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オンライン ISSN 1347-4448
印刷版 ISSN 1348-5504
赤門マネジメント・レビュー 3 巻 11 号 (2004 年 11 月)
〔フ ィ ー ル ド 調 査 報 告〕
ASEAN拠点の戦略的活用 1
(上)再生と再編
善本
哲夫
東京大学 21 世紀 COE ものづくり経営研究センター
E-mail: [email protected]
要約:本報告は、2003 年 12 月、2004 年 2 月に行った日系企業の ASEAN 拠点の調査
をベースにしている。現在、「中国」を巡るアジア域内分業体制の再編が日系企業の急
務となっている。対中国投資が急増する中で、既存の ASEAN 拠点にどのような位置づ
けを与えるか、これが問われている。今回の日系企業の調査では、対中国を意識しな
がら、ASEAN 拠点を戦略的に活用する方向性が見て取れた。つまり、中国シフトによ
る ASEAN 拠点撤退ではなく、既存拠点活用に向けて、工場を再生させ、また戦略拠点
化することに力点が置かれていた。
本報告は 2 回に分けている。(上)では、自社工場及び買収工場の再生、ASEAN 域内
拠点の再編を、(下)では、中小企業の ASEAN 展開を紹介する。
キーワード:海外既存拠点の戦略的活用、生産革新と既存技術の継承、ASEAN 域内分
業の再編
1
本報告は、科学研究費「中国製造業の国際競争力と日本企業の開発、生産戦略―アーキテクチャの
視点から―」
(プロジェクト番号:040700000119)の一環として、2003 年 12 月、2004 年 2 月に行
った ASEAN 進出日系企業の各拠点の調査をもとに作成されている。2003 年 12 月の調査チームは、
下川浩一先生(法政大学経営学部名誉教授)、藤本隆宏先生(東京大学 21 世紀 COE ものづくり経
営研究センター・センター長)を中心に自動車メーカー及び自動車部品メーカーへのインタビュー
及び工場見学を行い、2004 年 2 月は新宅純二郎先生(東京大学大学院経済学研究科助教授)を中心
に電子・電機機器メーカーへのインタビュー及び工場見学を行った。また、本報告は、日本機械輸
出組合発行『中国等アジアの分業戦略』2004 年 8 月、の善本執筆部分をもとに、加筆・修正したも
のである。調査にご協力いただいた各企業の方々に、この場を借りて御礼申し上げます。
535
©2004 Global Business Research Center
www.gbrc.jp
善本
哲夫
はじめに
I ASEAN 拠点の再生・活用
II ASEAN 拠点の再編・ネットワーク化
おわりに
【「(下)中小企業の積極的な海外進出」は次号掲載予定】
はじめに
「中国」の巨大消費市場及び生産基地としての台頭が、日系企業によるアジア域内分業体
制再編の動力となっている。「中国」を巡る日系企業の事業展開や生産分業のありようにつ
いて、中国内販における日系企業の戦略、日中企業間の共生型モデル等が論じられ、また、
国内拠点の危機的状況として、国内工場生産革新の重要性に改めて注目が集まることにもな
った。2 例えば、国内工場に目を向けると、日系企業は国内工場の生産革新を進め、急激な
中国への生産シフトによる国内空洞化問題に向き合っている。国内工場の「ものづくり」の
鍛え直しによって、国内回帰と「Made in Japan」の復権を目指す企業もある。
対中国投資が加速する中、日本・中国の棲み分けをいかに構築するか、このことが主たる
関心事として注目されるわけだが、他方では日系企業の ASEAN 域内生産拠点をいかに活用
するかが、問われ始めている。新規投資案件の増加傾向を見た場合、確かに「中国」が有力
な投資先として存在感を高めており、ASEAN 諸国への投資は相対的に伸びが小さい。近年
の投資案件を数値上で比較した場合、その動向は「中国と ASEAN の競合」として映る。3 例
えば東芝のように、国内カラーテレビ生産の海外移管先として中国拠点を受け皿とする企業
や、また、松下電器による杭州の白物家電一大拠点の形成など、中国内販型拠点、輸出型拠
点双方で「中国」拠点を戦略化することが、深化する東アジア経済の中での日系企業にとっ
て重要な位置づけになっている。4
2
3
4
日中企業の共生について、北 真収 (2002)「中国市場を指向した共生型製造モデル―日中企業間連
携の模索とマネジメント上の留意点」
『開発金融研究所報』11, 21-44、を参照されたい。また中国市
