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文化クラスターとポスト産業都市 - 教員用WWWサービス

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文化クラスターとポスト産業都市 - 教員用WWWサービス
-
ソーシャル・リサーチ
調査報告書
文化クラスターとポスト産業都市
-都市文化政策のガバナンスに向けて-
Social Research Report
Cultural Clusters and the Post-industrial City:
Towords the Governance of Urban Cultural Policy
2014 年 3 月
早稲田大学社会科学部
School of Social Sciences, Waseda University
-2-
はじめに
この調査報告著は、早稲田大学社会科学部の社会調査の実習科目「ソーシャル・リサー
チ(まちづくり)
」の履修生チームが作成した調査報告書です。この科目が学部に設置され
てから隔年で開講しており、一貫して東京の郊外である埼玉県川口市の地域社会の変化を
とりあげています。テーマは、
「NPO」
(2009)、
「地域協働」
(2011)に続いて、シリーズ vol.3
となります。
今報告書のテーマは、「創造都市」です。「鋳物のまち」といわれた川口市が、脱産業社
会へ向かう中、産業、技術、創造性、価値創出、地域づくりがどのような方向に向かうの
か、それらをどのような担い手が継承・創造しようとしているのか、行政がいかに支援す
べきか、いわゆる文化政策の位置づけ、そして川口市はいわゆる創造都市になる可能性が
あるのかを考えるものです。調査対象は川口市の中で、アート、文化、ものづくり、まち
づくりに関心造詣の深い方々を中心におこないました。
報告書を執筆している学生は、社会調査の本格的な質的調査法をはじめておこなう初学
の徒です。インタビュー調査をお願いした方にはお世話になりました。報告書も刊行した
とはいえ諸所に不十分な点が残ります。大方のご批判、叱正をいただければ幸いです。
とりまとめに際しては、早稲田大学木村裕美招聘研究員、文化推進室の前室長の小川順
一郎氏にアドバイスや調査のサポートをいただき、たいへんお世話になりました。記して
感謝の意を表紙します。
この報告書がきっかけとなり、興味をもってくださった方と今後さらに継続して地域の
文化振興やまちづくりについて考えていく機会や意見交換ができれば幸いです。
この報告書のとりまとめの途中、岡村幸四郎川口市長が急逝されました。ご冥福をお祈
りいたします。
平成 26(2014)年 3 月
早稲田大学
ソーシャル・リサーチ(まちづくり)担当
教授 早田
宰
目次
第1章
研究の目的
・・・1
第2章
研究の方法
・・・8
第3章
文化資本としての都市空間
・・・12
第4章
文化クラスターとそのネットワーク
・・・18
第5章
文化クラスターと地域社会の相互作用
・・・24
第6章
川口の基底文化と新たな文化は結びつくか
・・・32
第7章
文化政策のアクターと公共セクターの関係
・・・55
第8章
転換期のディレンマ
・・・60
第9章
情報発信の広がり
~まちづくりにおける光と影~
・・・63
第 10 章 地域の持続的発展における行政の支援
・・・67
第 11 章 文化政策の再編戦略-川口市が創造都市になるために-
・・・74
総括
・・・117
第1章 研究の目的
1.既存研究の流れ
本研究は、埼玉県川口市という大都市近郊地域における「アートのまちづくり」をテー
マとし、様々な角度から論じたものである。都市、文化政策、グローバル化、住民の協働
などを扱った主要な既存研究を簡単にレビューし、都市を舞台とした研究の切り口の多様
さと、本研究につながる理論の流れを確認する。
・脱工業(あるいは脱産業)社会論
脱工業社会とはダニエル・ベルによって定式化された言葉であり、その他多くの研究者
によって論じられ 1970 年代に定着した。ベルは『脱産業社会の到来』(1972 年)の中で、
工業等の製造業をベースとする「工業社会」が、輸送、金融、教育等の情報に基づいた「知
的技術」を活用する産業をベースとしたサービス経済が中心となる「脱工業社会」へと移
行しつつあることを主張した。そのほか、アラン・トゥーレーヌは脱工業(産業)化社会
を特徴として、専門技術との関係で権力を行使する新たなテクノクラシーと、そうした技
術や権力から排除されることによって疎外される新たな人々との闘争(新しい社会運動)
の発生であるとし、60 年代の先進諸国の学生闘争は脱工業化社会の初期の社会紛争だと説
いた。アルビン・トフラーは著書『第三の波』
(1980 年)において、農耕社会、産業社会に
続く第三の社会を「脱工業化社会」としている。トフラーは情報化の重要性に着目し、情
報化の進展によってこれまでの産業社会の仕組みが変革され、企業や国家におけるヒエラ
ルキー的な仕組みが解体することを予想した。また、これまでの規格品の大量消費という
形態が変質し、需要が個別化することを予測して、最終的に生産者が自らの需要に応じて
生産するという、生産者と消費者との同一性(プロシューマー)の復活が起きると予測し
た。
『社会学小辞典』(1997 年)は、脱工業社会論の特徴として、「①先進諸国ではサーヴィ
ス業が労働人口、GNP の半ばに達している、②経済の基調が財から知識やサーヴィスに移
行している。③また自由市場から社会計画へ比重が移行している、④労働時間の短縮と労
働生産性の向上が著しい、⑤全体として技術社会、知識社会、高学歴社会の色彩が著しい」
などとしている。また、政治におけるテクノクラシー、人びとの脱イデオロギー化と価値
多元化、労働に代わる代替価値の問題などが指摘される。
・創造都市論
佐々木雅幸は『創造都市への挑戦』
(2012 年)の中で、創造都市論の系譜の始まりを、人
間の「創造性」に関心を持った研究であった、イギリスのヴィクトリア期に活躍したジョ
ン・ラスキンの芸術経済学、その弟子を自認するウィリアム・モリスの美術工芸運動に求
-1-
めている。ラスキンとモリスは、
「19 世紀を通じて、機械制大工業が世界を覆い尽くし、大
量生産=大量消費システムが職人的工芸的生産を駆逐していく中で、近代化のプロセスが
それまで地域社会の中で一体のものとして息づいてきた産業と芸術文化を切り離し、両者
を無関係なものにしてきたことに鋭い批判を加えて、その再統合を試みてきた」(『創造都
市への挑戦』p.35)。
創造都市論の理論系譜を見ると、
『都市の経済学』を著したアメリカの都市研究者、ジェ
ーン・ジェイコブズがその嚆矢である。ジェイコブズはアダム・スミスの『諸国民の富』
を念頭に置き、国民経済を発展させる前提は創造的な都市経済を実現することであると主
張し、経済学のパラダイム転換を求めた。彼女は、ニューヨークや東京のような「世界都
市」ではなく、中部イタリアの中規模都市であるボローニャやフィレンツェに注目した。
こうした地域の中で、ネットワーク型に集積する職人企業が、輸入代替による自前の発展
とイノベーション、インプロビゼーション(臨機応変の改良)に基づく経済的自己修正能
力を持つこと感嘆し、これを大量生産システムの次に来る画期的変化とした。
創造都市論における第 2 の系譜として、欧州創造都市研究グループが挙げられる。この
グループに属するチャールズ・ランドリーとフランコ・ビアンキーニが 1995 年にまとめた
『創造都市』という小冊子に続き、2000 年にはランドリーによる『創造都市――都市イノ
ベータ―のための道具箱』と題する著書が出版されている。ヨーロッパ社会は他よりも早
く製造業が衰退し、青年失業者の増加、福祉国家システムの財政危機に直面しており、こ
れら著作は、国家の財政的支援から独立した新しい都市の発展の方向を見いだそうという
問題意識で書かれている。その際、ランドリーらは、特に芸術活動が持つ「創造性」に着
目し、それを「芸術文化と産業経済をつなぐ媒介項」として位置づけた。
また、ピーター・ホールは『文明における都市』(原題:Cities in Civilization)(1998
年)を著し、現代の都市研究を切り開いた。この著作は、ラスキンの芸術経済学とハック
スレイの進化論の影響を受け、
『進化する都市』を著したパトリック・ゲディスから都市計
画学を学んだルイス・マンフォードの大著『都市の文化』を念頭においたものである。古
代アテネから現代の世界都市まで歴史上の典型都市を取りあげ、
「文化と産業の創造性」を
基軸に創造都市の歴史理論をまとめ上げた。
ランドリーらによる欧州での新たな動向に呼応するように、アメリカでは 2002 年リチャ
ード・フロリダが現れた。彼は現在経済の新たな担い手として「創造階級」に注目し、地
域再生の鍵は工場誘致ではなく、いかにして創造階級を誘引できるかにあるとした。そし
て、創造階級が好んで居住する都市や地域の特徴を3つのT(人材
Talent、技術
Technology、寛容性 Tolerance)で示した。「寛容性」とは風変わりで新奇なライフスタイ
ルや考え方を持つ人を受け入れられることだとし、その指標として「ゲイ指数」に注目し
た。
日本においては、佐々木雅幸が『創造都市の経済学』
(1997 年)や『創造都市の挑戦』
(2012
年)などを著し、横浜や金沢などを分析地域として、日本における創造都市研究を行って
-2-
いる。
こうした創造性を軸とした都市研究に関連して、アメリカの心理学者、ミハイ・チクセ
ントミハイを紹介する。チクセントミハイは、創造性を‘個人の中に備わっている特性性
格’とした従来の考え方から離れ、創造性理解のためには心理的な側面だけでなく、文化
的・社会的側面も含めて考えなくてはならないと主張した。創造性は作り手と受け手の相
互作用によるもので、社会や文化によってしか判断できないと考えたのである。そこで考
えられたのが、以下の創造性のシステムモデルである。
図 1-1
創造性のシステムモデル(出所:Csikszentmihalyi, 2006)
*
個人(individual)、領域(domain)、場(field)が関わり合い、交差するところにおい
てのみ、創造性のプロセスが観察できるとするのである。創造性を静的なものと考えずに、
個人・領域・場の相互作用の中で社会的に構築されると捉えるのが、彼の創造性のシステ
ムモデルである。
・ネットワーク論
「ネットワーク」は現代社会を分析するキーワードとしてのみならず、物理学、生物学、
情報科学等を含む広範な「科学」の新しい理論展開を導く概念として注目されてきた。世
界をネットワークとして見る視点は、社会科学の世界における「社会的ネットワーク分析」
として結晶化されてきた。社会学の分野に置いては、伝統的コミュニティの存在を自明視
-3-
できなくなったことから、個人を単位とする人々のつながりに一度立ち戻った上で、パー
ソナル・ネットワークがどのように構成されるのか、に目を向けるようになっている。代
表的なものとして、マーク・S・グラノヴェターの「弱い紐帯の強さ」と、スタンレー・
ミルグラムの「小さな世界問題」がある。ミルグラムの「小さな世界理論」は手紙の転送
実験という方法を用いて、知人の知人を6人たどればアメリカ中の大方の人々はどこかで
「つながっている」(「6次の隔たり」)という理論を示した。また、グラノヴェターは、ボ
ストンのイタリア系移民地区コミュニティが強い結束を誇っているのにコミュニティ破壊
に脆弱であったことと、反対運動を組織できた他地区では内部結束は弱いものの、外部を
含めた多数の人々への橋渡し機能を果たすことのできる多くの紐帯がみられたとした。
ほかに、ロバート・パットナムは『孤独なボウリング』の中で、団体への新規参加者の
減少、メンバーの高齢化など、様々なデータを元にして 1990 年代のアメリカにおける社会
的ネットワークの脆弱化と、人々の孤立化を検証した。日本に置いては玉野和志が、地域
コミュニティが、町内会・自治会などの住民組織を介してパーソナル・ネットワークとど
のように共存し、またどのように変化を遂げてきたのか分析を行っている。
・社会変動論
社会学において社会変動とは社会構造の変動を意味するものであり、社会組織、社会制
度といったマクロレベルの視点による分析がなされている。
オーギュスト・コントは、19 世紀の前半、キリスト教による中世的な統合が崩壊し、社
会秩序の正当性への懐疑が浸透した時代に、
「社会学」という言葉をつくった。社会変動が
急速に進む時代に生まれた社会学は、社会変動の動因とその帰結の分析、]社会変革への志
向性を当初から課題としてきた、といえる。
コントは社会の歴史を「人間の精神(知識)の変化」によって支配されると考えた。そ
してその精神の発達を、神学的段階、形而上学的段階、実証的段階の3つの段階をもって
説明し、これら精神の発達に応じて社会の状態も変化すると考えた。また、ハーバート・
スペンサーの社会進化論では、ダーウィン進化論の強い影響のもと、軍事的社会(低次:
強制的協働)から産業的社会(高次:自発的協働)へという図式がとられた。
19 世紀中葉には、当時の社会問題を背景に、カール・マルクスの史的唯物論が時代をリ
ードする変動論として提起された。そこでは、生産力の発展が社会構造に対応しなくなる
とき,社会構造は変動せざるをえないとし、資本主義から共産主義への段階的移行の必然
性が主張された。また、デュルケムは人びとの生活が異質的となっていくために、等質的
な結合ではなく、相互補完的に結合する分業社会(有機的連帯)へと変動すると主張した。
上述の社会変動論は、社会の近代化に焦点を当てたものであったが、1960 年代以降、
ダニエル・ベルらにより工業社会から脱工業社会への変動という視点が提示されるように
なった。
-4-
また、シュンペーターは企業の行う不断のイノベーションが社会経済を変動させていく
という理論を構築し、市場による創造的破壊を重視した。
・政策開発論
政策開発に関しては、分野別に様々な政策理論が登場し、80 年代において文化行政が全
国の自治体に広がり定着した。新たな政策分野の登場に対し、多くの自治体では、文化ホ
ールや美術館の建設が行われ、文化的な政策の発展が表面的には見られたものの、ハコモ
ノ建設にとどまってしまい、市民から文化活動の芽が育っていないという批判もみられた。
後藤和子は、政策開発の専門家として、財政学をベースに、文化、産業、都市政策、ク
リエイティブ産業の経済分析、といった領域を調査している。文化と都市に関連する公共
政策に加え、創造性の基盤が豊かになるための流通システムや経済社会システムの研究を
行い、文化的財やサービスがグローバル情報経済の中で流通する側面に焦点を合わせ、ク
リエイティブ産業と都市との関係を分析している。
2)本研究の問題設定
大都市近郊地域には高度経済成長期に都市型住工混在地域が形成された。埼玉県川口市
は「キューポラ(工場の煙突)のあるまち」と呼ばれ、現在は経済・社会のグローバル化、
鋳物産業の国外移転や廃業、跡地のマンション化で環境が激変し、現在では「アートのま
ちづくり」の活動が活発化している。新旧住民が新たなネットワーク形成へ向かい、社会
意識の変化、新たな地域社会の価値を模索し、まちづくりを推進している。そこではアー
チスト、伝統的コミュニティのグループ、さらに NPO 等の新しい社会公益活動団体との対
話・協働による価値創出、地域の個性づくり、新たな社会的ネットワークの創出などを通
じて新しい地域イメージの、社会再生が検討されている。
また、ヨーロッパにおいて始まりをみせた創造都市研究の中で、日本における文脈が国
内外で注目されるようになってきている。金沢市をはじめとしてユネスコから創造都市に
認定される都市が増えており、脱産業化社会の中で都市に新たな魅力を付与しようと取り
組む川崎、北九州などの都市も登場している。しかし、そうした都市における人々の協働
や、変化の動態的な分析は不足している。
早稲田大学は、川口市と長年にわたって関係を持ち続けている。鋳物産業とは、早稲田
大学理工学術員総合研究所内にある材料技術研究所が深い関わりを持つ。この研究所はも
ともと鋳物研究の機関として 1938 年に創立された。当初は、鋳造および鋳物材料の研究が
主体であり、その後の工業技術の発展に対応して塑性加工・表面加工・粉末冶金などの分
野へと研究領域を拡大し、さらには工業材料の分野ではセラミックスや半導体などの電子
材料の重要性を鑑みて、これら分野の増強を図ってきた、という経緯がある。川口の鋳物
産業と共に歩んできたといえる。また、2003 年には川口芸術学校を開設した。これは早稲
田大学が映画監督、作家、アーティストを数多く輩出してきた芸術文化教育と、1882 年に
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東京専門学校の名で開校して以来培ってきた技術教育を基にした専門学校であった。近年
では社会科学総合学術院の早田宰研究室が、都市の居住環境というテーマから川口市で調
査研究を行っており、2000 年から 6 年にわたった地域再編まちづくりや、地域協働に関す
る調査研究などを、地域の人々と協働して継続的に取り組んでいる。早稲田大学は、地域
の産業と協力し、地域の問題と向かい合い、それを住民と共に解決する方法を探りながら、
常に研究者・観察者という視点も持って川口と関わってきた。自らの取り組みを反省しつ
つ、研究機関として川口の変化を分析することも自らの役割としてきた。
以上のような、川口の変化、創造都市研究の進展、川口と早稲田大学とのつながりの中
で、本研究では、川口という大都市近郊地域の持続可能な「アートのまちづくり」にかか
わる団体やその中心となる人々のコ=プロダクション(相互作用による創造)の活動を通
して、日本社会における成熟社会化、社会再生の特徴を明らかにする。
参考資料
・早稲田大学社会科学部『川口市における地域協働に関する調査』(早田宰、2012 年)
・読売新聞大学取材班『研究室から社会を変える―躍動する早稲田大学の研究活動』
(中央公論新社、2006
年)
・長谷川公一他『社会学』(有斐閣、2007 年)
・宮島喬『社会学原論』(岩波書店、2012 年)
・佐々木雅幸『創造都市への挑戦』(岩波書店、2012 年)
・野沢慎司編・監訳『リーディング・ネットワーク論』(勁草書房、2006 年)
・濱嶋朗・竹内郁郎・石川晃弘編、『社会学小辞典
新版』(有斐閣、1997 年)
・Hall, Peter. (1998) ’ Cities in Civilization’ NY: Pantheon.〈〉
・Csikszentmihalyi, Mihaly. (2006)’1 A Systems Perspective on Creativity’ in Jane Henry, Creative
Management and Development. SAGE Publications Ltd.
〈http://www.sagepub.com/upm-data/11443_01_Henry_Ch01.pdf〉(閲覧日:2014 年 1 月 23 日)
・東京大学大学院 情報学環 学際情報学府 山内研究室「
【気になる研究者】ミハイ・チクセントミハイ」
〈http://blog.iii.u-tokyo.ac.jp/ylab/2011/09/post_326.html〉(閲覧日:2014 年 1 月 18 日)
・早稲田大学川口芸術学校〈http://wasedaart.waseda.ac.jp/4check/about/index.html〉(閲覧日:201
4年1月20日)
・早稲田大学
各務記念材料技術研究所〈http://www.waseda.jp/zaiken/〉(閲覧日:2014年1月20
日)
・経済産業省「第2章「新たな価値創造経済」と競争軸の進化」『通商白書
2004年版』
・佐々木雅幸「日本における創造都市の理論と政策的課題」
〈http://www.ur-plaza.osaka-cu.ac.jp/en/2006/12/061221speaker_02.pdf〉
(閲覧日:2014年1月20
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日)
・研究者たちの素顔
後藤和子
〈http://www.saitama-u.ac.jp/iron/keyaki/keyaki3/report/goto_kazuko/〉(閲覧日:2014 年 1 月 20
日)
・Wikipedia―社会変動論
〈http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E5%A4%89%E5%8B%95%E8%AB%96〉
(閲覧日:2014 年 1 月 21 日)
・Wikipedia―脱工業化社会
〈http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%84%B1%E5%B7%A5%E6%A5%AD%E5%8C%96%E7%A4%BE%E
4%BC%9A〉
(閲覧日:2014 年 1 月 21 日)
-7-
第2章 研究の方法
調査の流れ:一年間の流れ
・川口市徘徊:川口市の街並を感じるために街を徘徊する。川口市に初めて足を使った調
査をする。
・調査希望団体の決定:自分がヒアリングしてみたい団体を選択する。選択基準として、
自分が調べたい項目に合っている団体を選択。
・質問内容の決定:各団体の個人背景、ドメイン、フィールドについて考えて決める。
・アポ取り:電話し、目的、調査理由などを伝え、日時、場所などヒアリングする環境を
作る。
・ヒアリング実施:ボイスレコードを用意し、今までに独自で調べたデータをもとに質問
する。各団体 30 分から 1 時間程度話を聞く。
・フィールドノートの作成:1次ヒアリングで調査したことを、整理する。
・テープ起こし:フィールドノートと同時に、ボイスレコードで記録してある会話を文字
かする。
・コーディング:テープ起こしで文字化したものをデータ化する。
・2次ヒアリング質問決定:各団体、コーディングが終え、自分が調べようと思う項目を
決め、質問項目を考える。
・アポ取り:電話し、目的、調査理由などを伝え、日時、場所などヒアリングする環境を
作る。
・2次ヒアリング実施:ボイスレコードを用意し、今までに独自で調べたデータをもとに
質問する。最終ヒアリングのため質問したい項目を考えておく。
・フィールドノートの作成:2 次ヒアリングで調査したことを整理する。
・独自のデータを文書化(調査書の作成):川口市の文化事業を促進するためにどうするべき
か時間的な変化、ドメイン、フィールド、個人背景の関係を踏まえ、その変化を分析して
いく。独自のデータから自身で集計・分析し考察する。
・仮説、テーマと調査内容
第3章
文化を中心とするまちづくりが行われるなかで、その背景や変化が歴史を伝える寺社空
間で 、何らかの役割を果たしているのではないかと仮説をたてる。
-8-
調査方法:アートと地域文化とのつながりを、インタビューと過去のレポートから調査す
る。インタビュー調査。既存研究分析。
第4章
アーティストネットワークの変遷から川口市における文化クラスターの現状や課題が読
み取れるのではないかと仮説をたてる。
調査方法:アーティストグループの中心として活動していたキーパーソンにヒアリング調
査をして、これまでの活動の内実をまとめる。
第5章
新住民はいわゆる「埼玉都民」としての性質が強く、地域コミュニティーに根付いてい
ないのではないかと仮説をたてる。
調査方法:国勢調査などの既存データをもとに、川口市に在住する住民全体の性質を分析
する。 ヒアリング調査では、川口の現状を踏まえ、住民を巻き込んでいく取り組みをして
いる方にヒアリングし、具体的な市民参加のあり方を模索していく。
第6章
川口の中心的な産業であった鋳物業に注目し、その歴史と現在、鋳物職人の文化を調べ
る。そして川口に新たな魅力を付与しようとする動きとの関係性を検討し、基底文化かど
のような影響を与えているのか。
調査方法:データ・ヒアリング調査のデータ。特に、永瀬留十郎工場の永瀬勇氏、川口商
工会議所の久保田誠司氏、清水康史氏のヒアリングデータ、川口の文化や産業に関する文
献、新聞、インターネットページを使用。加えて、尾高邦雄氏の「川口のかたぎ」を下敷
きにしている。
第7章
行政と民間が一体となって文化政策を行えばよりよいまちが形成されていくと仮説をた
てる。
調査方法:アーティストの方に川口行政への意見を聞く一方で、行政としての文化推進室
からアーティストへ対する想い、今後の文化政策についてヒアリングする。そこから見え
てくる両者の見解の相違を探り、主に行政視点での今後の川口についての考えをまとめる。
第8章
まちづくりを一つの組織行動と捉え、その組織行動は極めて複雑な動きをしているとし
た。そしてもしそうならば、その行動にはディレンマと呼ばれるものが存在すると仮説を
たてる。
-9-
調査方法: 一見似た特質の持つ2名を調査し、そのまちづくりに対する関わり方の違いが
何故産まれたのかを分析する。
第9章
情報発信が一般的に発展していく中で、川口市が PR 活動に力をいれ、それを情報発信し
ていくことにより川口市内外、無関心層への川口の産業都市をアピールすれば文化事業が
促進すると仮説をたてる。
調査方法:川口市の情報発信、PR 活用と今までに成功してきた自治体などと比較し、違い
を分析する。
第10章
地域が発展するためには、人口が必要。川口市は人口が年々増えているが少子高齢化が
進展している。 生産年齢人口が減少。 解決策として川口市は外国人が多いので活用する。
異文化異習慣お互いを理解するために持続的なコミュニティー形成を行政が支援する。メ
ディアセブンにヒアリングに行ったときは、イベント終了後も定期的に集まる参加者もい
た。新住民と旧住民を繋げるキッカケになるのもコミュニティー形成が必要なのではない
かと仮説をたてた。これがコミュニティー形成の第一歩。
研究方法:挿入グラフから、総人口は増えているのに、生産年齢人口は減っている。また、
川口市はハコモノはなかなか充実している。だから、行政の施設を積極的に利用し、ワー
クショップ、イベントを企画する。
第11章
川口市は文化活動が盛んな印象であるが、市の行政はどんな文化政策を行っているのか。
市の一大政策として力を入れているイメージはないと仮説をたてる。川口市は文化創造都
市になりうる要素を持っているが、現段階では足りない。そのために必要だと思う要素は 5
つあると考える。
研究方法:川口市で文化政策を行っている文化推進室と前文化推進室長にヒアリングし、
他の創造文化都市の取り組みを調べる。
調査対象:川口市全域における「ふらりアート川口」掲載組織を中心とした組織・団体・
個店等及びそれに携わる方々
調査に協力いただいた方
・くしまちみなと氏(ライトノベル作家)
・小川順一郎氏(川口市教育委員会前文化推進室室長)
・矢作章氏(川口市教育委員会文化推進室長)
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・高橋秀之氏(senkiya)
・五寳賢太朗氏(GRENSTOCK)
・金子良冶氏(KAWAGUCHI ART FACTORY)
・増井真理子氏(Masuii R.D.R gallery+shop)
・赤岩千春氏(アトリエ Me-mic Work)
・今出央介氏(オタマヂャクシ工房)
・篠原一江氏(キトハルト)
・石田朱音氏(こらんしょ)
・山下浩文氏(川口市アートギャラリー・アトリア館長)
・今村香織氏(川口暮らふと)
・川本将人氏(CASK AND STILL)
・奥田道子氏(OKUDA art&craft)
・宮村美好氏(工房集)
・岡村睦美氏(埼玉画廊)
・宇野聡氏(natural clover)
・溝渕幸一氏(樹モール商店街事務局)
・鈴木常久氏(木風堂&新井宿駅と地域まちづくり協議会)
・久保田誠司氏(川口商工会議所)
・清水康史氏(川口商工会議所)
・永瀬勇氏(永瀬留十郎工場)
・たむらひろし氏(BF.REC)
・小室雄充氏(筥崎山地蔵院 住職)
・竹本佳徳氏(川口神社 宮司)
・氏原茂将氏(メディアセブン
ディレクター)
・白井慎一氏(ミルウォーキークラブ)
以上
- 11 -
第3章 文化資本としての都市空間
1.目的
文化資本としての都市空間は地域社会の持続的発展に貢献するのか?
