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中世ヨーロッパは大変です!

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中世ヨーロッパは大変です!
中世ヨーロッパは大変です!
青い鴉
タテ書き小説ネット Byヒナプロジェクト
http://pdfnovels.net/
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このPDFファイルは﹁小説家になろう﹂で掲載中の小説を﹁タ
テ書き小説ネット﹂のシステムが自動的にPDF化させたものです。
この小説の著作権は小説の作者にあります。そのため、作者また
は﹁小説家になろう﹂および﹁タテ書き小説ネット﹂を運営するヒ
ナプロジェクトに無断でこのPDFファイル及び小説を、引用の範
囲を超える形で転載、改変、再配布、販売することを一切禁止致し
ます。小説の紹介や個人用途での印刷および保存はご自由にどうぞ。
︻小説タイトル︼
中世ヨーロッパは大変です!
︻Nコード︼
N6268BE
︻作者名︼
青い鴉
︻あらすじ︼
ある日突然、魔女に中世7世紀に呼び出された四人組。
ホームシックに掛かったり、文明の差に途方に暮れたり。
なぜか繋がるノートパソコンとWikipediaを頼りに当時の
問題点を克服していくが、そのうち魔王のあだ名を付けられて︱︱。
いいだろう魔王になってやろう。四人組が協力すれば、できないこ
となど何もない!?
1
第一話 魔女ペルペは死んだ
発令所。モニタは真っ赤に染まり、機械音声の警告が鳴り響く。
﹃深刻なエラーが発生しました。深刻なエラーが発生しました。
深刻なエラーが発生しました﹄
ブルースクリーン︵ソフトウェアエラー︶ならぬレッドスクリー
ン︵ハードウェアエラー︶。トリプルチェックにより発生しないは
ずの障害が、ストラクチャードを襲う。
﹁ストラクチャードの大部分が機能喪失!﹂
﹁時空因果律カウンターの誤差、急速に拡大!﹂
﹁事象地平線が決壊していきます!﹂
﹁この宙域の因果関係が消失!﹂
使い魔
が多数出現!﹂
﹁時空構成曲率が反転!﹂
﹁閉鎖虚数空間
﹁もって残り20秒でクライン防壁が侵食されます!﹂
魔女ペルペ
の発生を確認!﹂
﹁状況、ヴァーチャルからリアルへ!ヴァーチャルからリアルへ!﹂
﹁コードネーム
﹁局長!﹂﹁局長!﹂
それは超未来のとある銀河系。
超時空集積回路﹁構造化されたエンサイクロペディア号﹂。難攻
不落を誇る銀河文明のアカシックレコード、通称ストラクチャード
は、瞬く間に崩壊の危機に瀕していた。
﹁ッ!⋮⋮エスコートしてさしあげろ﹂
局長と呼ばれた男の呟きが、雨となって発令所に降った。それは
2
事実上の降伏宣言。
防壁は解除され、魔女はあっさりと発令所の三次元モニタにまで
到達する。
魔女。魔女。魔女。
科学技術の粋を集めても理解不能なる技術を用い、時空に介入す
る存在。
その存在は生きた伝説。神々しいまでに脚色された魔女への幻想
は先走り、あるいは別次元の、あるいは別宇宙の存在なのではない
かとの噂も囁かれていた。
魔女。魔女。魔女。
しかし果たして現実はどうか。発令所の三次元モニタに投影され
まと
たのは、たった一人の女性であった。オールドタイプな、質素とも
いえる衣装を身に纏い、局長に向かって一礼する。
﹁ごきげんよう。﹃構造化されたエンサイクロペディア号﹄、通称
取引
がした
ストラクチャードの皆さん。私は魔女ペルペ。ただの時空改竄者。
今日やって来た理由はとても簡単よ。あなたがたと
いの﹂
﹁何が望みだ? この銀河系の文明の半分を人質にとって、魔女よ、
お前は何をしようとしている?﹂
超時空集積回路と名を冠するだけあって、ストラクチャードはも
はや銀河文明にとって無くてはならない存在だった。その中核たる
時空因果律カウンターにより、既存の可能性宇宙を事前にエミュレ
ートし、探索する。銀河系規模の文明を運営するための明晰な頭脳
と確実な記憶として。そして未来を予測する賢者として。ストラク
チャードはそれらの役目を、文明の行く末を預かっている。
3
﹁魔女ペルペは、私はもうすぐ死ぬ﹂
その言葉に、発令所の面々がざわめきだす。
﹁私が今居るのは7世紀、私は、これまで長らく﹃西の善き魔女ペ
ルペ﹄を演じてきた。そして私はもうすぐ死に、ヨーロッパには混
乱が起こる。長くて暗い、中世の時代が14世紀まで続く﹂
﹁中世⋮⋮ヨーロッパだと?﹂
﹁そう。人類発祥の地、恒星ソル系、第三惑星、地球、その﹃中世
ヨーロッパ﹄よ﹂
魔女ペルペは雑作も無く言った。
﹁不可能だ⋮⋮人類発祥の地への大規模介入は、特SSS級時間犯
罪だ。それにたとえこの銀河系型ダイソン球の全エネルギーを用い
ても、おそらく現在からソル系への時間遡行には桁が足るまい⋮⋮﹂
﹁いいえ可能よ。あなたがたに依頼したいのは、もっとずっと小さ
な事象への干渉。21世紀前半のある四人組を、一部の周辺機器と
一緒に、7世紀のヨーロッパに送り出して欲しいだけ﹂
﹁ちょっとしたタイムスリップか⋮⋮だが、それでその四人組はど
うなる。家にも、元の時代にも帰れず泣きだすか、生活レベルの差
に耐え切れずに自殺するか、いずれにしても素人を送り込んでマシ
な結果になるとは思えないが⋮⋮﹂
﹁かまわないわ。どうせ私が死んだあとのことだもの。それに⋮⋮
4
彼らはいまに立派な﹃魔王﹄になるでしょうよ﹂
﹁願いは四人組+αの転送。対価は私の命。さあ、望みを叶えてち
ょうだい﹂
﹁わかった。善処しよう﹂
魔女との対話は終わり、発令所の三次元モニタに投影された姿が
消失する。
﹁ストラクチャードの大部分が機能復帰!﹂
﹁時空因果律カウンターの誤差、正常範囲に落ち着きました!﹂
﹁事象地平線が正常に回復!﹂
﹁この宙域の因果関係が復活しました!﹂
そんな当然の報告は無視して、局長は魔女ペルペに渡された四人
ぎょうこう
の人物プロフィールを見ていた。男二人に女二人。手動ゲーム部。
歴史オタクが入っているのは、僥倖と言えた。
同時に転送される付属品は﹁無限バッテリー﹂付きの﹁インター
ネット利用可能パソコン﹂。半永久的に21世紀のインターネット
を覗けるチート装備である。
﹁中世を変える、か。いかにも古臭い魔女らしい考えだ﹂
局長は、膨大な可能性宇宙のエミュレートを処理するストラクチ
ャードのいちブロックに、念のため一つの項目を外挿する。四人組
の存在で何が起こるかを知るために。だが、何も変わらない。中世
は変わらない。歴史改竄は起こらない。魔女ペルペの予想は空振り
をしたのか? あるいは、外挿が不足しているのか。
5
﹁全ては機械仕掛けの神のみぞ知る、といったところか﹂
局長は発令所から、以下の命令を発する。
﹁人類発祥の地、ソル系第三惑星地球への小規模介入を実施する。
本件は﹃特SSS級時間犯罪﹄ではあるが、魔女による現宇宙文明
の半壊に比べればなんだってマシだ。責任は私が取る﹂
オペレータは、手慣れた手つきでタイムスリップを実行する。
﹁介入開始。人物特定完了。転送開始。転送完了。以上です﹂
局長は椅子に背をあずけ、目を閉じた。
﹁︱︱せめて中世に幸運があらんことを﹂
6
第二話 ライ麦畑でつかまえて
僕が目を開けて立ち上がった時、そこには太陽があり、麦畑が広
がっていた。可能性の麦束。そんな無意味な言葉が脳裏をよぎる。
やさしい風が頬を撫でる。気持ちがいい。
だが、それは現実逃避というものだ。
僕らは大学の部室で手動ゲームをしていたはずだ。D&D︵ダン
ジョンズ&ドラゴンズ︶をプレイしていたはずだ。机の上でダイス
を振っていたはずだ。ならば⋮⋮出目はファンブル︵大失敗︶だっ
たのか。
ここは何処だ? いつのまに僕は部室から出たのか? 仮に部室
から出たとしても、麦畑に向かったりした記憶は無い。第一、麦畑
なんてものが大学周辺にあるというのも初耳だ。
少し離れたところに、三人が固まって立っているのが見えた。僕
はそこに駆けよる。
﹁やっとお目覚めか﹂シュウジが僕のほうを見る。
皆どこか顔色が悪いように見えるのは、僕の気のせいか。いつも
はしゃいでばかりの、ほんわかゆるふわ系のモエは、帽子を被って
地面にしゃがみこんでいる。現実主義者のレイコは俯いている。ど
うにも良い雰囲気には見えない。
﹁どういうことなのか俺たちに分かるように説明しろ﹂シュウジは
僕のことまっすぐ見て、言った。やれやれ。僕が訊きたいくらいな
7
のに。
﹁えっと⋮⋮僕らは部室で手動ゲームをしていたはずで⋮⋮﹂僕は
記憶を辿る。どうしてもそこまでしか思い出せなかった。
﹁そうだ。ゲームしてたはずだ。大学の手動ゲーム部の部室にいた
はずなんだ﹂シュウジが答える。シュウジはゲーマーだ。推理力も
ある。おそらくモエとレイコにも何度も確認したのだろう。
﹁で、ここ、どこ?﹂﹁こっちが訊きたいわよ!﹂長髪のレイコが
叫んだ。帽子を被ったモエはしゃがみこんでいて、表情が見えない。
﹁お前が寝てるうちに色々可能性は考えてみたんだよ。これは夢だ、
が2票。よくわからん理由で場所が変わった、が1票だ﹂
﹁どうも夢じゃなさそうだね。だとすると、場所だけじゃなくて、
時間も変わってるかも?﹂僕は可能性を口にする。
﹁ヨシノブ。それが最悪のケースだ﹂シュウジが地面の石ころを蹴
飛ばしながら言った。
﹁もしかすると俺たちは異世界に来たのかもしれない。別の時代に
来たのかもしれない。現代に戻れないのかもしれない。たった四人
で、言語が通じない世界で、完全に孤立しているのかもしれない﹂
やさしかった風は、少し強さを増したようだった。
帰れない。確かにそれは問題だ。もしそうだとしたら親にも兄弟
にも会えないし、大学だって卒業できなくなる。このまま四人で生
活する? 笑えないジョークだ。
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﹁じゃあ、それは?﹂僕は見慣れたノートパソコンを指さす。
D&D︵ダンジョンズ&ドラゴンズ︶のゲームプレイには、ダイ
スを振るのと共に、雑多な計算がつきものだ。そのための支援ツー
ルを搭載したノートパソコンが、部の備品として存在している。そ
れが、﹁ここ﹂にある。
﹁部室にあったノートパソコンだ。ただ、誰かに弄られてる。こん
な辺鄙な場所なのに、ネットワークが繋がっている。Google
だって表示できるし、Wikipediaだって確認できる。これ
が夢じゃないという証拠、ここが現代だと考える唯一の根拠だ﹂
シュウジの言うことはおおむね正しい。Googleを表示でき
るパソコンがあるなら、ここは現代だと考えるのが妥当だろう。し
かし念のため。
僕は土手の上に座り、ノートパソコンを開いて、言われたことの
確認を始める。確かにGoogleは使える。だが、何かがおかし
い。何かが⋮⋮僕はノートパソコンを閉じた。ひっくりかえして、
裏面を見る。
﹁﹃無限バッテリー﹄ってステッカーが貼ってあるね﹂
違和感の正体が分かった。ノートパソコンを開いて確認する。ど
こからも電源を取っていないのに、バッテリーの充電残量が100
%から一向に減っていない。ありえない。
ネットワーク設定のほうも見ようとしたが、管理者権限がありま
せんと一蹴される。管理者としてログインしているはずなのに、ネ
ットワークの設定が見れない。おかしい。
﹁このステッカーが冗談じゃなければ⋮⋮このノートパソコンは無
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限に稼働し続けることになる﹂僕は言った。
﹁どういうことだ? 誰かが仕組んで、俺たちをここに送り込んだ
のか?﹂シュウジが今にも掴みかかりそうな勢いで僕にくってかか
る。
﹁とにかく日が暮れる前に家を探そう。この場所がどこで、時代が
いつなのかは、そこではっきりする﹂僕はとりあえず皆を安心させ
るためにそう言った。
だが、ここが現代日本でないことは、麦の穂の形から︱︱これは
ライ麦だ。黒パンの原料となる穀物で、日本ではほとんど栽培され
ていない︱︱おおかた予想がついていた。
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第三話 ファーストコンタクト
﹁ファーストコンタクト、だね﹂﹁ああ﹂僕とシュウジは呟く。
僕たちは麦畑から道沿いに少し歩き、小さな村落を見つけた。
ィタス
キヴ
もっとも、僕らが小さいと思っているだけで、向こうは立派な都
市のつもりなのかもしれないけれど。家々はレンガによって造られ
ているようで、完璧とまではいわないまでも、漆喰で白く化粧を施
されていた。
そこは堅固な城塞都市ではなかった。だから幸いなことに、辺縁
部に城門は存在しなかった。もっとも、夜になってしまえば、戸を
叩いても開けてくれる者などいないだろうが。とにかく僕たちは容
易に村落の中に入り込んだ。入り込んで、戸を叩いた。
ファーストコンタクトである。
﹁こんにちは。どなたですか?﹂
少女から日本語が返ってくるとは思わなかったので、僕たちは少
々拍子抜けした。いや、その時は呆気に取られて気付かなかったが、
少女は確かにラテン語を話していたのだ。
僕は返事をしようとして、そのことに気付いた。どうやって返事
をしようか迷った末に、僕は彼女の言葉を真似して言った。
﹁こんにちは。私たちは旅人なんです。もしよければ、どこかに泊
まりたいのですが﹂
完璧なラテン語だった。大学の講義でちょっと齧っただけとは思
えない、流暢なラテン語だった。ことここに至って、ようやく僕は
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自分たちの身に起きた異変に気付きはじめていた。分かりやすく形
容するなら﹁ラテン語がインストールされている﹂のだった。
﹁ヨシノブ。お前がラテン語を話せるなんて聞いてないぞ﹂シュウ
ジが言う。
﹁僕もびっくりだ。改造でもされたかな?﹂
その少女とおどおどとしたやりとりをしていると、モエが出てき
て言った。
﹁なんか、ここの言葉、最初から知ってるみたい!﹂
﹁脳を? 改造されたの? 一体どういう仕組みで⋮⋮﹂レイコは
冷静に状況を訝っている。
﹁その服は遠くの国で作られたものなのですか?﹂少女は質問して
きた。
﹁うん。ずっとずっと遠くで作られたんだ﹂
﹁ずいぶん上等な生地ですね⋮⋮いったい何デナリしたんです?﹂
﹁残念だけどこれは売り物じゃないんだ﹂
しかし少女のその言葉で、僕の中で多くの疑問が一瞬にして氷解
した。デナリ! デナリウス! それは古代ローマの銀貨の名前だ。
そうすると、少なくともここは異世界じゃない。過去だ。なんとい
うことだろう。僕たちは過去にタイムスリップしてきたんだ。
ここは中世ヨーロッパだ。確信して、僕は次の質問を繰り出した。
﹁一つ質問がある。イエス様が天に召されてから何年経っている?﹂
﹁イエス様? それは誰?﹂
そこで、全員が凍りついた。シュウジも、モエも、レイコも、固
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まった。
この世界には、キリスト教が存在していない。あるいは超が付く
ほどマイナーな存在らしい。
僕の頭はフル回転した。どうすればいい? 僕たちは並行世界に
迷い込んでしまったのか? 古代ローマ後の世界で、西暦が存在し
ない世界で、どうしたらいい?
