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開発体制における社会的結束の維持

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開発体制における社会的結束の維持
開発体制における社会的結束の維持
−シンガポールにおける体制変容の研究−
田 中 善 紀
はじめに
3.ネーションビルディングのための経済開発
Ⅰ.既存の体制概念の評価
Ⅲ.新たなる社会的結束の模索1984−
1.リンスの「権威主義体制」の特徴
1.1984年総選挙とその評価
2.「政府党体制」の特徴
2.若年層の取り込みと共有価値
3.「開発体制」の特徴
3.低所得者層政策とボランティアリズムの促進
4.3つの体制概念の問題点
4.「シンガポール21」と市民社会
Ⅱ.開発体制 1968−1984
5.「開発体制」の継続性
1.「開発体制」の政治的側面
おわりに
2.経済開発の政府政策に与える影響
はじめに
東アジア諸国が、政治的変化に見舞われているのに対し、
与党人民行動党(以後People's Action Partyを略して
東アジア諸国の政治体制を説明する場合、多くの場合
PAP)による事実上の一党支配下の驚くほどの政治的
それらの抑圧的体制を共通の特徴として用いて、説明さ
安定を見せている。隣国のインドネシアやマレーシアで
れている。つまり、それらの政治体制を説明するために、
はここ2年の間、インドネシアにおけるスハルト体制の
各国に共通する体制の特徴を見出し、一定の体制概念を
崩壊やマレーシアにおけるアンワル前副首相解任による
共通のモデルとして提示する傾向がある。最も頻繁に使
一連の政治的混乱が起きているが、シンガポールはそれ
用される体制概念はやはり「権威主義的政治体制」(以
ら隣国の影響から無縁というほどの政治的安定を維持し
後「権威主義体制」)であろう。欧米や中南米の体制の
ている。そういう意味では、シンガポール特有の状況を
研究をもとにしたホアン・リンスによる「権威主義体制」
反映している体制概念が必要とされる。
の概念は東アジアの体制を分析する場合にもよく使われ
たしかに、シンガポール特有の政治経済状況を反映し
てきている。東アジア特に東南アジアに限定して共通す
ているという点で、岩崎の「開発体制」は有用といえよ
る体制概念も考案されてきている。藤原帰一の「政府党
う。岩崎の「開発体制」も政治経済状況に関する限り大
体制」はインドネシア、マレーシア、シンガポールの3
筋においてシンガポールの状況に当てはまるものであ
国の政治体制に共通する特徴を見出し、確立されたもの
る。しかし、岩崎の「開発体制」の主張も、シンガポー
である。一方、岩崎育夫はASEAN諸国に共通する政治
ルにおける政治体制のあり方が「開発体制」という言葉
体制と経済体制の特徴を見出して、「開発体制」を提示
では汲み尽くせないさまざまの形でシンガポール国民の
1)
している 。
生活に広範囲な影響を及ぼしている事実と1984年選挙以
東南アジアの小国で、過去35年に渡ってめざましい経
後のシンガポールにおける重要な政治発展の面を見逃し
済成長を遂げたシンガポールの体制についても、上記3
ていると言えよう。
つの体制概念による説明が試みられている。しかし、上
このように、上記3つの体制概念はシンガポールの体
記の体制概念は各国固有の経済社会状況をどの程度考慮
制を説明する上では問題を抱えている。この3つの体制
しているのであろうか。アジア各国のなかでもシンガポ
概念に共通して欠けている最も顕著な問題は、上記の3
ールの経済社会状況は特異といえる。独立後35年しか経
つの体制概念がステートビルディングに集中し、ネーシ
っていない若い国であり、天然資源はほぼ皆無であり、
ョンビルディングの問題にはほとんど触れず、ネーショ
小さな都市国家である。そして、近年の政治発展は他の
ンビルディングの体制発展における役割を軽視している
−65−
政策科学8−2,Feb. 2001
と言う点であろう。サミュル ファイナーによると、ス
ネーションビルディングにおける経済開発の役割を論じ
テートビルディングには①共通の政府の下における領域
る。第3に、1984年以後の新しい「社会的結束」維持方
の設定による住民の統合②行政機関と軍隊の整備③ステ
法の模索を論述する。そして最後に、1984年以後の変化
ートの国際的承認が必要とされる。一方、ネーションビ
にもかかわらず、開発体制の根幹が現時点で不変ではな
ルディングに関しては、①「ステートの住民が共通の国
おあることを論じるものである。
民性(ナショナリティー)の自覚に基づく‘感情のコミ
Ⅰ.既存の体制概念の評価
ュニティー’(Gemeinschaft)を形成する」②「住民
(ステートの)がメンバー間で相互に義務と利益の配分
と共有を行うという意味でのコミュニティーを形成す
本章では、はじめに上記に列挙された3つの体制概念
る」ということが関連していると説明されている2)。
の特徴を紹介する。第2に、それらの体制概念が果たし
上記のネーションビルディングの概念と全く同じでは
てシンガポールの体制を説明するのに十分かどうかの評
ないが、ある点で類似するものを内包している体制概念
価を試みる。
としては山本信人の東南アジアにおける「開発体制」の
1.リンスの「権威主義体制」の特徴
主張がある。山本は新しい「国民」形成が「開発体制」
3)
を安定させるための必要条件であったと論じている 。
リンスが1964年に発表した論文は、スペインの体制研
そして、山本は「開発体制では‘国民’概念は上から創
究を中心に執筆されたものであるが、リンスは権威主義
4)
造される点が重要である」と論じている 。ゆえに、ネ
体制の特徴として5点を挙げている。
ーションビルディングを実現するには政治エリートの考
(1)「限定された多元主義」
えが重要であったといえる。シンガポールは若い国で、
民主主義的政治体制下における無制限の多元主義に対
多人種国家であることから、1965年の独立からネーショ
して、「権威主義体制」では国家による多元主義への制
ンビルディングは極めて重要であったわけであるが、シ
限があるが、それらは絶対的ではない。
ンガポールでのネーションビルディングにとって重要な
(2)「洗練されたイデオロギーの欠如」
ことはいかに国民を団結させるかということであったと
リンスは全体主義的政治体制にはイデオロギーがある
言える。そしてその主要な方法は、独立直後から経済開
が、「権威主義体制」は、イデオロギーよりも定義する
発による富の平等な配分を通してシンガポールにおける
のに困難な特殊な「メンタリティー」に依拠していると
「社会的結束」(social cohesion)5)を維持しようとした
論じている。
ことであると思われる。
(3)「大規模な政治的動員の欠如」
富の平等な配分は独立以後国民生活の安定化に貢献し
リンスは安定した「権威主義体制」は、国民の強度の
たが、1984年総選挙以後、PAP政府はあらためて新しい
政治的動員が行われないのが特徴であると論じている。
さまざまな社会的結束の方法を模索している。それらの
(4)「権威主義政党」
方法は1984年以前の経済開発による物質的な富の配分が
この特徴は完全な一党支配体制ではないということで
中心ではなく、価値観、文化芸術政策などシンガポール
ある。
国民の精神にアピールするようなものが中心である。そ
(5)「社会統制」
の中でも注目されるのが、ボランティアリズムの促進と
「権威主義体制」における社会統制は完全ではない。
「市民社会」発展を促進させる政策である。しかし、この
ところで、1990年代に入って、リンスは「権威主義体
ような政策的変化にもかかわらず、その政治経済的特徴
制」の類型化に取り組んだ。以下はその7つの類型であ
も含めて「開発体制」は現在のところ変わりそうにない。
る。それらは「官僚―軍部支配型体制」
、「有機体的国家
本稿では、はじめに、上記3つの体制概念を評価する。
