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テレビ出演あれこれ

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テレビ出演あれこれ
テレビ出演あれこれ
高山 憲之
2016 年 3 月 11 日
テレビ出演をめぐり、いくつか備忘録として書き残しておきたいことがある。以下、順
不同で記述する。
1.1 分刻みの視聴率
一般向けに公表されている視聴率は番組単位の平均視聴率である。テレビ業界向けには
1 分刻みで計測された視聴率が届けられており、どのようなテーマで誰が話しているとき
に視聴率が高かったかが番組ごとに分かる。個別番組別にみると、通例、番組の冒頭ほど
視聴率は高く、時間の経過とともに視聴率は下がる傾向にあるそうだ。日本では視聴率 1%
は約 100 万人が視聴したことを意味しているという。
報道ステーション(以下「報ステ」と略称する)は、久米宏氏がキャスターであったニ
ュースステーションの後継番組として 2004 年 4 月にスタートした(キャスターは古舘伊
知郎氏)。当時のビッグイシューはイラク復興支援と年金問題の 2 つ。4 月スタート時から
コメンテーターとして出演を打診されていたが、著書『信頼と安心の年金改革』の執筆・
校正等で持病の椎間板ヘルニアを悪化させてしまい、その回復を待つ必要が生じたため、
番組出演は5月になってからとなった。年金未納三兄弟など年金問題への視聴者の関心は
高く、2 回目の出演時(5 月 10 日)に視聴率が瞬間的に 20%を超えたという(番組全体の
平均視聴率は 14.6%)
。そこで急遽、3 回目の出演直前に「年金の鉄人」コーナー冒頭用の
録画撮影があった。
http://www.ier.hit-u.ac.jp/~takayama/pdf/tv/tv/tetsujin040511.wmv
それ以降も年金関連のテレビ報道番組で数回、顔をさらすことになった。その流れの中
で、図らずも、ほうらい・たけし氏によって似顔絵(注 1)が描かれた。
2.2 分間の勝負
テレビ番組への出演依頼を最初に受けたのは今から 30 数年前の 30 代のとき、NHK ス
ペシャル(テーマは高齢化社会への対応関連)であったと記憶している。依頼に訪れた NHK
ディレクターの言葉で強い印象を残したのは「テレビは 2 分間の勝負です」というもの。
伝えたいメッセージを 1 つにしぼり、2 分以内で素人にも分かるように簡潔に話すこと、
という手ほどきであった。
大学の講義は 1 コマ 90 分。90 分で 1 つのテーマを多角的かつ包括的にストーリーとし
て話す。そのスタイルに慣れ親しんでいた私はテレビに向いていないと、その時には思っ
た。ただ、出演 OK を出したからには、テレビの流儀に合わせるしかない。そこで伝えた
いメッセージの数を限定し、余分のことは話さないことにした。
番組終了後は、言い足りなかったこと、限定条件や制約条件に十分言及しなかったこと
1
等がいつも頭をよぎり、私の主張を誤解する視聴者がいても、不思議ではないと思った。
ただ、誤解は人の常、それを甘んじて受けいれることにした。
3.上手にウソをつく
与党の政治家や政府関係者は国会に上程した法案の成立を最優先に考えがちである。通
例、政府関係者は 2~3 年の間隔でポストを渡りあるく。自分の在任中に関係する法案を成
立させて、次のポストに異動する、というのが彼らの願望。いきおい、限定された時間の
中で与党関係者と政治的に調整可能な事項のみを改正法案の主要内容とする。なにを変え、
なにを変えないかの判断は、このような短期的視野の下で決められる。政治的妥協の結果、
一部与党関係者の主張する無理難題を受けいれ、法案に盛り込むこともある。
もっと長期的観点に立てば、変えられる事項も多くなり、選択の幅も広がる。短期的に
はメリットがあっても、長期的には、かえってマイナスになることも少なくない。政府・
与党関係者は改正のメリットのみを強調し、そのデメリットにはほとんど言及しない。与
えられた短い期間内での法案成立を優先するためだ。そのためには、上手にウソをつくこ
とさえ厭わない。
私は研究者であり、政治家や官僚ではない。改正法案のメリットを認めつつ、政治家や
