...

本文ファイル - 長崎大学 学術研究成果リポジトリ

by user

on
Category: Documents
3

views

Report

Comments

Transcript

本文ファイル - 長崎大学 学術研究成果リポジトリ
NAOSITE: Nagasaki University's Academic Output SITE
Title
海法における保護・助成
Author(s)
志津田, 氏治
Citation
研究年報, (6), pp.181-195; 1965
Issue Date
1965-03-31
URL
http://hdl.handle.net/10069/26277
Right
This document is downloaded at: 2017-03-28T17:11:58Z
http://naosite.lb.nagasaki-u.ac.jp
,181
海法における保護・助成
一志 津 田 氏 治一
ま え が き
海法のなかには,航海企業に対する規整(取締)の面と,他方ではそれに対する保護助
成の面が含まれるものである。ことに航海企業の保護助成の問題を考究する場含には,海
運政策との関連にて吟味をすることが必要となる。ことに自国貨自国船を標録する今日の
海運事情からすれば,なおさら当然のことであろう。本稿は,主としても先進国と後進国
・船主国と荷主国という厳しい各海商国家の利害対立を捉えながら,海法における保護と
重重の問題を若干考察することにしてみたい。
1 海商国家の利害対立
(1)先進海商国と後進海商国
最近では,従来世界の海運界を久しく支配してきた伝統的海商国に対する後進海商国つま
り東南アジアを中心とする新興海商国の拾頭がめぎましい。後進海商国拾頭の裏面には,
諸種の要因が潜んでいる。すなわち政治的理由がその一つであり,これが経済上の目的と
伺様に,あるいは,それ以上の価値づけで海運の育成を重要視しているのである。つまり
東南アジアの後進海商国の多くは,戦後植民地から独立した国であるために,戦前自国海
運を殆んどもたなかったのである。それは本国が,それぞれ先進海商国であり,本国と植
民:地との経済的つながりを維持することが本国の役割であり,目標でもあった。これから
しても植民地である後進海商国は,商船隊を保有する必要性もなく,またその余裕すらも
認められなかったのである。インド・インドネシや等がその適例である。印
オかし戦後は,
民族主義的な思想を土台として,.長期にわたる植民地的な絆を切って,独立を促したので
ある。この点で後進海商国においては,自国商船隊の育成という大きな目標が,政治的独
立の象徴として受け取られているのである。また自国の商船隊であれば,自国の国旗なり
商船旗を掲揚することになっており(「船舶法」2条)また,たとい自国の船舶が,他国の
領海に入っても,船内では,自国法が支配するものであり,船舶はその国の領土の延長と
もいわれている。従って後進的な海商国にとっては,民族意識を高める一つの手段として
も重要視されているのである。つぎに後進海商国が拾頭するうえに経済的要因も強く作用
していることをみのがしえない。すなわち東南アジアの諸国は,貿易振興のために,ある
いは国際収支改善のために,どうしても海運の増強を図る必要が生じてきている。とりわ
け現在先進海商国によって組織化されている海蓮同盟のなかには,L本国の利益が相当考慮
(註)
182
されているもので,後進海商国にとっては甚だ不利益の面も多い。そこで海上運賃率を是正
し,貿易上の障害を自国船の手によって除去しようとしている。このように目下東南アジ’
む り り む の
ア諸国の海運界では,経済的国家主義である自国貨自国船主義を基調とする高度の海運助
成策をとっていることは著しい現象である。そのことは益々国際海運の自由市場を狭少化
するものであり,伝統的な国際海運の自由がしだいに失われていくことが指摘されているひ
(詳細は松尾男縁「:東南アジアの海運」調査研究報告双書36集)いま,世界の商船隊が,増加傾向
を続けているなかにあって,新興海商国の船腹増加の趨勢を次表に指摘してみよう。
(松尾終編「東南アジアの海運」271頁引用)
新興海運国の船腹増加
1956年
q,000総トン)
1961年
(1。000総トン)
増 加 率
世 界 全 体
95.055
123.576
130
東南 ア ジ ア
1.252
2.204
1了6
中
近
東
848
1。761
208
中
南
米
2.478
3.227
130
17.637
19.455
110
イ ギ リ ス
(註)海運同盟(CORference)は,主に定期船企業が自己の「のれん」を確保するために形成するカル
テル組織をいう。その手段として船主相互間では運賃率の協定が,盟外者に対しては斗争船(Fi−
ghting Ship)の使用,運賃の払戻し(Defered Rebate),運賃の割引(Contract System)など
が使用される。この同盟の形成で,運賃も安定し,荷主も取引上の運賃変動を免れることができ.
自己の利権を擁護するために,先進海商国はこの同盟を利用して,後進海商国の貿易を独占する
ことも可能となる。そこで後進海商国は,このような同盟に対抗するために,第1に自国二心の
航路には自国船を配船(自国貨自国船)させること,第2に同盟運賃への干渉という措置をと
るようになる (前掲書「東南アジアの海運」 (86頁)。1875年にカルカッタ同盟 (イギリスー
印度間が結成されたのを機会に,現今わが国を中心とする多数の同盟がみられる(Japan・Saigon・
F,eight C・nf・・en・e・∫・p・ルlnd・n・・i・/1・d・…iaJ・p・n F・eight C・nf・・ence’∫・p・匹
Hollgkong&Japan・Straits Freight Agreement’∫apan.Tailand Freight Conference、 Bay
of Bengal.Japan・Bay of Bengal Freight Conference、)「問題となるのは・関係諸国の海運
同盟に対する政府統制及至行政指導の範囲が,国により相当の懸隔があるため,海運同盟の円滑
なる運営が阻害されつつあることが指摘されている」(宮本清四郎「海運同盟」186頁引用)。
尤も戦後は1948年に「国際海事諮問機構(lnter・Governmenta1 Maritime Consultative Org−
anization)が設置されて,各国政府の差別的処置および海運企業の不公正な制限的取扱の廃止を
とりあげ,「これを勧告する.ことにしている(この膿関は,1,QOO,000総トンをこえる商船隊をも
海法における保護・助成
183
つ7ケ国脅含む2ケ国によって予備協定が批准されたとき正式に成立することになっており,19
53年までに14ケ国が批准している。そのなかにはオーストラリア・ビルマ等の諸国がある。)
(2)船主国と荷主国
海上物品運送法の重点は,船主と荷主との利害の調和を図ることである。帆船あるいは少
くとも,不定期汽船の運航段階では,船主荷主とが運送契約を締結するにあたって,契約
条項を折衝し,利害の調和を自らの手で,おこなっていたのである。ところが汽船ことに
定期的汽船の運航により,船主の経済的勢力が荷主よりも隔絶して強くなり,船荷証券に
おいても船主に有利な免責約款が横行するに至ったのである (竹井簾「海商法」2頁同教授も
船荷証券の無政府的二二を指摘する。)。イギリスおよび大陸系の諸国は,主に船主国であった
ために,船主に有利な態勢をかまえ,これに反して,アメリカを始めカナダ・9オーストラ
リア・ニュージーランドの属領は,荷主国という不利な立場をとっていたのである。従っ
て海上運送に関する限り,船主国かそれとも荷主国かによって学説判例も異る態度をとる
に至ったのである。すなわちアメリカの連邦裁判所は免責約款を無効とする1899年のMon
tana号事件)のに対して,イギリスの裁判所では,有効とし大陸諸国も,ほゴこれに従って
いるといわれている。(詳細は大橋光雄「海上物品運送訓諭」114頁)。ここに海法の国際的な統
一は期待することができず,両者の経済的利害の対立は実1と厳しいものがあった。そこで,
アメリカは1893年に世界諸国の先頭を切って,立法をもって荷主の立場を擁護するハ
ーター法(Harter Act)を制定したのである。この法律は州法(State Statute)ではなく,
連邦法(Federal Statute)であり,正式の名称は(An Act relating to navigation of
vessels, bills of Iading and certain obligations duties and rights in cqnnectiolL
with the carriage of propetyと称したのである。この法律は,荷主国の立場をよく理解
したものであったので,忽ちイギリスの植民地立法に反味レ,カナダ法・ニュージーラン
ド法・オーストラリア法に伝播したのである。これは荷主国が,船主国イギリスへの挑戦
であり,このままでは世界の海法は分裂せぎるを衆塗い。そこで,この三二を協調へ導く
ために,1924年に統一条約が成立したのである。この点で大橋教授が「英国が米国及
び植民地立法に刺激されて,新立法を余儀なくされたにもせよ,とかく荷主国の要求を受
け納れる襟度を示めし,船主国と荷主国との利害の協調を図ると同時に船主ρ立場を,も
考慮したその協調的精神こそが世界諸国を動かした最大の点の原因でなければならない」
(傍点は筆者による(大橋前掲書「海上物品運送法論」55頁)としているのは銘記すべきであろう。
こうして統一条約は,いち早く諸国に浸透を始めたのである。まず国内法として制定を
みたのは,イギリスの1924年の海上物品運送法を先駆とする。同年にはオーストラリ
アでも海上物品運送法が成立している。(ここではバーター法にならった1904年の海上物品運送法
を廃止して,本法を定めたのであるが,10ケ条の本文より構成され,イギリスと同じ立法形式である。)
そのほかに1927年にオランダ海商法,1928年ベルギー海商法も国内法を改めたの
である。それから約10年の停滞期をえて,1936年にフランス海上物品運送法,アメリカ海
184
上物品運送法が制定され,1937年にはドイツの海商法も改正がおこなわれている。(イタリ
ーも1931年の海法典案にこの条約をとり入れている。)わが国でも,ようやく昭和32年の5月,統
一条約を批准して「国際海上物品運送法」(法172)という特別の単行法を制定しているこ
とは周知の事実である。
(註)19世紀初頭においては船荷証券における免責約款は殆ど皆無であったといわれる。しかし汽船の
発明その他の資本主義経済の発達にもとつく,技術上経済上の必要のために免責条款が増加し,
一応1880年頃が頂点であるとさえいわれている(詳細は米谷隆三「約款法の理論」63頁参照。)田
中誠二博士は船荷証券上に免責条款が増加した理由として,(1晦上事故に関して後になって過失
り り む があると認められる可能性が増加したことである。これは海難審判制度の確立と通信技術その他
の調査方法が完備したことによるといわれる。(2)造船ならびに航海技術その他衝突を避ける方法
り り り ゆ が完備したにもかかわらず,汽船の数が,著しく増加したために,衝突事件が不断に増加してい
くというととである。(3)船舶・積荷に対する新しい,かつ技術的になお発達しない機械利用から
