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NAOSITE: Nagasaki University's Academic Output SITE
Title
『資本論』から『資本主義論』へ
Author(s)
有賀, 定彦
Citation
経営と経済, 59(4), pp.1-20; 1980
Issue Date
1980-03-01
URL
http://hdl.handle.net/10069/28081
Right
This document is downloaded at: 2017-03-31T05:01:43Z
http://naosite.lb.nagasaki-u.ac.jp
『資本論』から『資本主義論』へ
『資本論』から『資本主義論』へ
有賀定彦
は し が き
マルクスの経済学研究の「プラン」によれば,『資本論』は,マルクスの
問題意識からしても,その目的の一部であって,資本主義を全体として把握
する理論体系を構築するためには,さらに新たな論理の展開が必要となる。
マルクスにとって,それは「経済学批判体系」の構築である。だが,現代に
おいて,資本主義を全体として把握しようとする経済学の構築をめざすなら
ば,その作業は,マルクスが生きていて「経済学批判体系」を書き上げたな
らば,どのようになったであろうか,という視点でとりあげたのでは,十分
ではあるまい。なぜならば,その作業は,マルクスの「経済学批判体系プラ
ン」を手がかりにしながら,しかもマルクス以後現代にいたるまでの資本主
義の生々しい歩みを射程にいれたうえで,資本主義の存立構造と運動とを体
系的に明らかにするという課題になるからである。
このような意味で,私は,資本主義をトータルに把握する「経済学」を
F資本主義論』とよぶ。本稿では,「プラン」や『資本論』で,マルクスが
用いている方法を手がかりに,F資本論』から『資本主義論』への展開の糸
口を考えてみたい。
1 マルクスの「経済学批判体系プラン」
マルクスは,1857年F経済学批判への序説』3「経済学の方法」で「経
済学批判体系」の編別についてつぎのようにのべている。
「区分は明らかに次のようにされなければならない。(1ト般的な抽象的な諸規定。し
たがって,それらは多かれ少なかれすべての社会形態にあてはまるが,しかし以上に説
経営と経済
2
明した意味でそうなのである。 (
2
)フツレジョア社会の内部編成をなしていて基本的な諸階
級がそれに立脚している諸純日。資本,賃労働,土地所有。乙れらのものの相互関係。
都市と農村。三つの大きな社会階級。これらの階級のあいだでの交換。流通,信用制度
(私的 )
0(
3
)
国家の形態でのフ'ルジョア社会の総括。それ自身にたいする関係のなかで考
4
)
生
察されたそれ。「不生産的」諸階級。租税。国債。公信用。人口。植民地。国外移民。 (
産の国際的関係。国際的分業。国際的交換。輸出入。為替相場。 (
5
)t!t界市場と恐慌 1)0
うえにつづく 1
8
5
9年「経済学批判』の「序言」では,簡潔につぎのように
なっている。
「私はフツレジョア経済の体制をこういう順序で,すなわち,資本・土地所有・賃労
働,国家・外国貿易・世界市場という順序で考察する。はじめの三項目では,私は近代
フ.ルジョア社会が分かれている三つの大きな階級の経済的諸生活条件を研究する。その
他の三項目のあいだの関連は一見して明らかである 2)0
J
いわゆる「プラン」問題といわれている「経済学批判体系」についてのマ
ルクスの以上と同様の構想は,マルクスのラサーノレあて(18
5
8年 2月2
2日
,
同年 3月1
1日) ,エンゲ Jレスあて(18
5
8年 4月 2日)や,ワイデマイヤーあ
て(18
5
9年 2月 1日〉の書簡にもみることができる。これらのことからし
て,マルクスの「経済学批判体系」の編別についての椅忽は,資本,土地所
有,賃労働,国家,外国貿易,世界市場と恐慌の順序であったものと思われ
る。この「経済学批判体系フ。ラン」でみるならば,マルクスが経済学の研究
で意図したものは,資本主義をその全体の存立構造と運動において把握せん
とする『資本主義論』ではなかっただろうか。
r
資本」にはじまり「世界市
場と恐慌」で終る体系的に首尾一貫した理論がそれではなかったか。それ
は,資本主義の発生・発展から,実践的綱領である『共産党宣言』で主張さ
れている,世界恐慌という「破局」をつうずる変革の客観的条件の成熟のも
とで全世界のプロレタリアートが主体的条件となって,先進資本主義諸国の
「世界草命」にいたる資本主義の死滅の過程までを,全体として法則的に明
らかにすることではなかったか。
r
プラン」はそういうマルクスの目的意識
のもとにつくられたのであろう。
マノレクスのこの「プラン Jの構想が,その後変更されたかどうかというこ
とは問題のあるところではあるが,必要なことは,マルクスの「プラン」を
J
『資本論』から『資本主義論』へ
3
一言一句動かすことのできないものとしてではなく,これを手がかりに「経
済学批判体系」を,現代までの資本主義の全体としての存立構造と運動を視
野にいれて,構築する乙とであろう o だ が , 乙 の 作 業 を お 乙 な う に あ た っ
て,まず「経済学批判体系」のなかで占める『資本論』の位置づけを明らか
にしておく必要があろう。
5
8年 3月1
1日)
マルクスからフェノレディナント・ラサーノレへの吉:筒(18
「第一分冊はどうしても相対的にまとまったものにならざるをえないだろう。そして