﹁あなたたち、西の善き魔女、ペルペ様が死んだことは御存知?﹂
﹁ああもちろん﹂僕は咄嗟に嘘をついた。でも少女はその嘘を見透
かしたようだった。
﹁いいこと? 私たちを悪魔から守ってくれていた、魔女ペルペ様
が死んだのよ。予言では、そのうち魔王が現れることになってるわ。
でもあなたたちは違うわよね。こんなへんてこりんな格好をした魔
王なんていやしないもの﹂
﹁そうだね。僕たちは魔王じゃない。ただの旅人だ﹂
﹁じゃあうちに泊めてあげる。でも司教様には内緒よ? ペルペ様
が死んだことで、最近ぴりぴりしているから。私はテララ。変な名
前でしょう?﹂
﹁いいや。いい名前だと思うよ﹂
そう言うと、少女はくるりと回って言った。
﹁お世辞が上手なのね﹂
僕たちはそうして、少女から初めての宿を借りた。
少女の名はテララという。ラテン語で土という意味だ。僕たちは、
彼女が父を失ったばかりであるということを、このとき知る由もな
かった。
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第四話 夢魔スレイペン
テララという少女は、僕たちに村落を案内してくれた。井戸、水
車に始まり、鍛冶屋に酒場、教会などだ。僕たちは様々な場所に行
き、その変な格好について質問されると共に、歓迎を受けた。やは
り若者はどこにいっても貴重な労働力なのだ。
僕はテララ宛に食事を提供してもらう代わりに、薪割りなどの肉
体労働をするという約束を取り付けた。村の人は喜んだ。テララの
父が死に、あの家には働き手がいないことが問題視されていたから
だ。
シュウジはゲームが無いと死ぬ体質なので、たとえ薪割りであっ
ても、何かやっているということはよいことだった。モエとレイコ
は裁縫の腕を発揮して、服の修理を請け負っていた。
それから一週間が過ぎた。
﹁僕たちは旅人です。どこか大きな街か、あるいは、この国の首都
に行きたいんです﹂
﹁ここフランク王国の首都というと、パリのことかね? ここから
はずいぶん歩くことになるよ﹂
﹁はい。できるかどうかは分かりませんが、王様への謁見を望むつ
もりです﹂
﹁ふうむ。しかし王様のところには謁見待ちの行列ができていると
いう噂だ。割り込むにはコネが必要だな。ここの領主様にはお会い
したかね。早くお会いして、自分達の立場をはっきりさせたほうが
いいと思う﹂
その老人の助言を受けて、僕たちは領主様に会いにいくことにな
14
った。
結果から言えば、それがいけなかった。
豪華絢爛とまでは言えないが、領主様の館は遠くからでも良く見
えた。その周囲には壁があり、人の出入りを阻んでいる。僕たちは
堂々と館の門の前まで歩いていった。
﹁あのう⋮⋮﹂﹁誰だ、名を名乗れ﹂﹁ヨシノブ、シュウジ、モエ、
レイコの四人です﹂﹁聴き慣れぬ名だな。先日、西の魔女ペルペが
死んだ。遺言にはこうあった。幾名かの魔王が現れ、災厄を振り撒
くと。お前たちが魔王でない証拠を出してもらおう﹂
僕らにはそんなものは無かった。ただ、働いて貯めた十数デナリ
の銀貨があっただけだ。だから、質実剛健な衛兵に取り押さえられ
たのは当然だったといえる。
−−−−
牢屋の良いところを挙げるとすれば、何もしていなくても毎日パ
ンが運ばれてくることだった。黒いボソボソしたパンと水だが、囚
われの身では品質に文句を言ってもしかたがない。
﹁これじゃ薪割りでもしてたほうがマシだったな﹂シュウジが零す。
﹁この服を売り払って、お金と普通の服に変えといたほうがよかっ
たかもね﹂レイコが分析する。
﹁でも考える時間はいっぱいあるよ﹂モエがフォローする。
そう。考える時間だ。なぜ僕らはこの世界に召喚されたのか。思
考しなければならない。イエス・キリストはいない。とすると、都
市部における信仰は多様性を維持しているはずだ。魔女と言いなが
ら﹁西の善き魔女﹂と、その存在を認めている。キリスト教圏でな
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らありえないであろう光景だ。
牢屋に灯りなどというものはない。
まずモエが、次にシュウジとレイコが、最後に僕ことヨシノブが、
全員眠りについた。
そして、それは体感で、僕が三時間ほど眠った後のことだった。
﹁お眠りのところ大変失礼しますが⋮⋮﹂
目を開けると、眼前に黒いものが浮いていた。トゲトゲもしてい
る。新種の生物だろうか。
﹁名前は?﹂
﹁私は夢魔スレイペン。いやいや、そんなことはどうでもいいので
す。あなた方はこんなところで一体何をなさっているのですか?﹂
﹁見ての通り足に重しを繋がれている﹂﹁なら﹃粉砕﹄の呪文でも
何でも使えばいいでしょうに﹂
﹁魔法?﹂まいった。タイムトラベルに引き続き、ファンタジー要
素まであるのか。やれやれ。
﹁つまり⋮⋮あなたたちは魔王クラスの膨大なマナを持ちながら、
使い道を知らない。そうなのですか? ようやく仕えるに値する主
君を見つけたかと思えば、よもや魔法音痴だとは⋮⋮﹂
﹁お前は何だ﹂﹁あの打ち捨てられた指輪に宿る、一匹の使い魔で
ございます﹂
悪魔はうやうやしく礼をして、溶け去って行った。全ては夢だと
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思いたかった。
だが、僕は起き上がると、指輪を探した。牢屋の奥に、それはあ
った。金色の質素な指輪だった。僕はそれをポケットに突っ込むと、
今の夢の内容を忘れるために、二度寝した。
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第五話 奇跡も、魔法も、あるんだよ
朝になり、牢屋にも日光が差し込んできていた。
﹁起きたか?﹂シュウジが訊いてくるので﹁ああ﹂と僕は答えた。
﹁⋮⋮夢の中で悪魔に会った﹂僕は報告する。
﹁俺もだ。マナがどうとか、魔法がどうとか言っていた﹂
﹁じゃああれは夢じゃなかったんだ﹂
僕はポケットから指輪を取り出して、シュウジに見せた。
﹁夢魔スレイペン。確かそう名乗っていたような気がする﹂僕が言
うと、
﹁悪魔の一種⋮⋮夜行性の生き物なのかもしれないな﹂シュウジが
冗談を言った。
﹁うるさいわね。起きちゃったじゃない﹂
﹁むにゃむにゃ⋮⋮モエはまだ寝ていたいのです﹂レイコとモエも
起き出してくる。
この世界には本当に悪魔と魔法が存在するのか。議論となった点
はそこだった。
﹁悪魔と魔法が存在するとなると、いよいよもってファンタジー世
界だな。その指輪を暖炉にくべたら、﹃一つの指輪﹄って文字が浮
かび上がってくるんじゃないか?﹂シュウジが茶化す。
﹁指輪をはめたら透明になったりするのか? 勘弁してくれ﹂
18
﹁これでドラゴンまで出てきたら、中世とは名ばかりの異世界って
ことになるぜ﹂
﹁ああそうだな⋮⋮もしそこまで行ったら覚悟を決めるしかないだ
ろうな﹂僕は答える。
そして︱︱
﹃足枷よ、砕けよ﹄
誓って言うが、僕は冗談で言ってみただけだった。だが、僕の意
に反して、足枷は簡単に砕け散った。
﹁ヨシノブ⋮⋮今何した? 魔法を使ったのか? つーか何語を喋
ったんだ?﹂
﹁そんな⋮⋮魔法なんてあるわけ⋮⋮﹂レイコが怯む。
﹁実験だ実験。とりあえず再現性の確保が課題だ﹂シュウジは理系
だ。面白い現象を目にしてはしゃぎ回る様は、まるで子供のようだ
った。
﹁足枷よ、砕けよ﹂シュウジが言っても、何も起こらない。
﹃足枷よ、砕けよ﹄僕が言うと、シュウジの足枷が砕け散った。
﹁分かった。魔法が使えるかどうかは、指輪の有無で決まる。貸し
てみろ﹂シュウジが指輪を手に取る。
﹃足枷よ、砕けよ﹄モエの足枷が砕ける。
﹃足枷よ、砕けよ﹄同様に、レイコの足枷が砕けた。
﹃光あれ﹄シュウジが冗談交じりに呪文を唱えると、部屋の中に数
個の光の玉が浮かんだ。それは神秘的で、いかにも幻想的な光景だ
った。
19
﹁こんなちっぽけな指輪で、いっぱしの魔法使い気取りだな、こり
ゃ。とにかくここから脱出しよう﹂シュウジが言った。僕とレイコ、
モエは同意した。
僕の胸は高鳴った。この世界に魔法があるのなら、現代に帰る方
法もあるのかもしれない。
﹃錠前よ、外れよ﹄シュウジはこの新しいおもちゃがお気に入りの
ようだった。
ガチャリと音がして、錠前が外れた。ドアが開く。すぐにこの前
の衛兵が音を立ててやってくるのではないかと危惧していたが、そ
れは杞憂に終わった。どうやら四六時中見張りを立てているわけで
はないらしい。
僕らに館の構造が分かっていたといえば、嘘になる。僕たちは一
度ならず迷った。ただ、地面に敷かれた絨毯が行き先を指し示し、
シュウジのマッピングセンスが組み合わされば、解答に到達するの
は時間の問題だった。
﹁ここを曲がれば応接室か何処かに出るはずだ﹂シュウジが言う。
﹁この大きな扉は?﹂﹁開けてみよう﹂はたして扉はすんなり開い
た。
だが、そこには先客がいた。
﹁こんな朝っぱらから、一体何の騒ぎだね?﹂そこには上等な上着
を着た貴族然とした男が、立っていた。
20
﹁あなたが、領主様ですか?﹂モエが問いかける。
﹁そうだ。私の名前は、アンリ2世という。ああ、思い出したぞ。
少し前に怪しい四人組を捕まえたと衛兵が息巻いていたが、それが
君たちかね﹂
﹁そうです。私たちは確かに変な格好をしているかもしれませんが、
魔王じゃありません。なので脱獄しました﹂レイコがしれっと言う。
﹁ふむ。実のところ、君たちの働きぶりは住民たちから聞き及んで
いる。自称旅人だそうだが、一体何が望みなのかね? 金か? 定
住か?﹂
﹁実は私たちは故郷に帰りたいのですが、どうすれば帰れるのかが
さすらいびと
分からないのです﹂単刀直入に僕は言った。
﹁そうか。君たちは﹃漂流者﹄か⋮⋮﹂
﹁何か御存知なのですか?﹂僕が問うと、領主アンリ2世は答えた。
﹁この辺りでは、ときどき歴史の狭間に、故郷を持たない人々が現
れると聞いている﹂
﹁そうだ。君たちは預言者でもあるのだろう? 私がこの先どうな
るのか予言してくれれば、衛兵が取り上げた黒い箱はそちらに返そ
うではないか﹂
﹁フランク王国はあと300年は栄えます。詳しいことはあの箱が
無いとわかりませんが、この地方も安定して発展するはずです﹂
﹁ふむ。悪くない未来だな。それで、君たちはこれからどうするつ
もりかね?﹂
﹁このフランク王国の主都、パリに行こうと思います﹂僕は答えた。
21
第六話 荷馬車に揺られて
ガタゴトと。商隊︱︱荷馬車に揺られて、僕らはパリに向かって
ゆく。
荷馬車は、おせじにも乗り心地は良いとはいえない。それという
のも、ローマ時代に整備された街道は、ローマの衰退と共に整備不
足に陥ったためだ。つまり簡単に言うと道がでこぼこなのである。
キヴィタス
とはいえ、未だに馬車は、郵便と交易の主役であり続けた。
もっとも、大抵は徒歩で移動できる範囲に次の都市があるので、
徒歩ではまったく移動できないというわけではない。十分な地理の
知識と、路銀があれば、徒歩で点々と移動すること自体は難しくな
いだろう。
ただ僕らの場合、地理に詳しくないのと、路銀に限りがあるのと
で、おなさけで荷馬車に同乗させてもらっているだけだ。
