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懐かしの川崎球場
平成 27 年(2015)10 月3日 第 57 号 追悼特集 懐かしの川崎球場 福山 宏 平成26年(2014)年12月吉日 初めて本格的な野球場に足を踏み入れたのは、小学5年 のときだった。福岡城跡にある平和台球場で、巨人対阪神 のオープン戦を観たのが最初である。時代は敗戦直後の昭 という音が聞こえる。まれに、投手が投球の瞬間に放つ、 クッという音。そして何といっても、パットがボールをと らえた時の、カンという乾いた響き。私が川崎球場を好き 和24年(1949)、半世紀以上も前のことだ。 それから今まで、プロ野球に始まり社会人や大学・高校 野球をも観戦し続けている。思い起こすと、全国各地の球 場に足を運んだものだ。ピカピカに新しいスタジアム、ボ ロだけど伝統ある球場、好きなチームの本拠地、仕事帰り によく立寄った球場、運動公園にある小さな市民球場、そ してもうなくなった追憶の球場。験を閉じると、球場での さまざまな情景が蘇ってくる。 になったのは、土の匂いがし、野球の音を心ゆくまで堪能 できたからである。 この球場で、さまざまな名勝負や名場面を観てきた。下 手投げの本格派山田(阪急)とマサカリ投法の村田(ロッテ) の息詰まる投手戦。山田と三冠王・落合の真剣勝負。右翼 席上段の金網に当たるホームランで、史上初の通算三千本 安打を達した張本・・・。 今思うと奇妙だが、最も足繁く通ったのは川崎球場なの だ。昭和36年(1961)、N杜に就職後、私はずっと横浜 に住んでいる。九州で生まれ九州育ち、熱烈な西鉄ライオ ところが平成3年(1991)、ロッテは本拠地を千葉に移 した。同年7月4日、ロッテと近鉄の試合が、最後のプロ 野球公式戦となる。二万二千人のファンが、別れを惜しん で集まったそうだ。 ンズファン、後楽園には足が向かない。大学野球も全国大 会以外は興味がなく、神宮にも疎遠になる。 しかし、都市対抗予選で、応援のために連れていかれた 川崎球場は、独身寮から交通至便である。又、大洋ホエー 不思議な魅力を持った工場の街の球場も、老朽化が激し くなり、平成12年(2000)3月の横浜対ロッテのオープ ン戦を最後に、スタンドが取り壊された。現在は市民が草 野球で利用したり、アメフトの公式戦が開催されている。 ルズが主催する試合は、いつでも入場できる調法な球場だ。 しかも当時のホエールズは、三原監督の指揮の下、魅力あ るチームに変わりつつあった。秋山・稲川・鈴木の投手陣、 近藤・桑田・土井などの野手が活躍し、川崎市民を沸き立 たせていた時期である。独身時代はもちろん、結婚後も仕 事帰りや休日、よくこの球場へ出掛けた。 ところが昭和52年(1975)、大洋は横浜へ去り、ロッ テが乗り込んできた。私は小学2年生の息子を、この球場 兵(つわもの)どもの夢の跡には、最後のオープン戦を 記念した時計が飾られているだけである。 へ連れていくようになる。この頃のプロ野球は、人気の 「セ」実力の「パ」と云われたように、パ・リーグの試合 は、全く不人気で客の入りは最低だった。5月の連休の時 でさえ、入場券を当日球場窓口で、簡単に買えたのである。 私達は、先ず急上昇面前の屋台で名物のラーメンを食べ、 中央入口から入場し階段をゆっくりと登る。この川崎球場 は「汚い」とか「空席が目立つスタンド」と言われたもの だが、空気は悲しいまで澄んでいる。選手、観客、裏 方・・・、それぞれが込める想いが、球場空間に充満して いた。 一塁側スタンドでゲームを見ていても、三塁側スタンド とライト観客席の客が、相互に野次を掛け合う「ドラ声」 肩慣らしの球が捕手のミットに収る音が、ビンピンとこだ まする。ゲームの最中でも、打球が地を這うシュルシュル 川崎市市民ミュージアム 友 の 会 会 報 第 57 号 8 編集後記 友の会において広報部長ならびに古文書を 読む会の代表として、ご活躍いただいていた 福山宏氏が、去る7月 16 日、急逝されまし た。享年 75 歳。同氏のご功績に対し心から感 謝し、ご冥福をお祈りいたします。 同氏は、昭和 14 年(1939)佐賀県生まれ。 友の会会報の編集に関わり始めたのは平成 23 平成 24 年7月 岡本太郎美術館にて 年(2011)10 月発行第 49 号の「日本銀行本 店見学記」からでした。 今回、追悼特集として掲載した「懐かしの川崎球場」は「会員の寄 稿」として用意していたエッセイのひとつです。 ◆ 本号の「川崎に生きた人々」は、現在も川崎区港町の工場 で、独自のノウハウや技術でプラント設備機器を製作してい る福嶋鉄工所の紹介記事を転載しました。 6代目の社長は、五人兄弟の一人、竹松氏を父とする福嶋 進氏。昭和 51 年(1976)のオイルショック大不況のころ、乞 われて福嶋鉄工所に入社。技術屋集団である会社に、システ ムエンジニアの経験を生かして思い切ったメスを入れ、経営 の建て直しに貢献。平成 14 年(2002 年)、川崎市や慶応大 学等が進めた“ファクトリアプロジェクト”(都市型工業地 域の新しいスタイルを摸索)のモデルケースとして周辺地域 と調和した新工場が完成。新工場では明日を担う省エネ・無 公害のノンフロン空気冷凍機の組み立てが行われています。 発 行 日:平成27年(2015)10 月03日 発 行:川崎市市民ミュージアム友の会 〒211-0052:川崎市中原区等々力1−2 TEL.044-754-4500 編集・製作:友の会 広報部 発行責任者:中田 七雄 (友の会会長) 編集責任者:海口 平太郎 (広報部長) 紙面 構成:同上