主義体制」
、「ポスト民主主義社会における動員型体制」
、
第2に、シンガポールの体制を「開発体制」と岩崎が捉
「独立動員型体制」、「人種差別的‘民主主義’型体制と
える主張に依拠しつつも、「開発体制」が、シンガポー
エスニック‘民主主義’型体制」、「‘不完全な’および
ルにおいては経済開発と政策の関連の独特のあり方を通
‘前’全体主義的状況と体制」
、そして「ポスト全体主義
じて国民生活に広範囲な影響を及ぼした事実を指摘し、
型体制」である。その中で、旧植民地であった国家に関
−66−
開発体制における社会的結束の維持(田中)
3.「開発体制」の特徴12)
して述べているということから、「独立動員型体制」が
旧イギリス植民地であったシンガポールに当てはまるか
岩崎育夫は、ASEAN諸国に共通する政治経済的特徴
もしれない。「独立動員型体制」の特徴は下記に見られ
を見出し、「開発体制」をASEAN諸国に共通する体制と
るとおりである。
位置づけている。以下はその特徴である。
「独立動員型体制」はブラック・アフリカ諸国やマグ
(1)経済開発が全ての政策や制度の正当性の源泉
レブの諸国でみられる。この体制下では、経済発展が低
岩崎はこの特徴を「経済開発は諸々の課題のひとつな
い、相対的に平等な農村構造のある社会で出現し、自由
のではなく、最高の目標・課題とされ、あらゆる制度や
民主主義的価値は制度化されず、単一政党やカリスマ的
政策の正当性の源泉となっている」と説明している。
6)
権威を求める指導者が出現したとされる 。
(2)中央集権的な行政システム
このシステムは中央集権的な行政システムで、官僚テ
2.「政府党体制」の特徴
クノクラートが大きな権力を握り、
「合理的」
、「効率的」
藤原帰一の「政府党体制」は東南アジア諸国(インドネ
な行政を行っている。そして、その開発パターンは「市
シア、シンガポール、タイ、フィリピン、マレーシア)の
場介入を含む国家主導型開発」と言われている。
政治体制を比較分析し、特にインドネシア、シンガポール、
(3)抑圧的な政治体制
マレーシアの3国の政治体制に共通する特徴を見出し、そ
岩崎は、この特徴を「政治体制が実質的に権威主義体
れらの特徴を「政府党体制」として認定したものである。
制で、経済開発を名目に政治的批判勢力に対する様々な
藤原は「政府党」を、「組織・人員・財政支出におい
抑圧が行われていること」と説明している。
て、行政機構のリソースを排他的に利用し、行政機構と
(4)形式的な議会制民主主義
区別がつかなくなった政党」と定義している。そして、
この特徴は形式的に「議会制民主主義」が維持されて
いるということである13)。
「政府党体制」を「与党は行政と一体をなし、野党は行
政機構へのアクセスを阻害されるから、与野党間におけ
4.3つの体制概念の問題点
る政治的影響力の不均衡は甚だしいものとなる。政府党
前述のように、3つの体制概念の特徴を述べてきたが、
が政権を掌握した結果、政党間の競合から政治権力の掌
7)
と定義している。以
はたして、上記の体制概念がシンガポールというアジア
下はインドネシア、シンガポール、マレーシアの3国の
でも特異な国家の体制を説明するのに十分だろうか。各
政治体制に共通する特徴である。
体制概念の問題点を検討し、その評価を試みる。
握が事実上脱落した政治体制」
(1)政府党が選挙で勝てるような選挙制度操作
(1)リンスの「権威主義体制」
藤原は選挙制度操作の具体例として、第1に、政党登
スペインのフランコ体制の分析を主にした「権威主義
8)
録を義務付けた政党活動規制を挙げている 。第2に、選
体制」の分析(1964)は、政治体制の分析とくに上から
挙制度自体を与党に有利なものにしている。例えば、イン
の統制に焦点が当てられているが、シンガポールの政治
ドネシアやフィリピンにおける任命議員の設置が挙げられ
体制の特徴を説明しているとは言い難い。例えば、シン
ている。インドネシアでは任命議員が国会議席に占める割
ガポールの政治体制に特徴的な議会制民主主義と抑圧的
合が85年選挙法で50%を占めており、与党に有利な選挙制
体制の共存はリンスの「権威主義体制」論には説明困難
9)
度の構築に貢献している 。さらに、選挙区制度の操作が
といえよう。定期的選挙によって法的正当性を持つ政府
10)
与党の政権維持に貢献していると主張されている 。
与党が存在する一方、国民の政治活動を制限する抑圧的
(2)政府と与党の一体化における政府資源の独占
法律が存在するというシンガポールの状態は「権威主義
藤原の定義する政府と与党の組織的一体化は、「政府
体制」では説明が難しい。さらに、現在のシンガポール
関係機関への人事決定や、政策形成の基礎となる政府情
の政治体制の特色をもたらした経済社会状況について
報へのアクセスについて、政府党は野党と比較にならな
は、リンスの「権威主義体制」は説明できない。そうい
いリソースを手にすることになり、選挙操作よりもさら
うある特定の政治体制をもたらした経済社会状況につい
に制度的に支配を安定化することが可能となる。」と説
ても配慮し、理論化を試みようとしたのが「権威主義体
明されている11)。
制」の類型化とも言えよう。その中でも、「独立型動員
−67−
政策科学8−2,Feb. 2001
体制」は植民地支配から独立を勝ちとった国家において
示しているように、政治面と経済面に焦点を当てた体制
出現したもので、シンガポールの体制を説明するのに有
であるといえる。開発体制の経済面がシンガポールの国
用と考えられるかもしれない。しかしながら、「独立型
民生活に及ぼす影響までには踏み込んでない。というの
動員体制」はアフリカ諸国の体制を素材とした概念であ
も、岩崎は、ASEAN諸国各国における経済開発の重要
る。それは経済発展の低い、相対的に平等主義的な農村
性または意義を同じものとみなしている。しかし、シン
構造のある社会で可能であったとされているが、シンガ
ガポールにおいて経済開発重視の状況をもたらした状況
ポール独立後25年間首相を務めたリー・クアンユー前首
と他のASEAN諸国のそれとを同等に扱うのは困難とい
相は、ほとんどの新興国と違って、わが国(シンガポー
えよう。例えば、隣国のマレーシアやインドネシアが豊
ル)には農村の基盤がないと言明しており、シンガポー
富な天然ガスや石油資源を持っているのに対して、シン
ルが他の新興国と違っていることを強調している14)。以
ガポールは飲料水から食料まで100%に近い天然資源を
上の要因はリンスの「権威主義体制」がシンガポールの
外国に頼っており、資源といえるものは人材しかない。
体制を説明するのに不十分であることを示していると言
その結果、過度の人材開発への関心が政府の政策に広範
えよう。
囲な影響を与えて、国民生活にも影響を与えている。そ
ういう意味で、チュア・ベンフアットの「社会生活の全
(2)「政府党体制」の評価
「政府党体制」は具体的にシンガポールの政治体制を
ての面は手段的にこの間断のない追求(経済成長)に結
分析している。たしかに、政府と与党の一体化は事実で
び付いている」という指摘は示唆的であると言えよう17)。
(4)3つの体制概念に共通する問題
ある。にもかかわらず、過去2年の東南アジアにおける
3つの体制の問題点を各体制ごとに説明してきたが、
政治発展は「政府党体制」の概念の有効性に疑問を投げ
かけていると言えまいか。最大の疑問は、
「政府党体制」
前述のように、3つの体制に共通する問題もある。それ
の対象となっているインドネシアとマレーシアではスハ
は3つの体制のどれもがステートビルディングにフォー
ルト体制の崩壊とアンワル前副首相解任後の政治的混乱
カスし、エリートレベルでの政治構造の分析に重点がお
が見られたが、シンガポールは堅固な政治安定を保った
かれ、ネーションビルディングの体制形成における役割
という事実である。「政府党体制」の特徴である政府と
を軽視しているという問題である。それゆえに、山本信