近年になり日本を含めた先進諸国は一般に都市計画の比重を工業・産業一極集中から自
然・文化へとしだいに移している。(※1)今回調査に訪れた埼玉県川口市もそうした傾向
のある地域の一つであり、将来的な地域の持続・再興のために緑や芸術、歴史などをまち
づくりの前面に出している。(※2)(※3)こういった状況にはいかなる必然性があるのか
を考えていきたい。
2.方法
今回の調査には以下の方法を利用した。
・鳩ヶ谷地区での文化資本を利用した町おこしの中心と考えられる、筥崎山地蔵院住職小
室雄充氏への訪問調査
・川口市街中心部における最大規模のイベントである例大祭、おかめ市の核となる川口神
社宮司竹本佳德氏への訪問調査
・朗読者 in KAWAGUCHI 演出のために川口を訪れていた北川原梓氏へのインタビュー
・第5項 参考文献にあげた関連文献、計画書、通達の調査
3.結果と考察
今回の調査からは工業・産業中心の都市計画から自然・文化を重視した都市計画への移
行は必然的なものであり、文化資本としての都市空間の充実は地域社会の持続的な発展に
寄与すると判明した。また合わせて文化資本と社会やアーティストのあいだを調整し、結
びつけるコーディネーターという役割の重要性が確認された。以下に文化資本と都市計画、
文化資本としての都市空間、コーディネーターの3つをキーワードにそれぞれ記載する。
3-1.文化資本と都市計画
近年の先進諸国内の都市計画はかつての工商業の発展を中心としたものから、自然の保
全や文化の醸成を目指すものへと変化してきている。これは国土交通省の報告によると
高度経済成長期以来の人口の都市集中や都市の無秩序な外延化への反動であり、人口減少や環境問題
の顕在化そして社会全体の厳しい財政状況の影響を受けている。またモータリゼーションの進展によ
る生活圏の広域化や職業立地の制約緩和、また産業構造の転換による工場の減少を要因とするもので
ある。
その一方で質の高い住まい方、自然的環境や景観の保全・創出に対する国民的意識の高まりから要求
された状況であり、いわば都市化の時代から安定・成熟した都市型社会への移行している状況である。
ということである。(※4)
- 12 -
またこういった文化都市形成に関連してフランス人社会学者ブルデューの考えた一連の
理論があげられる。ブルデューの文化への捉え方は
社会に存在する資本は一般にいわれる経済資本のほかに、信頼関係や人間関係からなる社会関係資本、
そして文化資本のあわせて3資本が存在する。この3資本は相互に転換するが、このうち生育環境に
よって形成されるために親子間で再生産される文化資本が社会における格差の主要因である。
要約するとこういうことである。(※5)ここを起点とした近年の渡辺薫氏の研究によると
『文化資本が都市の変容をもたらす基礎的な条件について。
…まちづくりや産業創造活動の出発点においては、何らかの文化的価値に対する強い思いを抱いてい
る活動がイニシアティブとして牽引車の役割を果たすと考えられる。…文化資本が創造する価値が経
済資本と結びついて経済的利益を生み出し、その経済的利益が文化資本へと回ることによって、価値
の創造が支えられる― という自立的な循環メカニズムが成立することが重要である…重要な主張は、
一つは、文化資本は、その中心となる文化的価値によってまちづくりや産業創造活動等の主体形成を
もたらすとともに、価値創造機能を与え、さらに活動の器・仕組みを提供することで活動を創発させ
るという作用力を持っていることである。もう一つは、創発した活動がネットワークを形成し、その
中で〈場〉という、参加するアクター間の密度の高い相互作用が行われる状況を中心にして、そのネ
ットワークに特有の局所的な行動の枠組みを形成するという形で、新しい文化を生み出すということ
である。』
と考えられている。(※6)
また実際に文化重視のまちづくりを行った地域が成功している例は未だその途上にある
日本国内でも複数見ることができる。(※7)現代芸術とサイトスペシフィックをキーワー
ドに精銅所・漁村のイメージをくつがえした瀬戸内地域(※8)や、世界で初めてクラフト
部門ユネスコ文化都市に選ばれたことで著名な金沢市(※9)などがある。以上を鑑みるに
工業・産業一極集中の都市計画から自然・文化を重視した都市計画への移行は必然的かつ
合理的であったと判断できる。
3-2.文化資本としての都市空間
こうして価値を置かれるようになった文化資本としての都市空間。
川口市ではこのような文化資本は地域の発展にどのように寄与するのだろうか。そこで
引用されるのが前述したブルデュー理論である。すなわち文化資本とは獲得が生育環境に
より左右される格差の主要因であり、同時に経済資本・社会関係資本と相互に転換するも
のという理論である。
たとえば川口神社を中心として駅までの交通規制とともに行われるおかめ市。そこを訪
れる幅広い年齢層の参拝客の賑わいからは、経済資本と文化資本が相互に高まるという状
況が直観的に表されているように思う。
- 13 -
おかめ市の様子
また地蔵院住職小室氏によると
地蔵院では専門家を招いて境内を利用した陶芸教室などの文化教室をひらくことや地
域の子どものために縁日をひらくこと、そして住職は御成市のような大きな催事を中
心となってひらいたり、地域にちなんだ産物の開発など幅広い活動を手掛けているそ
うである。
たとえばここからは子どもの頃のお祭りの経験や、文化教室で芸術にふれることから身体
的な文化資本を獲得することや、御成市や銘菓御成切の誕生によりそれまで使われていな
かった歴史を経済資本へと転化させたと考えることも可能だろう。そして何よりもそうし
て人の集まる場がつくられたことで、人と人とのつながりが生まれて社会関係資本が形成
されるといえる。またこれらは住職の活動とその強いイニシアティヴが生み出した新しい
文化、自律的な循環メカニズムといえるのではないだろうか。(※6)
3-3.コーディネーター
こうした一方で都市空間・文化資本の活用について重要ながら欠如しがちなものがある
ことも調査からわかった。そのことは川口神社宮司竹本氏の言葉の中に端的に現れていた。
境内でのイベント開催について
『…骨折って縁の下の力持ちをやる人が続かないとやっぱりダメ、出てくれる人は多分いるんだろう
と思うんです…(出演者も) またやりたいという気持ちもいっていましたし、いつでもどうぞとは言っ
たのですが。ただやっぱりコーディネーターみたいのがいないとなかなか自分で観客まで集めてとい
うのは大変でしょうし。…』
ここで直接言及されたのはアーティストと観客や舞台との間を調整するイベントの運営者
としてのコーディネーターである。しかしここで重視したいのは文化の牽引者・発信者で
- 14 -
あるアーティストと地域の文化資本・基底文化を結びつける働きを行うことである。
貴重な文化的基礎をもちながらもそれを適切に発信できず、求める人とめぐりあえないと
いう状況は決して珍しい事ではないだろう。
第 3 回朗読者 in KAWAGUCHI(2014 年 1 月 18 日
筥崎山地蔵院本堂)を終え、100 人を
超える来場者を見送ったのちに演出の北川原さんは川口市での公演をこう語る。
『今回(の公演)は成功でした。…わたしたちはもともと歴史のある場所で公演したいと考えていて
…そこで(以前の公演を観ていた)小川さんに紹介していただいたのがきっかけです。
』
ここからも歴史という地域がもつ文化資本が北川原さんたちのようなアーティストと結び
ついて発信されるために小川順一郎氏(教育委員会生涯学習部生涯学習課主幹)のような
コーディネーターの役割が際立ってみえる。
朗読者 in KAWAGUCHI のようす(地蔵院本堂にて)
では優れたコーディネーターに必要な要素とはなにか。それは基底文化眠る文化資本を
見つけ出す文化的教養、人を動かせる行動力と説得力であると推測される。(※6)こうい
った要素をもち地域とアーティスト、文化資本とを結びつけるためイニシアティヴをとり
行動できるひとが我々が求めるコーディネーターである。こうしたコーディネーターがい
ることによって、
- 15 -
① それまで地域の基底文化のなかで見出されず眠ったままであった文化資本がコーデ
ィネーターにより見出される。
② その文化資本を求めるアーティストとコーディネーターにより結びつく。
③ コーディネーターにより地域と結びついたアーティストにより地域の基底文化が向
上する。
④ 向上した基底文化のなかから新たに文化資本を見出す。という好サイクルが理想的に
は形成される。(図 3-1)
図 3-1 コーディネーターによる文化資本発見と文化向上のサイクル
また文化資本論に従い、文化資本の拡大による他の資本拡大の誘導も期待できるため、
地域の持続的な発展性が見込まれる。例を挙げるならば今回訪問した地蔵院住職小室氏も
こうしたコーディネーターのひとりだといえるだろう。このような高い素養の要求される
コーディネーターの存在が都市空間の文化資本を活用するには重要である。
4.小括
以上にみたように文化資本としての都市空間の充実は地域社会の持続性に寄与するもの
であり、そのためにはコーディネーターが大きな役割を果たしている。すなわちコーディ
ネーターと文化資本そしてアーティストが結びつくことによって基底文化が向上し、ひい
ては地域の持続的発展へと結びつくと推察される。したがって都市空間において歴史や自
然、風俗など、そしてそれらを活用し表現し広める先駆者たるアーティストのみならず、
その2者のあいだを結びつけるコーディネーターの存在にも目を向け、複数育成すべきだ。
そしてそのための方法研究が今後の課題である。
- 16 -
参考文献
(※1)『第5版 都市計画運用指針』2006.11
(※2)
『川口市緑の基本計画』川口市 2008.9
(※3)『川口市都市計画基本方針』川口市 2011.3
(※4)『第5版 都市計画運用指針』国土交通省 2006.11
(※5)『ソーシャル・キャピタル入門-孤立から絆へ』稲葉陽二
2011.11
(※6)「都市の変容と文化資本―活動の創発とネットワークによる文化の創造」渡辺薫
『文化経済学第5巻第2号』文化経済学会 2006.9
64 頁~67 頁
(※7)『文化芸術創造都市推進報告書』NPO 法人都市文化創造機構
(※8)『直島瀬戸内アートの楽園』福武總一郎、安藤忠雄ほか 2011.8
(※9)『金沢創造都市推進プログラム(改訂版)』金沢市 2013.3
- 17 -
2010.2
第4章 文化クラスターとそのネットワーク
1.文化クラスターとは何か
そもそもクラスターとは「ブドウの房」を意味し、ブドウの粒のような個が集積し、連
携した集合体の呼称である。
「産業クラスター」と言う言葉を世に広めた米国の経営学者で
あるマイケル・E・ポーターは、これを「特定分野における関連企業、専門性の高い供給
事業、サービス提供者、関連業界に属する企業、関連機関(大学や業界団体、自治体など)
が地理的に集中し、競争しつつ同時に協力している状態」と定義している。
このクラスターのアート版こそがこの章で考える「文化クラスター」である。繰り返し
にはなるが、「アート分野における関連企業、専門性の高い供給事業、サービス提供者、関
連業界に属する企業、関連機関(大学や業界団体、自治体など)、一般市民が地理的に集中
し、競争しつつ同時に協力している状態」を文化クラスターと定義する
2.川口市内の文化クラスターの現状
川口市内の文化クラスターは次のような 3 つの特徴を持っていると考えられる。
①地元のアーティストの草の根的な活動によるネットワークの形成
②地域資源を生かしながら、そこに新たな魅力を加えた創造的活動
③市民ニーズに対応したアート活動の広がり
このような大きな流れの中で具体的にどのような活動が行われたのかを以下で紹介する。
①地元のアーティストの草の根的な活動によるアートネットワークの形成
それまで個々に活動していた市内のアート活動の情報が、市民の草の根的な活動により、
情報が集積された。これにより緩やかにアーティスト同士のネットワークが形成された。
この時できたアーティスト同士のつながりは後のアートグループの形成にも影響してい
ると考えられる。
・燦ギャラリー(2000 年~)
【概要】川口銀座商店街(樹モール)内にあるギャラリー。平成 11 年に同商店街で
行った「消費者のニーズの変化の調査」から住民の中に「多目的ホール」
を求める声があることがわかった。また川口駅周辺にはアートを展示す
る場所がなかったことから燦ぎゃらりーが、多目的ホール的なギャラリ
ーとして作られた。
【目的】アートのみならず市民活動の発信の場として活用する。
市内の新、旧住民の交流の場としての役割を持つ。
【効果】燦ぎゃらりーでは住民とアート展示が近い距離にあることを重点になされ
ており市民にとってアートが身近に感じられるようになったと考えられる。
- 18 -
また同施設は新旧住民の交流の場としての役割を持ち、地域に新しい人を
受け入れる場づくりがなされた。
・e-ぎゃらりー川口(2002 年~2008 年)
【概要】漫画家である田代しんたろう氏が音頭を取り、これまで点で存在していた
市内のアート活動を一つのポータルサイトにアーカイブ化した。市内のア
ート活動の情報収集は地域住民の草の根的な活動によって行われた。
運営は数名の実行委員によって行われ、その他多くの「 e ぎゃらりー川口」
Supporters と呼ばれる協力者によって運営された。
【目的】市内のアート情報を漏れなくネット上で発信することで「お互いに刺激し
合い、交流を深め、元気を倍加させ、川口とその周辺をなおいっそう創作
意欲にあふれる地域にできたらなぁ」
(e-ぎゃらりー川口ホームページより)
【効果】これまで個々独立していたアート活動が一か所に集約された。それと同時
に川口市内のアーティストの緩やかなネットワークが形成された。
②地域資源を生かしながら、そこに新たな魅力を加えた創造的活動
川口市内には古くから伝わる「もの造り」の気風や豊かな自然環境など、アート活動に
適する地域資源が多く眠っていた。このような資源に市外の作家が目を留め市中の様々な
場所でアートイベントを行った。それまでの情報の集積から一歩進んで、市民と関わりな
がら作品展示やパフォーマンスを行ったことで、「アート」が地元の一般市民にまで広が
ってきた。
・Between ECO&EGO(2004 年~2006 年)
【概要】現代アートの作家である丸山常生、芳子夫妻が川口市の「もの造り」の気
風や、多数の川が流れる穏やかな自然風景など川口が持つ地域特有の素材
を生かしたアートイベントを開催。2004 年から 3 回に渡り、市内各地のア
ートスペースで展示やイベントを開催。
【目的】「生態系の一員としての人間のあり方[ECO]と、一人ひとりの意識や欲望[EGO]。
この相反しながらも不可欠なふたつのはざまで、社会的責任を持つ生物である
私たちはいかに折り合いをつけていくのか?」
(ホームページより)
【効果】これまで生かし切れていなかった市内の環境が外から来た作家の目に留ま
りイベントを開催した。市民も川口が持つ文化的環境を自覚し、アート活
動が面としての広がりを見せた。またこのイベントには多数の市民の協力
があり、地域が一体となってイベントを受け入れることができた。
- 19 -
③市内全域に展開する包括的な活動の展開
これまで局地的、単発的に行われていたアートイベントが発展し、市内全域を巻き込
んだ活動が起こった。また同時にその内容も一般市民が気軽に参加できる形であり、次第
に一般市民も取り込みながら文化クラスターを形成していった。
・川口ふらりあーと(2003 年~)
【概要】開発好明氏が発起人となり毎年 3 月 9 日に世界中で様々なアート活動が行われ
ている。川口では市民有志がこの活動を発展させ、
「川口ふらりあーと」とし
て、市内のアート施設を一枚のマップにまとめた。
【目的】地域にできたネットワークを生かして「もっと川口のアートを盛り上げた
い」という願いが込められている。
【効果】作家同士だけではなく地域でつながるという事で、地域全体の連帯感を生
み出し事業者に安心感を与えている。またふらりあーとを見て来るお客さ
んもおり、集客の効果もあると考えられる。マップとして一つの形にまと
めたことで、一般市民にも認知されやすく「川口は文化レベルが高い街な
のだ」と感じる一般市民も多いという事。
・川口暮らふと(2011 年~)
【概要】一般市民のアートやクラフトに関する関心の増大などもあり、年 1 回クラ
フトマーケットを開催。作家は市外の作家が中心で、また市外からの来客
も多い。運営は住民主体のボランティアで行われている。
【目的】「もの造りのまち川口の『今』を見せたい」という思いから始まった活動。
地元の歴史や文化を汲み上げながら、新住民も楽しめるオシャレなイベン
トを催したいという思いが込められている。
【効果】普段、地域の活動やアートなどに関心を持っていない住民が、まちに興味
を持ったり、まちを好きになったりするきっかけとなる活動である。地域
住民の協力を元にイベントが開催され、地元の連繋を深めている。
「e-ぎゃらりー川口」によってウェブ上でつながったアーティスト同士のネットワーク
は、ふらりあーとにより現実世界のネットワークへと次第に変化していき、一般市民も巻
き込んで文化クラスターを形成していった。しかしそのネットワークも決して強固で深い
ものではなく、それぞれが緩やかに繋がっているのが特徴である。
川口市ではこれまで見てきたようないくつかの段階がうまく循環していったことで、ア
ーティスト同士のネットワークや一般市民も巻き込んだ文化クラスターが形成されていっ
た。
- 20 -
3.文化クラスターのネットワーク形成の条件
前節までに川口市内の文化クラスターの特徴を見てきた。それらを通して、より良い文
化クラスターとそのネットワークを形成するためには以下のような条件を満たしている必
要があると考えられる。
①市内にアート活動に積極的に取り組む多様なアクターが存在していること。
②地域が持つ文化資源を活用していること
③ネットワークを形成する動機となりうるキーパーソンの存在していること。
④市内にハードの面でネットワークのハブ(結節点)が存在していること。
⑤一般市民を広く巻き込んだ活動を行っていること。(参加の機会を提供する事)
⑥次世代への継承が適切になされていること
4.小括
川口市には前節にあげた条件のうち①~③は充分に満たされていると考えられる。その
一方で④~⑥には未だ改善するべき余地がある。
④のハードの面でのハブについては今回行った調査の中で、
「川口市内には本格的な美術
館がない」という声が聞かれた。川口市には市立のギャラリーであるアトリアがあるが、
こちらには美術品を保管するための設備がない他、公共施設であるために、取り組みにも
幾分制限がかかってしまう。市内にアート関連の拠点となる美術館を作ることで、ハード
面でのネットワークのハブとなり、より強固なネットワークが形成できると考えられる。
また⑤に関しては、アートに関心の薄い一般住民が、興味を持つような取り組みをして
いく必要がある。川口暮らふとはそのような新住民が気軽に楽しめるイベントを目指して
おり、今後はこのイベントで、川口らしさを出していけるかが課題となる。
最後に⑥に関して、アートイベントは短期間の物であっても、人材育成の視点を取り入
れなくてはならない。今回の調査でふらりあーとは実行委員の後継者がおらず、活動が停
滞しているという声があった。継続的な活動を続けていくためにも、この視点は重要であ
る。
川口市に文化クラスターのネットワークは様々な活動を通して現在緩やかなつながりを
持っている。これを今後強固なネットワークとして成長させていくためには、これらの改
善点を改め、川口市特有の「もの造り」の伝統を生かした活動を行っていく必要があると
考えられる。
- 21 -
図 4-1
川口市の文化クラスターの変遷
- 22 -
表 4-1
団体名
1
主催者(協賛)
e-ぎゃらりー川
9名の実行委員
口
燦ギャラリー
運営委員
2
燦ぎゃらりー
3
Between
ECO&EGO
4
アーティスト
インスクール
川口市立ギャラ
リーアトリア
(第1
回:ECO&EGO)
5
ふらりあーと川
口
6
川口暮らふと
川口市におけるアート活動まとめ
規模
活動年
活動資金
作家72、団体9、
教室58、公民館35、
美術館37、文化財
28、ギャラリー
25(2008)
2002~2008年
随時イベントを実施
毎週約200人が来
場
2000年~
目的(HPより)
皆さんのアートへの熱い思いと豊かな表現活動をイ
138名のegk ンターネット情報としてご紹介することでお互いが
サポーター
刺激しあい、交流を深め、元気を倍加させ川口とそ
による支援金 の周辺をなおいっそう創作意欲にあふれる地域にで
きたらなぁ
出展料 他
商店街の振興・発展を目指し、文化情報発信地とし
ての役割を持つと共に、商店街のイメージアップを
図る。
2004~2006年
生態系の一員としての人間のあり方[ECO]と、一人ひとりの
意識や欲望[EGO]。この相反しながらも不可欠なふたつのは
ざまで、私たちはいかに折り合いをつけていくのか?
年1,2回
市内の小中学校
2006年~
アーティスト・イン・スクールは教育の現場にアーティスト
が入っていくことで開花される、子どもたちの自由な発想と
無限の表現力を育てることを目的としている。
ふらりあーと川
口実行委員会
(6名前後)
45団体(2012年)
2005年~
助成金
埼玉県川口市で、アート・クラフトのある暮らしを
楽しむために、マップ制作やイベントなどを開催し
ています。
川口暮らふと
実行委員会10
名 (2
013)
出店数117
(2013年)
2011年~
出展料 協賛
金
(5社5名)
街の歴史やいしずえを感じながら、ここで生まれる
出会いや交流を通してものづくりへの関心が高ま
り、つくり手の想いが伝わってゆく場であって欲し
いと願います。
BetweenECO&EGO
38名の作家
実行委員会
市内5会場(2006)
参考文献
・e-ぎゃらりー川口
・燦ぎゃらりー
・Between
ECO&EGO
(http://www.egk.jp/)
(http://www.k-ginza.com/gallary/ga01.html)
(http://www.eco-ego.net/)
・アート・プラットホーム・カワグチ(APK)
・kawaguchi39@rt
・川口ふらりあーと
・川口暮らふと
(http://artplatformkawaguchi.web.fc2.com/)
(http://artplatformkawaguchi.web.fc2.com/2009kawaguchi39rt.htm)
(http://www.furari-art.com/)
(http://k-kurafuto.com/)
・株式会社日本政策投資銀行 大分事務所 2011 年5月「文化芸術創造クラスターの形成に向けて~美
術館からひろがる創造都市~」
(http://www.dbj.jp/pdf/investigate/area/kyusyu/pdf_all/kyusyu1105_01.pdf)
- 23 -
第5章 文化クラスターと地域社会の相互作用
1.本章のねらい
本章では、川口市で増えつつある新しい住民が「まち」に参加していくプロセスを、複
数の視点をヒントに考察して行こうと思う。全体の流れとしては、まず客観的データによ
る川口市民の現状分析を行って問題点を明らかにし、現在川口市内のまちづくりにおいて
キーパーソン的役割を担っている方の視点を紹介したのち、その視点を参考に本章の小括
として市民参加のあり方を述べていく。
2.現状分析
市民参加を述べるにあたって、まず川口というフィールドに住まう人々の現状分析を論
の前提として述べていく。
まずは、川口市民の市外への通勤・通学状況をもとに地域への意識を分析する。以下の
図 5-1 は、平成 22 年度に行われた国勢調査のデータをもとに川口市の全人口、市外への通
勤・通学者数、後者の前者に対する割合の推移を表したものである。人口が増加するとと
もに、1990~95 年をピークに市外への通勤・通学が増加しているといえる。2010 年度のデ
ータを見ると市外への通勤・通学の割合は 29.1%であり、川口市民の 10 人中 3 人弱が川口
市外で活動を主にしていることがわかる。
図 5-1. 川口市民の市外への通勤・通学状況
- 24 -
図 5-2. 川口市在住労働者の県外勤務の割合
また、上記の図 5-2 は同じく平成 22 年度国勢調査から川口市の労働者人口・県外勤務者・
県外勤務者の割合の推移を表したものである。1990 年から現在に至るまで、県外に勤める
労働者の割合は 35%前後であり、労働者の 3 人に 1 人以上にあたる高い数値を維持してい
る。東京都に隣接しているという良好なアクセス条件から、その大半を都心部への通勤・
通学者が占めていることが想定できる。実際、川口市が行った市民意識調査(平成 24 年度
版)によると、労働者としての性質を持つ市民の 30.0%が東京都内で勤務していると回答
している。このデータは毎年同水準で推移しており(H23:29.7%, H22:27.8%, H21:30.2%,
H20:33.1%)
、都心が基盤となっている川口市民が一定数存在するといえるだろう。
次に、市民が居住している住宅という観点から川口市民の志向を分析していく。次ペー
ジの図 5-3 は、川口市内の住宅を建て方別に分類し、その推移を表したものである。ここで
も平成 22 年度の国勢調査データを使用した。全体の長さは全世帯数を表すが、年々着実に
増加傾向にある。それぞれの種別に見ていくと、一戸建と三階建以上の共同住宅が目に見
えて増加していることがわかる。
共同住宅の項目を一、二階建と三階建以上に分割したのは、国土交通省が平成 21 年に行
った『全国のマンションストック戸数』において、マンションを「中高層(三階建て以上)・
分譲・共同建で、鉄筋コンクリート、鉄骨鉄筋コンクリート又は鉄骨造の住宅」と定義し
たことに基づいて、マンションとその他の共同住宅を区別するためである。本稿ではあく
- 25 -
図 5-3. 川口市の住宅の建て方別世帯数
まで概数の把握が目的のため、
「三階建以上」以外の定義項目については検証を省くことと
した。
いわゆる「マンション」に居住する世帯は年を追うにつれ飛躍的に増加し、現在は一戸
建世帯数を上回るに至っている。昭和 50 年代から続いてきたマンションの建設は近年高層
化の一途を辿り、1998 年 7 月に竣工した「エルザタワー55」は高さ 185.8m・55 階建と、
日本で 10 番目の高さを誇っている。このようなマンションに居住する住民はほとんどが川
口に基盤を持たない「新住民」であり、先ほどの都心への流出状況も合わせて見ると居住
地域との乖離が発生する可能性があるといえる。
先の市民意識調査において、
「川口市の良いところ」という調査項目の回答は、第 1 位「都
心に出やすい(62.5%)」、第 2 位「買い物など日常生活が便利である(56.8%)」、第 3 位
「災害が少ない(26.0%)」と続いており(平成 24 年度)、他の年度を見ても割合や順位に
ほとんど変動が見られない。圧倒的な支持数を得た 1 位と 2 位であるが、これはどちらも
都心が近いという川口の地理的アドバンテージを評価しているに過ぎない。ここから、川
口市民は都心志向が高く、特に新住民は川口という「地域」をあまり意識することなく生
活していると推測できる。
このような性質を持った新住民が、地域に根付いたいわゆる「旧住民」のコミュニティ
といかに共存し、「まち」に入っていくことができるかは、「市民参加」というもののあり
方にかかっているといえるだろう。
- 26 -
3.キーパーソンの視点研究
次に、川口市内におけるまちづくりの「キーパーソン」ともいえる地域リーダーの視点
を紹介させていただく。まさに新住民が増えつつある川口駅周辺の地域リーダーとして、
川口銀座商店街(樹モール商店街)事務局の溝渕幸一氏、住民主体のまちづくりを進める
新井宿地域のリーダーとして、新井宿駅と地域まちづくり協議会会長・鈴木常久氏の2人
にお話しをうかがった。
1)商店街の視点
川口銀座商店街(樹モール商店街。以下、商店街)は JR 川口駅東口に位置する商店街で
あり、駅周辺に林立する高層マンションの住民を含む周辺地域住民はもちろんのこと、駅
利用者にも幅広く利用されている。アートと絡めた事業としては、2000 年(平成 12 年)
に多目的ホール的なギャラリーとして「燦ぎゃらりー」が商店街内にでき、その1周年記
念として「樹モール祭」が開催された。このイベントは、樹モール商店街が作家や川口市
民と協働し「クラフト&アート」をテーマとして行われたものであり、出店の半分以上が
川口市民であったとのことである。
このようなイベントへの市民参加について、溝渕氏は安易な新住民の参加に対して警鐘
を鳴らした。というのも、このようなイベントに参加しようとする意思を持つ新住民はそ
の分意見が強く、個々の意見が反映されることを望んでおり、そのことがイベント全体の
調和性の乱れへとつながることが危惧される。イベント運営は旧来からの付き合いから生
まれる「信頼」関係に基づいており、その中には市民以外、例えば燦ぎゃらりーにおいて
何年も前から川口にかかわってきた市外在住のアーティストなども含まれるといえる。
そこから、溝渕氏は「地域住民」というものの定義の難しさを語った。川口で生まれ、
川口で育ったような生粋の川口市民や、何十年も川口に住み続けるいわゆる「旧住民」が
その居住地域のコミュニティにおける「地域住民」であることに関しては疑いの余地がな
い。一方でここ数年のうちに川口に居住し始めたようないわゆる「新住民」に関しては、
先ほども述べた「旧来から川口につながりを持っている非川口市民」と比較したとき、果
たしてどちらがより「地域住民」であるか、というところが焦点となっている。
「地域住民」になるための最も大きな条件として見えてくるのは、やはり他の住民との
「信頼」関係であり、この構築こそが市民参加プロセスの第一段階といえるだろう。
商店街はアート以外にも様々なジャンルのイベントを開催しており、住民の多様な関
心・ニーズに対応している。それぞれのテーマによってチャネルを変え、市内外の専門団
体と協力してイベントを手掛ける。このとき、商店街側は地域リーダーとして専門的集団
である各団体と一般市民の中間を取り持つ形でイベント運営に関わり、両者の考えをもと
に調整する立場に立つ。
- 27 -
このように、
「地域住民」の代表がイベントのプロデューサーとなることによって、市民
を巻き込んだイベントへ発展できるはずである。先に挙げた樹モール祭やこの後に挙げる
新井宿駅と地域まちづくり協議会などに見られる、地域リーダーが主体となって市民を引
っ張っていく形が望ましく、
「信頼」に基づいた運営のもと、市民参加のしやすい環境が形
成されるといえる。このような地域リーダーは「キーパーソン」であり、市民参加プロセ
スには不可欠な存在といえよう。
2)町会の視点
新井宿駅と地域まちづくり協議会(以下、協議会)は、埼玉高速鉄道(SR)の新井宿駅
周辺地域のまちづくりを担う組織であり、旧来からの農業地域に住まう旧住民と、駅新設
時から増加している新住民という住民構造を背景に、新旧住民の交流をコンセプトに掲げ
ている。もともと花卉栽培・植木などの農業を中心とした自然豊かな地域であったため、
駅周辺をむやみに商業化するのではなく、地域に根付いている伝統的な地場産業を生かし
たまちづくりを推進することを目標としている。
市民が地域に入っていくにあたり、まず基本となるのが町会・自治会であるが、この運
営を担う役員が進んで動かないことには、市民に参加の意思が発生しにくい。というのも、
そのような町会・自治会では上からの命令をただ遂行するのみであり、自らのやりたいこ
とを進んで行う「ボランティア」とは異なり、行政の末端組織としての性質を多分に孕ん
だ柔軟性に乏しい組織となってしまうことが十分に考えられるからである。
市民が参加していくために必要なものとは何か。鈴木氏は町会・自治会側が市民の潜在
的な能力を「発掘」していくことを強調した。市民との対話を通じてその市民が持ち合わ
せている能力や趣味、つまりは「得意なもの」を発掘し、それを褒め、やる気を引き出し
ていくプロセスが肝要であると鈴木氏は繰り返した。町会・自治会には市民の参加意思を
引き出す役割があり、鈴木氏はその役割を担うことのできる「キーパーソン」であるとい
える。
このようなプロセスを経て参加の意思を持つに至った市民には、何らかの役割を付与し、
参加の自覚を促す。この際、行政組織的なトップダウンの命令を与えるのではなく、各自
の意思に基づいた適切な役割を与えることが大切であると鈴木氏は語った。組織の一員と
なったからといって寄合やイベントへの参加を強制するのではなく、各自の予定に合わせ
た自由な参加形態をとる。このことによって、普段は仕事で参加が難しい会員でも気軽に
入会することが可能となる。実際、協議会には若い会員が多数在籍し、各自の個性を生か
した活動を行っている。
ただ単に会員数を増加させるのではなく、市民一人ひとりの参加への意思を尊重し、自
由な活動を促進する。そういった「住民主体」のまちづくりが新旧住民間の溝を埋め、双
方の「信頼」醸成に大きな影響を与えているはずである。
- 28 -
「住民主体」のまちづくりを進めていくにあたって、何よりも大事なのはやはり住民(市
民)という存在である。しかし、長期的な視点で見てみると住民というのは流動的なもの
であり、町会・自治会が永遠に同じメンバーのまま活動していくということはあり得ない。
住民は日々変わっていくのである。
そのため、町会・自治会はその変化に柔軟に対応できるものでなくてはならないと鈴木
氏は主張する。10 年、20 年先を見据え、次世代においても持続可能な組織であるために、
先ほどの住民の能力発掘、自由な活動といったプロセスがカギを握っている。住民が自ら
の意思をもとに活動を行うことによって、リーダーとしてのスキルが備わっていき、最終
的には鈴木氏のような町会・自治会の中心となって市民参加を広めていく「キーパーソン」
へとなっていく。これがまた次の世代、その次の世代へと受け継がれ、組織は将来世代ま
で続いていくことができるといえる。
市民参加のプロセスから「キーパーソン」となる人材育成まで、住民(市民)が中心に
なって動くまさに「住民主体」のまちづくりこそが、今後の地域社会において求められて
いる形であろう。
1.小括
地域リーダーである各氏の視点から見えてきた市民参加の重要なキーワードとして、
「信
頼」「キーパーソン」「住民主体」の3つが挙げられる。これらの要素を押さえた市民参加
のしくみを述べることで本章の小括とする。
新しく「まち」に入ってきた新住民が地域のコミュニティに参加するにあたり、まず大
切なことは既存住民(旧住民)側による先導である。「キーパーソン」を中心とした旧住民
が積極的なアプローチを通じて新住民の能力・ニーズを発掘し、イベントなどを通じて漸
進的に「まち」へ迎え入れ、「信頼」を醸成していく。
新住民の多くが居住するであろうマンションの中には、地域のコミュニティとは別に独
自の町会・自治会を設置しているところも存在し、川口市内に 231 ある町会・自治会のう
ち、27 がマンションをはじめとした集合住宅独自のものとなっている。先述のエルザタワ
ー55 にも自治会が存在しており、特に住民同士のクラブ活動などを行う「ピアエルザ」と
いうコミュニティが設けられている。このようなマンション独自の町会・自治会では、住
民同士の交流を深める活動と同時に周辺地域の町会・自治会と連携し、旧住民と接触する
機会を作るべきである。旧住民との交流が生まれることによって、新住民の能力・ニーズ
が発掘され、新たなつながり・活動ができ、マンション住民全体が川口へ入っていくこと
ができるだろう。
市民が「まち」に入っていくきっかけとして、イベントの開催は大きな役割を持ってい
- 29 -
る。
『「まち」に興味を持つのに、入り方は人それぞれ。「まち」そのものに興味を持つ人も
いるし、「アート」に興味を持つ人もいる。そのきっかけとなるのがイベント。』(川口市立
アートギャラリー・アトリア職員/今村香織氏談)
多様な住民のニーズに応えるようなイベントを開くため、様々なジャンルの団体と組ん
できた樹モール商店街の溝渕氏。
「住民主体」の考えから、住民の自由な意思に基づくイベ
ント開催を促進してきた新井宿の鈴木氏。例を見ても明らかなように、イベント開催にお
ける「キーパーソン」が果たす役割は非常に大きい。
しかし、住民のニーズを全て満たすことは不可能に近い。比較的マイノリティなニーズ
は絶対的な数が少なく、町会・自治会などの小さな自治体のみでは対応することができな
い。そのような時は市レベルなどに対象範囲を拡大したイベント開催が有効な対策といえ
る。その際、市民が気軽かつ確実に情報を得ることができるような、しっかりとした情報
伝達が必要不可欠である。我々がこれまで行ってきたヒアリング調査において、情報伝達
の不十分さは常々指摘されてきた。川口市はこの対策を十分に練るべきであるが、情報発
信については他章に論を譲ることとする。
地域における「信頼」を創り出すプロセスを経たのち、新住民は発掘された能力を生か
して自ら活動を始めたり、地域リーダーとしての自覚を持つようになったりと、
「まち」の
未来を担う人材へとなっていく。そして次世代の新住民に対しては、旧住民側として彼ら
の能力・ニーズを発掘する立場に立つ。このようにして、市民参加のプロセスは将来へと
繋がっていくことが望まれる。
《参考文献》
・AGC 新井宿駅と地域まちづくり協議会
オフィシャルサイト
(http://araijyuku.jp/)
・エルザタワー55 管理組合
(http://www.elsatower55.com/index.html)
・川口銀座商店街 樹モール
(http://www.k-ginza.com/)
・川口市 町会・自治会の一覧について
(http://www.city.kawaguchi.lg.jp/kbn/16010022/16010022.html)
・川口市統計書(第 2 章 人口、第 3 章 国勢調査、第 10 章 建設・住宅を使用)
(http://www.city.kawaguchi.lg.jp/kbn/04013058/04013058.html#t02)
・川口市 市民意識調査の結果について(平成 20~24 年度の結果を使用)
(http://www.city.kawaguchi.lg.jp/kbn/04010060/04010060.html)
・国土交通省 全国のマンションストック数(平成 21 年)
- 30 -
(http://www.mlit.go.jp/jutakukentiku/house/torikumi/tenpu/H21stock.pdf)
・埼玉高速鉄道 えすあーるタウン情報 えすあーるな人々 Vol.6
(http://web.s-rail.co.jp/people/06.html)
・田代しんたろうのホームページ
(http://www.tashiro3.com/)
- 31 -
第6章 川口の基底文化と新たな文化は結びつくか
~職人のまちにおける産業と文化~
1.本章の目的
2.鋳物業を中心とした産業の歴史と現在
3.鋳物産業が川口にもたらした気質とストーリー
4.川口の魅力を高めようとする様々な動き
5.小括
1.本章の目的
1-1.問題意識
蕨駅近くにあるシューズコンセプトショップ GRENSTOCK は、ふらりあーと川口に参
加している店舗の 1 つである。オーナーの五寳賢太郎氏は、本業として靴のオーダーやリ
ペアーを行いながら、靴の製作技術をベースにアート作品の発表を行ったり、店舗におい
て様々な分野のクリエイターと協働して「サンダルアート展」を開催している。‘ものづ
くりのまち’川口で、ものづくりとアートとの融合をとても大切にされている方の一人で
ある。その五寳さんはヒアリング調査の中で、こうおっしゃった。
「・・・僕自身は、始めた当時はふらりアートってモノに対してなにか反骨心があった
から。あんまりやりたくなかった。(略)僕は頑固な方で、先代から店を引き継いでいる
こともあったから、アートみたいなかたちで表現されることですごく軽蔑されるんじゃな
いか、とか。まちの人は、日々食べていくために働いているのであって、そういうふうに
取りあげるのは失礼じゃないか、と思って。」(GRENSTOCK 五寳氏)
アートに対して理解を持ち、ふらりあーと川口にも参加する五寳氏から聞かれた、ア
ートへの反骨心、そしてまちの人から軽蔑されるのではないかという思い。そこから、
川口にアートという切り口で新たな文化や魅力を付与しようとする動きを鈍らせる‘何
か’を感じ取ることができるのではないか。本調査のヒアリングでは、川口においてア
ートや文化活動を根付かせることの難しさ、川口というまちとアートや文化活動との相
性の悪さを話される方が何人もいらっしゃったこと。
「アートは何か金持ちでね、ちょっと趣味のある人みたいなね。別物みたいな感じに見
せられちゃっていることが長いことあるから。ほら特に文化レベルもない川口だから。そ
- 32 -
ういうものをもっと身近なものに考えてもらうというのがうちのテーマなんですよ。」
(OKUDA art&craft 奥田道子氏)
「まあ文化政策はなんというか貧困ですよね(笑)。 だって博物館一つないし、美術館は
アトリアはあるけれど、あれは空の建物であって常設に文化財を展示するような場所はな
いし。」(川口神社
竹本佳德氏)
「
(アートは)広がってないんじゃない?足りないんじゃないですか。まあでも一生懸
命色々なことをやってる方はすごく多いけど、だからそのふらりアートとか、そういう
のすごく活動としてはすごくいいと思うけど、なんかもうちょっと…。まあ行政がもう
ちょいお金出して支援しないとだめでしょ。(中略)まあ、あと文化行政やってる人は絶対
出世しない。なんか疎まれてる。」(埼玉画廊
岡村睦美氏)
「アートと地元の産業との連携って、土地柄もあると思うんですよね。例えばこの会
津とかって、工業が会津塗なわけですよ。アートと結びつきやすいんですよ。ところが
川口の場合には、産業が多岐にわたるわけで、アートがぱっと出てきたときの連携の仕
方はまだわかんないんじゃないかなと」(川口商工会議所
清水康史氏)(*1)
「どこに向かっているの、というのは強く感じます。鋳物が文化として醸成されてな
いから、それを一生懸命盛り上げようとしているんだけど、その素材がないというか。
川口ブランドと言ってるけど、他の地域にいいものもいっぱいあるから。名古屋製や、
フランス製だったり。もう少しひねって考えないといけないですね。」(KAWAGUCHI
ART FACTORY
金子良治氏)(*2)
市内には多様な活動をする団体・個人が所在しており、文化芸術活動によるうるおいの
ある豊かなまちづくりを進める態勢は整っているかのように見える。しかし、どうもうま
くすすんでいかない。‘何か’が邪魔しているのではないか。その‘何か’を生んだ川口
というフィールドが持つ秩序のようなもの、つまり川口を基底してきた「文化」とは、一
体どのようなものであるのか。また、その基底的文化のなかで、川口に新たな魅力を付与
する試みはどのように展開されているのか。川口の歴史を、特に鋳物業に焦点を当てて振
り返りながら、現在の川口に生きる方々へのヒアリング調査と文献研究から検討する。
1-2.「文化」とは
文化という言葉は多様な用いられ方をする、一口に定義することが困難な言葉である。
宮島喬は、「『文化』とは、創造的行為の成果である高度に象徴化された芸術、哲学、思
想などを指すかと思うと、ごく日常的な人々の行動や慣習にもあてられる言葉であるか
- 33 -
ら、社会学的タームとして用いるのは容易ではない」と述べている(p.123)。前者の芸術
や哲学を指す用法は、マックス・シェーラーやヤコブ・ブルクハルトらドイツ・オース
トリア系思想家の用いる概念であり、何らかの基準から見て価値の高いものを「文化」
と呼んでいる。それに対して、後者は社会学や人類学で用いられる価値中立的な概念で
あり、
「人々の間に一般的にみられる行動の仕方やものの考え方・感じ方の全体を広く文
化と考える」というものである(井上、p.3)。
「文化」人や「文化」芸術活動という使い方
をする場合は前者の意味合いであり、鋳物職人たちの「文化」、川口市民の「文化」とい
う使い方は、後者の意味を持つといえるだろう。
本章では、後者の人類学および社会学的な「文化」の定義を用いたい。それは、川口
に暮らす人々の中に存在する基底的な「文化」、つまり川口で「歴史的に形成され、社会
的に共有され、学習によって世代から世代へと伝達されていく行動様式(あるいは生活様
式)」(井上、p.4)を捉えることが本章の目的だからである。
また、藤村正之は『社会学』の第 15 章「文化と再生産」の中で、タルコット・パーソ
ンズの AGIL 理論を引き合いに出しながら、
「文化」の性質として潜在性・基底性がある、
ということを述べている。
「私たちの行動や社会関係を潜在的に支えている要素として文
化は欠かすことができないのであるが、他方で、文化はどこにでもあるがゆえに、見え
にくい偏在制を有しつつ、それなるがゆえに基底的な存在・機能であるとも考えてみる
必要がある」(長谷川他)。「文化」という言葉の性質として潜在性・基底性がある、とい
うことも念頭に置きたい。
2.鋳物業を中心とした産業の歴史と現在
2-1 川口と鋳物
神田雉子町の名主であった斎藤幸雄・幸孝・幸成(月岑)が三代、三十有余年を費やして
完成させ、天保 7(1836)年に発刊された江戸の地誌『江戸名所図会』には、
「河口鍋(なべ)
匠(つくり)」という絵が納められている(図 6-1 参照)。鉄鍋製作を描いた上には、室町の
初期から鋳物作りが始まったという記述がある。残念ながら川口における鋳物の発祥を確
かめられる正確な資料は残っていないようだが、その歴史の長さを知ることができる資料
である。
- 34 -
図 6-1『江戸名所図会』「河口鍋匠」(出所:『新訂 江戸名所図会〈5〉
』)(*3)
「鋳物屋は河原乞食」(永瀬勇氏)という言葉に表されるように、鋳物業を営む人は町
の中心から離れた河の近くに仕事場を構えることが多いという。それは、火事の発生によ
る民家の被害を防ぐため、そして運搬を行う川へと重たい鋳物製品を運びやすくするため
であった。川口の鋳物産業も、荒川のほとりに位置する旧川口町周辺が中心であった。人
口の動向(図 6-2 参照)からも明らかなように、川口の近代 100 年あまりの歴史において牽
引車となったのは旧川口町であり、幕末の黒船来航、日清・日露戦争、そして第二次大戦
などの際、常に軍需品の需要を受けて成長してきた。軍需品だけでなく、釜、鍋、鉄瓶な
ど日用品の生産も、川口では古くから行われてきた。昭和初期から 30 年頃までの間は、
石炭ストーブの生産地として発展するなど、時代の要請に応えながら地場産業としての鋳
物を発展させ、恵まれた立地条件の下に鋳物のまちとして広く知られるようになったのだ。
- 35 -
図 6-2
人口の変化(出所:『地図に刻まれた歴史と景観
川口市
鳩ヶ谷市』)(*4)
図 6-3 昭和 24(1949)年における鋳物工業の規模別・労働組合別分布図
(出所:『鋳物の町
-産業社会学的研究-』)(*5)
鋳物産業は、明治以降他の工業を圧して中心的な地位を占め、大正末には工場数を増や
し多くの従業員を抱え、地域的にも横曽根・南平柳地域へと拡大していった。昭和初期に
- 36 -
は横曽根・青木地区での人口急増が見られる。大恐慌や二次大戦後のあおりをうけるも、
戦後の高度成長と、熔解技術の進歩などにより活況を呈し、1973(昭和 48)年には鋳物
生産量が 40 万 7 千トンとピークに達した。そして 1974 年には工場数が 703 となり、全
国に占める鋳物生産の 3 分の 1 を占めることとなる。しかし、同年に起きたオイルショッ
クや、1985 年のプラザ合意以降の円高不況、続くバブル景気とその崩壊、ベッドタウン
化の進行など様々な影響を受け、鋳物工場数は大きく減少している。2014 年 1 月 8 日の
段階で、川口鋳物工業協同組合ホームページの会員名簿に載っている会社数は 129 社とな
っている。このうち販売のみしか行っていない企業が 39 社あり、実際に製造を行ってい
る工場数はさらに少ない。(*6)
2-2 そのほかの産業
ものづくりのまち川口を支えてきた産業を挙げると、鋳物に関わるものからその周辺産
業まで、多彩さに特徴がある。永瀬庄吉によって「鋳物の機械化」が行われたことに端を
発して進歩を遂げた機械工業、鋳物業を支え続けてきた木型工業、世界に名高い安行の植
木ブランドを持つ植木産業、双子織りに代表される織物工業、竹を用いた釣竿工業、味噌
醸造などである。現在ではかつての隆盛を失った産業も多いが、中心産業としての鋳物を
とりまく広がり、産業の多様さが見られた。
SKIP シティを軸として、映像デジタル産業という新たな産業を興す取り組みも行われ
ているが、まちの強みとなる産業にまでは成長しておらず、今後の取り組みが期待される。
2-3 商工業、鋳物産業の現在
金山町の住宅街に工場を構える永瀬留十郎工場は、明治 4(1871)年に創立され、現在
川口で操業する鋳物工場でもっとも古い歴史を持つ。その中で専務取締役を務める永瀬勇
氏にヒアリング調査を行い、鋳物産業の歴史と現在について深くお話ししていただいた。
また、川口市の工業・商業を多岐にわたってサポートし、その発展に向け取り組んでいる
川口商工会議所にも伺い、ものづくり支援課の久保田誠司氏、清水康史氏に川口における
商工業の現状などの説明をいただいた。これらのヒアリングから得た情報を参考として、
産業の現状を概観する。
川口商工会議所の会員数は、平成 10 年度末の 10,150 を頂点として以降減少しており、
25 年度 3 月末で 7,461 となっている(組織率 34.6%)。川口は、従業員が 3 人以下で構
成される企業の比率がとても高く、県下で一番製造業の多い市だが、製品出荷額は 7 番目
である。家族経営のものづくり企業が多く、3 次 4 次の下請けであるため、景気のあおり
を強く受けやすく、更に回復するのも一番遅くなるという。
「条件的には非常に不利だが、うまく集積することで補っているのが川口ではないか。
- 37 -
異業種・同業種ともうまく連絡を取っている。他からの評価としてよく言われるのが、
「川
口に行けば何でもできるという事」。鋳物産業の仕組みに関しても集積力が発揮されてお
り、材料、木型、鋳物、加工処理なども連携している。」(久保田氏)
「ただ他のまちと違うと思うのは、鋳物を中心として栄えた産業の縁側というか、外側
にその生産過程が可能になる業種がいくらだって有るんだよ。鋳物があって、機械屋があ
って、木型があって、そうしたものを支える産業ね。更に支える産業、がその外側にある。
だから、鋳物じゃなくてもモノをつくるのに非常に便利。たとえば工具がほしいといった
ときにすぐできる。材料がほしい、鉄棒がほしいときとか板材がほしいときも何軒だって
有るんだからすぐ手に入る。加工するときも。今は物流だから、そこもあるんだけど。で、
その便利なところにまたあつまってくるんですよ。東京が非常に近いために、情報がつー
つーではいってきて。それを生産する場所がある。」(永瀬氏)
鋳物を中心として周辺産業が組織化されていることが、鋳物産業の集積地としての川口
の強みであるようだ。その一方で、鋳物産業が不調になったときに、川口全体の経済が打
撃を受けやすい構造になっているとも言えるだろう。鋳物工場が事業をたたむ際のパター
ンはおおよそ 3 つに分けられる。
(1)完全な廃業、
(2)他業種への転向、
(3)他地域への
移転である。業種転向はマンション経営、スーパーやパチンコ店のオーナーなど多くのパ
ターンが見受けられるようである。他地域への移転は、土地代の高騰に伴い、企業誘致を
推進する他の自治体への工場移転が進んだ。川口市内には大規模な土地がなく、新たな工
場建設のための土地確保が困難であることも要因として挙げられる。
永瀬氏は、確かに川口では鋳物産業の規模は年々小さくなっているが、鋳物そのものは
最先端の産業の一つであると話された。「今ね川口の鋳物屋は、件数が減ってる、レベル
もものすごい差がある、会社によって違う。だから皆さんが一般的に衰退産業だと思うの
は無理もないことだと思います
だから、私が嫌いなのは、不景気になるとテレビで放送されますね、川口の鋳物屋が苦
労している、仕事が無くて、黒くなって、熱いところで仕事してるのに、ねじりはちまき
で裸同然で湯入れしているのが出ますよね。ああいうの嫌いなんですけども。
それは、ああいうところもあるって言うんですけれども、それはプロデューサー、の意
向でね、そういうイメージを売りたいので。どの分野だって全然違うので、一般受けする
ようなものとはまた違うので。」(永瀬氏)
ヒアリング調査に伺った際、会社の工場内を 1 時間近く見学させていただいた。初めて
鋳物工場に入ったので、比較対象とできるような他の工場を見たことはなかったが、永瀬
氏が言っていたかつての鋳物工場とはだいぶ様子が異なっていた。空気は澄んでおり、に
おいもそこまできつくはない。防音設備や機械の出す振動を吸収する装置などを用いて、
周囲の住宅への配慮はきめ細かに行われていた。永瀬氏の言うように、鋳物産業そのもの
- 38 -
を衰退産業とするのは、産業への理解が足りていないのだろう。鋳物技術は現在の工業に
おいても欠くことのできないものであるし、生産技術や労働環境の改善は着実に進んでい
るのである。
2-4 川口における鋳物産業衰退の原因
川口のリーディングインダストリーである鋳物産業は、事業数を減らし、工場も高層マ
ンションに取って代わるなど、その存在感を薄くしていることは間違いない。川口におけ
る鋳物産業衰退の原因を挙げると、以下のようにまとめられる。
(1)オイルショック以後の不景気で、2 次、3 次、4 次の下請け企業が多い川口の鋳物
産業がそのあおりを強く受けてきたため
(2)海外の安い労働力で生産される鋳物との価格競争で、企業が疲弊しているため
→下請け企業の発注元である大企業が中国を中心とするアジア地域に工場を展開す
るようになり、鋳物生産のコストが低下した。鋳物の質よりも経費削減をとった大企
業からの発注がなくなり、特に一つの取引先に依存していた下請け企業が打撃を受け
た。小規模の事業者は営業力にも乏しく、新たな取引先を見つめることも困難であり、
事業をたたむ選択を余儀なくされることが増加した。
(3)進行する少子化により、後継者を見つけられない企業が増えたため
(4)鋳物工場はもとより製造現場ではそのイメージにより就職の際に不利な場合があ
り、人材が集まりづらいため
→女性の工業従事者も増加傾向にあると久保田氏、清水氏は話されていたが、危険の
伴う鋳物産業に娘を就業させることをためらう人も多いであろう。社長の公募を行い、
外部から後継者を迎えた会社もあったが、結局事業の継続には至らなかったという。
かつて鋳物業は高収入の職場であり、高温で、すすまみれになる環境であっても担い
手が集まってきた。しかし、賃金の低下や、工業高校内でIT分野への人気が高まっ
たことなどから、人材を呼び込みづらくなっている。
商工会議所では「川口若手ものづくり人材育成プロジェクト」という事業を、機械
組合、鋳物組合、行政などとの協働で行っている。中高生、大学生を対象にした企業
インターン、高度技術者による特別授業などを行い、若者が地元産業への理解と関心
を持つ機会をつくっている。県立の川口工業高校、川口高等技術専門校との連携によ
って、今後の川口産業の担い手の育成をすすめることを目的として規模の拡大を見せ
ている取り組みである。
(5)鋳物業は技術伝承が容易ではないので、担い手の高齢化による中心的鋳物師の退
- 39 -
職で事業継続が不可能になることがあるため
→「鋳物ほど人間の手を必要とするものはないかもしれない」
(永瀬氏)
。小さな会社
の人材不足に限らず、規模の大きい鋳物業者でも技術部長の退職により事業が続けら
れないことがあるという。それほど鋳物製作は技能者が持つノウハウによるところが
大きいそうだ。
(6)鋳物生産技術のアップデート不足のため
→永瀬留十郎工場では、鋳物生産技術の高度化に取り組んでいるという。型に湯(溶
けた鉄)を入れる時の流れ込み方や、湯の固まるスピードなどをコンピュータ上でシ
ミュレーションをし、また、鉄の成分を調べるための元素解析器、熱膨張計などを用
いた最新技術によって、鋳物の生産を行っている。一方で、技術の刷新を行わず、100
年前の方法をとり続けた工場もあったようだ。すると、技術革新による鋳物生産のス
ピードアップがもたらしたコスト減についていけず、経営不振となり、廃業するケー
スもあるという。
(7)工場周辺の住宅地化の進行と環境基準の設定により、工場の稼働に際して地域住
民との関係構築や基準の遵守が必要になったため
→川口の鋳物工場は、もともと職住一体型が多く、近年の住宅地化の進行から、民家
やマンションに隣接して立地しているものが多い。公害対策が取り組まれるようにな
ってから工場には厳しい環境基準が課され、騒音、振動、悪臭などを発生させる鋳物
工場は基準の遵守に取り組まざるを得なくなった。永瀬留十郎工場では防音シャッタ
ーの設置、すすの発生を防ぐ材料の使用、工場の操業への理解を求める看板の設置な
ど、近隣住民との関係を良好に保つ努力を行っている。また、工場見学を進んで行う
企業の増加など、産業を取り巻く環境の変化に対応することが、事業継続の重要な条
件となっている。
「川口の鋳物業はこれからも厳しい状況が続くだろう」、しかし、
「鋳物それ自体がなく
なることはない」し、技術をアップデートして、国際競争の中を生き抜いているところも
ある、とは永瀬氏の言葉である。商工会議所の久保田氏も「5 年後を考えても、製造業は
減少していると思う。産業を支える企業の成長を支援し、育成することで他市との差別化
は図られる」と話していた。
鋳物という産業そのものが衰退し、無くなろうとしているのではない。川口の産業を取
り巻く環境の変化もあり、川口の産業に変化が起きたといえる。しかし、そんな中でも、
変化をいとわず、過去の成功にしがみつくことなく、環境の移り変わりに対応して事業に
取り組んでいくことができた人々や企業が今、川口の産業を支えているのだろう。
- 40 -
図 6-4
永瀬留十郎工場の近景。工場屋根の向こうには高層マンションが見える。
(筆者撮影)
3.鋳物産業が川口にもたらした気質とストーリー
3-3 川口の基底文化:鋳物職人の文化
川口というまちの発展・拡大を振り返ると、鋳物業が果たした役割の大きさに気づかさ
れる。かつては「火の街」と呼ばれ、今でもキューポラがマスコットキャラクターに選ば