それには全展開の基礎がふくまれているのだから, 5-6ボーゲン以内でそれを仕上げ
るのはむずかしかろう。だが,とのことは最後の仕上げのときになってわかるだろう。
それは次のものをふくむ, (
1
)価値, (
2
)
貨幣, (
3
)
資本一般(資本の生産過程,資本の流通
過程,両者の統一または資本および利潤,利子) 0
J
3)
マルクスからエンゲ‘ jレスへの書簡(18
5
8年 4月 2日)
「
次l
と示すのが第一の部分の簡単な概要だ。全体は 6巻 l
己分ける乙とにしている。 (
1
)
資本について。 (
2
)
土地所有。 (
3
)
賃労働。 (
4
)国家。 (
5
)
国際貿易。 (
6
)
世界市場。
I 資本は 4つの篇に分かれる。 (a)資本一般。(乙れが第一分冊の題材だ。 (b)
競争,すなわち多数資本の対相互行動。
立して一般的な要素として現われる。
(c)信用。乙こでは資本が個々の諸資本に対
(d) 株式資本。最も完成した形態(共産主義に
移るための)であると同時に資本のあらゆる矛盾を具えたものとしてのそれ。資本から
土地所有への移行は同時に歴史的でもある。というのは,土地所有の近代的形態は,封
建的等々の土地所有にたいする資本の作用の産物だからだ。同様に土地所有から賃労働
への移行も,たんに弁証法的であるだけではなく,歴史的でもある。というのは,近代
的土地所有の最後の産物は賃労働の一般的定立であり,次いで賃労働が全体の基礎とし
て現われるのだからだ。
J
4)
マノレクスからヨーゼフ・ワイデマイヤーへの書簡 (
1
8
5
9年 1月2
5日)
「僕は経済学全体を六部に分ける。
資本,土地所有,賃労働,国家,外国貿易,世界市場。
部一部資本については,四つの篇 l
と分かれる。
第一篇,資本一般,は三つの章に分かれる。 (
1
)
商品, (
2
)
貨幣または単純な流通, (
3
)
資
私的」
マルクスのこれらの書簡からしても,
r
資本論』は,マルクスの窓図した
経営と経済
4
r
資本」の項の「資本一般」に当るものとみてよ
い
。 r
競 争 J ,r
信用 J ,r
株式会社」は『資本論』で十分だとは思えない
賃労働」にしても, r
資本論』では「資本一般」の
し,また「土地所有 J,r
解明に必要な範囲で,いわば「土地所有一般 J,r
賃労働一般」とでもいう
べき抽象的な論理次元でのとりあげ方である o したがって
r
資本論 Jは
,
経済学の全体系のなかで
マルクスの問題意識からするならば,その目的の一部であって,資本主義を
全体として把握するためには,さらに新たな論理の展開が必要となる。それ
は,問題意識からするならば,
r
経済学批判体系」の構築にほかならないが,
それを私は,次のような理由から『資本主義論』とよぶのである。すなわ
ち,この作業は,マルクスが生きていて「経済学批判体系」を書き上げたな
らば,どのようになったで、あろうか,という作業ではなく,そのことも念頭
におきながら,つまりマルクスの「経済学批判体系フ。ラン」を手がかりにし
ながら,マルクス以後現在にいたるまでの資本主義の歩みを射程にいれたう
えで,資本主義の存立構造と運動とを体系的に明らかにする作業だからであ
るO
したがって,
r
資本主義論』には,以下の課題がふくまれる o
(
1
) 1
9世紀中葉のマルクス段階, 2
0世紀初頭のレーニン段階,そして現代
を一貫する資本主義の「原型」となり,
r
原型」の「原理」となりうるもの。
(
2
) マルクスが「経済学批判体系プラン」で指摘している「資本」から
「世界市場と恐慌」までを一貫した理論体系として構築すること O
(
3
) 資本主義を全体としてとらえるということから,
r
非資本主義 J,r
歴
史的なもの」をこの理論体系のなかに位置づけること。
(
4
) 資本主義の運動の「必然性」を理論の対象とすること 資本主義の歩
D
みを科学的にとらえるとと。
r
資本論』は
r
資本一般」に位置するとはいえ
r
資本論』の論理
r
資本主義論』に展開しうる「方法」を見出すこと
構成のなかに
(
5
)
D
このような『資本主義論 j の構築をめざすならば,ここで検討しておかね
ばならないのは,いわゆる「宇野理論」の方法論であろう。
『資本論』から『資本主義論』へ
5
注
1
) K
. Marx,E
i
n
l
e
i
t
u
n
gz
u
rK
r
i
t
i
kd
e
rP
o
l
i
t
i
s
c
h
e
nO
k
o
n
o
m
i
e,M.E
.Werke
1
3,s
.639,邦訳『マルクス・エンゲルス全集』第 13巻635ページ。
2) K.Marx,VorwortzurK
r
i
t
i
kd
e
rP
o
l
i
t
i
s
c
h
e
nO
k
o
n
o
m
i
e,W
erke13,s
.7,
邦訳『前掲書J5ページ。
3) B
r
i
e
fv
o
n Marx an F
e
r
d
i
n
a
n
dL
a
s
s
a
l
l
e,1
1
. Marz 1
8
5
8,W
erke29,S
.
5
5
4,邦訳『マルクス・エンゲ jレス全集』第2
9巻 4
3
2ページ。
4) B
r
i
e
fv
o
nMar;
τanEngels,2
.A
p
r
i
l 1858,W
erke29,S
.312,邦訳『前掲
書J246ページ。
5) BriefvonMarxan J
o
s
e
P
h Weydemeyer,1
.F
e
b
r
u
a
r1859,W
erke29,S
.
