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Page 1 創価教育 第5号 編集部解題 第三文明社刊『牧口常三郎全集
創価教育 第5号 「『人 生 地 理 学 』 補 注 」 補 遺(第1回) 斎 藤 正 二 編集部解題 第 三 文 明社 刊 『牧 口常 三郎 全 集 』(全10巻 、198!∼1996年)の 凡例には、「 本 全 集 は、 牧 口常三 郎 の全 業 績 を、 現 在 の 段 階 ま で に蒐 集 可 能 と な った 資 料 に も とづ き 、能 うか ぎ り原 著 ・原 論 文 の も とも とのす が た を復 元 す る よ う細 心 の配 慮 を注 ぎ 」、 「あ くま で原 典 の復 元(=保 存)に 忠実 で あ ろ う とす る基 本 方針 を 貫 い て あ る」、 「 下欄 の 〈 脚注〉には、〔 … 〕原 著 ・原論 文 の記 述 内容 を よ りよ く読 解(=享 受)す るの に必 要 か つ 役 立 つ と思 わ れ る本 文 中 の語 彙 ま た は フ レー ズ につ い て の語 義 的 注 解 を主 に 、 ひ ろ く公 刊 当時 の文 化 風 潮 に 関 す る解 説 な どを付 す る こ と と した 。 〈 脚注〉 は 、原 則 と して 、 見 開 き 二ペ ー ジ ご と に番 号 を付 して 本文 との照 合 に支 障 を 来 た さない よ う工 夫 し、 なお い っそ う詳 細 な る注解 を必 要 とす る場 合 に は 、巻 末 〈 補 注 〉 と して該 注 解 を一 括 して収 め 、 これ に も 、本 文 との 照 合 に便 な る よ う番 号 を付 した 」(下 線 、解 題 者)と と りわ け、斎 藤 正 二(当 時 創 価 大 学教 授)が 編集 責任 に 当 た った 第1巻 第2巻 『人 生 地理 学(下)』 あ る。 『人 生地 理 学(上)』 と は、 ま さ に博 引 労 証 と呼 ぶ に相 応 しい充 実 した 〈 脚 注 ・補 注 〉 が 見事 で あ り、従 来 の(つ ま り同 全集 刊 行 以 前 の)牧 口常 三 郎 に 関す る 定説 ・印 象 を大 き く書 き換 え る 上 で絶 大 な功 績 が あ った こ とは 、研 究 者 間 で っ とに 知 られ る とこ ろ で あ る(牧 口研 究 に与 え た 同 補 注 の影 響 に 関 して は 、本 誌 今 号 所 収 の拙 稿 「斎藤 正 二 の牧 口常 三 郎研 究」 を参 照 され た い)。 た だ し、第2巻 『人 生 地 理 学(下)』 の 注 釈 に 関 して は 、巻末 の 「 編 纂 ・校 訂 ・注 釈 お ぼ え書 き」 の な か で斎 藤 自身 が 次 の よ うに述 べ て い る。 「 本 第 二巻 『人 生 地 理 学(下)』 に 関 して是 非 とも付 言 してお か な けれ ば な らぬ 必 要事 項 は 、次 の二 点 で あ る。(一)脚 注 は 、結 論(第 四編 に 当 た る)/第 三 十 四章 地 理 学 の予 期 し得 べ き 効果 、 に至 る ま で の 、 全 チ ャ プ タ ー を残 らず 取 り扱 って あ る こ と。(二)補 注 は 、校 注 者 の健 康 状 態 お よび知 的準 備 状 況 に制 約 され て 、第 二 編 地 人相 関 の媒 介 と して の 自然/第 十 九章 気 候 、の 中途 ま で しか取 り扱 い得 な か っ た こ と。 せ め て 第 二巻 『人 生 地 理 学(下)』 に は 、 第 二編/第 二十 二章 人 類 、 まで の六 つ の 章 の補 注 を収 載 した か っ た の だ が 、或 る一 っ の項 目にニ カ 月 も三 カ月 も費 や して百 枚 近 い 原 稿 を書 い た か とお も うと 、そ の 隣 りの 童謡 歌詞 の 穿盤 に半 歳 も費 や して 作者 ・出 典 の 手懸 か り さえ掴 む こ とが 出 来 ず 、 そ の結 果 、編 集 部 の机 上 に は第 二編 第 三 編 各 章 の補 注 五 〇 〇ペ ー ジ相 当分 量 が積 み 上 げ られ て い る に もか か わ らず 、番 号 順 に っ な が らな い個 処 が 歯 欠 け の ご と く随 処 に生 じ、 已 む を 得ず 斯 くの ご とき処 置 を採 らざ る を得 な か ShojiSait・(創 価 大 学 名 誉 教 授) 一209一 「 『人 生 地 理学 』 補 注 」 補 遺(第1回) っ た 」(1)(下 線 、 解 題 者) そ の後 も斎 藤 は 〈 補 注〉 の 残 り部 分(『 人 生地 理 学 』第2編 第19章 「 気 候 」 の補 注9以 降)の 完 成 を 目指 して い た が 、健 康 上 の 制 約 も あ り(上 記 お ぼ え書 きで は 「〔 癌手術 で〕膵 臓 の五 分 の 四 と、 胆 嚢 、 脾 臓 と、肝 臓 の わず か な 部 分 と、 要す る に 内臓 三 ツ半 が切 除 され て しま って い た 」 と述 べ て お り(2)、 ま た最 晩 年 の 文 章 に も 「こ の二 年 五 ヵEの 期 間 内 に、 わ た く しは狭 心症 で一 度 、 心 筋 梗 塞 で 二度 、膵臓 尾 部 切 除 後 機 能 検 査 に の検査 が意外に長期 に亙 った)で 一 度 、都 合 五 た び 入 院 を 強 い られ 、 自分 な りに痛 苦 の 限 りを嘗 め味 わ わ され た 」(3)と あ る)、2011年1月 の彼 の逝 去 に よっ て つ い に未 完 の儘 とな っ た。 しか し上 記 引用 文 に 「 第 二編 第 三 編 各 章 の 補 注 五 〇 〇ペ ー ジ相 当 分 量 」 が 出来 て いた と あ る よ うに 、実 は か な りの 部 分 が書 き溜 め られ て い た。 今 回 、斎 藤 氏 の 御 遺 族 の御 諒 解 の も と、補 注 の未 公 刊 部 分 を 〈 遺 稿 〉 とい う形 で本 誌 に連 載 させ て 頂 くこ と とな り、御 遺 族 に は この場 を借 りて胸 奥 よ り深 く感 謝 を 申 し上 げ る次 第 で あ る。 遺 稿 は 『人 生 地 理 学』 第2編 ・第3編 に亘 るが 、 分 量や 内容 の 纏 ま りか ら判 断 し、第3編 補 注 か ら連 載 す る こ とに した。今 回掲 載 す るの は 、「 第三篇 十三章 地球 を舞 台 と して の 人類 生活 現象/第 二 社 会 」 の た め の 二つ の 補 注 で あ る。 す な わ ち 、<補 注1>の 「社 会 て ふ 語 」 は 、 「 社会」 とい う 日本 語 が 明 治近 代 に な って か ら定 着 す る過 程 に つい て の 解説 で あ り、 〈 補 注2>の 「「社 会 主 義 」 と云 ひ 」 は 、 明治 時 代 全 期 を通 じて 「 社 会 主義 」 の思 想 と運 動 が辿 っ た推 移 発 展 に っ い て の解 説 で あ る。 文字 通 り命 を削 っ て の 渾 身 の 注釈 文 を な に とぞ御 味読 頂 き た い。 なお 、 編集 に 際 し、 岩 木 勇 作 氏(創 価 大 学大 学院 博 士 後 期 課程)に 協 力 を頂 い た 。 (伊藤 貴雄 記) 凡 例 ・表 記 は 基 本 的 に 第 三 文 明 社 刊 た と え ば 、 「1社 付 され た く 脚 注1>の 会 て ふ 語(一 『牧 口 常 三 郎 全 集 第 二 巻 九三 ペ ー ジ、 注1)」 た め の く 補 注1>を ・原 稿 は 縦 書 き だ が そ れ を 横 書 き に 直 した ㌧ 」 「ゴ」、 カ ナ は は 、 同 書193ペ ー ジ に 見 え る 「 社会てふ語」に 。 そ れ 以 外 は 原 稿 の 指 示 を極 力 反 映 し て あ る 。 文 中 の 書 き)の 右 ・左 傍 線 は 下 線 に 統 一 した 。 。 く の 字 点 は 「々 々 」あ る い は 「》 判 に し た 。漢 字 は 「々 」、 「、」 「マ」 で 統 一 して い る。 ・明 治 時 代 ま で 慣 用 され た 「tr」 「 井」「 子 」 「1キ 」 な ど の 仮 名 表 記 は 「こ と」 「ゐ(ヰ)」 「トキ 」 な ど に 改 め た 。 変 体 仮 名(「 烹 」 な ど)は (1)『 牧 口 常 三 郎 全 集 第2巻 (2)同 上 (3)『 斎 藤 正 二 著 作 選 集 第4巻 、545頁 。 。 旧 仮 名 遣 い は そ の ま ま と した 。 ・お ど り字 の 表 記 は 次 の よ う に 改 め た かなは の補 注 に 準拠 す る 意 味 す る。 引 用 形 式 は 『全 集 』 補 注 に 準 拠 し、 引 用 原 典(縦 ・字 体 は 新 字 に 統 一 し て あ る 人 生 地 理 学(下)』 』 第 三 文 明社 現 代仮 名 遣 い に改 め た 。 、1996年 、549頁 。 、2006年 、611頁 。 。 』 八坂 書 房 一210一 「ね(ネ)」 創価教育 第5号 補 注 第三篇 地 球 を舞 台 と して の人 類 生 活 現 象 会 第二十三章 1社 社 会 てふ 語(一 九三ページ、注1)脚 注 に言 及 した 「日本 語 『社 会 』 が 明 治 近 代 に な って か ら定 着 す る過 程 に関 して 」参 考 文 献 を提 示 す る手 続 き か ら始 め る こ とに し よ う。 まず 手 初 め に、 よみ ものふ う め とお や わ らか い"読 物 風"の 記 事 にお 眼 通 しあ りた い とお も う。 や わ らか い が案 外 に学 問的 良心 を以 もく て貫 か れ た こ とで 戦 前 に名 著 と 目され て 広範 囲 の読 者 を獲i得して い た 、 あ の石 井 研 堂(明 治 二 十 年 代 い っ ぱい 、東 京 教 育社 〈 社 長 日下 部 三 之 介〉 発 行 の少 年 雑 誌 「 少 国 民 」 の編 集 に従 事 し、 当 時 と して 教 育 ジ ャー ナ リズ ム の最 先 端 で 活 躍 して い た人 物 で あ った)著 『改訂 増 補 ・明治 事 物 起 源 上 巻 』(一 九 四 四 年 十一 月 、奉 陽堂 刊)を ひ ら くと、そ の 「 第 七 編 教 育 学 術 部 」に 、次 の ご と き 記 事 に 出会 う。 社 会 の 語 の 幼 名 漢 語 の社 会 は 、 も と、 土神 の祭 り と、人 の集 会 の 語 に て 、 〔 正 法 念経 〕 第九 巻 に、 『彼 の 人 是 の 如 く社 会 等 の 中に 妄 語 し悪説 す』 な ど あ り、 村 人 の集 り といふ 位 の 意 義 な り。 そ れ が 、 明 治 維 新 直後 に は 、商 事 の 会 社 に も、又 世 の 中 とい ふ や うな意 義 に も混 用 され し。 即 ち 明治 四年 版 中 村 氏 の 〔自由 之理 〕 に は、 仲 間 会社 とあ り、 十 九年 版 石 川 氏 の 〔 大英律〕には、商 事 会 社 を社 会 と訳 出せ り。 辞 書 類 に は 、 この ソサイ テ ィな る原 語 を 、最 初 如 何 に訳 付 け た るか を 見 る に 、 (1)メ ー 氏 〔 英 華辞 典〕(一 八 四七 年 即 弘 化 四年 上 海 版)に (2)開 成 所 版 〔 英 和対 訳 袖 珍 辞 書 〕(慶 応 三年 再 板)に は、 会 、 結 社 は、 仲 間 、 交 り、一 致 (3)柳 澤 氏 〔 英 華辞 彙 〕(明 治 二 年 板)に は 、簸 題 会 (4)吉 田氏 〔 英 和辞 典 〕(明 治 五 年 板)に は 、兄 弟 の因 ミ、 仲 間 、 交 り、社 中 、会 、 結 社 (5)室 田氏 〔 西 洋 開化 史〕(明 治 五 年 十 二 月訳 述)凡 例 に 、 一 、 往 々 俗 間 な る語 を用 る は 、原 語 ソ シエ テ ー の 訳 な り、 此 ソシ エテ ー な る一 字 は 、 衆 人 相 交 る 所 の 其 民 族 を称 して言 ふ辞 な り。 支 那 人 は会 の 一 字 を以 て 之 を訳 すれ ども簡 に して 意 を尽 さず 、 又 予 嘗 て 、 試 に 之 を俗 化 と訳 したれ ど も、未 だ適 切 な ら ざ るを 覚 ゆ。 又 人 問世 俗 、 又 民 衆 会 合 、 等 の 訳 あ りと錐 も 、只 暫 く俗 間 或 は 世俗 若 くは俗 化 等 の訳 を用 ふ 。 (6)明 治A年 五B一 日、松 山棟 庵 の 、三 田集 会所 開場 祝 文 中 に 『相互 に利 害 を共 に し、 得 失 を同 うす る の心 を生 じ、 始 め て人 間会 社(ソ サ イ エ ティ)の 趣 を為 し云 々 』 とあ り。 斯 く区 々 に訳 出せ られ て あ り しが 、 之 を現 今 の如 く、 社 会 を 、 民 衆世 態 の意 に使 用 せ るは 、 明 治 九 年 十月発行 の 〔 家 庭 叢 談〕 第 十 四号 が、 祖 な るべ し。 次 で 同年 出版 ギゾ ー の 〔 文 明史 〕、 同十 一 年 版塚 原 氏 訳 〔 論 理 学 〕 な ど同 じ。 社 会 学 の新 語 に至 りて は 、尺 振八 氏 の 〔 斯 氏 教 育 学 〕、十五 年 版 乗 竹 氏 の 〔 社 会 学 原 理 〕 を嚇 矢 とす べ く、 明治 二 十 六 年 東 京 帝 大文 科 大 学 に、 社 会 学 講座 を設 け らる 墨に及 び て 、始 め て一 新 学 名 と なれ り。 社 会 学 の 始 社 会 学 は 、 ギ ゾー 、 バ ツ クル の 文 明 史 、及 びケ ー リー の 経 済 書 に 系統 を 引 き、 スペ ンサ ー の 社 会 学 、 一21!一 「 『人 生 地 理 学 』 補 注 」 補 遺(第1回) 一 時 最 も盛 ん に 行 はれ 、有 賀 氏 之 を応 用 して 、社 会 進 化 論 を著 はせ り。 よみ ものぶ ん か ハ イ じレヴェル きわ この よ うに 書写 してみ る と、な る ほ ど、昭和 戦 前 の"読 物 文 化"と い うの は 高 水 準 を極 め 尽 く して い た ん だ な あ と、 あ らた め て感 心 も し、 感 服 も させ られ る。 こ ん に ち と は違 って影 像 文 化の鄭 のほ うはあま 難 歩 してお らず 、知的好奇心の嚇 ヘ ヘ ヘ な老糊 女 はもっぱら活字媒体の世 へ 界 に視 線 を 向 け ざる を得 なか っ た の だ か ら、い や で も"読 物 文 化 、 の水 準 に 《底 上 げ》ない し 《高 級 志 向化 》 の傾 向 が あ らわ れ た の だ ろ う し、 そ れ を 殊 更 に 賞 め そや す に は 当た らぬ で は な い か 、 との冷 た い見 方 も 、 あ るい は成 り立 つ か とは 思 う。 しか し、 それ に して は、 現 代 の(こ の場 合 、 い わゆ る 高度 経 済 成 長 を果 た した 一 九七 〇年 代 以 降 の 日本 資本 主義 社 会 全 体 を さ して い る が)所 謂"マ コ ミ活 字 文化"の ロ ウ レヴェル おお ス かく 低 水 準 ぶ りは覆 い 隠す す べ もな い ほ どに 明 らか で は な い か 、 とい うの が 、 当 オ ブジ ェク シ ョン 方 の反 論 意 見 の骨 子 で あ るけれ ど、 こ こで 昭 和戦 前 の"読 物 文 化"に 関 す る論 争 を た たか わせ て お あた いえど み て も仕 方 無 い 。(筆 者 が 賞 讃措 く能 わ ざる戦 前 大 衆 文 化 と 錐 も なお 、 現 実 の 幾 千万 人 大 衆 の眼 か らす れ ば 「 高 嶺 の花 」 に過 ぎ なか っ た の で あ り、大 多 数 民 衆 は とい え ば義 務 教 育 た る尋 常 小 学 校 の課 程 を終 えた あ とは滅 多 に書 籍 雑誌 に触 れ る機 会 さえ与 え られ て い な か っ た 、 とい う客観 的 歴 史 事 実 か ら出 発 し直 して こそ 、 は じめ て正 しい 議 論 が成 立 す る と反省 させ られ るか らで あ る。) 一 石 井研 堂 の名 著 『明治 事 物 起源 ・上 巻 』 所 載 の 前 掲 記 事 が 押 さえ てみ せ る最 小 限 の必 須 知 ほ 識 は 、若 き牧 口常三 郎 に よ って 略 ぼ完 全 に収 得 され て あ った。 な に しろ、『人 生 地 理 学 』第 三編 地 理 を舞 台 と して の人 類 生 活 現 象 の記 述 全 部 が ま さ し く 《社 会 とは何 か》《社 会 とは 如何 に あ るべ き いち じ いち じ か 》 《社 会 を ど うい う方 向 に 変 え て い っ た らよ い か》 とい う基 本 命題 と取 り組 ん で 一 字 々 々深 く 思 索 しな が ら書 き進 め られ た 作 業 で あ る のだ か ら、 た ん な る言 語 表 現 上 の用 例 を 比較 した り書 誌 学上 の詮 索 を あれ これ 加 えた り してみ て も、 そ の よ うな企 て は 、 し ょせ ん 、 牧 口思 想 の解 明 に は あ ま り役 立 た な い(ぜ ん ぜ ん役 立 た ない 、 な ど とい っ た 、慎 み の無 い発 言 は差 し控 え るべ きで あ ヘ ヘ ヘ へ る が)。 な に しろ 、 『人 生 地理 学 』 は菊 判 三 百 ペ ー ジ余 を費 や して ま るま る社 会 に 関す る記 述 をお チ ャプ タ こな い(け っ して 「第 二 十 三 章社 会 」 の 章 ヘ ヘ ヘ ヘ だ け で社 会 に 関 す る追 求 作業 を お こ な っ た の で は へ な か った)、 当 時 と して そ れ こそ 徹底 的 な る社 会 科 学 的 探 究 を押 しす す めた 著 作 で あ る の だ か ら、 われ われ と して 、 この 時代 の(す な わ ち、明 治前 期 中期 ごろ ま で の)社 会 学 専 門分 野 で の 「 社会」 概 念 の登 場 → 受 容 → 学 的確 立 → 定 着 → 普及 の プ ロセ ス を正 確 か つ 精 細 に跡 づ けて お く義務 に迫 ら れ て い る よ うに 思 う。 すいこう と くが くよ うせつ 当面 の 義 務 遂行 の た め に、 本 稿 筆者 の選 ん だ手 段 は、 篤 学 天 折 の秀 才 の残 した 仕 事 で あ る 『下 出 隼 吉 遺稿 』(一 九 三 二 年 四月 刊 、非 売 品)に 準 拠 して 、 日本 近代 思 想 史(な い し 日本 近 代 科 学 理 論 史)の な か で の 「 社 会 」 概 念 の輸 入=翻 訳 の あ りさま や 学 問 的確 立=定 着 の 足 ど りを 明 らか に とうが い す る作 業 で あ る。 なぜ 当該 遺 稿集 を 特 に選 んだ か とい うと、 このテ ー マ を研 究 対象 に して執 筆 公 表 され た 学術 論 文 は昭 和 戦 前 に は数 が少 な く、且 つ 下 出 作 品 「明治 社 会 学 史 資 料(一)(二)」(も と 『社 会 学 雑 誌』 第 十 八号 〈 大 正 十 四年 十 月発 行 〉、 同誌 第 二 十 三 号 〈 大 正 十五 年 三 月 発 行 〉 に分 載 され た も の)よ り以 上 の 高 い水 準 を越 えた もの も殆 ど無 い か ら との 理 由 に も とつ く。 晩年 の 牧 一212一 創価教育 第5号 口常三 郎 は極 めて 熱 心 に 社会 学 文 献 を読 み 漁 った痕 跡 が うか が え る か ら、 これ は お よそ推 測 の域 を 出 られ ない こ とを あ らか じめ 断 わ り書 き して お か な けれ ば な らな い けれ ど、 しか し、 牧 口が 当 もと プ ロバ ビ リテ ィ 該 下 出論 文や 下 出 遺 稿 著 作 を視 野 の 下 に入 れ てい た 公 算 は必 ず しも小 さ く ない 、 と考 え 、 そ の こ と もまた 、本 稿 の この 場所 に 当該 論 文 必 要 部 分 の 引 用 をお こな う第 二 第 三 の 理 由 とな っ た こ と を明 らか に してお く。 さて、下 出論 文 「明治 社会 学 史 資料(一)」 の起 稿 趣 旨 をば 、現 在 時 点 か ら公 平 に検 討 してみ る の に、「 所 謂 社 会 学説 が本 邦 に紹 介 せ られ て 此 方 、過 去 四十 余 年 の 文 献 資 料 が 、時 の流 れ と共 に、益 々散 逸 す る恐 れ の あ る今 日、之 が 資料 の蒐 集 整 理 及研 究 は徒 爾 で は ない 」 との 立 場 か ら、 基本 文 献 史 料 を蒐集 し且 っ記 録 せ ん とす る と こ ろ に、 そ の 目標 を置 い て い た こ と が 明 白 に看 取 し得 る。「震 災等 に よ り追 々 古 い 文献 の失 はれ ゆ く今 日、私 は之 等 の人 々の 社 会 学 的 文 献 に限 りの ない 愛着 を覚 ゆ る と共 に 、語 学 の発 達 未 だ充 分 で な く、研 究設 備 の未 だ な く、 其研 究 の 困難 な り し明 治 の初 年 、所謂 新 文 化 創 成 期 に於 い て 発 表 せ られ た社 会 学 に関 す る文 献資 料 が 、 其 態 様 の現 時 に比 して 、甚 し く稚 拙 で あつ た とは 云へ 、相 当苦 心 せ られ た跡 を見 る時 、 是 に敬 意 を表 す る と共 に、私 は今 の 内に 之 等文 献 資 料 を記 録 に留 めて 置 き た い と思 ふ 。」 と、み ず か ら記 す とお りで あ る。 強 いて 各 文献 の学 問的 価 値 を問 う記 述 を差 し控 え 、材 料=事 実 の提 示 を主 要 目的 いろ あ に して文 章 を綴 った が ゆ えに 、下 出 の この 論 文 は 、今 目の 時 点 に及 んで も、色 槌 せ ず に命 脈 を保 つ こ とが 可能 で あ り得 た 。 しか 而 して 、下 出 は、 明治 十 六年(「 其 第一 の起 点 は其 実 質 の如 何 に拘 は らず 、恐 ら くは本 邦 に於 け る最 初 の 著述 と して の態 様 を備 へ た有 賀 長 雄 氏 の 社 会 学 の発 表 のせ られ た 」 年)よ り明治 三十 六 年(「 東 京 帝 国 大 学文 科 大 学 に於 い て本 邦 最 初 の社 会 学 研 究 室 が 開 かれ た」年)に 至 る二 十年 間 を そ てい 「第一 の 時代 」 と措 定 して みせ(そ れ か ら、大 正 十 二 年 の 関 東 大 震 災 以前 を 「 第 二 の 時 代 」 と し、 もく そ れ 以 後 を 「第 三 の 時代 」 とす るが 、 そ ち らの ほ うに 区分 法 は 必 ず しも適 切 と 目 し難 い と愚 考 さ れ る ので 、今 は従 わ ない)、 謂 う と ころ の 「 第 一 時 代 以 前 に於 い て の 所謂 社 会 学 並 び に多 少 と も社 会 学 に 関係 の あ る文 献 を編 年 体 に挙 ぐれ ば次 の如 き も の が あ る。」 と して 、 瑚 治 四年/▲ 自由 之 ミ 理 中 村 敬 太 郎 訳 。 原 著JohnStuartMill:OnLiberty,一 一 千 八 百 七 十 一 年(明 治 四 年 初 冬)新 刻 ル 千 八 百 七 十年 倫 敦 出版 英 国 弥 爾 著。 。 第 一冊 一 第 二冊 下 駿 河 静 岡 木 平謙 一 郎 版 、第 三 冊一 第 五 冊 同 人 社 蔵 版 。」 以 下 の 列 挙 を お こ な う。 明 治 八年 ▲ 弥児 経済 論 二 十 九 冊 。 原 著PrinciplesofPoliticalEconomy.林 董 訳 蔵 版 二 書堂 発 免 初 篇 巻 六以 下 林董 閲鈴 木 重 孝 訳 英 蘭 堂 蔵版 。 明治九年 ▲ 国 法 汎論 イ ・カ ・ブ ル ン チ ュ リ著 、 加 藤 弘 之 訳 。 原 著J.K,Bluntschli:AllgemeineStaatsrecht・ 明治 九 年 四 月 七 日出版 、近 藤 圭 造 出 版 人。 明治 十 年 ▲欧 羅 巴文 明 史 仏 ギ ゾ ー 著 、米 ヘ ン リー 訳 述 、永 峰 秀 樹 再 訳 。原 書HistoryofcivilizationinEurope. NewYork.translatedbyHenry.明 治 十年 六 月 二十 五 日出版 、 東 京 奎 章 閣蔵 版 。 一213一 「『 人 生地 理 学 』 補 注 」 補 遺(第1回) ▲生理提要 英 国 龍 動 ホ ク ス レ ー 原 撰 、米 国 紐 育 ユ ー マ ン ス 増 訂 、 日本 備 後 小 林 義 直 訳 述 。英 蘭 堂 蔵 版 。 原 書ThomasH.Huxley:ElementaryLessonsinPhysiology.1866,明 A利 学 治 十 年 四 月 十 六 日版 権 免 許 。 