れるまちである。川口の鋳物業を担い、支えた鋳物師(いもじ)の文化が、川口の文化を
基底するものであるといえるのではないか。そこで、川口における鋳物師の気質に関する
調査・言説と、川口を鋳物のまちとして内外に認識させるストーリーを取りあげ、川口の
基底文化を分析する。
・尾高邦雄の「川口かたぎ」論
社会学者で東京大学文学部の名誉教授であった尾高邦雄は、1956 年の編著『鋳物の町
-産業社会学的研究-』において「前近代的な手工業的色彩を残した」中小企業の集積し
た川口の産業を分析した。そして、その中の‘第2章
地域社会と工場’では、川口市の
生態学的概観、市および鋳物工場内の階層構造、市民の生活習慣および生活態度の特色、
市民の鋳物業に対する評価などを述べている。この章の第 4 節に「川口かたぎ」という川
口市民の性格特性の叙述がある。
尾高は節の冒頭で「気質(かたぎ)」という言葉について丁寧に定義を行っている。
「元来
は武士気質・職人気質・学生気質等の特定の機能集団について用いられ、その集団に特有
の共通的なパースナリティーの型」、あるいは「生活様式や志向判断の様式」であり「文
化のパターン」であると述べている。そして「ある地域社会において、特定の機能集団が
特に強い影響力を有するかあるいはその成員数が非常に多い場合には、その集団の気質が
その地域社会の構成員の生活態度にも浸透し、ここに独特な生活態度としての気質という
- 41 -
ものが地域性との関連において考えられるに至る」としている。この定義は本章 1-2 でお
こなった「文化」の定義と非常に共通するものであり、尾高のいう「気質」が本章で捉え
たい「文化」と同様のものであるといえるだろう。
「(前略)鋳物業関係者には、事業主であると従業員であるとを問わず、今日なお金銭
よりも技術を重んじ、人々相互間の義理人情を重視する風があること。しかもこうした傾
向は市民全体の生活態度の基調をなしているため、それはしばしば「川口かたぎ」と呼ば
れる(後略)」(尾高、1956、p.26)(新字体に改め)
川口の鋳物師集団には、ある程度義務として捉えられ、当然のこととして守るべき規範
が存在しており、これが一般的には川口の気質と呼べるものになっているというのである。
こうした職人かたぎの規範は、長年にわたって苦しい徒弟として努力を続けてきた結果
獲得した優れた鋳物技術をその根源としており、自分自身の仕事への自身、誇りを意味す
るものでもある。
さらにこの章では、当時の市の有力者、すなわち政治的・経済的指導者の約 70%は鋳
物工場主であり、こうした人々の多くは工場の従業員のみならず一般市民に対しても庇護
的な態度を取る「親分的」な存在であることも述べられている。川口商工会議所の歴代会
頭はこれまで 10 人だが、8人は鋳物業の出身者であるという。その事実から、川口にお
いて鋳物業従事者はステイクホルダーとしても大きな存在感を持っていることが伺える。
同様に注目するべきは、当時の川口市民が持った鋳物業への評価である。
「鋳物業以外の産業に従事する一般市民は、鋳物業を、尊敬してはいないが、きわめて
重要視しているということができる。彼らは、川口の存績発展のためには鋳物業の繁栄が
絶対的に必要であることを異論なく承認しているのである。」(同上、p.43)
ここでは、一般の市民からも、鋳物が川口にとってなくてはならないものと考えている
ことが述べられており、当時の川口の人々が持った鋳物業への認識を知る上で重要な資料
である。
・蜷川幸雄の語る「川口市民の気質」
蜷川幸雄は日本を代表する演出家であり、川口で生まれ育った有名人の一人としてしば
しば取りあげられる。ここでは、鋳物のまち川口が誇る舞台芸術の担い手であり、インタ
ビュー資料も多く残る彼に焦点を当てる。まず、川口市制 50 周年を記念して発刊された
『川口の歩み』(1983 年)冒頭に掲載されたインタビューを引用する。
「川口の人たちは鋳物工場の親方や職人さんは金遣いが荒い、パッパッと使ってしまう
といいますが、ぼくは「宵越しの銭は持たない」といった江戸の下町の人情の原型のよう
- 42 -
なものだと思います。ともかく、表現の仕方が直接的なんですね。」
これは、川口市民の気質をどう思うかと尋ねられた際の返答である。川口に基底として
流れる鋳物師たちの文化を伺う一つの手がかりであるだろう。
また、彼は 2011 年 4 月 8 日付けの朝日新聞夕刊に掲載されたインタビューでは、以下
のような表現をしている。
「(前略)言葉は荒いけれど、いつも「生」の直接性を大切に、相手を思いやりながら
生きている川口の人たちの気質の中で、自分だけ逸脱するようなことをする恥ずかしさと
いう精神構造(後略)」
大学受験に失敗し、周りの学生と違う生活を余儀なくされた蜷川氏が、川口で生活する
中で強烈に感じた恥ずかしさを語った言葉である。蜷川氏自身の精神構造をつくったのは
川口というフィールドであり、一般市民でありながら職人文化の影響を強く受けていたこ
とが伺えるエピソードである。
以上に見られるように、川口の鋳物業を取り巻く文化は、鋳物師集団のみならず一般市
民にも内面化され、川口のアイデンティティーとして認識されてきたものと言える。しか
し尾高は、彼がまとめた時点でその気質は薄れてきていると記している。「川口かたぎ」
と呼ばれる職人気質を持つ経緯として、技術習得を目的とした厳しい徒弟生活経験の重要
さを強調しており、そうした経験を持つものが当時の労働者のうち半数足らずであること
がその理由とされている。
「特に戦後の厳しい生活様式に対して最も敏感である青年層では、徒弟生活の経験を全
く持たないものが大部分である。したがって以上述べたごとき職人気質も、時の経つにつ
れて次第に変貌していくとものと考えられる。」(p.54)
尾高が調査をした 1950 年代か半世紀以上が経った。産業構造が大きく変化し、鋳物従
事者が減少した現在では、「川口かたぎ」が当時のまま残っているとは考えにくい。とは
いえ、鋳物業と培ってきた技術に誇りを持ち、鋳物師たちが川口を支えてきたという思い
は、ノスタルジックなものへと変わっているのだろうが、川口の基底文化として形を変え
ながら残り続けているだろう。
3-2 川口=鋳物のイメージを強固にした 2 つのエピソード
川口では、鋳物師集団の影響を強く受け、一般市民までひろく「川口かたぎ」と呼ばれ
- 43 -
る鋳物師の文化が敷衍していたと言える。さらにその基底的文化を内外で再生産しより強
固なものにしてきた 2 つのエピソードがあると考えた。1 つは吉永小百合のデビュー作と
しても有名な、川口を舞台とした映画『キューポラのある街』であり、もう 1 つが東京五
輪で使われた聖火台をつくった鈴木親子の逸話である。
(1)『キューポラのある街』
川口を舞台にした日活映画『キューポラのある街』は、昭和 37(1962)年に封切られ、
大ヒットとなった。早船ちよの原作をもとに浦山桐郎が監督し、その監督デビュー作とし
ても有名である。当時の川口の風景を多く活用しており、当時の鋳物産業の様子や職人文
化がありありと映し出されることから、文化史の資料としての意味も持ち合わせている作
品と言えるだろう。上映時からさかのぼって 5、6 年前の川口が舞台であり、高度経済成
長期に入っていない川口の様子や雰囲気がうかがい知れる。その後、吉永小百合が現在に
至るまで国民的女優として活躍を続けていることもあり、その瑞々しいデビュー時の姿と
相まって、川口=「キューポラのある街」というイメージを作り続けている映画である。
(2)鈴木万之助・文吾親子と聖火台
2020 年に東京五輪が再び開催されることが決まり、改めて脚光を浴びているものが、
川口の鈴木親子によってつくられた聖火台である。昭和 32(1957)年 11 月、鈴木家に聖火
台作りの話が舞い込んだ。半年後に行われる第 3 回アジア競技大会で使う聖火台作りに川
口の鋳物技術が買われたのだった。鈴木親子が選ばれたのは昔から伝わる惣型技法(*7)と
いう作り方を継承していたためである。聖火台は高さ 2.1 メートル、重さ 2.6 トンと鋳物
としては大きなもの。当時の鋳造技術では、並の職人にはつくれないものだったという。
父の万之助は湯を鋳型に入れる最後の作業で失敗し、そのまま寝込んだ万之助は、二度と
起き上がることなく亡くなってしまった。納期が迫る中、その仕事を息子文吾が引き継ぎ、
父の死に目に会うこともなく聖火台を作り続けた。その結果、作業は成功し、この聖火台
は国立競技場で火をともした。そして、昭和 39 年の東京五輪でもそのまま使われること
となった。
オリンピックの聖火台に川口の鋳物が使われたことは、川口にとってこの上ない名誉だ
った。川口鋳物を全国に知らしめる絶好の機会ともなった。そして、ちょうど川口の鋳物
が近代化に向けて成長を始めた時期とも重なったため、内外に「川口=鋳物」のイメージ
をつくり出す大きな要因となった逸話である。
以上のようなエピソードによって、
「川口=鋳物のまち」というイメージが、醸成され、
強化されていったと言える。最盛期には工場数が 700 を超えた鋳物業も、今では川口産業
を財政的に支えるとは言い難い状況となっている。それでも川口すなわち鋳物・ものづく
りのまち、というイメージが保持されているのは、こうした逸話と共に川口が認知されて
いる影響が大きいと言えるだろう。
- 44 -
4.川口の魅力を高めようとする様々な動き
‘ものづくりのまち’、‘鋳物・植木のまち’など産業を基盤としたまちというかつて
のイメージを新たなものにしようと、永瀬洋治元市長が「文化の香るまちづくり」を掲げ
てから 30 年以上が経つ。川口駅西口のリリア、川口市立アートギャラリー・アトリア、
SKIPシティなど、文化施設の完成、誘致は徐々にすすんできた。しかし、川口の人々
の中に潜在性を持ち通底するような「文化」が生まれているとはまだまだ言えないだろう。
とはいえ、行政の動きに呼応するように、文化やアートを切り口にした取り組みが、行政・
市民・商工業などから少しずつ生まれてきている。ここまでに紹介した川口の基底的文化
と親和性を持ちながら、川口に新たな文化をもたらそうと生まれた活動を紹介する。
4-1 アトリア:
「川口の匠」展などの、川口を紹介する試み
川口市立アートギャラリー・アトリアは、サッポロビール埼玉工場の跡地に建設された
市初の美術施設である。収蔵品はなく、企画展示を行ったり、地域の学校や市民と連携し
て、様々な活動を行っている。
「川口の匠」は、2011 年から 3 年続けて行われている企画展である。
「ものづくりの街」
として発展してきた川口は、近年、都心に近く便利なベッドタウンとイメージされること
が多くなった。しかし、現在でも川口でものづくりに職人人生をかける匠たちがいる、と
いうことをクローズアップし、川口に脈々と続くものづくりの歴史と現在を紹介する目的
で催行された。鋳物や植木、和竿、織物など産業として盛り上がった分野に限らず、グラ
フィックデザイナー、オーダーメイド自転車の制作者、バイオリンや打楽器スティックの
制作者など、川口の有する世界に誇る技術とその多様さを示す企画展であった。更にアト
リアは『川口の匠』(2011 年)と題する冊子も編集・刊行した。
産業の衰退、ベッドタウン化という言葉で片付けられてしまいがちな川口から匠を紹介
することで、まだまだ誇れるものがある、すばらしい技術がある、ということを内外に示
すことに貢献した。また、産業を支える匠の技術を文化的な遺産であり、その意匠はアー
トにもなり得ると捉え、専門的でありながら素人にも分かりやすく紹介した、基底的文化
に新たな魅力を付与した試みである。
またアトリアは企画展以外に、ワークショップや街歩きというかたちで川口の魅力を取
りあげ伝える役割も果たしている。
4-2 川口商工会議所:i-mono ブランド認定制度
川口商工会議所は、平成 17 年度から中小企業庁の補助事業である「JAPANブラン
ドプロジェクト育成支援事業」の採択を受け、4 年にわたって薄肉・軽量の鋳物調理器具
の研究・開発に取り組んだ。川口の鋳物で世界的に売れる商品を作ろうと、産業用鋳物で
- 45 -
はなく、日用品という遡及性の高いものの製作を目指した。その結果、‘KAWAGUCHI
i-mono’という鋳物鍋・フライパンの商品化に成功した。デザインのコンペを行い、採用
されたものを職人の手で製品化するまでに多くの努力が費やされた結果、
‘KAWAGUCHI
i-mono’という鋳物鍋・フライパンの商品化に成功した。機械や自動車部品中心の生産と
なっている川口鋳物に日用品をリバイバルさせること、鋳物師とデザイナーのギャップを
埋めることをめざし、軽薄かつ密閉された鍋を製作する技術上の困難の克服、フランスの
メゾン・エ・オブジェへの出品などを経て、世界でも通用する鋳物製品が完成した。
これを皮切りに、平成 21 年度から川口で高い技術力とノウハウを活かした優れた製品
に対して、川口 i-mono ブランドとして認定する制度を開始した。現在 39 社 40 製品を数
え、川口の工業が持つ製品の多様さを示し、ものづくり都市「川口」の知名度を向上する
ことを目的としている。
川口 i-mono ブランド認定制度スタートのきっかけとなった鋳物鍋は、デザインという
アート的切り口を持ち、生産技術の向上をもたらし、日用品としての鋳物を復活させる
という、川口の鋳物をアップデートなものにする象徴的プロジェクトとなった。senkiya
の高橋秀之氏は川口の弱みとして「ものを『つくる』技術はあるが、『デザイン』の技術
に乏しい」ことを話されていた。齋藤善子氏のデザインと伊藤鉄工の鋳造技術のコラボ
レーションであるこの製品は、基底文化としての鋳物にデザイン性という新たな魅力を
与えることに成功している事例である。
図 6-5
川口商工会議所入り口の「川口 i-mono」コーナー
4-3 鋳金工芸研究会(および教室)
昭和 35(1960)年、埼玉県鋳物機械工業試験場内に、川口美術工芸鋳物技術研究会が
立ち上がった。普段は鋳物職人として働いている人たちの中で、仕事とは関わらず自分の
創造性を使って鋳造したい人たちが集まり始まった研究会であった。
- 46 -
「仕事としての鋳物と、遊びの鋳物と、二つあるわけですよね。で、半分とは言わない
けど、3割くらいのかたは遊びのことがちょこちょこっとできてしまう。それが鋳物職人
ですよ」(永瀬氏)
仕事として決められた鋳物をつくるだけだとたまってしまうフラストレーションを解
消するように、自分の好きなものを創造的につくる場がほしかった鋳物師が多かったのだ
ろう。永瀬氏はそうした創造性や遊び心のようなものを持った鋳物師は全体の 3 割くらい
だったのではないかと話されていた。
昭和 49(1974)年、川口市高等職業訓練校鋳物実習場に鋳金デザイン科が創設され、昭
和 58(1983)年には、会員増加により組織を再編し、現在の『川口鋳金工芸研究会』が発
足した。しかし、昭和 61(1986)年、川口市の鋳金デザイン科が閉鎖されてしまう。それ
を惜しむ会員の声を受け、研究会の自主運営による『川口鋳金工芸教室』を開講して、現
在に至る。高い鋳造技術を学べる民間の教室は全国でも珍しく、川口市内のみならず首都
圏やまれには関西からも受講者がいるそうだ。創設当初から鋳物職人だけではなく、一般
の人々にも開かれた場であった。「川口かたぎ」を体現していた鋳物師たちと創造的な活
動が結びつくことを示してくれる例であろう。
- 47 -
図 6-6
「天まで上がれ」(リリア内)
制作及び寄贈
永瀬勇氏(*8)
鋳物職人が持つ創造性を感じることができる見事な作品である。
4-4 川口ふらりあーと
川口市で活動するギャラリーやカフェ、レストランなどが、アート&クラフト好きの
集まる場を紹介している。その中には、川口の基底文化に深く関わりながら、その上に
新たな魅力を付与している団体もある。2012 年段階での所属団体数は45であり、大き
く分けて 5 つ(gallery、studio、eat、shop、other)のカテゴリーに分けられている。
その中でも特に異彩を放つのが‘KAWAGUCHI ART FACTORY’である。戦前は軍
需工場、戦後は機械制鋳物工場として稼働してきた「日本金属鋳造工業株式会社」の工場
跡地を、2002 年からそのままの姿で中小企製造業者の作業場、アーティストのアトリエ
スペースとしたのだ。敷地内の工場には、2014 年 1 月時点で、8 名のアーティストと各
種テナント 7 件が入っている。さらには、特異な空間特性を生かした現代美術の展示、撮
影スタジオなどとしての場に利用されており、コスプレイヤーたちの写真撮影場所として
- 48 -
知られている。鋳物工場の廃業後に様々な転身の仕方があることを上述したが、川口の中
でも明らかに異質な、そして非常に興味深い転身をしている。川口地区という川口の鋳物
発祥地で、鋳物工場という空間を存分に行かしてアートの発信を継続的続けているのだ。
「川口の記憶を刻印するこの場所から 未来に向けて新たなアートやメッセージを発信し
続けます」(*9)とは、代表の金子さんのメッセージだが、まさに川口の基底的な文化をも
とに新たな文化発信のかたちへと昇華させている珍しい好例である。
4-5 川口暮らふと
現在の川口において、広義のアート的活動として多くの人を動員できるイベントの一つ
である。2010 年の実行委員会発足より、市内のアート・クラフト関係者や、アトリアふ
らりあーとなどと協力し、クラフトマーケットのイベントを作り上げた。2011 年 10 月の
第 1 回では出店 110 組(応募総数 140 組)
、来場者数約 8,000 人であったが、2013 年の
第 3 回は出店 117 組(応募総数 292 組)、来場者数約 12,000 人と、堅調に拡大している
ことが分かる。出展者、来場者共に川口外の人も多く、広報の改善、開催日の増設などを
することによって更なる成長が期待されるイベントである。
単にクラフト市やワークショップを行うだけではなく、アーティストを呼んでのライブ
を行ったり、川口の職人によるトークイベントも開催されている。自転車製作の東叡社、
植木職人、双子織の紹介、ベーゴマ体験など、川口で育まれた産業と文化を柔らかな切り
口で紹介することにも力を入れているのだ。
「川口が市外にアピールする方法として、鋳物をふいているところみせても良い効果が
得られない場合がある。アートを入り口として、川口アートイイネ、えっ、こんなに工場
有るんだ!こんなモノつくってたんだ、えっマンホールって川口製ほとんどなんだ!・・・
このように入っていただけると、プロモーションとして理想」である、と商工会議所の清
水氏も語られていたが、川口の広報という観点から見ても、重要な役割を果たしているイ
ベントだろう。
さらに、川口暮らふとのスピンオフ企画として、‘暮らふとピクニック’というイベン
トがある。「川口を広場と見立て、毎回テーマにあった場所で、わたしたちの暮らしにつ
いて考える」というコンセプトのもとに行われており、2013 年の 11 月には旧鋳物工場で
地域とものづくりをテーマに開催された。参加者数はおよそ 30 名程度と小規模ながら、
川口の文化に新たな魅力をもたらすイベントとして注目できる。このイベントでは
KAWAGUCHI ART FACTORY という新たな文化発信の場で、鋳物とデザイン、双子織、
川口の野菜、アーティストによるワークショップなど、いくつもの企画が行われた。来場
者は市内より若干市外から来た人が多い印象で、新住民がやや多く、川口暮らふとに参加
した人がほとんどであった。企画を生んだ背景にある人的ネットワークとしても、旧鋳物
工場、商工会議所、職人、市民ボランティア、アーティスト、大学などが結びついていた。
- 49 -
各アクターがそれほど効果的には結びつけていない川口で、アクター間の合同、協働が見
られる有意義なイベントであった。また同事業は、川口市の市民活動助成金の採択をうけ
ている。
5.小括
川口の基底的な文化は、鋳物産業に大きな影響を受けつくられたものだった。川口市内
では鋳物産業に従事する人が減少を続けている。しかし、人々の記憶や意識下にある潜在
的で基底的な思考様式のようなものとして、無くなりはせず存在し続けるだろう。しかし、
「川口かたぎ」として尾高が分析した鋳物職人の文化はだいぶ薄れており、街全体に基底
的に流れるほどのものでは無くなったのではないか。「川口かたぎ」がまち全体に基底的
に流れていた頃の人々のグループと、現在のグループを XY 軸の表に位置づけることで、
「川口かたぎ」が分析された当時からどのような変化が起きたのかを分析し、小括とした
い。X 軸は文化志向と技術志向、Y 軸は保守的か創造的かを要素に挙げ、表とした。分析
にあたり、グループを便宜的に 5 つに分類する。
①保守的グループ:職人気質を持ち、かつての川口文化において基底的な存在だったグ
ループ。自らの持つ伝統的な技術に誇りを持ち、「守るべきことを守る」という姿勢で川
口の秩序をつくってきた。
②技術&創造性グループ:職人気質を持ち、確かな技術を身につけた職人でありながら、
創造性や芸術文化的な素養、遊び心を持つグループ。鋳金工芸研究会にかつて所属してい
た職人が中心であり、永瀬氏は全体の 3 割くらいがこうした創造性を持っていたのではな
いか、と話されていた。
③柔軟な産業グループ:現在の川口商工業を牽引するグループ。技術に磨きをかけ川口
i-mono ブランド認定に選ばれる企業や、ベットタウン化にあわせて周囲の住民へ配慮が
できる企業など、環境の変化や技術の進歩のなかで生き抜いてきたグループである。
④創造的市民グループ:アートや創造的文化活動を行い、川口に新たな魅力やイメージ
を与える潜在性を持つ団体・個人のグループである。グループとは言え、ネットワーク化
や活動の規模はまだまだ発展の途上にあり、川口の新たな文化とまではなれていないだろ
う。
⑤無所属グループ:新住民やまちに無関心のグループであり、まちにドメインやフィー
ルドを持てていない市民を指す。これからも規模の拡大が予想されるが、このグループを
どのようにまちに溶け込ませていくかが川口の重要な課題である。
座標軸の中の番号はそれぞれのグループの番号を表しており、丸の大きさはグループ
の規模を表している。表 6-2 における矢印は人々の移動を意味する。
表 6-1 は、尾高による「川口かたぎ」の叙述と、永瀬氏が話されていた鋳金工芸研究所
- 50 -
に関わる鋳物師たちを念頭に置いた。①保守的グループは、秩序を重んじ自らの技術に
自信と誇りを持つ「川口かたぎ」の職人たちと、その影響を受けた市民である。②は鋳
物師の中でも創造性や文化への関心を持つグループである。一般市民の中にも鋳金工芸
研究所に参加するものはいたようであるので、そうした市民も加えて考えた。1950 年代
の川口は間違いなく産業のまちであり、自由な気風や新たな文化よりは秩序と技術を重
んじる文化にあったといえる。
表 6-1
1950 年代の市民グループ分布
①
技術
②
文化
次に表 6-2 は、現在の川口における市民グループの分布である。表 6-1 では第 2 象限の
グループが小さくなり、より創造的で柔軟な側に比重が動いた。商工業は環境の変化に対
応できている企業が大きくなっているが、一方で昔ながらの技術にこだわりを持ち、
仕事を続けている職人たちも少なくない。②のグループはほとんどいなくなり、鋳金工芸
教室にも職人が通うことはなくなっているようだ。④の新たな市民グループが川口に創造
性から文化をもたらそうと試みているが、いまだ大きなグループにはなれておらず、今後
の拡大が期待される。また、新住民の増加や地域社会における関係の希薄化から、基底的
な秩序の元で地域の文化に染まることなく生活しているグループ(⑤)の出現と拡大が大き
な問題である。外からの刺激として川口に新たな文化をもたらすこともあるだろうが、座
標軸の中には加われずにいる状態である。
- 51 -
表 6-2
現在の市民グループ分布
⑤
保守的・硬直的
①
②
技術
文化
③
④
創造的・柔軟
まちに新たな魅力を付与する動きを妨げてしまう‘何か’として川口における基底的文
化と、その文化と関わりながら始まった新たな動きについて検討した。川口の変化を妨げ
るものとして、基底的な文化だけが原因であるとはとうてい言い切れないが、重要な要因
であることがわかった。長年にわたって川口の誇りであり、自らを特徴付ける大切な要素
であった鋳物産業と職人たちの文化は、良い悪いは別として切っても切れない、まさに基
底的で潜在的なものである。かつて尾高が記述した「川口かたぎ」の文化が薄れるなかで、
新たなグループが動き出し始めている。それぞれのグループが自らの特徴を活かしながら
川口というまちのために協働していけることが望まれる。川口に流れる基底文化は、時代
がすすむにつれてより見えにくくなっていくかもしれないが、これからも川口に少なから
ぬ影響を与えていくだろう。
- 52 -
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
脚注
*1
本章において引用している川口商工会議所・久保田氏、清水氏の発言内容については、あくまで個人
的私見であり、機関決定されたコメントではない。
*2
以上の発言は全てヒアリング調査から引用した。川口商工会議所
*3
図の右上部には、
「その家に伝へていふ、天命国家が後胤なりと。人皇九十七代光明院の御宇歴応年間
[1338-42]、河州丹南郡よりこのところに移り住するよし。その子孫いまなほここに栄えて連綿たり。」と
書かれている。
*4
明治 30 年頃から川口・南平柳地区の人口が増え始め、ついで大正 10 年頃から横曽根・青木地区の人
口が急増していくことが分かる。
*5
荒川に沿って、現在の JR 川口駅周辺に鋳物工場が多く分布していることが分かる。また、小規模
な工場が多数寄り集まっていた状況も伺える。
*6
「会員名簿」『川口鋳物工業協働組合ホームページ』〈http://www.kawaguchi-imono.jp/?cat=5〉参照
*7
惣型技法:原型を用いず、製作する物の形や文様を 鋳物土に直接彫刻して鋳型を造り、鋳造する技法
(世界大百科事典「鋳金」より
〈http://kotobank.jp/word/%E6%83%A3%E5%9E%8B%E9%8B%B3%E9%80%A0〉[閲覧日:2014 年 1
月 23 日])
*8
永瀬氏による作品紹介文:
「モチーフは豆の木です。豆の木は弱々しい印象を受けますが、たくましく、
力強い生命力と、地面にしっかり根を張っています。子どもたちがたくましく、大きく、すくすくと成長
することを願いました。この作品は溶接ではなく、高強度で割れにくい性質の溶湯を 1400 度以上で砂型に
流し込んだ一体型の鋳物作品です。」
*9
KAWAGUCHI ART FACTORY ホームページ〈http://www.art-kouba.com/aboutus.html〉より
参考資料
・井上俊編『地域文化の社会学』(世界思想社、1984 年)
・市古夏生 鈴木健一 編集『新訂 江戸名所図会〈5〉』(筑摩書房、2009 年)
・宮島喬『社会学原論』(岩波書店、2012 年)
・長谷川公一他『社会学』(有斐閣、2007 年)
・毎日新聞社
浦和支局編『キューポラの街』(毎日新聞社、1979 年)
・永瀬洋治『対談集
いま語ろう』(永瀬洋治、1985 年)
・尾高邦雄編『鋳物の町
-産業社会学的研究-』(有斐閣、1956 年)
・三田村佳子『川口鋳物の技術と伝承』(聖学院大学出版会、1998 年)
・元木靖編著『地図に刻まれた歴史と景観
川口市
鳩ヶ谷市』(新人物往来社、1993 年)
・元木靖監修『川口・鳩ヶ谷・蕨の 100 年』(郷土出版社、2003 年)
- 53 -
・大石嘉一郎・金澤史男編著「川口市――新興工業都市の事例研究Ⅱ――」『近代日本都市史研究』(日本
経済評論社、2003 年)
・川口市長室秘書課編『川口の歩み』(川口市役所、1983 年)
70 年の軌跡』(川口商工会議所、2006 年)
・川口商工会議所『川口の記憶
・川口市『川口の匠』(求龍堂、2011 年)
・
『川口鋳物工業協働組合ホームページ』
〈http://www.kawaguchi-imono.jp/〉[閲覧日:2014 年 1 月 23 日
・『川口商工会議所ホームページ』〈http://www.kawaguchicci.or.jp/〉[閲覧日:2013 年 12 月 29 日]
・『川口ふらりあーとホームページ』〈http://www.furari-art.com/〉[閲覧日:2014 年 1 月 21 日]
・『川口暮らふと』
〈http://k-kurafuto.com/〉[閲覧日:2014 年 1 月 21 日]
・「特集
川口鋳金工芸研究会
川口鋳金工芸教室」『e ギャラリー川口』
〈http://www.egk.jp/toku_archives/toku_top_04.htm〉[閲覧日:2014 年 1 月 24 日]
・『KAWAGUCHI ART FACTORY ホームページ』〈http://www.art-kouba.com/greeting.html〉[閲覧日:
2014 年 1 月 28 日]
・「(人生の贈りもの)演出家・蜷川幸雄:1
「キューポラのある街」で生まれて」朝日新聞 2011 年 04
月 04 日 夕刊 夕刊be月曜3面
- 54 -
第7章 文化政策のアクターと公共セクターの関係
