Comments
Description
Transcript
對馬 理絵
卒業論文 子どもの権利条約からみる JFC 国際学部国際学科 20627146 對馬理絵 牧田東一ゼミ 1 目次 はじめに ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 3 第 1 章 JFC とは ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 4 第 1 節 JFC とは誰か ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 4 第 2 節 日比国際結婚 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 4 第3節 日比国際結婚の現状と問題点 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 7 第 4 節 JFC 問題・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・11 第1章 子どもの権利条約からみる JFC 問題 第1節 子どもの権利条約とは 第2節 子どもの権利条約と JFC 第3章 NGO の取り組みと日本政府・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 17 ・・・・・・・・・・・・・・・ 11 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・11 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 13 第 1 節 JFC ネットワーク ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 17 第 2 節 日本政府に求められること ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 18 おわりに ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 21 参考文献 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 22 2 子どもの権利条約からみる JFC はじめに 筆者は、2008 年 5 月から 2009 年 3 月まで、フィリピン共和国のアテネオ・デ・マニラ 大学に交換留学生として留学していた。発展途上国であるフィリピンに長期間身を置き、 途上国の子どもたちの生活や置かれている環境を知り、コミュニケーションをとりたいと 思ったからである。フィリピンには本当に色々な子どもがいた。貧しい家の子ども、路上 で生活する子ども、ファーストフード店の入り口で物乞いをする子ども、都会に住む子ど も、田舎に住む子ども。もちろん、お金持ちの家の子どもにも出会った。 そんな中、日本とフィリピンの両方に関係のある事柄について調査する機会があった。そ の際に JFC (Japanese Filipino Children)の存在を知った。JFC は、フィリピン人と日本人 の間に生まれた子どものことである。近年は国際結婚が珍しいものではなく、日本には様々 なルーツを持つ子どもが生活している。しかし、どれだけの人がフィリピンに数万人いる というわれる JFC のことを知っているだろうか。 JFC の両親はほとんどが、フィリピン人女性の母親と日本人男性の父親である。母親たち の多くは、日本でエンターテイナーとして働いた経験がある女性たちであり、クラブや「お 店」で JFC の父親である日本人男性と出会っている。そのようなフィリピン人女性に対して は、お金ばかり請求する、とか、日本人と結婚して豊かな生活を築くためにお金持ちの日 本人をねらっている、などの批判も少なくはない。また、父親に見捨てられ、母親とふた りの生活の中で、教育や医療サービスを受けられない厳しい経済状況にある JFC もいるこ とから、彼らに同情する声もある。しかし、筆者が実際に出会った母親たちは家族を支え るために日本へと渡ることを選び、JFC の父親である日本人男性と恋愛関係を築いていた。 JFC に関しても、彼らは厳しい環境で生活していても、勉学に励んだり、クリスマスパー ティを楽しんだりして、彼らなりの人生を送っている。 JFC の問題は過去に新聞やノンフィクションとして紹介されることもあり、注目されるこ とはあった。しかし、日本政府は日本が興行ビザを発行し、エンターテイナーを入国させ ることで買売春に加担しているという批判から 2006 年からビザ発行を減らしている。フィ リピン人女性の入国が減少するのに比例して、日比国際結婚も減少している。結婚数が減 れば、JFC の数も減っていくとも考えられる。しかし、数が減少しても JFC の問題自体が なくなるわけではない。JFC についてより多くの人が理解し、声をあげていくことがこの 問題の解決に大切なことであると筆者は考える。 はじめに JFC や日比国際結婚について論じた上で、JFC が抱える問題を子どもの権利条 約の視点から、筆者が JFC や母親に対して行ったインタビューを交えながら明らかにして いきたい。そして、この JFC の問題について実際に NGO はどのような活動をしているの 3 か、また日本政府にはどういった対応が求められているのかを明らかにしていく。 JFC とは 第1章 第1章では、JFC の定義を明らかにしたうえで、JFC が生まれる背景として、フィリ ピン人女性と日本人男性の出会いの増加として 80 年代から増加したフィリピン人女性 の出稼ぎ(エンターテイナー)、農村花嫁、日本人旅行者の増加について述べる。また 国際結婚を取り上げ、日本人男性と外国人女性の結婚の増加と、その要因を概説した うえで、日比国際結婚の現状や問題点などについても述べたい。 第1節 JFC とは誰か JFC とは、Japanese‐Filipino Children の略称で、フィリピン人と日本人の間に生まれ た子どもたちのことを指す。 彼らは、JFC という呼称以外にも、ジャピーノ、日比混血児、日比国際児、新日系人など とよばれる。各団体によって呼び方の違いはあるが、「混血児」や「ジャピーノ」という呼 び方は差別的表現であるとして、ジャパニーズ・フィリピーノ・チルドレン(JFC)や、国 際結婚から生まれ、父母の両国を結びつけるという意味を込めて「日比国際児」の呼称を 用いるようになっている。 この子どもたちの母親の多くは、1980 年代から日本にエンターテイナーとして出稼ぎにき た女性たちである。また、近年日本からフィリピンへの旅行者や企業駐在員も増え、フィリピン 人女性と日本人男性の出会いの機会は、かつてなかったほど多くなってきている[JFC ネットワ ーク HP 2009,10,23] 。JFC の数については、正確なデータはない。父親に「見捨てられた」 JFC がマニラ周辺だけで1万人、フィリピン全土に数万人いるとされ[国際子ども権利セン ター]、日本での実数は不明である。 第2節 日比国際結婚 JFC が生まれる背景として、フィリピン人女性と日本人男性との国際結婚が増えたことが あげられる。 日本における国際結婚の近年の傾向 日本における国際結婚の件数は年々増加している。