の コ 生ずるを得なかった特別の危険(汽罐の破裂),(4)定期航海の急速化と経営の強度化などである
(船荷証券免責条款論」239頁。)。
二 自国貨自国船の法思想
(1)沿岸航路の独占と外国船の排除
一般に航路独占とは,ある国が何等かの形態にて,政治的に支配している航路上の就航を
排他的に自国船に留保する場合である。これには先ず「一般的航路独占」つまりり航路を
特定しないで,一般的に海上運送を自国船に留保し,外国船を排除する仕方があるが,こ
の形態は実際には殆んど採用されていない。今日では,むしろ外国船を排除する仕方とし
て沿岸航路を自国商船隊に留保し,かつ独占させる態度をとっていることがある。沿岸航’
銘を無制限に開放する国としては,オランダ・ベルギー・イギリス・ノルウェーなどがあ
る。 (デンマ・一ク・ドイツ・イタリP・スエFデンでは,原則上または事実上沿岸航路を外国船に許
可する。)これに対して沿岸航路を外国船に禁止する国としては,フランス・ギリシャ・日
本・カナダ・ポルトガル・ソ聯・スペイン・アメリカその他多数の中小海商国がある。と
りわけ,わが国の場合には,「船舶法」(明32.法46)の三条で「日本船舶二二サレハ不開港
場二寄港シ又ハ日本三二ノ間二二テ物品又ハ旅客ノ運送ヲ為スコトヲ得ス。但法律若クハ
条約二別段ノ定アルトキ海難若クハ捕獲ヲ避ケントスルトキ又ハ主務大臣ノ特許ヲ得タル
トキハ此限二二ラス」と定め,日本の海運業保護のために,外国船の沿岸航行を制限して
いるのである。ここでいう「不開港場」(不開港)とは,閣港つまり外国通商を許された港
(関税法96条で定められているが,一定の事由があるとき一たとえば1年を通じて当該開港において
輸出された貨物の合計額が50,000,000を超え,かつ外国貿易船の入港隻数および出港隻数の合計額が
11隻を超えることが引続き2年もなかったとき一開港でなくなる。開港の港域は原則として港域法の
定めるところによる)以外の港または場所を指すものである。 また日本各港における貨客の
海法における保護・助成 185
の 運送とは,いわゆる沿岸貿易を指し,各港が同一海岸にあるか否か,また公海を航行する
か否かを問わないものと解されている。元来この沿岸貿易は(Coasting trade)一国内の
諸港内においておこなわれる貿易をいうものであって,異国閲でおこなわれる海外貿易に
対す.る概念である。南正彦氏の「船舶法解説」によれば, 「沿岸貿易とは一国の同一海岸
に沿っての領海における貨客の水上輸送をいうのが本来の意義であるが,現在においては
各国とも広義に解している」q8頁引用)といわれている。尤も沿岸貿易を例外的に外国船
舶に認める場合には,相手国も当方の船舶に同様の許可をあたえることを条件とする相互
主義を採用しており,条約に明文をおくのが通常である(日本・ノルウェー条細2条1項・日米
通商航海条細9条6項。)。不開港の寄港または沿岸貿易について運輸大臣の特許 (許可と同様
り り り む
の三昧)を受けようとする者は,四海官庁(不開港寄港の特許のときはその不開港,日本各港の間
における物品または旅客の運送にあっては,その物品の船積地またはその乗船地を管轄する海運局長)を
経由して申請書を提出しなければならない。なお外国貿易船は,原則として,税関長の許
可を受けなければ不開港に出入することができない(関税法20条・113条。)。なお琉球船舶は
日本船舶としての特権を行使することができず,外国船舶と同様に特許を要するものとさ
れている(昭32・3・14海運局回答海外60号。)。
(註)イギリス船が貿易の面でアメリカ船を圧迫したために,アメリカでは1817年3月航海条例で,自
国の沿岸航路を自国船のみ留保する(4条)。その後アメリカでは,国土の発展につれて沿岸航路
の適用範囲を拡大しようと試みる(アラスカは含まれているがブイリピンは除外されている。詳
細は伊坂前掲書21頁。)イギリスでも沿岸貿易が外国船に解放されたのは,1854年以降であるとさ
れているq660年法などでは,外国船が沿岸貿易に従事することを禁止する)。アルゼンチンでは,
1918年の法律10606号で,沿岸貿易を内国離に留保する(内国船たるの要件は,(1)アルゼンチン国
民たる船長または船主の指揮をうけること(3)乗組員の一定数はアルゼンチン国民たること。)これ
は商船隊の勢力の弱いところに原因がある。
(2)多様な国旗差別と自国船の保護
海運は,その国際性のために,世界において最:も激甚な競争にさらされている産業であ
るといえる。よく「海運資本は,その活動が国際性に富み,かつ貿易や国際収支に対して
大き野営する点にかんがみ・即興運活動は・平鞘民翻の国臓争力の結集された
ものであり,自国国力の象徴である。」(松尾進・「海運」132:頁参照)といわれている。 しか
し海商国の現実では,一方で国際海運の行動規範について,国際的に受け入れられている
準則を認めなかったら,他方では国防と一国の海運を発展させる政策上の権利は,世界貿
易の奨励の必要より優位におかれるべきであるという理由で,自国船舶を援助するために
一自軍貨自国船主義,Schiffahrtsautarkieつまり自国の輸出入貨物ならびに船客を自国船舶で運送
するという法思想のもとに一国旗による差別的手段を絶対に必要として・他国の同情的理解
を期待するという予盾をおかしている(「海事年鑑」1956年版174頁参照。)。
り む ・一般に差別取扱というときは,外航船の就航自体は一般に認めるが,自国の政治的支配
186
のもとにある一定の四域において,自国船を外国船に比べて何程か有利に差別待遇する場
合である。最も典型鮒なのは,国旗差別(Flag Disρriminati・n)1こよる仕方である。ひう
く国旗差別と称するときは,国際貿易において,荷主が最も経済的な貨物輸送をおこなう
船舶を選ぶ自由を,船舶国籍の相違にもとづき,制限をする政府の行為を指すものである
と解されている(佐波教授は,国旗による差別取扱には,船舶差別課徴・積荷差別課徴その他の差別
取扱を含ませている。「海運理論体系」240頁)。伝統的なイギリスの先進海商国のような考え
方からすればゴ本来海運競争そのものは,自由と公正(Free aud Fair)でなければならな
(註)
いとされており,国旗差別はこの原則を揺がすものとして強く批難するのである(イギリ
スでは1859年に航海条例を廃止して,極端な自由政策を採用し,その沿岸貿易にまで外国船に解放した
