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詩から音楽へ ーヴェルレーヌの `「ひそやかに」 をめぐって
詩から音楽へ 一 ヴェルレーヌの「ひそやかに」をめぐって 一 佐藤 東洋 麿 ,、 横山 正子,, Deux[eodies‥e.ebussy sur un po も de me rna 却ne Ⅰ化ヨ ・ Toyomaro@SATo , Masako@YoKoYAMA [ 本稿は上記テーマについて を 佐藤東洋 1 磨が、 Ⅱ 両者で検討を 重ねたあ と、 1 く 一つの 詩ノ く 二つの歌曲 ノを 横山正子が担当した。 ] 一つの 詩 1. その詩集の題名を 見ただけで、 あ る画家を思 い おこし、 詩の一篇を目にしただけで、 ある昔 柴家のメロディーが 脳裡にひびきはじめる。 わたしたちにこうした 楽しみを与えてくれる 詩人の ひとりがポール・ヴェルレーヌ と 処女詩集『土星びとの の題名は『 雅 なる 宴 』 歌』 (PaulVerlaine,1844-1896) であ ると言えよう。 22 歳ではやばや (Po messatumiens) を出した彼の 第 2 詩集は 3 年後であ るが、 そ さ (F 億 esgalantes,1869)だ。 雅 という訳語をあ てた形容詞ギャラン galantに ついて、 たとえばリトレ・フランス 語辞典は豊富な 例文とともに 3 頁にわたる 179 行の記述をす るのだが " 、 とりあ えず二点に要約しておこう。 (1) 女性にたいして 熱心で、 態度物腰、 言葉遣 い、 服装で彼女らに 気に入るよう 努力する、 (2) 優美、 洗練、 気品口をそなえた… を意識すれば、 ヴェルレーヌの 第 2 詩集を『艶めくうたげ エ ルレーヌ詩集Ⅲの 意図も明らかであ る。 『 団 とした橋本一明記 広 辞苑』の「みやび このうち (角川文庫、 ( 雅 ) 」の項には、 (1) 『 ヴ 「優美で上品 なこと」「洗練された 感覚をもち、 恋愛の情趣や 人情などによく 通じていること」の 二点がふく まれているから " ギャランと雅を 重ねてもよいだ る 優雅な、 あ るいは優雅の 仮面をどこまでもぬぐまいとする 男女の恋愛の、 あ るいはその戯れの 情景を、 さまざまな技巧と 感覚で描くこの 詩集は 、 むろん絵画で 言えばアントワーヌ・ ヴ フット 一 (血ntoineWa はeau,1684-1721) のタブロ一であ る。 1893 年 3 月 1 日、 ベルギ一での 講演会でヴ ェルレーヌが 自作を語るくだりを 聞いてみよう。 「私は 1867 年に『土星びとの 歌Ⅰでデビュー し たのですが (… ) 、 当時からそれらの 詩はあ る種のメランコリーへの 傾斜を示していました。 官 能的であ ったり夢見るように 神秘的であ ったりするメランコリ 一です。 およそ 2 年後、 小さな 書 物の詩は、 イタリア喜劇とか ヴア ット一ふうの 夢幻劇の登場人物のコスチュームをまとって、 ぶん前作よりも 心地よく、 そうした傾向をはっきりと 確認させました。 (… ) それが『 雅 なる た 宴凹 でした。」, " 横浜国立大学教育人間科学部メディア ㎞entof ぬ千㎝ dI ㎡。皿㎞on) 研究講座 (Dep 旺 " 横浜国立大学大学院教育学研究科音楽専攻 (Graduate臣 hoolofEduca60n,D ㎡ sionofMusic) 78 佐藤 東洋 麿 正子 ・横山 この年ヴェルレーヌは 49 歳だが死の影はひたひたとまじかに から、 若年からの泥酔、 酒乱、 女色、 男色、 あ りとあ 左脚の関節水腫さらに 両脚の梅毒性潰瘍は 完治せず、 迫っている。 40 歳をこえたころ らゆる乱行を 経た詩人の肉体は 無惨であ 貧窮のはての 自殺未遂 (1887年 ) る。 のあ と も火退院のくりかえし、 すべては絶望へと 向かっている。 そうしたなかでこの 1893 年は、 ヴェ ルレーヌが文人として 多くの講演をはたし 出版も実現した 最後の輝きだった。 2 月末から 3 月は じめにかけてなされた べルギ 一における連続講演のスケジュールをふりかえってもよい。 2 月 26 日 、 シャルルロワ 劇場で「皆様がた、 私に時についてなにか 述べよとのことでございますが (… ) 詩人にとりましては 詩句を作るほうが 詩句について 語るより容易なのです」。 。 2 ブリ 月 27 日、 ュッ セルに移って 同じ主題で話し、 3 月Ⅰ目前記のアンヴェール 講演で自作を 語り、 3 月 4 日リエ ージュ、 3 月 6 日ふたたびブリュッセル、 3 月 7 日と 10 日はガンで、 計 7 回の講演をはたしている。 ブリュッセルでは 600 フランの謝金を 受け取りそれを 同棲中の娼婦 ウ一 ジェ クランツに 送 っているが田、 これはヴェルレーヌにとって 、 日々の糧のために 大きな救いになっただろう。 にしろ 1886 年にヴェルレーヌの 母親が死亡したとき、 母が残した金銭のうちから 2 な 万フランの 借 金を支払うと 残額は 8 ㎝フラン、 これがヴェルレーヌの 全財産だったというのだから。 ベルギ一の講演会場で 語る自作の『 雅 なる 宴 』の刊行は四半世紀の 昔だった。 その第 2 詩集の あ とて チルド・ モテと 出会い、 翌年には第 (1870)、 8 月 3 詩集『よい 歌 11 日にはクリニャンンクールのノートルダム うとまではいかなかったろうが、 』 LaBonneChanson も刷り上がって 教会で マ チルドとの結婚式。 ロココ ふ トゥルネル河岸に 面したカルディナル・ルモワーヌ 通り 2 番地 の新居は、 26 歳の詩人と 17 歳の少女を十分に 満足させ、 多くの芸術家仲間を 招くことができた。 ヴェルレーヌ 自身、 死の前年に刊行された『告白銀』の 第2部 15 章の冒頭で「よい 歌 」のころを こう回想、 している。 結婚初夜だって ? 一 それはもう、 私が期待していたすべて、 あ えて言うがわたしたち、 彼女とわたしが 期待していたすべてだった。 