場における日本企業の戦略について、新宅純二郎・加藤寛之・善本哲夫 (2004)「モジュール型産業
に お け る 日 本 企 業 の 戦 略 」『 赤 門 マ ネ ジ メ ン ト ・ レ ビ ュ ー 』 3(3), 95-114
http://www.gbrc.jp/GBRC.files/journal/AMR/AMR3-3.html を参照されたい。例えば、国内工場の生産
革新について、野口 恒 (2003)『モノづくりニッポンの再生<1> 日本発・最先端 “生産革命” を見
る―セル生産/モジュール生産/ダイヤグラム生産/BTO 生産』日刊工業新聞社、を参照されたい。
例えば、日本貿易振興機構『ジェトロセンター』では、特集として中国 WTO 加盟のインパクトに
ついて検討しており、ASEAN 諸国と中国との競合関係に焦点を当てている。『ジェトロセンター』
(2001 年 12 月号)、を参照。
東芝は、国内カラーテレビ生産から撤退し、中国大連の拠点(大連東芝電視有限公司)に全面移管
を行った。松下電器の中国白物家電の拠点設立構想については、松下電器の発表による
http://panasonic.co.jp/corp/news/official.data/data.dir/jn041018-2/jn041018-2.html を参照(松下電器ホー
ムページ:2004 年 10 月 18 リリース)
。
中国事業に積極的な松下電器は、海外市場が成長のエンジンであり、世界同時発売・垂直立ち上
536
〔フィールド調査報告〕ASEAN 拠点の戦略的活用(上)
確かに、ASEAN 諸国に対する日系企業の投資・進出件数は鈍化したが、対中国を意識し
ながら、ASEAN 域内の既存生産拠点の戦略的再評価を進めている企業もある。つまり、
ASEAN と中国のオペレーションを「棲み分ける」ことで、各生産拠点の活用方法を巡る広
域アジア域内分業体制の構築が戦略的な課題としてクローズアップされているのも事実で
ある。
対中国投資の増加に目を向けると、日中の棲み分け、とりわけ国内拠点と中国拠点の分業
体制構築が議論の焦点になるわけだが、日系企業は既存 ASEAN 拠点に対して工場改革によ
る再生や再編を通じて、戦略的に活用するための新たな役割を与えようとしている。つまり、
アジア域内拠点の効率的な編成のために、既存 ASEAN 拠点の活用が大きなポイントとなっ
ている。
「中国」の台頭を背景に、ASEAN 既存拠点がどのように方向付けられているのか、この
点に焦点を当て、2003 年 12 月、2004 年 2 月の 2 回にわたり、調査を行った。本稿は現地調
査をベースにして、日系企業による ASEAN 域内既存拠点活用の現状を報告することが目的
である。調査先では、中国と ASEAN を単に「競合」として捉えるのではなく、ASEAN 拠
点の潜在的能力を高めようとする傾向が見て取れた。
ASEAN 拠点活用に向けた取り組みのありようを、今回の調査をもとにすると、以下のよ
うにまとめることができる。第一に、中国内需向けの中国拠点は、ASEAN 拠点と直接には
競合しない。つまり、現状では、中国市場は中国拠点で、ASEAN 拠点は ASEAN 市場を主
たるターゲットとしており、棲み分けがある。競合が問題となるのは、日本市場を含むグロ
ーバル市場への輸出拠点として、中国及び ASEAN の生産拠点のどちらにウエイトが置かれ
るのか、にある。また、FTA による中国・ASEAN 間の貿易活性化が、この問題をさらに複
雑化する。つまり、グローバル市場の生産基地として、アジア域内でどのような拠点編成を
行うかが、中国・ASEAN 競合の焦点のひとつである。
第二に、ASEAN 拠点の「ものづくり」現場に、国内工場からの生産革新運動の成果が波
及し始めている。これまで、日系企業の ASEAN 拠点における「生産革新・工場改革」の動
きは鈍かった。低賃金利用に主眼をおき、生産性向上に目を向けた取り組みは遅れていたと
いってよい。低賃金を背景に、人作業を中心にしたローエンド製品の組立が ASEAN 拠点の
役割であった。オペレーション効率を考えた場合、ASEAN 拠点を十分に活用していたとは
言い難い。
「中国」の台頭は、日系企業が ASEAN 拠点の改善可能性と潜在能力に目を向け、
新たな重要戦略拠点として再評価する契機になった。
げ を 目 指 す と 同 時 に 、 2005 年 度 に 中 国 事 業 1 兆 円 を 実 現 し た い と い う 。
http://matsushita.co.jp/corp/news/official.data/data.dir/jn040109-1/jn040109-1-1.pdf を参照されたい。