のである。)。≒ころが現実的には,いずれの海商国たとえば,ブイリピン・インド・インド
ネシや等の後進的東南アジア諸国を始め,・イギリス。アメリカ・ドイツ・イタリー等の
諸国ですらも,政治的経済的意図から自国船優遇のために,何等かの措置一定期航路補
助・造船補助・融資および保証・償却・税金に対する優遇措置・自国船積取優先策・便宜置籍一が一
つあるいは併行してなされている実情にある。
(註)海運は原則として自由競争を本質とする。しかもそれは他の如何なる企業よりも濃厚にして激烈
である(小島昌太郎「海運論。)海運の自由性のなかには,政治的側面から,これを捉えて国際的
自由性つまり領海以外の海洋は自由なもの,すなわち公海として国際法上その自由性が認められ
るのである(「海洋自由の原則」The Freedom of the seas)。従っそ公海上においては,船
の
舶の国旗をもって,各国はその主張を行使できるものである(「旗国法の原則。)つぎに経濱的自
ロ 由性があげられる。これは経丁丁分野から捉えたもので,船舶は単に海洋を自由に航行できるだ
けで一はなく,かつ通商条約国の開港場に自由に入港して均等の待遇をうけるものである (堀阿亀
「海運」6頁。)。この点については「海港の国際制度に関する条約」 (Convention on the Inte・
mational Regime of Maritime Ports)がある。この条約は∼1921年第1回交通会議で,港の
自由使用および聴税・港税・検疫費等の待遇均等に関する制度が勧告され、これを採択したこと
,に由来する。わが国は1926年9月これを批准している (大正15」0条約5・その2条には「相互
主義ノ原則二従ヒ且第8条第1項二掲クル留保ノ下二各締約国ハ其ノ主権又一権力ノ下二在ル海
港二於テ該海港一航海船ノ平常出入シ且外国貿易ノ為使用セラルルー切ノ三一ヘノ出入ノ自由及
該海港ノ使用二関シ並船舶・其窯出及旅客二右締約国力許与スル航海上品商業経営上ノ便益ノ
完全ナル亭有二関シ他ノ締約国ノ船舶二女寸シ自国船舶:叉ハ他ノ何レヵノ国ノ船舶二許与スノレト均
等ナル待遇ヲ許与スヘキコトヲ約ス。斯ク確立セラレタル均等待遇ハ碇泊地点ノ振当・荷積上及
荷卸上ノ便益ノ如キー切ノ種類ノ便益並政府,官公署,特許事業者若ハ各種企業者の名二於テ又
ハ其ノ計算二於テ課セラルルー切ノ種類ノ税金及料金二及フヘシ」と明示している。)本条約の加
盟国は25力国である(東南アジア関係の諸国では,インド・インドネシヤ・タイ・セイpン等が
これに参加している。)また海運には,技術的自由性としちζとがいわれている。これは鉄道等の
陸上交通機関に比較して,装術酌制約をうけることが少く,また企業の改廃が自由であること遡
意味する(太田康平「現代海運経済及政策」63頁。)。なお海運自由の原則に関する最近の注目すべ
海法における保護・助成
187
き研究として,高梨正夫氏の「海洋の自由と海運の自由の原則について」 (海事研究51号2等分
がある。そこではZimmermannのOcean ShipPingの所説を引用して、海運自由の原則はあ
くまでもPrinciPleであり, Ideaであることを認められ,完全な意昧での海運の自由は、今日
まで実現されなかったことを指摘されている。
そもそも国旗差別による海運の保護政策は,初期の代表的な保護政策の一形態であった
が,既に19世期初葉には,その影を没するに至っている。しかし,それにもかかわらず,
今日なおも若干存在し,ま泥部分的に新しく生まれかけていることもみのがすことができ
ない。いま国旗差別制度の沿革的系譜を眺めてみよう。すなわち過去においても,外国船
に対して自国船を特別取扱いとすること,すなわち外国船舶一トンについて幾許と高額の
港税を支払わせるか,または外国船の積荷に一定の高い関税を課することによって,自国
船を有利にする政策がとられたことがあった。たとえば「差別肥州」と「差別関税」
(註)
とがこれである。前者の差別瞳税が実施されにのは,フランスではヘンリー四世の頃であ
ると指摘されているが(佐波「海運理論体系」256頁参照),この政策が最も積極的に展開さ
れたのはアメリカである。すなわち独立戦争直後のアメリカ海運は,・極めて惨めな状態に
おかれていたために,民間の国家に対して要求したのは,強力な国家による保護であった。
新憲法下に集まった議会が,その壁頭第一に審議した問題も米船の保護であったといわれ
ている。そこで1789年の晩税法では,合衆国政府が,すべての外国船に対して,当該国が
合衆国と如何なる通商航海条約を締結していると否とにかかわらず,一様に差別唖税を課
徴したのである。つまり合衆国船舶(合衆国内で建造せられ,合衆国市民がその全部を所有する
:船舶・または外国で建造せられ,1789年5月29日以降,引つづき合衆国市民の所有する船舶) は一年
を通じて唖当り六仙,じご合衆国において建造せられ,その全部または一部が外国人の所
有よりなる船舶は,唖当り30仙,その労すべての外国船は,唖当り50仙を入港の都度課税
するものとしたのである。ここでいう合衆国船舶とは,船舶登録法(船籍法)によるもの
を指すのである。この点注目すべきことは「右規定の結果,例えば百唖の米町は6弗の四
竹を納めれば,向ふ一年間何れの港にも出入自由なるに反し,同型の外国船は一考に入港
する毎に50弗の郵税を必要とし,この屯税だけでも,外国船は実際上は米船に太刀打ち出
来ないことになっていたから,沿岸貿易法が制定されたのは1817年であるけれども,実際
上はこの時既に全米海岸は閉鎖されたと同一であった。」(戸田貞次郎(米国海運史要)43頁)こと
が既に指摘されていることである。さらにアメリカでは,1804年に外国船に対して燈台税
として一屯について50仙を課税し, (1812年には差別的燈台税)差別的な燈台税の制度を創設
レていることも注目される。
なお国旗による差別制度の代表的なものとして,差別関税制度がとり上げられてきたこ
とがある。この差別関税が実施されたのは, イギリスのHenry六世以後の補助金立法
(Subsidy Act)であるが,とくに歴史上有名なのはElizabeth(Ist Elizabeth,ch,13)
のものであるといわれている。しかし近世で最も大規模な差別関税を認めたのは,1660年
188
のCharles世の補助金法(12th charles ll,ch,14)である。(佐波「海運理論体系」259頁。).
すなわちヂャニノレズニ世は,まず1660年に法律(12car.11.c」18)つまり海上憲章(The m−
artime charter of England)ともいわれるべきものを定めており,その骨子は「イギリ
ス人の船長と船員の四分の三以上がイギリス人であるイギリス船で運送されるのでなけれ
ば,アジア。アフリカ・アメリカから輸入してはならない。外国船は沿岸貿易に従事する
③ ● ● o ● 6 ● ● ● o ● ● o ● ● o ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ・ ● ○
ことを得ない6イギリス船にあたえられる関税の免除は,船長および船員の四分の三がイ
む む ほ ギリス人である船舶に限る」ものとしている。また1662年にも法律を定め(14car.ll.c.II)
そこでも特恵関税の制度を設けている。 「すなわち麦酒・石炭・穀物・i薬品類・駝鳥羽毛
・魚類・鉄・香料・絹製品・鯨鰭をイギリス船で運送する者に報酬があたえられる。外国
貿易に従事する重構船の建造を奨励し,最初の二航海について関税の10分の1を割戻す。
イギリス人所有の船舶でも,沿岸貿易においては外国建造船には差別関税を課する」こと
にしたのである(1685年法では,沿岸貿易に従事する外国艦に対して唾当り5志の税を課している。)」
(詳細は島谷英郎教授「英国航海条例の変還」 (法学研究22巻6.7合三号)27頁引用。)。そのほかに・
差別関税を制定した最も著名な国としては,アメリカであろう。1789年の関税法ではつぎ
のような二種の差別関税をもって,自国海運の保護助長を図っている。
(A)一般的差別関税 アメリカ船による輸入貨物に対しては,定率関税の一割を免除
する。
(B)印度及び支那茶に対する差別関税 (1)外国船が輸入した場合には,茶一封度につ
いて15仙乃至45仙・(2)アメリカ船が欧洲より接続輸入した場合には,茶一一一封度について8
仙乃至26仙・(3)アメリカ船が支那及び印度より直接輸入した場合には,二一封度について
6仙乃至20仙・(4)茶以外の品物についてはアメリカ船が輸入した場合は無税,外国船が輸
入した場合は1割2分5厘)この関税法の施行によって,第一には輸入貨物にアメリカ船
の使用を強要し,算二には欧州中継を排してアメリカ船の極東貿易の就航を奨励したので
あるが,この条項は1815年まで存続し,その効果は非常に顕著であったことが指摘されて
戸田貞次郎「米国海運史要」42頁引用 いる。しかし,との差別関税制度の
在り方は,可成りの非i難をうけた
アメリカ船載貨比率
輸 出
輸 入
ために,その後互恵条約の制度を
30%一7%
とるようになり,ナメリヵを始め
1字89
各国ともに次第に寛大または廃止
1 8 1 1 8 0 % 9 0 %
一国旗無差別主義一の方向をた
どったのである(当時差別関税を一般的に廃止する国としては,1850年のオランダ・1851年のスエP
デン・1852年のベルギー1868年のスペイン・1869年のオーストリー・1870年のポルトガル・1873年の
フランス)。 ことにアメリ「カでは,1815年に,互恵条約法を定めて,アメリカ船に対して,
差別関税を廃止する国に対しては,アメリカもまた,その国の船に対して従来施行して
きた差別的屯税および輸入税を廃止することを明示している。しかし1818年になるとアメ
海法における保護・助成
189
リカの船腹が極度に激減したために,それが逆に互恵主義に対する非難ともなり,どうし
ても自国船を外国船から防衛するためには,以前の差別関税の制度をとる必要が一般的に
考えられるようになった。そこでアメリカでは海運の振興を図るうえに,何よりも差別政
策によるのが最も近道であると誤認し,外国船に対する差別待遇を明示する1920年の「商
船法」 (Merchant Marine Act)を制定したのである。その34条では「アメリカが外国
船の輸入貨物に差別的関税を課し,または外国船に差別的屯税を課するのを妨げるような
条約または’協約は廃棄せられるべし。大統領は本法施行後90日以内に関係諸国に右制限条
項の失効を通告すべきである。」「詳細は戸田246頁)とし,早速議会は,商船法の規定通りに,
:大統領に向って関係諸国に対する条約廃棄の通告を命じたのであるが,しかしウィルソン
大統領は,かかる議会の意思を無視して,差別関税制度を採用しなかったのである(佐波教
授は,この点を指摘して,大統領の措置は,単なる政治上の措置ではなく,アメリカの経済的必然性に
もとつくものであるとされる。前掲書267頁。)。
く註)沿:革的にも,過去海商国のとった差別制度は実に多様である。詳細は伊坂市助教授「列国現行海
運造船政策及海事金融制度」 (昭4)参照。チリドは,1927年外国積荷輸入貨物に対して関税を
過重し,自国船を保護しようとしたことがあるq928年より自国積硝石輸出奨励金を定めている。)
ポルトガル翻922年以来自国船で輸送される貨物には,低関税および低輸出税を適用するという
方法で,国旗差別を実施している(麻生平八郎教授「海運及び海運政策研究」28頁。)しかし現今,
かかる差別的関税制度については,「海港ノ国際制度に関スル条約」 (5条)にも態度が明らか
にされている (締約国ノ主権又ハ権力ノ下二在ル海港二三ル貨物ノ輸入叉ハ輸出二対シ課セラレ
ルヘキ関税三下ノ他ノ類似ノ税,他方入市税、若ハ消費税又ハ附帯的課金ノ決定及適用ヲ為スニ
付テハ,船舶ノ国籍ハ之ヲ考慮二入ルヘカラス。)
ところで,このような国旗差別による保護の在り方は,海運の市場機構に直接介入し,特
定の運送関係者を制限し,また拘束し,自国船主にのみ特権的利益をあたえる幣害を生ず
る下れがあるので,その反面に相手方をして報復的に差別措置をどらしめ,自由な通商な
り航海を困難ならしめる危険があるので,今日のインド・南米諸国などの極端な保護政策
が非難されているのである。この国旗差別の仕組にも,上記のものの外に多様なものがあ
の の む る。すなわち自国船以外の船舶の使用を制限するものとして,(1)自国船優先使用(2)特定貨
む の む む む り む り む 物の自国船割当(3)二国間協定による締約国の優先使用などがある。まず第一の問題として
は,一国が単独で自国船優先,優遇使用する方法にω法律・命令・規則等によるもの,(ロ)
外国船の受取る運賃に課税するもの,の輸出入許可や支払い通貨で外国船を敬遠する方法
などがある。この自国船優先の政策を採用している国は,現在10ケ国程度であるとみられ
ている。 (ブイリピンでは賠償物資をFOBで買付け,自国船を優先使用する。ブラジルでは,1959
年に輸入の約7割を自国の船会社が所:有するか、または用船する船舶を指定する政令を公布している。)
’第2の問題である特定の貨物の自国船割当て方法は,アメリカの特定貨物の50%条項を始
め,後進海商国も可成り採用している。アメリカの場合には,1936年の商船法で,輸出入
190
物資の重要部分をアメリカ船で輸送すべき基本方針が織り込まれ,また1954年の商船法に
よれば,海外註留米軍向貨物,軍事経済援助物資等の政府関係貨物については,定期船。
不定期船・タンカー別に,総屯数の少くとも50パーセントはアメリカ民有商船隊により,
輸送されなければならないことを明示している。第3に2国間の通商協定で,第3国船に.