なぜならあ の神聖な時間には、 わたしのほうの 十分な繊細さ、 彼女のほうの 十分な差配 心 があ ったし、 二人には本当の、 熱烈な情熱があ っ たから、 あ れ、 あ の夜は、 わたしの生涯で 比類のない夜だし、 請け合ってもいいが、 彼女の 生涯、 彼女の全生涯でも 比類のない夜だった ぞ 。 ! " 過去はしばしば 美化される。 まして『告白銀』 Co ㎡essions, 1895 を書いていた 当時のヴェル レ 一ヌを 考えれば、 十年間も苦しんで い る脚の潰瘍はますます 悪化、 何度目かの退院をしても 転が りこむ先は三回捨てられてようやく 又よ りを戻せた街の 女性 ウ一 ジェニー・クラン ッ のアパルト マン、 一方で「詩人たちのプリンス」 P ⅡncedesPo 億 es に選ばれるような 栄光 (1994年 8 あ りながら、 他方で、 文部省からの 助成金 500 フランとか作家モーリス・バレスらが 月) 発案した が ヴ エ ルレーヌの生活援助 15 人委員会からもらう 月額 150 フランのお金にもかかわらず、 恒常的な貧 窮があ るの。 こうした状況で 思いおこされる 若年のよき時代は、 いっそう美化されるだろう。 だ がその時代さえ、 彼には至福だけがあ ったのか。 それどころか。 プレヤード 版 ヴェルレーヌ 散文 全集で 107 頁およそ 4500 行にわたって 綴られた上記『告白 銀 Ⅰを見ても、 同時代の証言者の 記録 を 読んでも、 彼の生を占めるのはむしろ 不安や苦悩や それらであ ったが。 苦痛が圧倒的だった。 むろん彼に値いした 詩から音楽へ 79 2. 1870 年前後のフランスは 、 揺れているというよりも、 激震による亀裂がいたるところに 広が り流血が日常にやすやすとは い り込む歴史の 坤 禍 だ。 そういえば 18 世紀末からこのかた、 宮廷 流の優雅を追うみやびやかな 人々と報われない 長時間の過酷な 労働をとおして 体制の変革を 願う 人々は、 いくたび戦ったことだろう。 りかえされたろ う どちらかの勝利のあ とに来る幻滅とあ と戻りがいくたびく 。 王政ないし帝政による 安定こそ望ましいのか 共和主義による 議会政治がいい のか、 危機はあ きずに襲いかかる。 大革命ののち 1792 年に樹立された 第 1 共和制は ポレオン・ボナパルトのクーデタ 一で消えた。 彼が 1814 年に失脚するとブルボン なり、 社会の疲弊が 重なって 1848 年の す 人々は 2 2 7 王朝の復活と 月革命が共和派の 勝利に終わると、 共和主義に未来を 託 年たらずの短い 夢を見た。 しかし 1851 年にルイ・ナポレオンのクーデターが から、 とにかくもおよそ 20 年間は第 2 年たっと ナ 成功して 帝政時代が実現していた。 ヴェルレーヌが 生きた 20 代の日々は、 帝政の断末魔 " だ。 1870 年 7 月 19 日の対プロシャ 宣戦 布告からあ っとい うま のアルザス 、 ロレーヌ、 セダンの敗北、 ナポレオン姉世は 10 万人の兵士 とともに降伏し、 フランスの帝政は 滅亡する。 パリではただちに 共和派の政権 が成立し国防 軍 が 誕生する。 こうしたフランス 近代史の点描のなかで、 共和国に狂喜するヴェルレーヌとか、 つづ いて 渦 まくパリ・コミュー ズ の市街戦における 詩人のパニック 状況とかが透けて 見える。 1871 年 1 月、 パリを包囲したプロシヤ 軍を前に政府は 休戦条約を結ぶが 共和過激派は 武装解除を拒否、 5 月にはヴェルサイユからの 政府軍がパリに 突入しコミューズ 派と激突、 いわゆる「血の 週間」 が 展開したのだった。 5 月 25 日のゴンクールの『日記』を 覗いてみよう。 「一日中大砲と 機関銃 の回転音。 わたしは今日の 日中、 オトゥイ ユ の 廃 嘘を歩き回って 過ごした。 そこは、 まるで竜巻 がそうしたような 略奪と破壊の 跡だ。 ( … ) わたしが眺めているあ いだにも火がぶり 返して オ ゥイ ユ の一軒の家を 焼いていたが、 だれもそれを 消そうとはしないのだ」 ト " 。 コミューズ派が 決 定 的に鎮圧されると、 残党にたいする 苛烈な弾圧が 始まる。 友人たちとともにコミューズ 派だっ た ヴェルレーヌの 恐怖はおさまるところがない。 嵐は外からも 内からも吹きすさぶ。 ランボーからの 手紙が数 ェルレーヌにとって 真の激浪が押し 寄せることになるのだが、 実は前記『告白 銀 』は、 あ 篇 の 詩 といっしょに 舞い込み、 ヴ それはこの年 1871 年の秋になる。 れだけの 打 数を費やしながらこんなふうに わたしの家庭は、 どうにかこうにかうまくいった… 終わるのであ る。 「そして 1871 年の 10 月ごろアルテュール・ランボー が パリに到着するまでは。 そのランボ一にたいして 私の妻はすぐ 完全に不当な 嫉妬を抱いたのだ った」 " 。 完全に不当な ? これはその後の 人生を見れば 明らかに不当ではなく、 自伝でこ う 述べ て 自己正当化するヴェルレーヌのほうが マ チルドには不当と 言えるだろう。 10 歳年少の少年詩 人との乱行は 誰の日にも常軌を 逸していたし、 二人の「醜聞」は 伝説化してあ 記 , 漬 される。 内容の真偽はとにかく、 後年になってゴンクールなら とあ とまで人々に 伝聞としてこう 書き留める。 「今日、 ロリナ がランボ一のことを 話していた。 あ のヴェルレーヌの 愛人で、 嫌悪と不潔で 名声 を 博した 男 。 彼はキャフェに 着くとテーブルの 大理石を枕に 寝そべって大声で 叫ぶのだとい う、 く 俺は殺される、 俺は死んだよ、 X のやつ一晩中俺のオカマを 掘って…俺はもうこれから 分の糞を我慢できなくなるよ ノ 」 自 ,,・。 3. 詩集『 雅 なる 宴 』のころ、 やってくるさまざまな 修羅場はまだはっきりと 見えていない。 1868 年から翌年にかけて、 ヴェルレーヌはたとえばニーナ・ ド ・ヴィラール 夫人の夜会の 常連 客であ り、 そこで多くの 詩人、 画家、 音楽家と知りあ う。 「セレナード 奏でる男たち / 美しく耳順 80 佐藤 東洋 麿 ・横山 正子 ける女たち / さやと鳴る小枝の 下で / 包 めせた言葉をかわす」②の 世界であ る。 この詩の題は「マ ンドリン」であ るが、 同じ詩集から、 マンドリンの 忍び音もなにも 聞こえてこない「ひそやかに」 と 題する作品をとりあ ビュッ げてみよう。 これは本稿のⅡで 詳述されるとおり、 作曲家のクロード・ド シ一 (Ach ℡ eoaudeDebussy,1862-1918) が一度の作曲にあ きたらず再度歌曲を 練りなお した詩であ るから、 邦訳には『ドビュッ シ一 歌曲集 2J (古沢淑子偏、 全音楽譜出版社、 1993 年、 140 頁 ) から小松情調をつけておく。 4 行 詩 曲が 5 節、 20 行のこの詩の 節まではなんということ 3 もな Ⅴ 70 EN@ SOURDINE Cd山 esdmsledemI ひそやかに Ⅱ jour 高き梢の下かげの QueIesbrmcheshautesfont, P 色 n さ位onsbienn0%e うすら明りにひそ めゐて ㎝Ⅱou われらの恋にこの 深き 丘 De@ce@silence@profond , しじまをそぞろひたさばや。 Fondons@nos ames,]os C ㏄ U 「 S 心と 魂と 生きの身の EtnoSsensex ねsi S, 夢見心地を溶かさばや 、 る Parmi@les@vagues@langueurs 松 のしげみと楊梅の Desp ㎞ setdes そこはかとなき 物憂さに。 Feme 肝bouslers. tesye Ⅸ ゑ demi, 半ばと ざ せ よ 君の眼を Croise》es|ras《ur》on《ein, 胸 にあ はせ Et@de@ton@coeur@endormi た の けき君の心より Chasse 追へ ゑ j8 皿㎡ stoutdesse 伍 よ 君の手を よ すべての企てを。 訳詩が セ 五調なのは、 単に,懐古趣味だけの理由だろうか。 そうではあ るまい。 原詩の音節 数 が 一貫して 7 であ ることをなんとか 移したかった 筈だ。 Cal-mes-dans-le-de-mi-jour・ 1 2 3 ヴェルレーヌが「なによりもまず 4 5 6 7 / 1 2 ・ 3@ 4 5 tes font ・ 6 ・ 7 音楽を、 それには奇数音節を 好みたまえ」と「詩法」で 記した ことは改めて 触れない 13)。 ただ、 ヴ エ ルレーヌは、 フランスの伝統的な m2 音節 ラン ) ( アレクサンド などの偶数音節より、 奇数のほうが「より 漠然としていて、 より空気に溶けるような」韻 律を作り出せるから、 そう言うわけであ る。 どこか落ち着かない 感覚、 浮遊する感覚を 求めたと すれば、 日本人にとっての セ 五調の効果とほとんど 逆になるだろう。 それにしても 原意を極力 そ こなわずに セ 五調でとおす 技はみごとであ る。 詩の内容としては、 薄暗がりが恋人たちにぴったりという なかで快楽のひととき、 あ 当たり前の場面設定、 静寂の るいはそれにつづく 虚脱状態への 一種の祈り、 すべてが沈黙や 不動の 状態に溶けていく 情景、 平明な語法とともにヴェルレーヌの 得意技が発揮される。 なんの変哲もない 恋歌にしか映らないのだが、 次の詩 節 、 ここまでは、 詩から音楽へ 81 Laissons-nous@persuader Ausou Ⅲ ebe Ceu etdo Ⅸ , 芝生の波を吹きよせて Qui@Vent@a@tes@pids@rider やさしくゆするそよ 風に ㎏ SOndesdeg 心まかせてあ りなばや。 「 にくると一点だけ だろう。 roux み 足の下に褐色の 「 ㌶ On 「O Ⅸ 気にかかる。 愛し合う二人の 場面でなぜ芝生は「褐色」でなくてはならないの ( 赤毛の、 茶褐色の (roux の女性 形 ) といえば赤い 月 ) という形容詞は、 ときには不吉な 色となる。 Lalunerousse 、 赤枯れの 月 、 農民の伝承では 作物が赤褐色に 枯れる予兆とい うことになる。 あ をよせにやって 来る」となろうが、 雛をよせる、 の文言もまた 愉悦の愛の歌にはそぐわない。 微 との 2 行を直訳すれば「 ( そ ょ風は ) きみの しの所で赤茶けた 芝生の波の雛 め 妙に違和感を 覚えさせるこうした 言い回しの理由は、 最終節を読む 者に明かされる。 つまり、 者の誰もが予測できないであ ろう 語 「絶望」 d る sespoirがさらりと出てくるのだ。 Et@quand,@solennC,@le@soi 黒き 樫 よりおごそかに Des@chenes@noi s@tombera, タベ 下り来る 頃 はひ は 、 S 芭 SPOl 「, 君とわれとの 絶望の VO Ⅸ den0%ed る ⅨⅡ OSSlgnolCh ㎝Ⅰ 声 te 丘 a この箇所を直訳すると「そして、 4 う た ふ べしうぐいすも。 荘厳に 、 夜が / 黒々とした樫の 木々から下りてくるであ とき、 / わたしたちの 絶望の声かと 思われる / 夜鳴き鸞が歌 は、 う ろう だろう」。 3 行日の無冠詞の 声 VoiX 行日の鴬が歌うであ ろうその声と 同格におかれているのであ 目的ではあ -七 一 百九 って 、 歌うという動詞の 直接 るまい。 いずれにしても 甘美な達引きは 一転してなぜか「絶望」の 響きで幕を引く。 そうならば前節の「赤茶けた」色もこの 節の「黒い」樫もすべて 終結部を準備するさりげない 布 石だったことになるだろう。 それにこれは、 本当に男女の 光景を歌っていたのか、 わたしたちには 定かでなくなる。 で二人の心も 魂も官能も溶かし 第2 節 合わそう、 と言いながら、 最後は夜鳴き 鷺の声すら二人の 絶望の 声に聞こえるのであ る。 『ヴェルレーヌの 魔術』の著者が 言うよ う に " 、 「絶望はいつもそこにあ る潮流であ って、 それがときとして 突然おし寄せる」ことは 確かだ。 だがその絶望とは 詩人ひと りの内的風景、 つまりヴェルレーヌの 心の奥底に「 雅 なる 宴 」の日々からすでに 染みこんでいた 惧 悩の風景だったかもしれない。 