1.公共セクターがめざすもの
川口市は、「多くの市民が地域の文化活動に触れ、参加することで、川口らしい文化を市
民の手で形成し成熟させていく社会の実現をめざします。」という目標を掲げ、文化芸術活
動の支援・文化施設の整備、充実といった施策を行っている。市民の主体性を重視し、行
政側はその市民の自主的な活動を支援するという立場である。市というのは多種多様な
人々の集まりであり、彼らの自主性から生まれる小さな文化活動が仲間を作り、コミュニ
ティを形成し、一体性を生み出す。そこには精神的な高揚感・心のハーモニーが存在する。
「芸術創造というのは精神の充足であり、すなわち文化である」という先人オルテガのこ
とばがある。文化政策は「豊かさ」の享受ではなく「幸せ」の実現を目指すものなのだ。
文化政策というのは行政、芸術文化、そして社会意識・社会構造の三者が一体となって
作られる。そしてその基軸には「生活価値と知的創造」がある。生活価値というのは人々
の普段の営みの中で再生産されるものであり、生きがい、働きがい、喜び、楽しみのなか
に宿る。知的創造は人間の感覚や経験、コミュニケーションの中から生まれるものである。
これらによって生活の中の充足感を大きくし、はじめは小さなコミュニティかもしれない
が、その居心地のよさが共感を持つものを増やし、文化力の向上につながるのだ。そして
最終的には文化がベースとなった観光・商業への結びつきを期待する。文化が活気あるも
のの素材のひとつになることを目指すのだ。
2.公共セクターの役割
川口市が現在行っている事業は次の通りであり、また文化芸術に携わる人材の数も具体的
な数値目標を定めている。
● 目標指数
文化芸術に携わる人材の登録者数
《現状値》600 人
《目標値》800 人
(平成 20 年度)
(平成 27 年度)
- 55 -
●現在の事業
・ 市民コンサート事業
・ 歴史的建造物活用事業
・ 芸術賞賞賜事業(文化賞・芸術奨励賞・芸術功労賞)
・ 文化振興交付事業(初午太鼓コンクール・文化祭・青少年ピアノコンクール・美術展・
文化振興助成金)
・ 文化団体補助事業
・ アートギャラリー・アトリアの管理・運営業務
●支援の例
ハード面:川口助成事業による助成金、既存の設備に付随設備をその都度導入など
ソフト面:チラシ・ポスターの広報(行政施設・支所(6カ所)・図書館・公民館)によ
る鑑賞側とのリンク・場の形成
<金銭面>
行政には立場上、ハード面での支援には限度がある。そこで、チラシ・ポスターの広報や、
アドバイスの提供といったソフト面での支援に力を入れていきたいと考えている。ここに
アーティストとの齟齬が生まれるのだ。彼らはよりハード面での支援を求める傾向が強い。
芸術に関する知識を行政は持たないのだから、資金面の援助を充実させてほしいのである。
以下ヒアリングより
「—まあ行政がもうちょいお金出して支援しないとだめでしょ。まあ、ていうかそういうこ
とに、意図的に支援した方がいいんじゃない。お金出して口出さないみたいな。だって行
政の人出来ないよアートとか活動。それやろうとするとお金ばっかりかかっちゃって結局
丸投げするでしょ。行政が主導しようとすると、予算とって、結局自分たちが企画したり
考えたり、専門家じゃないしできないから、結局お金をボーンと取ってどっかに丸投げ…。」
<行政のリーダーシップ>
そして行政は、今まで発表の場作りを積極的に行ってきた訳ではなかったといえる。その
ため住民自らが結集し、コミュニティを作ってきたという一面もある。川口市文化祭にし
ても出展者をみると、地縁関係のある既存組織ばかりが参加しており、新住民のコミュニ
ティはあまりない。その旧住民の文化クラスターも徐々に高齢化してきており、内容もマ
ンネリ化しつつある。そのような固まったフィールドに新たな組織が入っていくためには、
やはり行政が何らかの手を差し伸べる必要があるだろう。
しかし最近では取り壊される予定であった廃校になった中学校を5年間一般財団法人に貸
- 56 -
し出し、文化芸術拠点として地域づくりを行う計画や、ピアノコンクールに市民の方も参
入したいという声があるという。そのようないわば越境型な場を形成していくことによっ
て、フィールドに積極的に新たなドメインを参入させていくべきである。
そして一番の問題点は川口市が現在具体的な文化推進ビジョンをもっていないことだ。
行政が中長期的なビジョンを掲げなければ、その場しのぎの文化政策になってしまう恐れ
は多いにある。一般市民から、行政の方向性がみえないという不安もでてくる。
地域資源、文化資源を上手く活用しながら、まずは生活の基盤にしみついている「川口ら
しい文化(職人気質・仲間意識など)」を突き詰めることが急務である。そして、それに応
じた策を練り上げ、その後市民・アーティストへ向けて発信するのだ。
3.川口の精神−文化政策アクターの役割−
住民が多面的なまちの価値を見いだし、それがまちづくりに反映され、かつ住民自らがま
ちづくりの主体となって活動を担うようになってこそ幸福感を実現できるまちづくりが達
成される。そしてその過程で生み出される自己のアイデンティティや地域の協働は文化を
形成するにあたって必要不可欠であるのだ。そしてよいまちづくり・文化づくりのために
は「ひとづくり」が欠かせない。ここで述べる「ひとづくり」とはすなわち川口かたぎか
らくる「川口の精神」である。
はじめて訪れるまちでは直感的に「入りやすいまち」
「入りにくいまち」を判断すること
ができる。
最初の判断材料はやはり外観である。都市部か、下町か、建物が新しいか、古いか、まち
がきれいに整備されているか、そうでないか…。それによって活気があるまち、ないまち
といった印象をつける。
しかし何よりも影響を与えるのはそこに暮らす人々の中身である。気さくであたたかく、
誰でも受け入れてくれる人が多い場所、他人に興味はあるけれど自分から行動を起こす人
は少ない場所、よそ者に対し全く無関心な人が多い場所など様々である。
そこに出る違いはやはり昔からしみついている文化に関係するのが大きいが、果たして市
民主体の文化活動を形成するにはどのようなまちがよいのだろうか。人々に活気があり、
何よりも彼らがこのまちを変えていきたい、新しい文化をつくっていきたいという思いを
強くもっていることが重要であろう。
では川口市はどのようなまちなのだろうか。これまでみてきたように、川口市では既存の
文化を生かしながらの文化活動が行われている。各団体にはそれを先導していく人々がお
り、これからはその取り組みをいかにまとめ、更に拡大化させていくか、というところで
ある。しかし、川口が「入りやすいまちか」と聞かれたらどうであろうか。川口かたぎと
いう昔ながらの職人気質のもとで、もしかしたら外部の人間を受け入れがたくさせている
部分があるかもしれない。また鋳物の中で育ってきた職人にとってはそれを文化として感
じていない部分もある。
- 57 -
私は、そのものづくりから生まれ、受け継がれてきた「川口の精神」にオープンマインド
を加えていくことによって新しい川口ができあがってくると考える。ものごとを大切に育
てていく、あたたかみとともに、だれでも受け入れる環境をつくるのだ。その「川口の精
神」を知っているのはやはり文化政策のアクター、すなわちアーティストたちである。現
場にいる彼らだからこそもっているその心を最大限生かしていくべきである。
そして自然にまち全体にオープン性を創造し、
「入りやすいまち」をつくる。それは外部
の人間をもとりこめる環境ができあがるというわけである。まちを知ってもらうためには
まずはそこに来てもらう他はない。
4.小括
一般的に公共セクターは即地的ゆえ、ともすると閉鎖的なところがあり、職員と芸術家
の間には溝ができてしまいがちである。これは立場が違うため避けては通れない部分では
ある。行政側にはいわゆる制度の枠が存在するため、決まりきった提案・事業しか行うこ
とができない。枠を持った人々はそこに訪れる新しい価値観をもつ人々を苦手とするのだ。
しかしその中での構想というのはやはり堅いものになってしまうのではないだろうか。そ
こにクリエイティブ層が加わることによって市民の発想で文化を伸ばしていくことができ
る。大切なのは互いの強み・弱みをきちんと理解し、それを互いに補う努力をすること。
アーティスト間のつながり、アーティスト・行政間のつながりなど、人と人とをつなげる
仕組みづくりをしっかり行うことが重要である。行政・民間が一体となって心身ともに健
康なまちをつくっていくこと。そこには相互理解が不可欠である。
- 58 -
文化形成
川口の精神
行政サポート
図 7-1
行政と民間が一体となってつくる文化
近年川口市はいわゆる新住民と呼ばれる東京への通勤者の住むベッドタウンと化してい
るところがあるが、そのような人たちにこそ「川口の精神」を知ってもらうべきである。
そして人間の帰属すべきあたたかな地域社会をつくっていくこと。それが「ようこそ川口」
のはじまりとなるであろう。
住民自らが「川口らしさ」に気づくことがこれからの発展につながっていくだろう。
- 59 -
第8章 転換期のディレンマ 〜まちづくりにおける光と陰〜
1.転換期とは何か
本章ではまちづくりの転換期について考察してみる。その為にまずは「まちづくりにお
ける転換期」というものを定義する。「転換期」すなわち「物事が移り変わろうとしている
時期」についてである。「まちづくりにおける転換期」とは「まちづくりが移り変わろう
としている時期」ということである。即ちまちづくりの方向性が決まる時に「まちづくり
の転換期」を迎えることになると言えるだろう。しかしここで注意したいのが、「街の転
換期」との違いである。街とは常に転換期にあるのである。というのも街の人や産業や町
内活動が日々更新されるので、不可避として常に街は移り変わっているからである。即ち、
「まちづくりにおける転換期」とは、街の転換の方向付けであり、街の転換期と言えば、
それは産業と市民生活そのものと言えるだろう。川口市はアートのまちづくりをするとい
う、「まちづくりの転換期」を迎え、住民は「アートの街を作るという転換期」の中に居
るのだ。今回私はこの二つの転換期の意味をヒントに、川口のまちづくりについて考察す
る。
2.まちづくりの光と陰
まちづくりというものは光と陰がある。光とは人の前に立ち目立つ側面、陰とは目立つ
ことをしない側面とここではそれぞれ言い換える。私はそのディレンマの分析の為に2名
に対してヒアリング調査をした。調査した2名は産業のドメインがとても似ていて、年代
も近く、共に地域に根ざした暮らしをしている。二人は共に川口の芸術活動に協力的であ
るがその関わり方が違う。一人は地域を巻き込んで活動するA氏、一方、一人は個人の力
で芸術活動を行っているB氏。言い換えるとA氏は光を浴びるところでの活動、B氏は光
の当たりにくい側面に光を当てることを模索する活動をしているのだ。
3.両名のまちづくり
A氏、B氏、両名とも、まちづくりにとても積極的である。一人はJR川口駅周辺の商
店街の中心的メンバーとして、多くの意思決定に関わり、商店街全体を巻き込んで活動し
ている。その様はまさに地域のリーダーといった感じである。その信条としてはより大き
く巻き込んで地域単位で動くことで活動の規模が大きくなるというものである。もう一人
B氏はJR西川口駅周辺の商店街で活動している。前者A氏とは対照的に個人的な活動が
大きい。写真や見学会イベントなどを開催している。その狙いとしては、店として職場、
家庭と違う第三の居場所=サード・プレイスを作ることであり、そこからまちづくりを考
えるということが信条の基本にある。A氏、B氏、組織集団でのまちづくり、一方、個人
のゆるやかなつながりからのまちづくりの違いがそこにはあるともいえる。私はこの動き
- 60 -
の違いを二名のバックグラウンドの違いから考察することとする。
4.フィールドにおける光と陰
フィールドとは1章に述べたように空間的エリアのことである。上で取り上げた店は川
口駅周辺と西川口駅周辺とフィールドを分けることが出来る。川口駅は西川口駅の隣に位
置しており、都心からの交通の利便性で言えばほぼ同等と言えるし、地図で見れば2つに
さほど差は無い。しかしながら、2つのフィールドの地域性、歴史性は大きく異なる。川
口駅周辺は鋳物を中心として栄え、その後の再開発により整備されてクリーンなベッドタ
ウンとしての街が作られている。その為、人口も多く栄えている。そして川口駅の前には
県内屈指の通行量を誇る商店街がある。資金面で見てもスケールがある。一方、西川口駅
周辺はかつて歓楽街として賑わっていたもののその違法性から一斉摘発があり、今はその
イメージだけが残余化してしまっている。そしてそのイメージが、どうしても商店街の活
気を減らしてしまっているという現状がある。また西川口特有の商店街も勿論あるが、川
口駅周辺と比べるとその規模や発展度はかなり小さい。このように川口市という限られた
フィールドですら、その光と陰は大きい様に思われる。
5.ポジションにおける光と陰
先の2名に対照的なのがまちづくりにおけるポジションの違いである。一方は川口の樹
モール商店街の中でも中心的なポジションに立ち、まちづくりの意思決定に大きく関わっ
ている。しかしながら、もう一方は西川口の商店街の活動に参加はしているものの、商店
街の意思決定への参加に対して適度な距離を保とうとする。これが何を示すのかといえば、
「まちづくりの転換期」にあっても、渦中に身を置かず「街の転換期」を周縁から注視し
ている人が居るということである。まちづくりは多くの人を巻き込む性質を持つが、まち
づくりの意思決定の段階では、ポジションがあり、まちづくりの役職などにつき仕事を任
される住民は多くは無い。多くの住民は「まちづくりの転換期」に関わらずに、
「街の転換」
の周縁の場にいる。その情報共有がないとまちづくりはブラックボックスになってしまう。
西川口エリアの方のヒアリングの中に有った「わかんないんだよなー。なんかね、全然見
えないですね、全然。」という言葉に現れている。ポジション間のディレンマが存在する。
6.小括
川口は「まちづくりの転換期」を迎えた。「川口を文化創造都市にする」という機は熟し
ている。それは希望とチャンスにあふれた可能性である。だがそこには光と闇が存在する。
ポジション、スタンス、バックグラウンドなどが違う以上全員が同じ動きは出来ない。地
域によってもその方針の広げ方、受け入れ方は違うし、光を多く浴びる活動もあれば、陰
ながらの活動もあるだろう。しかしながらそのディレンマこそが「街の転換」としての面
- 61 -
白さを作っている。皆が同じ方向を向いていても、また情報がばらばらでも本来の目的で
ある、文化活動による「知的想像&創造」が起こることは難しいであろう。しかし過去、
現在の良さへの認識、時代感覚、価値観などの様々なバックグラウンドを原因に各々が自
主的に産業や文化活動をすることで、他の市に存在しない街としての面白みが出て来るの
であろう。
- 62 -
第9章 情報発信の広がり
1.本章のねらい
本章では川口市の情報発信、PR 活動の現状を知り、考察する。情報発信と PR 活動は川
口市が「ものづくりの街」であることを宣伝するのに重要な役割を果たしている。また、
情報発信、PR 活動によって増えていった横のつながりについても調査し、これから川口市
がどうあるべきか考える。
2.川口市の情報発信
川口市は 1986 年に樹モール商店街が誕生してから各団体は、活動内容、イベント告知な
ど自身の取り組みについて川口市内外に情報を発信している。樹モール商店街が誕生した
頃、パンフレット、HP、広報誌など「買いに行く」「パソコンで調べる」といったことで
情報発信をしていたが、最近では SNS やブログなど「携帯で見る」という身近なへと変わ
った。
①HP
燦ギャラリー、ふらりあーと(39 アート)、アトリア、川口暮らふとなど、多くの団体が
使用しており、各団体自身のアイディンティティを多彩に表現している。HP の役割として
は多くは活動内容、活動報告、イベント告知を川口の内外に報告している。また川口市の
他の団体をリンクすることができるので川口市全体が「ものづくりの街」として促進して
いく。
②SNS
ふらりあーと(39 アート)、アトリア、川口暮らふとなど SNS(ソーシャル・ネットワーク・
サービス)を活用している団体が増えてきている。現在スマートフォンが主流になっている
ため、誰もが気軽にまた簡単に見ることができる。SNS は常に新機能開発や既存の機能の
向上に努めているので、多くに人から利用されている。日本の SNS ではフェイスブック、
ツイッターが有名であるが非常に情報発信機能として優れている。フェイスブックにはシ
ェア機能。リンク機能。ツイッターではリツイート機能がある。一人がこの機能を使用す
るだけでその機能を使用した人のフォロワー(友達)全員にその情報が入る。SNS は HP やブ
ログとは違い投稿するのにあまり手間がかからなく、写真なども複数投稿できるので閲覧
者からするとその場の雰囲気をより楽しむことができる。SNS では基本的に核となってイ
ベント活動の参加を呼び掛けている人はいなくとも、アーティスト同士の情報交換が SNS
によってできるので全国各地にその情報網は広がっている。
- 63 -
③パンフレット、看板、ポスター
各団体使用しているところが多く、飲食店や町中でよく目にする。無関心層には一番目
に入りやすい情報発信であり、川口市内(新旧住民)の人々へのイベント告知などをしている。
④直接現場に足を運ぶ
主に若年層への対応手段である。学校などに直接足を運びアーティストの作品など披露
する。実際、川口暮らふとなどが行っている。
+αブログの使用
ブログもいくつかの団体が使用している。ブログは情報発信という面では弱いが、イベン
トの当事者のリアルタイムな感想や写真などが披露されているので興味を持ってもらうと
いうことに関して大きな利点があると言える。
①②③④の情報発信をまとめて、現在の川口市の情報発信は川口市民のみならず川口市
外にも発信できている。また幅広い人々(新旧住民、若年層、無関心層)への対応がしてある。
HP を作るには費用と時間を費やすことになるが、SNS などの誕生によりそれが簡単に
アカウントを作ることができるので川口市にあるいろんな団体が活用している。アーティ
ストや団体とのつながりもどんどん広まりその結果、HP の検索数もだんだんと増えている。
しかし、呼び掛けはできているがまだまだそれが順応していないことも確かである。そこ
がこれからの改善点であると言える。
図 9-1
HP
SNS
○
○
×
×
○
○
×
×
○
○
×
○
○
○
×
×
○
○
○
○
○
○
○
○
パンフレット
燦ギャラリー
川口市の情報発信
ブログ
(2000 年)
e ギャラリー
(2002 年)
39 アート
(2003 年)
ECO&EGO
(2004 年)
アトリア
(2006 年)
川口暮らふと
(2011 年)
年代ごとに情報発信が変わってきている。
- 64 -
3.川口市の PR
川口市の情報発信とともに PR 活動もしている。現在、川口市は鋳物産業をはじめとする「も
のづくりの街」から駅前開発やマンションが建ち並ぶ「住民都市」へと変わりつつある。
その結果、東京に行くのに交通の便もよく社会人に、あまり不自由のない川口市は東京の
ベットタウンとされている。川口市が「ものづくりの街」を大切な伝統とともに受け継ぐ
ために、川口市の特徴や良さを PR していかなくてはならない。
① スコットキャラクター(ゆるきゃら)
現在、全国各地で流行っているマスコットキャラクター(ゆるきゃら)で、川口市には「き
ゅぽらん」というキャラクターがいる。このモチーフは、鉄が熔解するための「キューポ
ラ」がモチーフとなっており、川口の星となるようにと願いが込められている。鋳物がモ
チーフとなっており、ものづくりの街を PR するには最適である。また「きゅぽらん」は、
2013 年ゆるきゃらグランプリで、237 位となっており全体の順位から比べると上のほうに
位置しているが、まだまだ全国的には「きゅぽらん」の知名度は高くない。しかし、「きゅ
ぽらん」は現在多くのイベントに参加しており市民との交流を深めている。ツイッターの
フォロワーも増え現在では 1300 人となっている。また、船橋市の非公認マスコットキャラ
クター、
「ふなっしー」はマスメディアに取り上げられているため、国内の多くの人に船橋
市の PR をして成功している。以上のことから公認・非公認問わずマスコットキャラクター
の活躍というのは非常に大切なのである。
②キャッチフレーズ
①のマスコットキャラクターと同時に使える、PR 方法がキャッチフレーズである。流行
語大賞があるように言葉の力というものは日本人にとって大きい。川口市には「きらーり
川口
ゆめわーく」というキャッチフレーズがある。由来はどこか「きらり」と光る川口
市でありたいという願いを表現している。「きらり川口
花いっぱい」「きらり川口ボラン
ティア」など市民と行政がいったいとなったまちづくりの合言葉として活用している。
①②は日本では PR 効果としては非常に有効である。なぜなら、ゆるきゃらグランプリや
流行語大賞など国民ほとんどが知っているイベントで、マスメディアにもうまくいけば、
取り上げてもらうことのできる PR 活動だからである。マスコットキャラクターもキャッチ
フレーズも共通して言えることは、他とは違った特徴があるほうが人気が出るということ。
マスコットキャラクタ-(ゆるきゃら)に関してもっと活動範囲を広げていけば、川口市外か
ら来る人達にも知ってもらえることができ、情報発信される。PR 活動と情報発信は繋がっ
ているのだ。
- 65 -
4.小括
全国各地に川口市の「ものづくりの街」を植え付けるために、情報発信と PR 活動の重要性
は非常に高い。全国民に川口市の情報発信するためには、マスメディアに取り上げられる
ようする。
PR で成功したと言えば、東国原元知事の宮崎県である。「どげんかせんといかん」とい
う私たちも知っているキャッチフレーズとともに、宮崎県を PR した。宮崎県はばらばらの
部署で PR 活動を行っていたが部署を統合させ、情報が集中し、管理しやくさせた。宮崎県
全体を考えた PR 活動が出来るようになり、組織で活動することで、東国原元知事一人に頼
らずに PR 活動することができた。PR 活動は、正確な情報を適時伝えることが大切なので、
県内・国内に向け、情報がいきわたるような組織作りをした。
川口市の情報発信は、幅広い人々に広まっているが限度があるということも否めない。
国内に広めていくような情報発信をするために、PR 活動と情報発信の連携が十分に取れる
ような環境づくりをしていくことが必要となる。
今後、「きゅぽらん」の PR 活動の量を増やしていき、川口市のことを多くの人に知って
もらう。そうすれば、自然と情報発信の幅が広がっていく。具体的に一つの案として、「き
ゅぽらん」を他のマスコットキャラクター(ゆるきゃら)と違う特徴を持たせる。その特徴が
人々に認められると、マスメディアに取り上げられる、確率は高くなる。個性を大切にし、
川口市内外にアピールしていけば、「ものづくりの街」川口市が国内に PR され文化事業も
促進していく。「温故知新」川口市にはまさにこの言葉のように情報発信、PR 活動を考え
ていく必要があるだろう。
参考文献
https://www.1110city.com/
川口市の観光スポット
http://www.city.kawaguchi.lg.jp/kbn/32050040/32050040.html
川口市/川口市内の観光スポット
http://netpr.jp/trend/1999/
「どげんかせんといかん」
- 66 -
第10章 地域の持続的発展における行政の支援
1.はじめに
全国には発展している地域、少子高齢化が進んでいる地域、限界集落となっている地域
など、様々な状況の地域がある。その中で、川口市は都心への通勤・通学などをして、自
宅をただ寝る場所としている、いわばベットタウンとしている新住民と、昔から川口市に
定住している旧住民が混在しているという特徴を持っている。
いかなる状況の都市においても、その都市が発展していくためには、行政からの支援が
必要不可欠である。そこで、この章においては調査対象とした川口市が今後、持続的に発
展するためには、行政がどのような施策を講じればよいのかを考察したい。
2.川口市の人口推移
図 10-1
川口市健康・生きがいづくり計画
総人口と世帯数の推移
川口市の人口、世帯数をみてみる。平成 5 年時、人口 507,850 人、世帯数 188,938 戸と
なっている。次に、平成 25 年時は人口 580,852 人、世帯数 259,048 戸となっており、人口、
世帯数ともに増加傾向にあるといえる。
川口市では東京への利便性の良さから人口、世帯数が多くなっているのだと思われる。
つまり、多くが新たに川口市に住む人、新住民の増加だといえるだろう。
- 67 -
図 10-2
川口市健康・生きがいづくり計画
段階別人口の推移と将来推計
次に段階別人口推移と将来推計を見てみる。平成17年から25年までの人口の推移と、平
成25年から37年の将来推計をみると、0歳~14歳までの年少人口は減少傾向にあり、平成17
年は77,309人であった。対して、平成37年には 65,693人と推計され11,616人減少すること
が予想される。
人口に占める65歳以上の老年人口をみてみる。平成17年には81,424人であったのに対し、
平成37年には136,635人と推計され55,211人増加する予想である。また、高齢化率でみると、
平成17年の14.8%から平成37年には24.0%に増加し、約4人に1人が高齢者になることが予
想される。
こうした少子高齢化の現状を踏まえ、行政では子育て世代への支援制度と、更なる高齢
化に対応するための介護制度・社会保険制度などが社会的に重要になるだろう。
さらに、人口減少や少子高齢化の進行により、労働力人口の減少による経済規模の縮小
が懸念される。労働力の確保、後継者不足問題である。今後はより一層活力のある発展を
遂げるために、行政は充実したサービスを提供していき、人が「川口市に住んでみたい」
と思ってくれるような都市を目指さなければならない。
また、昨今の懸念材料として、団塊世代の撤退がある。平成27年(2015年)には、団塊
世代がほぼ完全に労働市場から引退し、構造的に労働力不足となると考えられる。仮に少
子化対策が功を制したとしても、その子供たちが労働市場に参加するには、最低でも15年
は要する。したがって、日本人の労働力のみに頼るのではなく、外国人の労働力を積極的
に取り入れることが考えられる。
しかし、外国人労働力の受け入れの増加は、文化・習慣の違いなどにより、地域社会へ
様々な摩擦が生じることも考えられる。地域社会では、こうした摩擦を軽減させるため、
住民と新しく定住する外国人住民同士、お互いの文化・習慣を認め合うことが求められる。
そのための行政からの支援として、定期的に外国人と交流する機会を設け、文化・習慣
- 68 -
を認め合う場を提供することが求められる。
3.鋳物のまち、川口市
川口市は明治時代以降、国全体の近代化の中において重要な役割を担い、次第に大型鋳
物の製造が盛んになってきた。鋳型は日本式焼型法から西洋式生産法への転換、溶鉄作業
においてはたたら踏みから蒸気力、さらに電力への転換など様々な技術革新が行われた。
川口市は明治 20 年代前半までに近代的な鋳造技術が確立し、大型の鋳物の製造が可能に
なった。
さらに、明治 43 年(1910 年)に川口駅が開設されることにより、川口市の鋳物は関東
付近から東北、北陸、東海地方、また朝鮮や台湾にまで販路を広げたのである。
大正 3 年(1914 年)には第一次世界大戦の勃発で、海外からの注文が急増し、工業の急
速な発展だけでなく機械鋳物の生産が急増した。
次の第二次世界大戦では川口市も戦時体制に組み込まれ、終戦後は救貧を経て、鋳物の
復興を目指すこととなった。
このような鋳物の経緯を経て、鋳物職人はものづくりに対するこだわり、つまり「職人気
質」という伝統が形成されることとなった。この職人気質は現在にも受け継がれており、
最近では新しい分野で全国的に活躍する職人も存在している。この川口の鋳物を代表する
ものとして、東京オリンピックのメイン会場となった国立競技場の聖火台や、学習院女子
大学の正門などが挙げられる。
4.東京オリンピック聖火台
1964 年に開かれた東京オリンピックにおいての聖火台は、川口市の鋳物師鈴木萬之助氏、
文吾氏の親子が手掛けた。日本初の聖火台は、高さ 2.1 メートル、直径 2.1 メートル、重さ
2.6 トンの大きさの鋳物で出来ている。当時の映像などに出てくる、誰でも一度は目にした
- 69 -
ことがあるであろう、1964 年の東京オリンピックの象徴的な存在である。
萬之助氏の元に聖火台の制作依頼が来たのは残り期間が半年というところであった。当
初は大手造船会社に依頼していたらしいのだが、コスト面、技術面などで折り合いがつか
なかった。そこで、萬之助氏に依頼したところ、採算を度外視してこれを引き受けたので
ある。
「鋳物の街・川口の名に懸けて、国の仕事ができるのは名誉なことだ」という職人気質
である。
東京オリンピック聖火台制作は、3 カ月という制作期間を条件に始まった。昼夜問わず萬
之助氏、文吾氏親子は作業し、2 ヶ月後に湯入れの作業段階に入った。湯入れとはキューポ
