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イザヤ書研究 - TAP Bibles
Research in Isaiah イザヤ書研究 ジョン・R・ハイムズ著 By John R. Himes, MA 第1課 イザヤ書の著者の概覧 初めに 旧約聖書の書には、創世記を除いてイザヤ書はもっともよく攻めら れている。また、もっとも大きな攻撃はイザヤ書の著者に対してである。した がって、イザヤ書の紹介はとても重要である。 I イザヤ書の人間的な著者 A イザヤの生まれ 1 名前の意味は、「エホバの救い」である。 2 「アモツの子」(1:1)ユダヤ教の伝説によると、アモツは アマツヤ王(2列王記12章∼15章)の兄弟であった。本当で あれば、イザヤはウジヤ王のいとこであった。 3 エルサレムに住んでいだ。 B イザヤの家族 1 妻も預言者(8:3) 2 息子は二人いた。イザヤは二人ともに預言に関する名を与えた。 a ジェアル・ヤシュブ(7:3)――「残った者が帰る」とい う意味である。 b マヘル・シャラル・バシュ・バズ(8:3)――「戦利品に 急ぎ、えじきに早く行く」という意味。アッシリヤの攻撃を 示していたであろう。 C イザヤの奉仕 1 イザヤは「ウジヤ王が死んだ年に」(6:1)――預言者として 召された。紀元前740年か739年ごろと思われている。 2 アッシリヤのセナケリブ王のエルサレムに対する攻撃は紀元前 701年であった。当時、イザヤがまだ生きていたので(36章)、 イザヤは40年間以上預言したと言える。 3 ある学者によると、イザヤは50年間以上預言した。 4 イザヤは「メシヤの預言者」と呼ばれている。 5 イザヤはイザヤ書の他にも、書を書いた。 a ウジヤ王の伝記(2歴代誌26:22) -1- D II b 「ユダとイスラエルの王たちの書」(2歴代誌32:32) c イザヤ書だけは今まで残っている。 6 イザヤの預言はユダに受け入れられないことを最初から知ってい たのに、(6:9∼13)、彼は忠実に終わりまで預言した。 イザヤの死 1 のこぎり タルムード(ユダヤ教の伝説書)によると、イザヤはマナセ王に 鋸 で殺された。 2 これはヘブル書11:37の示すことかも知れない。 高等批評のイザヤ書の著者に対する攻撃 A 高等批評によると、イザヤはイザヤ書の1∼39章だけ書いた。40 ∼66章は150年後の「デェテロ・イザヤ」(第2イザヤ)に書か れたそうである。なぜなら―― 1 聖書の霊感を信じない学者によると、イザヤ書の預言はあまりに も詳しく書かれたので、歴史として書かれたであろう。特に、 クロス(44:28、45:1)についての預言を見てください。 2 イザヤ書の前半と後半の表現方が違う。 3 前半と後半の神学も違う。 B 現代の自由主義学者は第2イザヤの存在を証明することができないの で、編集者を想像した。 C 私たちの返事――イザヤ書の全部はイザヤに書かれた証拠 1 イザヤ書1:1にはっきりと書いてある。 2 18世紀まで、誰も疑問しなかった。 3 第2イザヤは歴史にも伝説にも残っていない。 4 新約聖書はイザヤの著者を証明する。(特にヨハネ12:38∼ 41) 5 前半と後半の相違は、ユダの状態もイザヤ自身も変わったからで ある。 6 死海写本(紀元前2世紀ごろ)は分かれていない。 -2- 第2課 イザヤ書の概覧 I 当時の歴史 A イザヤはユダ(南の王国)の四人の王に預言した。(1:1) 1 ウジヤ(紀元前791∼740年)――良い王であった。 2 ヨタム(紀元前750∼736年)――良い王であった。 3 アハズ(紀元前736∼716年)――悪い王であった。 4 ヒザキヤ(紀元前716∼687年)――良い王であった。 5 マナセ(紀元前696∼642年)――悪い王であった。 B ミカ(紀元前740∼760)年ごろ)――もイザヤと同じごろ エルサレムで預言していた。 C 当時、イスラエル(北の王国)で預言していた預言者。 1 アモスは、紀元前765∼750年ごろ預言した。 2 ホセアは、紀元前755∼715ごろ預言した。 D イザヤの死までに、イスラエルもサマリヤもアッシリヤに征服された。 また、ユダも何回もアッシリヤの攻撃を受けた。したがって、当時に アッシリヤの恐れはすごいであったに違いない。 E ユダの状態は偶像崇拝などで、ますます悪くなっていた。 II イザヤ書の写本 A 死海写本が見つかったときまで持っていた写本は、「マソライト写本」 と言われている。なぜなら、「マソライト」というユダヤ人の学者た ちは非常に丁寧にヘブル語の旧約聖書を守って作った写本である。 B イザヤ書のもっとも古い写本は死海写本(紀元前2世紀ごろ)である。 C 死海写本はマソライト写本にとても詳しく賛成するので、現代のイザ ヤ書は原文にとても忠実であると言える。 III イザヤ書の特色 A イザヤ書のテーマ――信仰による救い。 B キリストについての預言が多い。旧約聖書の中に、詩篇だけがイザヤ 書よりキリストについての預言が多い。 -3- C イザヤ書はとてもよく新約聖書の著者に使われた。 D イザヤ書の最も有名な箇所で、もっともすばらしいのは52:13∼ 53章に違いない。 IV イザヤの表現方 A 美しさと力でいっぱいな書である。 1 イザヤはたびたび詩で預言した。 2 イザヤ書には、象徴的な箇所が多い。 3 イザヤ書に譬え話もある。(2:7、5:1∼7、23∼29) B イザヤ書は1回で書かれたわけではない。いろいろな預言やメッセー ジが含まれている。書くことは長くかかった。 C イザヤ書の単語は、他の預言書より数が多い。 V イザヤ書のまだ成就されていない預言的なテーマ A 主の日:イザヤ書に「その日」という表現はよく出る。(2:10∼ 22など) B 回復されたイスラエルの祝福(2:4∼16など) C パレスチナに帰国したイスラエル(11:11∼12など) D パレスチナ地方の回復(35:1∼10など) E 地球の都になるエルサレム(2:3など) F 生き残ったイスラエル人の上に祝福(12章など) G 国々(異邦人)の上に祝福(2:1∼4など) H 永遠の祝福(65:17など) -4- イザヤ書研究のアウトライン 預言の当時に関する祝福と罰の預言 1章∼35章 I ユダとエルサレムに関する預言(1章∼12章) A 書の紹介――イザヤの最初のメッセージ(1章) 1 イザヤの自己紹介(1節) 2 神の民の反逆(2∼4節)4節によると、神の国民の反逆は、 a. 心の反逆――「主を捨て…」 b. 言葉の反逆――「イスラエルの聖なる方を侮り…」 c. 行いの反逆――「背を向けて離れ去った。」 3 反逆の結果――霊的な病気と神の裁き(5∼8節)――特に、 この呪いを他の呪いに比べてください。(レビ26:16,21, 31∼32など;申命28:29) 4 残った信者(9節)――救われる人の人数が少ない。パウロは この節で信仰によって受けた義を説明した(ローマ9:29) 5 外面的な宗教に対する御言葉(10∼15節)――正しい宗教は 正しい心と正しい行いに基づいている。(ヤコブ1:26∼27) この箇所は日本の宗教(仏教と神道)にぴったりではないか。 6 悔い改め方(16∼20節)――救われる前に、考え方を変える 必要がある。そうしてから、主のあがないによって罪の赦しを受 け入れることができる。(特に18節ご覧ください。) 7 罪深い状態と神の裁き(21∼24節)――イスラエルやエルサ レムは良く旧約聖書に、神の妻と例えられている。また、21節 にあるように、迷ったイスラエルは良く遊女に例えられている。 8 復興のご計画(25∼26節) a. この「かなかす」と「浮きかす」(25節)とは、罪のことで はなく、救われていない人の意味をする。(マタイ13: 24∼30,24:40∼42,25:31∼33) b. 26節の預言の成就には、色々な解釈がある。 ①士師時代の復興 -5- B ②バビロン捕らわれから帰国した人々。 ③王国の復興 ④メシヤの来られること。正しい解釈は何であろうか。成就 される時は、キリストの再臨の時であろう。この「さば きつかさたち」と「議官」とは、キリストの12弟子で あろう。(マタイ19:28) 9 罪人の恥(27∼31節) a. 誰の「公正」と「正義」(27節)であろうか。可能性のある 解釈は―― ①「神の行いの」 ②「国民の」 ③「26節のさばきつかさたちと議官の」 ④「神の」 正しい解釈は何であろうか。この公正と正義は、 イエス・キリストのに違いない。同じように、28節の そむく者と罪人とを裁く方も、イエス・キリストである。 (黙示録19:11∼21) b. 29節の「樫の木」と「園」とは、偶像崇拝に関係があった。 ①申命記16:21∼22 ②この節のヘブル語の単語も、偶像崇拝のために用いられた 単語である。 ③日本の偶像崇拝のように、イスラエルの偶像崇拝も園で 行われた。 イザヤの第2メッセージ:清めを通して千年王国の祝福(2章∼4章) 1 王国の都になるエルサレム(2:1∼5) a. 2∼5節はミカ4:1∼3と同じである。三つの解釈がある。 ①イザヤはミカから捕った。 ②イザヤもミカも他の預言者(たとえばヨエル)から引用し た。 ③イザヤもミカも神に教えられた。 b. 2節の「終わりの日」とは、いつであろうか。これは広い意味 を持って、使徒2章の五旬節の日のリバイバルより、千年 王国までのことである。(使徒2:16∼17,ヘブル1: 1∼2,1ヨハネ2:18) c. 従って、ある箇所を使って(例えば1テモテ4:1∼2,2 テモテ3:12,2ペテロ3:3など)「終わりの日が来た -6- C よ」というメッセージは、間違った解釈である。 d. 4節の預言は神の力しか成就される可能性がない。 2 主の日(2:6∼22) a. これは大いなる苦難、栄光の再臨、国々の裁判(マタイ25: 31∼46)を預言している。 b. ピリピ2:5∼11 3 ユダの罪と主の日(3:1∼4:1) a. 1節が文字通り成就された時:ネブカデネザルの攻撃とローマ 帝国のテトス将軍の攻撃(紀元70年) b. イザヤの預言通りより現代まで、イスラエルは弱い国民である。 ①例えば、第2次世界戦争の時に死んだユダヤ人は、ほとん ど文句せずにナチ党に殺されたそうである。 ②例外もある――紀元前2世紀のマッカビー族、第2次世界 戦争のワルソー・ゲットー反乱(1943年の4月、6 万人のユダヤ人はドイツ軍と戦った。ほとんど皆死ん だ。)、現代イスラエルなど c. 女性にもプライドがある。(16∼24節)神は外面的な美し さだけのある女を裁く。(箴言11:22,1ペテロ3:1 ∼6) d. 主の裁き(3:24∼4:1) 4 あがなわれた生き残った者のための栄光(4:2∼6) a. 生き残った者は「主の若枝」を受け入れる。(2節) ①キリストの預言である。)彼がダビデの子孫であるという 意味である。(エレミヤ23:5,33:15,ゼカリ ヤ3:8,6:12,マタイ24:32∼34もご覧く ださい。旧約聖書の箇所は全部同じヘブル語である。) これはいい説教になりそう! ②「地の実」もキリストの名の1つであろう。(イザヤ27 :6,ヨハネ12:24) b. 清められて、悔い改めた生き残った者。(3∼4節)「さばきの 霊と焼き尽くす霊」とは、聖霊のことに違いない。 c. 守られた生き残った者(5∼6節)――文字通りに解釈しよう。 (出エジプト13:21∼22) イザヤの第3メッセージ――イスラエルの罪の罰(5章) 1 たとえ話で教えられた(1∼7節) -7- D a. 神の愛は、良い畑を与えたこととその畑の世話を通して示され た。(1∼2) b. 「酸いぶどう」、ユダの罪(3∼4節)――黙示録3:15∼ 16に比べよう。 c. ぶどう畑に対する裁き(5∼6節) d. たとえ話の解釈(7節;ローマ11:1∼26,マタイ21: 33∼41もご覧ください。) 2 罪のリスト(8∼23節) a. 欲望(8∼10節) b. 飲酒――アルコールを飲むことなら、いつも罪である。その 結果はいつも不従順である。 ①聖書の中に、「ぶどう酒」という言葉は時々グレープ・ ジュースの意味を持つ。ヘブル語の単語もギリシャ語の 単語も同じく二つの意味を持つ――ただのグレープ・ジ ュースと、アルコールが入っているワイン。どの意味で あるかと言うことは、前後関係を読まないと分からない かも知れない。 ②聖書の中に、はっきりとアルコールの意味である時は、い つも飲酒が禁じられている。 ③キリストの最初の奇跡(ヨハネ2:1∼11)はよく議論 されているが、はっきりとグレープ・ジュースである。 アルコールのワインを作るために、グレープ・ジュース が腐らなければならない。キリストは決して腐った者を 作られたことがない。 c. 神を知らないこと、その罪と裁き(13∼17節) d. 嘘つき(18∼20節) e. 知識の高慢(21節)――愛なき知識はいつも危ない。(1コ リント8:1) f. 政治の罪(23節) 3 捕らわれ人になる預言(24∼30節) a. 神の民が御言葉を断った罪の罰(24節) b. 神の怒り(25節) c. 強い敵軍が来る。(26∼30節) 預言者の召命と任務(6章)――ウジヤ王は紀元前758年に死んだ。 1 神の栄光(1∼4節) -8- 2 3 a. ウジヤ王のこと(2歴代誌26章) ①16歳で王になった。色々なことで成功した。(2歴代誌 26:1∼15)戦争の天才であった。 ②しかし、強くなったら、プライドになり、罪を犯した。 (5節、16∼21節) b. 天国にも宮がある。(1節、ヘブル8:1∼5,黙示録7: 15,11:1∼2&19,14:15∼17,15:5∼ 8)でも、新しいエルサレムにない。(黙示録21:22) c. 御使いには、色々な種類がある。セラフィム(2∼7節)は 1つだけである。他には――御使いのかしら(ユダ9)、戦 う御使い(イザヤ37:36)、見守る御使い(マタイ18 :10)、ケルビム(創世記3:24,1列王記6章、エゼ キエル10章など) d. 「聖なる、聖なる、聖なる…。」(3節)三位一体であろう。 預言者の罪と清め(5∼7節) a. 聖なる主を見たイザヤは怖がった。人間は、罪深いままで神を 見れば、死ぬ。(出エジプト33:20) b. しかし、イザヤは清められて、生きていた。これは、救いで あったかどうかは不明である。 預言者の召命(8節) a. 召命には、二つの種類がある――場所に関する召命と奉仕に関 する召命。奉仕の召命のために、神は色々な召し方を使われ る。 ①人間の意志を通して(イザヤ6:8) ②強いて、聖霊の力を通して(エゼキエル2章) ③誕生よりの準備を通して(エレミヤ1:4∼10) ④幻を通して(アモス1:1)現代、使われていない。 ⑤御言葉を通して(ヨナ1:1∼2) ⑥奇跡を通して(出エジプト3:1∼10) ⑦手を置くことを通して(申命記34:9) ⑧人間の言葉を通して(1列王記19:15∼21,マタイ 4:18∼21,9:9) b. いずれも神の主権による。しかし、私たちは神が働き人を召さ れるように、祈るべきである。(マタイ9:37∼38) c. これはイザヤの最初の召命であったか。はい。 -9- E ①1∼5章の内容はこの任務と同じ ②罪は赦されたばかり 4 イザヤの任務(9∼13節) a. メッセージの内容――赦しのない罪(9∼10節) ①赦しのない罪とは、聖霊の名を汚したり、彼の愛を断った りすることである。(マタイ12:24∼33) ②クリスチャンは赦しのない罪を犯すことができない(ヨハ ネ5:24,コロサイ2:13)しかし、信者は死に 至る罪を犯すことができる。(1ヨハネ5:16,使徒 5:1∼11) ③赦しのない罪を犯した者は、自分の心をかたくなにする。 ④であるから、神もその者の心をかたくなにされる。(イザ ヤ6:9∼10,ローマ1:28,出エジプト8:15, 9:6∼12) ⑤救われたい人はまだこの罪を犯していない。(黙示録21 :6) b. 任務の期間は、神の裁きまで(11∼13節)――昔の伝説に よると、ちょうどイザヤがこの幻を見たころ、ロミュラスと いう人が生まれた。彼はローマ市の創設者であった。そして、 そのローマ市が生んだ帝国はその預言を成就させた。 インマヌエルの預言(7章) 1 歴史的な背景(1∼2節、2列王16:5)――レツィンとペカ は、紀元前736年に、アッシリヤに反対するためにユダの協力 を頼んだ。しかし、アハズはそれを断って、アッシリヤの仲間に なった。その理由でイスラエルとシリヤ(アラム)は735年に ユダに責めてきた。 2 アハズに対して励みの預言(3∼9節)――アハズは神にだけ 頼るべきであった。もう、戦争で負けているのに、心配は要らな かった。 a. 8節は文字通りに成就された。エフライム(北王国)はバビロ ンに負けた。イスラエル人は捕らえ人になった。また、外国 人は残った者と結婚して、新約聖書時代のサマリヤを造った。 (サマリヤは混じった国民であったので、ユダヤ人に嫌われ ていた。) 3 神のしるし(10∼15節)――アハズは神からしるしを願うべ - 10 - きであった。 a. しかし、アハズは霊的なふりをして(申命記6:16)断った。 b. であるから、11節の「あなたの神」は13節に、「私の神」 となった。 c. 14節の「処女」はヘブル語の「アルマ」より訳された。高等 批評によると、これは「若い女」という意味であるが、聖書 の用法は違う。イザヤ7:14を入れて、アルマは9回、 旧約聖書に出る。 ①創世記24:43∼44――しもべはイザクのために妻を 探しているから、意味は明らかに処女である。 ②出エジプト2:8――両親と共に住んでいた処女のミリヤ ム ③1歴代誌15:20,詩篇46の紹介、詩篇68:25 ――これらは処女の聖歌隊であった。 ④箴言30:18∼19――姦通や結婚は不思議ではないの で、処女のことであろう。 ⑤雅歌1:3――ソロモン王はもちろん、処女ではない若い 女を受け入れられるはずはない。 ⑥雅歌6:8――処女ではない妻たちは別である。 d. 14節の「アルマ」が処女であることの他の証拠 パ ル セ ノ ス ①マタイは(1:22∼23)ギリシャ語の !"#$%&'((処女) を使った。 パ ル セ ノ ス ②70人訳もイザヤ7:14に !"#$%&'( を使った。 e. 15節はキリストの人間性質を預言している。(ルカ2:52) 4 16節は誰を意味しているか。 a. キリストのことであってもおかしくない。