上 下 二 巻 。 英 国 弥 留 氏 原 著 。 大 日本 西 周 訳 述 、 掬 翠 楼 蔵 版 。 原 書Utilitarism ,1863.… ・ 明治十一年 ▲交際論附経済 米 国ペ ン シル バ アニ ヤ大 学 トンプ ソ ン著 、加 藤 政 之助 訳。 明治 十 一 年 十 月 出版 、慶 慮 義 塾 出版 社発 免 、一 千 八 百 七 十 五 年 原 書 出版 。 ▲論理学 全。 チ ャ ンバ ー 原 著 、塚 本 周 造 訳 、 大 井 鎌 吉 訂。 明 治 十 一年 十一 月 文 部 省 印 行 、 百 科 全 書 ノ 内。 ▲ 斯辺 撒 氏 代 議政 体論 鈴 木 義 宗 訳 。 原 書H,Spencer:RepresentativeGovernment .明 治 十 年 十 二 月 出 版 、 翠 濤i軒 蔵 版 。 ▲立法 論綱 ベ ン サ ム 原 著 、 島 田 三 郎 重 訳 。 原 書IntroductiontothePrinciplesofMoralsand Legislation.1789.明 治 十 一 年五 月御 用 書 物 師 律 書 房 発 行 。 明 治十 三 年 ▲斯 氏 教 育 論 尺 振 八訳 。 原 書 ス 氏Education;Intellectual,MoralandPhysica1.1875.NewYork, 明 治十 三 年 四月 発 行 、文 部省 版 権 所 有 。 ▲斯 辺 撒 氏 干 渉 論 全。 鈴木 義 宗 訳 述 、 原 著 者H.Spencer,明 治 十 三 年 二.月発 行 、耕 文舎 蔵 版。 明治 十 四年 ▲社 会 平 権 論 英 国炮 巴 土斯 辺 項 著 、松 島剛 訳 。原 書。H,Spencer:SocialStatics.1864.2nd,edition, 著 者 小 伝 原 著 者 序 文 及 米 国版 序 文 あ り。 明治 十 四年 五 月 同年 六 月 巻 二 、 最 後 に 明治 十 七年 二月 巻 六 出版 大 野 尭 運 出版 、 報 告社 発 免 。 ▲哲 学 字 彙 英 人 弗 列 冥 の 哲 学字 典 を根 拠 と し、 井 上 哲 次 郎 氏 及 和 田垣謙 三 、 国府 寺 新 作 、有 賀 長 雄 諸 氏 等 の 編 纂 せ る もの。 ▲女権真論 英 国 ハ ーバ ー ト ・スペ ンサ ー 氏 著 、 日本 井 上 勤 訳 。 明治 十 四 年 一月 発 行 、思 誠 堂 蔵 版 。 明治十五年 ▲社会学之原理 Ist.Vol.発 甲 乙。外 山正 一 閲 、乗 竹孝 太郎 訳 述 。原 書H,Spencer:ThePrinciplesofSociology . 行 年 月 日同 書 に附 記 せ られ ず 、 但 し訳者 序 に 「 明 治 十 五年 四E」 の記 録 あ り。 本 訳 書 は東 京 経 済 学 講 習 会 に於 いて 講 義 録 を発 行 す るに 当 り訳 せ る も の、 訳 は 原 文 に必 しも拘 泥 せ ず 。 ▲権理提綱 改訂 。 英 国 斯 辺 項 著 、 尾 崎行 雄 訳 完 。 原 書H,Spencer:SocialStatics.の 抄訳、明治十 五 年 六 月 再 版。 丸善 醤 書 房 出 版 。 初 版 出 版 の 時期 は 不 明 、但 し訳 者 序 に 「 即 ち其権 理 を論 ず る者 十 有余 篇 を抄 訳 し題 して 権 理 提 綱 と云 ふ 爾 来 既 に 五 星霜 を経 過 し」 とあ れ ば 明 治十 一 年 前 後 か と思 は る。 △刑 法 原理 獄 則 論 綱 完 英 国 学 士 波 ・斯辺 鎖 氏 著 、 日本 山 口松 五郎 訳 。 明治 十 五 年 十 月 印 行。 △社会哲学 全 。 林 包 明 著 。 明 治 十 五年 七 月 出版 、 著者 蔵 版 。 △ 人 権新 説 全 。 加 藤 弘 之 著 、谷 山楼 蔵 著 。 明治 十 五 年 十 月 出版 。 △ 自由 之理 評 論 土 居 光 華 、漆 間真 学 合 訳 。原 書HenryThomasBuckle:AnEssayonMr.Mil1'sLiberty, 明 治 十 五年 九月 出版 。 △ 政 治真 論 一 名 主 権 弁 妄 、英 国ベ ンサ ム著 、日本 藤 田 四郎 訳 。原 書Bentham:AFragmentonGovernment. 明 治 十 五年 七月 印 行 、 自由 出版 会 社 発 行 。 原 著 者 小伝 あ り。 △ 国 家 生理 学 二 編 。 独 国 学 士 仏 郎都 著 、訳 者 不 明但 し序 文 は九 鬼 隆 一 氏 。 原 書不 明 、Frantz:Die NaturlehredesStaates.か と思 は る。 第 一 編 明治 十 五 年 十 一 月 訳 行 第 二 編 明 治 十 七年 十二 月 訳 行 、 文 部省発行。 斯 く列 挙 をお こな っ た あ と、下 出隼 吉 は 、 み ず か らが謂 う第 一 時 代 に 先 立 つ初 期 時代 に あ ら 一214一 創価教育 第5号 われ た 「 社会」概念ない し 「 社 会 」 術 語 事 例 か ら得 られ る一 般 性 格 を総 括 して み せ る。 「 以 上 の如 き もの が 、 私 の知 れ る所 で は 、第 一 時代 以前 の も の と して数 え らる 》が 、 其 大部 分 は翻 訳 又 は翻 案 で あ り、 而 して 当 時 の社 会 状 態 の然 ら しむ る所 か 、其 大 部 分 は政 治 論 と して 、或 は夫 れ を 目的 と して 紹 介 せ られ て居 り、学 問 をす る こ とそれ は天 下 国家 を論 ず るが 為 め で あ る と 云 ふ が如 き書 生 論 的 な 風 が 之等 の文 献 に遺 憾 な くあ らはれ て居 る。 只 乗 竹 氏 訳 社 会 学 之 原 理 は 大 分趣 き を異 に して 居 れ ど、 之 とて も外 山 氏 の序 文 には 学 問即 天 下 国家 を論 ず る と云 ふ 風 が い く ら か 現 はれ て居 り、 著 書 と して発 表 せ られ た林 包 明氏 の 社 会哲 学 の如 き に至 つ て は、 今 日の 所 謂社 会 哲 学 とは全 く趣 き を異 に して 、 其 殆 ん ど大部 分 は政 治 論 で あ る。 従 つ て此 時代 に於 け る社 会 学 説 の傾 向 等 に就 い て は殆 ん ど注 意 す べ き もの は な い。」 と。そ して 、 さ らに 、 これ ら用 字 例 に対 し て 一 層 詳細 な る分 析 的注 解 を加 えて ゆ く。 下 出 が示 す そ の分 析 的 注解 が 、 幸運 に も、わ れ われ の バ ッ ク ア ッ プ こ の補 注 作 業 を大 い に後 方 援 助 して くれ る こ とに な る ので あ る。 只 妓 に記 す 可 き は 、今 日社 会 学 と訳 され て 居 るSociologyな る言 葉 が 最 初 如 何 に 翻 訳せ られ た か と云 ふ こ とで あ る。 私 の 知 る文 献 に就 い て 云へ ば本 邦 に於 い て コム トの社 会 学説 が梢 具 体 的 に紹 介せ られ た の は先 に掲 げ た 明 治 十 一 年 十 一 月 文部 省 印行 の塚 本 周 造 氏 訳 の 『論 理 学 』 が 恐 ら く最 初 で は な か つ た か と思 はれ る。 註 。 之 よ り一 ヶ月 先 、 即 ち 明 治 十一 年 十 月 に 出版 せ られ た る加 藤 政 之 助 氏 訳 『交 際論 』 に は コム トの 名 が 現 は れ て 居 り、 学 説 の 一 端 が 述 べ られ て居 れ ど、 塚 本 氏 訳 の 『論 理 学 』 程 具 体 的 の も ので は な く、 次 の 如 き句 が あ るの み で あ る。 「コ ム トの 曰 く学 問 の 真 味 は 前 言 の カ に あ り と故 に其 前 言 す 可 ら ざ る者 は 之 を 学 問 と云 ふ 可 らず 例 令 へ ば舎 密 学 の 如 く何 に て も二 つ の 元 素 或 は 其混 合 物 の親 和 に依 て 何 々の 混 合 物 を 生 ず 可 しと前 言 す る を得 るが 故 に之 を舎密 の 学 問 と こそ は云 ふ な り。」 塚 本 氏訳 『論 理 学 』 の第 九 十 二 頁 以 下 に は 次 の如 き句 が あ る。 アブス トライク ト 「 オー グ ス ト ・コ ン ト氏 始 て 学 術 に この 二 大 区別 を建 て 而 して所 謂 、 抜 類 学 科 を分 画 した る こ と至 ヘ へ て厳 明 な り、其 説 に 由れ ば則 算 学 、 星 学 、 理 学 、 化 学 、 生活 学 、交 際学 は抜 類 学 科 に して 六種 の 根 元 た る性 質 及び 功用 に適 合 す 夫 れ 算 学 は数 、 量 、 度 を説 き 星学 は 中心 に偏 向す る こ と を論 し物 理 学 は 凝 聚 して 形 を成 せ る物 体 を論 し化 学 は 同 しか ら ざ る物 質 の親 和 を論 じ生活 学 は動 植 物 の 生活 す る ヘ ヘ へ ヘ ヘ ヘ ヘ 所 以 を論 じ交 際 学 は 人生 交際 の設 立 を論 ず る者 と定 め た り。 ○ 斯 く学 科 の次 序 を立 て た る も同氏 の 説 に 依 れ ば 是 を 自然 至 当 の次 序 とな し是 等 の学 術 始 て 発 明 せ られ し順 序 も亦此 の如 し とな し且 此 数 者 を学 ぶ に も亦 此 の序 に従 て 漸 々 に進 め は則 ち 其理 を了 会 し得 る こ と至 て 易 し といふ 」。 とあ り、 又 同 書 第 百 十 四 頁以 下 に は次 の如 く書 い て あ る。 へ ヘ ヘ ヘ 「 交際学は人間社会の理 を講 ずるの学に して其論す る所の発象多端に して前に位す る五大 学科 の理 ヘ ヘ ヘ へ 悉 く存せ ざる無 ければ則 之を末位 に置け り夫れ人世交際 の態情は無機 体有機 体の性 質 と万物の霊た る人心 の性質 とに基 きて成 る而 して人及び社会 の生命皆是 の学科 に論ず る所の理を離 るy能 はず是 の利 を益 々能 く証 明 し得 るときに生命 も亦益完好 なるを得べ し、人間の交態は人心天然の性質に依 頼す るこ と更 に近密 なるが故に他の諸学の尚未だ明な らざ りし時代 よ り世人既に人心の理 法 と共に 交際を其浅短 の思想 に由 りて講究せ り然れ どもコン ト氏 曰 く他 の諸学開 明に進めば交際学 も亦然 ら ざるなきこ との証左史冊上 に歴 々た りと、交際学は平和進歩 の両語 あ りて各其意 を異 にす ること猶 器械 学に動静 二別 あ り生活学 に生活成長 の両力あ りて之を論別す るが ご とし平和 とは交際 の情態変 易す ることな く依 然 として平和 なるを謂ひ進歩 とは交際の情態変易 して更 に善 に進み例は奴隷ママ より 自由 に 進 む が 如 き を謂 ふ な り蓋 此 の二 者 を判 然 論 別 す るを得 ば 交 際 を知 り歴 史 を観 る に大 な る稗 益 あ るべ し」(以 下省 略) 一2!5一 「 『人 生 地 理 学 』 補 注 」 補 遺(第1回) 本 書 に よれ ばSociologyな ヘ へ る言 葉 は交 際 学 と訳 され て居 り(交 際 学 な る語 は加 藤 政 之 助 氏 訳 の 『 交際 論 附経 済』 に既 に あれ ど果 してSociologyを 交 際 学 と訳 した る もの か 、 或 は 社 会 主義 の こ とを 云へ る も の か訳 文 に就 い て は余 り明 らか で な い)、 現 今 謂 ふ所 の静 学 、動 学 は平 和 、進 歩 と訳 され て居 るの が見 ら れ る。 尚右 に掲 げた 文 章 の 中に 、 一 ヶ所 「 社 会 」 と云 ふ 言 葉 が 現 は れ て ゐ る。 英 語 のSocietyを 社会 と 訳 した の は 明治 九年 頃 か らか と思 はれ る。 私 の知 れ る所 で は ギ ゾ ー の 欧 羅 巴文 明史 の翻 訳 の 内 明治 九 年 五 月 に 出版 され た巻 七 に 「 其 人 民 の結 んで 一 体 の 社 会 とな りた る 時代 」 とあ る の が最 初 か と思 はれ る。 そ して最 初 は 専 ら三 田系 の 人 々 に用 ひ られ た もの と見 え 、 明 治 九年 十 月 二十 三 日発 行 の家 庭 叢 談 第 十 四 ヘ ヘ ヘ へ 号に 「 必 ず 日本 社 会 に於 て 選 び 抜 き の士 な る可 し。」 又 同 十 五 号 に 、 「 今 暫 く大 空 社 会 の話 を止 め 、我 々 へ の 人 間 社 会 の事 に及 ば ん とす る に 此 社 会 の事 柄 も等 し く釣 合 を保 た ず して は 順 序 の 立 た ぬ も の な り。」 (『 新 旧時 代 』第 一 巻 第 一 号 参 照)等 とあ りて社 会 な る言 葉 が 使 は れ て 居 るの が見 られ る。之 よ り以 前 に て は私 の見 る所 に よれ ば 、 慶応 二年 出版 の英 和 辞 典 にはSocietyを 仲 間 、一 致 、 交 り等 と訳 して 居 り、 又 明治 四年 出版 の 『自由 之理 』(ミル 原 著 中村 敬 太 郎訳)に はSocietyを libertyを 仲 間 、会 社 と訳 して居 り、Social 人 倫 交 際 上 の 自 由等 と訳 して 居 る。 之 に 依 つ て見 れ ば塚 本 周 造 氏 訳 の 『論 理 学 』 が 出 た 頃 は 「 社 会 」 と云ふ 言 葉 は 、未 だ 一 般 に 普 及 され て 居 らず 、一 部 の人 々 に のみ 使 はれ て 居 っ た もの と見 え 、 塚 本 氏 の文 章 にはSocietyを り、従 つ てSociologyを 「 社 会 」 と訳 した の は只 一 ヶ所 だ け で 、 あ とは多 く は 「 交 際 」 と訳 して居 も 「 交 際学 」 と訳 した もの と思 は れ る。 現 今 一 般 に用 ひ られ る 「 社 会 学 」 と云 ふ 学名 が文 献 に表 はれ た の は、 尺 振 八 氏 が 明 治 十 三 年 四 月 に ス ペ ンサ ー の教 育 学 を 翻 訳 した 、 「 斯 氏 教 育 論 」 が最 初 で は な い か と思 はれ る。 即 ち 同書 の第 一 篇 「 何 を 以 て 最 大 の価 値 あ る 学識 とす るや を論 ず 」 の 第 五 十 三 頁 の 終 りに 次 の如 き句 が あ る。 「 舷 に又 人 生 事 業 の 成 否 に 直接 の 関係 を 有 し、吾 輩 の当 に注 意 せ ざ るべ か ら ざる 一科 の学 術 あ り、 へ へ 社 会 学 な る もの 則 是 な り。 今 夫 れ 日々金 銭通 利 の景 況 を 考 へ 、 貨 物 の 時価 を察 し、 予 め穀 物 、綿 、 砂 糖 、 羊 毛 、 絹 等 の 収 獲 の 多少 を トし、戦 争 の勝 敗 を計 り、 以 て 商 業 上 の処 置 法 を判 決 す る人 は、 へ へ 即 ち、 社 会 学 を 学 べ る者 と謂 ふ べ し。 其 行 ふ 所 は固 よ り経 験 上 の臆 断 を逞 ふす る に過 ぎず して、 許 多 の 誤 謬 を免 れ ざ るべ し、然 れ ど も尚其 考 究 判 決 す る所 、 善 く真 理 に合 ふ と否 らざ る とに 由 て 、或 ヘ ヘ へ は 賞 賓 を得 、 或 は其 利 得 を失 ふ 所 の 社 会 学 の 生徒 な りと謂 は ざ る を得ず 。」 云 々 と あ る。Sociologyを Sociologyを 尺 氏 は社 会 学 と訳 され て居 り、Societyは 凡 て社 会 と訳 され て居 る。 併 し乍 ら 社 会 学 と訳す る こ とは未 だ 一般 に 、殊 に当 時 の 学 界 の オ ー ソ リチー で あ つ た東 京 大学 辺 の 人 々 に認 め られ な か っ た もの か 、 之 よ り後 に著 は され た 、 明 治 十 四年 四 月 出版 の恐 ら くは我 国最 初 の 哲 学 辞 典 と も看倣 され る 『哲 学 字 彙 』 にはSociology及 びSocialScienceを 「 世 態 学 」 と訳 され て居 る。 而 して 此 頃 に は 最早 一般 に 「 社 会 」 と云 ふ 言 葉 は 普及 した もの かSocietyは 此 哲学 字 彙 に も矢 張 り社 会 と訳 され て 居 る。 同 哲 学字 彙 に は東 京 大 学 三 学 部(法 文 理)印 行 とあ り、井 上 哲 次 郎 博 士 が 中 心 にな っ て 編 纂 され た もの で 、 同氏 が漢 文 体 で 序 文 を 書 い て居 られ る。 其 序 文 は 次 の如 く書 い て あ る。 フ レ ミ ング 此書拠二 英 人 弗 到 冥 氏 哲 学 字 典_而 起 稿 。 然 該 書 不=多 垣 謙 三 、 文 学 士 国 府 寺 新 作 、 並 有 賀 長 雄 等_偏 捜 一 載一 索 諸 書_所 近 世 之 字_。 一 因与 一 増 加_甚 文学士和 田 多。云々 と あ る。之 に 依 れ ば 哲 学 字 彙 編 纂 に 就 い て は 、有 賀 長 雄 氏 も 関 係 せ ら れ た 様 子 で あ れ ば 、或 はSociology に 関 し て の 言 葉 は 、 主 と し て 有 賀 氏 が 訳 され た も の で は な い か と思 は る ㌻の で あ る 。 尚 同 書 に は Sociologyに 関 す る 術 語 と し て 次 の 如 く 翻 訳 せ られ て 載 せ ら れ て 居 る 。 Affinity異 性 婚 姻 、Association投 姻 、Co・peration協 Distribution散 合 、Bigamy一 合 、Cosmogeny社 布 、分 配 、Dynamics動 勢 論(世 化 醇 、 進 化 、 開 進 、Theoryofevoluti・n化 system氏 族 割 拠 、Heterogeneity彪 Philosophy実 PrimitiveMan原 態 学)動 果 、Race種 学(物 理 学)、Endogamy同 一 、Marriage婚 合 哲 学 、Polyandry一 属 、Relation戚 一216一 会 、Consanguinity同 会 化 醇 論 、DescentofMan人 醇 論 、 進 化 論 、Exogamy異 雑 、Homogeneity純 験 哲 学 、SyntheticPhilosophy総 人 、Pr・duct成 夫 両 妻 、Co㎜unity社 会 啓 発 論 、Cosmophyly社 姓婚 類成来、 族 婚 姻 、Evoluti・n 族 婚 姻 、Factor要 姻 、Monogamy一 素 、Gentile 夫 一 妻 、Positive 夫 多 妻 、Polygamy一 鱗 、Socialism社 会 論 、Statics静 妻多夫、 状論 創価教育 第5号 (世態 学)、 静 学(物 理 学)、Structure結 構 、Trog!odite穴 居 人 種 、Union情 交等 。 即 ち之 に 依 つ て 見 れ ば 、以 上 の如 き用 語 が 、 当時 の所 謂 世 態 学 に、 多 く用 ひ られ て居 っ た も の と見 ら れ る。而 して 之 を、此 哲 学 字 彙 に次 い で 出版 せ られ た スペ ンサ ー 原 著 乗竹 氏訳 『社 会学 之原 理 』(明 治十 五 年 出 版)並 び に、 有賀 氏 の 『 社 会 学』(明 治 十 六 年 出 版)と 対 照 して 考 察 して 見れ ば 、之 等 の 言葉 の 多 くが、 スペ ンサ ー の 社 会 学 を説 くに最 も多 く使 はれ た言 葉 で あ り、 之 よ り後 、 第 一 の 時代 の丁 度 中 頃 に 当 る 明治 二 十 六 年 、 東 京 帝 大 文科 大 学 に始 め て社 会 学講座 が 設 け られ 、 外 山博 士 が 同 講座 を担 任 せ られ る 頃迄 スペ ンセ リア ン社 会 学 が我 学 界 に最 も重 要 な る 地位 を 占 め たが 、 之 等 の傾 向 は既 に 此 頃 か ら表 は れ て居 つ た 事 が以 上 掲 げ た術 語 に よつ て も窺 はれ るの で あ る。 尚S・ciologyを 此 頃 未 だ 社会 学 と訳 さな かつ た の は東 京 大 学 の 人 々 の許 りで な く、 哲 学 字 彙 が 出 版 せ られ た 同 じ年 に表 は され た 、 スペ ン サー のSocialStaticsを 翻 訳 せ る松 島 剛氏 訳 『社 会 平 権論 』 に も、 へ 最 初 に掲 げ られ た スペ ンサ ー 小伝 に はPrinciplesofSociologyを ヘ へ ヘ ヘ へ 社 会 原 論 と訳 して 居 り、 社 会 学 原 理 とは未 だ訳 され て居 なか つ た様 で あ る。 以 上 の如 き有 様 で 我 国 で は 最初Sociologyを 翻訳 す る に 、交 際 学 とか 世 態 学 とか、 或 は 社 会 学 社 会 原 論 とか 訳 して 一 定 して居 らなか つ た 様 で 、 一 般 に社 会 学 と云 ふ に 至つ た の は私 の思 ふ 所 で は 、 ス ペ ンサ ー 原 著 乗 竹 孝 太 郎 氏 訳 の 『社 会 学 之 原 理 』 以 後 で は な い か と 思 は れ る。 同 書 は ス ペ ン サ ー のThe PrinciplesofSociologyを 翻 訳 した も ので 、 外 山正 一 博 士 が 、 風 変 りな 現 代 の学 術 書 に は一 寸 見 られ ない 、 新 体 詩 で 序 文 を 書 い て居 られ る。 此 書 が 出版 せ られ た 頃 は 、 丁 度 我 国 に新 体 詩 が流 行 り初 めた 頃 で 外 山博 士 は 可 な り之 に 熱 中せ られ 、井 上 哲 次 郎 博 士 等 と明 治 十 五 年 五 月 に 我 国最 初 の 『新 体 詩 抄 』 を 丸 善 か ら出版 せ られ た 程 の事 で あれ ば 此社 会 学 原 理 に も新 体 詩 で 序 文 を 書 か れ た も の と見 え る。 同序 文 に は次 の如 き 句 が あ る。 まの 前 略 、 之 に 劣 らぬ ス ペ ンセル 、 同 じ道 理 を拡 張 し、化 醇 の 法 で 進 む の は 、 面 あ た り見 る 草木 や 、動 物 のみ に あ らず して 、 凡 そ あ り と しあ る者 は 、活 物 死物 そ れ のみ か 、 有 形 無 形 其れ ン㌧の 、 区 別 も更 に無 か り しを、 真 理 究 は め しそ の知 識 、感 ず る も 尚余 りあ り、 され ば心 の 働 き も、 思想 知 識 の発 達 ヘ へ も 、言 語 宗 旨の 改 良 も、 社 会 の 事 も皆都 て 、 同 じ理 合 の も の なれ ば 、既 に もの せ る哲 学 の 、 原 理 の へ ヘ へ ヘ へ 論 ぞ 之 に次 ぐ、 生 物 学 の 原理 や ら、 心 理 の 学 の原 理 を ば 、 土台 とな して今 更 に 、 社 会 の 学 の 原 理 を ば 、書 に も のせ らる最 中ぞ 、 此 書 に 載 せ て 説 か る 》は 、 そ の社 会 とは何 も のぞ 、 其 発 達 は 如 何 な る ぞ 、 そ の結 構 に作 用 に、 社 会 の 種 類 如 何 な るや 、 種族 と親 と其 子 等 の 、利 害 の 異 同 如 何 な るや 、 男 女 の 中 の 交 際や 、女 子 に子 供 の 有 様 や 、 取 扱 の 異 同 や ら、種 々 な政 府 の違 ひ や ら、 違 ひ の 起 る原 因 や 、僧 侶 社 会 の あ る故 や 、 其 変 遷 の 原 因 や 、 儀 式 、 工 業 、 国言 葉 、知 識 美 術 や 道 徳 の 、 時 と場 所 と の 異 同 に て 、遷 り変 りて化 醇 す る、そ の有 様 を詳 細 に 、論 述 な して 三巻 の 、長 さ文 にぞ せ らる可 き、 (以下少 し く略) とあ る。 少 しく冗 長 に 失 す る嫌 ひ は あれ ど、 此序 文 はス ペ ンサ ー の 学説 の 紹介 とも見 られ 、 或 意 味 に於 い て は外 山博 士 の 社 会 学説 とも見 らる可 く、又 之 に は外 山博 士 の 如 何 に も疎放 洒 脱 な風 格 の 現 はれ て居 る こ とで あれ ば 今 少 し く掲 げて み る と、 同序 文 の 終 りに は 、 広 き世 界 の 其 中に 、恐 る可 き者 多 けれ ど、智 犬 同士 の 戦 ひ に、 越 した る もの は あ らぬ か し、狙 ひ き ま らぬ 棒 打 ちの 、仲 間入 りこ そ危 ふ けれ 、今 の世 界 は 麗 じ 颪 、烈 しく旋 る時 な る ぞ 、烈 しき 中ヘ ツ めくるめ イ ー 寸 、 巻 き こま れ た ら運 の つ き 、 足 もす は らず 瞑 眩 き 、頭 は最 とS"ぐ らつ き て 、 くるSSySと 廻 は され て 、透 問 も あ らず 廻 は され て 、 あ げ くの果 て は空 中へ 、 巻 きあ げ られ て落 と され て 、始 て とうが らし はや て 暁 る其 時 は 、早 や 遅 そ 蒔 きの 辣 椒 、後 悔 前 きに 立 た ぬ な り、腿 風 烈 し く吹 く とき は 、そ の 吹 く中 に ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ へ 過 ま りて 、船 を入 がれ ぬ 舵 取 りの 、 上 手 と こそ は 云 ふべ けれ 、政 府 の 舵 を取 る者 や 、輿 論 を誘 ふ 人 ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ へ ヘ ヘ ヘ ヘ 達 は 、社 会 学 を ば勉 強 し、能 く慎 み て 軽 卒 に、働 か ぬ 様願 は しや 。