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非公開会議 - 国際交流基金

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非公開会議 - 国際交流基金
非公開会議(午前)
第 1 回日亜交流シンポジウム
1.紹介・開会挨拶
小倉/
これより第 1 回日本アルゼンチン交流シンポジウムを開催する。はるばるアルゼンチンか
らお越しいただいた皆様に、歓迎の意を。日本側メンバー紹介。
ゴンサレス/
アルゼンチン側メンバー紹介。
・ ブエノスアイレス大学はアルゼンチンで最も古い大学で、優秀な学生、教授を多く擁し、
共同研究やラテンアメリカに関する論文などを研究するのに適している。文学部はブエ
ノスアイレス大学の中で一番古い学部。
小倉/
シンポジウム開催にいたる経緯・目的について述べる。
日本・アルゼンチン双方の外務省並びに在日アルゼンチン共和国大使館、在アルゼンチン
共和国日本大使館のイニシアチブと努力により準備された。両国間にて経済・政治・文化
における交流は今までもあったし、政治経済については、話し合いの場も多々あるが、文
化的・知的な交流として制度化された対話が今までなかった。そこで両国の外交当局のイ
ニシアチブにより、これからの日本とアルゼンチンの間の文化・学術・知的交流促進のき
っかけを与える、あるいは促進していく上での触媒・仲介役としてのベースを作る目的で、
この会議が開かれている。
二国間の関係にとどまらず、ラテンアメリカ、アジア、世界全体を考える中で日本・アル
ゼンチン関係を捉えるべき時代になっている。この会議における議論も同様に、狭い意味
での二国間関係だけではなく、世界の問題について関係者間で意見交換をしながら両国の
関係を考えていきたい。世界の文化的状況やアルゼンチンにとってはラテンアメリカ、日
本にとってはアジアといった、近い国々との関係をどう考えるか。グローバリゼーション
の進行と文化交流の関係を視野に入れ議論したいというのが趣旨だと思う。
ゴンサレス/
日本が夜である時、アルゼンチンは昼であり、アルゼンチンが夜である時、日本は昼であ
る。両国が地球の反対側に位置するという事実は、両国間に大いなる補完性が存在し得る
ということであり、また、友情の一層の具現化が可能であることを示唆している。さらに、
そのことは、アルゼンチン人の日本観の構成にも影響している。日本は理解されるべき国
であり、深く追究されるべき国である。日本は、文学作品のみならず、旅人、哲学者、芸
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術家のすばらしい翻訳作品を通じてアルゼンチン人が知るところとなっている国である。
日本とアルゼンチンは、これまで幾度となく、言語と文化が異なるという大きな障壁を乗
り越えようとしてきた。他文化を知りたいという意志が、適切なコミュニケーション手段
を伴ったとき、異文化間に存在しうる障壁も制限も障害も乗り越えられるものである。
我々アルゼンチン人は、日本が 1000 年の文化を有する国であるということを、多くの文
学・映画作品を通じてよく知っている。私の世代のアルゼンチン人にとって、日本につい
ての素晴らしい翻訳作品を 2 つ紹介する。一つは、60 年代及び 70 年代にアルゼンチンで
も多く読まれたロラン・バルト「表徴の帝国」で、詩、音楽、儀式、食事文化に存在する
記号を媒介した日本的ヒューマニズムの再構築に基づく日本観を提示している。もう一つ
は、ロシア人映画監督セルゲイ・エイゼンシュテインの作品であり、彼の独特のモンター
ジュ理論は日本文化以外何ものでもない象形文字、漢字に由来したものである。
このように、日本の文化及び歴史は西洋の文化及び映画に強いインスピレーションを与
えてきており、アルゼンチンもそのインスピレーションを受けてきた国である。紛争が絶
え間なく起こるこの世の中において、日本とアルゼンチンとの関係は、平和の新たな地平
線を作り出すことができるのではないか。
2.日亜関係概論
小倉/
概論として細野教授、クリクスバーグ教授よりそれぞれ 15 分程度お話しいただきたい。
細野/
日本・アルゼンチンのアイデンティティと交流について、オーバービューということでお
話ししたい。
二国間には長期にわたり友好な関係が続いてきた。日系人を通じて文化が伝えられた。歴
史を遡ると日露戦争のとき巡洋艦を譲ってもらった頃からの話になる。緊密化・多様化が
進んできた話を駆け足でさせていただく。
歴史
現在アルゼンチンには、日系の移住者が 35,000 人おり、中南米では 3 番目に多い。パレル
モ公園の中に日本庭園があるなど日系人が残した文化がある。イタリアで製造されたリバ
ダビア・モレノという巡洋艦(日本名で日進・春日)がアルゼンチンより日本へ売却され
た。日本海海戦で活躍、ロシアのバルチック艦隊を破り日本側の勝利につながる。これが
日本人の心にずっと残っている。
『坂の上の雲』は、この時の話で、現在 3 年にわたって NHK
で放送中。スペイン語に訳されていないが、知られると良いと思う。大佐が書いた報告書
が日本、特に日本海軍でよく読まれた。アルゼンチンは 1945 年 3 月まで日本に宣戦布告し
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なかった。戦後の混乱の時期に食料や医療を援助してくれた。ここまでが前史。
近年の両国間交流
60 年間に非常に関係が緊密化してきた。外務省を中心とした外交活動、
あるいは JICA、JETRO、
JBIC、国際交流基金等の政府関係機関、また文化・学術・スポーツ・科学分野での民間レ
ベルの交流も広がった。
JICA のアルゼンチンにおける協力の 50 周年記念式典が昨年行われ、記念誌『メモリア』が
刊行された。これまでに 2,782 人の研修生が来日し、2,953 人の専門家が日本からアルゼン
チンに派遣された。
協力分野は多岐に渡り、生産セクターでは大豆・野菜・動植物衛生・水産など。製造業で
は品質や生産性、省エネ技術。省エネ技術は中南米で唯一アルゼンチンで盛んに協力が行
われた。品質改善などの分野の協力。(ホソノはスペイン語で「オゾン層」。)アルゼンチン
の南はオゾンホールの影響を受けている。JICA などによる気候変動対策、環境汚染対策で
の協力が行われている。
日本はアルゼンチンの非常に多くの研究機関と協力してきた。アルフォンシン政権になっ
たとき、日本と共同で経済開発の研究が行われ、元外務大臣の大来佐武郎博士が団長とな
って大来レポートが作られた。これがきっかけで大来財団ができる。2001 年のアルゼンチ
ン金融危機への緊急調査もふくめ、これまで様々な活動があった。
日本とアルゼンチンのパートナーシッププログラム、JAPP、日本とアルゼンチンが共同で
他の中南米諸国に援助、経済協力を行っている。JETRO はアルゼンチンの輸出品を日本市場
に紹介してきた。JBIC は経済危機の際の資金協力をはじめ、様々な分野での協力を行った。
国際交流基金の活動もあった。
経済関係が拡大し、フロンディシ大統領訪問時に、日亜経済合同委員会が創設された。本
日、第 22 回日亜経済合同委員会を開催しているが、経済関係は文化交流を抜きに語れない。
民間レベルの交流も盛んである。トヨタは MERCOSUR における自動車政策の下、成功裏にア
ルゼンチンでの事業を拡大してきており、NEC は電子政府のソフトウェアをアルゼンチンの
地方政府に納入する等の実績を積んできた。岐阜のギアリンクス社はアルゼンチン産の有
機大豆から豆腐を生産している。女性デザイナーによってデザインされたアルゼンチンの
オリジナルブランドのファッションが日本人に好まれている。鉄鋼会社で世界最大のシー
ムレスパイプの生産会社テチント・グループと NKK との協働。これらは相互の文化的理解
や文化交流を抜きに考えられない。ISDB 方式を使った地上デジタルテレビの導入を契機に
文化交流その他の交流の活性化を期待する。これから一緒に様々なことが出来ると思う。
他にも環境・気候変動対策に関わる分野など、例えばクリーンエネルギー、エコプロダク
ト、省エネルギーなどの分野での交流がありうる。
日本に根付くアルゼンチン文化
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非公開会議(午前)
大正末期に、パリで流行していたタンゴが日本に紹介された。藤沢嵐子とオルケスタ・テ
ィピカ・トーキョーは日本でも有名だが、アルゼンチンでも知られている。日本には、ル
ナ・デ・タンゴというタンゴ教室がある。昨年 8 月にはアルゼンチンで開催されたタンゴ
の世界選手権では日本人ペアが優勝した。文学ではボルヘスの多くの作品が日本語に訳さ
れ親しまれており、ボルヘス愛好家の会が結成されている。時間の制約からタンゴと文学
だけ紹介したが、アルゼンチンの文化には、日本人の琴線に触れる部分がある。
さらにアルゼンチンのシスター、エルネスティーナは、聖心女子大学を創設した。上智大
で活躍されているアルゼンチンの先生もいる。一方、私が親しくさせていただいている松
下洋先生の本がアルゼンチンで出版されている。2002 年には日亜学院に秋篠宮文庫が創設
された。
その他の学術交流として、日亜修好 100 周年を記念するセミナーでの活発な議論がまとめ
られ、ラテンアメリカ協会より出版されている。また、アルゼンチン外務省の外交官学校
の校長であった、トルクアト・ディテジャ教授と私が、当時、両国の関係についての本を
編集し、アルゼンチンで出版された。
アルゼンチンと日本は政治経済その他では、対話の場があるが、文化・学術・知的交流で
は対話の場があまりなかった。これらを促進していくためのベースを作っていくことは重
要。アルゼンチンの世界経済における重要性も見逃せない。G20 の一国になっていることな
ども考えあわせると、二国間の関係だけでなくグローバルな視野をもって交流を考えるべ
きという小倉理事長の考えに大賛成である。
小倉/
日本とアルゼンチン間の歴史と現状について、幅広いプレゼンテーションをしていただい
た。
これからの対話に貴重なサジェスションを与えていただいた。環境問題、生物多様性、文
化の多様性の問題、これから私達が対話する際に、かつてはアルゼンチン−イギリス関係、
日本−ロシア関係、最近ではアルゼンチン−アメリカ関係、日本−中国関係といった、第
三国との関係が私たち二国間の関係に影響を及ぼしてきた歴史を考えると、対話の幅を広
げる必要があると感じる。
タンゴは世界中の人のものになったという話があったが、まさにグローバリゼーションに
よって一つの国の文化が世界の文化になった例だと思う。
クリクスバーグ/
ラテンアメリカでは、ハイチ大地震で現在 5 万人もの人々が亡くなっている。世界のどこ
にいようとこの最悪の状況をどう支援していくか深く考えるべきである。日本は、ラテン
アメリカにとって魅力的な国であり、興味深い国である。ラテンアメリカ及び世界の開発
及び貧困克服に従事する者の視点から、どのように日本を見ているかについてお話しした
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非公開会議(午前)
い。
日本は開発において卓越した実績を有している。私は、国連のラテンアメリカの上級アド
バイザーであり、同僚と共に、日本がどのようにしてそうした実績を得るに至ったのかを
学ぶべく、日々議論している。国連の人間開発指数によると日本はトップ 10 に入る国であ
り、経済規模においても GDP で世界第 2 位、また世界第 1 位の長寿国である。こうしたす
ばらしい実績をラテンアメリカ諸国は目指している。
日本は教育分野においても国際的にも素晴らしい実績を有している。また、保健分野にお
いても同様である。富裕層と貧困層との格差が世界でも少ない国である。このことはラテ
ンアメリカにとり重要な点である。というのも、ラテンアメリカは多くの潜在能力を持っ
ているが、ジニ係数は最悪であり、世界においても最も収入格差が多い地域であるからで
ある。最富裕層 10%と最貧困層 10%との差は 50 倍。コロンビアでは 60 倍、ブラジルでは
58 倍、アルゼンチンでは 30 倍である。日本では 4.5 倍に過ぎず、世界で最も素晴らしいジ
ニ係数を有している。日本が自国の社会に対して批判的であることはよく知っているし、
常に向上に努めていることも、また、今なお課題も存在していることも承知している。し
かし、ラテンアメリカ諸国は、日本が、人間開発、教育、医療、そして機会へのアクセス
において、どのようにして今のような実績を得るに至ったのか、そしてラテンアメリカの
ような大きな格差を有さない平等な社会をどのようにして得るに至ったのかについて学び
たいと思っている。日本も決して理想的な社会というわけではないが、日本のこうした実
績はラテンアメリカの人々にとり重要なのである。
私は何年も前から同僚たちとこの点について議論しており、この分野における日本の経験
を研究し、日本の経験はラテンアメリカにとりきわめて有益となりうると述べてきた。こ
のことは、とりわけラテンアメリカが非常に大きな変化を遂げている今、一層有益である。
ラテンアメリカ地域は非常に多くの潜在能力を持っており、特に一人当たり食料生産率は
世界一であり、世界の 33%のクリーンウォーターを有している。地下資源及び戦略的原料
の埋蔵と重要な鉱物を有している。他方、許容できない程の貧困が存在しており、34%の
住民が貧困層に属する。さらに、教育分野において進歩していくためには多くの困難を抱
えている。ラテンアメリカでは、12 年の修学期間(高校までの中等教育)を終了できるの
は2人に1人という割合である。ラテンアメリカでは、とりわけ貧困地域、先住民及びア
フリカ系住民在住地域では、産婦死亡率及び乳幼児死亡率は非常に高いが、日本ではこれ
らの数字は極めて低い。
現在のラテンアメリカは、10 年前から大きく変化しており、細野先生からフロンディシ政
権の時代について言及があったが、当時と今では本シンポジウムの意義も大きく異なって
いたであろう。ラテンアメリカは大きな変化を遂げており、ラテンアメリカ諸国は別の経
済モデルを必要としている。今までのモデルでは、貧困層に対応できず収入格差は広がる
一方だった。政治的にも地政学的にも、民主的参加がますます実現しているとおり、ラテ
ンアメリカは変化している。ノーベル賞受賞者のアマルティア・セン教授との最近の共著
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非公開会議(午前)
で述べた「人間の顔をした経済」において、すべての者が機会を有することのできる経済
を探求している。ラテンアメリカの多くの地域においてはこのようなプロセスが進行して
おり、かなりの進展を得つつある。ルーラ政権のブラジルでは貧困率が 10%以上減少し、
甚大であった格差が改善されている。ボリビアは事実上すべての国民に対して識字運動を
行い、ユネスコがボリビアを非識字克服国と宣言するに至った。ウルグアイではすべての
公立学校の教室に対してコンピュータを配布し終え、35 万人の児童がコンピュータを持つ
こととなった。
アルゼンチンは、多大なる経済的潜在力を有する国である。2002 年にキルチネル政権が発
足した頃には貧困率は 58%であったが、今ではその半分以下になり、失業率は 23%から 10%
以下になった。1 ヶ月前には、新たな時代を象徴する事業として、アルゼンチン史上最大で、
また、中南米最大である社会プログラムとして、インフォーマルセクターの労働者、つま
りいかなる社会的保護を有さない労働者の子供たち約 500 万人を国家が保護するという政
策を打ち出した。同プログラムへのアルゼンチン政府による投資額はアルゼンチンのGD
Pの 0.9%に相当する。これは、ブラジル、メキシコ等の国々において社会分野において実
施されたいかなる社会的プログラムも上回るものであり、アルゼンチン史上最大である。
さらに、バチェレ政権下のチリでは、仕事を持つ母親が子どもを預けることができるよう
にするサービスを普遍化した。このように、ラテンアメリカでは変化がみられており、こ
うしたタイミングで本シンポジウムのような会合を行うことは重要である。
日本について、アジアについて活発な執筆活動を行っている友人アマルティア・センを通
じて承知しているが、日本の新しい首相が掲げる「友愛政治」の下、恵まれない人たちへ
の包摂を目指した多くの公共政策をとるなど興味深い段階にある。アルゼンチンも、多く
のラテンアメリカ諸国とともに、社会の抜本的変革のためのプログラムを有し、すべての
国民に権利と機会を与えようとしている。20∼30 年前であれば、ともに前進していく方策
を見つけ出すことは難しかったのではないかと思う。なぜなら当時のラテンアメリカの政
治モデルは少数の者だけのものであり、人口の大多数を代弁するものではなかったからで
ある。しかし今は国民の意向を反映し、すべての人々が社会及び経済活動に参加できる政
治モデルが存在している。だからこそ、日本がどのようにして、国連の公式指標が表すよ
うな貧困の低い社会を作り上げたのかということに、われわれはこれまで以上に関心を有
している。日本の貧困率は国連公式指標では 13%以下となっており、平均所得額等を考慮
した我々の指標によれば 4-5%となる。どのようにして排他的な社会から脱却し、すべての
国民にとって民主的な社会に変革したのか。また、知識人、大学さらには細野先生が主導
するラテンアメリカ協会等の団体とブエノスアイレス大学、その他の文化関係者との協力
を通じて、本シンポジウムを新たなプロジェクトを生み出すための架け橋とすることが出
来れば、それはラテンアメリカにとっての希望となる。また、ラテンアメリカ側もささや
かながら日本における人間開発において役立つことが出来よう。
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非公開会議(午前)
3.各分野における交流の現状
小倉/
ラテンアメリカ全体を変革の嵐が覆っている。アメリカでもチェンジ、日本でも変革が叫
ばれている。その中で変わらないものは何か。文化の中で変わるもの、変わらないものに
ついても考えるべき時代といえよう。
池坊/
花を飾る普遍的な行為は世界中どこにでもあるが、日本の生け花は精神性、芸術性を兼ね
備えた伝統文化として評価され、日本以外の国にも多く愛好者がいる。生活に根ざした、
継承していかなければならない文化と考える。
生け花は、仏教観、自然のものに神が宿る「依代感」、書院造の「床の間」(どこから明か
りが入ってくるかで生け花の表情が変わる)などの要因があってこそ成り立つ文化である。
海外で評価されているのはなぜか。
世界中で多くの地域に生け花の支部、コミュニティが広がっている。日本人の移住から 50
年経ってブエノスアイレスに 1968 年に支部が成立した。それ以前にも熱心な日本の先生が
いて、1,000 人程度の人が教わっていたという記録がある。華道文化使節として派遣されて
いた先生に協力をお願いして支部を設立した。
何故アルゼンチンで日本の文化が興味をもたれたか、考えてみたい。
(以下、写真にて紹介。
)
・ 1600 年代、江戸時代に立てられた「立花(りっか)」という生け花の様式を絵にしたも
の。アルゼンチンのものと全く違う。
・ 生け花には色々な約束事がある。緑のもの(例えば松)と緑でないもの(花のもの)を
あわせる。花器とお花のあいだのしまった部分、発祥する起源を表す「水際(みずぎわ)」
。
・ 木のものは過去、草のものは現在を表す。
・ 盛るタイプの生け花は、戦後に始められた。
生け花の形に独特に見られる、背後に潜む日本人の考え方、哲学、美意識に、関心が寄せ
られると言える。
アルゼンチンの人々が生け花を学ぶことは、生活の楽しみというだけではなく、全く違っ
た文化という側面から日本人の考え方を学ぶという気持ちを持っているのではないか。
時間、金銭、組織に対する考え方も違い、海外の支部を一括りにして運営していくことは
出来ない。テクニカルな部分は現地の人に任せて、生命観、植物に対する考え方など芯の
部分がぶれないように、生け花人としてのアイデンティティは共有できるような活動を心
がけている。
生け花は消え、形として残らない。熱意ある人材をいかに作るか、それらの積み重ねが、
異なる文化への理解、尊敬につながっていくのではないか。
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非公開会議(午前)
(以下、写真にて紹介)
・ 池坊の理念がかかれたもの。
・ 主要なメンバーの写真。
・ 研修会の様子。
こうした取り組みをしながら日常に根ざした文化を通して日本を知ってもらい、またその
反対にアルゼンチンの文化を私たちが理解することもできるのではないかと思う。
小倉/
伝統的な文化の中における固有なもの、共通なものは何かを考えさせられるプレゼンテー
ションをいただいた。自然に対する見方なども議論できるのではないかというサジェスシ
ョンをいただいた。
サバ/
民俗音楽をベースにしたアルゼンチン音楽のピアニスト、編曲家、作曲家として、芸術的
側面について、そして教師としてアルゼンチンの公立学校教育について、お話ししたい。
まずは、アルゼンチンの大衆音楽の概要について説明したい。皆様はタンゴについてはす
でによくご存じであり、優れたタンゴ芸術家もいると承知しているので、ここではアルゼ
ンチン音楽の全体像について話したい。
民俗音楽に根付いた現代のアルゼンチン音楽を語るにあたっては、長年に亘りこれを構成
してきた文化的要素について説明する必要がある。その上で、先住民族から引き継いだ文
化が重要であることは疑いない。同様に、そうした民族の信仰、習慣、伝説、食事、音楽
等が、征服時代のスペインの影響と混ざり、共存している。ヨーロッパからきた文化の中
で非常に重要なものは、18 世紀初頭リマで生まれたクリオージョのリズムであり、これが
第一の流れ。そして、第二の流れとしては同世紀末にブエノスアイレスを起源として生ま
れたリズムがある。それぞれ別の特徴を持ったリズムである。これらに続いて、忘れては
ならないのがペルーを起源としラ・プラタ川流域の民俗音楽のリズムをも含むアフリカの
文化の重要性である。その後ヨーロッパからきた移民が持ってきたものも興味深い要素で
ある。
様々な歴史的理由及びその広大な地理的大きさ故、アルゼンチンは多様な文化を表現して
いる。その地域とは、地理的境界と一致しているわけではなく、国境を越えた文化的境界
を構成している。このような視点から、様々な文化的領域を以下のように分類することが
出来る。
北西地域では、人間は山、谷と接しており、時間と風景に関する独特な次元を有している。
その音楽を通じて、パチャママ(母なる大地)に敬意を払い、またそれを提供するものに感
謝する文化が古には存在していたことがわかる。ビダーラ、サンバ、チャカレラの歌詞に
は、生命、愛、離郷、死、信仰などの最も深いテーマが反映されている。
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非公開会議(午前)
南のパンパでは、時間についての観念が異なる。孤独と距離が重要な要素で、馬が人間の
最も信頼しうるパートナー。ギター伴奏の独唱がミロンガ等のジャンルにおいて最高潮の
表現を実現する。
北東地域の沿岸地域は自然が豊かで、人間は小鳥に向かって歌い、川に栄養を与える。頻
繁に洪水に苦しめられる。漁民、猟師、収穫をする人がチャマメという歌の歌詞に引用さ
れている。クジャーノでは、歌詞とクエカ(舞踊の一種)が優れたギター演奏者を伴って
表現される。上質のワインの素晴らしさが歌の題材となることもある。この地域はおそら
くスペインの歌及び音楽がその後の文化的発展に深く関わっている地域であろう。現地化
したとはいえ、スペインの影響が色濃く残っている。
パタゴニアには、新しい流れがある。マプーチェ人の歌は沈黙に強く抵抗する地域である。
白人社会との文化的衝突により壊滅的状態にされたにもかかわらず、土着の文化の声が生
き残っている地域。
ラ・プラタ川流域では、ハバネラ、ミロンガ及びカンドンベ(アフリカ起源のリズムの激
しい踊り)の影響を有するタンