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2011年9月20日 発行 No

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2011年9月20日 発行 No
30 November 2011
Vol. 3
新コーナー「補助教員は今」始まったよ
Kobe Japan-Australian Society
特定非営利活動法人 神戸日豪協会
〒651-0084 神戸市中央区磯辺通 4-2-8 KIMM ビル 7 階
Tel:078-252-0576 Fax:078-252-0347
HP:http://www.kjas.jp/ Email:[email protected]
事務所:月、火、水、木 (11 時∼14 時)
Japanese Assistant Teacher, Kentaro Matsui, at Corio
1/10
12 月クリスマスパーティのお知らせ
今年もクリスマスパーティ季節がやってまいりました!
今年は少
し趣向を変えて、食事・アルコールありのパーティです。 来年度派遣
の補助教員を中心に楽しいイベントを考えておりますので、奮ってご参
加ください。 Let’s have fun!!
日時:12 月 17 日(土曜日)17 時半開場
場所:岡本ストーク
〒658-0072
18 時∼21 時
http://stork-kobe.com/venue/ 阪急岡本駅から南に徒歩 3 分
神戸市東灘区岡本 1 丁目 5-5 岡本クレセントハイツ B1F
会費:社会人 4,000 円
学生 3,000 円、小学生以下無料
ディナー(ビュッフェ形式)、ドリンク付
故古澤峰子先生を偲ぶ会
古澤峰子先生は、去る 6 月 26 日、101 歳の天寿を全うなされました。 つきましては、先生の
最も愛されましたオーストラリアの建国記念日に近い日を選び、遅くなりましたが、下記のよう
に「偲ぶ会」を開催いたしたいと存じます。
ご多忙中のところ恐縮ですが、軽食を共にしなが
ら、先生の遺徳を偲びたいと存じますので、何卒ご列席賜りたくよろしくお願い申し上げます。
ご出席希望の方は、事務所或いはメールにて 12 月末までにご連絡ください。
日時:1 月 28 日(土)12 時開場 12 時半∼14 時半
場所:兵庫県教育会館ラッセホール2階ローズサロン http://www.lassehall.com/
〒650-0004 神戸市中央区中山手通 4-10-8
会費:3000 円
TEL:078-291-1117
(当日は平服でお越しください)
Geelong Grammar School (Corio Campus) http://www.ggs.vic.edu.au/
松井 健太郎
今は最後の学期、Term4 の真っただ中で、帰国が近づいてきているのを感じる時が多くなって
きました。9 回目(10 月分)の報告をします。
2/10
10 月の前半はホリデーを利用して Alice Springs の方へ行き、大自然を堪能してきました。写
真や動画では到底表現しきれない、目の前に広がる圧倒的な自然の美しさに何回も感動しました。
そして、原住民についてやオーストラリアの歴史についても少し学ぶことができました。恥ずか
しながら、第一次世界大戦中の日本とダーウィンにまつわる事実の詳細は今も深く知りません。
日本、そして世界の歴史をしっかり勉強しなおすことは帰国後の目標のひとつです。先日の 11 月
11 日の Remembrance Day で、講堂にて黙とうをしに行く最中に、ある日本語を履修している
Year8 の生徒が「おもしろいよねー、昔日本はこの国を攻撃したのに、今は友達だよね。」と私に
言いました。彼が言った We are good friends now が頭からなぜか今も離れません。
今の自分がいる環境でできる特別なことは、これからの世界を一緒に創っていく生徒が、世界
を、そして日本をどう思っているかの「リアルな声」を聞くことではないかと考えています。約 1
年間かけて築きあげてきた生徒との関係の中だからこそ、生徒は正直に思いを私にぶつけてくれ
ます。もちろん Positive な感情だけでなく、Negative な感情もかまわず言ってくれます。自身の
無知と今日まで私たちがしてきたことによって恥ずかしい思いを抱くも正直多いのですが、これ
らのリアルな声が今後の自分を動かす原動力になるはずだと思っています。
Term4 の一大イベントは Year12 VCE の Oral 試験でした。10 月 17 日に Geelong のある学校
に朝から Jenny 先生と生徒みんなで向かい、無事全員 15 分ずつ試験を行うことができました。
Year12 IB の最終筆記試験は先日の金曜日、11 月 11 日に終わり、Year12 VCE の最終筆記試験は
今週の金曜日、11 月 18 日に行われます。今週末の Year12 VCE の試験が終われば、私の今年一
年の一番大きな仕事は終わったことになります。ホリデーの後半から 10 月 17 日の直前までは、
今まで以上に Year12 VCE に尽くしました。時間があり次第、Year12 VCE の生徒とコンタクト
をとって試験対策をしていました。本当に忙しい中、時々ここに来た当初を思い出し、比べてみ
ると、見違えるほど自信を持って話せる生徒が増えていることに気づき、ひとり幸せを感じてい
ました。
10 月 17 日は私の誕生日でもあり、試験会場から帰ってき、オフィスに戻ると生徒や
先生は待っていてくれ、たくさん祝ってくれました。ギャッピーとも楽しい時間を過ごすことが
でき、いい一日を過ごすことができました。
10 月 23 日には、Speech Day があり、いわゆる卒業式がありました。実質、試験は残っている
ものの Year12 はこの日を持って卒業しました。
生徒はみんな本当にきれいな顔をしていました。
日本の卒業式と雰囲気は全然違い、校長など重要なポジションの人とスクールキャプテンがスピ
ーチを行い、2011 年に Academic、Non Academic を問わず Prize をとった Middle と Senior の
生徒が表彰され、Year12 が Corio の校長である Charlie に寮ごとに一人一人名前が呼ばれ、卒業
証書をもらうというものでした。Speech が終わってからは、ほとんどの生徒の親と会うことがで
き、本当にたくさん感謝の言葉を頂くことができました。寮に住んでいる、住んでいないに関わ
らず生徒が私のことを親に話していてくれていることに気づき、ただただうれしかったです。
Term4 に入ってハッと思ったのですが、目の前にいた Year12 が今年 2011 年の全てでした。た
くさんの Gift を彼らからもらったなとつくづく感じています。それだけに、今になって反省する
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こともあります。「もっと厳しくあればよかった。」この点については、Jenny 先生や Catherine
先生とも最近話しましたが、先生達は私のこの 1 年の振る舞いに大変満足しているようでした。
別に厳しくないとも思わなかったよと言われました。ただ、いざある Year12 の生徒が試験前に
もうどこから手を打てばいいかわからなく困っている場面に出くわした際に、もっとこちらにき
た最初からコンスタントに、厳しく面倒を見ていればと私は残念に思いました。この想いを 2 人
の先生に打ち明けた際には、
「それは教育者の限界だ、健太朗は最大限のことをしてきた、生徒も
1 人の人間なのだから自分で Organize しないと。」と言われました。
アシスタントとしてのポジションに私は今年で満足しました。生徒にたくさん愛してもらい、
生徒と関わり・教えることの楽しさがたくさんわかりました。でも、その楽しさだけでは自分自
身満足できなくなったのは、今年一年での自分の中でのひとつの変化だと思います。生徒を惹き
つける、自分の中に存在する誰もが持っている引き出しは、厳しさの中で子どもを正しい方向に
持っていくためにあるのだと改めて気づきました。Year12 の生徒のおかげで、厳しく、かつ人を
惹きつけられる人に私はなりたいと思うようになりました。
Term4 の目標は、2 つです。とにかく生徒と今までに話したことのないトピックを話しまくる
こと、そして自分を表現しつくすことです。聞けば聞くほど、生徒が世界を、日本をどう見てい
るかはおもしろいものです。今日は Year8 の子が今日本で話題になっている TPP のことを知って
おり、もうびっくりしました。はずかしながら自分は最近そのことについて少し知ったくらいで、
ましてや自分が中学 3 年の時なんか目の前の部活のテニスのことぐらいしか考えてなかったです。
そして、とにかく今学期はめいっぱい自分ができることをおしまず披露しています。この学校の
人からは、健太朗イコール日本人という良くも悪くもレッテルが張られます。人が私をどう判断
するかはもう抜きにして、自分をめいっぱい表現して、人の記憶に残ればと思っています。先月
の報告書では Middle School の一大イベント・Middle School Play で劇の Choreography をさせ
てもらっていると書きましたが、幸運ながら、その劇に生徒と一緒に出ることになりました。い
つの間にか私は North Korea の一兵隊として、Michael Jackson の Bad の曲で踊ることになって
います。News Letter も欠かさず毎週 Senior School に送っています。料理もつくります。Year12
のサポートという大きな仕事が減るにつれ、時間ができてくるので自分が思うことを端から全部
やっていっています。
次回の報告書が最後の報告書になるかと思います。今まで以上に、一瞬一瞬の時間をこれまで以
上に抱きしめて、前へ進んでいきます。
寒さにお気をつけて。