官僚が話す「上手なウソ」をあばき、改正法案の具体的なマイナス面にも視聴者の目を向
けさせるのが、本来の役割だと考えていた。今も、この考え方に変わりはない。くわえて、
法案の直接的なメリットだけでなく、中長期的な間接効果がどのようなものになるかにつ
いても、説明しようとした。もともと、なにかを変えようとすれば、誰かが利益を受ける
一方、別の誰かが必ず不利益を被るものだ。その構造を具体的に明らかにするのが、研究
者の任務である(この役割・任務は野党の政治家とは似て非なるものだ。念のため)。テレ
ビ出演においても、このようなスタンスで私は常に臨んだ。
4.美形は必要条件ではない
テレビには、こわい面がある。話している内容は、その表情やしぐさ、身振り等の映像
つきで視聴者に伝えられる。本心でないことやウソは、その映像で直ちに見破られてしま
う。内容に自信のあることだけを丁寧に、かつ熱く本音で話すしかない。視聴者の心に届
く伝え方が肝心なのである。
報道番組に関するかぎり、美形でなくてもテレビから声がかかる。その見本の 1 つが私
である。ただ、私の身近にいた人がテレビ視聴後に直接、私に述べた感想はネクタイに関
するものが圧倒的に多かった。それには閉口した(私はふだん、身なりには全く頓着しな
いタチの人間であったからである)ものの、その後は、職場で締める類のものとは全く違
うネクタイをテレビ出演用に使うようになった。
私の声は細くて高いので、遠くまで届かない。耳に心地よく響く福山雅治氏のような声
でもない。話し手としては大いなる弱点である。大学の講義ではマイクを使うので、この
弱点は多少ともカバーされる。テレビでも通常、音声担当者が番組放送時にはついている。
ミキシングをしてくれるので、私の発言が聴きにくいということは特になかったと思う。
5.生出演へのこだわり
テレビ出演には生出演と録画出演の 2 つのタイプがある。生出演の場合、番組のディレ
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クターやプロデューサーが荒削りの進行シナリオ(番組構成)を用意するものの、番組放
映時の編集はほとんどなく、決められた時間枠の中で司会者の下、出演者が存分に話す。
一方、録画出演の場合、30 分程度のインタビューを受けても、使われるのは 1 分前後にす
ぎない。通常、ディレクターやプロデューサーの描いた予定シナリオを埋めるコマの 1 つ
となる。前後の脈絡がすべてカットされ、制約条件なしの短いメッセージだけが録画出演
には使われることが多い。
磯山雅さんが、その著『モーツァルト:二つの顔』の冒頭で述べているように、録画出
演には想定されたシナリオへの箔つけ、お墨つきが期待されている。話し手本人の想いと
は別の使われ方をされてしまうことが、しばしば起こる。
ある民放のテレビ報道番組で、収録した私のメッセージが伝えられた直後、当日、生出
演していた K 教授が私の発言を間違って引用し、私への誤解に基づく批判を展開したこと
があった。それを聞いた直後、ディレクターに直ちに電話し、引用の誤りを伝えたが、後
の祭りであった。反論の機会さえ与えられず(いわば欠席裁判であった)、後味の悪さだけ
が残ったので、それ以降、録画出演は原則お断りすることにした。
6.報道番組のつくられ方
報道番組に何回か出演して分かったのは、NHK 以外の民放テレビの場合、報道番組の
個別テーマ設定は通常、放映前日ないし前々日になされ、個別テーマごとに番組制作にか
かる下請け会社の若いディレクター2 人程度が、にわか勉強し、電話取材やネット検索を
繰りかえしながら親会社の担当者と折衝しつつ、番組の構成を整えていく。その中で録画
収録が行われ、生出演への依頼者が決められる。
年金がテーマとなる場合、通常、若いディレクターには正確な予備知識がほとんどなく、
センセーショナルな週刊誌の見出し程度の理解から取材が始まる。彼らに基本的な考え方
を要領よく説明し、なにが論点になるかを丁寧に解説する、というのがお決まりの事前作
業。その後、決められた番組構成の骨子について連絡が入る。その内容が大概、受けいれ
可能であり、かつ私の都合がつけば、生出演への依頼を受諾することになる。