5
7
2,邦訳『前掲書j 4
4
8ページ。
2
r
宇野理論」の方法論
これまでの伝統的なマルクス経済学にたいして
r
経済学の方法」から無
理があるとして,独自の理論体系をたてるのが「宇野理論」である口原理論
・段階論・現状分析の三段階論がこれである。
商品経済を経済学の対象とし
r
資本家と労働者と土地所有者との三階級
からなる純粋の資本主義社会を想定して,そ乙に資本家的商品経済を支配す
る法則を,その特有なる機構と共に明らかにするわ」のが経済学の原理論で
ある o 乙こから,
r
歴史的なもの Jr
非資本主義」は原理論の対象外とされ,
資本主義の運動から「生成」と「死滅」とがとりのぞかれる。宇野氏はい
う。「マノレクスの場合でも,その社会主義的主張が直接的にあらわれること
になると,理論的にはむしろ体系から逸脱することにならざるをえなかっ
・
第 l巻第 24章(いわゆる原始的蓄積)の第 7節(資本
た。例えば『資本論 J
主義的蓄積の歴史的傾向)に展開されている,いわゆる資本主義崩壊論の如
きは,原理論的に展開され,論証されうることではない。実際また資本主義
の社会主義への転化は,資本主義の経済の原理と無関係とはいえないにして
も,原理的に解明される諸現象のように繰り返してあらわれるものではない
し,また原理論のような抽象的規定ですませるものでもない。実は,この
経営と経済
6
『原始的蓄積 Jの平自身がすでに原理論としての体系の外に出るものであ
る。『資本論」でもそれが第 l治の最後のおの t
i税論の補論としてとかれて
2)
いるということは,その点を示すものといってよい J 0 経済学の原理は,
「完結した体系をもって資本主義社会の基本的経済法則を展開するのであっ
て,それは直ちに資本主義の発生 JDJ を~1-明するも ω でないのと同様に,その
没落期をもその理論の内に,あるいはまたその理論の延長によって,解明す
、
3)
るというものではない」と D そしてさりに,経済学の原理の方法につい
て,つぎのように規定する o
「経済学の原理は,唯物史観 l
という歴史的諸社会はもちろんのこと,資本主義自身の
発生・発展・消滅の歴史的過程をも,いわばその背後に留保しつつ,資本主義社会の
『経済的運動法則』を明らかにするのである。それはかかる歴史的背景のもとに資本主
義社会を自立的な運動をなす一社会として捉示する。したがってまたそれは他の社会か
ら発展したものとしてではなしさらにまた他の社会に転化するものとしてでもなく,
むしろ永久的に同じ運動を繰り返しつつ発展するものであるかの如くにして,その運動
法則を明らかにするのである。
J
4)
伝統的なマルクス経済学が,資本主義の運動法則を,その生成・発展・死
滅のプロセスの法則としてとらえるのにたいし,宇野氏は,資本主義の運動
法則とは, I
純粋資本主義」の「経済的運動法則」であり,しかも乙の法則
たえずくり返す JI己完結的な循環運動として把握するのである o し
を
, I
歴史の必然性」は原理の対象外におかれる o
たがって, I
このような経済学の方法論にもとづ、いて,さきにあげたマルクスの「プラ
ン」について宇野氏は
での総括』も,
「マルクスのいわゆる『ブルジョア社会の国家形態
r
生産の国際的関係』も,純粋の資本主義社会を対象とする
原理論から排除されるとともに段階論の対象となる 5〉」という D 氏 に よ れ
ば
, I
プラン」の「前半体系」の「資本J ,I
土地所有 J ,I
賃労働」は原理
論にふくまれるが
外国貿易 J ,I
世界市場」は
「後半体系」の「国家 J ,I
原理論から除外されるべきであり,それは段階論の対象であるとされる。そ
れでは宇野氏のいう段階論とはなにか。氏はつぎのように説明する。「原理」
が解明されたら次に,この「原理を基準として,資本主義社会の発展過程に
『資本論』から『資本主義論 Jへ
7
おいて種々異った様相をもってあらわれる諸現象を発展段階的に規定された
ものとして解明しなければならない。……資本主義の現実の発展は,一定の
時期までは純粋化の傾向を示しながら常に多かれ少かれ非商品経済的要因に
よって影響され,また一定の発展段階ではこの傾向を阻害する強力なる要因
を発生せしめることになるのであって,現実の諸現象は,原理をもって片付
けえない側面を必ず呈示してくるのである 6)」。したがって,段階論とは,
「商品経済の諸相を,資本主義的発展を指導する国において,その世界史的
典型として解明するものにほかならない 7」
〉
D
つまり段階論とは,商品経済
の諸相のタイプ論ということになる。たとえば貿易論を具体的にやるとすれ
ばどのようになるのか,という問題にたいして,
r
貿易論をやるとすれば重
商主義の貿易,自由主義の貿易,帝国主義の貿易というようにやるべきで,
それはタイプを明らかにするということになる。やはり段階論的な規定とし
てやるべきだと思う 8)J という。そしてここで「タイプを明らかにする」と
いうことは,氏によれば「資本主義の発展の過程を具体的に特徴づける 9)」
ということである。
こうして宇野氏は,マルクスの「プラン」のいわゆる「後半体系」の項目
を「段階論」と規定し,
r
原理論」との「かかわり」をつぎのように説明す
る
。
「資本主義の発展の段階規定は,各段階において指導的地位にある先進資本主義国に
おける,支配的なる産業の,支配的なる資本形態を中心とする資本家的商品経済の椛造
を,いわゆる『フ勺レゾョア社会の国家形態での総括』としても,世界史的に典型的なる
ものとして,その国家形態自身も,また『国際関係』も,乙の発展段階に応じて変化す
るものとして,解明するものとなる。それは経済学のいわゆる専門別研究の一般的規定
をなすものといってよいのであるが,従来は原理論に対してその歴史的段階規定を明確
民々混乱を免れなかったのである。
にされなかったために, J
J
10)
「個々の同々の具体的問題の解明は,乙の段階論の一般的規定を前提とする。悶際的
貿易関係、も同様である。いずれにしても『フツレジョア社会の国家形態での総括』とこれ
らの国々の国際的関係、は,抽象的に資本主義一般として原理的に規定されるものではな
い。いわゆる国家論もこの資本主義の世界史的発展段附を活礎として始めて具体的に規
定せられるものといってよい。
J
11)
経営と経済
8
このように,資本主義がどのように発展しょうが, I
永久に変らない」原
理論にたいし,資本主義の発展段階にしたがって,商品経済のとる「変る」
諸相を「タイプ」づけるのが段階論であるとする D そして,このような視点