明 治 十 五年 四月 ン山外 山 正 一識 。 と あ る。Sociologyを 社 会 学 と翻訳 して 居 られ 、Societyを 社 会 と云 は れ て 居 る。而 して 私 の 見 た 所 の 文 献 に よれ ば 之 よ り以 後 一 般 に 「 社 会 学 」 と云 ふ学 名 が用 ひ られ る様 に な つ た も の と思 ふ の で あ る。 一217一 「 『人 生 地 理 学 』 補 注 」 補 遺(第1回) 以 上 の ご と き克 明精 細 を極 め る追 跡 作 業 の 成 果 が公 平 か つ好 意 的 に評価 せ られ る こ と とな り、 タ ミノ ロ ジ 下 出 隼 吉 説(す なわち 「 社 会 」Society;Societeの 学 術 用 語 は 概 ね 明 治 九 年 な い し十 年 ご ろ ま で に成 立 し、 「 社 会 学 」Soci・1・gy;Sociologieの そ れ も 明 治 十 五 年 以 前 に 公 認 され て い た 、 と あか パ ラ レル い う文 献 的 事 実 を証 した学 説)は 、 昭 和 戦 前 か ら第 二次 大 戦 後 まで 久 し く定 説=通 説 の位 置 に在 りっ づ けて い る。 じ じっ 、 こん に ち に 及 ん で もな お こ の位 置 を追 わ れ て は い ない し、 前 掲 石 井 研 なら 堂 『明 治 事物 起 源 』 所 説 と讐 ん で 、 ご く ご く当然 の事 柄 の よ うに斯 学後 進 人 士 か ら引 用 な い し再 引 用 され て い る の を、 屡 々 眼 に す る の で あ る。 そ して 、石 井 所 説 お よび 下 出所 論 に見 え る客観 的 学 問 事 実 は 、若 き牧 口常 三 郎 も必 ず や これ を 自己学 問視 界 の な か に押 さえ得 た こ とで あ ろ うとお もわ れ る し、 も しかす る と、 そ の 晩年 期 に は 下 出論 文 そ の もの石 井 著 作 そ の もの を入 手 し且 つ 精 あえ さ 読 した こ と もあ り得 な くは な い と もお も われ る。 本 補 注 が 敢 て少 な か らざ るペ ー ジ を 割 い て 「 社 へ ヘ ヘ へ つと ゆ え ん 会 て ふ語 」 の い わ く来 歴 の解 明 に努 め た所 以 で あ る。 しか し、第 二 次 大 戦 後 に お け る 日本 の学 問 の高 度 成 長 は ま こ とに素 晴 しく、 自然科 学方 面 の み な らず 社 会 科 学 ・人 文 科 学 の領 野 にお い て さ え驚 くべ き新研 究 が為 され 新 成 果 が続 々 と樹 立 され て い っ た全 体 的 趨 勢 の な か で 、 そ の ほ ん の一 部 分 で あ る語 彙 成 立史 の研 究 も当 然 な が ら長 足 の進 ヘ ヘ ヘ へ 歩 を遂 げ た。 す べ て は 《平和 》 と 《繁 栄 》 と のお こぼ れ を頂 い た と評 して 差 し支 え な い が 、 昭和 ひ ご う へ ヘ ヘ ヘ へ 戦 前 な らば或 い は軍 隊 に 取 られ て非 業 の死 を強 要 され た か も知 れ ない 秀 才 た ち が 、 い の ち な が え へ じゃ くね ん じ て 若 年 時 か らの宿 題 諾懸 案 をっ ぎつ ぎ に解 決 し、 そ れ ら を論 文 形 式 や 単行 本 形 態 で 世 間 に発 表 チ ャン ス た いへ い す る好 機 に恵 ま れ た とは 、なん と も幸 運 だ っ た 、と しか言 い よ うもな い。あ らた め て 、泰 平 の世 、 し ょうへい わ ひ と 昌 平 の世 に 生 まれ 合 わせ た 喜 び を、 我 れ 他 人 と もに 確認 して お きた い。 そ の よ うな 第 二 次 大 戦 じゆん り ょう か 後 の 文化 状 況 で あ っ た れ ば こそ"望 外 の"も し くは"予 想 外"の じつ 醇 良 果 実 に恵 まれ た 事 例 の ひ とっ と して 、 こ こで 、ぜ ひ と も紹 介 した い の は斎 藤 毅 『明治 の こ とば一束 か ら西へ の架 け橋一 』 (一九 七 七年 十一 月 、講 談 社刊)と い う書 物 で あ る。斎 藤 毅 は 一 九 一 三年(大 正 二 年)山 口県 に 生 まれ 、 東 京 大 学 文 学部 国文 学 科 を卒 業 し、 昭和 戦 前 期 に満 洲 へ 渡 っ て建 国大 学 助 教 授 とな っ た が 敗 戦 に 出会 い 、 引 き揚 げ者 と して 日本 に戻 る。 帰 国後 、 国立 国会 図 書館 に勤 務 、 の ち の ち国 会 図 し りょうや 書 館 副 館 長 の 重 要 ポ ス トに陞進 す るま で"ラ イ ブ ラ リア ン(司 書 ・図書 館員 ・史 料 屋 と訳 す)" かっ きん っと ひ と筋 に精励 恪 勤 これ 努 めた 、 とい う経 歴 を持 つ 。 国立 図 書 館 短期 大学 設 立 に と もな い 、 教授 と して 迎 え られ 、の ち同 短 大 学長 に任 ぜ られ た。 この 書 物 の 「あ とが き」に 《自己 素描 》お よび 《自 著 相 対 化 》 の 文 章 が見 え る。 あ くま で謙 抑 で 、"最 後 の りベ ラ リス ト"の 面 目躍 如 た る もの が あ る。 「 著 者 は 、国 語 学 の専 門家 で は な い。 さ りとて 、別 の専 門 領 域 に深 い 知 識 を もっ て い る もの と も 申 しが た い。 したが って 、 で き あ が っ た本 書 は、 国 語 学 の 専 門書 で も な く、 そ れ ぞ れ の領 域 の 研 究 書 と もい え な い。 い うなれ ば 、 こ とば と文 献 を通 路 と して 明治 とい う変 革 の 時代 を探 索 した 奇 妙 な 思想 史 と しか考 え られ な い。古 風 な よび か た をす る な らば 『雑 纂 明治 の 日本 語 』 とで も題 した い本 で あ る。 この よ うな本 を書 くに あた って 、 著 者 は 、 ともす れ ば 個 々 の デ ィ シ プ リン に深 入 りした い誘 惑 に駆 られ た。 だ が、 も しも、 そ の よ うな誘 惑 に身 を ゆだ ね た な らば 、 それ こそ 物 笑 い の種 に な る の が落 ちで あ り、 ライ ブ ラ リア ン とい うもの の名 誉 をい ち じる し く損 ず る に決 ま 一218一 創価教育 第5号 って い る。 した が っ て わ た く しは、 個 々 の専 門領域 に深 入 りす る こ と と、 す で に 数 多 くの 成 果 を 得 て い る国 語 学 の 分 野 に 足 を踏 み 入 れ る こ と も、 要 心 ぶ か く慎 ん だ。/ま た 、 も と も と、 本 務 の か た わ らで 、 断 片 的 に 見 つ け だ した時 間 を拾 い なが らで き る仕 事 を と、ね らい を っ け 、 そ の よ う に して 書 き溜 めた り発 表 した も の の寄 せ 集 めで あ るか ら、 当然 、最 終 的 に は一 貫 した立 場 で と り ま とめ る必 要 が あ った し、 著者 自身 も は じめか らそ の 予 定 で い た。 とこ ろが 、 この 一年 、 ま るで 厄 病 神 に と りつ か れ た か の よ うに 、 たび た び 体 調 を損 じ、一 貫 した 立場 か ら再 調整 す る 時 間 と心 の余 裕 を失 って しま っ た 。」 うん ぬ ん と。斯 様 に 自己抑 制=自 ヒ ュ ヘ マ ニ ス ト おお む こ 己統 御 のす べ を知 る オー ル ド ・タイ いっ さい プ の人 文 主 義 者 が 静 か に(つ ま り、 大 向 うの喝 采 な ど一切 考 慮外 に置 い た の意 だ が)す こ しず っ そ ん じ ょう じ しよ う 「 書 き溜 め た 」 もの の 「 寄 せ集 め」 で あ った れ ば こそ 、 こ の斎 藤 毅 が遜 譲 自 称 す る 『雑 纂 明 治 の 日本 語 』、一名 『奇妙 な 明治 思 想 史 』 は、今 後 も静 か な る好 著=名 作 として 、か な らず 高 い 評 価 を受 け る こ と とな る に違 い な い。 げんぶつ さて 、現 物 の ほ うの斎 藤 毅 著 『明 治 の こ とば一束か ら西への架 け橋一 』 で あ る が 、 「 第一章 明治 の 日本 語 」 の チ ャ プ ター は、 この書 物 全 体 へ の 爪序 章"を 成 して お り、 まず 日本 近 代 の 黎 明 期 に 当 た っ て 、邦 語 お よび 漢 語 に絶 望 した森 有 礼 ・前 島密 ・神 田孝 平 ・外 山正 一 ・肥 塚 龍 らが 英語 を 以 て 日本 語 教 育 の 中心 部 に置 こ うと した有 名 な歴 史 的 事 実 をス ケ ッチす る とこ ろか ら書 き 起 こす。 明 治初 年 の知 的指 導 者 はそ れ ぞ れ に 日本 語 改 良 の プ ロ グ ラム を所 有 し、 それ ぞ れ に 苦 悩 し、 努 力 を重 ね た の で あ る。 そ して今 日の 日本 で使 われ て い る 「 多 くの 学 術 用語 が、 す で に 明 治 二 十 年 代 半 ば に 充足 され 、 それ が次 第 に 一般 国 民 の あ い だ に も根 をお ろ して ゆき 、 明治 二 十 七 、 人 年 戦 役 の の ちに は 、 中国 を は じめ 、漢 字 を 用 い て い る東 洋 諸 国 に も輸 出 され た とい う事 実 は 、 す で に多 くの ひ との指 摘 して い る とこ ろで あ る。」と記 し、日本 近 代 を理 念 的=内 部 的 に支 えた 学 問 上 の術 語 の 大 半 が 明 治 二 十年 代 につ く られ た 事 実 を ス ケ ッチす る。 そ の うえで 、つ ぎの よ うな 注 意 喚 起 をお こな う。 「明治 二 十 年 代 につ く られ た 学 術 用 語 が 、しば しば学 会 や 訳語 会 の議 決 とい う形 を と って い るの は 、 お そ ら く、 そ うい う過 程 を 、 意識 的 ・人 為 的 に、 短 期 間 の うち につ く りだ そ う と 試 み た もの で あ ろ う。 だ が 、 この よ うに して 人 為 的 につ く られ た学 術 用語 も、 われ わ れ が 仔 細 に 観 察 して み る と、 ひ とつ ひ とつ が 案 外 な が い 歴 史 を秘 め、 驚 くほ ど多 くの ひ とた ちが そ の 制 作 に 参 与 して い た こ とが 知 られ る。/た とえば 、 斎 藤静 氏 の数 数 の実 証 的 な研 究 が示 して くれ る よ う に 、 明治 時 代 につ く られ た に ち がい ない と信 じ込 まれ て い た科 学 技 術 関係 の こ とば の多 くが、 思 い も か けず 徳 川 時 代 の 蘭 学者 た ち に よ って つ く られ て い る の で あ る。/科 学 技 術 関係 ば か りで な く、人 文 科 学 や 社 会 科 学 関係 の分 野 で 、 も っぱ ら近 代 の思 想 を表 わ し、 す ぐれ て近 代 的 な観 念 を 象 徴 して い る とみ られ て い る明治 語 の なか に も、徳 川 期 も し くは それ 以 前 に誕 生 した と思 われ る もの がす こぶ る多 い ので あ る。 とい うこ とは、 明 治 の 知識 人 の教 養 の なか に 、 日本 の伝 統 的 な学 問 が 、 い か に深 く沁 み 込 ん で い た か とい うこ とで もあ る。 徳 川 末 期 の蘭 学者 や 明治 開化 期 の啓 蒙 学者 の基 礎 教 養 の背 後 に、宋 儒 の学 や 祖 棟 学 や 国 学 な どに培 われ た独 特 の 日本 思 想 の成 熟 が あ っ た こ とを 、われ われ は忘 れ て は な らな い。/徳 川 時 代 とい う、あ あ した 閉鎖 的 な社 会 に あ っ て も、 日本 の諸 学 は 、す で に 、予 想外 に大 き い近 代 化 の芽 を準備 して い た の で 、明 治 に入 っ て膨 済 た る 一219一 「 『人 生 地 理 学 』 補 注 」補 遺(第1回) 西 洋 文 明 の流 入 に 出会 わ して も、 これ に圧 倒 され る こ とな く、 十 分 に それ に堪 え、 み ず か らの 思 想 や 世 界 観 で、 これ を解 釈 し受 容 す る こ とが で きた の で あ る。 そ の 媒 体 とな った のは 、 す べ て 古 い漢 語 で あ った が 、そ れ らの 古 い漢 語 は徳 川 期 の学 問 の 発 達 に よっ て 、す で に、 ま っ た く新 しい 内容 と意 味 を付 与 され て い た もの で あ る。 そ こ に、 新 しい 時 代 の新 しい思 想 を担 う明 治 の こ とば が 、過 去 の蓄 積 と成 長 の な か か ら生 み 出 され 、 鋳 造 され た 秘密 が あ る の で あ ろ う。」 と。 いわゆる ライ トモティフ これ が斎 藤 毅 本 人 の 所 謂 「 一 貫 した 立 場 」 か ら の 《明 治 語 の 思 想 史 》 の 主 要 楽 句Leitmotivと い うこ とに な る。 斎 藤 は 、 こ の立 場 か ら 「 社 会 」 「個 人 」 「自 由 」 「 権利」 「 哲学 」 「 演 説 」 「会 社 」 はか 「 銀行」 「 保 険 」 な どの 日本 近 代 学 術 用 語 の誕 生 状 況 や 形 成 過 程 を 明 らか に し よ う と図 る。 当面 、 チヤ プタ 特 に参 看 す べ き は 「第 五 章 社 会 とい う語 の成 立 」 の 章 で あ る。 この章 は 、 さ ら に 「 一 『ソ サ エ チー 』 の 訳 語 に こま る」 「 二 社 会 とい う語 の 成 立 の 時 期 と制 作者 にっ い て の 諸説 」 「 三 社会 とい う中国 語 の 意 味 につ い て の先 学 の研 究 」 「四 社 会 とい う文字 の 日本 で の 初 見 」 「 五 社 会 とい セ クシ ョン うこ とば と観 念 が 定 着 す るま で のそ の類 語 」「 六 社 会 と社 会 学 の成 立 」とい うふ うに六 っ の 節 かん か に分 たれ 、 どの セ ク シ ョ ン も看 過 す べ か らざ る内容 の記 述 で あ り、例 の久 米 邦武 編 『特命 全 権 大 使 米 欧 回覧 実 記 』 や 中国語 「 社 会 」 語 源 語 法 に 関 す る言 及 の部 分 な どはほ ん と うは欠 かせ な い の スペ ス で あ る が 、 余 白 の 都 合 じ ょ う、 以 下 、 五 番 目の セ ク シ ョ ン の み 引 用 す る に と ど め ざ る を得 な か っ た。 五 社 会 と い う こ と ば と観 念 が 定 着 す る ま で の そ の 類 語 日本 で 「 社 会 」 とい う文 字 が み られ た の は、 す で に文 政 九 年(一 八 二 六年)で 日のSOCIETYに あ っ た が 、そ れ が 今 あた る こ とば で な か っ た こ とは 前 項 で述 べ た とこ ろ で あ る。 日本 でSOCIETYの 訳語 と して 「 社 会 」 の 語 が 一般 的 に使 用 され は じ めた の は 、 大 久保 利 謙 氏 が い われ る よ うに 、 明 治 十 年(一 八 七 七 年)ご ろ で あ った とみ るの が 妥 当 で あ ろ う。 しか し、 「 社 会 」 な る語 を試 み に使 用 しは じめた の は 、そ れ よ りは 一年 乃至 二 年 く らい 前 の 、 明治 八 年 か 九年 で あ っ た よ うで あ る。 だ が 、そ れ は そ れ と して 、 こ こで は 、 「 社 会 」 とい う語 が 一 般 に 普及 す るま で に 用 い られ 、 また 一 般 に普 及 しは じめ た後 ま で、 並 行 的 に用 い られ て きた 、 そ の類 語 を一 応 洗 って み る こ とに した い 。 そ の 類 語 と して 、 われ わ れ は、 つ ぎ の よ うな こ とば を発 見 す る。 会 公 会 会社 仲 間会社 社 社交 結社 交社 社友 衆民会合 社人 社中 交際 世交 間 間 群 俗 人 懇 仲 為 世 民 人間道徳 人 間仲間 組 合 同 一致 連衆 成群相養 俗化 人民 人間世俗 人倫交際 仲間会所 相生養(之 道)相 俗 間 世間 世道 仲 間連 中 済養 世態 国民 邦 国 政府 一220一 倉IJ価 教 育 第5号 明 治 の ひ とた ち は 、 これ らの こ とば を、 い ろい ろ と使 っ て み て 、最 後 に 「 社 会 」 に落 着 か せ た 模 様 で あ るが 、明治 十 年 以 後 に お い て もSOCIETYを 会 社 とも交 際 と も世 態 と もい い 、特 に世 態 の方 はSOCIOLOGY に対する 「 世 態学 」 とい うこ と ばの な か に 、 可成 り後 年 まで 残 され て い た 。 また 「 社 会 」 の語 も 、た ん にSOCIETYの PUBLICと 訳 語 と して ば か りで な く、COMMUNITYと かASSOCIATIONと か か の訳 語 と して も使 われ 、 訳語 と して の安 定 性 が一 き ょ に獲 得 され た わ け では ない 。 この 間 の 事 清を 、 文 献 に 即 して理 解 ず る た め に、SOCIETYの 訳語 と 「 社 会 」 とい う語 の使 用 例 を 、年 代 を追 っ て採 録 して み る と、つ ぎ の よ うな 一 覧表 が で き る。 寛 政 八年 一 一 七 九 六年 交ル (稲村 箭 『波 留 麻 和 解 』 江 戸ハ ル マ) 集 ル(Genootschap) 弘 化 四 年 一 五 年 ・一 八 四 七 年 一 四 八 年 会 結 社(SOCIETY) (W,H.Medhurst:EnglishandJapaneseDictionary.Shanghae,) 元 治 元 年一 一 八 六 四 年 仲間 懇 交 り(societe) 安 政 二 年一 慶 応 二 年 ・一 八五 五 年 一 六 六 年 慶 応 二 年 ・一 八 六 六 年 仲ヶ間 交 り (村上 英 俊 『仏 語 明 要 』) 会社 (古賀 増 『度 日閑 言 』) 一 致(s。ciety) (堀達 之 助 等 編 ・堀 越 亀 之 助 改訂 『改 正増 補 英 和 対 訳 辞 書 』) 慶 応 二 年 ・一 八 六 六 年 ヘ 公会 ヘ ヘ 人 間公 会 相 済 養 す る道(津 田真 一 郎 『泰 西 国 法 論 』) へ 第三章 故 に国 は人 間 公 会 の 尤 大 に して其 体 裁 全 備 せ る者 と知 る 可 し。 第 四章 国 の尋 常 公 会 と異 な る所 左 の 六件 に在 り。 慶応 三 年 ・一 八 六 七 年 社 人(内 閣 官 報 局 『法 令 全 書 』 上) ヘ ヘ ヘ へ 第二十三 徳川 内府大政返上将軍辞職 ノ請ヲ允シ摂 関幕府 ヲ廃 シ仮 二三職 ヲ置 ク(社 人二布告)十 二月十八 日 ヘ 第 二十 三 へ 別 紙 之通 列 藩 へ 被 仰 出候 於 社 人 ノ輩 モ 同様 相 心得 報 公 ノ志 不 可 怠 旨御 沙 汰 候 事(別 紙 ハ 第十 七 二 同 シ)十 二 月 八 日 (備考)幕 府 が大 政 を奉 還 し、 新 政 府 に総 裁 ・議 定 ・参 与 の 三職 が置 かれ た こ と を天 下 に布 告 し ヘ へ た文 章 で 「 宮 堂上 へ 諭 告 」 「 列藩 二布 告 」 「 社 人 二布 告 」 の 三 部 分 か ら成 っ てい る。 明 治 三 年 ・一 八 七 〇年 交 際(森 有礼 『 備 忘 第二 日録 』) 右 は 、明 治 三 年 の 渡 米 日記 中 に 、 「 交 際 之理 〈 専 ラバ バ ル ト、ス ペ ン サル 氏 ノ説 ヲ引用 ス 〉 」(森 有 礼 全集 第 二 巻 所 収)と あ る に よ っ て。 明治 十 年 代 の 後 半 に 和 訳 本 の 出 版 され たHerbertSpencer: PrinciplesofSociology.に 明治 三 年 ・一 八 七 〇年 関 係 の あ るメ モ か と思 われ る。 交 際(加 藤 弘 之 『真政 大意 』) 造 化 ト申ス モ ノハ 、 実 二奇 々妙 々ナ モ ノデ 、又 別 ニ ー ツ 結 構 ナ 性 ヲ賜 ハ リテ アル ガ 、 夫 レハ 又 何 ヂ ャ ト云 フニ 、 所 謂 仁 義 礼譲 孝 悌忠 信 杯 云 フ類 ヒ ノモ ノデ 、 人 ニ ハ 、 必 ス 是等 ノ心 ガ ア ル モ ノ故 、 ヘ へ 人 々今 日ノ交 際 二 於 テ 、 各 々 尽 スベ キ本 分 ト云 フモ ノガ ア リテ 、 己 レ独 リ都 合 ヨ キ コ トナ レバ 、 何 ヲ シテ モ ヨイ ト云 フ コ トハ 決 シ テ 己 レガ権 利 ノ ミヲ恣 ニ シテ ハ ナ ラヌ 。 … … ソコデ 、 箇 様 ナ 道 理 カ ラ 自 己 ノ本 分 ヲ尽 シテ 、 他 人 ノ権利 ヲ敬 重 スル ハ 、 即 チ 義 務 トモ 称 ス ベ キ モ ノデ 、 人 タル 者 ノ須 奥 一22!一 「 『人 生 地 理 学 』補 注 」 補 遺(第1回) へ モ 忘 レテ ハ ナ ラヌ コ トデ ゴザ ル。 左 様 ナ訳 故 、今 日ノ交 際 ニ ハ 、必 ス 此 権 利 ト義務 ノ ニ ツ カ 、実 二 欠 カ レヌ モ ノデ 、権 利 義 務 共 二 相 須 テ 、 真 ノ権利 ニモ ナ リ義 務 ニモ ナ ル 。 明治 四年 ・一 八 七 一 年 相 生養(神 ヘ ヘ 田孝 平 『性 法 略 』) へ 第二条 人 ノ世 二在 ル 相 生養 セ ル ヲ得 ス 第三条 相 生養 ス 、 故 二 万般 ノ事 依 テ 以 テ 興 ル へ 命ナ リ へ (備考)右 の 「 相 生養 」 が津 田真 一 郎 『泰 西 国 法 論 』(前 掲)に み え る 「 相 済養 」 とと も に、 「 地 生 二養 万 物_、 地 之 則 也 」(管 子)「 善 生 二養 人_者 、人 親 レ之 、善 班 二治 人_者 、 人 安 レ之」(筍子)「 父 能 生 レ之 不 レ能 レ 養 レ之 、母 能 食 レ之不 三レ能 教 二謳 之_、 君 者 己能 食 レ之 、 又 善教 二講 之_者 也 」(筍 子)等 の 典拠 に よっ て案 出 した こ とは 推 察 に難 くな い。 ・… ヘ 第二節 へ へ 人 ノ大 地 二在 ル ヤ他 ノ人 々 ト共 二 相 生養 ス ヘ 第三節 ヘ ヘ 理 勢 便 チ然 リ へ 人 既 二 相 生養 ス 乃チ 人 々 ノ際 二 許 多相 関 スル 道 非 サル コ トナ シ ヘ 第十三節 性 法 ノ準 ス ル 所 三 ツ ア リ 第 一 ニハ ヘ へ へ 衆 人 共 二 相 生 養 ス ル者 彼 此交 相 関 スル ノ道 二 於 テ シ(是 ヲ私 同 法 ト謂 フ) 明治 四年 ・一 八 七 一 年 人倫 交 際 仲 間会 社 仲 間 会所 仲 間連 中 政府 邦 国 一体 (中村 正 直 訳 『自由 之理 』) ヘ 此 書 ハ 、 シ ヴー イ ル リベ ル テ イ 〔人 民 ノ 自 由 〕 即 チ ソ ー シ ア ル リベ ル テイ ヘ ヘ ヘ へ 〔人 倫 交 際 上 ノ 自 由 〕 ノ理 ヲ論 ズ 。 蓋 シ コ ノ 性 気 ア リ テ 又 能 ク 修 養 ス ル 人 々 、寄 リ合 ヒ テ ソ サ イ テ イ 難 トナ レバ 、ソ ノ 職 分 ヲ 為 シ 、 邦 国 ヲ 保 護 ス ル コ トヲ 得 ル ナ リ。 (備 考)右 の ほ か 、 中 村 は 「仲 間 連 中 鵬 」(society)「 relations)「 仲 間 会 所 鵬 」(society)「 ソ ー シ ア ル 、 リ レ ー シ ヨ ン ス 雌 」(social 交 際 ノ 間 」(SOcialrelations)「 政 府 」(society)な ど、 さ ま ざ ま な 使 い 方 を し て お り、 訳 語 が 一 定 し て い な い 。 