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自虐と依存から自立へ - Kyoto University Research Information
Title Author(s) Citation Issue Date URL <論文>自虐と依存から自立へ : 近代の強迫的自律のパラ ドックス 鎌原, 利成 京都社会学年報 : KJS = Kyoto journal of sociology (1997), 5: 55-77 1997-12-25 http://hdl.handle.net/2433/192550 Right Type Textversion Departmental Bulletin Paper publisher Kyoto University 鎌原 自虐 と依存 か ら 自立 へ 55 自虐 と依 存 か ら 自立 へ 近 代 の強 迫 的 自律 のパ ラ ドックス 鎌 原 利 成 は じめ に 現 代 社 会 は 、 一 見 、 自分 の 欲 望 を 自 由 に 満 たせ る社 会 に見 え る 。 「私 は 、.一体 ど う生 き た ら い い の?」 「苦 しい の だ け ど、 ど う した らい い の?」 と問 う と、 「他 人 の こ と な ん て 気 に しな くて い い か ら、 自分 の こ とは 自分 で 決 め た らい い。 自分 の や りた い こ とを や れ ば い い。 」 と い う答 え が 返 って くる こ とが 多 い 。 しか し、 「他 人 の こ とな ん て … … 」 と、 答 え て も ら っ た と こ ろで 、 か え って 戸 惑 って し ま い 、 「や っ ぱ り、 自分 の 本 当 の欲 求 が わ か ら な い」 と、 思 う 人が い る だ ろ う。 そ れ どこ ろ か 、 自 ら失 敗 や 苦 痛 を求 め て し ま う 人 、 自分 を虐 待 す る パ ー トナ ー ばか り愛 し過 ぎて し ま う人 、 極 端 に 痩 せ て し ま う 人 な どが い る。 「他 人 の こ と な ん て … … 」 と答 え た 人 の 目 に は 、 こ う した 人 々が 奇 異 に映 る か も しれ な い 。 しか し、 「他 人 の こ と な ん て … … 」 と答 え た 人 で す ら、 頑 張 っ て 自分 の 生 き方 を 生 きて い る つ も りで い て 、 ふ と気 が 付 く と、 ど う し よ う も な い 虚 しさ に打 ち ひ しが れ て い る こ とが あ る か も しれ な い 。 「自分 は な に を や っ て い る ん だ 。 自分 は 、 本 当 に 自 分 を 生 きて い た の か?」 と。 近代 の 「自律 」 の 規 範 自体 が 、 「ど う生 き た ら よい か わ か らな い 」 とい う問 い や 、 自虐 的 、 マ ゾ ヒ ス テ ィ ック と言 え る行 動 と、 実 は 、 深 い 関 わ りが あ る の で は な い か。 本 稿 で は 、 自虐 性 ・被 虐 性 、 自 己破 壊 的 依 存 症 の 問 題 と、 近代 的 自己 の 「自律 」 の 問 題 を取 り上 げ 、 一 人 の 人 間 と して 生 き生 き と 「自 立 」 して 生 きる とい う こ とは ど うい う こ とか 、 考 え て み よ う とい うわ け で あ る 。 近代 人 を 「自律 」 に駆 り立 て る欲 望 と、 人 間 を存 在 感 で 満 たす を 生 命 感 を 区別 して い くの が 本 稿 の ね らい の 一 つ だ が 、 議 論 を整 理 す る 際 、 作 田 啓 一 の 自我 論 を用 い る こ と に す る 。 1近 1一'1ジ 代 人 の ダ ブ ル ・バ イ ン ドと 自虐 ・依 存 ラ ー ル の 模 倣 的 欲 望 理 論 と依 存 的 マ ゾ ヒ ズ ム 近代 に お け る 「自律 」 の規 範 を 、虚 偽 と見 倣 した思 想 家 に、R.ジ ラ ー ルが い る。 ジ ラー 京都 社会 学年 報 第5号(1997) 鎌原 ss 自虐 と依存 か ら自立 へ ル は、 「欲 望 の 現 象 学 」 にお い て 、 ロマ ン主義 的 な近 代 人 の 「模 倣 的 欲 望 」 に 関 して論 じ た 。 特 に 、近 代 にお い て 、欲 望 の 主 体 は 、 個性 、 自律 、 「主 体 性 」Pと い った ロマ ンテ ィ シズ ム を追 及 して い る の だ が 、 実 は 、 欲 望 す る 主 体 は 、他 人 の 欲 望 を模 倣 して い る に過 ぎ な い とい う。 しか も、 自分 が 欲 望 の モ デ ル に して い る他 人(媒 体)は 、 同時 に 、 欲 望 の 充 足 を妨 げ る ラ イ バ ル と もな る 。 とい うの は、 欲 望 す る主 体 は 、 モ デ ル と 同一 物 を欲 望 す る か らだ 。 欲 望 の 主 体 は、 モ デ ルの 欲 望 を模 倣 して い る以 上 、欲 望 充 足 に お い て 、欲 望 の モ デ ル に 「遅 れ」 を取 っ て い る の で あ る 。 「自発 的 で あ れ 」 とい うメ ッセ ー ジ が 、 欲 望 の モ デ ル を通 して与 え られ る 以 上 、 自発 的 で あ ろ う とす る こ とは 、 もは や 、 欲 望 の モ デ ルへ の 従 属 を意 味 し、 自発 的 で は な くな って い る の で あ る。 そ れ ゆ え、 欲 望 す る主 体 は 、 欲 望 の 媒 体 、 つ ま り、 モ デ ル=ラ イバ ル に対 し、 崇 拝 と憎 悪 の 感 情 を抱 くの で あ る。 近 代 人 は 、 「自律 性 」 「自発性 」 「 他 者 との 差 異 」 と い う聖 な る 欲 望 対 象 を求 め て 、 人 間 同志 が 、 互 いが 互 い に とっ て 模 倣 的 欲 望 の 「モ デ ル=ラ イ バ ル 」 で あ る よ う な競 争 的 関 係 性 を 結 ん で い る の だ と言 え よ う。 誰 もが 、 理 想 的 な 「主 体 」 か ら 「遅 れ た 」状 態 で あ り、 他 人 に 「遅 れ 」 を取 っ て い る とい う意 識 を抱 い て い る の で あ る 。 しか し、 「自律 性 」 を 求 め る 欲 望 の 主 体 は 、 「自尊 心 」 「虚 栄 心 」 の 持 ち 主 で も あ る。 そ れ は 、 自分 が 、 欲 望 の モ デ ル と同 一 化 し、 理 想 的 な 「自律 性 」 「自発 性 」 を得 られ る と 信 じて い るか らで あ る2}。 しか し、 自分 が 「自律 的 」 な存 在 で あ る との確 証 は、 モ デ ル=ラ イバ ル の 欲 望 を どれ だ け 模 倣 で き てい る か確 認 す る こ と に よ っ て しか 得 られ な い 、 つ ま り、 他 者 の 承 認 に よ って しか得 る こ とが で きな い の で あ る。 もっ と極 端 な言 い 方 をす れ ば 、 「自 分 の 「自律 性 」 を 、 他 者 か ら賞 賛 され る こ と」、 「 他 者 か ら賞 賛 さ乳 る こ と そ れ 自体 」 が 、 欲 望 の対 象 に な っ て い る とい え る 。 そ れ ゆ え、 「自尊心 」 「虚 栄心 」 の持 ち 主 は 、 自分 の 「自律 性 」 を他 者 に 誇 りた い の に 、 他 人 の 評 価 に依 存 しな け れ ば な ら な い ジ レ ンマ に 、 葛 藤 す る の で あ る。 模 倣 的 欲 望 の 主 体 と して の 近 代 人 を、 簡 単 に 言 い 表 す と、 「 「今 、 こ こ」 で 「神 」(自 律 的存 在)で な い 自分 を卑 下 して 、 モ デ ル の 神 性 を とお し て 、 未 来 に お け る 自 己 の 神 性 を 欲 望 す る 自分 に 執 着 し、 「自尊 心 」 を持 つ 。 一 そ して 、 そ れ は、 更 に 他 者 の欲 望 の 模 倣 、 他 者 へ の依 存 を もた らす 。 」 とい うこ と に な ろ う。 で は、 最 初 は模 倣 的 欲 望 を抱 い て い た と して も、 自分 が モ デ ル=ラ 望 対 象 を勝 ち取 れ ば よ い の だ とは 、 言 え な い か?だ が 、 モ デ ル=ラ イバ ル に勝 っ て 、欲 イバ ル に勝 っ て し ま う こ と は、 逆 に失 敗 感 を もた らす の で あ る。 模 倣 的 欲 望 の 主 体 に と って 、 自 らの 欲 望 対 象 の価 値 は 、 主 体 と、 欲 望 の 媒 体(モ デ ル=ラ イ バ ル)の 距 離 、 す な わ ち 、 媒 体 が 主 体 に加 え る抵 抗 に よ っ て 決 ま る か らだ 。 媒 体 の抵 抗 は 、媒 体 の 優 越 性 の 確 証 で あ り、主 体 は 、 欲 Kyoto Journal of Sociology V/December. 1997 鎌原 57 自虐 と依 存 か ら自立へ 望 充足 に失 敗 す れ ば す る ほ ど、 自分 の 欲 望 を ます ます 加 速 させ る の で あ る 。 つ ま り、模 倣 的欲 望 は、 本 源 的 に充 足 不 可 能 な の で あ る。 ジ ラ ー ル は 、 マ ゾ ヒズ ム につ い て 、 以 上 の よ う な説 明 を す る が 、 こ れ を本 稿 で は 、 「依 存 的 マ ゾ ヒズ ム」 と呼 び た い。 依 存 的 マ ゾ ヒス トは、 欲 望 の 媒 体 の神 性 を通 じて 、 自 己 の神 性 を横 取 り しよ う と は して い て も、 自分 自身 で は、 成 功 に値 しな い と、 自分 を軽 蔑 して い る。 そ の 結 果 、 「マ ゾ ヒ ス トは 自分 に た い し て 愛 情 や 優 し さ を感 ず る よ うな 人 間 た ち か ら顔 を そ む け」(ジ 頁)、 「媒 体=障 1-2共 ラ ー ル 、1961=1971、202 害 」 で あ る よ うな パ ー トナ ー を求 め る の で あ る 。 依 存 と 嗜 癖3) こ う した 関係 性 は 、 「共 依 存(codependence)」 と呼 ば れ て い る 関係 性 と して 、最 近 注 目 され る よ う に な っ て きた 。 共 依 存 と は、1980年 代 初 め に ア ル コ ー ル 医 療 の 臨床 現 場 で 生 ま れ た言 葉 で あ る 。 そ の 典 型 的 な もの は 、 ア ル コ ー ル依 存 症 の 夫 と、 そ の 夫 か ら離 れ られ な い妻 の 関係 で あ る 。 ア ル コ ー ル依 存 症 者 の 妻 は 、 夫 の 飲 酒 を 支 え る 「支 え 手(enabler)」 、 ア ル コ ー ル 依 存 症 者 の 「共 依 存 者 」 と呼 ばれ る 。 ア ル コ ー ル 依 存 症 者 の 配 偶 者 は 、 「酒 さ え止 め た ら こ の 人 はい い 人 な の に… …」 と か 、 「こ ん な暴 力 的 な夫 との 生 活 は 耐 え ら れ な い」 と言 っ た り し なが ら も、 自分 の欲 求 充 足 、 幸 福 を忘 れ 、 夫 の飲 酒 をや め させ よ う と必 死 に な る。 だが 、 そ れ は 、 自分 の 自己 評 価 の 低 さ故 に 、 夫 を支 配 、 コ ン トロ ー ル す る こ と で あ る 。 夫 は 夫 で 、 妻 の 共 依 存 的 支 配 が 嫌 で 、 更 に飲 酒 を続 け た り、 妻 を暴 力 的 に支 配 し よ う とす る の だ 。 こ う した 共 依 存 者 の 特 徴 は 、 「他 の 人 び と の行 動 や 欲 求 を とお して 自己 の ア イ デ ンテ ィテ ィ を見 い だ す こ とが 習 慣 化 して」(ギ デ ンズ 、1992=1995、140頁)お り、 自 己評 価 が 低 く、他 者 か ら拒 絶 され る こ と を極 度 に 恐 れ る こ とで あ る 。 そ して、 共 依 存 者 は、 「 他 人 の 世 話 をす る こ と を欲 しな が ら 、無 意 識 の レベ ル で は 、 そ の 献 身 が 裏 切 ら れ る こ と を期 待 し」(野 口 、1995、31頁)、 裏 切 られ の 反 復 をす るの で あ る。 