537
善本
哲夫
第三に、AFTA 等、貿易自由化に向けて、ASEAN 全域で効率的なオペレーションを推進
するために、ASEAN 拠点の域内相互補完関係を構築する。各拠点の役割を明確化し、かつ
得意とする領域を重点化することが、効果的な相互補完関係構築の上で重要であり、域内再
編の焦点となる。
本稿は、以下の構成である。第一に、既存工場の再生・活用に焦点を当て、東芝キヤリア
と昭和電工のケースを紹介する。第二に、ASEAN 域内生産・供給ネットワークの整備に焦
点を当て、デンソーグループのケースを紹介する。
I
ASEAN 域内拠点の再生・活用
ここでは、既存 ASEAN 拠点の工場改革のケースを取り上げる。戦略的活用を目的とした
工場改革のベースは、既存拠点の技術・ノウハウの蓄積を再評価し、生産性向上と戦略的方
向性を定めることがポイントになる。ケースは東芝キヤリアのエアコン生産拠点、昭和電工
のハードディスク生産拠点である。
東芝キヤリアのタイ拠点は、低付加価値製品の生産から新たに戦略輸出拠点へと位置づけ
られている。日本の富士事業所をモデルにしたセル・ライン導入をはじめとした生産性向上
が改革の中心である。昭和電工のシンガポール拠点は、事業再生の方向性を定め、その具体
的方策を短期回収が可能な少額投資による工場買収とオペレーション効率に重点を置いた
既存工場の技術継承・有効利用に求めている。
両社の工場改革のありようには、自社グループ内既存工場であるか、他社工場の買収であ
るかで、そのアプローチに違いがある。しかし、そうではあるが、これら 2 社の ASEAN 拠
点の戦略的活用と工場再生に共通するのは、既存技術を生かした工場改革によって投資額を
抑制している点に集約できる。
再生・活用の現状を、生産拠点・工場単位での取り組みから紹介する。
1. 東芝キヤリア社:海外自社工場における生産革新活動
東芝キヤリア社のタイ生産拠点の概要
東芝は 1999 年に家庭用ルームエアコン(以下、家庭用エアコンと呼ぶ)事業を含む空調・
設備事業部門を分離し、アメリカの United Technologies Corporation の空調・設備事業部門で
ある Carrier Corporation との合弁会社、東芝キヤリア社(以下、東芝キヤリア)を設立した。
東芝キヤリアの国内生産拠点は富士事業所である。業務用エアコン、家庭用エアコン、列車
用空調装置、コンプレッサなど、幅広い空調関連事業を手掛けている。東芝キヤリアの海外
生産拠点は、
タイで家庭用エアコンを生産する Toshiba Carrier (Thailand) Co., Ltd.
(以下、TCTC
538
〔フィールド調査報告〕ASEAN 拠点の戦略的活用(上)
と呼ぶ)と、イギリスで業務用エアコンを生産する Toshiba Carrier UK Ltd.の 2 拠点である。
今回の調査に協力をいただいた東芝キヤリアのタイ生産拠点 TCTC は、東芝キヤリア社設
立以前、東芝のタイにおける家電製品の生産拠点である Toshiba Consumer Products (Thailand)
Co., Ltd.(以下、TPT と呼ぶ)のエアコン製造部門であった。TCTC の設立は 1999 年であり、
分離したエアコン事業部門が東芝と Carrier Corporation との合弁を契機に東芝キヤリア社の
生産子会社となった。
TCTC ではウインド・タイプとセパレート・タイプを生産しており、調査当時(2004 年 2
月)の生産能力は約 80 万台/年である。生産能力の約 90%がセパレート・タイプのエアコ
ンである。
TCTC への普及機種の生産移管
TCTC が生産するエアコンの仕向地の比率は、ASEAN が 44%、EU が 22%、中東が 11%、
南米が 2%、日本が 21%である。北米への輸出は TPT の時代から行っていない。
TCTC の日本向けエアコンは、2001 年から数量が増加した。東芝キヤリアでは、富士事業
所から TCTC に普及機種の移管を進めており、2000 年の仕向地別の日本向け比率は 0.6%で
あったが、TCTC による生産数量の絶対数増加のほとんどが、日本向けの製品となっている。5
TCTC が生産するエアコンは、日本向け比率が高まっている結果、約 40%が新冷媒の
R-410A を使ったインバータ・エアコンである。そのうち約 30%が日本に輸出されている。
TCTC で生産される R-410A インバータ・エアコンは、日本向けの標準機種であり、コスト