与党の一体化という事実以外の、3国に共通しない特徴
人の主張する「開発体制」はネーションビルディングの
があるといえるのではないだろうか。例えば、3国の政
体制形成における役割をも内包する体制である点で注目
治体制をもたらした経済社会状況が重要と言えよう。
される。山本は「権威主義的な統治」と「開発体制」を
支える行政・治安維持・経済関連行政機構の整備などの
(3)「開発体制」の評価
岩崎の「開発体制」概念は、シンガポール特有の政治
「開発」という国
体制の政治経済面も強調しているが18)、
経済状況を大筋で反映している点で評価できよう。前述
家イデオロギーの注入が、
「国民」形成と社会統合の仕組
の経済開発が最高の目標・課題という状況がそれに当た
みを出現させたと論じている19)。このように、山本の主
ろう。具体的には、こうした状況は、下記の2つの主要
張は「開発体制」がネーションビルディングを内包する
な要因からもたらされたといえる。1965年のマレーシア
体制であることを示している。シンガポールでは経済開
からの分離独立の結果、シンガポールはマレーシアとの
発がネーションビルディングにおいて大きな役割を担っ
共同市場構想を断念しなければならず、これはシンガポ
たということから、ネーションビルディングの体制形成
15)
ールにとって大きな市場の損失を意味した 。そして、
における役割が認められる。ゆえに、
「開発体制」論はシ
その1966年当時リー・クアンユーがシンガポールのGDP
ンガポールの体制分析の対象として有用といえよう。
の20%を占めると推定した英軍基地の廃止は経済的混乱
をもたらすであろうと懸念された16)。他方、「開発体制」
Ⅱ.開発体制 1968−1984
の政治体制的特徴(抑圧的体制、形式的議会制民主主義)
1.「開発体制」の政治的側面
は事実であり、シンガポールの体制を説明するのに有用
前述のように、岩崎の「開発体制」の政治的側面は事
であるといえる。
実であると言える。1968年から1981年(野党が補欠選挙
しかしながら、岩崎の「開発体制」は、前述の要素が
−68−
開発体制における社会的結束の維持(田中)
で1議席獲得)まで与党PAPは全議席を独占した。その
しかし、資源として扱われる人材の重要性が大きく、
結果、岩崎の言うように形式的には議会制民主主義であ
経済開発の重要性が教育、人口、言語の3政策に色濃く
るが、議会の形骸化が進んだ。さらに、岩崎が論じてい
反映されており、それらの政策が国民生活に大きな影響
るように、シンガポールの抑圧的体制は労働組合の管理
を及ぼしていることは疑問がないであろう。経済開発が
20)
とマスコミの管理に明らかである 。例えば、リーによ
政策に影響を及ぼしているものとしては、第1に、教育
ると、1968年に成立した雇用法(the Employment Act)、
政策であろう。経済開発に見合うような人材を養成する
労使関係法(the Industrial Relations Act)、そして後に
ために全ての中学校男子生徒と女子生徒の50%に技術系
成立した労働組合法(the Trade Unions Act)は最低の
科目を必須とすることを、技術系科目に関わる学生の数
就業条件を示し、退職金、残業ボーナス、そして年金に
を増加させる方法として用いたことが挙げられる26)。し
歯止めを掛け、さらに、公休日、就業日、年次休暇、出
かし、人材開発の面で最も問題となったのはリー前首相
産休暇そして医療休暇に関しての一律の規則を定め、経
によって1984年総選挙前に打ち出された出生政策であろ
営陣に雇用や解雇、昇進そして移動に関する権限を回復
う。この出生政策の2つの主要な政策は以下のとおりで
させ、上記の法律は安定した労使関係の基礎であると言
ある。第1に、3人の子供を持っている高学歴女性が彼
21)
わしめた 。
女たちの全ての子供が入る学校を選択できる優先的権利
他方、マスコミの管理においては、1970年代における
を与えるというものである。第2に、低学歴で一定以下
シンガポールヘラルド紙の免許取り消しを含むマスコミ
の月収の女性には第1子または第2子出産後の避妊手術
への弾圧があった。そして、抑圧的法律もシンガポール
を条件に、10,000シンガポールドルを与えるというもの
の抑圧的体制を象徴している。例えば、国内治安法
であった27)。この出生政策の理由には下記のようなリー
の説明がある。
(the Internal Security Act)は裁判なしの抑留を認めて
「それ(1980年国勢調査を分析したリポート)はわた
いる。そしてNGOなどの市民社会団体の政治的役割を
22)
制限する団体法(the Society's Act)も存在している 。
最後に、中央集権的な行政システムについてであるが、
したちの才女たち(大学卒女性)が結婚せず、次の世
代には代表されないだろうということを示していた。
岩崎は「シンガポールでは他国のように政治過程に、勢
その影響は深刻である。わたしたちの最高の女性が彼
力のある野党はもちろん、圧力団体、利益団体といった
女たち自身を再生産していなかった。というのも、彼
政治アクターが存在しないため、開発政策・行政に限ら
女たちと同じ教育水準を持った男性たちが彼女たちと
ず、ひとたび人民行動党政府や官僚が政策を立案したな
結婚したがらなかったからである」28)
らば、後はそれをどう実施するかという‘行政’の問題
シンガポールのように天然資源のない国にとって優秀
となるのである」と説明している23)。
な人材は重要であることについては、すでに触れたが、
リーの考えは、同等の高等教育を受けたカップルによる
2.経済開発の政府政策に与える影響
出生が優秀な人材を作るであろうという優生学的なもの
岩崎は経済開発が全ての政策や制度の正当性の源泉と
に基づいている。このような彼の考えは下記のコメント
されていると述べているが、それに加えて、経済開発が
に表現されている。
多くの政策と関連を帯びているということが重要であろ
「ほとんどの子供の潜在的能力は、少数がより低いか
う。ここで想起させられるのは、前述のチュアの経済開
高い知能を持つことを除き、両親の潜在能力の間にあ
発と社会生活との結び付きに関する見方である。チュア
る。ゆえに、低学歴の女性と結婚する高学歴の男性は
は労使関係、教育、シンガポール政府が絶えず強調する
大学へ行く子供を持つ可能性を高めるための努力をし
24)
能力主義(meritocracy) 、人口政策、言語、犯罪抑止
てなかったといえる」29)
を含む社会的規律等の社会生活にまで経済開発との直接
この出生政策は、その後、高学歴女性へ彼女たちの子
25)
的な関連性が及んでいると分析している 。はたして、
供たちを入学させる学校を選択する優先的権利を認める
チュアが論じるように全ての社会生活すなわち犯罪の抑
政策が廃止され、一部修正されたが、この政策は政府の
止まで含めて経済開発が関係しているかどうかについて
人材開発への取り組みの表れであり、経済開発が国民生
はある意味で疑問が残り、さらなる検討の余地があろう。
活に多大な影響を及ぼす顕著な例となった。
−69−
政策科学8−2,Feb. 2001
ンスイ 37)とわたしはこの強制貯蓄制度(CPF)を全て
3.ネーションビルディングのための経済開発
経済開発は単にシンガポール国民の生活を向上させる
の労働者が家を所有するのを可能にさせる基金へと拡大
に留まらず、若い国家シンガポールのネーションビルデ
することを決断した」と述べている38)。そして、リーは
ィングにおいて重要な役割を果たしたと言えよう。前述
「もし、わたしたちが自由市場経済で競争している人々
のように、独立直後のネーションビルディングにおいて
によって生産された富を再配分していなかったら、わた
もっとも重要なことは、多人種の集まりであるシンガポ
したちはシンガポール人の連帯感覚(sense of solidarity)
ール国民をいかに団結させるかということであったとい
