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広報きくち 1978年9月15日 243号 2~3ページ目(PDFファイル)

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広報きくち 1978年9月15日 243号 2~3ページ目(PDFファイル)
﹁熊本県民意識調査﹂のなかの質
とを思い浮べますか﹂
昭和五十二年三月に行われた'
﹁老人ということばから'あな
たは'何歳ぐらいから上の人のこ
が流れた。
ようになってからへかなりの歳月
葉が﹁七十年﹂と事きかえられる
ントにのはった。
と答えた人が全体の四七・四パー
これに対して﹁七十歳から上﹂
前には、ただ老残の身を横たえる
平均寿金は大幅に伸びも三十年
などへ地域社会との交流やおたが
いの親睦融和に'積極果敢な活動
を進め、その組織力と行動力は'
端侃(たんけい)すべからざるも
のがある。
しかし、これらの老人パワIが
ひとたびへそれぞれの家庭のなか
で'さまざまの異なる家庭環境や
境遇に戻ったときへその一人の老
'
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一
・
一
一
一
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ちは'
(五1・七パーセント)
・同居するのがよい。
・親が元気なら別居も親のから
(三三・三パーセント)
だが弱ったら'同居がよい。
と答えている。(前掲調査よ-)
このことは'同じアンケート調
﹁あなたは'老後に子どもから
査の中の
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°
°
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,
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°
.
.
4
°
Lt故郷菊池市でもへその心配な
ました。アメ-カはペンシルヴァ
として'お供話になることになり
上町の茨木由美さん (菊高三年・
は'菊池からの交換学生として'
できること自体、決して一概に否
ゴルフ場ができへ新しい道路が
なるでしょう。住民のエゴが結局
べてクーラーを使い始めたらどう
とてもいいところです。日本科也
菊池市の人びとは大へん親切で
エア州ス-町からやって来ました。
るジャー一-さんとも伸良くしてあ
しています。新しい菊池市民にな
カレッジを訪れへ現在当地で勉強
に八月中旬に'アラスカ州のアン
十八歳)を派遣、茨木さんはすで
に入りました。一年一組
しかし、世界中の国々が自然保
七月までは'片角の田尻
町の岸 病院へ五月から
°
なめ) ではないだろうか。
老人もまた'老人としての座に
しい。現代社会の老人への要諦も
またへここにあるようだ。
ある菊池渓谷を源とする自然林で
しとしません。
て覚えたふるさと
解らぬままに歌っ
や'日本式の生活様式に馴れるま
です。お冊語になってい
を感じながら生きてきましたが'
'
の形でも子どもや身内の者の世話
第一位 心臓疾患
°
示すようにも年をとったら何らか
﹁期待している﹂という答えが
人の五三二パーセントが'
の生活費の援助を期待しています
のなのか、わたしたちはその点を
人の生き甲斐とは'1体どんなも
一
か﹂という問いに'六十歳以上の
'
少し塀り下げて考えてみたい。
i
前述の﹁県民意識調査﹂の中の
設問に
第二位 船血管疾患
﹁老後の健康についてへあなた
が1番心配なことは何でしょうか﹂
甘えるのではなくへ尊い人生の知
よりをどれだけ敬愛しているかが
今後の残された老人間題の要(か
るか'子や孫たちがわが家のとし
老人たちの心の支えになってやれ
に伸びても'社会全体がどれだけ
制度が改善され'平均寿命がいか
老人福祉施設が充実され'年金
にならなければならない不安があ
ることを物語っている。
第四位 高血圧性疾患
O 、 一 l
第三位 悪性新生物(ガンW)
これに対して'六十歳以上の人
第五位 不慮の事故
となっている。
t 一 I t 一 一 l t
という項目がある。
の四〇・八パーセントが
﹁寝たきりになること﹂と答え
だけだった人たちがへいまでは現
役のパ-パ-として、それぞれの
セントへ ﹁六十五歳から上﹂と答
﹁人生わずか五十年﹂という言
問のひとつである。
えた人も含めると七四・1パーセ
老人福祉は﹁物﹂から﹁心﹂の時代へ
、*す政の-ゼ︰
・ち
く
き
戟
広
O
最近の核家族化現象に伴って'
_ 一 ・ 、 一 一 一 T ヽ o ⋮ 1 1 1 一 t
が身の自由が効かな-なることへ
ている。老後の孤独に加えて、わ
老人福祉のための多-の施策が
領域で活屠中である。
りの生活が多くなったのは'ご承
古い世代の人にとっては'子ど
恵を'現代に還元する努力を重ね
老人のひとりぐらしや'老夫婦き
