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医芸とスポーツ - 一般社団法人広島県医師会
昭和 年 月 日 第 第 種郵便物承認 広島県医師会速報(第 号) 年(平成 年) 月 日( ) 回広島県医師クラブ対抗テニス大会 日 午前 時より広島県立びんご運動 第 回広島県医師クラブ対抗テニス大会が、 月 日梢 公園(尾道市)にて開催された。大会運営委員の藤田仁志先生の挨拶により開会し、熱戦が 繰り広げられた。 チーム 名の参加となった今大会では、Aブロック チームとBブロッ ク チームにわけ、ブロック内での総当たり戦の後、決勝トーナメント戦を行った。 結果は本大会常連、漆原貴先生率いるアンデスチームが優勝した。 大会結果ならびに参加チームの感想は次のとおり。 優 勝 記 アンデス 漆 原 貴 「やったー優勝だ! ! ! 」「やったー。やったー。」 笑顔満面で、ひときわ大きく感嘆の声をあげて いるのは平岡先生と土井先生でした。それもそ のはず、決勝の大事な一番で見事、本日の価値 ある一勝をあげたのだから。初戦から振り返っ てみると相手の福山チームにはかなり苦戦した。 No. を岡崎、馬場、No. を金岡、漆原、N o. を平岡、土井で試合に臨んだ。直前に十分 な練習をしていなかったこともあり、スロース タートで始めたわがチームは劣勢に立たされた。 対戦成績はNo. ペアが - から挽回して - タイブレークから - で競り勝ち、No. ペアは - から挽回し - で勝ち、No. ペアは - タイブレークの - で競り負 けたがチームのセットカウントは - で、何 とかぎりぎりで勝った。この初戦での勝利が勢 いとなり次のメディックス,大学院生にもセッ トカウント - で勝った。その結果リーグ戦 ではAリーグ 位となり決勝トーナメントにあ がり、Bリーグ 位の医師会ローンとの対戦 中、心配していたことが土井先生に起こった。 足が痙攣しはじめたのだ。これは大変、大事な 試合はまだ 試合あるというのにデフォ(試合 棄権)は困る、人数は 人ぎりぎりで控えはい ない。しかしダブルスパートナーの平岡先生が 芍薬甘草湯(しゃくやくかんぞうとう)を準備 していて土井先生に服用させた。 「芍薬甘草湯は 筋肉痛に効くだけではなく腓腹筋痙攣に対して 即効性があるといわれている」と対戦中の田丸 卓弥先生が解説してくれた。おかげで土井先生 は第 試合を負けはしたものの、なんとか頑 張ってデフォは逃れ、医師会チームに - で 勝利した。いよいよ決勝戦だ。相手はT- ファイターズ、ここまで負けなしで来ている強 豪だ。チーム:アンデスはここで緊急ミーティ ( ) 年(平成 年) 月 日 広島県医師会速報(第 ングを開きNo. とNo. のペアを最後になっ て急遽組み替えた。No. を金岡、馬場、No. を岡崎、漆原、No. を平岡、土井で決勝戦 に臨んだ。しかしそこには大きな誤算があった。 それは相手チームNo. の日域先生が当日、絶 好調だったのである。岡崎、漆原ペアは得意の 粘り腰を見せる間もなくあれよあれよという間 に - までいって窮地に立たされてしまった。 敗戦が濃厚となりつつあり、 「決勝まで来て、も はやこれまでか!最後にダブルスペアを変更し た代表の自分に責任がある。」と首をうな垂れて いた瞬間に隣からNo. の平岡、土井ペアが 「勝ったよ!やっと!勝てたよ」と声をかけて くれたのである。最後に貴重な 勝をあげた平 岡、土井ペアに万歳概それから 分もせずに No. ペアも勝ち、セットカウント - でみ ごと優勝できたのである。悲しい誤算がうれし い誤算に変わった瞬間であった。優勝が決まっ たときに、「リーダーの作戦通りにいった。さ すがだ。 」とチームメイトに褒めていただいたの だが、実のところは皆の勝ちにたいする執念が 導いたことであり、大事な場面での ポイント を失っていたら優勝はなかったと思う。 テニスを愛する仲間とチームを組んで、試合 ができることは本当に嬉しいことだと、喜びを 感じた。そして皆に「今日は本当に楽しいテニ スができて満足した。 」と言ってもらえたことが 一番の収穫だった。 今回の大会の運営委員の藤田仁志先生、運営の お手伝いをいただいた県医師会の職員の皆様、誠 にありがとうございました。