明 治 五 年 ・一 八 七 二 年 仲間 組 連 中 社 中(SOCIETY) (JamesCurtisHepburnJapaneseandEnglishDictionary) 明治 五 年 ・一 八 七 二年 ヘ 俗間 世俗 俗 化(室 田充 美 訳 『西洋 開化 史 』) へ 往 々 俗 間 ナ ル 語 ヲ用 フル ハ原 語 ソシエ テ ー ノ訳 ナ リ コ ノ ソシ エ テ ー ナル ー 字 ハ 衆 人 相 交 ル 所 ソ ノ 民 俗 ヲ称 シテ 云 フ辞 ナ リ支 那人 ハ 会 ノー 字 ヲ以 テ コ レ ヲ訳 ス レ ドモ簡 ニ シテ 意 ヲ尽 サ ズ 又 余 カ ツ テ へ 試 ニ コ レヲ俗 化 ト訳 シ タ レ ドモ未 ダ適 切 ナ ラザ ル ヲ覚 ユ 又 人 間 世俗 又 衆 民 会 合 等 ノ訳 ア リ トイヘ ド ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ モ タ マ暫 ク俗 間 アル ヒバ 世 俗 若 クバ 俗 化 等 ノ訳 ヲ用 ユ 明治 六 年 ・一 八 七 三年 ナカマ ク ミアイ レンシユ カウサイ イ ツチ 会 会社 連衆 交際 合同 シヤチユ ウ 社 友(society) (柴田 昌 吉 ・子 安 峻 訳 『付 音挿 図英 和 字 彙 』) 明治 六 年 ・一 八 七 三年 成群相養 ヘ へ 人 間(西 周 『生 性発 緬 』) ヘ ソシ ア リッチ 、墓 、 愛 二成 群 相 養 ト訳 ス 、動 物 ノ等 上 レル 者 ハ 此性 ヲ有 ス、 而 シテ 人 ヲ最 トス 、 政 府 ヲ立 テ 国 ヲ建 ル 比 性 二本 ツ ク (備考)私 記 に 「 大夫 以 下成 群 立 社 日置 社 」 とみ え 「 成 群」 と 「 社 」 とのっ なが りが 注 意 され て い る。 ヘ ヘ へ 而 シテ 生 体 学 ハ 、 人 間 学 ノ廓 廉 トナ ル カ如 シ ソシ オロ ジー 一222一 創 価教育 第5号 明治 七 年 ・一 八 七 四年 相 生養 ス(加 藤 弘 之 『国体 新 論 』) 蓋 シ人 ハ 禽 獣 ノ如 ク唯 天 然 二 同 居 シテ 全 ク各 個 二 生活 シ得 ヘ キ者 ニ ア ラ ス 、必 ズ 互 二 相 結 ヒ共 ニ ヘ ヘ ヘ へ 国家 ヲ成 シテ 人 々相 生 養 ス ヘ キ天 性 ア リ 明 治 七年 ・一 八 七 四年 相生養ス 人 間 会社 人 間仲 間 (津 田真 一郎 訳 『表 紀 提 綱 一 名 政 表 学論 』政 表 課 刊) 表 紀 ノ原 語 ヲ ス タ チ ス チ キ ト謂 フ。 其 義 ヲ直 訳 ス レハ 邦 国又 ハ 形 勢 ト謂 フ事 ナ リ。 蓋 シー 国数 国 ヘ ヘ ヘ へ へ へ 乃 至 万 国 ノ 人 民互 二相 生 養 スル 実 際 ノ形 勢 ヲ知 ル 学 術 ナ リ。 此形 勢 ヲ名 ケ テ人 問会 社 又 ハ 人 間 仲 間 ト謂 フ。 ヘ へ ヘ ヘ 表 紀 ハ 人 間 仲 間 ノ事 実 ヲ知 ル 学 問 ニ シ テ 、其 目的 ハ 其 事 件 ノ現 二 存 シ 、 実 二有 ル ヲ表 章 スル ニ在 り 明治 七 年 ・一 八 七 四年 世 道(西 周 『洋 字 ヲ以 テ 国語 ヲ書 スル ノ論 』 明六 雑 誌 、 第 一 号) ソ シユ ル 衰 弊 ノ極 救 薬 ス ヘ カ ラサル ニ 至ル ハ亦 独 リ政 府 ノ罪 タル ノ ミナ ラス 抑 其 国 人 民 自己世 道 上 ノ罪 ニ へ テ 、 荷 モ 賢 智 ノ徒 タ ラ ン トスル 者 ハ 先 ン シ テ 之 ヲ救 フ コ トナ ク ンハ 亦 世道 上 二於 テ 罪 ナ シ ト謂 フヘ カ ラス 。 明治 七 年 ・一 八 七 四年 社 会(西 ヘ 周 『非 学 者職 分 論 』 明六 雑 誌 、 第 二 号) へ 民 間 志 気 ノ振 フナ リ、 社 会 ノ立 ツナ リ極 メテ 可 ナ リ。 朋 党 ノ興 ル ナ リ、 遂 ニ ー 揆 ノ始 マ ル ナ リ、 極 メテ 不 可 ナ リ。 (備考)右 の社 会 は、 個 人 の 相 寄 っ て 組 織 す る結社 ま た は 同人 組 織 の ご とき もの と察 せ られ る。 今 日の、 世 の 中一 般 を意 味す る社 会 で は な い。 明 治 七年 ・一 八七 四年 国民(西 周 『駁 旧相 公 議 一題 』 明 六雑 誌 、第 三号) コンタ ラソシヤ ル 今 ソ レ政 府 ヲ 以テ 国民 約 束 ヨ リ成 ル 者 トシテ 之 ヲ論 ズ。 明 治 七年 ・一 八 七 四年 世 交(森 有 礼 『宗 教 』 明 六雑 誌 、第 六号) 宗 教 ノ事 二就 テ 人 民 自由 ノ権 ヲ有 スル ハ 、唯 二 其 不 好 ノ 宗 教 ヲ 崇奉 セ ス 、 又官 ノ強 令 ヲ奉 セ サ ル ヘ ヘ ニ 止 ル 、決 シ テ 自恣 公 行 以 テ 世 交 ノ妨 害 ヲ為 ス ノ権 ヲ有 ス ル ニ 非 ル ナ リ ヘ へ 宗 教 ノ世 交 二 関 ス ル 至 テ大 ナ リ ヘ へ 世 交 邦 政 ノ要 ハ 必 然 其邦 ヲ安 保 スル ニア リ ヘ へ 宗 教 ハ 外 顕 二 関 ス ル 事 ノ外ハ 決 シ テ 政府 ノ事 二非 ス、 中心 ノ宗 教 ハ 各 人 自己 ノ 事務 ナ リ、世 交 ヲ 妨 ケ乱 ル ニ 非 レハ 誰 モ 之 ヲ制 シ且 罰 スル コ トヲ得 可 ラ ス 明 治七 年 ・一 八 七 四年 ヘ 会 社(中 村 正 直 『西 学 一斑 』 明六 雑 誌 、 第 一 六 号) へ 各 ソ ノ会 社 ヲ設 ケ 、公 同 ノ益 ヲ謀 ル ヲ 「ソサ イ テ イ」 トイ フ。 ユ ヘ ニ 「ソー シ ア ル ・ヲ ア ダ ア 」 ヘ ヘ ハ 国 中兵 農 工 質 芸 術 会 社 等 惣 体 釣合 ヨク次 序鉤 等 ヲ得ル ヲ イ フ。 (備考)右 の会 社 は、 い わ ば職 能 団 体 の ご とき もの で 、兵 士 ・農 民 ・工 業 従 事 者 ・商質 ・技 術者 等 の集 団 を さ して い る よ うで あ る。 明 治 七 年 ・一 八七 四年 人 間交 際 交際 (福沢 諭 吉 『学 問 のす 》め』 第 九 編) 一223一 「 『人 生 地 理 学 』 補 注 」補 遺(第1回) 人の性は群居を好み決 して独歩孤立す るを得ず。夫婦親子 にては未 だ此性情 を満足せ しむるに足 へ らず 、 必 ず し も広 く他 人 に交 り、 其 交愈 広 けれ ば一 身 の 幸 福愈 大 な る を覚 ゆ る も の にて 、 即 是れ 人 ヘ ヘ ヘ ヘ へ 間交 際 の起 る由 縁 な り。 既 に世 間 に居 て 其 交 際 中 の一 人 と なれ ば、 亦 随 て其 義 務 なか る可 らず 。 凡 ヘ ヘ ヘ へ そ 世 に学 問 と云 ひ 工 業 と云ひ 政 治 と云 ひ 法 律 と云 ふ も 、皆 人 間 交 際 の た め にす る も の にて 、 人 間 の ヘ へ 交 際 あ らざれ ば何 れ も不 要 の も の た る可 し。 明治 七一 八 年 ・一 八 七 四一 五 年 社 会(森 有 礼 編 『日本 教 育 策 』 訳 者 不 詳) 一 般 教 育 ノ効 ハ 、 能 ク国 民 ヲシ テ 甚 ダ益 ア ル ノ民 トナ ラ シ ム 。 以 テ兵 トナセ バ 則 チ勇 、 以 テエ ト ナ セ バ 則 チ 精 、 力 作 労 働 勤 メ テ 怠 ラズ 、 能 ク多 福 ヲ享 ク。 其及 ス所 又 タ前 人 未 ダ知 ラザ ル 事 物 ヲ発 へ 著 シ、 大 二 社 会 ノ進 歩 ヲ助 クベ シ。 (備 考)本 書 は 、 森 有 礼 が 代 理 公 使 と し て 米 国 に 駐 在 中 に み ず か ら編 さ ん 出 版 し た 『目 本 の 教 育 』 (EducationinJapan:AseriesofLetters,adressedbyprominentAmericanstoArinoriMori. NewYork,1873,NDLcallno,370.952-M854c,)の 一 部 分 を ほん 訳 した も の。 明治 八 年 ・一 八 七 五年 題 言 、 明 治 十 一 年 ・一 八 七 八年 刊 (久米 邦 武 編 『特 命 全 権 大 使 社会 米 欧 回覧 建記 』 第 十 三 巻 、 華盛 頓 府 ノ記 、 下) 英 国 ノ属 地 タ リシ トキ ヨ リ、 已 二此 国ハ 自主 民 ノ移 住 営 業 場 トナ リシ ヲ以 テ … …合 衆 聯 邦 ノ制 ヲ 以 テ 、 一 箇 ノ民 主 国 トナ リ、州 、 郡 、 村 、市 、社 会 ノ間 二 、 自主 ノカ ヲ用 フル 自在 ニ テ 、 益 欧 洲 人 民 ノ営 業 ヲ起 ス地 トナ リシバ … … (備考)右 の 「 社 会 」 は 、 コ ミ ュニ テ ィー あ るい は集 落 等 の ご とき小 さい 共 同社 会 を さ した もの と察 せ られ る。 明治 八 年 ・一 八 七五 年 社 会(福 地源一郎執筆 『 東 京 日 日新 聞 』社 説) 弁 駁 ノ論 文 ハ新 聞 紙上 二多 シ ト錐 モ 昨 日(一 月 十 三 日)目 新 真 事 誌 二登 録 シ タル 文 運 開 明 昌代 ノ 幸 民 安 宅 矯 君 が我 新 聞 二記 載 シ タル 本 月 六 目ノ論 説 ヲ批 正 セ シ論 ヨ リ期 望 シ タル ハ 無 シ吾 曹 ハ 其 全 ソサイチ 局 ノ主 旨 ト全 文 ノ遺 辞 トヲ 以 テ 此安 宅 君 ハ 必 ラズ 完 全 ノ教 育 ヲ受 ケ高 上 ナ ル 社 会 二在 ル 君 子 タ ル ヲ トス ル ヲ 得 ル ニ付 キ吾 曹 が 浅 見 寡 識 ヲ顧 ミズ 再 ビ鄙意 ヲ述 べ テ謹 ンデ 其 ノ教 ヲ乞 ハ ン ト欲 ス(明 治 八 年 一 月十 四 日、社 説) ソサ イ チ (備考)右 に使 われ た 「社 会 」 が 、 お そ ら く、 多 くの ひ とに社 会 の訳 字 の初 見 と され て きた も の で あ る と思 わ れ る が 、福 地 源 一 郎 は 、 同年 一 月 二 日の 社 説 のな か に お い て も、今 日の 狭 義 の 社 会 を さ して 「 社 」 とい って い る のが 分 る。す なわ ち、 「 華 族 会 館 を始 め と し明 六社 。 有 朋 社 。集 成 へ 社。 共 存 同衆 等 の名 を下 して社 を結 び西 洋 の ソサ イ チ ー 、 ク ラブ に 類す る も の東 京 中 に て 幾社 あ るを 知 らず 」 と述 べ て い る。 明 治 八 年 ・一八 七 五 年 ヘ 社 会(森 有 礼 『明 六 社第 一 回役 員 改 選 二 付 演 説 』 明 六雑 誌 、第 三 〇 号) へ 昨 冬 来社 会 演 説 ノ法 起 テ ヨ リ漸 「ソサ イ チ ー 」 ノ体裁 ヲ得 ル ニ至 レ リ、 然 レ トモ 未 タ 之 ヲ聴 ク ノ 後 就 テ討 論 批 評 ス ル ノ段 二 至 ラ ス (備考)右 に み られ る 「 社 会 演 説 」 の語 は、 「 一般 社 会 に公 開 され た演 説 」 とい う意 味 に 解せ られ るの で 、今 日の用 法 とみ て よ さそ うで あ る。 後 の 「ソサ イ チ ー」 は学 会 の 意 と解せ られ る。 明 治 八年 ・一 八 七 五 年 仲間 交 際(西 村茂 樹 『文 明開 化 ノ解 』西 語 十 二 解 、 明 六 雑 誌 、 第 三 六 号) へ 右 両 学 士 ノ言 二拠 テ 見 レバ ヘ ヘ ヘ 「 シ ヴヰリゼー シ ョン」 ハ ニ 条 ノ路 上 二 其 形 ヲ現 ハ ス者 ニテ 、一 ハ 仲 ヘ ヘ へ 問 ノ交 際 ノ上 二現 ハ レ、 一 バ ー 身 ノ身 持 ノ上 二 現ハ ル \者 ナ リ。 猶 委 ク其 義 ヲ言 ハ マ、一 ハ 交 際 ノ 品位 段 々進 ミテ 其 全 体 尽 ク安 昌幸 福 ヲ受 クル コ ト、 ニハ 人 民 各 個 ノ品 位 段 々 二進 ミテ 、 同 ク安 昌 幸 一224一 創価教 育 第5号 福 ヲ受 クル コ ト是 ナ リ。 ヘ へ 人 民 各 個 ノ身 ト交 際 ノ全 体 ト並 ンデ 其 品 位 ヲ進 メ ザ レバ 「 シ ヴヰリゼ ー シ ョン」 ト名 クル コ ト能 ・ ハ ズ(明 治 八 年 四 月 十 六 日) 明 治 八年 ・一 八七 五 年 人間社交 相 ヒ生養 スル ノ道 為群 (西周 『人 生 三 宝 説 』 明 六雑 誌 、 第 四〇 号) ソ シ ア ル ライ フ フイロソフイカル 人 間社 交 ノ 生 ニ シテ 、 哲 ヘ ヘ へ ヘ ヘ へ ヘ ヘ 理 ノ眼 目 ヨ リ観 レハ 政府 未 タ立 タサ ル ノ前 二既 二人 間 社 交 ノ生 相 ヒ へ 生 養 ス ル ノ道 ハ備 ハ ラ サル ヲ得 ス シテ 、 人 生 二 欠 ク可 ラサ ル ノ急 タ レハ ナ リ。 … … … 亜 弗 利 加 漠 中 ノ黒 人 ニ テ モ 亜 墨 利加 山 中 ノ赤 種 ニテ モ 漠 北 遊 牧 ノ民 ニ テ モ 蝦 夷 ニ テ モ 台湾 ノ島 夷 ニ テ モ 、 大 小 ノ ソシアル 差 コ ソア レ、 為群 ノ性 二 因テ ー 村 落 一 部 落 ノ交 通 ハ 鄙粗 言 フ ニ足 ラサ ル モ 必 ス無 キ能 ハ サ ル ナ リ。 明治 入 年 ・一 八 七 五 年 世 間(藤 田茂 吉 『政 令 法 律 ノ 目的 ヲ論 ズ』 民 間 雑誌 、第 七 編) 其 政 府 ノ職 トシテ 政 令 ヲ施 シ 、 法律 ヲ 定 立 ス ル所 以 ノ 目的 ハ 、 唯 二 物 ヲ得 ン ト欲 ス レバ ナ リ。 二 物 トハ 何 ゾ。 「 ハ ピネ ス ・オ フ ・イ ンヂ ビ ジ ュ ワル 」纂 ノ「ピー ス ・オ フ ・ソサ イチ イ 」 鯉 ノ是 レナ リ。 明 治 九年 ・一八 七 六年 社 会(福 沢諭 吉 『学 問 のす ㌧め 』 十 六 編) ー方 より見れ ば社会 の人事は悉皆虚 を以て成 るものに非ず ヘ 明治 九 年 ・一 八 七 六年 ヘ 社 会(井 上敬二郎編 『 近 事 評 論 』 第 二 号) 然 リ ト錐 トモ 、 人 如 シ我 輩 ヲ難 シテ 、 琉 球 難 民 ノ為 メ、 既 二 我 兄 弟 ノ 貴重 ナ ル 生命 ヲ蛮 煙 痒 霧 ノ ヘ へ 中 二埋 没 シ 、 我 社会 ノ緊 要ナ ル 貨 財 ヲ、 狂 燗怒 濤 ノ 間 二消 耗 シ タ リ… …(琉 球 藩 ノ紛議) 明治 九年 ・一 八 七 六 年 社 会(永 峰 秀 樹 訳 『ギ ゾー 欧 羅 巴 文 明 史』 巻 七) ヘ へ 欧 洲 封 建 ノ諸 大 国 中二 存 在 セル 自由市 邑 ノ起原 及 ヒ其 人 民 ノ結 ンテ ー 体 ノ社会 トナ リタル 時 代及 ヘ ヘ ビ其 免 許 状 ノ性 質 等 ヲ略論 セ リ氏 ノ説 二 因 レハ 此 社 会 ヲ構 成 セ ル ハ 西 班 牙 国 ヲ 以 テ最 初 トス 明 治 九年 ・一 八七 六年 社 会(轟 信 次 郎 『凌礫 論 』 草 葬 雑 誌 、 第 四号) ヘ へ 今 ヤ 我 日本 ノ情 勢 ヲ熟 視 ス ル ニ 上 等 社 会 ノ紳 士 ニ シ テ 天 下 ノ名 望 ヲ繋 ケル 君 子 ト錐 トモ 大 約 官 途 ノー編 二着 意 シテ 争 テ 青 雲 ノ志 ヲ 官員 市 場 二 向 ッテ 満 足 セ ン ト要 シ … … 明治 九 年 ・一 八 七 六年 ヘ (『家 庭 叢 談 』) 社会 へ 必 ず 日本 社 会 に 於 て選 び 抜 きの 士 な る可 し(第 一 四号) ヘ へ ヘ ヘ 今 暫 く大 空 社 会 の 話 を 止 め 、我 々 の 人 間社 会 の事 柄 も等 し く釣 合 を保 たず して は順 序 の 立 た ぬ も の な り。(第 一 五 号) 明 治 九年 ・一 八七 六 年 社 会(中 島勝 義 『俗夢 驚 談 』) 政府 ナ リ官 吏ナ リ農 夫 ナ リ商 人 ナ リ… … 何 ナ リ漢 ナ リ、其 位 階 ノ高 下 ヲ論 ゼ ズ 其俸 給 ノ 多少 ヲ 問 ヘ ヘ ハ ズ 、 荷 モ 毒 ヲ社 会 二流 シテ 同胞 ノ幸 福 ヲ妨 害 シ 害 ヲ世 上 二及 ボ シテ 兄 弟 ノ安寧 ヲ 障碍 シ斯 良 民 ノ 自 由権 理 ヲ犯 ス ガ如 キア ラバ … … 明治 九年 ・一 八 七 六年 社 会(『 暗 殺 論 』 草 葬雑 誌 、 第 六 号) ヘ ヘ ヘ へ 抑 モ 論 者 ノ顛 覆 義 死 ヲ論 破 セ ル 所 以 ハ 義 死ハ 社 会 上 ヲ利 益 ス ル ノ応効 二 乏 ク顛 覆 ハ 社 会 上 二波 及 スル 弊 害 ノ多 キ ヲ以 テ ニ非 スヤ 一225一 「 『人 生 地 理 学 』 補 注 」 補 遺(第1回) 明 治 九年 ・一 八 七 六 年 社会 (『九月 五 日従 二位 大 原重 徳 謹 シ ン テ書 ヲ岩 倉 公 閣 下 二 献 ス』 会 館 雑 誌 、 第 五 号) ヘ へ 夫 西 洋 諸 国総 ヘ テ 社 会 ヲ以 テ 事 ヲ為 ス 故 二 百 足 ノ 虫 死 二抵 テ儘 レサ ル カ 如 ク 甲敗 ル \モ 乙救 ヒ終 二 瓦解 二至 ル モ ノ鮮 シ 明治 九年 ・一 八 七 六 年 第二十三条 邦 国(木 庭 繁 『シ ビル リベ ル チ ー 、仏 国憲 法 中抄 訳 』 草 葬雑 誌 、第 一 号) へ 邦 国 ノ保 全ハ 各 人 ヲ シ テ其 権 義 ヲ受 用 スル コ トヲ得 セ シムル 衆 民 ノ活 溌 力 ト衆 民 ノ ソ シャルガフンテ 国 権 ヲ掌 握 ス ル トニ在 ル ナ リ 明治 十 年 ・一 八 七 七 年 社 会(福 沢諭 吉 『分権 論 』 明治 九 年識 語 、 明 治 十 年 刊) 荷 も武 家 の ・名 あ れ ば軍 役 あ らざ る も の な し。 軍 役 と は何 ぞ や 。 政 治 上 に事 を生 じて 君 家 の安 危 に ヘ へ 関 し兼 て 社 会 の利 害 に差 響 くの 場合 に 至 れ ば 、戦 場 に 向て 死 生 を決 す るこ とな り。 ヘ へ 斯 る 教 育 を 以 て養 成 した る此 士 族 の 働 は、 即 ち我 日本社 会 中に 存在 して其 運 動 を支 配 す る一 種 の 力 な れ ば 、仮 令 ひ 一 旦 の 事 変 に 逢 ふ も頓 に 之 を消 滅 し尽 す 可 き もの に 非ず 。 へ ヘ へ 嘉 永 の 末 年 に 外 交 を 開 き しは我 国 開 關以 来 の一 大 事 変 な り。 社 会 の事 に 変 あれ ば 社 会 の 力 も亦 其 形 を 変 ぜ ざる を得 ず 。 (備考)福 沢 の 著 作物 にお い て は 、 「 社 会 」 の 語 は 、 明治 九 年 の もの に初 出す るが 、十年 以 降 に な る と、急 に頻 出す る よ うに な る。 明 治十 年 ・一八 七 七 年 社 会(平 井 正 訳 『英 国 政 典 』) 夫 一 国 ノ憲 法 ナ ル モ ノハ 、 其 国 民 ヲ 管理 スル 所 ノ法 律 ノ全 体 及 ヒ此 等 ノ法 律 ヲ設 立実 施 スル 所 ノ へ 機 器 ヲ通 称 スル モ ノナ リ、 凡 ソ最 小 ナ ル人 民社 会 中 ニハ 、 更 二 憲 法 政 府 ノ如 キモ ノ アル コ トナ シ ト ヘ へ 錐 モ 、毎 員 社 会 二 処 スル ニ 、彼 ノ禰 曹 他 人 二対 シテ 行 為 ス ル コ ト、他 人禰 曹 二対 シ行 為 ス ル 如 ク ア レ ト云 フ金 言 ヲ常 二 遵 守 セ バ 、亦 憲 法 政 府 モ 之 ヲ需 ムル ニ 足 ラス 、 将 タ法 律 ノ保 護 ナ キ ヲ憂 フル ニ 足 ラ ムヤ ヘ へ 故 二 社 会 ナ ル モ ノハ 、其 弥 大 ナル ニ蝶 レハ 、社 員 各 自 ノ問 二 生 スル 所 ノ紛 紙ハ 、従 テ 繁 雑 ヲ極 ム、 是 則 チ 此 紛 擾 ヲ預 防 スル カ為 二 、適 当 ナ ル 法律 ノ設 ケ ナ カ ル 可 カ ラサ ル所 以ナ リ プア ロ ボヲル ド 地 方省 長 ハ往 時 賑 憧 法 省 ノ長 ナ リ、該 官 ハ必 ス シモ 内 閣 二列 セ ズ ト錐 トモ其 職 務 ハ 歳 々 重 大 ナ ル パブ リツクヘルス ニ 遣 ヘ リ専務 ハ 地 方 ノ社 会 健 康 二 関 ス ル 事務 ヲ総 轄 スル ニア リ (備考)「 社 会」 はpublicの 明 治 十 年 ・一 八七 七 年 社会 訳 に もあ て られ てい る。 民 人 民社 会(服 部 徳 訳 『民 約 論 』) ヘ へ 此 書 ノ原 名 ハ 「コ ン トラ、 ソシ ア ー ル 」 ト題 ス 故 二今 之 レヲ 民約 論 ト訳 セ リ蓋 シ 其論 旨 ハ 専 ラ人 ヘ ヘ へ 民 社会 ノ原 理 ヲ説 明 シ タル モ ノ ニ シ テ意 味頗 ル 深 重 ナ リ ヘ ヘ ヘ へ 天 下 凡 百 ノ社 会 中 ニ ツ キ其 最 モ 太 古 二 湖 リ特 リ天 然 二源 由 スル モ ノハ 則 チ ー 家 ノ社 会 ナ リ蓋 シ 此 へ 社 会 ニ ハ父 子 ノ 間 二於 テ 天 然 ノ慈愛 ノ 情 ア リテ 自ラ之 ヲ交 結 セ リ然 レ トモ 只其 子 ノ幼 稚 ニ シテ 其 父 ノ鞠 養 ヲ要 ス ル ノ間 二止 マル ノ ミ 明治 十年 ・一 八 七 七 年 社会 人民社会 (『情 況 証拠 法 ヲ論 ズ 』 講 学余 談 、第 一 号) 一226一 創価 教育 第5号 英 国 ノ 法律 ハ 其 使 用 二 由テ 之 ヲニ 種 二 区分 ス ベ シ 。 即 チ ー ヲ幹 法 ト謂 ヒ、一 ヲ支 法 ト謂 フ… … … 然ル ニ幹 法 ノ成 ル ハ 支法 ヨ リ先 ナ ル コ トハ 、 特 二 英 国 ノ ミナ ラ ズ 、文 明諸 国二 於 テ 皆 同轍 ナ リ。 蓋 ヘ ヘ シー 社会 成 立 シ テ 君 ア リ民 アル ニ 至 リテ ハ 、 必 ズ 各 人 ノ権 利 ヲ確 定 シ 、其 財 産 ヲ保護 ス ベ キ規 則 ヲ 制 定 シ 、 以 テ 之 ヲ理 治 セ ザル ヲ得 ズ 。 而 シテ 此 規 則 ナ ル モ ノハ 則 チ法 律 中 ノ幹 法 ナ リ。 故 二幹 法 ハ ヘ ヘ ヘ へ 人 民 社 会 ト同 時 二成 立 スル モ ノ ト謂 フモ 可 ナ リ。 明治 十 年 ・一 八 七 七年 社会 世 態(井 上 操 『ボ ワ ソナ ー ド性 法 講 義 』 明治 七 年 筆 記 、 明治 十 年刊) 日本 ト西 洋 トヲ 問 ハ ス 荷 モ 社会 二 生 活 ス ル 上 ハ 吾 人 共 二吾 人 ノ権 利 ト吾 人 ノ磯 ボ 券 トハ 互 二 深 キ 関 係 ア ル コ トハ 之 ヲ知 レ リ 法 ヲ制 定スルニ付 テハ 立法 官ハ真理 匡二ζ訂二適 シ至正 冥デゐ窪爵 ヲ得 タル規則 ヲ求メ而 シテ人 民 モ ラ ル ソシ テ エコノミ ノ需 要 ト其 ノ願 望 二依 テ 之 ヲ掛 酌 シ 又 タ教 化 世 態 及 ヒ 経 済 ノ模 様 ヲ考 ヘ テ 之 ヲ折 中 シ而 シ テ 人 民 相 互 ノ権 利 ト職 分 上 二付 テ 明 瞭 ノ規則 ヲ制 定 シ万 民 ヲ シテ 其 因 リ行 フヘ キ法則 タル ヲ知 ラ シ メ 而 シ テ外 部 ノ制 裁 導誰 蕩 ヲ設 ケ以 テ 万 民 ヲ シ テ 此 ノ 法則 ヲ遵 守 セ シ ム 且 ツ裁 判 官 二 許 ル スニ 明記 シ テ ブ ヘ ヲワ ル ヘ へ 限界 ノ アル 権 力 ヲ以 テ シ而 シテ社 会 ト人 民 ヲ護 衛 セ シ ム 明 治 十年 ・一 八 七 七年 社 会(『 専 売 免 許 法 ヲ論 ズ 』講 学 余 談 、第 三 号) 専売 免 許 ノ 法ハ … … … 開化 漸 ク進 ミ人 智 漸 ク開 ケ 、 人 々競 フ テ利 器 要 具 ヲ発 明 シ、 或 ハ 従 来 ノ器 ヘ へ 具 ヲ改 良 シ 、 以 テ社 会 ノ幸 福 ヲ増殖 セ ン トスル ニ至 リテ ハ 、 殆 ド欠 ク ベ カ ラザ ル ノ要 法 ナ リ。 ヘ へ 有 益 ナ ル 発 明 改 良 二 由 テ大 二全 社 会 ノ幸福 ヲ増 殖 スル ガ故 ニ ー … 明治 十 年 ・一 八 七 七 年 社(高 橋 達 郎訳 『 米 国法 律 原 論』 司法 省刊) へ 凡 ソ各 人 ノ互 二 其 財 産 ヲ殊 別 シ テ特 自二 之 力権 利 ヲ得 ル ノ欠 キ 難 キ 事 情 ハ 蓋 シ人 ノ初 メ テ社 ヲ成 シ互 二交 際 ヲ通 セ シ時 ヨ リ早 二発 生 シ次 テー 国 ノ芸 術 、開 化 愈 々 進 歩 ス ル ニ従 ヒ又 愈 々其 切 要 ノ度 ヲ増 加 セ シ コ ト必 然 タル 可 シ 明 治十 一 年 ・一 八 七 八 年 社交 社会 会 社(深 ソ シヤル 間 内 基訳 『ミル 男 女 同 権 論 』) ポルチ カアル 夫 レ此 書 ヲ箸 シ タル 所 以 ハ 、余 ガ夙 トニ 社 交 ノ利 害 及 ヒ 政 図 ノ得 失 二 関 シテ 意 見 ア リシ 時 ヨ リ、 固守 シ タル 説 ヲ弁 明セ ン ト欲 スル ニ在 リ ヘ へ 人智朦 昧タル未 開ノ社会 ヘ へ 昔 目ハ 婦 人 ノ ミナ ラ ス男 子 ト錐 モ 亦 奴隷 タル 者 社 会 ノ大 手 ヲ填 メ … … ・ ヘ へ 文明 ノ会社 明治 十 一 年 ・一 八 七 八 年 交 際(小 林 儀誘 纂 訳 『政 体 論』 文 部 省 刊) 政 府 二於 テ 人 民 ノ意 ヲ統 管 スル 権 ア レハ 又 従 ヒテ 他 人 ヲ シテ 之 ヲ管 轄 セ サ ラシ ムル 権 無 ク ンハ ア ヘ ヘ ル 可 カ ラ ス之 力 為 メニ 政 府 二 於テ 人 民 ノ交 際 二 間 然 ス ル権 アル ヘ シ 明 治 十 一年 ・一 八 七 八 年 社 会(近 藤 真 琴 『新未 来 記 』) ヘ へ 凡 て 人 間 は 互 に 輔 け 合 ふ もの なれ ば。 