1975 年における日本における婚姻件 数のうち、夫妻の一方が外国籍なのは 6045 件であったが、2007 年には 40272 件となり日 本における婚姻総数のうち、約 6%を占めるようになった。そのうち日本人男性と外国人女 性との組み合わせが 31807 組で、国際結婚の約 79%を占め、他方、外国人男性と日本人女 性の結婚は 8465 組で約 21%である[厚生労働省 HP 2010/1/6]。 日本人男性と外国人女性との結婚が増えた要因は三点ある。 4 ①日本経済の強大化と南北格差 日本経済の強大化とともに、国際移動労働力の受け入れや、観光、ビジネス、留学・就学 を通じて出会いが増加した。そもそも日本、アメリカ、オーストラリア、ドイツなどの男 性は自国の女性と結婚が難しい場合、一定の財力を背景に、結婚業者や観光を通じて、よ り経済力の劣る国から女性を迎え入れようとする[佐竹 2006:36]。 ②日本人男性の結婚難 社会経済的要因として、日本人男性の結婚難も見逃せないという。近年、女性が人生の目 的として結婚の身を重視せず、職業・キャリアを重んじる傾向が強くなり、日本女性の晩 婚化が進んだ。また、夫・舅・姑との関係や、職場環境から、結婚してからの家事・育児 と職業との両立の困難さが結婚に二の足を踏む要因でもあるという。農村などで「嫁不足」 が深刻な地域では行政が業者と手を組んで国際結婚を勧めたり、パートナー探しに困った 男性や「家の存続」を願う親は大金を払って結婚業者に頼り、「外国のお嫁さん」を探した り、パブに通って外国人出稼ぎ女性にアプローチする[佐竹 2006:37]。 ③アジア女性に対するイメージ 80 年代半ばから、フィリピンからの出稼ぎ女性が働く「フィリピン・パブ」が人気とな り、陽気で明るく、歌って踊れるフィリピン女性たちにひきつけられた男性たちは一晩に 何万も使った。フィリピン人やアジア人女性が従順で男性に尽くすというイメージ、ある いは固定された見方は、パブ人気のみならず、フィリピン女性と日本人男性の結婚の増加 をもたらしているとも考えられる。また、このフィリピン女性やアジア人女性に対する見 方は欧米、オーストラリア、日本の男性に共有されており、男性の経済的優位と重なりな がら、この「共同幻想」が工業国の男性とアジア人女性との結婚の増加を加速させている [佐竹 2006:39]。 日比国際結婚 日比国際結婚についても、このような近年の国際結婚の傾向があてはまると考えられる。 特に、フィリピン人女性と日本人男性の出会いの場を増やしたものとして代表的なのが、 農村花嫁、日本人男性のフィリピンへの旅行、日本に出稼ぎにきたフィリピン人エンター テイナーである。 農村花嫁 1980 年代半ば、地方の町や村役場が民間の結婚業者と提携して、地域の男性と外国人女 性との結婚を取りまとめる動きが始まり、フィリピン人女性もその相手となった。山形県 朝日町では、結婚業者が 1985 年から 86 年の間で、9 人の日本人男性をフィリピンのバタ アン州アブカイ町へと案内し、フィリピン女性とお見合いをさせ、9 組の結婚を成立させた。 この「フィリピンから来た農村花嫁」は、日本中で注目され、その他の「嫁不足」になやむ 5 町や村でもマニラ日本人会からなどの協力を得るなどして、フィリピン女性との結婚を成 立させようとした。しかし、メディアなどから、地元行政がアジア女性を商品化する人身 売買に関わっているなどの批判や、フィリピンでのメール・オーダー・ブライド 1 の規制に よって結婚仲介業者がフィリピンで活動しにくくなるなど、フィリピンでの「花嫁斡旋」 事業は縮小した[Satake 2008:118-120]。 日本人男性のフィリピンへの旅行 1960 年代から 73 年まで続いた高度経済成長期を通じ、日本の国民総生産は著しく伸び、 海外旅行も増えた。特に 70 年代以降、東南アジアへの団体旅行が増えた。男性観光客の割 合が高く、79 年の男性旅行者の比率は米国で 59.4%、英国で 50.5%だったが、韓国 93.7%、 台湾 91.4%、フィリピン 83.7%、タイ 78.9%であった。アジア旅行は、会社や大組織の接 待、慰安旅行として利用されることも多かった。こうした旅行では数多くの男性が女性を 買春したとされ、セックス・ツアーとして悪名高い。こうした買春観光は、日本国内から でなく、マニラ、バンコクで繰り広げられた買春観光に反対する抗議運動など、海外から の批判も受けるようになった。加えてフィリピンは国内外の売春観光批判だけでなく、ベ ニグノ・アキノ 2 暗殺に続く政情・経済不安も続き、訪れる日本人観光客は激減し、84 年に は 16 万人弱となって、ピーク時の 80 年よりも 10 万人減った。こうしたフィリピンの日本 人男性に依存した観光・歓楽産業には、日本人業者の存在が大きかった。83 年以降の日本 人観光客の低迷によって利益が激減した彼らは、興行ビザをフィリピン人女性に取得させ、 日本に送り込むというビジネスへとシフトしていった。こうして、フィリピン国内での買 春産業が下火になるのとともに、日本への出稼ぎが増えていった[佐竹 2006:9-13]。 エンターテイナーとしての来日 フィリピンは、マルコス 3 時代から、外貨獲得、国内の高い失業率に対応するために、大 規模な海外出稼ぎ政策を進めている。Philippine Overseas Employment Administration (POEA)によると、海外で出稼ぎをするフィリピン人は、2008 年にはアジアや中東を中心 に世界各国に、約 120 万人いるとされている[POEA HP 2009,10.23]。 雇用形態は様々で、 メイド、子守、ダンサー、看護師、介護師、教師、建設労働者、工場労働者、船員などと して雇われている。 日本にも、1980 年代から、多くのフィリピン人女性が歌手やダンサーとしての訓練を受 1980 年代にオーストラリア―フィリピン間で問題となった、郵便による花嫁注文=結婚 紹介。男性から女性への暴力や、「シリアル・マリッジ」(連続結婚)など、女性の人権を 無視するとして、大問題になった[佐竹 2006:67]。 2 フィリピンの政治家。マルコス政権下の 1972 年に反政府側の危険人物とされ、逮捕・ 投獄されるが、1980 年に入ってアメリカに逃れる。1983 年、マニラ国際空港に降り立った 直後に暗殺された。 3 フェルディナンド・エドラリン・マルコス(1917-1989)はフィリピン共和国第 10 代大統領。 1 6 け、 「エンターテイナー」として興行ビザで来日するようになった。2003 年に日本に「興行」 ビザで来日したフィリピン人は 8 万 48 人と、同ビザで来日した外国人 13 万 3103 人のう ちの 60%を占めている。また、2004 年の在留資格「興行」を持っていた超過滞在者のフィ リピン人 1 万 582 人を合わせると、計 9 万人のフィリピン人が「興行」に従事していると 考えられる。法律によると、「興行」とは、「演芸、演劇、演奏、スポーツ等の興行に係わ る活動又はその他の芸能活動」とされている[佐竹 2006:14-16]。 しかし、日本におけるエンターテイナーとしての働き方は、職場におけるセクシュアル・ ハラスメント、同伴という名のデートの強要、買春などが起こっていることが問題である とも指摘されてきた[国際子ども権利センター1998:158-160]。 2004 年には、アメリカの人身売買報告書の中で、日本の興行ビザの発給が日本における 人身売買を促進させていると批判された。