や一つの国民として共通の運命を共有しているという感
えよう。リーは「シンガポールの多言語、多文化、多宗
情を弱めただろう」と回想している39)。上記のリーの回
教社会を団結させ、世界市場で競争するのに頑丈で、十
想は、独立国家シンガポールにおける社会的結束の重要
分にダイナミックにさせることは非常に重要であった」
性を示唆し、富の平等な配分がシンガポールにおけるネ
と回想している30)。その団結を強化する方法についての
ーションビルディングにおいて重要な役割を果たしたこ
見方は多様である。たしかに、英語の教育言語としての
とを示していると言えよう。
さらに言えば、富の配分は、独立後のシンガポールに
導入や義務兵役はシンガポールという国家への意識を強
め、社会的結束を強化したという見方もある。例えば、
おいて(特に1965年の独立から1970年代末までの間)物
岩崎は、英語による学校教育「英語社会化」が国民統合
質的利益の配分が社会的結束の維持に重要な役割を担っ
31)
「英語社会
の1つとして行われたと見ている 。しかし、
たことを意味していると言えよう。それゆえに、
「開発体
化」がスムーズに行われたかというとそうではあるまい。
制」の政治経済面は事実であるが、その「開発体制」は、
70年代にはそれに対する反対があった。1972年と1976年
シンガポールにおいては、経済開発と政策の関連の結果
の両総選挙では、華語と華人文化を巡る問題が、南洋大
による国民生活への広範囲な影響とネーションビルディ
学の教育言語を華語から英語へと変更することに反対す
ングにおける経済開発の役割を内包した体制と言える。
32)
る南洋大卒業生によって提起された 。義務兵役にして
Ⅲ.新たなる社会的結束の模索 1984−
も、リーが演説で「経済の繁栄がなければ、諸君は守る
べき家も財産もつくれないので、防衛の心配はいりませ
ん。」33)と述べているように、義務兵役の社会的結束強
1.1984年総選挙とその評価
化に及ぼす影響は重要であるが、経済開発による富の配
1984年総選挙は、独立以後のシンガポール政治転換の
分による社会的結束の強化の方がより重要である、とリ
大きなターニングポイントになった。そのターニングポ
ーには認識されたように思われる。
イントの意味は、84年選挙後起きた2つの変化に明らか
ラジ・バシルは、「長期的に華人、マレー人そしてイ
である。1つは、選挙後PAPは政治改革に着手し有権者
ンド人が違った特異なアイデンティティ、言語そして文
に対してソフトな態度を取り始めた。具体的な政治改
化を実質的に維持し続ける事実から逃れられない。多様
革の例としては、分権化によるタウンカウンシル
な民族の構成部分が自らをシンガポール国家の不可欠な
(Town Council)というミニ自治組織の設置やフィード
部分として感じ、行動させる唯一確実な道は、生活水準
バック・ユニット(Feedback Unit)という国民の意見
の改善と職業とビジネスの機会の拡大であった」と論じ
徴集機関の設置等がある。2つめは、独立後政権をリー
34)
ている 。そして、彼の回顧録で、リーは、「わたしの
と共に担ってきたリーを除く第1世代指導者(old
最初の課題は全ての市民に国とその未来への利害
guard)からゴー チョクトン現首相をはじめとする第
(stake)を与えることであった。わたしは持ち家の社会
2世代指導者(new guard)への世代交代が本格的に起
が欲しかった」
35)
と述べ、さらに、リーは「わたしは
ったことである。
このような所有の感覚が共通の歴史的経験に深いルーツ
この歴史的総選挙においてPAPは歴史的敗北を喫し
を持たないわたしたちの新しい社会にとって不可欠であ
た。PAPの得票率は、前回1980年総選挙の77.66%から
36)
ると考えた」と回想している 。そして、その持ち家を
64.83%へ減少した。1984年総選挙ではCPF引出し年齢
所有することを可能にさせたのが中央積立基金(the
引き上げ、前述の高学歴女性出産奨励政策と低学年時に
Central Provident Fund以後CPF)である。リーは「ケ
おける能力別編成の3つの問題が大きな争点になったと
−70−
開発体制における社会的結束の維持(田中)
考えられている。そして、上記3つの問題がPAPの不人
満足できるようなものをもっと欲しているように思
40)
う」46)
気に貢献したと考えられている 。
さらに、ゴーは「わたしたちはわたしたちが求めるよ
しかし、PAPは上記の3つの問題以上に有権者のニー
ズに変化が起きているのではないかと懸念し始めたと言
うなシンガポールを築くことができる。それは、楽しく、
えるであろう。ゴー・チョクトン第1副首相(当時)は
満足できるそして意味のある生活ができ、他の人に生活
選挙の翌年、「物質的利益がシンガポール人が正確に欲
の質で劣らない、若年層のニーズに応えられる社会であ
しているものなのか確かではない。もし、彼らが物質的
るシンガポールである。」47)と呼びかけ、物質的利益配
利益を欲しているとすれば、前の選挙(1984)における
分による社会的結束の維持に代わって、若年層の要求に
41)
後退(PAPの)は説明できない」と述べた 。さらに、
も応えた上での社会的結束を呼びかけたものと思われ
ゴー副首相(以後ゴー)は、「共通のゴール、わたした
る。この傾向は、同じ年(1985)の大統領の演説にも見
ちが何を求めるかという方向に関して同意できない限
られる。大統領演説で明らかにされた政府の次の5年間
り、シンガポール人が求めるものをもたらせないだろ
の目標の一つに「人々の求める社会の性格について合意
う」
42)
と述べ、PAPが、シンガポール国民は何を求め
に達し、その達成を目指して努力することに若年層を参
ているのか当惑している状態を示唆したように見える。
加させる」という目標が見られる48)。
加えて、上記のゴーによるコメントは、物質的利益配分
そして、上記の「楽しいシンガポールでの生活」を含
による社会的結束の限界を示唆したとも言えるだろう。
む非物質的ニーズに対しては、大統領演説には、文化の
振興があげられている。例えば、下記のように提唱され
2.若年層の取り込みと共有価値
ている。「国民は物質的なもの追求以上の満足感を見つ
物質的利益配分だけではそのニーズが不十分とPAPに
け出すように奨励されている。もっと活気のある文化的
よってとくにみなされた層が若年層であった。1984年総
環境はシンガポールでの生活をもっと楽しいものにする
選挙の約1ヶ月前には、保健相(当時)ハウ・ヨン・チ
ことができる」 49)このような傾向を受けて、1991年に
ョン(Howe Yoon Chong)が若い都会化された専門職就
は映画の基準システムの見直しがあり、一部成人映画の
業者を「シンガポールのヤッピー」と呼び、彼らがPAP
上映が許されるようになった。
に抗議の票を投じる可能性を指摘し、「彼らのような人
若年層を取り込んだ社会的結束の維持は非物質的恩恵
たちはいつも物事を彼らの理想に達していないと見るだ
策に見られるだけでなく、価値観の普及にも見られる。
ろう」とコメントした43)。実際に若年層が反PAPであっ
1991年に政府は「共有の価値観(shared values)」を発
たかどうかは投票行動の分析の不足がある以上、推測の
表した。それら価値観は下記の5つの原則から成ってい
域を出ないが、上記のコメントはPAPが若年層の動向
る。
に懸念を持っていたことを示唆している。上記の若年層
1
コミュニティーよりも国家を優先、個人の上に社
が台頭したという意味は、シンガポールが独立20年後相
会を(Nation before community and society above
当な生活水準の上昇を経験したということである。その
self)
端的な例はゴーの下記の観察に表現されている。ゴーは、
「若い人たちの多くはコミュニティーセンター
44)
2
よりタ
社会の基本単位としての家族(Family as the
