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川村晃一
⿪ሤ△⿬
見市建著
『インドネシア―イスラーム主義のゆくえ』
川村晃一
Σ
連の事件は、インドネシアのイスラームは他
2002 年 10 月 12 日に起きたバリ島での爆弾
宗教に寛容で非暴力的な「穏健な」イスラー
テロ事件は、インドネシア人にとっても非常
ムであり、過激なイスラームが社会を揺るが
に衝撃的な事件であった。国際的な観光地で
すことはない、という認識をもつ人々に冷や
あるバリで外国人を標的にした大量殺戮事件
水を浴びせたのである。さらに、2004 年 4 月
が起きたこと、これまでインドネシアでは見
に行われた国民議会議員総選挙で新しいイス
られなかった自爆テロだったことなど、過去
ラーム系政党である福祉正義党が躍進し、イ
の暴力事件とは規模的にも内容的にも異質の
スラーム主義運動が今後ますます活発化する
ものだったからである。当時インドネシアに
のではないかという見方も生まれた。
滞在していた評者も、テレビ画面から流れて
いま、インドネシアのイスラームに対する
くる衝撃的な映像を見ながら、それがどこか
認識は、
「過激」と「穏健」のあいだで揺ら
違う国の出来事のように思えてならなかっ
いでいる。それでは、インドネシアのイス
た。
ラームをどう捉えたらいいのか。本書は、こ
しかし、その後も大規模な爆弾テロ事件の
の問いに対する答えを提供しようとしたもの
発生が続いた。2003 年 8 月 5 日にジャカルタ
である。著者は次のように述べる。
「少数の
のアメリカ系高級ホテル J࡮W࡮マリオット
急進派のみに注目しても政治や社会の動態は
で、2004 年 9 月 9 日にジャカルタのオースト
『インドネシアの大半の
分からない。(中略)
ラリア大使館前で自爆テロ事件が発生した。
ムスリムは穏健である』などと述べて、急進
これら一連の爆弾テロ事件を首謀したのが急
派をブラックボックスの中に入れてしまって
進的イスラーム団体であるジュマーア࡮イス
は、かえって社会を見る目を曇らせてしまう
ラミヤ(JI) だとされ、その構成員が容疑者
ことになる」(12–13 ページ)。そうではなく、
として次々と逮捕࡮起訴されたが、いまだ完
イスラームを動態的に把握する必要性を著者
全な解決には到っていない。
は強調する。つまり、
「イスラームの国家に
著者が本書の冒頭で指摘しているように、
おける位置づけや、人々の社会生活における
多くのインドネシア人にとっても、多くのイ
イスラーム的規範の中身は決して一様ではな
ンドネシア研究者にとっても、中東地域で続
い」ゆえに、
「特定の時代における、地域固
く紛争もアメリカ同時多発爆破テロ事件も他
有の政治的社会的な条件について考察するこ
人事でしかなかったはずである。しかし、一
(167 ページ)
。それと同時に、
とが重要である」
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「インドネシアや東南アジアの研究者に見過
ごされてきたイスラームのグローバルな論理
を十分に考慮に入れ」(13 ページ)る必要性に
ついても、著者は自覚的である。
ここで著者が特に注目するのが、政治運動
序章 バリ事件後の地点から
第 1 章 暴力とイスラーム―バリ事件と
は何だったのか
第 2 章 民主化と「穏健」なイスラーム主
義―学生の宗教運動と正義党の台頭
としてのイスラーム主義と、社会現象として
第 3 章 左翼思想と伝統の再構築―ナフ
のイスラーム復興である。本書は、インドネ
ダトゥル࡮ララマーとイスラーム左派
シアにおけるイスラーム主義運動が「どのよ
第 4 章 ポップなイスラーム―イスラー
うな歴史的過程を経て、どのような政治的࡮
ム的「商品」と都市中間層
社会的条件を基に拡大し、またどの程度の支
終章 イスラームと政治
持を得ているのか」(14 ページ)を分析するこ
序章では、上述した本書の目的が述べられ
とで、国家とイスラームの関係がどのように
た後、イスラームを理解する上でのポイント
変化してきたのかを明らかにしようとする。
