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カフカの制品に『巣加 (Der Bau) ー) とい う

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カフカの制品に『巣加 (Der Bau) ー) とい う
九頭見和夫:カフカの『巣穴』試論
5フ
カフカの『巣穴』試論
九頭見 和
1
カフカの晩年の作品に『巣穴』(Der Bau)1)という
夫
のカフカとの間には明白な相違がある。それ故,
たとえDoraとの共同生活による精神的な高揚が
あったとしても,r巣穴』規模の作品を一夜で書
を目前にした1923年から1924年にかけてベルリー
ンで書かれたという(349)。当時カフカは,肉体
きあげることは,Binderの指摘をまつまでもなく,
不可能と判断するのが一般的であろう。仕事でベ
ルリーンに行くたびに新居を訪れたBrodは,以下
の如く報告している。「かれ(=カフカ)は楽し
的にはすでに末期的症状を呈していた結核との戦
そうに仕事をしていた。わたしに『小さな女』
いで苦しい状態におかれていたが,精神的には初
めて得た独立生活の喜びによって充実していた。
を書いていて,その中から同じ様にいくつかの部
わずか半年間ではあったが,このベルリーンでの
分を朗読してくれた」4)いずれにせよ,カフカ本
生活は,カフカの創作意欲を高揚させ,『巣穴』
活者であったDoraがこの作品の成立について,
人による詳細な解説のあるr判決』の場合と異
なり,この作品には残念ながらカフカ本人によ
る説明はなく,正確な判断を下すことは困難で
より具体的で興味深い証言を残している。 「カフ
ある。
すぐれた動物を扱った物語がある。この作品は,カ
フカ全集の編者であるBrodによれば,カフカが死
を含め多くの作品を産出させた。この時の共同生
(Eine kleine Frau)を朗読してくれた。r巣穴』
カの晩年の物語の一つ,r巣穴』は一夜で書かれ
た。それは冬であった。かれは夕方早く始めて,
皿
朝方終った。それからかれは再びその仕事を続け
た司2}この証言は,常識的判断を下せば,カフカの
この作品に関して,睡気を催すがおもしろい,
最も身近かな人の証言であるが故に信憑性が高
いと推測される。例えば,r巣穴』と同規模の
という人が多い。一見矛盾するこの表現が,比較
作品,r判決』(Das Urteil)をカフカは一夜で書
的抵抗なく受け入れられるのもこの作品の不思議
なところである。その理由としてはいくつか考え
きあげている。しかし,BinderはDoraの証言に
納得せずその証言が誤解に基づいていることを指
摘する。r印刷された最初の25ページ(197ペー
ジまで……〉ここでいつまでも深い眠りの中にと
もぐらか穴熊かそういった類の動物による不安の
告白に終始する一見単調な,しかし不気味な物語
どまる。〈)の部分は,一つの作業工程(Arbeits−
常に漠然とした不安に悩まされていたカフカの姿
gang)で成立した。・・一22ページの長さのその
後の部分はまだ全く計画されていなかった。……
れるからなのか。具体的な理由解明の手がかりとし
られるが,例えば,この作品が,「わたし」という,
であるからなのか。あるいは,「わたし」の背後に
を予測できる「自伝的な物語」5)(Binder)と推測さ
カフカの健康状態は非常に悪く,大きな規模の創
作はありそうにもない司3)このBinderの解説に従
えば,r一夜で書かれた」,「再びその仕事を続け
する。「今彼の讀んでみるのは,フランツ・カフカとい
た」というDoraの表現の矛盾は解消する。さらに,
ふ男の解」といふ小説である。小説とはいった
最も重要なカフカの健康状態の件であるが,r判
決』を一夜で書きあげた1912年当時の比較的健康
状態に恵まれたカフカと,1917年の喀血以来肺結
核が進行し肉体の衰弱が目立っていた1923年当時
が,しかし,何といふ奇妙な小説であらう。其の
主人公の俺といふのが,もぐらか,いたちかとにか
て,作品の内容紹介をも兼ねて,中島敦の『狼疾記』
とカフカ全集に付されたBrodの解説とを以下に引用
くさういふ類のものには違ひないが,それが結局
最後迄明らかにされてはみない。その俺が地下に,
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福島大学教育学部論集35号
あな
1983−12
ありったけの智能を絞って自己の棲虚一害を管む。
想像され得る限りのあらゆる敵や災害に射して細
述した中島敦の言葉を引用すれば, 「想像され
得る限りのあらゆる敵や災害に封して細心周到
心周到な注意が佛はれ安全が計られるのだが,し
な注意が彿はれ安全が計られ」ている。例えば,
かもなほ常に小心翼々として防備の不完全を惧れ
ていなければならない。殊に俺を取り園む大きな
巣穴にいたる本来の入口(出口)は,上げさげ
可能な苔の層におおわれ,へんぴな場所に設置
されている。他にもこの動物を外界と結びつけ
るごく狭い,かなり安全な通路がいくつか存在
する。巣穴の中は非常に広大で,入口から巣穴の
奥深く侵入するためには,迷路のような通路を突
「未知」の恐ろしさと,その前に立つ時の俺自身の無
力さとが,俺を絶えざる脅迫観念に陥らせる。…一…
殆ど宿命論的な恐怖に俺は追込まれている。熱病
あな
患者を襲う夢魔のようなものが,この害に棲む小
動物の恐怖不安を通して,もやもやと漂ってみる。
破せねばならない。巣穴の中央には,城の本丸に
此の作者は何時もこんな奇体な小説ばかり書く。
相当する中央広場があり,全ての食糧が保存され
讀んでいくうちに,夢の中で正髄の判らないもの
のために脅されてみるような気持がどうしても附
ている。他にも小さな広場が無数にある。特にすば
きまとってくるのである。』6)
らしいのは,静けさである。さらにこの動物は万
一の危険を回避するため,「わたしの家のいちばん
Brodは以下の如く解説する。 「言葉の多くは,
奥の部分で生活しているd(174)列挙された事実
(カフカの)毎日の会話においても使用されていた。
から判断する限りでは,不安の入りこむ余地など全
(たとえば,動物とは,苦しい咳のことである。
く存在しないと思われる。しかし,盲点は予想し
カフカは,1924年6月3日肺結核で死亡した。)
ない所に潜んでいることが多い。長所と確信して
この仕事は,完成していた。保存され残っている
枚数にあともうすこしあれば,(敵の)動物との決
いたものが,視点をかえてみると短所に変化する
ことはよくあることである。 「わたし」の安全の
定的な戦いを直接待ちのぞんで敷かれた緊迫した
戦闘態勢は終結し,この戦いの中で主人公は敗北
することになっていた。(これらの説明は,あと
に残された故人の伴侶ドーラ・ディマントの親切
は,作品解釈上重要な点が多々示唆されている
が,直接ここで言及することはさけ,論理の展開
ための出入口は,同時に敵の侵入口にもなり,場
合によっては「わたし」の命取りにもなりかねな
い。敵をまどわすための迷路のような通路は,同
時に「わたし』自身の迅速な行動をもさまたげる。
食糧の一個所集中は,管理上便利でも敵の襲撃を
受けた場合全ての食糧を失う危険をはらんでい
る。生活の中心である奥の部屋は,敵の侵入に対
の中で触れる予定である。
する対応を遅らせる恐れがある。一般論として,
な報告のおかげである。)』(349)この両者の解説に
まず『巣穴』の動物の不安分析のため,作品を
二つの部分に分け考察する。すなわちBinderが
「一夜で書かれた」と推測した197ページ(「わたし
はここでいつまでも深い眠りの中にとどまるd)
までの部分とそれ以後の部分とに。「深い眠り」を
境に「わたし」の内面に明瞭な変化が認められ,
不安の質を異にすると判断されるからである。
「深い眠りの中にとどまる」前の「わたし」の
不安は模然としたもので,巣穴の内部にいても外
静かな場所で孤立した生活を続けると,外界の物
音に対して必要以上に過敏になり,正常な反応が
できにくくなることが多い。以上のことをこの動
物自身十分承知しており,まさにそれ故に強い不
安感を抱くのであろう。
不安は巣穴の外にあっても変わらず,「わたし
は本当の意味で青空の下にいるわけではない。」
(184)とこの動物は告白する。それ故, 「計画
部にいても,常にこの漠然とした不安が「わたし」
どおりに冷静に猟をし」(184),わたしの家の
入口をいく日もいく夜も』(185)監視する。し
を苦しめる。「わたしの生活は,その頂点にある
かし, 「外から見守っている安全など,いったい
現在ですら,一時間と冷静ではいられない司(173)
どのような安全であろうか。』(187)とこの動物
の姿勢は例によって懐疑的である。破壊者が入口
とこの動物は告白する。この不安は何に起因す
るのか。身の安全を保持する上で巣穴の構造に
何か致命的な欠陥が存在するのだろうか。 「わ
の前を「ただ通りすぎていくのは,家の主人が内
部にいないことを知っているからだ」(187)と
たしは巣穴を作りあげた。うまくできたようだ。」
その理由を述べる。戸外での生活に終止符をうち,
(173)と本人が告白しているように,巣穴は前
再び巣穴に降りていく事もこの動物にとって難事
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九頭見和夫:カフカの『巣穴』試論
業である。ひょっとして「わたし」のあとを追って
くるものがあるかもしれない。それ故この動物は
敵がいる。……それは土の中にすむ生物である。」
(175)これらの自己告白が示す脅迫観念は,他ならぬ
自分のかわりに監視所に立ってくれる信頼できる
この動物の内面にこそ不安の原因が潜んでいること
相棒を待望する。しかし,ここでもこの動物の懐
疑的姿勢が頭をもちあげる。安全保持のための相
を示唆しているのではなかろうか。しかし,かれは
棒が,結果的には「わたし」一人のための巣穴の秘密
を知り,「わたし」の安全をうばうことになるかもし
同嘲こ以下の自己弁護も忘れない。「わたしは臆病者
ではないし,臆病からだけで巣穴を作ってるのでは
ないd(173)かりに医学的立場から判断すれば,不
れない。この動物にとって,「信用できるのは,
安に支配されたこの動物の意識状態は,明らかに精
自分と巣穴だけ」(191)なのである。「巣穴の
内部から,すなわち別の世界から外のだれかを完
神病の一種であろう。理由説明のためにこの動物
全に信用するのは,不可能である。』(191)とこ
の動物は告白する。従って巣穴に降りていく方法
はただひとつ,巣穴の中から外へ出た場合と同様,
にあらわれた現象のすべてを列挙するつもりはな
いが,特に指摘すれば,巣穴に対する異常な執着
である。この動物は告白する。「この城(=巣穴)
は全くわたしのもの」(193),「本丸(Burgplatz)
自力本願しかない。それも,疲労のあまりものを
よ。・・一おまえたちはわたしの一部であり,
考える力もないひどい状態,いわば無意識状態で
しか巣穴に戻ることができない。一時的にせよ,自
わたしはおまえたちの一部である。」(197)見え
ない敵に不安を抱き, 「信用できるのは,自分と
己を喪失した者からは不安もまた消え去るのであろ
巣穴だけ」(191)と告白するこの孤独な動物。
う。いわば夢遊病者の如き行動がこの動物には必
巣穴に注ぐ異常な愛もこの動物にとっては必然
性のある行為なのであろう。Sokelはこの動物
要なのである。 「自分の巣穴の前に立つ動物の意
識は,一見目覚めているかにみえるが,たんなる
睡眠にすぎないd7〕
の意識を以下の如く分析する。 「動物はナルシシ
Emrichは以上のように動物の状態を解説する。
ところが,奇妙なことに巣穴に足を踏み入れた瞬
間,この動物は,「まるで長い深い眠りから目を
さましたかのよう」(195)な状態になる。帰還
直後のこの動物にとって巣穴は,いわば「新しい
力をあたえる新しい世界」(195)なのである。し
穴の,’部屋,通路,広場に対してまるでかれらが生
かし,現実には巣穴の中はかれが出ていく前と何ら
ズム的愛をもって巣穴を愛するd8),r動物は,巣
レ う
きているかのよっに話しかける。」, 「巣穴の建設
者は幻想的な非合理主義によって生気を与えられ
ている。」lo)これらのSokelの分析は概ね当を得
ていると思われる。以下においては,これらの事
実をふまえて,覚醒後にこの動物の内面で具体化
した不安について考察する。
状態の変化は認められない。いわば古い世界のまま
である。もちろん敵の侵入した形跡など皆無である。
皿
以上の観察からこの動物の不安源は,巣穴の構造
にあるのではなくむしろ別な個所にあると思われ
る。たしかに巣穴には,前述した如く,自然的条
件から避けることのできない弱点が多いが,それ
とて致命的といえる弱点では決してない。この動
物自身告白している。 「おまえの家は安全であり,
それ自体で完成している。」(184),「巣穴はまだわ
たしのものだ。(巣穴の中へ)一歩踏みだしさえず
れば,わたしは安全なのだ。」(188)
それでは,この動物の不安の感情はどこから発
しているのか。かれが見えない敵の存在を強調す
長く深い眠りから目覚めた時,この動物の不安
は現実化し,かれの存在を脅かす。静けさが最
大の長所であった巣穴の中の動物の耳にどこか
らともなく「シュー」(Zischen)という音が聞こ
えてくる。「常に何らかの敵が侵入し,巣穴と
かれ自身を抹殺するかもしれない」11)(Emrich)
という動物の不安がついに現実化する。不安をい
わば観念的にのみ把握していたかの如き印象を受
けるこの動物にとって,状況のこのような変化は
計算外ではなかったろうか。原因追求の激しさが,
たしよりカの強いやつも多いし.わたしの敵とな
この動物の心の動揺の大きさを如実に反映してい
ると思われる。 「シュー」≧いう騒音を発する場
ると,無数にいる。』(174),「わたしをおびやかす
所を求めて,動物は巣穴の中をやみくもに掘り進
のは,外部の敵だけではない。土の中にもそういう
むが,なぜかその場所に近づくことができない。
る姿勢は普通ではない。 「わたしも年をとる。わ
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福島大学教育学部論集35号
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「どの場所でも全く同じ音」(200),すなわち,
かれの能力がこの動物にはどうしても納得がいか
「規則正しく間をおいて,いつも変わることなく
ない。さらにこの動物は種々の仮説をたてる。
ひょっとして,「自分はよその巣穴にいて,所
有者がいまわたしの方に掘ってくる」(215)の
かぼそい音がする』(198)のである。作業を中
断し,この動物は種々仮説をたて同時にその反論
をも試みる.騒音源が一個所なら,近づけば強ま
り,遠ざかれば弱まるはずである。騒音源が二個
所なら,二つの点から等距離の位置に立った場合
以外は,音に強弱の差があるはずである。小動物
ではないか。ある未知の動物が放浪の旅の途中
わたしの巣穴のそばを通りかかったのではない