結局取り上げられたノートパソコンは返してもらえた。ガタゴト
と揺れていて今は使えないが、そのうち使うチャンスも来るだろう。
ちなみに上記の知識は出発前にWikipediaで調べたものだ。
ただ、気がかりな点が一つある。Googleで検索しても、イ
エス・キリストの情報が少ないのだ。僕の記憶が正しければ、キリ
スト教の国教化はローマ帝国時代︵380年︶にテオドウシス帝に
よって成されたはずだ。だが、なぜかWikipediaにはその
記述が無い。21世紀までに、欧州の各国がキリスト教を国教に据
えることは事実だが、その時期が大幅に遅れている。
そういえば、この時代に来てから、まだ一度も聖書を読んでいな
い。羊皮紙で作られた本自体が貴重だからだろうか。それとも、考
えにくいことだが、聖書自体がほとんど普及していないのか。
22
いずれにせよ、キリスト教の不在によって、多宗教時代が長く続
いたこと。魔女ペルペに代表される魔女崇拝が存続したこと。何か
の拍子に歴史が少しだけ違ってきてしまっていることだけは確かな
ようだった。
それと、あの指輪は僕が持っていることになった。シュウジが魔
法を乱用︵本人曰く、実験︶しようとしたため、多数決で僕が持つ
ことに決まったのだ。
﹁このへんは狼や盗賊が出ると聞く﹂﹁いまのところワインは無事
だ﹂﹁魔女ペルペが死んだからには、悪魔にも注意せんといかんな﹂
荷馬車に乗っていると、馬を運転する商人たちの会話が聞こえて
くる。
﹁悪魔と出会ったことがあるんですか?﹂僕が訊くと、答えが返っ
てきた。
﹁もちろんないさ。出会って生きていられるはずがないからな。だ
が悪魔に出くわして死んだという話はいろいろある﹂
﹁夢魔スレイペンという名前は御存知ですか?﹂
﹁ああ知っているとも。人々の夢を盗み、悪夢を振り撒くという悪
魔だよ。しかしこの旅の間はその話はやめてくれ! ただでさえ﹃
悪魔の話をしていると悪魔が来る﹄と言われてるのに、名前まで出
すなんて!﹂
﹁す、すみません﹂
話を聞いた限りでは、やはり悪魔というやつはいるらしい。
確か、現実では、6世紀ごろにディオニシウスが西暦を発明した
23
といわれている。だとすると、この世界ではキリスト教の影響が薄
ヒエラルキア
いので、まだ﹁西暦﹂という概念は一般には浸透していないのかも
しれない。
セラフ
ケルビム
そして偽ディオニシウスが天使の位階を記したのも、やはり6世
紀前後だといわれている。その中でも、熾天使、智天使あたりが特
に有名だ。
悪魔がいるのなら天使もいるのだろう。天使がいるのなら神もい
るのだろう。それならこの世界の神に頼めば、元の世界に帰れるか
もしれない。そんな妄想が頭の中をよぎる。だめだ。疲れている。
僕はシュウジたちと同じく、眠らなくては。そう思った時、馬車が
止まった。
﹁盗賊だ!﹂﹁盗賊が出たぞ!﹂
見やると、街道を塞ぐように、剣や斧で武装した盗賊たちが展開
している。僕はやれやれ、と思った。人殺しは趣味じゃあないんだ
が、自衛のためなら仕方がない。
僕は荷馬車から飛び降り、指輪をポケットから取り出す。狙い定
めた一撃が、盗賊の一人の鎧を穿ち、打ち倒す。
﹃炸撃︹ファイアクラッカー︺!﹄
それはシュウジの魔法実験によって生まれた攻撃魔法。遠距離か
らの銃撃によく似た効果をもたらす、おそらく最も簡単で確実な魔
法。
﹁魔法使いだ! 魔法使いがいるぞ!﹂わめく盗賊に、僕はさらに
追撃をかける。
24
きびすを返す盗賊の背中を狙って、僕は立て続けに﹃炸撃﹄を放
つ。どうやら魔法は物理法則の影響を受けないらしい。僕が目で見
て、狙ったままの場所に正確に着弾する。商隊は無傷のまま、盗賊
は壊走する。
﹁あんた⋮⋮魔法使いだったのかい﹂商人の一人が呆然とした声で
言う。
﹁内緒にしておいてください﹂
﹁どうりで領主様から支度金が出るはずだ。どうりで領主様から推
薦文が出るはずだ。あんたはパリに行って、いったい何をどうなさ
るおつもりかね﹂
﹁そこまではまだ考えていません﹂僕は本当に何も考えていなかっ
たのだ。
25
第七話 パリ入場と晩餐会
パリと聞いて思い浮かべるものは何だろう。エッフェル塔? 凱
旋門? 無論、それらはもっと最近の時代になって作られたものだ。
では、円形劇場︵闘技場︶、公衆浴場は? それらは中世におい
て、既にあった。しかもまだ機能していた。パンとサーカスである。
しかしそれよりも重要な特徴がある。パリは﹁城壁﹂が街を覆う、
いわゆる﹁城塞都市﹂の典型なのである。つまり城門をくぐらねば、
パリに入場することはできない。
僕たちは城門の衛兵たちによって検査された。商隊のリーダーは、
荷馬車の中から上等なワインを一本取り出して、彼らに与えた。露
骨な賄賂である。
﹁その者達は?﹂﹁領主アンリ2世様から推薦文が出ている、ええ
と、まだお若いですが、彼らは賢者です。推薦文は確かなもんです﹂
﹁そうか。では今宵の晩餐では客人としてもてなそう。ようこそパ
リへ﹂差し出された手を、
﹁ありがとうございます﹂僕はそう言って、握り返した。衛兵の握
力は強かった。
ディナー
商隊の到着は、パリにとっては日常茶飯事だが、いちおう形式的
に晩餐会が開かれる。皆にパンとワインがふるまわれ、日によって
はローストビーフなどが供される。今日は﹁当たり﹂の日だったの
で、商隊の面々は皆喜んで肉を口に運んでいた。
さて、魔女ペルペは死んだ。
それを僕は一地方の出来事だと考えていた。魔女崇拝はあくまで
26
も異端であり、主流はキリスト教なのだろうと。だが、それは間違
っていた。
パリでの晩餐でそれが分かった。この中世世界を支えていたのは
彼女だったのだ。
﹁どこもかしこも、話題は魔女。魔女。魔女。だ﹂シュウジは言っ
た。
﹁キリスト教のキの字も無いよー﹂モエは降参した。
﹁教会の力はほとんど無いみたい﹂レイコは分析した。
﹁﹃スレイペン﹄﹂僕は呼びかけた。
﹁どうなされました。我があるじ﹂指輪が震えて喋った。これは移
動中にシュウジが見つけた指輪の新しい使い方の一つだ。
﹁魔女ペルペとはどんな存在だった?﹂
﹁私の口から言うのがはばかられるほどの存在でしたよ。魔女ペル
ペが生きている間は、あらゆる闇の勢力は撤退を強いられました。
闇夜を照らす無慈悲な太陽と形容してもまだ足りない。魔女ペルペ
にとって、夜明けを早めるくらい雑作も無いことだったでしょう﹂
﹁だが、魔女ペルペは死んだ﹂
﹁そう。なぜだか分からないが死んだ。死んだんです。病だったの
か、呪いだったのか、寿命だったのか。悪魔にだって分からないこ
とはあります﹂
﹁なにをぶつぶつ言っているんだ?﹂
﹁ええと⋮⋮﹂
﹁ああ、あんた噂の若き賢者様じゃないか。どうだい。一席ぶって
みないか﹂
酔った兵士の一人によって、僕は無理やり舞台に連れ出された。
27
﹁さあ何かありがたい説教をしてくれよ。賢者様!﹂
ええい。もうどうにでもなれ。僕はギレン・ザビを引用して言っ
た。
﹁諸君! 魔女ペルペは死んだ! なぜだ!﹂
全員のざわざわとした会話が止まり、人々の目線が一斉にこちら
に注がれるのが分かった。
もう後戻りはできない。やるしかない。大演説をぶつしかない。
僕には政治は分からぬ。僕は、ただの歴史オタクである。けれど
も僕は満身の力を込めて喋った。
﹁我々は一人の魔女を失った。これは敗北を意味するのか? 否!
始まりなのだ!﹂
﹁魔女ペルペの予言通り、これから闇の勢力が、魔王たちが現れる
! それに比べ我がフランク王国の備えは万全ではない。にも関わ
らず今日まで戦い抜いてこられたのは何故か! 諸君! 我がフラ
ンク王国の戦争目的が正しいからだ!﹂
﹁大移動してきたゲルマン民族が欧州全土にまで膨れ上がった西ロ
ーマ帝国を滅ぼして300余年、フランク王国に住む我々が自由を
要求して、何度東ローマに踏みにじられたかを思い起こすがいい。
フランク王国の掲げる、市民一人一人の自由のための戦いを、神が
見捨てる訳は無い。
我らの守護者、諸君らが愛してくれた魔女ペルペは死んだ、何故だ
!﹂
28
﹁その悲報の衝撃はやや薄らいだ。諸君らはこの死を対岸の火と見
過ごしているのではないのか? しかし、それは重大な過ちである。
東ローマは聖なる唯一の権威を汚して生き残ろうとしている。我々
はその愚かしさを東ローマの長老共に教えねばならんのだ﹂
﹁魔女ペルペは、諸君らの甘い考えを目覚めさせるために、死んだ
! 戦いはこれからである。我々の軍備はますます復興しつつある。
東ローマ、イスラム勢力とてこのままではあるまい。諸君の父も兄
も、この独立戦争の歴史の中に死んでいったのだ。この悲しみも怒
りも忘れてはならない! それをペルペは死を以って我々に示して
くれたのだ!﹂
﹁我々は今、この怒りを結集し、東ローマ帝国からの独立を勝ち取
ってこそ初めて真の勝利を得ることが出来る。この勝利こそ、戦死
者全てへの最大の慰めとなる。国民よ立て!悲しみを怒りに変えて、
立てよ国民!フランク王国は諸君等の力を欲しているのだ。
ヴィッファ・ペルペ!!﹂
あまりに馬鹿馬鹿しい演説だったためだろうか。シュウジもモエも
レイコも、ぽかんとした顔をしている。
晩餐会の兵士たち、商人たちも唖然としている。だが、一人の青年
が拍手を始め、叫び声を上げた。
﹁ブラーヴォ!ブラーヴォ︵素晴らしい︶!﹂
それを契機に、全員が拍手を始めた。割れんばかりの拍手、万雷の
拍手である。
なにがなんだかよくわからない。とにかく自分でも何を喋ったのか
よく覚えていないのだから。
29
﹁プロースト︵乾杯︶!﹂﹁プロースト︵乾杯︶!﹂熱狂的な人々
をかき分けて、僕はみんなの元へと戻っていった。
30
第八話 賢者の助言
その夜。
あの晩餐会のときに、最初に拍手を始めた青年に、僕は名指しで
呼び出された。僕は一人で行って殺されたりする気は無かったので、
寝ているシュウジとモエ、レイコを起こして、一緒に、指示された
邸宅に向かった。
松明の光が邸宅の一室を昼間のように照らし出している。
椅子の一つに腰掛ける謎の青年。その出入り口を固める屈強な衛
兵たち。
そこで青年は、自分を帝国宰相メルローの息子、ウィルであると
名乗った。
﹁ぜひあの演説をお父様に聴かせたかった﹂いまだ興奮冷めやらぬ
口調で、彼は言った。
﹁特に、フランク王国は東ローマから独立すべきであるというくだ
りは痛快でした。目から鱗が落ちましたよ。実際、フランク王国の
宰相たちは、いかに東ローマから正統国家としての承認を貰うかと
いうことしか考えていませんからね。父は前々から言っていたんで
す。﹃もはやフランク王国はローマではないのだから、東ローマの
長老どもに媚びへつらう必要など無いんだ﹄と﹂
﹁それで、本題は何でしょうか﹂僕は先を促す。
﹁ああこれは失礼。ついつい熱くなってしまいました⋮⋮賢者ヨシ
ノブ殿。いや皆さんをまとめて四賢者殿とお呼びすべきか。あなた
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がたは国王陛下との謁見を望んでおられる。そうですね?﹂
﹁はい。いくつか、直接伝えておきたい助言があります﹂
﹁カロリング家のピピン2世国王陛下に、一体何を吹き込むおつも
りです?