(ルカ2:52) b. イザヤの赤ちゃんであった解釈(イザヤ7:3)――紀元前 732年ごろに、ティグラテ・ピレサー王はシリヤを敗って、 レツィンを殺した。また、2年ぐらい後で、ペカも殺された。 5 アハズに対して罰の忠告(17∼21節) a. ユダは汚くなる。(17∼19節) b. ユダはアハズが信頼したアッシリヤに敗れる。(20節) c. 食物が少なくなる。(21∼25節) F アッシリヤの侵入の預言と、希望を与えるイマヌエル(8∼12章) 1 ダマスコとサマリヤが敗られる。照明するものは二つある。 - 11 - 2 3 4 5 (8:1∼4) a. 書かれた御言葉(1∼2節)――人間は御言葉を読めば、分か ることができる。 b. 生ける御言葉(3∼4節)――イザヤの次男の名前は板に書か れたのと同じであった。これは生ける御言葉のキリストの タイプである。(ヨハネ1:1) 不信仰の選択とその結果(8:5∼8) 神の恵みによる守り(8:9∼15) a. ユダの敵はとうとうまける。なぜなら、「神が、私たちととも におられるからだ。」(インマヌエルの意味;8:9∼10) b. しかし、信じないユダヤ人は裁かれる。(8:11∼15) イザヤの証(8:16∼22) a. アハズと違って、御言葉だけでいい。(8:16と20) b. 私は主を待っている。(8:17) c. 主が今までなさったことを見よう。(8:18,詩篇109: 27) d. 悪い宗教のものに聞かない。(8:19,2ヨハネ9∼11) e. 悪い宗教を信じる者の終わり(8:21∼22) 希望を与えるメシヤ(9:1∼7) a. 神の助けが来る。(9:1)メシヤの出身はガリラヤである。 b. 異邦人にも希望がある。(9:2) c. イスラエルの復興(9:3∼5) d. 千年王国の王(9:6∼7) ①「生まれる」とは、メシヤの人間性質を示している。 「与える」とは、キリストの神性である。 ②キリストの名前(9:6) ( a) 「不思議な助言者」――ヘブル語の「不思議」とは、 「区別する」とか、「ユニークな」と言う意味を 持つ。キリストがいいると、退屈になれない!また、 キリストよりすばらしい助言者がいない。(出エジ プト3:3,ルカ2:18,ルカ4:22,黙示録 3:20,1ヨハネ3:2,ヨハネ6:68, エレミヤ10:23,イザヤ55:8,詩篇1:1, ヤコブ1:5,コロサイ2:3) ( b) 「力ある神」――人間はこの力が要る 。(マタイ1: - 12 - 23,ヨハネ14:9,ヨハネ20:28,ヘブル 1:8,ヘブル1:1∼3、コロサイ1:15∼ 16,エペソ3:20∼21) ( c) 「永遠の父」――ヘブル語の「父」とは、時々「みな もと」という意味をする。例えば創世記4:20。 (伝道者3:11,1ヨハネ1:1∼2,ヨハネ 6:68,ヘブル1:2,黙示録21:6) ( d) 「平和の君」――ユダヤ人にとって、「シャロアム」 (平和)と言う言葉は普通より意味深いであるので、 挨拶として使われている。(ヨハネ14:27, イザヤ32:17,コロサイ1:20∼22,詩篇 85:10,エペソ2:14,ガラテヤ3:28, ヘブル7:1∼3,ヨハネ16:33,詩篇72) ⑨王の主権(9:7) 6 イスラエルに対する裁き(9:8∼10:4)――この預言はイ スラエル全体(北の王国と南の王国をあわせて)に対するのであ ろう。なぜなら、北の王国は歴史的にペリシテ人(12節)に 攻められなかったが、ペリシテ人はアハズの時代にユダを攻撃し た。(2歴代誌28:16∼19) a. イスラエルのプライド(9:8∼10) b. そのプライドの罰(9:11∼12) c. イスラエルの指導者の罪(9:13∼17) d. 悪が増える時(9:18∼21) e. 悪い指導者に対する呪い(10:1∼4) 7 アッシリヤの侵入(10:5∼34) a. 裁くアッシリヤが裁かれる。(10:5∼19) ①アッシリヤは神の道具であった。(10:5) ②それなのに、神はご自分の道具を呪われ、裁かれた。 (10:5∼7) ③問題はアッシリヤの動機であった。(10:7) ④神は決して悪を行わない。 ( a) イザヤ57:15,ヨブ34:10など ( b) イザヤ書には、神の聖さについての箇所は30回ぐら い出るそうである。 ( c) しかし、神は悪人の犯した罪を通してご自分の御心を - 13 - 成就させる時がある。(詩篇76:10,ローマ8 :28) ⑤アッシリヤのプライド。(10:8∼11) ( a) アッシリヤは、イスラエルが前に征服した国と同じで ある、と思ってしまった。しかし、イスラエルは 特別な国である。(創世記12:1∼3,詩篇 122:6) ( b) アッシリヤは自分の偶像の神々に、真の神の栄光をあ げてしまった。(10:10∼11)これは神に 対する大変な失礼であった。(イザヤ48:11) ( c) 呪われた道具についての例――炎には、光も熱さも ある。 b. イスラエルの生き残った者が帰国する。(10:20∼23) 21節をイザヤ9:6に比べてください。 c. アッシリヤを怖がる必要がない。(10:24∼34) 8 インマヌエルと彼の王国(11章) a. インマヌエルの先祖はダビデ王であった。(11:1) b. インマヌエルの力は聖霊から来る。(11:2) c. インマヌエルの政府は正しい。(11:3∼5) d. インマヌエルの王国は平和的である。(11:6∼9) ①この箇所には、三つの解釈がある。 ( a) 合理的――文字通り解釈すべきでありながら、理想的 であるので、成就しないであろう。 ( b) 象徴的――王国の平和を示しているだけ。 ( c) 文字通り――王国の動物はエデンの状態に戻る。これ は正しい解釈である。 ②「聖なる山」(9節)とは、エルサレムの山である。 e. インマヌエルは異邦人をも御国に受け入れてくださる。 (11:10)この節はローマ15:12に引用されている。) f. インマヌエルはユダヤ人を御国のために集められる。(11: 11∼16)11節によるとこの帰国は「再び」であるから、 はっきりとバビロン捕らわれからの帰国ではなく、千年王国 の初めの帰国である。 9 王国のイスラエルの賛美(12章)――王国のイスラエルの賛美 (12章)――この章には、説教の種がたくさんある。 - 14 - a. 主の救い(12:1∼3) b. 主の業と栄光(12:4∼6) II 国々に対する宣告(13章∼23章)――「宣告 」(ヘブル語で「マッ サ」)とは、よくこの章に出る。 (イザヤ13:1,14:28,15:1など) 「宣告」の代わりに、他の可能性は「幻」や「重荷」である。 A バビロンに対する宣告(13:1∼14:23) 1 イザヤの見た宣告(13:1) a. 「見た」という言葉が出たので、「幻」と訳した方が良いであ ろう。しかし、この宣告は時々「バビロンの重荷」とも呼ば れる。 b. 高等批評によると、バビロンの宣告のイザヤの著者が不可能。 ①13:17によると、裁きはメディヤを通して来るが、そ の国は当時に弱かった。 ②13:17によると、バビロンはもう帝国であったらしい が、それは当時に本当ではなかった。ニネベ市の方が 有名であった。 c. 根本主義の返事―― ①13:1はとてもはっきりである。 ②この章には、イザヤの単語と表現法ははっきりとある。 ③イザヤの当時までに、バビロンはアッシリヤの後の帝国に なることがもう広く認められていた。(2列王記20: 12∼19) ④神には、不可能がない。 2 聖別された軍隊(13:2∼5) a. メディヤとペルシアの軍隊であった。(ダニエル5:28) b. 「聖別された」の意味を良く覚えるべきである。「聖なる者」 ではなく、「御心おために分けて置かれた。」と言う意味であ る。メディヤ人は聖いクリスチャンではなかったが、やっぱ り神の道具であって、御心を行うために選ばれた。 c. 5節――アッシリヤ人はメディヤ人のことを「遠い所に住む メディヤ人」と呼んでいた。 3 主の日(13:6∼16) a. 前後関係を読むと、これはバビロンのことであると言わなけれ ばならない。つまり、地域的な「主の日」であった。しかし、 - 15 - 4 5 6 ①5節の「世界」も9節の「地」も、13っ節の「大地」も、 すべて同じヘブル語である。 ②いつでも裁きを見れば、最後の裁きを覚えるべきである。 (ルカ13:1∼5) ③バビロンは、創世記11:9より黙示録14:8まで、悪 とプライドの象徴である。 b. この箇所を黙示録6章∼16章に比べることができる。 メディヤの軍隊(13:17∼22) a. 17節――古代ギリシャ人のゼネホンの歴史書によると、 クロス王(ペルシャの王)はメディヤ人が本当に金や銀がほ しくなかったと認めた。 b. 20節は文字通りに成就された。現代のアラビヤ人はバビロン 市の廃墟に近づかないそうである。 c. 紀元前1世紀までに、バビロン市はもう空であった。バビロン は色々な国に攻められたが、バビロン帝国はメディヤとペル シヤの攻撃で終わった。 イスラエルの復興(14:1∼4前半) a. イスラエルは強くなる。(14:1∼2) b. バビロンは帝国になっても、永久に強くなるわけではない。し かし、イスラエルは神の選ばれた国であるから、永遠に祝福 される。(14:3∼4後半) イスラエルの勝利の歌(14:4後半∼21) a. この詩は葬儀用の形であるが、バビロンに対する「あざけりの 歌」でもある。 b. 神はバビロンを罰せられる。(4∼6節) c. であるから、平和が地上に来た。(7∼8節) d. よみバビロンを待っている。(9∼11節) e. 「よみ」(9,11,15節)とは、ヘブル語のシオルである。 ①意味は「死の世界」、すなわち、「死ぬ時人間が行く所」で ある。 ②シオルの意味は、「地獄」ではないので、誤解しないよう に注意すべきである。例えば、ヒゼキヤ王は信者で あったのに、「私は生涯の半ばで、よみ(シオル)の門 に入る。」と書いた。(イザヤ38:10) f. バビロンの王はサタンのタイプ(典型)であった。(12∼ - 16 - 7 17節) ①キリストも12節と同じような言葉を用いられたことはこ の箇所を解釈する。(ルカ10:18)キリストは70 人訳に似た言い方を用いられた。前置詞句が同じで、同 じ語源のある動詞である。(イザヤの %)!*!+,,どこかよ り落ちる。」ルカの動詞は !*!+,, 「落ちる」である。) ②「暁の子」はビーナス(金星)のことを示して、サタンの 名前の1つであることは、普通の解釈である。英語の 欽定訳には、「ルシファー」と、ラテン語より直訳され ている。古代キリスト教はよくサタンのことを「ルシフ ァー」と呼んだ。しかしもう1つの解釈は、この箇所は 反キリストのことを示していると言うことである。 ③サタンとバビロンの王の罪は高慢であった。13∼14節 の中に「私」という言葉は原語で(動詞の語尾として) 5回出て、「私の」とは(名詞の語尾として)1回出る。 これはサタンのプライドをあらわしたいる。 ④人間も自分の人生を自分で決めると、「いと高き方のよう になろう。」としている。13節読むと、バベル塔のこ と(創世記11:1∼9)やエバの誘惑(創世記3:5) を思い出す。実はバベル市は後でバビロンになった。 ⑤しかし、バビロンの最後の王のように、サタンもとうとう 落ちる。(15∼17節、黙示録20:1∼3,7∼ 10) g. バビロンの王はあまりにも悪かったので、墓にふさわしくな かった。(14:18∼21) ①これはイゼベル(2列王記9:30∼37)やヒトラーの 死に似ている。 ②当時の習慣に関係があったであろう。昔の人々は、尊敬し なかったものが死んだら、死体を野原に捨てた。そして、 通りかかる人はその上に石を投げた。 バビロンは廃墟になる。(14:22∼23)人間が住まない所 になってしまう。これは文字通りに成就された。バビロンの王族 の最後の子孫は死刑にされた。また、現代のアラブ人派バビロン の廃墟に近寄らないそうでる。また、その地方は「水のある沢」 でいっぱいである。 - 17 - B C D E アッシリヤに対する宣告(14:24∼27) 1 バビロンの前に、アッシリヤの裁きが来る。(24∼25節) 2 神ご自身がこれを成就させる。(26∼27節) 3 この預言はアッシリヤに対するのばかりではなく、「全地」と 「万国」に対する。つまり、アッシリヤの裁きは象徴的に ハルマゲドンの闘いを示す。(黙示録16:13∼16,19: 19∼21) ペリシテに対する宣告(14:28∼32) 1 「アハズ王が死んだとし、この宣告(幻)があった 。」(28節) 2 アッシリヤの王たちは蛇に比べられている。(29∼31節) ペリシテを裁いたアッシリヤはさばかれる。しかし、さばかれた 蛇から、ペリシテを滅ぶ蛇が出る。 3 この預言は、ユダヤ人の慰めのためであった。まわりの強い国が 倒れても、イスラエルは残る。 4 32節の「異邦人の使者」は、アッシリヤを敵対するためにユダ の協力を頼むためにエルサレムに行った。 モアブに対する宣告(15:1∼16:14) 1 モアブ中に裁きが来た。(15:1∼4)この箇所の中の場所は すべて、モアブの中にあった。敵がアッシリヤであったと思われ ているが、不明であるらしい。 2 イザヤの悲しみ(15:5∼9) a. 悪者がさばかれるとき、喜んではいけない。(箴言24:17) イザヤは悪の国であるモアブの滅びを悲しんだ。 b. 私たちも、最後の裁きのときに悲しむ。(黙示録21:4) c. アモスもアッシリヤのことを獅子と呼んだ。(アモス3:12) 3 モアブ人はユダに逃げた。(16:1∼54) a. モアブの羊は有名であった。モアブはユダに羊のプレゼントを 贈って、逃げる場所を頼んだ。(1∼4節) b. ユダに希望があった。それはメシヤの預言であった。(5節) 4 モアブの罪はプライドであった。(6∼8節) 5 モアブの有名なぶどう畑の滅び(8∼12節) 6 以前から語られた預言に、もう1つ(13∼14節) ダマスコ(シリヤの都)とエフライムに対する宣告(17章)―― イザヤ書7∼8章によると、シリヤとイスラエル(エフライム)はと もにユダを攻撃した。(7:1ご覧なさい。) - 18 - 1 F ダマスコもエフライムも倒れる。(1∼3節)ダマスコは紀元前 732年にアッシリヤに負けた。 2 尊敬されていたイスラエルは倒れて、弱くなる。その栄光がなく なる。(4∼6節) 3 あるイスラエル人は悔い改めて、偶像崇拝を捨てて、主の信仰に 戻る。(7∼8節)これの成就は2歴代誌30章(特に10∼ 11,18節)に載っている。そのとき、イスラエル人もヒゼキ ヤのリバイバルに参加した。 4 エフライムの裁きの続き(9∼11節) 5 セナケリブの軍隊の滅び(イザヤ37:36)預言(12∼14 節)――これは美しい御言葉である。 a. 人間の力を神の力に比べると、意味のない騒ぎにすぎない。 また、神の裁きは確かである。そして、神はご自分の選ばれ た国民をお守りになる。 b. この箇所もハルマゲドンの闘いを預言している。 クッシュに対する宣告(18章)「クッシュ」とは、口語訳で「エチ オピヤ」と訳されている。しかし、クッシュは現代のエチオピヤより 広くて、現代のエチオピアとソマリアとスーダンを含んでいた。 1 ユダに使わされた使い(1∼2節) a. 「クッシュの川々のかなたにある。」これはクッシュその国の 他ならない。地図を見れば分かる。 b. 「羽こおろぎの国。」川の谷が多い国であるので、虫も多い。 c. 「パピルスの船。」パピルスは北アフリカの植物である。昔の エジプト人はパピルスで紙を作った。クッシュ人はパピルス で舟を造ってナイル川でエジプトまで行って、やっとユダに 到着した。 d. この大使たちはなぜユダに行ったであろうか。たぶんアッシリ ヤに反対するためにユダの協力を願いに行ったであろう。 何年ユダに行ったであろうか。可能性は二つある。 ①ペリシテ人のアッシリヤに対する反乱のとき(712年頃) ②サルゴン王(イザヤ20:1)が死んだ年(705年) e. イザヤはクッシュの大使とその国を褒めながら、帰国するよう に命じた。 ①「背の高い、はだのなめらかな国民。」大昔から紀元後 19世紀まで、クッシュのヌビヤ人はこの評判を持って - 19 - G いた。ギリシャ人のヘロドタス(紀元前5世紀)もヌビ ヤ人を誉めた。 ②クッシュは紀元前714年より633年まで、エジプトを も征服した。クッシュの王は聖書のソ王であった。 (2列王記17:4) 2 主のなさること(3∼6節) a. クッシュに対する宣告は、全世界に対するのである。(3節) b. 神は悪を裁くためにご自分のスケジュールを守っておられる。 (4∼6節)その裁きは人間にとって遅そうであるが、確か である。(2ペテロ3:8∼11) 3 クッシュ(エチオピヤ)の祝福と礼拝の預言(7節) a. いつからとは不明であるが、昔から現代まで、「ファラッシャ」 というユダヤ人はエチオピヤに住んできた。 b. そのエチオピヤ人のユダヤ人は主に戻る。 (ゼパニヤ3:10) c. また、使徒の時代より、エチオピヤのキリスト教が強いである。 エジプトに対する宣告(19章) 1 エジプトに対する裁き(1∼17節) a. 主の力と偶像の弱さ(1節) b. エジプトが困る。(2∼3節) c. エジプトが征服される。(4節) ①この「きびしい主人」とは、アッシリヤのことと思われて いる。アッシリヤは厳しくて残酷の国であった。 ②アッシリヤのエサル・ハドン(2列王記19:37, エズラ4:2,イザヤ37:38)は、紀元前670年 にエジプトを征服した。 d. ナイル川は裁かれる。(5∼7節)ナイル川はエジプト人に とって聖なる川で、日常生活に大切であった。 e. 国民は裁かれる。(8∼10節) f. エジプトの知者は愚か者になる。(11∼15節) g. エジプトの弱さとイスラエルの力(16∼17節) 2 エジプトに対する祝福(19:18∼25)――解釈は二つある。 a. この箇所の細かいことはよく議論されているので、たぶんその 成就は大艱難時代であろう。 b. しかし、1つの可能性は教会時代の成就である。なぜなら、 エジプトとシリヤ(アッシリヤの地方)はすぐキリスト教を - 20 - 受け入れた。 H エジプトとクッシュに対する宣告(20章) 1 神のしるし――イザヤの裸(1∼2節) a. 「タルタン」とは、司令官という意味である。 b. 「アッシュドデ」――これはペリシテの町である。当時のペリ シテには、5つの強い町が連盟をつくった。サルゴン王に対 する反乱のとき、アシュウドデはその連盟を指導していた。 c. イザヤは全く裸ではなかった。