からマルクスの「プラン」をつぎのように批判する。
「
マ Jレクスが『経済学批判』の「序説」で与えた「篇別」も,原理論と段階論とを区
別するものではなかった。原理論にあたる,第二の項目,
r
ブノレジョア社会の内部の仕
組をなし,かっ基本的諸階級の基礎となっている諸カテゴリー云々」に対しても,第三
に「プノレジョア社会の国家形態での総括J,第四に,
r
生産の国際的関係J等々が並べ
られ,後 l
乙第五として「世界市場と恐慌」があげられるにすぎない。これらの諸項目の
聞に原理論と段階論とを区別しなかったということは,
r
資本論』自身も原理論として
純化するととを妨げられ,その論理的展開 I
C首尾一貫しないものを残すことになったの
である。
J
12)
このように「宇野理論」をみてくると,それは明らかに「マルクスの方
法Jとはことなるし,またマルクス主義の新たな理論的展開でもない。した
宇野理論」にたいして, I
三段階論」の体系化はかならずしも説得
がって, I
的でない 13)とか,商品経済だけが「経済学の対象」となるのはおかしいし,
生産関係JI
階級関係」概念が欠如している 14)とい
宇野理論においては, I
った批判をはじめ,これまでにおびただしい批判がなされてきた。だが,乙
ういった批判にもかかわらず,宇野理論が一定の影響力を持ち続けている乙
とは, I
経済学の方法」に関しても伝統的なマルクス経済学のいわば通説に
も,欠陥があり,そのため,宇野理論の用語をかりていうならば, I
原理J
と「段階」についても,いまだに説得的な理論の体系が対置されていないこ
とにもよるのではなかろうか。
これまでのマルクス経済学にあっては
I
経済学の対象」には「プラン問
題」を,そして「経済学の方法」には, I
下向・上向」の方法をとりあげ,
「経済学の体系 Jを構築しようとするのが,伝統的な通説であった。そこ
資本・土地所有・賃労働,国家・外国貿易・世界市場」という「順序」
で
, I
をどのように「上向」して体系化するか,ということに多大の努力がはらわ
れてきた 15)。だが,乙の作業には,いまだに解決しえない困難な点がある。
『資本論』から『資本主義論』へ
9
第一は, i
歴史的なもの」をどのように論理のなかに組み入れるか, とい
うことである o それは,非資本主義を資本主義の論理のなかにどのように位
置づけるかということである O マルクスは,
r
資本論」の叙述内容を,
i
資本
主義的生産様式の内的編制を,いわばその理想的平均において,示しさえす
ればよい 16)J とのべる o だが,
乙の「理想的平均」とは「純粋資本主義」
を意味するものではあるまい。[経済学批判体系」のなかの「資本」の,し
かもそのなかでの「資本一般」にすぎない『資本論 Jにおいても, i
歴史的
叙述」は全三巻の各所でみられ,論理の上向と歴史的叙述との織りまぜた構
成になっている。といって,そこにおける歴史的叙述は,けっして『資本
論』の「付録」でもなければ,いわゆる「原理」の外にでるものでもなかろ
う口宇野理論が提起されて以来, i
原理」という表現が一般化しているが,
いったいマルクス経済学にとって「原理」とは何か。
r
資本論』をふくめ,
マルクスの諸著作に,資本主義の「原理」という概念は見当らない。
第二は,資本主義の辺助を体系のなかでどのようなものとしてとらえる
か,つまり歴史の必然性をどう理論的に位置づけるかというととである o い
いかえれば, i
上向」の論理と「述到」の論理をどのように統一的に理論的
体系化するか,ということである D 第一の「歴史的なもの」の体系化をも含
めてみるならば,
r
資本論 Jの構成は,箱崎の上向を縦軸に,その箱 E
Wを検
出した論理次元における箱時の歴史的考察と資本主義の運動を横軸とする立
体的論理となっている D
第三は, i
資本」から i
U
t界市J
;
J
}
J までを一貫した体系としてとらえる場
資本・土地所行・賃労働」という「前半」の体系と, i
国家・外国貿易
合
, i
国家」範時をどのよ
・世界市場」という「後半J の休系との技点として, i
うな内容のものとして毘解するかということである口
このような困難な点を解決しながら,経済学の体系化を進めるにあたっ
9
世紀中葉においての
て,私は,第一郎でのべたように,その理論体系を, 1
みではなく, 20世紀初頭のいわゆる「レーニン」段階においても,また現代
においても,資本主義を一貫する「原型」の一般理論として椋築するため
に17) 次のような「経済学の方法」でこころみたい。すなわち,資本主義
経営と経済
1
0
を存立構造と運動の二つの視点からとらえ,前者を「解r
i
l
]学 と し て の 経 済
学 J,後者を「生理学としての経済学」の対象となし,その立体的論理とし
てまず『資本論』を考察し,その作業をつうじてさらに『資本主義論』構築
への手がかりにしたい。つぎに,乙の「二つの方法」についてのべよう。
注
2ページ。
1) 宇野弘政[径済原論 j 1
2) 宇野弘政『経済学方法論 J3
6ページ。
3) 宇野弘政『前掲書J48ページ。
4) 宇野弘政『前封書J1
5
0ページ。
5) 宇野弘政 n
i
l
j掲
:
苫J4
9ページ。
6) 宇野弘政『経済原論J1
2ページ。
7) 宇野弘政 n
i
i
j掲苦J1
2
'
"
"
1
3ページ。
8) 宇野弘政『経済学を語る J1
2
7ページ。
9) 宇野弘政『経済学方法論J4
9ページ。
1
0
) 宇野弘蔵『前掲書J5
4ページ。
1
1
) 宇野弘政『前掲書J5
5ページ。
1
2
) 宇野弘政『前掲書J5
5ページ。
1
3
) 佐藤金三郎 rr
資本論」と宇野経済学J156~157 ページ。
1
4
) 林直道『史的唯物論と経済学』下 136~167 ページ。
1
5
) 経済学の「体系化」に関する論文は数多いが, 乙こでは,国際経済研究会シン
世界経済評論J1
9
6
8
年 3月号, 4月号をあげて
ポジウム「国際経済論と経済学体系 J r
おく。
1
6
) K. Marx,DasKapitaZ,Bd. m,Werke2
5,S.839,邦訳『マルクス・エ
0
6
4ペーヅ。
ンゲノレス全集』第25・b巻 1
1
7
) 乙の点については,有賀定彦・都野尚典編著『世界経済の枯造と展開』第一章
第四節「原理・原型・段階」を参照されたい。
3 解剖学としての経済学
マルクスは『経済学批判への序説 j 3 i
経済学の方法」で,研究としての