いっそここで正直なところを言ってください。衛兵は皆、私の部下
です。決して口外は致しません。必要とあれば父に相談して、国王
陛下との謁見の機会を作って差し上げましょう﹂
僕は迷った。彼は信頼に足る人物か? 初対面の相手にどこまで
情報を与えるべきか?
だが、秘密というものはいつか漏れるものだ。僕は彼を信じるこ
とにした。他の三人からも、異論は出ない。
﹁そうですね。伝えたいことは大きく分けて、四つあります﹂僕は
一息に言った。
あぶみ
﹁一つ目は近々起こるであろう﹃トゥール・ポワティエ間の戦い﹄
ペーパー
のこと。二つ目は騎兵の力を十倍に増すであろう、新兵器﹃鐙﹄の
こと。三つ目は羊皮紙に代わる可能性を秘めた﹃紙﹄のこと。最後
は⋮⋮これだけは国王陛下の前でしか言えません。宗教に関するこ
とです﹂
﹁うーむ、分からん。一つずつ説明をしてもらえまいか。私が無理
を言っても、王の前で謁見できる時間は僅かだ。詳しく説明してい
る時間は無いぞ﹂
﹁そうですね。では詳しく話しましょう。一つ目は、イスラムのウ
マイヤ朝の隆盛に関わることです。いずれ、あと数年かそこらで、
32
あぶみ
イスラムの軍勢がピレネー山脈の西端を越えて北上してきます。彼
らの主力は騎兵です。しかも新兵器﹃鐙﹄を備えた騎兵です。いか
なフランク王国の重装歩兵といえども、これには太刀打ちできませ
ん﹂
﹁ふむ。我が国の重装歩兵よりも強いと言うのか﹂﹁予言では互角
の戦いとなります。されど、今から備えておけば上手く跳ね返せま
しょう﹂
あぶみ
あぶみ
﹁次に鐙です。これはイスラムの地で既に使われている優秀な馬具
です。簡単に言えば乗馬した際の﹃足置き場﹄ですね。金属製の鐙
の発達により、乗馬は今より格段に容易になり、重い鎧を着ても振
り落されなくなります。これにより訓練の浅い兵士でも騎兵に。訓
練を積んだ者なら重騎兵と成ります﹂
あぶみ
﹁ううむ。そのイスラムの騎兵というのは、その鐙をもう使いこな
しているのだな﹂﹁はい。彼らの重騎兵隊の突撃には、手練れの重
装歩兵の密集隊形とて危ういでしょう﹂
ウィルの額に汗が流れる。自国の軍隊が破れるかもしれぬと聞か
されれば、誰でも思い悩むだろう。とりわけ、宰相の息子ともなれ
ばなおさらだ。
ペーパー
﹁最後に紙です。これは今のフランク王国ではボロ布などを原料に、
主に資源の再生という意味で作られているものかと思います。
ペーパー
しかし遠く異国の地では、木の繊維を使って作ることができること
が知られています。これをパピルスから名を取って、紙と言います。
現在の羊皮紙は、あまりに高価で、本を作るのもままなりません。
紙は、破れやすく、インクがにじみやすく、変質しやすいという欠
点こそありますが、安価に、そして大量に作れる可能性を秘めてい
ます。フランク王国が作って売れば、大きな儲けが出るでしょう﹂
33
﹁儲かると言ったな。どのくらいだ?﹂﹁羊皮紙の半分の値で売れ
ると思って頂ければ﹂
﹁ふうむ⋮⋮しばらく考えさせてくれ﹂
その夜の話は、それでお開きとなった。
34
第九話 大司教サヴァン
僕たちは最初ウィルの館のお世話になっていたが、しばらくして、
別の館に移動させられた。
屋根は高く、壁には小型の蝋燭が等間隔に配置されている。廊下
には赤い絨毯が敷いてある。中世ヨーロッパにしては豪華絢爛な館
だった。
﹁最初に言っておくが、お前たちは我が国の最高機密に触れている。
よってしばらくの間、私の館に幽閉・隔離させてもらう﹂
一人の長身の、黒い服を着た、オールバックの男が断言する。
﹁つまり僕たちの安全は保障されるわけですね﹂僕はなるべく当た
り障りないような返事をした。
彼は、自分を何も恐れていないというような態度が気に入らない
らしい。
アルキエビスコブス
﹁私はサヴァン。大司教のサヴァンだ。メルローの奴から相談を受
けた。こんな雑務は本来私の担当ではない! だがお前たちが王国
の最高機密に絡んでいる事は確かだ。不本意だが﹃構ってやる﹄﹂
﹁ありがとうございます﹂僕が素直に礼を言うと、変な顔をする。
自分では皮肉を言ったつもりが、肩透かしをくらったらしい。
﹁それで⋮⋮諸君らも魔女ペルペを信じているクチかね?﹂
35
明らかに軽蔑した口調で、サヴァンは言った。
﹁信じていません﹂シュウジが言う。﹁魔女ペルペの予言は全部嘘
っぱちです﹂
﹁ほう? では何を信じている? 言え!﹂
﹁キリスト教を信じています﹂レイコが言う。もちろん嘘だ。
だがこの世界でキリスト教を広めることには重大な意味がある。
ノートパソコンのWikipediaで調べた情報によれば、どう
せ遅かれ早かれキリスト教が欧州を支配するのだ。だったら周辺国
に先んじてキリスト教を国教化し、宗主国になっておいたほうがい
いに決まっている。
﹁そうそう。モエはこの世界では、キリスト教の扱いが小さすぎる
と思うのです﹂モエが肯定する。
﹁⋮⋮キリスト教だと?﹂
サヴァンの眉がぴくりと動く。
たっけい
﹁主イエス・キリストは我らの原罪を引き受けて磔刑に処せられた。
irae︶、死者たちは復活し、イエス・キリストの
イエスは父であり子であり聖霊である。最後の審判の日、怒りの日
︵Dies
エイメン
裁きにあい、天国と地獄とに永劫に分かたれる。神の国は近づいた。
Amen!﹂僕は知っている限りのキリスト教の教義を並べ立てる。
﹁ほ、本気で言っているのか?﹂
36
﹁はい﹂
嘘だ。だが聖書が存在しない世界で、キリスト教につい
て最も詳しいのは僕たち四人くらいだろう。嘘はばれない。そんな
確信があった。
﹁イエス・キリストが、ユダヤ人の無冠の王が、最上だと信じてい
るというのか? 魔女ペルペではなしに? あのベツレヘムの馬小
屋で生まれた男を? あの裏切り者に銀貨30枚で売り渡された哀
れな男を? 三日後に復活して天に昇られた主イエス・キリストを
信じていると?﹂
アルキエビスコブス
だんだんサヴァンの口調が熱を帯びてきていることに、僕は気付
いた。
﹁では、あなたは何を信じているんです? 大司教サヴァン﹂
﹁ふはははは。言うまでもないことだ。無論キリストだ。私は十字
架と共にある。主イエス・キリストと共にある。それ以外に何を信
じるというのだ? 魔女ペルペなど知るものか。魔王の出現など風
の噂にすぎん。奇跡を起こされてよいのはイエス様とその使徒だけ
だ。魔女ペルペを信じるものは異端だ。悪魔だ。あの世で針串刺し
の刑にでもなればいい!!﹂
はっきり言おう。一種の狂気がそこにはあった。だが本来キリス
ト教とはそういうものだ。世界で最も多くの人を殺した宗教。それ
がキリスト教なのだから。
﹁では、この件ではあなたとうまく手を組めそうですね﹂と僕は笑
って言った。
﹁この件、とは?﹂歪めた顔をさらに歪めて、サヴァンは問う。
37
ペーパー
﹁紙の開発。聖書の写経。ありとあらゆる者へのキリストの御言葉
の配布﹂
ペーパー
﹁なんだと? 紙? 写経? 何の話をしている?
まさか貴様ら、よもや神聖な書物を、よもや貴重な聖典を、書き写
して売れというのか?﹂
﹁売るのではありません。配るのです﹂
﹁貴様⋮⋮何を言っているのか分かっているのか? 神の権威はど
うなる? 教皇の威厳はどうなる? 貴様らキリスト教を一体何だ
と思っている!?﹂
じゅんきょう
﹁神の権威? 教皇の威厳? そんなものはクソくらえだ! 布教
ちょうらく
を怠った結果が異教徒どもの蔓延だ。殉教を怠った結果がキリスト
の名の凋落だ。神の名は広まることはあっても失われてはならない
! それで自分はキリスト教徒? 笑わせる。あなたはキリスト教
徒であってキリスト教徒じゃあない!﹂僕は暴言を吐く。
﹁私は⋮⋮私は700年間、教えを守ってきたんだぞ!!﹂﹁守る
だけじゃ勝てないとなぜ気付かない!!﹂
僕は言いすぎたのかもしれない。大司教サヴァンは無言で、足早
に部屋を去っていった。その背中は、心なしか小さく見えて。僕に
は彼が、涙を流さず泣いているように見えた。
38
第十話 紙の発明
ペイパー
一ヶ月の時が流れた。太陽が上り、サヴァンはパリのある修道院
ペイパー
を訪れていた。
ペイパー
﹁紙﹂﹁紙﹂﹁紙﹂
コウゾ
サヴァンはそう取り憑かれたように呟いている。
す
四賢者たちの言う通りに、樹木の外皮を剥ぎ取り、白皮を煮て紙
漉きの作業すると、確かに木から紙を作ることが出来た。まだ今の
ところ生産コストは高く、品質も完璧とはいえないが、職人が習熟
し、数を作れれば原価は低く抑えられるだろう。
へんさん
﹁聖書編纂事業の進捗は?﹂サヴァンは問う。
﹁ようやく終わりに近づいた、といったところです。サヴァン様﹂
金髪のヘレンが答える。
﹁そうか⋮⋮﹂サヴァンは複雑なため気を吐いた。
﹁何か問題でも? これを教会の図書館に収めれば我々の仕事は終
わりになるのでは?﹂
写生のヘレンが確認する。サヴァンは無言である。
﹁違うんですか? これで終わりではなく、まだ何か別にやること
が?﹂
﹁これより、聖書の編纂にあたって、いくつかの重大な決定を下す。
39
ペイパー
ペイパー
そんしょく
教会図書館長サナリアを呼んできてくれ。これは私の独断ではでき
ないことだ﹂
ペイパー
﹁は、はい﹂ヘレンは席を立つ。
﹁紙﹂﹁紙﹂﹁紙﹂
プレス
サヴァンは忌々しげに呟く。
圧搾機から取り出したそれは、上等な羊皮紙と遜色が無いように
見えた。インクが多少にじむが、許容範囲内だ。
﹁﹁売るのではありません。配るのです﹂﹂
賢者ヨシノブの言葉が頭から離れない。
編纂した聖書を図書館に収める。確かにそれは神聖な仕事だった
はずだ。
だが、各地の修道院に写本を作らせたら? キリスト教はもっと
広まるのではないか? 主イエス・キリストの御名を三千世界に轟
ペイパー
ペイパー
かせることができるのではないか?