中東味屋に、裸になってはとて も恥ずかしいことであった。したがって、下着だけあっても 「裸」といわれていた。4節によると、その裸は日本の相撲 取りと同様であった。 2 そのしるしの意味(3∼6節) a. エジプト人とクッシュ人はアッシリヤの捕らわれ人となる。 (3∼4節) b. エジプトとクッシュに希望を置いた人々は失望する。(5∼ 6節) I バビロンに対する宣告(21:1∼10)――解釈は二つある。ある 学者はこれがメロダク・バルアダン(イザヤ39:1)の時代に成就 されたと教える。それは本当ならば、バビロン市はしばらくだけ廃墟 となった。しかし、もっとよい解釈は、この預言がメディア・ペルシ ヤの攻撃のときに成就された。 1 イザヤは「きびしい幻」を見た。(1∼4節) a. 「海の荒野」――これはどういう意味であろうかとは、よく 議論されているが、学者はみんなこれがバビロンを示してい ると賛成する。 b. エラムはクロスの時代まで、独立であったが、その時、ベルシ ヤの1つの地方になった。 c. これはイザヤの国に対するのではなくて、その敵に対する宣告 であるのに、イザヤはなぜこんなにショックを受けたであろ うか。 ①大変厳しい闘いであったらしい。 ②その闘いの当時、バビロンに住んでいたユダヤ人にとって 怖かったであろう。 ③このような幻を見る預言者は怖がる。(ダニエル10: 7∼11,黙示録1:17) - 21 - 2 幻の内容(5∼10節) a. バビロンの状態(5節) ①宴会をやっている。(ダニエル5章) ②少しだけ準備した。「盾に油を塗れ。」これは矢や剣を防ぐ ためであった。 b. 見張りの知らせ(6∼10節) ①「倒れた。バビロンは倒れた 。」(9節)これは黙示録18 :2にも出る。バビロンはカトリック教のタイプである。 ②「その神々のすべての刻んだ像も… 。」(9節)これはこの 箇所の成就がダリヨスの攻撃であったことの証拠である。 J エドムに対する宣告(21:11∼12) 1 「ドマ」とは、「静か」という意味である。 a. 発音は「エドム」に近いであるから、イザヤはここで地口をつ くった。 b. 「セイル」――これはエドムの中央にあって、山が多い地方で ある。時々エドムの別名として使われていた。 c. この幻の意味はいったい何なのであろうか。 デ ー リ ッ チ ① Delitzsch の注解書によると、ルーターはこう解釈した。「朝 になっても、まだ真夜中である。」 ②つまり、今は少し静かになったが、これから他の裁きも 来る。アッシリヤを通しての裁きの後で、いろいろな 裁きが来たからである。 K アラビヤに対する宣告(21:13∼17)――アラビヤとは、国で はなくて、地方であった。現代アラビヤ(アラビア半島)は、サウジ ・アラビア、イエメン、オーマン、アラブ首長国、バーレーンなどを 含む。 1 「デダン人の隊商」(13∼15節) a. デダン人はデダン(創世記25:3)の子孫であったらしい。 b. デマとは、ダマスコ市からメッカまでの道に沿ってあるオアシ スの町である。イッシュマエルの息子が創立したであろう。 (創世記25:13) c. 隊商は普通、道ばたに泊まった。しかし、アッシリヤ軍はアラ ビヤも征服しようとしていたので、隊商は隠れなければなら なかった。 2 「ケダル人の勇士たち」(16∼17節) - 22 - ケダルはイッシュマエルの息子であった。(創世記25:13 ∼15)ケダルの子孫はアラビヤのケダル族になった。伝統 によると、ケダルはマホメット(イスラム教の創立者)の 先祖であった。 b. 現代のアラブ族はだいたいケダルと同じような生活をしてい る。(エレミヤ49:28∼29)しかし、ケダル族は村に も住んでいたので(イザヤ42:11)、かなりしっかりし ていた。 c. ケダル族は北西アラビヤに住んでいた。 d. この強いアラブ族もアッシリヤに勝つことができなかった。 これは歴史的な事実である。ケダル族はアッシリヤの書物に も出ている。 エルサレムに対する宣告(22:1∼25) 1 エルサレムの問題(22:1∼14) a. 「幻の谷 」(1節)エルサレムは山の町であるが、この預言は 谷の町に対する。 b. この騒ぎ(2∼3節)は、攻撃するアッシリヤ軍が攻撃を止め たためである。(イザヤ37:36)神に助けられたエルサ レムは、悔い改めの代わりに、パーティーをやっていた。 c. しかし、イザヤは主の日を覚えて、悲しんでいた。(4∼7節) ①バビロンのネブカデネザル王の攻撃(紀元前586年)は この預言を成就した。 ②エラム人とキル人(キルはシリヤの町であったらしい)も バビロン軍に入っていたので、国際軍であって、怖い 軍隊であったろう。 d. エルサレムは主に頼らなかった。(8∼11節) e. エルサレムの人たちの赦しのない罪(12∼14節) ①罪のために悲しむべき日に、エルサレムの人たちは楽しん だ。これは聖霊の救いへの導きに反対したので、赦しの ない罪になった。 ②「飲めよ。食らえよ。どうせあすは死ぬのだから。」これ は当時の諺であったかも知れない。これは新約聖書にも 引用されている。(1コリント15:32)また、キリ ストもこれに似ているたとえ話を教えられた。(ルカ 12:16∼21) a. L - 23 - 2 M シェブナに対する宣告(22:15∼19) a. シェブナは「宮廷をつかさどる…執事」であったので、かなり 偉い人であった。(2列王記15:5もご覧ください。) b. イザヤ書には、ここだけが個人的な預言である。 c. 「高い所に自分の墓を掘り、岩に自分の住まいを刻んで。」 (16節)シェブナの罪はプライドであった。 d. 預言通り、シェブナはだんだん落ちた。(イザヤ36:3と 37:2,2列王記18:37) e. 「あなたはそこで死ぬ。」(18節)ユダヤ人にとって、外国で 死ぬことは非常に辛いことであった。(アモス7:17, ホセア9:6) 3 エルヤキムについて(22:19∼25) a. エルヤキムはシェブナの代わりに執事になる。(19∼22節) エルヤキムは神の「しもべ」(20節)であったから、本物 の信者であったらしい。 b. しかし、エルヤキムもとうとう倒れる。(23∼25節) ①このエルヤキムは、セナケリブの攻撃の時に、ヒゼキヤの 代表者としてアッシリヤ軍にもイザヤにも話した。 (イザヤ36:3∼4,11,22,37:2――この 事件は2列王記18∼19章にものってある。) ②この預言によると、エルヤキムは自分の家族にその家族の 栄光のために用いられた。しかし、エルヤキムは落ちた 時、家族も落ちた。 ③シェブナに対する宣告の成就もエルヤキムに対する宣告の 成就も歴史に残っていない。しかし、文字通りの成就さ れたに違いない。 ツロに対する宣告(23:1∼18)――ツロとシドン(2節)は フェニキヤの主な港であって、エルサレムの北に地中海の海辺にあっ た。船で世界中(アフリカ、インド、英国にさえも)に商売をしてい たので、経済力はすごかった。ツロは細長くて(190キロX40キ ロぐらい)、山と海の間にあったので、北への他の道はなかった。 1 ツロの滅び(23:1∼7) a. タルシッシュ(スペインにあったと思われている。)とキティ ム(東地中海にある島国であるキプロス)のある港はフェニ キヤの植民地であった。(1節) - 24 - 2 3 4 b. 「シドンの商人」はツロの品物を売っていた。(2∼4節) c. この知らせはだんだんに市の方に伝えられた。ツロからキプロ ス、シドン、エジプト、タルシッシュまでであった。 この滅びは主のわざである。(23:8∼12) 神はもう一度アッシリヤを道具として用いられた。(23:13 ∼14) a. セナケリブ王は紀元前701年にツロを攻撃して、敗った。 b. ツロ市は預言の文字通りに倒れた。安全な場所は島の砦しかな かった。しかし、ツロも島も、紀元前332年にギリシャ軍 に滅びられた。その時から、エゼキエル26∼28章は文字 通りに成就された。(特にエゼキエル26:1∼5,12∼ 14)(注意――現代のツロは古代ツロから離れた所で創ら れた。 70年間(23:15∼18) a. 紀元前700∼630年に、ツロの商売はアッシリヤ帝国に 禁じられた。 b. ソロモン王は主の宮のために、ツロの木材を使った。その日は 戻ってきた。(エズラ3:7)エズラの時代も同じようにな った。 III 全世界に対する宣告(24∼27章)――この箇所は「イザヤの黙示 録」と呼ばれている。解釈がだいたい三つある。①預言は大艱難時代に成就さ れる。文字通り解釈をしたら、この解釈しかできないので、この解釈が正しい のである。②バビロンの攻撃と帝国の預言である 。(比喩的解釈である。)③高 等批評によると、この箇所はペルシヤの黙示録文献の影響を表わす。そして、 ユダヤ人は捕らわれ人時代の最後まで、その影響を受けなかったので、イザヤ はこの箇所を書かなかったであろうと、言われている。これはもちろん間違っ ている。(高等批評に対する返事は第3課にある。) A 世界の滅び(24章) 1 主の裁きでありながら、地球の住民のせいである。(24:1∼ 13) a. 滅び方(24:1,黙示録3:10)――「地」とは、地球と いう意味である。(4節ご覧ください。) b. 困った住民(24:2,黙示録6:15,18:11)―― 宗教家も、偉い人も普通の人も商売人も、皆滅びられる。 - 25 - B c. 呪われた地球(24:3∼6) ①大艱難の滅びは主の御言葉で来る。(黙示録5:1) ②人間の罪は地球を汚す。(創世記3:17,4:10, エレミヤ3:9,民数記35:33)また、人間は地球 の水や空気を汚している。(黙示録11:18) ③そのために、神は新しい天と地を創造される。(黙示録 21:1) ④残った者の人数は少ない。 d. 民の喜びがなくなる。(24:7∼13) ①イザヤ24:7∼16は、黙示録8:19∼24に似てい る。 ②10節の「都」は代表的であり、世界の都のタイプであろ うと思われている。しかし、他の可能性は、これが黙示 録の大バビロン、あるいはエルサレムという解釈である。 2 滅びの結果(24:14∼23) a. 喜ばれる事は主の栄光だけである。(24:14∼16)しか し、イザヤは悲しんだ。 b. 逃げる場所がない。(24:17∼18,黙示録20:11) c. 地球は大地震で苦しむ。(24:19∼20,黙示録16: 17∼21) d. 悪霊と世界の指導者に対する裁き(24:21∼22,1コリ ント6:3,黙示録20:12)――この「何年かたって後」 とは、千年王国のことを示しているであろう。(黙示録20 :1∼3) e. 主の主権(24:23,黙示録20:6,21:3) ①「月ははずかしめを受け、日も恥を見る。」新しいエルサ レムの光は主イエス・キリストである。(黙示録21: 23) ②「栄光がその長老たちの前に輝く。」イスラエルと教会の 長老たちの事である。(黙示録4:4,21:12∼ 14,マタイ19:28)もう1つの解釈――24人は すべて教会の長老である。 滅びについての詩(25章) 1 滅びのための感謝(25:1∼5) 2 エルサレムで行われる宴会(25:6∼9) - 26 - こんえん C D a. これは「小羊の婚宴」であろう。(黙示録19:7∼9) b. 1コリント15:54もご覧ください。 c. 涙がなくなる。(黙示録21:4) 3 神に逆らう国々の終わり(25:10∼12) a. モアブは昔から、イスラエルの敵であったので、この箇所では 神の敵の象徴であろう。 b. 「この山」(エルサレムの聖なる山)は異邦人の山(モアブ) に比べられた。 c. 人間の力は神にとってゴミにすぎない。 終わりの日のユダの歌(26章) 1 義人の町(26;1∼6) a. 新しいエルサレム b. 義人しか入れない(26:2,黙示録21:27) c. 神に信頼する者は、「全き平安を持つ。」(26:5∼6) d. しかし、サタンの町である大バビロンは倒れる。(26:5∼ 6,黙示録18:2) 2 義人の道(26:7∼10) 3 主の手(26:11∼19) a. 「主の手」は聖書の中でだいたい聖霊のことを示す。 b. 「まことに火が、あなたに逆らう者をなめ尽くしますように。」 (11節)これはキリストの栄光の再臨の時に成就される。 (1テサロニケ2:8) c. 人間の復活はここではっきりと教えられている。(14と19 節を黙示録20:5∼6,11∼15に比べてください。) ここだけではなく、旧約聖書の他の箇所にも教えられている。 (ヨブ19:26,ダニエル12:2∼3) d. イスラエルは神の選ばれた国民であるのに、あまり役に立たな かった。(26:16∼18) 4 主の日(26:20∼21)――これはハルマゲドンの戦いを 示しているであろう。 終わりの日の出来事(27章) 1 サタンの滅び(27:1,黙示録20:2,10) 2 イスラエルに対して神の愛と守り(27:2∼6) 3 罪を犯したイスラエルは、とうとう神に帰る。(27:7∼13) a. 神に裁かれたイスラエルは悔い改める。(27:7∼9) - 27 - b. しかし、神を信じない町は滅びられて、廃墟になってしまう。 (27:10∼11) c. 神はご自分の民を集められる。(27:12∼13) IV 神と神の国民(28∼35章) A イスラエルの指導者たちに対する宣告(28章) 1 指導者の酔っ払いの罪(28:1∼8,ホセア7:5,アモス6 :6)その罪のせいで、指導者たちは御言葉が聞こえなくなった。 a. たぶんイザヤは集まった指導者たちに預言していた。そうであ るなら、9∼10節は、酔っ払った指導者の返事である。 b. この箇所には、イスラエルの栄光を象徴する言葉は3つある。 ①「誇りとする冠」(1節)――その冠は、「足の下に踏みに じら」れる。(3節)つまり、イスラエル(北の王国) は、アッシリヤに破られる。 ②「飾りのしぼんでゆく花」(1節)――その冠は花ででき ていると思われている。つまり、イスラエルの美しさは なくなる。(4節) ③「夏前の初めなりのいちじくの実」(4節)夏(6月)に なるいちじくの実は、秋のより甘いである。(ミカ7: 1)アッシリヤに倒れるイスラエルは、通りかかる人が 簡単にその実を取って食べるように倒れてしまう。 c. 神の道具であったアッシリヤの攻撃は、すごい嵐のようであっ た。(2節) d. 神に頼る人は救われる。神はそのような人の冠である。(5∼ 6節) e. しかし、酔っ払う指導者の状態は、本当に汚かった。 ①酔っ払った王は弱くなって、国民の権威を取り去ってしま う。(箴言31:3∼9) ②酔っ払った祭司(7節)は、「聖なるものと俗するもの」 の区別ができなくなる。(レビ10:8∼11) ③酔っ払った預言者は、正しく御言葉を伝えることができな くなる。(7節) ④「さばきを下すときよろける。」たぶん裁判官もここに 含める。 f. 8節を読むと、やはりイザヤはこれを自分の目で見た、と言う - 28 - 2 3 ことを感じる。 酔っ払った指導者の返事(28:9∼10) a. 指導者は、 「イザヤは俺たちに子供扱いをしている。」と言った。 b. 10節は解釈しにくい。 ①新改訳の「彼は言っている。」とは、原語にない。 ②ヘブル語で読めば、理解しにくい。( Tsaw latsaw, tsaw latsaw, qaw laqaw, qaw laqaw.) 直訳すると、 「命令に命令、線に線」 という意味である。 ③解釈は、3つできる。 ( a) 酔っ払った話し方である。 ( b) 指導者はこう言っている。「彼は俺たちに話す言葉 は、子どもの言葉見たい。」 ( c) 指導者たちはイザヤの預言をばかにしている。これ は正しい解釈であろう。 神の、指導者に対する返事(28:11∼22) a. 指導者は御言葉を聞きもしなかったから、神は彼らを子どもの ように扱われる。(11∼13節;11∼12節は1コリン ト14:21に引用されている。 b. エジプトに頼っている指導者は、神の御言葉を聞かなければな らない。(14∼15節 )「死と契約を結び…。」(15節)死 と契約を結べば、死が怖くない。イスラエルの指導者は、 エジプトと契約を結んだから、アッシリヤ軍が怖くなかった。 しかし、神の裁きは確かである。 c. 石であるメシヤ(28:16) ①他の解釈もある。(たとえば、律法とか宮、など)しかし、 新約聖書ははっきりとこの石がキリストであると解釈す る。(特にローマ9:33はこの節とイザヤ8:14を 解釈する。また、ローマ10:11,1ペテロ2:4∼ 8)それは明らかに神ご自身の解釈である。 ②「試みを経た石」――キリストは試みを受けられた。私た ちは完全なキリストにとどまることができる。 ③キリストは礎である。イザヤ書のヘブル語には、読み方は 2つある。1つは最初に置かれた礎であって、下の礎で あった。(1ペテロ2:4∼8,ローマ9:33,10 :11) - 29 - B ④キリストは頭礎である。(詩篇118:22,マルコ12 :6∼11,ゼカリヤ4:7) ⑤キリストは裁く石でおられる。(ダニエル2:34,44 ∼45) ⑥「これを信じる者は、あわてることがない。」旧約聖書に も、信仰による救いははっきりと教えられた。 d. メシヤの正しい裁き(28:17∼19)――人間に頼る者は 滅びられる。 e. 人間に頼ると、短すぎるベッドのようである。(28:20∼ 22)箴言によると、あざけり(22節)はとても悪い罪で ある。 f. 農夫のたとえ話(28:23∼29) ①賢い農夫は注意深く土を準備し、収穫を取り入れる。同じ ように、神は裁きをも平和をもくされる。 ②希望があるから、裁きはどんなに厳しくなっても、信者は 主を待ち望める。 アリエルに対する宣告(29章) 1 神のアリエルに対する攻撃(29:1∼4) a. アリエルとは、どういう意味であろうか。 ①「ダビデが陣を敷いた都よ。」とあるから、エルサレムに 違いない。(1歴代誌11:4∼8)ベツレヘムも「ダ ビデの町」と呼ばれているが(ルカ2:11)、ここで その解釈ができない。 ②「アリエル」とは、「神の獅子」と訳されるときもある。 (2サムエル23:20,1歴代誌11:22)しかし、 「祭壇の炉」(エゼキエル43:15∼16)とも訳す ることができる。 ③前後関係を読むと(イザヤ29:6,31:9)、「アリエ ル」はここで、「祭壇の炉」という意味をすると言える。 b. エルサレムの祭りは外面的にになってしまった。(1節) c. 神の裁きは燃える炉のようになる。(2節) d. 神ご自身はエルサレムを囲まれる。