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一人になれた みんなと

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一人になれた みんなと
信州大学教育学部附属長野小学校学校だより
途
上
連絡先 TEL 251-3350
平成 27年6月3日(水)No.3
FAX 251-3353
6月に入り,大学4年生63人による教育実習がスタートしました。人懐っこく実習生に近づいて
いく子どもたち,遠巻きに眺めている子どもたち… いずれもその距離は日に日に近くなっています。
実習生のみならず,子どもたちにとっても素敵な機会になっています。
そのような中,本日は畔上一康副校長先生による講話がありましたので紹介します。
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一人になれた
みんなと
おはようございます。このところ連日,真夏のような暑い日が続いていま
したが,今日は久しぶりの雨で涼しい朝を迎えました。この時期,皆さんが
帰った後,夕方になると校舎東側の電線に毎日たくさんの鳥が群れて留まって
います。これはコムクドリの群れです。この群れはしばらく経つと,自然体験園
の木に群れで移動して,コムクドリたちはそこをねぐらにしています。コムク
ドリのように,群れで生活する動物や鳥はたくさんいます。例えば,これ(写真略)は魚のイワシの
群れです。イワシは生まれてから死ぬまで群れで生活します。ときには何千何万という大群になりま
す。これ(写真略)は鹿の群れです。鹿も群れで暮らしています。これらの動物たちは,どうして
群れになるのでしょうか。なぜだと思いますか? 少し考えてみてください。
Yさん(2年): 群れないと1匹か2匹,迷子になっちゃう。
H君 (3年) : 群れでライオンとかに,みんなで力を合わせて立ち向かうため。
K君 (4年) : 1匹だけだと天敵にすぐに捕まっちゃうけど,群れだと的が絞りづらくなって
捕まりにくくなる。
確かに群れになる動物たちは,他の動物の餌食になってしまうような弱い動物たちです。いつも
単独で行動するヒグマとかトラは,他の動物に襲われて命を脅かされるようなことはありません。
鳥の中でも,タカは,やはり群れることはありません。弱い動物は群れることで,例え敵に襲われても
群れの一部は生き残ります。そうして絶滅することなく,命は引き継がれていきます。つまり弱い
動物にとって,群れることは生き残るための智恵なのです。それでは私たち人間はどうでしょうか。
今ここにも教育実習の先生方も含めると500名以上の人が集まっています。この集まりは『群れ』
なのでしょうか? どう思いますか?
教育実習生 : 群れと言える。こうして生活しているから。
畔上副校長 : 人間の集まりと鹿の群れは同じでしょうか?
教育実習生 : 鹿は生きるため,人間はそれだけが目的ではないような気がする。
私は,人間が集まりは,群れとはちょっと違う感じがします。それは,今日のように,目的をもって
大勢の人が集まることはあっても,人間は一人でも行動できるからです。
先日の参観日。音楽集会で,6年生のMさんが全校のみんなや大勢のお家の方々が
見守る中で,一人立って歌に寄せる思いを語り,そして歌った。歌声はもとより,
何よりそうして一人立っている姿が美しかった。更にそのMさんの姿に応えて,
J君が自分の思いを語った。その姿もまた潔く,かっこよかった。私はそう感じ
ました。
毎日の学校生活の中でも,Mさんのような「一人立つ」美しい姿を様々なところで見ることができます。
10日ほど前の朝,図書館に行ってみたときのことです。2年のEさんが一人で図書館にきました。
Eさんはほとんど毎日本を借りにきていて,4月からもう50冊借りています。しばらくするとAさんと
Sさんも図書館に入ってきました。そして,3人はそれぞれに本棚から読みたい本を選んでいました。
その傍らでは,4年のHさんが一人で本を読んでいました。図書館を出ると,6年のO君が2階の
廊下を一人で黙々と掃除していました。また一階に下りると,昇降口前に一人立って,挨拶をしている
Tさんの姿もありました。朝のひとときの中で,様々な「一人立つ」美しい姿に出会うことができま