それを受け、入国管理局は、「興行」の在留資格 により日本に入国する外国人芸能人のうち、風俗営業店等において不法就労しているもの が相当数存在し、中には客との同伴や売春を強制されるなど、人身取引の被害に遭ってい る者も見られるとした。この現状への対応策として、在留資格「興行」にかかる基準省令を 改正し、外国の国などが認定した資格を有することという規定を削除するという上陸許可 基準見直しを行った[入国管理局 HP 2009,12.26]。 第3節 日比国際結婚の現状と問題点 日比国際結婚の現状 日本人とフィリピン人の国際結婚は 1993 年にフィリピンのカテゴリーが作られてから 4 2006 年まで増加していた。夫妻の組み合わせは夫日本人、妻フィリピン人の組み合わせが 夫フィリピン人、妻日本人の組み合わせと比べて圧倒的に多い。2006 年には、夫フィリピ ン人・妻日本人の組み合わせによる婚姻件数が 195 件であるのに対し、夫日本人・妻フィ リピン人の組み合わせは 12150 件に達した(表 1)。日比国際結婚は国際結婚全体の内約 4 分の 1 を占める(表 2)。 しかし、その数は 2007 年に入って減少した。その原因の一つとして、2004 年からの入国 管理局の施策があげられる。上陸許可基準見直しについては第 2 節で述べた。 4 年から調査しており、平成 3 年までは「その他の国」に含まれる[厚生労働省 HP 2010,1.6]。 4フィリピン、タイ、英国、ブラジル、ペルーについては平成 7 表1 夫妻の国籍別に見た婚姻件数の年次推移 国籍 総数 夫妻とも日本 夫妻の一方が外国 夫日本・妻外国 妻の国籍 韓国・朝鮮 中国 フィリピン タイ 米国 英国 ブラジル ペルー その他の国 妻日本・夫外国 夫の国籍 韓国・朝鮮 中国 フィリピン タイ 米国 英国 ブラジル ペルー その他の国 昭和45年 1,029,405 1,023,859 5,546 50年 941,628 935,583 6,045 55年 774,702 767,441 7,261 60年 735,850 723,669 12,181 平成2年 7年 722,138 791,888 696,512 7,764,161 25,626 27,727 2,108 3,222 4,386 7,738 20,026 1,536 280 1,994 574 2,458 912 3,622 1,766 8,940 3,614 12年 798,138 761,875 36,263 17年 714,265 672,784 41,181 18年 730,971 686,270 44,701 19年 719,822 679,550 40,272 20,787 28,326 33,116 35,993 31,807 6,214 9,884 7,519 2,137 202 76 357 145 1,792 6,066 11,644 10,242 1,637 177 59 311 121 2,859 6,041 12,131 12,150 1,676 215 79 285 117 3,229 5,606 11,926 9,217 1,475 193 67 288 138 2,897 217 502 838 2,096 7,212 4,521 5,174 7,188 1,915 198 82 579 140 990 3,438 2,823 2,875 4,443 5,600 6,940 7,937 8,365 8,708 8,465 1,386 195 1,554 243 1,651 194 2,525 380 2,721 708 2,842 769 52 19 1,303 213 162 66 1,514 2,509 878 109 67 1,483 249 279 124 2,239 2,087 1,015 187 60 1,551 343 261 123 2,738 2,335 1,084 195 54 1,474 386 292 115 2,773 2,209 1,016 162 68 1,485 372 341 127 2,685 … … … … 75 … … … … … 152 … … … … … … … … 631 254 625 … … 876 … … … 405 260 … … … … … … … … 395 … … … … … … … … … … 286 178 … … … … … 1,571 … … 1,091 … … … 662 1,080 厚生労働省 HP より筆者作成 8 表 2 国際結婚の相手の国籍(2007) 9379 ペルー 国際結婚の相手の国籍(2007年) 1% 1543 1678 439 ブラジル 2% その他の国 629 韓国・朝鮮 英国 14% 256 19% 1% 5582 米国 タイ 4% 4% 韓国・朝鮮 中国 フィリピン タイ 米国 英国 ブラジル フィリピン 23% 中国 32% ペルー その他の国 厚生労働省 HP より筆者作成 農村花嫁のその後 農村地域における国際結婚の多くは、農村花嫁のように、結婚当事者の男性は日本人、 女性は外国人であったり、いわゆる「インスタント結婚」と称されたり、国際結婚の両当 事者は、お互いの国の言葉や文化、習慣、社会制度に関する知識を必ずしも十分に持って いないという傾向がある。このような国際結婚はアジアから嫁いでくる女性たちに対して、 日本人の「花嫁」になりきり、家事、育児、親の世話・介護を期待していた。しかし、柴 田義助はこのような農村地域における国際結婚は「家の存続」という旧来の概念と「国際 結婚」という新しい結婚形態とが不自然に接ぎ木されたものであったと指摘する[柴田 1997:374]。そして、そうした出発点から問題をはらむ結婚は、花嫁に子どもを産むことを 強いることの問題など、数々の批判を浴びた。 フィリピン人女性もまた、この不自然に接ぎ木された国際結婚の中で、花嫁としての役 割を期待されたが、配偶者の親との同居を拒んだり、離婚したり、あるいは村を出るなど の抵抗を通じ、自分たちの境遇を変えていった[佐竹 2006:94]。 しかし、このような農村地域における国際結婚が「アジアから来た農村のかわいそうな 花嫁」というフレームワークで、ジャーナリストや研究者に取り上げられる一方で、外国 人定住者のケアの態勢づくりが進んだ地域もある。 最上地域は、山形県東北部の一市四町三村で構成される地帯であり、東北地方の農村地 域と同じように、若年層の恒常的な向都離村減少や農業を中心とする地域産業の停滞、女 性の高学歴化による都会への流出、少子化などを背景として、嫁不足が問題となっていた。 この地域は、フィリピンから花嫁を迎えるにあたり、外国人配偶者支援のための国際化の 進展が開始された。各市町村の庁内ネットワークの構築、広域組織国際交流センターの設 9 置、同地域の国際化に関するシンポジウム・講演会・研修会の実施、日本語教室事業、保 健・衛生に関するケアなど、多面的な外国人配偶者ケアを全国でも類例をみない行政主導 型で確立してきた。 また、民間の国際交流活動も行政の外国人配偶者定住対策を側面から支えてきた。日本 人による交流団体だけでなく、特に 1993 年以降、本地域では外国籍婦人たちが社会参加を 深めて、地域のための種々の自主的ボランティア活動に乗り出した。本国の料理・歌謡・ 民話・母語国を紹介する活動を行ったり、保健医療の分野において県の新庄保健所ならび にボランティア団体 JVC 山形と連携して医療通訳としても活躍している。最上の人々は、 こうした外国人定住者の人々をかけがえのない隣人として、ともに地域の課題を背負いな がら地域づくりに邁進しているのである[柴田 1997:371-184]。 フィリピン文化に対する理解 日本人男性はフィリピン人女性と結婚することで、生活世界・視野の広がりがあるとい う。フィリピン人女性の明るさや、友達づきあいの中で、フィリピン文化に触れる機会が 増え、それに対する理解も深まる。家族を大切にするフィリピン人の考え方から、価値観 を変えられたという男性もいる[佐竹 2006:110-116]。 一方で、フィリピンの家族への送金に日本人男性が戸惑いを感じたり、言葉の壁の問題 から夫婦の間でコミュニケーションがとれずにお互いが理解できないこともあるという。 言葉が分からないことで喧嘩につながることもある[佐竹 2006:106-108]。 国際結婚と重婚の問題 国際結婚に関しては、日本人が外国人と海外で結婚する場合は、外国の法律上有効に婚 姻が成立し,その国が発行する婚姻に関する証書の謄本が交付されている場合には、日本 人の戸籍に婚姻の事実を記載する必要があるため、婚姻成立の日から3か月以内に、婚姻 に関する証書の謄本を日本の在外公館に提出するか、本籍地の市役所、区役所又は町村役 場に提出又は郵送する必要がある[法務省民事局 HP 2009,12.26]。しかし、バティス 5 によ る調査によると、調査した 113 件のカップルで結婚している 44 件のうち、フィリピンで結 婚したが日本に届け出ていないのが 26 件、日本でも届けられているのが 18 件であった。 フィリピン方式で結婚したが日本では届けていないというケースの中には、少なくとも 12 件のケースで男性の重婚が認められる[城 1999:36]。 重婚は民法 732 条において禁止されているが、日本人男性が日本で結婚しているがフィ リピンでそのことを偽って結婚したり、フィリピンで結婚したあと、そのことを隠して日 本で結婚しているというものがある。JFCのクーカイは、前に自分の兄だと名乗る人が訪ね てきたことがあるといった。そのことに対してクーカイの母、に聞いてみると、クーカイ 5 バティス女性センター。日本や他の国から帰国した、苦境に立つフィリピン人女性出稼ぎ 労働者と、その家族が抱えるニーズや懸案事項に対して、組織化、教育及びトレーニング、 社会的企業開発(social enterprise development)、奨学金および教育支援、法的支援、医 療支援、カウンセリング、アドボカシ―活動を通じて取り組む非株式、非政府の団体[Batis center for women HP 2010,1.6]。 10 の父である日本人男性には、マリアローズ以外にも、何人かのフィリピン人の妻がいて、 日本人の妻もいるらしいと言った。クーカイのように、その日本人男性と他のフィリピン 人女性の間に生まれた子どもが他にもいた、ということである。話の通りであれば、この 男性がその複数の女性と法的に婚姻関係にある場合、重婚であると言える 6 。国際結婚や民 法に関する知識がないまま、安易に結婚しているケースも少なくないと考えられる。 第 4 節 JFC 問題 JFC が生まれる背景としては、個人の出会いだけではなく、南の国と北の国の経済的な格 差というマクロな視点も必要であると考えられる。南北問題といわれるように豊かな北の 先進工業国と南の途上国とのあいだの貧富の格差は大きく、貧しい人々は生きるために、 より豊かな国へ、海外移住労働者として働きに出るようになった。多くのフィリピン人女 性もその流れの中で、80 年代から日本に働きに来た。日本で働く中で、日本人男性の客と 付き合う機会も多く、結婚に至るカップルが急増したのである。しかし、その中にはすで に家庭を持っている日本人男性や、子どもが生まれると最初は父親としてふるまっていて もやがて消息を絶つ無責任な日本人男性も多い。 このように、JFC 問題には、貧困や失業に悩む途上国が労働力を海外へ押し出すという 不平等な国際経済の仕組みと、風俗関連産業が大きくふくれあがって若いアジアの女性た ちを引き寄せて性的搾取をしているという日本側の事情が結び付いている。日本とフィリ ピンの間で発生したおとなのひずみが、子どもという弱いところにしわ寄せされることに より起きているのが JFC 問題である。 JFC 問題は、日本とフィリピンの間にあるあまりにも大きい経済格差をどうしたらなく していけるのか、そして女性と子どもの人権を傷つけず、保障する日本社会や国際社会ど うしたら変えられるのかといった問いをつきつけている[国際子ども権利センター 1999:83-84]。 第2章 子どもの権利条約からみる JFC 問題 第 2 章では、子どもの権利条約について背景や内容を概説したうえで、子どもの権利条約 と JFC 問題の関係について述べる。そして、具体的に JFC が直面している権利問題につい て個別のケースやインタビューをもとに述べていく。 第1節 子どもの権利条約とは 条約作成の背景 子どもの権利条約とは、1989 年の国連総会で採択された、子どもの基本的人権を守るた めに作られた条約である。2008 年 5 月の時点で、アメリカ合衆国とソマリアを除く 193 の 6 筆者によるインタビュー。2008 年 12 月 17 日 11 国と地域が条約を批准している 7 [ユニセフHP 2009/10/30]。子どもの権利条約が作られ た背景として、①子どもの人権問題の変化、②子どもの人権観の変化、③NGOの役割の増 大の三点があげられる。 ①子どもの人権問題の変化 国内外ともに、子どもたちの人権状況は厳しく、一国だけでは子どもの権利を守れなくな っている。地球規模の環境問題や、南北間の貧富の拡大、地域紛争の激化など、現代社会 はめまぐるしく変化している。その中で、子どもたちの人権抑圧の問題も、児童労働や性 的搾取、いじめ・不登校・援助交際、難民問題など、複雑化し、一国だけではそのような 子どもに関する問題を解決できなくなっている。法的拘束力のある条約によって、国家間 で子どもの人権を擁護するルール作りが必要とされたのである。 ②子どもの人権観の変化 歴史とともに、子ども観・子どもの人権観は変化してきた。第 2 次世界大戦後の欧米各国 では、子どもの自己決定権を認める動きや法改正が行われるようになった。子どもとは、 従来の「大人に教え導かれる客体」としての存在から「自分の権利を自ら行使する主体」 となった。この子ども観の変化に対応する国際的な人権基準が作成された。 ③NGO の役割の増大 子どもの様々な人権抑圧が各国の政府間レベルでは対応できなくなっている中、子どもの 人権問題に関心を寄せる市民や NGO が、迅速に現状を把握し、問題解決に向けて国境を超 えたネットワークを形成するようになっている。NGO や市民団体は、そのネットワークに よって得た情報により、各国政府や国際会議の場で、事態打開のための政策提言活動を活 発に行っている。このような NGO は、子どもを「地球市民」としてとらえ、「国益」にと らわれない国際ルール作りを呼びかけてきた。子どもの人権条約の作成過程においても、 各国の NGO がアドホックグループを作り、条約の早期完成に向けて重要な役割を担った [国際子ども権利センター 1998:118-119]。 子どもの権利条約の内容 子どもの権利条約は 18 歳未満を「子ども」と定義し、国際人権規約が定める基本的人権 を、その生存、成長、発達の過程で特別な保護と援助を必要とする子どもの視点から詳説 している[ユニセフ HP 2009/10/30]。前文と本文 54 条からなり、子どもの生命・生存・ 発達の権利を保障するとともに、おとなになるまでに子どもを有害な行為から保護するこ とを締約国やおとなに求めている。さらに第 12 条の【子どもの意見表明権】、13 条の【表 現・情報の自由】など子どもが自分に関係することは自分で選んだり決めたりできる権利 主体であることを具体的に定めている[国際子ども権利センター 1999:117]。 ソマリアの暫定政府は、子どもの権利条約を早ければ 2009 年以内にも批准する方針を決 めた[朝日新聞:2009.11.23]。 7 12 第2節 子どもの権利条約と JFC これまでの子どもに対する国際協力のありかたは、かわいそうで恵まれない子どもを救 援・保護するという慈恵的な援助活動が大半をしめており、援助の仕方も水・食料・薬・ 学習教材といった物資の提供に重点を置いていた。しかし、JFC の場合、極度の貧困状態 にある家庭は少数派で、物資の援助を第一に求めているわけではない[国際子ども権利セ ンター 1998:113]。JFC 問題に対しては、個人の問題であり個人の責任である、フィリピ ンには JFC 以上に困難な状況にいる子どもがたくさんいるのにどうして JFC を優先するの か、といった批判がある。しかし、JFC 問題は、子どもの権利の保障という視点で重要で ある。 権利とは、「自分の自分らしさを発見し、他人とのかかわりのなかでその自分らしさを表 現し、自分で守っていく力[国際子ども権利センター 1998:113]」である。JFC が直面し ている問題は、国籍や社会保障、アイデンティティ、差別問題など、子どもの権利に関わ る問題が多い。その中で差別や社会保障、アイデンティティなどに大きくかかわる国籍に ついて述べている第七条と、フィリピンで生活する JFC の経済的な問題に大きくかかわる 父親からの養育費について関係する第 18 条を個別のケースやインタビューを挙げ、JFC 問 題がどのように子どもの権利と関わっているのか明らかにしたい。 第七条【登録、氏名、国籍の権利】 子どもの権利条約では、子どもには登録、氏名、国籍の権利があるとされている。 第七条【登録、氏名、国籍の権利】 1.児童は、出生の後直ちに登録される。児童は、出生の時から氏名を有する権利及び国 籍を取得する権利を有するものとし、また、できる限り父母を知りかつその父母によ って養育される権利を有する。 2. 締約国は、特に児童が無国籍となる場合を含めて、国内法及びこの分野における関 連 す る 国 際 文 書 に 基 づ く 自 国 の 義 務 に 従 い 、 1 の 権 利 の 実 現 を 確 保 す る [ 大沼 2007:307]。 名前・国籍を持つ権利は、自分が何者であるかを確立する権利、つまりアイデンティティ を取得する権利としてとらえることができ、子どもにとってその存在の出発点に位置する 権利として大きな意味を持っている[国際子ども権利センター 1998:123]また、国籍や在 留資格は、日本において、差別や社会保障といった問題とも関係する。 日本の国籍法は、無国籍の子どもを多く生み出し、フィリピンで暮らす JFC の日本国籍 取得の機会を奪ってきた。国籍や在留資格が争点となったケースとして、フロリダ・ダイ スケ母子のケースを挙げる。 13 フロリダ・ダイスケ母子のケース 1991 年 9 月にフィリピン人女性のアピリン・プラレス・フロリダさんは、広島でダイス ケちゃんを出産した。父親は日本人の A さんで、ふたりは法的な婚姻関係にはなかった。 しかし、A さんは、真剣にフロリダさんとその子ども、ダイスケちゃんのことを考え、生ま れてくる子どもが日本国籍を取るために必要な「胎児認知」を役所に届け出た。胎児認知 とは、出生前の胎児の段階で、父子関係を確定させる目的で父親がわが子に行う認知のこ とである。当時の国籍法では、婚姻関係にない外国人女性と日本人男性との間に生まれた 子の日本国籍を取るためには、胎児認知が唯一有効な手段であった。 しかし、その年 6 月におこったフィリピンのピナトゥボ火山 8 噴火のためにフィリピン国 内の郵便事情が悪化しており、手続きに必要な書類が届いていなかった。そのため、Aさん が届け出ていた胎児認知の届け出は、書類の不備を理由に役所から受理されず、ダイスケ ちゃんは母親と同じフィリピン籍となった。これに対し、Aさんは家庭裁判所に認知届け受 理の審判申し立てをしたが、1993 年、母子に対して強制退去命令がおり、母子は入管局の 施設に収容されてしまった。また、家裁もAさんの申し立てを却下した。 そしてダイスケちゃんの国籍確認のための裁判が始まった。裁判では、日本国籍に必要な 胎児認知があったかどうかが最大の争点であった。当初、父親である A さんが届け出たと いう証拠がなかったため、弁護団も役所側から証言者が現れる以外に勝てる方法はないと 考えていた。ところが、1995 年の第十回口頭弁論会において、役所の職員が「父親が胎児 認知を届け出ようとしたことを記憶しています」と証言し、裁判の流れは大きく変わった。 結局、この証言がターニングポイントとなり、1996 年 11 月に、3 年半にも及ぶ裁判は、ダ イスケちゃんに日本国籍を認め、フロリダさんに在留特別許可がおりるという事実上の和 解が成立して終了した[国際子ども権利センター 1998:76- 77]。 この裁判を通じて、外国人女性と日本人男性の間の婚外子(国際婚外子)への差別の実態 が明らかになった。裁判を担当した弁護士は、 「国の姿勢は国際婚外子(とりわけ母が外国 人の場合)は、正常な家族関係における子ではなく、国としては何ら保護に価しないとい うものだ」と述べている[国際子どもの権利センター 1998:77]。国際婚外子に関しては、 日本人の子を養育する外国人に対しての特別在留許可や、国籍法改正によって両親が結婚 していなくても父親から認知された子どもは日本国籍の取得ができるようになった。 国籍法は 2008 年 12 月 12 日に改正され、2009 年 1 月 1 日に施行された。この改正は 2008 年 6 月 4 日の最高裁判決に従い、出生後に日本人に認知されていれば,父母が結婚してい ない場合にも届出によって日本の国籍を取得できるようにしたものである。JFC が国籍を 取得する機会は増えているように見えるが、偽造認知を防ぐためにと取得手続きは非常に 煩雑化し、本人たちの負担は大きく、国籍取得のハードルは高くなっている。 [JFC ネット 8 フィリピンのルソン島にある火山。 14 ワーク 2009a:10]。 第 18 条【父母の共同責任】 子どもの権利条約では第 18 条において、父母の共同責任を謳っている。 第 18 条【父母の共同責任】 1.締約国は、児童の養育及び発達について父母が共同の責任を有するという原則につい ての認識を確保するために最善の努力を払う。父母または場合により法廷保護者は、 児童の養育及び発達についての第一義的な責任を有する。児童の最善の利益は、これ らの者の基本的な関心事項となるものとする。 2.締約国は、この条約に定める権利を保障し及び促進するため、父母および法廷保護者 が児童の養育についての責任を遂行するに当たりこれらの者に対して適切な援助を与 えるものとし、また、児童の擁護のための施設、設備及び役務の提供の発展を確保す る、 3.