下請け会社の若いディレクターは、徹夜に近い状態で放映直前まで取材・確認、番組制
作、各種折衝等に没頭しているようだ。結果的に数字や年月日等の表示にミスが起こりや
すい。その直前チェックを頼まれることも少なくない。
番組内容は視聴率を意識するためなのか、感情面に訴えるものや、対立図式が好まれが
ちである。冷静な判断につながるような情報提供を最優先することは、あまりない。
一方、報ステは 2004 年 4 月スタートに向け、2003 年末からテレビ朝日(以下「テレ朝」
と略称する)所属のディレクター5 人が準備体制に入っていた。年金担当となったのは安
部雅子(みやこ)さん。安部ディレクターから最初のインタビューを受けたのは 2003 年
12 月の下旬だったと記憶している。2004 年に入ってからも安部ディレクターとは何回か
打ち合わせをすることになった。キャスターの古舘氏とも 2 月中に面談する機会があった。
そのような過程を経て、同年 5 月から満を持しての出演となった。準備が周到であった分、
報ステの年金報道(2004 年 5~6 月分)は報道回数や報道時間の長さだけでなく、内容面
でも他局を圧していたと思われる。ただ、与野党を含めて国会議員に年金保険料未納者が
続出したため、それに係る報道が優先され、結果として 2004 年の年金改正法案そのもの
を議論する時間枠が減らされてしまった。
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スタート直後こそ報ステは年金報道の番組づくりにかなりの時間を割いたが、その後は
前日または前々日に放映を決めることが多くなったようである。テレ朝所属のディレクタ
ーが事前に直接取材するスタイルに変わりはないものの、準備期間が極端に短いという点
に関するかぎり、他の民放テレビ局と変わりがなくなっている。
番組づくりに今でも長めの時間を割いているのは NHK スペシャルをはじめとする NH
K テレビの報道だけではないだろうか。厚生労働省記者クラブづめの記者や旧厚生行政を
担当した解説委員等、番組担当ディレクターが事前に相談することができる自前のスタッ
フが充実しており、当方への事前インタビューもレベルが格段に高く、当方の説明に対す
る飲みこみも正確で早かった。番組づくりは通常、3 週間ほど前から始められるようであ
り、準備も周到である。NHK の場合、報道内容についてはバランスをとることが最優先
され、視聴者の理解を深めることに重点が置かれていた。視聴率を強く意識しなくてよい
分、感情を刺激するような話に振るということもほとんどなかった。結論を押しつけるよ
うなことは極力避けられる反面、おもしろみに欠けるというのも否めない事実であった。
7.政治の渦中へ
2004 年 6 月 2 日、年金改正法案は参議院で強行採択され、可決成立した。法案の内容理
解が必ずしも十分でなく、審議不十分という中での強行採決は多大な反発を招き、年金不
信を高めた。ちなみに同年 6 月 10 日すぎに行われた NHK の世論調査では、同年 7 月 11
日の参議院選挙(
“年金選挙”とも言われた)で与党自民党が敗北するという予想結果が出
たという。NHK では、その世論調査の結果に衝撃を受け、異例にも同年 6 月 20 日前後に
世論調査をやり直したそうである。予想結果は同じであった。その世論調査の予想結果は
いち早く、自民党幹部も内々に知ることになった(注 2)。
自民党幹事長室では顧問弁護士 O 氏が中心となって選挙敗北の犯人捜しをしたようであ
る。やり玉にあげられたのはテレ朝・報ステの年金報道であった。特に私の論評は政治的
公平を欠いた利敵行為だと見なされた。同年 7 月の参議院選挙直前に他局と同様、テレ朝
も党首討論会・幹事長討論会を計画していたが、選挙前に私を報ステに出演させる場合、
自民党が推薦する年金学者を同時に出演させて発言させないかぎり、テレ朝の上記討論会
に自民党の党首・幹事長は出席しないかもしれないと示唆したという。
同年 6 月 24 日放送の報ステ年金報道(テーマは「年金決戦火蓋」)は、それまでとは全
く違う番組構成となった。まず、自民党が推薦した H 教授が、成立した年金改正法のメリ
ットを列挙して解説しつつ、それまでの報ステにおける私の論評について細部にわたり、
揚げ足とりとも思える批判的意見を一方的に述べた。その直後、私の出番となり、改正法
の狙いと残された主要な問題点を淡々と説明した。H 教授と同席することもなく、双方が
やりとりをする場面もなかった。それだけで終了したのである。選挙直前とはいえ、尻切
れトンボの構成となったのは、上記のようないきさつがあったからにほかならない。
同年 6 月 26 日、自民党は報道の政治的公平・公正を求める文書を報道機関・マスメデ
ィア各社(約 200 社)に FAX で送信した。その中で、私を名指ししながら一部テレビに
おける私の紹介方法にクレームをつけた(注 3)。私を民主党の回し者呼ばわりしたのであ
る。外国出張に出発した直後のことであり、思わぬ展開に頭を痛めた(注 4)。政治家とし
ての資質に全く恵まれていない人間が、政治の渦中に投げこまれてしまったからである。
しばらく静観するほかなかった。
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自民党幹事長室の私に対する誤解が解けるまでには、それなりに時間がかかったが、20
12 年 7 月 26 日の参議院「社会保障と税の一体改革に関する特別委員会」では自民党推薦
の参考人として意見陳述する機会が私に与えられた。2009 年秋の民主党政権発足直後の 9
月 14 日に、看板政策の子ども手当について、その内容を批判的に検討した私の小論「子ど
も手当の経済効果 世帯構成で差」が日経・経済教室欄に掲載され、民主党には初打撃と
なったようである。私が民主党の回し者でないことが明白となった瞬間である。私は、ど
の政党・団体とも一定の距離を置くことに留意し、一党一派に偏しないようにしてきた。
ただ、政治の世界は“こわい”と痛感したのも事実である。
8.余波
私のテレビ解説で人びとの年金理解がどこまで深まったか。その最終判断は読者に委ね
たい。年金不信を煽っただけだという酷評が一部にあるものの、プラス評価があるのも事
実である。
私は大学勤務の研究者を生業としており、テレビに何回出演しても慣れるということは
ほとんどなかった。ライブ出演中は緊張の連続であり、楽しむ場面はあまりなかったと思
う。私にはストレスの多い仕事であった。
ただ、テレビ出演により講演依頼・原稿執筆依頼やインタビューが格段に増えたことは
紛れもない事実である。その分、大学在籍の研究者としては例外的に、社会との接点が多
くなり、現実に即した代替案を考える機会も少なくなかった。私の頭が悪いにも拘わらず、
親切に教えてくださった人も多い。また、私を引き立てたり、引き回したり、全力で支援
してくれたりしてくれる人にも恵まれた。彼らすべてのお蔭だと心から感謝している。
私は大学入学時に生まれ故郷(長野県塩尻市)を離れた。それ以降は、盆と正月の年 2
回しか親元には帰らない親不孝者。そのような中で私のテレビ出演を一番喜んでくれたの
は母親であった。テレビ出演は結果的に、母親への恩返しの 1 つとなったようである。
なお、年金研究者としての半生については、書くべきことが多い。それは、別の機会に
譲ることにする。
【注】
1.似顔絵は制作者の事前許可を得て、高山のホームページ・自己紹介欄にもアップされ
ている。http://takayama-online.net/Japanese/prof/index.html
2.選挙の結果、改選議席数で民主党は第 1 党となり、自民党は敗北した。NHK の事前
調査は、この点に関するかぎり、正確な予想結果を出していたことが選挙後に判明した。
3.詳細は服部孝章「どこへ行った『論評の事由』」毎日新聞、2004 年 6 月 29 日をみよ。
http://www.ier.hit-u.ac.jp/~takayama/pdf/interviews/mainichi040629hattori.pdf
4.拙稿「自由民主党の 6 月 26 日付けFAX文書に関する 3 つの疑問」2004 年 10 月 4
日、参照。http://takayama-online.net/Japanese/pdf/media/newspaper/jiminto0626.pdf
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