共 依 存 の 問 題 は 、 も と も とア ル コ ー ル 依 存 症 の 問 題 に取 り組 む 中 で注 目 され て きた もの で あ る が 、 実 は 、 共 依 存 の よ う な 依 存 的 人 間 関 係 、 人 間 関 係 嗜 癖(relationship addiction)こ そ 一 次 的 嗜 癖 で あ っ て 、 ア ル コ ー ル 、 薬 物 依 存 症 な ど の 「物 質 嗜 癖 (substanceaddiction)」 、 ワー カ ホ リズ ム な ど の 「過程 嗜 癖(processaddiction)」 とい った 二 次 的 嗜癖 の根 本 にあ る と言 われ て い る 弔。模 倣 的 欲 望 に基 づ い た競 争 的=依 存 的 人 間 関 係 しか 築 け な い 「寂 し さ」 か ら、 人 は 共 依 存 、 人 間 関 係 嗜 癖 に 陥 る と言 わ れ る が 、 同 時 に、 共 依 存 、 人 間 関 係 嗜 癖 それ 自体 が 、 「親 密性 か らの 逃 走 」(A.W.Scheaf)な の で あ る。 同 様 に、 他 の 嗜 癖 も、 人 間 関係 にお け る 寂 しさが 根 本 に あ っ て 、 か つ 、 そ れ 自体 、 ジ ラ ー ル の 依 存 的 マ ゾ ヒズ ム の よ う な 「親 密 性 か らの 逃 走 」 の メ カ ニ ズ ム な の で あ る 。 例 え ば 、 共依 存 も含 め 、 あ らゆ る 嗜 癖 は 、 「意 志 の 病 」 と言 わ れ て い る が 、 そ れ は ジ ラ ー ル 京 都社 会学 年報 第5号(1997) 鎌原 58 自虐 と依 存 か ら自立へ 的 な意 味 で の 、 「 「自律 性 」 を求 め る 「自尊 心 」r虚 栄 心 」 の 病 」 と言 い 換 え て も よ い 。 ア ル コ ー ル依 存 症 者 は 、 「意 志 の 力 で 酒 を や め ろ」 とい う メ ッセ ー ジ を 、常 に 自分 に与 え 、 か つ 、 他 人 か ら与 え られ続 け て い る 。 す る と、 ア ル コ ー ル 依 存 症 者 は 、 酒 を 少 し飲 ん で も 耽 溺 、 連 続 飲 酒 に陥 らな い 「意 志 の 強 さ」 を 示 す た め に 、 か え ρ て 、 「一 杯 の リス ク」 に 挑 戦 す るの で あ る 。 そ こ で 失 敗 した と こ ろ で 、 そ の 失 敗 を帳 消 しに し、 「意 志 の 強 さ」 を 示 す た め に 、 ア ル コー ル依 存 症 者 は 、 ます ま す 、 よ り厳 しい 「障 害 」 と して の 酒 に挑 戦 し 続 け る の で あ る5)。 しか し、 これ は、 ア ル コー ル依 存 症 者 に とっ て は 、 「宇 宙 が 自分 を憎 ん で い る こ とを証 明す る プ ロ ジェ ク ト」(ベ イ トソ ン、1972ニ1987、 下462頁)で あ り、 依 存 症 者 は 、 マ ゾ ヒ ス テ ィ ック に 、 酒 に負 け続 け る の で あ る。 こ う した状 況 に 嗜 癖 し、 周 囲 の 者 を共 依 存 関 係 に 巻 き込 む こ とで 、 ア ル コー ル依 存 症 者 は 、寂 しさ を埋 め よ う と しつ つ 、 他 者 との対 等 で 親 密 な 関 係 性 か ら逃 げ る の で あ る。 1-3「 嗜 癖 す る社 会 」 に お け る非 生 命 性 こ う した模 倣 的 欲 望 、依 存 的 マ ゾ ヒズ ムの 行 き着 く先 は 、 「最 終 的 に は無 機 物 的 な、 空 虚 な冷 た さ」(ジ ラ ー ル 、1978=1983、656頁)、 の 主 体 は 、 「欲 望=奴 非 生 命 性 、 自己破 壊 で あ る。 模 倣 的 欲 望 隷 化 」 と 「欲 望 自体 の 放 棄 二非 奴 隷 化 」 の 葛 藤 を、 「感 覚 の 麻 痺 、 生 の好 奇 心 の全 面 的 、 部 分 的 喪 失 」 に よ って 解 消 し よ う とす る 。 す る と、 「 根 元 的禁欲 の は て に 、… … 虚 無 を崇 拝 の対 象 そ の もの に仕 立 て る」(ジ ラ ー ル 、1961ニ1971、302頁) こ とが 、 ・究 極 の 自尊 心 の 拠 り所 と な る の で あ る。 「 欲 望 の 全 的不 在 、 完 壁 な 無 感 動 、心 情 と知 性 の 欠 落 」(同 、313頁)し た媒 体 は 、欲 望 す る 主 体 に と って 、 自分 を軽 蔑 す る 媒体 以 上 に ど っ し り して欲 望 を誘 発 し、 欲 望 す る主 体 自 身 の 実存 を根 源 的 に否 定 す る よ う な 障 害 に な る の だ。 とい う の は 、 虚 無 そ の もの で無 執 着 ・無 関 心 の 媒 体 は 、 模 倣 的欲 望 の 主 体 に とっ て は 、 欲 望 の 「対 象 を十 分 に所 有 して い る」(大 澤 、1991、43頁)よ うに 映 る か ら で あ る 。 ドス トエ フス キ ー のr悪 霊 」 の 登場 人 物 キ リー ロ フ は 、 神 へ の依 存 か ら の解 放 を 目 指 して 、 自 らの 虚 無 を崇 め、 自尊 心 か ら 自殺 しよ う と した。 この よ う に 、模 倣 的 欲 望 、 自 己 神 格 化 の 帰 結 は 、 「神 性 の本 質 を、 自 己 自身 の 実 存 を根 源 的 に否 定 す る もの の 中 に 、 言 い か え れ ば 生 命 の な い もの の 中 に 、 さが そ う とす る こ と」(同 、317頁)、 自己破壊 であ る 。 しか し、 こ う した非 生 命 性 は 、 「自律 性 」 を模 倣 的 に 欲 望 す る 近代 社 会 の 帰 結 で あ る とい う だ け で は ない 。 そ もそ も、 近代 合 理 主 義 自体 が 、非 生 命 的 な の で は な い の か?こ こ で 、 ホ ル クハ イマ ー=ア ドル ノ の 「啓 蒙 の弁 証 法 」 に お け るサ デ ィズ ム論 な ど を参 照 し つ つ 、非 生 命 性 、 純 粋 な抽 象 性 、 合 理 性 につ い て 簡 単 に述 べ て お きた い 。 啓 蒙 と は、 他 人 の指 導 を受 け な けれ ば 自分 の 悟 性 を使 用 で き ない よ うな童 蒙 状 態 か ら抜 け 出 す こ とであ る(ホ ル クハ イマ ー ニ ア ドル ノ、1947=1990、127頁)。 Kyoto Journal of Sociology V/December. 1997 こ こ で言 うサ デ ィ 鎌原 59 自虐 と依存 か ら 自立 へ ズ ム とは 、 加 虐 的 異 常 性 愛 とい う通 俗 の 意 味 で は な く、 む しろ合 理 的 支 配 とい う面 で 捉 え られ て い る。 啓 蒙 にお い て は、 自然 か ら学 び 、 自然 を支 配 す る技 術 の 獲 得 が 目指 され 、計 算 可 能 性 、 有 用 性 とい う基 準 に お け る 「思 考 」 や、 啓 蒙 の道 具 と して の 思 考 の 抽 象作 用(数 学 的思 考)が 重視 され る 。 そ の 結 果 、 情 念 は 「自然 」 と して既 め られ 、 個 々 の 対 象 の 質 的 な もの は 、 清 算 され 七 し ま い 、 思 考 自 身 が 道 具 化 して し ま うの で あ る(同 、 訳 注 、181 頁)。 サ ド的加 虐性 は 、 啓 蒙 、 近代 化 が 追 及 した 「目的志 向 性 」 「自 己 同 一性 」 一 自己 を克 服 す る 自 己一 不断に の 究 極 の 姿 を表 して い る と言 っ て よ い だ ろ う。 だ が 、 そ れ は 、 自 己 懲 罰 的 で あ り、 母 親 と結 合 した い欲 望 の否 定6}、 ひ い て は生 命 性 の 否 定 で もあ る。 こ う し たサ デ ィス テ ィ ッ クな 規 範 が 「倒 錯 的 」 で あ る の は、 理 性 の 形 式 化 、思 考 の 抽 象 化 、 手 段 の 物 神 化 に よ っ て 、 「道 徳 的無 感動 」 η が も た ら され 、 「不 正 や憎 悪 や 破 壊 で さ え経 営 作 業 に な」(同 、156-157頁)り 、 理性 が殺 人 に対 して原 則 的 反論 をす る こ とが で きな くな っ た か らで あ る。 自然 や 生 命 を、 「非 生 命 二物 」 と して支 配 す る よ うな規 範 が 頂 点 に あ る近 現 代 社 会 を、A.W.シ ェ フ は 、 「嗜癖 シ ス テ ム」 と名 付 け て い る。 共 依 存 関係 は、 自 己 や 他 者 を支 配 一被 支 配 の対 象 にす る こ と、 言 わ ば 、 人 間 を 「物 」 化 す る こ とで あ る 。 つ ま り、 「嗜癖 シ ス テ ム」 に お い て は 、 人 間 の 感 情 に 支 配 が 及 び 、 生 き生 き と した感 情が 否 認 さ れ る の で あ る 。 そ こで 最 も根 本 的 な嗜 癖 は 、 「無 力 と非 生 命 性 」 に対 す る 嗜 癖 と も言 え る 。 「無 力 と非 生命 性 」 に 嗜癖 して い るか ら、 人 は 強 烈 な刺 激 を求 め て 嗜 癖 し、 か つ 、 感 情 を 凍 結 させ る た め に嗜 癖 す る の で あ る(シ 2近 ェ フ 、1987ニ1993、130-131頁)。 代的自己の限界 と身体の可能性 前 節 で 述 べ た よ う に 、 特 に 近 代 社 会 の 超 越 的 規 範 は 、 非 生 命 性 を志 向 す る 自 己懲 罰 的 、 自己 否 定 的 な も の で あ る。 こ う したサ デ ィス テ ィ ッ ク な実 践 は 、 「身体 を否 定 す る最 も端 的 な方 法 」(大 澤 、1990、353頁)で の だ ろ うか?身 2-1摂 あ る 。 しか し、 身 体 は、 単 に否 定 され る だ けで 終 わ る 体 の 可 能 性 、 近 代 を 超 え る可 能性 につ い て 、 この 章 で概 観 して み よ う。 食 障 害 と身 体 ・ 一 身体 の二 面 性 ・ こ こで 、 「身体 」 に つ い て 、 簡単 に整 理 して お こ う。 身体 とは 、規 範 に よ っ て様 々 な 「意 味 」 を付 与 され 、 自己 の ア イ デ ンテ ィテ ィを担 う存 在 で あ る8)。 一 方 、 身 体 と は、 肉体 的 欲 望 が 沸 き起 こ り、 直接 的 な 身体 経 験 を す る 存 在 で もあ る。 バ ウ マ イ ス ター に よれ ば 、 近代 的 自 己 に と っ て 、 自分 の ア イ デ ン テ ィテ ィな ど、 自己 が 担 う 「意 味 」 は 重荷 に な る。 そ こ で 、 近 代 的 自 己 は 、 自己 の 「意 味 」 の 重 荷 か ら逃 避 す る た め に 、 「痛 み」 「酩 酊 」 な どの 直 接 的 な 身 体 経 験 を 「今 、 こ こ」 で体 験 す る こ と に よ っ て 、 自己 の 「意 味 」 を縮 減 す る の 京都社 会学 年報 第5号(1997) so 鎌原 自虐 と依 存 か ら自立へ で あ る 。 身 体 経 験 に 集 中 して い る時 は、 自己 の 「意 味 」 を わ ざわ ざ考 え な い で 済 む の で あ る 。 精 神 的 に 自 己 の 「意 味 」 や ア イ デ ンテ ィテ ィが どん な に混 乱 し、 どん な に無 意 味 に 思 え た り して も、 身 体 は 、 否 応 な く、 「今 、 こ こ」 に、 現 に一 つ の存 在 と して在 り、 究 極 的 に 、 自己 ア イデ ン テ ィテ ィの 、 最 小 の 、 最 後 の根 拠 に な り得 る とい うの で あ る 。 こ こで 、 摂 食 障 害 、 まず は 、 拒 食 症 につ い て取 り上 げ よ う。 女性 が拒 食症 に な る の は 「や せ 規 範 」 「や せ 願 望 」 に よ る 、 過 剰 な ダ イエ ッ トな ど に よ る こ とが 多 い 。 過 度 に痩 せ た 身 体 を追 及 す る女 性 に は、 「空 気 の よ うに 透 明 に な りた い 」 とか 、 「肉 体 は い ら な い」 と い う人 が 目立 つ 。 