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パリ順化園
. 叢論潔 独 刀 五 年 六 十 和 昭 一 (禁 轄 載) 健 利 家 勢 彦 廣 行 二 良 雄 藏 帰 清 伍・朋凄 行 末 、缶 回 ( 韻 C 次 垣 寅 次 郎 盛 雄 フ ラ ン ス の 封 支 経 済 進 出 の 回 顧 ⋮ -・経濟學博士 高 貌 文 吉 嚇 } 重 慶 政 府 の戦 時 金 融 集 権 政 策 ⋮ ⋮ 積 ヲ… ド 日 支 那 紡 績 労 働 諸 員 制 度 の様 式 ⋮ ・⋮ ・ ・: ま コ 済學 士 縄濁 學土 穂 支 那 論 脈砺ケ ネ ー と モ ン テ ス キ ュー -・経 支 那 銀 行 制 度 の 調 整 ⋮ ⋮ -⋮ ⋮ ⋮⋮十 法 家 の 経 済 思 想 ⋮ ⋮ ⋮ ⋮ ⋮ ⋮ ⋮ 経 灘 學士 穂 部 東 亜 廣 域 経 済 の 爲 替 政 策 ⋮ ⋮ ⋮ ⋮ -・縄 濟學 博 士 東 亜 経 済 圏 に於 け る 米 生 産 の 獲 展 醤 縄濟 學 士 岡 ・: 経 罫 挙 止 谷 孝 太 郎 東 亜杜會政策 の理念・ ⋮ ・ 江 海 關 通 貨 の 推 移 ⋮ ⋮ ⋮ ⋮ ⋮ ⋮⋮ 商 學 士 大 河 野 浬 學ら コ至コ れヨ ⋮ 経済學 土 大 永 コ ち じ賜 お こき トしり の ユ エ剴 ヨ ラセ ぐ頑 ぐ算 こ ロ し. 日派 与 に撲 る 洋 ¢ 距β .,絹 谷 上 、 ■ 漕一 一 一 一 一 口 薙 書 有 斐 閣 責 磯 巻 壷 錆 號 戴 第 雷乾國 鍵鐸轟 所 究 研 濟 経 亜 東 ・ ﹂." 溶 フ ラ ン スの封 支 経 済 進 出 の回 顧 高 垣 寅 次 郎 世 界 地 圖 は ぬ り か へら れ てる る 。 國 際 情 勢 は 急 激 に 攣 韓 し て寸 時 も 停 ま る こ と を し な い。 嘗 て は 世 界 の 政 治 経 由 濟 0上 に、 ま た 海 外 獲 展 の 上 に お い ても 、 一大 勢 力 た るを 失 は な か った フ ラ ン スが、 今 後 国 際 的 に 如 何 な る 地 位 乞 占 め る に至 る か 、 そ の海 外 進 出 の 成 果 が 如 何 な る 鰭 着 を 示 す か は 重 大 な 問 題 で あ り、 東 亜 共 榮 圏 建 設 の 上 にも 、 多 大 の 影 響 を 有 す る 問 題 で あ る 。 そ れ は フ ラ ン スが 東 亜 圏 内 に 印 度 支 那 を 領 着 し . な 雁 支 那 に 少 な か ら ぬ 樺 釜 を 冒 持 っ てる る か ら で あ る 。 そ の動 向 を 導 いて 東 亜 共 榮 の 理 念 に 背 反 せ し め な い こ と ば 、 日 本 の 生 存 要 求 であ り 、 印 , 度 支 那 の 共 榮 的 要 望 で な く て は な ら ぬ。 こ の小 篇 に お い て は フラ ン スの 支 那 に封 ず る経 済 的 進 出 の 回 顧 と 現情 槻 地 理 的 距 離 と 地 勢 上 の關 係 から 支 那 は 永 く 欧 洲 諸 国 か ら 隔 離 さ れ 、 わ っ か に 隣 邦 の 列 國 の鋼 支 経 済 進 出 の概 観 , 測.を 試 み 、 そ の特 質 を 掴 み た い の で あ る が 、 問 題 の 理 解 に 必 要 な 限 り に お い て、 一二 の 前 提 的 事 實 を 述 べ る と と 一 列国 の封支 進出 を 許 さ れ た い。 第 一 r . 一 , . フラ ンスの封 支経済進 出 の回顧 第 一巻 二八九 第 二號 一 曲 譜 國 と交 渉 を も つ に 過 ぎ な か つ.た 。 ﹁隊 商 は 絹 を 荷 物 に し て 二 百 四 十 三 日 を 費 し 、 支 那 海 か ら シリ ア海 岸 ま で ア . . . 一 「 L. 8 フ ラ ン スの対丈 経 済 進出 の回 顧 第 一巻 二九〇 第 二號 ニ ジ ア 大 陸 を 横 ぎ った ﹂ と 史 家 ギ ボ ンは 記 し て み る が 、 實 質 的 に は 支 那 は ま だ 欧 洲 諸 國 に向 っ て 鎖 さ れ て み た 。 十 六 世 紀 に 隊 洲 か ら 廣 束 への 航 路 が 開 か れ て も 實 質 的 の憂 化 は も た ら さ す 、 支 那 の 扉 が 西 洋 の た め に 開 か れ た の は 、 そ れ よ り 三 百 年 も 後 の こ と で あ っ た 。 即 ち ポ ル ト ガ ル 人 が 一五 一七 年 に 支 那 に 来 て、 一五 五 〇 年 頃 に は 貿 易 ア 人 は 北 か ら 支 那 に 措 つ い て、 = ハ八 九 年 ネ ル チ ン ス ク 條 約 向 ・①借#.。碧 獄. ・ ・擶 に の た め に マ カ オ に 定 住 す る よ う に な り 、 オ ラ ンダ 人 と イ ギ リ ス人 が そ れ に緩 い た のは 、 そ れ か ら 一世 紀 も 後 の こ と で あ っ た 。 を の閻 昇 よ って 互 に貿 易 上 の利 益 を 牧 めた 。 欧 洲 人 の支 那 に求 む る 動機 は 全く 貿 易 であ った。 十 入 世 紀 に 入 っ て 次 第 に 廣 東 前 に マ カ オ に お け る 取 引 が 盛 にな り . 支 那 の 特 産 物 た る 茶 . 絹 等 を 輸 出 し た が 、 そ れ に 射 し て 支 那 に は ま だ 欧 洲 商 品 に 封 ず る 需 要 が 起 ら す 、 稚 も す れ ば 片 貿 易 に 経 っ て. みた 。 そ の差 額を 埋 め る に 役 立 つ た も の は 阿 片 で あ り 、 銀 で あ った 。 支 那 は 貿 易 上 よ り 見 れ ば そ れ 程 自 給 自 足 的 で あ った の で あ り 、 支 那 が 世 界 第 一の 文 明 國 で あ る と 云 ふ 自 負 心 を も つ て み た の で あ る 。 欧 洲 の貨 物 に 封 し て ほ ん と の 需 要 の起 り 始 め た の は 、 十 九 世 紀 に 入 っ てか ら と 云 っ て よ い。 阿 片 戦 争 に 結 末 を つ け た 南 京 條 約 (一八 四 二年) は、 種 々 の 意 味 に お い て 支 那 の 劃 外 開 係 の 上 に 重 要 さ を も つも の で あ った 。 そ れ は 支 那 が 欧 洲 諸 因 と 正 式 の 條 約 を 結 び 対 等 の 地 位 を 認 め た も の であ る こ と に 於 て 、 隊 洲 諸 国 が フ ラ ン ス(一八 四四 年)、 ア メ そ の 要 求 を 支 那 に 押 し つ 断 て 通 さ せ る 最 初 の謹 明 で あ っ た こ と に 於 て 、 叉 欧 洲 諸 国 の 封 支 政 策 の基 礎 を 築 い た と と に 於 て、 重 要 な 意 味 を も つ も の で あ った 。 イ ギ リ ス の つけ た こ の先 鞭 に 倣 っ て、 リ カ (一八 四 四年 )、 ス イ ー デ ン、 ノ ル ウ ユイ(一八 四七 年 ) の 諸 國 と の間 に 條 約 が 結 ぼ れ 、 歌 洲 の 勢 力 は 公 然 自 由 の } ﹁. , . ・ ⋮ 關 係 に お い て 支 那 に進 入 す る よ う に な った 。 