が挙げられている。まず、イスラームを「政
また、
「(イスラーム主義)運動は社会一般でよ
治的イデオロギー」として採用し、イスラー
り広く観察されるイスラーム復興〈現象〉と
ム法の適用とイスラーム国家の樹立を目指す
どの程度連関しているのか」(14 ページ)を観
「イスラーム主義〈運動〉
」と、個々人のレベ
察することで、インドネシア社会におけるイ
ルで宗教的行為や道徳規範などを重視する傾
スラームの現在を描き出そうとする。
向が強まる「イスラーム復興〈現象〉
」とが
本書は、インドネシアにおけるイスラーム
区別される。次に、イスラームの改革思想
の現在を理解するには好適な書物である。イ
が、預言者ムハンマドたちが生きていた初期
ンドネシアの歴史や固有性という観点から、
イスラーム時代を「真正」と見なし、その時
国家とイスラーム、社会とイスラームの関係
代に回帰することを目標にするという独特の
を描き出すことで、単一的なイメージで語ら
「時間=歴史感覚」(15 ページ)が指摘される。
れることの多いイスラームの多様なあり方を
さらに、中東から発信されたイスラームの思
提示した本書の意義は大きい。また、現代イ
想や運動がヒトやメディアを通じて世界に広
ンドネシアにおけるイスラームと政治を扱う
がり、それらが各地で独自の発展を遂げて
邦語文献は少なく、本書の登場は今後の研究
いったことが指摘される。
の発展を促すものとなろう。スハルト時代、
第 1 章では、バリ爆弾テロ事件をはじめ、
政治権力は国家中枢に集中し、イスラームを
近年インドネシアで頻発するイスラームが関
含む諸政治勢力は政治のアリーナから遠ざけ
連した暴力事件が取り上げられ、それらの事
られてきたが、民主化後、政治の表舞台に再
件がどのような背景の下、どのような組織に
登場したイスラーム勢力を理解する上で、本
よって引き起こされているのかが詳説され
書は多くの示唆を与えてくれる。
る。著者は、それらの暴力事件を 3 つに区別
して考えている。第 1 は、民主化と地方分権
Τ
本書の構成は以下のとおりである。
化によって地方における政治抗争が先鋭化
し、それが時に宗教紛争に転化したものであ
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る。例えば、マルク紛争の事例では、イス
た、イスラーム勢力の急進化の背景には、国
ラーム急進派組織であるラスカル࡮ジハード
内の政治状況、特に国家との関係が重要であ
が介入したことで紛争が長期化࡮複雑化した
ることが強調される。
という。彼らは、ムスリム同胞に対する支援
第 1 章では暴力的な手段に訴えることも厭
というイスラーム的論理と同時に、キリスト
わない急進的なイスラーム主義運動が取り上
教徒による国家分裂を防ぐというナショナリ
げられたが、第 2 章では民主主義体制の枠内
スト的論理で自らの行動を正当化した。第 2
で活動を行う、穏健なイスラーム主義運動が
は、JI が引き起こした大規模爆弾テロであ
分析の対象である。なかでも著者が注目する
る。JI は、思想、ヒト、カネの面で国際的な
のは、1999 年議会総選挙で新党として初め
ネットワークを有するが、緩やかなネット
て国政の舞台に登場し、2004 年総選挙で躍
ワーク型組織であるため末端組織は必ずしも
進した(福祉) 正義党である。同党は、大学
統一的行動を取るわけではない。歴史的には
キャンパスにおける宣教活動に端を発する。
1950 年代のイスラーム国家樹立運動であっ
活動のモデルとなったのは、エジプトのムス
たダルル࡮イスラーム運動の系譜をひき、ス
リム同胞団であった。大学での宣教活動が活
ハルト体制下でのイスラーム弾圧の結果とし
発になった背景には、スハルト時代の学生運
て急進化࡮国際化したという。しかしなが
動弾圧に求められるという。これらの宣教活
ら、アル=カーイダなど中東のテロ組織とは
動が、ダッワ࡮カンプス組織として次第に組
協力関係があるにとどまり、JI はあくまで自
織化され、民主化とともに全国的学生組織の
律的に行動しているという。第 3 の区分は、
結成、そして政党の結成へと発展していった
イスラーム擁護戦線(FPI) などの急進派が、
のである。
都市の盛り場や売春宿など、イスラーム法に
この正義党は、
「インドネシアの国民国家
反すると見なされる施設を襲撃して破壊する
体制を容認し、武力闘争を望ましい手段とは
事件である。そのような実力行使に訴えてい
考えない」という意味で「穏健である」と言
たグループの一部は、地方自治施行を背景
えるが、
「最終的な目的はカリフが統治する
に、イスラーム法を地方自治体レベルで執行
イスラーム国家である」(89 ページ)点で、イ
する運動を推進している。
スラーム主義運動の流れにある組織だと言え
著者は、以上のように近年インドネシアで
る。それでは、なぜ彼らが選挙で有権者の支
見られるイスラームと暴力の関係を整理した
持を得ることができたのか。それは、正義党
上で、インドネシアのイスラームは穏健なの
が地道な組織作りを行うと同時に、
「清廉」
か過激化したのかと問う。著者の結論は、急
で「規律正しい」というイメージを維持する
進的なイスラーム主義運動は、インドネシア
ことができたことで、既存政党に不満を抱く
独立前後からすでに存在していたものであ
有権者から支持されたのである。
り、1965 年 9 月 30 日事件へのイスラーム諸
第 3 章では、イスラーム主義に対抗する勢
勢力の関与から明らかなように、インドネシ
力である「イスラーム左派」が取り上げられ
アのイスラームが元来穏健であったとも、近
る。世代的には正義党の活動家らと同じであ
年急激に過激化したとも言えないとする。ま
るが、イスラーム寄宿学校(プサントレン)や
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宗教大学で教育を受け、インドネシア最大の
の担い手の社会的࡮教育的な背景に大きな変
イ ス ラ ー ム 組 織 ナ フ ダ ト ゥ ー ル࡮ ウ ラ マ
化が見られ」(168 ページ) た結果、伝統主義
(NU)に帰属意識を持つ青年がその担い手で
と近代主義イスラーム、敬虔なムスリム(サ
ある。しかし、イスラーム主義者との最大の
ントリ) と名目上のムスリム(アバンガン)
、
相違点は、その思想にある。イスラーム左派
といった分析枠組みの有効性は失われた、と
は、ポスト࡮モダン思想の影響を強く受けた
著者は主張する。それゆえ、
「インドネシア
ことから、土着文化を受け入れ、世俗主義勢
政治のより詳細な政治地図を描くためには、
力とも手を結ぶ。彼らは、
「イスラームが生
イスラームをはじめとしたグローバルな動き
活のすべてを規定する完全なシステムである
に目配りを効かせつつ、各地方レベルの歴史
というイスラーム主義の考え方を否定する」
や社会構成、地政学に基づくローカルな論理
(99 ページ) のである。彼らの活動は、NGO
を見直し積み上げ直していくことが必要であ
などを通じた啓蒙活動や村落部での社会活動
る」(172 ページ) と、著者は結論づけるので
が中心であるという。
ある。
第 4 章では、社会一般に見られるイスラー
Υ
ム復興現象が議論の対象である。インドネシ
アでは、過去 30 年間で、宗教施設、イスラー
本書の貢献は、現代インドネシアにおける
ム教育機関、イスラーム金融機関などイス
イスラームと国家࡮社会の多様な関係を、現
ラ ー ム 的 諸 制 度 が 急 速 に 拡 充 し た 一 方、
地での調査࡮資料に基づいて明らかにしたこ
ヴェール(ジルバブ) の着用、アラビア語で
とである。著者が終章で指摘したように、こ
の挨拶、マッカ巡礼者の急増、イスラーム出
れまでインドネシア政治とイスラームを分析
版物の拡大などイスラームの社会への浸透も
する枠組みは、伝統主義と近代主義という分
進んだ。それとともに、大衆受けする「ポッ
類もしくはサントリとアバンガンという分類
プな」イスラームがマーケットやマスコミを
が参照されることが多かった。これらの対抗
通じて広がっていった。アア࡮ギムという新
軸は、30 年余のスハルト体制期における国
しいタイプの説教師の登場は、このような文
家統一࡮国民統合の進展と社会経済変動を経
脈の中で理解されるという。著者によれば、
て意味を失ったとの指摘は、イスラーム内部