PS.太田さん、Corio に来ていただいて本当にありがとうございました。ここオーストラリア現地
で、この時期に二方と出会えたことは自分にとって本当に有難いものでした。
4/10
Christ Church Grammar School (Perth) http://www.ccgs.wa.edu.au/
奥崎 敏匡
10月2日から16日まで休暇を利用して修道士さんの主催する巡礼でネパールに行ってきま
した。今回は2度目ということもあって勝手がわかっていたので心配は少なかったですが、それ
でもやはり大変でした。今回は姉妹校のセントヒルダという女子高の生徒も参加し、総勢50人
の大所帯となりました。私の任務は前回同様、写真とビデオでこの旅を記録することと、生徒の
監督をすることでした。修道士さんが生徒たちに今何を求めているのかを予測し、それに遅れな
いように行動することを常に意識しました。もちろん他の先生方も同行されていましたが、彼ら
は巡礼に参加するのは初めてなので模範となる行動を私がしないといけなかったので、前回より
も責任が重かったと思います。
ネパールでは生徒も先生も6組に分かれ、それぞれの場所でボランティア活動をしました。孤
児院や病院、学校や老人ホームといった観光では絶対訪れることのない場所です。私は最初、孤
児が通う学校に行きました。朝、バスで子供たちを迎えに行くと興奮気味の子供たちが私たちを
迎えてくれました。学校へ行くのに我先にとバスになだれ込んで来る子供たちに驚かされた後、
一緒にバスに揺られながら学校へ向かいました。学校では一緒にトランプをしたり、ボールで遊
んだり、折り紙をしたり、勉強したりしました。色々な理由があって親がいなく、みんなで一緒
に暮らしているのですが、そんなことみじんも感じさせないくらい明るく元気な子供達に本当に
癒されました。
子供たちは肌の色も髪の色も話す言葉も関係ありません。自分たちの味方なのかそうでないの
かだけを見抜いて、味方と判断したら心のバリアを解く。だからこちらが心を開けば、あっとい
う間に仲良くなれるのです。本当に単純だが、それが本来人間のあるべき姿だと思いました。そ
れでも人は生きていくうちに、騙されたり、ウソをつかれたり、傷つけられたりして、いつの間
にか心のバリアを作っていく生き物です。身を守ることは決して悪いことではないけれど、ネパ
ール初日にして自分自身の初対面の人に対する言動が彼らと全く違うことに驚かされました。
1週目はずっとこの学校に行くことが決まっていたので、2日目からは掃除をしたり、掲示物
を作ったり、先生のお手伝いをしたりしました。日に日に子供たちと仲良くなっていき、最終日
は歌を披露してくれることになり小さな教室に全員集合しました。子供たちはとっても元気に国
歌や民謡を歌ってくれました。お返しにクライストチャーチの生徒がオーストラリア国歌を歌い
ました。するとふいに日本の国歌を歌ってくれというリクエストがあり、みんな大盛り上がり。
仕方なく国歌を独唱しました。恥ずかしかったですが、皆が笑顔になってくれたのでよかったで
す。
少し悲しかったですが、彼らとお別れをして翌週は老人ホームへ行きました。身寄りのない人
達が一緒に暮らしているこの老人ホームは、個人経営で成り立っていました。いろんな方の支援
があって成り立っていると経営者の方は言っていました。日本人の支援も多いとも言っていまし
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た。手狭になってきた現在の建物のとなりに新しい家を建てるそうなのですが、その支援をする
のがまさに日本人とのこと。日本人は観光よりもボランティア活動などの為にネパールに訪れる
ことが多く、本当に感謝していると教えてくれました。更に、日本の無償資金協力によって行わ
れている道路建設もスタートして15年経つという事実もあってか、どこに行っても日本人のイ
メージが良く、そのイメージを壊してはいけないと身が引き締まる思いがしました。
ちなみに
老人ホームでも掃除や片づけをしたり、入居者といっしょに歌を歌ったり過ごしました。笑顔の
彼らの表情をみて生徒も私も自然と笑顔になれました。
2週目のある日、ダサインという祭りの為に子供たちとお祖父さんお祖母さんたちを公民館の
ようなところに連れていきました。このダサインという祭りは日本の正月に似ていて、都会や海
外に出稼ぎや勉強の為に家を離れている家族も実家に帰省します。家族全員が集まって祝うのが
この祭りの重要な所ですが、彼らは全員身寄りのない人達なので公民館に集まったというわけで
す。ダサインでは年上の人から額にティカ(米、ヨーグルトと朱色の混合物で赤色は家族を結ぶ
幸せの象徴)をつけてもらって、ジャマラというお年玉のようなお金をもらうのが風習ですが、
私たちも同じようにティカとジャマラを頂きました。
その後子供たちを連れて丘の上へ上がりました。途中小さなお寺をいくつかお祈りしてまわっ
たのですが、その道中うちの学校の生徒には子供たちと手を繋ぐように指示しました。車やバイ