約 に至 る迄 の欧 洲諸 国 進入 ( ﹀α邑 ω。・陣 8 )の時 代 、 (三 ) そ の後 世 界 大 戦 に 至 る 欧 洲 諸 国 侵 攻 ( b oqm 。話 。。。・ざ昌)の 支 那 と 列 國 と の 交 渉 の歴 史 を 四 つ の時 代 に 分 ち 、 ( 一) + 八 世 紀 末 に 至 る 迄 の欧 洲 隔 絶 の時 代 . (二 ) そ れ よ り 、 天津條 .・ 時 代 , (四 ) 民 国 革 命 よ り 現 在 ま で 清 算 平 衡 化 の 時 代 と す る も の が あ るd と に か く 十 九 世 紀 の 前 半 に 於 て は イギ リ スを 先 達 と し て 列 国 が 家 籍 に 入 り 込 ん で 奈 た 跡 が 見 ら れ 、 後 半 に 於 て は 列 國 は 競 っ て 攻 略 的 態 度 に 出 て来 た 事 9 を 注 目 す べき で あ る。 民國 革 命 は 支 那 の国 民 的 自 畳 を よ び起 した も の であ った が 、 日 文事 攣 は 更 に民族 的 反省 を 促 す も の で あ る 。 な が く 厭 米 の殖 民 地 化 せ ら れ 、経 済 的 利 益 を 壟 断 さ れ て る た 支 那 は 、そ の 本 然 の 地 位 に 眼 ざ め 、 ロ ゆ 7 ラ ン ス の東 部 造 出 フ ラ ン スは 欧 洲 を 除 いた 何 れ の 部 分 に も . 本 國 の 面 薔 に 二 十 倍 す る 廣 大 な 植 民 東 豊 ハ禁 国 の 翼 ・じ て日本 、 程 捜し ﹂民 族 的獲 展を 継げ な く ては な ら ぬ時 が來 てる る ので あ る ・ レ 昂二 地 を 持 っ て る る が 、 そ の 本 格 的 な 獲 展 は 十 七 世 紀 の央 ぱ に 始 ま っ た と 構 し て よ い 。 そ れ は ヘ ンリ 四 世 を 初 め 宰 相 リ シュリ ュー ( 固 67。嵩。ロ) 、 コ ル ベ ー ア (∩oぎ臼 こ 等 の 努 力 に よ っ た も の で あ っ て, 米 大 陸 か ら 東 西 爾 印 度 に 獲 展 し た 。 當 時 西 欧 諸 国 を 風 廃 し て み た マア カ ン テ ィジ ズ ム の思 想 に 立 脚 し て 、本 國 生 産 者 の た め に 市 場 を 確 保 し 、 航 海 . 業 を 獲 達 せし め、 本 國 に必 要な 原 料 資 材 を 獲 得 す る と とを 目的 とし て みた 。 + 八 世 紀 の 世 界 歴 史 の骨 子 は 英 佛 の 植 民 政 策 の 衝 突 と も 云 ふ べ く . オ ラ ンダ の国 力 の衰 微 と そ れ に 伴 ふ 植 民 的 勢 力 の後 退 の た め に フ ラ ン スが そ の 地 位 に 代 り 、 叢 に イ ギ リ スと の間 に 角 逐 が 行 は れ る よ う にな っ た 。 そ の 結 果 第 一巻 二九 } 第 二號 三 は 概 ね 7 ラ ン ス の後 退 と な り 、 そ の 状 態 の ま ﹂ に 十 八 世 紀 末 か ら 十 九 世 紀 前 半 に わ た る 欧 洲 の動 齪 期 を 迎 へた 。 フ ラ ン スの封 支 経済 進出 の回 顧 」 】 .、. oftheirrelations,London1827,1≡1.。 Powers,Anhistoricalreview 1)FrederickWhyte,Chiロaand:F(:lrl∋:igl皿 フラ ンスの封 皮経済進 出 の回顧 ひ・ 屡 第 一巷 三九二 第 二號 勢力 の均 衡も 保た れ るよ う にな る に連 れ て、 飴 力 を海 外 に向け て富 婆 四 圖 ら うとす る 傾向 が再 斑列国 は 内 政 上 並 に勢 力 均 衡 上 の 問 題 の た め に海 外 磯 展 に 意 を 用 ふ る 機 會 を 得 な か った が 、 一旦 揮 齪 さ 煎 た 国 内 の 秩 序碁 焚 展. ア { . ・ の ・、リ 。ビ 嶺 有. 馨 均等 毒 南 進. ド ズ ぴ 強 く な っ て 来 た 。 列 国 が そ の 劃 象 と し た のは ア. フリ カ 大 陸 で あ り 、 十 九 世 紀 末 に 至 っ て漸 X 一段 階 を 示 し た そ の署 し い現 象 で あ っ て、 日 本 の罐 進 出 も ほ ぼ 之 と 前 後 し て 盛 ん にな った 。 イ ギ リ ・ の 印 度 及 び 海 峡 植 民 地 の獲 得 、 ・ シ み 隠か、 フラ ン スは 北 部 並 に 中央 に 亘 っ て慶 大 な 植 民 地 を 得 た 。 列 国 の墨 ・ イ ッ の南 洋 群 島 進 出 葦 亀 に よ る東 亜 への開 心 強 化 等 は 、 東 亜 に於 け る 事 態 を 繁 く す る に至 った 。 フラ ン スも とれ 等 の聞 に伍 し て決 し て後 闇 れ を と っ ては み な か った 。 の築 いた 地盤 の上 に 傳 道 を 第 一の目 標 と し. フ ラ ン ス の東 亜 進 出 は 印度 支 那 を 足場 と し て 行 は れ た も の で あ った が 、 そ の出 動 は 葡 .蘭 両 国 よ りも 後 れ て ゐ た 。 そ れ は 日 本 を 逐 は れ て こ の 地方 に移 っ た ゼ スイ ット 派 ( Hom 三邑 、 同 時 に 貿 易 を も 件 っ て み た も の で あ った 。 十 八 世 紀 の末 頃 ピ 二才 ー司 ⋮ 教 ︹ 躍 碧 。四目 匙。 ロゴ警 四陣 昌Φ) は 、 叛 齪 の た め に 首 都 順 化 を 逐 は れ て る た 安 南 親 王 旗 師 輻 映 を 援 け , そ の 代 償 と し て ,ツ ー フ ン ( 目。ロ.固目。) 及 び 毘 嵜 島 爲 。億一・,o。5, . ム o冨 )を 獲 る こ と ﹂ な っ た 。 フ ラ ン ス が 印 度 支 那 に 干 渉 の 端 緒 を な し た の は 、 こ の 一七 八 七 年 の ヴ ェル サ イ ユ條 約 で あ ら う が、 當 時 フ ラ ン ス の革 命 と そ れ に 次 ぐ 政 攣 のた め に. 條 約 は實 現 さ れ る に 至 ら な か った 。 院 幅 映 は かく フ ラ ン ス の 力 を 借 り て 安 南 を 統 一し . 一八 〇 二 年 王 位 に 就 い た が 、 然 し そ の 後 継 者 は 俳 人 の 専 横 を 憎 み . 宣 教 師 を 迫 害 し た が た め に, フラ ン スは そ れ に藉 口 し て スペ イ ンと 聯 合 し、 先 の條 約 の 履 行 を 迫 った が 容 れ ら れ す 、 一 / ' 亭. 八 五 九 年 に 西 貢 を 占 領 し た 。 こ の事 件 は 一入 六 二年 の西 貢條 約 に よ っ て解 決 し 、 フ ラ ン スは これ によ っ て交 趾 支 那 の東 部 三 州 及 び 箆 盗 島 の 割 譲 を 受 け 、 印度 支 那 に 確 乎 た る 地 歩 を 占 む る に 至 った 。 