読者の想像力を 最後にきていっそうふくらませるこの 詩を音楽にするとして、 まず原詩をどう 読みこむのか。 ドビュッシ ーは 二度の作曲でなにを 変容させたのか。 「 雅宴 の 王 」と言われた ヴ フット一の絵を 想起させたヴェルレーヌの 詩は、 今度は、 わたしたちにドビュッ シ 一の 精 敵な曲 想を伝えてくる。 82 佐藤 東洋 麿 ・ 横m 正子 二つの歌曲 Ⅱ ドビュッ シ一 (バンヴィル・ の 作曲活動は多くの 分野にわたっているが、 その最初の作品は、 歌曲「星の夜」 詩 ) であ った。 彼がまだパリ 音楽院でピアノを 学んでいた、 1876 年乃至 78 年の作 であ る。 その後 1884 年に「ローマ 大賞」を勝ち 得て音楽院を 終了するまでに、 彼は約 30 曲の歌 曲を書いている。 ヴェルレーヌの 詩が彼の心を 捉えたのは、 おそらくこの 間のことだったと 思わ れる。 1880 年当時彼は声楽 塾で 伴奏のアルバイトをしていたが、 そこで上流階級の 女性ヴァ ニ 工夫人と知り 合った。 さらにその夫で 裁判所の書記をつとめる ヴァ ニエ 氏 とも親しくなり、 知 ,性 豊かなこの夫妻の 家に入り浸っていた。 この交友と、 ヴァニ % 家の図書室の 豊富な蔵 書は 、 彼に 多くの文学作品 との 遊遁 をもたらしたと 信じられるのであ る。 ロ 「ローマ大賞」を 受賞しイタリアに 留学することになったドビュッ シ一 は 、 出発双に、 それま で 書きためた歌曲のうち 13 曲を浄書して、 彼の理解者であ り、 おそらくは愛慕の 対象であ った ヴァ ニェ夫人に贈った。 その 13 曲の前半を飾っているのは、 ヴェルレーヌの 詩集『 雅 なる 宴 Ⅰ からの 5 編の詩によるものであ る。 これらは 1881 年から 82 年に作られた 作品で、 ここで取り上 げようとしている『ひそやかに』は、 第 2 曲目におかれている。 さて、 ドビュッシ ーは 1891 年、 この同じ詩に 再び曲をつけている。 このときは『操り 人形 ] 胡の光』とともに『 雅 なる 宴 第一集』としてまとめた。 いずれもかつて ヴァ ニェ夫人に捧げ た曲集の中にも 収められた詩であ るが、 『操り人形』をのぞいては、 あ らためて作曲し 直してい る。 1880 年代はじめの、 「習作用 成期 , 6)」も終わりにさしかかり、 瑚 」にあ る若きドビュッシ ーと 、 1891 年ごろ、 もはや「自己 形 「確立 期 , 刀 」を迎えようとしている 間の彼の音楽的・ 芸術的変化のあ とを、 『ひそやかに』と 題する 2 30 歳のドビュッシー。 この つの歌曲を通してたどって み たい。 なお、 混乱を避けるためにここでは かに・ 1882 年の作を『ひそやかに・ 川 、 1891 年の作を『ひそや 刊 と呼ぶことにする。 つ羊圭お丈 ・ 崔子片多 双方ともゆっくりとした 4 分の 3 拍子で、 ピアニシモの 前奏から始まる。 しかし、 2 つの曲の 持つ性質の違いはすぐに 明らかになる。 まず気づくことは、 『ひそやかに・ B 』の音域が全体に 4% いことであ る。 といって 、 特に際だった 低音が出てくるわけではなく、 狭い音域の中を 揺れ 動 いている。 『ひそやかに ,団の第一聯をみると、一点 嬰ニ 昔の連続で静かに 始まり、 詩の第 2 行に当た る部分でなだらかな 動きを見せるが、 まもなく要ニ 昔に戻って落ち 譜例Ⅰ 着く (譜例 1)0 詩から音楽へ 83 この聯を通して 要姉晋 が 核となっており、 旋律はそこから 大きく離れていくことはない。 これ に対して『ひそやかに・ 川の方は 、 高 い嬰へ 昔からの 3 度の下降形で 始まる。 第一聯を通して、 この 3 度の跳躍が昔の 動きを形成している (譜例 2)0 譜例 2 第二勝 に 移ると、 『ひそやかに ,別においては跳躍が頻繁に 見られ、 早くも高い 嬰イ の音が フォルテで響く。 しかし『ひそやかに・ 団の方は、 多少の跳躍は 見られるものの、 一点 嬰トを 中心とする狭い 音域の中にとどまっている。 第三 職 以降の両作品の 旋律の構成は 興味深い。 『ひそやかに・ BJ の方は、 ピアノ・パートの 音形にあ おられるように 動きを見せるが、 やはり音域は 狭く、 常に p を保っている。 しかし『ひ そやかに・ AJ の方は、 高音に始まって、 下り、 また登る音形が 繰り返される。 そして、 第三 職 の 愛人に語りかける 言葉のうち「半ば 閉ざせよ君の 眼を 「 手 」といった具体的な 肉体の一部を 歌 う 歌詞は mn で、 胸にあ れせよ君の手を 圃」と、 「た の けき君の心より 企てを」と、 心 」に関する部分は 同じ音型を pp で歌うように 指示している Ⅰ "' 「 ゴ廿二 """円"均一 " 豊口宣三戸呂ニ韮 三拝呈Ⅰ・ -- " FB 一 E Ⅰ Ⅰ @-1 ⅡⅠ めⅠ Ⅰ サ 0 ⅡⅩも do- ton - - - .- Ⅰ㏄ U Ⅰ セ Ⅱ -do ⅠⅠ n@- Ⅰ 10 b す ⅠⅠ (o Ⅰ Ⅰ u l0 亘 Ⅰ Ⅰ - l@ll C ⅡⅠⅠⅠ Oa ⅠⅠ 一 譜例 3 - Ⅰ 一 目蛙 。",, 一" dⅠ @Ⅱ l@ ⅢⅠ @Ⅰ 。。 [OUt Ⅱ O Ⅰ - Ⅰ 0l Ⅱ 追へよすべての (譜例 「 0@ Ⅱ @ 「目引 3)0 佐藤 田 、 東洋 麿 正子 ・横山 川の第五勝において 再び現れ、 % 高を変化 させつつ同じ 音型で「 君 とわれとの絶望の 声うた ふ べし鷲も。」を二度繰り 返して曲を閉じる。 そしてなんと、 『ひそやかに・ B 』の方の同じ 歌詞にも、 突如としてこの 音形が現れるのであ る。 この高音から 下って登る音形は 『ひそやかに・ ただしこちらは 一度歌 う だけであ り、 シンプルな印象をもたらす ⅠⅠ厄神ⅠⅠ (譜例 4 几 @ Ⅰ @/l@Ⅰ @(l Ⅰ 弓三山車山車性 二三才三三店。一二Ⅱ!,1。三 ,モ戸、 " %rr,, Ⅰ ,。 , 一一一一 櫛旦珪 '珪引二 @@o@ Ⅰ= tom@ -@ bo@ イ -@ 佑 三 rn -""@@ =, 二二 p=-% '@ ㌔二 ・ J J /y 涯" 一" 囲' 壷。""" 詞華巨コ " - 伍 ノ 0l Ⅰ・ r。 8 - Ⅱ - %0l 10 - - Ⅰ Ⅱ 1l Ⅰ n Ⅰ jリ Ⅰ 極干時 譜例 4 ひとつの対象を 具象的に表現している 部分と抽象的・ 内面的に表現している 部分に同じ旋律を 用い、 ディナ ー)ク によって歌い 分ける手法や 、 結びの 1 行を繰り返すことによって 余韻を残す 効果は、 ロマン派の歌曲に 見られるものであ る。 『ひそやかに・ AJ を作曲した頃 のドビュッ 、ン 一は 、 まだその影響の 中にあ った。 一方『ひそやかに・ BJ では、 そういった手法は 用いられず、 表情を保っている。 音楽は一貫して 抑制されたシンプルな 物憂い陶酔とそのあ とに「夕暮れのよ うに」忍び寄る 、 静かな、 ほとんど倦怠、 に近い「絶望」、 そこから逃れようともしない 沈黙と不 動 。 ドビュッシ ーは 、 恋人たちの具体的感情の 動きではなく、 詩 全体が象徴的に 描く内的観念を、 音楽にしているのであ る。 2) フレーズの構成 『ひそやかに・ A 』の冒頭に立ち 戻ろう。 シンコペ一 -ンョン のリズムに始まるピアノ 前奏が 小節置かれ、 歌唱部分は詩の 各行に わかりやすい 構成であ てくるにつれ る (譜例 乱れはするが、 2 小節ずつ、 2 すなわち聯に 8 小節が割り当てられるという、 5) 。 この形は二 聯 、 三職 と 伴奏型が激しく 動き、 歌唱も高揚 各聯に 8 小節ずっが与えられることは る。 B 』の方を見ると、 様相は全く異なる。 変わらない。 し この作品には 偶 数を基本とする 楽節構造が働いているのであ しかし、 『ひそやかに・ ピアノ双奏はやはりシンコペ 一 ションに始まるが、 『ひそやかに・ 川の方が和音の 刻みであ るのに対し、 こちらはナイティ ド ⅠⅠ 85 詩から音楽へ 赳 ヒ l@@ 一 ---- 一-l三,ユ,= Ⅰ・ 俺 lⅠ nl - 一p三p目 l@lⅠⅠ 0n@l Ⅰ @0 -%""" -,一子 " ナゴ ㍉三月 nl Ⅰ 了 ユ 一 一一 一 一 一仁 " dモ - m@ - 0 ⅠⅠ 一 一 二 一 一 一 一" 一一 " " 一中司= ヵ三ヵ三三師姉坪 二目 " く Ⅰ " """ 4u0 lせ Ⅰ b イ nmⅡ - "" ⅠⅡⅠⅠ imu - lⅠⅠ Ⅰ 廿 Ⅱ 1. Ⅰ -一 仁や| C つ Ⅰ l - lⅠ rn -CO @7Ⅰ Q0- イ Ul Ⅱ・ l 譜例 5 ンゲールの歌を 表していると 思われる、 3 速符を含む愛らしいモティーフであ る。 DouXet eXpressif( 甘く、 表情豊かに ) の指示が与えられている。 このピアノ・パートは、 はじめの部分 持っており、 次からは 2 小節ごとの区切りが 3 回続く。 ここまでが、 詩の 第一聯にあ たる ( 譜例 6)。 次に 、 再び 4 小節のまとまりに 戻って詩の第二聯の 第 1 行、 第 2 行の 部分が弾かれ、 第 3 行、 第 4 行には 3 小節が与えられるが、 ここで へミオラ のようになり、 さら に最後の 1 小節を 4 分の 2 拍子としている。 音楽の流れはこの 小節の一拍目で 区切られ、 ここま でが時の第二 聯 にあ たる。 このピアノ,パート と歌 昌パートとの関係をみてみよう。 まず冒頭、 4 小節ひとまとまりのフレーズを 持っピアノ・パートを、 3 小節聴いただけで 歌がスタートする。 したがって 、 歌にとっての「ピアノ 前奏」は 3 小節であ る。 次に歌の旋律のフレーズをみると、 で4 小節のフレーズを Ⅰ 行日、 3 行 目と 4 行 目 にそれぞれ 3 小節ずつが与えられている。 第 割り当ては多少乱れるが、 結局この聯の 4 行に計 6 小節を与えている。 すなわ 詩の第一聯における 三職になるとこの 1 行田 と 2 86 佐藤 Ⅰ 繭 @77 @/'?- @)7@-X' L@ Ⅱ 一一歌唱のフレーズ | Ⅰ """""" - Ⅱ loU プ ミ 刃討圭 ;E; 一 """" J Ⅰ f l4l@(T ナⅠⅠⅠ 7%ⅠⅠⅠ ュげ "" " --" ---"" 一 l " 一 " 一一 " "" 一" " " 一" "" " " ". "" " "" "一 " f 一 一 " 一 "" 一 " 一 "" " "" " 一 "" 一 "" 一 "" " "" " "" "" "" "" """""""""" Ⅱ リⅠ 作 芦 一 東洋 麿 ・横山 正子 め L0 CⅠ Ⅰ @ 。 。'"'" - nro-lomi 1@ 垂二 " ;,,- ( き" 下二 Ⅰメヵ ・ " Ⅰ ヰ @ @@ア @ ⅠⅠ 士 Ⅰ l/ll@ ス Ⅰ 譜例 6 ち、 この作品において、 ピアノ・パートのフレーズは 偶数の小節数を 単位として進行するが、 歌 Ⅰ呂旋律は 3 小節という奇数を 単位としているのであ る。 ただし、 ピアノ・パートのあ り方は 、 偶 数を単位とするとは 言っても楽節構造とは 異なった,性質を 有する。 4 小節のフレーズであ った 2 小節一組が 3 回続いたり、 ヘミ オラ風の形を 作ったり、 自由にさまざまな 姿をみせているので あ る。 第三職 に 移ろう。 Enan ㎞ antunpeu ( 少し生き生きと ) の指示を得て、 ピアノ・パートは 連 航 する 3 通行 で 駈け上り、 また下って、 うねりを見せる。 この聯に費やされる 小節数は 第四職 で 伴奏のうねりは pp となる。 じ 高さのうちに いく 3 第 5 聯の音楽上の であ る。 通符の連用は 持続しているが、 上り下りはおさまり、 揺れ動いている。 聯の後半で少し ( 言きゆ w¥7)0 7 ク レシェン 始まりは、 UnpeuplusIent の指示のあ ド されるものの、 同 まもなく静まって | ⅠⅠ る小節のピアノ・ パ一 ト であ る。 