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尼ケ宮古墳群の現地説明会資料 はコチラ
2013年12月23日 兵 庫 県 教 育 委 員 会 (公財)兵庫県まちづくり技術センター 国土交通省による北近畿豊岡自動車道八鹿豊岡南道路建設事業に伴い、(公財)兵庫県まちづくり技術センターでは、 兵庫県教育委員会から委託を受け、豊岡市日高町水上から山本にかけての丘陵部分に存在する「尼ヶ宮古墳群」の発掘 調査を実施しています。 道路予定部分には15基の古墳があり、約3,000㎡の範囲について、平成25年6月から平成26年1月までの予定で、 調査を進めてきた結果、古墳時代前期後葉~中期初頭(4世紀後葉~5世紀初頭=約1,600年前)と、古墳時代後期 前葉(6世紀前葉=約1,500年前)に築造された古墳群であることが判明し、それと同時に、但馬地域の古墳の内容を 考えるうえで新たな資料を提示することとなりました。今回、その調査結果を説明します。 0 0 1㎞ 尼ヶ宮古墳群(赤塗部分)と周辺の遺跡 周辺の遺跡 尼ヶ宮古墳群が位置する丘陵には、羽根山古墳(赤丸)や西垣古墳群(青丸)など多くの古墳が分布 しています。また、丘陵の東下には但馬国分尼寺(緑塗)、平野部には但馬国府推定地(紫塗)も存在し、古代 但馬の中心地となっています。なお、今回の調査区のうち、3区からは日高町鶴岡あたりを望むことができます。 調査の結果 古墳の分布状況から3つの調査区に分けて調査を実施しました。 1区 標高69~78mの位置に7基の円墳があり、調査面積は1,102㎡です。古墳の直径は約8~12mで、外側に幅1~ 尼ヶ宮古墳群の各調査区内古墳分布状況 (古墳番号は仮称) 1区と同様の古墳時代後期前葉に築造されたと推定できます。 3区 標高 83~90mの細長い尾根上に5基の古墳が、溝で区画しながら階段状に連続して築造されています。 いずれも木棺墓を埋葬施設とし、1・2区とは異なっていますが、但馬地域では一般的な埋葬施設です。 1号墳(仮称)の埋葬施設には長さ約93㎝の鉄刀、2号墳(仮称)には鉄刀のほかにヤリガンナや鉄鏃も副葬 しており、5号墳(仮称)の墓壙は長さ6.5mと長く、鉄鎌2点を副葬していました。 2mの周溝があり、5基の古墳に埋葬施設が残っていました。埋葬施設はいずれも竪穴式の石室ですが、長さ2m 出土土器や鉄器から、3区の古墳群は古墳時代前期後葉~中期初頭(4世紀後葉~5世紀初頭)に築造された 前後、幅0.6m前後の小規模なもので、副葬品は鉄刀子のみです。 と考えられ、1・2区の古墳群よりも約100年前になります。 石室内や墳丘裾出土土器から、古墳時代後期前葉(6世紀前葉)に築造されたと判断できます。 2区 標高70mの小尾根部分に3基の古墳を確認しました。調査面積は797㎡で、3号墳(仮称)は周溝が確認できた 調査の成果・意義 1・2区では、但馬地域で一般的な木棺墓をもたず、竪穴式小石室や石棺といった石材を用いた 埋葬施設に限られます。しかも、古墳の築造時期が古墳時代後期前葉に限定されます。この時期に石材を用いた だけで、墳丘は残っていませんでした。他の2基は1区と同様の規模で、1号墳(仮称)は底に円礫を敷いた石棺、 埋葬施設のみで構成される古墳群は、但馬地域ではこれまで発見されていないことから、但馬地域の古墳におけ 2号墳(仮称)は2基の竪穴式小石室を埋葬施設としていました。副葬品は2号墳の小石室内の鉄鏃2点に限られます。 埋葬施設の種類の時期的変化や、地域性を考えるうえで新たな資料を提示することとなりました。 50m 1号墳 2区小石棺(南西から) 1区2号墳全景(南西から) 2区の古墳群全景(北から) 1区の古墳群全景(東から) 1区2号墳の石室(北から) 2号墳 1区2号墳刀子出土状況 1 区 3号墳 5号墳 2号墳 1区5号墳全景(南西から) 2区1号墳の石棺(南東から) 2 区 1号墳 1区(左)と2区の位置(航空写真、南東から) 4号墳 1区1号墳の墳丘断面(南西から) 7号墳 2区2号墳の埋葬施設(2基の石室、北東から) 2区2号墳鉄鏃出土状況 3 区 3号墳 3区の古墳群全景(西から) 6号墳 5号墳 1区3号墳全景(西から) 1区小石棺(南から) 3号墳 1号墳 2号墳 1区6号墳全景(西から) 4号墳 20m 0 1:400 1区3号墳の石室(南西から) 1区6号墳の石室(南東から) 1区3号墳の刀子出土状況(南西から) 1区6号墳石室内土器出土状況 3区1号墳鉄刀出土状況 3区2号墳全景(東から) 3区5号墳の木棺墓(南西から) 3区5号墳の鉄鎌 ※ 古墳番号はすべて仮称