「現代インドネシアのイスラーム復興は『復
の諸勢力を動態的に把握してきた著者だから
興』というよりはイスラーム到来以来のイス
こそできたと言えるだろう。2004 年総選挙
ラーム化の継続ないしは『再イスラーム化』
の結果は、著者の主張が的外れなものではな
というべき側面と都市化やグローバル化に伴
いことを示すことになった。
う現代的な特徴が混在している」(136 ペー
ジ)
。
また、イスラーム主義運動の勃興が、必ず
しもインドネシア࡮イスラームの急進化を意
終章では、これまでの議論を振り返りつ
味するものではないという著者の指摘も重要
つ、インドネシア政治とイスラームの分析視
である。イスラーム主義運動が勃興する一方
角に対する著者の考え方が示されている。
で、その対抗勢力としてのイスラーム左派が
「現代インドネシアのイスラーム諸運動はそ
草の根レベルで活発に活動を展開している様
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を対比させることで、イスラームのあり方は
の説明が不十分である。例えば、第 1 章でイ
一つでないことを著者は示した。この主張
スラームが関連する暴力事件を 3 つに分類し
は、社会一般におけるイスラーム復興現象を
た後、ポソやマルクなどで発生した紛争につ
取り上げて、メディアで報道される「政治的
いて「激しい政治抗争が地方の利権争いを先
な」イスラームとは別の、
「日常の」イスラー
鋭化させ、地域によっては殺人や暴動を伴う
ムの態様を著者が示したことで、さらに説得
紛争にまで発展した。(中略)これらの権益争
的なものになったと言える。人々の服装や行
いや権力闘争が、時に『宗教紛争』や『エス
動、規範がイスラーム化したことが、直線的
(29 ページ)
ニック紛争』に転化するのである」
にイスラームの急進化につながるわけではな
と著者は説明しているが、著者が示した〈政
く、逆にイスラームの大衆化と商品化が進む
治抗争→利権争いの先鋭化→紛争〉という因
につれ、穏健性が強調されるという著者の指
果関係は自明ではない。他の地域でも、同種
摘は興味深い。
の政治抗争や利権争いはあったのであり、説
方法論的にも、著者は重要な指摘をしてい
明されるべきは、なぜポソやマルクでそれが
る。これまで地域研究や比較政治学は、国内
武力を伴う紛争に発展し、さらには宗教紛争
の現象をもっぱら分析の対象とし、国際的な
となったのかである。著者は、地域紛争が宗
要因を分析から排除、もしくは軽視してき
教紛争化した後にラスカル࡮ジハードが介入
た。比較政治経済学では、1970 年代後半以
したと解説するが、その前段についても説明
降、いわゆる「逆第二イメージ論」が導入さ
されるべきであろう。それは、ダルル࡮イス
れ、国際的要因が国内政治過程や構造に及ぼ
ラーム運動に関する説明でも同様で、
「イス
す影響が分析に取り込まれていった。しか
ラーム国家樹立が反乱の目的として掲げられ
し、他の問題領域においては、国際的要因を
たが、地域的な感情がダルル࡮イスラーム運
分析視角に取り込む作業がまだ不十分なこと
動を支えてきた」(38 ページ)という説明だけ
が多い。著者はこの点を十分に意識し、イン
では不十分である。評者が知りたいのは、そ
ドネシアのイスラーム諸勢力が地域固有の論
のような地域的感情がなぜ宗教的な言説を帯
理にしたがって行動しつつも、思想、組織、
びて表出されたのかである。
ヒトといったさまざまな面で他のイスラーム
第 1 章で示されたその他の 2 類型の説明に
世界から影響を受け、ネットワークを構築し
ついても、それぞれについては丁寧に記述さ
ながら活動していることを明示した。特に、
れているが、3 つの暴力の形態はまったく別
国際的ネットワークという視点を欠いたまま
のものとして捉えるべきなのか、関連がある
JI を分析することは不可能である。今後イス
とすればどのような要因で異なる形態をとる
ラームを考えるときに、国際的要因と国内的
のか読者には分からない。評者としては、章
要因を統合的に考える必要性はますます高く
のタイトルである「暴力とイスラーム」とい
なろう。
う枠組みの中で 3 類型を考えるとき、それぞ
最後に、本書の意義を十分ふまえた上で、
評者のコメントを述べることとしたい。まず
第 1 に、イスラームと暴力の関係性について
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れをどのように関連づければいいのか著者に
示してほしかった。
第 2 に、イスラーム主義と国民統合の問題
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である。インドネシアの独立以前から、国民
手段であって、仮の姿でしかないのではない
統合を危うくするものとして共産主義、民主
かという疑問が湧く。清廉イメージでキリス
主義、イスラーム主義の 3 つの政治思想が挙
ト教徒からも支持された正義党の躍進に対し
げられていた。無神論であることから否定さ
て、少数派宗教を信仰する国民が憂慮を抱い
れた共産主義は、スカルノの失脚とともに物
ていることも確かである。評者としては、イ
理的に抹殺された。民主主義は、多数者の横
スラーム主義者がインドネシアの最終的な国
暴を許し、常に対立をあおるものとしてスカ
民統合のあり方をどう考えているのかを著者
ルノ、スハルト両大統領から忌避されたが、
に示してほしかった。
1998 年の民主化後 2 度の総選挙と 2004 年史
最後に、評者は、インドネシアにおけるイ
上初の大統領直接選挙を経て、必ずしも国民
スラームの多様性を把握しようとした著者の
統合と相反するものではないという認識が定
努力は評価しつつも、
「本書は新たな区分法
着しつつある。そして、最後に残ったのが、
を提出するのではなく」(170 ページ) と新た
多様な宗教を信仰する人々からなる国家を否
な分析視角を提供しなかった著者には不満が
定することになると考えられてきたイスラー
残る。著者が強調するように、急進的イス
ム主義である。スカルノによって一度は否定
ラーム主義運動にせよ、正義党にせよ、イス
されたイスラーム主義は、40 年以上経った
ラーム左派にせよ、イスラーム改革運動やポ
民主主義の時代に再び政治の表舞台に登場し
スト࡮モダンといった世界的な思想࡮運動の
た。現代のイスラーム主義は、もはや国民統
影響を受けつつ、ダルル࡮イスラーム運動や
合を危うくするものではないのだろうか。
マシュミ党、ナフダトゥール࡮ウラマといっ
著者は、JI のような急進的イスラーム主義
たインドネシア固有の事情や歴史から生まれ
運動も、正義党のような穏健なイスラーム主
たという意味で、いずれも過去からの連続性
義運動も、
「インドネシアの国民と国家の枠
の上に存在している。
「伝統主義/近代主義
(中
組みまでも否定する勢力はほとんどない。
の区分にイスラーム主義を付け加えたところ
略)多くが『国民国家の一体性を維持すべき
でインドネシアのイスラームをうまくとらえ
である』というナショナリズムの社会規範に
ることにはならない」(170 ページ)としても、
拘束されている」(51–52 ページ)と主張する。
現在の新しいイスラーム諸運動がインドネシ
しかしながら、イスラーム主義がウンマの一
ア政治史の中でどのような流れの中に位置づ
体性を国民国家よりも優先すると考え、イス
けられ、他の諸勢力も含めて現在どのような
ラーム世界の連帯を強調する以上、理論的に
配置になっているのか、イスラーム政治の
はイスラーム主義とインドネシア国家が両立
「地図」を描くべきであると評者は考えるが、
しないことに変わりはない。イスラーム主義
それは贅沢な要求であろうか。今後の著者の
運動の最終的な目的が、カリフが統治するイ
研究に期待したいところである。
スラーム国家であるとすれば、現在のところ
民主主義とインドネシア国民国家の枠組みを
(平凡社、2004 年 8 月、四六判、203 ページ、
定価 2,200 円[本体]
)
受け入れていたとしても、それはあくまでも
(かわむら࡮こういち アジア経済研究所)
書評/見市建著『インドネシア―イスラーム主義のゆくえ』
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