のか。それともかれは,わたしの巣穴のそばに自
分の巣穴を作っているのではないのか。しかし,
たちが仕事中に発する音ともみなせる。しかし,
かれはいずれの仮説にも納得することができない。
これまで耳にした小動物たちの音は一時的・断続
的なもので,今回のような継続的なものではない。
長い問継続していたものが急に聞こえだすというこ
相手の動物の発する音がわたしに聞こえるという
ともおかしい。未知の動物たちの大群が移動中な
のか。しかし,いくら土を堀っても,一匹もつか
まらないということは理論上ありえないはずであ
る。
ことは,わたしの発する音も相手に聞こえている
はずである。とすれば,かれといえども気になっ
て仕事中何度も手を休めて耳をすますことになり,
一時的にせよ「シュー』という音は中断するはず
である。これが納得できない理由である。 「シュ
ー」という音を除いて,深い眠りにおちる前と何
種々の考察の後に動物は,「音のする方向に向っ
ら巣穴の状況に変化が認められないこともこの動
て本格的で大きな溝を掘る」(205)ことを思い
物の作業を困難にしていると思われる。 「すべて
つく。 「他にはいかなる可能性も残されていない」
はもとのままであった。」(219)なぜか物語はこ
(206)からである。 「動物には依然として,シ
こで終結している。物語は本当にここで終わるの
ューという音が理解できない。この音に駆りたて
か,それともこの動物の作業がさらに継続し,い
られて,かれは意志に反して自分の巣穴を破壊し
っかめざす目標に到達するのか,決め手となるも
はじめるd12)Emhchはこの動物の行動を以上
の如く分析する。この動物の必死の作業にもかか
わらず,遠くの方から依然として「シュー」とい
のはない。壁の中の「シュー」という音は,ひょ
っとして敵同様,この動物にのみ聞こえる架空の
存在かもしれない。以下においては,「シュー」と
う音が聞こえてくる。ところが,作業の過程でな
いう音を手がかりに,見えない敵の存在を解明し,
んの物音も聞こえない場所が一個所あることに気
不安の本質に迫る予定である。
付く。それは,苔の天井のそば,すなわち,入口
(出口)の近くである。皮肉なことであるが,こ
IV
れまで最も危険と考えられていた場所が今や最も
安全な場所であることが判明する。しかし,r危
険は,以前と同様に,苔の上で様子をうかがって
いる.」(210)この場所の発見も平安をうるため
の根本的解決とはなりえない。依然として,「シ
この動物の執拗な追求にもかかわらず, 「シュ
ュー xという音は,「いたるところで,いつも同
聞こえるというこの音。常識的判断をすれば,神経
じ強さで,さらに昼も夜も規則正しく聞こえる」
過敏なこの動物の錯覚のように思われてならない。
(212)のである。この動物のおかれた状態を
ー」という音の発生源は,少なくとも現存するこ
の物語の中では解明されていない。到るところで,
いつでも同じ強さで,夜・昼関係なく規則正しく
しかし,常識が全てのものをはかる尺度となりえ
Emrichは以下の如く解説する。rこの動物はた
ないことも事実である。
えず安らぎを・深い静けさをえようとのぞみ,
明らかに安らぎを求めて戦っている。しかし,奇
妙なシューという音がたえずかれを驚かせ,静け
Emrichによれば,この動物は,「シュー」と
いう音を,「外部から自分をめがけて侵入する敵
であるという,致命的な錯覚におちいっている。」14)
さを破る。」13}かくしてこの動物の騒音源追求はやむ
という。その理由をEmrichは以下の如く解
ことがないのである。例えば,一匹の大きな動物
説する。 「シュー」という音が,「外敵に基づく
が自分のまわりを猛烈にまわっているのではない
ものとすると,この動物がたえず場所を移動す
か,と考える。しかし,休みなく働き続けられる
るにもかかわらずこの騒音がいつも同じ強さであ
九頭見和夫:カフカの『巣穴』試論
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るということの説明ができないd15)この解説は動物
吸収してしまった。 「シュー」という音に気付
自身が本文中で自己の仮説に対する反論として述
べていたことと一致する。それでは,「シュー」
く以前から外の騒音に慣れているこの動物が,
聞き慣れているが故に何も聞こえないような錯覚
という音は何に起因しているのか。 「いつも同じ
におちいった。それ故,本文中の「何も聞こえ
ように聞こえてくるシューという音は動物自身の
ない」(210)は,聞きなれた音以外には何も聞こ
呼吸に起因している。」16)これがEmrichの結論
えない,の意味に理解すべきではないのか。なぜな
である。自説の根拠としてEmrichは,前述し
たBrodの解説に言及する。すなわち,Brodに
常時耳にしているその他の音に対して鈍感化する
よれば,結核を病むカフカがこの動物と自己の苦
のが一般的だからである。しかし,この仮説に対
しい咳とを同一視していたという。このBrodの
証言に基づき,Emdchは,「シュー』という音
を喉頭結核患者の呼吸音と結びつけたのであろ
しては以下の疑問がわく。一週間にわたる巣穴の
ら,特定の音に対して神経過敏になればなるほど
う。このEmrichの説に従えば,動物の執拗な
外での観察によれば,巣穴の入口近辺の交通は動
物が想像していた以上に激しかったという。とす
れば,巣穴の入口から侵入する騒音の量もかなり
追求にもかかわらず,音の発生源の確認ができな
大きいはずである。 「シュー』という音以外の音
かった理由の説明は容易である。さらに,この物
語をこれ以上延長することは無意味であり,現存
する形で終結するのがこの物語にとって最善に近
いことも理解できる。すなわち,この物語は完成
された作品ということになる。しかし,Emrich
の説を採用した場合気になることが一つある。巣
に対してかりに鈍感になっていたとしても,全く
気付かないと考えるのは不自然であろう.どの仮
穴の中に「シュー」という音が全く聞こえなかっ
呼吸音であるとするならば,なぜこの動物は眠りこ
た場所が一個所あったことである。苔の天井のそ
ば,すなわち,入口(出口)のところである。こ
む以前にはこの音に気がっかなかったのか。深い
のことはどのように解釈すべきなのか。残念な
単なる思いつきであるが,眠りこむ前の巣穴の外
での体験がこの動物を一層神経過敏にし,その結
果それまで全く意識しなかった呼吸音をかれが急
がら本文中にもEmrichの解説にもこのことに
関する説明はない。巣穴の外の様子をうかがうた
いき
説にも説得しうる決定的な根拠はないと思われる。
Emrichの説には,前述の疑問の他にさらにいく
つかの疑問が生じる。例えば,「シュー」という音
がかりにEmrichの言うように,動物自信の発する
眠りにおちる前にも呼吸はしていたはずである。
に意識するようになったのか。あるいは,睡眠中こ
め呼吸をころしたことによるのか。最も危険な場
所で様子をうかがう時,精神集中のため無意識の
の動物の肉体に何らかの異変が生じ,覚醒後この
うちに呼吸をとめることはよくあることだからで
動物の呼吸音が異常に高まったのか。『変身』(Die
ある。しかし,本文中に, 「何時聞きき耳をたて
Verwandlung),『審判』(DerProzeB)をはじめ
カフカの作品においては,なぜか異変に睡眠が関
ても何も聞こえない」(210)とあるので,この
動物が超能力をもつものでない限り,前述の仮説
は論理的に無理である。以下の仮説も可能である。
係してくる。いずれにせよ,「深い眠り」との関係
もまた微妙である.