そ の翌 年 に は 、 當 時 安 南 と シ ャ ム と の間 に苦 し め ら れ て み た カ ム ボ チ ヤ も フラ ン ス の 保護 領 と な った 。 斯 く し て フ ラ ン スは 印度 支 那 の南 部 地 方 に 足 場 を え た が 、 關 心 は 次 第 に 北 方 に移 っ て行 っ た 。 こ の 頃 か ら 紅 河 を 通 じ て雲 南 に 出 で 、 更 に 揚 子 江 流 域 か ら 四 川 の寳 庫 を 開 拓 し よ う と す る 野 心 を も つ て み た ど 云 は れ る 。 然 る に 安 南 政 府 は 紅 河 航 行 に勒 し て 抗 議 し た か ら 、 一八 七 三 年 7 ラ ン スは 紅 河 デ ルタ を 占 領 し、 一八 七 四 年 の 西 貢 條 約 繋 窟 し、 . ゐ 畜 矯 す る關 心 藻 め て餐 と唐 .安南 はそ の勢 に磐 、 支那 と通謀 し 羨 撃 起し. ま に よ って 交 趾 支 那 六 州 の占 有 、 安 南 に 劃 す る 保 護 樺 の確 認 . 紅 河 の航 行 並 に通 商 の自 由 を 獲 た 。 7 ラ ン スD 政 治 情業 た 條 約 の 履 行 を 拒 否 し よ う と し た 。 フ ラ ン スは そ の背 信 を 憤 り 大 軍 を 派 し て こ れ を 責 め た 。 そ の 結 果 一八 八 三 年 の條 約 に よ っ て、 ト ンキ ン は 完 全 な る Z フ ン スの保 護 領 とな り , 一八 八 四 年 の 天 津 條 約 に よ っ て 支 那 は 從 來 ト ン キ ン及 び 安 南 に お い て有 し て み た 灌 釜 を 失 ひ 、 同 年 安 南 と の平 和 條 約 に よ っ て カ ム ボ ヂ ヤ に 封 ず る 保 護 擢 を 強 化 す る こ と にな っ た 。 ラ オ スに フラ ン ス の保 護 権 が 確 立 さ れ た の は 一八 九 三 年 の 佛 遅 條 約 に よ る の で あ っ て、 ラ オ 二九 三 第 二號 五 領 印度支 亜 経 磨 調 査濁 型 南 洋 叢 書 第 二 巻,佛 掲 書 の 邦 鐸),東 十 五 年(前 スを 助 け シ ャ ムを 撃 退 し て 自 己 の勢 力 範 劇 に 加 へた 結 果 で あ る 。 か く て 印 度 支 那 に お け る フ ラ ン スの 支 配 櫻 は 打 ち 立 て ら れ た が 、 聯 邦 組 織 が 印 度 支 那 に結 成 され た の は 一八 八 七 年 で あ った 。 フ ラ ン スの 封 支 進 出 は 更 に こ 製 を の 足 場 ど し て企 てら れ た 。 第 一巻 フ ラ ン スに は 植 民 地 は 高 便 で あ る、 何 よ り も 採 算 の とれ る こ と が 必 要 で あ る と 云 ふ 思 想 が 起 き て み た。 印 度 支 フラ ンスの封支 経済進出 の回顧 . 2)磐贈 諡 馨 餐諾品品 懸 境::窪 、:雄 蕊漁 認1櫨 鵠 frangaise,Paris,ユ939; 外 務 省 南 洋 局,佛 領 印 度 支 那 縄 濟 登 達 史,昭 和 、 }.. フラ ンスの鉗支 経濟 進出 の回顧 第 一巻 二九四 第 二號 六 那 のた め に沸 つた 莫 大 な 犠 牲 に 射 し て 何 等 の報 酬 も 得 ら れ な い と 云 ふ の は 實 に 堪 え が た い こ と で あ る と 考 へた 。 植 民 地 は 本 國 製 品 の市 場 と し て 留 保 さ れ る こ と が 必 要 で あ り , 植 民 地 の 原 料 品 叉 は本 國 に類 似 品 のな い生 産 物 が 排 他 的 に 本 國 に 行 く よ う な 組 織 こ そ 善 良 な 植 民 組 織 で あ っ て、 そ れ か ら 一歩 で も 離 れ る よ う な ら ば 、 植 民 地産 業 は 却 っ て本 圃 産 業 に 封 ず る 敵 で あ る と 謂 ふ 考 へが あ っ たα 3)R・bequain,。P.・it.pp.146,邦 繹 書,八 二 頁 。 4)爾 ほ こ れ 等 の 貼 に 就 て はR.Levy,Lescons6pu£:口cl;Bdudevelopp・ 然 る に第 }次 欧 洲 大 戦 に あ 距 っ て は 、 印 度 支 那 の草 除 や糧 食 が フ 、 'ン ス に供 給 せ ら れ . 從 って 印 度 支 那 開 装 論 が 再 び 頭 を も た げ て來 た 。 大戦 後 フ ラ ン スの 植 民 熱 は 更 に 昂 揚 せら れ 、 印 度 支 那 に は フ ラ ン ス沓. 本 に よ る事 業 會 肚 が 簇 出 し、 投 資 は 増 加 し 、 墨 術 的 研 究 も 盛 ん にな り 、 小 論 や 映 書 によ る 紹 介 も 盛 ん に な っ て、 フラ ン ス 一般 の 注 目 を ひく よ う に な った 。 近 く は 又 印 度 支 那 の特 殊 地 位 を 認 む る 傾 向 とな り 、 佛 麦 間 一九 二 八 年 の南 京 條 約 に お い て 、 印 度 支 那 の 地 位 は 他 の協 定 を 以 て確 定 す る 旨 の議 定 書 を 附 驕 せ し め 、 叉 一九 三 二年 に は 目 印 支 間 のみ の特 別協 定 を 許 し た 如 き は 、 そ の動 向 を 示 す べ き 一つの 指 針 で あ った 。 総 じ て フ ラ ンス の海 外 獲 展 は 政 治 的 形 式 的 権 益 は あ る が , 経 済 的 實 質 的 敷 果 を 攻 め て み な い。 そ れ は 國 情 の反 映 とも 云 ふ べ き で あ ら う か 。 そ の と と は 佛 印 の猷 態 にも 現 は れ て る る の で あ っ て、 そ こ に は 統 治 さ れ た 佛 印 は 見 ら れ る が、 経 済 的 に 働 き 文 化 的 に 動 く 佛 印 を 見 る こ と は 出 来 な い。 こ の 状 態 は打 開 さ る べ き で あ っ て 、 東 亜 共 榮 . 圏 の 一環 と し て、 東 亜 民 族 の た め に、 又 フラ ン ス の利 益 のた め に、 印度 支 那 はも っ と 積 極 的 に纒 濟 活 動 を 起 さな く て は な ら な い。. 和 十 二 年,VirginiaThomp$on,French.1:nピLD.China,London, 那 篇,昭 1937. 外国 に封ず る慧 國 により異 な る讐 馨 ニ 勢 の移動 の形墜 蕩 とる べく、 劃 ではそ の総 て に亘らす 、 專 ら馨 .財 貨,資 杢 フ ラ ン スの封 支 投資 の 沿革 的進崖 を 示し てみる。 モ に 至要 で フ・フン スの塑 . ︿ 蕩 莫 津 ・北京 條 約 の締穆 の封支蕩 に つ いて z は多方 面 に髪 って 見, に追 フラ ン 7ンス進出 の経響 至る ま では、 毒 ・ギ 呉 て行 き た い。 