...

花と歌を愛する国

by user

on
Category: Documents
12

views

Report

Comments

Transcript

花と歌を愛する国
1
花と歌を愛する国
■基礎情報
国名(都市)
ラトビア共和国(Republic of Latvia)
1.面積
6.5 万平方キロメートル(日本のおよそ 6 分の 1)
(日本は 37 万 7900 平方キロメートル)
2.人口
226.2 万人(2008 年 12 月現在 )(日本 1 億 2,768 万人、大阪府 880 万、豊中市 38.8 万)
3.首都
リガ(71.7 万人)北緯 56°、東経 24° (大阪は北緯 34°東経 135°)
4.民族
ラトヴィア人 59.2%、ロシア人 28%。そのほかポーランド人、ユダヤ人、リーヴ人
5.言語
ラトビア語
6.宗教
プロテスタント(ルター派)、カトリック
1.政体
共和制
2.元首
ヴァルディス・ザトレルス大統領(2007 年 7 月 8 日就任、任期 4 年)
1.主要産業
木材関係品、繊維製品、漁業、金属加工品
2.GDP
271 億 6600 万米ドル(2007 年)
3.一人当たり GDP
1 万 1930 米ドル(2007 年) (日本は、38,980 ドル(2005 年))
4.実質経済成長率
10.3%(2007 年 世銀)
5.物価上昇率
15.7%(2008 年 11 月)
(日本は約 503 兆円、約4兆ドル(2005 年))
(日本は 1.4%(2005 年))
(日本は、沖縄 24°、北海道
緯度
稚内 45°)
時差
-7 時間
通貨
ラッツ(1993 年 3 月 5 日導入)1 ラッツ=約 179 円(2009 年 1 月現在)
主要な都市
ダウガウピルス(東ラトビア、ラトガレ地域・約 11.2 万人) リエパーヤ(西ラトビア、
クルゼメ地域・約 8.6 万人) イェルガワ(南ラトビア、ゼムガレ地域・約 6.6 万人)
ヴェンツピルス(西ラトビア、クルゼメ地域・約 4.4 万人)
隣国
エストニア、ロシア、ベラルーシ、リトアニア
在留邦人数
24 人(2007 年 10 月 1 日現在)
在日当該国人数
54 人(2007 年 12 月 31 日現在の外国人登録者数)
対日貿易
対ラトビア輸出:
66.9 億円(前年度比 48.8%増)主要品目:自動車、印刷機及び製本機、原動機等
対ラトビア輸入:
特徴
36.0 億円(前年度比 4.2%増)主要品目:木材、泥岩、魚介類等
ラトヴィアは、地理的にバルト三国の中央に位置する。
ラトヴィア人は花と歌を愛する民族で、5~7 月の観光シーズンにはほぼ毎週のようにな
んらかのフェスティバルが開かれている。
首都のリーガは、かつて“バルトのパリ”と呼ばれた町並みだが、ソ連時代には手荒く
扱われ、ついには“零落した貴婦人”とまでいわれた。
しかし独立後の復興はめざましく、修復され美しい微笑みを取り戻した建物も少なくな
い。
中世からのときを刻む旧市街もその魅力を失ってはおらず、ハンザ商人たちの活躍した
舞台へと旅人を誘い続けている。
姉妹都市:神戸市とリガ市、北海道東川町とルーイエナ町
2
■地図
■地理
ラトビアはバルト海沿岸に位置し、北部でエストニア、南部でリトアニア、東部でロシア連邦、
南東部でベラルーシと国境を接しています。沿岸地域は主に平坦ですが、東部の内陸部の地形
は森林、湖で小高くなっています。ラトビアは約12000の川の拠点で、この中で最大規模
の川はダウガヴァ川です。ダウガヴァ川の河口から15キロメートルの砂丘に位置するリガは
ラトビアの首都で、バルト海の都市で最も美しい1つです。リガは歴史、文化に満ちていて、
驚くべきゴシック様式、バロック様式、古典様式、アール・ヌーボ様式による建築物がありま
す。リガの中心地はヨーロッパのアイト・ヌーボ様式による建築物が最高に浸透した拠点であ