差別的規定を設けている国は現在30ケ国以上になるといわれている。この代表的なものは
下記のとおりである。
以上のように,自国の海運振興策として各国で
アルゼンチンーブラジル 1953
とられている国旗差別待遇の諸方策は,海運界に
アルぜンチンーチリー 1953
おける国家主義の顕著なあらわれであろう。アメ
ブラジルーウルグアイ 1953
リカの貨物優先積取法が,いま国際海運界の批判
コPンビアーウルグアイ 1953
の対象となっているのを,キツカケに,後進海商
’イ ン ドーポ門ランド 1949
国が採用している各種の自国船特恵待遇の方策も
インドーアラブ連合 1953
論議の対象とされているが,ここでは対蹴的な方
イ ン ドーチエ コ 1953
向からの批判を捉えてみたい。ロンドンで開催さ
イ ン ドーソ 聯 1953
れた国際海運会議所の総会(昭和29年2月)では「
ノf ン〆 ド 一 ユ P一 コ“P 1 9 5 3
1953年中に報告された国旗差別待遇の実例を審査
イ ン ドー.ト.ル コ 1953
した結果,若干の政府がその貿易の’協定中に自国
イ ン ドールFマニア 1954
船に対し優先権をあたえる条項を挿入する傾向が
アメリカーデンマーク 1954
増大していることが明らかとなった。この傾向は
アメリカー・イギリス 1954
海上輸送の参加が比較的に新しい国々(インド・イ
アラブ連合一ソ 聯 1954
ンドネシア等の諸国であろう)において,特に著し
アラブ連合一東 独 1958
いのである。国際海運会議所は,それらの国の国
民的感情を無視するわけではないが,自国商船隊を優遇するためにとった差別待遇に対し
ては,強い反対の意塗表明するものである。」(海事研究18号7頂引用)としていて・またと
くに,そのなかで重要な関心を惹くものとして,当時チリー国会に提出されている法律案
で海路により輸入。輸出される貨物を原則的に自国船に留保することを狙った諸規定をと
り上げて批判を加えていることも注目すべきである(イギリスの海運雑識こよれば,チリーに
発着する海上貨物の50パーセントを自国船に留保することを目的とするものであることが指摘されてい
る。)。このような国際海運会議所の態度に対して,インド代表は国旗の差別待遇に関する
ゑ
一般的意見に同調できないことを表明している。その主な根拠として第一に,後進海商国
に対して適当な奨励または援助をあたえること,また国防及全国民経済の保護に必要な措
置をとることは,決して国旗差別待遇と認めるべきではない。第二に外国もしくは強力な
外国貿易業者団体が,不公正な差別待遇と認められる程度にまで,自国海運を不当に優遇
することによって,差別的行為をなす場合には,それに対処する方策が,たとい,それが
差別的とみなされるべきものであっても,自国海運を保護する唯一の効果手段として,正
海法における保護・成心
19懲
当視されるべきである(詳細は海事研究,前号82頁参照。さらにインド代表の見解については,1956
年海事年鑑204頁参照)と考えるのである。
(註)外国船を不利に,自国船を有利に差別する仕方には多様なものがある。まず国内鉄道運賃割引(
1920年のアメリカ商船法では,アメリカ本国と属領もしくはアメリカと外国との輸出入貨物がア
メリカ船積である場合の外,「輸出入運賃率」一国内輸送賃率より低い一を課徴してはならないこ
とを明示する。28条参照),運河通航料差別課微,官吏旅客の自国船利用の強要(アメリカの
1928年の商船法では,アメリカ官吏が外国または属領に公務をもって旅行する場合には,塒別の
場合を除き,アメリカ船によるのでなければ,旅費を支給しないことを明示する。701条参照)
などがあげられる。
三 海運補助金立法と自国船の育成
国家による海運の保護助成は,今日一般的におこなわれている。諸海商国は,海運の国
際収支に対する貢献,貿易および経済振興の基礎的要素などの経済上の理由から,または
戦争;期の経験,国家の安全保障,国威を高めるなどの政治的な要因から,それぞれの立場
に応じて自国海運の維持につとめている。しかも海運不況の段階になればなるほど,国家
による海運の助成は,ますます強化される傾向をさえ示めしている。とくに東南アジアの
後進国にとっては,自国貨物をできるだけ自国船積みするいわば自国貨自国船主義をとっ
ているために,多様な助成方式をとっている。いま,現今における自国航海企業保護の在
り方について,各海商国の態度を一瞥してみると,船舶建造補助金の支給(アメリカ・フラ
ンス・西ドイツ・イタリー・オーストラリア・カナダ)船舶運航補金の交付(アメリカ・ブランス
・イタリー),長期低金利の貸付または損失補償法 (アメリカ・イタリー西ドイツ・フランス
・ベルギー・スペイン)特定税金の低減または免除(アメリカ・イギリス・フランス・オランダ)
あるいは国家の海運企業に対する株式参加,海運国営それから最近注目きれている自国船
積取優先策 (アメリカ・インド・フィリピン・インドネシャ・ゾラジル)などの諸般の措置がみ
られる。
(註)東南アジアの諸国では,海運企業の保護育成にあたって,一般の海商国家の在り方と,異り傘融
資本・産業資本との結びつきを生ずることなしに・専ら国家機関と密接な関係を保ちながら発展
している。これが後進海商国の顕著な特色といえよう。尤も国家資本の投入による企業との関係
は,第一に「国策企業」という形式でとられている。そこでは政府出資という仕組で株式の過半
数支配により,国営によって運営されている(インド・インドネシア・ビルマなどでは,国策企
業に対する出資が増加しつつあるといわれている。中国では国策企業として「招商局」China S・
team Navigation Co.タ・1ではThai Maritime Navigation Co.とThai Line Co・operation
・ビルマではBurma Five Star Line・・fンドネシヤでは略称Pelnl・PeIajaran National
Indonesia・インドではThe ShipPing corporation of India, Ltd.が代表的である。)
このように各国の海運政策は実に多様な形態で存在するものであり,それを基礎とする海
事法も多岐にわたる。ところで海運政策を大別すると,直接政策と関接政策とに類型化す
るのが一般的である。前者には,国家が海運に対して補助金(麻生教授は奨励金と狭義の補助
192
金とを区別される。前掲書29頁参照)もしくは信用をあたえる方法で,現在最もおこなわれて
いるものには,運航補助と造船補助の二つの形式がある。この運航補助には,定期航路・
不定期航路に対する補助金支給を主とするもので,定期航路のなかには,こめ補助の仕組