ペイパー
﹁紙﹂﹁紙﹂﹁紙﹂
サヴァンは数枚の紙を持参していた。そのうち一枚を取り出し、
ヘレンのインクを借りて羽ペンを走らせる。
<聖書写本大増刷計画。全ての者に神の御言葉を>
馬鹿馬鹿しい。サヴァンはその紙を丸めて捨てようとして、思い
直す。
教会図書館長を務める老修道女サナリアが現れたのは、そんな時
だった。
40
﹁サヴァン。今日は一体何の用事ですか。ええと、これは羊皮紙⋮
⋮ではありませんね。パピルスとも違う。これは何です? 一体﹃
何に﹄文字を書かれているんですか? サヴァン﹂サナリアは言う。
﹁ある若い賢者の夢物語だ﹂サヴァンは侮蔑したように言う。
﹁賢者? 夢物語?﹂サナリアは問いかける。
﹁真面目な話だと思わんでくれよ。その男は、この世の修道院全て
キヴィタス
に聖書を配るつもりでいるらしい﹂
﹁修道院全てに⋮⋮全ての都市にですか? 無茶です!﹂
ペーパー
﹁ああ無茶だ。羊皮紙は高すぎる。写生の数は足りなさすぎる。だ
ペーパー
ペーパー
がそれを可能にする方法、手段は持ってきた。紙だ﹂
﹁紙? 紙とは?﹂サナリアが問う。
﹁パピルスでもない。羊皮紙でもない。植物の繊維から作った新し
い発明品だ。いずれ値も下がる﹂
﹁聖書写本大増刷計画。全ての者に神の御言葉を!﹂
ヘレンが紙を広げ、書かれた言葉を歌うように読み上げる。
驚いたサナリアは紙を見て言った。
﹁この紙はにじみます。聖書には向きません﹂﹁それはこちらで技
術的になんとかする﹂サヴァンは答える。
﹁問題は﹃できるかどうか﹄だ。現在の教会直轄領は少なく、採算
ペーパー
の取れている修道院は少なく、全ては火の車だ。写生を雇うだけの
余裕は、とてもない。だが私は﹃できる﹄と信仰している。紙は売
れる。間違いなく売れる。そしてキリスト教はこれより攻性の集団
となる。聖書を書かせ、読ませ、万人に広めるのだ!﹂
それでこそあの賢者どもの鼻を明かすことができる。サヴァンは
41
そう思う。
﹁では、キリスト教を国教化するという話も本当なのですか﹂﹁あ
あそうだ。それでこそフランク王国は真の神の国になる!﹂
﹁この紙、意外と書きやすいですよ﹂空気を読まずにヘレンは言っ
た。
42
第十一話 炎魔ガーシュイン
語るに足る全ての物語がそうであるように、この話は猫から始ま
る。
僕らはサヴァンの館から出られないので、館の中を歩き回って暇
を潰した。広い館なので、所々に絵画が掛かっている。中にはサヴ
ァン自身の肖像画もあった。
僕とシュウジが猫と竜の描かれた絵画を見つけたのは、そんな時
だった。
指輪の中の夢魔スレイペンが言った。﹁猫の絵だ⋮⋮何と恐ろし
い﹂
﹁猫のどこが恐ろしいんだ?﹂シュウジが訊ねる。
かしら
﹁御存知ないのですか? 世界の終わりが来たとき、400キュビ
ット︵約20メートル︶の猫の軍勢が現れて悪魔の頭たる漆黒の竜
と戦うんです﹂
その話は初耳だった。
﹁この世界に猫はいないのか?﹂シュウジが問う。
﹁いません。猫は遠い昔に別の世界に旅立っていきました。残った
のは老猫ミールだけです﹂
﹁おいおい、まさかドラゴンがいるという話じゃないだろうな﹂シ
ュウジが訊ねる。
﹁ドラゴンは居ますよ。魔女ペルペが生前、ゲオルフというドラゴ
ンと取引をしたという噂があります﹂
43
﹁猫が居なくて、ドラゴンが居るのか⋮⋮この世界について、少し
認識を改めないといけないな﹂僕は唸った。
﹁これであらかたこの館は調べ尽くしたわけだが、まだ入っていな
い部屋がある。サヴァンの書斎と寝室だ﹂シュウジは全部の部屋を
マッピングするまでやめる気は無いらしい。
﹁衛兵がいるのに、どうやって入るんだ﹂﹁簡単じゃないか。﹃衛
ぬすっと
兵よ、眠れ﹄と唱えればいい﹂﹁なるほど﹂僕は同意した。
まるで盗人だが、僕らを館に幽閉しようとしたサヴァンもサヴァ
ンだ。せっかく稼いだデナリウス銀貨。もっとパリを観光したいの
に、サヴァンに邪魔されたようなものだ。
国王陛下との謁見も実現しそうにない。だからといって、僕たち
は、このままこの館で老いていくつもりなどさらさらない。
﹃衛兵よ、眠れ﹄
衛兵は眠りにつき、崩れ落ちる。僕たちは彼を横に寝かせると、
サヴァンの部屋に入って行った。机には羽ペンとインク壺が置かれ
ており、また、僕らが持っているのと同じような指輪が一つ置かれ
ていた。
﹁ガーシュイン!﹂叫んだのは指輪の中のスレイペンだった。﹁あ
れはガーシュインの指輪だ。もう一つの指輪だ﹂
﹁どういうことだ? 指輪はこの世にいくつある?﹂シュウジが問
う。
﹁私の知る限り、四つあります。スレイペン、ガーシュイン、ラヴ
ェル、ブーランジェ。いずれも私のような悪魔を封じた指輪です﹂
﹁そうか。じゃあこの指輪は貰っておこう。ところで⋮⋮全てを統
44
べる﹃一つの指輪﹄まであるんじゃないだろうな?﹂
﹁そういうものは存在しません。⋮⋮なぜそんなことを訊くんです
?﹂
﹁俺たちの世界には指輪物語っていう伝説的な物語があるんだよ﹂
シュウジが言う。
﹁﹃ガーシュイン、喋れ﹄﹂
﹁んあ? 俺を呼ぶのは誰だ?﹂指輪が喋った。
﹁俺はシュウジだ。お前のあるじになる者だ﹂
﹁そうか。あんたが新しい魔王か。じゃあ用事があったら呼んでく
れ。力を貸そう﹂
﹁﹃炎魔ガーシュイン﹄。俺だ。スレイペンだ﹂
﹁おお! その声は﹃睡魔スレイペン﹄か。久しぶりだな。そうか
そうか。お前もあるじを手に入れたか。ならば魔王は二人に増えた
な﹂
﹁魔王?﹂僕は訊ねる。
﹁なんだ。知らなかったのか? お前たちが魔女ペルペが予言した
魔王だ。その証拠に、指輪を二つも手に入れているじゃあないか﹂
ガーシュインは答える。
﹁指輪は四つ。俺らも四人。確かにつじつまは合うな﹂シュウジは
言った。
﹁魔王になんてなりたくないよ﹂僕は抵抗する。
しかしガーシュインは語り続ける。
﹁だが運命は変えられない。魔女ペルペは予言した。魔王が現れる
と。そしてそうあれかし。そうなった。お前たちはあと二人いると
45
言ったな。いずれ残りの二つの指輪も手に入るだろう﹂
﹁僕らは魔女ペルペを信じちゃいない﹂
﹁信じる信じないの話じゃないのさ。これは運命だ。選択の余地は
無い﹂
﹁じゃあ僕らはいずれこの世界の敵になるのか?﹂
﹁それはお前たちが決めることだ。魔女にも善き魔女と悪しき魔女
がいる。魔王にしても同じだろうよ﹂そこまで言って、ガーシュイ
ンは沈黙した。
﹁僕らはきっと善き魔王になる﹂﹁ああ。そうだな﹂シュウジは窓
の外の庭園を見つめながら、僕の台詞に同意した。
46
第十二話 雑談と猫
テーブルと椅子、それとお茶︵とは呼べない不味い飲み物︶があ
る一室での話。
﹁あー、タバコ無いかしら。最近吸ってないからストレス貯まるの
よね﹂レイコが言う。
﹁モエは、これを機にレイコさんは禁煙すればいいと思います!﹂
﹁禁煙とか無理無理。ま、とはいってもタバコ屋は無いし、結果的
に禁煙してるわけだけど⋮⋮﹂
椅子に座って、長髪のレイコは高い天井を見上げて呟く。
﹁これからどうなるのかしらね。私達﹂
﹁モエは、この世界もそんなに悪くないかもって思い始めたのです﹂
﹁いや、慣れてどうする。そこは﹃元の世界に帰りたい﹄って言う
ところでしょう﹂
﹁そうなんですか?﹂
﹁そうよ﹂
沈黙が落ちる。
﹁モエは、ヨシノブとシュウジ、どっちが好き?﹂レイコが急に問
いかける。
﹁えーっと、それは二択ですか?﹂
﹁二択よ﹂
﹁モエは、ヨシノブくんかなあ﹂
﹁じゃあ、あたしはシュウジか⋮⋮﹂
47
再び、沈黙が落ちる。
﹁あの、何の話をしているんでしたっけ?﹂
﹁もしこの世界から帰れないことが分かったら、どっちがどっちと
結婚するかって話してるのよ﹂
﹁でもでも、この世界の人と結婚することもできるのでは?﹂
﹁無理ね。生活習慣が違いすぎる。名門貴族との玉の輿ならともか
く、そこいらの農民と結婚してやってける自信は無いわ。結局、時
代が違うのよ。ここは中世。私たちは現代人﹂
﹁モエは、考えたのです。この国の王子さまと結婚して、プリンセ
スになるのです﹂
﹁あなた社交ダンスとかできるの?﹂
﹁あー、それがありましたかー﹂
﹁夢を壊すようであれだけど、あなたのオツムでプリンセスは無理
でしょうね⋮⋮﹂
﹁モエは、すごい悪口を言われた気がします﹂
﹁悪口の一つも言いたくなるわよ。あーそれにしても不味い飲み物
ね。さっさと紅茶か緑茶を発明すればいいのに﹂
三度、沈黙が落ちる。
﹁にゃー﹂
そこに猫が現れる。
二人はまだ、それがどんなに異常なことか、分かっていない。
﹁あ、猫さんだ。かわいいー﹂
48
﹁んー⋮⋮けっこう年寄りの猫ね﹂
それは老猫ミール。神々や竜と争う、神話の軍勢の最後の一匹。
﹁ブローニュの森へ向かえ。そこに第三の指輪がある。そして元の
世界に帰りたくば、エルフたちに会うことだ﹂
﹁あれ? 今この猫喋った?﹂
﹁森へ向かえって⋮⋮どういうこと?﹂
こつぜん
その言葉を最後に、猫は忽然と姿を消していた。
第二の指輪を見つけて戻ってきたヨシノブとシュウジは、その話
を聞いて唖然とすることになる。この世界に猫はいない。ただの一
匹、伝説の老猫ミールを除いては。
49
第十三話 ブローニュの森 前編
ブローニュの森は、パリ中心部から西の地域に位置する広大な森
である。
ヨーロッパの森の多くは、王様や貴族のたちの狩猟場という位置
付けであり、7世紀ごろには鹿や野兎、狼などの多くの野生生物の
生息地となっていた。
とはいえ、そのブローニュの森に行けといわれて、ほいほい行け
るわけではない。いくら距離的に近くても、森は危険地帯なのだ。
特に中世前半の森は、手入れの行き届いていない原生林であった。
大司教サヴァンにブローニュの森の散策を提案してから、二週間
が過ぎようとしていた。サヴァンとは、紙の作り方について質問に
来てからというもの、さっぱり連絡がつかない。最初に詳しく教え
過ぎて、もう聞くべきことはないと思われているのか。そもそもの
製紙事業は順調なのか。それさえもわからない。
ノートパソコンでのウェブブラウジングも、毎日そればかりやっ
ていては、さすがにもう飽きてくる。
そんな中、サヴァンの館を訪問したのは、あの宰相メルローの息
子、青年ウィルであった。 ﹁今日はお忍びでここまで来ました。良い知らせがあります﹂と彼
は言った。
あぶみ
﹁まず、フランク王国軍は馬の調達を始めました。イスラムに負け