の恐れとむなしさが'老人たちの
生き甲斐を奪ってしまうのだ。
もたち夫婦や孫たちに囲まれて'
的にも肉体的にも大いに若返った
拡充され定着するとともに'精神
おだやかな生活を送-たいと顧う
お目付役としてた-まし-息づい
ている。
知のとおりだ。
太市の﹁老人医療﹂の対象者は
地域や家庭におけるも文字どお-
アンケートは、次いで﹁埜丁申﹂
昭和五十二年度末で'およそ二千
のは無理からぬことである。
人たちが'いい意味での老人パワ
四百名o これらの老人が昨年度1
﹁高血圧﹂﹁ガン﹂と続く。
年間に医療機関で診療を受けた件
活苦にさいなまれる老人が多くな
を許さない。いきおいへ孤独と生
ーの推進力となって'現代社会の
現在へ市内にある単位老人クラ
数は'延べ約三万四千二百件へ一
の暮しかたについて'当の老人た
る。この年老いた親と、子どもと
﹁重鎮﹂としての役割を果してほ
ブは六十l tクラブ員の総数は三
人当り十四へ 二五回になる。
因みにへ本市の昭和五十一年度
における死因別調査では
しかし、現代の社会風潮はそれ
・二六パーセントを占めた。
千五百名をこえる。絵人口のl二
奉仕作業やゲートボール大会へ
●
各老人クラブごとの旅行会や会合
●
﹁アメリカのジャニー・ダイナンです﹂
どうぞよろしく
●
えてなりません。
なにかを訴えかけているように思
現実を見るとき'これが私たちに
●
ですよ﹂と言う人もいます。
が、ほんとうに郷愁だとしても
なぜ郷愁では駄目なのかtと開き
ロータリー交換学生で菊池へ
らぎへ自然への尊敬、自然に包ま
水と緑が私たちに与える心の安
水が豊かで'その水を開いてく
栄さんのところでへそれぞれご厄
直りたくなるのです。
れた生活空間のゆと-'これらを
介にな-ます。
とき
れた先人の恩恵を'隈府の人たち
今こそ真剣に考える秋だと思いま
温床とな-詩が生まれへ心身の鍛
寄宿先の家族の万がたをはじめ
-らい事変した人はなかったと思
す。そんな豊かな環境が、芸術の
て'日本での生活を大いに学び、
市民のみなさんとも仲良しになっ
生活用水であり'自然の宝庫で
いますO
あった築地井手へそして下流の農
す。みなさんも'町でワタシと出
われる歴史の町で
め-'先人の植林ではなかったの
なおへ菊池ロータリークラブで
-o*蝣一一 ⋮ .
大いに楽しんで帰国するつも-で
ワタシのナマ工は、ジャニー・
あったらへ気軽に士だ智かけてくだ
練が行われ、動植物とともに生き
ダイナン。十六歳です。こんど'
さいネ。ド-ゾ'ヨロシク。
る自然の姿こそへ人間の生活だと
日本一豊かな美味しい水を誇っ
菊池ロータ--クラブ (稲継巧会
思います。
しての築地井手は'年輩の住民に
長・会員三九名)のお抱きで'交
地かんがいに果した役割'また消
は永久に忘れることのできない役
た熊本市も'人口五十万を越しへ
換学生として'一年間菊池の市民
火用水として'観光資源の目玉と
﹁鞍岳矢筈の峰
丁 わたしの故郷、
それは日本であり'
本この隈府の町です。
る水道の時間給水を迎えています
名園水前寺公園の渇水を始めとす
あり'物心ついて
の歴史、それが現
住民への天罰となって返ってくる
樹木の伐採へ道路の舗装へその
定することはできません。
しかしながら'人間が生きてゆ
げてください。係からもお願いし
く上に'自然が果す役割を忘れた
どれもが水の資源の大きな仕事を
先進国が'都市と自然との調和
二学期から'菊池高校
ます。
では'ひと苦労でしょうがへ一日
-っていったと信
在のわたしを形づ
らへかえって開発そのものが人間
も早く日本語を覚えて'菊池の人
じています。
子どもの頃の限府は'それこそ
を計っている姿を'テレビで十分
のお宅から'毎日元気に
る松本新吉さん(上町)
奪ってしまうのです。
大都会東京で、住民たちは豪華
ごらん頂きたいと念じながらへ駄
通学しています。十一月、
の生活を脅かすことにならないで
なマンシmンに住みへ最も合理的
文を終ります。
からは'西正観寺の中川
しょうか。
な生活をエンジョイしながらなお
(筆者は'菊池市文化協会長)
菊池の里の自然は泣いている。
と禄に恵まれ、歴史と伝統の重さ
日本列島改造論以来'町の環境も
イカーで貴重なエネルギーを費や
護という形で文明と共存している
晃1さんへ二月から潮水
金と時間を使って自然を求めへ マ
これは時代の変化のせいだ、と
放っておいていいのかなへと最近
若い人のなかには﹁それは郷愁
真剣に考えるようになりました。
しています。
大きく変りました。
文字どおりの山紫水明の地で'水
たちとお友達になりたい。
のではないでしょうか。
隈府の町で'事業所と家庭がす
か、とも。
まる菊池郡歌に志
そびえ--﹂で始
fr
以来も歌の意味も
この水を供給した母は、上流に
目を果して-れたと思います。
己
ニ〒
菊
忙中有感
第 243 号(2)
昭和53年9月15日
(3)昭和53年9月15日 広 報 き く ち 第243号
°
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