を郵便航送報償金とするものもある(運航補助金の支給には,一定の補助条件がふせられる。わが
国の「遠洋航路補助法」がそうであるが,アメリカでも,政府は補助船主の収益が資本金の10%をこえ
るときは,その丁子を返納させることにしている。)。一方造船補助も,概ね造船所ならびに新造
船主に対する造船資金の補助および特殊銀行を通しての長期低利資金の貸付およびこれが
借入利子の補給,あるいは造船材料輸入の免税もしくは軽減を主とするもので,戦後のわ
が国の海運政策は,もっぱら造船補助政策に眼目をおいている。いま各国の直接補助の在
り方を概観してみよう。
(註)竹井教授が海商法の特異性として航海企業の保護を考慮されていることは注目に値いする (海商
コ 法18頁以下。)。航海企業に対する保護育成は,単に海事行政的施設の面からこれを捉えるだけで
はなく海商法の領域からも充分考察されるところである (たとえば航海企業者の責任制限・船舶
共有・船舶債権による海事金融制度・発港準備後の船舶差押の禁止・船舶共有持分制度による外
資化の措置)ことに大橋教授によれば,行政的施設は効果を直接期待することはできても,他国
に関税の障壁をあたえる等の難点を有するために,最も普遍的で,欠陥の少い私法的施設を強調
されている(詳細は「船荷証券及船舶担保法の研究424頁。)。
〈1)アメリカ 南北戦争以後のアメリカ海運は,補助金に明け暮れしたといわれている。
1891年の海運補助金法 (合衆国の航洋商船に対して1000哩の航海毎に一総’屯について一千弗限度の
奨励金を麦給することを主要内容とする),1920年の商船法(造船貸付),1928年の商船法,
(郵便航送契約)1936年の商船法(内外差別補助金・対抗補助金)はその主要な立法である。
1936年の商船法の運航差額補助規定は,アメリカの外国貿易上の重要航路と指定した航路
(現在33航路)に運航する自国船の運航費と外国船との運航費との差額を補助するもので・
国内で建造された船舶に限る。しかして補助船の船令は,20年未満に限定されている,(但し
20年以上の船舶でも,海事行政当局がその船舶を公共の利益に適合すると認定したるときは,補助金を
支給される。)。船型や補助航海度数その他の条件は,連邦海事院と運航業者との契約によって・
とりきめられる。なお一般的に一社以上への重複航海を妨げない。また商船法では,建造
差額補助規定によって,外国船価と自国建造船価との差額を,その指定する外国航路に就
航す,る定期新造舶に一定割合(通常は3分の1・特別の場合は2分の1)を補助することとし・
1952年以降は,定期不定期を問わず全外国航路に就航する新造船に適用することとされて
いる (佐波教授によれば,1936年の商船法の海運補金制度は,諸外国の手厚い海運保護政策によって・
合衆国め海運がおかれている不利な状態を調整する国家補助金すなわち対抗補助金からなることを指摘
されている。「海運理論体系」280頁参照。)。
く2)イギリス この国では,その伝統的な国策によって,海運に関する限り格別の関心を
もっていることは否めないが,アメリカに比較すると必ずしも積極的ではない。しかしイ
海法における保護・助成
193
ギリスにおける海運補助金制度としては,1935年のイギリス海運補助法(British Shippi−
ng Assistance Act)が:最も有名である(それ以前にも1903年キューナード・ラインに対する優
秀船建造補助金.1921年に貿易助成法・1922年に北アイルランド政府貸付保証法がある)。この補助
法は,1929年以来の経済恐慌にともなう不定期船の破綻を救済し,イギリス船の外国移転
を防止し,かつイギリス船員の就業を増加させたといわれる(この補助法による補助額は,
200万ポンド・補助条件としては,1935年4月1日以降,引続きイギリス本国法に登録された船舶で・
イギリス本国港において建造されたものであることを要する)。
(3)フランス この国は,既に周知のように,「古典的海運補助金」といわれているほど
に,フランス海運はもっぱら補助金に依存してきたのである。とくに佐波教授が指摘され
るように,フランスでは「法制上の海運保護」(帝国優先・国旗差別)から「金銭上の海運
補助」(海運補助金)へ画期的な発展をたどった国であるともいわれている(佐波前掲書283頁。)。
まずフランスが他国に先じた造船船ならびに航海奨励金制度を制定したのは,1881年法で
ある。これによって遠洋航路および沿岸航路に従事するフランス建造船(帆船を含む)にし
て,総トン数100屯以上・速力10ノット以上・船令15年未満のものならば,一様無差別に
一定額の補助金を受給できる制度を確立したのである(フランスの海運助成の特異性は,ブラン
ス市民の所:有する船舶であれば,外国建造船に対しても,海運補助金を支給していることである。尤も
自国船と外国船との閻には補助支給条件に寛厳の差があるが,外国船に補助金を支給して,その国内転
籍を勧奨しなければ,一定規模の商船隊を維持できないところに,フラン客海運の後進性を捉えること
ができる)。
(4)その他の諸国西ドイツでは,1950年に「海運再建融資法」を制定して,1950年から
54年までに420マルクを年利4分・償還期限16ケ年で船主に融資をしている。ベルギーで
も1948年に「海運助成法」を実施して船主に融資をおこなっている。イタリーでも1949年
に「海運補助法」によって,新造船に対して船価の33%を補助し,融資機関に40%の支払
保証,民間の船主のリバテー船購入には,75%の購入を保証することにしている。
(5)日本 明治新政府の成立から,日清戦争までの国家の支給する海運補助金は,主とし
て新式海運企業(三菱会社・共同運輸会社・大阪商船株式会社・日本郵船株式会社)の育成強化の
ために支出せられたもので,それは屡々無類保護と称される程手厚いものであった(詳細は
拙著「海事立法の発展」参照)。そてでは西洋形蒸汽船を運送機関とする会社組織の企業にあ
っては,従来の資本蓄積では,ことが足りず積極的な国家補助金への依存を必然的とした
のである。ところが,その後日清戦争を機会に愈々海運の重要性が認識されると明治29年
に「航海奨励法」・「造船奨励法」の制定をみるに至ったのであるが,さらに明治43年に
は「遠洋航路補助法」へと発展的な解消をみたのである。第二次大戦後も,引続き商船隊
育成の強化を目標として,諸種の施策が講じられている。・たとえば船舶公団の創設(昭23>
によって,あるいは計画造船のもとに特殊金融機関(復興金融金庫・日本開発銀行)の融資に
よって,また昭和28年には「外航船舶建造融資利子補給法」を実施し補助支給を試みたが.
194
同年にはこの法律と併行して損失補償法を施行して危険填補をも企図しているのである。
(註)
以上のようにみてくると,戦前・戦後を通じて海運企業に対する保護助成の面で,国家権
力が大きく作用し続けていることを指摘しなければならない。
〈註)この法的制度はその翌年にドイツ・イタリーに採用されたのである。またイギリスの新投資積立
制度(新造船に対して普通償却のほか,船価の40%相当額の初年度積立てを課税対象から除外す
る)も海商国のならうところとなりっっあることが指摘されつつある。以上のように主:要海商国
の保護助成は,国際海運市場の競争の激化とともに累進してゆく傾向にある。これは競争と助成
の悪循環を示めすものに外ならない(詳細は松尾進「海運」134頁)。
3 東南アジア諸国の海法事情
て1)インドシネヤ この国では民族資本を中核とした海運の育成がおこなわれている。戦
−前はオランダ資本の海運企業(KPM会社)がインドネシヤの沿岸航路を独占していたが,
これはインドネシや人の大型帆船による海運業が禁止されていたために,自国の海運資本
は圧迫をうけていたのである。そこで政府はジ民族資本による木船の自由建造を奨励する
禛Cンドネシや資本による海運企業を設立している。ところがインドネシア政府の海運
一一
に対する施策の重点は,外航よりも内航におかれている。従って沿岸海運は,国営・ナシ
り り ヨナル民間企業がおこない,外資導入法(本法は全文20ケ条よりなり,とくに鉄道・電気通信・
国内海運・航空・電気事業等重要産業に対する外国資本の投資を原則的に禁止する)でも内航運部門
に対する外国資本(合弁事業を含む)の介入を禁止している。この外資導入法は,1958年ス
カルノ大統領の手によって公布されたもので,外国資本に対する一定の保証をあたえてい
るが,』しかし,この法律は,その特徴として特定産業の民族独占,公益事業のナシヨナリ
ゼイシヨン,合弁形式における民族資本の優位を定めている。そのほかにインドネシヤは,
インド同様にビルマ・タイの輸送には自国船を優先的に使用して,強い自国船保護政策を
採用していることを注目すべきである。
(2)ブイリピン この国の外航海運
インドネシア民族海運資本保有船腹 1959年8月現在
内 航 船
125隻
外 航 船
7隻
34,860 〃
133隻
123,639 〃
合 計
88,779総トソ
は,1958年以降注目すべき成長をと
げているといわれている。とくにフ
ィリピン政府は,1955年に「外航海
運法」 (PhilipPine overseas shi・
pping Act)を制定しているが,こ
れはアメリカの海運補助の基本法で
ある1936年の商船法(Merchant ShipPing Act)
をモデルとするものである。この外航
海運送は,この国の商船隊整備の基本体制を明らかにするもので,いま,その法律の内容
を指摘してみるとつぎのとおりである(詳細は1956年「海事年鑑」207頁)。
α)所得税免除 フィリピン市民およびフィリピン市民が最低60%を出資して,ブイリ
海法における保護・助成
195
ピン国法の下で設立された法人で, もっぱら遠洋航路に従事する運航業者に対して,本法
施行後10ケ年聞海運収益に対する所得税を免除する(但し本法による左記貸付を利用するものは,
借入期聞申純益金の全部を船舶または施設の建造・購入・改造に使用することを要する)。
@ 資金貸付 政府は1956年度d955年7月/56年6月)から4力年間年額2,000万ペソを
国庫から支出し,復興金融会社(Rehabilitation Finance Corporation)を通して,前記
の市民および法人に対して遠洋航路船の建造,購入または運営に要する資金を貸付ける。
この貸付けは,当該船舶を担保に貸付限度を当該船舶の原価の75%,償還期限を10力年内,
利子年4.5%とする、なお,この資金の管理と運用は,大統領の別段の指示がない限り,
復興金融会社が管掌する。
の その他の特典 政府はブイリピン国籍の遠洋航路の外貨収入を為替統制から除外す
る。
このブイリピンの助成で特筆に値するのは,インド異り国家の介入を可能な限り差し控え,
民間海運企業の発展を奨励する立場をとっていることである。従って国家による投資は,
民間資本が著しく不足しているか,それとも国民経済発展のために,どうしても必要な部
門だけに限られている。従って,海運についても「国策会社」というものはなく,復興金
融会社という国家機関をもうけて,ここに船舶を保有し,その運航はすべて民間海運に委
ねている実情にある。
Fly UP