壁を通して聞こえる「シュー」という音をこの動
物自身が発する呼吸音の反響とみなせば,入口の
「シュー」という音が敵の動物から発せられ
ていると判断することも可能である。前述した
そばではこの反響という現象が起こらなかった,
Brodの解説には,この動物が侵入してくる敵の
動物と決定的な戦いをし敗北をするというDora
すなわち,苔程度のおおいでは反響は起らず,入
口から巣穴の列へ呼吸音がもれでてしまった。し
かし,かりに呼吸音が外部にもれでたとしても,
何時問も全く何も聞こえない,すなわち神経過敏
のこの動物が自己の発する呼吸音に何時問も全く
気付かないという現象がはたして起りうるのか,
の意見も紹介されている。おそらくDoraはこ
の作品に関するカフカの言葉を耳にし,記憶し
ていたのであろう。Doraの意見に従えば,当然
のことながら現存するこの物語『巣穴』は未完と
いうことになる。かりに,完成,未完成という点
という疑問を否定することができない。 それで
からカフカの作品を大別すると,『変身』,『流
は,以下の仮説は可能か。入口を通して侵入して
くる巣穴の外の騒音がこの動物の発する呼吸音を
刑地にて』(Auf der Strafkolonie)をはじめカ
フカ自身の手によって公刊された作品が完成,
62
福島大学教育学部論集35号
またはほぼ完成に近い作品であるのに対し,カ
フカ死後公刊された作品,例えば,『城』(Das
SchloB),『審判』などほとんど大多数の作品
は,未完の形で終結している。『巣穴』は後者
に属している。しかし,このような表面的な事実
のみで『巣穴』を未完の作品と結論づける意図は
1983−12
明する予定である。カフカはこの作品で何を主張
しようとしたのか,この答えもまたおのずから明
らかになるのではなかろうか。
V
ない。Emrichは,DOmがカフカの言葉を誤解
「晩年の自伝的な物語』というBinderの言葉
して, 「敵を単純に現実の経験的な敵」1ηとみ
なしたのではないかと推測する。 「敵はこの動
物自身の中にしか存在しえない」18〕とEmrichは
をまつまでもなく,この作品が,カフカの生涯
を強く反映したものであることは,多くのカフ
カ研究者が指摘していることである。Binderに
自説をくりかえす。たしかに,カフカの作品に登場す
よれば,「地下の穴の中にひとり生きる森の動物につ
る主人公,例えば,『審判』のKや畔ll決』のゲオルク
いての紹介が,カフカの生涯についてしるしたいく
など,を悲劇的結末に導く存在を解明する場合など,
つかの証拠物の中に,自己の存在形式のための一つ
「現実の経験的な』感覚では処理できないことが
の像としてのせられているd19という。例えば,
Sokelは,カフカがBrodにあてた1922年の手紙の
ほとんどである。ところで,カフカとの関係は別
の機会に触れることにして,作品中最大の疑問点
である,動物がたえず場所を移動するにもかかわら
一部(「生きるために必要なのは,自己享楽を放
棄することだけです。家を賛美したり花輪で飾っ
らず,「シュー」という音が常に同じ音量を保ってい
たりしないで,家に入ることです。」(B.385)が
るという事実を,あえて無理を承知で問えば,Dora
『巣穴』執筆の契機であると述べている。20)他にも
は,Brodは,どのように説明するつもりなの
か・Doraの説明にあるような「現実の経験的な
『巣穴』の内容を暗示していると推測される手紙
敵』の存在をかりに可能ならしめるためには,
少なくとも以下の条件が必要であろう二敵は複数
等がいくつかある。以下に引用する。 「今わたし
は走りまわったり,石になったようにすわったり
しています。ちょうど絶望した動物が巣穴の中で
でかつ有能であらねばならない。かりに敵を単
独と仮定すると,敵は全く他の助けなしにこの
動物の移動に合わせて常時等距離を保って行動
せねばならないことになる。常時等距離を保っ
そのようにせずにいられないように。いたるとこ
ろに敵がいるんです。」(B.390),「わたし,森
て行動することは,理論的にはともかく,現実に
たしにとって最良の生活方法は,筆記用具とラン
の動物は,当時ほとんど森にいないで,どこかあ
るきたない穴の中にいました。」(M.223), 「わ
は不可能に近い難事である。かりにこの行動が可
プを持って,広く大きな隔離された地下室の最も
能な場合でも,行動半径が広いだけに,敵は何ら
奥の部屋にいることです。」(F.250),「なぜわ
かの形で自己の行動の痕跡を巣穴の中に残す可能
性が大きい。反対に複数で分担して行動すれば,
たしは,あなたが恐れる動物のように,森の地
面の上で身体をくねらせるのでしょう。……で
各自の行動半径は狭くてすみ,痕跡を残す可能性
も,わたしは魔法をかけられた王子ではありませ
は少ない。以上のことから,絶えず移動する相
ん。魔法をかけられた王子がそのようないやら
しいものの中に隠されることがよくあるのです
手に常時等距離を保って行動するという難事を痕
跡を残さず実行するためには,相手と同等または
それ以上の能力を有する良く訓練された複数の敵
が行動にあたらねばならないことになるのである。
が。』(F.381),「またわたしは静かな住いの中
にすわり,あらたに穴を掘ろうと試みましたd
以上動物の不安源である「シュー」という音の解
(F.626), 「わたしの課題はさしあたりどこか
の穴にもぐりこみ,わたし自身を検査することで
明を種々試みてきたが,残念ながら説得力のある答
す。……わたしが穴からでてくる,とにかくでて
えは得られなかった。「シュー」はこの動物自身の発す
くるときに始めて,わたしはあなたに対してある
権利を持つのです。』(F.647),「わたしは寝つ
る呼吸音なのか。それとも,見えない敵の発する音
なのか。これ以上この作品のみを分析しても求める
きはいいが,一時間もすると,まるで間違った穴
答えは得られないと思われる。以下においては,前
へ頭を入れていたかのように目をさます。」(T.73)
述の疑問点を作者カフカ自身の生涯と関連させ解
ここで,引用文の順序に従って若干の解説を試み
九頭見和夫ニカフカの『巣穴』試論
る。大学時代からカフカを支えた生涯の友Brod
にあてた1922年の手紙。1920年から1922年までの
63
の巣穴の生活をカフカは以下の如く告白する。
「たえず額を震わせながらもわたしは書きたい。
2年間愛を傾けたMilenaへの手紙。1912年に
わたしは,自分の部屋,すなわちこの家全体の騒
知り合い,1917年に決定的破局をむかえるまでの
消したFeliceへの4通の手紙。 「労働者災害保
音の司令部,にすわっている。わたしは,すべて
のドアがバタンと閉まるのを耳にするが,この物
音によってわたしはドアとドアの間を走っている
険局」の仕事と創作活動の間であれかこれか苦悩
人の足音だけは聞かずにすむ。」(T.141), 「わ
し,弧独の中で不眠症におちいっていた1911年
の日記。ここにはカフカの生涯の縮図がある。
しかし,これらの手紙等が,Sokelが『巣穴』執
筆の契機とみなしたBrodあての手紙をも含め,
『巣穴』執筆と直接的な関係を有していると短
絡的に断言するつもりはもちろんない。表現の
表面的な類似だけで『巣穴』との関係を断定す
ることは,やや説得力に欠けると思われる。し
かしそうではあっても,カフカの生涯をふりか
が家に。わたしは両親のもとに住んでいます。そ
すそのとりことなる避難所にすぎないのですd21}
えってみる時,これらの手紙等と,作品『巣穴』
ほとんど救いがたいものとなる。 「ひょっとした
とが,何らかの関係を有することもまた否定で
きないのである。『巣穴』執筆時にはベルリー
ら他の書き方もあるだろうが,わたしはこの書き
方しかしらない。夜中,不安がわたしをねむらせ
ない時,わたしはこのことしかできない。そして
その悪魔的なところが,わたしには非常に明白な
5年間,二度婚約をかわし,そのつど婚約を解
ンに移住していたとはいえ,生涯のほとんどをプ
ラハの父のもとですごしたカフカの孤独な姿と,
れだけのことです。たしかにわたしは自分の小さ
な部屋をもっています,しかしそれはふるさとで
はなくて,わたしの内面の不安をかくし,ますま
肺結核による喀血,Feliceとの別離,父親との
対立,Milenaとの別離。カフカをとりまく周囲
の状況は次第に悪化し,特に,もう一つの巣穴
ベルリーンへ移る前年1922年のカフカの状態は,
巣穴の中で見えない敵に不安を抱く動物の姿がな
ように思われる。」(B.384),「この孤独はどこへ
ぜか重なり合うのである。なぜなのか,理由解明
の手がかりとして,まずカフカ自身が生活した家
通じるのか? ほとんど強制的にみえるのだが,
(=巣穴)について考察してみたい。
カフカの主な巣穴(二家)は,二個所である。
それは狂気に通じているのかもしれないd(T.
552)これらの手紙等が示す1922年のカフカの状態
は,深い眠りにおちる前の巣穴の動物の状態に似
ていると思われる。かりにこの推測が可能であれ
一つは,プラハの父の家であり,もう一つは,
Doraと暮したベルリーンの借家である。プラハ
の家にはカフカの他に,両親と三人の妹が住ん
でいて,カフカは,旅行で短期間留守にする以外
はほとんどこの家を離れることはなかった。この
ことは,猟のために巣穴の外に出る以外は生活の
大半を巣穴の中ですごした動物の姿に酷似してい
たDoraとの生活は,巣穴の動物がおちいった深
い眠りということになるであろうか。深い眠りか
ら目覚めた後,「シュー」という音によって巣
穴の動物の不安は現実化し,Doraによれば,
侵入してきた敵に敗北する。一方,ベルリーンの
る。
巣穴を去ったカフカはサナトリウムに移りまもな
ば,もう一つの巣穴,ベルリーンの巣穴ですごし
Brodの書いた伝記等によれば,カフカと家族
く死亡する。しかし,これもまた一方的な推測に
との問にはほとんど精神的な交流はなかったとい
われる。両親が商売で多忙であったこと,三人の
すぎない。
もう一つの巣穴,ベルリーンの借家,での生活
妹が比較的年令が離れていたことなどいくつか理
由はあげられるが,決定的な理由としては,『父
精神的にはかなり充実していたと思われる。以下
への手紙』(Brief an den Vater)等にも明らか
に当時のカフカについて記したBrodの証言等
なように,カフカと父親との世界感の相違があ
げられるであろう。実際に利益をもたらすもの
にしか価値を認めない現実的な父と,書くことが
全てであると考える内向的なカフカとの間に接点
を見いだすことは困難であったと思われる。自己
は,カフカにとって,健康には恵まれなかったが,
を引用する。 「ベルリーンから私にあてた最初の
手紙には,わたしは幸せを感じる,よく眠れる,
とすら書いてあった一助,「わたしはかれらからさ
っと逃げてきた。このベルリーンヘの移住は大が
かりだった。今かれらがわたしをさがしても見つ
64
福島大学教育学部論集35号
1983−12
からない,少なくともここしばらくはねd幻≧「ご
は,自分の職業(「労働者災害保険局」),父の仕
く最近,夜の亡霊たちがわたしをさぐりだしてし
事,創作活動の間で苦悩し自殺を考える。幸い
まったが,これも(プラハに)もどる根拠にはな
らない。かれらに屈服するのなら,向うよりこち
Brodの助けで危機を脱するが,かりにBrodの
らのほうがいい。」(B.451),「わたしの一日は非
常に短い。9時ごろ起きはするが,横になって
いることが多い。」(B.453)カフカは,約半年の
ベルリーンでの生活で巣穴をニカ所変えている。
最初の借家で6週間暮した他は二番目の借家でベ
ルリーンでの生活の大半をすごしている。『巣穴
をはじめ多くの物語が執筆されたのも二番目の借
家である。精神的に充実したこの借家での生活も,
助けがなく絶望的状況におちいったとしても,
カフカの性格を考慮すると,自己の意志で死を選
択することはおそらくなかったと思われる。強い
て主体的行動としてあげれば,ベルリーンでの
Doraとの共同生活である。しかし,この行動も,
酷な見方をすれば,巣穴の動物が巣穴の外から
中へもどる場合と同様,疲労のあまりものを考
えるカもない状態,での行動のように思われる。
結核の進行,父との関係の先鋭化,Milenaと
第一次大戦後の激しいインフレによるのであろうか,
の別離。カフカのおかれた当時の状況から判断し
栄養不良によってカフカの病状は極度に悪化する。
結核は,肺から喉頭に転移し,カフカの声を奪う
て,明らかに正常な意識状態から距離がある。い
ずれにせよ,カフカの主体性のなさは,脱出を望みな
のである。巣穴の動物が耳にした「シュー」という音,
がら,生涯の大半を父の家ですごしたという事実が
『歌姫ヨゼフィーネ,あるいはねずみ族』(Josefine,
十分に証明している。このようなカフカにとって
家は,すでにカフカの告白も引用したが,不安を
die Sangerin,oder das Volk der Mause)の
ねずみ鳴き,が連想される。このことは前にも
述べたが,巣穴の動物が耳にした「シュー」と
根本的に解消してくれるものではなくて,不安を
隠す場所にすぎない。カフカにとって,独立して
家の外へ出ることは,家に留まること以上に不
いう音に対するEmrichの分析が,カフカのこ
の病気に主なる根拠を有していることは明白で
ある。1923年3月,病気の悪化にともないカフ
安を与える.『父への手紙』等でも明白なように,
カは一度プラハの父の家にもどり,それからウイ
対する自信がカフカには全くなかったからである。
ーン近郊のサナトリウムに収容される。Brodの証
言によれば,当時カフカは敗北感を抱いていたと
留まることも不安,外へでることも不安。その
結果,カフカは自己の家にこもり,細心の注意を
独立の基礎となる,結婚,天職(=創作活動)に
いう。
払ってひたすら自己の狭い城を守ることになる。
それでは,カフカにとって家(=巣穴)とは何
であったのか。動物がすごした巣穴の場合と比較
しながら,特に,生涯の大半をすごしたプラハの
父の家の場合を中心にとりあげ,具体的に分析し
巣穴の動物がおかれた状態に酷似していることは
明白である。かれは,巣穴の防禦を完壁化して不
てみたい。すでに述べたが,カフカはこの父の家
による巣穴の構造的欠陥に気付き,前以上の不安
におちいる。人間の行為に絶対がない以上極めて
からの脱出を生涯における最大の目標とみなした。
自己の存在を認めない父親に対する反発ももちろ
安を解消するため,執拗に巣穴の点検を試みる。
まもなくかれは,自然的条件等やむをえない理由
当然の帰結である。 「安らぎを得ようとして,人
んあったが,何よりもカフカ自身の自己の存在の
確認のためであった。就職,結婚,創作活動,病
気。奇妙に聞こえるかもしれないが,カフカにと
って方法は何でもよかった。例えば,Brod等の
証言によれば,結核の発病を示す喀血すらカフ
囲を安全確認の可能なより狭い領域に限定するこ
カは待ち望んでいたふしがある。事実,この喀
とである。しかし,この狭い領域も,より厳密に
血を契機にカフカは,Feliceとの婚約を破棄し,
5年間の関係を解消する。何事によらずカフカは,
自己の意志に基づく主体的解決の方法よりもむし
巣穴を求める結果自己の住む巣穴の領域がますます
間はたえず自分を不安へかりたてている。」鋤と
は,巣穴の動物の行動を分析したEmrichの言葉
である。増大した不安解消の方法としては三つの
ケースが考えられる。第一のケースは,巣穴の範
確認したら安全でないことが判明し,より安全な
ろ他の強制による受動的解決の道を選択するのが
狭くなるということになる。第二のケースは,巣穴
の構造的欠陥は欠陥として認め,前以上の注意を払
常であった。父親が病気で倒れた1912年,カフカ
って不安の解消に努める。この場合,不安源の完
65
九頭見和夫:カフカの『巣穴』試論
全な除去が不可能なため絶対的な安全はもたらさ
ないが,少なくとも不安源の確認は可能なので,
結果として不安感を前よりは緩和可能となる。第
三のケースは,疲労のあまりものを考えるカもな
い状態,不安を不安と感じない状態に自己を置く
から異なってくるはずである。両親,妹たち,
結婚を希望し結局実現しなかった女性たち,勤務
先の同僚,その他もろもろの人たち。人間以外の
て,プラハの父の家でのカフカの生活を分析すると,
要因としては,例えば,結核,不眠症など。これ
らはいずれも外部に求めた場合に予想される主な
答えである。内部に求めれば,他の人が感じない
ものに不安を感じるカフカ自身の意識の問題とい
うことになり,敵はカフカ自身の内面にのみ存在
主に第一のケースが適用可能と思われる。「祈
することになる。 「かれは小心翼々とした良心を
りの形式として書く」(H.348)とはカフカの有
もつ人間であり,芸術家でした。それでかれは,
名な言葉であるが,カフカは書くことにおのれの
カのすべてを集中する。結婚の事実上の断念,父
との関係の悪化,カフカの閉じこもる巣穴は一層
狭くなる.いわば,巣穴の中に巣穴を作るという
この行為もカフカの不安解消に必ずしも決定的な
役割をはたさなかったと思われる。生前公刊した
ごく少数の作品を除き,ほとんど大多数の作品の
他のつんぼたちがもう大丈夫だと思っていたとこ
ろでも,なお注意深くしていたのですd25)とは,
穴に住む動物の不安という特異な設定でカフカは
何を描こうとしたのかを,結果的に解明すること
破棄をBrodに依頼したというカフカの行為が
になると思われるのである。
ことである。すなわち,眠りこむ前の巣穴の動物
の状態にすることである。これらのことをふまえ
Milenaのカフカ評である。カフカの敵とは何
であったのか,以下において,カフカの他の作品
との関係から解明しようと思う。この試みが,巣
この辺の事情を如実に証明していると思われる。
第三のケースを適用することも可能であろう。カ
w
フカのいくつかの転換点,例えば,自殺を考えた
1912年,ベルリーンヘの脱出の前年1922年,のカ
フカの状態はその好例である。いわば,先鋭化し
『ヤヌホとの対話』などでも明白なように,動
た自我を放棄した状態である。たとえそれが,他
人公としたものが多い。 『巣穴』の他に例えば,
物に対して親近感を抱くカフカの作品に動物を主
からの強制に基づく一時的な現象であったとし
『変身』,rアカデミーへのある報告書』(Ein
ても,中島敦の言葉をかりれば,「宿命論的恐怖』
Bericht f荘r eine Akademie),『巨大なもぐら』
からカフカが脱出する方法は他にないと思われ
る。さらにその後に続く,ベルリーンでのDoraと
の生活は,これまでにも述べたが,カフカの不安
(DerRiesenmaulwu㎡), 『ある犬の探究』
(Forschmgen eines Hmdes),『歌姫ヨゼフィ
を根本的に解消するものでは決してない,いわば,
ーネ,あるいはねずみ族』など。島nhchによれ
ば。「カフカの動物たちは人間の中にある自己
苦悩を一時的に中断させた深い眠りと考えるべき
矛盾を表現したものである。』諭,すなわち,「動
である。なぜなら,この生活は,確固とした経済
的保障もなければ,結核に犯されているため健
康の保障もない,最初から短期間の終結が予想さ
れていたからである。いわばこの生活は,砂上の
楼閣であり,覚醒後の動物同様,生活が終了した
物たちは人間の諸問題を生き,かつ省察してい
る」π}という。このEmrichの言葉をかりるまで
後は前よりも一層厳しい状態に追いこまれること
もなく,動物を扱ったカフカの作品は,単なる
動物の生態を描写したものではなく,動物の肉
体をかりたカフカ自身の内面告白である,とい
う解釈が一般的である。前述のEmrichは,『巣
になるのである。
穴』,『ある犬の探究』,『歌姫ヨゼフィーネ,あ
それでは,このようなカフカにとっての敵とは
何を想像すべきなのか。カフカを不安におとし入
に『巣穴』を以下の如く分析する。「『巣穴』で
れ破滅させたもの。より具体的に規定すれば何
か。巣穴の動物の場合同様,具体的規定はある
いは困難であるかもしれない。かりに可能でも,
敵をEmrichの如く内面に求めるか,Doraの如く
外部に求めるかによって具体的な答えはおのず
るいはねずみ族』を同次元の作品とみなし,特
は,カフカのすべての動物存在のテーマが,す
なわち人間の真の自己(Selbst)が,ぎりぎり
のところまで省察され,具象的に形成されてい
る。」圓『巣穴』を論じたものの中で特に孤独の面
を強調しているのが,BrodとKn熔cheである。
66
福島大学教育学部論集35号
「この詩人の作品には,極端な人間疎遠と孤独と
の描写がくりかえし現われる。例えば,動物物語
の全てがそうであり,『巣穴』のもぐらの考えが
そうであるd (Brod)鋤,「芸術家的自我(Ich)
の孤独化がもっとも徹底的に表現されているの
1983−12
することができなかったのか。なぜ動物なのか,
その必然性に対する疑問がカフカの作品を読む時
常にわきおこってくるのである。
以上,巣穴の動物が耳にした「シュー」という
音の解明にはじまって,敵の存在の有無,さらに
は,最後の二つの作品,『巣穴』と『歌姫ヨゼフィ
はカフカがこの作品で何を描こうとしたのかなど,
ーネ,あるいはねずみ族』であるd(Krusche)30)
用していると指摘する31)。たしかに,動物を扱っ
た晩年の作品,『巨大なもぐら』,『ある犬の探
短篇『巣穴』を種々の角度から論じてきたが,い
ずれの問いに対しても説得力のある明快な答えを
提出することは困難である。強いて前記の問いに
対する答えをまとめれば,以下の如くなるであろ
うか。まず「シュー」という騒音であるが,この
究』, 『巣穴』は,主人公に具体的な固有名詞を
音は実際には存在しない幻の音である。すなわち,
使用せず,「わたし」という一人称の人称代名詞
を使用している。このことも,これらの作品が主
人公は動物であるが,カフカ自身の内面告白では
深い眠りから目覚めたばかりで意識がまだはっき
さらに Kmscheは,表現形式の特徴として,
カフカの晩年の作品はほとんどlch−Fomを採
りしない巣穴の動物の錯覚である。理由は三つあ
ないか,と推測させる根拠となるのである。Sokel
る。第一の理由。かりに「シュー」という騒音の
源を巣穴の動物以外の所に求めた場合,「シュー』
は,カフカの後期の作品にあらわれた全ての主要
人物の特徴として,絶対的な闘争意志をあげ,そ
という音が巣穴の動物のたえざる移動にもかかわ
らず,いつでもどこでも同じように聞こえるとい
の行動をドンキフォーテ的愚行と規定する。さ
う事実をどのように説明するのか。第二の理由。
らにSokdは,’『巣穴』が, 『判決』, 『審判』
騒音を巣穴の動物の呼吸音とみなした場合,この
解釈はカフカの喉頭結核との関係で魅力的ではあ
るが,例えば,巣穴の一個所に全く「シュー」と
いう音が聞こえない場所があったという事実はど
『父への手紙』と同じ構成, 「闘争が自我(das
Ich)に強制されたようにみえる』構成であること
を指摘する鋤。父の死刑宣告を受けて水に飛びこ
み自殺をはかるゲオルク(『判決』),不当逮補
の理由解明のため.行動するヨーゼフ・K(『審
判』),受け入れられることのない論理を父に対
のように説明するのか。入口に近い場所とはいえ,
自己の発する呼吸音が全く聞こえないとはどうし
しても納得できない。第三の理由は,カフカ自身
して執拗に展開するカフカ(『父への手紙』),
の生涯との関連である。カフカの生涯をふりかえ
そして,見えない敵を求めて巣穴の中を掘り続け
ってみると,かれの行為の全ては,他者との関係
る動物(『巣穴』)。いずれの場合も,主人公は
というよりはむしろ,純粋にかれ自身の意識の問
激しい闘争意志をもち,その行動は,意図した方
向とは反対の悲劇的結末に終わる,いわばドンキ
フォーテ的愚行である。そして,闘争は,父の死
刑宣告,不当逮補,父など一見外的要因にうなが
されているようであるが,作品を読めば明白なよ
うに,主人公自身の自我のうながしに従ってすす
題に集約できる。例えば,カフカが生涯最大の目
標とした「父の家からの脱出の試み』の失敗も,
められているのである。『巣穴』を,『変身』,
『ある犬の探究』,『歌姫ヨゼフィーネ,あるい
はねずみ族』との関係で論じることも可能である。
いずれの場合も人間と同じ意議をもつ動物が主人
公として登場する。特に『変身』の場合など,主
人公が夢を契機に無気味な虫に変身し周囲を混乱
におとし入れる。外的要因によるのか,内的要因
によるのか。なぜ人間として登場したものが低レ
ベルの動物に変身せねばならないのか。このよう
な無気味な肉体でしかカフカは自己の内面を表現
父や婚約解消した女性が他の人々と比較して特異
な存在であったからではなく,カフカ自身の意識
にその原因の大半が帰せられるのである。さらに
カフカの作品の大半がこのようなカフカ自身の生
涯を強く反映していることから,巣穴の動物の場
合も,カフカ自身の場合同様,被害盲想の意識が
強く,実際には存在しない「シュー」という音が
あたかも存在するかのように感じたのである。従
って敵は存在しない。強いて敵を指摘すれば,実
際に存在しない敵をあたかも存在するかのように
感じ身を滅ぼすこの動物の意識こそが敵である。
これは単なる思いつきであるが,「シュー』とい
う音を巣穴の動物が深い眠りの中でみた夢の一コマ
と解釈することは無理であろうか。『変身』,『審判』
九頭見和夫:カフカの『巣穴』試論
など夢の次元での解釈が可能と判断できる作品が
67
ページ参照
カフカの場合少なくないからである。この解釈の
7) Wilhelm Emrich:Ranz Kafka,Fran㎞rt
可否は別の機会にゆずろうと思う。それでは,カ
フカがこの作品『巣穴』で意図したものは何か。
8) Walter H.Sokel:Franz Ka{ka,Tragik
a,M.(Athenaum)1964,S.176.
「中心になっているのは,たえまなく沈み行き,
自分自身を破壊し,消耗させている世界のまん中
md Ironie,Monchen(Albert Langen)1964,
S.372.
に一軒の家をつくることが,すなわち,あらゆる
抹殺からかれを不死身にするような本丸(Burg−
10) ibid.S.374.
platz)を築くことが可能かどうかという問いであ
11) W・Emrich:Franz Kゑ舳,S.174.
g) ibid.S.373.
るd33〕これはEm㎡chの分析であるが,妥当な結
12) ibid.S.179.
論と思われる。そして,この問いに対する答え
13) ibid,S.182.
は,カフカの他の作品,カフカ自身の生涯などか
ら判断して,当然否定的なものになるであろう。
14) ibid.S.179.
15) ibid.S.180.
16) ibid JS.180.
テクスト
17) ibid.S.180.
18) ibid.S.180.
恥anz Kafka:Gesammelte W壱rke,Besch−
reibung eines Kampfes,h㎎.von Max Brod,
翫ankfurt a.M.(S.Fischer)1954.
このテクストからの引用は,アラビア数字(=ペ
ージ数)のみで示した。なおカフカの他の作品か
らの引用は,以下の略号(=作品名)とアラビア
数字(=ページ数)で示した。
H.=H㏄hzeitsvorbereitungenaufdemLande
B。=Briefe, 丁声Tageb茸cher, F.=B㎡efe
an Felice, M.=Briefe an Milena
19)H.Binder:Ka舐aKo㎜en伽zu
s…血dichen Erz曲lung℃n,S.302.
20) W.H.Soke1:Franz Kafka,S.37L
21) Gustav Janouch:Gesprache mit Kafka,
erweiterte Ausgabe,Frank㎞a.M.
(S.Fischer) 1968,S187.
22) M。Brod:FranzKafka,Eine Bi㎎raphie,
S.240.
23) ibid.S.241.
24) W.Emrich:Franz Kaf㎏S.18Z
25) Klaus Wagenbach:Franz K旦fka,in
註
Selbstzeugnissen und Bi!ddokumenten,Hamburg
(Rowalt)1964,S.144.
1) 。Der Bau“の邦訳名であるが,現在までに
26)
W.Emrich:Franz Kafka,S.140.
出版された翻訳をみると,『家』,『栖』,『構築』,
27)
ibid.S.151.
『建設』,『巣』,『巣穴』等多々あるが,作品の内容
28)
ibid.S.172.
等から判断し,かつ川村二郎氏のr今はふつう
29)
M.Brod:Franz Kafka,EineBiographie,
『巣穴』と訳しています。』
S.118.
(『ユリイカ』1979年2月号,114ページ)を参
30) Dietriche Kn」sche:Kafka und Kafka_
考に,『巣穴』を採用した。
deutung,MUnchen(Wilhe㎞Fink)1974,S.76。
2) Hartmut Binder:Kafka Kommentar zu
31) ibid.S.23.
曲mthchen Erz葦hlungen,M髄nchen IWinklerl
32) W.H.Soke1:Franz Kafka,S.387.
1975,S.301.
33) W.Emrich:Franz Kafka,S.173.
3)ibid.S.302.
4)Max Brod:Franz Kafka,Eine Biographie,
Frankfurt a.M(S.Fischer)1954,S.242.
5)H.Binder:Kafka Kommentar zu samtlichen
Erzah丑ungen, S.302.
6) 中島敦全集 第4巻,文治堂,昭和38年,99
68
福島大学教育学部論集35号
1983−12
Versud1廿ber Kafkas,,Der Bau“
Kazuo Ku㎜i
,,Der Bau“ist eine der groBen Tiere蘭h1ロng㎝aus Kafkas S凶tzeit.Diese Er雄hlmg
ist in Ich−Form geschrieben und beschreibt die Unruhe eines unbekannten Tieres unter
der Erde,wie ein Maulwurf oder ein Dac麺s.Nachdem das Tier durch ein Zischen aus
tiefem Schlaf geweckt wurde,wird sein Gef位hl der Unmhe besonders starL Bei Tag
und Nacht qualt dieses an sich kaum h6rbare Zischen das Tier. B澹zum SchluB ergibt
sich nichちwoher dieses Ge語usch kommt:ein unbe㎞nter Feilld oder die T翫uschung
dieses Tieres.
Uber das Zischen gibt es folgende Interpre惚tionen. Nach 厨kas Lebensgefahrt血
Dora kommt dieses Gerausch von einem unbeka皿ten Feind,dem das Tier sp赴ter
tmterliegen wird.Nach Emrich entspringt das Gerausch dem Atem des Tieres selbst.
Aber zu diesen Interpretationen gibt eg einige Fragen:Bei st溢ndigem Ortsw㏄hsel des
Tieres hat das Ge直usch stets die gleichbleibende Starke.Wie erk磁rt Dora diese
Tatsache?Das ist nur m6ghch,wenn der Feind ein besonderes Tdent haしWie erk㎞
Emrich folgende Tatsache∼A皿 Bau gibt es eine Stdle,wo4as Tieτstundenlang
nichts hδren kann.We皿das Zischen aus dem Atem des Tieres selbst kommt,sollte
es das Tier hbera皿bemerken,falls es nicht gemde sc1」駈t.
Aus dem Obenerwa㎞ten wird nun folgende Auslegung gezogen.Dieses Zischen ist
ein traum1皿ftes Ger溢usch,das auf einer Tauschung des Tieres beruhし Dieses Tier,das
immer das BewuBtsein des starken Verfolgungswa㎞es hat,f岨te sich vielleickt im
get血bten BewuBtsein nach dem tiefen Sch1af,als ob es das Zischen gabe,das in
WirkHchkeit nicht existiert.Kafka,Ve㎡asser dieser Erzahllmg,hatselbstdas Bewu島tsein
des starken Verfolgungswahnes md leidete immer unter dem Gef吐hl der Unruhe,wie
Kafkas,,Brief an den Vater“ klarmacht.Vermutlich spiegelte sich solche Ste11mg
Kafkas auch im Tier im Bau.In diesem Werk stellte Kafka wahrscheihlich die Frage,
ob,,es mδglich ist,mitten in der sich selbst zerst6renden uod aufreibendcn Welt einen
Bau,einen Burgplatz zu schaffen,der ihn gegen alle Vemichtungen feit.“(Emrich)
Aber er hatte selbstvers伽dlich ehe negative Antworし
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