ぬよう騎兵隊を作るためです。鐙の実験が上手く行き、ついに騎兵、
重騎兵が正式な兵科として採用されたのです。父は騎兵隊の発案者
50
として歴史に名を残すでしょう﹂
ペーパー
﹁次に、紙ですが、サヴァンの奴が実験的にそれを作ることに成功
しました。実用になるまでにはまだまだ問題がありますが、数か月
後には職人に工程を振り分け、本格的な生産が始まるはずです﹂
﹁そしてあなたがたは最後に国王陛下に宗教の話をしたいと言って
おられた。これはキリスト教のことですね? サヴァンはキリスト
教の国教化を推進し始めました。魔女ペルペが死んだ今、キリスト
教は新たな国家の拠り所になるでしょう﹂
﹁それはよかった。全てが上手く行けば、フランク王国も安泰でし
ょう﹂僕は言った。
﹁ワインがあれば乾杯をしたいところだ。もっともこの館には酒が
無いがな﹂シュウジが受ける。
﹁それはそうと、私たちはブローニュの森に行かねばならないのだ
けれど⋮⋮﹂レイコが口を挟む。
﹁森に? それはかまいませんが、何か目的があるのですか?﹂
﹁そこに探し物があるの。それに、エルフにも会わなくちゃいけな
いのよ﹂
エルフ
エルフ
﹁小妖精? あなた方は不思議なことをおっしゃられる。現実的な
提案で我が国を栄えさせたかと思えば、今度は森の小妖精の話です
か。私も噂を聞いたことくらいはありますが、さすがに見たことは
⋮⋮﹂
﹁モエたちは、老猫ミールに会ったのです﹂モエが言う。
﹁ミール! 猫の神! 人語を解する世界最後の猫に会ったのです
51
か!﹂ウィルは少し興奮気味に語った。
﹁金色に輝く瞳、燃えるような毛並み、銀に輝く翼に、白金のひげ
をピンと立てて!︱︱ああ、これは戯曲﹃嘘吐きオッティア﹄の台
詞でしたな。しかしあなた方の言うことです。信じましょう﹂
﹁探し物は残り二つ。私たちは老猫ミールの告げた場所に行き、あ
るものを探さねばならないのです﹂僕は言った。
﹁では、さっそく案内の者の手配を致しましょう。出立は明後日と
いうことで、よろしいですね?﹂
うなず
僕たちは強く頷いた。
52
第十四話 ブローニュの森 後編
パリから西に少し行ったところに、ブローニュの森はある。21
世紀では大きな公園のような扱いをされているこの森も、7世紀に
はまだ人の手が入らない神秘的な森だった。細長いアンフェリュー
ル湖のほとりで妖精を見たと言っても、信じる人のほうが多かった、
そんな古き良き時代である。
森番のヴォルフガングは、宰相メルローの息子ウィルと旧知の仲
であった。基本的に、森番︵Gamekeeper︶というのは誰
もやりたがらない仕事だ。主君の狩りに備えて、森の手入れをする、
孤独な仕事。だが、ヴォルフガングは父からその仕事を受け継いだ。
ヴォルフガングは主君のために森に手を入れ、キジを飼い、鹿を増
やした。
パリで森番と言えば、それはヴォルフガングのことだ。
﹁ぼっちゃま、その先には小さな崖がありますから、注意してくだ
せえ﹂ヴォルフガングが大声で言う。
﹁ああ、分かっているよ﹂ウィルが答える。
話によれば、幼いころ、ウィルは自分の背丈に合う弓が無くてヴ
ォルフガングから小さい弓を借りたことがあるのだという。それか
らというもの、ウィルは決まって﹁ぼっちゃま﹂と呼ばれるのだそ
うだ。
僕たちは、生まれて始めて見る大自然の力に圧倒されて、言葉も
出ない。ウィルたちの歩みについていくのがやっとだ。道を少しで
も外れると、とても歩いていかれない。
53
﹁本当にエルフなんて居るのかしら﹂レイコが疑問を投げかける。
﹁居てくれないと困るな。じゃないと骨折り損のくたびれ儲けだ﹂
シュウジが答える。
﹁﹃スレイペン﹄、指輪は近くにあるか?﹂僕は問う。
﹁はい。力は弱弱しいですが、ラヴェルの指輪が近くにあるような
気がいたします﹂
アンフェリュール湖を越えて、森の奥深くまで侵入すると、僕た
ちは︵シュウジも含め︶方向感覚を無くして立ちすくんだ。
どこを見ても、木、木、木である。とても道があるようには見え
ない。ヴォルフガングとウィルが案内してくれるから迷わずに済ん
エルフ
エ
でいるが、そうでなければたちまち迷子になっていたことだろう。
ルフ
﹁ヴォルフガング、彼らは小妖精に会いに来たんだそうだ。君は小
妖精を見たことはあるのかい?﹂
﹁ええ、ぼっちゃま。何度か見かけたことがあります。今日出会え
るかは、保証しかねますが﹂
﹁ほう。君が見たというなら、きっと本物なんだろうな﹂
﹁﹃ガーシュイン﹄、エルフ語でエルフを呼んだりはできないのか
?﹂シュウジは指輪を試す。
﹁そんなことをせずとも、会いたければ彼らのほうから会いに来る
とも﹂
エルフ
﹃小妖精は居ますよ﹄
小さな囁きが聴こえたかと思うと、湖の鳥たちが一斉に空に飛び
立った。
54
﹃自然と豊かさを司る小神族、森番と共に森を守る原初の妖精﹄
突風が吹き、僕たちは目を閉じた。再び目を開いたとき、そこに
は、誰かが立っていた。
エルフ
﹁私は﹃アルケー﹄。この森に住む小妖精の一人です。以後お見知
りおきを﹂
エルフ
人間の子供のようで、そうでない存在。永遠の命を持つという、
小妖精。
﹁こんなに近くでは、始めて見ましたよ﹂ヴォルフガングが言う。
﹁これはこれは⋮⋮いい思い出話になりそうだ﹂ウィルが呟く。
僕もモエもレイコも、驚きのあまり声が出ない。静寂を斬ったの
は、シュウジだった。
﹁それで、例のブツはどこにある?﹂シュウジは単刀直入に訊く。
﹁﹃水魔ラヴェルの指輪﹄は私が持っています。ですが、あなた方
エルフ
はコレの本当の扱い方をまだ知らない。今渡すのは危険すぎるかも
しれない。私は、この森の小妖精たちは、そう思っています﹂
また風が吹いた。それでも僕たちは目を離さなかった。目を離せ
ばアルケーが消えてしまいそうな気がしたのだ。
﹁俺たちはこれまで、指輪を注意深く取り扱ってきた。もし誘惑に
負けて、指輪を嵌めるとどうなるんだ?﹂
55
﹁最初は何も起こりません。ですが、悪魔の力、魔法の力は強大で
す。最後には⋮⋮あなた方は魔王になる運命にある﹂
﹁そして確かに指輪を四つ集めれば、四つの指輪を同時に使えば、
あなた方は故郷に帰れるかもしれない。だがそれは、この中世ヨー
ロッパに、ぽっかり穴を開ける結果となる。あの魔女ペルペがやっ
たように、世界そのものに干渉することになる﹂
﹁アルケー。君は魔女ペルペの何を知っている?﹂僕は問う。
﹁全てを﹂
﹁魔女ペルペはあなた方四人を、魔王を召喚するために死んだので
す。中世という時代をごく短期間で終わらせるために。そして歴史
への介入結果は未知の領域に到達する。﹃構造化されたエンサイク
エルフ
ロペディア号﹄ですらも計算しきれぬ未来の果てへ、魔王は我々を
連れて行く。小妖精はその監視者なのです﹂
モエの手の平に、指輪がぽとりと落ちてきた。
﹁ほえ?﹂
﹁四人の魔王よ。思考せよ。自らが何処から来て、何処へ行くつも
りなのかを。何を得て、何を捨て去るべきなのかを。誰を守り、誰
と戦うべきなのかを!﹂
そしてまた突風が吹き。今度は何も残らなかった。
56
第十五話 魔王たるもの
エルフと出会った日。サヴァンの館。日没後。
﹁あなた方が魔王だったのですね﹂とウィルは言った。
﹁どうやらそのようです﹂僕は答えて言った。
﹁指輪はもう三つ揃っている。あと一つで全てが揃う、と﹂
﹁はい﹂僕は認めた。
﹁四つの指輪を使えば、四人の魔王が揃えば、何ができると言われ
ているかはご存じですか﹂
﹁知りません﹂僕は正直に答えた。
ウィルは愕然とする。無知にもほどがある、といった表情だ。
﹁いいですか。魔法使いは、魔王は、たった数人で国を滅ぼすこと
ができるんですよ!﹂
﹁それをするつもりはありません﹂僕は言う。
﹁滅ぼすメリットが無いな﹂シュウジは答える。
﹁そういうことには興味が無いわね﹂レイコは斬り捨てる。
﹁モエは、誓って悪いことはしないのです﹂モエは断言する。
﹁はは⋮⋮なんという皮肉だ⋮⋮王国辺境部では兵士たちが遠征を
繰り返し、今も死に続けているというのに、ここにいる魔王たちに
は何の闘争心も無いのか⋮⋮﹂
﹁我々は目的を持っていました。故郷に帰るという目的を。しかし
魔女ペルペが何らかの目的を持って私たちを召喚したことは間違い
57
ありません。今では、何もせず故郷に帰ってよいとは思ってはおり
ません﹂
﹁当たり前だ!!﹂ウィルは机を叩いた。
﹁力を持つ者は、それに相応しい行いを求められる。父が言ってい
た。我々は各々が成すべきことを成さねばならぬ。単なる傍観者で
あろうとすることは罪なのだ!﹂
﹁おっしゃることは分かります。そして今まで騙していたことは謝
ります。しかし私たちはこの指輪の力を使うことを恐れてもいるの
です﹂僕は慎重に言葉を選んだ。
﹁指輪を使うものは、いずれその力に、指輪の中の悪魔に支配され
ます。そうなったとき、私たちはフランク王国に牙を剥くかもしれ
ません。私たちはそうなることが怖いのです。身も心も悪魔になっ
てしまえば、本物の魔王になってしまうでしょう﹂
﹁何もしない魔王⋮⋮否、だからこそ賢者なのか。未来を知り、過
去を変え、それでも決して悪事は働かぬ! 魔王! 魔王! それ
がただの悪意ならばよかった。分かりやすい宿敵ならばよかった。
神に背き、死を振り撒き、人間が打ち倒すべき邪悪ならばよかった。
だが違ったのだな⋮⋮﹂
﹁魔女ペルペは魔王であり、同時に、賢者である者を呼んだ。魔王
であり賢者! なんという! なんという皮肉だ!﹂
﹁最後の指輪がどこにあるか、御存知ですか﹂僕は訊いた。
﹁部下に調べさせよう。なにすぐに分かるだろう。指輪は魔王の元
に集うのだ。そう伝えられている﹂
ウィルは己の泣き顔を隠すため、後ろを向いて、言った。
58
﹁一つ問う。もし私が殺せと命じれば、人を殺すか?﹂
﹁主従関係を結んだあとでなら、考えましょう﹂僕は言った。
﹁状況によるな﹂シュウジは躊躇った。
﹁殺さずに済むならそのほうがいいわね﹂レイコは綺麗事を言った。
﹁モエは、できることなら盾になりたいのです﹂モエは理想を語っ
た。
ウィルは叫んだ。
﹁お前たちは賢い。そして大馬鹿者だ!﹂
さた
﹁追って沙汰を下す。それまでサヴァンの館に閉じこもっていろ﹂
59
第十六話 魔女ヘギュラ 前編
ありか
﹁最後の指輪の在処が分かりました﹂ウィルから報告が入ったのは、