つ ま り、 身 体 は 、 排 除 の 対 象 と な っ て い るの だ 。 しか し、 「 痩 せ た い」 と い う こ とは 、 自分 を 「 美 し く見 せ た い 」 とい う願 望 の 現 れ で もあ る 。 拒 食 症 者 に と っ て の 身体 は 、 「欲 求 の存 在 と こだ わ り を表 す もの」(オ ー バ ッ ク、1986ニ1992、218頁)で あ る。 拒 食 症 者 に と っ て、 排 除 の 対 象 とな って い る の が 、 「予 測 で きな い 欲 求 の 出現 の 場 」 と して の 身 体 で あ り、 「こ だ わ り」 の対 象 に な っ て い るの が 、 表 現 手 段 の 媒 体 と して の 身 体 で あ る 。 コ ン トロー ル 不 能 な欲 求 に対 す る不 安 、痩 せ な け れ ば他 人 も自分 も、 自 己 を受 け 入 れ られ な い と い う不 安 、 こ の 二 重 の 不 安 か ら、 身体 は 、 拒 食 とい う コ ン トロー ル の 対 象 と な る の で あ る。 こ う した 操 作 の 対 象 と して の 身 体 を 、 オー バ ッ クは 、 「偽 りの 身 体 」 と呼 ぶ 。 苛 酷 な ダ イエ ッ ト、 エ クサ サ イ ズ の達 成 感 は 、 「 偽 りの 身 体 」9)の獲 得 に よ っ て 自 らの 「意 志 の 力 」(プ ラ イ ド)を 確 証 す る こ とで あ る 。 と同 時 に、 そ れ は、 意 味 を 超 え た 「身 体 的 直 接 経 験 」 の 場 と して の 身体 、 「生 き て い る」 身 体 を 苦痛 に よ って 逆 説 的 に 実 感 す る こ とで あ る。 そ れ は 、 「この 苦 痛 を生 きて い る の は 、 ほ か な らぬ こ の く 私 〉 で あ る 」 とい う、 〈個 〉の 自覚 で もあ る1。}。しか し、 そ れ だ け で は な く、 空腹 の 地 獄 は 「足 か せ と な る 情 緒 的 な 重 荷 つ ま り良 心 が うす ら ぐ」 感 覚 を も た らす 。 つ ま り、 食 べ な い で い る 間 は 、 自分 の行 為 に 関 す る 罪 の 意 識 一 「食 べ る 資 格 」 が ない とい う感 覚 一 に集 中 し、 良心 は敗 北 して い るの だ(ク リス プ、1980=1985、272頁)。 が食 に関するこ と つ ま り、 拒 食 症 は ダ イエ ッ トの犠 牲 とい うだ け で はな く、 オ ーバ ックの 言 う よ うに 、 「 抵 抗 」11)の形 態 で もあ る。 こ の よ う に、 近代 社 会 を もた ら した 「禁 欲 」 の規 範 や 、 自 然 、 生 命 に 対 す るサ デ ィ ス テ ィ ック な 支 配 は 、 そ れ 自体 が 、 規 範 に対 す る 「抵 抗 」 を生 み 出 す の だ。 拒 食 症 は 、 多 く の 場 合 、 過 食 、 過 食 嘔 吐 につ な が る の だが 、 そ れ は 、 ま さ に 「食 欲 」 と い う 自然 な欲 求 に 対 す る コ ン トロー ルの 限界 、 人 間が 「食 欲 」 とい う本 能 を受 け入 れ ざる を得 な い こ と を示 す 。 しか し、 摂 食 障 害 は そ れ 自体 、 嗜癖 と して の側 面 も もち 、 先 に ア ル コー ル依 存 症 につ い て述 べ た よ う に 、 「意 志 の力 」 に よ る コ ン トロ ー ル の 病 で もあ る。 拒 食 、 ま た は過 食 に よ っ て 、罪 悪 感 を敗 北 に追 い込 ん だ と して も、 す ぐ さ ま、 罪 悪 感 が 襲 っ て きて 、 拒 食 、 過 食 嘔 吐 な どに よ っ て 、 再 び 身 体 を コ ン トロー ル す る の で あ る 。 こ の よ う に、 摂 食 障 害 は 、 近 代 的 な 「自然 、 身 体 へ の 支 配 」 の 規 範 そ の もの で あ る 面 と、 近 代 へ の 抵 抗 、 近 代 を超 え Kyoto Journal of Sociology V/December. 1997 61 鎌 原:自 虐 と依存 か ら自立へ る 可 能性 を有 す る の で あ る 。 2-2欲 望 の 回 復 と して の 契 約 的 マ ゾ ヒ ズ ム ー ドゥル ー ズ の マ ゾ ヒ ズ ム 論 一 一. 本 節 で も、 近 代 的 な サ デ ィス テ ィ ッ ク な規 範 の 帰 結 で あ り、 か つ そ れ を超 え る現 象 を取 り上 げ る。 そ れ は 、 ザ ッヘ ル=マ ゾ ッホ12》が 自 ら体 験 し、 小 説 に著 した よ う な マ ゾ ヒズ ム で あ る。 本 稿 で は 、 マ ゾ ッホ 的 なマ ゾ ヒズ ム を 、 「契 約 的 マ ゾ ヒ ズ ム」 と呼 ぶ こ とに す る。 と い うの は 、 ジ ラ ー ル が 論 じた 依 存 的 マ ゾ ヒ ズ ム は 、 「意 図 せ ざ る結 果 」 と して の マ ゾ ヒ ズ ム で あ った の に対 し、 マ ゾ ッホ 的 マ ゾ ヒズ ム は 、 マ ゾ ヒス トの 男 が 、 女 性 と契 約 を結 び 、 そ の女 性 を訓 育 して 、 自分 の 理 想 の拷 問 者 に仕 立 て 上 げ る か らで あ る 。 そ れ は 、 制 度 的 な 支 配 関係 に拘 束 され ず 、 快 楽 を得 る た め に力 の 格 差 を戦 略 的 に利 用 す る こ と で あ り、 「意 図 さ れ た 自由 の 術 」(ハ ル プ リ ン、1995=1997、125、162頁)と 言 え る 。 しか も、 拷 問 者 に させ られ る女 性 は、 決 して サ デ ィステ ィッ ク な女 性 で は な く、 欲 望 を禁 止 す る機 能 を失 っ た存 在 で あ る13)。 こ う して 、 マ ゾ ヒ ス トが 結 ん だ 契 約 は 、犠 牲 者 の 「空 想 」 的 欲 求 を肯 定 す る もの と して の 法=規 範 と な る の で あ る。 な ぜ 、 「空 想 」 か?現 こ れ こそ が 、 契 約 的 マ ゾ ヒズ ム の特 徴 なの で あ るが 、法=規 実 の 「否 認 ⊥ か? 範 とは 、 そ もそ も欲 望 の 禁 止 を す る もの で あ り、 精 神 分 析 の 概 念 で 言 え ば 、 「超 自我 」 の 機 能 な の で あ る。 しか し、前 章 で 述 べ た近 代 的 な非 生 命 的 志 向 の 規 範 は 、 父 権 的 な 超 自我 の機 能 が 極 端 に な っ た もの で あ るが 、 そ う した サ デ ィス テ ィ ック な規 範 が 、 究 極 に お い て 形 式 化 し、 自 己破 綻 し た ら、 超 自我 は もは や 規 範 を担 え な い 。 そ こ で 、 「拷 問 す る 女 性 」 とい う、 超 自我 を偽 装 した存 在 が 規 範 を担 うこ とに な る の だ が 、 そ れ は 、 父権 的 、 自己懲 罰 的規 範 が 支 配 す る現 実 の 「否 認 」=「 空想 」 で あ る 。 契 約 的 マ ゾ ヒ ズ ム にお け る 懲 罰 は 、 マ ゾ ヒ ス トの 中 の 父 性 、 超 自 我 に対 して与 え ら れ る 懲 罰 で あ る 。 マ ゾ ヒス トは 、快 楽 充 足 に 先 だ っ て 、 苦 痛 、 処 罰 を予 期 す る。 そ れ ゆ え 、 マ ゾ ヒ ス トは 、 苦 痛 、 処 罰 を受 け る こ とに よ っ て 、快 楽 の 到 来 を 可 能 にす る の で あ る 。 注 意 す べ き こ とは 、 決 して 、 苦 痛 そ の もの が 快 楽 で は な い こ とで あ る 。 これ は 、 近代 的 自 己 が 、 「自律 的 に な りた い 」 と欲 望 して 、 決 して 、理 想 的 な 「自律 性 」 に到 達 で き ない 、 強迫 的 で ア イ ロニ カ ル な状 態 とは 異 な る 、 ユ ー モ ラ ス な もの で あ る 。 父 権 的 なサ デ ィス トが欲 望 否 定 的 な超 自我 に 対 応 す る の に対 し、 契 約 的 マ ゾ ヒズ ム に お け る 「拷 問 す る 女倒 に は 、 母 親 と結 合 した い欲 望 を肯 定 す る 「 理 想(自)我 」 が 対 応 す る(作 田 、1995、120-126頁)。 こ こで 、 身 体 に つ い て 言 及 す る と、 ドゥル ー ズ=ガ タ リは 、 マ ゾ ヒ ズ ム に お け る 身体 を 「器 官 な き身 体 」 だ と言 う。 「器 官 な き身 体 」 とは 、 超 自我 に よ る欲 望 の 禁 止 、 意 味 付 け を取 りは ら っ た後 に残 る純 粋 な身 体 性 で 、 欲 望 の存 立 平 面 で あ る。 しか し、 こ こ で 言 う欲 京 都社 会学 年報 第5号(1997) 鎌原 62 自虐 と依 存 か ら自立へ 望 とは 、 ジ ラ ー ル の模 倣 的 欲 望 で は な く、 エ デ ィプ ス ・コ ンプ レ ッ ク ス に 歪 め ら れ る 以 前 の 「欲 望 の 流 れ そ の もの 」 で あ る 。 よ っ て 、 ドゥル ー ズ 的 な意 味 で の マ ゾ ヒズ ム は、.よ り 根 源 的 な欲 望 、 本 源 的 な身 体 性 、 「存 在 そ の もの 」 の次 元 に至 る こ とで あ る14)15)。 2-3「 底 突 き 」 と回 心 今 度 は、 前 章 の 最 初 に述 べ た ジ ラ ー ル の模 倣 的 欲 望 、 依 存 的 マ ゾ ヒズ ム の 帰 結 と、 そ こ か らの 転換 につ い て 述 べ て お き たい 。 嗜 癖 か ら の 回復 に関 して 、 「どん底 」 を体 験 す る こ と=「 底 突 き」 の重 要 性 が しば しば 説 か れ る が 、 ジ ラー ル も、模 倣 的 欲 望 か ら の転 換 の 契 機 と して の 「底 突 き」 につ い て 述べ て い る。 模 倣 的欲 望 の 帰 結 は 、 死 、 非 生命 、 自 己破 壊 で あ る が 、 そ こ で 、 模 倣 的 欲 望 の 主 体 は死 に 瀕 して、 「自己 の絶 望 と 自 己 の 虚 無 を真 正 面 に見 つ め」 る こ と に よ っ て 、 「形 而 上 的 欲 望(模 放 棄 」 をす る の で あ る(ジ 倣 的 欲 望)」 ラ ー ル 、1961=1971、326頁)。 バ ル」 と して の 超 越 性 を求 め る こ とで は な く、 神(キ 「 神 性 の 断 念 」 「自尊 心 の そ れ は 、他 人 に 「モ デ ル ニ ラ イ リス ト)の 超 越 性16)に 委 ね る こ とで あ る。 こ の 時 、 欲 望 の 主 体 は 、模 倣 的 欲 望 で は な く、 「情 熱 」 「自己 自 身 に よ る欲 望 」 を 獲 得 して い る の で あ る。 そ して 、 自己 自 身 に 深 く入 り込 む こ と と同様 、 他 者 に つ い て の 認 識 、共 感 を得 る よ う に な るの だ とい う(同 、330頁)。 作 田啓 一 は、 ドス トエ フス キ ー の 「 永 遠 の 夫 」 に お け る ヴ ェ リチ ャ ーニ ノ ブ と トル ソー ツ キ ー の 関係 につ い て 、 「二 人 の 人 物 が 相 互 に相 手 に 執 着 し、 彼 ら の 欲 望 が もは や 誰 の 欲 望 な の か わ か ら な く な っ て し ま う ほ ど、 自 己 と他 者 の 融 合 が 起 こ」(作 田 、1981、52頁)る と述 べ る。 こ れ は 、 「自尊 心 が極 限 へ 向 か う方 向 にお い て 生 じる」 融 合 であ っ て 、 「自尊 心 の 否 定 に よ っ て生 じる 愛 の 融 合 と は ま っ た く別 の」 、 「憎 しみ の 融 合 」 で あ る(同 、52頁)。 しか し、 実 は 、 「愛 の 融 合 」 も 「自尊 心 に よる 憎 しみ の 融 合 」 も両極 に お い て 一 致 して い るの で あ る。 