低音 詩から音楽へ (第 2 聯) 87 - Fon /- , , 『 一一 " l r Ⅰ 二 健生 自[ -ales, 6 lⅠⅠ いれⅠ -l Ⅱ l8 告 Ⅰ l@ ⅡⅠ l l, , ,; vfn- ⅡⅡ 0%ln 0 Ⅱ lⅠ ㍉生口三 圭 どな 旭肱 ⅡⅡⅡ l) ⅠⅠ 力 lⅡⅡⅠ @l守 Ⅰ [,I n Ⅰ -l Ⅱ lll- 席 lⅠ l席 力目ロ 止カ カリ・ニ姉姉 ltf , ! 二 」 @,_n ・ 一 '"" (第 3 " 葦戸垣1%巨巧三度屋 ヰ屋皇睦巨 F ⅠⅠ -fll Ⅰ @Ⅰ 黛 yモ Uお Uc Ⅰ - @@Ⅱ・ Ⅰ ダ 0@ - lⅠ a ⅠⅠ @ ⅠⅠれⅠ Ⅰ 旺一ニ デ宰睦 一 一目白 一 bⅠ 皿Ⅰ ヰ uⅠ ' toIt. ⅠⅠ @l. m@@ ゴ 1..., : ョ Ⅰ 蜂@1 庁 聯) HI ilo Ion ; cifur ⅠⅡ - 廿 uア - "' Ⅰ 譜例 7 に 3 速符の動きをかすかに 残しつつ、 高音は再びナイティンゲールの 歌に戻る。 ここにおいて、 3 速符の残されている 小節の数は を 3 であ る。 歌 Ⅰ昌の方はピアノに 1 小節遅れて出発し、 最初の 2 行 3 小節で歌 う 。 終結部分、 ㎏ nt の指定のあ る小節には い ると、 『ひそやかに・ A 』に用いられ たと同じ旋律が 出現する。 その旋律は 、 詩の 3 、 4 行日を Do Ⅸ etexpress Ⅱで歌う。 そして、 この 曲の第一聯を 支配していた 嬰 二の音に柔らかく 着地する。 残されたピアノ・パートは、 ンゲールの嘆きを 2 度繰り返し、 5 小節の後奏を 奏でて閉じる。 ナイティ 00 QQ 佐藤 石 ⅠⅡ 曄嬰室曄 Ⅰ 正子 東洋 麿 ・横山 三 目睦亜弓喧拝固一一二 一, 二一 6 -llll C@ れ 4% Ⅰ ) jれ -lll l A ヰ @名 @0li@ Ⅰ Ⅰ @ Ⅰ 。 -= 汗F二 ,"F三;. /皇上, ・ Ⅰ 0lll 回 "四,よ吾- 坦,卸% ま四姉百』 pp 而 || (第 4 勝) . 盗塁Ⅰ幸弘 =;力三か三ヵ三ヵ -王臣姉切 - I@ll Ⅰ Ⅰ 0 Ⅱ『 - Ⅰ 011 Ⅰ -Ⅱ0 Ⅱ 0 ⅠⅠ l把Ⅰ - Ⅱ 0 Ⅰ --C 俺 ⅠⅠ 0Ⅱ - - 」 月 Ⅰ Ⅰ Ⅱ OU Ⅹ 心く 一 ⅡⅠ ブ くⅠ lll v@oll[ 0 l0 Ⅰ 五 A Ⅱ l@lC4% Ⅰ l - , ";。目 。幸弓呈"『'", 。pデ' 弓話戸主許宙 鰐 " 。 """" 。 " 。一 ⅠⅠⅠ 「"「 - れ 0Ⅰ 14 0n Ⅰ -Il ⅠⅠ ⅡⅠ 官 Ⅰ ⅠⅠⅠⅠⅠ lj れ - 0Ⅱ 田 Ⅰ @@ ⅠⅡ l@lⅡ 持 lel t Ⅰ 0ⅡⅩ. 錘蛆虫,山ョ 壷軸輔辛 ( Ⅰ 百 - 与 、臆 """" ----- Ⅱ -三三ニ 二 甘う 班三 - 一 。 " 理由 産輯勢㌍ ヰ" 嚢姜 ま フ ・Ⅱ レ 月 ・ ' 「 譜例 7 二つの作品の 歌唱 と ピアノ・パートのフレーズ 構成を見てきたが、 『ひそやかに・ Aj はまだ 拍節リズム、 楽節構造の枠の 中にあ り、 伴奏の形も単純であ る。 それに比べて『ひそやかに・ Bd は、 長い間ヨーロッパの 音楽を支えてきたそれらの 枠からすでに 脱却している。 『ひそやかに・ B 』の大きな特徴は、 歌唱パートにおいて 奇数小節 数 がひとっのまとまりを 形成していることで あ る。 | 詩から音楽へ 89 3) ピアノ・パートト 『ひそやかに・ B 』においては、 ピアノ・パートの 役割について、 『ひそやかに・ A つ とデリケートに 配慮されている。 ピアノの冒頭の 嬰ト者 と、 』 2 ず 0 歌唱の冒頭の 裏 ニ 昔の呼応の関係 は、 その後に何度か 現れ、 作品の基調をなしている。 前項でみたように 歌唱パートとは 異なる フ レーズを構成し、 独自の流れを 持っているが、 それでいながら 歌唱パートとの 呼応関係を保って いるのであ る。 また、 ナイティンゲールの 声を思わせる 音形の反復は 、 『ひそやかに・ A 』には なかったものであ る。 『ひそやかに・ A 』が作られた 頃 、 き 達人であ る ドビュッシ ーは 嘱望されるピアノの 苦 ったにも関わらず、 ピアノ曲の作曲にはあ まり関心を持っていなかったように 。 だが 188 も89 年にピアノ連弾のための『小組曲』が、 1890 年に『ベルガマスク 組曲』が作ら れ、 ピアノ曲においても 彼は着々と自分の 世界を確立していった。 ( イテダ 1J) ( メヌエット ) ( バレエ ) 思われ 『Ⅱ、 組曲』には が含まれる。 そして『ベルガマスク 組 側には ( 小舟にて》 ( 月の光 ) と 題される 佳曲 があ る。 これらの曲名から 連想されるひとつの 名 、 それは紛れもなくヴェルレーヌ であ る。 ドビュッ シ一 は 歌曲作曲に打ち 込んだこの時期、 ピアノ曲をも 詩に結びつけることを 志 した。 以後、 器楽曲と文学の 関係は作曲家ドビュッ シ 一の重要な部分を 占めるようになる。 4) ドビュッ シ 一にとっての「歌曲」 ドビュッ シ一 し、 の歌曲への取り 組み方は 、 詩に内包される 微妙な陰影のすべてを 感じ取り、 理解 それらが象徴する 本質を音楽にすることであ った。 音楽家の側からみて、 詩のイメージや 言 葉の内容に「合っていると 思われる」旋律や 伴奏をつけるだけでは 詩を表現したことにならない。 さらに、 詩の持つリズム、 韻律を音楽に 写し取らなければ、 いかに美しい 旋律をつけたところで 無意味であ る、 と彼は考えていたのであ る。 1911 年の雑誌「 ムジヵ 」の「音楽と 詩の関係にっ いてのアンケートへの 答 」において、 彼はこう語っているという。 「詩のわからない 音楽家は、 それを音楽にしてはいけないんですけれどね ( …… ) 。 シューマンにはハインリヒ・ ハ イ ネが 、 まるでわかって い なかった。 少なくとも私の 受けた感じでは、 そうです。 大した才能を 彼はもっ ていたと人は 言 う かも知れないが、 ハインリヒ・ハイネの 詩にあ る繊細なイロニーが、 何一つ 彼 にはつかめなかった。 たとえば『詩人の 恋 ( …… ) 。 ほんと う 」 をごらんなさい。 