削減を目的に富士事業所から移管が行われた。
ここで取り上げている日本向け普及機種は、ASEAN 域内で需要される「冷房専用機種」
ではない。ヒートポンプと呼ばれる冷暖房兼用機種であり、かつ日本で施行された省エネ法
に対応すべく、高い省エネ技術が使用されている。
近年、日本のエアコン市場の価格競争は激しい。省エネ技術の普及機種への搭載・仕様は、
大きなコストアップ要因である。東芝キヤリアは、コスト競争力を持ち、かつ省エネ対応機
種を導入すべく、TCTC を活用することになった。
TCTC の生産革新
日本への輸出基地としての機能を持つに至った TCTC だが、2~3 年前の生産性は富士事
業所と比較すると、低かった。コスト削減を目的した日本からの生産移管である以上、TCTC
5
拡大傾向にあるのは、日本向けだけに限らず、欧州向けも同様である。TCTC は年々2 倍のペース
で伸長を続ける欧州向け東芝ブランド・エアコンの主力工場となっている。
539
善本
哲夫
では投資を節約しながら、生産性を向上することが必要であった。
東芝キヤリアの富士事業所では、1990 年初頭からセル・ラインの導入等による生産革新
が進み、2003 年には既存のセル・ラインの新たな改革が行われた。TCTC でも生産性向上を
目指し、ライン改革が進められた。
2004 年には TCTC に富士事業所のコピーライン(セル・ライン:室内機)が導入された。
コピーラインの導入以前にも、セル・ラインへの試みは進められていた。既存のセル・ライ
ンと富士事業所から移管されたセル・ラインによって、多様なライン編成となり、様々な角
度から生産性向上に向けた取り組みを行うことが可能になっている。コピーラインの移管に
ついても、富士事業所のライン・レイアウトに改善・変更を加えるなど、単純なライン移管
に留まらない。
生産性向上のキー・オブジェクトとして、ライン・バランス、現地ワーカーの能力を鑑み
た人員配置、セットアップタイムの短縮、ダウンタイム改善などが挙げられ、20%アップを
ターゲットとしている。特に、ライン・バランスをチャート化し、バランス・ロスを顕在化
させることによって、ロスの排除をし、手待ち時間を削減することが大きな目標となってい
る。
こうした生産改革の取り組みの結果、大きな設備投資をすることなく、生産性が向上した。
つまり、TCTC が持つ既存経営資源(ワーカー、設備)の有効活用によって、増産対応が可
能になった。また、生産性向上と同時に、多様なライン編成を活用した機種変動の柔軟性の
獲得も目指されており、日々全機種が生産できる体制を整える準備が進められている。
まとめ
TCTC のセル・ライン導入やライン編成の改革等は、タイにおける単純な低賃金を背景と
した生産戦略からの脱却であった。コスト削減と同時に、既存の海外工場をいかに活用でき
るかが、生産性向上の取り組みの大きな背景となっている。
東芝キヤリアは、富士事業所と TCTC の同時並行的な生産革新を進めることで、投資を節
約しながら、低価格化が進む家庭用エアコン市場での自社のプレゼンスを高める方向性にあ
る。TCTC の戦略的評価を低賃金利用から転換させることが、第 1 歩であった。
TCTC は、悪く言えば、「生産革新・工場改革」から遠い拠点であった。生産改革に取り
組む以前、東芝キヤリアは TCTC を十分に活用していたとは言い難い状態だった。低賃金利
用のローエンド生産が役割であり、生産性に目を向けた取り組みは行われていなかったとい
ってよい。日本向け生産機種の増加と欧州市場の伸びに如何に対応するかが、ASEAN 拠点
の改善可能性に焦点を当てる契機であった。「中国」を勘案すれば、簡単に設備投資を決断
540
〔フィールド調査報告〕ASEAN 拠点の戦略的活用(上)
することはできなかった。TCTC での経験、つまり投資がなくとも、増産対応は生産性向上
で対処できる、このことが東芝キヤリアの海外オペレーションにとっての収穫であった。
TCTC の生産改革は、東芝キヤリアにとってアジア域内生産戦略を方向付ける上で重要な
ポイントとなった。TCTC は日本、
中国を含めたアジア域内分業における戦略的拠点として、
再生したケースである。
2. 昭和電工:買収工場の技術継承・活用
昭和電工はハードディスク(以下、HD と呼ぶ)の需要増大に対応するため、生産能力の
拡充を狙い、事業買収と出資提携を行った。本ケースは、昭和電工が三菱化学からの HD 事
業の譲受によって設立したシンガポールの生産子会社である Showa Denko HD Singapore Pte.