下向への旅と叙述とし,ての上向へ φ旅 の 二 つ の 方 法 を 示 し , 次 の よ う に い
『資本論』から『資本主義論』へ
1
1
つo
「われわれが与えられた一国を経済学的に考察する場合には,われわれはその国の人
口,その人口の諸階級への分布,都市,農村,海洋,種々の生産部門,輸出入,年々の
生産と消費,商品価格,等々から始める。
実在的で具体的なもの,現実的前提をなすものから始めること,したがって,たとえ
ば経済学では,社会的生産行為全体の基礎であり主体である人口から始めることが,正
しい乙とのように思われる。しかし,もっと詳しく考察すれば
乙れはまちがいだとい
う乙とがわかる。……もし私が人口から始めるとすれば,それは,全体についての一つ
の混沌とした表象であろう。そして,もっと詳しく規定することによって,私は分析的
にだんだんもっと簡単な概念に考えついてゆくであろう。表象された具体的なものか
ら,だんだん稀はになる抽象的なものに進んでいって,ついには最も簡単な諸規定に到
達するであろう。そこでこんどはそ乙からふたたびあともどりの旅を始めて,最後には
ふたたび人[Jに到達するであろう。といっても,とんどは,一つの全体についての混沌
2かな総体
とした表象としての人口にではなくて,多くの規定と閃係とをふくむ一つの 1
としての人口に到述するであろう。第一の道は,経済学がその成立にさいして歴史的に
たどってきた近である O たとえば 1
7由紀の終済学者たちは,いつでも,生きている全体
から,すなわち人口,国民,同友,いくつかの間安,等々から,始めている。しかし,
彼らは,いつでも,分析によっていくつかの規定的な抽象的な一般的な関係,たとえば
分業や貨幣や価値などを見つけだすことに終わっている。これらの個々の契機が多かれ
少なかれ同定され抽象されると,労働や分業や欲望や交換価値のような簡単なものから
国家や諸国民!日]の交換や世界市場にまでのぼってゆく経済学の諸体系が始まった。乙の
リ]らかに,科学的に正しい方法である。具体的なものが具体的
あとのほうのやり方が. I
であるのは,それが多くの規定の総括だからであり,したがって多様なものの統ーだか
らである。それゆえ,具体的なものは,それが現実の出発点であり,したがってまた直
観や表象の出発点であるにもかかわらず,思考では総括の過程として,結果として現わ
れ,出発点としては現われないのである。第一の道では,充実した表象が蒸発させられ
て抽象的な規定にされた。第二の道では,抽象的な諸規定が,思考の道を通って,兵:'~~
的なものの再生産になってゆく。……しかし,抽象的なものから具体的なものにのぼっ
てゆくという方法は,ただ具体的なものをわがものとし,それを一つの精神的に具体的
なものとして再生産するという思考のための仕方でしかないのである。しかし,それは
けっして具体的なものの成立過程ではない o
l)J
1
2
経営と経済
すなわち,マルクスにとっての「経済学の方法」とは,混沌と表象された
具体的なものから,最も簡単な抽象的な諸規定に到達する道が「下向への
旅」であり,これにたいして「上向への旅」とは,最も簡単な抽象的な諸規
定から再び後戻りの旅を始めて,最後に多くの諸規定と諸関係とを含む豊か
な総体としての具体的なものにたどりつくという道である O そして,この第
二の「上向の道 J,すなわち,混沌とした具体の分析からみちびかれた抽象
的な諸規定が,思考の近を通って具体的なものに再生産されてゆくこのプロ
セスを叙述することに経済学の体系を位置づけた。ところで,最も簡単なも
のから複雑なものへと登ってゆくこの上向の辺は,けっして「具体的なもの
の成立過程ではない」とマルクスはいう O そして,経済学体系における諸範
時の順序と諸範時の歴史的成立過犯との関係、について,マルクスは
I
最も
簡単なものから複合的なものへとのぼってゆく 1
[
1
1象的思J5・の歩みは,現実の
歴史的過程に対応する
2)
」というー!日をもつものの,経済学体系において
経済学的諸範時を,それらが歴史的に規定的範時だった順序にしたが
は
, I
って配列することは,実行もでき-ないし,まちがいでもあろう幻」とのべ,
諸範時の順序は. I
それらが近代プ Jレジョア社会で互いにもっている関係に
よって規定されている
4)
」のであって,問題は. I
近代ブ、ノレジョア社会のな
かでのこれら諸関係の編制なのである幻」という。
『経済学批判要綱 JnI
貨幣にかんする章」でマルクスはいう O 物的依存
関係の社会にあっては. r
各ひとりひとりの個人にとっては生活の条件にな
っている,活動と生産物の一般的な交換,すなわちその相互的な関連は,彼
ら自身には無縁で,独立に,一個の事物として現われる 6)JとD 商品交換に
おいては. r
人と人」との関係は「ものともの」との関係に転化し, このも
のとものとの関係は自立化しひとり歩きをはじめる D 物象化とは,このもの
とものとの関係が, じつは人と人との関係、二社会的諸関係から生みだされ倒
錯化したものでありながら,人間の自には,そのも ωとものとの関係としてし
か映らず, しかもこの倒錯化がごく臼然な合理的な現象としてうけとめられ
ることをいう o つまり,物象化とは社会的諸関係の倒錯化にほかならない。
ところで,商品交換におけるものとものとの関係を規定するのは価値法則
『資本論』から『資本主義論』へ
1
3
である。乙の意味で,価値法則とは社会的諸関係の物象化の法則だといえ
る
。
「ドイツ・イデオロギー』で
「分業」から「物象化」をみちびきだし
1因』において, i経済学的諸カテゴリー
た 7)マルクスは,その後『哲'予の 1
は,社会的生産諸関係の理論的表現,その抽象であるにすぎない 8)Jとの
べ,また「近代社会には,労働の配分について,自由競争以外になんらの規
則も権威もないのである 9)J として,資本主義における社会的分業は,
自由
競争=価格運動の結果として形成されるものとみるにいたった。このように
r
哲学の貧困』で到達した,経済学的諸箱時を分業からでなく,社会
的生産諸関係、の物象化として認識する地平は, r
経済学批判要綱 J,r
経済学
して,
批判』から『資本論』へとさらに論理が徹密に豊かに展開していった。それ
は,価値法則による物象化の解明であった口
資本主義社会とは,商品交換が最高度に発達し,労働力までもが商品とな
る商品生産社会である。「交換がすべての生産関係にいきわたるのも,フ勺レ
ジョア社会,自由競争の社会ではじめて発展するのである 10」