さっさと素通りしちゃってますよ の詩は固有のリズムをもっているんです リズムにちゃんとついてゆくのは、 … ) コ ) 。 霊感をそこなんなりでその つまりそのリズムをぱくっつける ) のはね、 大変難しい (. ". しかし、 『ひそやかに・ A 』が作られた 1882 年当時は、 まだここまでの 姿勢は確立されていな かったと思われる。 習作 期 にあ ったドビュッ シ一 は、 早くも象徴派の 詩の中に己と 呼び合 を 見つけ、 特にヴェルレーヌは 彼のイマジネーションをもっとも う もの 刺激する詩人の 一人であ った。 だがこの頃 の彼の詩へのアプローチは 単純であ り、 従来の「歌曲」の 作曲者たちの 手法から出て いなかった。 この点について、 青柳いず めこ 氏は「 1882 年当時、 20 歳足らずのドビュッシ ーは 、 『 雅 なる 宴 』の奥に潜むものを、 感じ取ってはいたにしても、 まだ音楽で表現するには 至って い なかった」と 述べている,。 。 『ひそやかに・ B 』が作られた 1891 年に至るまで、 彼は詩と音楽の 関係について 探り続けた。 その成果のひとっが、 この「奇数小節 数 」ではないだろうか。 偶数小節数を 単位とすれば、 そこ には一定したリズムと 安定感が生まれる。 しかし奇数小節数を 単位とすれば、 常に揺れ動く 不安 90 佐藤 東洋 麿 ・横山 正子 定 な効果が得られる。 しかしながら、 ここでひとっ 確認せねばならぬ。 ヴェルレーヌのこの 詩における 奇数 脚が 、 そのままドビュッ シ 一の奇数小節数に 当てはめられるのではない。 1 フレーズに当てはめようとすると、 2 行分を音楽の 3 1 行 7 音節の 詩の 1 行を音楽の それはあ まりに 短 すぎる。 『ひそやかに・ BJ の場合、 詩の 小節分にあ てていることが 多い。 ドビュッ シ 一の音楽は詩の 形式や分節そのも のに密接にとらわれてはいない。 音楽はそれ自身の 自律性に基づき 流れていく。 それでいて、 奇 数 小節 数の フレーズ構成により、 ヴェルレーヌの 詩のリズムがかもし 出す効果を音楽で 表現する ことに成功している。 2 曲の『ひそやかに』の 比較の結果をまとめてみよう。 1. 『ひそやかに・ 川の音楽的構成は、 楽節構造の枠からでていない。 しかし『ひそやかに・ B 』は 、 詩の韻律が作るリズムの 特徴を音楽で 表現するために、 独特のフレーズ 構成が為さ れている。 2. 『ひそやかに・ B 』において、 ピアノ・パートへの 配慮がより大きな 部分を占めるようにな った。 ピアノもまた、 モティーフやフレーズ 構成によって 詩の描く世界を 表現している。 歌 唱 パートとは異なった、 独立した流れを 見せつつ、 微妙な呼応の 関係によって 詩に象徴され る繊細な陰影を 紡ぎだしている。 3. 『ひそやかに・ 川は、 アマチュアながら 優れたソプラノ 歌手であ った ニェ夫人に捧げ ヴァ られ、 夫人の美声を 生かすことが 念頭を占めていたと 思われる 別 。 PP から短い間に まで 高 f まる部分など、 意識して声楽的聴かせどころを 作っている。 『ひそやかに B 』は、 全曲を通 して中音域にとどまり、 昔の動きも少なく、 表現は抑制されている。 声楽家の「声を 聴かせ る 」という意図は 皆無であ る。 4. 『ひそやかに・ 川には詩に描かれた 人物の心象を 歌い上げようという 意図がみられる。 かし『ひそやかに , し B 』においては、 具体的なひとつの 情景や人物の 心象の描写ではなく、 詩に描かれた 事象が象徴する 本質的観念を 音楽で表現して、 我々の心に映すことを 目指して いる 0 3主 1)@ Emile@Lttre@:@DICToNNAIRE@DE@LA@LANGUE@FRAN@AISE , TOME@3 , (Gallimard/@Hachette , 1963,pp,2㏄ 2-2㏄ 4) 2) 『 広 辞苑』第四版 3) J ,㎡d る but る en Ⅰ ( 岩波書店、 1991,p.2475) 867 p 肝 es Ⅰ pente a une m 色荻lco Ⅱ e tour 月ひを ゑ 脚しs Ⅰ a けれ沖 せ榔 ‥・ Ⅰ toursensuelle Cesvers,t る moignl 卸entd et r 合veusementmys さ :S ors(r,une cer 伍ne Ⅰ Ⅱque que ㎡nrentdeux 荻ls environ‖pres,…ostumes en}ersonnages‥e〕a…omed@ ialienne‘t‥e’eeries‖〕a仝atteau, coI1Ⅰ me ニ 亡 plusag pe ⅡtvoIume 『色 abIementpeut 掩re,en toutcasmie Ⅱ X 士 ㎡tsetvouIusdav 接lぬgelesve 丘 sdece ‥・ ㏄ aulVenl ㎡ne:Co ㎡毛丘 encef 伍te ゑ血lvers, Ⅰ e Ⅰ erm Ⅱ s Ⅰ 893,@㏄ ひ ひ 庇Ⅰしれ p 竹ひ sesco 笏タ た ニ Ⅰ るサは s.Te く士 Ⅰ e etabli, et‖nnote}ar゛acques。orel , Gallimard , Bibliotheue‥e〕a ̄leade , 1972 , pp , 901-902) 4)@ Mesdames,@Messieurs,@ On@me@demande@quelques@mots@sur@la@poesie,@or,@il@est@pour@un@poete 詩から音楽へ (.,.)plusfacile( ) de ㎝ redesversquedep ‥・ f田teaCh 乏り丘 91 肛ler ゑ proposdevers. 士 lerol,le26f 毛 lnerl893,@① ひ ひ @S0% ノ%グ7%S88s'Sco 笏 イレⅠを チてク 5)@ Le@poete@touche@600@francs , qu , il@envoie@a@Eugenie@Krantz completes , Gallimard , Bbli theque@de@la@Pleiade Ⅰ㎡ ne:Conf 芭 lrence s,op.clt.p.889) を サ (pauIVen (Paul@Verlaine@:@(Euvres@poetiques ・ , 1962 , CHRONOLOGIE , p XLII) ・ 6)@ La@nu@@ nupti3e?