ラと呼ばれる溶解炉で溶かした 1400℃の鋳鉄を鋳型に流し込む作業のことである。高い技
術と熟練度を要する職人でなければ出来ない作業である。しかし、作業途中で突然鋳型が
爆発し、鋳鉄が流れ出したのであった。その 8 日後、萬之助氏はショックと過労から帰ら
ぬ人となった。
父を亡くした文吾氏は、事故直後からまた作業を開始していた。
「作らなければ川口の恥、
日本の恥」という心持だったという。寝食もままならずに作業を続けること 2 週間後、再
び湯入れの日がやってきた。文吾氏は父の弔いの意を込め慎重に鋳鉄を流し込み、作業は
無事終了した。鋳型をはずし完成した聖火台を見たとき、文吾氏は世界中が注目する聖火
台を作り上げた達成感で男泣きをした。
そして、1964 年 10 月 10 日東京オリンピック開会式において、最終聖火ランナー坂井義
則氏により日本初の聖火が点火された。
2020 年の東京オリンピックの開催が決定し、現在再び 1964 年東京オリンピックの聖火
台に注目が集まっている。2013 年 9 月 1 日には陸上男子ハンマー投げの室伏広治選手も参
加して、参加者と共に国立聖火台を磨くイベントなども開催された。
1964 年東京オリンピックの聖火台、そして川口の鋳物文化は川口市民にとって、自分の
まち川口への誇りとアイデンティティーを形成することとなるだろう。
- 70 -
5.行政の施設
平成 18 年(2006 年)川口駅東口に複合施設「キュポ・ラ」が開業し、川口駅周辺の市
街地再生事業が概ね完成した。
「キュポ・ラ」には、約 170 の業務を原則として年中無休で
取り扱う「川口駅前行政センター」を開設し、市民の利便性を向上させている。
さらに、市民活動の支援施設となる「かわぐち市民パートナーステーション」、駅前という
好立地にあり、多様な保育ニーズを満たす「川口駅前保育園」などがある。
また、「キュポ・ラ」内の「中央図書館」、「メディア・セブン(映像・情報メディアセン
ター)」は、多くの市民に利用されている。
「メディア・セブン」とは
メディアセブンは、地域の文化、歴史、産業、芸術などさまざまな分野と連携しながら、
総合的に学び、探求する新しいタイプの「学びの場」です。
ここで行われたワークショップなど活動に関する情報や、活動によって得られた知識や経
験を収集・管理・保管・提供し、さらにこれを市民(利用者)が共有する「場」をデザイ
ンすることにより、文化を創造していきます。
人と人が結びつき、協力して何かが成し遂げられる「協働性」の大切さを見なおし、市民
相互の結びつきの質によってもたらされる学習や活動、解決された問題などが、当センタ
ーの活動として評価されるべきものであると考えます。
当センターには、完成形はありません。地域の文化活動拠点として、人と人の結びつき
の「場」をデザインしそれを実現して運用し続ける仕組みを維持しながら、社会の変化、
- 71 -
映像・情報機器の進展を考慮し、つねにサービスを見なおし、発展していく施設です。(*
HP より抜粋)
このメディアセブンにヒアリングに行って、まず感じたのは川口市が生涯学習事業に重
点を置いているということであった。キュポラ内にある中央図書館とともに、建物も新し
く先進的なイメージを持った。川口市はメディアセブンの運営に関して外部団体に専門的
な業務を委託するという指定管理者制度を用いている。指定管理者制度としてメディアセ
ブンを委任されているのがコミュニティデザイン協議会(Community Design Council)と
いう NPO であり、芸術、教育、文化など専門性が高く幅広い行政の事業を請け負っている。
このメディアセブンでは、ワークショップやパソコン講座、トークイベントなどや、録
音スタジオ、映像音響機器、ワークスタジオなどの施設の貸出を行っている。特にワーク
ショップへの参加者は、イベントが終わった後も定期的に集まっているのだ。つまり、メ
ディアセブンのイベントを通じて地域のコミュニティーを形成いるのである。
また、ヒアリングをさせていただいたメディアセブン氏原さんの言葉で印象的だったの
は、
「川口市行政の方針と、メディアセブンとの間で意見の食い違いや齟齬はありません。」
ということだった。当初ヒアリングをする前までは、やはり行政からの枠組みに完全に沿
いながら運営しているのではないかと考えていた。しかし、そのような事実はなかった。
メディアセブンのような先進的な事業を行うためには、やはり行政側にある程度の寛容性、
柔軟性が必要なのである。
一方、文化・芸術面で川口市は「多くの市民が地域の文化活動に触れ、参加することで、
川口らしい文化を市民の手で形成し、成熟させていく地域社会の実現を目指します。」と
いう目標を掲げている。
文化・芸術面を担当する川口市文化推進室による事業内容としては以下のようなものが
ある。
・ 市民コンサート事業
・ 歴史的建造物活用事業
・ 芸術賞賞賜事業(文化賞・芸術奨励賞・芸術功労賞)
・ 文化振興交付事業(初午太鼓コンクール・文化祭・青少年ピアノコンクール・美術展・
文化振興助成金)
・ 文化団体補助事業
・ アートギャラリー・アトリアの管理・運営業務
平成 18 年(2006 年)美術施設「アトリア(アートギャラリー)」が開館されている。
さらに、演劇・ダンス・ピアノコンサートなどの場として「リリア(川口総合文化セン
ター)」もある。
以上のように川口市には多くの市民交流の場、多くの芸術に触れる場、つまりハード面
としてのハコモノは充実しているといえるだろう。
- 72 -
しかし今後、建設から歳月も経て老朽化が進んでいくものもある。また現在進行してい
るものも多い。首都直下地震にも備え、公共施設の統合・再編・廃止などを視野に入れた、
計画的な補修、改修、再利用が必要となってくる。
さらに並行して、これらの文化事業を通じて新住民、旧住民が一体となれるような企画
を立ち上げ、新旧住民の架け橋となるようなコミュニティーの形成を行政から支援するこ
とも必要であると考える。
6.小括
川口市には、全国を代表する鋳物をはじめ、充実した公共施設、複合施設が数多くある。
さらに昔から住んでいる旧住民、東京へ仕事に行き川口は“寝場所”と割り切っている新
住民、各国からの外国人と多様な住民が住んでいる。
人口は上昇していっているものの、今後さらなる少子高齢化により生産年齢人口の減少、
労働力不足に陥る可能性を孕んでいる。それに伴い、市税収入への影響、社会保障関連経
費の増加、都市基盤の整備、老朽化に伴う公共施設の建て替え費用や、維持補修費用の増
加など多くの問題を抱えている。
川口市が持続的に発展していくためには、外国人労働力の適用、鋳物文化への支援、そ
して「川口市に住みたい」と思われるような魅力のあるまちづくりを講じていく必要があ
るだろう。
そのためには、自らのまちの文化・歴史の地域学習をし、川口市への愛着の定着を促す
ことが効果的であると提案する。さらに行政が今後展開すべきこととして、多様なバック
グラウンドを持った住民たちを接する機会、お互いに理解し合う機会を与えるコミュニテ
ィー形成の支援が必要である。同時にその多様性を持ったコミュニティを形成するために
は SNS の活用も視野に入れた、つまり時代に合わせた情報発信の手段も広げていくべきで
あろう。
人と人が繋がり合わなければまちの持続的な発展は望めない。多様な人材が混在してい
る川口市は、その多様性がある分だけさらなる発展が期待されるだろう。
- 73 -
第11章 文化政策の再編戦略-川口市が創造都市になるために-
1.はじめに
川口市の文化団体にヒアリングを行った結果、個人的に強く感じたのは、川口市には文
化活動団体が多々あり、活動が活発に行われているということである。それは、活動の多
様性はもちろんのこと、活動している団体が川口市の魅力・問題点を共通して認識してい
ることや、おもしろさ等が多々感じられた。
しかし一方で、それらの活動が草の根的であり、点在してしまっている印象も拭えなか
った。つまり、
「これらの活動を後押しするような、一つにまとめて導いてくれるような存
在があれば、〝川口市″の魅力としてその文化活動を発信できるのではないか」、「〝川口
市″が文化創造都市になりうるのではないかと強く感じた。そして、それを先導していく
存在はやはり川口市行政に重要な役割であるのではないか」と考えたため、行政の文化政
策を中心に、「川口市が創造都市になるためには」ということをまとめてみたい。
2.創造都市とは
第一章でも、「創造都市」について定義していたが、この章で述べようとしている「創造
都市」とは何たるかについて、もう一度定義したい。創造都市とは、
「地域固有の文化が、誇りや愛着のある付加価値の高い産業を促し、そのことがさらに新
しい文化への刺激や投資にもつながって、市民の生活を豊かに暮らしの質を高めている、
いわば『創造的な文化活動と革新的な産業活動の連環によって、まちを元気にしている都
市』が創造都市である。」(*1)
とされている。これは、創造都市としてユネスコから認定されている金沢市による、
「金沢
創造都市推進プログラム」の冒頭の一文に記載されているものである。金沢市は、ユネス
コにより創造都市として認定されており、ユネスコが創設した、世界の創造都市が加盟す
る「創造都市ネットワーク」にも加盟している。ちなみに、この「創造都市ネットワーク」
は文学、映画、音楽、クラフト&フォークアート、デザイン、メディアアート、食文化の七
つ分野から、世界でも特色ある都市を認定したものであり、現在は四十一都市が認定され
ている。なお、金沢は「クラフト&フォークアート」の分野で認定されている。
- 74 -
図 11-1
ユネスコ創造都市ネットワーク
なお、世界規模ではないものの、日本国内でも文化庁が文化芸術創造都市モデルの構築
(文化芸術創造都市モデル事業)を行っている。
「文化庁においても,文化芸術の持つ創造性を地域振興,観光・産業振興等に領域横断的
に活用し,地域課題の解決に取り組む地方自治体を「文化芸術創造都市」と位置付け,文
化庁長官表彰,国内ネットワークやモデルの構築を通じ支援しています。」(*2)
資料 11-2
文化芸術創造都市モデル事業採択結果
- 75 -
また、前述の二つに含まれてはいないものの、川口市の文化芸術政策を担当している文
化推進室(後述)にヒアリング調査を行った際、文化政策を参考にしたい都市として横浜市を
挙げていた。後述するが、横浜市は、クリエイティブシティ・ヨコハマの実現に向けた取
り組みを行っており、具体的には、文化芸術を生かした都市の魅力づくりを進め、産業振
興、まちづくりにつなげるため 2004 年度から市役所内に文化芸術とし事業本部(2006 年か
らは創造都市事業本部)を設置してきた。そして、その横浜市は「クリエイティブシティ」
すなわち「創造都市」をこう定義している。
「市民生活の豊かさを追求しつつ、都市の自立的発展を目指すためには、横浜の最大の
強みである「港を囲む独自の歴史や文化」を活用し、芸術や文化のもつ「創造性」を生か
して、都市の新しい価値や魅力を生み出す都市づくりを進めることがふさわしいと考えま
した。つまり、文化芸術、経済の振興と横浜らしい魅力的な都市空間形成というソフトと
ハードの施策を融合させた新たな都市ビジョン、それが、「クリエイティブシティ・ヨコハ
マ」です。」 (*4)
このように見てみると、創造都市についてのどの説明にも、共通してみられる要素があ
るように感じた。それが、下線棒線部と下線二重線部であり、三つのポイントだと考えた。
①その都市の基盤となる独自の文化が存在すること
②その独自の文化が産業を支えている、または活性化させていること
③その産業が循環して市民の生活を豊かにしていること、都市の魅力になっていること
もちろん、この点だけではなくその他の要素も評価されて、それぞれが創造都市として認
定されたり、目指していたりするのであろうが、大きなポイントはこの三点であると考え
た。そのため、主にこの三点に着目していきたい。
3.現状川口市行政の文化政策
では、現在の川口市行政ではどのような文化政策が行われているのだろうか。10 章でも
川口市で行われている文化政策について触れていたが、この章でももう一度見ていきたい。
川口市行政の中でも、文化・芸術を扱っている部署は一部に留まっており(次ページ資料
③参照)、主に大きい四角で囲んである部署が担当部署であり、その中でも特に文化芸術に
直結する支援や政策を行っているのが、小さい四角で囲んである「文化推進室」と、その
参加にある「アートギャラリー」であると考えられる。(「文化財課」も、広い意味では文
化を扱う部署だとは思うが、今回調査で扱っている文化芸術は、主に現在の人々が作り上
げている「文化」であり、文化財が中心というわけではないため、除く。)
- 76 -
図 11-3
川口市行政組織図
(一部抜粋)
そして、それぞれの部署の施策内容に関しては、現在川口市は「第四次川口総合計画(平
成 22 年~34 年)」を設定しており、それに基づいて各年度施策を行っている。
図 11-4
川口市施策評価調書
平成 25 年
(11.文化芸術活動の支援、12.文化施設の整備・充実
- 77 -
抜粋)
これらを見てみると、交付金の補助や助成事業が目立つ。また、音楽の日や、美術展、
ピアノコンクールなどは実行委員会の形式により、文化推進室が事務局であるということ
をヒアリングで伺った。また、文化芸術団体へ対する具体的な施策、支援内容としては、
以下のものがあると伺った。
図 11-5
川口市による文化芸術活動への支援例
このような支援を行っているという話を聞く中で、市行政という立場の難しさを強く感じ
た。それは、市行政の持つ「公共性」という面である。それは、例えばある音楽団体へ支
援を行うとして、そうするとなぜこちらの団体へは支援してくれないのだという場面で見
られる。市行政というのは公共性を持つものであるため、市民全体に対して還元されるよ
うな施策を行っていかないとならない。そのため、例えば交付金に関しては、一団体ずつ
に交付するのではなく、集合体である連合会に交付するという形をとらなければならない。
そのような支援方法を行っていた。確かに、そのような公共性は必要であるけれども、
良い意味でも悪い意味でも一歩引いて俯瞰した状態の支援体制であると感じた。良い意
味というのは、全体にいきわたるような支援であり、悪い意味というのは積極性があまり
感じられないという意味である。それが公の責任であり難しいところだということが、ヒ
アリングで強く印象に残ったことであった。
なお、文化推進室の下に直属する、市の美術施設「アートギャラリーアトリア」は、展
覧会、鑑賞講座、ワークショップ、そして貸しギャラリーを中心に事業を行っている。ア
トリアは、前述したように市の施設であり、文化推進室の下に存在する部署ではあるが、
その事業内容についてはアトリアの設立目的に沿いながら自由に行っている印象を、ヒア
リングから受けた。もちろん、アトリアが設立されたのは市の方針であるのだが、活動内
容が市からの制限を受けているような印象は受けなかった。市の施設としてはとても柔軟
性のある組織であり、活動しているように思えた。それは、八名いる職員の中でも学芸員
が 2 名、専門美術職四名という割合や、市民だけでなく、アートを通じて市内外の人がつ
ながれば良いという考え等から感じた。この柔軟性が、創造都市になるには重要になるの
ではと考えたが、それは後程記述していきたい。
- 78 -
ただ、柔軟性があるといえども、アトリアはあくまでも市行政が管轄する施設であり、
その公共性は失わないためにも、市民の中から選ばれた有識者で構成される運営審議員と
いう組織を設けていた。また、事業内容も自由な印象を受けたといいながらも、市民全般、
つまり、芸術に対する知識があまりない人も、そして有識者も楽しめるような内容をとい
うことを考慮して企画を行っていた。これもまた、公共性を重んじているからだろうとい
うことは感じた。
4.他都市の創造都市へ向けた取り組み
先程は川口市行政が行う文化政策についてみてきたが、川口市が創造都市になれるかと
いうことを述べていくにあたり、横浜と金沢を例にとって、他都市の創造都市へ向けた取
り組みについてみていきたい。
4-1.横浜市の取り組み-官と民の協働へ向けて-
横浜市は、「クリエイティブシティ・ヨコハマ」とテーマを掲げ、文化振興事業に力を入
れている。それは、横浜は「東京」とは異なる文化を持つ街として港を囲む歴史的建造物
や港の風景など、個性的で魅力ある都市景観や地域資源を持ち、多くの市民や観光客を惹
きつけ様々な芸術や文化を育んできたこと、それと同時に、長年の都市デザイン活動によ
って都市の独自性を確立した結果、文化人や芸術家も多く在住し、市民や NPO による芸術
文化活動も盛んな土壌があるという背景からだそうだ。
‐
- 79 -
図 11-6
クリエイティブシティ・ヨコハマ‐4つの目標と 5 つのプロジェクト
そして、新しいものを生み出していく次の展開に向けて、より柔軟で開かれた枠組みが
必要と考え、企業、各種団体及び行政による民間主体共同型でクリエイティブシティを推
進する組織「創造都市横浜推進協議会」と、協議会の文化芸術部門の中間支援組織「アー
ツコミッション・ヨコハマ(以下 ACY)」が 2007 年に設置された。
「協議会」の設置目的は、①独自の創造的活動を進める企業・各種団体が共同すること
により、新たな文化や魅力を想像すること②文化芸術による包括的なプロモーションを実
施することにより国内外への発信性を高めること③企業各種団体及び行政が情報共有し継
続的かつ総合的なクリエイティブシティ推進を図るという。(*3)
図 11-7
創造都市横浜推進協議会を中心とする推進体制
一方、ACY はアートのあふれる街ヨコハマを目指して、アーティスト、クリエイター、
学校、企業、市民などが活動しやすい環境づくりを行っている。
- 80 -
図 11-8
アーツミッション・ヨコハマ
活動目的、事業内容
これまで横浜では、アーティスト、クリエイターの活動拠点を整備し、イベントや映像
系企業の誘致を進める「創造界隈の形成」を進めてきたことで、その「創造界隈」の情報
が人づて、またはインターネットを通じて若い芸術家が横浜での活動に興味を示すように
なり、事業本部への問い合わせも多数来るようになったそうである。そして、横浜市の方
でもクリエイタ-と街をつなぐことが街の活性化に必要であるという認識をもっていたた
め、問い合わせに応じていく「アーツコミッション・ヨコハマ」を設置し、官と民の協働
による事業推進を始めている。(*3)
私は、この、協議会と AYC の取り組みによって「官と民の協働」ができているというこ
とこそが、横浜がクリエイティブシティとして大体的に文化芸術振興を進めることが出来
ている鍵であると考える。そのことについては、次の「5.川口市が創造都市になるために」
において詳しく述べていく。
4-2.金沢市の取り組み-産業への連鎖と次世代育成-
「2.創造都市とは」でも紹介したが、金沢市はユネスコが認定する「創造都市ネットワー
ク」にも加入している創造都市である。金沢は「クラフト&フォークアート」の分野で認定
されており、金沢の伝統工芸を中心に、創造都市として「手仕事のまち・金沢」と銘打っ
て、「金沢創造都市推進プログラム」という活動計画の元活動を行っている。(*1)
この「金沢創造都市推進プログラム」についてまず紹介したいのだが、これはホームペ
- 81 -
ージで公開されている(*1)。この「金沢創造都市推進プログラム」が良かった点は、金沢が
これまで創造都市として取り組んできた活動内容から、未来へ向けて何が課題なのか、し
っかりと分析がされている点、課題についての今後の指針や活動計画がまとめられている
点である。さらに、一般向けに完結に、わかりやすい言葉でまとめてあるため、大変理解
しやすかった。その「金沢創造都市推進プログラム」の中で、注目したい創造都市として
の取り組みが二つあった。
一つ目は、「文化とビジネスをつなぐ」取り組みである。金沢市は、伝統工芸やその技術
を生かした高付加価値の商品開発や、職人気質に根ざしたものづくり産業を振興し、創意
工夫に富んだ企業が数多く存在する都市を目指している。
図 11-9
金沢創造都市推進プログラム
1.文化とビジネスをつなぐために
抜粋
二つ目は、
「創造の担い手を育てる」という次世代育成産業である。工芸美術の継承発展
と、地域の文化と産業の振興を目指して創立された金沢工芸美術大学をはじめとして、子
どもの頃からものづくりに接して工芸の素質を磨く金沢工芸子ども塾、後継者が不足して
いる希少伝統工芸の産業振興事業等を行っている。
この二つの取り組みに共通して見られるポイントは、「持続性」である。一つ目の、「文
化とビジネスをつなげる」ことで、産業としての発展を見込み、そして「創造の担い手を
育てる」ことで次世代に伝え、確実に未来へ伝統工芸産業をつなげている。このことが、
金沢が創造都市として認められた大きな理由の一つだと考える。
- 82 -
5.川口市が創造都市になるために
以上、川口市および他市の文化芸術に関する取り組みや、他の創造都市の取り組みなど
を見た結果、今後、川口市が創造都市へとなる上で必要なポイントは以下の 5 点と考えた。
①市としての方向性、vision 策定
②文化芸術を担う財団法人、キーとなる組織の設立
③文化から産業へつながる仕組みづくり
④人材育成の場づくり
⑤他都市との差別化
5-1 ①行政主導による市としての方向性、ビジョン策定
これに関しては、私自身も感じたことであり、また、ヒアリングを行う中で聞こえてき
た意見でもあった。
ヒアリングを行った後、私自身が感じたこととしては「川口市としては創造都市を目指
しているのだろうか」ということであった。前述したかもしれないが、ふらりあーとや川
口暮らふとをはじめとする文化芸術活動が盛んであり、さらにそれらに参加するような文
化芸術団体も数多く存在する川口をとても面白く感じたが、しかし、それらが点在して留
まっており、これらが集約されてネットワーク構築ができれば、市の魅力の一つとして川
口を盛り上げ、他都市に発信していけるのではないだろうかと強く感じた。そのため、文
化推進室にヒアリングをおこなった。
ヒアリングの中で、
「文化芸術に関するビジョンが目下のところ策定されておらず、今は
それを作成する基盤を作っている段階である」と伺った。また、他団体へのヒアリングに
おいても、川口市がどの方向へ向かっているのかわからない、鋳物があるからそれ醸成さ
せたいのだろうが実っていない感じもするという意見もあった。それを明確にするために
もなるべく早いうちにビジョン・推進計画を制作することが、川口市の文化芸術活動のキ
ーになり、さらに、市内で文化活動を行っている団体の活動が活発になる、あるいは市外
で活動する団体を川口市へ引き付けることへとつながるのではないだろうか。
(Ⅰ)
(Ⅱ)
図 11-10
ビジョンや方向性が明確になることでの文化芸術活動団体の活動イメージ
- 83 -
もちろん、そのようなビジョンがあるだけでなく、実際の活動が盛んでないとその効果
は見込めないであろう。しかし、それがすでに存在しており、少なくとも、文化芸術活動
に携わる人と川口市とがつながるきっかけがあれば、広がるのではないのだろうか。実際、
創造都市として文化芸術活動に力を入れている横浜では、アーティストやクリエーターの
活動拠点を整備し、イベントや企業の誘致を行うなど、
「創造界隈の形成」を進めてきたと
ころ、多くの若いアーティストが横浜での活動に興味を示す量になり、
「横浜に行けば何か
発表できる場所があるのでは」
「補助金もあるらしい」などホームページを見たり人づてに
伝わったりしながら、活動が広がっていったという例がある。(*3)
また、市行政ならではの公共性を伴う活動の難しさについては前述したが、そのような
公共性を持つ市行政であるからこそ、方向性を導くビジョンを策定することができるので
はないかとも思う。なぜなら、一個人、あるいは一団体がそのようなことを提唱しても、
それが広がっていくには限度があると感じたからである。また、もしそのような団体があ
らわれ、ある程度ネットワークを構築し、そして活動を盛んにしていこうとしたところで
限度がある。ヒアリングを通して感じたのは、市行政というメリット、そしてデメリット
が存在するということであった。しかし、この方向性やビジョンの策定に関しては、行政
の持つメリット、つまり、公共性を持つこと、そして信頼があることを活かせるのではな
いかと思う。
だが、この、市としての方向性を定めるにあたっては、川口市が何に力を入れていきた
いのかということを明確にしなければならないのではないかと感じる。というのも、川口
市の方向性が、文化芸術の観点から一本の筋が通っていないように感じられたからである。
それは、文化芸術の予算が、市の全体予算の 0.1%という多くない割合であることや、ビジ
ョンを策定段階であるということ、そして、市議会議事録を過去に遡って見た(※1)印象か
ら強くそのように感じられる。
ヒアリング、そして議会録によると、川口市は、2001 年に文化庁が制定した「文化芸術
振興基本法」を受けて、文化芸術に力を入れはじめ、そしてまた、サッポロビール工場が
川口市から撤退することも重なり、美術施設を建設するに至った。そこまでは、議会録に
おいて、アトリアを中心に芸術や文化財などの動きが盛んであった。しかし、アトリアが
できてからは文化芸術に関する大きな動きがあまり見られず、代わりにデジタルシネマを
中心とした新産業や、川口市の文化財・歴史を中心とした観光に力を入れている動きが見
られた。もちろん、何を市の魅力として押し出していくのかは市の方針であるし、創造都
市の理想の姿は、文化芸術がその都市の産業を支え、活性化している状態であるが、文化
推進室の職員もそう説明していたように、文化芸術だけを産業から切り離してを押し出し
ていくのはたしかに違うのかもしれない。しかしながら、文化芸術固有の魅力を伝えてい
くと同時に、総合的に魅力を押し出していくために産業と文化芸術をつなげる道筋や、生
かす方法を示していければよいのではないかと感じた。何度も述べているように、これだ
け文化芸術活動が市民の間で盛んだというのは、市としての特色であると思われるので、
- 84 -
それらをもっと活かすことはできると考える。
5-2.②文化芸術を担う財団法人、キーとなる組織の設立
先ほど、
「アトリアは柔軟性を持つ組織である印象を受けた」と述べた。その柔軟性とい
うのは、行政でありながら行政的な硬直性をあまり持っていない印象を受けた。それは、
アトリアが行政でありながらも、実際には行政組織と一般市民組織との中間のような役割、
そしてつなぎ役のような働きをしているのではないかと感じたからである。それは、アト
リアという場や制度全体はもちろんのことだが、アトリアの美術専門員である今村香織氏
の活動の市民やアーチストへの関わり方から感じる影響も強い。
今村氏は、アトリアの美術専門員であるが、その活動範囲は多岐にわたる。アトリアの
活動の中でも、
「川口の匠」という本を中心になって刊行した人物である。今村氏の重要な
関わり方は、そのネットワークの広さとフットワークの軽さではないかと思われる。文化
に関して多様なヒアリングをしてきたが、彼女の名前は、アトリアの周辺以外に広がる多
様なアーチストの中からも聞かれ、例えば川口暮らふとやふらりあーと等、川口の文化芸
術を盛り上げている多くのイベントには常に今村氏の存在があった。もちろん、アトリア
としての参加もあるのだろうが、今村氏の個人名を聞くことが多い。そんな今村氏の立ち
位置は、市役所の直轄するアトリアに所属、美術専門職という立場や感覚、そしてそのネ
ットワークの広さ、フットワークの軽さから、行政と市民の仲介役のような立ち位置にな
っているのだろう。もちろん、今村氏の人柄や、文化芸術活動に対する興味関心、知識の
多さなども関係している。
上記のような今村氏の活躍のお話を聞いて、今村氏が川口市の文化芸術活動のキーパー
ソンであることを知ったと同時に、文化芸術団体をハード・ソフト面から支援、そして川
口で活動する個人・文化芸術団体を統括するようなネットワークを持った組織があれば良
いのではないかと考えられる。実は多くの文化施設がそうすることで、文化芸術活動を行
う人たちのネットワークもより強固にし、活動も盛んにしているからである(Ⅱ)。
(Ⅰ)
図 11-11
(Ⅱ)
キーとなる組織の設立による文化芸術活動団体のネットワークが強固になるイメージ図
- 85 -
行政職員としてそのような役割を担える人材を雇用できるのがベストだとは思うが、そ
うでなくとも、行政、そして活動団体でもない第三の存在が、先に述べた文化芸術活動団
体を網羅するようなネットワークを持ち、ハード・ソフト面共に支援できればよいのでは
ないかと考える。それが、現在の今村さんが仕事ではなく、アトリアの仕事に加えて行っ
ていることであり、また、川口暮らふと等の実行委員会が担っている役割だと思う。
そのような、文化芸術団体を網羅するような団体として、市行政が文化団体に加入を進
めている「川口市文化団体連合会」「川口市音楽協会」などがあるが、提案する組織はそれ
とは異なる役割を持つもののように思われる。
そして、そのモデルケースとなるような組織が、先ほど横浜市の取り組みで紹介した「創
造都市横浜推進協議会」と、協議会の文化芸術部門の中間支援組織「アーツコミッション・
ヨコハマ(以下 ACY)」である。
この協議会が運営を行う利点は三点あると考える