二週間後だった。
﹁パリの東、ルクセンブルクでの反乱鎮圧中に、魔女ヘギュラが指
輪を使ったとの情報が入りました﹂
レジ
﹁故クロヴィスがフランク人を統一して、今ではルクセンブルクは
フランク王国の支配下にあるのでは?﹂僕は問う。
スタンス
リッチー
﹁ええそうです。しかしここ最近、魔女ヘギュラを後ろ盾にした反
いと
乱軍が発生しているようです。魔女ヘギュラは不死者だと噂されて
います。彼女は指輪の真の力を使うことを厭わないでしょう﹂ウィ
ルの語る話は生々しい。
﹁そこで俺たちの出番、か﹂シュウジが言った。
﹁指輪の真の使い方を知らない私たちが、どこまで善戦できるかし
ら﹂レイコが疑問を投げかける。
ペーパー
﹁戦いながら覚えていくしかないだろうな﹂僕は言う。
﹁いや、その必要はない。昨日サヴァンから紙のサンプルが届いた
から、魔術戦の攻略本を作った﹂シュウジがこともなげに言い放つ。
﹁攻略本?﹂ウィルは言葉の意味が分からないようだった。
シュウジが一枚の紙を提示する。
﹁1.魔法には攻撃力、防御力、発動速度が存在している﹂
﹁2.発動速度を重視すると攻撃力が下がる↓炸撃﹂
﹁3.攻撃力を重視すると発動速度が下がる↓爆撃﹂
﹁4.攻撃は防御力、特に多重展開された防壁によって防がれる↓
単純攻撃<多重防壁﹂
60
﹁5.魔法それ自体を打ち消す魔法もある↓静謐﹂
﹁6.複数の攻撃を同時に放つことで防御を突き破れる確率は増す﹂
﹁7.複数の魔術砲の一斉射撃のメリット↓砲撃の優位性﹂
﹁8.種類の異なる多重防壁↓相手の攻撃の無力化↓報復、霧の防
壁﹂
﹁9.設置型魔術↓地雷﹂
﹁10.どうにもならないときは↓逃げ帰る﹂
﹁これだけ策があればどうにかなるだろう﹂
シュウジはことゲームにおいて諦めるということを知らない男だ。
暇さえあれば魔術戦に勝つことばかり考えてきたに違いない。
戦闘が始まったら、一時的に指輪を嵌めて、三人の総攻撃で魔女
リッチー
ヘギュラを倒す。そして指輪を奪い取る。計画はそのように決まっ
た。
レジスタンス
魔女ヘギュラ。
反乱軍を指揮する不死者。
僕らは馬車に乗り込み、ルクセンブルクへと向かった。
リッチー。リッチー。リッチー。それは死を超越した存在。不死
身の魔法使い。
こんなことを考えるのは不謹慎かもしれないが、一度彼女と話し
てみたいな、と僕は思った。
何日か馬車に揺られ、ようやく夕暮れ時にルクセンブルクに辿り
レジスタンス
着くと、森は無事だったものの、平原は戦火により荒廃していた。
これを反乱軍がやったのかと思うと、怒りが湧いてくる。
﹁﹃スレイペン﹄、指輪はあるか?﹂﹁あの館から﹃ブーランジェ﹄
61
の臭いがします﹂
﹁指輪を悪用する魔女ヘギュラは許してはおけない。策はあるか?﹂
ウィルが言う。
﹁明日まで待ちましょう。彼らは今得意絶頂になってあの館で酒宴
でも開いているはずです。明日の早朝から見張りを立てて、動き出
したら即叩きましょう﹂シュウジはこの手のゲームには慣れている。
日は暮れ、次の日になった。
武装した男たちが館から出てくる。僕は狙いすました﹃炸撃﹄で、
レジスタンス
男たちの脚を狙い、次々に行動不能にしていく。五人くらいが狙撃
の犠牲になったころ、たまらず反乱軍は魔女ヘギュラに助けを求め
た。
一人のリッチーが、館から出てきて、こちらを見据えた。
62
第十七話 魔女ヘギュラ 後編
﹁魔法使い。﹃炸撃﹄使い。あんたらがやったのかい﹂ヘギュラが
呟く。
﹁ああ。そしてこれからあんたを打ち倒すつもりでいる﹂シュウジ
が言う。
僕とシュウジ、モエが指輪を嵌める。レイコはウィルと共に馬車
で待機。
本来目視不能のはずのマナが、シュウジの周りに六つの球体とな
って具現化し、浮遊し始める。
︹ファイアワークス︺×6﹄
用意された砲塔は六門。シュウジは最初からフルパワーで行くつ
もりだ。
﹁魔術砲、六門同時砲撃!! ﹃憤激
!!﹂
シュウジが叫ぶと、球体から噴出した紅蓮の炎が、ヘギュラめが
けて猛進する。
砲撃と同時に、ヘギュラからの反撃を潰すために僕らは防壁を展
開する。
﹁﹃報復︹アベンジャー︺﹄よ! 我らの身を護れ!﹂僕は叫ぶ。
空中に対物理攻撃用の無数の防壁が展開される。
﹁﹃霧の防壁︹シールドミスト︺﹄よ! 全てを妨げよ!﹂モエが
叫ぶ。たちまち分厚い霧の壁が発生し、ヘギュラの反撃を半減させ
63
る。
﹁﹃地雷︹マインクラフト︺﹄!﹂魔女ヘギュラの叫び声がする。
さきほどの苛烈な砲撃をものともせず、むしろ反撃を繰り出してく
る。さすがは経験豊富な魔女だ。
だが、二重に張られた﹃霧の防壁﹄はその反撃を半減させ、さら
に半減させ、完全に封じ込める。
﹁﹃修復︹レストア︺﹄!﹂僕は攻撃の反動で傷ついたシュウジの
体力を回復させる。
︹ファイアワ
﹁まだいけるか?﹂僕の確認に﹁おうとも!﹂シュウジは元気に答
える。
﹁着弾修正完了。魔術砲、六門再砲撃!! ﹃憤激
ークス︺×6﹄!!﹂
シュウジが叫ぶ。六門の砲塔から再び紅蓮の炎が飛び出し、荒れ
狂う。先ほどヘギュラが立っていた場所一面が炎に包まれる。これ
ではいかなリッチーとて、たまったものではあるまい。
﹁﹃呪術の儀式刀︹カースドブレード︺﹄×2!!﹂ヘギュラが繰
り出す苦し紛れの攻撃は、僕が展開した多数の﹃報復﹄によって遮
られる。
一対一なら確実にやられていただろう。だが、現実は三対一なの
だ。こちらには歴戦のゲーマーのシュウジが付いている。僕たちは
それを防御面でサポートすればいい。負ける要素が無い。
ビギナー
﹁初心者にやられて、﹃はいそうですか﹄とは引き下がれねえんだ
64
よ!!﹂
ヘギュラの絶叫が聞こえる。だが、もう勝敗は明らかだ。
﹁止めだ!! ﹃炸撃︹ファイアクラッカー︺×3﹄!!﹂
僕の狙いすました連撃が、魔女の胸を貫いた。彼女はリッチーだ。
無論、死んではいまい。だが心臓が再生するまでの間、行動不能に
なるはずだった。
燃えさかる火の海の中に僕らは侵攻した。倒れたヘギュラから火
の粉を払う。指輪を奪う。
﹁久しぶりだな﹃地魔ブーランジェ﹄﹂
﹁その声は﹃睡魔スレイペン﹄か。そうか。お前が来たということ
は、指輪の真のあるじが、魔王が見つかったのだな﹂
﹁ああ。魔女ペルペは死に、魔王は四人、指輪は四つ揃った!揃っ
たのだ!﹂
だが歓喜にわく指輪の悪魔たちをよそに、僕らは指輪を外す。
﹁しかしこの魔王たちにはやる気が全く無い。そこが難点といえば
難点だな﹂
スレイペンが愚痴った。
65
第十八話 トゥール・ポワティエ間の戦い 前編
その訃報は唐突であった。フランク国王ピピン2世が死去したの
だ。
王国はたちまち混乱状態に陥ったかに見えた。次の国王には、果
たして誰が成るのか。次の宰相には、果たして誰が成るのか。
長兄のドラゴか、弟のグリモアルト2世か、あるいは末弟のヒル
デブラントか。彼らはそれぞれ自らの王権を主張したが、ピピン2
世は生前に遺言を残していた。宰相メルローは、賢者らの予言を受
けて、隠居とまではいかずとも、遺言の作成を暗に勧めていたので
ある。
﹁側室カルパイダとの間に生まれた我が子シャルル・マルテルを国
王とし、宰相メルローを続投させる。他の息子たちには土地以外の
私有財産の半分を相続させる﹂
この遺言は事実上の、息子たちからの王権剥奪であった。当然大
きな反発が予想されたが、シャルル・マルテルは、この知らせを受
けるとすぐさま土地と戦利品の公平な分配を約束し、貴族たちの大
半の支持を取り付けた。王妃プレクトルディスの努力にも関わらず、
ピピン2世の遺言は完全に有効であり、息子たちの即位は不可能で
あった。
メルローを国王に推す陣営もあった。だがそれに対して、メルロ
ーはこう言って辞退した。
﹁俺の頭はフランク王国の人口と統計、兵士への給料、税金の計算
66
いくさ
でいっぱいいっぱいだ。とても国王を兼任はできんよ。それにシャ
ルル・マルテル様のほうが戦上手だ﹂
アルキエビスコブス
シャルル・マルテルは、パリの修道院で大司教サヴァンに聖別さ
れ、戴冠した。フランク国王への即位と共に、シャルル・マルテル
はキリスト教の国教化を宣言した。
時を同じくして、イスラム、ウマイヤ王朝のカリフ・ヒシャーム
によってイベリア知事に任じられたアブドゥル・ラフマーン・アル・
ガーフィキーは、ピレネー山脈の西端を越えて北上を試みていた。
あらかじめこの侵攻を予言として知らされていたアキテーヌ公は、
敗北を予感しながらもボルドーを死守し、増援を呼ぶべくパリへと
伝令を走らせた。
無論、この知らせを最初に受けたのは、フランク王国国王、シャ
ルル・マルテルであった。
その知らせはまた、数刻遅れで宰相メルローにも届いた。彼は来
たるべき時が、賢者の予言の時が来たことを知った。イスラム勢力
がヨーロッパを、このフランク王国の切り取りを狙ってきたのだ。
彼は王国の重装歩兵に、そして事前に育てていた我が子のような騎
兵隊に召集を命じた。
ボルドーは陥落した。戦利品はイスラム兵たちに強奪された。女
子供は犯され、殺された。
イスラム軍の部隊の主力は騎兵であった。
それも少なく見積もっても五万人もの騎兵部隊であった。歩兵を
含めれば八万はくだらない。
67
いきけんこう
だがフランク王国は、シャルル・マルテル国王はそれしきのこと
で怯む者では無かった。数に劣るが意気軒昂。フランク王国直属の
重装歩兵、騎兵、そして雑多な武器を持った貴族たちの軍、締めて
三万人のフランク軍は、トゥール目指して進軍した。
トゥールに入場したとき、まだイスラム軍はトゥールに到着して
いなかった。そこでフランク軍は物資の補給を終え、一路ポワティ
エへと向かった。
イスラム軍とフランク軍は、ポワティエの手前、クラン川とヴィ
エンヌ川の合流点付近で遭遇した。圧倒的に数に勝るイスラム軍で
あったが、丘に陣取るフランク軍の規模が分からない。睨み合うこ
と一週間。第七日目に、ついにイスラム軍の騎兵たちは、勝利に向
かって突撃を開始した。栄光に向かって騎兵たちが野を走った。
﹁我らは勝利に勝利を重ねるイスラム騎兵隊!! フランク軍の重
︹ファイ
装歩兵恐るるに足らず!! 密集隊形なんのことあらん!!﹂
それを最初に迎え撃ったのが、魔王軍である。
戦力、
魔王、
四名。
魔術砲、各六門。計二十四門の同時砲撃!! ﹃憤激
アワークス︺×24﹄!!