そ れ は 定 着 的 性 質 を 有 し 、 あ ら ゆ る経 済 活 動 の 地 盤 と な り 、 抜 き が た い勢 力 と な る が 故 に、 昌 ス の 投 資 活 動 が 如 何 な る 状 態 に あ る か は 、 国 際 情 勢 よ り 見 て甚 だ 興 味 ふか い問 題 で あ る。 至 を要 薯 境量 す べ窪 の回顧 第 暮 る航 行磐 二九 五 覆 第 一號 した が・常 時 清國 にこ 併 せ て・ 雲南 省 内 七 ことを約 、 天 八四年 及 び 天 とを要求 し た・清 國 は覆 に移 され, フ・ ン スは右 の航 行催 商 のた め凝 岸 とし て開 放 し , 佛 國 蟹 の駐 在 を 認 め る ・ た が. 清 國 は徹 底 的 に これ に抗す る ・と を寧 の 一港 鑑 し たた め、 交渉 は佛 鶴 Z フンスは西 貢條 約 (天 七四年)に よ っ て、 紅 河 ・よ 曇 随す り ○方 針 を と っ て来 た 。 同 條 約 の 締 結 以 後 は 次 第 に積 極 性 を 加 へ. 印 度 支 那 の 邊 境 か ら 支 那本 土 を 窺 ひ は じ め た。 響 政府 は安 南 に封ず る宗 毒 間 の衝突 を㌍ に許 す べき こと. 雲 薯 した が た めに讐 の紅 河 航 行を佛 國賠 れを暮 境 諒 山を 通 曹 人 五 年 の 爾 度 の條 約 に よ っ て次 の 如 き 槽 利 を フ ラ ン ス に與 へる に 至 った 。 一、 清 國 は 雲 南 省 境 保 勝 。廣 薯 二 、 ト ン キ ン と 雲 南 ・廣 東 ・廣 西 各 省 と の陸 路 通 商 に 關 す る章 程 の議 定 を 約 す 。 欝 三 、 清 國 政 府 が 安 南 隣 地 一帯 に 鐵 道 を 建 設 す る 場 合 に は 、 フ ラ ン ス の 事 業 團 に 協 力 の 機 會 を 與 へる Z フンスの鉗支 欝 参.母 。 duJaponp(旧rrErnpirefran7ais,Paris,1937を menヒ6conomique す。 7 ラ. ン スの 封 皮 経 濟 進 出 の 回顧 第 一巻 二九六. 第 二號 八 斯 く の 如 く フラ ン スは 十 九 世 紀 役 牛 以 来 、 南 受 か ら 支 那 南 部 三省 に 向 っ て そ の勢 力 を 浸 透 せ し め ん と す る 素 地 を 築 いた 。 當 時 フ ラ ン ス の封 支 投 資 が 幾 何 に 上 った か に就 て は 、 ルヴ イ ! が 一八九 七 年 に於 て 7ラ ン ス の支 那 に 有 す る 諸 利 益 を 五億 法 を 見 積 っ て み る 以 外 に は、 こ れ を 具 さ に 知 る ご と を 得 な い。 然 し 諸 般 の 事 情 よ り 察 す れ ゴロ カ コ ち ヨヒ ヘ ト ロ サ コ ヘラ リラ ノ レラア コ セ エ ロ ヒ ヤサ ロ コト く ヤロ ア ロ く ぼ コ ね E 溜 場 毎 に 詮 ヌ、 ま で の フラ ン ヌ の嚢 笈 摺 贅 は ナ 湖 分 貿 裂 滴 肚 に階 聘 す る も の と , 布 漱 團 騰 の 所 有 す る 土 地 日清戦 争後 よ リ 日露戦 事 に至 るま で 日 清 戦 争 の結 果 と し て 一八 九 五 年 日 本 が 遼 東 牛 島 を 領 有 せ ん と 建 物 によ ってト 阻め ら れ て み た こ と は 疑 ふ べく も な い。 第 二 し た と き , フラ ン スは ・ シ ア ・ド イ ツ と共 に 三國 干 渉 に よ り 日 本 を 駆 迫 す る と 共 に、 ・シ ア と 共 同 し て 支 那 に謝 し 賠 償 金 支 佛 の た め 四 億 法 の借 歎 に雁⋮ じ た 。. 同 年 フ ラ ン スは 印 度 支 那 諒 山 よ り 廣 西 君 寵 州 に 至 る 鐵 道 敷 設 擢 を 得 、 更 に 雲 南 ・廣 西 ・廣 東 に お け る鑛 山 経 管 の際 に は 、 技 師 そ の他 の所 要 人 員 を フラ ン ス に求 む べ き こ とを 約 さ しめ た 。 衣 で 一八九 七 年 に は 海 南 島 不 割 譲 協 定 を 結 ぶ と 共 に 、 ペ ルジ ュー ム ・シ ンデ イ ケ ー ト の 名 を 籍 り て ロシ ア と 共 に京 漢 鐵 道 倍 数 の設 定 を 策 し、 武 昌 取 極 並 に 上 海 取 極 を 通 じ て 百 十 二億 五 千 萬 法 (四百五十 萬榜) の薦 漢 鐵 路 借 款 を 締 結 し た 。 こ の 鐵 道 利 櫻 は後 に イ ギ リ ス の資 金 的 援 助 の 下 に支 那 によ っ て回 牧 さ れ た が 、 他 方 能 州 鐵 道 を 廣 西 省 の 南 寧 及 び 百 色 方 面 ま で 延 長 す る 椹 利 、 並 に 百 色 河 又 は 紅 河 の流 域 を 貫 い て 安 南 國 愛 と 雲 南 省 首 都 とを 結 ぶ 鐵 道 敷 設 椹 を 獲 得 し た 。 そ の 翌 八 九 八 年 の租 借 地獲 得 職 に當 っ て は廣 州 瀦 を 租 借 し 、 ト ン ヰ ン國 境 よ り 雲 南 府 に 至 る 鐵 道 の敷 設 擢 を 獲 た 。 desDeuxMondes,March15,1897,P.439. FEt:ranger,"Revue 5)R.G.Levy,"For亡uneMobiliLlrdelaFrance;査 斯 く の如 く フラ ン スは 日 清 職 事 後 、 雲 南 ・廣 西 及 び 廣 東 西 部 に お け る勢 力 圏 の 彊 化 を 圖 る と共 に、 鐵 道 利 檬 の 設 定 に忙 し か った が、 當 時 實 際 に所 有 し て み た 鐵 道 は 僅 に諒 山 ・フ ラ ンツ ォン 萄﹃巳き α q↓言 。轟 )間 の 一小軌 鐵 道 に 過 ぎ な か った 。 然 る に 一八 九 八 年 フラ ン スの 下院 は 、 雲 南 銭 遣 會 肚 に補 助 を な し 得 る灌 限 を 印 度 支 那 政聴 に 與 へる 法 律 を 議 決 し 、 一九 〇 一年 六 月 同 改 廃 は 巴 里 の シ ン デ イ ケ ー ト に 雲 南 鐵 道 の 建 設 及 び 海 防 ・雲 南 間 鐵 道 の瞥 業 を 特 許 し た の で あ った 。 か く し て 一九 〇 三年 愼 越 鐵 路 公 司 ( ド国 ∩o日冨 碧 冨 閑話黒山嗣 器 α① ωΩ6目ぎωα①閃巽 Ωo ぎ亀?O喜 5 ①酔αロ 網雪 目国コ)が 設 立 せら れ 、 支 那 と の問 に 中 法 会 訂 演 越 鐵 路 章 程 が 結 ば れ た 。 こ の鐵 道 會 肚 は 形 式 上合 辮 とな って み る が 、 事 實 上 は 満 洲 に お け る東 清 鐵 道 會 肚 と 性 質 を 同 じ う し 、 純 然 た る フ ラ ン ス の會 肚 で あ っ て鐵 道 は 7 ラ ン ス の財 産 で あ った 。 フラ ン ス は 叉 雲 南 鐵 道 の 建 設 と 前 後 し て、 正 太 鐵 道 借 款 、 沐 浴 鐵 道 借 欺 を 許 し 、 更 に 九 〇 〇 年 の義 和 團 事 件 に 際 し て は 、 支 那 の賠 償 金 穂 額 四 億 五 干 萬 海 關 爾 の 中 七 〇 、 入 七 八 、 二 四 〇 海 關 爾 を 得 る こ と Xな った 。 