一点目は行政と企業や団体をつなぐハブになりうるということである。文化推進室でのお
話を伺っていて感じたのは、政策において行政ならではの公共性を持った立ち位置が、支
援活動等に関してはネックとなりうるということであった。市役所ならではの公共性によ
り、どれか一団体を支援するということは難しく、連合会などの全体への支援になるとい
うお話が印象に残った。そのため、
二点目は持続性があるということである。行政の中でも特に公務員は数年に一度部署が
変わることがある。仕方のないことであるのだが、そういった中で文化団体をつなぐよう
なネットワークを維持したり、方向性をキープして続けていくしかけづくりがある程度の
期間連続するために効率的だろう。協議会のような存在が一挙に担うことで、その点がカ
バーされ、活動に持続性が見込まれるのではないか。
三点目は、専門性があるということである。文化芸術活動団体へのヒアリングでも、
もちろん、政策として取り組むべきことや美術館などの建物建築など、市が行っていくべ
き活動や施策も必要であると思う。しかし、ヒアリングを行った際に、行政に対して望む
こととして、芸術を主導することではなく、芸術活動の金銭支援などが上がっていたこと
も事実である。協議会においては、有識者によって構成されているため、専門性もしかり、
企業や地域の声をダイレクトにクリエイティブシティの政策過程へ反映させることを可能
にしているという利点もありそうだ。(*3)。
行政がこのような立場を一挙に担えたら理想的なのかもしれないが、ヒアリングからは
予算の都合や行政の公共性ゆえの制限などを感じ、難しいのではないかと思った。しかし、
このような組織ができた際には、その組織の活動をサポートすること、たとえば資金援助
や、政策に反映していくことなどが行政としてできることではないか考える。
また、川口暮らふと実行委員会は、活動団体をつなぐハブ的存在であること、そして専
門性をもっていることの二点は満たしていて、中間組織としては理想的であるといえるか
もしれないが、持続性という点に関しては、ボランティア的働きが大きいことで不安定だ
- 86 -
ろう。それに対して資金的援助が行われるなど全面的なバックアップがあれば、文化芸術
活動を担う組織として発展していくかもしれないと感じた。
5-3.③文化から産業へつながる仕組みづくり
この点に関しては、行政が主体でも、そして先ほど紹介した創造都市横浜協議会のよう
な団体でもよいと思うのだが、上述した協議会のような組織が存在していない現在では、
行政が主体で行うのが良いのではないかと考える。
創造都市ネットワークに加盟している金沢市も、そして横浜市も、活動においてそれぞ
れ、
「文化とビジネスをつなぐために」とうたってビジネスのアート化やプロデュース力の
強化に力を入れ、企業から提案されるクリエイティブシティ推進事業の支援を行っている。
今回、川口市のヒアリングや自身での調査を行った結果、川口市としては産業(新産業)
として、デジタルシネマをはじめとするメディア系産業、もしくは昔からの川口の特色で
ある鋳物をはじめとするモノづくりの産業のどちらかを魅力として力を入れている印象を、
私個人としては受けた(Ⅰ)。(ただ、どちらであるのか、そしてその方向について曖昧さも
感じたのは前述した。)
どちらでもあれ、②で述べた市としての方向性、そしてその産業
に文化芸術活動もつながるような支援体制、もしくは、行政主体となって、ビジネスにつ
ながるロールモデルをまずは一つ作ることができれば(Ⅱ)、後に続く人も現れ、新産業をほ
かの文化が活性化させることになり、創造都市となるのではないかと思われる。
(Ⅰ)
(Ⅱ)
つなげる
図 11-12
文化芸術を新産業(市行政の考える川口市のメイン産業)へつなげるイメージ図
5-4.④人材育成の場づくり
ヒアリングを行った際、
「川口には人材育成の場が少ない」という意見もあった。確かに、
活動に持続性を持たせるためには、人材育成は欠かせないだろう。それは、先に紹介した
金沢の取り組みでも、キーポイントとなっていた。
人材育成に関しては、二種類あると思う。一点目が、市民全般に対する人材育成であり、
主にジャンルは問わず、広い意味での人材育成である。もう一つが、新産業であったり、
- 87 -
文化芸術の分野であったりと、特定の分野に関する人材育成である。ここでは後者につい
て述べていきたい。
これに関しては、文化芸術分野ではなく、映像技術分野に関して力を入れているように
見受けられた。それは、SKIP シティのインキュベートオフィスの取り組みを見て感じた。
もちろんその取り組みも然りだが、もっと、芸術文化面に関してもとりくみを広げられれ
ばと感じる。それは、もちろん、鋳物などの職人を育てるような学校、すなわち金沢の例
でいうならば金沢美術芸術大学のような技術ノウハウの育成を行う学校を設立することに
加え、アーティストが住みたくなるような環境・制度づくりであったり、活動拠点を用意
したり、空きオフィスなどの情報提供、そして助成制度の紹介をする窓口を設置するなど、
広い意味で職人、アーティスト、クリエイターを育てる環境づくりという、幅広い意味で
の人材育成に取り組んでいくことが重要であると考える。もちろん、アーティストを生み
育てることも人材育成だが、アーティストや職人が自然と育つような環境を作ることでも
人材育成にはつながるだろう。実際に、横浜では人は人を世部ではないが、アーティスト
がアーティストを呼び、活動が広がっていると聞いた。また、実際に横浜はアーティスト、
クリエイターが住みたくなる創造環境の実現に力を入れており、そのために活動拠点の確
保、オフィスや倉庫の情報提供、会場や助成制度の紹介などの取り組みを行っている。そ
の取り組みの成果か、横浜を拠点にして活動している芸術家、アーティスト、クリエイタ
ーは、若い人が多い印象を受けた。そのため、環境づくりも人材育成の一環であると考え
る。
5-5.⑤他都市との差別化
これまでに書いてきた中で、世界の都市や日本の金沢や横浜等を例として使用してきた。
参考にすべきところは多々あるが、それらの都市はこれから成長しつつも、それぞれが独
自の「創造都市」の形をある程度作り上げている。そのため、川口市が創造都市となるの
であれば、既存の創造都市とは類似点を持ちながら、しかし、川口市オリジナルの特色あ
る点を明確にしていかないとならないということでもある。例えば、金沢市であるなら、
「ク
ラフト創造都市、手仕事のまち・金沢」であり、鋳物を中心とするモノづくりと類似する。
川口市文化推進室も参考にしたいと言っていた横浜は「クリエイティブシティ・ヨコハマ」
を打ち出しており、芸術やアートを全面的に打ち出している。それに加え、東京芸術大学
大学院映像研究科を誘致したことで「映像文化都市」として、映像文化の面にも力を入れ
てきた。そして、今までの例には出なかったが札幌は、ユネスコによってメディアアート
部門で創造都市として認定されている。このメディアアートは、コンピューターなどの IT
技術を使って行う新しい芸術表現である。メディアの面で言えば、川口市として力を入れ
ているデジタルシネマなどにも通じるものがあり、それがさらに美術表現にまで発展した
ものとなり、世界の中でも一歩先に進んでいるといえる。これらの都市の特色としてあげ
られる要素を、川口市はすべて持っていると、私は思う。しかし、それらが点在してしま
- 88 -
っているために、今一歩大きな魅力になっていないような気がしてならない。そのため、
それらの都市とは異なる魅力をもつことが重要になってくると思う。
川口市が、他市との異なる魅力が何かといわれれば、モノづくり(クラフト)、アート、メ
ディア、
(一部観光)の要素が存在すること、さらに市民の自主的な文化芸術活動が盛んで
あることであると考える。そのため、それらを新産業につなげることができたら、文化芸
術の持つ創造性により、新産業が活性化され、川口市の新しい魅力を作ることができるの
ではないかと考える。
図 11-13
川口市が創造都市へとなる上で必要だと思われる①~⑤のポイントを満たした際のイメージ図
6.小括
川口市が創造都市になる可能性は大いにあると思われる。それは、市民の自主的な活動
が盛んである様子から強く感じた。しかし、その可能性を生かすか否かは、前章で述べた 5
つのポイント、特に重点を置くのであれば第一に①、そして②が重要となってくると考え
る。まずは、文化芸術活動に限らない、市全体の分野における方向性、市として創造都市
へ向かっていくかというところが、鍵を握っているのではないか。なぜなら、何度か述べ
たように、川口市で盛んに行われている文化芸術活動はすべて点在してしまっているよう
な印象を受けたからだ。その力が一つになれば、文化芸術活動もさらに力を発揮し、強固
なネットワークを持ち、そして市として力を入れたい新産業につながり、それを活性化す
るかもしれない。その参考になるのが、「持続性」を持った金沢の取り組みだと思う。
川口市は市として打ち出したい新産業(メディア系、もしくはモノづくり、一部観光)だけ
に力を入れているという印象を個人的には受けた。(だけ
いが)
というのは言い過ぎかもしれな
それはもちろんのことだが、川口の魅力・特色ある既存の産業を新産業と結びつけ
- 89 -
ることができれば、新産業のみに力を入れるよりもさらに魅力が増すのではないかと思っ
た。そしてその、川口の魅力・特色ある既存の産業というのは、職人の文化であったり、
文化芸術活動であったり、公民館が他市より多いことではないかと思う。
文化芸術を統括する新しい組織の存在も必要だとは述べたが、それは何よりも、市の進
む方向性が見えてくればそれに賛同して立ち上がるという動きがみられるようになるかも
しれない。川口の魅力を見直し、魅力をつなげること、もしくは、それらの既存の産業も
目指せるような方向性、ビジョンを作っていくことが、創造都市になるかならないかを握
っているのではないかと感じられた。
脚注
*1
「金沢創造都市推進プログラム(平成22年度~平成26年度)」
http://www4.city.kanazawa.lg.jp/data/open/cnt/3/14110/1/program2013_jp.pdf
*2
「文化庁―文化芸術都市―」
http://www.bunka.go.jp/ima/souzou_toshi/
*3
「価値を作る都市へ―文化戦略と創造都市―」
(NTT 出版/2008)
中牧弘允、佐々木雅幸、総合研究開発機構
*4
「横浜市文化観光局
創造都市-アートを通したまちづくり-」
http://www.city.yokohama.lg.jp/bunka/soutoshi/outline/
図 11-1
「ユネスコ創造都市ネットワーク」
http://www4.city.kanazawa.lg.jp/data/open/cnt/3/14113/1/H25.11.Creative-Cities-Network.Jp
n.pdf
図 11-2
「文化芸術創造都市モデル事業採択結果」
http://www.bunka.go.jp/ima/souzou_toshi/suishinjigyo.html
図 11-3
「川口市行政組織図」
http://www.city.kawaguchi.lg.jp/kbn/Files/1/08100080/attach/sosikizu2541.pdf
図 11-4,5
「川口市施策評価調書
平成 25 年」
http://www.city.kawaguchi.lg.jp/kbn/04010025/04010025.html
図 11-6
「横浜市文化観光局」
http://www.city.yokohama.lg.jp/bunka/soutoshi/outline/about.html
図 11-7「価値を作る創造都市へー文化戦略と創造都市―」(NTT 出版/2008)
中牧弘允,佐々木雅幸,総合研究開発機構
図 11-8
「横浜:都市創造ビジョンの構築‐開港 150 年を記念して-」(学文社/2010 年)斉藤毅憲
図 11-9
「金沢創造都市推進プログラム(平成22年度~平成26年度)」
http://www4.city.kanazawa.lg.jp/data/open/cnt/3/14110/1/program2013_jp.pdf
※図 11-10,11,12,13 は、理解の補助になるよう自ら作成した。
※1
川口市議会録を 2000 年~2012 年まで、「文化」「芸術」「アート」「新産業」のいずれかのワードで関
連語検索を行い、該当した発言をまとめた。(11 章参考資料③:川口市議会録文化芸術発言抜粋)
- 90 -
11 章参考資料①: 川口市文化芸術簡易年表
※主な川口市行政の文化芸術政策、川口市の文化活動をまとめた。
川口市 文化活動・市の動向
月
年
1990 (H02)
月
川口市行政 主な文化政策
7 川口総合文化センター(リリア) 開設
1997 (H09)
燦ギャラリー オープン
文化芸術振興基本法 施行 12
川口アートファクトリー オープン
サッポロビール埼玉工場 閉鎖発表 9
ふらりあーと(後:39アート) スタート 3
サッポロビール埼玉工場 閉鎖 9
アーティスト・イン・スクール事業 (Eco&Ego) 12
2000 (H12)
2001 (H13)
2002 (H14)
2 SKIPシティ オープン
2003 (H15)
2004 (H16)
2005 (H17)
2006 (H18)
川口市人口 50万人超 10
2007 (H19)
2010 (H22)
川口暮らふと スタート
鳩ヶ谷市と合併 10
(文化芸術振興検討委員会)
4 アートギャラリー建設検討委員会
10 アートギャラリー準備担当
(文化行政組織検討委員会)
3 第一回国際Dシネマ映画祭 開催
4 文化推進室 設置
3 川口市立アートギャラリー運営審議会条例 制定
4 アトリア オープン
6 川口文化財センター オープン
7 メディアセブン オープン
12 川口市文化振興基金 設立
川口市民大学 開講
4 文化振興助成制度 創設
9 青少年文化活動奨励賞 創設
3 第四次川口市総合計画 制定
2011 (H23)
2013 (H25)
- 91 -
11 第一回川口宿鳩ヶ谷宿日光御成道まつり 開催
11 章参考資料②:川口市文化芸術政策年表
※川口市議会録を 2000 年~2013 年まで、議会における文化芸術系の答弁の一部をまとめた。11 章参考資料③:
川口市議会録文化芸術発言抜粋の簡易版
年
ジャンル
質問・要望
→
答弁
名前
①財政状況からページ数
天野
増は困難
勝司
⇒
備考/その後
2002(H14)
文化芸術
①「広報かわぐち」の
磯
ページ数増加(32→
部
40p)
孝
②「広報かわぐち」に
司
文化芸術振興コーナ
議
①特になし
→
振興策
企画
⇒
財政
②掲載内容の精選を行う
②特になし
部長
ーを増設
員
①アートステーション
天
事業予算 1340 万 縮
野
小
幸
②2002 年度のアート
男
ステーション事業につ
議
いての説明
員
アートス
テーショ
①庁内の文化芸術振興
纐纈
検討委員会による検討
靖人
→
ン事業
市民
②海外アーティスト 1 名、
生活
市内 1 名で事業計画中
部長
アートステーション事業
⇒
見直しの声があるものの
歳出は算数多数で可決
①今後、文化振興に関す
2002
文化芸術
(H14)
振興法
①文化芸術振興の方
高
る検討委員の設置を行い
纐纈
①文化芸術進行検討委
針と体制
橋
方針や体制について協議
靖人
員会設置
をしていく
市民
忠
②文化基金創設にお
→
議
⇒
生活
②検討委員会の研究課
ける文化振興はある
員
②上記委員会での研究
部長
題として検討していく
課題
のか
サッポロビール本社を訪
問し、市内経済に貢献し、
山
地元の活性化に結びつく
田
ような企業展開を要望。
岡村
跡地の利用計画について
幸四
明
は、サッポロビール株式
郎市
議
会社から委託を受けた都
長
員
市基盤整備公団が土地
サッポロ
サッポロビール工場
裕
ビール跡
→
閉鎖への対処
地
利用計画策定委員会と共
に策定
文化芸術
①川口を文化芸術の
磯
①文化芸術は人、地域、
岡村
→
振興策
街へについて市長お
部
①コンサート、展覧会、
⇒
街を活性化させる 現在も
- 92 -
幸四
舞台芸術等様々な取り
考え
②本物の文化芸術に
孝
著名人を招いて企画 期
郎市
司
待してもらいたい
長
議
②現在は音楽鑑賞教室、
相上
②地域ふれあいスクー
員
地域ふれあいスクールプ
興信
ルプラン事業に関しては
ラン事業を実施。一層推
教育
H14 以降は議会内で話
進していく
長
題にのぼらず
触れる教育について
組みを行っている
③H25 まで 6 度議会で質
③文化芸術振興関係
③現在、検討委員会を設
纐纈
問され、文化振興基金条
の条例の制定につい
置し、条例、指針、基金等
靖人
例は制定されるが、文化
て
検討中
市民
芸術振興条例というもの
生活
は、未だ制定にいたらず
部長
④H17 に文化推進室設
④文化芸術振興課の
④検討委員会の研究課
設置について
題として検討していく予定
置
2003 (H15)
総合教育センター=学校
山
教育支援センターと生涯
崎
地域文化芸術交流の
文化芸術
ーの建設につきまして
学習支援センターを兼ね
幸四
隆
→
場としての総合教育
備えた施設
広
交流の場
H23 に「総合教育センタ
岡村
⇒
は、耐震補強工事が終
郎市
了した後に実施」との発
H15 土地取得、H16 基本
センターの建設
長
議
言
設計、H17 実施設計、
員
H18・19 建設工事予定
学識経験者、埼玉県職
員、川口市職員及び都市
サッポロビール跡地
伊
の構想について(若い
藤
基盤整備公団職員からな
2003
(H15)
山本
サッポロ
る川口並木元町地区基本
世代から映画館を核
信
とした映像情報の新
男
しい拠点を作ってほし
議
いとの要望有)
員
ビール跡
映画館についてはアリオ
正道
→
構想策定委員会が設置さ
⇒
地
れ、委員会の意見等も参
設された
部長
考に土地利用構想の検討
を行い、9 月末までに土地
利用計画を策定
池
①教育一般、環境、音
田
楽、芸術、福祉など 160 種
人材バン
建
類の分野で 528 件登録
ク魅学
次
②過去 3 年間で 124 件の
教
依頼、PR といたしまして
育
は、生涯学習情報誌、チ
①魅学の人材分野、
人数
富澤
→
三郎
議員
②魅学の活動実態
川口に MOVIX 川口が建
経済
- 93 -
総
ラシ、公民館報に登録者
務
一覧の掲載
部
③魅学の登録分野ごとに
長
分科会を設置し、登録者
③魅学の将来構想
が自主的に講座研修会な
③市民大学などに講師と
ど企画実施していくよう
して魅学登録者活用とい
な、自立したボランティア
⇒
う記載はあるが’、学習
活動を目指す。また、魅学
相談や口座研修会につ
登録者及び学習者に対
いて(H19)の記録はない
し、学習相談の実施等を
検討。
①昨年 11 月に都市基盤
①川口並木元町地区
基本構想策定委員会
の現在の進捗状況
整備公団埼玉地域支社
6
がコーディネート業務を受
番
サッポロ
松
ビール跡
本
地
②アミューズメントエリ
ア構築と3市合併後
の合同庁舎の建設候
託し、土地利用計画を策
山本
定中、4 月、7 月委員会開
正道
催予定、9 月末までに土
経済
地利用計画を策定し、サ
部長
→
進
議
ッポロビール株式会社へ
員
報告
補地の提案
(②は提案の
ため、回答なし)
2003
(H15)
池
サッポロビール内におい
田
て開発計画の検討中、今
岡村
月までに都市基盤整備公
幸四
明
団埼玉地域支社が土地
郎市
議
利用計画案を提案。年内
長
員
に土地処分予定。
サッポロ
嘉
ビール跡
跡地への現在の対応
→
地
成
学校の余裕教室にアトリ
アーティ
田
岡村
アーティスト・ン・スク
スト・イ
エを設置し、市内在住の
恵
ールの具体的内容、
ン・スクー
→
アーティストを一定期間滞
一
今後の展望
ル
H24 までは継続(アトリア
幸四
⇒
のホームページに掲載)
郎市
在させて作品を制作・設
議
H25 は不明(記載なし)
長
置する。今後も継続予定。
員
- 94 -
サッポロビール側に対し
て、本市の活性化に繋が
るようお願いをしてきた
が、、アートギャラリーとし
榎
ての建物及びアートパー
本
ク用地の2分の1の無償
サッポロホールディン
サッポロ
岡村
グ株式会社が示した
ビール跡
幸四
修
→
提供等からサッポロビー
方向性について市長
地
郎市
議
ル側が、会社経営の観点
員
からだけなく、私たちの要
の考え
長
望に対応していただいた
結果の現れが今回の開
発計画の方向性であると
受け止めた。
複合都市開発 「仮称川口
サッポロビアスクエア」 と
して、アートギャラリーの
寄贈、アートパーク用地の
2分の1の無償提供を含
む開発計画の基本コンセ
プトは、川口市の都心部
宍
における、まち歩きが楽し
サッポロビール工場
倉
い新しい都市空間の実現
岡村
跡地の開発計画につ
慶
となっており、本市の都心
幸四
サッポロ
ビール跡
→
いて何を良しとしたの
治
部における良好なまちづく
郎市
かその判断基準
議
りに貢献することが期待で
長
員
きること、引き続き都市基
地
盤整備公団が関係者間
のコーディネートを行うこ
と、土地を譲り受けた開発
事業者も参画し、まちづく
り協議会の設置も予定さ
れ、開発の方向性が継承
されるものであること等
2004 (H16)
- 95 -
床面積約200坪のアート
武井
ギャラリーを含めた約1ヘ
利行
クタールの近隣公園として
技監
の整備を検討中。H17 の
兼都
まち開きにまにあうよう整
市計
備を進めている
画部
永
井
サッポロ
アートパーク整備事
輝
ビール跡
美術施設であるアートギ
⇒
業の今後
⇒
夫
ャラリー・アトリアを建設
地
議
員
長
①現在は関係部局で構成
する文化行政組織検討委
纐纈
員会を設置し、担当所管
靖人
課の設置についても検討
市民
中
生活
②H11:9000 万、H12・13:
部長
その後 H17 に文化推進
①担当所管課の設置
⇒
室設置
伊
藤
②川口市の文化関連
文化芸術
信
予算の推移
振興計画
8000 万、H14・14:7500 万
男
2004
③美術展や文化祭などの
議
池田
(H16)
文化芸術活動に補助金を
③文化芸術に関する
員
建次
交付。H11:1435 万、H12:
社会教育関係団体に
教育
1400 万、H13・14:1392 万
対する補助金の推移
総務
→
8000 円、H15:1342 万
部長
8000 円。
④川口総合文化センター
では、川口少年少女ミュ
伊
ージカル団公演、小澤征
藤
爾オペラプロジェクト、市
纐纈
靖人
文化芸術
④文化芸術に対する
信
民参加によるナタリー・シ
振興計画
助成制度の活用
男
ョケットコンサートなどの
議
事業において財団法人地
員
域創造や日本芸術文化
市民
生活
部長
振興会等より助成を受け
ている。
宍
①アートギャラリーと
アートパ
倉
一体感のある芸術の
2004
ークとア
慶
ートギャ
人技
町公園」として開放的な
監兼
→
一体感のある計画とする
治
求めたアートパークに
ラリー
①「アートパーク 並木元
ャラリーは調和の取れた
森というコンセプトを
(H16)
林直
①アートパークとアートギ
空間構成になっており、
⇒
都市
芝生公園もある。その中
計画
にアトリアが建設されて
部長
いる。
ことが望ましいため、検討
議
できないか
を進めている
員
- 96 -
②芸術、都市計画、緑等
②基本設計から管理
の各分野の専門家を中心
まで、広範な専門チ
とした (仮称) アートパー
②「芸術、都市計画、緑
等の各分野の専門家を
⇒
ームを編成する必要
ク土地利用構想検討委員
中心とした検討委員会」
性
会において整備方針が示
という記載。
された
③H18 に「市民の皆が身
③去る4月21日に公募に
近に美術を楽しみ、そし
よる7名の本市職員によ
て体感できる、従来の美
③アートギャラリーの
るアートギャラリー建設検
コンセプト
討プロジェクトチームを発
岡村
足させ、現在、鋭意その
幸四
検討中
郎市
⇒
術館の概念を超えた市
民参加型の施設としてオ
ープン」との発言(岡村市
長)
長
④建物の寄贈を受け
④本市が提示した計画に
るが基本計画の時点
沿うかたちでサッポロホー
からどうかかわるの
ルディングス株式会社が
か
建物の設計建築を行う
⑤アートギャラリー建設検
討プロジェクトチームやア
ートギャラリー建設検討委
上村
員会において検討すると
敏之
共に、現在、美術館運営
企画
に実際に携わっておられ
財政
る専門家の方々の御意見
部長
⑤専門性を要するた
め民間団体や NPO へ
委託するほうがよい
のではないか
も伺いながら、検討を進め
ている
①文化行政組織検討委
員会において他市の状況
①川口市文化芸術振
①H17 に文化推進室設
磯
を踏まえた文化行政調整
部
部局の設置について検討
文化芸術
孝
中
振興策
司
興課の設置
⇒
置
杉田
郁朗
→
市民
③H25 まで 6 度議会で質
②新たな文化芸術を支え
生活
る組織を整備していく中
部長
議
②文化芸術振興条例
問され、文化振興基金条
員
の制定
⇒
例は制定されるが、文化
で、施策のあり方と併せ
芸術振興条例というもの
検討予定
は、未だ制定にいたらず
- 97 -
①関係部局からなる文化
①文化・芸術振興課
行政組織検討委員会を設
岡村
置し、組織のあり方などに
幸四
①H17 に文化推進室設
⇒
の設置
ついて検討を重ねた結
郎市
果、来年の4月の設置に
長
置
向け準備を進めている
②地域の特性を生かした
杉田
③H25 まで 6 度議会で質
総合的な文化施策を実施
郁朗
問され、文化振興基金条
伊
していくことが重要である
市民
藤
ため、十分な検討をしてい
生活
芸術振興条例というもの
く予定
部長
は、未だ制定にいたらず
②文化・芸術振興条
⇒
例は制定されるが、文化
例の制定
文化・芸
信
→
術振興策
男
③基本コンセプト:市民参
議
加型プログラムを通して、
員
市民の芸術に対する関心
②アトリアは、ワークショ
③サッポロビール埼
と理解を深め、地域コミュ
上村
玉工場跡地の (仮称)
ニティを醸成させる。具体
敏之
アートギャラリーの取
的には、子ども・親子を対
企画
り組みと映画館の設
象としたワークショップや、
財政
置
様々な市民を対象に公開
部長
ップ、実技講座、鑑賞講
座が中心活動。映画館
⇒
についてはアリオ川口内
に MOVIX 川口が建設さ
れた。
講座など、事業及び市民
作品発表の場として位置
付ける
2005 (H17)
①サッポロビール株式会
社→建物本体の基本部
分
①設備や備品等、本
立
市の費用負担
石
2005
アートギ
泰
(H17)
ャラリー
広
→
アトリア→
施設の基本コンセプトに
上村
基づいて必要とされる物
敏之
置、設備、壁、照明、備
企画
品、特別な内装等
財政
②H18 年オープン予定。
部長
議
員
②準備進捗(H18 オ
実施設計終了後 H17 年
ープン予定)
7月着工、H18 年 2 月竣工
⇒
予定。
- 98 -
②H18 の4月にオープン
①文化推進室の役割
①文化推進室は、文化芸
①川口市の文化振興施
術を推進する施策の総合
策に係る総合的な企画
的な企画、調整並びに
及び調整、文化芸術活
(仮称) アートギャラリーの
磯
動の支援及び推進。 ア
杉田
と使命
⇒
開設準備、市民会館の管
部
ートギャラリーアトリアの
郁朗
文化芸術
理・運営など、より効果的
孝
→
振興策
管理及び運営(文化推進
市民
な文化芸術の振興を図る
司
室のホームページより抜
生活
役割を担う。
議
粋)
部長
員
②川口市文化団体連合
②H18 に川口市文化振
②文化芸術団体への
会と川口市民音楽協会の
助成金拡充
2団体に対し、補助金の
⇒
興基金、H19 に文化振興
助成制度を設立
交付を行っている
磯
杉田
部
③川口市立アートギャラ
郁朗
文化芸術
③文化芸術振興審議
孝
③今後、文化推進室にお
→
振興策
会の設置
司
リー運営審議会は H18
市民
⇒
いて検討予定
に設置。文化芸術振興
生活
議
審議会は不明。
部長
員
①市民参加型のプログラ
ムを中心として運営する
松
ため、美術専門員及び美
①H25 の時点では、アト
術専門補助員の採用を予
リアにおける学芸員は 8
定しており、既に学芸員の
名中 2 名。非常勤の美術
資格を持つ職員を配置し
専門職という専門職員が
本
①ギャラリーでの学芸
幸
員の必要性
恵
2005
議
(H17)
ているため、新たに学芸
員
8 名中 4 名。
上村
員の採用は予定していな
敏之
い。
アートギ
→
ャラリー
企画
⇒
②市民代表を含んだ検討
財政
委員会や、学校関係者、
部長
松
美術の学識者から広く意
②舞台演出家、学芸員、
見を伺い、施設の管理や
高等学校教諭など美術
運営等について検討して
関係者などからなる川口
きた。今後はアンケートの
市立アートギャラリー運
実施や、市民代表や美術
営審議会を設置。
本
②美術に精通した市
幸
民の意見を取り入れ
恵
る必要性
議
員
学識者などで組織される
運営審議会を設置するな
- 99 -
どして、より多くの意見を
聞けるよう努める。
①本議会の補正予算
①本市負担工事費の
Ⅰ:施設の 2 階物置:約
村岡
2147 万、Ⅱ:稼働間仕切
正嗣
