりの
歌」でもある。
b. 神はバビロンを罰せられる。(4∼6節)
c. であるから、平和が地上に来た。(7∼8節)
d. よみバビロンを待っている。(9∼11節)
e. 「よみ」(9,11,15節)とは、ヘブル語のシオルである。
①意味は「死の世界」、すなわち、「死ぬ時人間が行く所」で
ある。
②シオルの意味は、「地獄」ではないので、誤解しないよう
に注意すべきである。例えば、ヒゼキヤ王は信者で
あったのに、「私は生涯の半ばで、よみ(シオル)の門
に入る。」と書いた。(イザヤ38:10)
f. バビロンの王はサタンのタイプ(典型)であった。(12∼
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7
17節)
①キリストも12節と同じような言葉を用いられたことはこ
の箇所を解釈する。(ルカ10:18)キリストは70
人訳に似た言い方を用いられた。前置詞句が同じで、同
じ語源のある動詞である。(イザヤの %)!*!+,,どこかよ
り落ちる。」ルカの動詞は !*!+,, 「落ちる」である。)
②「暁の子」はビーナス(金星)のことを示して、サタンの
名前の1つであることは、普通の解釈である。英語の
欽定訳には、「ルシファー」と、ラテン語より直訳され
ている。古代キリスト教はよくサタンのことを「ルシフ
ァー」と呼んだ。しかしもう1つの解釈は、この箇所は
反キリストのことを示していると言うことである。
③サタンとバビロンの王の罪は高慢であった。13∼14節
の中に「私」という言葉は原語で(動詞の語尾として)
5回出て、「私の」とは(名詞の語尾として)1回出る。
これはサタンのプライドをあらわしたいる。
④人間も自分の人生を自分で決めると、「いと高き方のよう
になろう。」としている。13節読むと、バベル塔のこ
と(創世記11:1∼9)やエバの誘惑(創世記3:5)
を思い出す。実はバベル市は後でバビロンになった。
⑤しかし、バビロンの最後の王のように、サタンもとうとう
落ちる。(15∼17節、黙示録20:1∼3,7∼
10)
g. バビロンの王はあまりにも悪かったので、墓にふさわしくな
かった。(14:18∼21)
①これはイゼベル(2列王記9:30∼37)やヒトラーの
死に似ている。
②当時の習慣に関係があったであろう。昔の人々は、尊敬し
なかったものが死んだら、死体を野原に捨てた。そして、
通りかかる人はその上に石を投げた。
バビロンは廃墟になる。(14:22∼23)人間が住まない所
になってしまう。これは文字通りに成就された。バビロンの王族
の最後の子孫は死刑にされた。また、現代のアラブ人派バビロン
の廃墟に近寄らないそうでる。また、その地方は「水のある沢」
でいっぱいである。
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B
C
D
E
アッシリヤに対する宣告(14:24∼27)
1 バビロンの前に、アッシリヤの裁きが来る。(24∼25節)
2 神ご自身がこれを成就させる。(26∼27節)
3 この預言はアッシリヤに対するのばかりではなく、「全地」と
「万国」に対する。つまり、アッシリヤの裁きは象徴的に
ハルマゲドンの闘いを示す。(黙示録16:13∼16,19:
19∼21)
ペリシテに対する宣告(14:28∼32)
1 「アハズ王が死んだとし、この宣告(幻)があった 。」(28節)
2 アッシリヤの王たちは蛇に比べられている。(29∼31節)
ペリシテを裁いたアッシリヤはさばかれる。しかし、さばかれた
蛇から、ペリシテを滅ぶ蛇が出る。
3 この預言は、ユダヤ人の慰めのためであった。まわりの強い国が
倒れても、イスラエルは残る。
4 32節の「異邦人の使者」は、アッシリヤを敵対するためにユダ
の協力を頼むためにエルサレムに行った。
モアブに対する宣告(15:1∼16:14)
1 モアブ中に裁きが来た。(15:1∼4)この箇所の中の場所は
すべて、モアブの中にあった。敵がアッシリヤであったと思われ
ているが、不明であるらしい。
2 イザヤの悲しみ(15:5∼9)
a. 悪者がさばかれるとき、喜んではいけない。(箴言24:17)
イザヤは悪の国であるモアブの滅びを悲しんだ。
b. 私たちも、最後の裁きのときに悲しむ。(黙示録21:4)
c. アモスもアッシリヤのことを獅子と呼んだ。(アモス3:12)
3 モアブ人はユダに逃げた。(16:1∼54)
a. モアブの羊は有名であった。モアブはユダに羊のプレゼントを
贈って、逃げる場所を頼んだ。(1∼4節)
b. ユダに希望があった。それはメシヤの預言であった。(5節)
4 モアブの罪はプライドであった。(6∼8節)
5 モアブの有名なぶどう畑の滅び(8∼12節)
6 以前から語られた預言に、もう1つ(13∼14節)
ダマスコ(シリヤの都)とエフライムに対する宣告(17章)――
イザヤ書7∼8章によると、シリヤとイスラエル(エフライム)はと
もにユダを攻撃した。(7:1ご覧なさい。)
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1
F
ダマスコもエフライムも倒れる。(1∼3節)ダマスコは紀元前
732年にアッシリヤに負けた。
2 尊敬されていたイスラエルは倒れて、弱くなる。その栄光がなく
なる。(4∼6節)
3 あるイスラエル人は悔い改めて、偶像崇拝を捨てて、主の信仰に
戻る。(7∼8節)これの成就は2歴代誌30章(特に10∼
11,18節)に載っている。そのとき、イスラエル人もヒゼキ
ヤのリバイバルに参加した。
4 エフライムの裁きの続き(9∼11節)
5 セナケリブの軍隊の滅び(イザヤ37:36)預言(12∼14
節)――これは美しい御言葉である。
a. 人間の力を神の力に比べると、意味のない騒ぎにすぎない。
また、神の裁きは確かである。そして、神はご自分の選ばれ
た国民をお守りになる。
b. この箇所もハルマゲドンの闘いを預言している。
クッシュに対する宣告(18章)「クッシュ」とは、口語訳で「エチ
オピヤ」と訳されている。しかし、クッシュは現代のエチオピヤより
広くて、現代のエチオピアとソマリアとスーダンを含んでいた。
1 ユダに使わされた使い(1∼2節)
a. 「クッシュの川々のかなたにある。」これはクッシュその国の
他ならない。地図を見れば分かる。
b. 「羽こおろぎの国。」川の谷が多い国であるので、虫も多い。
c. 「パピルスの船。」パピルスは北アフリカの植物である。昔の
エジプト人はパピルスで紙を作った。クッシュ人はパピルス
で舟を造ってナイル川でエジプトまで行って、やっとユダに
到着した。
d. この大使たちはなぜユダに行ったであろうか。たぶんアッシリ
ヤに反対するためにユダの協力を願いに行ったであろう。
何年ユダに行ったであろうか。可能性は二つある。
①ペリシテ人のアッシリヤに対する反乱のとき(712年頃)
②サルゴン王(イザヤ20:1)が死んだ年(705年)
e. イザヤはクッシュの大使とその国を褒めながら、帰国するよう
に命じた。
①「背の高い、はだのなめらかな国民。」大昔から紀元後
19世紀まで、クッシュのヌビヤ人はこの評判を持って
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G
いた。ギリシャ人のヘロドタス(紀元前5世紀)もヌビ
ヤ人を誉めた。
②クッシュは紀元前714年より633年まで、エジプトを
も征服した。クッシュの王は聖書のソ王であった。
(2列王記17:4)
2 主のなさること(3∼6節)
a. クッシュに対する宣告は、全世界に対するのである。(3節)
b. 神は悪を裁くためにご自分のスケジュールを守っておられる。
(4∼6節)その裁きは人間にとって遅そうであるが、確か
である。(2ペテロ3:8∼11)
3 クッシュ(エチオピヤ)の祝福と礼拝の預言(7節)
a. いつからとは不明であるが、昔から現代まで、「ファラッシャ」
というユダヤ人はエチオピヤに住んできた。
b. そのエチオピヤ人のユダヤ人は主に戻る。
(ゼパニヤ3:10)
c. また、使徒の時代より、エチオピヤのキリスト教が強いである。
エジプトに対する宣告(19章)
1 エジプトに対する裁き(1∼17節)
a. 主の力と偶像の弱さ(1節)
b. エジプトが困る。(2∼3節)
c. エジプトが征服される。(4節)
①この「きびしい主人」とは、アッシリヤのことと思われて
いる。アッシリヤは厳しくて残酷の国であった。
②アッシリヤのエサル・ハドン(2列王記19:37,
エズラ4:2,イザヤ37:38)は、紀元前670年
にエジプトを征服した。
d. ナイル川は裁かれる。(5∼7節)ナイル川はエジプト人に
とって聖なる川で、日常生活に大切であった。
e. 国民は裁かれる。(8∼10節)
f. エジプトの知者は愚か者になる。(11∼15節)
g. エジプトの弱さとイスラエルの力(16∼17節)
2 エジプトに対する祝福(19:18∼25)――解釈は二つある。
a. この箇所の細かいことはよく議論されているので、たぶんその
成就は大艱難時代であろう。
b. しかし、1つの可能性は教会時代の成就である。なぜなら、
エジプトとシリヤ(アッシリヤの地方)はすぐキリスト教を
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受け入れた。
H エジプトとクッシュに対する宣告(20章)
1 神のしるし――イザヤの裸(1∼2節)
a. 「タルタン」とは、司令官という意味である。
b. 「アッシュドデ」――これはペリシテの町である。当時のペリ
シテには、5つの強い町が連盟をつくった。サルゴン王に対
する反乱のとき、アシュウドデはその連盟を指導していた。
c. イザヤは全く裸ではなかった。中東味屋に、裸になってはとて
も恥ずかしいことであった。したがって、下着だけあっても
「裸」といわれていた。4節によると、その裸は日本の相撲
取りと同様であった。
2 そのしるしの意味(3∼6節)
a. エジプト人とクッシュ人はアッシリヤの捕らわれ人となる。
(3∼4節)
b. エジプトとクッシュに希望を置いた人々は失望する。(5∼
6節)
I バビロンに対する宣告(21:1∼10)――解釈は二つある。ある
学者はこれがメロダク・バルアダン(イザヤ39:1)の時代に成就
されたと教える。それは本当ならば、バビロン市はしばらくだけ廃墟
となった。しかし、もっとよい解釈は、この預言がメディア・ペルシ
ヤの攻撃のときに成就された。
1 イザヤは「きびしい幻」を見た。(1∼4節)
a. 「海の荒野」――これはどういう意味であろうかとは、よく
議論されているが、学者はみんなこれがバビロンを示してい
ると賛成する。
b. エラムはクロスの時代まで、独立であったが、その時、ベルシ
ヤの1つの地方になった。
c. これはイザヤの国に対するのではなくて、その敵に対する宣告
であるのに、イザヤはなぜこんなにショックを受けたであろ
うか。
①大変厳しい闘いであったらしい。
②その闘いの当時、バビロンに住んでいたユダヤ人にとって
怖かったであろう。
③このような幻を見る預言者は怖がる。(ダニエル10:
7∼11,黙示録1:17)
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2
幻の内容(5∼10節)
a. バビロンの状態(5節)
①宴会をやっている。(ダニエル5章)
②少しだけ準備した。「盾に油を塗れ。」これは矢や剣を防ぐ
ためであった。
b. 見張りの知らせ(6∼10節)
①「倒れた。バビロンは倒れた 。」(9節)これは黙示録18
:2にも出る。バビロンはカトリック教のタイプである。
②「その神々のすべての刻んだ像も… 。」(9節)これはこの
箇所の成就がダリヨスの攻撃であったことの証拠である。
J エドムに対する宣告(21:11∼12)
1 「ドマ」とは、「静か」という意味である。
a. 発音は「エドム」に近いであるから、イザヤはここで地口をつ
くった。
b. 「セイル」――これはエドムの中央にあって、山が多い地方で
ある。時々エドムの別名として使われていた。
c. この幻の意味はいったい何なのであろうか。
デ ー リ ッ チ
① Delitzsch の注解書によると、ルーターはこう解釈した。「朝
になっても、まだ真夜中である。」
②つまり、今は少し静かになったが、これから他の裁きも
来る。アッシリヤを通しての裁きの後で、いろいろな
裁きが来たからである。
K アラビヤに対する宣告(21:13∼17)――アラビヤとは、国で
はなくて、地方であった。現代アラビヤ(アラビア半島)は、サウジ
・アラビア、イエメン、オーマン、アラブ首長国、バーレーンなどを
含む。
1 「デダン人の隊商」(13∼15節)
a. デダン人はデダン(創世記25:3)の子孫であったらしい。
b. デマとは、ダマスコ市からメッカまでの道に沿ってあるオアシ
スの町である。イッシュマエルの息子が創立したであろう。
(創世記25:13)
c. 隊商は普通、道ばたに泊まった。しかし、アッシリヤ軍はアラ
ビヤも征服しようとしていたので、隊商は隠れなければなら
なかった。
2 「ケダル人の勇士たち」(16∼17節)
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ケダルはイッシュマエルの息子であった。(創世記25:13
∼15)ケダルの子孫はアラビヤのケダル族になった。伝統
によると、ケダルはマホメット(イスラム教の創立者)の
先祖であった。
b. 現代のアラブ族はだいたいケダルと同じような生活をしてい
る。(エレミヤ49:28∼29)しかし、ケダル族は村に
も住んでいたので(イザヤ42:11)、かなりしっかりし
ていた。
c. ケダル族は北西アラビヤに住んでいた。
d. この強いアラブ族もアッシリヤに勝つことができなかった。
これは歴史的な事実である。ケダル族はアッシリヤの書物に
も出ている。
エルサレムに対する宣告(22:1∼25)
1 エルサレムの問題(22:1∼14)
a. 「幻の谷 」(1節)エルサレムは山の町であるが、この預言は
谷の町に対する。
b. この騒ぎ(2∼3節)は、攻撃するアッシリヤ軍が攻撃を止め
たためである。(イザヤ37:36)神に助けられたエルサ
レムは、悔い改めの代わりに、パーティーをやっていた。
c. しかし、イザヤは主の日を覚えて、悲しんでいた。(4∼7節)
①バビロンのネブカデネザル王の攻撃(紀元前586年)は
この預言を成就した。
②エラム人とキル人(キルはシリヤの町であったらしい)も
バビロン軍に入っていたので、国際軍であって、怖い
軍隊であったろう。
d. エルサレムは主に頼らなかった。(8∼11節)
e. エルサレムの人たちの赦しのない罪(12∼14節)
①罪のために悲しむべき日に、エルサレムの人たちは楽しん
だ。これは聖霊の救いへの導きに反対したので、赦しの
ない罪になった。
②「飲めよ。食らえよ。どうせあすは死ぬのだから。」これ
は当時の諺であったかも知れない。これは新約聖書にも
引用されている。(1コリント15:32)また、キリ
ストもこれに似ているたとえ話を教えられた。(ルカ
12:16∼21)
a.
L
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2
M
シェブナに対する宣告(22:15∼19)
a. シェブナは「宮廷をつかさどる…執事」であったので、かなり
偉い人であった。(2列王記15:5もご覧ください。)
b. イザヤ書には、ここだけが個人的な預言である。
c. 「高い所に自分の墓を掘り、岩に自分の住まいを刻んで。」
(16節)シェブナの罪はプライドであった。
d. 預言通り、シェブナはだんだん落ちた。(イザヤ36:3と
37:2,2列王記18:37)
e. 「あなたはそこで死ぬ。」(18節)ユダヤ人にとって、外国で
死ぬことは非常に辛いことであった。(アモス7:17,
ホセア9:6)
3 エルヤキムについて(22:19∼25)
a. エルヤキムはシェブナの代わりに執事になる。(19∼22節)
エルヤキムは神の「しもべ」(20節)であったから、本物
の信者であったらしい。
b. しかし、エルヤキムもとうとう倒れる。(23∼25節)
①このエルヤキムは、セナケリブの攻撃の時に、ヒゼキヤの
代表者としてアッシリヤ軍にもイザヤにも話した。
(イザヤ36:3∼4,11,22,37:2――この
事件は2列王記18∼19章にものってある。)
②この預言によると、エルヤキムは自分の家族にその家族の
栄光のために用いられた。しかし、エルヤキムは落ちた
時、家族も落ちた。
③シェブナに対する宣告の成就もエルヤキムに対する宣告の
成就も歴史に残っていない。しかし、文字通りの成就さ
れたに違いない。
ツロに対する宣告(23:1∼18)――ツロとシドン(2節)は
フェニキヤの主な港であって、エルサレムの北に地中海の海辺にあっ
た。船で世界中(アフリカ、インド、英国にさえも)に商売をしてい
たので、経済力はすごかった。ツロは細長くて(190キロX40キ
ロぐらい)、山と海の間にあったので、北への他の道はなかった。
1 ツロの滅び(23:1∼7)
a. タルシッシュ(スペインにあったと思われている。)とキティ
ム(東地中海にある島国であるキプロス)のある港はフェニ
キヤの植民地であった。(1節)
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2
3
4
b. 「シドンの商人」はツロの品物を売っていた。(2∼4節)
c. この知らせはだんだんに市の方に伝えられた。ツロからキプロ
ス、シドン、エジプト、タルシッシュまでであった。
この滅びは主のわざである。(23:8∼12)
神はもう一度アッシリヤを道具として用いられた。(23:13
∼14)
a. セナケリブ王は紀元前701年にツロを攻撃して、敗った。
b. ツロ市は預言の文字通りに倒れた。安全な場所は島の砦しかな
かった。しかし、ツロも島も、紀元前332年にギリシャ軍
に滅びられた。その時から、エゼキエル26∼28章は文字
通りに成就された。(特にエゼキエル26:1∼5,12∼
14)(注意――現代のツロは古代ツロから離れた所で創ら
れた。
70年間(23:15∼18)
a. 紀元前700∼630年に、ツロの商売はアッシリヤ帝国に
禁じられた。
b. ソロモン王は主の宮のために、ツロの木材を使った。その日は
戻ってきた。(エズラ3:7)エズラの時代も同じようにな
った。
III 全世界に対する宣告(24∼27章)――この箇所は「イザヤの黙示
録」と呼ばれている。解釈がだいたい三つある。①預言は大艱難時代に成就さ
れる。文字通り解釈をしたら、この解釈しかできないので、この解釈が正しい
のである。②バビロンの攻撃と帝国の預言である 。(比喩的解釈である。)③高
等批評によると、この箇所はペルシヤの黙示録文献の影響を表わす。そして、
ユダヤ人は捕らわれ人時代の最後まで、その影響を受けなかったので、イザヤ
はこの箇所を書かなかったであろうと、言われている。これはもちろん間違っ
ている。(高等批評に対する返事は第3課にある。)
A 世界の滅び(24章)
1 主の裁きでありながら、地球の住民のせいである。(24:1∼
13)
a. 滅び方(24:1,黙示録3:10)――「地」とは、地球と
いう意味である。(4節ご覧ください。)
b. 困った住民(24:2,黙示録6:15,18:11)――
宗教家も、偉い人も普通の人も商売人も、皆滅びられる。
- 25 -
B
c. 呪われた地球(24:3∼6)
①大艱難の滅びは主の御言葉で来る。(黙示録5:1)
②人間の罪は地球を汚す。(創世記3:17,4:10,
エレミヤ3:9,民数記35:33)また、人間は地球
の水や空気を汚している。(黙示録11:18)
③そのために、神は新しい天と地を創造される。(黙示録
21:1)
④残った者の人数は少ない。
d. 民の喜びがなくなる。(24:7∼13)
①イザヤ24:7∼16は、黙示録8:19∼24に似てい
る。
②10節の「都」は代表的であり、世界の都のタイプであろ
うと思われている。しかし、他の可能性は、これが黙示
録の大バビロン、あるいはエルサレムという解釈である。
2 滅びの結果(24:14∼23)
a. 喜ばれる事は主の栄光だけである。(24:14∼16)しか
し、イザヤは悲しんだ。
b. 逃げる場所がない。(24:17∼18,黙示録20:11)
c. 地球は大地震で苦しむ。(24:19∼20,黙示録16:
17∼21)
d. 悪霊と世界の指導者に対する裁き(24:21∼22,1コリ
ント6:3,黙示録20:12)――この「何年かたって後」
とは、千年王国のことを示しているであろう。(黙示録20
:1∼3)
e. 主の主権(24:23,黙示録20:6,21:3)
①「月ははずかしめを受け、日も恥を見る。」新しいエルサ
レムの光は主イエス・キリストである。(黙示録21:
23)
②「栄光がその長老たちの前に輝く。」イスラエルと教会の
長老たちの事である。(黙示録4:4,21:12∼
14,マタイ19:28)もう1つの解釈――24人は
すべて教会の長老である。
滅びについての詩(25章)
1 滅びのための感謝(25:1∼5)
2 エルサレムで行われる宴会(25:6∼9)
- 26 -
こんえん
C
D
a. これは「小羊の婚宴」であろう。(黙示録19:7∼9)
b. 1コリント15:54もご覧ください。
c. 涙がなくなる。(黙示録21:4)
3 神に逆らう国々の終わり(25:10∼12)
a. モアブは昔から、イスラエルの敵であったので、この箇所では
神の敵の象徴であろう。
b. 「この山」(エルサレムの聖なる山)は異邦人の山(モアブ)
に比べられた。
c. 人間の力は神にとってゴミにすぎない。
終わりの日のユダの歌(26章)
1 義人の町(26;1∼6)
a. 新しいエルサレム
b. 義人しか入れない(26:2,黙示録21:27)
c. 神に信頼する者は、「全き平安を持つ。」(26:5∼6)
d. しかし、サタンの町である大バビロンは倒れる。(26:5∼
6,黙示録18:2)
2 義人の道(26:7∼10)
3 主の手(26:11∼19)
a. 「主の手」は聖書の中でだいたい聖霊のことを示す。
b. 「まことに火が、あなたに逆らう者をなめ尽くしますように。」
(11節)これはキリストの栄光の再臨の時に成就される。
(1テサロニケ2:8)
c. 人間の復活はここではっきりと教えられている。(14と19
節を黙示録20:5∼6,11∼15に比べてください。)
ここだけではなく、旧約聖書の他の箇所にも教えられている。
(ヨブ19:26,ダニエル12:2∼3)
d. イスラエルは神の選ばれた国民であるのに、あまり役に立たな
かった。(26:16∼18)
4 主の日(26:20∼21)――これはハルマゲドンの戦いを
示しているであろう。
終わりの日の出来事(27章)
1 サタンの滅び(27:1,黙示録20:2,10)
2 イスラエルに対して神の愛と守り(27:2∼6)
3 罪を犯したイスラエルは、とうとう神に帰る。(27:7∼13)
a. 神に裁かれたイスラエルは悔い改める。(27:7∼9)
- 27 -
b. しかし、神を信じない町は滅びられて、廃墟になってしまう。
(27:10∼11)
c. 神はご自分の民を集められる。(27:12∼13)
IV
神と神の国民(28∼35章)
A イスラエルの指導者たちに対する宣告(28章)
1 指導者の酔っ払いの罪(28:1∼8,ホセア7:5,アモス6
:6)その罪のせいで、指導者たちは御言葉が聞こえなくなった。
a. たぶんイザヤは集まった指導者たちに預言していた。そうであ
るなら、9∼10節は、酔っ払った指導者の返事である。
b. この箇所には、イスラエルの栄光を象徴する言葉は3つある。
①「誇りとする冠」(1節)――その冠は、「足の下に踏みに
じら」れる。(3節)つまり、イスラエル(北の王国)
は、アッシリヤに破られる。
②「飾りのしぼんでゆく花」(1節)――その冠は花ででき
ていると思われている。つまり、イスラエルの美しさは
なくなる。(4節)
③「夏前の初めなりのいちじくの実」(4節)夏(6月)に
なるいちじくの実は、秋のより甘いである。(ミカ7:
1)アッシリヤに倒れるイスラエルは、通りかかる人が
簡単にその実を取って食べるように倒れてしまう。
c. 神の道具であったアッシリヤの攻撃は、すごい嵐のようであっ
た。(2節)
d. 神に頼る人は救われる。神はそのような人の冠である。(5∼
6節)
e. しかし、酔っ払う指導者の状態は、本当に汚かった。
①酔っ払った王は弱くなって、国民の権威を取り去ってしま
う。(箴言31:3∼9)
②酔っ払った祭司(7節)は、「聖なるものと俗するもの」
の区別ができなくなる。(レビ10:8∼11)
③酔っ払った預言者は、正しく御言葉を伝えることができな
くなる。(7節)
④「さばきを下すときよろける。」たぶん裁判官もここに
含める。
f. 8節を読むと、やはりイザヤはこれを自分の目で見た、と言う
- 28 -
2
3
ことを感じる。
酔っ払った指導者の返事(28:9∼10)
a. 指導者は、
「イザヤは俺たちに子供扱いをしている。」と言った。
b. 10節は解釈しにくい。
①新改訳の「彼は言っている。」とは、原語にない。
②ヘブル語で読めば、理解しにくい。( Tsaw latsaw, tsaw latsaw,
qaw laqaw, qaw laqaw.) 直訳すると、
「命令に命令、線に線」
という意味である。
③解釈は、3つできる。
( a) 酔っ払った話し方である。
( b) 指導者はこう言っている。「彼は俺たちに話す言葉
は、子どもの言葉見たい。」
( c) 指導者たちはイザヤの預言をばかにしている。これ
は正しい解釈であろう。
神の、指導者に対する返事(28:11∼22)
a. 指導者は御言葉を聞きもしなかったから、神は彼らを子どもの
ように扱われる。(11∼13節;11∼12節は1コリン
ト14:21に引用されている。
b. エジプトに頼っている指導者は、神の御言葉を聞かなければな
らない。(14∼15節 )「死と契約を結び…。」(15節)死
と契約を結べば、死が怖くない。イスラエルの指導者は、
エジプトと契約を結んだから、アッシリヤ軍が怖くなかった。
しかし、神の裁きは確かである。
c. 石であるメシヤ(28:16)
①他の解釈もある。(たとえば、律法とか宮、など)しかし、
新約聖書ははっきりとこの石がキリストであると解釈す
る。(特にローマ9:33はこの節とイザヤ8:14を
解釈する。また、ローマ10:11,1ペテロ2:4∼
8)それは明らかに神ご自身の解釈である。
②「試みを経た石」――キリストは試みを受けられた。私た
ちは完全なキリストにとどまることができる。
③キリストは礎である。イザヤ書のヘブル語には、読み方は
2つある。1つは最初に置かれた礎であって、下の礎で
あった。(1ペテロ2:4∼8,ローマ9:33,10
:11)
- 29 -
B
④キリストは頭礎である。(詩篇118:22,マルコ12
:6∼11,ゼカリヤ4:7)
⑤キリストは裁く石でおられる。(ダニエル2:34,44
∼45)
⑥「これを信じる者は、あわてることがない。」旧約聖書に
も、信仰による救いははっきりと教えられた。
d. メシヤの正しい裁き(28:17∼19)――人間に頼る者は
滅びられる。
e. 人間に頼ると、短すぎるベッドのようである。(28:20∼
22)箴言によると、あざけり(22節)はとても悪い罪で
ある。
f. 農夫のたとえ話(28:23∼29)
①賢い農夫は注意深く土を準備し、収穫を取り入れる。同じ
ように、神は裁きをも平和をもくされる。
②希望があるから、裁きはどんなに厳しくなっても、信者は
主を待ち望める。
アリエルに対する宣告(29章)
1 神のアリエルに対する攻撃(29:1∼4)
a. アリエルとは、どういう意味であろうか。
①「ダビデが陣を敷いた都よ。」とあるから、エルサレムに
違いない。(1歴代誌11:4∼8)ベツレヘムも「ダ
ビデの町」と呼ばれているが(ルカ2:11)、ここで
その解釈ができない。
②「アリエル」とは、「神の獅子」と訳されるときもある。
(2サムエル23:20,1歴代誌11:22)しかし、
「祭壇の炉」(エゼキエル43:15∼16)とも訳す
ることができる。
③前後関係を読むと(イザヤ29:6,31:9)、「アリエ
ル」はここで、「祭壇の炉」という意味をすると言える。
b. エルサレムの祭りは外面的にになってしまった。(1節)
c. 神の裁きは燃える炉のようになる。(2節)
d. 神ご自身はエルサレムを囲まれる。(3節)
e. エルサレムのプライド(28:15)がなくなる。(4節)
f. 1∼54節はよくアッシリヤやローマ帝国を示していると解釈
されているが、神ご自身がエルサレムを囲まれるので、これ
- 30 -
2
3
4
5
はある時代を示しているではないか。
ふっこう
エルサレムの復興(29:5∼8)
a. この箇所の成就は、「急に起こる。」(5節)ハルマゲドンのこ
とではないか。その時、神の助けは急に起こる。(ゼカリヤ
14:2,12∼13,黙示録16:16∼21)
b. キリストもエルサレムの復興を預言された。(ルカ21:20
∼24)
この幻はエルサレムの住民に隠れている。(29:9∼14)
a. 聞いた言葉の意味は分かっても、理解ができなかった。(9∼
10)
b. プロの預言者たちも解釈ができなかった。(10節)
c. エルサレムの住民にとって、聖書(特にイザヤの預言)の解釈
はできなくなる。(11∼12節)とてもかわいそうな状態
であったが、現代のユダヤ人も同様である。
d. なぜこんなかわいそうな状態になってしまったのであろうか。
彼らの宗教は外面的だけであったからである。(13∼14
節)
e. キリストはパリサイ人について13節を用いられた。(マタイ
15:8∼9)パリサイ人はよくイザヤの時代のイスラエル
人に似ていた。
f. 使徒パウロは14節を用いた。(1コリント1:19)この世界
の知人にとって、キリストの十字架は愚かである。(1コリ
ント1:18)しかし、その十字架にしか救いがない。
人間を創造された神から、計画は隠せない。(29:15∼16)
他の箇所にも、神は陶器師に例えられている。(イザヤ45:9,
64:8,エレミヤ18:1∼4,ヨブ10:8∼9)
エルサレムの将来(29:17∼24)
a. 「もししばらくすれば」(17節)――神にとって、1000
年は短いである。(2ペテロ3:3∼11)
b. 17節の文字通り、レバノンはとても弱い国になってしまった。
c. 18節はキリストを通して成就された。(マタイ11:4∼6)
しかし、前後関係(10∼14節)を読むと、イスラエルが
最後の日まで、霊的に不自由であると解釈ができる。
d. 20∼24節は千年王国を示している。イスラエルはもう一度、
信仰の国となる。
- 31 -
C
「反逆の子ら」への災い(30章)
1 「反逆の子ら」(1∼5)
a.背景はこれである。「反逆の子ら」であったユダはアッシリ
ヤに対してエジプトの協力を願っていた。でも、神に願わな
かった。これはもちろん大失敗であった。(詩篇60:11)
当時のエジプトの政府は強い評判をもっていたのに、歴史的
に弱かった。
b.ツォアンとハネス(3∼4節)はエジプトの南部にあった。
ハネスはずっと南で、現代の Fayyum 地方にあった。しかし、
ツォアンはもっと大都市であったから、ユダの使者はそこに
行った。(ある時代にハネスはエジプトの都で、モーセが
Ramses と戦った都市であったかも知れない)
c.19世紀の注解書によると、国は同盟しないほうがよいであ
ろう。なぜなら、外からの影響が国を堕落させるそうであっ
た。考えてみると、国連は反キリストの準備であるかも知れ
ない。
2 「ネゲブの獣に対する宣告」(6∼11)
a.ユダの使者はすごいわいろではネゲブの砂漠を渡って、エジ
プトに行った。ネゲブはとても旅行しにくい砂漠で、危ない
動物が多かった。「
( 飛びかける蛇」は神話の獣ではない。
14:29には、同じ単語があるから。蛇は飛びかけるかみ
方である)でも全部はむだであった。
b.5節後半∼7節の成就――パロ・シャバカ(エジプトの25
王朝)の軍隊は南部パレスチナのエルテケ市で紀元前701
年アッシリヤ軍に負けた。その後、セナケリブ王はエルサレ
ム市に向かった。
c.「何もしないラハブ 」(7節)――エジプトは他の箇所にもラ
ハブと呼ばれている。(51:9、詩篇87:4、89:
10)ラハブの意味は「うるさい女性」である。
d.8∼11節――神は人間の罪を記録しておられる。(エレミ
ヤ17:1)大いなる白い御座の裁きで、未信者の罪はその
記録で裁かれる。(黙示録20:12)ユダの指導者の罪は
神の御言葉や預言者を拒んだり、神の代わりに人間に頼った
りすることであった。
3 主の裁き(12∼18)
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4
5
a.「イスラエルの聖なる方 」(12節)という名前はは指導者た
ちに嫌われていたが、イザヤは神のしもべで、神の命じる通
りに預言した。人間の意見が神にとって関係がない。神は変
わらないからである。
b.神の裁きは完全であった。12∼14節の成就は、ネブカデ
ネザルがエルサレム市を破壊したとき(紀元前586年)と
ローマ帝国のテトス将軍がエルサレム市を破壊したとき(紀
元後70年)であった。
c.「神である主」とは、ヘブル語で「アドナイ・ヤーウエー」
である。こうしてイザヤは神の主権(アドナイ)とあわれみ
(ヤーウエー)を一つのお名前にした。(詩篇85:10、
1コリント16:13∼14)ご自分を拒む人々を裁く神は、
ご自分を待ち望む残った人々を祝福してくださる。
エルサレムの人々へ(19∼26)
a.19∼22節は悔い改めるユダヤ人への約束である。主に帰
るユダヤ人は:主を見、主に導かれ、主に清められる。この
約束はユダヤ人のためだけではなく、誰でも主に立ち向かえ
る人のためである。この箇所に三位一体の神が現れた――主
でおられる父なる神、教師でおられる御子、導きの声でおら
れる聖霊
b.23∼26節は千年王国の預言である。
アッシリヤに対する裁き(27∼33)
a.神の怒りの四つの象徴(27∼28節)
①炎――神の怒りは燃え、破壊する。(ヘブル12:29)
②水――イザヤ8:7∼8には、アッシリヤは大水のようで
あったが、こんどは大水のような神の怒りに裁かれる。
③ふるい――軽い物が落ちて、捨てられる。
④馬――神の手綱は行きたくない裁きに行かせる。
b.29∼30節はこう言っている。裁かれるアッシリヤが自分
の力を喜び、何も心配していないときに、神の裁きが来る。
一般の未信者もそうであろう。自分が永遠であろうと思って
いる。でも、自分が弱くて、今にも地獄に落ちろうとしてい
ることが全く分からない。(伝道者11:9、ルカ12:
16∼21、ヘブル9:27、黙示録3:17)
c.この裁きの預言は成就された。トフェテ(33節)は「吐き
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出す」という意味で、エルサレム市の南にあるヒノム谷に
あった。そこで、あるユダヤ人はモレクという偶像を拝むた
めに、自分の子どもを火で犠牲してしまった。(レビ20:
1∼5、2歴代誌28:3、など)アッシリヤはそのような
裁きを受け、もう存在しない。
D エジプトの助けを求める人々へ(31章)――31章は30章の預言
をくり返して言っている。この章を「エジプトとアッシリヤ」とか、
「続くクライシス」という題をつけることができる。
1 エジプトの弱い助け(1∼3節)
a.エジプトに頼るユダヤ人の罪は、二つの理由で悪かった。
①人間に頼る者は神に信頼していない。
②エジプトに頼ることが禁じられていた。(申命17:16)
b.神は助けるエジプトを弱らせる。エジプトの騎兵隊は有名で
あったが、神は歴史を動かす神でおられる。
c.主権の神に立ち向かっては無理である。神の霊的な力はいつ
も肉の力に勝つ。特に、神のエジプトに対する力はユダヤ人
によく知られていたはずである。(申命記4:34、7:
17∼19)
2 神はエルサレム市を守られる。(4∼5節)神は二つの動物に譬
えられている。
a.「獅子、あるいは若獅子」―― 一番強い獅子である若
獅子が自分の物を誰にもあげないで、誰もこわがらない
ように、神も歴史的にご自分の民であるユダヤ人とご自
分の聖なる都市であるエルサレムを守られている。
b.「飛びかける鳥」――モーセも(申命記32:11)イ
エスも(マタイ23:37)同じような象徴を使った。
鳥は自分の巣を守るために、何でもする。そして、飛べ
ない敵を攻める鳥は本当にこわいである。
3 神に帰れ(6∼7節)
a.悔い改めは方向を180゜変えることである。「反逆を深め
ている」イスラエルは主へ求めてへりくだりを深めるべきで
あった。
b.偶像の神々は人間のために何もできない。本当の悔い改めな
ら、偶像を壊して捨てることが当然である。
4 アッシリヤの裁き(8∼9節)
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a.アッシリヤの裁きは軍事的な負けであった。これはニネベが
倒れたときに(紀元前612年)成就された。
b.この剣ははっきりと人間のではなく、主の剣であった。主の
剣は聖書のなかでいつも裁きを示している。(士師7:20、
1歴代誌21:12∼30、イザヤ34:5∼6、エレミヤ
12:12、エゼキエル21:5)
E の王国と正義の勝利(32章)――これは災いの間にある「知恵の文
献」である。
1 正義の王(1∼4節)――これは二重預言であるから、成就が二
つある。
a.ヒゼキヤ王とその王国
①アハズの王国は不正の王国であった。(2列王16:2∼
3)
②でも、ヒゼキヤの影響でリバイバルがきた。霊的なリバイ
バルの結果で、政府も正義と公義で治めるようになった。
③聖書的に、政府の存在する理由は:
( a) 民を正しく守るためである 。(ローマ13:1∼7)
そうしない政府は不正の政府で、正義も公義も持っ
ていない。そして、必要なのは、正しい国王だけで
はなく、正しい首長である。(出エジプト18:
22)
( b) 民には十分な食物があるためである。悪い政府は貧し
い者の食物を盗む。(32:6∼7)ただ、働きた
くない者は政府からもらってはいけない。(2テサ
ロニケ3:7∼12)また、教会は貧しい信者を
助ける責任を持つ。(使徒6:1∼3、ローマ15
:26、ガラテヤ2:10、など)
b.メシヤであるイエスと千年王国。
①ヒゼキヤはイエスのタイプであった。
②イエスの千年王国の政府は完全に「正義によって治め、
首長たち(復活した信者――黙示録5:10と20:4∼
6)は公義によってつかさどる。」(1節)
c.正しい政府の国民は幸いであり、賢くなることができるし、
主を求めることもできる。(2∼4節)
2 色々な男性に対する預言――不正の政府では、愚か者が賢いと
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言われ、悪者が正しいと言われている。しかし、正しい政府なら、
逆である。(5∼8節)
a.しれ者(5∼6節)――これを「早すぎる者」という直訳が
できる。愚か者(特に愚かな首長)はあわてて判断する人で
ある。政府があわてると、国民は大変である。犯罪が増え、
戦争も起こる可能性がある。賢い者はよく考えてから判断し、
決心する。(箴言4:26∼27)
b.ならず者(7節)――直訳すると、「けちん坊」である。
世界の政府の最もスキャンダルになりやすい問題は、金銭に
関するのである。権威のあるけちん坊はいつも貧しい人を
困らせてしまう。
c.高貴な人(8節)は政府の首長になったら、国民は安心する
ことができる。最も高貴な人はキリストである。(詩篇
112:9、2コリント9:9)
3 「のんきな女たち」に対する預言(9∼13節)
a.昔のラビたちは「女たち」を町と村として解釈した。タルガ
ムは首長として解釈した。
b.しかし、文字通り解釈したほうがいい。ユダヤ人の女性たち
は平気で罪を見たり犯したりしたので、裁かれた。決心をし
たのは男性であったが、女たちは夫や息子に対して大きな
影響を持ち、責任を持っていた。裁きは「一年と少しの日が
たつと」(10節)、セナケリブの攻撃であったであろう。
4 エルサレムに関する預言(14∼20節)
a.面白い言い方がある。「いつまでも荒地となり 」(14節)と
も「しかし…荒野が果樹園となり」(15節)とも書いてあ
る。このかわった表現は預言の強勢であった。神の恵みの他
に、裁きを止められるものはない。
b.「上から霊が私たちに注がれ…。」(15節)これは使徒2章
の五旬節のリバイバルを預言している。(ヨエル2:28∼
32)15∼17節ははっきりと象徴的で、御霊を通してリ
バイバルの祝福を示す。
c.「ああ、幸いな事よ。すべての水のほとりに種を蒔き。」
(20節)千年王国の祝福を示しているが、沢山の場所で
沢山の人々に福音を宣べ伝える信者も幸いである。
F 破壊するものに対する災い(33章)――裁く道具であるアッシリヤ
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は裁かれた。
1 アッシリヤについて(1∼4節)
a.現代の国々と同様に、当時の国々は条約を大事にした。アッ
シリヤはヒザキヤとの条約を破ったので、裏切る国であった。
これは裁かれる理由の一つであった。(1節)
b.2∼4節はエルサレムの市民の祈りである。主しか頼ること
のできる方はおられなかった。
2 主について(5∼13節)
a.7節の勇士と使者はヒゼキヤにアッシリヤのセナケリブに
遣わされた。(2列王記18:14∼18)セナケリブはヒ
ゼキヤが送ったお金をもらっても、エルサレムを攻撃したか
ら、勇士と使者は泣いた。
b.7∼9節はそのときの本当の様子であった。皆は絶望したし、
誰も旅行ができなかったし、条約の意味がなくなっていた。
c.主は待っておられた。ちょうど適当なときに、主は立ち上が
り、ご自分の民を助けるために、アッシリヤをお倒しになっ
た。(10節)私たちも立ち上がられる主を待つべきである。
(イザヤ40:31)
3 エルサレムの市民について(14∼16節)
a.「焼きつくす火」(14節)は神の事である。(ヘブル12:
29)
b.「正義を行う者 」(15節)は詩篇15ペンや24:3∼6に
似ている。正しい人は、時代が変わっても、変わらない。い
つも正しいことを求め、罪から分離する。でもそれだけでな
く、正しい人は主に信頼する。
4 エルサレムの将来について(17∼24節)
a.「あなたの目は麗しい王を見。」(17節)王の王でおられる
イエスを示している。肉体的にみにくくなられた(イザヤ
53:2)のに、美しい方でおられる。
b.ずっと後で、苦しんでいたエルサレムの市民は振り替えて
見て、そしてこわい物事が全部なくなったことに気がついた。
(18節)
c.「この民のことばはわかりにくく、その舌はどもって、わけ
がわからない。」(19節)ヘブル語もアッシリヤ語も同じ
言語族(セム語)であったのに、ユダヤ人にとってアッシリ
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ヤ人の言葉は外国語であった。現代なら、アメリカ人がドイ
ツ語を聞くことと同様である。
d.21∼24節の川と船には、解釈は二つある
①大都市はいつも守りやすい所に造られるのに、エルサレム
市はは例外で、その側には川がない。しかし、主がエルサ
レムの川であり、エルサレムをこの「大船」であったアッ
シリヤから守られた。
②神は川で、アッシリヤの大船が入れない。でも、弱った船
であるエルサレムは主に助けられ、アッシリヤの獲物を奪
い、平和の川に入った。この解釈は言語にも前後関係にも
あっている。
e.神は裁判長であり、律法者であり、王でおられる。どの国の
政府でも、主の教えられる通りに治めた方がいい。(22節)
f.24節――神の祝福は肉体的ヤ物質的でもあるし、霊的でも
ある。しかし、罪の赦しは神の最もすばらしい祝福である。
(詩篇103:3、ヘブル10:17∼18)
G 神の裁きと救いに関する御心(34∼35章)――この2章は一つの
預言である。そして、この預言の大部分はまだ成就されていない。
1 世界中の裁き(34:1∼4)
a.この箇所はハルマゲドンの戦いを示している。ハルマゲドン
の後、主は世界中の国々を裁かれる。(マタイ25:31∼
46)その裁きは「国々の裁き」と言われている。裁かれる
事は、一つ一つの国の、主の選ばれた国民のユダヤ人に対す
る行いである。
b.4節は千年王国の後であろうか。ある箇所に比べると、そう
考えがちであろう。(黙示録20:7∼9と11、21:1
∼3など)しかし、これはハルマゲドンである解釈を簡単に
守れる。
①千年王国の後の戦いは一つだけで、反乱である。その時、
本当の軍隊は国々にないであるから(イザヤ2:4など)、
「すべての軍勢に向かって憤り」とは不可能である。
②この預言は千年王国をこの後で預言するから、千年王国の
後の出来事をその前に預言してはおかしい。
③イエス(マタイ24:29)とヨハネ(黙示録6:13∼
14)はこれを栄光の再臨として解釈した。
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2
世界を代表するエドム(34:5∼15)
a.これは二重預言である。
①最初の成就は、エドムがアラブ人に自分の国から追い出さ
れ、国として破壊されたときで、紀元前500年ごろであ
った。(オバデヤ5∼10、15∼16)
②二番目の成就はハルマゲドンの後で、メシヤが世界を支配
されるようになるときである。
b.9∼10節はもちろん、地獄を示している。(黙示録19:
3)
①「夜も昼もきえず」とはこの解釈の一つの証拠である。
②「いつまでもその煙は立ち上る。」とは、もう一つである。
c.12∼15節によると、千年王国にはメシヤの政府以外に
人間の政府はない。であるから、世界中の政府の建物は動物
の家になる。
3 神の命令――預言と成就を比べなさい。確かであるから。(34
:16∼17)
a.「主の書物 」(16節)とは何であるか。命の書とかイザヤ書
であるというような解釈もあるが、この預言の事であろう。
b.神の御言葉の預言は確かである。神に保護され、必ず成就さ
れる。(マタイ5:18、2ペテロ3:3∼14)
4 イスラエルの贖いと召集(35章)――この章は千年王国の祝福
を教える美しい歌である。
a.レバノン・カルメル・シャロンは緑が多くて、美しい景色で
あったから、千年王国の美しさを示すために2節に出ている。
①この2節をヨブ38:7に比べよう。
②ある翻訳はサフランの代わりに、バラと約する。
b.2∼4節はメシヤを預言している。メシヤは栄光の再臨のと
きに、ユダヤ人を世界中より召集され、イスラエルやユダヤ
人を救ってくださる。(10節もご覧ください)
c.5∼6節によると、メシヤは初めて来られた時と同様に、
千年王国の間にもいつも病人を癒される。(ルカ7:18∼
23)
d.9節によると、千年王国のエルサレムに上る道は完全に安全
である。高い道であるから、危ない動物は道を走ることがで
きない。昔の人は全然砂漠の道を造る事がなかったが、千年
- 39 -
王国の時代に、砂漠は直る。
e.「嘆きと悲しみとは逃げ去る。」(10節)メシヤの完全な
政府は地上を天国のようにする。(黙示録21:1∼4)
V 歴史的な繋ぎ(36∼39章)――36∼37章はアッシリヤの危険を振
り替えてみたが、38∼39章はバビロンの捕われを前もって考えた。細かい
違いもあるが、この箇所は第2列王記18∼20章と同じである 。(ただ、ヒ
ゼキヤの詩は列王記にのっていない。)
A セナケリブの攻撃と囲まれたエルサレム市(36章)
1 アッシリヤの軍隊と将軍のラブ・シャケ(1∼3節)
a.これらの出来事は紀元前701年であった。
b.歴史的批評はここでイザヤ書を攻める。なぜなら、イザヤ書
はアッシリヤのセナケリブ王の「王の書」と違う。しかし、
セナケリブは自分を誉めていたので、もちろん恥ずかしいこ
とを書かなかった。
c.アッシリヤの王は3人を送ったので(2列王記18:17)、
ヒゼキヤも、自分の顔を守るために3人の使者を送った。さ
て、ヒゼキヤの問題は神に信頼するか、前と同様に人間に頼
るか。
2 ラブ・シャケの誇りの言葉(4∼10節)
a.ラブ・シャケとは名前ではなく、「司令官」という意味で
あった。この司令官は頭のいい人(三つの言語ができた)で
あったが、とても高慢な人であった。ヒゼキヤを王とも呼ば
なかった。
b.司令官は色々な議論で、ヒゼキヤ王をやめさせようとした。
①司令官がエジプトに頼るな(6節)と言ったときに、思わ
ず神の預言と賛成した。(イザヤ30:3∼7、31:3)
②司令官は全くユダヤ教を誤解してしまった。(7節)実は、
ユダの「高き所と祭壇」(複数)は律法に禁じられていた
から、ヒゼキヤがそれらを取り除いた。
③司令官の最後の議論(10節)はとても皮肉的であった。
神がそう命じられたとは、誰も信じていなかった。
3 ヒゼキヤ王の使者の願い(11節)――アラム語は後でパレスチ
ナのリンガ・フランカ語になったが(紀元前4世紀より)、当時
は外交のためにだけ用いられていた。であるから、一般の市民が
- 40 -
B
わからない「アラム語で話してください。」という願いをした。
ヒゼキヤの使者たちの自信がなくなっていた。
4 ラブ・シャケの最後の条件(12∼20節)
a.司令官はもっと高慢になり、声をもっと大きくした。
b.アッシリヤの王の条件はこれであった。
①アッシリヤと和平を結びなさい。(16節)
②そうすれば、アッシリヤはあなたがたを他の国々に捕虜と
して連れて行って、そこに住まわせる。(17節)これは
アッシリヤの普通のやり方であった事がよく知られていた。
③そうしなければ、エルサレムを破壊する。(19∼20節)
c.しかし、司令官が真の神を攻めたことは案外にエルサレムの
市民を神に信頼させたかも知れない。なぜなら、司令官の
言うことの反対で、神のイスラエルに対する愛と助けはユダ
ヤ人の誰でも知っているはずであった。
5 市民の沈黙と使者の帰り(21∼22節)
a.市民は王に従っていた。であるから、ヒゼキヤが悔い改めた
時に、市民も悔い改めたであろう。
b.ヒゼキヤの使者たちはとても絶望して帰った。とうとう主に
頼る状態になっていた。
神の救い(37章)
1 ヒゼキヤ王の悔い改め(1∼5節)
a.ヒゼキヤは神に合う事ができる場所に行った。祈りの場所で
あった。
b.「自分の衣を裂き、荒布を身にまとって…。」(1節)荒布は
山羊の毛で作られた。捕虜(1列王記20:31)や預言者
(イザヤ20:2)の服になっていたし、悲しむ人も着た。
2 イザヤの返事。(6∼7節)
a.前にイザヤは他の王にも「恐れるな」(イザヤ7:4)と
言った事があった。でも、アハズと違って(7:12)ヒゼ
キヤは主に信頼した。
b.
「あるうわさ」
(7節)とは何であるか。9節のことではなく、
自分の軍隊の破壊といううわさであった。
c.37節によると、セナケリブは自分の国ではなく、ニネベへ
行った。でも、7節の預言は「すぐ」と言わなかった。
3 エジプトの攻撃(8∼9節)――エジプトの軍隊が近づいていた。
- 41 -
4
5
6
7
ラブ・シャケにとって、二重戦地戦争は大変であったので、もっ
と厳しいメッセージをヒゼキヤに送った。
ラブ・シャケの手紙(10∼13節)
a.ラブ・シャケは色んな方法でエルサレムを絶望させようとし
ていた。前に直接に使者たちにあったが、今度は王に手紙を
書いた。
b.前は、ヒゼキヤだけが嘘吐きであると言ったが、今度は主御
自身も偽り者という冒涜を書いた。神はもちろん冒涜をいつ
も裁かれる。
ヒゼキヤの祈り(14∼20節)
a.ある高等批評者によると、この詩は申命記にあまりにも似て
いるから、多分イザヤがヒゼキヤの代わりにこれを書いた。
しかし、王は申命記を知るべきであったので(申命記17:
18∼20)、ヒゼキヤの著者はおかしくない。
b.正しい祈りは神学的に正しいである。ヒゼキヤのこの祈りも
正しく主の性質を示した。(18∼20節)
神のイザヤを通しての返事(21∼35節)
a.この詩の御言葉の種類は、「あざけりの詩」と言われている。
(他の例:ハバクク2:6)
かぎわ
b.29節の「あなたの鼻には鉤輪を、あなたの口にはくつわ
を…。」アッシリヤ軍はこの方法で捕虜を動物扱いにするく
せがあったので、神は象徴的にセナケリブを帰国させた。
c.神はご自分のために祈りに答えられる。(35節、詩篇65
:2)
神のアッシリヤに対する裁き(36∼38節)
a. Herodotus( ヘロドタス、ギリシャの歴史家)によると、沢山
のねずみがセナケリブの陣営に入り、兵士の矢や盾の固着を
食べた。多分御使いがそのねずみを利用して、腺ペストで
軍隊を殺したであろう。
b.何人の兵士が帰国したかとは、不明である。全部死ななかっ
た。ナポレオンの軍隊がロシアを侵入したとき、侵入した
25万人のうち、12,000人しか帰国しなかった。
c.38節の出来事は、37節の預言の20年後であった。でも、
預言は「すぐ」と言わなかった。
d.38節の殺人はアッシリヤの当時の書物にも書かれてある。
- 42 -
C
この裁きはふさわしかったである。なぜなら、セナケリブの
信頼していた偶像は彼を救う力を持たなかった。
ヒゼキヤ王の病気(38章)
1 ヒゼキヤに対する忠告(1節)――成就されなかったので、預言
ではなかった。
a.この出来事の年代は少し不明であるが、37章のすぐ後に
違いない。
b.直訳すれば、神は「家庭に命令をしなさい。」とおっしゃっ
た。つまり、遺言を書き、お葬式の準備をしなさい。
2 ヒゼキヤの祈り(2∼3節)
a.5節を2列王記21:1に比べると、ヒゼキヤは相続人を
持っていなかった。彼はメシヤの先祖となっていたので、こ
の祈りに答えられることが御心であった。
b.ヒゼキヤはアハブと同じ行いをしたが(1列王記21:4)、
アハブと違って、ヒゼキヤは信仰で祈った。
3 神の哀れみとしるし(4∼8節)
a.しるしは神の御計画を示す奇跡である。(創世記9:12∼
16)
b.神はメシヤの系図を守っておられたから(39:7)、こん
なすごいしるしをなさった。このしるしを科学的に説明がで
きない。そのまま信じるべきである。
c.ヒゼキヤはしるしを願った。(2列王記20:8)新約時代
には、しるしを願っては不信仰である。(マタイ12:39、
マルコ8:11∼12、1コリント1:22∼23)必要な
しるしはイエス御自身だけである。(ヨハネ6:30∼33)
でも、神は旧約時代に時々恵みによってしるしを願う祈りに
答えてくださった。そして、全ての時代に神は自らしるしを
与えられる。30∼32節のしるしはアッシリヤ軍のすぐの
帰りを示す。アッシリヤはユダの農業を破壊した(イザヤ1
:7∼8)ので、すぐ帰国しても回復は3年間かかる。
d.新改訳聖書の8節は翻訳ではなく、解釈になっている。
日時計であったかどうかは議論されている。正しい訳は――
①「アハズの日時計」ではなく、「アハズの階段」である。
②「時計の影」ではなく、「階段にある影」である。
③「十度」ではなく、「十段」である。
- 43 -
4
D
ヒゼキヤの詩(9∼20節)
a.9∼14節――詩の前半は病気の王の気持ちを伝える。
①死ねば、最も辛い事は、神と人間との交わりを失う事であ
る。(11節)旧約聖書の天国の教理はまだ明らかではな
かった。
②ヒゼキヤは心の底から、色々な叫び声で主に祈った。聖霊
はそういう祈りを助けてくださる。(ローマ8:23 ∼ 27)
b.15∼20節――詩の後半は回復の後の気持ちである:感謝
でいっぱい!
①罪の赦されていない人(17節)は癒されない。(ヤコブ
5:13∼16)
②王の回復したい理由は18∼20節にある――主の栄光の
ため
5 ヒゼキヤの回復(21∼22節)
a.「ひとかたまりの干しいちじく」は現代も中東で食べられて
いる。イザヤの当時、薬の一つであった。神は薬を用い、
奇跡的にヒゼキヤの病気を癒された。ある学者によると、ヤ
コブ5:14∼15も同じ方法を教えている。
b.22節のヒゼキヤの質問は、8節のしるしを確かめていたか
ら、聖書に返事がない。
ヒゼキヤの罪(39章)
1 国の宝物を見せてしまったヒゼキヤ(1∼2節)
a.メロダク・バルアダンは二回ほどバビロンの王であった。
703年と721∼709年 B.C.であった。この出来事は
703年であった。
b.ヒゼキヤの罪は愛国主義のプライドであった。自分の国も
強いというプライドであったから、神に対する信頼がなく
なっていた。
2 イザヤの質問(3∼4節)――ヒゼキヤははっきり自分の罪がわ
かるようになるための質問であった。
3 神の罰(5∼7節)
a.「万軍の主。」(5節)ヒゼキヤのユダの力は神の力に全く
比べられなかった。
b.ヒゼキヤの罪は書いていない。なぜなら、ヒゼキヤは自分の
良心ですぐわかったに違いない。
- 44 -
4
VI
ヒゼキヤの反応(8節)――これはわがままであったか。いいえ、
悔い改めであった。そして、神の罰は自分に対して厳しくなかっ
た事の感謝であった。
神の主権と約束(40章∼48章)
A エルサレムを助ける造り主である神(40章)――イザヤ書の後半は
ここで始まる。
1 エルサレムに対する良い知らせ(1∼12節)
a.誰がエルサレムを慰めるべきであろうか。(1∼2節)動詞
は複数であるから、多分預言者たちであろう。イザヤがこの
40章でこの命令に従っている。
b.「荒野に呼ばわる者の声。」(3∼5節)イザヤを含めて(1
:1)、預言者は幻を見ることがよくあった。しかし、イザ
ヤは幻の他に言葉も聞く。
①これはバプテスマのヨハネを預言している。福音書の四つ
ともはこれを教える。(マタイ3:3、マルコ1:3、
ルカ3:4∼6、ヨハネ1:23)ヨハネは王のイエスの
道を備えた。
②当時の中東の国王がどこかを訪ねるときに、使者は前に
行って、王の行く道を修理する習慣があった。この預言に
は、ヨハネの成就は霊的であったが、千年王国に物質的な
成就もあるかも知れない。
c.主のすごい御言葉(6∼8節)
①イエスはこれを覚えられ、御自分の神性を語られた。(マ
タイ24:35、マルコ13:31、ルカ21:33)
②神は御自分の語る象徴を同じ箇所で解釈してくださった。
しかし、ペテロはもっと詳しく解釈した。(1ペテロ1:
23∼25)草は人間という意味で、花は人間の栄光であ
る。しかし、救いを語る御言葉は永遠である。
d.「神である主」の姿(9∼11節)
①この命令形の動詞は女性形であるから、知らせを伝えるべ
き者は女性として譬えられる(1:8などに)シオン(エ
ルサレム)である。そうするとこういう翻訳になる:「シ
オンよ。良い知らせを伝える者よ 。」(9節)シオンは象徴
的に山に上り、主の民に良い知らせを伝えるべきである。
- 45 -
B
②良い知らせは何であろうか。主が羊飼として助けに来られ、
バビロンのユダヤ人を捕らわれからエルサレムに連れて行
かれる。
2 比べのない神(12∼31節)
a.神の質問――誰が(12∼17節;ヨブ38:41に比べ
よう。)
①この言葉の絵は面白いである。(12∼14節)主に教え
る者は想像にもつかない絵である。
②13節の「霊」はヘブル語の ruah であり、普通は霊(創世
記1:2)か息(創世記7:22)の訳になるが、ここは
「精神」とか、「心」という可能がある。(創世記26:
35に比べよう)誰も主の霊も精神も理解ができない。
③神は人間を一人一人愛しておられる(ヨハネ3:16)が、
全世界の国々の力は主である神にとって水一滴のようであ
る。(15∼17節)
b.偶像は絶対に比較にならない。(18∼20節)これも面白
い。銀の鎖や重い下半分で立たせられた偶像は、全然力がな
い。
c.神の質問――「知らないのか。」(21∼26節)
①神は子供を叱っている父親のようである。イスラエルは神
の主権を忘れていた。彼は歴史を動かす神でおられる。
②「地のおおう天蓋。」(22節)直訳すると、「地球の丸」
になる。聖書は、2700年前に地球が丸いであるという
事を教えた。(地球が回ることはルカ17:34∼36に
教えられている。)
d.神の質問――なぜか。(27∼31)
①バビロンの星占によると、天の星は人間の人生を支配する。
でも、この箇所によると、神は天の星を支配される。星占
は愚かである。
②この箇所は神学生に大きな励みを与える
歴史の主である神に対する訴え。(41章)41章は裁判所の舞台で
ある。
1 国々に対して神の挑戦(1節)
a.「諸国の民よ。新しい力を得よ 。」これを40章31節に比べ
ると、皮肉的であることがわかる。
- 46 -
b.この「裁きの座」には、裁判官はいない。主の他に裁判がで
きる方はおられない。神は諸国に皮肉的にこうおっしゃって
おられる:「わたしを訴える力があると思うなら、訴えよ。」
でももちろん誰も主である神を攻めたり裁いたりすることが
できない。
2 神の証拠(2∼20節)
a.第一証拠――ペルシアのクロス王の勝利の預言。(2∼7節)
こういう預言は聖書の神の神性を証明する。
①イスラエルの1世紀の歴史家であった Josephus(ジョシフ
ァス)によると、クロスの200年以上前に預言された。
②これは誰を預言していたとはちょっと議論されているが、
クロスにぴったりである。
( a) クロスはバビロンやイスラエルの東から来た。
( b) クロスの軍隊は全然負けなかった。
( c) クロスはペルシアから遠く行き 、「まだ歩いて行った
ことのない道を」(3節)沢山歩いた。
③国々の助けは偶像に過ぎない。(5∼7節)
b.第二証拠――主はイスラエルを支え助けてくださる。(8∼
16節)
①アブラハムは神の友と言われた。(8節、2歴代誌20:
7、ヤコブ2:23)神の他の友はモーセ(出エジプト
33:11)であったが、エノク(創世記5:21∼24)
やダビデ(1サムエル13:14)やダニエル(ダニエル
10:11、19)は神に親しかった。また、イエスの友
はバプテスマのヨハネ(ヨハネ3:29)や弟子たち(ヨ
ハネ11:11、15:13∼15)であった。
②神は決して御自分の民であるユダヤ人を捨てることがない。
c.第三証拠――主は祈りに答えられる。(17∼20節)
3 国々の訴えの番。(21∼24節)本当の神なら、何かができる
はず。
4 主の結論(25∼29節)――主には永遠の力がある。主が真の
神である証拠が沢山あるが、主はここで少しだけでそれを証明さ
れた。
a.主の預言がいつも成就される事は主の力を証明する。(25
∼26節)例としてはクロスに関する預言である。偶像崇拝
- 47 -
C
者の予言者は一人もこれを予言していなかった。クロスは「日
の出る所」であるペルシアからバビロンに入り、北から南へ
攻撃した。
b.「良い知らせを伝える者」も主の力を証明する 。(27節)こ
れはイザヤのことであった。クロスの来ることはイスラエル
にとってとても良い知らせであった。敵からの救いも罪から
の救いも主からしか来ない。
c.偶像の神々は主に答えられないことも、主が真の神でおられ
ることを証明する。(28∼29節)
主のしもべの出現。(42章)この章でメシヤを預言する「しもべの
歌」がはじまる。「しもべの歌」は四つある:42:1∼9、49:
1∼13、50:4∼11、52:13∼53:12 でも、主のし
もべは、「しもべの歌」にだけではなく、イザヤ書42∼66章にし
もべは時々メシヤであるし、時々イスラエルを示すし、時々両方であ
る。前後関係や新約聖書によって正しい解釈ができる。
1 最初の「しもべの歌」(1∼9節)
a.1節はイエスのバプテスマ(マタイ3:16∼17)を預言
した。
①神の天からの御声
②下って来られた御霊
b.メシヤはじめて軍事力で来られなかった。(2∼4節、ヨハ
ネ18:36)イエスの奉仕は政治の問題を一切解決しよう
としなかった。この箇所は文字通り成就された。(マタイ
12:16∼21)しかし、主は再臨の時に、力を持って
来られる。(マタイ24:30)
c.主のしもべに関するご計画(5∼9節)
①全ての創造主はまたすばらしい事をしてくださる。(5節)
②主のしもべの奉仕(6∼7節)
( a) 新しい契約を持って来られる。
( b) 「盲人の目を開き…。」イエスは霊的にも具体的にも
盲人を癒された。
( c) 「囚人を牢獄から、やみの中に住む者を獄屋から連れ
出す。」これは罪という牢獄である。
③主御自身は御自分の栄光のために御自分の栄光でこれらを
行われる。この預言は必ず成就する。(8∼9節)
- 48 -
2
D
新しい歌(10∼13節)――この箇所は詩篇によく似ている。
a.新しい歌は教会、またクリスチャン生活の助けである。私た
ちも時々新しい聖歌を作るべきである。
b.主御自身は御自分の計画を賛美される。私たちもメシヤを
考えるごとにイエスの賛美を歌うべきである。
c.主は御自分を勇者や戦士に譬えられた。(13節)これはバ
ビロンの捕らわれからの自由だけではなく、再臨をも示して
いる。
3 主のしもべを通して、主の助け(14∼20節)
a.14節の象徴は現代人にとって分かりにくいであろう。主は
どういうふうに赤ちゃんを生む母のようであろうか。赤ちゃ
んはイスラエルであった。バビロンの捕われの後、主がとう
とう御自分の民を新しい国として自由にされた。イスラエル
の苦しみは長かったが、主の助けは確かであった。
b.偶像に頼る者はメシヤの再臨のときに恥となる。(17節)
現代の New Age Movement(新時代運動;日本の「幸福の
科学」は含まれている)は古い偶像も(例えば、エペソの
大女神アルテミスのリバイバルがある)新しい霊も拝んだり
頼ったりするが、主に比べると力がない。
c.でも、イザヤがこれを書いた当時に、イスラエルは神に反対
していた。(18∼20節)
d.
「わたしのしもべほどの盲目の者が、だれかほかにいようか。」
(19節)これを前後関係に比べると、メシヤではなく、
不従順のイスラエルを示していることがわかる。
4 イスラエルの不従順(21∼25節)
a.「みおしえ」(21、24節)の言語は「トーラ」である。
普通はモーセ五書として解釈されているが、多くの場合は
御言葉という意味をもつ。
b.不従順は大変悪い罪である。(24節、1サムエル15:
23)
拒まれた主の豊かな恵み(43章)
1 一緒に行かれる主(1∼7節)
a.造り主の守り(1∼2節)
①主はイスラエルをお造りになったので、御自分の物として
お贖いになる。
- 49 -
②主はイスラエルを水からも炎からも救い出してくださる。
これは全ての危険という意味であった。
b.守ってくださる理由(3∼4節)
①イスラエルの主であるから
②主はイスラエルを愛するから
c.造り主の御計画――イスラエルの召集(5∼7節)
2 主の証人であるイスラエル(8∼13節)――これもまた裁判の
形である。
a.証人たち(8∼10節)――主は唯一の神であろうか。もち
ろん!
①まず、「目があっても盲目の民、耳があっても耳しいた者
たち」のイスラエルが出てきた。(8節)主の御教えに
従いたくなくても、イスラエルは唯一の神の証言をするこ
とができる。
②それから、相手の証人になる世界のすべての国民が出た。
(9∼10節)もし他の神々に仕える者は遠い未来を正確
に予言することができれば、それが証拠となる。でも、だ
れもそういう予言ができる者は出なかった。また、「その
予言は本当に成就された。」と言える証人も出なかった。
b.評決(11∼13節)――こう言える――主は偉い、諸国の
民は有罪、神々は非実在である。あるいは、イザヤの言葉で
言えば、評決はこれである――
①「わたし、このわたしが、主であって、わたしのほかに
救い主はいない。」(11節)つまり、神は唯一である。
②諸国から証人は出なかったので、諸国の静まりが主の証拠
となった。(12節)
3 主の御名の預言(14∼15節)――御自分の御名で助けを約束
された。
a.「イスラエルの聖なる方」
b.「主」
c.「イスラエルの創造者」
d.「あなたがたの王」
4 主の新しいこと(16∼21節)
a.主は昔、色々な奇跡でイスラエルをエジプトから救い出され
たのである。主は海に道を開かれ、敵の軍を倒された。
- 50 -
E
b.しかし、イスラエルはそれを忘れよう。主は新しい奇跡をな
さる。今度は逆になる。主は荒野で道をお造りになり、
「荒野に川を設ける。」これは選ばれた国民のイスラエルの
ためであった。
5 主を拒むイスラエル(22∼24節)
a.主はそのようなすばらしい約束をなさったのに、イスラエル
はまだ反逆の国民であった。
b.この箇所はいけにえの礼拝に反対していない。外面的ないけ
にえに反対している。イスラエルの偽善のいけにえは主に
とって罪となった。
c.「お金を払って菖蒲を買わず…。」(24節)これは聖なるそ
そぎの油を作るためであった。(出エジプト30:22∼
33)
6 主の救いと裁き(25∼28節)――主しかイスラエルを救った
り裁いたりする方はおられない。
イスラエルの偉い神と偶像崇拝の愚かさ(44:1∼23)
1 偉い主の力と助け(1∼8節)
a.「あなたを母の胎内にいる時から形造って、あなたを助ける
主 。」(2節)主は御自分の預言者たちに対してこの言い方を
されることがあった。(ダビデ=詩篇139:13、イザヤ
=イザヤ49:1、エレミヤ=エレミヤ1:5、バプテスマ
のヨハネ=ルカ1:15)
b.ヤコブとエシュルン(2節)――同じ節に神はイスラエルに
二つの名前を比較するために用いられた。
①ヤコブの意味は「だます者」である。イスラエルは国とし
て偽善者のときが多くあった。神はイスラエルをしかると
きにこの名前を用いられた。
②しかし、エシュルンの意味は「正しい者」という意味であ
る。(申命記32:15、33:5と26にも出る)主は
イスラエルの道徳を話されるときにこの名前を用いられた。
③この箇所に両方の名前が使われた理由は、主がいつもイス
ラエルを愛されている、という意味である。
c.「わたしの霊をあなたの…子孫に注ごう。」(3節)これは
五旬節のリバイバル(使徒1∼2章)を預言していた。(ヨ
エル2:28∼29もご覧ください。)でも、個人的な約束
- 51 -
F
の照明の可能もある。(マタイ5:6もご覧ください。)
d.「ある者は手に『主のもの』としるして…。」(5節 )「手で」
の方がいい翻訳であろう。入れ墨は禁じられていたからであ
る。(レビ記19:28、黙示録13:16)
e.6∼8節は出エジプトを思い出させる。岩である主は出エジ
プト17:6や申命記32:4にも出られる。
2 偶像を造る者の愚かさ(9∼20節)
a.「偶像を造る者はみな、むなしい。」(9∼11節)
b.「鉄で細工する者」(12節)
c.「木で細工する者」(13∼20節)――聖書のなかで、たぶ
んこの箇所は最もはっきりと偶像崇拝の愚かさを見せるであ
ろう。
3 主を覚えるべきイスラエル(21∼23節)
主の用いられるクロス(44:24∼45:17)
1 クロスの名前は彼が生まれる150年間以上前に2回ほど(44
:28、45:1)イザヤ書にのってあるから、この箇所は上等
批評によく攻められている。
a.現代主義者は奇跡の存在を認めないから、遠い未来の預言も
認められない。したがって、イザヤはこの箇所を書いた可能
性がないと言われている。その代わりに、 Deutero-Isaiah(第
2イザヤ)がイザヤ書のこの部分を書いたと言われている。
そして、現代主義にとって、クロスの名前がここに出ている
ことは Deutero-Isaiah の存在の最も強い証拠であろう。
b.でも、Deutero-Isaiah の存在の外面的な証拠は全然ないし、イ
エス御自身もイザヤがイザヤ書の前半も後半も書いたことを
認められた。(ヨハネ12:38∼41には、イエスはイザ
ヤ書の2箇所<53:1と6:10>を引用され、イザヤ書
からであると言われた)
c.信仰がないなら、証拠はどんなに多くても奇跡を認めないの
は当然であろう。奇跡の存在はまず心で信じたら、証拠が
沢山あるということがわかる。
2 主のイザヤに対する御言葉(44:24∼28)
a.神は預言者だけではなく、クロスをも「母の胎内にいる時か
ら形造った。」(24節)
b.誰かに前もって名前をつける(28節)ような預言は珍しい
- 52 -
3
4
である。イエスとクロスを除いて、そういう人物はヨシヤだ
けであった。(1列王記13:2)
c.「再建される。神殿は、その基が据えられる。」(28節)ク
ロスは紀元前538年に神殿の再建を命じた。(エズラ1:
2∼4)
主のクロスに対する御言葉(45:1∼8)
a.「彼の前に諸国を下らせ…。」(2節)クロス自身はこれを
勉強した。(エズラ1:2)
b.3節の宝はバビロンや Lydia(リディア)であった。クロス
は両方を倒した。リディアの王は Croesus(クリスス)で
あった。彼のすごい宝は伝説になった。クリススはギリシャ
のデルフィ市の神託の予言を信じてクロスと戦ったが、紀元
前546年にサルディス市で負けてしまい、捕虜となった。
でも、クリススはクロスの助言者になった。
c.「あなたが知るためだ」(3節)と「あなたはわたしを知らな
いが…。」
(4節)クロスは「クロスの円筒形の物」によると、
マルダックという偶像に栄光を捧げたが、彼は真の神の栄光
をも学んだ。多分ダリオスを通してであった。(ダニエル6
:25∼28)
d.クロスは紀元前539年にバビロンを倒した。(ダニエル5
:30∼31)
①メディヤは現代イランの北西部にあり、カスピ海の南で
あった。
②言語や文化はペルシアのにとても近かった。
③クロスはペルシアの王であった。彼はメディヤを征服して
から、ダブル王国を造った。ペルシアもメディアも同じ
権威を持っていたはずであったが、具体的にペルシアのほ
うが上であった。ダリヨス(名前ではなく、題名であった)
はメディヤ人の将軍で、クロスの命令に従ってバビロンを
倒した。方法はダムでバビロンに入るユーフラテス川を
止めて、川の底を歩いて都市に入った。バビロンは祭りを
祝っていたので、攻撃軍に負けてしまった。(ダニエル5
章)
主に反対する人に対する災い(45:9∼13)
a.この箇所は主を一般的な人間の創造主として見るが、特にク
- 53 -
G
H
ロスの創造主として見る。自分を造った方に対する不従順は
とても悪いである。
b.「私の捕囚の民を解放する。」(13節)これはクロスを通し
て文字通りに成就された。バビロンの捕われのイスラエル人
は皆自由にされた。(エズラ1:3)
5 主のイスラエルに対する御言葉(45:14∼17)
a.14節の「エジプトの産物と、クッシュの商品、それに背の
高いセバ人もあなたのところにやって来て…」とは、千年
王国の前の召集を示しているであろう。なぜなら、17節に
よるとこの状態は永久である。
b.異邦人の救いは偶像崇拝を捨てることに関係があった。これ
はいつもそうである。
全能者の神の救いの招き(45:18∼25)
1 神の招きは彼の創造と彼の正しい御言葉に基づいている。(18
∼19節)
2 国々は自分の神々に救いを見つけなかったので、集まって、
「正義の神、救い主」である主に聞くべきである。(20∼21節)
3 人間には、二つの道しかないのである。(22∼25節)
a.自分で決心して、主に仰ぎ見て救われる決心。
b.強いて主にひざまずくこと。「すべてのひざはわたしに
向かってかがみ、すべての舌は誓い、わたしについて、『た
だ、主にだけ、正義と力がある。』と言う。」(23b∼24
a、ピリピ2:9∼11)これはキリストの裁きの座をも(ロ
ーマ14:10∼13)大いなる白い御座の裁きをも(黙示
録20:11∼15)預言している。
バビロンの死んでいる偶像と生きておられる真の神。(46章)
1 今までイザヤは一般的に偶像崇拝に反対したが、ここではじめて
偶像の名前も言う。(1∼2節)
a.ベル(マルダックとも言われた)――バビロン市のバアル(「主」
という意味で、カナンの各地方の神々)であった。バビロン
人にとって、ベルは最も偉い偶像で、命を与えたり正義と火
のバアルであった。
b.ネボ――「報告者」という意味で、ボルシッパ市のバアルで
あった。人間の運命を決めるバアルとして信じられていた。
c.この神々は自分の運命さえも影響ができなくて、獣に乗せら
- 54 -
れて、重荷となってしまった。そして、その獣は疲れてし
まった。クロスはこの二つの偶像崇拝を破壊しなかったが、
結局この預言の文字通りにこの神々の宗教は消えてしまった。
2 しかし、真の主は重荷を負ってくださる神である。(3∼4節、
申命記32:1)
3 主を偶像のように量ったり立たせたりすることができない。(5
∼7節)
4 主の忠告と励みの言葉(8∼13節)
a.イスラエル人は主に聞いたり従ったりしなくても、主は
変わらないし、イスラエルを救われる。人間は信じても信じ
なくても関係がない。
b.「わたしは、東から猛禽を…。」(11節)クロスを預言する
言葉はまた証拠としてあげられた。不思議に、Xenophon
(ゼノフォン、ギリシャの歴史家)によると、クロスは長い
槍につけられた金のわしを軍人に運ばれるように命令した。
I バビロンの堕落と恥(47章)――これは「あざけりの詩」であり、
とても皮肉的である。(37:21∼35に比べてください)
1 奴隷になるバビロン(1∼4節)
a.バビロンは奴隷になった女王に譬えられた。
b.「優しい上品な女」(1節)は申命記28:56に似ている。
ぜいたく的に暮らしていた女王は奴隷になり、恥ずかしく
なった。
2 静かになるバビロン(5∼7節)――ツロ(エゼキエル28:1
∼10)と同様に、バビロンの主な罪はプライドであった。残酷
なバビロンは話せなくなる。
3 全部を失うバビロン(8∼11節)――「私だけは特別だ」とは、
「わたしはある」(出エジプト3:14、イザヤ45:5、など)
と言われる主に直接に挑戦した。であるから、裁きは当たり前で
あった。(ヤコブ4:6)
4 バビロンを助けられない魔術(12∼15節)
a.バビロンに魔法が大きな影響をもっていた。(ダニエル1:
19∼2:13、48)いくつかの種類があったが、ユダヤ
人にとって全部は禁じられていた(申命記18:9∼15)
が、バビロンの魔術師はインテリであり、尊敬されていた。
①呪文――これは魔法を行うための決まった言葉である。し
- 55 -
J
かし、言語はここしか出ないで、「守り」と翻訳する可能
性もある。
③呪術――魔法を行うためのわざである。バビロンの呪術は
出来事や神々をコントロールしようとした。色々な道具は
使われていた。
④星占い――バビロンの星占は国家を代表する王の運命を
知るためであった。種類は三つあったが、誰も天文学を
知らなかった。
( a) 「天を観測する者 」(13節)とは、星占師を示すヘ
ブル語であった。空の出来事の位置(北、南、東、
西)によって予言した。
( b) 「星を見る者」は、現代の星占師と同様に星座によっ
て予言した。
( c) 新月の位置によって予言する星占師もいた。
b.「若い時からの使い古しの呪文」――魔術師になるために、
長い勉強や訓練をしなければならなかった。バビロンに
魔術師のために、特別な住まいもあった。それなのに、いざ
となると全部は無駄であった。
主のイスラエルに対する御計画(48章)
1 過去の御計画(1∼11節)
a.真面目に信じていないイスラエル(1∼2節)――ユダヤ教
は外面的になってしまった。主の御名を儀式的に使うように
なってしまった。
b.遠い未来を預言される主(3∼5節)
c.新しい預言をなさる主(6∼7節)
d.「そむく者」のイスラエル(8節)
e.御自分のためになさる主(9∼11節)
2 贖いの御計画(12∼22節)
a.主のしもべが話される(12∼15節)
①「わたしは初めであり、また、終わりである 。」(12節)
主の御名の一つである。(41:4、44:6)ヨハネは
これをイエスの御名として解釈した。(黙示録1:17、
2:8、22:13)
②「あなたのしあわせは川のように 。」(18節)これはすば
らしい象徴である。しかし、「しあわせ」とは、かわった
- 56 -
訳である。原語はシャローム(平和、平安)である。
(22節も)
b.主がはっきりと命令される主である。(16∼19節)啓示
された御心はとても明らかであるのに、イスラエルは従って
いなかった。(16節)
c.イスラエルはバビロンから逃げることができるようになる。
(20∼22節)
①聞きたくない生徒に教える教師はとても辛いである。
(17∼19節)
②「『悪者どもには平安がない。』と主は仰せられる 。」(22
節)話題は急に変わったらしいであるから、これは自由
主義者に非難されている。でも解釈は簡単である。20節
のバビロンを示している。
VII
A
主のしもべに関する福音(49章∼57章)
主のしもべとイスラエルの回復(49章)(しもべの歌、第二)
1 犠牲になられたメシヤは全世界にほめ讃えられる。(1∼7節)
a.これはメシヤではなく、イスラエルを国として見ている章で
あるという説もある。しかし5∼7節ははっきりと一人だけ
示している。3節はメシヤを理想的なイスラエル人として
見ている。
b.「主は私の口を鋭い剣のように 」(2節)――イエスの語る御
言葉は鋭いである。(黙示録1:16)
c.「諸国の民の光」はイエスをも(ルカ2:32)イエスのし
もべをも(使徒13:46∼47)示している。
2 メシヤこそは新しい契約である。(8∼13節)
a.これは天国で成就される。(黙示録7:15∼17)
b.
「ある者はシニムの地から来る。」
(12節)これは中国(China)
である。ユダヤ人は大昔、ペルシアを通して中国にも行った。
この箇所によると、千年王国のとき、人々は遠い東からもエ
ルサレムに参る。
3 主はシオンを忘れておられない。(14∼21節)
a.主は二つの象徴で御自分の哀れみを語られた――母の愛と手
きずあと
の傷痕。母の愛は世界中に通じるし、手の傷痕はなくならな
い。
- 57 -
B
b.「手のひらにあなたを刻んだ」(16節)とは、入れ墨ではな
い。(レビ19:28)傷痕である。イエスの傷痕は神の愛
の印である。
4 異邦人もメシヤをほめ讃える。(22∼26節)
比べよう――イスラエルの罪としもべの従順。
(50章)
(しもべの歌、
第三)
1 助ける力のある主(1∼3節)
a.1節に象徴は二つある。
①妻であるイスラエル――この象徴はイスラエルを示すため
によく旧約聖書に用いられた。(エレミヤ31:32、な
ど)この箇所によると、離婚を証明する離婚状(申命記
24:1)はないから、神は妻のイスラエルを捨てられて
いない。
②借金のある神――あるユダヤ人は借金を払うために自分の
子どもを売ることがあった。(出エジプト21:7、2列
王記4:1、ネヘミヤ5:5)でも、神には借金がある訳
はないから、もちろん御自分の子どもであるイスラエルを
売ることが不可能である。
b.主はイスラエルを助けようとされたとき、イスラエ
ルは主に答えなかった。(2節前半)イスラエルが
奴隷になった理由は、神のせいではなく、イスラエ
ルの反逆のせいである。
c.主の力は助けるのに十分である。(2節後半、3節)
2 主が助けられたしもべ(4∼9節)
a.しもべの言葉(福音)は励みであり、救いである。(4∼5
節)
b.メシヤの死に方の預言(6∼9節)――これらは当時の中東
の犯罪人によく用いられた罰であった。(民数記12:14、
申命記25:9、マタイ26:67と27:30)
①預言――「打つ者に私の背中をまかせ…。」(6節)成就
――イエスは兵士たちにむち打たれた。(マタイ27:
26)
②預言――「ひげを抜く者に私の頬をまかせ…。」(6節)
成就――この成就は新約聖書に書いていない。でも、よく
あった罰である。(ネヘミヤ13:25)
- 58 -
C
③預言――「侮辱されても、つばきをかけられても、私の顔
を隠さなかった。」(6節後半)成就――裁判のときにも
十字架上のときにも。(マタイ26:67、27:30と
39∼44)
④預言――「さばきの座にともに立とう。どんな者が、私を
訴えるのか。」(8節後半 )「だれが私を罪に定めるのか。」
(9節前半)成就――誰も正直にイエスの罪を示すことが
できなかった。(ヨハネ8:46、18:38、19:4
∼6)
⑤イエスはよろこんで私たちの罰を受けてくださった。「私
は顔を火打石のようにし…。」(7節、ルカ9:51)
3 二つの選択――主の光について行くか、自分の光に歩むか。
(10∼11節)
三つの命令――け、さめよ、去れよ。(51章∼52:12)
1 「聞け。」(1∼8節)
a.1節の「切り出された岩」と「掘り出された穴」とは、2節
に解釈された――アブラハムとサラである。
b.主はイスラエルをエデンの園のようにしてくださる。(3∼
5節)
c.主の永遠の救いに比べると、天と地は一時的である。(6∼
8節、黙示録21:1)
2 「さめよ。」(51:9∼52:10)
a.主御自身が立ち上がり、全てを直してくださる。(51:9
∼16)11節は千年王国のすばらしいビジョンである。「主
に贖われた者たちは帰って来る。彼らは喜び歌いながらシオ
ンにはいり、その頭にはとこしえの喜びをいただく。楽しみ
と喜びがついて来、悲しみと嘆きとは逃げ去る。」
b.エルサレムも目をさめる。(51:17∼52:10)
①「憤りの杯」――神の裁きの象徴である。その裁きはイス
ラエルから取られ、その敵に与えられる。(51:17∼
23)
②イスラエルの贖い(52:1∼10)――患難時代にも(7
節)教会の時代にも(ローマ10:15)、伝道者の足が
美しい!!
3 「去れよ。そこを出よ。」(52:11∼12)
- 59 -
D
a.「汚れたものに触れてはならない。」(11節)これは帰国す
るイスラエルだけではなく、教会時代の私たちもこの世の
汚れから分離すべきである。(2コリント6:17、ユダ
23節、など)
b.出エジプトと同様に(出エジプト13:21)、主はイスラ
エルの前を後ろをも守ってくださる(12節)から、イスラ
エルは無事に約束の地に入ることができる。
悲しむしもべと彼の擁護(52:13∼53:12)(しもべの歌、
第四)
1 この箇所の預言と成就――
a.預言――「その顔だちは、そこなわれて人のようではなく、
その姿も人の子らとは違っていた。」(52:14)十字架の
前に受けられた苦しみ(心の苦しみを含める)と十字架の
死に方は余りにもひどかったから、イエスの姿は人間のよう
に見えなくなってしまった。
b.預言――「彼は多くの国々を驚かす 。」(52:15)成就:
「驚かす」の代わりに、「振り掛ける」と訳すれば、これは
イエスの大祭司としての働きを通して成就された。
c.預言――「彼らは、まだ告げられなかったことを見、また
聞いたこともないことを悟るからだ。」(52:15後半)
成就――国々は福音を聞いた。(ローマ15:20∼21)
d.預言――「私たちの聞いたことを、誰が信じたか。主の御腕
は、誰に現れたのか。」(53:1)成就:多くのユダヤ人は
メシヤを信じられなかった。(ヨハネ12:37∼38、ロ
ーマ10:16)
e.預言――「まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛み
をになった。…彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。」
(53:4前半と5節後半)成就――イエスの癒しの奉仕。
(マタイ8:16∼17)
f.預言――「だが、私たちは思った。彼は罰せられ、神に
打たれ、苦しめられたのだと。しかし、彼は、私たちのそむ
きの罪のために刺し通さ れ、私たちの咎のために砕かれた。
彼らへの懲らしめが私たちに平安をもたらし… 。」(53:4
後半∼5前半)成就:イエスの罪のための贖い。特に、手と
足とわき腹の傷である。(マタイ27:38、ヨハネ19:
- 60 -
33∼34、など)
g.預言――「彼は痛めつけられた。彼は苦しんだが、口を
開かない。ほふり場に引かれて行く子羊のように、毛を刈る
者の前で黙っている雌羊のように、彼は口を開かない。」
(53:7)成就――裁判で御自分を守らなかったイエス。
(マタイ27:11∼14、ルカ23:8∼10、ヨハネ
19:8∼11、使徒8:32∼35)
h.預言――「彼は富む者とともに葬られた。」(53:9前半)
イエスはお金持ちのアリマタヤのヨセフの墓に葬られた。(ル
カ23:50∼53)
i.預言――「彼の墓は悪者どもとともに設けられ…。」(53:
9前半)「そむいた人たちとともに数えられたからである。」
(53:12後半)成就――イエスは強盗と一緒に十字架に
つけられた。(マタイ27:38、ルカ22:37)
j.預言――「彼は暴虐を行わず、その口に欺きはなかったが。」
(53:9後半)イエスは完全な方で、罪を決して犯さな
かった。(1ペテロ2:21∼24)
k.預言――「彼は多くの人の罪を負い、そむいた人たちのため
にとりなしをする。」(53:12)イエスは十字架上で罪の
贖いをなさった。
l.預言――「彼は末永く、子孫を見ることができ…。」(10節
後半)死んでから生きる事であるから、キリストの復活を
預言している。
2 この箇所の解釈。とてもすばらしくてたいへん深い箇所であるか
ら、この短時間で詳しく解釈ができないが、できるだけ主な文章
を解釈しよう。
a.この箇所の原語は難しいである。したがって、70人訳を
使って、下等批評で言葉を変えようとしたり違う読み方を
当てたりすることがよくある。しかし、死海写本は伝統的な
写本をほとんどいつも支えるか ら、本当の問題がほとんど
ない。
b.この苦しむしもべは明らかにイエス・キリストである。しか
し、あるユダヤ教や現代主義の学者はこのしもべをイスラエ
ルとして解釈する。でも、そういう解釈は幾つかの理由で
大変守りにくいである。
- 61 -
①イスラエルはよろこんで捕らわれに行かなかった。かえっ
て、イスラエルの歴史は反乱で満ちている。
②イスラエルは国として異邦人の罪の贖いをすることができ
ない。
③イスラエルの捕われはその国の死で終わらなかった。
c.「見よ。わたしのしもべは栄える。彼は高められ、上げられ、
非常に高くなる 。」(52:13)メシヤは成功する。たぶん
「上げられ」とは、十字架を預言している(ヨハネ3:14、
8:28、12:32∼34)が、父なる神が成功したメシ
ヤに栄光を与えることも示されているに違いない。(ピリピ
2:9∼11)
d.「そのように、彼は多くの国々を驚かす。」(13節前半)
解釈の可能性は二つある。
①「驚かす」とは、「振り掛ける」というふうにも翻訳がで
きる。そうすれば、これはメシヤの大祭司としての奉仕を
示している。(出エジプト29:20∼21、レビ16:
14∼15)ローマ15:21によると、15節の後半は
福音を宣べ伝えることを示しているから、たぶん前半は
福音を示しているであろう。
②しかし、70人訳は「驚かす」と訳した。アラム語にもそ
のような語根があるから、大勢の学者はこう訳する。また、
これは前後関係が支える解釈であるから、正しいのであろ
う。メシヤの死と復活は確かに国々を驚かした。
e.「多くの者があなたを見て驚いたように――その顔だちは、
そこなわれて人のようではなく、その姿も人の子らとは
違っていた 。」(14節)イエスの々な苦しみによって、彼の
姿は傷だらけになった。
f.「彼は主の前に若枝のように芽生え…。」(2節前半)バビロ
ンの宗教に、タンムズ(エゼキエル8:13∼14――ギリ
シャの宗教のアドニス)という神があった。タンムズが
死んだりよみがえったりすることは、中東の暑い夏と回復さ
せる梅雨を示したと思われていたから、キリストの復活を
認めない現代主義者によると、この箇所がタンムズの宗教か
ら取られた。しかし、タンムズはキリストに全然似ていない。
例えば、タンムズを復活させたのは彼の妻であったし、タン
- 62 -
ムズの拝み方は道徳的にとても汚いであった。
g.「砂漠の地から出る根のように育った。」(2節前半)実を
結ぶために、種は死ななければならない。(ヨハネ12:
24)同様に、キリストも死なれ、多くの実を結ばれた。
h.「まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みをになっ
た。」(4節前半)「彼の打ち傷によって、私たちはいやされ
た。」(5節後半)
①ペンテコステ派やカリスマ運動の解釈はこうである。これ
によると、肉体的な癒しもキリストの贖いに含まれている
から、病人の癒しはいつも御心である。しかし、この解釈
はパウロの病気(2コリント12:7∼10)や全人類の
死(ヘブル9:27)を無視する。
②ペンテコステ派に反対するために、あるバプテストの解釈
者はこの箇所を霊的にだけ解釈する。そう解釈すれば、
肉体的な癒しはキリストの贖いに含まれていない。しかし、
新約聖書ははっきりと肉体的な癒しの解釈をしているから
(マタイ8:16∼17)、これは守りにくい解釈である。
③正しい解釈――霊的な癒しも肉体的な癒しもキリストの
贖いに含まれている。しかし、聖書にその癒しが必ず地上
で行われる教えがない。体の完全な癒しは天国で行われる。
(1ヨハネ3:2、黙示録21:4、など)
i.「しかし、彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、
私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに
平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。」
(5節)これははっきりとキリストの身代わりの贖いを預言
しているから、キリストの時代より、ユダヤ教は会堂で聖書
を読むときに、このイザヤ52:13∼53:12だけ
読まないそうである。
j.「ほふり場に引かれて行く子羊のように、毛を刈る者の前で
黙っている雌羊のように、彼は口を開かない。」(7節後半)
バプテスマのヨハネ(ヨハネ1:29)やルカ(使徒8:
32)やペテロ(1ペテロ1:19)や使徒ヨハネ(黙示録
に27回)は皆、イザヤが教えた子羊であるキリストを
覚えた。
k.「彼の墓は悪者どもとともに設けられ、彼は富む者とともに
- 63 -
E
F
葬られた。」(9節前半)キリストの敵の計画は彼が犯罪人と
して葬られることであったが、父なる神の助けでお金持ちの
アリマタヤのヨセフのお墓に葬られた。
主の御計画によってエルサレムのすばらしい将来。(54章)
1 「子の産まない不妊の女」が大勢を産む。(1∼3節)
a.聖書時代には、子の産まない不妊の女は恥ずかしかった。(1
サムエル1:4∼8など)
b.パウロによると、この約束は「上にあるエルサレム」のため
であり、教会のためにもある。(ガラテヤ4:26∼28)
c.「夫に捨てられた妻。」(1節)聖書の象徴をあまり詳しく
解釈しては間違いである。例えば、主はもちろん「不正な
裁判官」ではない。(ルカ18:1∼8)
d.主はイスラエルに子どもを大勢与えられるから、イスラエル
は天幕を新しく造る必要がある。(2節)人口の爆発になる!
2 捨てられた妻の恥がなくなる。(4∼10節)
a.一節だけに(5節)、主の名が四つのってある:造り主、
万軍の主、贖い主、イスラエルの聖なる方。
b.「若い時の妻」(6節)は特に愛されている。(箴言5:18、
マラキ2:14)主はそのようにエルサレムを愛されている。
c.ノアに与えられた約束(創世記8:20∼22)が守られて
いるように、主はエルサレムを造り直す約束をも守られる。
(9節)
d.10節はすべての時代の聖徒たちにとってすばらしい約束で
ある。
3 エルサレムは新しく造られる。(11∼14節)これは黙示録
21:10∼27に成就される。
4 主ご自身はエルサレムを守ってくださる。(15∼17節)
a.主は武器を作る人間を造られたので、もちろんエルサレムを
どんな武器からでも守られる。
b.17節の「しもべたち」は複数であるので、私たちのための
約束である。
永遠の救いのメッセージ。(55章)この箇所は旧約聖書の中の最も
伝道的な招きであろう。神はイザヤを通して、異邦人を含めて、乾い
ている者の皆(1節)を救いにお招きになった。ノート:ある自由
主義者によると、55章∼66章は第三イザヤという人物に書かれた。
- 64 -
なぜなら、単語もテーマも神学も変わってきた。でも、それは簡単に
説明ができる。相手のユダヤ人はイスラエルに帰ったし、イザヤも
成長した。
1 来なさい。(1∼2節)
a.この箇所の水・穀物・ぶどう酒はイスラエルの物質的な祝福
ではなく、はっきりと霊的な意味で、リバイバル(ヨハネ7
:37∼39)、救いの喜び(詩篇104:15)、御言葉(1
ペテロ2:2)などを示している。
b.「ああ。乾いている者は皆、水を求めて出て来い。金のない
者も。」(1節前半)砂漠が多くて水が少ない中東では、水を
売ることがよくある。この招きは旧約聖書にも(詩篇42:
2、63:1、143:6、イザヤ44:3)イエスのメッ
セージにも出た。(マタイ5:6、ヨハネ4:13∼14、
6:35)。そして、イエスによると、神は御霊を通して
乾いている者を満足させてくださる。
(ヨハネ7:37∼ 39)
c.「金を払わないで…。」(1節後半)旧約時代にも、新約時代
にも(ローマ6:23、エペソ2:8∼9など)救いは賜物
である。貧しくて得られない者もいなければ、お金持ちで金
で買える者もいない。
2 覚えなさい。(3∼5節)
a.3節は使徒13:34に解釈されている。ルカによると、
「ダビデへの変わらない愛」とは、キリストの復活を預言
していた。
b.ダビデの契約にしたがって、神の恵みはダビデの子孫を通し
てすべての人々に及ぶ。彼はメシヤの証人であり、救いへの
指導者であった。(4節)
3 求めなさい。(6∼7節)
a.「主を求めよ。お会いできる間に。近くにおられるうちに、
呼び求めよ。(6節)求道ができる間に求道すれば、真理が
見つかる。(マタイ7:7∼8、ヤコブ4:8)しかし、神
を捜しても見つからない時もある。例えば、パロのかたくな
になったら、神もパロの心をかたくなにしてしまった。(出
エジプト7:22、9:12)サウロも神を見つけることが
できなくなった。(1サムエル28:5∼6)
b.主を求めることは悔い改めを含めている。180゜方向を
- 65 -
G
H
変える回心である。
4 信じなさい。(8∼11節)
a.神は全能者であるので、神の思いは私たちのより高くて、
知ることができない。その神の知恵に頼り、恵みを信じる者
が救われる。
b.「雨や雪が天から降ってもとに戻らず、必ず地を潤し…。」
(10節)「…地を潤さないままもとに戻らない」(英語の
New American Standard Version)と翻訳したほうがいい翻訳で、
科学的にも正しい。
c.10節は2コリント9:10に解釈されている。その前後
関係(8∼9節)ははっきりと霊的な解釈を示している。
5 救われなさい。(12∼13節)ある注解者によると、これは
千年王国を預言している。しかし、この章は霊的に救いに招いて
いるから、千年王国は第二次的な意味であろう。
みじめな人にも救いがある。(56:1∼8)
1 主のすすめ――「正義を行え。」(1∼2節)理由は救いを得るた
めではなくて、「わたしの救いが来るのは近く」であるから。バ
プテスマのヨハネ(マタイ3:1∼2)とイエスのメッセージ
(マタイ4:17)を比べよう。
2 外の人は主の家である宮殿に近づいて入ってもいい。(3∼8節)
a.旧約時代には、宦官やある外国人は宮殿に入ることが禁じら
れていた。(申命記23:1∼8)でも、千年王国のとき、
誰でも宮殿に参られる。
b.「主に連なって主に仕え、主の名を愛して、そのしもべと
なった外国人」(6節前半)は、立派な信者である。こうい
う異邦人のユダヤ教はパリサイ人の宗教よりとてもすぐれて
いた。
c.「すべてのための祈りの家と呼ばれるからだ。」(56:7
後半)ヘロデ王の宮殿には、外国人のために広場があった。
イエスはこの箇所を覚えて、商売人を外国人の広場から追い
出された。(マルコ11:17)外国人の広場は千年王国の
全人類の礼拝の約束であったからである。
神の背教の者へのメッセージ(56:9∼57:21)
1 背教の指導者たち(56:9∼12)
a.その罪を示す象徴(9∼11)
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①盲人の見張り人――見張り人は壁に立ち、敵の出現を
知らせるべきであったが、ユダヤ教の指導者たちは敵を
無視した。
②「おしの犬」――牧者の犬は危ない獣の出現を牧者に
知らせてくれないなら、何のやくにも立たない。ユダヤ教
の指導者たちは全然罪を国民に知らせてくれなかった。
③「悟ることも知らない牧者」――こういう牧者は羊を守る
ことができない。
b.指導者たちはアルコールの危険を教えないばかりではなく、
酔っ払うし、あしたの酔っ払うことも考えていた。(12節)
2 義人の死(57:1∼2)
a.ヨブたちが義人の苦しみを驚いたが、それによって深く
考えるようになった。でも、イザヤの相手が義人の死を平気
で見て、理解をしようとでもしなかった。
b.「義人はわざわいから取り去れれて、平安にはいり…。」
(1節後半と2節前半)義人はなぜ死んでしまったか。悪者
の悪から守られるためである。
3 イスラエルの罪(3∼10節)
a.3節のように「子ら」をせめては、両親の罪を示す方法の
一つであった。(1サムエル20:30)
b.この箇所は当時の偶像崇拝(特にモレクの)の拝み方を示し
て反対している。
①魔法(3節)
②性的な罪(3、5、7∼8節)
③子どものいけにえ(5節)
④他のいけにえ(6、9節)
⑤守りの「象徴する像」(8節)
c.偶像崇拝はとうとう疲れさせてしまう。(10節)でも、
崇拝者はもっと深い罪を犯すことによって、重力のような力
を見つける。これは神の与えられる力の反対の方向である。
(イザヤ40:31)
4 罪の恥(11∼13節)――でも、偶像崇拝から受ける力は永久
的ではない。とうとうその義と思われている悪が恥となる。
5 主の平和(14∼21節)
a.神の恵みは本当にあわれみである。
(特に18節)
「平安あれ。
- 67 -
平安あれ。」(19節)2回いうと、強めになる。
b.「悪者どもには、平安がない。」(21節)なぜなら、悪者で
も、裁かれることを知っている。(ローマ1:32)汚い
良心は罪人の平安を取り去ってしまう。
VIII 裁判官と救い主である主(58章∼66章)
A 本当の霊的な断食(58章)
1 イスラエルの断食は真面目ではなかった。(1∼3節)
a.断食とは何であろうか。
①断食はただ食べないことである。でも、正しい断食とは、
重荷を持って主を求めるために食べないことである。
②個人的に、ユダヤ人は悲しむとき(1歴代誌10:12)
や重荷を持つ時(2サムエル12:21∼23、詩篇69
:10)や悔い改める時に(1列王記21:27)断食を
した。モーセ(出エジプト34:28)とエリヤ(1列王
記19:8)は40日間も断食をしたし、ダニエルも長く
断食をした。(ダニエル10:2∼3)
③モーセは贖いの日だけの断食を命じた。(レビ16:29
∼31、23:27)でも、国として特別な断食のときも
あった。(2歴代誌20:3、エステル4:16など)バ
ビロンの捕われの後で、ユダヤ人は苦難を覚えるために年
に四つの断食を決めた。(4月、5月、7月、10月)
④イエスも断食をし(マタイ4:2)、正しい断食を教えた。
(マタイ6:16∼18、9:14∼15)また、新約
聖書の霊的な信者は断食をした。例えば、アンナ(ルカ2
:37)やヨハネの弟子(マルコ2:18)やアンテオケ
の長老(使徒13:1∼3)やパウロ(2コリント6:5、
11:27)でも、断食は新約聖書のどこにも命令されて
いない。
⑤私たちも断食をすることができるか。
( a) 健康に気をつけながら断食しよう。
( b) イエスが教えられたように、内面が最も大事である。
( c) 血がお腹の代わりに脳に行く事によって考えやすい。
b.「なぜ、私たちが断食したのに、あなたはご覧にならなかっ
たのですか 。」(3節前半)イザヤが攻めた断食は贖いの日の
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B
であったであろう。イスラエルは色々な宗教的な儀式で主の
祝福を求めていたが、その祝福がこなかった。それで、イス
ラエルは困り、なぜ主を求めても恵まれていないか、という
ことを聞いた。
2 主の答え――イスラエルの断食の動機が間違っていたからである。
(3節後半∼5節)
a.真面目ではないユダヤ人は断食の日に、部下をいじめたりけ
んかをしたりしていた。正しい断食はいい行いを生じるべき
である。
b.イスラエルの断食の構えが正しかったが、心は真面目ではな
かった。断食というものだけは主の祝福を得ることができな
い。
3 正しい断食の生じること。(6∼12節)
a.正しい行い――正義と自由(6節)、施し(7、10節)、
祈り(9節)
b.主の祝福――癒し(8節前半)、義(8節後半 )、祈りの答え
(9節前半)、導きと御心(11∼12節)。
4 勝利の生活は主を喜ぶことである。(13∼14節、詩篇37:
1∼8、40:8)ただ主の「道を知ることを望んでいる」事(2
節)だけでは不十分である。主御自身と彼の義を喜ぶべきである。
特に、御言葉を喜ぶべきである。(詩篇112:1、119:
24と35と77と92と143と174)
主が遠くなるとき。(59章)
1 イスラエルは罪を犯して主から遠くなってしまった。(1∼8節)
a.「あなたがたの咎が、あなたがたと、あなたがたの神との
仕切りとなり、あなたがたの罪が御顔を隠させ、聞いてくだ
さらないようにしたのだ。」(2節)祈りが答えられない第一
の理由は罪である。(詩篇66:18、箴言28:9、1ペ
テロ3:12、3:7、など)
b.罪の象徴(5∼6節)――イザヤは罪を示すためにここで
二つの鋭い象徴を用いた。
①「まむしの卵」――罪は偽物である。まむしの卵は食べら
れないし、まむしが飛び出したらとても危険である。
(ヘブル11:25)
②「くもの巣」――これはきれいな糸のように見えるが、
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C
誰もこれで服を作る方法を発明したことがない。同様に、
罪はどんなに美しく見えても良い結果が全然ない。(2コ
リント11:14)
c.7∼8節はローマ3:15∼17に解釈されている。イザヤ
はイスラエルの罪を直接にせめていたが、パウロは同じ箇所
を全人類の罪のために用いた。我々異邦人ももちろんユダヤ
人と同様に罪人である。
2 したがって、国に公義がなくなってしまった。(9∼11節)こ
こでとうとう第3人称は第1人称となった。というのは、国民は
とうとう自分の罪に気がついて、悔い改めて、ここで話すように
なった。
3 悔い改めが必要であった。(12∼15節前半)
a.罪をただ「悪いこと」として考えれば、地獄に行くほどひど
いものではない、と考える可能性がある。しかし、罪はそれ
よりとても深いである。罪は神に対する反逆である。
b.
「真理は広場でつまずき、正直は中にはいることもできない。」
(14節後半)この鋭い文章でイザヤはこう言った。罪を
裁かない社会は真理を失ってしまう。真理を見分けることの
できない国民はとうとうつまずく。
4 主が復讐と救いの準備をなさっている。(15後半∼21節)
a.誰も公義と正義を行っていなかったときに、主御自身が出て
来られた。(15節後半∼16節)
b.主は英雄として、将軍としてイスラエルの社会を正すために
来られる。(17∼19節)パウロは17節の象徴(「 義をよ
ろいのように」と「救いのかぶと」)をクリスチャンの武具
の教えに用いた。(エペソ6:10∼17)
c.20∼21節はローマ11:26∼27に解釈されている。
パウロによると、このイザヤ59章はイエスの栄光の再臨の
ときに救われるイスラエル全国を示している。
シオンの回復と再建(60章)
1 シオンの未来の栄誉(1∼7節)
a.「見よ。やみが地をおおい、暗やみが諸国の民をおおってい
る。」
(2節)7年間の患難はとても暗い時代になる。現代も、
エルサレムは平和の都市ではない。でも、キリストの栄光の
再臨を通して、エルサレムは光る都市になる。
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b.この箇所を読むと、千年王国にユダヤ教の神殿があるとは、
解釈しやすいであろう。でも、新しいエルサレムの神殿はキ
リストである。(黙示録21:22、ヨハネ4:21∼26、
ヘブル10:1、13:10∼16など)イエスの十字架上
のいけにえを通して、ユダダヤ教の神殿のすべては成就され、
完全となる。(マタイ5:17)
2 シオンを助ける外国人(8∼14節)――8節は飛行機を預言
しているかも知らない。でも、イエスのような体を持つ私たちも
飛べる。(使徒1:9)
3 メシヤを知るシオン(15∼22節)――新しいエルサレムに
神殿もなければ、太陽も月も要らない。イエスがその光であるか
らである。(19∼20節、黙示録21:23)
D 神の使者であるメシヤ(61章)――キリストが最初の使徒である。
(ヘブル3:1)
1 キリストの来臨と再臨(1∼3節)
a.イエスがどのようにこの箇所を使ったかを見てみよう。
(ルカ4:17∼21と7:22)イエスが「主の恵みの年
を告げ知らせるために」で終わり(19節)、イザヤ書の「わ
れわれの神の復讐の日」とを読まれなかったので、はっきり
と来臨と再臨の相違を教えられていたことがわかる。
b.ルカによると、イエスがはっきりとみわざを聖霊の力でな
さった。
c.キリストの最初の来臨は恵みのためであったが、再臨は復讐、
つまり裁くためにこられる。
d.メシヤが恵まれる者(1節)――
①「貧しい者」――物質的に貧しい者も恵まれるが、この
個所の恵みは「良い知らせ」であるので、多分イザヤの
意味は山上の説教と同様に、「心の貧しい者は幸いです。
天の御国はその人のものだからです。」(マタイ5:3)
②「心の傷ついた者」――これもまた、山上の説教に似て
いる:「悲しむ者は幸いです。その人は慰められるからで
す。」(マタイ5:4)これは、罪で悩んで、悔い改める人
の事である。
③「捕らわれ人」――これを読んだイスラエル人はバビロン
捕らわれを考えたであろうが、イエスの解釈を考えると、
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これは罪に捕らえられた人の事である。そして、体が
不自由な人もいやされて自由になった意味もあった。
(ルカ7:22)
④「囚人」――サタンの囚人がイエスのメッセージによって
自由になる。
e.しかし、再臨の裁きの時は違う。その時、罪人はもう悔い
改めては遅い。慰められるのは救われて義人になった人々、
特にユダヤ人である。
2 エルサレムの復興(4∼6節)
a.「他国人」と「外国人」(5節)――千年王国時代に、全人類
はエルサレムに参り、イスラエルを祝福する。
b.「あなたがたは主の祭司ととなえられ…。」(6節)これは出
エジプト19:6の約束であったが、イスラエルに千年王国
になるまで成就される事はない。私たち恵みの時代の信者も
祭司である。(黙示録1:6)信者は祭司であるとはバプテ
ストの特色の一つである。
3 エルサレムの市民の祝福(7∼9節)
4 花嫁になるエルサレム(10∼11節)
a.使徒パウロ(ローマ13:14、エペソ4:22∼24)は
イザヤ書から学んで(10節)、救いをきれいな服に譬えた。
b.ここでまた、イザヤはイスラエルと神の関係を夫婦の関係に
比べた。(10節後半)
E シオンの希望(62章)――この章の話す方は誰であろうか。預言者
であれば祈りの形であろうが、6節などを考えれば神御自身が話して
おられるであろう。
1 シオンと神の新しい関係(1∼5節)
a.新しい名前(1∼4節)
①エルサレムの古い名前は「見捨てられている」であったが、
新しいのは、「わたしの喜びは、彼女にある 。」新しい名前
はヘブル語で一言で、「ヘプジバ」である。
②イスラエルの古い名前は「荒れ果てている」であったが、
新しいのは、「夫のある国」である。新しい名前はヘブル
語で一言で、「ビューラー」である。
b.新しい関係(5節)――結婚生活。(黙示録21章、特に
2節と9節に比べよう)
- 72 -
2
シオンのために祈ろう。(6∼10節)
a.絶えず祈るべきである。神はもう誓っておられるが(8節)、
主権の御心のためにも祈るべきである。哀れみ深い神は人間
に御自分のすばらしい御計画に参加する特権をお与えに
なった。
b.エルサレムは古くから戦場であるから、市民の収穫がもう
盗まれることがない、という約束(8∼9節)はユダヤ人に
とってすばらしいである。紀元後の戦争を少しだけ勉強すれ
ば、こういう戦いを見つける。
①70年に、ローマ帝国のテトス将軍の攻撃
②132年に、ユダヤ人はエルサレムをローマより取り戻し
たが、3年後、また失った。
③7世紀より10世紀までイスラム教の軍隊は何回も攻撃を
した。
④第1十字軍はエルサレムを取ったが、イスラム教軍は
1187年に取り戻した。
⑤20世紀のイスラエルは1948年の独立戦争で旧エルサ
レムをアラブ人に失い、1967年の六日間戦争でまた
取り戻した。
F 復讐の主(63:1∼6)――この箇所はヨシュアが「主の軍の将」
にあったときに似ている。(ヨシュア記5:13∼6:5)
1 主はエドムから来られた。エドムは異邦人の国々を代表していた。
(イザヤ34:5∼7)エドムはイスラエルの捕われの時に、イ
スラエルを裏切ったので(哀歌4:21∼22、エゼキエル25
:12∼14、35:1∼15)、神に裁かれた。興味深い事は、
エドムの意味が「赤」という事である。(創世記25:30)
2 酒ぶねの象徴(2∼3節)はいつも裁きを示す。(黙示録14:
19∼20、19:11∼16)
G 主のあわれみの詩(63:7∼64:12)――この箇所はすばらし
いとりなしの祈りであり、イザヤがイスラエルの赦しを願う歌である。
1 主の恵みは、イスラエルの逆らいによって裁きに変えられた。(7
∼10節)
a.「ご自身の使いが彼らを救った 」(9節)とは、キリストであ
る。こうして、63章は三位一体の教理を教える――御子は
救われる使いであり、聖霊は三回ものっておられ(10、
- 73 -
H
11、14節)、父なる神も16節に教えられている。
b.「しかし、彼らは逆らい、主の聖なる御霊を痛ませた。」
(10節前半、エペソ4:30)これは御霊の人格を証明す
る。もし聖霊がただ神の影響だけであれば(ものみの塔の
教理)、痛むことができない。
2 しかし、イザヤは昔の恵みを覚えた。(11∼14節)神の前の
みわざを覚えることによって、今の恵みに頼ることができる。
3 イザヤは父なる神に祈った。(15∼19節)
4 イザヤはとうとうイスラエルの罪を主に告白した。(64:1∼
7)
a.主はびっくりさせる神でおられる。(3∼4節)出エジプト
のエジプトに対する裁きは本当に不思議であった。
b.5∼7節は人間が堕落され、罪深いであることを教える。そ
して、罪のいろいろな影響をも教える。
①「私たちは昔から罪を犯し続けています。」(5節)罪は
連続になり、癖になる。
②「私たちはみな、汚れた者のようになり、私たちの義はみ
な、不潔な着物のようです。」(6節前半)罪は人間の心を
汚す。
③「私たちはみな、木の葉のように枯れ、私たちの咎は風の
ように私たちを吹き上げます。」
(6節後半)罪は破壊する。
④「あなたは私たちから御顔を隠し…。」(7節)罪は神と
人間との間に壁を建てる。
5 イスラエルは主の哀れみを願った。(8∼12節)
イザヤの最後の説教と預言(65章∼66章)
1 異邦人の祝福とユダヤ人の反逆(1∼7節)
a.神を求めなかった異邦人にも救いがきた。ある注解者による
と1節はユダヤ人を示しているが、異邦人を示している理由
はいくつかある。
①使徒パウロはローマ10:20∼21にはっきりと1節を
異邦人に、2節をユダヤ人に使った。
②「わたしの名を呼び求めなかった国民」とはいつも異邦人
である。(ローマ10:19比べよう)
b.イスラエルの偶像崇拝や高慢の罪はとても悪かった。(2∼
7節)このような偶像崇拝はバビロン捕われの前の偶像崇拝
- 74 -
2
3
4
と違っていた。ある程度まで、現代の東洋の偶像崇拝に似て
いる。
①「園の中でいけにえをささげ…。」(3節)こんな崇拝はイ
ザヤ書(1:29)にだけ書いてある。バビロンの園は
有名であった。
②「れんがの上で香をたき…。」(3節)原語はバビロンのれ
んがであったから、歴史に残っていないが、これはバビロ
ンの偶像崇拝の習慣であったらしい。ユダヤ教はいつも石
の祭壇を使った。
③「墓地にすわり…。」(4節)これは死人に物を捧げること
か、先祖に祈る事か、不明であるが、先祖崇拝であったに
違いない。
④「私はあなたより聖なる者となっている 。」(5節)これは
すごいプライドであったが、偶像崇拝に珍しくない。偶像
の宗教に「聖なる者」はよくある。現代のヒンズー教の聖
なる者は一つの例である。
⑤主は人間の罪を裁くために記録しておられる。(6∼7節、
黙示録20:12)
残った者の祝福と反逆する者の裁き。(8∼12節)
a.いつも誰か主を求める者が残り、救われる。(8∼10節)
b.でも、主を忘れ、罪を犯す者は裁かれる。(11∼12節)
①「ガドのために食卓を整える者。」ガドの意味は「運がよ
い」であり、シリアの偶像であった。
②「メニのために、混ぜ合わせた酒を盛る者たちよ。」メニ
の意味は「運命」であり、多分アラブ人の神であった。こ
ういう酒は強くて、酔いやすいであるから(箴言23:
29∼30)とてもいけない。
「神である主」の定めは、選ばれたしもべたちの祝福と罪人の
裁きであった。(13∼16節)
新しい天と地の創造(17∼25節)――この個所は千年王国
時代とその後の永遠の祝福の時代を一緒にして預言している。そ
れは旧約聖書に珍しくない。
a.いつか、すべてが新しくなる。(17節、黙示録21:1)
b.エルサレムは主の都になる。(18∼19節)
c.人間はやっと幸せになる。(19後半∼24節)
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①涙(悲しみ)はなくなる。(19節、黙示録21:4)な
ぜ天国で涙が出るであろうか。多分大いなる白いみ座の
裁きのときに、火の池に投げ込まれる愛する人を見る私た
ちは泣くであろう。
②長生きは普通になる。(20∼23節)これは千年王国
時代の様子であろう。
③主ご自身は人間といっしょに住まれる。(24節、黙示録
21:2)
④自然界は直る。(25節)自然界も罪の呪いを受けた。
(創世記3:17∼19、ローマ8:19∼22)これは
科学的に熱力学の第2法則である。でも、新しい天と地の
自然界は完全になる。
神殿と新しい世界(66:1∼4)――ユダヤ教の神殿はどの
時代にも真の神の象徴に過ぎなかった。
a.全世界も宇宙も真の神をお入れすることができない。(1列
王記8:27)
b.神の家と呼んでも、本当に主の住むような場所ではない。
(使徒7:48)
c.ユダヤ人はよく神殿を大事にしすぎた。神殿の礼拝は心から
出ないといけない。心からの礼拝ではなければ、3節の通り
になる。
①「牛をほふる者は、人を打ち殺す者。」
②「羊をいけにえにする者は、犬をくびり殺す者。」
③「穀物のささげ物をささげる者は、豚の血を捧げる者。」
④「乳香をささげる者は、偶像をほめたたえる者。」
⑤「実に彼らは自分かってな道を選び、その心は忌むべき者
を喜ぶ。」
主の名のために迫害される者は希望を持つべきである。(5∼
6節)
一日だけで生まれる国。(7∼11節)ある注解者によると、
1948年の国連の会議によって生まれた現代イスラエルはこの
個所を成就した。しかし、それを言うのはまだ早いであろう。
現代イスラエルは生き残るであろうか。
主の裁きを喜ぶしもべたち(12∼16節)
a.「川のように繁栄を彼女に与え…。」(12節)繁栄とは普通、
- 76 -
平和と訳されている。(イザヤ9:6、33:7、など)
「平和」と訳した方が15節の主の戦いに比べるとぴんとく
る。すなわち、神の平和は神の戦う力を通してくる。
b.「主は火の中を進んで来られる。その戦車はつむじ風のよう
だ 。」(15節)これはただの象徴ではなく、天の御国の軍隊
の本当の様子である。エリヤの昇天はそれを証明する。(2
列王記2:11)
9 世界の国々の真の礼拝(17∼21節)
a.主は、偶像の神々に自分を捧げて律法をやぶるユダヤ人に
話しておられる。そういうユダヤ人より、真面目に礼拝する
異邦人のほうが神に愛されている。(17節)
b.そういうユダヤ人の罪は、主が異邦人を祝福する理由になっ
た。「わたしは、彼らのわざと、思い計りとを知っている。
わたしは、すべての国々と種族とを集めに来る。彼らは来て、
わたしの栄光を見る。」(18節)
c.「のがれた者」は「わたしの栄光を諸国の民に告げ知らせよ
う 。」(19節)これは14万4千人のユダヤ人の伝道者であ
ろう。(黙示録7:4など)
10 永遠の幸せ(22∼24節)
a.神の子供は新しい天と地と同様に永遠である。(22∼
23節)
b.その者たちは神の裁かれた敵を見ると喜ぶ。(24節)これ
は大いなる白い御座の裁きのとき(黙示録20:11∼15)
であろう。「そのうじは死なず、その火も消えず、それはす
べての人に、忌みきらわれる。」とは、ゲヘナのこと(マル
コ9:43∼48)で、火の池の様子である。
- 77 -
BIBLIOGRAPHY FOR ISAIAH
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参考文献
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「聖書」(新改訳、二版)。東京:日本聖書刊行会、1973年。
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「イザヤ書研究」
PRINTED IN JAPAN
2006年
ジ
著者
ョ
ン
ハ
John
イ
ム
ズ
R. Himes
発行者 北海道聖書研究学院
Hokkaido Bible Research Institute
HBRI
勝利バプテスト教会内
旭川市旭神1条5丁目5の15、〒078−8371
℡ (0166)66−2008
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