締約国は、父母が働いている児童が利用する資格を有する児童の擁護のための役務の 提供及び設備からその児童が便益を受ける権利を有することを確保するためのすべて の適当な措置をとる[大沼 2007:308]。 第 18 条は、両親が子どもの養育に対して共通の責任を持つという原則の承認と、親が子 供の養育と発達に対し第一次的な責任を持つことを定めている。また、親が子の養育責任 を果たせるように国は積極的な援助を与え、条件整備をしなければならないと規定してい る。この原則は、父母が別居・離婚した場合においても変わらない。 第 1 章において、父親に「見捨てられた」JFC がフィリピン全土に数万にいると推定さ れることを述べた。フィリピンで暮らしている JFC のほとんどが母子家庭である。ただ、 日本と違う点は母子家庭といっても、二人きりということは少なく、何らかの形で母親の 兄弟、両親たちが関わって暮らしている。父親との関係では、まったくの音信不通、養育 費をもらっているケース、養育費をもらっていないケースなど様々である[国際子ども権利 センター1998:13]. 養育費について、JFC ネットワークによると、1993 年から 2008 年の間に受理した 954 件のうち、父親との交渉により、JFC への養育費支払いという形で合意を得、解決したの は 108 件だった[JFC ネットワーク 2009c:13]。他方、合意後に養育費の支払いが途絶え、 再会の見込みがないとされて打ち切られたケースがこれまで 38 件、子どもが 20 歳になっ たため養育費送金が終了したケースが 4 件ある。2008 年の時点で、66 件について父親から の養育費の支払いが行われており、金額は 5000 円~5 万円とケース・バイ・ケースである。 ただし、送金が途切れがちのケースも多く、父親による JFC の支援は必ずしも順調ではな 15 いという[JFC ネットワーク 2009c:26]。 JFC ユリコのケース JFC であるユリコは、22 歳になり、トリニティ大学看護学部を卒業した。彼女の母親の リリアン・クニマサは JFC ネットワークのクライアントである。リリアンは 20 代の頃に 日本に興行ビザで 3 回来日し、クラブで働いていたという。1986 年にユリコの父親である 日本人男性と出会い、1988 年にフィリピン・ケソンシティで結婚した。しかし、その父親 は結婚式を挙げた 2 月 12 日をはさんで 11 日から 13 日の 3 日間しかフィリピンに滞在せず、 その一年後には二人は別れた。 ユリコは、高校 3 年生の 14 歳の時から、20 歳までの 6 年間、父親からの定期的な経済 支援を受けてきた。しかし、高額な学費を支払うに全く足りず、母親は日本語の家庭教師 を毎日夜遅くまで行い、ユリコの学費を支払っていた。ユリコは母親の大変な状況を間近 で見ており、大学を中退する覚悟でいたが、大学 3 年生の時に在日フィリピン大使館奨学 金(Amb. Siazon Welfare Fund)の奨学生として選ばれ、無事に卒業した[JFCネットワー ク 2009b:8]。ユリコはその後、猛勉強の末、看護師国家試験をクリアすることができたと いう。 9 JFC の母親イルミナーダのケース イルミナーダは、1981 年にフィリピンで JFC の父親である日本人男性と知り合い、結婚 した。彼女はフィリピンにある語学学校の教師で、その日本人男性は生徒として通ってい たのだという。その後、イルミナーダは配偶者ビザを取得し、二人は日本で暮らし始めた。 彼女にはその日本人男性との間に娘が二人いるが、一人目を出産し、二人目を妊娠してい る時までは関係は良好であったという。 しかし、二女が生まれる前に関係は悪化し、子どもを連れてフィリピンに帰国した。帰国 してからは、親子三人で暮らしていた。現在は、長女は社会人となり、二女も大学生にな った。しかし、夫である日本人男性とはフィリピンに帰国してからは連絡を取っておらず、 養育費の援助も受けていない。イルミナーダは娘を育てるために借金をし、娘が独立した 現在も、筆者のような留学生にタガログ語を教える家庭教師として働いて、借金を返して いるのだという。彼女は娘達をマニラでも有名な大学に通わせていた。そのことについて 聞いてみると、フィリピンは学歴社会で、娘達の将来を考えると、無理をしてでも通わせ たかったのだと言っていた 10 。 国籍と養育費に関係するこどもの権利ついて述べたが、国籍や父親からの養育費が保障 されるかどうかによって、子どもたちの将来の選択肢の幅が大きく変わってくることが分 9 10 筆者によるインタビュー。2008 年 12 月 18 日。 筆者によるインタビュー。2009 年 1 月 5 日。 16 かる。フィリピンと日本の両方にルーツを持つ子どもたちがアイデンティティを確立する ためにも、子どもの権利という視点は JFC 問題に取り組む上で重要である。 第3章 NGO の取り組みと日本政府 第 3 章では、実際に JFC の支援活動をしている NGO として、JFC ネットワークについ て述べる。また、JFC の問題を人権問題としてとらえるうえで、日本政府に求められるこ とは何かを明らかにする。 第1節 JFC ネットワーク JFC ネットワークは、東京都から認証を受けた特定非営利活動法人である。フィリピン人 女性と日本人男性の間に生まれたが、日本人の父親に育児放棄されるなどのために、精神 的・経済的に苦しい生活を余儀なくされている子どもたちとその母親の人権を守る活動を する目的で設立された市民団体である。JFC ネットワークは東京都とフィリピン・マニラ 現地に事務所を設置している。日本とフィリピンの間で連携を取りながらも、それぞれの 事業を行っている。 東京事務所の事業 東京事務所では、法的・行政手続支援事業、生活教育支援事業、普及・啓発活動を行って いる。 法的・行政手続支援事業では、父親探し、JFC に対する法的・行政手続支援、象徴交渉へ の参加などを行っている。国籍に関する事業も行っており、2005 年の JFC ネットワークの 在比ケースのクライアント 9 名とその子どもたちによる提訴は、2008 年 6 月 4 日に国籍法 3 条が憲法 14 条(平等原則)に反するとした最高裁判所の違憲判決につながっている。こ の集団提訴は、出生後認知を受けた子の両親が婚姻したか否かによって子の日本国籍の取 得に差別をもうける国籍法 3 条が憲法 14 条に反するとして、2005 年 4 月 12 日に、日本国 籍の確認を求め、東京地裁訴えたものである。2006 年 3 月 29 日には国籍法 3 条が両親の 婚姻を要件としていることは憲法 14 条に反するとして原告全員の日本国籍を認める判決を 得た。しかし、2007 年 2 月 27 日、高等裁判所は一審判決を取り消し、請求を棄却した。 その後、最高裁判所に上告した原告らは、2008 年 6 月 4 日に違憲判決を得た。東京事務所 では、この違憲判決を受け、第 2 章で述べた国籍法改正に向けて自民党、民主党、公明党 との議員および法務省との協議を行った。 違憲判決に伴い、両親が婚姻をしてなくても父親から認知を受けているケースは国籍取得 が可能となるため、在日・在比でこれに該当するケースに関しては随時国籍取得届け出手 続きを行っている。 生活教育支援事業では、JFC 奨学金基金を設置している。