basic unit of society)
ウンクラブやカントリークラブを好んでいる。実際には、
3
彼らの多くは高い入会費にも関わらず、それらのプライ
コミュニティーの扶助と個人の尊重(Community
support and respect for the individual)
45)
ベートクラブに入会したがっている」と述べている 。
4
ゴーはこのような若年層とその前の世代とのニーズの違
対立ではなくコンセンサスを(Consensus, not
conflict)
いを下記のように指摘している。
5
人種と宗教の調和(Racial and religious harmony)50)
「わたしは若いシンガポール人たちは単に道路や高速
政府が発表した「共有の価値観白書」(White Paper on
道路、家や公園をつくっただけでは満足するとは思わ
Shared Values)の中の目的に関する一節には、「その目
ない。中略 .
的(共有の価値観の)は、わたしたちが国家として生き
.
.
しかし、わたしは彼らはシンガ
ポールでの生活にもっと楽しいものや、意味があり、
−71−
残り、成功するのを助けた態度やライフスタイル、わた
政策科学8−2,Feb. 2001
したちの多様な文化的伝統の重要な部分を内包したシン
アリズムの促進が社会的結束を強化する方法として行わ
ガポール人のアイデンティティを発展させ、定着させる
れた。第1に、CDC設立の目的は下記のようにゴー首相
51)
ものである」と表明されている 。さらに、「もし、現
によって説明された。
在の世代が違った環境で育った次の世代を導かなけれ
「CDCのコンセプトは、地域社会での絆の維持、そし
ば、彼ら(次の世代)がどんな価値観を得るかわからな
て社会事業へのローカルな地域社会のアプローチを利
い。彼らは不注意に方向を失い、変化する環境の中で、
用するということである。地域社会の絆は住民、価値
有用で、シンガポールの成功を支えた価値観を放棄する
観、関係、感情である。それらは地域社会の社会的ニ
52)
と懸念が表明されており、「共有の価
ーズが政府の役人によって行われるより、地域社会の
値観」は若年層を取り込んで社会的結束の維持を図ろう
メンバー自身によって行われた時に強化される。」61)
としている試みと考えられる。ただ、政府の目論みにも
さらに、ゴーは、「地域社会の援助の精神と相互扶助
かかわらず、一般国民の間で「共有の価値観」への反応
は社会的結束を強化し、調和のある幸福な社会を作るだ
は芳しくなく、政府は積極的に普及できなかった言われ
ろう」と述べた62)。実際にCDCは、公的資金を公的補助
ている53)。
制度下で配布したり、保育所や学習塾の役割を行ったり
かもしれない」
している。と同時に、CDCは寄付を募ったり、地域社会
の絆を強める住民の集まりを行ったりしている63)。一方、
3.低所得者層政策とボランティアリズムの促進
80年代に若年層の台頭が注目を浴びたが、チュアによ
政府は同時にボランティアリズムも社会的結束強化に役
ると、増大する所得間の格差は1980年代半ばから目立ち
立つと考えている。アブドゥラ・タルムギ(Abudullah
54)
始め 、1991年には政府にその深刻度を認識させる事態
Tarmugi)地域社会開発相は「ボランティアリズムはル
が起った。1991年総選挙で、PAPは敗北を喫し、その得
ーツの感覚と地域社会における絆を強化するであろうわ
票率は60.97%に落ち込んだ。選挙の結果は、学者の間
たしたちの‘ピープルセクター’(PAP政府が呼ぶ「市
では低所得者層の物価高に対する不満がPAPの敗北につ
民社会」の別称)の原動力である。」64)と言明している。
ながったと指摘された55)。拡大する所得間格差の傾向は、
さらに、アブドゥラは、「他者を助ける行為は、特に社
90年代における社会的結束が階級間の格差を埋めること
会・コミュニティー事業の分野で、わたしたち自身のた
をも含んできていたことを示していよう。
めのニーズ以外のニーズや大きな社会への各個人の重要
選挙と同年に公表されたビジョン「ネクストラップ
性を気付かせて、他者への思いやりの価値観を発展させ
(Next Lap)」には、芸術とスポーツの振興の他に「思い
る」 65)と述べ、ここにも低所得者層を助けて、社会的
やりのある社会」 56)の実現を目指して相互扶助や低所
結束を強化しようという狙いが見て取れよう。
得者層への施策が盛り込まれた。「ネクストラップ」に
4.「シンガポール21」と市民社会
は、子供たちへの援助、教育積み立て基金(Edusave)、
1999年4月、ゴー首相は、21世紀シンガポールのビジ
職業訓練と職業斡旋、住宅賃貸料・水道光熱費援助制度
57)
などの低所得家庭への扶助政策が盛り込まれた 。
ョン:「シンガポール21」の開始を発表した。「シンガ
1990年代を通して、低所得者層への援助政策は続けら
ポール21」ビジョンは、約6000人のシンガポール人から
れた。物価検討委員会による報告(the Cost Review
意見を聞いて練り上げられたものである。この結果、下
Committee’
s Report)は、住宅、交通、医療、教育での
記の5つのキーコンセプトが発表された。
58)
低所得者層へのサービスを提言した 。1997年総選挙の
1.「全てのシンガポール人の関与(Every Singaporean
59)
前には物価検討委員会が活発になった 。ゴー現首相は
社会的結束を維持する必要性を訴え、裕福なシンガポー
Matters)
」
「全てのシンガポール人はそれぞれユニークであり、シ
ル人たちに、低所得のシンガポール人たちの生活水準を
ンガポールに貢献できる。中略・・・いかなる分野でも、
60)
引き上げる政府の努力への支持を呼びかけた 。低所得
能力を最大限発揮すれば、それは良くやったということ
者層への補助政策と同時に、90年代後半を中心に、地域
である」例:「わたしたちは学術的なことや経済的なこ
社会開発評議会(the Community Development Council
と以外に広がるように、‘成功’の定義を広げなければ
以後CDC)の設置やシンガポール人の間でのボランティ
ならない」66)
−72−
開発体制における社会的結束の維持(田中)
2 「強靭な家族(Strong Families)」
す問題に関してもっと関わりたいという希望をもっている
それら(強靱な家族)は、健康的な生活と健全な地域社
ことが認められた72)。そして、部会リポート(4番目のコ
会のための基盤である」67)
ンセプトを提言した部会の)は、
「これらの人々(若年世
3 「全ての人に機会を(Opportunity for All)」
代)にとって、社会での参加やステークホールダーシップ
「未来のシンガポールはわたしたちの子供たちが祖先が
の観念にはよく定義され、理解されるべきもので、認めら
持っていたような未来への希望、可能性、そして満足を
れ、受け入れられる一定の領域内での表現の自由を含む」
探し出すことができ、機会にあふれている場所であり続
という確認を盛り込み、
「より積極的で、参加型の対話機
けなければならない」例:「ある人々はわたしたちの発
関を発展させるために、政府と‘ピープルセクター’の間
展や進歩に貢献しに一定期間他国から来る。わたした
で調整する積極性」が求められると提言した73)。
ちは彼らを歓迎するべきである」68)
しかし、前述の社会的結束を強化させるための他の政策
4 「 シ ン ガ ポ ー ル の 心 臓 の 鼓 動 ( The Singapore
と「シンガポール21」の違いは、
「シンガポール21」では
Heartbeat)」
政府が「ピープルセクター」と呼ぶ「市民社会」の役割が
「シンガポール人は、この国へ属しているという感覚と
認定されたことであろう。ゴー首相は、
「ピープルセクタ
この国への献身を強化しなければならない。中略・・・