@ @@Elle@fut@tout@ce@que@4@ m'en@eta@@ promi.@ j'ose@die@tout@ ce@que@nous@nous en prome 伍 0ns,elleetmol,c とてⅡ y eutd 町lscesdi ㎡nesheu esautⅠⅠtde d Ⅱ catesse demap 肛t, Ⅱ 石 etdepudeurdelasiennequedepasslonr s 簗 sp 卸 rd ㎝lsmaVieet,J'enr Ⅰ (PaulVe 丘 色 る 7) PaulVer 伍ne : ㏄ ねひれ es タ Ⅰ 8) 岩波 ム数辞典 色 me p 竹りタ Ⅰを サ 肛e,XV, ㏄ ひひク 3 竜二 る s. EIle 五 t,ce 比enuit, Ⅰ Ⅰ ㎝Ⅰ stoutelasiennel Ⅰ o 彦 tiqぴ esCo ニク p 棚 を クてフ S 名Ⅰ co 佛 イレⅠを サ ㏄, op.cit.p.539 ㏄ , , op.clt.pp.X Ⅰ』Ⅳ -Ⅹ二の 編 、 岩波書店、 1989) の「断末摩」の 説明は以下のとおり。 く断 ( 中村元ほか ィ elle,旺dente, desdeuxcot ponds,d 町 slaslenne,d l卸 ne :Co ㎡essions,De Xi は 俺 ごⅠ 末魔とも表記される、 身中の 64 処 とか 120 処 とか存するとされる 特別の急所、 marman (末 摩と 音写、 死節 ・孔穴とも漢訳 ) に触れ、 死に至ること。 ノ g) Toutelajou 戸 n 色 e,lecanonetle 丘 oulementdesmltrailleuses. promenerdmslesmlnesUAUuteuil. en’aire「ne》rombe ( ・・・ ・ personne@se@souc@@ ) Pendant〈ue)e〉egarde, Ⅰ れは s Ⅱ る e 合 me pou 汀 ㎝t feu〉eprend‖「ne[aison‥'Auteuil,《ans Ⅰ de@1'eteindre , (Edmond@et@Jules@de@Goncourt@:@JoURNAL,@ToME@X,@Les 10)@ Et@tout@alia@cahin-caha@dans@ce@menage Verlkalne :@㏄ ひ ひ はe ourn lades 血ction comme C'estdu saccagementetde Editions@de@V@Imprimerie@de@Monaco,@1956.@pp Rimbaud,@pour@q Jepassece せ ・ ・ 9-10) , jusqu'@a@1'arrivee@a@Paris,@vers@octobre@1871.@d'Arthur ・ ma@femme@conct@tout@de@suie@une@jalouSe@absolument@i % P のⅠり'S Ⅰ 02れ ク Ⅰを t召 IS, juste , (Paul ・・ op.clt.p.548) 11)@A@ourd'hui,@Roliat@pa ait@de@Rimbaud,@1'amant@de@Verlaine,@ce@glorieux@de@1'abomination,@de@la Ⅱ d る g0 Ⅰ ⅠⅠ七 止 疋 ion,quI 旺hv 卸tauc ㎡さ etsecouch @Je《u@ tue, fecale , @@ (Edmond@etJules@de@Goncourt@:@JoURNAL 膝 sd0nneu Ⅱ sdus 芭 13) De la muslque Ⅰ ( ・ 橋本づ 訳 、 色 ・ ne}u@ @ う は avanttoute chose,/ Etpour 角 ぬble,cn ㎡ttouhaut: plus〉etenir[a[ati re , le@18@avril@1886,,op , cit ・, p 116) ・ Jll文庫、 昭和 45 年、 38 頁 ) 原詩 couteu Ⅱ ses/Echmgentdesp :@㏄ しひが s P0 ne nuit, , Ⅰ , TOME@XIV ㎡ nades/Etlesbelles 乏王Ⅰ 町bred,une Ⅰ ・ lesram Ⅱ ureschmteuses.(PauIVerl タ Ⅰ Je《uis[ort X***['a‘ncule》oute 12) 『ヴェルレーヌ 詩集』から「マンドリシ」 @ょ 打 t, at 合 tesurlam ゼナ Ⅰ q 杉を sco り Ⅱ oposfades/S0us 笏 カ Jを tes,op.clt.p.6) cela pr fere I'Impair.(PauIVerlZaine ㏄ ぱひ彫S てき 0 を q 0Sco 笏タ f3S,oP.Clt.p.326) サ Ⅰ 4) Led Ⅰを り接 き べ SeSPoI Z ㎞ mem 「 estuncou Ⅰ㎝n :MAAGIES 15) 平島正朗 丁 丘 anttoujou 丘 spr DE A下 RLAINE,Sla ドビュッシー』 pp.19 を200 億き sentqulameu 「 epa 丘 folssoudaln. (E さ OnoreM. Ⅰく 億㎞ e,1981,p.26) 音楽之友社 1996 16)@ Ibid 17) Ibid 18) 詩の日本語訳は 全て小松清による。 19) ステファン・ マ ロチニスキ 音楽之友社 20) 青柳いず めこ 2 ) Ib d.p.58 Ⅰ 且 『ドビュッ 『ドビュッ シィ シ一 歌曲集』古沢淑子偏 全音楽譜出版社 印象主義と象徴主義』 p.188 1986 『ドビュッ シ一 想俳のエクトプラズ ム d P.63 東京書籍 1997 平島工部 訳