〉
o
したがっ
て,価値法則は資本主義社会において十分な開花と展開をみせる乙とにな
るo しかもそこでは,価値法則はただ商品交換を規定する法則としてではな
く,それ自身の展開から生みだした資本の運動として姿を現わす。そして,
資本はその運動の過程でさまざまな経済学的諸箱時を生み出だしてゆく。乙
のようにみてくると,経済学の諸範時の順序について,
説 j でマルクスがのべた,
r
経済学批判への序
i
近代 7'}レジョア社会で互いにもっている関係」
とか, i
近代フ勺レジョア社会のなかでのこれら消関係の編制」ということ
は,価値法則の論理的上向のプロセスの順序だといえよう o このようにし
t
lも簡単な社会的諸関係の
て,マルクスの経済学は,資本主義社会における l
物象化をなす商品の分析からはじまった。しかも,資本主義における経済学
的諸範時は,社会的諸関係からよtみだされながらも,それにt'I立してひとり
歩きするも ωとして羽われる O それは,すでに ωべたように社会的諸関係の
倒錯化した物象化 ω世界であり,商品経済の作川による資本主義の「物象
化」の重同構造である。したがって,この立味からするならば,経済学の体
1
4
経営と経済
系とは倒錯化の上向の体系である。乙乙からして,乙の倒錯化をそのままう
けとり,物象化された範時を無批判的に経済学の体系とする俗流経済学にた
いして,みずからの理論を科学として対決させるため,マルクスはわざわざ
「批判」という言葉をつけ加えて「経済学批判体系」といったのである。そ
して,乙のような志味において,資本主義の存立構造をときあかす「市民社
会の解剖学 11〉」として,資本にはじまり世界市場と恐慌で終る経済学の体
系を構想したのである。
このように,
クスは,
r
経済学批判への序説』における「経済学の方法」で,マル
r
経済学の体系」を,いわゆる「上向」法にもとづいて,資本主義
における「諸範鴎の編制」という視点からとらえる口それはまた,価値法則
の上向による資本主義の存立構造を明らかにする作業だといってもよい。だ
が
,
r
経済学の方法」は
r
乙の方法」だけでよいのだろうか。乙乙での
「経済学の方法」は,マルクスが構想した「経済学の体系 Jのすべてを総括
する方法ではなかろう。それはまた,乙の『序説』が「遺稿」であって,完
成された草稿ではないという乙とからもうかがえる。マルクスの『資本論』
やその他の諸著作をみても,資本主義の解明にあたっては,その「存立構
造」という視点からだけではなく,
r
歴史的なもの J ,r
非資本主義」のみな
らず,資本主義の「迩勤」をも理論の対象においている o マルクスの経済学
にあっては,その「範鴎」のとらえ方に次のような特徴がみられるのではな
かろうか。すなわち,経済学の体系の構築にあたって,ある範暗から他の範
時への上向としての体系だけではなしに,
r
抽象から具体へ J ,r
単純から複
範時」それ自体の歴史的考察と「範応]
雑へ」という論理的上向とともに. r
が検出された論理次元での資本主義の運動の必然J
性が理論体系のなかに位置
づけられるということ。そして,資本主義の運動は,そのゆきつくところ
「破局」をもたらすという乙と。これである。資本主義はその運動の過程に
おいて「非資本主義」を自己の領域に包摂してゆくのみならず,資本主義の
物象化の存立構造は,資本主義の運動の結果としての「破局」において,そ
の実体を白日の下にさらしだされることとなる O 唯物史観でいう「生産諸力
と生産諸関係との矛盾」・「生産諸関係が生産諸力の発展諸形態からその桂
『資本論』から『資本主義論』へ
1
5
桔に一変する」というテーゼは,資本主義の「運動」・「破局」という論理
において明らかにされる。『経済学批判への序説』の「経済学の編制」にあ
っても,その最終項は「世界市場と恐慌」となっている口
このように考えると,
r
経済学の方法」には, r
解剖学としての経済学」の
みならず,資本主義の運動を明らかにする「生理学としての経済学」が必要
であろうロ
注
1) K
. Marx,'
E
i
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l
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i
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e, Werke 1
3,
s
s
.631~632 ,邦訳『マ Jレクス・エンゲJレス全集』第 13巻, 627~628 ページ。
2) K
. Marx,a. a
.0
.,s
.633,邦訳『前掲吉J620ページ。
3) K
. Marx,a. a. 0
.,s
.638,邦訳『前掲書J634ページ。
4) K
. Marx,a. a. 0
.,s
.638,邦訳『前掲吉J634ページ。
5) K
. Marx,a. a. 0
.,S
.638,邦訳『前掲書j 635ページ。
6
) K
. Marx,Grundrisseder K
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i
e(Rohntwur
f),
s
.75,高木幸二郎監;沢市一分冊78ページ。
7) この点については,有賀定彦「疎外・物象化・物神性 J (木問要一郎・古川哲
編『資本論と現代』節 3草)の 55--57ページを参照されたい。
8
) K
. Marx,DasElendderP
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o
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e,W
erke4,S
.1
3
0,邦訳『マルクス
・エンゲノレス全集 J~,l'}" 4冶i
l
3
3ページ。
9) K.Marx,a.a.O.,S.15
,
1 邦訳『前掲 t
i
J156ページ。
1
0
) K
. Marx,Grundrissed
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i
e,S
.74,高木幸
二郎監 J~第 1 分間]-77 ページ。
1
1
) K
. Marx,Vorwortzur K
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e,Werke 1
3,S
.
8,j
{
5,
v
(r
マノレクス・エンゲノレス全集』節目之さ 6ページ。
4 !tJ~H 学としての経済学
『資本論』の稲川構成をみると,経済学的範時の論理的上向としてだけで
はなく,論理的に成立した慌時の歴史的考察とその箱時の論理次元に規定さ
れた資本主義の辺到の考案との)'[体的論理構造となっている。「具体的なも
1
6
経営と経済
のそのものの成立過程。」という歴史的考察は,その範時が論理的に定立し
た後でとりあげている。『資本論』で若干の例をみてみよう o
(
1
) 資本が歴史的にどのようにして生まれたか,という「本源的蓄積 Jの
考察は,第 1治第 2編 t
r
s4~ ifi幣の資本への転化」の箇所ではなく,論理
剰余価値の生産 J(
第 3篇「絶対的
的に「貨幣の資本への転化」が成立し, i
剰余価値の生産 J
ot
1
J4Mi相対的剰余価値の生産 J0 第 5篇「絶対的およ
び相対的剰余価値の生産 J)を考察したのち,第 7篇「資本の蓄積過程」に
おいて,
r
再生産」をとりあげ,第 2
1章「単純再生産」から第 22章「剰余価
値の資本への転化」によって「資本の蓄積」という経済学的範鴎が論理的に
4i
;
'
tr
いわゆる本源的蓄積 J として考察している o
定立したのち,第 2
(
Z
)
i
商人資本に関する歴史的事実」は,第 3巻第 4篇「商品資本および
貨幣資本の商品取引資本および貨幣取引資本への転化(商人資本) Jにおい
6章「商品取引資本 J,第 1
7
章「商業利潤 J,第四章「商人資本の回
て,第 1
貨幣取引資本」の考察ののち,第 20主主にとりあげて
価格J,第 19m i
転
いる。
(
3
) i
資本主義以前の利子」は,第 3巻第 5篇「利子と企業者利得とへの
i
ti利子生み資本」にはじまる利子の
利 潤 の 分 裂 利 子 生 み 資 本 」 で , 第 211
論理的考察ののち,第 36立としてとりあげている。
(
4
) i
封建地代」の考察は,第 3巻第 6篇「超過利潤の地代への転化」に
7章から「差額地代 J,i
絶対地代」へと資本主義地代を解明し
おいて,第 3
たのち,第 47立「資本主義的地代の生成」にいたってとりあげることとな
るo
ところで,資本主義は,商品経済社会であるとともに資本と賃労働という
生産関係=階級関係、をもっ o 剰余価値の追求が,資本蓄積の運動をかりた
て,たえず生産力を発展せしめながら生産諸関係との矛盾・街突を生みだ
してゆく。それは,資本主義の自己運動にほかならない。エンゲルスは『空
想から科学への社会主義の発展』で,従来の社会主義は資本主義的生産様式
とその帰結とをただ簡単にわるいものとして排撃することができただけだっ
たし,労働者階級の搾取の本質がなんであり,どうしてそれが発生するのか
『資本論』から『資本主義論』へ
1
7
を明らかにすることができなかった,と批判して幻つぎのようにいう。
「問題は,一方では,資本主義的生産様式をそれの歴史的連関のなかで示し,また一
定の歴史的時期にとってのその必然性を明らかにし,したがってまたその没落の必然性
を示すことだったのであり,他方では,あいかわらずおおいかくされたままだった乙の
生産様式の内的性格を暴露するととだったのである。
J
3)
エンゲノレスは,ここでいうこつの方法が,経済学の理論体系としてどのよ
うに統一されるか,という乙とについてなにも説明していない。だが,後の
方法が「解剖学としての経済学J,前の方法が,乙乙で問題としている「生
理学としての経済学」の発想とみるととができょう。エンゲ jレスの『反デュ
ーリング論 j 第 2篇「経済学J 1 i
対象と方法」は
i
生産諸力と生産諸関
係との矛盾」に力点をおき,弁証法にもとづく歴史科学としての経済学を力
説する針。またマルクスにしても. r
資本論』第 1巻第 l版の序文で. i
近
代社会の経済的運動法則を明らかにすることはこの著作の最終目的でもあ
る5)」という。問題は「迩勤法JlIjJのとらえ方にある。これを「宇野理論J
のように,ただ商品経済にのみ限定して. i
たえずくり返す」ものとしてと
たえずくり返し」ながらも. i
破局」を生みだし,ある
らえるのではなく. i
段階からより高次の段階への「述続」と「非述続J,ある一つの社会から他
の社会への「死滅」と「生成J,つまり「生成・発展・死滅」を歴史社会の
自己運動として弁証法的に把握しうるところに,マルクス主義のマルクス主
義たる所以がある。すなわち,この系譜の「経済学の方法」が「資本主義の
生理学としての経済学」であって,それは資本の苔政運動を主制l
に展開さ
れる o いわゆる「生産諸力と生産諸関係との矛盾」の論理は乙の線上にあ
る
。
商品」を端緒にして「上向への旅」をは
「解たIJ学としての経済学」が, i
じめるのにたいし, i
生理学としての経済学」は, i
資本蓄積」の箱路が論界.