われ 一 人 の 自 由 を捨 て 社 会 の 為 め に す る 時 は。 遂 に 己 れ に 立 も ど る。 一227一 「 『人 生地 理 学 』 補 注 」 補 遺(第1回) 明治 十 一 年 ・一 八 七 八年 社 会(永 田健 介 訳 『人 口救窮 及 保 険』 文 部 省 刊 行 百 科 全 書 第 十) 隣 人 ノ衣 食 ヲ資 ス ル ノ窮 民 ア リ此 ノ如 キ人 類 ノ世 二 多 キ モ ノ人 性 ノ 自カ ラ然 ル ノ ミニ ア ラ ス人 類 へ 社 会 二 在 リテハ 亦 遁 ル ヘ カ ラサ ル ノ天 命 ト謂 フヘ シ 明 治 十 一 年 ・一 八 七 八 年 社 会(山 崎 直 胤 訳 『仏 国政 法 掲 要 』) へ 凡 ソー 国社 会 ノ其 社 員 タル 人 民 二 向 テ 、 為 ス ベ キ義 務 タル ー 切 ノ事 務 ヲ逐 一 中央 政 府 ニ テ 執 行 セ ス 、其 一部 ヲ地 方 二 分 仕 セ シ ト錐 トモ … … … 明 治十 一 年 ・一 八 七 八 年 へ ヘ 社会 交 際(塚 本周造訳 『 論 理 学 』 文 部 省 刊) へ 交際学 は人 間社会 の理 を講ず るの学に して其論ず る所の発象多端 に して前に位す る五大学科の理 ヘ ヘ マ マ 悉 く存せ ざる無 けれ ば則之 を末位 に置け り夫 れ交 際の態情 は機無体有機体 の性質 と万物 の霊た る人 へ 心 の性質 とに基 きて成 る而 して人及び社会の生命 皆是 の学科 に論ず る所 の理を離る Σ能 はず 明治 十 二 年 ・一 八 七 九 年 会 結社 仲間 組合 社中 (中村 正 直校 ・津 田仙 等 編 『英 華 和 訳 字 典 』) 明治 十 二 年 ・一 人 七 九 年 へ 交社 社 会(渡 辺 恒 吉 訳 『英 国議 院 論 』) 吾 輩 ハ 人 類 ヲ交 社 ノ員 ト認 メ其 相 互 ノ間 各種 ノ 関係 ヲ有 ス ル 権 義 二 就 テ論 スル 有 ラ ン トス ヘ へ 人 ノ最 モ 愛 好 ス 可 キ行 ヲ為 シ総 社 会 ヲ煩 ハ サ ズ シ テ 能 ク公 益 ヲ務 メ タル 特 秀 ノ人 ヲ賞 ス ル 為 二 位 階 ト栄 爵 トヲ 崇尊 スル ハ 制 度 ノ具 ハ リタル 各 国政 府 二 於 テ 緊 要 トスル 所 ナ リ 明 治 十 二 年 ・一 八七 九年 社 会(福 ヘ 本 巴 『普 通 民 権 論 』) へ 人 民相 集 リテ組 立 タル 社 会 ニ ハ 、必 ラ ズ 之 ヲ保 護 ス ル 政府 ナ キ ハ ナ シ。 明 治 十 二年 ・一 八七 九年 社会 交 際(西 村 茂 樹 講 演 『大 学 ノ 中二 聖 学 ノー 科 ヲ設 クベ キ説 』) 聖 学 ノ名 ハ 西 国 ノ学 科 二無 キ所 ニ シ テ … 本 体 ト為 ル 者 ハ 支 那 ノ儒 学 ト西 国 ノ哲 学 トヲ合 セ タ ル者 ヘ ヘ ニ シ テ 、耶 蘇 教 、仏 教 、 回教 ヲ以 テ 其 付 属 ト為 ス 、其 科 目ハ 修 身 、 性 理 、 政 事 、理 財 、交 際(即 チ ヘ へ 社 会 学)ノ 五 目ニ シテ 、 修 身 、性 理 ヲ以 テ 他 ノ三 目ノ基 礎 ト為 ス 明 治十 二年 ・一 八 七 九 年 社 会(植 木 枝 盛 『民 権 自 由論 』) ル ソー と云 ふ 人 の説 に 、 人 の 生 るるや 自由 な り とあ りて 、 人 は 自 由の 動 物 と申す べ き も の で あ り ヘ へ ます 。 され ば人 民 の 自 由 は縦 令社 会 の法 律 を以 て 之 を全 うし得 る とは 申せ 、本 と天 の賜 に て人 た る もの の 必 ず な くて は な らぬ も の で ご ざ ら う。 明治 十 三 年 ・一 八 八 〇 年 ヘ 社 会(尺 振 八 訳 『斯 氏 教 育論 』 文 部 省 刊) ヘ ヘ へ 夫 レ元 来 社 会 ハ 、 各 個 人 ニ テ組 成 セ シモ ノナ リ。 故 二社 会 上 二 生 ズル 各 事 ハ 、皆 各 個 人 ノ所 為 ノ 集 合 セ シモ ノニ 外 ナ ラ ズ。 明 治 十 四 年 ・一 八 八 一 年 社 会(Society) 明 治 十 四 年 ・一 ノ)い 一 年 社 会(中 (井上哲次郎等 『哲学字彙』東京大学三学部刊) 江 篤 介 『干 渉 教 育 』東 洋 自由新 聞 、 第 六 号) ヘ へ 凡そ人の窮 困飢餓 をみて之 を救 睡す るは是れ社会の義務 な る而已 一228一 倉り 価 教 育 第5一号 明治 十 四年 ・一 八 八 一 年 社 会(秋 ソサイテ 山恒 太 郎 訳 『接 物 論 』 文部 省 刊 百 科 全 書) ア ソリジ シ ョン 概 スル ニ人 間 各 某 社 会 即 チ 其盟 社 中 ノー 社 員 タ ラザ ル モ ノナ シ 明治 十 六年 ・一 ノ)k三 年 ヘ ヘ ヘ (有賀長 雄 『社会進化論』) 社会 へ 社 会 学 と は人 間社 会 の 現 象 を解 釈 す る の理 学 な り。 明治 十 六 年 ・一 ノ)、三 年 へ 社 会(陸 奥 宗 光訳 『利 学 正 宗 』) 抑 モ 社 会 トハ 無 象 的 ノー 体 ニ シ テ 実 ハ ソ レヲ組 構 セ シ物 素 ノ如 ク見 ユ ル 所 ノ各 自個 々 ノ 員 数 ヲ概 括 シ タル 総 称 二 過 キ サ ル ナ リ 明 治十 七年 ・一 八 八 四年 社会 社 明 治 十 九年 ・一八 八 六 年 社 会(石 会 仲間 組合 会 友(society)(尺 振A『 明 治 英 和 辞典 』) 川郵 訳 『大 英 律 』) ヘ へ 太 古 以 来 天 然 ト民 為 トヲ問 ハ ス 、社 会 ナ ル 者未 タ ア ラサ ル ノ時 ア リ トハ 、如何 ナ ル 理 論 ア リ トモ 、 吾人 ノ信 スル コ ト能 ハ サ ル 所 ナ リ… … ヘ へ へ 社 会 ハ 其 各員 ノ権 利 ヲ 防護 ス 可 ク、 各 個 人 ハ(此 ノ保 護 ノ報 酬 トシテ)社 会 ノ法 律 二 従 フ可 キ ナ リ 以 上 み て き た とこ ろ を ま とめて み る と、 「 社 会 」 とい う こ とば の初 出 は 、わ が 国 で は文 政 九 年(一 八 二 六 年)で あ っ た が 、 そ れ は今 目使 われ て い る よ うな 意 味 内容 を具 え た も の で は なか った 。 今 日使 わ れ る よ うな 意 味 で の 「 社 会 」 の誕 生 は遅 く とも明 治 八 年(一 八 七五 年)で あ る が 、 それ が一 般 に 普 及 しは じ めた の は 、明 治 十 年(一 八 七 七 年)ご ろ か らで あ っ た ら しい。 しか し、 「 社 会 」 の語 が普 及 しは じめ た の ち も、 な お 、他 の 多 くの類 語 が 使 わ れ 、 な か な か統 一 に至 らな か っ た 。 こ こま で が 斎 藤 毅 『明 治 の こ とば一束 か ら西へ の架 け橋一』、 第 五 章 社 会 とい う語 の 成 立 、 五 社 会 とい うこ とば と観 念 が 定着 す る ま で のそ の 類 語 、 か らの 引用 で あ る。 とが 以 上 、 あ るい は 、 一 項 目の補 注 と して は過 多 過 剰 の 各 を犯 す く らい の 引用 をお こな っ た か も知 れ な い か とは思 う。 も し、そ うだ と した ら、お詫 びす る しか仕 方 無 い とは 思 う。 しか し、"若 き牧 目常 三 郎 。 が 『人 生 地理 学 』 を書 き進 め て い た一 九 〇 三 年(明 治 三 十 六年)ご ろの 日本 思想 界 の(特 に、 誕 生 ・成 立 の 日な お浅 き 日本社 会 学界 の)置 か れ て い た 客 観 条件 を(特 に、 比 較 教 育 文 化 史 的状 況 を)で き る だ け正確 か つ緻 密 に知 って お く必 要 が あ っ た。『人 生 地 理 学 』の第 三 篇 全 篇 は 、先 入 主 な しに観 察 し直 した場 合 、 始 めか ら終 わ りま で 《社 会 学 的 思 考 方式 》 に よ って 貫 ヘ ヘ ヘ へ か れ て い る こ とが あ ま りに も は っ き り して い る か ら。 2「 社 会主 義 」 と云 ひ(一 九三ページ、注3)こ で あ っ て も必 ず 「 社 会 主 義 」 の名 辞(=見 ん に ち で は い か な る小型=携 帯 用 の 国語 辞 典 出 し語)を 登 載 してい る が、 明 治 時 代 の小 型 の 国語 辞 か よう 典 に あ っ て は斯 様 な見 出 し語 は 載せ られ て い なか った。 実 例 を挙 げ て説 明 しよ う。 久 松 潜 一 監 修 /山 田俊 雄 ・築 島裕 編修 『新 潮 国語 辞 典 誓鷹 』(一 九 六 五 年 十 一 月刊)の い う見 出 し語(=項 目)を ひ く と、 それ の複 合 語 と して 「 「シ ヤ カ イ 【 社 会 】」 と シ ュ ギ 【一 主 義 】(socialism)資 本 主 義 に 反対 して 、生 産 手 段 ・分 配 手段 の社 会 的 所 有 とそ の 民主 的運 営 を根 幹 とす る 、政 治 ・経 一229一 「 『人生 地理 学 』 補 注 」 補 遺(第1回) 済 上 の理 論 と運 動 。」 との語 釈(=定 義)が 示 され て あ る。 と こ ろが 、 一 ノ)梱 年(明 治 十 七 年) デイ ト 十 二 月 成 稿 の 日付 を 有す る大 槻 文 彦 著 『言 海 』(一 九 〇 四年 二 月 、吉 川 弘 文 館 刊)を ひ ら く と、「し や 一 く わ い(名)[圖(一)同 ジ 趣 キ ノ 人 人 。 同 流 ノ 仲 間 。(二)一 国 一 州 ナ ド、 相 頼 リ テ 生 ヒ トム レ 活 スル ー 団 ノ人 民 ヲ称 スル 語 。」 とい う見 出 し語 お よび そ れ の語 釈 が載 っ て い る けれ ど、 「 社会主 かろ 義 」 とい う見 出 し語 の ほ うは全 く掲 げ られ て い な い 。 按 ず る に、 「社 会 」 の術 語=概 念 が 辛 う じ て市 民 文 化 レ ヴ ェル で 一般 化(=公 的 認 知 を得 た の義 で あ る)の 機 会 に恵 ま れ た ば か りで 、 ほや ほや の新 語 と して 未 だ珍 しが られ て い た 明 治 前 期 中期 の段 階 に あ って は 、 況 してや 「 社会主義」 う さん く さ な ど とい う胡 散 臭 い(あ る い は 、む し ろ、 危 険 思想 視 され てい た と表 現 す べ き か)輸 入 語 が書 生 向 き小 型 国 語 辞 典 に採 用掲 載 され る まで に到 っ て い な か った と して も、 そ れ は 、 む しろ 当然 の成 り行 きだ った の で は あ る ま い か。 そ して 、 そ の よ うな言 論 状 況 下 に あっ て 、 な お かつ 、牧 口常 三 郎 『人 生地 理 学 』 の 此処 の個 処 に 「 社 会 主 義 」 の術 語(=学 問 概 念)が 正 々堂 々 と(あ るい は 、む ひる け はい ず ぶと しろ 、怯 む 気 配 も見 せ ず 、 図太 くも、 と表 現 す べ きか)提 示 され て あ る客観 的 事 実 の 黙重 た さ" あえ と"鋭 さ犠 とを 、読 者 諸 賢 が見 落 と した り過 小評 価 した りな さ らぬ よ う、敢 て繰 り返 し御 注 意 を 喚 起 して お き た い とお も う。 当時 に あ って 、未 だ 国民 の大 半 は 「 社会」 と 「 社 会 主 義 」 との 区別 さえ付 か な い 蒙 昧 な る段 階 に停 滞 した ま ま で い る とい うの に、 わ が"若 き 牧 口"は 両者 の弁 別 を な し得 る少 数 イ ンテ リの群 の ほ うに入 って い た ば か りで な く(そ れ だ け で も、 当該 段 階で は偉 と あま おお す べ き で あ る が)、 す で に して 「 社 会 主 義 」 の 内包 す る長 所 ・短 所 を剰 す な く理解 し畢 せ て い た の で あ るか ら、 じつ に驚 か され る。 い ず れ本 補 注 の どこか で 言 及 しな けれ ば な らぬ 事 柄 で は あ る けれ ど、 牧 口常 三 郎 が そ の思 想 家 的 生涯 をつ うじてつ ね に一 方 で 「 社 会 主義 」 的 政 治 経 済 諸 政 策 しか の立 案=実 践 の 必 要 を 主 張 しつ つ 而 も マ ル クス=レ ー ニ ン 主 義 のそ れ とは 明確 に 異 な る 一線 を かく しか 画 しつ づ けて い た こ と、 つ ね に一 方 で 「 社 会 主義 」 的 諸 経 済 理 論 を支 持 しっ っ 而 も 自 由 主義 経 済 あえ 倫 理 パ ラダ イ ム と両 立せ しめ る必 要 を強調 して い た こ と(こ れ は 、 敢 て付 言 せ ね ば な らぬ が 、 無 原 則 に 自由民 主 党 タ カ派 と社 会 党左 派 とが狂 れ 合 って 連 立 政 権 をで っ ち 上 げ る ご と き一 九 九 四 ∼ 五 年 権 カ 所在 条 件 とは根 本 的 に相容 れ な い 倫理 的 嘉哲 学 的 決 断 の 問題 で あ る)、こ うい った 重 要 テ ー マ を理 解 す るた め に は 、ど うして も 『人 生 地理 学 』で使 用 され た学 問上 の術 語technicalterms (=概 念concept;conception)を ひ とつ ひ とつ解 読 して ゆ く努 力 を費 や さな けれ ば な らない 。 明 らか に幸 徳 秋 水 や 堺 利 彦 の 簡避 に い た はず で あ るの に 需 も所 謂 「 窒 義 箸 」 の仲 間入 りをせ ず 、 う らか た そ の あ と、 国 定 教科 書 編 纂 に さい して そ の裏 方 的作 業 に加 わ り文 部省 属(下 級 の職 務 で は あ る け れ ど広 義 の 文 部 官 僚 の一 員 に擬 して誤 りな い で あ ろ う)の 地位 に 在 りな が ら決 して 権 力 的 思 考 に ポシ シ ョン 同調 せ ず 、 さ らに は有 名 小 学 校 の校 長 とい う一 定 の尊 敬 を集 め る公 務 員 の 地 位(い ま で も、 小 学 校 々 長 や 中 学 校 々長 ・高 等 学 校 々長 ぐ らい勲 章 を欲 しが る人 種 は 他 に類 を見 ない こ とは 、 年 ご との あの 叙 勲発 表 の新 聞記 事 に接 す れ ば容 易 に推 量 し得 るが)に 在 りな が ら決 して 一 身 の 安 住 を はか 図 って 有 力 政 治 家 に媚 び を売 った りせ ず 、 終始 一 貫 して 、 民 衆 の が わ に 立 って 真 実 を探 究 しっ づ け幸 福 を追 求 しっ づ け た牧 口常 三 郎 の 《思想 家 像 》 を正 し く描 出 彫刻 す る た め には 、 ど うして も た しか 『人 生 地 理 学 』の 中 に そ れ の 《原 型 》dasUrbildの 所 在 を 検 め て お か な け れ ば な ら な い 。そ し て 、 一230一 創価教 育 第5号 そ の仕 事 を遂 行 す る こ とは 、 われ われ に とっ て義 務 で さえ あ る。 お そ の こ とは さて 措 き 、当面 の研 究 対 象 に戻 って 補 注 をお こ な う とす る と、まず 、一 九 〇 三 年(明 治 三十 六年)当 時 に 「 社 会 主義 」 が世 間(=明 ヘ ヘ ヘ 治 中期 思想 文 化 界)か ら どの よ うな 印象 で 見 られ へ 且 っ 扱 わ れ て い た か 、 と い うこ と を は っ き り させ て お か な け れ ば な ら な い 。 本 章 補 注(1)(2) あわ (4)(8)は 、い ず れ も この 問題 と深 い 関 わ りを持 って い るか ら、 そ れ らを も併 せ 参 照願 うこ とに して 、この場 所 で は 、特 に岸 本 能武 太 『社 会 学 』(一九 〇 〇 年 十 一 月 、大 日本 図書 株 式 会 社 刊) に拠 っ て 、 同書 序 論 部 分(原 著 で は 「 総 論 」 と題 し、 第 一節 社 会 学 の宇 義/第 二 節 社会 学 は 新 し き学 問 な り/第 三 節 社 会 学 の誕 生 は何 故 に斯 く遅 か り しや/第 四節 社 会 現 象 研 究 の 三方 面/第 五 節 社 会 学 は甚 だ複 雑 な る学 問 な り/第 六節 社 会 学 の定 義/第 七 節 社 会 学 と社 会 的 諸 科 学 との 関係 /第 八 節社 会 主義 と社 会 学 とを混 同す べ か らず/第 九 節 社会 学 研 究 の利 益 、 の九 つ の セ クシ ョン に分 か れ て 、謂 わ ば 《社 会 学 理論 形成 史》 が か な り詳 細 に記 述 され て い る)の なか で 論 及 され た ヘ 「Socialism概 念 とSociology概 ヘ ヘ へ 念 との 間 の 明 確 な 差 異difference」 を は っ き り させ て お く処 置 を 選 び お く。岸 本 能 武 太 の名 は 、 一 八 九 人年(明 治三 十 一 年)十 月十 人 日に発 足 した 「 社会主義研 究 会 」の会 員(一 発 起 人)の メ ンバ ー(高 木 正 義 、河 上清 、=豊崎 善 之 介 、岸 本 能 武 太 、新 原 俊 秀 、 片 山潜 、佐 治 実然 、神 田佐 一 郎 、 村井 知 至 、 幸徳 秋 水 、金 子 喜 一 、 中村 太 八 郎 、安 部 磯 雄 ら)の な か に見 出 され 、同会 第 三 回公 開演 説 会(一 八 九 九年 一 月十 五 日)に 「 サ ン ・シモ ンの 社 会 主 義 」 の弁 士 と して 熱弁 を振 る った こ とで も有名 で あ る。 この社 会 主 義研 究 会 は 、 二年 後(一 九 〇 〇 年 一 月)に 「 社 会 主義 協 会 」 と改 称 して 実 践 的 立 揚 を と り、や が て 「社 会 民 主 党」 の結 成 を め ざす こ とに な るが(一 九 〇一 年 五 月 、 即 日禁 止 の 弾 圧 措置 を蒙 る)、 岸 本 能 武 太 は、 終 始 、 安 部 磯 雄 、 村 井 知 至 らア メ リカ 留 学組(か れ らは 、 一 様 に、神 学研 究 のた めア メ リカ へ 渡 っ た のだ が 、次 第 に社 会 問題 ・社 会 主義 ・社 会 学 へ 接 近=接 触 し、 つ い に キ リス ト教 社 会 主 義者 と して の 立場 を鮮 とも 明 に して ゆ く)と 行 動 を倶 に して い た。秋 元 律 郎 『目本社 会 学 史 一形成過程 と思想構造一 』(一 九七 九年 五.月、早 稲 田大 学 出版 部 刊)は 、 安 部 ・村 井 ・岸 本 らに よ って 「キ リス ト教 社 会 主 義 と交 錯 しな が ら、初 期 の 明 治社 会 主義 の 中心 をか た ちつ くっ て い くこ とに な る」 プ ロセ ス を 明 らか に し た あ と、 そ の よ うな傾 向 を もつ 一 方 で 、 上 述 の ご と くキ リス ト教 社 会 主 義者 に して 同 時 に社 会 学 きわ だ 者 で も あ っ た かれ らア メ リカ留 学 グ ル ー プ を 際 立 た せ て い る も の に"政 治 運 動 と学 問 的 立 場 と の 峻 別"の 厳 正 さ とい う特徴 が あ る 、との指 摘 をお こな っ てみ せ て い る。「も ち ろん かれ ら を社 会 主 義 に む か わせ てい った 契機 が社 会 問題 に あ り、ま た それ へ の媒 体 と して 社 会 学 が あ っ た にせ よ 、 か れ らの うち で社 会 主 義 と社会 学 が理 論 的 に混 同 され て い た わ け で は な い。 この 点 で は 、 安 部 に して も岸 本 に して も、 繰 り返 し注意 を 喚起 して い る し、 ま た かれ ら じ しん そ のた め の理 論 の整 備 を怠 った こ とは なか った 。」(第 三 章社 会 問題 の発 生 と明 治社 会 主義 、 三 社 会 学 と都 市 社 会 主義) と。 これ だ けの 予備 知 識 を再 確認 した あ とで 、 さて 、 い よい よ、 前掲 岸 本 『社 会 学 』 総論 第 八 節 社 つい 会 主 義 と社 会 学 とを混 同す べ か らず 、 の チ ャ プ タ ー を御 検 討 あ りた い とお も う。 な お 、 序 で に 、 岸本 が 「 社 会 主 義 」 と峻別 して み せ た 「 社会学」ない し 「 社 会 学研 究 」 の概 念 内容 を も知 って お 一231一 「 『人 生 地 理 学 』 補 注 」 補 遺(第1回) ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ へ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ へ きた くお も う。 牧 口 『人 生 地 理 学 』 第 三 篇 の 記 述 が 何故 に斯 く社 会 学 的 思 考 を踏 ま え て い た か 、 とい う問い に 対す る 、 な に が しか の 答 えに な り得 るか も知 れ ぬ 、 と推臆 され る か らで あ る。 第 八 節SocialismとSociologyと を 混 同 す べ か らず ソー シ ヤ リズ ム(社 会 主 義 若 しく は共 産 主 義 の意)と ソシ オ ロジ イ(社 会 学)と は 其 の呼 び 声 の相 似 た る よ り、 或 は 両者 を取 り違 へ て 同一 物 の 如 くに思 惟 す る者 無 し とも 云 ふべ か らず 。 故 に今 左 に少 しく ソー シ ヤ リズ ム の性 質 を略 論 して 、 其 の ソシ オ ロジイ と異 る所 以 を 明 瞭 な ら しめ ん とす 。 抑 も 「ソー シヤ リズ ム」 な る名称 は 、 千 八 百 三十 五 年 英 国 に於 て ロバ ー ト、 オー エ ン(RobertOwen) な る も の がAssociationofAllClassesofAllNationsと 称 す る一 大 協 会 を組 織 し、社 会 改 良否 社 会 ママ 改 造 を 企 図せ しに始 ま る も の に して 、 其 後 仏 国 人 の手 を経 て遂 に欧 州 諸 国到 る処 此 名 詞 を用 ゐ さ る は無 きに 至 れ り。 而 して此 の 「ソ ー シヤ リズ ム」 な る名 詞 は之 を我 国語 に訳 す れ ば 、或 は 社 会 主 義 と云 ひ 或 は 共 産 主 義 と云ふ を得 べ し。 而 して 今 日の 処 社 会 主 義 は 未 だ 一 定 した り と云 ふ べ か らず 、 名 は 同一 な る も実 は 之 を 主 張す る人 々次 第 に て甚 だ 相 異 れ り。 た とへ ば ラ サ ール の社 会 主 義 と云 ひ 、カ ー ル 、 マー ル クス の 社 会 主 義 と云ふ が如 く、殆 ん ど十 人 十 色 の 実 あ り。然 れ ども今 日に於 て多 数 の 社 会 主 義 者 が漸 く 一 致 し来 りっ 》あ る所 は見 るに 難 か らず 。 故 に 少 し く大 体 に 就 い て 之 を 云 は ん。 欧州 の社 会 に於 て は頻 年 貧 富 の懸 隔 漸 く甚 だ し くな り来 りて 、貧 しき者 は愈 々 貧 し く、 富 む 者 は益 々 富 む の傾 向 あ り。 資本 家 は飽 食 暖 衣 の 中 に、 土 地 資 本 等 の財 産 を独 占 して便 利 快 楽 の 程 度 を増 進 す るの 傾 向 あ り。 之 に反 して 労働 者 は酷 熱 厳 寒 の 差 別 な く、 終 年終 目骨 を折 り汗 を流 して 労 働 す れ ど も 、給 料 豊 か な ら ざ るが故 に 、財 産 を蓄 積 して 不 時 の 変 に備 へ 得 ざる は 云ふ 迄 も無 く、 自 ら労 働 して 富 を生 産 し ママ な か ら正 当 に 富 の 幸福 を楽 しむ こ と能 はず 。 其 地 位 愈 々 堕 落 して遂 に は労 働 と貧 苦 との 間 に 空 死 せ ん と す るの傾 向 あ り。 是 に於 て乎 社 界 改 良 の 声 は 起 り来 れ り、社 会 改 造 の必 要 は生 し来 れ り。 今 ソー シヤ リ ス ト(ソ ー シ ヤ リズ ム を主 張 す る者 即 ち社 会 主 義 者)が 此 の貧 富 の懸 隔 と其 救 済 策 とに 関 して 論 ず る所 を 聞 くに 、 其要 略 ぼ左 の 如 し。 曰 く、 『 斯 く貧 富 の 懸 隔 漸 く甚 だ しき を来 す 所 以 の も のは 、帰 す る処 現今 の社 会 組 織 に不 都 合 あ れ ば な り。 