當 時 の フ ラ ン ス と の 封 支 投 資 活 動 を 通 じ て見 ら れ る 顯 著 な 特 色 は 、 イ ギ リ スに 封 抗 す る た め に 官 シ ア と の 間 に 緊 密 な 提 携 の行 は れ た こ と で あ る 。 當 時 フ ラ ン ス資 本 は 露 清 銀 行 ( ゆ雪 ρ口① 困口ω。・ 。卜 。。 苺 置目Φ) を 通 じ て 各 種 の 封 支 借 款 に 投 下 さ れ た の で あ った が 、 と れ は 勿 論 露佛 合 作 の銀 行 で あ った 。 こ の銀 行 はも と ロ シ ア の東 方 政 策 殊 に東 清 鐵 道 敷 設 橿 の 獲 得 と 相 俟 っ て、 所 謂 ﹁銭 遣 と銀 行 に よ る 支 那 の征 服 ﹂ を 目 的 と し て 設 立 さ れ た も の であ る 。 そ の資 金 の 過 半 を フ ラ ン ス に仰 い で み る 關 係 か ら 、 フ ラ ン スも ま た こ の銀 行 を 封 支 経 済 進 出 の機 關 と し 、 これ を 通 第 一巻 二九七 第 二號 九 じ て フラ ン ス資 本 の投 下 が 行 は れ た の で あ った 。 ・ シア に封 ず る フ ラ ン ス の投 資 關 係 は か く れ も な い事 竃 で あ っ フラ ンスの封支 経済 進出 の回顧 , た 。 第三 フ ラ ン スの 封 支 経濟 進 出 の 回 顧 日 露 戦 孚 後 よ り 第 一次 欧 洲 大 戦 に 至 る ま で 活動 は ・シアと の緊婁 暴 第 一巻 二九 八 第 二號 一〇 日 露 戦 争 に お け る ロ シ ア の敗 戦 は そ の極 東 政 策 を 挫 折 せ 着た り し イギ リ 日 露 戦 争 以 前 の フラ の下 に 行 は れ た も の で あ った が、 そ れ 以後 は 多 年 の馨 し め た が 、 そ れ は フ ラ ン スの 封 支 投 寳 活 動 の 上 にも 一大 韓 機 を も た ら す も の で あ った 。 即 ち ンスの馨 ロ し へノ な コ こロ れロ こ コ ロニユる し ユ ミ ダ ヌ セ ニ 一ツ. ⊂ ・ ノ^ ﹃多 男 倶 に 芳 渡 銭 鎚 刑 糎 廼 救 難 郵 の 薫 る や . 五 百 萬 碍 の 英 佛 共 同 借 欺 に 臆 す る な ど そ れ で あ っ スと 提 携 す 岬 Qこ と に な っ た 。 例 へ ば 一九 〇 五 年 に は 英 佛 シ ンデ ィケ ー ト を 組 織 し て 川 嘆 及 び 男 漢 鐵 道 へ の 貸 付 に ピぬいち 礁一 し め た 如 き , 畳日時 の欧 洲 情 勢 の 反 映 で あ る ・ と勿 論 で あ ・ 。 回 覧 を め ぐ っ て列 國 間 に角 禁 をあ 婁 行 は れ 、 そ の葦 . ・ § 6庄屋 九 西 年 には欽楡 借欺 讐 契約 籍 る に至 六百轟 目 的 と し た も の で あ っ て・ せ し め・ 借 款 馨 とし て四囲婁 團に 翁 の開 婆 銀行 ( `。 フラ ン スは 響 ら な か っ た 。 佛 支 合 辮 の中 法 纂 んだ。當 時 の ・・ ンスの馨 活動 は固 吉 く 震 世 凱 と の間 に 一億 五 千 一九 = 二年 に 設 立 さ れ た も の で あ る ・ 爾 来 機 關 を有 す る 垂 そ の名 の 示 す 如 く 印 度 嘉 ・,・ロ・口。琶 の銀 復 從 事す る 馨 態 に鑑 み 、 團 の成立 覧 ま た そ れ は 、 常 に 他 国 の背 後 に 隠 猛 た 。 か く の 如 き フ ラ ン ス の 態 度 の 攣 化 は 、 英 佛 の 封 猫 關 係 が 次 第 に 緊 迫 化 し 、 そ の 結 果 一九 〇 四 年 の 英 佛 協 商 を 成等 震 國 に 便 乗 し て利 権 を 獲 得 す る フラ ン スの 傳 統 的 射 支 政 策 の 現れ で あ る と も 云 ひ得 よ う 。 更 に 一九 = 年 湖 贋 金 開逡 せ た。,も き った 際 にも 、 フ . フ ン スは 東 方 涯 理銀 貨 Z . ン スは 專 ら 嘉 の 申 そ の 四 分 の 一を 引 書 當時農 。ロ。一 昌亀ロ、 . . 一 。=。。①。三目Φ)は か く の 如 誤 借欺 を結 び、 そ の垂 の甥 支 投 資 擬 闘 を 持 っ て活 渓 な 行 動 を 起 し 得 る こ と に な っ た。 と の銀 行 は 設 立間 も な 萬 法 の纂 (}千暮 )に攣 る な ど. 銀行 暮 景 とし鐵 道を 蒙 とす る 支 那 の 慧 的征 か 玉 る 軍 猫 の投 資 の み に は 止 ら な か った 。 そ の外 に ベ ルジ ユー ムと 共 同 し て 一九 一二年 の朧 海 鐵 道 借 欺 (二億五千 萬法) 、 一九 一三年 の同 成 鐵道躾 姦 洲毒 後 よ り滴 洲 墨 第 一姦 覇 よ る深刻な る打警 に至 るま で 竃 とし て蕩 轟 みる馨 米諸 因 を し て嘉 絵 の暴落 と薙 竃 なる を圖る 洲透 ・蓉 て のみ蔭 叢 行 す ・ フラ ンス磐 り. フ⋮ 7ン ス の 劇 支 投 資 活 動 は ⋮ に芒 を 求め て中 警 淡 しな か った・ す べく 支那 政府 の努 極 東 の債響 銀建 支進 出 れた 中 渋墨 落 の影響 によ つて・ 再蓄 讐 法纂 服 は 、 第 一次 欧 洲 大 戦 に至 る ま で着 々と 進 め ら れ た の で あ る 。 而 し て それ は こ の期 間 の封 支 進 出 を特 徴 づ け る も 茎 の で あ った 。 醤 ス壌 極 め た。加 ふる に封支 投資轄 た し めた か った が、戦 後 の フ・ ⋮ 。と頗 . 。国 警 つた . フ・ 7ンス政 府 は ・ の銀行 の破禦 不 良 貸 付 . 銀 爲 替 田心惑 の 隔六賊 等 の た め に 、 一九 二 ⋮年 途 に 破 綻 の 止 む な 糞 に 護 緩 の叢 く籍 塞 大 な影 響 を 及ぼ すも のた る ・とを 認め、 急遽 ・れ に落 會 肚を 組織 し た。然 し そ の整 理は 所謂金 ・ラ ン問題 の係争 と絡 み容 易 蓬 支政策 量 蒙 ・璽 並 に慈童 國 ・有 雲 萎 に支出 す べき に用 ふる ・と む 二九九 瀕 し て みた中 警 第 二號 業 銀行 一一 の救 よ り 支 出 す る と と と な った くて と提 議 し、 支那 側も これ に賛 意を 表 した・ か 、第 一には當時 破薩 即 ち 一九 二 二年 團 匪 賠 償 金 の 五 ケ年 支 佛 猫 豫 期 間 の満 了 期 が 近 づ く や 、 フ ラ ン スは 該 賠 償 金 は 向 後 支 那 に 返 還 す るも そ の使途 は佛 斎 済 費 に、第 二 には佛支 間 の警 同 行 復 活 のた め 支 那 側 の 未 佛 込 株 金 並 に支 那 政 府 の同 行 に 封 ず る 債 務 は こ の 賠 償 金 よ 第 一巻 が 、 當 時 フ ラ ン ス に て は 法 貨 の 償 値 著 し く 低 落 せ る 折 柄 で あ っ た か ら 、 支 那 側 は 支 梯 常 日 に おけ る 電 信 爲 替 に フラ ンスの封皮 纒濟 進出 の回顧 甲 、 フラ ンスの樹 支経済進出 の回顧 第 一巻 三〇 〇 第 二號 =一 る 支 彿 を 主 張 し 、 フ ラ ン ス側 は こ れ を 金 法 の爲 替 相 場 に 攣 更 す べ き こ と を 要 求 し た 。 