Comments
Description
Transcript
a035 ロシア5日目 冬の宮殿 小エルミタージュ 大エルミタージュ 新
異文化の旅 ロシアを行く1999-15 a037 ロシア5日目 冬の宮殿 小エルミタージュ 大エルミター ジュ 新エルミタージュ 話を 冬の宮殿=冬宮 Зимн ий дворец(ロシア語) = Winter Palace =エルミタージ ュ美術館Государств енный Эрмитаж(ロ シア語国立エルミタージュ)= Hermitage Museum に戻す。 ネフスキー大通りを西に歩くと、とてつもなく広い宮殿広場と、 その先のカメラには収まりきれないほどの横長の軽やかな宮殿と、 広場の中ほどに立つ高さ 47.5m のアレクサンドルの円柱とが目に飛 び込んでくる(写真 )。広場は黒ずんだ舗石に赤みの目地が格子状 に描かれ、端正さと奥行き感を強調している。円柱はナポレオン戦 争勝利( 1812)記念として 1834 年に赤みの大理石で建造された。 頂部には当時の皇帝アレクサンドル 1 世( 1777-1825)をイメージ した天使像が飾られていることからアレクサンドルの円柱 Alexander Column と呼ばれている。デザインはフランス・パリ出身 のオーギュスト・モンフェラン( 1786-1858)で、聖イサク大聖堂 ( 1858)の再建や冬の宮殿のインテリアなど多くの仕事を手がけて いる。冬の宮殿が大きく横に伸びているので、アレクサンドルの円 柱は焦点をつくり出すことに成功したようだ。 冬の宮殿の建設は 1754 年、女帝エリザヴェータ( 1709-1762)が イタリア人バルトロメオ・ラストレリ Francesco Bartolomeo Rastrelli ( 1700-1771)に依頼して始まった。ラストレリは彫刻家の父とと もに 1715 年、弱冠 15 才のときにロシアに来ている。ロシアの伝統 を取り入れたバロック様式が好評で、女帝アンナ( 1693-1740)が 宮殿の設計を依頼したそうだ。資料には明記されていないが、たぶ んこの宮殿が最初の冬の宮殿だろう。アンナの次の次、アンナの妹 である女帝エリザヴェータは、前述のように、 1752 年にエカチェ リーナ宮殿を壮麗、壮大なロココ様式で作り替えるようラストレリ に指示した。エカチェリーナ宮殿の完成は 1756 年だが、エリザヴ ェータはその途中のできあがりにほれぼれしたのではないだろう か、 1754 年、ラストレリの設計で冬の宮殿の建設を始めさせてい る。おそらくこのとき、アンナの建てさせたロシア・バロック様式 の古い宮殿は解体されたようだ。バロック様式も後期には壮大・華 麗に加え繊細で躍動的な装飾が強調されているが、ロココ様式はさ らに壮麗、優美な表現である。女帝エリザヴェータは、姉である女 帝アンナから遠ざけられていたため国政よりもヨーロッパ先進の文 化、芸術に強い関心を向けていて、それがロココ様式に結びついた のであろう。あるいは、姉アンナへの反発もあったかも知れない。 冬の宮殿は、女帝エリザヴェータの次のピョートル 3 世の次のエカ チェリーナ 2 世が即位した 1762 年に完成した。 エカチェリーナ 2 世( 1729-96)はこの冬の宮殿がたいへん気に 入ったそうだ。が、冬の宮殿は公の場であるため、 1775 年、冬の 宮殿のネヴァ川に沿った北東にフランス語で隠れ家の意味のエルミ タージュ= 小エルミタージュ The Small Hermitage を建てさせた。設 計は、ラストレリを嫌い、イタリア人バレン・デ・ラ・モットとフ ランス人ユーリ・フェルテンに依頼した。ここは女帝になってから 収集し始めた美術品を展示し、親しい友人、知人と鑑賞する憩いの 場となった。一説では、 1764 年にクーデタを起こしてピョートル 3 世を退位させ 、死に追いやったグリゴリー・オルロフ伯を住まわせ 、 2 人の暮らしを楽しんだらしい。もっとも資料によればエカチェリ ーナ 2 世は生涯で公認された愛人が 10 人、そのほかに 100 人以上 の愛人が入れ替わり、子どもであるエカチェリーナ 2 世の跡を継ぐ バーヴェル 1 世、アンナ、アレクセイの 3 人とも父が違うというか ら、オルロフはエルミタージュに長居しなかったに違いない。それ にしてもエカチェリーナ 2 世は絶倫というか、豪傑というか、凄腕 というか、ことばが見つからないね。むろん、エカチェリーナ 2 世 は政治にも手腕を発揮し、ロシアの領土を拡大させ、ヨーロッパ諸 国と対等に渡り合うとともに、美術品の収集のほかにもスモーリヌ イ女学院を設立するなど、文化、芸術、教育にも熱心だった。 エカチェリーナ 2 世は、 1787 年、増大した美術品のためにネヴ ァ川のさらに北東に 大エルミタージュ The Great Hermitage =旧エル ミタージュを建てる 。設計はフランス人・ユーリ・フェルテンで 、19 -1- -2- 世紀に改修された。エカチェリーナ 2 世の次のパーヴェル 1 世の次 の アレクサンドル 1 世の次のニコライ 1 世の代の 1851 年には大エ ルミタージュの南側に 新エルミタージュ The New Hermitage を建て た。設計はドイツ人レオ・フォン・クレンツェで、新エルミタージ ュは美術館として公開された。この間にも空中庭園や聖ゲオルギウ スの間、エルミタージュ劇場が建ち、当初の冬の宮殿が火災にあっ て 1840 年に修復されるなど、拡幅、修復が重ねられた。 1917 年の 2 月革命後は冬の宮殿に臨時政府が置かれたが、同年 の 10 月革命後は貴族から没収された美術品が冬の宮殿に集められ 、 冬の宮殿はエルミタージュ美術館本館として公開された。よって、 冬の宮殿といえば現エルミタージュ美術館本館、エルミタージュ美 術館といえば冬の宮殿だった本館+小エルミタージュ+大エルミタ ージュ=旧エルミタージュ+新エルミタージュ+劇場+庭園などの 全施設を指す。 美術館の入口はネヴァ川沿い にある。白みの円柱と緑の石壁 のコントラストの清楚な感じに 、 柱頂部の金箔のコリント式オー ダーや窓上部の金箔の彫像によ る華やかな外観(写真)を見や りながら入口に向かい、 W さん と落ち合う。全収蔵品は 300 万点を超える そうで、それが 1000 を超える部屋に展示 されていて、部屋を直線で歩くだけでも 27km を超えるとか。短い時間だから、ど れかにしぼってじっくり鑑賞するのも一 法だが、冬の宮殿、隠れ家エルミタージ ュですら 250 年を超えるロシアの象徴であ り、駆け足でもいいから一通り見て歩く ことにした。まずは本館=冬の宮殿の入 口から左へ。 →大使の階段=ヨルダン階段 The Jordan Staircase(写真) 冬の宮殿を訪れた大使 が必ず通る階段でこの名が付けられたが、ネヴァ川で洗礼が行われ たことからイエスがヨハネから洗礼を受けたヨルダン川にちなみヨ ルダン階段とも呼ばれた。バロック様式でかつては樫材だったが火 災後の 1830 年代に大理石で修復され、ティツィアーノにより天井 画が描かれた。 →元帥の間 The Field Marshals' Hall 金箔の巨大なシャンデリアが目 を引く。エカチェリーナ 1 世、エカチェリーナ 2 世、アレクサンド ル 2 世らが戴冠式に用いた金で飾りの馬車が展示されている。 →小玉座の間 The Small Throne Room =ピョートル大帝の間 おそ らくピョートル大帝の後継を自認するエカチェリーナ 2 世がつくら せたのではないか。銀の玉座にはピョートル大帝と神話に登場する 知恵の女神ミネルヴァの絵が飾られていた。 →紋章の間 The Armorial Hall(写 真) ヴェルサイユ宮殿を手本 にデザインされた大広間で、床 は寄せ木造り、周りにはコリン ト式の円柱が並ぶ。シャンデリ アにロシア諸侯の紋章が飾られ ていることから紋章の間と呼ば れる。 → 1812 戦争の間 The 1812 War Gallery ナポレオンに勝利したアレ クサンドル 1 世と将軍たちの肖像画が飾られている。 →玉座の間=聖ゲオルギウスの 間 The St. George Hall(写真) ロシアとロマノフ王朝の守護聖 人ゲオルギウス St. George のレ リーフが飾られている。イタリ アの大理石に碧玉、孔雀石が用 いられ、床は見事な模様の寄せ 木細工で仕上げられている。こ こから奥に向かうと大聖堂があるらしく、右に折れた先に黄金の客 間、さらに右に折れて、本館入口の右手に来ると孔雀石の間がある が、時間のない我々は玉座の間から左に曲がり、小エルミタージュ -3- -4- に進む。 →パヴィリオンの間 The Pavilion Hall( 写真 ) 小エルミタージュ内にエカチェリーナ 2 世 の私室としてつくられた部屋で 、古典様式 、 スペインに侵攻したイスラムの様式を取り 入れたムーア様式、ルネサンス様式などが 混在した華やかな部屋である。中ほどには ピョートル 3 世を退位させたクーデターの 一人で後にエカチェリーナ 2 世の愛人にな ったグリゴリー・ポチョムキン公爵から贈 られた金の孔雀時計が置かれていた。 2 階 には空中庭園があり、この小エルミタージ ュにも主に中世美術品が展示されているが、そのまま進み、大エル ミタージュに入る。 →大エルミタージュ=旧エルミ タージュはかなり広く、展示室 がいく つも あ り、 1 階 には主 に 古代ローマの美術工芸品や彫塑 が 飾 ら れ て い る ( 写 真 )。 こ こ から 2 階へ上がる。 →大エルミタージュの 2 階の始 めに入った部屋は中世イタリア 美術品が並ぶ。ペルジーノ、ティツィア ーノ、レオナルド・ダ・ヴィンチなどな ど、名作が並ぶ。 W さんは日本の中世史 が専門であり、作品のいわれや構図など の説明は苦手なようだし、じっくり鑑賞 する時間もない。主に教科書で習った見 覚えのある絵や注意を引く絵を一呼吸ず つしっかり見ながら進む。写真はダ・ヴ ィンチの「リッタの聖母( 1490-91)」で隣 には「聖母ブノワ 」( 1478)」も並ぶ。聖母 ブノワではマリアが左、イエスが右にな り、マリアの顔はモナ・リザ( 1503-05)に近い感じだ。 →ラファエロの回廊 The Raphael Loggias (写真) 大エルミタージュと新エルミ タージュをつなぐ廊下で、ヴァティカン 宮殿の回廊を模したそうだ。天井にはラ ファエロの聖書」と呼ばれる聖書のエピ ソードを題材にした絵が描かれている。 天井画、壁画の完成に 11 年かかったとい うだけあって、見事な仕上がりだ。ここ もゆっくり通り過ぎる。 →回廊を抜けたところにミケランジェロ の彫刻が飾られ、さらに進むとスペイン 美術、オランダ美術、ドイツ美術、フラ ンス美術などの部屋が続く。絵を見なが ら、ベラスケス、ゴヤ、レンブラント、 エルグレコ、ヴァンダイク、ルーベンス、 ロダン、ドラクロア、ルソー、ルノアー ル、モネ、セザンヌ、ゴッホ、ゴーギャ ン、ピカソ、マチス・・・とメモをする が書ききれない。写真はレンブラントに よる旧約聖書のアブラハムが神の声によ り息子イサクをあやめようとするエピソ ード「イサクの犠牲( 1635)」で近くには 「キリスト降架」や「花の女神フローラ に扮したサスキア」など、レンブラント の名作が並んでいる。 これらのそうそうたる絵画を一堂に集め、公開してることだけみ ても、エカチェリーナ 2 世を始めとするロマノフ王朝の功績であろ う。駆け足でエルミタージュ美術館の見学を終え、 W さんと別れ て、 4 時前にホテルに戻った。スーツケースを受け取り、送迎車で 空港に向かう。 6 時半過ぎ、サンクトペテルブルクを発ち、帰国の 途につく。 短い日程だったが実に充実した旅であった。ハラショ ー !、スパシーバ !。 ( 9908 現地、 2013.11 記) -5- -6-