(3節) e. エルサレムのプライド(28:15)がなくなる。(4節) f. 1∼54節はよくアッシリヤやローマ帝国を示していると解釈 されているが、神ご自身がエルサレムを囲まれるので、これ - 30 - 2 3 4 5 はある時代を示しているではないか。 ふっこう エルサレムの復興(29:5∼8) a. この箇所の成就は、「急に起こる。」(5節)ハルマゲドンのこ とではないか。その時、神の助けは急に起こる。(ゼカリヤ 14:2,12∼13,黙示録16:16∼21) b. キリストもエルサレムの復興を預言された。(ルカ21:20 ∼24) この幻はエルサレムの住民に隠れている。(29:9∼14) a. 聞いた言葉の意味は分かっても、理解ができなかった。(9∼ 10) b. プロの預言者たちも解釈ができなかった。(10節) c. エルサレムの住民にとって、聖書(特にイザヤの預言)の解釈 はできなくなる。(11∼12節)とてもかわいそうな状態 であったが、現代のユダヤ人も同様である。 d. なぜこんなかわいそうな状態になってしまったのであろうか。 彼らの宗教は外面的だけであったからである。(13∼14 節) e. キリストはパリサイ人について13節を用いられた。(マタイ 15:8∼9)パリサイ人はよくイザヤの時代のイスラエル 人に似ていた。 f. 使徒パウロは14節を用いた。(1コリント1:19)この世界 の知人にとって、キリストの十字架は愚かである。(1コリ ント1:18)しかし、その十字架にしか救いがない。 人間を創造された神から、計画は隠せない。(29:15∼16) 他の箇所にも、神は陶器師に例えられている。(イザヤ45:9, 64:8,エレミヤ18:1∼4,ヨブ10:8∼9) エルサレムの将来(29:17∼24) a. 「もししばらくすれば」(17節)――神にとって、1000 年は短いである。(2ペテロ3:3∼11) b. 17節の文字通り、レバノンはとても弱い国になってしまった。 c. 18節はキリストを通して成就された。(マタイ11:4∼6) しかし、前後関係(10∼14節)を読むと、イスラエルが 最後の日まで、霊的に不自由であると解釈ができる。 d. 20∼24節は千年王国を示している。イスラエルはもう一度、 信仰の国となる。 - 31 - C 「反逆の子ら」への災い(30章) 1 「反逆の子ら」(1∼5) a.背景はこれである。「反逆の子ら」であったユダはアッシリ ヤに対してエジプトの協力を願っていた。でも、神に願わな かった。これはもちろん大失敗であった。(詩篇60:11) 当時のエジプトの政府は強い評判をもっていたのに、歴史的 に弱かった。 b.ツォアンとハネス(3∼4節)はエジプトの南部にあった。 ハネスはずっと南で、現代の Fayyum 地方にあった。しかし、 ツォアンはもっと大都市であったから、ユダの使者はそこに 行った。(ある時代にハネスはエジプトの都で、モーセが Ramses と戦った都市であったかも知れない) c.19世紀の注解書によると、国は同盟しないほうがよいであ ろう。なぜなら、外からの影響が国を堕落させるそうであっ た。考えてみると、国連は反キリストの準備であるかも知れ ない。 2 「ネゲブの獣に対する宣告」(6∼11) a.ユダの使者はすごいわいろではネゲブの砂漠を渡って、エジ プトに行った。ネゲブはとても旅行しにくい砂漠で、危ない 動物が多かった。「 ( 飛びかける蛇」は神話の獣ではない。 14:29には、同じ単語があるから。蛇は飛びかけるかみ 方である)でも全部はむだであった。 b.5節後半∼7節の成就――パロ・シャバカ(エジプトの25 王朝)の軍隊は南部パレスチナのエルテケ市で紀元前701 年アッシリヤ軍に負けた。その後、セナケリブ王はエルサレ ム市に向かった。 c.「何もしないラハブ 」(7節)――エジプトは他の箇所にもラ ハブと呼ばれている。(51:9、詩篇87:4、89: 10)ラハブの意味は「うるさい女性」である。 d.8∼11節――神は人間の罪を記録しておられる。(エレミ ヤ17:1)大いなる白い御座の裁きで、未信者の罪はその 記録で裁かれる。(黙示録20:12)ユダの指導者の罪は 神の御言葉や預言者を拒んだり、神の代わりに人間に頼った りすることであった。 3 主の裁き(12∼18) - 32 - 4 5 a.「イスラエルの聖なる方 」(12節)という名前はは指導者た ちに嫌われていたが、イザヤは神のしもべで、神の命じる通 りに預言した。人間の意見が神にとって関係がない。神は変 わらないからである。 b.神の裁きは完全であった。12∼14節の成就は、ネブカデ ネザルがエルサレム市を破壊したとき(紀元前586年)と ローマ帝国のテトス将軍がエルサレム市を破壊したとき(紀 元後70年)であった。 c.「神である主」とは、ヘブル語で「アドナイ・ヤーウエー」 である。こうしてイザヤは神の主権(アドナイ)とあわれみ (ヤーウエー)を一つのお名前にした。(詩篇85:10、 1コリント16:13∼14)ご自分を拒む人々を裁く神は、 ご自分を待ち望む残った人々を祝福してくださる。 エルサレムの人々へ(19∼26) a.19∼22節は悔い改めるユダヤ人への約束である。主に帰 るユダヤ人は:主を見、主に導かれ、主に清められる。この 約束はユダヤ人のためだけではなく、誰でも主に立ち向かえ る人のためである。この箇所に三位一体の神が現れた――主 でおられる父なる神、教師でおられる御子、導きの声でおら れる聖霊 b.23∼26節は千年王国の預言である。 アッシリヤに対する裁き(27∼33) a.神の怒りの四つの象徴(27∼28節) ①炎――神の怒りは燃え、破壊する。(ヘブル12:29) ②水――イザヤ8:7∼8には、アッシリヤは大水のようで あったが、こんどは大水のような神の怒りに裁かれる。 ③ふるい――軽い物が落ちて、捨てられる。 ④馬――神の手綱は行きたくない裁きに行かせる。 b.29∼30節はこう言っている。裁かれるアッシリヤが自分 の力を喜び、何も心配していないときに、神の裁きが来る。 一般の未信者もそうであろう。自分が永遠であろうと思って いる。でも、自分が弱くて、今にも地獄に落ちろうとしてい ることが全く分からない。(伝道者11:9、ルカ12: 16∼21、ヘブル9:27、黙示録3:17) c.この裁きの預言は成就された。トフェテ(33節)は「吐き - 33 - 出す」という意味で、エルサレム市の南にあるヒノム谷に あった。そこで、あるユダヤ人はモレクという偶像を拝むた めに、自分の子どもを火で犠牲してしまった。(レビ20: 1∼5、2歴代誌28:3、など)アッシリヤはそのような 裁きを受け、もう存在しない。 D エジプトの助けを求める人々へ(31章)――31章は30章の預言 をくり返して言っている。この章を「エジプトとアッシリヤ」とか、 「続くクライシス」という題をつけることができる。 1 エジプトの弱い助け(1∼3節) a.エジプトに頼るユダヤ人の罪は、二つの理由で悪かった。 ①人間に頼る者は神に信頼していない。 ②エジプトに頼ることが禁じられていた。(申命17:16) b.神は助けるエジプトを弱らせる。エジプトの騎兵隊は有名で あったが、神は歴史を動かす神でおられる。 c.主権の神に立ち向かっては無理である。神の霊的な力はいつ も肉の力に勝つ。特に、神のエジプトに対する力はユダヤ人 によく知られていたはずである。(申命記4:34、7: 17∼19) 2 神はエルサレム市を守られる。(4∼5節)神は二つの動物に譬 えられている。 a.「獅子、あるいは若獅子」―― 一番強い獅子である若 獅子が自分の物を誰にもあげないで、誰もこわがらない ように、神も歴史的にご自分の民であるユダヤ人とご自 分の聖なる都市であるエルサレムを守られている。 b.「飛びかける鳥」――モーセも(申命記32:11)イ エスも(マタイ23:37)同じような象徴を使った。 鳥は自分の巣を守るために、何でもする。そして、飛べ ない敵を攻める鳥は本当にこわいである。 3 神に帰れ(6∼7節) a.悔い改めは方向を180゜変えることである。「反逆を深め ている」イスラエルは主へ求めてへりくだりを深めるべきで あった。 b.偶像の神々は人間のために何もできない。本当の悔い改めな ら、偶像を壊して捨てることが当然である。 4 アッシリヤの裁き(8∼9節) - 34 - a.アッシリヤの裁きは軍事的な負けであった。これはニネベが 倒れたときに(紀元前612年)成就された。 b.この剣ははっきりと人間のではなく、主の剣であった。主の 剣は聖書のなかでいつも裁きを示している。(士師7:20、 1歴代誌21:12∼30、イザヤ34:5∼6、エレミヤ 12:12、エゼキエル21:5) E の王国と正義の勝利(32章)――これは災いの間にある「知恵の文 献」である。 1 正義の王(1∼4節)――これは二重預言であるから、成就が二 つある。 a.ヒゼキヤ王とその王国 ①アハズの王国は不正の王国であった。(2列王16:2∼ 3) ②でも、ヒゼキヤの影響でリバイバルがきた。霊的なリバイ バルの結果で、政府も正義と公義で治めるようになった。 ③聖書的に、政府の存在する理由は: ( a) 民を正しく守るためである 。(ローマ13:1∼7) そうしない政府は不正の政府で、正義も公義も持っ ていない。そして、必要なのは、正しい国王だけで はなく、正しい首長である。(出エジプト18: 22) ( b) 民には十分な食物があるためである。悪い政府は貧し い者の食物を盗む。(32:6∼7)ただ、働きた くない者は政府からもらってはいけない。(2テサ ロニケ3:7∼12)また、教会は貧しい信者を 助ける責任を持つ。(使徒6:1∼3、ローマ15 :26、ガラテヤ2:10、など) b.メシヤであるイエスと千年王国。 ①ヒゼキヤはイエスのタイプであった。 ②イエスの千年王国の政府は完全に「正義によって治め、 首長たち(復活した信者――黙示録5:10と20:4∼ 6)は公義によってつかさどる。」(1節) c.正しい政府の国民は幸いであり、賢くなることができるし、 主を求めることもできる。(2∼4節) 2 色々な男性に対する預言――不正の政府では、愚か者が賢いと - 35 - 言われ、悪者が正しいと言われている。しかし、正しい政府なら、 逆である。(5∼8節) a.しれ者(5∼6節)――これを「早すぎる者」という直訳が できる。愚か者(特に愚かな首長)はあわてて判断する人で ある。政府があわてると、国民は大変である。犯罪が増え、 戦争も起こる可能性がある。賢い者はよく考えてから判断し、 決心する。(箴言4:26∼27) b.ならず者(7節)――直訳すると、「けちん坊」である。 世界の政府の最もスキャンダルになりやすい問題は、金銭に 関するのである。権威のあるけちん坊はいつも貧しい人を 困らせてしまう。 c.高貴な人(8節)は政府の首長になったら、国民は安心する ことができる。最も高貴な人はキリストである。(詩篇 112:9、2コリント9:9) 3 「のんきな女たち」に対する預言(9∼13節) a.昔のラビたちは「女たち」を町と村として解釈した。タルガ ムは首長として解釈した。 b.しかし、文字通り解釈したほうがいい。ユダヤ人の女性たち は平気で罪を見たり犯したりしたので、裁かれた。決心をし たのは男性であったが、女たちは夫や息子に対して大きな 影響を持ち、責任を持っていた。裁きは「一年と少しの日が たつと」(10節)、セナケリブの攻撃であったであろう。 4 エルサレムに関する預言(14∼20節) a.面白い言い方がある。「いつまでも荒地となり 」(14節)と も「しかし…荒野が果樹園となり」(15節)とも書いてあ る。このかわった表現は預言の強勢であった。神の恵みの他 に、裁きを止められるものはない。 b.「上から霊が私たちに注がれ…。」(15節)これは使徒2章 の五旬節のリバイバルを預言している。(ヨエル2:28∼ 32)15∼17節ははっきりと象徴的で、御霊を通してリ バイバルの祝福を示す。 c.「ああ、幸いな事よ。すべての水のほとりに種を蒔き。」 (20節)千年王国の祝福を示しているが、沢山の場所で 沢山の人々に福音を宣べ伝える信者も幸いである。 F 破壊するものに対する災い(33章)――裁く道具であるアッシリヤ - 36 - は裁かれた。 1 アッシリヤについて(1∼4節) a.現代の国々と同様に、当時の国々は条約を大事にした。アッ シリヤはヒザキヤとの条約を破ったので、裏切る国であった。 これは裁かれる理由の一つであった。(1節) b.2∼4節はエルサレムの市民の祈りである。主しか頼ること のできる方はおられなかった。 2 主について(5∼13節) a.7節の勇士と使者はヒゼキヤにアッシリヤのセナケリブに 遣わされた。(2列王記18:14∼18)セナケリブはヒ ゼキヤが送ったお金をもらっても、エルサレムを攻撃したか ら、勇士と使者は泣いた。 b.7∼9節はそのときの本当の様子であった。皆は絶望したし、 誰も旅行ができなかったし、条約の意味がなくなっていた。 c.主は待っておられた。ちょうど適当なときに、主は立ち上が り、ご自分の民を助けるために、アッシリヤをお倒しになっ た。(10節)私たちも立ち上がられる主を待つべきである。 (イザヤ40:31) 3 エルサレムの市民について(14∼16節) a.「焼きつくす火」(14節)は神の事である。(ヘブル12: 29) b.「正義を行う者 」(15節)は詩篇15ペンや24:3∼6に 似ている。正しい人は、時代が変わっても、変わらない。い つも正しいことを求め、罪から分離する。でもそれだけでな く、正しい人は主に信頼する。 4 エルサレムの将来について(17∼24節) a.「あなたの目は麗しい王を見。」(17節)王の王でおられる イエスを示している。肉体的にみにくくなられた(イザヤ 53:2)のに、美しい方でおられる。 b.ずっと後で、苦しんでいたエルサレムの市民は振り替えて 見て、そしてこわい物事が全部なくなったことに気がついた。 (18節) c.「この民のことばはわかりにくく、その舌はどもって、わけ がわからない。」(19節)ヘブル語もアッシリヤ語も同じ 言語族(セム語)であったのに、ユダヤ人にとってアッシリ - 37 - ヤ人の言葉は外国語であった。現代なら、アメリカ人がドイ ツ語を聞くことと同様である。 d.21∼24節の川と船には、解釈は二つある ①大都市はいつも守りやすい所に造られるのに、エルサレム 市はは例外で、その側には川がない。しかし、主がエルサ レムの川であり、エルサレムをこの「大船」であったアッ シリヤから守られた。 ②神は川で、アッシリヤの大船が入れない。でも、弱った船 であるエルサレムは主に助けられ、アッシリヤの獲物を奪 い、平和の川に入った。この解釈は言語にも前後関係にも あっている。 e.神は裁判長であり、律法者であり、王でおられる。どの国の 政府でも、主の教えられる通りに治めた方がいい。(22節) f.24節――神の祝福は肉体的ヤ物質的でもあるし、霊的でも ある。しかし、罪の赦しは神の最もすばらしい祝福である。 (詩篇103:3、ヘブル10:17∼18) G 神の裁きと救いに関する御心(34∼35章)――この2章は一つの 預言である。そして、この預言の大部分はまだ成就されていない。 1 世界中の裁き(34:1∼4) a.この箇所はハルマゲドンの戦いを示している。ハルマゲドン の後、主は世界中の国々を裁かれる。(マタイ25:31∼ 46)その裁きは「国々の裁き」と言われている。裁かれる 事は、一つ一つの国の、主の選ばれた国民のユダヤ人に対す る行いである。 b.4節は千年王国の後であろうか。ある箇所に比べると、そう 考えがちであろう。(黙示録20:7∼9と11、21:1 ∼3など)しかし、これはハルマゲドンである解釈を簡単に 守れる。 ①千年王国の後の戦いは一つだけで、反乱である。その時、 本当の軍隊は国々にないであるから(イザヤ2:4など)、 「すべての軍勢に向かって憤り」とは不可能である。 ②この預言は千年王国をこの後で預言するから、千年王国の 後の出来事をその前に預言してはおかしい。 ③イエス(マタイ24:29)とヨハネ(黙示録6:13∼ 14)はこれを栄光の再臨として解釈した。 - 38 - 2 世界を代表するエドム(34:5∼15) a.これは二重預言である。 ①最初の成就は、エドムがアラブ人に自分の国から追い出さ れ、国として破壊されたときで、紀元前500年ごろであ った。(オバデヤ5∼10、15∼16) ②二番目の成就はハルマゲドンの後で、メシヤが世界を支配 されるようになるときである。 b.9∼10節はもちろん、地獄を示している。(黙示録19: 3) ①「夜も昼もきえず」とはこの解釈の一つの証拠である。 ②「いつまでもその煙は立ち上る。」とは、もう一つである。 c.12∼15節によると、千年王国にはメシヤの政府以外に 人間の政府はない。であるから、世界中の政府の建物は動物 の家になる。 3 神の命令――預言と成就を比べなさい。確かであるから。(34 :16∼17) a.「主の書物 」(16節)とは何であるか。命の書とかイザヤ書 であるというような解釈もあるが、この預言の事であろう。 b.神の御言葉の預言は確かである。神に保護され、必ず成就さ れる。(マタイ5:18、2ペテロ3:3∼14) 4 イスラエルの贖いと召集(35章)――この章は千年王国の祝福 を教える美しい歌である。 a.レバノン・カルメル・シャロンは緑が多くて、美しい景色で あったから、千年王国の美しさを示すために2節に出ている。 ①この2節をヨブ38:7に比べよう。 ②ある翻訳はサフランの代わりに、バラと約する。 b.2∼4節はメシヤを預言している。メシヤは栄光の再臨のと きに、ユダヤ人を世界中より召集され、イスラエルやユダヤ 人を救ってくださる。(10節もご覧ください) c.5∼6節によると、メシヤは初めて来られた時と同様に、 千年王国の間にもいつも病人を癒される。(ルカ7:18∼ 23) d.9節によると、千年王国のエルサレムに上る道は完全に安全 である。高い道であるから、危ない動物は道を走ることがで きない。昔の人は全然砂漠の道を造る事がなかったが、千年 - 39 - 王国の時代に、砂漠は直る。 e.「嘆きと悲しみとは逃げ去る。」(10節)メシヤの完全な 政府は地上を天国のようにする。(黙示録21:1∼4) V 歴史的な繋ぎ(36∼39章)――36∼37章はアッシリヤの危険を振 り替えてみたが、38∼39章はバビロンの捕われを前もって考えた。細かい 違いもあるが、この箇所は第2列王記18∼20章と同じである 。(ただ、ヒ ゼキヤの詩は列王記にのっていない。) A セナケリブの攻撃と囲まれたエルサレム市(36章) 1 アッシリヤの軍隊と将軍のラブ・シャケ(1∼3節) a.これらの出来事は紀元前701年であった。 b.歴史的批評はここでイザヤ書を攻める。なぜなら、イザヤ書 はアッシリヤのセナケリブ王の「王の書」と違う。しかし、 セナケリブは自分を誉めていたので、もちろん恥ずかしいこ とを書かなかった。 c.アッシリヤの王は3人を送ったので(2列王記18:17)、 ヒゼキヤも、自分の顔を守るために3人の使者を送った。さ て、ヒゼキヤの問題は神に信頼するか、前と同様に人間に頼 るか。 2 ラブ・シャケの誇りの言葉(4∼10節) a.ラブ・シャケとは名前ではなく、「司令官」という意味で あった。この司令官は頭のいい人(三つの言語ができた)で あったが、とても高慢な人であった。ヒゼキヤを王とも呼ば なかった。 b.司令官は色々な議論で、ヒゼキヤ王をやめさせようとした。 ①司令官がエジプトに頼るな(6節)と言ったときに、思わ ず神の預言と賛成した。(イザヤ30:3∼7、31:3) ②司令官は全くユダヤ教を誤解してしまった。(7節)実は、 ユダの「高き所と祭壇」(複数)は律法に禁じられていた から、ヒゼキヤがそれらを取り除いた。 ③司令官の最後の議論(10節)はとても皮肉的であった。 神がそう命じられたとは、誰も信じていなかった。 3 ヒゼキヤ王の使者の願い(11節)――アラム語は後でパレスチ ナのリンガ・フランカ語になったが(紀元前4世紀より)、当時 は外交のためにだけ用いられていた。であるから、一般の市民が - 40 - B わからない「アラム語で話してください。」という願いをした。 ヒゼキヤの使者たちの自信がなくなっていた。 4 ラブ・シャケの最後の条件(12∼20節) a.司令官はもっと高慢になり、声をもっと大きくした。 b.アッシリヤの王の条件はこれであった。 ①アッシリヤと和平を結びなさい。(16節) ②そうすれば、アッシリヤはあなたがたを他の国々に捕虜と して連れて行って、そこに住まわせる。(17節)これは アッシリヤの普通のやり方であった事がよく知られていた。 ③そうしなければ、エルサレムを破壊する。(19∼20節) c.しかし、司令官が真の神を攻めたことは案外にエルサレムの 市民を神に信頼させたかも知れない。なぜなら、司令官の 言うことの反対で、神のイスラエルに対する愛と助けはユダ ヤ人の誰でも知っているはずであった。 5 市民の沈黙と使者の帰り(21∼22節) a.市民は王に従っていた。であるから、ヒゼキヤが悔い改めた 時に、市民も悔い改めたであろう。 b.ヒゼキヤの使者たちはとても絶望して帰った。とうとう主に 頼る状態になっていた。 神の救い(37章) 1 ヒゼキヤ王の悔い改め(1∼5節) a.ヒゼキヤは神に合う事ができる場所に行った。祈りの場所で あった。 b.「自分の衣を裂き、荒布を身にまとって…。」(1節)荒布は 山羊の毛で作られた。捕虜(1列王記20:31)や預言者 (イザヤ20:2)の服になっていたし、悲しむ人も着た。 2 イザヤの返事。(6∼7節) a.前にイザヤは他の王にも「恐れるな」(イザヤ7:4)と 言った事があった。でも、アハズと違って(7:12)ヒゼ キヤは主に信頼した。 b. 「あるうわさ」 (7節)とは何であるか。9節のことではなく、 自分の軍隊の破壊といううわさであった。 c.37節によると、セナケリブは自分の国ではなく、ニネベへ 行った。でも、7節の預言は「すぐ」と言わなかった。 3 エジプトの攻撃(8∼9節)――エジプトの軍隊が近づいていた。 - 41 - 4 5 6 7 ラブ・シャケにとって、二重戦地戦争は大変であったので、もっ と厳しいメッセージをヒゼキヤに送った。 ラブ・シャケの手紙(10∼13節) a.ラブ・シャケは色んな方法でエルサレムを絶望させようとし ていた。前に直接に使者たちにあったが、今度は王に手紙を 書いた。 b.前は、ヒゼキヤだけが嘘吐きであると言ったが、今度は主御 自身も偽り者という冒涜を書いた。神はもちろん冒涜をいつ も裁かれる。 ヒゼキヤの祈り(14∼20節) a.ある高等批評者によると、この詩は申命記にあまりにも似て いるから、多分イザヤがヒゼキヤの代わりにこれを書いた。 しかし、王は申命記を知るべきであったので(申命記17: 18∼20)、ヒゼキヤの著者はおかしくない。 b.正しい祈りは神学的に正しいである。ヒゼキヤのこの祈りも 正しく主の性質を示した。(18∼20節) 神のイザヤを通しての返事(21∼35節) a.この詩の御言葉の種類は、「あざけりの詩」と言われている。 (他の例:ハバクク2:6) かぎわ b.29節の「あなたの鼻には鉤輪を、あなたの口にはくつわ を…。」アッシリヤ軍はこの方法で捕虜を動物扱いにするく せがあったので、神は象徴的にセナケリブを帰国させた。 c.神はご自分のために祈りに答えられる。(35節、詩篇65 :2) 神のアッシリヤに対する裁き(36∼38節) a. Herodotus( ヘロドタス、ギリシャの歴史家)によると、沢山 のねずみがセナケリブの陣営に入り、兵士の矢や盾の固着を 食べた。多分御使いがそのねずみを利用して、腺ペストで 軍隊を殺したであろう。 b.何人の兵士が帰国したかとは、不明である。全部死ななかっ た。ナポレオンの軍隊がロシアを侵入したとき、侵入した 25万人のうち、12,000人しか帰国しなかった。 c.38節の出来事は、37節の預言の20年後であった。でも、 預言は「すぐ」と言わなかった。 d.38節の殺人はアッシリヤの当時の書物にも書かれてある。 - 42 - C この裁きはふさわしかったである。なぜなら、セナケリブの 信頼していた偶像は彼を救う力を持たなかった。 ヒゼキヤ王の病気(38章) 1 ヒゼキヤに対する忠告(1節)――成就されなかったので、預言 ではなかった。 a.この出来事の年代は少し不明であるが、37章のすぐ後に 違いない。 b.直訳すれば、神は「家庭に命令をしなさい。」とおっしゃっ た。つまり、遺言を書き、お葬式の準備をしなさい。 2 ヒゼキヤの祈り(2∼3節) a.5節を2列王記21:1に比べると、ヒゼキヤは相続人を 持っていなかった。彼はメシヤの先祖となっていたので、こ の祈りに答えられることが御心であった。 b.ヒゼキヤはアハブと同じ行いをしたが(1列王記21:4)、 アハブと違って、ヒゼキヤは信仰で祈った。 3 神の哀れみとしるし(4∼8節) a.しるしは神の御計画を示す奇跡である。(創世記9:12∼ 16) b.神はメシヤの系図を守っておられたから(39:7)、こん なすごいしるしをなさった。このしるしを科学的に説明がで きない。そのまま信じるべきである。 c.ヒゼキヤはしるしを願った。(2列王記20:8)新約時代 には、しるしを願っては不信仰である。(マタイ12:39、 マルコ8:11∼12、1コリント1:22∼23)必要な しるしはイエス御自身だけである。(ヨハネ6:30∼33) でも、神は旧約時代に時々恵みによってしるしを願う祈りに 答えてくださった。そして、全ての時代に神は自らしるしを 与えられる。30∼32節のしるしはアッシリヤ軍のすぐの 帰りを示す。アッシリヤはユダの農業を破壊した(イザヤ1 :7∼8)ので、すぐ帰国しても回復は3年間かかる。 d.新改訳聖書の8節は翻訳ではなく、解釈になっている。 日時計であったかどうかは議論されている。正しい訳は―― ①「アハズの日時計」ではなく、「アハズの階段」である。 ②「時計の影」ではなく、「階段にある影」である。 ③「十度」ではなく、「十段」である。 - 43 - 4 D ヒゼキヤの詩(9∼20節) a.9∼14節――詩の前半は病気の王の気持ちを伝える。 ①死ねば、最も辛い事は、神と人間との交わりを失う事であ る。(11節)旧約聖書の天国の教理はまだ明らかではな かった。 ②ヒゼキヤは心の底から、色々な叫び声で主に祈った。聖霊 はそういう祈りを助けてくださる。(ローマ8:23 ∼ 27) b.15∼20節――詩の後半は回復の後の気持ちである:感謝 でいっぱい! ①罪の赦されていない人(17節)は癒されない。(ヤコブ 5:13∼16) ②王の回復したい理由は18∼20節にある――主の栄光の ため 5 ヒゼキヤの回復(21∼22節) a.「ひとかたまりの干しいちじく」は現代も中東で食べられて いる。イザヤの当時、薬の一つであった。神は薬を用い、 奇跡的にヒゼキヤの病気を癒された。ある学者によると、ヤ コブ5:14∼15も同じ方法を教えている。 b.22節のヒゼキヤの質問は、8節のしるしを確かめていたか ら、聖書に返事がない。 ヒゼキヤの罪(39章) 1 国の宝物を見せてしまったヒゼキヤ(1∼2節) a.メロダク・バルアダンは二回ほどバビロンの王であった。 703年と721∼709年 B.C.であった。この出来事は 703年であった。 b.ヒゼキヤの罪は愛国主義のプライドであった。自分の国も 強いというプライドであったから、神に対する信頼がなく なっていた。 2 イザヤの質問(3∼4節)――ヒゼキヤははっきり自分の罪がわ かるようになるための質問であった。 3 神の罰(5∼7節) a.「万軍の主。」(5節)ヒゼキヤのユダの力は神の力に全く 比べられなかった。 b.ヒゼキヤの罪は書いていない。なぜなら、ヒゼキヤは自分の 良心ですぐわかったに違いない。 - 44 - 4 VI ヒゼキヤの反応(8節)――これはわがままであったか。いいえ、 悔い改めであった。そして、神の罰は自分に対して厳しくなかっ た事の感謝であった。 神の主権と約束(40章∼48章) A エルサレムを助ける造り主である神(40章)――イザヤ書の後半は ここで始まる。 1 エルサレムに対する良い知らせ(1∼12節) a.誰がエルサレムを慰めるべきであろうか。(1∼2節)動詞 は複数であるから、多分預言者たちであろう。イザヤがこの 40章でこの命令に従っている。 b.「荒野に呼ばわる者の声。」(3∼5節)イザヤを含めて(1 :1)、預言者は幻を見ることがよくあった。しかし、イザ ヤは幻の他に言葉も聞く。 ①これはバプテスマのヨハネを預言している。福音書の四つ ともはこれを教える。(マタイ3:3、マルコ1:3、 ルカ3:4∼6、ヨハネ1:23)ヨハネは王のイエスの 道を備えた。 ②当時の中東の国王がどこかを訪ねるときに、使者は前に 行って、王の行く道を修理する習慣があった。この預言に は、ヨハネの成就は霊的であったが、千年王国に物質的な 成就もあるかも知れない。 c.主のすごい御言葉(6∼8節) ①イエスはこれを覚えられ、御自分の神性を語られた。(マ タイ24:35、マルコ13:31、ルカ21:33) ②神は御自分の語る象徴を同じ箇所で解釈してくださった。 しかし、ペテロはもっと詳しく解釈した。(1ペテロ1: 23∼25)草は人間という意味で、花は人間の栄光であ る。しかし、救いを語る御言葉は永遠である。 d.「神である主」の姿(9∼11節) ①この命令形の動詞は女性形であるから、知らせを伝えるべ き者は女性として譬えられる(1:8などに)シオン(エ ルサレム)である。そうするとこういう翻訳になる:「シ オンよ。良い知らせを伝える者よ 。」(9節)シオンは象徴 的に山に上り、主の民に良い知らせを伝えるべきである。 - 45 - B ②良い知らせは何であろうか。主が羊飼として助けに来られ、 バビロンのユダヤ人を捕らわれからエルサレムに連れて行 かれる。 2 比べのない神(12∼31節) a.神の質問――誰が(12∼17節;ヨブ38:41に比べ よう。) ①この言葉の絵は面白いである。(12∼14節)主に教え る者は想像にもつかない絵である。 ②13節の「霊」はヘブル語の ruah であり、普通は霊(創世 記1:2)か息(創世記7:22)の訳になるが、ここは 「精神」とか、「心」という可能がある。(創世記26: 35に比べよう)誰も主の霊も精神も理解ができない。 ③神は人間を一人一人愛しておられる(ヨハネ3:16)が、 全世界の国々の力は主である神にとって水一滴のようであ る。(15∼17節) b.偶像は絶対に比較にならない。(18∼20節)これも面白 い。銀の鎖や重い下半分で立たせられた偶像は、全然力がな い。 c.神の質問――「知らないのか。」(21∼26節) ①神は子供を叱っている父親のようである。イスラエルは神 の主権を忘れていた。彼は歴史を動かす神でおられる。 ②「地のおおう天蓋。」(22節)直訳すると、「地球の丸」 になる。聖書は、2700年前に地球が丸いであるという 事を教えた。(地球が回ることはルカ17:34∼36に 教えられている。) d.神の質問――なぜか。(27∼31) ①バビロンの星占によると、天の星は人間の人生を支配する。 でも、この箇所によると、神は天の星を支配される。星占 は愚かである。 ②この箇所は神学生に大きな励みを与える 歴史の主である神に対する訴え。(41章)41章は裁判所の舞台で ある。 1 国々に対して神の挑戦(1節) a.「諸国の民よ。新しい力を得よ 。」これを40章31節に比べ ると、皮肉的であることがわかる。 - 46 - b.この「裁きの座」には、裁判官はいない。主の他に裁判がで きる方はおられない。神は諸国に皮肉的にこうおっしゃって おられる:「わたしを訴える力があると思うなら、訴えよ。」 でももちろん誰も主である神を攻めたり裁いたりすることが できない。 2 神の証拠(2∼20節) a.第一証拠――ペルシアのクロス王の勝利の預言。(2∼7節) こういう預言は聖書の神の神性を証明する。 ①イスラエルの1世紀の歴史家であった Josephus(ジョシフ ァス)によると、クロスの200年以上前に預言された。 ②これは誰を預言していたとはちょっと議論されているが、 クロスにぴったりである。 ( a) クロスはバビロンやイスラエルの東から来た。 ( b) クロスの軍隊は全然負けなかった。 ( c) クロスはペルシアから遠く行き 、「まだ歩いて行った ことのない道を」(3節)沢山歩いた。 ③国々の助けは偶像に過ぎない。(5∼7節) b.第二証拠――主はイスラエルを支え助けてくださる。(8∼ 16節) ①アブラハムは神の友と言われた。(8節、2歴代誌20: 7、ヤコブ2:23)神の他の友はモーセ(出エジプト 33:11)であったが、エノク(創世記5:21∼24) やダビデ(1サムエル13:14)やダニエル(ダニエル 10:11、19)は神に親しかった。また、イエスの友 はバプテスマのヨハネ(ヨハネ3:29)や弟子たち(ヨ ハネ11:11、15:13∼15)であった。 ②神は決して御自分の民であるユダヤ人を捨てることがない。 c.第三証拠――主は祈りに答えられる。(17∼20節) 3 国々の訴えの番。(21∼24節)本当の神なら、何かができる はず。 4 主の結論(25∼29節)――主には永遠の力がある。主が真の 神である証拠が沢山あるが、主はここで少しだけでそれを証明さ れた。 a.主の預言がいつも成就される事は主の力を証明する。(25 ∼26節)例としてはクロスに関する預言である。偶像崇拝 - 47 - C 者の予言者は一人もこれを予言していなかった。クロスは「日 の出る所」であるペルシアからバビロンに入り、北から南へ 攻撃した。 b.「良い知らせを伝える者」も主の力を証明する 。(27節)こ れはイザヤのことであった。クロスの来ることはイスラエル にとってとても良い知らせであった。敵からの救いも罪から の救いも主からしか来ない。 c.偶像の神々は主に答えられないことも、主が真の神でおられ ることを証明する。(28∼29節) 主のしもべの出現。(42章)この章でメシヤを預言する「しもべの 歌」がはじまる。「しもべの歌」は四つある:42:1∼9、49: 1∼13、50:4∼11、52:13∼53:12 でも、主のし もべは、「しもべの歌」にだけではなく、イザヤ書42∼66章にし もべは時々メシヤであるし、時々イスラエルを示すし、時々両方であ る。前後関係や新約聖書によって正しい解釈ができる。 1 最初の「しもべの歌」(1∼9節) a.1節はイエスのバプテスマ(マタイ3:16∼17)を預言 した。 ①神の天からの御声 ②下って来られた御霊 b.メシヤはじめて軍事力で来られなかった。(2∼4節、ヨハ ネ18:36)イエスの奉仕は政治の問題を一切解決しよう としなかった。この箇所は文字通り成就された。(マタイ 12:16∼21)しかし、主は再臨の時に、力を持って 来られる。(マタイ24:30) c.主のしもべに関するご計画(5∼9節) ①全ての創造主はまたすばらしい事をしてくださる。(5節) ②主のしもべの奉仕(6∼7節) ( a) 新しい契約を持って来られる。 ( b) 「盲人の目を開き…。」イエスは霊的にも具体的にも 盲人を癒された。 ( c) 「囚人を牢獄から、やみの中に住む者を獄屋から連れ 出す。」これは罪という牢獄である。 ③主御自身は御自分の栄光のために御自分の栄光でこれらを 行われる。この預言は必ず成就する。(8∼9節) - 48 - 2 D 新しい歌(10∼13節)――この箇所は詩篇によく似ている。 a.新しい歌は教会、またクリスチャン生活の助けである。私た ちも時々新しい聖歌を作るべきである。 b.主御自身は御自分の計画を賛美される。私たちもメシヤを 考えるごとにイエスの賛美を歌うべきである。 c.主は御自分を勇者や戦士に譬えられた。(13節)これはバ ビロンの捕らわれからの自由だけではなく、再臨をも示して いる。 3 主のしもべを通して、主の助け(14∼20節) a.14節の象徴は現代人にとって分かりにくいであろう。主は どういうふうに赤ちゃんを生む母のようであろうか。赤ちゃ んはイスラエルであった。バビロンの捕われの後、主がとう とう御自分の民を新しい国として自由にされた。イスラエル の苦しみは長かったが、主の助けは確かであった。 b.偶像に頼る者はメシヤの再臨のときに恥となる。(17節) 現代の New Age Movement(新時代運動;日本の「幸福の 科学」は含まれている)は古い偶像も(例えば、エペソの 大女神アルテミスのリバイバルがある)新しい霊も拝んだり 頼ったりするが、主に比べると力がない。 c.でも、イザヤがこれを書いた当時に、イスラエルは神に反対 していた。(18∼20節) d. 「わたしのしもべほどの盲目の者が、だれかほかにいようか。」 (19節)これを前後関係に比べると、メシヤではなく、 不従順のイスラエルを示していることがわかる。 4 イスラエルの不従順(21∼25節) a.