クが行き交うから危険という理由と、子供たちと生徒が仲良くなって欲しいからでした。私は全
員が安全に歩けるように先頭に行ったり最後尾に行ったりしながら注意を喚起していたのですが、
突然下から手が引っ張られる感じがして立ち止まってしまいました。視線を落とすと小さな女の
子が私の手、厳密に言うと人差し指と中指を握ってこちらを見ていたのです。一瞬ドキッとして、
立ちすくんでしまいました。それでもすぐに手を握りなおして一緒に歩き始めました。時折下か
ら手を引っ張る彼女。犬、ヤギ、雲、家。私に色々伝えたいみたいでした。その都度私は通じる
はずのない英語で「そうだね、雲だね」って応えました。するとにっこり笑ってまた歩き始める
彼女。私も笑ってまた歩き出す。こんなに幸せな時間が味わえるなんて思っていませんでした。
私に弟や妹がいないせいか、小さい子供たちにどう接したらいいかわからなかったのですが、手
をつないで一緒に歩いてあげるだけで彼らにとっては十分なことを知りました。そして、この瞬
間はネパール滞在中の2週間の中で私にとって一番のギフトとなりました。
そんな掛け替えの無い2週間もあっと言う間に終りを迎えました。ネパール出発を控えホテル
のロビーで生徒達を待っていると、身支度を終え荷物と供にロビーに集まってくる生徒達の雰囲
気がパースを出発した時とはだいぶ変わっていることに気づきました。生徒たちの成長は本当に
早いものです。その成長を目の当たりできたことに本当に感謝します。
後日談ですが、先日最後の集まりがありました。目的は私が作った DVD を皆で鑑賞すること
でした。それぞれの生徒の家族も参加したので全部で100人以上という大きな規模になりまし
た。上映はとても緊張しましたが、感動して泣いている人もいるくらい皆さんに喜んでもらえる
ものとなりました。生徒にとって一生心に残るものになっただろうと思います。
6/10
Peace Lutheran College http://www.plc.qld.edu.au/
佐藤 正純
ケアンズの Peace Lutheran College に派遣して頂いている佐藤正純です。9 回目(10 月)の報
告をさせて頂きたいと思います。10 月は、イベントが多く、あっという間に過ぎてしまった印象
です。
まずは、Mad Hair Day というイベントがありました。このイベントは、この日だけが生徒が
私服で来ていいという日です。
(但し、私服で来るのは校則違反なので罰金を払ってそれを募金し
なければいけないですが。)朝の全校集会で、各学年ごとにステージに上がり、それに対して先生
が印象的な生徒にコメントして行くっていう感じでした。Year11&Year12 は、生徒の拍手によっ
てナンバーワンを決めました。Year11 の男子生徒が、女子生徒の制服を着ていて、とても似合っ
ていました。案の定、その生徒がナンバーワンになっていました。イベントも面白かったですが、
罰金を払って寄付をするという発想がとても面白いな、と思いました。
また、その週には Color Ex というダンスや、劇、ファッションショーの発表会がありました。
これは、シティにある文化会館を借りて、ちゃんと入場料を取って行うという本格的なものでし
た。日本の合唱祭と違って、そのイベント全体にストーリーがあってとても面白かったです。そ
のイベントでは、ダンスやアート、コンピュータの授業で、練習した踊りや、アートの授業で作
った衣装、コンピュータの授業で作ったムービーなどを発表する場になっていて、普段見る事の
出来ない、他の授業の成果を見る事が出来て、とても面白かったです。
そして、さらにその週末にスプリングフェアーという日本の文化祭のようなイベントがありま
した。日本語の先生&生徒&日本人の生徒のお父さん、お母さんと協力して、はちまき&しおり
を売りました。はちまき&しおりは、生徒にデザインを決めてもらって、そして、生徒の名前を
漢字で書いてあげる、というものです。デザインを決めてもらったり、生徒の名前を考えたりす
るのが大変ですが、日本人のお父さん&お母さんは去年もスプリングフェアーに参加されている
という事もあって、本当にテキパキやってくれて本当に助かりました。その他に、今年は、手作
りで竹から竹とんぼを作って販売しました。竹は、学校の近くで見つけたので材料費はただ!キ
ャシー先生と協力して、50個超、忙しい中、必死に作りました。生徒にとって空を舞う竹とん
ぼが珍しかったのか、それとも前の週にジュニアの授業で、竹とんぼを紹介したのが良かったの
か、竹とんぼは全て売れてしまいました。本当は、来年以降の授業用に2∼3個残しておきたか
ったのですが、竹とんぼを欲しがっている生徒を断る事が出来ず、全て売ってしまいました。5
0個も作って全然売れなかったら、どうしようという不安はありましたが、全部売れて本当に良
かったです。そして、生徒が楽しそうに竹とんぼで遊んでいる姿をみて作ってよかったな、と思
いました。
7/10
日本語の授業は、学年末という事もあり、テストを行っています。テストは嫌いな生徒が多く、