故 に現 今 の社 会 は之 れ を改 良 、否 、 改 造 せ ざ るべ か らず 。 即 ち現 今 の 社 会 組 織 は 、 凡 て の 富 の 源 泉 に して又 凡 て の文 化 の 基 礎 な る土 地 と資 本 との 独 占私 有 を許 容 す る もの な るが 故 に 、 斯 る不都 合 は 生 じ 来 たれ る な り。 宜 しく此 の 二 者 の独 占権 を 全 廃 し、 此 の二 者 を ば社 会 全 体 の 共 有財 産 とな し、 以 て社 会 を組 織 す る凡 ての 個 人 を して 此 等 の 共 有財 産 よ り生 じ来 る凡 て の 利 益 と快 楽 とを公 平 一様 に 享 受せ しむ べ し。 斯 く して 始 めて 凡 て の 人 々 は 此 恩 沢 を 蒙 む る に於 て 過 不 及 の 差別 あ らざ る べ く、 貧 富 の懸 隔 を来 たす の 憂 之 あ ら ざる べ し』 と結論 して 、私 有 財 産 を廃 し凡 て の 財 産 を会 社 財 産 即 ち共 有 財 産 即 ち共 産 と為 さん とす。 是 れ ソー シ ヤ リズ ム を訳 して社 会 主 義 若 くは 共産 主義 と称 す る所 以 な り。 ソー シ ヤ リズ ム の起 原 と其 性 質 とは 略 ぼ 右 に 陳 ず るが 如 し。 斯 くの 如 くな れ ば ソー シ ヤ リズ ム 即 ち 社 会 主義 と ソシ オ ロ ジイ 即 ち社 会 学 との 区 別 は 、 自 ら明 瞭 な るべ しと思 は る。 先 づ 第 一 に 、 ソシ オ ロジ イ は社 会 に 関係 す る と云 ふ 一 点 に於 て は 、 ソー シ ヤ リズ ム と相 似 た りとす る も、 前者 は 直接 に は 理 論 と し て 之 に 関係 す る のみ 。 即 ち ソ シオ ロジ イ は 『社 会 に 関す る学 問』 た るに 過 ぎ ず 。 之れ に反 して ソー シ ヤ リズ ム は社 会 の改 良及 び 改 造 に従事 す る実 際運 動 に して 、決 して 単 に 学 理 に は あ らざ る な り。 第 二 に 、 ソー シヤ リズ ム は其 の 目的 とす る処 富 の公 平 な る分 配 、貧 富 の懸 隔 の 撲 滅 、 且 つ 労働 者 の 救済 及 び 保護 に在 り。 され ば社 会 全 体 の 円満 具 足 せ る幸福 の研 究 を 目的 とす る ソシ オ ロジ イ とは 、 自 ら相 同 じ き所 あ り、又 相 同 しか らざ る所 あ り。 社会 の 幸福 を 目的 とす る所 は両 者 共 に 相 同 じき が如 くなれ ど も、 一 は独 占事 業 の否 定 に よ り貧 富 の 懸 隔 を撲 滅 し以 て 此 目的 を遂 げん こ と を計 り、 他 は 社会 全 体 の性 質 目的 等 を 研 究 して 自然 に斯 る弊 害 の 救 済 に及 ぶ な り。 第 三 に 、 ソー シヤ リズ ムの 抱 負 、性 質 、価 値 等 の研 究 は 云 は ゴ ソシ オ ロジイ の一 局 部 を形 造 る な り。 前 に も云 へ る が如 く、 社 会 学 は 曹 に 社会 の過 去 と現 在 との み を研 究 す る もの に は非 ず 、 社 会 の将 来 を も併 せ て研 究す る も のな り。 曹 に 社 会 進化 の歴 史 を研 究 す る の 一232一 創価教育 第5号 み に 非ず 、社 会 の 目的 は如 何 、 又 如 何 にせ ば 吾人 の 尽 力 は 能 く社 会 の進 化 を助 けて 速 に社 会 の 目的 を成 就 せ しめ得 るや を も研 究 す る も のな り。左 れ ば社 会 主 義 即 ち共 産主 義 に 関す る研 究 批 評 は 、 自 ら社 会 学 の 中 に含 有 せ られ つ ㌧あ るを 知 り得 べ け ん。 斯 く見 来 れ ば社 会 主 義 即 ち共 産 主 義 が 社 会 学 と同 一 物 にあ ら ざる こ とは 自 ら明か な るべ し。 社 会 学 は 曹 に 社 会 主 義 と同一 物 に あ らざ るの み な らず 、 社 会 学 は 決 して 他 の如 何 な る社 会 改 良手 段 の 別 名 に も あ らず 、 又 凡 て の社 会 改 良 手 段 の 総 名 に もあ らざ る な り。 第九節 社会学研究の利益 社 会 学研 究 の利 益 に就 い て は 、社 会 学 の 性 質 に 関 し以 上 開 陳 した る 処 に よ りて 自ら之 を知 り得 べ し と は 思 惟 す れ ど も、今 此 の総 論 を終 結 す る に 当 りて 、聯 か此 の研 究 の 利 益 を揚 言 し置 か ん と欲 す 。 社 会 学 の 研 究 よ り生 ず る利 益 は種 々雑 多 に して 、 一 々 枚 挙 に逗 あ ら ざ るは勿 論 の事 な るべ けれ ども、 此 等 魑 多 の 利 益 の 中 に て尤 も大 切 な る利 益 、即 ち利 益 の利 益 と も称 す べ き は 、社 会 学 研 究 の結 果 と して 、 番又&藩泥罷鞭 甚註曇あ釜島£翻 鶴 是盤 良ミ、徒名そ革読}韻ぞ級 各島鹸 題 見そ荷量 に よ らず 能 く偏 僻 の過 失 を免 かれ 得 る こ と、 即 ち 是 れ な り。 吾 人 の最 も陥 ゐ り易 きは 偏 僻 の過 失 な り。 如 何 に有 限 な る人 心 の常 と は云 へ 、偏 僻 程 人 々 の 陥 ゐ り易 き過 失 は少 か るべ く、 又 偏 僻 程 社 会 に損 害 を及 ぼす もの は少 か るべ し。 是 れ 蓋 し吾 人 の 限 界狭 隆 に して 事 物 の全 局 を洞 観 す る こ と能 は ざ るに 因 る な るべ し。 今 社 会 学 は人 間 社 会 全 体 に関係 す る 学 問 に して 、 社 会 の 凡 て の現 象 を ば一 も漏 す こ と無 く、 凡 て 之 を 網羅 し、 之 を分 類 し、彼 此 の 問 の 関係 を探 り、 自他 の 間 の秩 序 を 究 め 、以 て一 見 錯 雑 な るが 如 き社 会 を して整 然 た る一 有 機 体 た る の実 相 を 呈 出せ しむ る も の な り。 凡 て の制 度 即 ち社 会 を組 織 す る凡 て の要 素 の性 質変 遷 等 を個 々別 々 に研 究 す るに 止 ま らず 、進 ん で 此 等 要 素 の相 互 の 交渉 如 何 を研 究 し、 又進 ん で 此 等 要 素 の綜 合 的 趨 勢 を研 究 す る もの な り。 即 ち先 づ 此 等 要 素 の 趨勢 を帰 納 的 に研 究 して 以 て社 会全 体 即 ち 社 会 其者 の 目的 を発 見 し置 き、 次 き に 社 会 の 凡 て の 要 素 を ば 如何 に して最 も速 か に此 の 社 会 全 体 の 目的 に 向 つ て進 捗 せ しむ べ きや を研 究 す る もの な り。 故 に 吾 人 に して若 し社 会 学 の何 物 た る を了 解 し其 精 神 に感 化 せ られ な ば 、吾 人 は何 事 を為 す に 当 りて も 必 ず 先 づ 事 物 の 四 方 八 方 を 眺 め て其 関係 如 何 を探 り、 全 局 の 動 静 を 察 して後 に或 は 己れ の 学 説 を立 て 或 は 己れ の 行 為 を始 む るに 至 る べ く、従 つ て 粗 忽 偏 僻 の過 失 に陥 ゐ るを免 れ得 べ し。 之 を喩 ふ れ ば恰 も囲 碁 を学 ぶ が 如 けん 。 た とへ ば社 会 学 てふ 定 石 を知 らざ る間 は、 吾 人 は 社 会 て ふ碁 盤 に 向ひ 石 を下 す に 当 りて も、 僅 か に一 局 部 の 動 静 を 見得 る のみ に して 、 此 の局 部 と他 の 局 部 との 関係 を洞 観 す る こ とを知 ら む ざれ ば、 前 後 左 右 を 見 合せ て打 つ と云 ふ こ と能 は ざ るべ し。 社 会 学 を 知 るは 恰 も定石 を覚 ゆ る が如 し。 一 度 定石 を覚 え得 て 後 は 、 一 石 を 下す に 当 り全 局 は常 に 明 か に眼 前 に 横 は るが 故 に 、偏 僻 の為 め に 己れ の石 を殺 し、 辛 苦 を 以 て 水泡 を 買ふ が 如 き こ とあ ら ざ るべ し。 今 社 会 学 研 究 の利 益 、 即 ち偏 僻 を避 け得 る利 益 を学 術 研 究 上 と社 会 革 新 上 との 両 方 面 よ り考 へ 見 ん と す。 第 一 、学 術 研 究 に対 す る社 会 学 研 究 の利 益 一 科 学 専 門家 の最 も陥 ゐ り易 き弊 害 は 、 己れ が専 攻 す る 科 学 を 凡 て他 の科 学 に優 りて 面 白 く又 肝 要 な り と思惟 し、従 つ て凡 て 此 等 の科 学 を 、 言語 に於 て に あ ら ず ん ば 事 実 に於 て 、軽 蔑 す る の傾 向 あ る こ とな り。 見 よ形 而 下 学者 と形 而 上 学 者 とは 互 に 相反 目す るの 傾 向 あ るに あ らずや 。 又 形 而 下 の諸 科 学 者 の 問 に 於 て も、 或 は形 而 上 の諸 科 学 者 の 間 に 於 て も 、 各 自互 に軋 礫 す るが 如 き傾 向 あ る に あ らず や 。 見 よ唯 物 論 者 と唯 心 論者 の争 論 を。 見 よ心 理 学 者 と哲 学 者 との 抵 触 を。 見 よ哲 学 者 と宗 教学 者 との不 和 を。 見 よ宗 教 学 者 と物 理 学者 との喧 嘩 を。 見 よ物 理 学 者 と生 物 学 者 との 弁 難 を 。 帰 す る処 皆 是れ 我 田 引水 よ り起 れ る課 闘 に あ らず して何 ぞや 。 一 局 部 に 偏 して 全 局 面 を忘 る ンよ り生 じ来 れ る衝 突 に あ らず して 何 ぞ や 。 此 等 凡 て の 科 学 を して各 々 其地 位 に安 ん ぜ し め其 任 務 を全 ふ せ しめ て 、 而 も相 互 の 関係 を して 円滑 親 密 な ら しむ るは 、 是 れ 正 さに 社会 学 研 究 の 功 徳 な り。 見 よ社 会 学 の証 明 に よ りて 、 吾人 は始 め て今 日迄 人 々 が棄 て ㌻顧 み ざ り し事柄 に も 、之 を研 究 す る の価 値 あ る こ とを悟 り得 る に至 れ るに あ らず や 。 た とへ ば吾 人 の 間 に存 ず る古 き神 話言 伝 の研 究 の 如 き 、又 野 蛮朦 昧 な る人 種 の性 質 思 想 の研 究 の如 し。 是 れ 皆 人 類 進 化 の事 実 を 研 究 す るに於 て必 要 欠 くべ か らざ れ ば な り。 是 に於 て 乎 吾 人 は 云 は ん とす 、 社 会 学 は 凡 て の真 理 は神 聖 な る こ と を証 明す る も の な り と。 一233一 「 『人 生 地 理 学 』 補 注 」 補 遺(第1回) 第 二 、 社 会 革新 に 対 す る社 会 学 研 究 の利 益 一 社 会 は革 新 せ られ て 進 歩 を速 か にす る も の なれ ば 、何 れ の 国 又 何 れ の 代 に も革新 者 を要 せ ざ る は無 し。 或 は政 治 上 の 革 新 者 を要 し、 或 は教 育 上 の革 薪 者 を要 し、 或 は 道 徳 上 の 革新 者 を要 し、又 或 は宗 教 上 の 革 新 者 を要 す 。 只 此 等 諸 種 の革 新 者 の最 も陥 ゐ り易 き 通 弊 は 、 彼 等 の 眼 界狭 き が為 め に、 革 新 す べ き事 柄 が 他 の事 柄 に及 ぼ す 影響 の利 害 如 何 を看 破 す る こ と 能 は ず 、 又 彼 等 の 眼 力 弱 く して 、其 の 革 新 が 将 来 に来 た す べ き結 果 の 善 悪如 何 を予 測 す る こ と能 はず 。 之 が 為 め に 非 常 な る害 毒 を社 会 に及 ぼ す か 、 或 は そ れ 迄 に至 ら ざ る も、 折角 の革 新 事 業 を して 十 分 の功 績 を 呈 す る こ と能 は ざ ら しむ る こ と往 々 之 あ り。 既 往 は 追 ふ べ か らず。 只 将来 の革 新 者 た るべ き もの は 宜 し く此 等 の 点 に 注意 せ ざるべ か らず 。 た とへ ば 将 来 の 政 治 的 革 新者 た らん も の は、 決 して 一 時 の利 益 に 眩 惑 して 百 年 千 年 の 大計 を過 つ が 如 き改 革 を 為 す べ か らず 。又 之 が為 め に教 育 宗 教 其 他 の 事 業 が 永 久 に損 害 を 蒙 む る が 如 き恐 れ あ らば、 如 何 に 政 治 の 為 め に は便 益 な る に もせ よ 、此 種 の 革 新 は 断 然 之 を放 郷 す るの 覚 悟 な か るべ か らず 。 而 して 此 の 見 識 と勇 気 とは何 処 に 於 て 之 を求 め得 べ きや 。 社 会 全 体 の 現 象 を綜 合 的 に研 究 し、又 過 去 現 在 将 来 を一 貫 す る社 会進 化 の原 則 を 究 究 す る社 会 学 は 、 正 さに 此 の場 合 に 於 て全 局 の 智識 と将 来 の予 測 とに 関 し必 要 な る扶 助 を 与ふ る もの に して 、是 れ 社 会 革新 事 業 に 対 す る 社 会学 の利 益 に外 な らざ るな り。 岸 本 能 武 太 前 掲 文 章 が 主 張=説 得 した か った 主 題 は、 要約 すれ ば 、 こ うい うこ とに な ろ うか。 す な わ ち 、富 裕 な資 本 家 た ちが飽 食 暖 衣 の 限 りを尽 く し便利 快 楽 の極 み を尽 く して い る社 会 現 実 しか の存 在 す る一 方 に、 貧 しい 労働 者 た ち は終 年 終 日骨 を折 り汗 を流 して働 きつ づ け て 而 も正 当 に 富 の幸 福 を得 られ ず 困窮 の うち に空 死 せ ざ る を得 な い 社 会現 実 が 明 らか に存 在 して い る 、そ れ ゆ え、 この不 公 平 や 矛 盾 を解 決 瓢救 済す べ く 「 社 会 改 良 」 をめ ざ して 「 社 会 主 義 」 運動 が生 起 した の は ま こ とに理 路 で あ り、 自分 もひ と りの人 間 ひ と りの信 仰 者 と して 「 社 会 主 義 」 の実 際 運 動 を推 進 してや ま ない のだ が、 た だ し、ひ と りの学 究 ひ と りの知 識 人 とい う立 場 に戻 っ て考 え る とき 、 げ ん に 自分 が研 究=追 究 して い る 「 社 会 学 」 の 理 論 は あ くま で学 問 瓢学 理 に と どま る ほ か な い の で あ る 、結 局 の とこ ろ 「s。ciologyは社 会 に関 す る学 問 た るに過 ぎず 」 とい う言 い か た しか 出来 な か ざ しも い が 、 そ う言 っ た か ら と い っ てsociologyがsocialismの べ に 風 下 に立 た され る の で は な い。 あべ こ 「ソー シ ヤ リズ ム の 抱 負 、 性 質 、 価 値 等 の 研 究 は 云 は ゴ ソ シ オ ロ ジ ー の 一 局 部 を 形 造 る 」 の で あ る 、 な ぜ な らば 社 会 学 は あ ら ゆ る 学 問=学 説 に 不 可 避 の 偏 僻(一 ギ ャ ク しき 九 八 〇年 代 九 〇 年 代 の マ ス ほぼ コ ミ関係 者 が 軽 口式 に濫 用す る 「 独 断 と偏 見」 とい う用 語 に略 近 い けれ ど、岸 本 の 場 合 は も っ と 学 問 的 な意 味 で`bias'の 訳 語 に 当て て い る こ とに注 意 せ よ)を 取 り除 い て くれ る し、 さ ら に学 者 が 陥 りが ちな 唯 我独 尊 の思 い 上 が り心理 や 退 嬰 保 守 気 分 を修 正 し真 義 で の社 会 革 新 事 業 に 寄 与 す る こ とが 出 来 るか らで あ る、 と。 ヘ ヘ ヘ 斯 くの ご と く要約 し得 る岸 本 『社 会 学 』の 理論 的 姿勢(目 ヘ ヘ ヘ へ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ へ 下 の論 題 に即 して い え ば 、 「 社 会 主 義 」 に 向 か い合 う場 合 の 「 社 会 学 」 の位 置 関係 とい うふ うに パ ラ フ レー ズ ヴァー サス 言 い 替 え して お い て差 し支 え ない が)は 、そ の ま ま 、牧 口 『人 生 地 理 学』 にお け る 《社 会 学vs, 社 会 主 義 》 の 思 想 的対 処 方 式 を描 出 してみ せ て い る 、 と見 倣 す こ と も可能 で あ ろ う。 な ん に して しん じっ かる がる も、"若 き牧 口"が 岸 本 社 会 学理 論 に親 泥 し且 つ 精 通 す る に到 っ た 精神 形 成 史 を軽 々 し く見 て は な らな い とお も う。 た しか さて 、 以 上 の重 大 事 実 を 検 め得 た あ との 、 本 補 注 の 引 き負 うべ き残 務 作 業 と して 、 明治 前 期 中 期 に 到 るま で の 日本 近 代 社 会 文化 全 体 の流 れ の なか で 「 社 会 主 義 」 の術 語=概 念 が どの よ うな 一234一 創 価教育 第5号 "あ らわ れ か た しる "を 見 せ 且 つ どの よ うな"受 け入 れ られ か た"を 印 した か 、 とい うテ ー マ につ い て の 追 求 をお こな わ な けれ ば な らな い。 しか し、幸 い に も と称 す べ きか 不 幸 に も と称 す べ きか 、 この テ ー マ に 関 して はマ ル クス 主 義 陣 営 に 属す る御 用 著 作 家 に よ って公 刊 され た著 作 物 が そ れ こ そ 山積 して い る(と い うの も、 従 来 、 共 産 党 も し くは社 会 党 の お 墨 付 き を頂 戴 した著 述 家 以 外 に サンプル は この テ ー マ で執 筆 す る こ とを許 され な か っ た か らで あ る)の で 、 そ の うち の どれ を 《見 本 》 に 引 い て お い た らい い か 、却 って 困 惑 す る く らい で あ る。 本 補 注 執 筆 者 な りに勘 考 を重 ね た 結 果 、 ヘ ヘ へ しか 如 上 の お 墨付 き刊 行 物 の 中 に あ っ て而 も所 謂"冷 戦 構 造 終 焉"な へ ヘ っ て さ え 比 較 的 に(残 ヘ ヘ い し"ソ 連 邦 崩 壊"以 へ 後 とな も 念 で あ る が 、 比 較 的 にrelativelyの はや 形 容 副 詞 を 取 り払 う こ とは 最 早 二 度 とき ふ るい と 出来 ない)公 平=客 観 的 な学 問記 述 で あ りつ づ け る(従 っ て 、 時 の 飾 に 堪 え て今 後 も生 き延 び るで あ ろ う と ころ の)秀 作 と して 、 細川 嘉 六監 修/渡 部 義 通 ・塩 田庄 兵 衛 編 『日本 社 会 主 義 文 献 解説 』(一 九 五 八 年 二 月 、大 月 書 店刊)を 挙 げ る の が、最 も良 策 で は な い か との結 論 を得 た 。 も と も と 《文献 解 題 》annotationの propagandaを 役 目を果 た す べ く書 か れ た著 作 で あ り決 して 《プ ロパ ガ ン ダ》 目的 と して無 根 拠=無 責 任 な煽 動 的 な 言 辞 の あ りっ た け を書 き 並 べ た 印 刷 物 で は ヘ ヘ ヘ へ なか った の だ か ら、批 判 や 淘 汰 に も堪 え得 る の は 当 た り前 だ 、 と言 って しま え ばそ れ ま で だ が 、 ほん と うは 、 この 書物 の初 版 原 型 が つ く り上 げ られ て ゆ く過程 にお い て 戦 時 下特 高 警 察 の あの 冷 ヘ ヘ ヘ ヘ へ なみ だ 酷 残 忍 な弾 圧 の手 を掻 い く ぐる 泪 ぐま しい 努 力 が積 み重 ね られ て あ り、 そ の努 力 あ っ て こそ 、 第 二 次 大 戦 後 の新 版 が素 晴 しい 出来 ば え を示 す こ とも あ り得 た し、 い ま ま た 、斯 く冷 戦 構 造 終 焉 後 の厳 正 な る淘汰 に堪 え て生 命 を保 ちつ づ け る こ とも あ り得 た の で あ る。(こ の こ とは、わ れ わ れ に対 して 、 どの よ うな著 作 活 動 が 時 間 の淘 汰 に堪 え て後 世 まで 生 き残 り得 るか、 とい う問 題 につ い て"教 訓"を 与 え て くれ てい る よ うな気 がす る。) 戦 後 新版 の 『日本 社 会 主義 文 献 解 説 』 の巻 頭 に は細 川 嘉 六 「 監 修者 序 」 と渡 部 ・塩 田 「 編者の こ とば」 が 掲 げ られ て あ る。 まず 「 監 修者 序 」 に傾 聴 しよ う。 「 本 書 は 、す で に二五 年 前 、『日本 資 本 主 義 発 達 史講座 』 の一 分 冊 と して 刊行 され た拙 著 『日本 社 会 主 義 文 献解 説 』 を継 承 し、 発 展 させ た も ので あ る。/今 度 の この仕 事 に は 、豊 か な 将 来 を もつ 十 数 人 の 学 究 の 献身 的 な協 力 を え、 じつ に二 年 有 余 の 日子 が費 され た 。 これ らの 人 は 、各 自多 忙 な 自分 の研 究活 動 の なか か ら最 大 限 に時 間 を捻 出 せ られ 、 い うまで も な くこの 著 作 か らの報 酬 な どは 全 く度外 視 され て 、 文 字 どお り の献 身 に よ って 参加 され た もので あ る。 い か な る 困難 を も、 これ を排 して進 まれ ん とす る、 これ らの人 の緊 密 な協 力 の も とに本 書 が 成 っ た こ とを 、私 は 心 か ら誇 りに思 っ て い る。/二 五 年 前 の 私 の述 作 は、 も と大原 社 会 問題 研 究 所 で公 刊 した 『日本 社 会 主 義 文 献 ・第一 輯 』 を土 台 に し、 こ れ を さ らに深 め、 日本 に お け る社 会 主 義 思想 の 流れ を正 し く追 及 せ ん と した もの で あっ た 。 旧著 で右 の事 実 を あ えて 明示 しな か った のは 、 当 時 の事 情 か ら して 累 が 他 にお よぶ の を、 特 に大 原 社 研 の先 輩 ・同僚 の 諸 氏 に お よぶ の を、 お そ れ た か らで あ っ た。 と りわ け、 い ま想 起 され るの は、 物 故 した大 原 社研 図 書館 主任 内藤 赴 夫 君 の こ とで あ る。 当 時 のそ の仕 事 に、彼 は非 常 な 努 力 を傾 注 され た。 本 書 が 成 るに つ い て も 、 こ うした源 流 が脈 々 とつ た わ り成 長 して き た も ので あ る こ と を銘 記 す べ き で あ ろ うと思 う。」 と細 川 は言 う。書 写 しな が ら、担 当者 は 、お もわず 、胸 に込 み 上 一235一 「 『人 生 地 理 学 』補 注 」 補遺(第1回) げ て くる もの を抑 えか ね た 。つ ぎに 「 編 者 の こ とば」 に聴 こ う。 「こ こに刊 行 す る 『日本 社 会 主 義 文 献 解 説 』 は 、 一 九 三 二 年 に 細川 嘉 六 氏 が上 梓 され た 同名 の 労作 を継 承 して成 った もの で あ る。 ママ /お よそ歴 史 的 研 究 に と って 前 提 的 な 手続 き の一 つ は、 資 料 ・文 献 の存 在 状 況 と性 質 とを知 る こ とで あ る が、 細 川 氏 の 労 作 は 、 そ の 点 で 日本 の社 会 思 想 史 お よび運 動 史 の研 究 上 に 測 り知 れ な い 便 益 を あた えて きた の で あっ た 。 そ れ は ま た 、諸 文 献 が 、 それ を 生 み だ した時 代 に 占め て い た理 論 水 準 や 意 義 を評 価 しな が ら 『日本 に お け る社 会 主 義 思想 の発 展 』 を追 及 してい る点 で も、 異 色 あ る画 期 的 な 『解 説 』 で あっ た 。 しか もそ の後 今 日まで 、類 書 を他 に み な か った 点 で も、独 自の 意 義 を もちっ づ けて きた 。/一 九 五 五年 春 ごろ 、当 時 『日本 社 会 運 動 史 年表 』(国 民文 庫既 刊)の 編 集 を進 めて い た われ わ れ の 間 に 、 細川 氏 の業 績 をひ きつ い で 、少 な く とも敗 戦 前 の 体 系 的 な 文 献 解 説 書 を 出版 しよ う とす る企 て が お こっ た。 氏 の 旧 『解 説 』 は 、 当 時 の社 会 事 情 の た め に 一 九 二 八年 初 頭 ま で の文 献 にお わ っ て お り、以 来 四分 の一 世 紀 以上 を経 過 して 、続 篇 の 刊 行 が ひ ろ く 学界 や 一 般 か ら要 望 され て きた の に 、 そ の需 要 はみ た され て い な い し、 しか も この仕 事 の性 質 が 『年 表 』 の作 成 と大 い につ らな っ て い た か らで あ る。 こ うして われ われ は細 川 氏 に は か り、 氏 の 監修 を お願 い して こ の仕 事 に と りくん だ の で あ っ た。」 斯 か る経 緯 を踏 ま えて 作 成 され た が ゆ え に 、こ の 『目本 社 会 主 義 文 献 解 説 』一 冊 は比 較 的 に(編 者 は 「目本 にお け る社 会 主 義 思 想や 理論 が よ り科 学 的 な ものへ 一 マル ク ス主 義 へ発 展 して き た 過 程 を 、運 動 と文 献 の 関連 か ら見 つ め うる よ うに編 集 す る こ と」 に特 に力 点 をお い た 、 と書 い て い る歴 史観 は 、や がて 破 産=崩 壊 を迫 られ る こ とに な った)公 平 瓢 客観 的 な学 問 記 述 で あ りつ づ け る余 地 を残 した。以 下 、 「 概観 」の記 述 の うち、 「1一 八 六 八(明 治 元)一 一 九 一 一(明 治 四 四) 年/自 由 民権 一 社会民主党 平 民社 一 幸 徳 事 件 」(執筆 者 は藤 井 松 一 ・大原 慧)を 引 用 す る が 、 この 「 概 観 」 もま た比 較 的 に公 平=客 観 的 な ス ケ ッチ に な り得 て い る との当 方 判 断 に拠 っ て い る、 明 治年 代 に お け る 「 社 会 主 義 」 の理 論 と運 動 は、 だ い た い 、 これ に て過 不 足 無 く描 写 し得 て い る と言 っ て よ い の で は ない か とお も う。 1 明 治維 新 に よ っ て 、 日本 は封 建 国家 か ら近 代 的 国 家 へ の転 換 の第 一 歩 をふ み だ した 。 そ の 変 革 は も と よ り、封 建 的 土 地 制度 を徹 底 的 に廃 棄 し、 新 しい 階 級 の 手 に権 力 を うば い とる とい う意 味 で の ブ ル ジ ョ ア 革命 で は な か っ たが 、 近 代 資 本 主 義 国 家 へ の 出発 点 として の歴 史 的意 義 を もつ もの で あ っ た。 一 八 六 八 年(明 治元)徳 川 幕 藩 体 制 は崩 壊 し 、 絶 対 主 義天 皇 制 政 府 が うまれ た が 、 この 明 治 専 制 政府 に 対 す る闘 い は 、 い わ ゆ る 自由民 権 運 動 と して 、 明 治 七 年 の 土佐 立 志 社 を 中 心 とす る国 会 開設 請 願 運 動 を起 点 に 、 貧農 ・都 市 貧 民 を は じめ、 ひ ろ く国 民 各 層 をま き こ み展 開 した。 藩 閥専 制 政 府 内 部 の 反 対 派 で あ る板 垣 らに よっ て 口火 を切 られ た この 自 由民 権 運 動 は 、 多 くの 限界 を も ち な が らも、 そ の 本 質 に お い て は 、 わ が 国 に お け る最 初 の ブル ジ ョア 民 主 主 義 運 動 で あ っ た。 こ の 自由 民権 運 動 をっ うじて 、 ブ ル ジ ョア 民 主 主義 的政 治 思 想 が 発 展 し、 そ れ は しだ い に革 命 的 民 主 主 義 思想 に 高 ま って い っ た 。 す で に 福 沢諭 吉 、西 村 茂 樹 、西 周 ら 「 明 六 社 」 同人 に よっ て 、先 進 欧 米 諸 国 の民 主 主 義 思想 が 輸 入 ・ 紹 介 され た が 、 そ の天 賦人 権 論 ・立憲 政 治 理 論 お よび 国 民 主権 論 は 自由 民権 運 動 の思 想 的 支 柱 を なす も の で あっ た(福 沢諭 吉 著 『学 問 ノ ス ス メ』、 加 藤 弘 之 著 『真 政 大意 』 な ど)。 自由 民権 運 動 は 、 民 撰 議 院 設 立 の 要 求 を もっ て 出発 した が 、人 民 の言 論 ・集 会 ・結 社 ・信 仰 ・思想 ・学 問 の 自 由な ど、 ひ ろ く絶 対 一236一 創価教育 第5号 主 義 専 制 支 配 に 対 して 、 ブ ル ジ ョア 民 主 主義 の実 現 を も とめ る 国民 的 闘 争 へ と発 展 した。 そ の 闘 い の 中 に、 人 民 主 権 や 共 和制 の 思想 が 、 ま た 人 民 の革 命 権 ・抵 抗 権(圧 制 政 府 を顛 覆 す る権利)の 思 想 が 自由 え もり 党 左 派 の 理論 的指 導 者 、植 木 枝 盛 や 中江 兆 民 らに よっ て掲 げ られ た こ と を見 お とす こ とは で き ない 。 明 治 一 四 年 以後 、 政府 の デ フ レー シ ョン政 策(松 方 大 蔵 卿 の 紙 幣整 理 政 策)を テ コ とす る原 始 的 蓄 積 の 強 行 の 中に 、 自由 民 権運 動 は 、 い わ ゆ る 「 上 流 の民 権 派 」 を の りこえ て 発 展 し、農 民 ・都 市 貧 民 を主 力 とす る 「 激 化 の諸 事 件 」(福 島 ・群 馬 ・加 波 山 ・秩 父 ・飯 田 ・静 岡 な ど)が あ いっ いで 起 っ た が 、そ の 過 程 で 、ロ シ ア にお け るい わ ゆ る 「 虚 無 党 」=ナ ロー ドニ キ(人 民 主義 者)の 思 想 や 運 動 が 紹介 され た 。 そ れ は 自由 民 権運 動 に 大 き な影 響 を あ た え 、そ の 中 か ら、 明 治 一 五年 樽 井 藤 吉 らの 「 東洋 社 会 党 」 が 生 ま れ た こ とは 注 目に あ た いす る。 明 治 一 四 年 一 〇 月 、 わ が 国 に お け る最 初 のブ ル ジ ョア民 主 主 義 の た め の 単 一 政 党 た る 「自由党 」 が 結 成 され た が 、 そ の 中核 で あ っ た 改 良 主義 的 ブル ジ ョア ジー ・地 主 層 は 、 闘 争 の 激 化 の ま え に戦 線 か ら離 脱 し、 絶 対 主 義 権 力 との 妥 協 の道 をす す ん だ。 しか し、 民 権 左 派 に指 導 され た 民 衆 は 、 自由党 幹 部 の こ の 妥 協 を の りこえ 、 は じめ て 人 民 主権 の思 想 を うちた て、 人 民 革 命権 の 思想 に 到 達 した。 こ の指 導 者 が 士 族 イ ンテ リ、 あ るい は 豪農 ・豪 商 ら半封 建 的 階 級 の 出身 で あ り、 そ の 階 級 的 弱 さが 多 くの面 に あ らわ れ 、 闘 争 の 発 展 を 妨 げ た 点 もあ る とは い え 、彼 らが 国民 的 闘 争 の 過程 で 、 この 革命 思想 と全 国的 政 治 闘 争 を、 は じめ て わ が 国 民 の なか に育 て た こ との歴 史 的意 義 を無 視 す る こ とは で きな い。 明 治 六 年 に は じま る地租 改正 事 業 を テ コ として な され た 、 政 府 の保 護 育 成 政策 に よ る急 激 な資 本 蓄 積 の 不 均 等 は 、官 営 な い し政 商 的 特権 資 本 の軍 事 工 業 と零 細 マ ニ ュ フ ァ クチ ュア との 共 存 を 必 然的 に した 。 そ して 、 マ ニ ュフ ァク チ ュ ア な い し零 細 工業 にお け る広 範 な労 働 者層 が 、原 生 的 な 労働 関係 の も と に全 く無 組 織 の ま ま に放 置 され てい た こ と、ま た さ らに 、膨 大 な 農 村過 剰 人 口が半 プ ロ レタ リア 的 な潜 在 的 ・ 停 滞 的 失 業 状 態 に お かれ て い た こ とが 、 労 働者 の 家 計補 充 的 ・出稼 的 性 格 を規 定 した。 この よ うな 工 場 労働 者 の 中 で圧 倒 的 な比 重 を しめ る女 子 労 働者 は 、 短期 の 「 出稼 工女 」 と して 農 村 か ら工 場 地 帯 へ と流 出 した。 した が っ て 、 き わ めて 流 動 性 が 高 く、 そ の こ とは 彼 女 らの き わ めて 低 劣 な 労 働 条 件 を 規 定 す る条 件 で あ っ た。 だ が 、 明治 一 九 年 の 甲府 山 田町 雨 宮 生 糸 紡 績 女 工 の ス トライ キ をは じ め と して 、 長 時 間 労働 と賃 金切 り下 げ に対 して 、女 工 の争 議 が た た か わ れ た こ とは 、 た とえ 自然 発 生 的 な もの で あ る とは い え 、特 筆 す べ き こ とで ある。 ま た 一 方 、 各 地 の 炭 坑 お よび鉱 山 に お け る奴 隷 労 働 的 な 苦 役 をめ ぐる 騒擾 ・反 抗 がす で に明 治 初 年 い らい 生 野 銀 山や 佐 渡 金 山 に発 生 した。 これ ら鉱 山労 働 者 の騒 擾 の な か で もっ と もは げ し く、か つ また 、 広 く社 会 の 関 心 の 的 とな っ た もの は 、 明治 五 、 一 二 お よび 二 〇 年 の 三 回 に わ た っ て 勃発 した高 島炭 坑 坑 夫 の 暴 動 事 件 で あ る。 三 宅雄 二 郎 主 宰 の反 欧化 主 義 団体 た る 「 政 教社 」 の機 関誌 『日本 人 』 は、 は じめ て高 島炭 坑 問題 を と りあ げ 、 そ の 坑 夫 虐 待 の実 況 を暴 露 し、 「 三 千 の奴 隷 を 如 何 に す べ き や 」(第 九 号) 「 輿 論 は 何 に が 故 に 高 島炭 砿 の惨 状 を冷 眼 視 す るや 」(同 号)と 訴 えた 。 自 由民 権 運 動 に 対 す る 弾圧 と原 始 的 蓄積 の強 行 の うち に、 明 治 二 三年 に は 明 治 憲法 の成 立 と帝 国 議 会 の開 設 と と も に天 皇 制 絶 対 主 義 は 、 半封 建 的土 地 所 有 制 度 を固 有 の 基礎 と し、 特 権 大 ブル ジ ョア ジー と 国家 資 本 を支 柱 と して 確 立 した が 、 そ の年 は ま た 同時 に、 わ が 国 に お け る最 初 の 資本 主義 恐 慌の 勃 発 し た年 で あ った 。 この 時 期 を 画 期 と して 近代 的社 会 問題 ・労 働 問 題 が あ らわ れ は じめ た が 、以 上 の よ うな 原 始 的 蓄 積 期 にお い て 拾頭 した 自然発 生 的 な社 会 運 動 ・労 働 運 動 は 、 そ れ 自体 、 明治 三 〇年 以 降 に展 開 され た近 代 的 労 働 運 動 へ の 先 駆 的 意 義 を もっ とはい え 、 まだ 社 会 主 義 運 動 とい うこ とは で き ない 。 な ぜ な らば、 当時 にお い て は ま だ 社 会 主 義 が運 動 の指 導 的 理 論 とは な らず 、 プ ロ レ タ リア ー トの歴 史 的 使命 が 自覚 され る には い た っ て い な か っ た か らで あ る。 明 治 一 五 年 、 お よび 明 治 二 二 年 に そ れ ぞれ 「 車会党」 と 「 同 盟 進 工組 」 が 結 成 され た が、 そ れ は い ず れ も古 い タイ プの 手 工 業 的 職 人 の 指 導 の も とにつ く られ た 、 小 生 産者 的 意識 の 抜 け ぬ 同業 組 合 的 性 格 の も の で、 まだ 近 代 的 労働 組 合 とい うこ とはで き な い。 明治 二 三 年 議 会 政 治 の 開 始 と と もに 、 か つ て 自由 と民主 主 義 を め ざ して た た か っ た 自由党 は、 急 速 に そ の革 命 性 を否 定 しつ つ 、 改 良 的 ブ ル ジ ョア ジー と寄 生 地 主 と の同盟 が 主 導 権 をに ぎ り、板 垣 らブ ル ジ 一237一 「 『人 生 地 理 学 』 補 注 」補 遺(第1回) ヨア 的上 流 民権 派 の妥 協 的 色 彩 が 露 骨 とな って い っ た が 、植 木 枝 盛 、 中江 兆 民 の流 れ を くむ左 派 下 流 民 権 派 の急 進 ブル ジ ョア 自 由主 義 者 は 、労 働者 階級 を め ぐる新 しい 社 会 問題 の発 生 に 関心 を寄 せ は じ めた 。 そ の よ うな 中 か ら、 自由党 左 派 の領 袖 で あ る大 井 憲 太 郎 は 、 明治 二 二 年 一 二 月 『あづ ま新 聞』 を創 刊 し て 労働 問題 を論 じた が 、 明 治 二 四 年 に は 自由党 を脱 党 して 「 東洋 自由 党 」 を結 成 す る にい た っ た。 東 洋 自由党 が 創 立 され る と、党 の 政 綱 を 実 現 す る た め 、 「 普 通 選 挙 期 成 会 」 「日本 労 働 協 会」 「 小作条例 調 査会 」が 組織 され た。 同 党 は 、 「 そ の 綱 領 に は財 政 を整 理 し、 国家 経 済 の許 す 限度 に 従 ひ 、漸 次 民 力 の 休 養(殊 に労 働 者 の 保 護)を 為 す こ と等 の文 字 あ りた りき 」(片山潜 ・西 川 光 二 郎 共 著 『日本 之 労 働 運 動 』) とい わ れ る よ うに 、労 働 者 保 護 を綱 領 に採 用 した 最 初 の 政 党 で あ っ た。 そ の 「 貧 民労 働 者 の保 護 」 とい う形 の 労働 運動 と普 選 運 動 とが ま だ本 格 的 な運 動 を こ ころ み る に い た らぬ うち に 、 同党 は 明 治 二 六 年 一 二 月 に解 散 した。 それ は、 小 ブ ル ジ ョア 急進 主義 が労 働 運 動 に転 換 して ゆ く過 渡形 態 で あ った 。 これ らの 自由党 左 派 の指 導 に よ る諸 政 党 の運 動 は 、いず れ も特 異 な 歴 史 的 地 位 を しめ る もの で あ るが 、 社 会 主 義 運動 の 出発 点 とみ る こ とはで きな い 。なお 、東 洋 自由党 の結 成 と年 を 同 じ く して 、酒 井 雄 三 郎 、 大 道 和 一 、佐 藤 勇 作 らに よ っ て、 わ が 国 最 初 の 「 社 会 問題 研 究 会 」 が つ く られ て い る。 す で に の べ た よ うに 、 明治 一 〇年 代 後 半 か ら二 〇 年 代 後 半 に か け て の社 会 運 動 ・労 働 運 動 は 、 い ま だ 社 会 主 義 を そ の 指 導理 論 とす るに は い た っ てい な いが 、 先 進 欧 米諸 国 か らの社 会 主義 思 想 の輸 入 ・紹 介 あ るい は 独 自の研 究 は 、 明 治 一 四年 ごろ か ら行 われ は じめた 。 この 時期 に お け る社 会 主義 思 想 の 宣 伝 ・ 流 布 に大 きな 役 割 をは た した もの は 、徳 富 蘇 峰 の主 宰 す る 「 民 友社 」 の ∼ 派 、 中 江 兆 民 の一 派 、 お よび 自 由党 左 派 で あ る。 明 治 一 四 年 四 月 、 小 崎 弘道 の 「 近世 社 会 党 ノ原 因 ヲ論 ズ 」 を掲 載 した 『六合 雑 誌 』 は 、ユ ニ テ リア ン 派 プ ロテ ス タ ン ト教 会 の 宣 伝 雑 誌 と して創 刊 され た が 、そ の後 キ リス ト教 社 会 主 義 の 立場 か ら社 会 主 義 思 想 紹 介 の 論 文 を数 多 く掲 載 し、 進歩 思想 の発 展 に貢 献 す る と ころ が 大 きか っ た。 な お こ の期 間 には 、 樽 井 藤 吉 の 『東 洋 の虚 無 党 』、西 河 通 徹 訳 『露 国虚 無 党 事 情 』、原 田潜 『自由提 綱 財 産 平 均 論 』、 中 江兆 民 主 宰 『政 理 叢 談 』 な どが あ らわ れ て い る が 、 わ が 国 の社 会 主 義 思 想 の 発 展 に もっ と も多 く貢 献 した も の は 、徳 富 蘇 峰 の 『国民 之 友 』 で あ る。 かれ は後 に は超 国家 主 義 者 に 変 節 した が 、 当 時 は 自 らの思 想 的 立 場を 「 平 民 的民 主 主 義 」 と よび 、 進 歩 的 思想 家 と して の役 割 を担 っ て い た 。 同誌 は社 会 主義 思 想 につ い て の数 多 く の、 しか も注 目す べ き諸 論 文 を発 表 し、 ま た 呼 民 叢 書 」 と して 例 えば 『現 時 之社 会 主義 』 を発 行 し、 多 くの 知 識 人 の 目を社 会 主義 に たい して 開 く役 割 を果 した の で あ る。 こ の よ うに、こ の期 間 に は、 自由民 権 思 想 か ら更 に 、社会 主義 思 想 の輸 入 ・紹 介 が 行 わ れ は じめ た が 、 それ は い ま だ一 部 の急 進 的 知 識 階 級 に よ る啓 蒙 ・普及 運 動 の域 を こ えず 、 社 会 主 義 思 想 は 労働 者 大 衆 を と らえ る ま で に は い た らなか っ た。 社 会 主 義 思想 が わ が 国 に根 づ き、 労 働 者 階 級 の解 放 の た め の理 論 と して よ うや く展 開 され は じめ るの は 、 目清 戦 争 後 をま た ね ば な らな い。 2 日清 戦 争 の勝 利 の後 、 よ うや く確 立 した 日本 の 資本 主義 は、 一 方 で は、 依 然 と して 半封 建 的 な 土地 所 有 制 度 を物 質 的 基礎 と しな が ら、他 方 で は 、 世 界 資 本 主義 の帝 国主 義 段 階 へ の発 展 に 照応 す る た め に 軍 事 化 を 強行 し、急 速 に帝 国主 義 の方 向 に す す ん だ。 日清 戦 争 は 、清 国 か らの賠 償 金 の流 入 とあ い ま っ て 日本 の資 本 主 義 を確 立 させ 、 綿 紡績 工 業 、 軍需 工 業 、 金 属 工 業 、 造 船業 な どを飛 躍 的 に発 展 させ る機 会 とな っ た。 しか し、軍 事 産 業 を 中心 とす る 戦後 諸 産 業 の 勃 興 と確 立 は 、 も とよ り賠 償 金 の資 本 化 だ けで は お い つ かず 、 さ らに地 租 増 徴 ・増 税 ・公 債 な ど に よ る労働 者 ・農 民 か らの収 奪 を前 提 として 遂 行 され た の で あ る。 こ の よ うな情 勢 を背 景 に 近 代 的 な 労 働 者 階 級 が発 生 し、 そ の組 織 が 形 成 され 、 資本 に たい す る新 た な 闘 争 が 開始 され た。 明治三〇年四月、「 職 工 義 友会 の激 」(職 工諸 君 に寄 す)を 出発 点 と して 、七 月 に は 「 労 働組 合 期 成 会 」 が 創 立 され 、 一 二 月 に は期 成 会 を母 胎 と して 「 鉄 工 組 合 」 が 結成 され た。 翌三 一 年 二 月 に は 、 上 野=青 森 間の 列 車 を完 全 に停止 させ た 歴 史 的 な 「 待 遇 改 善 ス トライ キ 」 が起 り、 こ の 闘争 の なか か ら 「日本 鉄 道 矯 正 会 」 が 生 れ た(四 月)。 八 月 に は 「 活 版 印刷 工組 合 懇 和 会 」 が 組 織 され た。 成 立 期 に お け る労 働組 合 の性 格 は 、 労資 協 調 に も とつ く職 能別 労働 組 合 で あ っ た が、 運 動 の発 展 は 、 一238一 創価教 育 第5号 た だ ち に社 会 政 策 立 法 の要 求 、普 通 選 挙 請 願 運 動 へ とす す ん だ。 一方 、 農 村 で は 、 地租 そ の他 の諸 税 の軽 減 、鉄 道 ・道 路 等 建 設 のた め の 不 当 な 土 地収 用反 対 、天 皇制 国家 に収 奪 され た林 野 と りも ど しな どの 要 求 が 全 国 い た る とこ ろ で 開始 され た 。 と りわ け、 「 足尾 鉱 毒事 件 」 は、 国家 権 力 な らび に特 権 的 ブル ジ ョア ジー に た いす る農 民 の 闘 い と して 、 労働 者 ・知 識 人 ・社 会 主 義 者 らの 支 持 を え て展 開 され た。 労 働 者 の 組 合 組織 化 な らび に 、農 民 闘 争 の 激 化 に 恐怖 した 山県 内 閣は 、明 治 三 三 年三 月 「 治安警察法」 を制 定 して 、 労 働者 ・農 民 の組 織 と運 動 を徹 底 的 に弾 圧 す る体 制 を整 え た が 、 労働 組 合 運 動 は、 はや く も社 会 主 義 思 想 と結 合 しは じめ た。 「日本 鉄 道 矯 正 会 」第 二 回大 会(明 治 三 四年 三 月)は 、組 合 員 に普 選 運 動 に参 加 す る よ う指令 す る と と もに 、 い ち はや く、社 会 主 義 的 立 場 を 宣言 した。 ま た 、 四月 三 日、 向 島公 園 で 政 府 の 弾圧 を け って 開 催 され た 「日本 労働 者 大懇 親 会 」 に は数 万 の 労働 者 が集 ま り、「 労働者保 護 、 幼 年 婦 人 労 働者 の保 護 、 労働 者 の完 全 無 料 教 育 、普 通 選 挙 権 、 毎 年 の 定期 集 会 の 開催 」 を政 府 に要 求 す る決 議 を 満 場一 致 で 採 択 した 。 社 会 主 義 理 論 の研 究 も 、 明治 三一 年 「 社 会 主 義 研 究 会 」 が設 立 され た こ とに よ って 本 格 的 には じ ま っ た 。 社 会 主 義 研 究 会 は 、 は じめ 「 社 会 主 義 の原 理 と これ を 日本 に 応 用 す る の可 否 」 を研 究 す る学 術 団体 として 発 足 し、 毎.月一 回 、サ ン=シ モ ン、 フー リエ 、 ラ ッサ ール 、ル イ ・プ ラン 、 プル ー ドン 、マ ル ク ス 、 ヘ ン リー ・ジ ョー ジ な どの 社 会 主 義 思想 を 紹介 した。 しか し、 当 時 に あ っ て は、 「 科学的社会主義」 と 「 空 想 的社 会 主 義 」 との歴 史 的 位 置 づ け、 「国家 資 本 主 義 」 と 「 社 会 主義 」 との 区別 さ え明 らか に され え ない 状 態 で あ り、また 、会 員 の な か に は 、キ リス ト教 徒 、社 会 主義 者 、そ の反 対者 、人 道 主 義 者 な ど、 さ ま ざま な 思 想 の持 主が 混 在 して い た 。 しか し、 学 術 団 体 と して発 足 した社 会 主 義 研 究 会 も、 労 働者 ・農 民運 動 の発 展 に刺 激 され 、 三 三 年 一 月 に は、 は や く も安 部磯 雄 の会 長 就 任 と とも に実 践 的 態 度 を と り、研 究会 を 「 社 会 主 義 協 会 」 と改 称 し た 。一 月 に は普 通 選 挙 の 問題 を論 じ、五 月 に は工 場 法 に関 す る討 議 を な し、 「 社 会 主 義 協 会 私案 」を 作 成 す る と と もに 、 工場 法成 立促 進 運 動 に積 極 的 に参 加 す る こ と を全員 一 致 で決 議 した 。 協 会 の 構 成 員 も学 者 を 中心 とす る団 体 か ら、 しだ い に社 会 主 義 者 中心 と な り、 労 働者 ・学生 ・新 聞雑 誌 記 者 等 の 参 加 が 多 くなっ て い っ た。 明 治 三 四 年 五 月 二 〇 目結 成 され た 日本 にお け る最 初 の 労 働者 政 党 「 社 会 民 主 党 」 は 、 この よ うな 社 会 主 義 理 論 研 究 の 発 展 と労働 運 動 の高 揚 とを背 景 に 組 織 され た もの で あ り、 そ の 「 宣言」は、社会主義理 論 研 究 成 果 の 日本 へ の適 用 の集 約 的 表 現 で あ った 。 社 会 民 主 党 は 、 民 主主 義 的 諸 要 求 を綱 領 に 掲 げ 、 暴 力 革 命 に反 対 し、 普選 運 動 を 当面 最 も重 要 な 任 務 と し、 議 会 主 義 に よ っ て平 和 的 ・合 法 的 に 社 会 主 義 社 会 を実 現 す る とい う、穏 健 そ の もの の 結 社 で あ っ た が 、即 日禁 止 され た。 労 働 組 合組 織 の 自由 を奪 わ れ 、労働 者 政 党 の 結 社 が 禁 止 され て い た に もか か わ らず 、社 会 主 義 思 想 は 、 こ の時 期 に か な り普及 ・発 展 した。 な か で も、 社 会 主 義 協 会 の 活動 は め ざ ま しく、 海 外 の 社 会 主 義 思想 をひ ろ く 日本 に 紹介 す る と と も に、明治 三 五 年 か ら三 六 年 にか け て 一八 二 回 の 「 公 開集 会 」を開催 した 。 そ の結 果 、 社 会 主義 思想 は しだ い にひ ろ まっ て い った 。 