Ltd.(以下、SHDS と呼ぶ)に焦点をあて、ASEAN 域内の工場再生のありようを述べる。
昭和電工の HD 事業再生
昭和電工の HD 事業部の主力生産品目は、HD とアルミニウム製 HD 用基板(以下、アル
ミサブストレートと呼ぶ)である。HD にはアルミニウム製ディスクとガラス製ディスクの
2 種類があり、昭和電工は両方の HD を生産する唯一のメーカーである。現在、HD は日本
の千葉事業所とシンガポールの SHDS、アルミサブストレートは小山事業所とマレーシアの
Showa Denko HD (Malaysia) Sdn. Bhd. が生産拠点である。アルミニウム製に関してはサブス
トレートから HD までを生産する一貫型メーカーであるが、ガラスサブストレートは生産し
ておらず、外部から調達している。
昭和電工は、「プロジェクト・スプラウト」と名を打つ連結中期経営計画の中で、各事業
を三つのポートフォリオに区分けした。6 HD 事業は再構築事業に位置づけられ、事業再生に
取り組んだ。事業再生は HD の需要・用途の拡大を見据えており、事業構造改革として、販
売政策の転換と生産能力の拡大を進めた。生産能力拡大の事業展開として、二つの戦略的提
携・買収が行われた。ひとつは三菱化学の HD 事業買収であり、他方は台湾の Trace Storage
Technology Corp. への資本参加である。
三菱化学の HD 事業買収と SHDS 設立
昭和電工と三菱化学は 2002 年 10 月 15 日に、HD 事業の譲渡・譲受に基本合意した。7 そ
6
7
「プロジェクト・スプラウト」に関して、昭和電工の発表による、以下
http://www.sdk.co.jp/contents/news/news03/03-12-10.pdf を参照(昭和電工ホームページ:2003 年 12 月
10 日リリース)。
昭和電工による三菱化学の HD 事業買収については、『日本経済新聞』(2002 年 10 月 16 日付朝刊)、
541
善本
哲夫
の後、2003 年 1 月 1 日付で昭和電工は三菱化学の HD 事業を買収した。SHDS は、三菱化学
から昭和電工への HD 事業の譲渡によって設立されたシンガポールの生産拠点である。
SHDS の前身は、三菱化学の 100%子会社であったシンガポールの Mitsubishi Chemical Infonics
Pte. Ltd. (以下、MCI と呼ぶ)の HD 事業である。8 昭和電工は HD 事業を譲り受けるに先
立ち、SHDS を 2002 年 11 月に設立した。SHDS の工場稼働は 2003 年 7 月である。SHDS は
MCI の生産設備や従業員をすべて引き継ぎ、稼働を始めた。MCI が持っていたラインは 9
本である。2003 年 12 月、三菱化学水島事業所の遊休ライン 5 本が SHDS に移管され、合計
14 本の HD 生産ラインが稼働している。生産能力は、14 本のラインで 310 万/月である。
三菱化学は、1999 年に直江津事業所で、2000 年に水島事業所での HD 生産を停止し、MCI
に生産集約を行った。HD の高密度化による販売数量の減少と価格下落が事業再構築の背景
にある。三菱化学の経営方針の結果、HD 事業からの撤退と昭和電工の事業拡大路線の一致
に至ったわけである。
昭和電工の事業展開と SHDS のオペレーション
HD 事業の展開で昭和電工は、大きな路線転換を行う。HD は日立グローバルストレージ
テクノロジーズやシーゲートといったハードディスクドライブ(以下、HDD と呼ぶ)メー
カーが内製する場合もある。昭和電工はこうした HD 内製メーカーにも販売していたのだが、
顧客を非内製メーカーとする販売政策に転換した。販売政策転換と歩調を合わせるように、
生産能力拡大に向けた既存海外工場の再生・有効活用に動き出す。SHDS では三菱化学が持
っていた技術の有効利用に加え、オペレーションを革新する試みが進められた。
SHDS は、三菱化学の HD 生産技術をそのまま活用している。加えて、昭和電工は HD 事
業の今後の展開を考え、三菱化学水島事業所の 5 本のラインを 2003 年 SHDS に移管するに
あたり、ガラス製 HD を生産できるように改良した。このように、SHDS は、三菱化学の基
本的な技術ベースを引き継ぎながら、自らの戦略的方向性をラインに反映させて活用してい
る。
高いレベルにあった三菱化学の HD 生産技術ではあるが、昭和電工の買収額は、短期間で
回収可能であることが重要であった。昭和電工の HD 事業は、事業再生の文脈の中で買収を