か く て銀 行 救 濟 案 は 暫 く 停 頓 の 状 態 に陥 った が 、 支 那 に 於 て は こ れ が 政 治 問 題 と 化 し、 フ ラ ン スに 於 て は 支 那 の關 税 改 訂 に關 す る ワ シ ント ン條 約 の 批 准 及 び 鰻 筒 救 済 のた め にす る 輸 入 税 附 加 税 の提 議 に 撤 し 反 射 す る 原 因 とな り . 紛 糾 を 極 め る と と にな つた 。 途 に 一九 二 五年 四 月 に 至 っ て支 那 側 の 譲 歩 に よ り 、 亥 の如 き 協 定 の 成 立 を 見 る こ と が 出 來 た 。 そ の要 黙 は . 一九 二 四 年 十 二 月 以 降 フ ラ ン ス の 受 取 る べ き 賠 償 金 に 相 當 す る 金 額 (三九 ⋮. 五八 ⋮、 五 二九油11 七 五、 訴五六、 九 六 四弗 ) の 五 分 利 付 米 貨 公 債 を 糞 有 し ,こ の公 債 は 亜 に ご 彫 を ハイ) 中 法 貨 業 銀 行 の極 東 債 椹 者 に 交 付 し 、 (・﹀ 教 育 及 び 慈善 事 業 を 目 的 と す る 佛 支 協 會 に 下 附 し 、 (ハ) 支 那 政 府 の 所 有 に か Σる 中 法 實 業 銀 行 の 未 携 込 株 式 の 整 理 及 び 同 行 に鉗 す る 支 那 政 府 の 債 務 整 理 に あ て る こ と に な った 。 こ の協 定 の 結 果 と し て 中 法 質 業 銀 行 は 中 法 商 工銀 行 ( じdき ρま 厚 き 8 6三昌9ω 。冒 昌 一 。O。旨旨興8 。 二. H ⇒} ゆ且 。∀ と 改 構 さ れ、 資 本 金 を 倍 加 し て 二 千 萬 法 に し た。 と の 頃 か ら フラ ン スの 封 支 貿 易 も 漸 く 戦 前 の 水 準 に 復 蹄 し た が . フ ラ ン ス の欧 洲 大 戦 に よ っ て 受 け た 瘡 痩 は深 く 、 軍 猫 に 封 交 信 欺 に 乗 出 す ほ ど の飴 力 は な か った 。 假 にそ の 意 圖 が あ る に し て も 、. そ の 後 支 那 に興 って 來 た 民 族 運 動 に よ っ て妨 げ ら れ た と 見 る べ き で あ る 。 一九 二〇 年 十 月 フ ラ ン ス は新 四囲 借 欺 團 に 加 入㌧ て. 再 び 封 支 投 資 を 始 め よ う と す る 態 勢 を 示 し た が 。 こ れ は 欧 洲 大 戦 中 に支 那 に お い て 急 激 に勢 力 を 得 た 日本 を 牽 制 す る た め に 組 織 さ れ た も の で あ り 、 他 の 團 髄 が支 那 に與 へる こ と を 抑 制 す る 以 外 に、 何 等 積 極 的 な 活 動 を な し 得 な か った 。 そ の後 満 洲 事 攣 に 至 る ま で に 、 フラ ン ス の封 支 経 済 は 殆 ど 貿 易 の面 に 限 ら れ て み た 。 第五 満 洲 事 攣 後 よ り最 近 ま で 満 洲 事 饗 の 畳用時 フ ラ ン スは 深 刻 な 世 界 恐 慌 の 鯨 波 を 受 け る と 共 に、 欧 洲 政 ] 局 の 紛 糾 を め ぐ る 外 交問 題 並 に國 内 政 治 問 題 の調 整 に 忙 し く 、 極 東 に注 意 を 向 け る 鯨 裕 も な か った 。 然 し 一九 三 三 i 四 年 頃 よ り 、 蒋 介 石 に よ る 支 那 國 内 統 一運 動 の漸 く そ の緒 に つく や 、 列 国 資 本 の支 那 への開 心 は 再 び 昂 ま り 來 り 、 フラ ン スも 在 支 灌 釜 の 維 持 に努 め る と 共 に, 新 た な る 経 済 進 出 を 策 す る に 至 った 。 即 ち 一九 三 六 年 に は蒋 政 擁 の成 楡 線 (成都 .重度 間) の 敷 設 に當 っ て、 中 法 商 工 銀 行 から 三 四 五 〇 萬 元 の借 款 を 與 へた が 、 爾 来 印 度 支 那 ・ を 足 場 と し て そ の方 面 か ら 西 南 支 那 へ経 済 的 勢 力 を 扶 植 せ ん とす る 野 心 は 、 以 前 に 増 し て 露 は に な っ て 来 た 。 恰 か も 支 那 事 攣 の 勃 猶 す る や 、 皇 軍 の沿 岸 封 鎖 のた め 蒋 政 槽 に 欧 米 と の連 絡 ル ー ト と し て、 西 南 交 通 路 の開 褒 に 鰹 力 を 漢 が ね ば な ら な く な った . フ ラ ン スは 之 を 以 て 絶 好 の機 會 と し て次 の 如 き 援 助 を 興 へた 。 即 ち 一九 三 八 年 に は 西 甫 路 線 の建 設 會杜 uD。6慰み 盟25唇 6凶 弾 島国一2冨弓 箭 -9・・。μ o眠目① を 上 海 に 登 記 す る と 共 に、 ・藩 政 梅 に封 し て 次 の 如 き 條 件 の 下 に 一億 五 千 萬 法 の常 事 ・鎭 南 開 鐵 道 借 欺 を 供 興 し た 。 年七 分 。 三〇 一 第 二號 =二 一、佛 国 財 團 は 衣 の條 件 に て 国 民 政 府 に封 し て 借 欺 に 鷹 す る 。 (イ ) 鐵 道 材 料 と し て 一億 二 千萬 法 、 (ロ) 右 材 U 料 に附 帯 的 に 必 要 な る 材 料 購 入 費 と し て 三 千 萬 法 。 三、 利 子 元 金 の償 還 ば 契 約 成 立 後 四 年 目 よ り 十 ニケ 年 。 第 一谷 二、 播 保 。 (イ ) 鰹 税 牧 支 剰 齢 金 , (ロ)鎭 南 開 ・南 軍 閥 銭 遣 並 に 支 線 。 四、 償 還 狂 、 工 事 の 準 備 並 に實 施 のた め に 建 設 會 杜 を 設 立 。 フラ ンスの封皮 羅濟逓出 の回顧 フラ ンスの封皮経 済進出 の回顧 第 ﹁巻 三〇 二 第 二號 一四 六 、 建 設 會 肚 は 先 づ鎭 南 開 .明 江 間 を 完 成 の 上 潮 款 南 寧 に 向 っ て 工事 を 進 め 二年 間 に 全 鐵 道 を 完 了 。 .貴 州 .四 川 の 三省 を 結 塞 長 七 二 二 粁 の西 南 建 設 の幹 線 で あ る が 、 こ の借 警 よ 吹 で 一九 三九 年 末 に は フ ラ ン ス銀 行 團 と 藩 政 椹 と の聞 にか ね て 交 渉 中 で あ った 、 四 億 入 千 萬 法 の川 演 鐵 路 借 欺 契 約 が 成 立 し た 。 これ 墨 爾 つ て 雲 南 省 昆 明 よ り 四 川 省 叙 州 に 至 る 二 三 〇 粁 の部 分 か ら 工事 は 進 め ら れ る こ と にな った 。 