これは、2000 年 10 月にテレ ビ番組で JFC の問題が取り上げた際に、取材をうけたある JFC の子どもの学費を援助した いという問い合わせが殺到したことを契機に、JFC の子どもたちの教育支援のために開設 17 されたものである。奨学生はフィリピン・マニラ現地事務所であるマリガヤハウスで選考 され、高校卒業までの教育資金の支援を受ける。2008 年度は、大学生を対象にシアソン大 使夫人福祉基金(Welfare Fund of Mrs. Siazon)およびソロプチミスト旭川からの奨学金の 支援も受けている。 普及・啓発事業では、会員および寄付者向けにニュースレター「MALIGAYA」を発行・ 発送している。また、フィリピンでのスタディーツアーも実施している[JFC ネットワー ク 2009c:4-8]。 フィリピン・マニラ現地事務所の事業 フィリピン・マニラ現地事務所、マリガヤハウス 11 は 1998 年 1 月 17 日に設立された。 JFCネットワークが扱うケースの約 7 割を占める在比ケースを受け付けている。マリガヤ ハウスでは母子から直接相談を受け、母子への精神的・法律的なカウンセリングや、日本 語教室なども行う。 心理・社会的介入プログラム(Psycho-social Intervention Program :Psi) マリガヤハウスでは、ケースマネジメントとして、電話での対応のほか、毎月一回の新 規登録、進行中、解決のケースに関してもケース進捗の報告や、送金される養育費の管理 を行っている。新規ケース受け入れの際には、グループオリエンテーションを行い、団体 の紹介や、クライアントの心構え、団体の能力の限界などについての説明をする。オリエ ンテーション後、各ケースの家庭訪問を通じて子どもや家族の状況を調査している。また、 クライアントへの聞き取りや進捗の報告と平行して電話または面会でのカウンセリングを 行っている。カウンセリングはクライアントの現状への理解や需要を促すうえで重要であ り、精神面での安定のために不可欠なものであるという。 トレーニング・教育プログラム( Training & Education Program :TEP) トレーニング・教育プログラムでは、JFCとその保護者(母親など)向けのプログラムと してワークショップや日本語教室などを実施し、個人や団体の訪問者やボランティアに対 し、JFC問題やマリガヤハウスの活動についてオリエンテーションを通じて啓発を行ってい る。また、JFCネットワーク奨学金制度、シアソン大使 12 婦人奨学金制度、ソロプチミスト 奨学金制度に参加しているJFCに対し、毎月 1 回のJFC奨学生と保護者とのミーティングや、 奨学生たちの担任教師とも定期的に話し合いの場を持ち、学校生活などを把握し、必要な 対応をしている。また、奨学生以外でも、学費や文具、制服などの費用が出せないために 通学が困難なJFCに対し、進路・進学支援も行っている。 11 12 マリガヤとは、タガログ語で「幸せ」の意味。 ドミンゴ・シアゾン駐日フィリピン大使[外務省 HP 18 2010/1/6]。 アドボカシー・ネットワーク・プログラム( Advocacy & Networking Program :Ad Net) アドボカシー・ネットワーク・プログラムでは、ケースに対して女性移住労働帰国者や その子どもたちなどを支援するBATIS CENTER FOR WOMENやKanlungan Center、女 性の法的支援を行う WOMENLEADなどの他のNGOと協力、相談を行い、ケース対応の ための環境づくりを行っている。また、在比日本大使館との協議を行ったり、2008 年 6 月 4 日 の JFC 国 籍 訴 訟 最 高 裁 判 所 判 決 に 伴 い 、 BATIS CENTER FOR WOMEN と DEVELOPMENT ACTION FOR WOMEN NETWORK (DAWN) 13 との共同声明を発表し ている[JFCネットワーク 2009c:9-11]。 JFC ネットワークの事業は、日本国籍を求める集団提訴など、JFC の人権問題解決に大 きな影響を与えていると考える。また、2009 年 3 月の受け入れオリエンテーションを見学 した際に観察したが、現地事務所・マリガヤハウスでの個別ケースへの対応は非常にきめ 細かく行われていた。ケースは傾向こそあるものの、クライアントがそれぞれの歩んでき た過去は一人一人異なるものである。膨大なケースに対して、クライアントが生まれてか ら、家族関係、JFC の父親である日本人男性といつ、どこで出会ったか、婚姻関係はあっ たか、子どもである JFC はいつ生まれたかなど、クライアント 1 人に対して 1~2 時間か けてインタビューを行っていた。そして、家庭訪問を行い、生活状況を把握する。この調 査の中で、クライアント、JFC とマリガヤハウスのソーシャルワーカーの間に信頼関係が できているように思えた。また、JFC ネットワークという共通点をもったことで、母親同 士でお互いに助け合っている様子もうかがえた。 JFC ネットワークは、父親探しや弁護団など、ボランティアや弁護士の協力によってケ ースを解決へ導いている。しかし、収入源である会費や寄付収入が減っており、事務所の 維持がかなり困難になってきたという[JFC ネットワーク:8]。 第2節 日本政府に求められること 日本の出入国管理 国際化にともない、外国人に関連する婚姻・離婚・扶養・認知・相続・国籍などについ て、対応するための国際家族法の見直しが検討されるようになってきた。しかし、他方で、 外国人犯罪の急増という「負」の側面を強調するあまり、外国人の法的処遇をより限定的 にとどめておこうという考え方もある。[城 1999:74]平成 20 年中に出入国管理及び難民 認定法違反により退去強制手続きを執った外国人は、3 万 9382 人とされ、犯罪者として逮 捕される外国人も少なくない。また、婚姻届の身で結婚の成立を認めるという制度を悪用 し、日本への入国や長期の就労を目的に日本人男性との偽造結婚をはかったという報道に Development Action For Women Network は、1996 年に設立された NGO である。日 本に移住した女性と、その子どもである JFC の権利を守ることを目的に活動している [DAWN HP 2010/1/6]。 13 19 接することもまれではない。この現実に対し、「不正の防波堤」たらんとする日本政府が、 出入国管理行政を強化したり、国籍付与要件を厳格なままにしておこうとする一連の「行 政上の必要性」にも理由がないわけではない[城 1999:74]。しかし、このような姿勢を崩 さないだけでは、外国人や JFC の人権抑圧の危険性がある。 人権問題としての JFC 問題 民族や国籍を異にする両親の間に子どもが誕生すること自体は珍しいことではない。し かし、JFC の場合、ここ 20 年前後という比較的短期間の間に 1 万人~2 万人が出生したと 推定されるように、その数が他の国際児とは桁違いに多数であるという特異点がある。ま た、JFC といっても、その大部分が日本人の父親とフィリピン人の母親との間に誕生して おり、置かれている立場は様々とはいえ、日本人の父親が子どもの認知を渋ったり、養育 責任を放棄しているケースが問題の核心を占めている。JFC の窮状に効果的な支援の手を 差し伸べることは、子どもが日々生活し、成長していることを考えるときわめて緊急性が ある。