また来年が楽しみで す。 チーム紹介・今大会の感想 ○アンデス アンデスの結成は平成 年からで、代表は植 田篤先生(現在:本永病院内科)でした。もと もと県北のドクターのテニスサークルの集団で、 第 回大会は県北スノーファイターズ、第 回 大会は外科系医師の集まりで、県北サージェ リーズと名前を変更し、第 回大会からは、県 北の山脈をイメージした名前としてアンデスと 変更しています。今回は植田先生がテニスエル ボーのため漆原が代表となりました。メンバー は、結成時からの開業外科医の平岡敬生、岡崎 哲和、県立広島病院の一般外科の漆原貴、そし て新たに参加した県立広島病院の呼吸器内科の 土井正男、泌尿器科の金岡隆平、野村病院の馬 号) 昭和 年 月 日 第 種郵便物承認 場信年の 人から編成されています。平岡先生 は学生時代、軟式庭球をしており驚異的な走り と粘りを持ちフォアのハードショットを武器と します。岡崎先生は上に強く、ロブが上がれば 決定率の高いスマッシュを武器にもつ自信家で す。土井先生は威力のあるサーブを左右に打ち 分け正確なスライスショットでコースを狙うプ レーヤーです。金岡先生は得意のバックボレー とスマッシュにより、相手ペアを唸らせるナイ スショットを連発するスーパースターです。馬 場先生は先般行われた一般A級での準優勝の実 力を持つオールラウンドプレイヤーです。私、 漆原はスライスサーブとパッシングショットを 武器とし主にムードメーカーとしての役割をは たしています。アンデスとしての練習は三次運 動公園で毎週月曜夜に行っております。県立広 島病院のメンバーは、海田運動公園で カ月に 回程度夜練習しており春、秋には風の国で 泊 日の合宿もしています。この大会の感想で すが、チームメイトや対戦相手が大学時代ある いは同門の先輩後輩であったり、同じ病院の勤 務医であったり、敵味方関係なく、年に一度の テニス好きが集まるイベントとして楽しみにし ています。運営委員の方々は大変でしょうがぜ ひこれからもよろしくお願いします。 (漆原 貴) ○T ファイターズ 一昨年本大会に参加させていただきました。 このたび再度チームを組もうとの話がどこから ともなく持ち上がり、永田健二先生(永田内科) を中心に人集めとなりました。 結果 永田健二先生(永田内科)、廣元宣彦 先生(厚生連広島総合病院)、岡部智行先生(厚 生連広島総合病院)、米原秀行先生(祇園新橋北 クリニック)、青木正則先生(青木耳鼻咽喉科)、 蔵重芳文先生(シムラ病院)、日域淳一郎(日域 整形外科クリニック)の計 人で参戦しました。 個人個人はそれぞれテニスを楽しんでおりま すが、団体戦は久しぶりで、組み合わせに悩む かと思いました。しかし若きエース・岡部先生 と熟年(?)エース・廣元先生のお二人をNo. ペアとすることに全員異論は無く、すんなり と組み合わせができ上がりました。 多少曇り空で雨の心配がありましたが、暑く も寒くもなく、テニスには絶好の天候でした。 そのおかげかBブロックにおける対抗戦では、 試合前の練習が不十分にもかかわらず全勝街道 を驀進、日頃の個人練習成果が発揮されたと感 昭和 年 月 日 第 種郵便物承認 広島県医師会速報(第 じる出来事でした。 Aブロック勝者の強豪アンデスとの優勝決定 戦は 組の同時進行で行われました。隣のコー トの進行具合が気になり、なかなか自分の試合 に集中できないことがやや悔やまれました。結 果は - で予想通りアンデスの勝利、われわれ は残念ながら準優勝と相成りました。 しかし日頃の状況からして準優勝は出来過ぎ の感が有ります。 準優勝の賞品授与の頃より、小雨模様となり、 それを予測したかのような大会運営は順調で あったと思われます。適切な大会運営のおかげ により、心地よい疲労感で帰路につくことがで きました。満足できた大会であったこと、チー ムを代表して感謝申し上げます。できれば今後 もう少し参加チームが増えて、試合がたくさん できればと思います。 (日域淳一郎) ○医師ローン 医師会ローンテニスクラブの吉崎、藤井、田 丸、林に、広島大学健康学科 砂川、整形外科 山田を加えて 名で参加しました。優勝チー ム アンデスとの準決勝戦のNo. ダブルスで 序盤で押し切れなかったことが悔やまれます。 (林 淳二) ○メディックス 東広島地区の医療関係者(医師、事務、医薬 品卸メーカーとその友人たちのテニス同好会で す。約 年前に同好会長の佐々木正博医師(現 東広島医師会長、現広島市テニス協会会長)が 肩の痛みを治そうと健康第一の発想で始めた のが発端です。試合は東広島市テニス大会の一 般の部に参加しています。東広島といえばゴル フ同好会が盛んです。 しかし、少人数ながらわれわれ、テニス同好 会も活動しています。 (竹内 實) 号) 年(平成 年) 月 日( ) ○大学院生と仲間たち 複数科にまたがる大学院生・一般病院勤務医 の混合チームです。 普段はなかなか集まってテニスをする機会も 少ないですが今回のテニス大会で皆が集合して ほかの医師の方々と親睦を深めることができ、 楽しませていただきました。 ○ちょっとヨボヨボ 福山市のテニス同好会は、毎週火・金曜日に 市内のテニスクラブに集まって練習をしていま す。この 年若い先生の参加がないため、ここ 一番の馬力に欠け、大事なポイントを落とす試 合が目立ちます。今回の大会は福山がホストの ため、 チーム中 位というのは皆さんに楽し んでいただけるよう貢献できたのではないかと 思います。どの試合ももう少しの所で 勝 敗 に終わっており、名前通りにちょっとヨボヨボ でした。 来年 月 日から 日間、全国医師テニス大 会が尾道びんご運動公園で開催されます。ぜひ たくさんの先生の参加をお待ちしております。 勤務医の若い先生にも参加していただきやすい よういろいろ配慮していきますので、興味のあ る方はぜひご連絡下さい。 (高田 仁志) ○尾道市医師会 テニスはその地域の文化レベルを表している と言われています。 文化都市尾道で行われる大会ですので尾道市 医師会のge nt l e ma n 人が参加しました。 勝敗は別として。 第 回広島県医師クラブ対抗テニス大会を終えて 大会当日、曇り空を保っているものの雨とい う天気予報に大変心配しておりました。しかし、 最後には小雨に降られたものの全試合滞りなく 終了し、日頃忙しい先生方にテニスで心も体も リフレッシュしていただけたようで幸いです。 最後になりましたが、参加者の皆様のご協力 により、大会が無事に終えたことを心より感謝 申し上げます。また、今大会運営に際し、お世 話いただきました藤田仁志先生に、厚くお礼申 し上げます。 (事務局 経理課) ( ) 年(平成 年) 月 第 日 広島県医師会速報(第 平岡医院 岡崎医院 メディカルパーク野村病院 県立広島病院 呼吸器内科 県立広島病院 泌尿器科 県立広島病院 一般外科 森本 茂人 井手 武朗 河田 耕一 平櫛 順仁 土本 正治 木村 邦夫 月 日 第 種郵便物承認 森本医院 井手内科クリニック 松本病院 内科 平櫛内科医院 尾道市民病院 脳外科 山本病院 麻酔科 T ファイターズ おおえ小児科 森近内科 南坊井上内科循環器科医院 小林外科胃腸科 石田内科循環器科 藤田小児科内科医院 永田 健二 廣本 宣彦 岡部 智行 米原 秀幸 青木 正則 蔵重 芳文 日域 淳一 メディックス 佐々木正博 杉本 嘉朗 竹内 實 円山 信二 白井 幹康 高橋 忠照 林 始 年 Bブロック 尾道市医師会 「ちょっと ヨボヨボ。」 大江 啓二 森近 茂 井上 勝稔 小林 正夫 石田 敬典 藤田 仁志 昭和 回広島県医師クラブ対抗テニス大会 参加チーム Aブロック アンデス 平岡 敬生 岡崎 哲和 馬場 信年 土井 正男 金岡 隆平 漆原 貴 号) 医療法人社団 永田内科 厚生連 広島総合病院 厚生連 広島総合病院 祇園新橋北クリニック 青木耳鼻咽喉科クリニック シムラ病院 日域整形外科クリニック 医師ローンテニスクラブ 佐々木医院 杉本クリニック 竹内耳鼻咽喉科医院 円山医院 広島国際大学 東広島医療センター 西条中央病院 吉崎 英一 藤井 隆典 林 淳二 田丸 卓弥 砂川 融 山田 清貴 牛田病院 藤井循環器内科 林病院 田丸整形外科 広島大学病院 整形外科 広島大学病院 整形外科 大学院生と仲間たち 大野令央義 藤井 雄一 藤村 憲崇 佐野村洋次 西山 宗希 渡 雄一郎 金尾 浩幸 広島大学病院 小児科 広島大学病院 第一内科 広島大学病院 第一内科 広島大学病院 第一内科 広島記念病院 内科 三次中央病院 内科 広島大学病院 第一内科 〈決勝トーナメント〉 優勝 アンデス ょっと 大学院生と 勝敗 順位 Aブロック アンデス 「ち ヨボヨボ。」 