選択したのであって、三菱化学の生産技術を獲得したと同時に、新たな拠点設立よりも投資
額を抑制できたことにも大きな意味があった。台湾 Trace Storage Technology Corp. への資本
参加の意図は、投資額を抑えながら生産能力を拡大することにある。昭和電工による HD 事
8
『日経産業新聞』(2002 年 10 月 16 日)、を参照されたい。
MCI では光ディスク関連事業が継続しているため、
SHDS と MCI は同じ工場・建物内に同居している。
542
〔フィールド調査報告〕ASEAN 拠点の戦略的活用(上)
業再生の根幹は、投資を抑えながら、いかに事業展開するかにある。
SHDS は MCI の HD 事業部門であったこと、またラインそれ自体が三菱化学のライン設計
思想であるため、昭和電工千葉事業所と SHDS では従業員が持つスキルとライン設備の技術
的背景に違いがある。
HD は、HDD メーカーによりライン認定が行われる。ライン認定は千葉事業所と SHDS
では別個に行われ、SHDS は独自で認定トライのための技術蓄積が必要になってくる。SHDS
のオペレーション・レベルの重要な革新部分は、元三菱化学の従業員に対する技術レベルの
向上と高いオペレーション効率を狙い、以下の三つの取り組みを導入した点である。技術発
表会、MBO システム、研修システム、である。
技術発表会とは、月に二回以上、日本とシンガポール相互の発表会を通じて、情報の共有
と意見交換をする場であり、これにより技術レベルを向上させることがターゲットとされて
いる。発表会それ自体は日本・シンガポールのコンペ形式ではない。MBO システムは目標
を設定することによって、エンジニアに SHDS の組織効率を高めるよう働きかけている。研
修システムは、従業員のスキルアップを狙うと同時に、ジョブ・ホップの防止策としての機
能も持たせている。
以上、SHDS の三つの試みは MCI の従業員と技術を活用するためのオペレーション効率向
上を狙った重要な活動であった。HD 事業の再生を目標とする昭和電工にとって、HDD 産業
のように先端技術であり、生産ライフサイクルのスピードの速い製品では、買収による高水
準技術の取得だけでなく、日本との連携も視野に入れながらも、海外工場が自立的にオペレ
ーションを進めていくことが重要になってくる。
まとめ
生産ライフサイクルの短い HD 事業では、既存設備の有効活用が大きなポイントになり、
かつ投資の短期回収が求められる。一からの立ち上げでは、業界のスピードについて行けな
い可能性もある。SHDS は、三菱化学 MCI の物理的な生産技術的側面を活用しながら、その
技術を昭和電工の戦略的な HD 事業再生とうまくリンクさせるべく、従業員のオペレーショ
ン・レベルに様々な仕掛けを取り込むことに成功した。SHDS は、昭和電工による生産能力
拡大と事業再生の意図を既存工場の戦略的活用により体現したケースである。
II
ASEAN 拠点の再編・ネットワーク化
ASEAN 自動車市場の成長はめざましく、自動車メーカーの競争が激化している。歩調を
合わせるように、部品メーカーの競争も激化し、低コスト生産の要求圧力が高い。本ケース
543
善本
哲夫
は、デンソーの ASEAN 3 拠点の調査報告を中心に、ASEAN 域内拠点再編のありようを紹介
する。再編は、各拠点をネットワーク化する方向性にある。デンソーはネットワークの中軸
をタイの拠点と定め、ここをハブとして ASEAN 域内分業体制の見直しを行った。見直しの
推進力となったのは、ASEAN 域内の競争環境が厳しくなったことに加えて、AFTA の進展
がある。うまく AFTA を活用できるよう、生産拠点再編を行っているケースである。9
デンソーの ASEAN 拠点の概要
2004 年 2 月段階では、ASEAN 域内にデンソーの拠点(販売、統括会社を含む)は、イン
ドネシア 4 拠点、シンガポール 2 拠点、タイ 7 拠点、フィリピン 1 拠点、マレーシア 2 拠点、
ベトナム 1 拠点である。ここでは、タイの拠点を中心に、調査先のマレーシア、ベトナムの
拠点についても紹介する。
タイの拠点の中心は Denso (Thailand) Co., Ltd.(以下、デンソータイ)であり、設立は 1972
年である。工場はサムロンとバンパコンにそれぞれある。その他タイには、Denso Tool & Die
(Thailand) Co., Ltd.、Siam Denso Manufacturing Co., Ltd. などがあり、合計 6 つの生産子会社
と、販売会社 1 社がある。販売会社は、Denso International (Thailand) Co., Ltd.(以下、デンソ