「限界 を知 らな い 自尊 心 に苦 しん だ 者 こ そ 、 自尊 心 の放 棄 に よ る 愛 の 融 合 を しん そ こ か ら求 め る よ う に な り、 そ して こ の希 求 の 強 さ の ゆ え に、 影 の 形 で 実 感 し た融 合 を 光 の も とで 実 感 し うる 可 能 性 が 開 け る」(同 、52頁)の である。 こ う し た 回心 の 体験 は 、ベ イ トソ ンの 学 習 理 論 に お け る 、 「学 習 皿」 に相 当 す る もの で あ る。 こ こで ベ イ トソ ン の学 習 理 論 に つ い て 詳 述 す る 余 裕 は な い が 、 簡 単 に 言 え ば、 学 習 Hと は、 「パ タ ー ン化 され た世 界 解釈 の仕 方」 で あ り、 「自分 で あ る と こ ろ の もの は 、 学 習1の 産物 で あ り、 寄 せ 集 め 」(ベ イ トソ ン、1972=1987、 下404頁)な とは 、 学 習Hで 獲 得 さ れ た 「習 慣 か らの 束 縛 の 解 放 」 「"自 己"と み 変 え を伴 う」(同 、433頁)も ので あ る。 学 習IH い う もの の根 本 的 な組 の で あ る。 学 習 皿 は 、 人 間 存 在 につ い て の あ る 種 の 洞 察 、 霊 的 成 長 、 宗 教 的 転 換 、悟 りに 通 じる もの で あ る。 学 習Inが 達 成 され た ら 「個 人 ア イ デ ン テ ィ テ ィー が す べ て の 関係 的 プ ロセ ス の 中へ 溶 出 した世 界」 「大 洋 的 感 覚 」 が体 験 さ れ る Kyoto Journal of Sociology V/December. 1997 鎌原 自虐 と依 存 か ら自立 へ 63 の で あ る。 これ は 、 ま さ に 自己 と他 者 、 外 界 と の境 界 の 喪 失 、 忘 我 の 体 験 、 つ ま り、作 田 啓 一 の 言 う 「溶 解 体 験 」 で あ る 。 こ こ で は 、 学 習Hで 身 に着 け た 自 己 を、 模 倣 的 欲 望 の 主 体(ま た は 嗜 癖 的 ・共 依 存 的 人 格)と す れ ば 、 学 習 皿 は 、模 倣 的 欲 望 の 放 棄 に お け る 回心 だ と言 え る!η。 織 田 年和 は、 「あ る精 神 状 態 か ら別 の よ り高 い 精 神 状 態 へ 移 行 す る こ と」 を 回心 と呼 ん で い るが 、 ジ ラー ル が 記 述 した こ う した 体 験 を、 ベ イ トソ ンの 学 習 皿 、 回 心 とみ な して差 支 え な い で あ ろ う。 織 田 年 和 は 、W.ジ 2)「 ェ ー ム ズ に 従 い 回 心 の 特 徴 と して 、1)至 今 まで 知 ら な か っ た真 理 を悟 っ た とい う感 じ」、3)「 福感、 あ らゆ る もの が 新 し く見 え 、 美 化 され る点 」 を挙 げ て い る。 但 し、 「回心 の 本 質 をな す もの は2)で あ り、1)と3) は 回 心 の 結 果 と して 生 じ る もの も し くは 回心 の 予 兆 で あ っ て 、 回 心 そ の もの で は な く、 む しろ 溶解 体 験 に属 す る とみ な すべ き」(織 田、1990、31-32頁)だ とい う。 溶 解 体 験 と は、 自己 と他 者 、 外 界 との境 界 の喪 失 、 忘 我 の 体験 の こ とで あ り、 回 心 と親 和 的 で あ るが 、必 ず し も同 一 で は な い 。 回 心 に至 ら な い溶 解 体 験 に お い て は、 そ の 体 験 が 終 っ て み れ ば 、 も との 自我 に 戻 っ て い る だ け で あ る。 も っ と悲 劇 的 な 場 合 に は 、V.ウ 体 験(神 ル フの よ う に 、 溶 解 秘体 験)の 意 味 付 け が で きず 、 か え っ て 生 の 無 意 味 さ、 虚 無 感 に満 た され 、 自殺 に至 る こ と もあ る 。 や は り、 溶 解 体 験 を回 心 とす る に は 、 「溶 解 体 験 の 意味 付 け 、 知 的 問 い か け」(織 田 、1990、40頁)が 不 可 欠 な の で あ る 。 そ して 、 「 溶 解 体 験 に よっ て体 験 し た超 越 的 存 在 に対 す る祈 り、 謙 虚 さ」 も必 要 で あ ろ う。 こ う した 回 心 へ の プ ロ セ ス を具 体 的 に実 践 して い るの が 、 嗜 癖 か らの 回復 を 目指 す 自助 グ ル ー プ で あ る 。 こ こ で は 、 そ の 起 源 で あ る ア ル コ ー ル 依 存 症 者 の 自助 グ ル ー プ 、AA (AlcoholicsAnonymous)に つ い て 簡単 に述 べ て お きた い 。AAに 「12ステ ッ プ」 と 「12の伝 統 」 が あ る 。12ス テ ップの 、 第1∼3ス は、図表の ように、 テ ップ で 、 酒 を制 御 す る 「意志 の 力 」 「プ ラ イ ド」 の 限 界 を知 り、 自 らの 無 力 を 認 め 、 自 己 を 「神=ハ パ ワ ー」 に委 ね る こ とが 説 か れ て い る。 そ して 、 第11∼12ス イヤ ー ・ テ ップ で 、 「神 との 意 識 的 触 れ合 い」 「霊 的 目 覚 め 」18)が 目指 され て い る 。 こ こで 言 う、 「霊 的 目覚 め」 は 、 回 心(学 習 皿)と 言 っ て よ い だ ろ う。 こ う して 霊 的 成 長 の ス テ ップ は、 ア ル コ ー ル依 存 症 者 の 仲 間 同士 が 、 一 人一 人 、 無 名 の ア ル コ ホ リ ック と して 、 ミー テ ィ ン.グで 自 らの 体 験 、思 い を語 り、仲 間 の語 りに共 感 す る こ とで 、 自 ら を、 個 を超 え た全 体(AA全 体)の 中の 一 人 と自覚 す る こ と に よ っ て達 成 さ れ る 。 ア ル コー ル 依 存 症 者 に と っ て 、 対 人 関 係 は 、 競 合 的 関 係 、 共 依 存 的 関 係 で あ っ た。 しか し、 ア ル コ ー ル依 存 症 者 は 、本 当 は、 他 者 との 共 感 を求 め て い た の で は な い だ ろ うか 。 しか し、 自 ら の ア ル コ ー ル に対 す る 無 力 を知 っ て ゆ くこ とで 、 よ うや く、 仲 間 との 共 感 が 深 ま る の で あ る。 これ は 、 生命 あ る溶 解 体 験 と言 っ て よい だ ろ う。 「神=ハ ろ う19)。 イヤ ー ・パ ワ ー」 と は、 そ う した 溶 解 体 験 の 意 味 付 け 、 名 前 と言 って よ い だ 京都社会学年報 第5号(1997) 鎌原 64 3生 自虐 と依 存 か ら自立 へ 命性 を回復 する自己 3-1自 我 の三側 面 一 独 立 我 、社 会 我 、 超 個 体 我 こ こ で 、 今 ま で論 じて き た こ と を、 作 田啓 一 の 自我 論 を用 い て 整 理 し よ う。 作 田啓 一 は 、 人 間 の 自我 に は 「独 立 我 」 「社 会 我」.「超 個 体 我 」 の 三 つ の 側 面 が あ る とす る 。独 立 我 は 、 母 子 一 体 の 状 態 を脱 して独 り立 ち し、 自己 の 現 状 を超 え て い こ う とす る側 面 で あ る 。 独 立 我 が あ る年 齢 に な っ て 出現 す る と 、 図 の よ う に横 に二 つ の 自我 が 出 て くる 。 そ れ が 、 超 個 体 我 、社 会 我 で あ る 。 まず 、 超 個 体 我 とは 、 「溶 解 体 験 」 を 司 る 自我 で 、 対 象 中心 的 認 識 を特 徴 とす る。 「対 象 中 心 的 な愛 と は 自他 の境 界 の不 在 ゆ え に 自己 の 全 体 と他 者 の 全 体 と が相 互 に い り組 み 合 う関係 」 で 、 「そ の 関 係 の 中 で 人 は他 者 の 全 体 を了 解 す る こ とが で き る」(作 田、1993、91頁)の で あ る 。 超 個 体 我 は 、他 者 との 、 この よ う な 「共感 」 に よ っ て 、 生命 感 、 存 在 感 の 充 溢 感 を得 る の で あ る。 こ れ は 、 「 今 、 こ こ」 に お け る 、 時 間 を超 えた 体 験 で あ る20)。一 方 、 社 会 我 は、 「拡 大 体 験 」 を司 る 自我 で あ る。 拡 大 体 験 とは、 自己 の 範 囲 、 境 界 が 集 団 の 範 囲 ま で拡 大 す る体 験 で あ るが 、 自他 の壁 が な くな る わ け で は な い か ら、 溶 解 体 験 とは 区 別 され る。 社 会 我 の特 徴 と して 、 「自 己 防衛 機 能」、 「自 己 と外 界 の あ い だ に壁 をつ くって 自我 を保 存 しよ う とす る傾 向」(作 田 、1995、114頁)な どが挙 げ ら れ る 。 そ して 、 自 己 中心 的 に、 他 者 、 外 界 を 、 自己 の 利 益 の た め の 道 具 、 客 体 と して利 用 す る こ ζ も、社 会 我 の 特 徴 で あ る。 しか し、 「自分 の 周 囲 の 壁 が 、 家族 、 会 社 、 国 な ど の 範 囲 に広 が っ て 「私 た ち」 とい う共 同体 が 成 立 し、 そ の 範 囲 の 中で 自他 が 結 合 す る と い う 側 面 もあ る」(同 、115頁)の こ こ で 説 明 した 溶 解 体 験(超 で あ る。 個 体 我)も 、拡 大 体 験(社 会 我)も 、 欲 望 肯 定 的 な 「プ ラ ス 」 の 体 験 で あ る が 、 実 は欲 望 否 定 的 な 「マ イ ナ ス」 の 溶 解 体 験(超 個 体 我)、 拡大体験 (社 会 我)も 存 在 す る。 こ こで 、 図1∼4を 見 て み よ う、 図 の 中心 に独 立 我 が あ り、 独 立 我 の 両極 に は 、 ドゥ ル ー ズ の 「マ ゾ ッホ とサ ド」 に お け る 、欲 望 充 足 を否 定 す る サ デ ィズ ム の 「 超 自我 」 と、 欲 望 充 足 を肯 定 す る契 約 的 マ ゾ ヒズ ム の 「理 想(自)我 は 、超 個 体 我 、 図1の 」 が あ る6今 度 第IV象 限 、 第In象 限 を見 て み よ う。 第IV象 限 は 、 「エ ロ ス」 「プ ラ ス の超 個 体 我 」 の 領 域 で 、 「生 命 あ る 生 き た宇 宙(自 然)」 へ の 溶 解 体 験 が な され る 領 域 で あ る 。 第In象 限 は 、 「タナ トス 」2D「 マ イ ナ ス の 超 個 体 我 」 の 領 域 で あ り、 そ こ で は 、 「生 命 の な い 死 ん だ宇 宙(自 然)」 へ の 溶 解 体 験 が な され る の で あ る。 作 田 啓 一 は、 「マ イ ナ ス の 溶 解 体 験 」 を 、 「自分 が 統 一 性 を失 っ て 、 生 命 の な い粉 末 と な っ て宇 宙 に飛 散 す る」(同 、130頁)イ メ ー ジ で捉 え て い るが 、 そ れ は、 「虚 無 そ の もの」 に浸 され る体 験 と 言 っ て よい だ ろ う。 で は、 次 に 、 社 会 我 の 領 域 、 図 の 第1象 限 、 第H象 限 に目を向けてみ よ う。 作 田 啓 一 は 、 この 領 域 に つ い て 多 くを語 って い な い22)。しか し、 自分 が 、 自 己境 界 、 Kyoto Journal of Sociology V/December. 1997 鎌原 65 自虐 と依 存 か ら自立 へ 自 己 を含 ん だ 集 団 の境 界 の 内 部 に い る状 態一 一 例 え ば、 集 団 が ま と ま って い る 中 、 自分 も 集 団 に適 応 して 高 揚 感 を味 わ っ て い る状 態 な ど 一が 、 第1象 限 の 「プ ラス の 拡 大 体 験 」 で あ り、 自分 が 、 自己 、 自 己 を含 ん だ 集 団 の 内 部 に い ら れ な い状 態(不 劣 位 な 立 場 にい る な ど)を 、 第n象 適 応 して い た り、 限 、 「マ イ ナ ス の 拡 大 体 験 」 と捉 えて お こ う。 と こ ろ で 、 岡 崎 宏 樹 に よれ ば 、 ジ ラー ル の供 犠 論 に お け る、 生 け 賛 殺 害 の 際 の 全 員 一 致 の 現 象 は 「(プ ラ ス の)拡 大 体 験 」 で あ る。 