資本の苔毛立運動 J(r
資本論』第 1巻第 7篇)が基底と
的に成立したのち. i
なって出発する。そして,
乙乙で「資本主義的苦杭の一般的法則 J(r
資本
3
]
:
,:)が基軸となって「資本の苔積巡勤」が考察され
論』第 l巻第 7篇第 2
肉-品」から価値法則の論理的上向によって成立した
るD このようにして, i
1
8
経営と経済
「資本蓄積」なる範自主に, i
本源的蓄積 J (
第 l巻第 7篇第 2
4章第 1""第 6
節)一「資本主義的蓄積の一般的法則」一「資本主義的蓄積の歴史的傾向」
4
1
立第 7節)が,資本主義の生成・発展・死滅のプロセス
(
第 1巻第 7篇第 2
を基底的に説明する迩勤の論理として交差する。そしてとの迩動の論理は,
それとしての「上向への旅」をとるのであり,
r
資本論』第 3巻第 3篇「利
潤率の傾向的低下の法見IjJ(第 13立「乙の法則そのもの」。第 14~): i
反対に
作用する諸原因」。第 1
5平「この法則の内的な諸矛盾の展開 J)は,第 l巻
の「資本蓄積の一般的法則」の「上向した」・「より具体化した」・「より複
雑化した」資本主義の迩動の論理となる D これを「生産諸力と生産諸関係、と
の矛盾 J の論理の累積構造といってよい。さらに資本の蓄積迩勤は, i
外国
世界市場」へと経済学的範時の上向につれて「より複雑化J し
,
貿易 J ,i
「生産諸力と生産諸関係との矛盾」は「世界市場 J において「展開」するに
いたる o そして,この資本の蓄積迩勤の展開は,一国内においてのみではな
く,世界的規模においても資本主義が非資本主義を臼己の運動に包摂せしめ
生産諸力と生産諸関係との矛盾」の
てゆくプロセスである O したがって, i
「世界市場」における展開は,資本主義世界のみならず非資本主義地域をも
包括した全世界的規校のものとなる。乙のようにして, i
解剖学としての経
済学」において,物象化の論理の上向過程で経済学の対象外とされた「非資
本主義」は, i
生理学としての経済学 J にあっては,資本の蓄積 i
E動 に く み
乙まれることによって経済学のなかに位置づけることができる D
「物的依存関係」の資本主義社会にあっては, i
人的依存関係」の前資本
主義社会にくらべて,商品経済の作用によって,日常生活の協である市民社
会においては,階級関係は人々の目に見えず,人々は「市民」として,みな
自由であり平等であるという「物象化」の姿をとる。そして,資本主義が自
己運動の結果として生みだした「破局」において,この「物象化」は破壊さ
れ
, i
宮める者と貧しき者j の階級関係、は,だれの目にもはっきり見える姿
をとる o つまり,資本主義の物象化された「存立構造」は,資本主義の「運
動」の結果としての「破局」において,その実体が白目の下にさらしだされ
ることとなり,資本主義は破局をつうじて「変革」か「再編成」かのいずれ
『資本論』から『資本主義論』へ
1
9
かの途の選択を迫られてきた。
資本主義が自らの運動の結果として生みだす「破局」とは,経済の自立的
運動からするならば, i
世界市場Jを舞台とする「世界恐慌」にほかならな
い。それは,資本の蓄積運動の上向的展開にもとづく「生産諸力と生産諸関
係、との矛盾」が,全世界的規模でひきおこす
「プノレジョア的経済のあらゆ
る矛盾の現実的総括および暴力的調整6〉」をなす「世界市場恐慌」である。
だが,資本主義の列強による世界市場の分割が完了し,その再分割が「軍事
破局Jは「世界恐慌」
力」による以外には途がなかった時代にあっては, i
から「世界戦争Jへと展開せざるをえなかった。レーニン『帝国主義論』の
世紀前半のいわゆる「レーニン段階」がこの時代であ
世界がこれであり, 20
っT
こo
これまでの考察からつぎのことがいえよう。資本主義を研究対象とする経
済学の体系は,資本主義の存立構造をとき明す縦軸としての物象化の上向論
理=重庖論理(価値法則の上向論理)と資本主義の運動を解明する生産力の
発展,ならびに生産諸力と生産諸関係の矛盾の上向論理=累積論理が横軸と
乙始まり世界市場にいたる体系のなかで交差しつつ構築される
なって,資本 l
解剖学としての経済学」と「生理学として
のではなかろうか。すなわち, i
の経済学」との体系化である。そして
i
歴史的なもの J,また資本主義と
非資本主義との関係は,このような理論体系のなかで, i
経済学」の対象と
なしうる乙とができる o このようにして,資本主義をトータ jレに把握する
『資本主義論』の構築へと進む乙とができるのではなかろうか。
注
1) K
. Marx,E
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nOkonomie,Werke1
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.
6
3
2,邦訳『マルクス・エンゲJレス全集』第 1
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8ページ。
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.
.
.
.
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9,邦訳『マルクス・エンゲJレス全集』第 1
9巻 2
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9,邦訳『前侶吉J
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6ページ。
4) F
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s,HerrnEugenDuhring),Umwalzungder Wissenschaft (Anti-
2
0
経営と経済
Duhring), Werke 2
0, SS. 1
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6
.
.
.
.
.
.
1
4
7, 邦訳『マルクス・エンゲ Jレス全集』第2
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1
5
2
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.
.
.
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.
1
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5) K. Marx,Vor叩 o
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nAuflage,DasKaPital,Bd. 1,Werke2
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5
.
.
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.
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.
1
6,邦訳『マルクス・エンゲノレス全集』第2
3・a冶
, 1
0ページ。
6) K. Marx,Theorien i
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b
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.5
1
0,邦訳
6.n巻
, 6
8
9ベータ。
『マルクス・エンゲ Jレス全集j 第2
Fly UP