ーインターナショナル)であり、デンソータイから販売部門を分離し設立された。タイでは、
デンソーインターナショナルにタイ国内複数子会社の販売業務が一元化された。
タイでの生産品目は、デンソータイがカーエアコン、ラジエータ(サムロン工場)、スタ
ーターモータ(バンパコン工場)などである。他子会社を含めると、スタータ、オイルフィ
ルタ、オルタネータなどを生産しており、デンソーがタイで生産する自動車部品は ASEAN
域内の他国拠点と比べて圧倒的に多い。
マレーシアの拠点である Denso (Malaysia) Sdn. Bhd.(以下、デンソーマレーシア)は 1980
年に設立された。生産品目は、電装品、エアコン、ラジエータ、エアバック・システム、な
どである。顧客は、プロトン社やプロジュア、トヨタが多い。
ベトナムの拠点である Denso Manufacturing Vietnam Co., Ltd. は 2001 年に設立された。生
産品目は AFM(airflow meter)、SCV アクチュエータ(swirl control valve)などエンジン関係
部品である。生産された部品は全量が輸出される。輸出先は、日本 40%、ASEAN 40%、そ
の他 20%の比率である。
9
自動車メーカーの ASEAN 拠点の動向については、藤本隆宏・下川浩一 (2004)「ASEAN における
二輪と四輪産業の近況―中国との比較研究の視点から」『赤門マネジメントレビュー』3(2), 63-86
http://www.gbrc.jp/GBRC.files/journal/AMR/AMR3-2.html を参照。
544
〔フィールド調査報告〕ASEAN 拠点の戦略的活用(上)
デンソータイの中核拠点化と各拠点の役割の明確化10
ASEAN の自動車産業は、1980 年代まではあくまでコストよりも国産化を優先した時代で
あり、部品メーカーも組み付け主体の生産で対応していた。この当時、部品価格はコスト高
でも問題がなく、自動車メーカーも高コストの部品を購入し、その分高い価格で自動車を販
売していた。ところが、近年の自動車メーカー間の競争激化により、部品メーカーへの低コ
スト生産圧力は高まった。
すでに述べたように、デンソーは ASEAN 域内の多くの拠点を持つ。デンソーの各 ASEAN
拠点の生産品目は重複していた傾向にあった。その理由は、デンソーの ASEAN 各国への進
出が、自動車メーカーの進出先に合わせていたこと、また規制があったためである。現在、
デンソーは、各拠点の役割を明確化すべく、重複生産品目の解消と生産集約化に取り組んで
いる。
例えば、デンソーマレーシアは AFTA を見込み、AICO 枠組みを利用することで電子関係
部品の集中拠点となる。デンソーマレーシアはオルタネータやスタータを生産していたが、
デンソータイに移管した。
デンソーの読みでは、ASEAN がピックアップ・トラックの世界的生産基地となり、域内
自動車メーカーの生産ボリュームが増加し、域内ビジネスが大きくなると見ている。こうし
た自動車メーカーへの対応において、既存拠点の活用は重要な課題である。一方で、ASEAN
域内への中国製部品の浸透に対して、危機感もおぼえている。AICO や AFTA の戦略的な活
用が各拠点の生産集約を推進する要因になっているが、集約の直接の目的は、中国製部品の
ASEAN 浸透や台頭による価格競争、自動車メーカーからの低コスト圧力への対応策として、
重複投資の回避や集中生産によるボリュームメリット、生産性向上による低コスト生産を実
現することにある。域内でグループ全体の競争力を高めるためにも、補完体制が確立しない
と、アジア域内での各拠点が立ち行かないのも現状である。
まとめ
デンソーの中国拠点は、ASEAN 各国に比べて、圧倒的に多い。ASEAN 拠点のプレゼンス
は、中国製部品の ASEAN 浸透が進めば、低下する可能性はある。しかし、現状では中国で
のオペレーションと ASEAN でのオペレーションを分離し、
棲み分けを行っている。
そして、
ASEAN 域内での重複投資を避けるべく、各拠点の役割を明確化し、中核拠点を設定、ネッ
10
トヨタ自動車が世界戦略車「IMV」プロジェクトの拠点をタイに設置したことも、デンソーがタイ
を中核拠点にした背景にある。「IMV」プロジェクトが子会社設立の直接の要因となった子会社も
ある。
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哲夫
トワーク化することで ASEAN 全域の相互補完関係を構築することが重要視された。ASEAN