した。これは3年のK君が図工で作品作りに取り組んでいる姿です(写真略)。黙々と一人没頭する
姿に傍に近寄れないような真剣さを感じました。2年2組では1ヶ月ほど
前,飼い始めたばかりの子ヤギが死んでしまいました。悲しい出来事
でした。自然体験園の小道の脇に子ヤギのお墓が作られました。1ヶ月
経った今も,お墓には花やキャベツの葉っぱが供えてあります。この
写真は,Iさんが一人でお墓の前を掃除している姿です。誰かに誘われた
わけではなく,亡くなった子ヤギのコロへの想いから一人,箒を手にして
掃除しようと考えたのでしょう。Iさんのこの姿も濁りのない美しい姿です。
あの東日本大震災から4年が経ちました。2万人近くの尊い命が失われ,このときに起きた福島の
原子力発電所の事故によって,やむなく故郷を離れた人がたくさんいました。その中に川内村という
小さな村があります。事故直後,全村避難で川内村に住んでいる人の全員が村を離れました。村には
川内小学校という小学校が一つあります。事故の後,小学校に通っていた子どもたちはそれぞれに家族と
共に避難しました。事故から一年後,帰村宣言が出され,避難していた人たちが少しずつ村に戻って
きました。そして,川内小学校も再開されました。3年生で震災にあった秋元千果さんもその一人でした。
4年生になった千果さんは一年ぶりに川内小学校に戻ってきました。震災前,学級には千果さんを
含めて19人の友だちがいました。でも戻ってきたのは千果さん一人だけでした。そのときから,
友だちが戻ってくることを待ちながら,広い教室で千果さんと担任の先生との二人だけの学校生活が
始まります。しかし,3年間待ち続けたけれど,学級の友だちは誰も戻って来なかった。そして,
この3月23日,千果さん一人だけの卒業式が川内小学校で行われました。その卒業式で,千果さんは
別れの言葉の中でこんなことを述べました。
4年生のとき,川内小学校が再開されました。けれど、同級生は誰もいません。
いつか、みんなが戻って来てくれると信じ、1人では広すぎる教室で過ごしました。
… 悩むこともありました。だからこそ、友情の大切さや友だちを思いやることの
大切さを知ることができました。私は友達や先生,家族、地域のみなさんに支え
られ、今日、卒業の日を迎えることができました。一人だけど、一人ではない。
さびしいけれど、かわいそうではない。笑顔の絆で結ばれた小学校生活でした。
ありがとうございました…
千果さんは,3年間,たった一人の学校生活を送りました。さびしかったでしょう。でも,千果
さんは「一人だけど、一人ではない。さびしいけれど、かわいそうではない」と,自らを振り返って
います。隠れることも誤魔化すこともできないたった一人の学校生活。だからこそ,こうして凛と
「一人立つ」千果さんの美しい姿が生まれたのかもしれない。そう思うのです。
イワシは,群れでしか生きられない。群れから外れることは死を意味します。群れはイワシにとっての
生きるための命の形なのです。人間は例えいっしょにいなくとも仲間になれる。そして,仲間の中で
一人にもなれる。さびしさや不安を埋めようと群れたり連んだりしても,仲間にはなれない。一人で
立つこともできない。「一人立つ」ということ。それは人間にしかできない,潔く美しい姿です。
それは特別なことではなく,いつでも,どこでも,誰でもできることなのです。
音楽集会が終わって,6年のYさんがこんな思いを綴っていました。
Mちゃんが歌ったとき,6の1の人が立ち上がりました。私は思いました。今まで歌とだけは本気に
向き合えなかった6の1が,全校の前で立ち上がって歌いたいと思うようになったことは,すごい。
6年生としてうれしかったです。Mさんが投げた小石で,みんながまとまった。心が一つになり,
私はすごくほっとした。うれしかった。
4年のA君は昨日こんな言葉を綴っていました。
本当に自分は(歌の中に)入っちゃう気がする。すごい歌だなと思う。
これからも一人になって,そして,みんなとやりたい。
全校のみんなで歌った『WAVE』。歌いながら,気が付けばみんなと
一つに繋がっていた。そして,私もあなたも『一人になれた。みんなと』
今日の話はこれで終わりにします。
(平成 27 年 6 月 3 日 全校朝会
副校長講話)
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