この砲撃は、のちにトゥール・ポワティエの奇跡の火と呼ばれる
ことになる。
68
第十九話 トゥール・ポワティエ間の戦い 後編
魔王軍による砲撃は、苛烈の一言に尽きた。
二十四の砲撃の着弾地点に位置していた騎兵隊は束になって消し
飛び、周りの多くの騎兵たちが怯んで足を止めた。
﹁魔王だ!! フランク軍には魔王がいる!!﹂
イスラム軍司令官のアブドゥルは、恐慌状態に陥った騎兵部隊を
なだめるために全力を尽くした。そうせざるをえなかった。突撃は
もう始まってしまったのだ。止めることはできない。引き返すこと
こぶ
てい
はできない。危険を知りつつも、アブドゥルは自ら親衛隊を率いて、
共に突撃に参加した。部隊を鼓舞するために、身を挺したのだ。
対する丘の上のフランク軍重装歩兵は、密集隊形を取っていた。
引いては寄せる波の如きイスラム騎兵の突撃に、彼らはただ耐え
ろと命じられていた。
陣形の中央にはシャルル・マルテル国王が居る。その隣には、宰
相メルローと、その息子ウィルが居た。前衛が逃げれば隊形は崩壊
する。隊形が壊れれば陣形は瓦解する。国王は死ぬ。そうなればこ
の国は終わりである。
﹁ただ、耐えよ﹂
その指令は実感を伴って重装歩兵たちに伝達された。合わせて三
万の盾は騎兵の突撃をよく防いだ。無敵のイスラム重騎兵を除けば、
騎兵たちの突撃はそこまで強いものではなかった。騎兵の多くはフ
ランク王国重装歩兵と相打ちになった。
69
昼を過ぎたころ、フランク軍の陣地から赤い狼煙が上がった。フ
ランク王国軍の隠し球、フランク王国騎兵隊に、突撃命令が下った
のである。
宰相メルローは我が子のような騎兵隊によく言っていた。
﹁正面からではなく、横合いから思い切り殴り倒す。お前たちはそ
のためにいるのだ﹂
あぶみ
騎兵隊は鐙に足をかける。その戦訓が、まさに現実になろうとし
ていた。
一方、そのころ魔王たちは何をしていたのか。それは怪我人の回
復であった。足手まといになるくらいなら捨てていく。そんな野蛮
な時代に、彼らは賢者として修道院の者たちに医療の大切さを説い
たのである。
みわざ
﹁主イエス・キリストは癒しの御業を得意とされておられた。なら
ばキリストを信仰する我らに、怪我人の治療が、病人の介抱ができ
ぬことがあろうか。そのための準備と努力をせずして、何のための
キリスト教徒か﹂
アルキエビスコブス
大司教サヴァンは修道院の武装兵たちに魔王軍の護衛を命じてい
た。
﹁﹃修復︹レストア︺﹄!﹃修復︹レストア︺﹄!﹃修復︹レス
トア︺﹄!﹃修復︹レストア︺﹄!﹂
魔王たちは担架で運び込まれた負傷兵たちに、回復魔法を連打し
70
てまわる。
みわざ
折れた足が治る。千切れた指がくっつく。震える者は立ち直る。
それはまさしく奇跡の連続であった。
おちから
サヴァンは皆を鼓舞するために叫んだ。
しもべ
﹁分かるか? これはキリストの御力だ。これがキリストの御業だ。
我々は神の僕、神の軍勢なのだ! イスラム騎兵隊は悪魔! 悪鬼
どもだ! もはやどちらが勝つかは分かりきったことだ! 戦列を
崩すな! ここを守れ! あそこを守れ! 全ての盾は祝福されよ
!﹂
魔王によって癒された者たちは、嬉々として戦場に舞い戻った。
次の防御のために。次の次の防御のために。
イスラム軍司令官のアブドゥルは理解できずにいた。この熱狂は
何だ? この絶叫は何だ? 我々は数に勝っていたはずではなかっ
たか? ただ正面からぶつかり合えばそれで勝利できるのではなか
ったか? だというのに、フランク軍のこの力強さは何だ? フラ
ンク軍のこの士気の高さは何だ? ﹁何か﹂が起こっている⋮⋮い
ったい何が⋮⋮
﹁アブドゥル!! アブドゥル司令官殿!! 騎兵隊が!! 側面
からフランク軍の騎兵隊が突っ込んできます!!﹂
報告を受けた時には、もはや手遅れだった。親衛隊は側面から打
こうべ
撃を受けて壊滅した。いままさに日が沈まんとする夕暮れに、イス
ラム軍の司令官は討ち死にした。残されたのは、頭を失った有象無
象であった。
その夜、イスラム軍は死傷者を打ち捨てたまま、撤退を開始した。
71
フランク王国軍は、数に劣るこの戦いにおいて、辛くも勝利を手に
したのである。
72
第二十話 国王との謁見
国王との謁見の広間。赤く柔らかな絨毯が敷かれた上に、僕たち
は立っていた。
寸分の乱れも無く並ぶ屈強な近衛兵が、両端から僕たちにプレッ
シャーを掛けてくる。
玉座の隣から、一人の太った男が進み出て言った。
﹁四賢者殿。トゥール・ポワティエ間の戦いに勝利できたのは、国
王陛下の卓越した戦争指揮もさることながら、あなた方の予言のお
かげでもあります。ピピン2世前国王陛下が生み出し、シャルル・
マルテル国王陛下が鍛え上げた騎兵隊はフランク軍を勝利に導きま
した。兵士たちはあなた方の行なった奇跡によって癒され、戦死者
は最小限に抑えられました。なんと礼を言ってよいものか。これま
での数々のご無礼、どうかお許しください﹂
大柄の太った男、宰相メルローは僕たちに向かって深く頭を垂れ
た。無論、もはや僕たちが魔王であることは周知の事実となってい
る。その上で、この場で四賢者と呼んでくれたということは、魔王
であり賢者であるという矛盾した僕たちの存在を、フランク王国が
認めてくれたということだ。
﹁頭を上げてください、宰相メルロー殿。故郷を持たぬ我々に、こ
れまで衣食住を提供してくださった御恩は一生忘れません。それに、
予言とはただそれだけでは成り立ちません。優秀な理解者がいてこ
そ真に意味を成すものです﹂僕はメルローと共に、サヴァンのこと
も持ち上げる。
73
ペーパー
ペーパー
﹁紙の生産は順調に進んでいます。紙の販売により、フランク王国
の修道院のほぼ全てが黒字化を達成。聖書の原典からの写経計画は、
各地の修道院で順調に進んでおり、年内には全主要都市の修道院に、
再来年までには大小に関わらず全ての修道院に聖書が﹃配られる﹄
予定です﹂
サヴァンは最後のくだりを強調して言った。彼もまた、僕たちの
予言を現実にした一人なのだ。
ペーパー
﹁それは素晴らしい。国王陛下も、主イエス・キリストもさぞお喜
びになられることでしょう。紙の発明者、サヴァン殿。この偉業の
ために、いずれあなたはキリスト教の聖者の末席に並ぶことになる
やもしれませぬ﹂シュウジはサヴァンを思いっきり持ち上げる。
聖者の末席。その響きに、サヴァンは軽く眩暈を覚えたようだっ
た。
魔王がキリスト教を信じているという壮絶な矛盾に、サヴァンは
別の解釈を見つけていた。彼らは魔女ペルペが予言した魔王などで
は断じてない。彼らは神の遣わした﹁使徒﹂なのだ! と、サヴァ
ンは公言してはばからなかった。その証拠に彼らはフランク王国に
味方し、奇跡を起こし、我々を勝利に導いたではないか、と。
﹁国王陛下との謁見の時間です﹂
天幕が開かれ、玉座が、シャルル・マルテル国王陛下が姿を現す。
僕たちは絨毯に片膝をつき、頭を下げる。
﹁おお!おお! なにをしている。顔を上げよ四賢者殿。立ってそ
の御姿を良く見せてくれ。諸君らの働きぶり、まことに、まことに
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見事であった﹂
僕たちは顔を上げ、言われたように立ち上がる。
﹁諸君らになんでも望みの褒美を取らせよう。なんなりと申すがよ
い﹂
﹁本当でございますか﹂僕は念のため確認する。
﹁神に誓おう﹂シャルル・マルテル国王が宣誓する。
﹁では⋮⋮﹃ランゴバルド王国の征服﹄を、お願い申し上げます﹂
謁見の間にざわめきが広がる。軍事的戦略は国家の重要案件であ
る。それをこのような場で願い出るなど、本来であれば正気の沙汰
ではない。
ランゴバルド王国は、イタリア半島を支配するゲルマン系ランゴ
バルド族による国家である。ランゴバルド王国は、かつてのローマ
帝国の主都であったローマを、完全に包囲するように発展してきた
経緯がある。かろうじて現在のローマは独立を保っているが、東ロ
ーマの助力を期待できなくなったローマ教皇が、いずれ西ローマの
末裔たるフランク王国に援助を求めたとしても不思議なことではな
かった。
シャルル・マルテル国王が呟く。
﹁ふむ。余もそれは考えていた。ただ、東ローマの面子もあろうか
ら、言い出せなかったのだ。あるいはその事業は我が子ピピン3世
に託そうとも考えていた。少し予定が早まったようだな﹂
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宰相メルローは突然の大計画を前に、頭の中でそろばんを弾き始
める。大司教サヴァンは偉大なるローマ教皇のことを想ってだろう
か、そっと目を閉じた。
﹁教皇に使いの者を送らせよう。もし向こうから半島の奪還を願い
出るようであれば、フランク王国はランゴバルド王国征服計画を発
動する﹂
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最終話 ゲームの都
イタリア北部、ランゴバルド王国の首都パヴィアに、フランク王
国の猫と十字架をあしらった国旗がひるがえる。
教皇からの色よい返事が届き、開戦から約一年。ランゴバルド王
国デシデリウス王は捕虜となり、ランゴバルド王国は滅亡した。
フランク国王シャルル・マルテルは、息子のピピン3世と共にロ
ーマ教皇と対面した。何も言わずとも、教皇は成すべきことを知っ
ていた。彼は息子のピピン3世が即位する暁には、必ずやローマ教
皇の名において聖別し、戴冠させることを約束したのである。
本来の歴史であれば、ピピン3世の子、シャルルマーニュがこの
場に立ち会っていたはずだ。つまり僕たちは、中世ヨーロッパの歴
史を半世紀ほど早めた計算になる。
ちなみに、この猫と十字架をあしらった国旗は、僕たちが考案し
たものだ。伝説の存在、猫の勇猛さと、十字架の信仰心とを融合さ
せたこの国旗は、どの国にも増して力強く見えた。
そして国旗と共に、国歌も選定された。ノートパソコンのYou
けんけんがくがく
tubeで聴くことができる膨大な音楽の中から、いくつかの候補
が選び出された。宮廷音楽家たちとの極秘の、喧々諤々の、長い長
い議論の末に、平原を矢のように速く走るという伝説の猫にちなん
で作られた曲、すなわちゲームソング﹁チーターマン2﹂がフラン
ク王国の正式な国歌となった。
僕たちには予想もできなかったことだが、この偉大な国歌をより
良く演奏するために、ヨーロッパ中の優秀な音楽家が集められ、様
々な新しい楽器が開発された。ちょっとした音楽革命である。
﹁チーターマン2﹂には、ラテン語で歌詞も付けられた。確かこ
77
チーターマン
んなふうだったはずだ。
ごうか
チーターマン
けんらん
﹁猫の王、それはフランク国王。猫の王、それはそれはフランク
ヒーロー
くじ
国王。かの者こそ豪華なり。かの者こそ絢爛なり。走り続ける。敵
にも負けず。彼は正義の英雄、誰にも挫けない!﹂
YouTubeでチーターマンのオーケストラバージョンを聴く
ことができるので、ぜひ聴いてみて欲しい。とにかく馬鹿馬鹿しい
ほどかっこよくて覚えやすい曲である。たとえフランク王国が30
0年後に滅んだとしても、間違いなく、1300年先、21世紀ま
でこの曲はヨーロッパ中に響き続けるだろう。
同じくランゴバルド王国の都市であった大都市ミラノには、ロー
マ教皇の同意を得た上で、大学が作られることになった。これは神
学校であると同時に、様々な学科、すなわちラテン語、法学、数学、
理科、地理、歴史、美術、音楽、医学、工学、農学⋮⋮とにかくあ
りとあらゆるものを教える総合大学になる予定だ。
この大学の建築には、やはりヨーロッパ中から集められた建築家
が関わっている。この大学は、その建築に至る過程だけでも、間違
いなく中世を一段先へ、ルネサンスへと導く。僕らはそう確信して
いた。
そうそう。僕とモエは、そしてシュウジとレイコは結婚した。ロ
ーマ教皇の名のもとに結婚式を挙げたのは、さすがに現代人では僕
らくらいではないだろうか。
僕たちの指には、僕たちを魔王たらしめた悪魔の指輪ではなく、
結婚指輪がはめられることになった。
現代日本に帰るという目的には、もはや意味がない。皆で話し合
った末、僕たちはこの地に骨を埋めることを決めたのだ。
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ミラノの館の一室で、僕は窓の外を、大学の建築予定地の方角を
見ていた。
﹁お前のターンだぜ﹂シュウジが僕に声を掛ける。僕は考えた末、
ポーンを前に進めた。
そう、今僕たちが遊んでいるのは、まごうことなきチェスである。
石を彫刻して作られたチェスの駒は、現代のプラスチック製の駒と
全く変わりなく扱えた。
シュウジは、ヨーロッパの一都市を、具体的にはミラノを﹁ゲー
ムの都﹂にすると既に決めていた。現代から持ち込まれた無数の手
動ゲームは、製紙技術の発達に伴って、急速に市民たちの間に普及
し始めている。チェス、トランプ、カタンの開拓者、モノポリー、
そしてあのD&D︵ダンジョンズ&ドラゴンズ︶も、貴族たちの間
で広がる兆しを見せているという。
﹁チェックメイトだ﹂僕はクイーンを動かした。
﹁ちぇっ。久々に俺が負けたな﹂﹁僕だってたまには勝つさ﹂
ゲーム。そう。僕たちはゲームをしていたはずだ。大学の手動ゲ
ーム部でゲームをしていたはずだ。長い年月をかけて、結局僕たち
はまた同じことをしている。四賢者と呼ばれたこともあった。魔王
とよばれたこともあった。だが、人類の歴史から見れば、きっと僕
たちは長い夢を見ていたにすぎないのだろう。目を閉じればたちま
ちよみがえる、長い長い、豪華絢爛な、壮絶華麗な夢を。
﹁ほらほら、夕食が出来たわよ!﹂﹁今日はモエも一緒に頑張った
のです﹂
﹁ああ﹂﹁いまいくよ﹂
僕たちは呼ばれて席を立つ。
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﹁にゃー﹂テーブルの下で、久々に猫の鳴く声を聴いたような気が
した。
−完−
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PDF小説ネット発足にあたって
http://ncode.syosetu.com/n6268be/
中世ヨーロッパは大変です!
2016年7月6日17時06分発行
ット発の縦書き小説を思う存分、堪能してください。
たんのう
公開できるようにしたのがこのPDF小説ネットです。インターネ
うとしています。そんな中、誰もが簡単にPDF形式の小説を作成、
など一部を除きインターネット関連=横書きという考えが定着しよ
行し、最近では横書きの書籍も誕生しており、既存書籍の電子出版
小説家になろうの子サイトとして誕生しました。ケータイ小説が流
ビ対応の縦書き小説をインターネット上で配布するという目的の基、
PDF小説ネット︵現、タテ書き小説ネット︶は2007年、ル
この小説の詳細については以下のURLをご覧ください。
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