域内での棲み分けを行うことが、競争環境の変化に対応するために必要であったわけである。
デンソーが相互補完体制の構築するために行った生産集約や中核拠点の設置は、ASEAN 各
拠点の積極的な再評価でもあり、戦略的位置づけを明確にする作業でもある。
「中国」の台頭、自動車メーカーの ASEAN 生産の伸長、AFTA に向けた取り組み、以上
のようなビジネスを取り巻く外部環境の変化に合わせて、デンソーは拠点再編を戦略的に行
った。この再編が、デンソーの各拠点の総和として競争力を確保する手段であった。
おわりに
I では、工場単位で再生・活用の現状を、II では拠点の再編・ネットワーク化による相互
補完体制の構築をみた。本報告の三つケースでは、ASEAN の既存拠点を積極的に活用する
方向にあることが見て取れる。各ケースとも、ASEAN 拠点の潜在力・活用の方向性を冷静
に再評価している。
東芝キヤリア、昭和電工では、既存工場(自社工場、買収工場)の設備、生産管理のあり
よう、既存技術の評価を行い、オペレーション効率向上の方向性を見いだす作業を行ってい
る。デンソーでは、AICO 枠組み利用や AFTA を見据えて、ASEAN 域内での棲み分けを行
い、どの拠点にどのような生産品目を集約するかに焦点を当てて、相互補完体制を構築する
ために再編を進めている。
筆者による日系企業の ASEAN 拠点の調査では、低賃金利用という意味では、中国と
ASEAN 諸国での大きな格差は見あたらないという。11 将来的に中国から日本への輸出増加
は見込まれるにせよ、中国内需獲得を目指す生産拠点の増加と ASEAN 拠点との競合は、別
個に検討されなければならない。中国の新規投資案件の増加は、単純な ASEAN 拠点の中国
シフトではない。いかに ASEAN 拠点を戦略的に活用するか、この点をターゲットにし始め
た企業がいる。問題は日本市場を含む北米及び欧州市場への輸出拠点として、中国及び
ASEAN の生産拠点のどちらにウエイトが置かれるのかにある。つまり、ASEAN 域内生産拠
点統廃合を含んだ ASEAN と中国の競合が問題となるのは、生産拠点が日本を含めたグロー
バル市場向け輸出拠点として中国に集約される場合である。
東芝キヤリアのように工場改革以前は、生産性に焦点が当たることはなかった、問題にさ
れなかった、また昭和電工のように、買収以前、工場が持つ高い技術とポテンシャルがうま
く活用されていなかったなど、ASEAN にはまだまだ改善可能性の高い拠点や再生できる工
11
タイに進出した日系企業の現地生産子会社 A 社(白物家電:冷蔵庫、洗濯機)への聞き取り調査
による。調査は 2004 年 2 月に行った。
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〔フィールド調査報告〕ASEAN 拠点の戦略的活用(上)
場が多いように思われる。また、デンソーのように、外部環境の変化に合わせて拠点再編す
ることが、より効率的な域内オペレーションを実現することに繋がる。デンソーのケースは、
域内に重複拠点を持つメーカーにとって、見習うべき点が多い。
現在のアジア域内分業の再編は、最適地生産を狙い所とした流動的な玉突き生産移管とし
てとらえるのではなく、既存拠点の工場改革による潜在能力を高めること、また効率的な分
業ネットワーク構築する傾向にあることが、本ケースから読み取れる。このためには、国内
で進められる生産革新・工場改革との関係の中で、その成果を ASEAN 域内拠点が蓄積した
技術・ノウハウを積極的に評価・マネジメントするために生かすことと、各拠点の役割の明
確化が重要になってくる。
〔2004 年 11 月 18 日受稿; 2004 年 11 月 21 日受理〕
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善本
哲夫
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赤門マネジメント・レビュー編集委員会
編集長
編集委員
編集担当
新宅 純二郎
阿部 誠 粕谷 誠
片平 秀貴
高橋 伸夫
西田 麻希
赤門マネジメント・レビュー 3 巻 11 号 2004 年 11 月 25 日発行
編集
東京大学大学院経済学研究科 ABAS/AMR 編集委員会
発行
特定非営利活動法人グローバルビジネスリサーチセンター
理事長 片平 秀貴
東京都千代田区丸の内
http://www.gbrc.jp
藤本 隆宏
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