日本語なんて全然分からない、とこぼす生徒もいます。でも、ピースでは小学生のうちから第二
外国語として日本語を勉強しているので、正直別にテストの点が悪くても、楽しく授業を受けて、
ずっと日本語を続けてくれたら、きっとミドル、シニアになったら、出来るようになると思うの
で全然心配していません。テストが悪いからといって、途中で辞めてしまう生徒がいたら、もっ
たいないな、と思いました。
また、今週は来年の生徒会長を決めるための選挙がありました。その選挙に当たって、朝の全
校集会でシニアは10人。ミドルは7人の生徒がスピーチをしていました。シニアの生徒は、し
っかりとリーダーとはどういう存在か、自分はどんな人で、自分がなぜ生徒会長になるべきなの
か、というのをみんなの前で堂々と発表していてとても驚かされました。高校生のうちから、こ
んな立派なスピーチが出来る生徒がいるなんて、オーストラリアは本当に凄い、と思いました。
最後に、以前 Year6/7 で The Japan Foundation Sydney という団体が、主催した Video Matsuri
Contest の結果が返ってきました!
賞を受賞しました!!
結果は、Primary Division で、見事「Best Collaboration」
もし、時間があれば以下のサイトからご覧下さい。
(http://video-matsuri.jpf-sydney.net/halloffame.html)
「補助教員は今」
1974 年に始まった日本語補助教員派遣プログラムでは、2011 年現在までに 122 名の若者がオ
ーストラリアに渡り、日豪の架け橋として重要な役割を果たしてきています。
教員は帰国後、どのような道を歩んでいるのか、シリーズでお伝えします。
派遣された補助
第一回目は、現在
東北で震災支援に従事する望月さんです。
望月
(2002 年
亮一郎
CCGS 派遣)
私と神戸日豪協会の出会いは、2001 年に遡ります。学生だった当時、平野貴寛君(1999 年 CCGS
派遣)から紹介を受けて神戸日豪協会を知り、2002 年に西オーストラリア州のパースにある
Christ Church Grammar School で日本語補助教員を
行いました。パースでは日本語教育の難しさを痛感し、
日本語を「知っていること」と「教えること」は全く異
なることだと学びました。 帰国後は、大学院を卒業後、
2004 年に介護施設を運営する会社に入社、2007 年から
3 年間は外務省専門調査員としてアフリカのザンビア
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で、2010 年から 1 年間は JICA(国際協力機構)の専門家としてマラウイで過ごしました。2010
年といえば、南アフリカでサッカーのワールドカップが行われた年でもあります。皆さんが TV
で見たようなモダンなスタジアムを作ることができる国もあれば、未だ日々の生活の糧を得るこ
とすら困難な国もあり、アフリカ諸国の中にも貧富の差が生れつつあるというのが昨今のアフリ
カ大陸の状況です。
私のこれまでのキャリアの中で、日本語補助教員の経験が大いに役に立ったことは言うまでも
ありません。もちろん語学を身に着けたことはその一つですが、それ以上に英語を使って異文化
の人と仕事をした経験の方が重要であったと思います。慣れない英語だからこそ、はっきり意見
を主張したり、相手の意図を確認したり、仕事をする上での基礎を学ぶ機会となりました。
現在は、マラウイから 2011 年 2 月に帰国後、特
定非営利活動法人ワールド・ビジョン・ジャパン
で、東日本大震災の緊急・復興支援の仕事をして
います。3 月 17 日に宮城県南三陸町に初めて入っ
て以来、宮城・岩手の両県の避難所にて支援物資
のニーズ聞き取り及び物資提供を行ってきました。
最近は復旧・復興期の課題に取り組むため、沿岸
地域における雇用と生計の向上プロジェクトに携
わっています。具体的には、気仙沼市および南三
陸町の水産業・漁業の復興を通じて、震災によっ
て失われた地元の経済や雇用を回復することを目指しています。三陸地域においては、間接的な
ものも含めれば地域経済の 7 割が水産業と関連があると言われており、この分野の復旧・復興が
長期的な地域再建のカギであることは論を待ちません。これから寒い時期になりますが、冬こそ
ワカメや脂ののった魚が獲れる時期であり、少しでも多くの方が水産業を通じて収入を得て、地
元での生活が続けられるように支援していきます。
こちらの仕事で印象的に残っていることは、東北の
方々は「人に何かをあげるのは上手、人から何かを貰
うのは下手」ということです。援助されることに慣れ
ていない日本人であれば当然かもしれませんが、緊急
時にタダで食べ物や衣類をもらうことを不自然と感
じる方が多かったようです。かなり過酷な状況にある
避難所に物資を持って行った時も、ここよりひどい状
況のところに持って行ってあげてください、と被災者