しか し、 これ らの理 論 ・思 想 は 労働 者 階 級 の 日 常 闘 争 との 結 び つ き を妨 げ られ てい たた めに 、 革 命 的 な マ ル クス 主義 理 論 ・思 想 の 把 握 に ま で 高 ま る こ とはで きな か っ た。 この よ うな 事 情 は 、 こ の時 期 にお け る社 会 主 義 理 論 の 最 高水 準 を しめ し てい る幸 徳 秋 水 ・片 山潜 の 業 績 のな か に も典型 的 に表 現 され て い る と とも に 、「 社 会 主 義 」 とい う言 葉 が福 地 源 一 郎 や 大 隈 重信 ら に よ って さ え、 俗 流化 され て もて あそ ば れ た こ との な か に も反 映 して い る。 『社 会 主 義 神 髄』(幸 徳)、 『我 社 会 主 義 』(片 山)の 二 著 は 、 明治 の社 会 主 義 者 が 到 達 した 社会 主 義理 論 の最 高 水 準 を しめ して い る が 、両 者 の理 論 的 相 違 は、 そ の ま ま 労働 運 動 にた い す る両 者 の 結 び つ きの 差 異 を表 現 して お り、 そ こ に 、 明治 の社 会 主 義 者 た ちが 、 社 会 主義 革 命 の担 い 手 と して の 労働 者 階 級 に た い して 、 どの よ うな認 識 を も って い た かが 典 型 的 に表 現 され て い る。 幸 徳 は 、 こ こで 、 は や く もマ ル クス ニエ ンゲ ル ス の著 作 を読 み 、 「 唯 物 史観 」 に接 近 して い た に も か かわ らず 、労働 者 階 級 の 歴 史 的 役 割 を理 解 で きな か っ た た め に 、社 会 主 義 実 現 の 方 法 に 関 して は 「 普通 選 挙 運 動 に よ る議 会 主 義 革命 」 に 終 一239一 「 『人 生 地 理 学 』 補 注 」 補遺(第1回) ら ざ るを え な か っ た。 これ にた い して 、 キ リス ト教 的 社 会 改 良主 義 者 として 出発 し、 そ の 後 、 労働 者 の 組 織活 動 の な かで 社 会 主 義 者 に しだ い に成 長 してい った 片 山は 、理 論 的 に は ま だ混 乱 して い た とは い え、 は や くも 労働 者 階 級 の 歴 史 的 地位 を 直観 的 に把 握 して い た の で あ る。 日露 戦 争 が 開始 され る と、社 会 主義 者 た ち は 、 呼 民 社 」 の 活動 を 中心 に 、週 刊 『平 民新 聞 』、 『直 言 』 を 発 行 して 反戦 ・平 和 の闘 争 を展 開 した 。 当 時 の 社 会 主 義者 の 中 に は、 フ ラ ンス 的 な 自由 民権 思 想 、 ド イ ツ 的 な議 会 主義 的合 法 主 義 、 キ リス ト教 的 人 道 主 義 な どの 思想 が混 在 して い た に もか か わ らず 、 日露 戦 争 勃発 の 危機 に あ た り、 な らび に戦 時 を つ うじて 反 戦 ・平 和 の 中心 目標 に結 集 し、 政府 の あ い つ ぐ弾 圧 、 生 活 の 困窮 に も屈 せ ず 、最 後 ま で 一 貫 して 主 戦 論 にた い す る 「 勇 敢 な輝 か しい 闘 争 」 を つ づ けた の で あ る。 反 戦 運 動 に た いす る弾 圧 は激 しくな っ て い っ た 。 新 聞 は あ いつ い で発 行 停 止 とな り、 社 会 主 義者 の集 会 は い た る と ころ で禁 止 され 、社 会 主 義 協 会 は 解 散 させ られ 、 労働 者 の 園遊 会 ま で 禁 止 され た 。 ま た 、 社 会 主 義 者 には 、 国賊 ・前 科 者 ・露 探(ロ シ ア の ス パ イ)な ど、 国 民 か ら孤 立 させ るた め の あ ら ゆ る悪 口が あび せ られ た。 以 上 の よ うに 、 わ が 国 の社 会 主 義 運 動 は 、 労 働 者 階 級 の 組織 的運 動 の 開始 と と もに 成 立 し、 な に よ り も民 主 主 義 の確 立 を 要 求 し、 ま た反 戦 闘 争 と して 展 開 され た 。 この こ とは、 日本 資 本 主 義 の 半 封 建 的 ・ 侵 略 的 な 性 格 に対 応 す る もの で あ る。 しか し、 労 働者 階級 との結 び つ き を切 りは な され な が ら 「 ガ ラ ス 張 り」 の 中で 活 動 し、 議 会 主 義 的 合 法 主 義 の 枠 を抜 け る こ との で き な か った こ の時 期 の社 会 主 義 運 動 は 、天 皇 制 政 府 の 兇 暴 な 弾圧 に うち か っ こ とは 不 可 能 で あ っ た。 こ の こ とは、 労 働 者 階 級 が 未 成 熟 で あ り、社 会 主 義 者 の 側 で も労働 者 階 級 の 革 命 的 階 級 と して の歴 史 的任 務 に無 理 解 で あ り、 した が って 労働 者 階級 の組 織 化 と、 そ れ との 結 合 に 社 会 主 義 者 が 十 分 に積 極 的 で な か った 当時 の歴 史 的制 約 を あ らわ して い る。 3 日本 資 本 主 義 は 、 目露 戦 争 の勝 利 に よ って 南 樺 太 ・朝 鮮 を合 併 し、軍 事 力 を背 景 に 満 州 ・中国 市 場 へ の支 配 を強 化 して 帝 国 主 義 国 と して の地 歩 を確 立 す る と とも に、 他 方 に お い て 、戦 費 外 債 ・外 資 導 入 な どに よ って 英 ・米 な どの先 進 独 占資 本 主 義 諸 国 へ の 従 属性 を ます ま す 強 め るこ と とな った 。 ブ ム す で に戦 前 か ら銀行 ・紡績 な どを 中心 に行 われ た 資 本 の集 積 ・集 中 は 、戦 争 時 の好 景 気 と戦 後 恐 慌(明 治 四 〇∼ 四一 年)と を通 じて重 工 業 ・化 学 工業 ・電 力 事 業 な ど、広範 に独 占 を形 成 ・発 展 させ 、 と くに、 三井 ・三 菱 ・住 友 をは じめ とす る 「 財 閥」 資 本 は 、 国家 資 本 な らび に外 国資 本 と結 び つ い て 、 そ のカ を 強 め た。 「 挙 国一 致 の聖 戦 」 と 「 愛 国 主義 」 運 動 の ス ロ ー ガ ン の も と に、 戦 争 の あ らゆ る犠 牲 を背 負 わ され て き た 労働 者 ・農 民 は、 戦 争 の 進行 に伴 う物 資 の欠 乏 ・労働 強 化 な どに よる 生活 苦 が累 積 す る につ れ て 、 戦 争 の矛 盾 を身 を も って 感 じは じめ た。 横 浜 電 車 ・日本 新 聞 ・播 州 塩 業 ・浦賀 ドッ ク な どの 労 働 者 は 、 す で に戦 時 中か ら 「 賃上要求」「 賃 下 反 対 」 の争 議 に た ち あが っ た。 と りわ け 、国 民 の つ も りつ も っ た不 満 は 、戦 争 の終 結 とと も に爆 発 し、 明 治三 八年 九 月五 日に 開催 され た 「 屈辱 講 和 反 対 国民 大 会 」 の暴 動 化 とな っ た 。極 端 な軍 国 主 義 者 、 野 心 的 な政 友 会 員 な どに よ っ て指 導 され た 「 ポー ツ マ ス講 和 反 対 国民 大 会 」 の意 図 は 、 日露 戦 争 の 勝 利 に よる 目本 の 略 奪物 の不 足 に たい す る不満 を表 明 しよ う と した も の で あ っ た が 、 そ こ に動 員 され た 国 民 は 、 大会 指 導者 の意 図 を は る か にの りこ えて 実力 に よ る大 衆 行 動 を展 開 し、東 京 全 市 を二 日間 にわ た って 騒擾 に ま き こん だ。 東 京 の焼 打 ち事 件 は 、横 浜 ・大 阪 ・名 古 屋 ・神 戸 、 そ の 他 各 地 に 動 揺 をお こ させ 、そ れ 以 降 明治 三 九 年 に は 、 軍需 工場 の 労働 者 を 中 心 に 「 賃上要求」 「 首切 反 対 」 闘争 が 各 地 にひ ろ が っ た。 「 反 戦 」 とい う共 通 の 目的 の も とに 、 多様 な 思 想 を 持 ち な が ら 「 平 民 社 」 に結 集 して活 動 して き た社 会 主 義者 た ち は 、戦 争 の 終 結 に よっ て変 化 した 情 勢 の も とで 、 「 平 民社 」 を解 散 し、 分 散 した 。 石 川 三 四 郎 、木 下 尚江 、 安 部磯 雄 らは 、 キ リス ト教 社 会 主 義 の 立場 で 『新 紀 元』(明 治三 八 年 一 一 月) を創 刊 し、 「 万 国 の平 和 主 義 と普 通選 挙制 度 の実 施 」 を抱 負 と して活 動 し、唯物 論 の 立 場 に あ っ た 西川 光 二 郎 らは 『光 』(同 年 同月)を 創 刊 し、週 刊 『平 民 新 聞 』『直 言 』の伝 統 を継 承 し、 目本 社 会 党 成 立 後 は 、 一240一 創価 教育 第5号 そ の 中 央機 関紙 とな った 。 堺 利 彦 は 『家庭 雑 誌 』 を発 行 して 生 活 の 資 と して い た。 「日本 社 会 党 」 の結 成(明 治 三 九 年 二 月)は 、各 地 に 分 散 して い た社 会 主 義 者 の勢 力 を一 っ に結 集 す る役 割 を果 し、ま た 、 「 普 通 選 挙連 合 会 」 を中 心 に実 践 活 動 に の りだ し、三 九 年 三 月 、九 月 の 二 回 に わ た って 「 国 家社 会 党」 と共 催 して 「 東 京 市 電 値 上 反 対 市 民 大 会 」 を指 導 し、勝 利 して 大 衆 との 結 び っ き を す す め 、 党員 も しだ い に増 加 し、 数 ヵ月 の うち に全 国 に一 五 支 部 が設 立 され た。 明 治 四 〇年 か ら四一 年 にか けて お こっ た 戦 後 恐慌 は 、 労働 者 階級 の窮 乏 を深 め、 階 級 闘 争 を激 化 させ た。 す で に 前 年 末 、大 阪砲 兵 工廠 の 労 働 者 は 一 〇 目間 に わ た るス トライ キ を闘 った が 、 南 助松 ・永 岡鶴 蔵 らの指 導 で 「 大 目本 労働 至 誠 会 」 を組 織 して い た 足 尾 銅 山 の 労働 者 は 、 四〇 年 二 月 四 日か ら 「 待遇改 善要 求 」 ス トラ イ キ に入 っ た。 労 働 者 の た え が た い 不 満 は 会社 側 の 「 要 求 拒 否 」 に あっ て 爆発 し、組 合 ヘ へ の統 制 を の り こえ て暴 動 化 し、七 日軍 隊 の 出 動 に よっ て 鎮圧 され た が、 これ を の ろ しに 労働 争議 は 、長 崎造 船 ・北海 道 幌 内 ・夕 張炭 砿 ・別 子 銅 山 とあ い つ い で お こ り、 四 〇年 の ス トライ キ 件 数 は 一 六五 件 を 数 え 、 これ ま で の最 高 を記 録 した 。 しか し、労 働 者 の 闘 争 は しば しば軍 隊 の 出動 に よっ て 弾圧 され た。 明 治 四 〇年 一 月 、『光 』 に よ った 社会 主義 者 と 『新 紀 元 』 に あ った石 川 らは合 同 して 日刊 『平 民新 聞』 を発 行 した。 この とき 、安 部 、木 下 らは 運 動 の 第 一 線 か ら姿 を 消 し、そ れ 以 降 、 キ リス ト教社 会 主義 者 は 、運 動 の初 期 に果 した よ うな 積 極 的役 割 を失 った 。 へ 日刊 『平 民 新 聞 』は 、社 会 主 義者 の手 に な る最 初 の 日刊 新 聞 で あ り、社 会 主義 実 現 の手 段 に つ い て は 、 これ ま で と同 じ く 「 普 通 選 挙 に も とつ く議 会 主 義 」 の 方 向 を とっ て いた が 、 こ の年 、 四 〇 年 二 月 、幸 徳 秋水が 「 余 が 思 想 の 変化 」 を掲 載 し、 議 会 政 党 化 した 社 会 主 義 の腐 敗 ・堕 落 を世 界 の 現 状 に 照 して鋭 く ヂ レ ク ト ゆア ク シ ョ ン 批判 し、 「直 接 行 動 」 を主 張 した こ とが、社 会 主 義 者 の 間 に大 きな波 紋 を ま きお こ し、思 想 的 対 立 を表 面化 させ 、日本 社 会 党第 二 回大 会 を 目前 にひ か え て 、堺 、田添 鉄 二 、石川 らを加 えた 論 争 が 展 開 され た。 この 論 争 は 、大 会 に お い て最 高 潮 に達 し、 「 党則の改正」「 運 動 方 針 」 を 中心 に激 し く闘 われ 、 「 直接 行 動 論」 「 議会政策論」 「 折衷 論」 に分 立 し、 火 花 を散 ら して 衝 突 した。 対 立 を は らんだ 大 会 は 、結 局評 議 員 提案 の折 衷論 に 落 ち つ い た が 、そ の原 案 は 「 直 接行 動 論 」 と 「 議 会 政 策 論 」 との対 立 を 考 慮 した 苦 心 の 折 衷 案 で あ り、 幸徳 を 中 心 とす る 「 直接行動論」が、伝統的な 「 議 会 政 策 論 」 にた い して あ な どる こ と の で き な い勢 力 に な っ て きた こ とを 証 明 す る も ので あ った 。 これ らの論 争 は 、 社会 主義 者 た ちが 、 日本社 会 主 義 運 動 の戦 術 を反 省 し た最 初 の もの と して の意 味 を もっ て い る。 と りわ け 、 幸徳 の 「 直 接 行 動 論 」 は 、 日本 の 社 会 主義 が これ まで 歩 ん で き た議 会 主義 的合 法 主 義 が 、 権 力 の 前 に い か に無 力 で あ った か を 反省 した うえ に 築 かれ た も の で あ り、 ロシ ア 第 一革 命 を 先 頭 とす る 世 界 の 革命 的 潮流 に鋭 敏 に呼 応 し よ うと した もの で あ っ た。 そ して 幸 徳 の 「 直 接行 動 論 」 の 底には 「 天 皇 制 」 へ の批 判 の 萌芽 が み られ た が 、 この 問 題 は発 展 させ られ な か った 。 そ して 幸徳 の主 張 は 、 小 ブ ル ジ ョア 急 進 主 義 の一 変 種 で あ るア ナ ル コ ・コ ミュ ニ ズ ム の立 場 に立 って い た た め に 、 労働 者 階 級 の組 織 化 と政 治 闘 争 化 の課 題 にね ば り強 く立 ち向 か うこ とが で きず 、革 命 的 情 熱 の発 散 が 、 か え っ て 暴 動 是 認 、 一 揆 主 義 に転 化 す る危 険 性 を もっ て い た 。 第 二 回 大会 決 議 の通 過 を理 由に 日本社 会 党 が結 社 を禁 止 され 、 日刊 『平 民新 聞』 も発 行 禁 止 され た の ち、 「 直接 行 動 派 」 と 「 議 会 政策 派 」 との 対 立 は し だ い に は げ し くな っ て い った 。 明 治 四 〇年 六 月 、 「 大 阪 平 民新 聞」(の ち 『日本 平 民 新 聞 』)、『社 会 新 聞』 が あい っ い で創 刊 され た 。前 者 は、 森 近 運 平 に よっ て 編集 され た が、 幸 徳 を中 心 に 、 か れ の 思想 に影 響 され た堺 、 山川 均 、 大杉 栄 ら が 支 持 し、 「 直 接 行 動 派 」 の機 関紙 の観 を呈 し、 後 者 は 、 「 議 会 政 策 派」 片 山 を 中心 に、 田添 、 西川 らが 参 加 した 。 片 山、 田添 らは 、 第ニ イ ン ター の 正 統 派 を も って 自任 し、労 働 者 階 級 を労 働組 合 に組 織 し、 普 選 運 動 を 通 じて 社 会 主 義 を 実現 す る とい う方 針 を とっ た が 、 幸徳 派 は これ を 「 国 家 社 会 主義 だ 」 と嘲 笑 した 。 さ ら に明 治 四 一 年 二 月 、 「 直 接 行 動 論 」 に影 響 され た 西 川 光 二郎 は 、『社 会 新 聞 』 を 脱退 して 、 赤 羽 一 ら と 『東 京社 会新 聞』 を発 行 した 。 『大 阪 平 民 新 聞 』 に あ っ た堺 、森 近 、 山川 らは 必 ず し も幸 徳 の ア ナル コ ・コ ミュニ ズ ム と同一 の 立場 で は な く、 い ず れ も、 ほ ぼ 第 ニ イ ン ター 正 統 派 の 立 場 に あっ た 。 か れ らは 、議 会 主 義 ・改 良 主 義 を批 判 す る あ ま り、 社 会 主 義 と無 政 府 主義 との 区別 を意 識 せ ず に無 政 府 主 義 と結 びつ き、 い た ず らに 、 片 山派 一24!一 「 『人 生 地 理 学』 補 注」 補 遺(第1回) ゼ ネ ス ト に 「 修 正 派 」 の レ ッテ ル を貼 り、 「 総 同盟 罷 工 」 論 か ら 「 暴 動 是認 」 の思 想 に ま で陥 って い た。 各 地 に大 規 模 の ス トライ キ、 鉱 山暴動 な どが あ いっ ぎ 、 労働 者 階級 の組 織 と指 導 とが最 も必 要 と され て い た とき 、社 会 主義 者 た ち は、 この よ うに社 会 主義 と無 政 府 主 義 と を混 同 し、 社 会 主義 も 、 い わ ゆ る 第 ニインターの 「 正統派」 と 「 修 正 派 」 とに 分 立 ・抗 争 して い た。 かれ らは まだ 、 第 ニ イ ン タ ー 主流 派 の 日和 見 主 義 を批 判 した レー ニ ンや ロー ザ ・ル ク セ ン ブル グ らの 、革 命 的 マ ル クス 主 義 の進 出 を理 解 す る こ とが で き なか った 。 明治 四一 年 六 月 、堺 、 山川 、 荒 畑 寒村 、 管 野 ス ガ 、大 須 賀 里 子 ら一 三 名 は 「 赤旗 事 件 」 で逮 捕 され 、 七 月 、 これ を契 機 に西 園寺 内 閣 にか わ っ て成 立 した桂 内 閣 は 、 ます ます 社 会 主 義者 に た いす る圧 迫 を 強 化 した。 「 赤 旗 事 件 」 にっ つ い て 八 月 に は 、 「 電 車賃 値 上反 対 大 会 」 の判 決 が 確 定 し、 反議 会 政 策 派 の 主 要 メ ンバ ー は 、 ほ とん ど獄 中 に つ な がれ た。 幸徳 ら無 政府 主 義 者 は、 こ の よ うな 国 民 の 自由 と権 利 とを圧 殺 す る根 源 で ある 天 皇 制 に批 判 を も ち 、 そ の 打倒 の た め に革 命 的闘 争 を計 画 した。 しか し、彼 らは 、天 皇 制 の本 質 を政 治機 構 と して把 握 して い た わ け で は な か った の で 、 かれ らの 運動 は 、階級 的 大衆 闘争 を組 織 す る方 向 に む か わ ない で 、 「 天 皇 」個 人 に た い す るテ ロ リズ ム の方 法 で そ の 目的 を 達 し よ う とす る 焦 っ た戦 術 が、 そ の な か の 一部 分 子 に よ っ て採 用 され た。 明 治 四三 年 五 月 、 宮 下 太 吉 、 管 野 ス ガ らに よ る天 皇 暗 殺 計 画 を知 っ た 政府 は、 幸 徳 を は じめ 、 こ の 計画 に は何 ら関係 もな い 数 百名 の社 会 主義 者 お よ び無 政 府 主 義 者 を全 国 的 に検 挙 し、 暗黒 裁 判 で 、 い わ ゆ る 「大逆 事 件 」 をで っ ちあ げ 、 幸徳 、森 近 ら、一 二 名 を死 刑 に、 一 二名 を無 期 懲 役 に 、二 名 を 八年 お よび 一 〇 年 の有 期刑 に 処 した。 言 論 ・思想 ・集 会 ・結 社 の 自 由は 極 度 に圧 迫 され た。 政 府 は 「 特 高 警 察 」 を設 け 、社 会 主 義 者 に た い す る公 然 た る見 張 り と尾 行 と を強 行 し、 狂気 じみ た 弾圧 を い っ さい の社 会 運 動 に加 え 、 国 民 の 間 に社 会 主 義 ・無 政府 主 義 にた い す る恐 怖 と憎 悪 の念 をか きた て た 。社 会 主義 運 動 の 「 冬 の 時代 」 が到 来 した。 しか しな が ら、世 界 の批 判 を無 視 して 強行 した 「 大 逆 事 件 」 の大 弾 圧 は、 か え っ て 国 民 に天 皇 制 へ の 疑 惑 を よ び さま し、 良 心的 思 想 家 に天 皇 制 と対決 す る こ とな しに は、 い っ さい の 自由 も解 放 も な い こ と を さ と らせ は じめ た。 こ の よ うな状 態 の 中 で 、 ひ と り片 山 は 『社 会 新 闘』 の 発 行 を つ づ け 、労 働 者 階級 に 呼 び か け た。 明 治 四 四年 末 か ら翌 年 初頭 に か け て の東 京 市 電 ス トライ キの 勝 利 の か げ に は片 山 の活 動 が あ り、 そ の結 果 かれ は投 獄 され た。 以 上 の よ うに 、 こ の 時期 の社 会 主 義 運 動 は分 裂 の苦 しみ を な め 、そ の カ を一 つ に結 集 す る こ と が で き な か っ た の で あ る が、 マ ル クス 主義 理 論 ・国 際 社 会 主 義 運 動 ・無 政府 主義 の研 究 は た か め られ た。 『 社 会 主 義研 究』(明 治 三 九 年 三 月)は 、堺 に よ って 創 刊 され た最 初 の 専 門 的 な社 会 主義 研 究 雑 誌 で あ り、 『共 産 党 宣 言』 『 空 想 よ り科 学 へ の 社 会 主 義 の発 展 』 の翻 訳 、 国際 社 会 主 義 運動 の歴 史 、現 状 報 告 、 無 政府 主 義 の紹 介 を な し、森 近 ・堺 共 著 の 『社 会 主 義 綱 要』(明 治 四 〇 年 一 月)は 、 「 唯 物 史観 」 「 剰余価 値 」「 階 級 闘 争 」の 理 論 が 、 目本 の社 会 主 義 者 た ち に よっ て 理解 され は じめ た こ とを しめ して い る。 これ と前 後 して 『大 阪 平 民新 聞』 紙 上 に 「 マ ル ク ス の 資本 論 」 が 山川 均 に よ って 、 ま た 安 部 に よ っ て 『社 会 新 聞 』 に 紹 介 され た。 しか し、マ ル クス 主義 思想 は 、 ま だ一 般 論 と して 理 解 され て お り、 それ を具 体 的 な 目本 の 社 会構 造 の分 析 に ま で適 用 す る こ とは 後 の課 題 とな っ た。 した が って 、 そ れ に対 応 す る運 動 の 組 織論 や 戦術 論 は導 き 出せ な か っ た。 一 方 、 この 時期 に は 、 ク ロ ポ トキ ンを は じめ数 多 くの無 政 府 主 義 理 論 の紹 介 が合 法 ・非 合 法 で な され て い る。 この こ とは 当 時 の世 界 社 会 主 義 思潮 の 反 映 で あ る が 、 と りわ け 、急 速 に独 占段 階 に移 行 す る戦 後 の 日本 で 、 階級 的矛 盾 が激 化 し、 労働 者 の 闘 争 は 自然 発 生 的 に高 揚 して きた に もか か わ らず 、 階級 的 成 長 が お くれ て い た状 況 の も とで 、 小 ブ ル ジ ョア 急進 主義 の一 変 種 で あ る無 政 府 主 義 が影 響 を も っ た と み るべ き で あ ろ う。 以 上 の 引用 に よっ て 、わ れ わ れ は 明治 時 代 全 期 をつ うじて 「 社 会 主 義 」 の 思想 お よび 実 際 運 動 が どの よ うな推 移=発 展 の 道 を辿 っ て い っ たか 、 とい うテ ー マ につ い て の"必 要 最 小 限"の 一242一 創価教育 第5号 まっ しょ うめ ん 基 礎 知 識 を再 確 認 す る こ とが 出 来 た 。 時 代 に真 正 面 か ら立 ち向 か っ て い った 《誠 実 の 理 性 人 》 牧 口常 三 郎 は 、 当面 の重 要 命 題 で あ る 「 社 会 主 義 」 に 関 して も百 パ ー セ ン トの誠 実 さと理 性 とを 傾 注 し且 つ 完 全 燃 焼 させ た はず で あ る。 そ して 、 そ の こ とが晩 年 にお け る学 聞研 究や 宗 教 実 践 を 基 底 部 で支 え る こ と とな っ た はず で あ る。 そ れ ゆ え、本 補 注 担 当者 と して は 、 こ こで の過 剰 とも 、 見 え る 引用(=文 、 と じ おお か た 献 的論 証)の 作 業 を以 て ゆ め徒 爾 な る努 力 とは認 めた くな い。 敢 て大 方 の御 理 ゆ えん 解 を賜 りた き所 以 で あ る。 な お 、本 項 目に関 連 す る別 注釈 と して、 次 項 目 「3『 社 会 党 』 と称 し」 の 補 注 記 事 を是 非 とも 参 照 され ん こ とをお 願 い す る。 一243一