ー」を「パブリックセクター」や「プライベートセクター」
全てのシンガポール人は男性か女性、若者か老人とかに
と共に役割を果たす機関として位置付け、
「ピープルセク
69)
かかわらず、絆を強化する役割がある」
ター」を、
「全ての社会コミュニティー団体とボランティ
5
「積極的な市民(Active Citizens)」「わたしたちは未
ア団体から成る」セクターとして紹介した74)。この「ピー
来に希望するシンガポールを築くために、単なるオブザ
プルセクター」に関してはすでに1991年に、ジョージ・ヨ
ーバーではなく、参加者として積極的な市民にならなけ
ー情報芸術相(当時)が「シビックソサエティー(Civic
70)
ればならない」
Society)
」なるものを提案した経緯がある。ヨーは「
‘シビ
しかし、上記のコンセプトがある一方で、「シンガポ
ックソサエティー’を‘国家’と‘家族’の間の社会生活
ール21」の目的は下記の2つのゴー首相のコメントに明
「強いシビックソ
の層」と定義した75)。さらに、ヨーは、
らかであると言えよう。
サエティーなしには、
(お金では買えない)シンガポール
「シンガポール人が移動可能なボーダレスな世界で、
魂(soul)は完全にならないだろう」と述べ、物ではない
シンガポールの未来を形作る作業に彼らを参加させる
精神的なものが「シビックソサエティー」によって創られ
ことは、彼らを団結させ、ここ(シンガポール)に根
ると考えられている76)。
この「シビックソサエティー」に対して、
「シンガポー
付かせることを助けるだろう。」
「それ(
「シンガポール21」
)は、経済的物質的達成を
ル21」の形成過程では、ゴー首相は「市民社会」(Civil
超えて、心と人々に広がる。それは社会における価値
Society)に期待する役割について下記のように述べてい
観、態度、役割そして関係を吟味する。これらの価値
る。
「わたしたちは人々のエネルギーと才能を動員して、結
観はわたしたちを束ね、他の人びとからわたしたちを
シンガポール人として区別する。」
71)
束力があり、強靭なネーションを創るために市民社会を
必要としている。
」77)
これら上記のコメントは政府の社会的結束強化への関
心を示唆しているといえよう。具体的な内容にも、その傾
上記の首相の発言は「市民社会」が社会的結束のために
向が見てとれる。前述に見られるように、90年代における
利用されるべきであるということを示唆しているようであ
社会的結束は、階級間の格差を埋めることの重要性を内包
る。はたして上記のような「市民社会」への考えがシンガ
してきた。ゆえに、もっと平等な社会という意味ともとれ
ポールにおいて目指されるべき「市民社会」なのか。シン
る具体的提案が見られる。その例は、第1のコンセプトに
ガポールの市民社会に関する研究が必要とされる。
ある「成功」の定義の拡大化であろう。さらには、4番目
5.「開発体制」の継続性
のコンセプト(The Singapore Heartbeat)を提言した部会
で表明された強い意見やアンケート調査に基づいて、80年
前述のように、社会的結束の方法が変化し、
「市民社会」
代以来PAPが懸念してきた若年層が彼らや国に影響を及ぼ
の台頭も始まってきている。という変化にもかかわらず、
−73−
政策科学8−2,Feb. 2001
おわりに
開発体制自体はほとんど変わってない。換言すれば、開発
体制の根幹は変化してないということである。第1に、政
府の政策と経済開発の密接な関連性は未だに続いている。
前述のように、従来の研究には、各国の体制を共通化
例えば、今年4月に「良い英語を話そう運動(Speak Good
して、「権威主義体制」
、「政府党体制」
、さらには「開発
English Movement)
」なるものが始まった。これは「シン
体制」等の概念を提起し、それによって対象になる国家
グリッシュ」と呼ばれるシンガポールでよく使われる英語
の基底にある国民社会の特質を軽視する傾向があるわけ
をゴー首相が非難したことが発端であると考えられてい
であるが、それは的確といえるか疑問である。「政府党
る。ゴーはシングリッシュを「文が非文法的で、文の一部
体制」や岩崎育夫の「開発体制」の主張というシンガポ
が切り詰められているだけでなく、しばしば特に外国人に
ールの具体的状況に触れた体制概念でさえも、各国間に
は理解されない」と説明した78)。そして、英語の経済開発
共通する事実へのフォーカスとそれ以外の事実の排除と
への重要性を下記のように指摘している。
いう共通化された体制概念が抱える問題を乗り越えられ
「良い英語を話すということは、ビジネスを行い、世
てない。さらに、上記の3つの体制概念に共通する問題
界とコミュニケーションを取るという点で非常に重要
として、ネーションビルディングの過程の軽視が指摘で
なアドバンテージである。特に、わたしたちのような
きる。たしかに、岩崎による「開発体制」の政治経済状
ハブ・シティーであり、オープンな経済にとって重要
況に関する分析は総じて適切と言える。しかし、山本信
である。もし、わたしたちが他の人々によって理解さ
人の「開発体制」に関する議論は「開発体制」がネーシ
れないなまった形の英語を話せば、主要な競争力のあ
ョンビルディングの体制形成における役割を内包する多
るアドバンテージを失うであろう」
79)
面的な体制であることを示していると言えよう。ゆえに、
上記の例は、経済開発と言語政策の関連を示している
実際のシンガポールの「開発体制」は、岩崎が論じてい
が、移民政策も経済開発と密接な関連を持っている。シ
る「開発体制」の政治経済面に加えて、経済開発と政策
ンガポールは近年高度な技能を持った外国人労働者を受
との関連の結果による国民生活への広範囲な影響と、経
け入れているが、これに対してシンガポール人の間で外
済開発のネーションビルディングにおける重要な役割を
国人と競争することに関して不満が出ている。ゴー首相
も内包した体制と言える。経済開発による富の平等な配
はこれに対して、「シンガポールの外国人はシンガポー
分は、独立直後からネーションビルディングにとって重
ル人から機会を奪わない。それどころか、新鮮な考え、
要な社会的結束の維持に貢献してきた。しかし、1984年
技能、そして気力の流入がシンガポール人のための機会
総選挙後、社会的結束の維持方法は、物質的なものから
をもっと創り出している」と述べ、外国人労働者受け入
精神的なものへ変質してきた。その具体例がボランティ
れの経済的利点を強調している80)。このように、経済開
アリズムの促進や政府側からの「市民社会」概念の提唱
発と政府政策は密接な関係を保っている。さらに重要な
である。しかし「市民社会」という民主的コンセプトの
ことは開発体制の根幹を成し、投資を招きやすい環境を
登場にもかかわらず、「開発体制」の根幹は揺らぐ気配
整える労使関係関連法には全く変化の見通しがないとい
が見えない。はたして、「市民社会」という民主的なコ
うことである。第2に、開発体制の政治面がほとんど変
ンセプトは「開発体制」下の社会的結束という役割だけ
化してないということである。PAPの事実上の一党支配
で終わるのだろうか。今後は、シンガポールにおけるゴ
は揺らがず、抑圧的体制を支えてきている国内治安法、
ー政権が登場して以来その論議が活発になってきた「市
団体法に改正または廃止の動きはない。最も重要なのは、
民社会」に関しての研究が望まれる。
ゴー首相のもとで進めてきた政治改革にもかかわらず、
つい最近のシンガポール・プレス・ホールディングズに
よる調査によると、政府の政策に同意しない10人のシン
注
ガポール人のうち9人が何も言わないことを好むという
1)J・リンス「権威主義体制─スペイン」『現代政党論』
E・アラルト、J・リッツネン編 宮沢健訳、(而立書房、
調査結果が出たことである81)。以上のようにシンガポー
1973)、藤原帰一「政府党と在野党:東南アジアにおける政
ルの「開発体制」は、社会的結束の方法の変化にもかか
府党体制」『講座現代アジア3民主化と経済発展』萩原宣之
わらず、変化してないといえよう。
−74−
開発体制における社会的結束の維持(田中)
編(東京大学出版会、1994)岩崎育夫「第1章ASEAN諸国
20)岩崎育夫 上掲書、p.20
の開発体制論」『開発と政治:ASEAN諸国の開発体制』(ア
21)Lee, Kuan Yew., From Third World To First Singapore
Story:1965-2000, Singapore Press Holdings, 2000, p.108
ジア経済研究所、1994)は、ASEAN諸国としてインドネシ
ア、シンガポール、マレーシア、タイ、フィリピンの5カ国
22)Chua, Beng Huat., "State and Society:Ambling towards
を開発体制分析の対象としている。
Greater Balance", Singapore:RE-Engineering Success,
2)Finer, Samuel E., “Stateand Nation-Building in Europe:
Institute of Policy Studies, 1998, p.77
The Role of the Military”, The Formation of National States
23)岩崎育夫 上掲書、p.110
in Western Europe, Charles Tilly ed., Princeton University
24)能力重視による社会を創り出し、早い時期から能力によっ
Press, 1975, pp. 85-86
て子供の進路を決める傾向がある。詳しくは、田村慶子『シ
3)山本信人「第3章国家の政治と国民の政治」『東南アジア
ンガポールの国家建設』(明石書店、2000)pp.166-167参照
政治学』山本信人、高埜健、金子芳樹、中野亜理、板屋大世
25)Chua, Beng -Huat., Communitarian Ideology and Democracy
著(成文堂、1997)p.123
in Singapore, Routledge, 1995, pp.61-68
4)山本信人 同書、p.125
26)Gopinathan, S., "Education and Development", Education
5)この‘social cohesion’というタームが頻繁に政府指導者
in Singapore A Book of Readings, Jason Tan, S.Gopinathan
の演説、コメント等に出だしたのは90年代からと見られるが、
& Ho Wah Kam eds, Prentice Hall, 1997, p.38
これ以前にも若い独立国家であったシンガポールには国民の
27)Wee, Vviene, Tay Kay Hoon & Chan Tse Chueen, "The
団結を政治指導者が求めることはあったし、そういう状況に
Fewer Childern and Family Policy", Kitakyushu Forum on
あった。
Asian Women ed, The Influences of Economic Development
6)J・リンス「第4章権威主義体制」『全体主義体制と権威
upon Women and Families, 1996, pp.145-46
主義体制』高橋進監訳(法律文化社、1995)、pp.230-231
田村慶子 上
掲書、p.220
7)藤原帰一 上掲書、p.232
28)Lee, Kuan Yew., From Third World To First Singapore
Story:1965-2000, Singapore Press Holdings, 2000, p.159
8)藤原帰一 同書、p.245
9)藤原帰一 同書、pp.245-246
29)Ibid., p.160
10)藤原帰一 同書、p.246
30)Ibid., p.24-25
11)藤原帰一 同書、p.250
31)岩崎育夫『リー・クアンユー:西洋とアジアの間で』岩崎
12)岩崎育夫は「第1章ASEAN諸国の開発体制論」『開発と政
育夫著(岩波書店、1996)p.140
治:ASEAN諸国の開発体制』(アジア経済研究所、1994)で
32)Lee, Kuan Yew., From Third World To First Singapore
Story:1965-2000, Singapore Press Holdings, 2000, p.172
ASEAN諸国を対象とした「開発体制」を提案したが、近年
「開発体制の起源・構造・変容:東・東南アジアを中心に」
『20世紀システム4:開発主義』東京大学社会科学研究所編
上掲書、p.344
(1998、東京出版会)、「開発主義と労働を政治学の立場から
みる」『日本労働研究雑誌』No.469(August
33)リー・クアンユー「21政治、経済、安全及び国家の将来」
34)Vasil, Raj., "Creating a democracy that works", Governing
1999)で東南
Singapore:A history of national development and democracy,
アジアだけでなく、韓国、台湾を含めた「開発体制」を考案
Allen & Unwin, 2000, p.48
した。しかし、筆者はシンガポールにもっと密接に関連して
35)Lee, Kuan Yew., From Third World To First Singapore
いる体制として、ASEAN型の開発体制(アジア経済研究所、
1994)を本稿で分析対象としている。
Story:1965-2000, Singapore Press Holdings, 2000, p.116
36)Ibid., p.117
13)岩崎育夫 上掲書、p.8
37)ゴー ケンスイはPAP第1世代指導者のひとりである。
14)リー クアンユー「18政治・経済近代化の実行」1968年9
38)Lee, Kuan Yew., From Third World To First Singapore
Story:1965-2000, Singapore Press Holdings, 2000, p.117
月23日『シンガポールの哲学(上):リー・クアンユー首相
演説集』黄彬華・呉俊剛編 田中恭子訳(井村事業文化社、
39)Ibid., p.128
1988)p.304
40)Cotton, James.,“Political innovation in Singapore:the
15)Lee, Kuan Yew., From Third World To First Singapore
presidency, the leadership and the party", Singapore Changes
Story:1965-2000, Singapore Press Holdings, 2000, p.66
Guard:Social, Political and Economic Directions in the 1990s,
16)Ibid., p.49
Garry Rodan ed., Longman Cheshire, 1993, pp.5-6
17)Chua, Beng Huat., Communitarian Ideology and Democracy
41)Goh, Chok Tong., "A New Dialogue With The People", A Bi-
in Singapore, Routledge, 1995, p.59
Monthly Selection of Ministerial Speeches, vol.9 no.1, p.15
18)山本信人 上掲書、p.126
42)Ibid., pp.15-16
19)山本信人 同書、p.123
43)"Singapore’
s 'yuppies' who may vote against the PAP", 24
−75−
政策科学8−2,Feb. 2001
63)Ching, Leong, "Have CDCs succeeded in bonding
October 1984, Strait, Times
Singaporeans?", 22 August 1998, Straits Times
44)コミュニティー センターは1946年にイギリス植民地省に
よって世界各地の植民地に設置され、住民の啓発や教育を始
64)Keynote Address by Mr Abdullah Tarmugi for Community
めた。やがて、PAPがセンターを掌握し、PAPの宣伝に利用
Development, at the Opening of the IPS-NCSS=MCD Workshop
されると同時に地域住民に社会、文化、娯楽活動を提供する
on Volunteerism, Monday 2 Nov 1998, Singapore Government
ことになった。田村慶子 上掲書、pp.176-177
Press Release, http://www.gov.sg/sprinter/
65)Ibid.
45)Goh, Chok Tong, "Challenges of Rising Expectations", A Bi-
66)Singapore 21 Together , We Make The Difference, Singapore
Monthly Selection of Ministerial Speeches, vol.9 no4 July
21 Committee c/o Prime Miniter's Office (Public Service
/Aug 1985, p.38
Division) 1999, p.23
46)Ibid., p.38
47)Ibid., p.39
67)Ibid, p.28
48)"A New Consensus, A New Goal", 26 February 1985, Straits
68)Ibid, p.38
Times
69)Ibid, p.47
49)Ibid.
70)Ibid, p.55
50)"Our Shared Values", In Search of Singapore's National
71)Speech by Prime Minister Goh Chok Tong at the launch
of Singapore 21 Vision,
Values, Jon S.T. Quah , Institute of Policy Studies, 1999, p.121.
1991年1月に国会に「共有の価値観白書」"White Paper on
http://www.Singapore21.org.sg/menu_resources.html
Shared Values" として提出された時は、第3の「コミュニテ
72)Summary of the Deliberations of the Subject Committee
ィーの扶助と個人の尊重」は「個人へのコミュニティーの扶
on "Internationalisation/Regionalisation vs Singapore As
助と個人の尊重」(Regard and community support for the
Home", Submitted to Singapore 21 Committee 1999, p.17
individual)と名付けられたが、後に上記のように「コミュ
73)Ibid., 1999, p.18
ニティーの扶助と個人の尊重」に、第4の「対立ではなくコ
74)Speech by Prime Minister Goh Chok Tong at the launch
of Singapore 21 Vision,
ンセンサスを」は「論争よりコンセンサス」(Consensus
のち
instead of contention)から後に上記のように「対立ではな
http://www.Singapore21.org.sg/menu_resources.html
くコンセンサスを」にそれぞれ変更された。
75)Yeo, George Yong Boon, "Civic Society-between the family
51)Ibid., p.106
and the state", A Bi-Monthly Selection of Ministerial
52)Ibid., p.107
Speeches, (May-June) 1991, p.80
53)田村慶子 上掲書、p.259
76)Ibid., pp79-80
54)Chua, Beng Huat, "Political Space:Has it shrunk since the
77)Goh, Chok Tong, "Singapore 21:A New Vision for a New
60s?" in Space, Spaces and Spacing, pp.21-22
Era", 5 July 1997,
55)Hussin, Mutalib, "Singapore’
s 1991 General Election", in
http://www.Singapore21.org.sg/menu_resources.html
Southeast Asian Affairs 1992, Institute of Southeast Asian
78)Speech by Prime Minister Goh Chok Tong at the launch
Studies, 1991, p.302
of the Speak Good English Movement 29 April 2000, Singapore
56)『ネクストラップ:2000年のシンガポール』(シンガポー
Government Press Release, http://www.gov.sg/sprinter/
ル政府、1991)日本語出版 シンガポール経済開発庁
79)Ibid.
p.128
80)Goh, Chok Tong, National Day Rally Speech 1997 ,
57)同書、p.119-123
http://www.gov.sg/sprinter/
58)Henson Berta, "Good sense to keep providing amenities for
81)Leong ,Weng Kam, "The silent majority", 15 August 2000,
lower-income group", 2 October 1993, Straits Times
Straits Times
59)"Government and Politics", in Singapore:A Developmental
State, Martin Perry, Lily Kong & Brenda Yeoh, John Wiley &
Sons, 1997, p.80
60)Wan, Hui Ling, "PM to the well-off:Back govt to help lowerincome", 12 May 1996, Straits Times
61)Goh, Chok Tong, "Community Development Councils:Building
a Cohesive and Compassionate Community", A Bi-Monthly
Selection of Ministerial Speeches, p.9
62)Ibid., p9
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