の方に言われたことがありました。一方、少し落ち着いてきた今の時期に被災者と話していると、
「家にあがってお茶でも飲んでいって」と声をかけてくれたり、仕事でお付き合いのある漁業協
同組合の方からは新鮮な魚を頂いたりすることがあります。東北の方々は、こうした「自立心」
と「相手を思う気持ち」で、地震と津波と放射能という試練を乗り越えようとしています。
9/10
このように、仕事を通じて世界や日本の各地で様々な経験ができることはとても楽しいことで
すが、生活面では苦労もあります。マラウイには飛行機で 24 時間かけて生後 4 か月の息子を連れ
て行き、マラリアの危険を感じながらの生活でした。現在
はホットスポットとも言われている岩手県一関市に居を
構えています。放射線量の高い地区を避け、子供を自由に
外で遊ばせることを控えなければいけませんし、水や食べ
物にも当然気を配っています。こうした生活の苦労は、家
族の理解と協力があって初めて乗り越えられるものだと
日々感謝することを忘れず、その人たちの思いも踏まえて
東北での支援活動を続けていこうと思います。
オージーホットニュース!
Japan is still a popular destination for Australian Musicians!
Did you know that even though many international artists cancelled their Japan tours immediately
after the Tohoku disaster, Australia’s most successful pop artist, Kylie Minogue came to Japan only
one month after the disaster to show her support? Kylie Minogue was recently inducted into
Australia’s Music Hall of Fame at the Australian Record Industry Association’s annual award ceremony,
with the award being presented by Australia’s Prime Minister, Ms. Julia Gillard who specifically
mentioned Kylie’s support for Japan.
http://www.youtube.com/watch?v=j9VU55NovOw&feature=share
Even young Australian bands are wanting to
support Japan if they can. In October this
year, “Fairchild Republic”, the winners of Gold
Coast City’s Band Contest, “Gold Coast
Uncovered” completed a very successful
promotional tour of Japan which included
performances to 2000 guests at a special live
showcase at Tokyo International Music
Market, a live radio interview with FM802,
and additional live performances in Osaka and
Kobe to full houses. Fairchild Republic also appeared on MBS TV where they spoke about the filming
of the promotional video for their new single, “Stay Young” in Tokyo and Kobe.
“Fairchild Republic” are hoping that their new music video will help people outside Japan understand
that Japan is still a great place to visit and they want their music to help everyone understand that
Japan will recover from the disaster which struck the Tohoku region on March 11th. For more
information on Australian Music in Japan, check out this page: http://music.austrade.or.jp/
10/10
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