生存権の保障や、人格形成への影響という点で家庭環境や十分な教育機会は、いず れの年齢においても奪われてはならない。したがって、JFC 問題は急を要する人権問題で あり、当事者間の自主的な解決が困難な場合が大多数であることを考慮すると、法的およ び行政的な措置により、人権が保障されなければならない。[城 1999:58-59] 第 2 章において、JFC が直面している問題として、国籍と父親の養育責任放棄について述 べたが、子どもの権利条約では、第四条において、締約国の実施義務を謳っている。 第4条 【締約国の実施義務】 締約国は、この条約において認められる権利の実現のため、すべての適当な立法措置、 行政措置、その他の措置を講ずる。締約国は、経済的、社会的及び文化的権利におい ては、自国における利用可能な手段の最大限の範囲内で、また、必要な場合には国際 協力の枠内で、これらの措置を講ずる[大沼 2007:307]。 締約国として、日本政府の実施義務として、例えば、養育責任の問題については、JFC や その母親が、父親に子どもの養育の責任と義務を果たすために、父親の所在を確認し、認 知の訴えをおこなうのは当然の権利であり、日比両国政府は、このような母子の法的援助・ 助言の申請や翻訳の提供にあたって必要な国際協力を行うべきである[子どもの権利セン ター 1998:124]。 国籍の問題についても、日本国内で父親に養育放棄され、日本国籍がなく、在留資格も ないたくさんの JFC が生活していると考えられているが、これらの JFC の生存権を守るた めには、日本政府が JFC の問題を人権問題としてとらえ、対処していく必要がある。 また、国際結婚に起因する国際児母子の不利益を回避するためにも、日本政府に求められ 20 ることがある。そのうちの一つとして、結婚や戸籍登載などに関する知識を広めることが あげられる。フィリピン方式の結婚自体は日本でも有効であり、出生により父親との関係 は確定され、父親の日本国籍を取得する資格がある。しかし、日本の戸籍法上の届け出を しないままにフィリピンで国際児が出生し、3 か月が経過すると日本国籍は取得できなくな る。日本国籍がないことが子どもたちの権利に大きく関係することは第 2 章で述べたが、 現地の日本大使館がフィリピンでの結婚に必要となる日本人男性の「婚姻要件具備証明書」 を発給する際に、日本人男性とフィリピン人女性の双方に日本の戸籍登録などの仕組みを 周知徹底させるなど、「法識字」を高める手段がもっと講じられることが要請される[城 1999:62-63]。 終わりに これまで、JFC の両親である日本人男性とフィリピン女性の日比国際結婚から、JFC の 権利に関する問題、NGO の取り組みや政府に求められることについて述べてきた。JFC 問 題背景には個人だけではなく、海外移住労働者を生み出す南北問題なども関係している。 そのなかで生まれた JFC は、父親からの認知や養育費を受けられないなどの問題を抱えて いる。それらの問題は子どもの権利と大きく関係しており、子どもが日々成長しているこ とから、早急に取り組まれ、解決されるべきである。JFC 問題については NGO が法律面 や、奨学金の設立などで支援をしたり、政府も JFC の日本国籍取得へむけて法律改正を行 うなどの動きがみられるが、何万人ともいわれる JFC が日々成長するなかで彼らの権利保 障には市民の理解や、政府の子どもの権利条約の締約国としての積極的な取り組みが必要 である。 マリガヤハウスのスタッフが受け入れのためのオリエンテーションで話していたことが ある。それは、何が子どもたちにとってベストか、よく考えてほしいということである。 例えば、日本国籍を取得し、日本で働くことが一番良いことかどうか。エンターテイナー として、日本で働いたことのある母親たちは日本で働くこと、生活することの厳しさや辛 さを経験しており、そのうえで、よく考えてほしいというものだった。 実際に、JFC へのインタビューでも、「もし、日本国籍を取得出来たら日本で働きたい か?」という質問に対して「もちろん、先進国である日本で働きたいと思っている」と答 えた子もいれば、 「私が日本に行くと、母親がフィリピンで一人になってしまう。それなら、 フィリピンで母親と一緒に生活するほうがいい」と答えた子もいた。子どもにとって、日 本とフィリピン、どちらで生活することが幸せか、父親と一緒に暮らすことが幸せか、な どは行政や NGO などに判断されたり、決められたりするべきことではない。子どもの将来 の選択肢を広げる上で、子どもの意見の尊重と、それに対する市民の理解が、JFC 問題解 決には重要であると考える。 21 参考文献 今西富幸(1996)『国際婚外子と子どもの人権 城 フロリダ、ダイスケ母子の軌跡』明石書店 忠彰 (1999) 『はざまに生きる子どもたち-日比混国際児問題の解決に向けて―』法律 文化社 JFC ネットワーク(2009a)『MALIGAYA 58 号』JFC ネットワーク (2009b)『MALIGAYA 59 号』JFC ネットワーク (2009c)『特定非営利活動法人 JFC ネットワーク 2008 年度活動報告書』 JFC ネットワーク 国際子どもの権利センター(1998)『日比国際児の人権と日本 未来は変えられる(AKASHI 人権ブックス)』明石書店 大沼 保昭 (2007) 『国際条約集』 有斐閣 佐竹眞明・メアリー・アンジェリン ダアノイ(2006) 『フィリピン-日本国際結婚――移住 と多文化共生』 めこん Satake, Masaakli (2008) ‘At the core of Filipina-Japanese intercultural marriages: Family, gender, love and cross-cultural understanding’ Lydia N. Yu Lose (ed.)The past, love, and much more Quezon City, Philippines, Ateneo de Manila University Press, pp111-137 柴田義助 (1997)「最上地域―国際結婚の進展による農村社会の国際化」駒井洋・渡戸一郎 編『自治体の外国人政策―内なる国際化への取り組み』明石書店、369-389 頁 参考 HP 外務省HP(2010.1.6) http://www.mofa.go.jp/mofaj/index.html 厚生労働省HP(2010.1.6) http://www.mhlw.go.jp/ 入国管理局HP (2009.12.26) http://www.immi-moj.go.jp/ 法務省民事局 (2009.12.26) http://www.moj.go.jp/MINJI/minji15.html#shiryo ユニセフHP (2009.10.30)http://www.unicef.or.jp/about_unicef/about_rig.html Batis center for women HP (2010.1.6) http://www.geocities.jp/batis2009/ DAWN HP (2010.1.6) http://www.dawnphil.org/index.htm JFCネットワークHP (2009.10.23) http://www.jfcnet.org/ POEA HP (2009.10.23) http://www.poea.gov.ph/ 22