しか し、 集 団 の レベ ル だ け で な く、 ジ ラ ー ル の 欲 望 の 模 倣 理 論 に お け る 個 人 間 の 関 係 も、 社 会 我 に よ る拡 大 体 験 だ と考 えた い 。 模 倣 的 欲 望 の 主 体 が 、 欲 望 の媒 体 の 「モ デ ル」 の側 面 に 一 致 して 、 自尊 心 に満 ち て い る状 態 は 、 第H象 限 で 表 され る。 一 方 、 模 倣 的 欲 望 の 主 体 が 、欲 望 の 媒 体 の 「ラ イバ ル」 の側 面 と相 対 的 に 関 わ って い て 、劣 等 感 、 媒 体 へ の憎 悪 を抱 い て い る状 態 は、 第H象 以 上 、 超 個 体 我 の体 験(溶 解 体 験)と 社 会 我 の体 験(拡 限 で 表 され る。 大 体 験)は 、互 い に区 別 さ れ る もの で あ る が 、 両 者 は 、 「と も に個 人 の 限 界 を超 え る とい う共 通 点 を もっ て い るか ら、 一 方 か ら他 方 へ の 横 滑 りが 起 きや す い こ と も事 実 」(作 3-2タ ナ トス か ら エ ロ ス へ ・ 田 、1995、ii頁)で ある。 近 代 か ら超 近 代 へ 一 で は 、作 田 啓 一 の 自我 論 を用 い て 、近 代 社 会 、近 代 を超 え る 可 能 性 に つ い て 簡 単 に ま と め てみ た い 。 近代 社 会 は 、 本 質 的 に 、 図 で 言 えば 第 皿 象 限 、噛 「マ イナ ス の超 個 体 我=タ ナ トス」 が ベ ー ス に あ る 社 会 で あ る 。 ア ドル ノ=ホ ル クハ イマ ー や 大 澤 真 幸 は 、 抽 象 的 な形 式 合 理 主 義 の 極 限 と して の 「サ デ ィス テ ィッ ク な超 自我 」 こそ 、 近代 社 会 に お け る究 極 的 な規 範 だ と言 っ て い る 。 こ う した 超 自我 、 規 範 に媒 介 され て 、 強 迫 的 に 生 き る とこ ろ が 、 近 代 の 「非 生 命 性 」 で あ る。 そ れ は、 即 ち 、 模 倣 的 欲 望 、社 会 我 の 次 元 にエ ネ ル ギ ー が 過 剰 に注 が れ る こ と と同 値 で あ る。 近 代 人 は 、 「タ ナ トス」 「 非 生 命 性 」 の 「空 虚 感 」 を根 底 に 感 じな が ら、 そ れ を 「自尊 心 」 で 埋 め よ う と図 の 第1象 限 、 「プ ラ ス の 拡 大 体 験 」、 欲 望 の モ デ ル の模 倣 、 自己 ・他 者 の 支 配 を志 向 す る 。 だ が 、 結 局 、 近 代 人 は、 ア ル コー ル依 存 症 の 央 とそ の 妻 の 共 依 存 関係 の よ うに 、 第1象 限 と、 第H象 限 の 間 を、 支 配 一 被 支 配 の シ ー ソ ー ゲ ー ム を した り、夫 か ら虐 待 され 続 け る 女 性 の よ う に、 依 存 的 マ ゾ ヒ ズ ム(第H象 限)に 陥 った りして し ま うの で あ るお}。しか も、模 倣 的 欲 望 は、 ダブ ル ・バ イ ン ド的 で あ るた め 、 「存 在 論 的不 安 定 」=「 非 生命 性 」 を ます ます 強 め る こ とに なる鋤 。 そ の 結 果 、 ジ ラ ール が 述 べ た よ うに 、 模 倣 的 欲 望 は 、 「空 虚 そ の も の」 「非 生 命 」 そ の もの を欲 望 す る よ う に な る 。 そ れ は 、 近 代 の 本 質 、 即 ち 、 「タナ トス」 を 欲 望 す る こ とそ の もの で あ る 。 しか し、前 章 で 見 た通 り、 こ の よ う に近 代 の 本 質=「 タ ナ トス 」 「非 生命 性 」 が 露 に な る こ と、 そ れ は、 「タナ トス」 を司 るサ デ ィス テ ィ ッ ク な規 範 が 、 規 範 と して 無 効 化 す る 京 都社 会学 年報 第5号(1997) 鎌原 66 自虐 と依存 か ら 自立へ こ とで あ る。 そ の 帰 結 と して 、 契 約 的 マ ゾ ヒス ム にお け る 「エ ロ ス」 「生 命 性 」 の 優 位 が 達 成 され る の だ 。 ま た 、 嗜癖 者 、共 依 存 者(模 倣 的 欲 望 の 主 体)が 「 底 突 き」 して 、 嗜 癖 、 共 依 存 の 根 本 に あ る 「タナ トス 」 「 非 生 命 」 に 直 面 した時 、 自分 が 「生 命 あ る存 在 と して 生 き た い 」 と真 に願 う な ら ば 、 サ デ ィス テ ィ ッ ク な規 範 が も は や 無 効 で あ る こ と を知 る。 つ ま り、 「 底 突 き」 に よ って近 代 人 は 、 自 らの生 を、 「自分 の 生 命 その もの=エ ロス 」 「プ ラス の 超 個 体 我 」 に委 ね るの で あ る。 こ う して 、 近 代 を超 え る こ とは 、 規 範 の 根 本 が 、 第 皿 象 限 か ら第IV象 限 に シ フ トし、欲 望 肯 定 的 な 「理 想(自)我 」 が 欲 望 否 定 的 な 「超 自我 」 に と っ て変 わ る こ とで あ る。 しか し、 マ ゾ ヒズ ム の 元 祖 、 ザ ッヘ ル=マ ゾ ッホ は 、 最 終 的 に マ ゾ ヒズ ム に も限 界 を 感 じて 、 マ ゾ ヒ ス テ ィ ッ クで な い 男 女 関係 を結 ぶ に至 った 。 ま た 、 嗜癖 か らの 回復 者 が 、 現 実 の 社 会 生活 を営 む場 合 、 社 会 は依 然 と して 「嗜 癖 す る社 会 」 で あ る 。 で は 、 そ こで 、 い か に 生 き て い くの か? こ こ で 、 摂 食 障害 、 特 に拒 食 症 に注 目 して み よ う。 拒 食 症 も含 め て、 摂 食 障 害 に は 嗜 癖 と して の 側 面 もあ る の だ が 、 次 の よ う な側 面 も見 出 だ され る。 そ れ は、 近代 的 サ デ ィズ ム (「 自律 し ろ、 禁 欲 しろ 」 とい う規 範)と 、 超 近 代 的 マ ゾ ヒ ズ ム(苛 酷 な 身 体 経 験 に よ っ て 「良心 、 罪 悪 感 」 を敗 北 させ る こ と、 欲 望 を肯 定 す る こ と)の 両極 の 葛 藤 で あ る。 拒 食 か ら、 拒 食 と過 食 の サ イ クル 、過 食 嘔 吐 に 入 っ た 場 合 な ど は特 に 、 この 葛 藤 が顕 著 に な る と言 え よ う。 「欲 望 を コ ン トロ ー ル で き て男 性 と張 り合 え るr自 律 的」 女 性 で あ れ 」 「男 性 に従 属 し、 「女 ら し く」 あ れ(「 共 依 存 的 」 で あ れ)」 ド的 な規 範 と 、 「食べ た い 、 そ して、(自 とい うそ れ 自体 ダ ブ ル ・バ イ ン ら を)生 か す 女 性 で い た い 」 とい う 自然 な 欲 求 と の 激 しい 葛 藤 が 、 症 状 と な っ て現 れ て い る の で あ る。 次 章 で は 、 こ う した 自 己 の 分 裂 、 葛 藤 が 、 い か に 「統 合 」 され て い くか 、 「 統 合 」 とは い か な る こ とか 、 とい う こ と に っ い て述べ たい。 4生 命性 ある個人の 「自立」 と成長 に向けて 以 上 、概 観 して きた よ うに 、 「自律 しろ 、 自律 しろ 」 と、 自 ら を強 迫 的 に 駆 り立 て 、 完 全 な 「自律 」25)を 実 現 で きな い 自 己 を懲 罰 す る超 自我 と一 体 化 し よ う とす る こ とは 、 社 会 我 に よ る依 存 関 係 を もた らす 。 本 論 で は 、 この よ うに 主 に社 会 我 の 次 元 に お け るパ ラ ドッ クス 、 模 倣 的 欲 望 のパ ラ ドック ス につ い て概 観 して きた訳 で あ る が 、 実 は超 個 体 我 の 次 元 に お け る 「自律 」 につ い て の パ ラ ドッ ク ス も存 在 す る の だ 。 これ は 、 社 会 我 の次 元 に お け るパ ラ ド ック ス 以 上 に根 本 的 で あ る 。 前 章 まで 、 生 命 感 あ る溶 解 体 験 の 意 義 を述 べ て きた が 、 そ れ だ け で は 、 「超 越 的 存 在 に 呑 み 込 まれ て しま う とい う意 味 で 、 む しろ 自律 性 の 放 棄 に つ な が る」(同 Kyoto Journal of Sociology V/December. 1997 、90-91頁)の 鎌 原:自 虐 と依存 か ら 自立 へ だ。 先 に挙 げ たV.ウ 67 ル フの 神 秘体 験 が 、 彼 女 に 自律 で は な く、 自殺 を もた ら した こ とが 、 一 つ の 典 型 例 で あ る 。 これ は 、 生 命 の 溢 れ る 溶 解 体 験 が 「空 虚 感 」 に陥 っ た 例 だ 。 ま た 、 バ タ イユ26)が 、 「 供 犠 的 身 体 段 損 と ヴ ァ ン ・ゴ ッホ の切 られ た耳 」 に お い て 挙 げ て い る い くつ か の例 も、 人 間が 神 秘 体 験 、 超 越 的存 在 に呑 み 込 まれ て し ま う例 だ と言 って 良 い だ ろ う。 バ タイ ユ は、 キ ゴ ベ レー(大 地 の 女 神)の 祭 司 た ちが 、 入信 式 に お い て 興 奮 の最 中 に 剃 刀 や 貝 や 火 打 ち 石 を用 い て 自分 の 男根 を生 賛 に して し ま う こ と な どを 挙 げ て い る。 これ は、 陶 酔(生 命 に満 ち た溶 解 体 験)の 中 で の 自 己殿 損(極 端 な 場 合 は 「死 」)に 至 っ た例 だ と言 え る。 バ タ イユ は こ う した 自己 殿 損 につ い て 、 「供 犠 を行 な う もの は 自 由 で あ る」 (バ タイユ 、1986ニ1974、173頁)と 言 っ て い るの だが 、確 か に、 超 越 的 存 在 とつ なが って 「自由 」 は得 られ て も、 そ れ は 、 もは や 「死」 と言 っ て も よ い もの で あ っ て 、 生 き て 自律 す る こ とが で き な くな って い る の だ 。 また 、 社 会 我 と超 個 体 我 の 間 に も、 パ ラ ドキ シ カ ル な 関 係 性 が あ る と い う こ と は、 こ こ まで 述 べ て きた 通 りで あ る。 社 会 我 の 次 元 にお け る模 倣 的 欲 望 、 自尊 心 の極 限 の 「絶 望」 にお い て 、 回 心 と も言 うべ き溶 解 体 験 が 起 こ る こ と。 逆 に超 個 体 我 の 次 元 の 溶 解 体 験 に執 着 す る あ ま り、 神 秘 宗 教 が 単 な る宗 教 嗜癖 に堕 して しま うこ と、 宗 教 共 同 体 の カ ル ト化 な どが 挙 げ られ る。 で は 、 わ れ わ れ は 、 こ の よ う なパ ラ ド ック ス 、 ダ ブ ル ・バ イ ン ドか ら 自由 に な れ な い の だ ろ うか?ベ イ トソ ン の 言 う学 習1皿は、 そ の 達 成 自体 困 難 で あ り、失 敗 す れ ば精 神 病 に 陥 る危 険 が あ る とい う(ベ イ トソ ン、1972ニ1987、436頁)。 もは や 、 わ れ わ れ は 、 こ う し たパ ラ ド ック ス 、 ダ ブ ル ・バ イ ン ドを根 源 的 な もの と見 倣 し、 パ ラ ドッ ク ス と折 り合 っ て 生 きる ほ か な い の で は な い か 。 完 全 に他 者 と共 感 し合 え る こ と もな け れ ば、 共依 存 的 関係 性 か ら 自 由 に なれ る わ け で もな い の だ。 しか し、 も ち ろ ん 、 この よ うな パ ラ ドッ ク ス に 陥 りっぱ な しで は 、 人 間 は 個 人 と して存 在 す る こ とは で き な い だ ろ う。 作 田啓 一 は 、 自然 な ど世 俗 外 の 超 越 的 存 在 と交 わ り、 生 命 力 の 充 足 と 自己 の 尊 厳 を得 る こ とが 、 個 人 成 立 の 十分 条 件 だ と述 べ て い る。 