「みおしえ」(21、24節)の言語は「トーラ」である。 普通はモーセ五書として解釈されているが、多くの場合は 御言葉という意味をもつ。 b.不従順は大変悪い罪である。(24節、1サムエル15: 23) 拒まれた主の豊かな恵み(43章) 1 一緒に行かれる主(1∼7節) a.造り主の守り(1∼2節) ①主はイスラエルをお造りになったので、御自分の物として お贖いになる。 - 49 - ②主はイスラエルを水からも炎からも救い出してくださる。 これは全ての危険という意味であった。 b.守ってくださる理由(3∼4節) ①イスラエルの主であるから ②主はイスラエルを愛するから c.造り主の御計画――イスラエルの召集(5∼7節) 2 主の証人であるイスラエル(8∼13節)――これもまた裁判の 形である。 a.証人たち(8∼10節)――主は唯一の神であろうか。もち ろん! ①まず、「目があっても盲目の民、耳があっても耳しいた者 たち」のイスラエルが出てきた。(8節)主の御教えに 従いたくなくても、イスラエルは唯一の神の証言をするこ とができる。 ②それから、相手の証人になる世界のすべての国民が出た。 (9∼10節)もし他の神々に仕える者は遠い未来を正確 に予言することができれば、それが証拠となる。でも、だ れもそういう予言ができる者は出なかった。また、「その 予言は本当に成就された。」と言える証人も出なかった。 b.評決(11∼13節)――こう言える――主は偉い、諸国の 民は有罪、神々は非実在である。あるいは、イザヤの言葉で 言えば、評決はこれである―― ①「わたし、このわたしが、主であって、わたしのほかに 救い主はいない。」(11節)つまり、神は唯一である。 ②諸国から証人は出なかったので、諸国の静まりが主の証拠 となった。(12節) 3 主の御名の預言(14∼15節)――御自分の御名で助けを約束 された。 a.「イスラエルの聖なる方」 b.「主」 c.「イスラエルの創造者」 d.「あなたがたの王」 4 主の新しいこと(16∼21節) a.主は昔、色々な奇跡でイスラエルをエジプトから救い出され たのである。主は海に道を開かれ、敵の軍を倒された。 - 50 - E b.しかし、イスラエルはそれを忘れよう。主は新しい奇跡をな さる。今度は逆になる。主は荒野で道をお造りになり、 「荒野に川を設ける。」これは選ばれた国民のイスラエルの ためであった。 5 主を拒むイスラエル(22∼24節) a.主はそのようなすばらしい約束をなさったのに、イスラエル はまだ反逆の国民であった。 b.この箇所はいけにえの礼拝に反対していない。外面的ないけ にえに反対している。イスラエルの偽善のいけにえは主に とって罪となった。 c.「お金を払って菖蒲を買わず…。」(24節)これは聖なるそ そぎの油を作るためであった。(出エジプト30:22∼ 33) 6 主の救いと裁き(25∼28節)――主しかイスラエルを救った り裁いたりする方はおられない。 イスラエルの偉い神と偶像崇拝の愚かさ(44:1∼23) 1 偉い主の力と助け(1∼8節) a.「あなたを母の胎内にいる時から形造って、あなたを助ける 主 。」(2節)主は御自分の預言者たちに対してこの言い方を されることがあった。(ダビデ=詩篇139:13、イザヤ =イザヤ49:1、エレミヤ=エレミヤ1:5、バプテスマ のヨハネ=ルカ1:15) b.ヤコブとエシュルン(2節)――同じ節に神はイスラエルに 二つの名前を比較するために用いられた。 ①ヤコブの意味は「だます者」である。イスラエルは国とし て偽善者のときが多くあった。神はイスラエルをしかると きにこの名前を用いられた。 ②しかし、エシュルンの意味は「正しい者」という意味であ る。(申命記32:15、33:5と26にも出る)主は イスラエルの道徳を話されるときにこの名前を用いられた。 ③この箇所に両方の名前が使われた理由は、主がいつもイス ラエルを愛されている、という意味である。 c.「わたしの霊をあなたの…子孫に注ごう。」(3節)これは 五旬節のリバイバル(使徒1∼2章)を預言していた。(ヨ エル2:28∼29もご覧ください。)でも、個人的な約束 - 51 - F の照明の可能もある。(マタイ5:6もご覧ください。) d.「ある者は手に『主のもの』としるして…。」(5節 )「手で」 の方がいい翻訳であろう。入れ墨は禁じられていたからであ る。(レビ記19:28、黙示録13:16) e.6∼8節は出エジプトを思い出させる。岩である主は出エジ プト17:6や申命記32:4にも出られる。 2 偶像を造る者の愚かさ(9∼20節) a.「偶像を造る者はみな、むなしい。」(9∼11節) b.「鉄で細工する者」(12節) c.「木で細工する者」(13∼20節)――聖書のなかで、たぶ んこの箇所は最もはっきりと偶像崇拝の愚かさを見せるであ ろう。 3 主を覚えるべきイスラエル(21∼23節) 主の用いられるクロス(44:24∼45:17) 1 クロスの名前は彼が生まれる150年間以上前に2回ほど(44 :28、45:1)イザヤ書にのってあるから、この箇所は上等 批評によく攻められている。 a.現代主義者は奇跡の存在を認めないから、遠い未来の預言も 認められない。したがって、イザヤはこの箇所を書いた可能 性がないと言われている。その代わりに、 Deutero-Isaiah(第 2イザヤ)がイザヤ書のこの部分を書いたと言われている。 そして、現代主義にとって、クロスの名前がここに出ている ことは Deutero-Isaiah の存在の最も強い証拠であろう。 b.でも、Deutero-Isaiah の存在の外面的な証拠は全然ないし、イ エス御自身もイザヤがイザヤ書の前半も後半も書いたことを 認められた。(ヨハネ12:38∼41には、イエスはイザ ヤ書の2箇所<53:1と6:10>を引用され、イザヤ書 からであると言われた) c.信仰がないなら、証拠はどんなに多くても奇跡を認めないの は当然であろう。奇跡の存在はまず心で信じたら、証拠が 沢山あるということがわかる。 2 主のイザヤに対する御言葉(44:24∼28) a.神は預言者だけではなく、クロスをも「母の胎内にいる時か ら形造った。」(24節) b.誰かに前もって名前をつける(28節)ような預言は珍しい - 52 - 3 4 である。イエスとクロスを除いて、そういう人物はヨシヤだ けであった。(1列王記13:2) c.「再建される。神殿は、その基が据えられる。」(28節)ク ロスは紀元前538年に神殿の再建を命じた。(エズラ1: 2∼4) 主のクロスに対する御言葉(45:1∼8) a.「彼の前に諸国を下らせ…。」(2節)クロス自身はこれを 勉強した。(エズラ1:2) b.3節の宝はバビロンや Lydia(リディア)であった。クロス は両方を倒した。リディアの王は Croesus(クリスス)で あった。彼のすごい宝は伝説になった。クリススはギリシャ のデルフィ市の神託の予言を信じてクロスと戦ったが、紀元 前546年にサルディス市で負けてしまい、捕虜となった。 でも、クリススはクロスの助言者になった。 c.「あなたが知るためだ」(3節)と「あなたはわたしを知らな いが…。」 (4節)クロスは「クロスの円筒形の物」によると、 マルダックという偶像に栄光を捧げたが、彼は真の神の栄光 をも学んだ。多分ダリオスを通してであった。(ダニエル6 :25∼28) d.クロスは紀元前539年にバビロンを倒した。(ダニエル5 :30∼31) ①メディヤは現代イランの北西部にあり、カスピ海の南で あった。 ②言語や文化はペルシアのにとても近かった。 ③クロスはペルシアの王であった。彼はメディヤを征服して から、ダブル王国を造った。ペルシアもメディアも同じ 権威を持っていたはずであったが、具体的にペルシアのほ うが上であった。ダリヨス(名前ではなく、題名であった) はメディヤ人の将軍で、クロスの命令に従ってバビロンを 倒した。方法はダムでバビロンに入るユーフラテス川を 止めて、川の底を歩いて都市に入った。バビロンは祭りを 祝っていたので、攻撃軍に負けてしまった。(ダニエル5 章) 主に反対する人に対する災い(45:9∼13) a.この箇所は主を一般的な人間の創造主として見るが、特にク - 53 - G H ロスの創造主として見る。自分を造った方に対する不従順は とても悪いである。 b.「私の捕囚の民を解放する。」(13節)これはクロスを通し て文字通りに成就された。バビロンの捕われのイスラエル人 は皆自由にされた。(エズラ1:3) 5 主のイスラエルに対する御言葉(45:14∼17) a.14節の「エジプトの産物と、クッシュの商品、それに背の 高いセバ人もあなたのところにやって来て…」とは、千年 王国の前の召集を示しているであろう。なぜなら、17節に よるとこの状態は永久である。 b.異邦人の救いは偶像崇拝を捨てることに関係があった。これ はいつもそうである。 全能者の神の救いの招き(45:18∼25) 1 神の招きは彼の創造と彼の正しい御言葉に基づいている。(18 ∼19節) 2 国々は自分の神々に救いを見つけなかったので、集まって、 「正義の神、救い主」である主に聞くべきである。(20∼21節) 3 人間には、二つの道しかないのである。(22∼25節) a.自分で決心して、主に仰ぎ見て救われる決心。 b.強いて主にひざまずくこと。「すべてのひざはわたしに 向かってかがみ、すべての舌は誓い、わたしについて、『た だ、主にだけ、正義と力がある。』と言う。」(23b∼24 a、ピリピ2:9∼11)これはキリストの裁きの座をも(ロ ーマ14:10∼13)大いなる白い御座の裁きをも(黙示 録20:11∼15)預言している。 バビロンの死んでいる偶像と生きておられる真の神。(46章) 1 今までイザヤは一般的に偶像崇拝に反対したが、ここではじめて 偶像の名前も言う。(1∼2節) a.ベル(マルダックとも言われた)――バビロン市のバアル(「主」 という意味で、カナンの各地方の神々)であった。バビロン 人にとって、ベルは最も偉い偶像で、命を与えたり正義と火 のバアルであった。 b.ネボ――「報告者」という意味で、ボルシッパ市のバアルで あった。人間の運命を決めるバアルとして信じられていた。 c.この神々は自分の運命さえも影響ができなくて、獣に乗せら - 54 - れて、重荷となってしまった。そして、その獣は疲れてし まった。クロスはこの二つの偶像崇拝を破壊しなかったが、 結局この預言の文字通りにこの神々の宗教は消えてしまった。 2 しかし、真の主は重荷を負ってくださる神である。(3∼4節、 申命記32:1) 3 主を偶像のように量ったり立たせたりすることができない。(5 ∼7節) 4 主の忠告と励みの言葉(8∼13節) a.イスラエル人は主に聞いたり従ったりしなくても、主は 変わらないし、イスラエルを救われる。人間は信じても信じ なくても関係がない。 b.「わたしは、東から猛禽を…。」(11節)クロスを預言する 言葉はまた証拠としてあげられた。不思議に、Xenophon (ゼノフォン、ギリシャの歴史家)によると、クロスは長い 槍につけられた金のわしを軍人に運ばれるように命令した。 I バビロンの堕落と恥(47章)――これは「あざけりの詩」であり、 とても皮肉的である。(37:21∼35に比べてください) 1 奴隷になるバビロン(1∼4節) a.バビロンは奴隷になった女王に譬えられた。 b.「優しい上品な女」(1節)は申命記28:56に似ている。 ぜいたく的に暮らしていた女王は奴隷になり、恥ずかしく なった。 2 静かになるバビロン(5∼7節)――ツロ(エゼキエル28:1 ∼10)と同様に、バビロンの主な罪はプライドであった。残酷 なバビロンは話せなくなる。 3 全部を失うバビロン(8∼11節)――「私だけは特別だ」とは、 「わたしはある」(出エジプト3:14、イザヤ45:5、など) と言われる主に直接に挑戦した。であるから、裁きは当たり前で あった。(ヤコブ4:6) 4 バビロンを助けられない魔術(12∼15節) a.バビロンに魔法が大きな影響をもっていた。(ダニエル1: 19∼2:13、48)いくつかの種類があったが、ユダヤ 人にとって全部は禁じられていた(申命記18:9∼15) が、バビロンの魔術師はインテリであり、尊敬されていた。 ①呪文――これは魔法を行うための決まった言葉である。し - 55 - J かし、言語はここしか出ないで、「守り」と翻訳する可能 性もある。 ③呪術――魔法を行うためのわざである。バビロンの呪術は 出来事や神々をコントロールしようとした。色々な道具は 使われていた。 ④星占い――バビロンの星占は国家を代表する王の運命を 知るためであった。種類は三つあったが、誰も天文学を 知らなかった。 ( a) 「天を観測する者 」(13節)とは、星占師を示すヘ ブル語であった。空の出来事の位置(北、南、東、 西)によって予言した。 ( b) 「星を見る者」は、現代の星占師と同様に星座によっ て予言した。 ( c) 新月の位置によって予言する星占師もいた。 b.「若い時からの使い古しの呪文」――魔術師になるために、 長い勉強や訓練をしなければならなかった。バビロンに 魔術師のために、特別な住まいもあった。それなのに、いざ となると全部は無駄であった。 主のイスラエルに対する御計画(48章) 1 過去の御計画(1∼11節) a.真面目に信じていないイスラエル(1∼2節)――ユダヤ教 は外面的になってしまった。主の御名を儀式的に使うように なってしまった。 b.遠い未来を預言される主(3∼5節) c.新しい預言をなさる主(6∼7節) d.「そむく者」のイスラエル(8節) e.御自分のためになさる主(9∼11節) 2 贖いの御計画(12∼22節) a.主のしもべが話される(12∼15節) ①「わたしは初めであり、また、終わりである 。」(12節) 主の御名の一つである。(41:4、44:6)ヨハネは これをイエスの御名として解釈した。(黙示録1:17、 2:8、22:13) ②「あなたのしあわせは川のように 。」(18節)これはすば らしい象徴である。しかし、「しあわせ」とは、かわった - 56 - 訳である。原語はシャローム(平和、平安)である。 (22節も) b.主がはっきりと命令される主である。(16∼19節)啓示 された御心はとても明らかであるのに、イスラエルは従って いなかった。(16節) c.イスラエルはバビロンから逃げることができるようになる。 (20∼22節) ①聞きたくない生徒に教える教師はとても辛いである。 (17∼19節) ②「『悪者どもには平安がない。』と主は仰せられる 。」(22 節)話題は急に変わったらしいであるから、これは自由 主義者に非難されている。でも解釈は簡単である。20節 のバビロンを示している。 VII A 主のしもべに関する福音(49章∼57章) 主のしもべとイスラエルの回復(49章)(しもべの歌、第二) 1 犠牲になられたメシヤは全世界にほめ讃えられる。(1∼7節) a.これはメシヤではなく、イスラエルを国として見ている章で あるという説もある。しかし5∼7節ははっきりと一人だけ 示している。3節はメシヤを理想的なイスラエル人として 見ている。 b.「主は私の口を鋭い剣のように 」(2節)――イエスの語る御 言葉は鋭いである。(黙示録1:16) c.「諸国の民の光」はイエスをも(ルカ2:32)イエスのし もべをも(使徒13:46∼47)示している。 2 メシヤこそは新しい契約である。(8∼13節) a.これは天国で成就される。(黙示録7:15∼17) b. 「ある者はシニムの地から来る。」 (12節)これは中国(China) である。ユダヤ人は大昔、ペルシアを通して中国にも行った。 この箇所によると、千年王国のとき、人々は遠い東からもエ ルサレムに参る。 3 主はシオンを忘れておられない。(14∼21節) a.主は二つの象徴で御自分の哀れみを語られた――母の愛と手 きずあと の傷痕。母の愛は世界中に通じるし、手の傷痕はなくならな い。 - 57 - B b.「手のひらにあなたを刻んだ」(16節)とは、入れ墨ではな い。(レビ19:28)傷痕である。イエスの傷痕は神の愛 の印である。 4 異邦人もメシヤをほめ讃える。(22∼26節) 比べよう――イスラエルの罪としもべの従順。 (50章) (しもべの歌、 第三) 1 助ける力のある主(1∼3節) a.1節に象徴は二つある。 ①妻であるイスラエル――この象徴はイスラエルを示すため によく旧約聖書に用いられた。(エレミヤ31:32、な ど)この箇所によると、離婚を証明する離婚状(申命記 24:1)はないから、神は妻のイスラエルを捨てられて いない。 ②借金のある神――あるユダヤ人は借金を払うために自分の 子どもを売ることがあった。(出エジプト21:7、2列 王記4:1、ネヘミヤ5:5)でも、神には借金がある訳 はないから、もちろん御自分の子どもであるイスラエルを 売ることが不可能である。 b.主はイスラエルを助けようとされたとき、イスラエ ルは主に答えなかった。(2節前半)イスラエルが 奴隷になった理由は、神のせいではなく、イスラエ ルの反逆のせいである。 c.主の力は助けるのに十分である。(2節後半、3節) 2 主が助けられたしもべ(4∼9節) a.しもべの言葉(福音)は励みであり、救いである。(4∼5 節) b.メシヤの死に方の預言(6∼9節)――これらは当時の中東 の犯罪人によく用いられた罰であった。(民数記12:14、 申命記25:9、マタイ26:67と27:30) ①預言――「打つ者に私の背中をまかせ…。」(6節)成就 ――イエスは兵士たちにむち打たれた。(マタイ27: 26) ②預言――「ひげを抜く者に私の頬をまかせ…。」(6節) 成就――この成就は新約聖書に書いていない。でも、よく あった罰である。(ネヘミヤ13:25) - 58 - C ③預言――「侮辱されても、つばきをかけられても、私の顔 を隠さなかった。」(6節後半)成就――裁判のときにも 十字架上のときにも。(マタイ26:67、27:30と 39∼44) ④預言――「さばきの座にともに立とう。どんな者が、私を 訴えるのか。」(8節後半 )「だれが私を罪に定めるのか。」 (9節前半)成就――誰も正直にイエスの罪を示すことが できなかった。(ヨハネ8:46、18:38、19:4 ∼6) ⑤イエスはよろこんで私たちの罰を受けてくださった。「私 は顔を火打石のようにし…。」(7節、ルカ9:51) 3 二つの選択――主の光について行くか、自分の光に歩むか。 (10∼11節) 三つの命令――け、さめよ、去れよ。(51章∼52:12) 1 「聞け。」(1∼8節) a.1節の「切り出された岩」と「掘り出された穴」とは、2節 に解釈された――アブラハムとサラである。 b.主はイスラエルをエデンの園のようにしてくださる。(3∼ 5節) c.主の永遠の救いに比べると、天と地は一時的である。(6∼ 8節、黙示録21:1) 2 「さめよ。」(51:9∼52:10) a.主御自身が立ち上がり、全てを直してくださる。(51:9 ∼16)11節は千年王国のすばらしいビジョンである。「主 に贖われた者たちは帰って来る。彼らは喜び歌いながらシオ ンにはいり、その頭にはとこしえの喜びをいただく。楽しみ と喜びがついて来、悲しみと嘆きとは逃げ去る。」 b.エルサレムも目をさめる。(51:17∼52:10) ①「憤りの杯」――神の裁きの象徴である。その裁きはイス ラエルから取られ、その敵に与えられる。(51:17∼ 23) ②イスラエルの贖い(52:1∼10)――患難時代にも(7 節)教会の時代にも(ローマ10:15)、伝道者の足が 美しい!! 3 「去れよ。そこを出よ。」(52:11∼12) - 59 - D a.「汚れたものに触れてはならない。」(11節)これは帰国す るイスラエルだけではなく、教会時代の私たちもこの世の 汚れから分離すべきである。(2コリント6:17、ユダ 23節、など) b.出エジプトと同様に(出エジプト13:21)、主はイスラ エルの前を後ろをも守ってくださる(12節)から、イスラ エルは無事に約束の地に入ることができる。 悲しむしもべと彼の擁護(52:13∼53:12)(しもべの歌、 第四) 1 この箇所の預言と成就―― a.預言――「その顔だちは、そこなわれて人のようではなく、 その姿も人の子らとは違っていた。」(52:14)十字架の 前に受けられた苦しみ(心の苦しみを含める)と十字架の 死に方は余りにもひどかったから、イエスの姿は人間のよう に見えなくなってしまった。 b.預言――「彼は多くの国々を驚かす 。」(52:15)成就: 「驚かす」の代わりに、「振り掛ける」と訳すれば、これは イエスの大祭司としての働きを通して成就された。 c.預言――「彼らは、まだ告げられなかったことを見、また 聞いたこともないことを悟るからだ。」(52:15後半) 成就――国々は福音を聞いた。(ローマ15:20∼21) d.預言――「私たちの聞いたことを、誰が信じたか。主の御腕 は、誰に現れたのか。」(53:1)成就:多くのユダヤ人は メシヤを信じられなかった。(ヨハネ12:37∼38、ロ ーマ10:16) e.預言――「まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛み をになった。…彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。」 (53:4前半と5節後半)成就――イエスの癒しの奉仕。 (マタイ8:16∼17) f.預言――「だが、私たちは思った。彼は罰せられ、神に 打たれ、苦しめられたのだと。しかし、彼は、私たちのそむ きの罪のために刺し通さ れ、私たちの咎のために砕かれた。 彼らへの懲らしめが私たちに平安をもたらし… 。」(53:4 後半∼5前半)成就:イエスの罪のための贖い。特に、手と 足とわき腹の傷である。(マタイ27:38、ヨハネ19: - 60 - 33∼34、など) g.預言――「彼は痛めつけられた。彼は苦しんだが、口を 開かない。ほふり場に引かれて行く子羊のように、毛を刈る 者の前で黙っている雌羊のように、彼は口を開かない。」 (53:7)成就――裁判で御自分を守らなかったイエス。 (マタイ27:11∼14、ルカ23:8∼10、ヨハネ 19:8∼11、使徒8:32∼35) h.預言――「彼は富む者とともに葬られた。」(53:9前半) イエスはお金持ちのアリマタヤのヨセフの墓に葬られた。(ル カ23:50∼53) i.預言――「彼の墓は悪者どもとともに設けられ…。」(53: 9前半)「そむいた人たちとともに数えられたからである。」 (53:12後半)成就――イエスは強盗と一緒に十字架に つけられた。(マタイ27:38、ルカ22:37) j.預言――「彼は暴虐を行わず、その口に欺きはなかったが。」 (53:9後半)イエスは完全な方で、罪を決して犯さな かった。(1ペテロ2:21∼24) k.預言――「彼は多くの人の罪を負い、そむいた人たちのため にとりなしをする。」(53:12)イエスは十字架上で罪の 贖いをなさった。 l.預言――「彼は末永く、子孫を見ることができ…。」(10節 後半)死んでから生きる事であるから、キリストの復活を 預言している。 2 この箇所の解釈。とてもすばらしくてたいへん深い箇所であるか ら、この短時間で詳しく解釈ができないが、できるだけ主な文章 を解釈しよう。 a.この箇所の原語は難しいである。したがって、70人訳を 使って、下等批評で言葉を変えようとしたり違う読み方を 当てたりすることがよくある。しかし、死海写本は伝統的な 写本をほとんどいつも支えるか ら、本当の問題がほとんど ない。 b.この苦しむしもべは明らかにイエス・キリストである。しか し、あるユダヤ教や現代主義の学者はこのしもべをイスラエ ルとして解釈する。でも、そういう解釈は幾つかの理由で 大変守りにくいである。 - 61 - ①イスラエルはよろこんで捕らわれに行かなかった。かえっ て、イスラエルの歴史は反乱で満ちている。 ②イスラエルは国として異邦人の罪の贖いをすることができ ない。 ③イスラエルの捕われはその国の死で終わらなかった。 c.「見よ。わたしのしもべは栄える。彼は高められ、上げられ、 非常に高くなる 。」(52:13)メシヤは成功する。たぶん 「上げられ」とは、十字架を預言している(ヨハネ3:14、 8:28、12:32∼34)が、父なる神が成功したメシ ヤに栄光を与えることも示されているに違いない。(ピリピ 2:9∼11) d.「そのように、彼は多くの国々を驚かす。」(13節前半) 解釈の可能性は二つある。 ①「驚かす」とは、「振り掛ける」というふうにも翻訳がで きる。そうすれば、これはメシヤの大祭司としての奉仕を 示している。(出エジプト29:20∼21、レビ16: 14∼15)ローマ15:21によると、15節の後半は 福音を宣べ伝えることを示しているから、たぶん前半は 福音を示しているであろう。 ②しかし、70人訳は「驚かす」と訳した。アラム語にもそ のような語根があるから、大勢の学者はこう訳する。また、 これは前後関係が支える解釈であるから、正しいのであろ う。メシヤの死と復活は確かに国々を驚かした。 e.「多くの者があなたを見て驚いたように――その顔だちは、 そこなわれて人のようではなく、その姿も人の子らとは 違っていた 。」(14節)イエスの々な苦しみによって、彼の 姿は傷だらけになった。 f.「彼は主の前に若枝のように芽生え…。」(2節前半)バビロ ンの宗教に、タンムズ(エゼキエル8:13∼14――ギリ シャの宗教のアドニス)という神があった。タンムズが 死んだりよみがえったりすることは、中東の暑い夏と回復さ せる梅雨を示したと思われていたから、キリストの復活を 認めない現代主義者によると、この箇所がタンムズの宗教か ら取られた。しかし、タンムズはキリストに全然似ていない。 例えば、タンムズを復活させたのは彼の妻であったし、タン - 62 - ムズの拝み方は道徳的にとても汚いであった。 g.「砂漠の地から出る根のように育った。」(2節前半)実を 結ぶために、種は死ななければならない。(ヨハネ12: 24)同様に、キリストも死なれ、多くの実を結ばれた。 h.「まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みをになっ た。」(4節前半)「彼の打ち傷によって、私たちはいやされ た。」(5節後半) ①ペンテコステ派やカリスマ運動の解釈はこうである。これ によると、肉体的な癒しもキリストの贖いに含まれている から、病人の癒しはいつも御心である。しかし、この解釈 はパウロの病気(2コリント12:7∼10)や全人類の 死(ヘブル9:27)を無視する。 ②ペンテコステ派に反対するために、あるバプテストの解釈 者はこの箇所を霊的にだけ解釈する。そう解釈すれば、 肉体的な癒しはキリストの贖いに含まれていない。しかし、 新約聖書ははっきりと肉体的な癒しの解釈をしているから (マタイ8:16∼17)、これは守りにくい解釈である。 ③正しい解釈――霊的な癒しも肉体的な癒しもキリストの 贖いに含まれている。しかし、聖書にその癒しが必ず地上 で行われる教えがない。体の完全な癒しは天国で行われる。 (1ヨハネ3:2、黙示録21:4、など) i.「しかし、彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、 私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに 平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。」 (5節)これははっきりとキリストの身代わりの贖いを預言 しているから、キリストの時代より、ユダヤ教は会堂で聖書 を読むときに、このイザヤ52:13∼53:12だけ 読まないそうである。 j.「ほふり場に引かれて行く子羊のように、毛を刈る者の前で 黙っている雌羊のように、彼は口を開かない。」(7節後半) バプテスマのヨハネ(ヨハネ1:29)やルカ(使徒8: 32)やペテロ(1ペテロ1:19)や使徒ヨハネ(黙示録 に27回)は皆、イザヤが教えた子羊であるキリストを 覚えた。 k.「彼の墓は悪者どもとともに設けられ、彼は富む者とともに - 63 - E F 葬られた。」(9節前半)キリストの敵の計画は彼が犯罪人と して葬られることであったが、父なる神の助けでお金持ちの アリマタヤのヨセフのお墓に葬られた。 主の御計画によってエルサレムのすばらしい将来。(54章) 1 「子の産まない不妊の女」が大勢を産む。(1∼3節) a.聖書時代には、子の産まない不妊の女は恥ずかしかった。(1 サムエル1:4∼8など) b.パウロによると、この約束は「上にあるエルサレム」のため であり、教会のためにもある。(ガラテヤ4:26∼28) c.「夫に捨てられた妻。」(1節)聖書の象徴をあまり詳しく 解釈しては間違いである。例えば、主はもちろん「不正な 裁判官」ではない。(ルカ18:1∼8) d.主はイスラエルに子どもを大勢与えられるから、イスラエル は天幕を新しく造る必要がある。(2節)人口の爆発になる! 2 捨てられた妻の恥がなくなる。(4∼10節) a.一節だけに(5節)、主の名が四つのってある:造り主、 万軍の主、贖い主、イスラエルの聖なる方。 b.「若い時の妻」(6節)は特に愛されている。(箴言5:18、 マラキ2:14)主はそのようにエルサレムを愛されている。 c.ノアに与えられた約束(創世記8:20∼22)が守られて いるように、主はエルサレムを造り直す約束をも守られる。 (9節) d.10節はすべての時代の聖徒たちにとってすばらしい約束で ある。 3 エルサレムは新しく造られる。(11∼14節)これは黙示録 21:10∼27に成就される。 4 主ご自身はエルサレムを守ってくださる。(15∼17節) a.主は武器を作る人間を造られたので、もちろんエルサレムを どんな武器からでも守られる。 b.17節の「しもべたち」は複数であるので、私たちのための 約束である。 永遠の救いのメッセージ。(55章)この箇所は旧約聖書の中の最も 伝道的な招きであろう。神はイザヤを通して、異邦人を含めて、乾い ている者の皆(1節)を救いにお招きになった。ノート:ある自由 主義者によると、55章∼66章は第三イザヤという人物に書かれた。 - 64 - なぜなら、単語もテーマも神学も変わってきた。でも、それは簡単に 説明ができる。相手のユダヤ人はイスラエルに帰ったし、イザヤも 成長した。 1 来なさい。(1∼2節) a.この箇所の水・穀物・ぶどう酒はイスラエルの物質的な祝福 ではなく、はっきりと霊的な意味で、リバイバル(ヨハネ7 :37∼39)、救いの喜び(詩篇104:15)、御言葉(1 ペテロ2:2)などを示している。 b.「ああ。乾いている者は皆、水を求めて出て来い。金のない 者も。」(1節前半)砂漠が多くて水が少ない中東では、水を 売ることがよくある。この招きは旧約聖書にも(詩篇42: 2、63:1、143:6、イザヤ44:3)イエスのメッ セージにも出た。(マタイ5:6、ヨハネ4:13∼14、 6:35)。そして、イエスによると、神は御霊を通して 乾いている者を満足させてくださる。 (ヨハネ7:37∼ 39) c.「金を払わないで…。」(1節後半)旧約時代にも、新約時代 にも(ローマ6:23、エペソ2:8∼9など)救いは賜物 である。貧しくて得られない者もいなければ、お金持ちで金 で買える者もいない。 2 覚えなさい。(3∼5節) a.3節は使徒13:34に解釈されている。ルカによると、 「ダビデへの変わらない愛」とは、キリストの復活を預言 していた。 b.ダビデの契約にしたがって、神の恵みはダビデの子孫を通し てすべての人々に及ぶ。彼はメシヤの証人であり、救いへの 指導者であった。(4節) 3 求めなさい。(6∼7節) a.「主を求めよ。お会いできる間に。近くにおられるうちに、 呼び求めよ。(6節)求道ができる間に求道すれば、真理が 見つかる。(マタイ7:7∼8、ヤコブ4:8)しかし、神 を捜しても見つからない時もある。例えば、パロのかたくな になったら、神もパロの心をかたくなにしてしまった。(出 エジプト7:22、9:12)サウロも神を見つけることが できなくなった。(1サムエル28:5∼6) b.主を求めることは悔い改めを含めている。180゜方向を - 65 - G H 変える回心である。 4 信じなさい。(8∼11節) a.神は全能者であるので、神の思いは私たちのより高くて、 知ることができない。その神の知恵に頼り、恵みを信じる者 が救われる。 b.「雨や雪が天から降ってもとに戻らず、必ず地を潤し…。」 (10節)「…地を潤さないままもとに戻らない」(英語の New American Standard Version)と翻訳したほうがいい翻訳で、 科学的にも正しい。 c.10節は2コリント9:10に解釈されている。その前後 関係(8∼9節)ははっきりと霊的な解釈を示している。 5 救われなさい。(12∼13節)ある注解者によると、これは 千年王国を預言している。しかし、この章は霊的に救いに招いて いるから、千年王国は第二次的な意味であろう。 みじめな人にも救いがある。(56:1∼8) 1 主のすすめ――「正義を行え。」(1∼2節)理由は救いを得るた めではなくて、「わたしの救いが来るのは近く」であるから。バ プテスマのヨハネ(マタイ3:1∼2)とイエスのメッセージ (マタイ4:17)を比べよう。 2 外の人は主の家である宮殿に近づいて入ってもいい。(3∼8節) a.旧約時代には、宦官やある外国人は宮殿に入ることが禁じら れていた。(申命記23:1∼8)でも、千年王国のとき、 誰でも宮殿に参られる。 b.「主に連なって主に仕え、主の名を愛して、そのしもべと なった外国人」(6節前半)は、立派な信者である。こうい う異邦人のユダヤ教はパリサイ人の宗教よりとてもすぐれて いた。 c.「すべてのための祈りの家と呼ばれるからだ。」(56:7 後半)ヘロデ王の宮殿には、外国人のために広場があった。 イエスはこの箇所を覚えて、商売人を外国人の広場から追い 出された。(マルコ11:17)外国人の広場は千年王国の 全人類の礼拝の約束であったからである。 神の背教の者へのメッセージ(56:9∼57:21) 1 背教の指導者たち(56:9∼12) a.その罪を示す象徴(9∼11) - 66 - ①盲人の見張り人――見張り人は壁に立ち、敵の出現を 知らせるべきであったが、ユダヤ教の指導者たちは敵を 無視した。 ②「おしの犬」――牧者の犬は危ない獣の出現を牧者に 知らせてくれないなら、何のやくにも立たない。ユダヤ教 の指導者たちは全然罪を国民に知らせてくれなかった。 ③「悟ることも知らない牧者」――こういう牧者は羊を守る ことができない。 b.指導者たちはアルコールの危険を教えないばかりではなく、 酔っ払うし、あしたの酔っ払うことも考えていた。(12節) 2 義人の死(57:1∼2) a.ヨブたちが義人の苦しみを驚いたが、それによって深く 考えるようになった。でも、イザヤの相手が義人の死を平気 で見て、理解をしようとでもしなかった。 b.「義人はわざわいから取り去れれて、平安にはいり…。」 (1節後半と2節前半)義人はなぜ死んでしまったか。悪者 の悪から守られるためである。 3 イスラエルの罪(3∼10節) a.3節のように「子ら」をせめては、両親の罪を示す方法の 一つであった。(1サムエル20:30) b.この箇所は当時の偶像崇拝(特にモレクの)の拝み方を示し て反対している。 ①魔法(3節) ②性的な罪(3、5、7∼8節) ③子どものいけにえ(5節) ④他のいけにえ(6、9節) ⑤守りの「象徴する像」(8節) c.偶像崇拝はとうとう疲れさせてしまう。(10節)でも、 崇拝者はもっと深い罪を犯すことによって、重力のような力 を見つける。これは神の与えられる力の反対の方向である。 (イザヤ40:31) 4 罪の恥(11∼13節)――でも、偶像崇拝から受ける力は永久 的ではない。とうとうその義と思われている悪が恥となる。 5 主の平和(14∼21節) a.神の恵みは本当にあわれみである。 (特に18節) 「平安あれ。 - 67 - 平安あれ。」(19節)2回いうと、強めになる。 b.「悪者どもには、平安がない。」(21節)なぜなら、悪者で も、裁かれることを知っている。(ローマ1:32)汚い 良心は罪人の平安を取り去ってしまう。 VIII 裁判官と救い主である主(58章∼66章) A 本当の霊的な断食(58章) 1 イスラエルの断食は真面目ではなかった。(1∼3節) a.断食とは何であろうか。 ①断食はただ食べないことである。でも、正しい断食とは、 重荷を持って主を求めるために食べないことである。 ②個人的に、ユダヤ人は悲しむとき(1歴代誌10:12) や重荷を持つ時(2サムエル12:21∼23、詩篇69 :10)や悔い改める時に(1列王記21:27)断食を した。モーセ(出エジプト34:28)とエリヤ(1列王 記19:8)は40日間も断食をしたし、ダニエルも長く 断食をした。