メディックス 仲間たち - - - - - - アンデス - - - - − − − - - - - - - 「ち ょ っ と - ヨボヨボ。」 - - - − − − - - - - - - メディックス - - - - − − − - - - - - - 大学院生と - 仲間たち - - - − − − Bブロック 尾道市医師会 T ファ 医師ローン イターズ - - - - 尾道市医師会 - - − − - - T ファ - - - - イターズ − − - - - - 医師ローン - - − − 勝敗 - - - 順位 - - - - - - - - - A 位 B 位 ア ン デ ス 医 師 ロ 《 位決定戦》 医師ローン VS メディックス - - - ン B 位 A 位 T メ デ フ イ タ ク ス ズ 優勝 位 位〜 位 「ち ょ っ と 大学院生と 尾道市医師会 決 定 戦 ヨボヨボ。」 仲間たち - - - - 「ち ょ っ と ヨボヨボ。」 - - − − - - - - 大学院生と 仲間たち - - − − - - - - 尾道市医師会 - - − − 準優勝 勝敗 - - - 位 順位 昭和 年 月 日 第 種郵便物承認 「第 広島県医師会速報(第 号) 年(平成 年) 月 日( ) 回日本医家美術展」報告記 広島市東区曙二丁目 江 川 政 昭 今年も伝統の第 回日本医家美術展(主催:日本医家芸術クラブ、後援:日本医師会他) 火 ~ 日梢 日 まで昨年に引き続き東京銀座 丁目の東京銀座画廊美術館で開催され が 月 日梢 た。 日の最終日にこの展覧会を訪れ、作品を鑑賞するとともに同会場で行われた懇親会と 懇親会に先立って行われた今後の美術展に関する話し合いに出席の機会を得たので、その報 告記を述べる。 今回の第 回展では、北は青森から南は広島 まで出品者総数は 名である。作品は絵画が 点、陶、工芸が 点の出品があった。広島から は絵画部門で、日本医家芸術クラブ広島支部の 会員、家族合わせて 名の出品があった。以下、 作品を紹介する(敬称略)。 赤松和彦「虎が﨑早春」 ( 号) ( 号)、阿伏兎観音堂( 号) 川堀耕平「観世音菩薩」 川堀玲子「メテオラ修道院(ギリシャ) 」 ( 号) 新本 稔「風と踊る(香港)」( 号) 渡辺 晋「塔と劫火の予言」( 号) 江川政昭「三滝寺幻想」( 号) 日の展覧会場で行われた懇親会には、第 回の美術展から連続出品されている最長老の東 京の小金澤滋先生をはじめ、会員、家族を合わ せて 数名が参加して、自己紹介や作品紹介な ど話しながら懇親を深めた。 今回の美術展では、開催期日が差し迫ったほ ぼひと月前に今後の美術展に関してのアンケー トが送られてきた。それは、会員の高齢化が進 み、年々美術展への出品者が減少しており、出 品料の減少により、今まで通りの銀座での開催 は会場費の関係で難しくなっているということ であった。そこで、会場費を安くするため、銀 座以外に会場を移すか、あるいは出品料をもう 少し高くするかなどのアンケートであった。ま た、もう一つ大きな問題は、この美術展を主催 する日本医家芸術クラブが、会員の高齢化など による会員の減少により、存続が難しく、解散 の危機にあるということである。 懇親会に先立って行われたアンケートに関する 話し合いでは、やはり、今まで通り銀座で開いて ほしい。その代わり、作品を二段掛けなどして会 場を縮小して会場費を安くするなど工夫するとい う回答が最も多かったということであった。 今回、 回を迎えた日本医家美術展は、 年(昭和 )オランダでの世界医師会議の折り 「世界医家美術展」が開かれ、日本から作品を出 品したのをきっかけに、日本医家芸術クラブが 創立され、その美術部門の展覧会として開かれ てきた歴史と伝統のある美術展である。これま で芸術、文化を愛する幾多の先輩医師たちに よって引き継がれてきた日本医家芸術クラブ、 そして日本医家美術展が、どんな形に変わるに せよ、これからも続くことを願うものである。