一 旦 世 俗 外 で 「世 俗 外 個 人 」 と な って か ら、 世 俗 内 に 移行 し、世 俗 性(ホ ー リズ ム ・共依 存 的 関係 性) に対 して 自 らの 同 一性 を維 持 し、 自律 的 と な る こ と。 これ が 、 世俗 内 個 人=個 人 な の だ と い う(作 田 、1996、108頁)。 た だ 、 注 意 して お くべ き は 、 なぜ 、 超 越 的 存 在 と の 交 流 が 、 個 人 と して の 尊 厳 の 十 分 条 件 とな るか で あ る。 そ れ は 、 そ の 時 、 人 間 が 、 「衣拠 す べ き 自 己 が な ん ら頼 りに な る もの で は な く、 自己 を超 え た 大 き な力=「 て い る」(作 田 、1996、90頁)と 自然 」 に よ って 動 か され いう 「 孤 独 」 を 知 る か らで あ る。 そ れ は、 近 代 人が 主体 的 に 自 己 準 拠 的 に 生 き る こ との 「寂 し さ」 以 上 の感 覚 で あ る。 この 孤 独 感 を受 け 入 れ る こ と こ そ 、 人 間 が 、 共依 存 的 人 間 関 係 や 、 超 越 的 存 在 、 宇 宙 、 自然 に呑 み 込 ま れず 、 個 人 と 京 都社 会学 年報 第5号(1997) 鎌 原:自 虐 と依 存 か ら自立 へ 68 して存 在 す る た め に 必 要 な 尊 厳 を与 え る の で あ る 。 こ こ で 、 図1∼4を 見 てみ る と、 中心 に 「独 立 我 」 が あ る。 独 立 我 が 図 の 中心 に位 置 す る こ と は 、 単 に、 超 個 体 我 と社 会 我 の バ ラ ンス が 取 れ た状 態 、 超 自我 と理 想 自我 の バ ラ ン ス が 取 れ た状 態 を表 わ す の で は な く、 そ れ は 、 人 間 が もつ様 々 なパ ラ ドック ス 、 ダ ブ ル ・ バ イ ン ドの 本 源 性 を悟 り、パ ラ ドッ クス とつ きあ い なが ら生 き る状 態 の こ と だ と さ え言 っ て よ い の で は な い だ ろ う か。 こ う して 自 己 の 全 体 性 を捉 え て生 き る こ とは 、 「ひ と りで 生 きね ば な ら ない 」(自 律)で (自 立)と は な く、 「ひ と りで い られ て 、 自分 の ため に 生 き てい け る」 い う こ とに つ なが っ て くる の で は な い か 。 そ れ は 、 人 間存 在 のパ ラ ドッ ク ス性 を認 識 しつ つ も強 迫 的 で な く、 自分 の 生 命 の 流 れ 、 存 在 感 を感 じなが ら生 き て い くこ とで あ る。 こ う した 生 き方 を表 わ す キ ー ワ ー ドと して 、 私 は 、 「い い か げ ん に生 き よ う」 とい う言 葉 を想 起 す る 。 「い い か げ ん に生 き よ う」 とい うの は 、 摂 食 障 害 者 の 自助 グ ル ー プNABA (表7参 照)の モ ッ トー で あ り、 そ れ は、 「と りあ えず 、 今 、 自分 が して い る こ と を受 け い れ る」、 「食 べ た か っ た ら、 食 べ れ ば よ い。 ・・… ・す べ て 今 の あ な た が 自分 に と っ て必 要 と判 断 し てや って い る こ と な の だ か ら」(斎 「懲 罰 的 な 監 視 者 の声 」一 藤 、1993、232頁)と い う こ とだ 。 心 の 中の 摂 食 障 害 者 を罪 悪 感 で満 た し、 拒 食 ・過 食 に追 い 込 む声 を聞 か ず 、 身 体 が 発 す る 自然 な メ ッセ ー ジ 、 生 命 の 流 れ に対 す る感 受 性 を働 か せ るの で あ る 。 そ μ こ そ が 、 「嗜 癖 シ ス テ ム(白 A.W.シ 人 男 性 シ ス テ ム)」 ェ フ は、 そ れ を 、 「生 存 過 程 シ ス テ ム(新 system)」(シ ェ フ 、1987=1993)と に代 わ る もの に つ な が る の だ 。 た な女 性 シ ス テ ム ニemergingfemale 呼 ぶ 。 そ れ は 、 自分 自身 の視 点 を大切 に し、 生 命 を 維 持 し育 む女 性 の シ ス テ ム で 、 「自分 の 内 部 に沸 き上 が る感 情 や 欲 求 を大 切 に しつ つ も、 深 い とこ ろ で 他 人 と調 和 す る」(斎 藤 学)(シ ェ フ 、1987ニ1993、xviii頁)シ ス テ ム なの だ。 しか し、 こ こで 、 「い い か げ ん に 生 き よ う」 な ど とい うモ ッ トー は 、 単 な る 「甘 え」 で は な い の か?こ の モ ッ トー 自体 が 、 強 迫 的 な規 範 に な っ て しま うお そ れ は な い の か? と い う疑 問 が 出 て くる だ ろ う。 確 か に 、 この モ ッ トー が 、 強 迫 的 な規 範 と な っ て し ま う可 能 性 は あ る 。 こ の モ ッ トーが 強 迫 的 規 範 に な らず に す む とす れ ば 、 そ れ は 、 「仲 間 が 生 き て 、存 在 して い る こ と そ の もの が 、 自分 の 存 在 を 支 え て くれ て い る 。 仲 間 の 存 在 自体 が 、 温 か い もの と して感 じ られ る」 とい う共 感 が あ る か らな の だ 。 また 、.この モ ッ トーが 、 摂 食 障害 者 の 回復 ・成 長 に つ なが っ て い る とす れ ば 、 「お た が い 一 緒 に 成 長 して 幸 せ に な ろ う ね」 とい う、 メ タ ・メ ッセ ー ジが 共 有 され て い る か ら な の だ 。 「あ りの ま ま で い い ん だ よ」 とい う メ ッセ ー ジだ か らこ そ 、 お 互 い の 成 長 を願 う メ タ ・メ ッセ ー ジ を最 も良 く伝 え る こ とが で きる の で は な い か 。 しか も、 摂 食 障 害 を通 して 、 人 間 の パ ラ ドッ クス 性 を痛 切 Kyoto Journal of Sociology V/December. 1997 鎌 原:自 虐 と依 存 か ら自立へ 69 に 体 験 した 人 々 だ か ら こそ 、 こ う した メ ッセ ー ジが 有 効 で あ り、 か つ 、 切 実 に 必 要 と され るの だ。 自助 グ ル ー プ と は 、 一 人 一 人 の 物 語 に 耳 を傾 け る仲 間 が い て 、 仲 間 同 士 で 回復 ・成 長 、 自立 を志 向 す る メ タ ・メ ッセ ー ジが 共 有 され て い る場 、 共 同 体 で あ る 。 そ の 中 で 、 自 己 の 「物 語(narrative)」 (模倣 的 欲 望)に の語 り直 しの 中 、 メ ンバ ー は 、 嗜 癖 的 な 自分 い じめ の エ ネ ル ギ ー 、 「生 命 性 」 の光 を垣 間 見 、 「今 、 こ こ に存 在 して い る 自分 」 を語 れ る よ うに な っ て い くの だ27)。 最 後 に、 修 士 論 文 執 筆 時 以 来 、私 をAC(adultchildren)本 人 と して ミー テ ィ ン グ、 ワー ク シ ョッ プ に参 加 させ て 下 さ る な ど、 研 究 とい う枠 を越 えて 私 を 支 えて 下 さ っ た 、NABA の ス タ ッフ 、仲 間 の方 々 に深 く感 謝 し、 そ して 、 摂 食 障 害 者 本 人 だ けで な く、 家 族 、 関係 者 、 専 門 家 に も開 か れ た ネ ッ トワ ー ク作 りを進 め るNABAの 方 々 に深 く敬 意 を表 して 、 本 稿 を 閉 じる こ と に した い 。 〈図1近 代=非 生 命 性 と依 存 的 マ ゾ ヒズ ム ・共 依 存 〉 京 都社 会学 年報 第5号(1997) 鎌原 70 〈図3超 〈 図4近 近 代=契 約 的 マ ゾ ヒズ ム 〉 代 と超近代 の狭間 か ら生命性 ある個 人の時代 へ:摂 食障害 か らの回復 ・成長〉 〈表5AAの12ス 1わ 自虐 と依存 か ら自立 へ テ ッ プ> れ われ は ア ル コー ル に対 して 無 力 で あ り、 生 き て い くこ とが ど うに も な ら な くな っ た こ と を認 め た 。 2わ れ わ れ は 自分 よ り偉 大 な力 が 、 わ れ わ れ を正 気 に戻 して くれ る と信 じる よ う に な っ た。 3わ れ わ れ の 意 志 とい の ち の 方 向 を変 え 、 自分 で理 解 して い る神 、 ハ イヤ ー ・パ ワ ーの 配 慮 に ゆ だ ね る決 心 を した。 4探 し求 め 、恐 れ る こ とな く、 生 き方 の 棚 卸 表 を作 っ た 。 5神 に 対 し、 自分 自身 に対 し、 も う一 人 の 人 間 に 対 し、 自分 の 誤 りの正 確 な 本 質 を認 め た。 Kyoto Journal of Sociology V/December. 1997 鎌原 n 自虐 と依 存か ら自立へ これ らの 性 格 上 の 欠 点 を すべ て取 り除 くこ と を神 に ゆ だ ね る心 の準 備 が 、 完 全 に で き 6 た。 7● 自分 の短 所 を変 え て 下 さい 、 と謙 虚 に神 に 求 め た 。 OO われ わ れ が 傷 つ け た すべ て の 人 の 表 を作 り、 そ の す べ て の 人 た ち に埋 め 合 わ せ をす る 気 持 に な っ た。 9 そ の 人 た ち 、 ま た は 他 の 人 び と を傷 つ け ない 限 り、機 会 あ る た び に 直接 埋 め 合 わ せ を した 。 0 1 自分 の 生 き方 の 棚 卸 しを実 行 し続 け 、誤 っ た時 は 直 ち に認 め た 。 1 1 自分 で 理 解 して い る神 との 意 識 的 触 れ 合 い を 深 め る た め に 、神 の 意 志 を 知 り、 そ れ だ け を行 って い く力 を 、祈 りと黙 想 に よ っ て 求 め た。 12 こ れ らの ス テ ップ を経 た結 果 、霊 的 に 目覚 め 、 この 話 をア ル コ ー ル 中毒 者 に伝 え、 ま た 自分 の あ らゆ る こ とに 、 この 原 理 を実 践 す る よ う に努 力 した。 〈 表6AAの12伝 統> 1第 一 にす べ きは 全 体 の福 利 で あ る 。 個 人 の 回 復 はAAの 一 体 性 に か か っ て い る。 2わ れわれの グル ープの目的のための最終 的権威 はただ一つ、 グループの良心の 中に 自 分 を現 わ され る愛 な る 神 で あ る 。 わ れ わ れ の リー ダ ー は奉 仕 を委 さ れ た 僕 に す ぎず 、 彼 らは決 して 支 配 し な い。 3AAの メ ンバ ー で あ る た め に要 求 され る唯 一 の こ と は 、酒 をや め たい とい う願 望 だ け で ある。 4各 グ ル ー プ は完 全 に 自律 的 で な け れ ば な らな い 。 た だ し、 他 の グ ル ー プ ま た はAA全 体 に 影 響 を お よぼ す 事 柄 にお い て は こ の 限 りで は な い 。 5各 グル ー プ の 主 要 目的 は た だ 一 つ 、 まだ 苦 しん で い る ア ル コ ー ル 中毒 者 に メ ッセ ー ジ を運 ぶ こ とで あ る。 6AAグ ル ー プ で は い か な る 関係 あ る施 設 に も 、外 部 の 企 業 に対 して も、 保 証 や 融 資 や AAの 名 前 を貸 す こ と を して は な らな い 。 金 銭 や 所 有 権 や 名 声 の 問題 が 、 わ れ わ れ を 大 事 な 目 的 か らそ れ させ る恐 れ が あ る か らで あ る 。 7す べ て のAAグ 8AAは ル ー プ は外 部 か らの 寄 付 を辞 退 して 、 自立 しな け れ ば な ら な い。 ど こ まで も非 職 業 的 で な け れ ば な ら な い。'しか し、 サ ー ビス ・セ ン ター の よ う な と こ ろ で は 専 従 の職 員 を お くこ とが で き る。 9AAそ の もの は 決 して組 織 化 さ れ て は な ら な い。 