(ダニエル10:2∼3) ③モーセは贖いの日だけの断食を命じた。(レビ16:29 ∼31、23:27)でも、国として特別な断食のときも あった。(2歴代誌20:3、エステル4:16など)バ ビロンの捕われの後で、ユダヤ人は苦難を覚えるために年 に四つの断食を決めた。(4月、5月、7月、10月) ④イエスも断食をし(マタイ4:2)、正しい断食を教えた。 (マタイ6:16∼18、9:14∼15)また、新約 聖書の霊的な信者は断食をした。例えば、アンナ(ルカ2 :37)やヨハネの弟子(マルコ2:18)やアンテオケ の長老(使徒13:1∼3)やパウロ(2コリント6:5、 11:27)でも、断食は新約聖書のどこにも命令されて いない。 ⑤私たちも断食をすることができるか。 ( a) 健康に気をつけながら断食しよう。 ( b) イエスが教えられたように、内面が最も大事である。 ( c) 血がお腹の代わりに脳に行く事によって考えやすい。 b.「なぜ、私たちが断食したのに、あなたはご覧にならなかっ たのですか 。」(3節前半)イザヤが攻めた断食は贖いの日の - 68 - B であったであろう。イスラエルは色々な宗教的な儀式で主の 祝福を求めていたが、その祝福がこなかった。それで、イス ラエルは困り、なぜ主を求めても恵まれていないか、という ことを聞いた。 2 主の答え――イスラエルの断食の動機が間違っていたからである。 (3節後半∼5節) a.真面目ではないユダヤ人は断食の日に、部下をいじめたりけ んかをしたりしていた。正しい断食はいい行いを生じるべき である。 b.イスラエルの断食の構えが正しかったが、心は真面目ではな かった。断食というものだけは主の祝福を得ることができな い。 3 正しい断食の生じること。(6∼12節) a.正しい行い――正義と自由(6節)、施し(7、10節)、 祈り(9節) b.主の祝福――癒し(8節前半)、義(8節後半 )、祈りの答え (9節前半)、導きと御心(11∼12節)。 4 勝利の生活は主を喜ぶことである。(13∼14節、詩篇37: 1∼8、40:8)ただ主の「道を知ることを望んでいる」事(2 節)だけでは不十分である。主御自身と彼の義を喜ぶべきである。 特に、御言葉を喜ぶべきである。(詩篇112:1、119: 24と35と77と92と143と174) 主が遠くなるとき。(59章) 1 イスラエルは罪を犯して主から遠くなってしまった。(1∼8節) a.「あなたがたの咎が、あなたがたと、あなたがたの神との 仕切りとなり、あなたがたの罪が御顔を隠させ、聞いてくだ さらないようにしたのだ。」(2節)祈りが答えられない第一 の理由は罪である。(詩篇66:18、箴言28:9、1ペ テロ3:12、3:7、など) b.罪の象徴(5∼6節)――イザヤは罪を示すためにここで 二つの鋭い象徴を用いた。 ①「まむしの卵」――罪は偽物である。まむしの卵は食べら れないし、まむしが飛び出したらとても危険である。 (ヘブル11:25) ②「くもの巣」――これはきれいな糸のように見えるが、 - 69 - C 誰もこれで服を作る方法を発明したことがない。同様に、 罪はどんなに美しく見えても良い結果が全然ない。(2コ リント11:14) c.7∼8節はローマ3:15∼17に解釈されている。イザヤ はイスラエルの罪を直接にせめていたが、パウロは同じ箇所 を全人類の罪のために用いた。我々異邦人ももちろんユダヤ 人と同様に罪人である。 2 したがって、国に公義がなくなってしまった。(9∼11節)こ こでとうとう第3人称は第1人称となった。というのは、国民は とうとう自分の罪に気がついて、悔い改めて、ここで話すように なった。 3 悔い改めが必要であった。(12∼15節前半) a.罪をただ「悪いこと」として考えれば、地獄に行くほどひど いものではない、と考える可能性がある。しかし、罪はそれ よりとても深いである。罪は神に対する反逆である。 b. 「真理は広場でつまずき、正直は中にはいることもできない。」 (14節後半)この鋭い文章でイザヤはこう言った。罪を 裁かない社会は真理を失ってしまう。真理を見分けることの できない国民はとうとうつまずく。 4 主が復讐と救いの準備をなさっている。(15後半∼21節) a.誰も公義と正義を行っていなかったときに、主御自身が出て 来られた。(15節後半∼16節) b.主は英雄として、将軍としてイスラエルの社会を正すために 来られる。(17∼19節)パウロは17節の象徴(「 義をよ ろいのように」と「救いのかぶと」)をクリスチャンの武具 の教えに用いた。(エペソ6:10∼17) c.20∼21節はローマ11:26∼27に解釈されている。 パウロによると、このイザヤ59章はイエスの栄光の再臨の ときに救われるイスラエル全国を示している。 シオンの回復と再建(60章) 1 シオンの未来の栄誉(1∼7節) a.「見よ。やみが地をおおい、暗やみが諸国の民をおおってい る。」 (2節)7年間の患難はとても暗い時代になる。現代も、 エルサレムは平和の都市ではない。でも、キリストの栄光の 再臨を通して、エルサレムは光る都市になる。 - 70 - b.この箇所を読むと、千年王国にユダヤ教の神殿があるとは、 解釈しやすいであろう。でも、新しいエルサレムの神殿はキ リストである。(黙示録21:22、ヨハネ4:21∼26、 ヘブル10:1、13:10∼16など)イエスの十字架上 のいけにえを通して、ユダダヤ教の神殿のすべては成就され、 完全となる。(マタイ5:17) 2 シオンを助ける外国人(8∼14節)――8節は飛行機を預言 しているかも知らない。でも、イエスのような体を持つ私たちも 飛べる。(使徒1:9) 3 メシヤを知るシオン(15∼22節)――新しいエルサレムに 神殿もなければ、太陽も月も要らない。イエスがその光であるか らである。(19∼20節、黙示録21:23) D 神の使者であるメシヤ(61章)――キリストが最初の使徒である。 (ヘブル3:1) 1 キリストの来臨と再臨(1∼3節) a.イエスがどのようにこの箇所を使ったかを見てみよう。 (ルカ4:17∼21と7:22)イエスが「主の恵みの年 を告げ知らせるために」で終わり(19節)、イザヤ書の「わ れわれの神の復讐の日」とを読まれなかったので、はっきり と来臨と再臨の相違を教えられていたことがわかる。 b.ルカによると、イエスがはっきりとみわざを聖霊の力でな さった。 c.キリストの最初の来臨は恵みのためであったが、再臨は復讐、 つまり裁くためにこられる。 d.メシヤが恵まれる者(1節)―― ①「貧しい者」――物質的に貧しい者も恵まれるが、この 個所の恵みは「良い知らせ」であるので、多分イザヤの 意味は山上の説教と同様に、「心の貧しい者は幸いです。 天の御国はその人のものだからです。」(マタイ5:3) ②「心の傷ついた者」――これもまた、山上の説教に似て いる:「悲しむ者は幸いです。その人は慰められるからで す。」(マタイ5:4)これは、罪で悩んで、悔い改める人 の事である。 ③「捕らわれ人」――これを読んだイスラエル人はバビロン 捕らわれを考えたであろうが、イエスの解釈を考えると、 - 71 - これは罪に捕らえられた人の事である。そして、体が 不自由な人もいやされて自由になった意味もあった。 (ルカ7:22) ④「囚人」――サタンの囚人がイエスのメッセージによって 自由になる。 e.しかし、再臨の裁きの時は違う。その時、罪人はもう悔い 改めては遅い。慰められるのは救われて義人になった人々、 特にユダヤ人である。 2 エルサレムの復興(4∼6節) a.「他国人」と「外国人」(5節)――千年王国時代に、全人類 はエルサレムに参り、イスラエルを祝福する。 b.「あなたがたは主の祭司ととなえられ…。」(6節)これは出 エジプト19:6の約束であったが、イスラエルに千年王国 になるまで成就される事はない。私たち恵みの時代の信者も 祭司である。(黙示録1:6)信者は祭司であるとはバプテ ストの特色の一つである。 3 エルサレムの市民の祝福(7∼9節) 4 花嫁になるエルサレム(10∼11節) a.使徒パウロ(ローマ13:14、エペソ4:22∼24)は イザヤ書から学んで(10節)、救いをきれいな服に譬えた。 b.ここでまた、イザヤはイスラエルと神の関係を夫婦の関係に 比べた。(10節後半) E シオンの希望(62章)――この章の話す方は誰であろうか。預言者 であれば祈りの形であろうが、6節などを考えれば神御自身が話して おられるであろう。 1 シオンと神の新しい関係(1∼5節) a.新しい名前(1∼4節) ①エルサレムの古い名前は「見捨てられている」であったが、 新しいのは、「わたしの喜びは、彼女にある 。」新しい名前 はヘブル語で一言で、「ヘプジバ」である。 ②イスラエルの古い名前は「荒れ果てている」であったが、 新しいのは、「夫のある国」である。新しい名前はヘブル 語で一言で、「ビューラー」である。 b.新しい関係(5節)――結婚生活。(黙示録21章、特に 2節と9節に比べよう) - 72 - 2 シオンのために祈ろう。(6∼10節) a.絶えず祈るべきである。神はもう誓っておられるが(8節)、 主権の御心のためにも祈るべきである。哀れみ深い神は人間 に御自分のすばらしい御計画に参加する特権をお与えに なった。 b.エルサレムは古くから戦場であるから、市民の収穫がもう 盗まれることがない、という約束(8∼9節)はユダヤ人に とってすばらしいである。紀元後の戦争を少しだけ勉強すれ ば、こういう戦いを見つける。 ①70年に、ローマ帝国のテトス将軍の攻撃 ②132年に、ユダヤ人はエルサレムをローマより取り戻し たが、3年後、また失った。 ③7世紀より10世紀までイスラム教の軍隊は何回も攻撃を した。 ④第1十字軍はエルサレムを取ったが、イスラム教軍は 1187年に取り戻した。 ⑤20世紀のイスラエルは1948年の独立戦争で旧エルサ レムをアラブ人に失い、1967年の六日間戦争でまた 取り戻した。 F 復讐の主(63:1∼6)――この箇所はヨシュアが「主の軍の将」 にあったときに似ている。(ヨシュア記5:13∼6:5) 1 主はエドムから来られた。エドムは異邦人の国々を代表していた。 (イザヤ34:5∼7)エドムはイスラエルの捕われの時に、イ スラエルを裏切ったので(哀歌4:21∼22、エゼキエル25 :12∼14、35:1∼15)、神に裁かれた。興味深い事は、 エドムの意味が「赤」という事である。(創世記25:30) 2 酒ぶねの象徴(2∼3節)はいつも裁きを示す。(黙示録14: 19∼20、19:11∼16) G 主のあわれみの詩(63:7∼64:12)――この箇所はすばらし いとりなしの祈りであり、イザヤがイスラエルの赦しを願う歌である。 1 主の恵みは、イスラエルの逆らいによって裁きに変えられた。(7 ∼10節) a.「ご自身の使いが彼らを救った 」(9節)とは、キリストであ る。こうして、63章は三位一体の教理を教える――御子は 救われる使いであり、聖霊は三回ものっておられ(10、 - 73 - H 11、14節)、父なる神も16節に教えられている。 b.「しかし、彼らは逆らい、主の聖なる御霊を痛ませた。」 (10節前半、エペソ4:30)これは御霊の人格を証明す る。もし聖霊がただ神の影響だけであれば(ものみの塔の 教理)、痛むことができない。 2 しかし、イザヤは昔の恵みを覚えた。(11∼14節)神の前の みわざを覚えることによって、今の恵みに頼ることができる。 3 イザヤは父なる神に祈った。(15∼19節) 4 イザヤはとうとうイスラエルの罪を主に告白した。(64:1∼ 7) a.主はびっくりさせる神でおられる。(3∼4節)出エジプト のエジプトに対する裁きは本当に不思議であった。 b.5∼7節は人間が堕落され、罪深いであることを教える。そ して、罪のいろいろな影響をも教える。 ①「私たちは昔から罪を犯し続けています。」(5節)罪は 連続になり、癖になる。 ②「私たちはみな、汚れた者のようになり、私たちの義はみ な、不潔な着物のようです。」(6節前半)罪は人間の心を 汚す。 ③「私たちはみな、木の葉のように枯れ、私たちの咎は風の ように私たちを吹き上げます。」 (6節後半)罪は破壊する。 ④「あなたは私たちから御顔を隠し…。」(7節)罪は神と 人間との間に壁を建てる。 5 イスラエルは主の哀れみを願った。(8∼12節) イザヤの最後の説教と預言(65章∼66章) 1 異邦人の祝福とユダヤ人の反逆(1∼7節) a.神を求めなかった異邦人にも救いがきた。ある注解者による と1節はユダヤ人を示しているが、異邦人を示している理由 はいくつかある。 ①使徒パウロはローマ10:20∼21にはっきりと1節を 異邦人に、2節をユダヤ人に使った。 ②「わたしの名を呼び求めなかった国民」とはいつも異邦人 である。(ローマ10:19比べよう) b.イスラエルの偶像崇拝や高慢の罪はとても悪かった。(2∼ 7節)このような偶像崇拝はバビロン捕われの前の偶像崇拝 - 74 - 2 3 4 と違っていた。ある程度まで、現代の東洋の偶像崇拝に似て いる。 ①「園の中でいけにえをささげ…。」(3節)こんな崇拝はイ ザヤ書(1:29)にだけ書いてある。バビロンの園は 有名であった。 ②「れんがの上で香をたき…。」(3節)原語はバビロンのれ んがであったから、歴史に残っていないが、これはバビロ ンの偶像崇拝の習慣であったらしい。ユダヤ教はいつも石 の祭壇を使った。 ③「墓地にすわり…。」(4節)これは死人に物を捧げること か、先祖に祈る事か、不明であるが、先祖崇拝であったに 違いない。 ④「私はあなたより聖なる者となっている 。」(5節)これは すごいプライドであったが、偶像崇拝に珍しくない。偶像 の宗教に「聖なる者」はよくある。現代のヒンズー教の聖 なる者は一つの例である。 ⑤主は人間の罪を裁くために記録しておられる。(6∼7節、 黙示録20:12) 残った者の祝福と反逆する者の裁き。(8∼12節) a.いつも誰か主を求める者が残り、救われる。(8∼10節) b.でも、主を忘れ、罪を犯す者は裁かれる。(11∼12節) ①「ガドのために食卓を整える者。」ガドの意味は「運がよ い」であり、シリアの偶像であった。 ②「メニのために、混ぜ合わせた酒を盛る者たちよ。」メニ の意味は「運命」であり、多分アラブ人の神であった。こ ういう酒は強くて、酔いやすいであるから(箴言23: 29∼30)とてもいけない。 「神である主」の定めは、選ばれたしもべたちの祝福と罪人の 裁きであった。(13∼16節) 新しい天と地の創造(17∼25節)――この個所は千年王国 時代とその後の永遠の祝福の時代を一緒にして預言している。そ れは旧約聖書に珍しくない。 a.いつか、すべてが新しくなる。(17節、黙示録21:1) b.エルサレムは主の都になる。(18∼19節) c.人間はやっと幸せになる。(19後半∼24節) - 75 - 5 6 7 8 ①涙(悲しみ)はなくなる。(19節、黙示録21:4)な ぜ天国で涙が出るであろうか。多分大いなる白いみ座の 裁きのときに、火の池に投げ込まれる愛する人を見る私た ちは泣くであろう。 ②長生きは普通になる。(20∼23節)これは千年王国 時代の様子であろう。 ③主ご自身は人間といっしょに住まれる。(24節、黙示録 21:2) ④自然界は直る。(25節)自然界も罪の呪いを受けた。 (創世記3:17∼19、ローマ8:19∼22)これは 科学的に熱力学の第2法則である。でも、新しい天と地の 自然界は完全になる。 神殿と新しい世界(66:1∼4)――ユダヤ教の神殿はどの 時代にも真の神の象徴に過ぎなかった。 a.全世界も宇宙も真の神をお入れすることができない。(1列 王記8:27) b.神の家と呼んでも、本当に主の住むような場所ではない。 (使徒7:48) c.ユダヤ人はよく神殿を大事にしすぎた。神殿の礼拝は心から 出ないといけない。心からの礼拝ではなければ、3節の通り になる。 ①「牛をほふる者は、人を打ち殺す者。」 ②「羊をいけにえにする者は、犬をくびり殺す者。」 ③「穀物のささげ物をささげる者は、豚の血を捧げる者。」 ④「乳香をささげる者は、偶像をほめたたえる者。」 ⑤「実に彼らは自分かってな道を選び、その心は忌むべき者 を喜ぶ。」 主の名のために迫害される者は希望を持つべきである。(5∼ 6節) 一日だけで生まれる国。(7∼11節)ある注解者によると、 1948年の国連の会議によって生まれた現代イスラエルはこの 個所を成就した。しかし、それを言うのはまだ早いであろう。 現代イスラエルは生き残るであろうか。 主の裁きを喜ぶしもべたち(12∼16節) a.「川のように繁栄を彼女に与え…。」(12節)繁栄とは普通、 - 76 - 平和と訳されている。(イザヤ9:6、33:7、など) 「平和」と訳した方が15節の主の戦いに比べるとぴんとく る。すなわち、神の平和は神の戦う力を通してくる。 b.「主は火の中を進んで来られる。その戦車はつむじ風のよう だ 。」(15節)これはただの象徴ではなく、天の御国の軍隊 の本当の様子である。エリヤの昇天はそれを証明する。(2 列王記2:11) 9 世界の国々の真の礼拝(17∼21節) a.主は、偶像の神々に自分を捧げて律法をやぶるユダヤ人に 話しておられる。そういうユダヤ人より、真面目に礼拝する 異邦人のほうが神に愛されている。(17節) b.そういうユダヤ人の罪は、主が異邦人を祝福する理由になっ た。「わたしは、彼らのわざと、思い計りとを知っている。 わたしは、すべての国々と種族とを集めに来る。彼らは来て、 わたしの栄光を見る。」(18節) c.「のがれた者」は「わたしの栄光を諸国の民に告げ知らせよ う 。」(19節)これは14万4千人のユダヤ人の伝道者であ ろう。(黙示録7:4など) 10 永遠の幸せ(22∼24節) a.神の子供は新しい天と地と同様に永遠である。(22∼ 23節) b.その者たちは神の裁かれた敵を見ると喜ぶ。(24節)これ は大いなる白い御座の裁きのとき(黙示録20:11∼15) であろう。「そのうじは死なず、その火も消えず、それはす べての人に、忌みきらわれる。」とは、ゲヘナのこと(マル コ9:43∼48)で、火の池の様子である。 - 77 - BIBLIOGRAPHY FOR ISAIAH イザヤ書研究 参考文献 注解書 Commentaries Baron, David. 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