り:約 1547 万、Ⅲ:強化ガ
議員
うち主な工事につい
て、その内容及び負
担の理由
ラス:役 925 万
②、サッポロ側が寄贈を
約束した建物案は、サッ
ポロ側の意向を踏まえた
アートギ
ャラリー
村
市民作品発表の場として
岡
の市民ギャラリーをであ
正
建設工事
り、本市としては、この案
→
②サッポロ側が寄贈
嗣
が提示された後、美術の
杉田
議
専門家などから御意見を
郁朗
員
いただき、検討した結果、
市民
市民作品の発表の場の
生活
みならず、市民の皆様に
部長
を約束した建物につ
委託料
いて、程度の差はあ
ったとしても、アートギ
ャラリーとしての建物
であったのかどうか
参加していただくワークシ
ョップや講に加え一般的
な美術館で展示される美
術品も展示できるよう、市
の要望を盛り込み、建設
を行ってきた。
①サッポロ側は明らかに
杉田
していないが、本市が価
郁朗
市
格を算定したところ、今回
アートギ
①もともとの建築費用
市民
原
計上している建設工事等
ャラリー
生活
光
→
の補正予
委託料に係る補正額の役
部長
吉
3倍程度かと思われる。
算
議
②追加分の費用が多
②追加したいずれの工事
杉田
についても運営上、必要
郁朗
最小限の工事のため、御
市民
員
過ぎることについて
- 100 -
理解賜りたい
生活
部長
2006 (H18)
①展覧会、ワークショッ
プ、講座等のほか、作品
①アートギャラリーの
発表の場として貸し事業。
内容と開館時間につ
開館時間は、午前10時
いて
から午後6時で、月曜日を
休館日事業内容に応じて
適宜対応。
②H25 まで 6 度議会で質
磯
②川口市芸術文化基
②他市の状況などを踏ま
孝
え、検討していきたい。
本構想の策定につい
文化芸術
郁朗
→
て
振興策
問され、文化振興基金条
杉田
部
⇒
例は制定されるが、文化
市民
芸術振興条例というもの
生活
は、未だ制定にいたらず
司
議
③把握している川口市文
部長
員
2006
化団体連合会、川口市民
(H18)
音楽協会並びに川口市美
③市内芸術文化団体
術家協会に所属する団体
数と表彰規定拡充に
で約300団体。表彰制度
ついて
は昭和58年に大野元美
③H19 に青少年文化活
⇒
動奨励賞を創設
記念文化賞、続いて昭和
62年に川口市芸術奨励
賞制度を創設
阿
①(仮称)文化財センター
部
は、文化財の収蔵、展示
橋本
市内の発掘調査の出土
ひ
及び各種学習への文化財
文雄
品や鋳物業に関する資
の活用を基本コンセプト。
教育
子
市内に所在いたします各
総務
能や歴史的建造物など、
議
種資料の調査・収集を行
部長
数多くの文化財の収集・
員
い展示していきたい
①H18 にオープン、川口
①川口市文化財セン
ターを開館するとのこ
文化財
ろ
→
⇒
料、獅子舞などの民俗芸
とだが、そこでの事業
の取り組みについて
- 101 -
保管・展示を行う。
②文化財ボランティアは、
「地域の文化財は地域で
守る」という合い言葉のも
と活動されており、文化財
愛護精神の啓発・普及に
②文化財を守り育て、
後世に継承するため
大変有効であると考えて
橋本
いる。旧田中家住宅清掃
文雄
ボランティアは、その先駆
教育
けとして位置付け、活動を
総務
支援するとともに、文化財
部長
②議会においては H18
阿
に、文化財ボランティ
⇒
以降文化財ボランティア
部
アの育成を提案する
について発言は無し
ひ
が、当局の考え
文化財
ろ
→
ボランティアの育成につい
子
ても、文化財教室や歴史
議
講座などを開催して、その
員
育成に努めて参いきた
い。
③川口市観光協会との連
山本
2006
③文化財を活用した
携を図りながら、貴重な観
観光事業の展開につ
光資源の一つとして積極
いての考え
的なPR活動に努めていき
(H18)
正道
③観光マップに文化財は
⇒
経済
記載有り
部長
たい
①文化芸術には、一人ひ
とりの創造性を開き、多様
性を尊重する社会を築くと
ともに、地域のまちづくり
岩
の大きな原動力でもある
澤
岡村
①文化芸術の振興に
文化芸術
と考えているため、今後と
勝
ついて岡村市長の基
振興策
→
も市民の文化芸術活動を
徳
本的な考え方。
①文化振興助成制度、
幸四
⇒
青少年文化活動奨励賞
郎市
支援し、文化芸術の振興
議
等を後に設置
長
を図り、市民の誰もがゆと
員
りと潤いを実感できる心豊
かな市民生活の実現に向
け、積極的に取り組んで
いく。
- 102 -
②音楽、演劇、美術、舞
踊などの公演や発表で、
②寄附される方の意向を
広く一般の方の参加を得
尊重した文化振興事業の
て行われ、その活動の成
杉田
②川口市文化振興基
ほか、美術、音楽、演劇、
果が地域に還元されるも
郁朗
金条例を活用した助
舞踊などの成果発表に関
の、文芸(小説・詩・短
市民
成事業の内容につい
⇒
するもの、小説、短歌、俳
歌・俳句・川柳・評論・随
生活
て。
句、随筆などの刊行物の
筆等)、その他文化芸術
部長
発行に関するものなど予
に関する作品(画集・写
定
真集等)の刊行で、地域
の文化の発展に寄与す
るものを対象に実施
③文化財は、市民みずか
らの手で守ることを目的
に、今年4月に川口文化
財サポーター「魅がきた
③「魅がきたい」について
い」が結成されました。活
その後発言は無し。ただ
③本市の特色ある歴
動状況は、会員およそ30
し、市民大学における
史と文化を理解し、郷
名が月に1回程度、旧田
橋本
「我がまち川口再発見コ
土を愛する心をはぐく
中家住宅の清掃とあわせ
文雄
ース」では、60人の受講
むとともに、その象徴
て川口市の歴史や文化財
教育
とも言える文化財を広
について、自ら進んで学
総務
登録講師の指導のもと
く市民に紹介するた
んでいる。今後は、「魅が
部長
に、旧田中家住宅などで
めの活動について
きたい」の会員が自ら学ん
の現地研修会も含め、川
だことを生かし、旧田中家
口の歴史、文化、産業に
住宅や文化財センター来
ついて学習を行う
⇒
生が人材バンク「魅学」
館者への解説者としての
役割と催し物のサポート
などで活躍することを期待
これまでも検討してきた
稲
川口市文化芸術賞、
が、今後すぐれた文化活
川
岡村
通称永瀬洋治記念文
川口市文
動を行い、その成果を上
和
化芸術賞を平成19
化芸術賞
幸四
→
げた小学校、中学校、高
成
年度より発足しては
郎市
等学校の個人、団体につ
議
いかがか
長
いては、こうした中でしっ
員
かり顕彰をしていきたい
- 103 -
H19 に青少年文化活動
⇒
奨励賞を創設
2007 (H19)
総合博物
総合博物館の建設予
志
総合博物館は重要な施設
賀
であると考えているため、
岡村
提案いただきました指標
幸四
久
→
館
定
H25 の時点では建設途
⇒
男
の策定に関しては、将来
郎市
議
の総合博物館の実現に向
長
員
けての重要な課題と認識
中
ホールの使用料は、近隣
2007
の同規模施設よりやや低
(H19)
芝
い料金設定だが、使用料
両家
の減免は行なっていな
完二
い。全国大会への出場に
市民
向けての練習会場として
生活
の使用については、使用
部長
崎
発表会会
正
場の使用
学生の使用料金割引
→
⇒
不明
⇒
継続して顕彰
太
料の減額
議
員
料の負担軽減を図ってい
る最中。
本年度より新たな制度とし
稲
て青少年文化活動奨励賞
川口市立小中高等学
川
岡村
を創設し、吹奏楽や学生
文化芸術
校に在学する子ども
和
幸四
→
顕彰制度
たち対象の文化芸術
成
顕彰制度の創設
議
美術展等で全国規模の大
郎市
会において優秀な成績を
長
おさめた子どもたちや学
員
校等を対象に顕彰
川口市文化財保護条例
の規定に基づき、文化財
指定文化
指定文化財の指定基
財
準
関
保護審議会において調査
橋本
裕
を実施するとともに、本市
文雄
における歴史と文化上の
教育
議
価値などを鑑みて審議を
総務
員
行い、答申している
部長
通
→
2007
(H19)
初午太鼓の文化財指
今後その歴史や伝承等に
定
ついて調査していきたい
初午太鼓
千
若い芸術
若い芸術家に対する
家への支
現在の川口市の支援
援
体制
葉
顕彰制度の中で表彰し、
両家
その活動実績等について
完二
→
H19 から文化振興助成
⇒
正
市民へ紹介、市の公共施
市民
明
設を会場に実施している
生活
- 104 -
制度を創設
議
市民コンサート等の文化
員
振興事業への出演依頼
部長
や、文化振興助成制度等
2008 (H20)
①H15:川口市ボランティ
萩
ア人づくり基金設置、
原
H16:市民提案夢づくり助
村川
勝司
寄付金制
①寄附金制度をどう
一
成事業及び青少年ボラン
度
行なってきたか。
寿
ティア育成事業を実施、
議
H18:川口市文化振興基
員
金、H19:文化振興事業助
企画
財政
部長
成制度開始
②ふるさと納税制度を通
2008
じて、市内外の方々に広く
両家
川口市を知ってもらう、寄
完二
萩
附金のメニュー化やホー
市民
原
ムページへのPR等を含
生活
寄付金制
一
め、庁内で対策会議を設
部長
度
寿
け、検討中。
②現在の寄附金制度
→
(H20)
について、今後どのよ
うに周知を図っていく
のか。
議
③、寄附金制度を全
村川
員
③既存の基金条例の活
勝司
市的に行っていくため
用などで対応可能と考え
企画
の検討
ている
財政
⇒
特になし
⇒
特になし
部長
2009 (H21)
①本市においても、H19 年
4 月に策定した第 3 次川
萩
口市総合計画改訂基本
原
岡村
①本市における文化
計画第の中で文化芸術の
一
2009
文化事業
芸術振興の考え方と
(H21)
幸四
→
振興が挙げられている。
寿
方向性
郎市
今後とも市民が身近に文
議
長
化芸術に触れることので
員
きるまちづくりに努めてい
きたい。
- 105 -
②現在、本市におきまして
は、文化芸術振興法の趣
旨を踏まえ、各種文化事
両家
②H25 まで 6 度議会で質
業をはじめ、個々の文化
完二
問され、文化振興基金条
活動への支援等を行なっ
市民
ているが、今後は本市の
生活
芸術振興条例というもの
特性を活かした計画、施
部長
は、未だ制定にいたらず
②文化芸術振興条例
を制定すべきと考える
⇒
例は制定されるが、文化
(要望)、本市の見解
は
策について検討していき
たい。
①国指定文化財 2 件(例:
木曽呂の富)、県指定文
高田
化財20県(例:西福寺の
①市内にある国、県、
勝教
文化財保
三重塔)、市指定文化財
市が指定する文化財
育総
護
47 件(例:安行原イチリン
数
務部
ソウ自生地)、国登録有形
長
文化財 7 件(例:旧田中家
住宅)、合計 76 件
①現在、鋳物に関連する
文化財は、銅鐘や鰐口、
だるまふいご、石炭ストー
ブなどを指定文化財として
指定し、その保護活用を
図っている。このほか5万
点を超える鋳物関連資料
萩
を文化財センターにて保
原
岡村
②今後、鋳物を文化
2009
文化財保
(H21)
護
管し、その一部を常設展
一
財として残していくた
→
示や展示会にて一般に公
寿
めの施策
文化財課分室に鋳物資
幸四
⇒
料室を設け、鋳物資料を
郎市
開をしている。今後とも、
議
展示している
長
古文書資料の解読や現
員
地での調査などを通して、
川口鋳物の歴史と文化の
解明に努めるとともに、文
化財としての川口鋳物の
重要さについて、広報や
展示会等を通し、広く市内
外に伝えていきたい。
- 106 -
萩
育研究所芝園分室では、
原
市民の強い要望により、
一
教室棟2階の 1 教室を地
芝園小学校跡地の教
育研究所分室の空き
文化事業
教室を利用して、アト
と教育
→
坂本
H25 に、廃校になった芝
大典
園中学校を暫定的に地
学校
寿
域住民が活用しており、ア
議
トリエ等に使用する教室
員
がない状況。
リエを開設してはいか
がか。本市の見解を。
⇒
域住民や芸術家団体等
教育
へ施設の貸し出しを行
部長
う。
①昨年、田原家から日本
画の申し入れがあり、作
品は学術的に大変貴重な
①グリーンセンター内
資料であり、作品を保管
に美術館とまではい
するための設備を備えた
森田
美術施設としてアトリア、
雅夫
かなくても常設展示機
収蔵庫の確保を図るべき
そしてリリアでも展示会
市民
能を持つ収蔵施設を
⇒
と美術家から提言をされ
を実施。美術館というも
生活
設けることはできない
たところ。こうした経緯に
のはない。
部長
か
加え、今後新たな寄贈者
の可能性もあることから、
前向きに取り組んでいき
岩
たい
澤
②本市の総合博物館構
文化芸術
勝
→
振興
②鋳物の歴史館や、
産業資料館など、検
討してみてはどうか
想の中で、地場産業の展
田中
示コーナー等の設置につ
紀夫
いて検討していきたい。ま
経済
た、鋳物組合等と競技し
部長
文化財課分室に鋳物資
徳
⇒
議
料室を設け、鋳物資料を
展示している
員
ていきたい。
③バスによる市内文化財
めぐりなど、子供からお年
寄りまで多くの市民が楽し
高田
③文化財センターの
みながら「我がまち川口・
勝教
利用者増を今後どう
再発見」をできる事業の企
育総
図っていくのか
画に努めていきたい。ま
務部
た、川口駅東口に設置が
長
予定されている総合情報
板を活用していきたい
2010 (H22)
- 107 -
⇒
不明
ストリートミュージシャンが
自主的に路上ライブ活動
を行なっている川口駅周
辺のデッキは、本来、道路
として認定されていること
から、時間や場所を限定
豊
した使用以外で、日常的
森田
田
に開放することは困難で
雅夫
あるため、川口音楽の日
市民
議
の前夜祭イベントの中で、
生活
員
川口駅東口キュポ・ラ広
部長
ストリートミュージシャ
ンの活動場所提供な
音楽文化
満
→
⇒
その後特に記載はない
ど支援ができないか
(要望)
場において、ライブステー
ジを実施している。今後
も、ボランティア団体等と
連携を図ることにより、事
業の拡充を検討していき
たい
2010
①行政としては文化振興
(H22)
助成事業やアトリアでの
川口の新鋭作家展の開
催により支援。また、市内
①将来を担う若手芸
の元鋳物工場では空きス
術家を誘致して、創作
ペースを利用して、アトリ
の場を提供できない
エやスタジオ提供での支
森田
H25 に、廃校になった芝
雅夫
園中学校を暫定的に地
市民
芝
か
⇒
域住民や芸術家団体等
生活
へ施設の貸し出しを行
部長
う。
援。今後は、NPO法人や
崎
ボランティアなどと連携を
正
文化芸術
→
図るなど、若手芸術家が
太
活動しやすい環境をつくる
議
よう研究していきたい
員
②さらなる映画祭成
②議員御指摘の映画祭
功と交流のため、文
の成功には、映画の持つ
化的な要素も取り入
文化的側面も重要な要素
れ、文化市民団体の
となるため、文化推進室
桜井
智明
⇒
経済
協力、本市文化推進
など関係部局とより一層
室の協力を行い、文
の連携を図りながら、映画
化事業としての角度
祭の集客に努めていきた
部長
- 108 -
不明
で宣伝はできないか。
い
①本市を支えてきた
ものづくりの歴史を後
世に残し、地場産業
①産業資料館建設は大
の維持・発展を図ると
変意義のあることと認識し
ともに、工場と住宅が
ているため、本市の総合
混在している地域が
博物館構想の中において
総合博物館として設立予
⇒
多い本市の現状か
産業資料
資料館機能を有すること
定
ら、市民にものづくり
松
ができるよう、各産業界の
の重要性を理解して
本
意見を聞きながら関係部
桜井
もらうためにも産業資
英
局と協議していきたい
智明
→
館
料館が必要と思うが
彦
経済
建設予定はあるのか
議
部長
員
②産業資料館について第
4 次総合計画の中で文化
2010
②産業資料館を早く
財の保護・活用と郷土川
(H22)
建てて、川口の歴史
口に関する幅広い市民の
をPRしていただきた
学習要求にこたえる拠点
い
として、総合博物館構想
⇒
H25 時点では建設途中
が求められているため、そ
の中で検討いきたい
川口駅周辺は道路として
任ているため、時間場所
34
H22 にも同様の質問がな
指定のない開放は難し
番
ストリート
ストリートミュージシャ
ミュージ
ンが活動できる場所
シャン支
を作るなどの支援が
援事業
できないか
森田
される。H22 の時点では
雅夫
川口音楽の日の前夜祭
い。そのため、、川口音楽
豊
の日の前夜祭イベントの
田
⇒
市民
⇒
イベントの中で、川口駅
中で、川口駅東口キュポ・
満
生活
東口キュポ・ラ広場にお
部長
いて、ライブステージを
ラ広場において、ライブス
議
テージを実施しているとこ
員
実施している。
ろで、今後も事業拡充を
検討する。
- 109 -
①文化芸術振興基本法
の趣旨を踏まえ、文化活
動への支援等を行いる
が、これからの本市の文
化芸術振興のあるべき姿
や、その方向性などの未
③H25 まで 6 度議会で質
①文化芸術振興条例
来像を描いていくことが必
問され、文化振興基金条
の制定について、本
要なため、今後は文化振
市の考え
⇒
興ビジョン策定に向けて、
例は制定されるが、文化
芸術振興条例というもの
萩
文化芸術団体の活動状
森田
況や本市各課で実施して
雅夫
いる文化関連事業の概要
市民
把握など、関係各課と連
生活
携を図りながら検討して行
部長
は、未だ制定にいたらず
原
文化芸術
一
振興条例
寿
→
議
員
く予定
②川口市文化団体連合
会(民謡、舞踊、華道、俳
句など、139団体が加
②文化芸術に関わる
盟)、川口市民音楽協会
団体数
(吹奏楽、合唱など、64団
体が加盟)、川口市美術
家協会、川口市工芸会、
川口市書道連盟
①行政としては文化振興
助成事業、アトリアでの新
鋭作家展の開催、市内の
芝
①将来を担う若手芸
崎
術家を誘致して、創作
正
の場を提供できない
太
か
議
文化芸術
のまちづ
→
くり
鋳物工場では空きスペー
森田
H25 には、廃校になった
スをアトリエやスタジオ提
雅夫
芝園中学校を暫定的に
供で若手芸術家に支援を
市民
行ってきた。今後も NPO
生活
等へ施設の貸し出しを行
やボランティアと連携を図
部長
う。
員
るなどとしてより活動しや
すい環境づくりに取り組
む。
- 110 -
⇒
地域住民や芸術家団体
②さらなる映画祭成
②議員御指摘の映画祭
功と交流のため、文
の成功には、映画の持つ
化的な要素も取り入
文化的側面も重要な要素
桜井
れ、文化市民団体の
となるため、文化推進室
智明
協力、本市文化推進
など関係部局とより一層
経済
室の協力を行い、文
の連携を図りながら、映画
部長
化事業としての角度
祭の集客に努めていきた
で宣伝はできないか
い
映画祭を
芸術文化
に育成
①現在川口キャンペーン
に取り組んでおり、その戦
略の一つとして、観光スポ
ット、休憩所等を網羅した
①観光振興の取り組
H22 に市内観光ルート策
ガイドマップを作成する川
定事業が計画されてお
⇒
み
口市内観光ルート策定事
り、その中でガイドマップ
業及び川口市観光誘客促
を作成との発言
松
進事業と称して市内の見
本
桜井
どころを満載した観光ツア
英
観光
智明
→
ーを展開予定。
彦
経済
②昨年 11 月には川口駅
議
部長
東口総合情報板を設置
員
し、その中で本市観光情
報を提供しており、また川
②観光振興のための
口市観光協会では安行地
⇒
不明
基盤整備
区を中心に、来訪者が安
心して散策できるような案
内表示を、現在設置して
いるところ
2011 (H23)
今ある文化推進室の
市としても、文化芸術の重
関
名称を市民にわかり
要性は十分認識してい
由
高田
やすい文化芸術振興
2011
文化芸術
る。文化推進室から文化
紀
課として変更して、さ
(H23)
振興課
勝総
→
芸術振興課への組織の
夫
らなる組織拡充を図
務部
拡充については、今後担
議
るべきと考える。見解
長
当部局と研究していきた
員
を。
い。
- 111 -
H25 時点では文化推進
⇒
室のまま
①総合博物館事業を
①所管の格上げ及び専門
進めるための体制づ
職員の増員については、
くりにおいて、さらなる
矢
今後の事業の展開や事
⇒
野
務量を踏まえ、関係部局
江連
由
と協議していきたい
保明
不明
事業への専門職員の
研鑚を保障するため
総合博物
の人員の増員を
紀
→
館事業
教育
②総合博物館準備委員
子
総務
会等の立ち上げについて
議
総合博物館はは準備が
部長
②総合博物館準備委
は、現在、予定はないが、
進められているが、準備
員
⇒
員会の立ち上げを
今後も構想の実現に向
委員会についての発言
け、関係部局との協議を
はないため不明
進めていきたい。
2012 (H24)
本市においては、文化芸
術振興基本法の基本理
念を踏まえ、川口総合文
化センター・リリアやアート
ギャラリー・アトリアなど
で、さまざまなジャンルの
文化芸術事業を実施する
大
ほか、国の登録有形文化
関
財である旧田中家住宅に
文化芸術に対する本
修
おける若手芸術家の作品
市での状況と取組
克
展や、日光御成道の歴史
議
的検証をテーマとしたシン
員
ポジウムなど、地域の文
元井
康博
2012
文化芸術
(H24)
→
市民
生活
部長
化資源を活用した施策を
展開してきた。今後も赤山
陣屋跡や安行の植木など
の検証を通し、地域の歴
史や風土を反映した特色
ある文化芸術の振興を図
っていきたい。
- 112 -
SKIPシティB街区の
今後の見通しと今後
の方針について (S
KIPシティ国際Dシネ
今後の見通しとしては、映
マ映画祭が、今年も
像制作のすべてをSKIP
行われ、本定例会初
シティで完結できるような
日の市長の所信と報
前
施設の誘致活動を実施し
田
ていく。今後の方針として
桜井
は、本来、B街区は、A街
智明
希
区の機能の補完・強化を
経済
議
踏まえた映像関連施設の
部長
員
誘致を目指しているため、
告の中でも、「本映画
映像関連
祭が映像関連産業の
産業の振
振興と映像文化発展
興
のために」と述べられ
亜
→
ているように、映像関
連産業というのが市
今後も埼玉県と連携して
内産業振興ののキー
誘致活動を進めていきた
ワードになっていると
い。
考えているが、SKIP
シティ自体に活気が
余り感じられないた
め)
2013 (H25)
都市計画手続に先立って
平成22年度に開催した
(仮称)赤山歴史自然公
高木
園等検討委員会において
川口の産業を広く紹
本
直人
も、川口の歴史・文化のP
介できる施設整備も
2013
川口鋳物
(H25)
文化
英
技監
文化財課分室に鋳物資
Rとして、鋳物についても
必要であると考えるた
彦
→
兼都
⇒
料室を設け、鋳物資料を
検討してほしいとの意見
め、鋳物製品の展示
議
市計
があるため、今後、実施
について市の考え
員
画部
設計や運営方法などの検
長
討を進める中で、鋳物製
品の展示についても検討
していきたい。
- 113 -
展示している
川口総合文化センター・リ
リリアの市民の活用
リアの利用料金について
について、市民が使
は、提供する設備、機能
用する場合には、市と
今
等の整備、管理運営に係
して支援の施策を講
井
る経費、加えて近隣の類
じることはできない
初
似施設を参考にした料金
か。市民が利用し、非
枝
体系としたものである。減
営利である場合の減
議
額制度の導入につきまし
額制度をつくり、川口
員
ては、類似施設の動向や
元井
康博
リリア
→
市民
⇒
不明
生活
部長
全体の文化向上に応
利用形態等の調査・分析
える施策を求める。
が必要なため、今後、研
究していく。
土地信託の活用も含め、
関係部局等と協議の上、
その有効な活用に向け十
芝
分に検討していきたい。旧
廃校舎の活用方法と
崎
芝園中学校の跡地利用に
つきましては、関係部局と
2013
閉校舎の
して土地信託の利用
正
(H25)
跡地利用
や芸能文化団体への
太
協議しており、さまざまな
貸し出しを行ってはど
議
案を模索し、幅広く検討し
うか
員
ているところである。芸能
→
柴田
H25 には、廃校になった
宏之
芝園中学校を暫定的に
学校
文化団体への貸し出し
も、選択肢の一つとして、
検討していきたい。
- 114 -
⇒
地域住民や芸術家団体
教育
等へ施設の貸し出しを行
部長
う。
- 115 -
総括
・増える新住民を巻き込む
川口市はこの数十年の間で大きく姿を変えてきた。鋳物等産業の衰退、高度経済成長か
らなるベッドタウン化、商業地と化す川口と風俗産業に翻弄された西川口、鳩ケ谷市の合
併等、その動きは近年でも急速を極めている。現在の川口市の人口は約 58 万人。基準上で
あれば政令指定都市の基準を超えている。
そこで問題になってくるのは、各章で挙げられてきたように、万単位で増えている新住
民の問題であろう。確かに彼らはいわゆる「埼玉都民」
。昼間人口がそれを示すように日中
は川口に「いない」人たちであり、地域社会にはあまり縁がないであろうし、これからも
そうであるかもしれない。しかし、彼らを取り込まない限りには、既存の川口における活
動・営業等は一向に促進されない。
増える新住民を巻き込むために重要なことは既存住民やその団体の働きかけなのである。
新住民たちに、川口を知ってもらい、川口を好きになってもらい、そして一緒になって活
動する。それが実現されることで、新住民を文化活動に、そして地域社会に取り込むこと
ができるのではないだろうか。都市政策の中心を担う行政はただ税金を頂くだけでなく、
文化団体をはじめとした組織は、ただ新住民を雑多で無反応な「興味のない」存在と決め
つけるのではなく、新住民を巻き込むために取り組みをあまた打って出る、その結果とし
て新たな新住民との行動を形成していくことが重要なのである。
・文化施策と都市
川口ではこれまでに紹介したように、幅広く多数の文化施策がなされている。これらは
「川口ふらりアート」として一つのリーフレットにまとまったものであり、それらは市域
全域に広がるものである。
川口文化の基底にあるものとは何か、それは、「職人気質(かたぎ)」という言葉に秘め
られた、川口の独創性・洗練性からなる市民文化である。文化施策として特徴的であるの
は彼らがそれぞれの表現方法を独自に考え、それを溢れんばかりに連ねていることであろ
う。
これらはアートとしては大変洗練すべきものであるが、一つ特徴かつ問題点を挙げると
すれば、これらの連関性があまり生まれていないことではないだろうか。一口にアートと
いってもその様相はまったく異なったものであり、
「アート」というテーマ性はあるがそれ
以上の「テーマ」が見当たらないのである。しかしながらこれは川口アートの特徴でもあ
り、多様なアートが存在するということは地域魅力につながらないこともない。
今後、行政を中心とした川口という都市がさらにアートを推進していくために、このア
ートの多様性を活かしていくのか、それとも一概なるテーマを設けそれに沿ったアート事
- 116 -
業を展開していくのかが注目すべき点であるといえる。
・人材を育成して川口アートを将来へ
現在のアート事業はこれからも形を変えながら続いていくであろう。しかしながら、こ
れらを一体だれが受け継いでいくのか、その点にも再度注目したい。
前述したように川口のベッドタウン化、増える新住民、減退する産業文化等、川口のア
ートはこのような背景の中その事業継続に取り組まなければならない。そこで重要である
のが将来アートを担うべく人材を育成することである。
アートを今後担う人材はいかなるものか。川口には 2 通りの選択肢がある。1 つは現在の
青少年世代など若年層だ。彼らに積極的にアート活動に関わってもらうことで、アートを
将来中心となって行う人材が生まれてくるのではないだろうか。もう 1 つは新住民だ。彼
らの未知は、アートにとって有効になることもあるであろう。彼らがこれからのアートを
担う人材になれる存在であることも踏まえて新住民は、前述のようにアートに、そして地
域に参加できるような環境を整備しそれを積極的に働きかけねばならないであろう。
川口はその都市として転換期を迎えている。川口のアートがこれから地域の中でその活
動を存続させ、活発化させるためにも、今、川口のアートというものをもう一度見つめる
べきではないだろうか。
以上が、今回我々の調査において浮かび上がってきた、現在および将来の川口市とその
アートの姿なのである。
最後に、この度の調査において協力を頂いた行政の皆様、並びに地域文化団体、個店等
には、この場を借りて再度御礼申し上げたい。
- 117 -
- 118 -
早稲田大学社会科学部
早田
ソーシャル・リサーチ(まちづくり)
宰(全体統括・はじめに)
木村
裕美(調査統括)
森本
賢史(第1・6章)
安田
権守(第2・9章)
岡田
嘉彰(第3章)
高橋
直也(第4章)
内田
渓吾(第5章)
佐藤
杜香(第7章)
島田
聖也(第8章)
桑原
裕之(第10章)
藤堂
真依(第11章)
菊地
昌吾(まとめ・編集)
発行年月日
平成26年3月1日
ソーシャル・リサーチ調査報告書
文化クラスターとポスト産業都市
-都市文化政策のガバナンスに向けて-
発行所
早稲田大学社会科学部
〒169-0051 東京都新宿区西早稲田 1-6-1
印刷
株式会社トライ・エックス
〒169-0051 東京都新宿区西早稲田 1-6-1
早稲田大学 14 号館内
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