しか し、 サ ー ビス の 機 関 また は 委 員 会 をつ くる こ と は で きる 。 これ らの 機 関 は、 グ ル ー プや メ ンバ ー か らの 付 託 に 直 接 応 え る もの で あ る。 京 都社 会学 年 報 第5号(1997) 鎌 原:自 虐 と依存 か ら自立へ 72 10AAは 外 部 の 問 題 に は意 見 を持 た な い。 した が っ て 、AAの 名 は公 の 論 争 で ひ き合 い に出 され る べ きで な い 。 11わ れ わ れ の広 報 活 動 は宣 伝 に よ り促 進 す る こ と よ り も、 ひ きつ け る魅 力 に基 づ く。 新 聞 ・電 波 ・映 画 の分 野 で 、 わ れ わ れ はい つ も個 人 名 を伏 せ るべ きで あ る。 12無 名 で あ る こ と は、 われ わ れ の伝 統 全 体 の霊 的 基 礎 で あ る。 そ れ は 各 個 人 よ り もAA の 原 理 が 優 先 す べ きこ と を、 い つ も、 わ れ わ れ に思 い 起 させ る もの で あ る 。 〈 表7NABAの 「過 食 ・拒 食 症 者 が 回復 し、 成 長 す る た め の10ス テ ップ 」 〉 (NABA=NipponAnorexiaBulimiaAssociation) 日本 ア ノ レキ シ ア(拒 食 症)・ 1私 ブ リ ミア(過 食 症)協 会(1987年 ∼) た ち は 痩 せ る こ とへ の こ だ わ りか ら離 れ られ ず 、 こ の執 着 の ため に 日々 の 生 活 が ま ま な ら な くな って い る こ と を認 め た 。 2痩 せ る こ とへ の 執 着 は 、 他 人 の評 価 を気 に し過 ぎる と こ ろ か ら は じま り、 自分 の 意 志 の 力 を信 じ過 ぎた こ と で ひ ど くな っ た こ と を理 解 し た。 3今 まで の 生 き方 を支 え て きた意 志 の 力 へ の信 仰 をや め 、他 人の 評 価 を恐 れ る こ とな く、 あ る が ま ま の 自分 の 心 と身体 を受 け 入 れ よ う と決 心 した。 4あ る が ま ま の 自分 を発 見 す る た め に 今 ま で の 生 き方 を点 検 し、 両 親 との 関係 か ら始 ま る 人 間 関係 に つ い て の 点 検 表 をつ くっ た 。 F D だ0 7 上 記 の 点 検 表 を 、 先 を行 く仲 間 に見 せ て 語 りあ い 、 真 の 自己 の 発 見 に つ と め た 。 偽 りの 自己 の 衣 装 の 下 に隠 れ て い た 、 真 の 自 己 の存 在 を実 感 で き る よ うに な り、 こ の "も う ひ と りの 自分"と 和 解 しよ う と思 う よ うに な っ た。 今 まで の 生 き方 の誤 りが 、 真 の 自己 を見 失 い 、傷 つ け 、成 長 の 最 後 の段 階 を踏 み そ こ な っ た こ と に 由来 す る こ とに気 づ い た。 8 自分 の 生 き方 の 点 検 を続 け 、 新 た に気 づ い た 無 理 な 生 き方 は勇 気 を も っ て変 え る こ と を心 が け た 。 9 自分 の 命 の 自然 な流 れ を実 感 で きる よ う に な り、 そ の 流 れ に漂 う こ と の落 ち つ き を楽 しむ よ うに な っ た。 10 これ ら 自分 の経 て き た成 長 の ス テ ップ を 、 ま だ痩 せ る こ との 努 力 に 溺 れ て い る 人 々 に 正確 に伝 え た 。 (10ス テ ップ作 成 者:斉 藤 学) Kyoto Journal of Sociology V/December. 1997 73 鎌 原:自 虐 と依存 か ら 自立 へ 注 1)本 稿 にお い て は 、(欲望 の)主 体 と い う と きは 、 「 欲 望 の持 ち 主 」 とい う 意味 で あ る が 、 「 主体」 と表 記 した 時 は 、 「近 代 の 自律 的 主 体 」 の こ と を表 す 。 2)デ ュ ピュ イ は 、 「主 体 は根 底 的 な 不 充 足 を 理 由 に 自 己 を軽 蔑 す るが 、 しか しそ れ は 神 の よ うな 完 全 な 自 己 充 足 が 到 達 可 能 で あ る と信 じて い る か らで あ る」(デ ュ ピ ュ イ1979=1990、89頁)と 述 べ る。 3)嗜 癖 とは 、 「 衝 動 強 迫 的 に没 頭 す る様 式 化 さ れ た 習 慣 で あ り、 中断 した 場 合 手 に 負 え な い不 安 4 F O 6 7 8 感 を生 じ させ る もの 」(ギ デ ンス 、1992=1995、109頁)と シ ェ フ 、1987=1993、 野 口、1988a。 定義 で きる。 訳 書xi-xii頁(監 訳 者 斎 藤 学 、 前 書 き)。 亀 山 、1988参 照 。 ド ゥル ー ズ 、1967=1973。 作 田 、1996参 照 。 「道 徳 的 無 感 動 」 は カ ン トの言 葉 。 ラカ ンな ど、 多 くの 人 が カ ン トとサ ドの 関係 を論 じて い る 。 こ こで 言 う、 自 己 の 意 味 づ け をす る 規 範 は 、 近 代 的 「主 体 性 」 「自律 性 」 の 規 範 の こ と と捉 え たい。 9)オ ーバ ッ ク の言 う 「 偽 りの 身体 」 と は 、 ウ ィニ コ ッ トの 「 偽 りの 自 己 」 を もと に した 概 念 で あ る。 10)渡 辺 公 三 、1990参 照 。 11)拒 食 者 は、 実 際 に、 他 者 か ら食 べ 物 を 食べ させ らる こ と に 「抵 抗 」 す る 。 そ れ は 、 「自分 の 体 は 自分 で 支 配 した い 。 他 人 か ら コ ン トロ ー ル さ れ た くない 」 か らで あ る と と もに 、 拒 食 の 苦痛 に よ っ て体 感 して い るく個 〉の 自覚 を損 な わ れ た くな い か らで あ ろ う。 ま た 、 「 痩 せ れ ば 他 入 に受 け 入 れ られ る 」 とい っ て も、 限 度 を 超 えて 過 剰 に痩 せ た 身 体 を 、 他 人 は 、 そ う そ う受 け入 れ られ る わ け で は な い 。 つ ま り、 過 剰 に 痩 せ た 身 体 は 、 「他 者 の 目」 に対 す る 「抵 抗 」 で あ る 。 そ して 、 同時 に、 「 私 を 助 け て 」 とい う 訴 えで もあ る 。 「 痩 せ た 身体 」 は 、 そ れ 自体 、他 者 に対 す る 、 ダ ブ ル ・バ イ ン ド的 な メ ッセ ー ジ で あ る 。 ユ2)ザ ッヘ ル=マ ゾ ッホ(1836-95)。 代 表 作 に、r毛 皮 を 着 た ヴ ィー ナ ス 」 が あ る。 マ ゾ ッホが 、 ガ リチ ア地 方 とい う、 西 欧 と東 欧 の 境 界 の 出 身 で あ る の は興 味 深 い 。 ス ラ ヴ の神 秘 宗 教 に は 、 女 性 =自 然 へ の 畏 怖 の 感 情 に 基 づ き、 女 性 に神 性 を与 え て い る もの が あ る 。(種 村 、1978) 13)こ う した女 性 を ドゥル ー ズ は 、 「口 唇 的 母 親 」 と呼 ぶ 。 そ れ は、 官 能 に 身 を任 す 「 子 宮 的母 親 」 とサ デ ィス テ ィ ッ ク な 「エ デ ィプ ス 的 母 親」 の 中 間 で あ る。 14>マ ゾ ヒズ ム に お け る ピ ア ッシ ン グ、 身体 の 諸 器 官 の 縫 合 は 、 身 体 に お け る差 異 を 消 滅 させ る こ とで あ る 。(ド 15)現 ゥル ー ズ=ガ タ リ、1980=1994、174頁) 実 的 に言 え ば 、 性 的 マ ゾ ヒ ズ ム に は 、 嗜 癖 と して の 側 面 もあ る。 しか し、 こ こで は、 特 に 「契 約 」 とい う点 に 焦 点 を 当 て 、 ドゥ ル ー ズ に 従 っ た 記 述 を した 。 16)ジ ラ ー ル は 、 キ リス トの 超 越 性 と、(サ デ ィス テ ィ ッ クな)暴 力 的 な神 の超 越 性 を 区 別 して い る。 前 者 は 、暴 力 的超 越 性 を 超 え た 、 愛 の 「超 超 越 性 」 と も呼 ばれ る。(ジ 17)ベ ラー ル 、1978ニ1984) イ トソ ン は、 ア ル コ ー ル依 存症 者 の 競 合 的 人 間 関 係 を 「対 称 的 関係 」 と呼 ぶ 。 そ れ が 、 回 心 (学 習 皿)に よ って 「相 補 的 関係 」 、 つ ま り、 自 分 が 大 きな シ ス テ ム の 一 部 で あ る こ とを 知 る よ うな 関 係 に転 換 す る とい う。(ベ 18)AAの"AlcoholicsAnonymous"に イ トソ ン 、1972=1987下 、 参 照) は 、 突 然 の革 命 的 体験 と して の 「 霊 的体 験 」 の 事 例 が い く つ か 載 せ られ て い る が 、 ア ル コ ー ル依 存 症 者 の ほ と ん どの 霊 的 体験 は 、W.ジ ェ イムズの言 う、 「 教 育 的 変 化 」 で あ り、 そ れ は 、 ゆ っ く り と実 現 す る もの で あ る とい う。(AAJ.S.0、1979、 362-363頁) 19)ベ イ トソ ンは 、AAの 出 す 、 つ ま り、AAの く 力 〉=ハ イ ヤ ー ・パ ワ ー とAAメ ンバ ー の 関 係 が 、AAの 社 会 構 造 を映 し シ ス テ ム が 全 体 と して デ ュ ル ケ ー ム 的 宗 教 を体 現 して い る の だ と言 っ て い る 京都 社会 学年 報 第5号(1997) 鎌原 74 (ベ イ トソ ン、1972=1987、 自虐 と依 存 か ら自立へ 下476頁)。 しか し、 ハ イヤ ー ・パ ワ ー をデ ュル ケ ー ム 的 意 味 で の 「 神 」 と して捉 え る こ とに 関 して は 別 稿 に て 論 じた い 。 20)超 個 体 我 の 溶 解 体 験 、 主 客 未 分 状 態 は 、 「前 自我 」 の 主 客 未 分 状 態 と は 区 別 され る もの で あ る 。 前 自 我 と は 、個 体 が 独 立 我 に な る前 の 、 胎 児 が 母 の 胎 内 で 母 体 と一 体 化 して い た状 態 で あ る。 この 段 階 で は 、 世 界 が 非 常 に 自分 中 心 的 に構 成 され て お り(第 一 次 自分 中心 性)、 あ らゆ る 客 体 は 、 「自分 の欲 求 を満 た す か 否 か とか 、 あ る い は 、 快 感 を もた らす か不 快 感 を もた らす か とか 、 そ うい う観 点 か ら主 体 に 関 心 を い だ か せ る だ け」 で あ り、 「客 体 と い う もの が そ れ 自体 独 立 の 存 在 と して もつ 意味 は 、 ま だ こ こ で は と ら え られ て い な い」(作 田 、1995、12頁)の で あ る。 段 階論 的 な説 明 に な るが 、 超 個 体 我 の 溶 解 体 験 は 、 第 二 次 自分 中心 性 とい う、 客 体 を利 用 し操 作 す る 関 心 、 自分 の 必 要 を満 た す た め に他 者 に依 存 し合 う状 態 一 だ ろ う一 社 会我 と い っ て よい を、 さ らに 超 え た もの とい え る 。 第 二 次 自分 中 心 性 を 超 え た段 階 に 、 他 者 に依 存 し な い純 粋 自 立 性 、 第 三 次 自分 中 心 性 が 想 定 で き る が 、 こ れ は 、 特 定 の 他 者 や 集 団 か ら 自立 し、 自然 や 宇 宙 に 溶 け込 む 「 理 想 自我 」 と も言 い 換 え ら れ よ う。 溶 解 体験 は、 第 二次 自分 中心 性 と 第 三 次 自分 中 心 性 の 両 方 の 力 に は さ ま れ て生 じた 第 二 次 対 象 中心 性 と呼 べ る もの で あ る 。(作 田 、1995、26-28頁) 21)タ ナ トス に 関 して は 、 フ ロ イ ト以 来 、 多 くの 論 者 が 語 って き たが 、 こ こで は、 作 田 啓 一 の 「 三 次 元 の 人 間」(1995)に (1993)に 22)第1、 お け る エ ロ ス ・タナ トス 論 を用 い る 。