ると考えられ、UNESCO世界遺産の場所に指定されました。
■気候
ラトビアの気候は人々が一般的に考えているほど寒
くはありません。夏の平均気温は20度から28度の
間で、ラトビアの夏の休暇を快適なものにしてくれま
す。ラトビアでは温暖な気候を楽しむことができます
が、気温はかなり変動します。夏は暑く、初、秋はか
なり温暖です。冬は11月から3月半ばまで続き、と
ても寒くなります。降水量は年間を通じて一定にあ
り、最も降水量が多いのは8月です。降雪量は冬の期
間たびたびあります。
5月から9月までの時期(春と夏)は訪れるベストシーズンで、日中の平均気温は平均16度で
すが、7月と8月は観光客のピークシーズンに当たり、この時期ホテルは完全に予約でいっぱい
です。最も寒い月は1月と2月で、冬になると、気温は極端に下がり、日中の平均気温は氷点下
4度になります。
3
■ラトビア語
・こんにちわ
・ありがとう
ラブディエン Labdien!
パルディエス! Paldies!
Hello の意味 =>
スベイキ
Sveiki!
・さようなら ヴィスラブ Visu labu!
or Uz redzēšanos!
・家族や友人ではハーイとバイバイとに使える
チャウ Čau
■首都 リーガ または リガ Rīga
世界遺産に登録されている旧市街「リガ歴史地区」は約 300 棟のアールヌーボー調の建築物の
宝庫として著名である。新市街は官庁やオフィスが集まる。郊外には、ラトビア民俗博物館があ
り、野外博物館も兼ねている。また、保養地として知られる海岸、ユールマーラも西方にある。 人
口約 80 万人のリーガ市はラトビア国内はもとより、バルト三国最大の都市でもある。市内で最も
高い建築物はリガラジオ&テレビタワーである。
日本の神戸市とは姉妹都市である。神戸市は 2001 年のリガ市建都 800 年祭などにも参加して
いる。 「バルト海の真珠」と讃えられる風光明媚な港と神戸港は、相通じる部分が多い。
リガの街並み
ブラックヘッドギルド館
市庁舎
リガ鉄道駅
4
■歴史
ラトビアは、独立まで長い苦難の歴史を辿っている。13 世紀にドイツ騎士団による侵略を
受け、その後、ドイツ文化の強い影響のもと、14 世紀にポーランド、16 世紀スウェーデン、
17 世紀ロシア、ポーランド 18 世紀にロシアに占領された。
1918 年 11 月に独立宣言を公布したが、1920 年まで内戦状態が続いた。1940 年には独ソ
密約によりソ連の領土となり、41-45 年のナチス・ドイツの占領を経て、45 年以降、再びソ
連領となった。この間 1940 年から 49 年にかけて、約8万人に及ぶラトビア人がシベリアに
流刑され、また多くの国民が難民として国外に亡命した。1940-1991 年の間に、ラトビア人
の人口は 200 万人から 130 万人に減少した。
1990 年 5 月に独立回復を宣言するが、正式に独立を果たしたのは 1991 年 8 月、ソ連邦の
崩壊過程においてである。独立回復に伴い、国外に亡命していた多くのラトビア人が帰国し、
1992 年の独立以降初めて政・官・経済界等の要職に就き、更に、旧体制のしがらみのない若
い指導者を中心に、国造りに取り組んでいる。ラトビアは、古い歴史と文化を持つ活気溢れ
る新しい国である。
■「百万本のバラ」の原曲「マーラが与えた人生」
「百万本のバラ」を作曲したのはラトビアの元文化大臣であり著名な音楽家でもある、ライ
モンズ・パウルス、作詞はレオン・ブリエディス。
タイトルも歌詞も全く異なるこの原曲「マーラが与えた人生」。
それは旧ソ連からの独立を願う抵抗手段。・・・・・・押し寄せる弾圧の波に対してラトビアを
含むバルト三国の一般市民たちは国境 600 キロにわたって、手に手を繋いだ人間の鎖を築き、
一発の銃も撃たず抵抗した。そのとき彼らは銃の代わりに声を合わせて "歌"を歌い続け
た。・・・1989 年夏のこと。独立の一歩手前だった。
■日本語教育
ラトビアにおける日本語教育は、日本語通訳・翻訳者であるエドガルス・カッタイ氏が、1987
年に日本語コースを開始したことに始まる。同コースは、国立ラトビア大学外国語学部の講義室を
借りて、夜間に学習を希望する社会人および学生を対象としていたが、現在も社会人を対象として
地道に続けられている。その後、同コースに在籍した日本愛好家の一人であるブリギッタ・クルー
ミニャ女史が、1991 年に日本語夜間塾を独自に開塾した。同塾は 1993 年 9 月からリガ市の公立の
全日制日本語文化学校に昇格した。2001 年 9 月より、日本語文化学校はリガ市の学校再編のため統
廃合となり、リガ文化学校と名称変更した。
1997 年には、ラトビア大学外国語学部東洋学科に日本語コースが設置され、日本語文化学校の卒
業生のための進学の受け皿となった。2000 年 8 月から同大学の外国語学部は現代言語学部に、2006
年から東洋学科はアジア学科に名称が変更された。
5
■ラトビア料理
かつてはソ連邦の一部であったほか、ドイツ、ポーランド、スウェーデンなどの強国に統治され
た長い歴史をたどってきました。ですので、ラトビアの料理には、地方によってかつての統治国や
近隣国の影響が、地方ごとにうかがえます。
バルト海に面した西部ではドイツやスウェーデンの影響がうかがえて、じゃがいもやザワークラ
ウト、ソーセージやカツレツ料理、またにしんのマリネなどが多く、エストニアと国境を接する北
部では乳製品を使った料理が多く、またロシアと国境を接した東部は、ビーツなどを使った冷たい
前菜料理が多いといった具合です。
全体的には、スラブ系の国々に見かける、ハーブのディルやキャラウェイや酸っぱい味が好まれ
るようで、これらのハーブは、パンやチーズに加えたり料理の風味づけに使います。また、プート
ラというカーシャ(米やそばのロシア風おかゆ)がよく食べられています。
たまごが料理によく使われるのもラトビア料理の特徴。前菜はもちろん、魚料理、肉料理、野菜
料理はもちろん、チーズにもたまごが加えられたり、添えられたりします。
ドリンクでは、ブラック・バルサムという、ラトビアで 18 世紀半ばから飲まれている薬用酒が
有名です。
ラトビア風チキンカツレツ
故郷(ふるさと)
作詞/高野辰之
ブラック・バルサム
作曲/岡野貞一
故郷・英語訳版(translation)
1 兎(うさぎ)追いし かの山
小鮒(こぶな)釣りし かの川
夢は今も めぐりて
忘れがたき 故郷(ふるさと)
1.Sometimes I dream I'm on the Hill
2 如何(いか)に在(い)ます
恙(つつが)なしや 友がき
雨に風に つけても
思い出(い)ずる 故郷
2.Father and Mother - once you taught me
父母(ちちはは)
Chasing the wild hare - freely at will
Catching small fish - as the Brook murmurs by
Place of my birthright - for you I sigh
That treasures of life - are all given free!
Friendship and happiness - Sunshine and Rain
Your words come back to me time and again
3 志(こころざし)を はたして
いつの日にか 帰らん
3.Clear crystal brooklet - fresh Hills of Blue
山は青き
水は清き
when fortune smiles on me - then Furusato
故郷
故郷
Whisper across the Breeze - where are you?
I will return to you, I love you so!
Fly UP