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平和とは何だろう?命を守るとは? ツヨシさんの発表をもとに考える
平和とは何だろう?命を守るとは? ツヨシさんの発表をもとに考える 平成25年度11月会礼の話 校長 小松 洋 「実る」 「やりぬく」をキーワードにするみのる節目を迎えます。5年生の西っ子米の 収穫や陸上大会、理科自由研究も作業や練習、研究をやりぬいてきたことが実ったもの です。 今日は、もう一人、西小学校を代表して8月6日に広島平和記念式典に参加した刀禰 ツヨシさんが感じたことや考えたことをみなさんに伝えてくれます。 ぼくは、夏休み中の八月五日に広島に行ってきました。西小学校の代表として行っ てきました。 ぼくは、はじめて新幹線に乗りました。広島焼きを自分たちで作って食べました。 他の学校の友達が五人以上できました。 でも、ぼくは決して楽しいことをしに行ったわけではありません。八月六日に広島 で行われる平和記念式典に参加するために行きました。 なぜ広島で平和記念式典が行わ 【広島平和記念式典の様子を説 れるかというと、一九四五年八月 明するツヨシさん】 六日に原子爆弾という大きな爆弾 が落とされました。その原子爆弾 で多くの人の命が奪われました。 爆弾のひどさを残している原爆ド ームという建物があります。ぼく は原爆ドームを見て、もし自分が 原爆ひがい者だったら原爆ドーム なんか見たくないと思いました。 でも原爆ドームはあります。原爆 ドームは、原爆のおそろしさを残して、世界をもっと平和にするために今もあると思 います。 広島記念資料館にも行きました。資料館には、原爆のひがいを受けた人や物や建物 が展示されています。そして、その中で一番印象に残ったのが「黒こげになった女の 子」です。ぼくはその女の子を見て思ったことは「なぜアメリカは原子爆弾なんて落 としたんだろう」と、もう一つは「戦争で勝つためには手段は選ばない」ということ です。この広島平和資料館で学んだこと は、たくさんの人の思いです。そのわけ は、昔広島はいやというほどひどいめに あったのに、今ではとても平和になりま した。でも何もしなければ、人が住んで いい環境ではありません。食料がなけれ ば人は死にます。だけど、そうならない ためにも、たくさんの人の協力と思いが あったからこそ今の広島があると、ぼく は思います。 最後に、自分が今思うことは、平和と 【ツヨシさんの説明を真剣に聴く子どもたち】 は、食べものがあること、暴力がないこと、友だちがいること、そして一番の平和は 今、自分が生きていることです。 そして、今、広島では、これからもずっと平和でいられるように、いろいろな所か ら千羽鶴が送られています。ぼくたち六年二組も平和のありがたさや平和に対する思 いをこめてみんなで鶴を折っています。九月から折り始めて、1300羽になりまし た。卒業する三月まで折り続け、広島に送ろうと思っています。 みなさんもこれを機会に、平和について考えてみてください。これでぼくの発表を 終わります。 みなさんは、ツヨシさんの発表を聴いてどんなことを感じましたか。ツヨシさんの思 いに共感した人は鶴を折り、千羽鶴にぜひ協力してください。知らない人ばかりで緊張 していたけれど、広島焼きを自分たちで作ったことで他の学校の子と友だちになること ができたのですね。食べものは人と人をつなぐのです。一方で「黒こげになった女の子」 を見て、こんなひどいことはあってはならないと強い怒りを持ちます。そしてたくさん の人の思いを実感したツヨシさんは「平和とは?」という問いに対し、自分の考えを4 つにまとめました。 ツヨシさんは、まず自分から広島に行きたいと一歩ふみ出し、自分の心で感じ考えた ことを自分の言葉で伝えてくれました。そして、その一歩を支えたのは、岩山享平さん、 香取俊紀さんと6年2組の仲間でした。本気でやり抜くには、ともにやり抜く仲間が欠 かせないのです。 広島の原爆ドームはこんなひどいことを二度と繰り返してはならないというメッセー ジを私たちに強く訴えています。実は、広島だけでなく、 私たちの住む磐田にもあります。西新町の高橋廣治さん は私にとっての「磐田の原爆ドーム」を3つ教えてくれ ました。昭和20年5月19日のことです。アメリカの 爆撃により磐田でも多くの人がなくなっていることを忘 れないために慰霊碑が残っているのです。 一つ目は、 「子どもやくよけ地蔵」です。今の磐田北小 学校で、見付国民学校の子どもたち28人と先生1人が 亡くなっています。集団下校で家に帰る途中でした。 【子どもやくよけ地蔵】 二つ目は、磐田農業高校にある「平和の願い」の碑で す。防空壕に避難していた生徒のうち5人が亡くなっています。 三つ目は、田中神社のクスノキです。ここで今の磐田西高の生徒 が3人亡くなっています。家に帰るため、木の下で休んでいる時で した。 この日、今の磐田西小学校、その当時は中泉西国民学校といいま したが、家に帰って家族といた子どもたちが5人亡くなっています。 5月19日は西小にとっても大切な日なのです。 いずれも死にたくなかった、生きたかったにもかかわらず、戦争 で理不尽にも命を絶たれてしまったのです。爆撃で死んだ妹が「赤 いトマト」を井戸水に冷やしてあったそうです。兄弟で一緒に食べ ようと思っていたのでしょう。お兄さんは「赤いトマト」を手にす 【平和の願い】 ると今も涙が止まらないと言います。 戦争の傷跡は私たちの身近なところにあるのです。68年 前に何があったのか、もっと知ろうとし、調べていきましょ う。広島の原爆のことを知るには『はだしのゲン』がありま す。身近なことは地域の方や祖父母に聞きましょう。今も世 界には戦争や暴力があります。私たちの身の回りでもケンカ やいじめの芽が絶えず出てきます。その時、どうしたらいい か、命を守るために何ができるかを考え、自分の命、友だち の命、家族の命を守る力をつけていきたいと思います。 【田中神社のクスノキ】 今日は、ツヨシさんの発表をもとに平和とは、命を守ると は・・と考えることができました。ツヨシさんと仲間のみなさん、ありがとうございま した。