r生 成 の 社 会 学 を め ざ して 』 は 、 ま だ 、'溶解 体 験 と して の タナ トス の概 念 は な か っ た 。 皿象 限 は 「第W、 皿 象 限 の イ ミ テ ー シ ョ ン」 の よ う な もの で(作 「 個 人 的 に は習 慣 、 社 会 的 に は制 度 、 慣 習 」 を意 味 す る(同 、146頁)の 23)L.ウ 田 、1995、138頁)、 だ と され て い る 。 ォ ー カ ー は 、 夫 か ら妻 へ の暴 力 に 関 して 、 「 暴 力 の 三相 サ イ クル 説 」 を提 唱 す る 。 そ れ は、 「 夫 婦 間 の 緊張(緊 張 上 昇 期)→ に よ る癒 し(悔 恨 期)」 の サ イ クル で あ る。 しか し、 暴 力 が エ ス カ レー トして くる と、 悔 恨 期 暴 力 に よる 緊 張 解 放(暴 力 発 現 期)→(妻 に対 す る)愛 は な くな るの で あ る 。(Walker、1984) 24)対 人 関 係 にお け る ダ ブル ・バ イ ン ド(ベ イ トソ ン)と 超 個 体 我(溶 は 、 作 田 、1995、99-103頁 25)本 解 志 向)の 関 係 につ い て 参照。 稿 に お け る 「自律 」 は 、 「 非 依 存 的状 態 」、 「自己 依 拠 」 と言 い換 え て も よ く、 しか も、 強 迫 的 な意 味 合 い を帯 び る 。 一 方 、 「自立 」 は 、 「ひ と りで居 られ る こ と」 と い う意 味 合 い で あ る 。 比 較 す る な ら 、 前 者 は"doing"の レベ ル で の概 念 で 、 後 者 は"being"の レベ ル で の概 念であ る。 26)岡 崎 宏 樹 は 、 バ タ イユ の 供 犠 論 にお け る 供 犠 の 高 揚 感 を溶解 体 験 だ と見倣 して い る 。(岡 崎 、 1995) 27)そ もそ も、 嗜 癖 的 な 高揚 感 、 陶 酔 感 の 追 及 は 、 生 命 性 あ る 溶 解 体 験 へ の 欲 求 か らな され る も の で は な い か 。 「ア ル コ ー ル へ の渇 望 は、 あ る 霊 的 な渇 きの 低 い水 準 の 表 現 で した 。 そ の渇 き とは 、 わ れ わ れ の 存 在 の 一 体 性whoIenessに 神 との 一体 化 と い う こ と で あ っ た」(斎 た い す る 渇 きで あ り、 中性 風 の 言 い 方 をす れ ば 、 藤 、1998、76頁)と 、ユ ン グ は 言 う。 参 考 文 献 AAJ.S.0.,1979,〃c餉o"c5A〃oπy〃!o粥 無名 のア ルコール 中毒者 た ち Baumeister,R。F.,1991,E3CAP〃VGγHE∫ 0焼8rF'ご8加 石LF〃co尭o傭 ∫」庁o〃2焼 ε8πr4ε π6ゾ5ε 励oo4,BasicBooks Bataille,G.,1968,Documents,MERCUREdeFRANCE(DOCω ∫OC'14LE=伍 =1974 Kyoto Journal 醒,∫ ρか'rμα'め ㌧ ルro∫ocぬ'5胡,α 躍4 肥 躍7∫8fム4CR177ρUE σyR8CO〃PL左71EDEG君RGE∫8A7E'LL石7b」 、 片 山 正 樹 訳 、rド of Sociology キ ュ マ ン 』、 二 見 書 房 V/December. 1997 πθ') 鎌原 75 自虐 と依存 か ら自立 へ Bateson,G.,1972,STEPSTOANECOLOGYOFMIND,Harper&Row,PublishersInc. =1986 、1987、 佐伯泰樹 、佐藤 良明、 高橋和久訳 、 「精 神 の 生 態 学(上)(下)」 思索社 Bepko,C.(Edt.),1991,FeminismandADDICT/ON,TheHaworthPress,Inc. =1997、 斎 藤学訳 、 「フ ェ ミ ニ ズ ム と ア デ ィ ク シ ョ ン ー 共 依 存 セ ラ ピ ー を 見 直 す 一 」、 日本 評 論 社 Crisp,A.H.,1980,ANOREX/ANERVOSA-LETMEBE一,AcademicPressInc. ニ1985、 高木 隆郎、石坂 好樹訳 、 Deleuze,G.,1967,Pr6∫ =1973 επfα∫joη48∫ 、蓮實 重彦訳 、 「思 春 期 や せ 症 の 世 界 」、 紀 伊 國 屋 書 店 αc加r一ハfωocゐ'Lε 加'4θ 口 εc川8',Minuit. 「マ ゾ ッ ホ と サ ド」、 晶 文 社 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But it causes and dependence. R. Girard says that the desire for autonomy is the imitation of another's. The superiority his or her desire. she makes of the "model=rival" So, by connecting masochistic sure of his or her pride. is the evidence and dependent Addiction (codependence, of the worth of relationship, alcoholism he or etc) is such self-defeating behavior. And addictive behavior orients "nonlife". Modern rationalism itself denies "nature" and "life". But such modern compulsive For example,eating of "self-control") defeat norm contains the possibility disorder is both the typical phenomenon and the "resistance" to it. of its destruction. of modernity And sexual masochism (the norm of men is the of the norm of autonomy. When addictive or codependent he or she can feel "life felt". theirselves person confronts The members of AA (Alcoholics to the God (the Higher Power), of "will power". makes efforts and they become So they can be in sympathy not to be spoilt by codependent But we can't completely And .we shouldn't "nonlife", or "hits the bottom", relationship be lost in the "ecstasy" of sympathetic And AA itself and wholism. relationship feeling. or wholism. Recognising lives, and we can feel our natural Kyoto Journal of Sociology V/December. 1997 surrender free from their burden with other members. be free from codependent things, we can live not compulsive Anonymous) such "life felt" and 251 sympathy with others. ni-ikiyou". When NABA* our In this article, and independence self has three "social self" periences between the of the pahses: self, self self", feels self" in the modern society. Akihiro of approach. The modernist and Perennialism of Nation-States in the study of nation-states identities brought were invented and nationalism change dimensions E. Hobsbawm, disparate this self'. the I think self' ex- no boundary article is to show of two major approaches and a perennialist and fashionable in the process paradigm of modernization This perspective which emphasizes whichj is mainly produced by numerous modern of social and cultural change caused by industrialism, cracy and secularism. says today, holds that nations and national of social structures, that nations are a modern phenomenon, He there's modernist approach which is a dominant by the intelligentsia about the dynamic society NOMURA and nationalism--a approach, of life. Association The purpose of this article is to clarify the differences in the study of nation-states way of self. that aims study us "iikagen- , and "transpersonal of the Bulimia the "transpersonal One Modernism the self", and wholism ecstasy,one such theory others'. Anorexia in live suggests of self in the modern Sakuta's "social In such "transpersonal *NABA=Nippon we can Keiichi relationship and disorders) the transformation using felt". of eating independent, "independent "life or her of are codependent "ecstasy", meaning selves I try to describe makes his (self help group As argued by modernists only in the era of modernization like E. Gellner, capitalism, bureau- B. Anderson was there any possibility and of unifying populations. In contrast to what modernists roots of national identities argued, people in daily life tend to believe their simply because they are originated That is, people treat nationality as somehow naturally given. claim their rights of self-determination from pre-modern past. In most conflict, people on territory, law, economy and education referring 京都社会学年報 第5号(1997)