ま た フ ラ ン スは 合 吹 隊 洲 大 戦 の勃 酸 前 、 イ ギ リ ス及 び ビ ル マ資 本 と 共 同 し て. ビ ル マ ・昆 明 を 結 ぶ 独 軌 鐡 造 の建 設 計 書 に 参 加 し て ぬ る こ と が 傳 へら れ て る る 。 然 し フ ラ ン ス の支 那 に お け る 地 位 が 事 攣 以 来 重 要 性 を 増 し た の は、 か 製る 封 蒋 援 助 よ り は寧 ろ 佛 領 印 度 支 那 が 根 のこされ た最 も重 Z フ ンスが援 蒋物資 婁 的 に億 諾す る ま では、 海 防 と昆明 とを つな ぐ演 越鐵 路 は蒋 政倦 路 とな った から で あらう .周 知 の如く 一九四〇 年 六月 二吉 國 の申 入を 書 蒋 政権 の重要な 物資 鍵 絶 に關 す 義 要 な 輸 邊 船 で あ った 。 こ の鐵 道 の物 資 輸 逡 量 は 一日 六 百 噸 に 上 り 、 享 受 前 の 三 倍 以 上 の 物 資 を 支 那 に向 け て輸 途 し て み た が 、 フ ラ ン スは 更 に と の銭 遣 と 並 行 す る 公 路 を 建 設 し 、 印 度 支 那 と 西 南 支 那 と の経 済 關 係 を 茶 々緊 密 化 く 述 べ た と と によ っ て も 知 ら れ る。 す る こ と を 努 め て み た 。 追 越 鐵 路 が フ ラ ン ス の封 支 経 濟 勢 力 を 伸 長 す る 上 に、 如 何 に人 な る 役 割 を 果 し て みた か に つ い て は、 同 国 の駐 支 大 使 館 商 務 参 事 官 セイ ラ ン q窪目 Q励四竃①ロ巴 が 次 の如 と は. 殆 ど潰 越 銭 遣 會 ﹁潰 越 鐵 道 が 昆 明ま で 通 じ て み る 限 り 、 重 慶 政 府 統 治 下 の 支 那 に お け る フラ ン ス の商 業 的 金 融 的 権 益 は 存 在す る も の で あ る と 云 ふ こ と を . こ の際 強 調 し て置 か ね ば な ら ぬ 。 フ ラ. ン スの 雲 南 に お け る 権 益 杜 の有 す る権 益 に基 く も の と 云 っ て よ い﹂ と。 6)FinanceandCommerce,May8.1940 . 醤 の臭 道 伸秦 も、欧 洲 撃 を暑 に淳 ギ る の腰 九 丁 計 ・ への降 伏、 それ 掻 く馨 物資 藝 禁 スの在 支 挫 折 する に至 った・ 三 ﹁ ゐ 研峯 るが ・棄 ・鼠 馨 〇 =一. 第 二號 三 一五 の轟 縫 は次 のやう 今 そ の覆 いが ・そ の公表 は契 の第 畢 と であ 六 丁 五 政府債 務 ・← のは す 利 ・す・ の便 宜・ 釜 上・ 甚 だ峯 ・量 二九 ⊥ハ ・四 ・ ○ 事業投 資 = 一九 二 第暮 蟹 九 千 二百萬 米弗 であ 九 七 ・四 ・蝦 ○○ 二、四〇〇 三 八 、 九 α○ 三二δ ・、 東 亜研究 所 はそ の蘂 及 び皇軍 の佛 印 進駐 ・・ つて、 今や 舎 への勢 の全面 的露 7..ンスの斯 か 。西南 嘉 關 する 茜 の詮 綴 れ 繋 ・・ だ公表 芸 フ ラ ン ス封 支 投 資 の 現 献 と 特 質 的蕩 つた.・ ・董 れ てゐ . 勺. ・ しれ ま で のム蕩 壁 ての調査 各 はそ の馨 三 経済 勢 力 の衰 頽 はも は や蔽 はれ ぬ事實 である 。 列國 の封支馨 。 。極 。 。組 欝 の期 待を ゑ .憂、薄 一九 〇 二 年 六〇 ⊥ハ 三 二 一九 西 年 九 五 ・〇 鐡 . 一九 三。 年 。 おけ る フ・7ン スの封 支馨 ﹁九 三 〇 年 丁四 っ て フ ラ ン ス の 封 支 投 資 を 見 る ⊂ 欠 D 祖 く ε ち 5 。 へ睾 立 野 蔦 に お ノ ー 1一=︹ 7ノ. , . じ一,. ,匹 ﹄イ ー ーマF訥 ノ日ノ\ 蟹 南 出 の羅 に な っ て み る 。 (軍 位 千 米 弗 ) 雲 上 海 に 於 け る事 業 投 資 選 上 海 以外 の事 業 投 資 ヲー フンス署 轟 .ina,NewYork,1933. 7)C.F.Remer,ForeignInvestmentsii=1Ch 隣 天津 一、 二〇 〇 、 濃 口 フ ラ ン スの 樹 皮 経 済 進 出 の 回 顧 (内 (内 上海 計 一、 九 二〇 ) 六〇〇 ) 二 一、 七 〇 七 六 〇 〇 . そ の他 }九 、 七 八 七 、 そ の 他 九 五、○〇七 第 一巻 三〇 四 第 二號 一六 九 、 九 二 ニギ }〇 七 膀 三 四、 二⊥八六 .. 五 一一 二一 兀 五〇 〇 .○ ○ ○ 元 三 〇 六 、 三 一七 . 五 二 二 元 三 四 、玉〇〇.○○〇 一 刀 h る に 財 政 部 所 管 の倍 数 は 六 二 ・四 %、 鐵 道 部 所 管 の借 歓 は 三 七 ・六 % の割 合 を 占 め 、 ま た 支 那 の 外 債 総 額 中 フ ラ の ン ス の持 分 の占 む る 割 ム。は 一八 ・七 % に當 っ て み る 。 然 し こ の算 定 には 支 那 事 憂 勃 獲 後 フラ ン スが 蒋 政 謹 に 與 へ ・ た る龍州 鐵道 借欺 ( 南寧 .鎭南開 間) 、 川 演 鐵 道 倍 数 等 は 含 ま れ て み な い 。 若 し こ れ 等 の倍 数 が 契 約 通 り 履 行 さ れ て ・ み る と す れ ば 、 フラ ン スの 謝 支 倍 数 保 有 額 は 更 に 大 な る 額 に 達 す る と と は 云 ふ ま で も な い 。 7 ラ ン スの封 支 投 資 に關 す る 比較 的 最 近 の 評 便 とし て は、 こ の 外 に 一九 三 八年 九 月 ハ ンウ エル ( Σ。﹃日当 嘗 8)FinanceandCommerce,Jan.25,1939所 載 の 調 査.そ の.他 に よ り換 算 牽 は 一 九 三 八 年 一 二 月 中 の 公 定 率 に よ る 。 外 務 省 通 商 局,佛 國 封 皮 経 歴 勢 力 の 全 貌,一 五 九頁 。 9)東 亜 羅 濟 調 査 局 の 調 査 に よ れ ば,一 九 三 七 年 七 月.一 日ii見 在 にお いて フ ラン 攻 入を産む 布教財 産 合 そ の後 の 推 移 に 撤 し 如 何 な る 評債 を 加 ふ べ き か に就 て は 、 ま だ 詳 細 な る 研 究 畿 表 を 見 な い が 、 フラ ン ス の保 有 九 五 七 、 一〇 七 膀 計 三、 二 六 四 、 九 八 五 、 〇 五〇 法 鐵道部 所管 五、 ∩︺ O O硬 九 八 五、 〇 五 〇 法 財 政部 所 管 玉 、 十四 六 ⋮六 四 、 一 一五 、 二 四 、九 一九 、 五〇 〇 米 売 ○○法 一〇 〇 、 ○ ︹ OO 、 ○ 一九 、 五 〇 〇 米 弗 一九 ︼、 〇 五 一、 ○ 〇 九 元 二 四 、九 合 止す る 封 支 借一 歎 に つ い て は . 或 る 程 度 ま で 推 定 が 試 み ら れ て み る 。 例 へば 外 務 省 通 商 局 の 算. 定 に 從 へば 、 一九 三 九 額 建 建 建 建 年 一月 一日 に お け る 支 那 外 債 中 フ ラ ン ス の 持 分 は 左 の 如 く な っ て ゐ 私 肌 襲 聾 ・・ 貨 即 ち フ ラ ン ス の封 交 信 欺 保 有 額 を 元 に 換 算 し て 合 計 す れ ば 三億 六 百 三 十 一萬 元 に 達 す る が、 更 に そ の 内 講 を 見 合 支 米 佛 英 計 出一 。. . ) の嚢 。 た調蓑 亀 の . ・れ 呈 ・し ・多年 鐵 資 公 共 事 業 投 資 .額 道 二〇〇 四 五〇 ﹁、 六 五〇 ・ ・ ン スの 婁 馨 の如 ・就き 詳禦 ・ ・す れ 讐 嚢. メリ カ 罫く 璽 ぽ で 琴 二 . 二一 ニフ ホ ロ わ ぜグ ご サ てるる・ 研 究 を 行 っ て来 た ギ 菱 りヨ ココ メま 姦 って を加 へな く ては なら いで 一大勢 號 宅 ・ ・貿易 上 の利 益より は投 資 を重 三。 玉 的 とを見 る のである. ・ギ ・ ・羨 の外 ・次 の二習 く表 示詫 髪 ・岸 億 法 . ・れ を邦 貨 に 聾 財産 素 燭 二千吾 及び 第 一俗 蕩 の 一貫 し てゐ を 、呆 約 八+億 法 吉 ⋮ う な讐 のや は相 當 の互楚 髪 すれ ば ア 諸晋 の計 算 を 利 用 し た も の で あ る が 、 そ の 馨 ﹁、 七 四〇 百 万 法 南 投 三 六〇 雲 業 馨 の債 格 市債鋒 フ・ フン ・の奎 五弐 五 ・ 八.○ ○ 商 蓼 六〇〇 投. 離 私 人 の± 地 保有 計 翌 八○ ○ 合 知 ∼、. .. 、 .. . ・あ 窪 布 教 團 髄 の土 地 保 有 鐵 道 借 款 中 の持 分 支 那 の外 債 中 の持 分 . 7カ ム ^ Ω口賢い.。. 邑 恋 す る と見 てみる が.窪 ぬ と し た 。 蕎 幕 (イ) 蕗 の各 z 7ンス袈 碧 (.) 支那 屠 師 ち各 方 面 に。た って フ・ 7ンスの翌 を 啓 す ・ ・き、 そ 乏 所 得 。依 存す ・國 民 の多 い フ・ ン ・は、 支那 蜀 みた .而 。 てそ の封 支馨 第 .。は摯 フ. フ, 。の封支維濟 進出 の回顧. 勤灘 鷺 縢 鰭 繕i難 藷灘 肇難語 フラ ンスの封支 経済 逡出 の回 顧 第 ⋮巻 三〇 六 第 二號 一八 ん じ 、 投 資 の 中 でも 事 業 投 資 よ り は借 歎 投 資 に 比 較 的 重 き を 置 い て み る 。 フ ラ ン スよ り 支 那 へσ 主 要 輸 出 品 は . 食 糧 品 ・織 物 ・金 鵬 製 品 ・特 許 藥 品 ・化 學 製 品 ・染 料 ・肥 料 ・贅 澤 品 等 で あ る が 、 主 と し て 上 海 そ の 他 の開 港 場 に お い て 消 費. せ ら れ 、 奥 地 に ま で 行 き 渡 る も の は 極 め て 少 な い。 一方 フラ ン ス は支 那 か ら 相 當 に 多 額 の輸 入 を す る が 、 そ の 大 部 分 は フ ラ ン ス本 圃 に 向 け ら れ る の で は な く 、 そ の植 民 地 に 向 け ら れ る 状 勢 に あ る 。 か く 借 欺 投 資 が 大 まな 比肇 を 占め てみる のば .植園 の蜥実 役漁 貫に お い て 陳 そ の例 を 見 ざ る と と ろ で あ る 。 第 二 に フラ ン スの 封 皮 投 資 に お い て は 借 欺 投 資 と 並 ん で、 土 地財 産 に封 ず る 投 資 が 人 な る 割 合 を 占 め て み る 。 第 一亥 欧 洲 大 職 後 支 那 に お い て 国 権 回 復 運 動 が 盛 ん と な ウ 、イ ギ リ ス の如 き は こ の勢 に 抗 す る を 得 す 、途 に漢 口 ・ 九 江 の租 界 を 返 還 す る の止 む な き に 至 った 際 にも 、 フ ラ ン スは 依 然 と し て 租 界 を 守 り 、 現 に 上 海 ・天 津 ・漢 口 ・ 廣 東 の 四 ケ 所 に そ の 租 界 を 維 持 し て み る 。 こ の中 衆 も 大 に し て且 つ 重 要 な る は 上 海 の 佛 租 界 で あ っ て、 面 積 三、 五 二 五 エー カ ー に 及 び , 事 礎 前 人 口五 十 萬 ( 内 、外人 二十 萬、支那人 三十 萬) を 擁 し て み た が、 事 攣 後 附 近 及 び 奥 地 よ り の避 難 民 に よ っ て 入 口 は 激 遍.し た 。 元 来 上 海 佛 租 界 の重 要 性 は 商 工業 地 と し て よ り は 、 寧 ろ 住 宅 地 及 び 散 楽 地 た る こ と に存 じ て み た が、 事 憂 後 こ の地 は 香 港 と 同 様 に 避 難 民 景 氣 に恵 ま れ 、 そ の た め こ の地 に資 本 を 投 下 せ る フ ラ ン ス系 の 土 地 會 牡 ・私 人 及 び 布 教 團 盟 等 は 少 な か ら ぬ 利 益 を 牧 め る こ と が 出 来 た 。 第 三 に は 文 化 投 資 が 大 な る 役 割 を も つ て み る 。 7ラ ン ス の 布. 教 事業 は古 く より支 那 に入り込 ん だが、 殊 に十九 世 紀 中 ﹁保 護 椹 ﹂ な る も の を 樹 立 し て、 他 国 に射 し て絶 甥 に 優 越 な る 地 位 を 占 め る に 至 った 。 現 在 フ ラ ン ス の奮 教 布 教 事 業 は 支 那 の 開 市 場 の み な ら す 、 奥 地 邊 阪 にま で 深 く 浸 入 し て み る。 宣 教 師 は そ の 生 活 を 支 那 に 同 化 す る 真 な叢 扱窪 し、 妻 馨 ' 中 に含 達 の舞 〆 て 一馨 とし て 棊 は の 文化事 警 見る べき葦 ・立・策 ・・行政及び裁判 の姦 樹立 的意味 湊 業 に就 て は、 ﹁ 牧 人・生 む財産 てみる のである・ 布登 ⋮ なる上髭 姦 多の家屋垂 得・ て経済的 王國 の観を。 正し てみる.襲 嗣文化萎 に誉 .のみ。ら藁 して某 真 問 題 であ る が、右 の故 にリ ー マー は フ・ 7ン スの蒙 .業 馨 の外に嚢 の馨 に事 後錬 壽 て防食 .. .ン。の罫誰 某事. 莱投資として嬲るもの虞 公共事業 ・、毒 第 二號 ギ 題の に少なから 昇 ることに [九 東亜にと っての大義 の鑛薯 嚢 で ・覆 繋 三〇 七 ・示す震 第 一巻 翠 最後 に フ. フン。の封支馨 を幾 的に見れば、・箋 那 拳 ・量 那嚢 の開心をよせてみるとと毒 げねば。らぬ.例 へば フ. フン・の事業馨 の曇 轟 道 ・封ず のは 壷 八千毒 法毒 てるるこ の で、 多 -の妻 経電 手振 げ てるるご あ 鐵道警 と寝 . 誕 触 鐵導 . 肚 は鐵道璽 嚢 ・開心暑 ・・ ンスの封姦 慶 轡 に封し ては鐘 後 如何 洲嚢 後 に参 る 華 。れ姦 するに第 護 汲 々たる有様 であ ったが、西南嘉 7・ フン垂 霧 ぬ 塾 思。も って。た.・れ等 の斐 ﹂ つ でな く て は な ら な い。 フ ラ ン スの封 支 経 済 進 出 の 回 顧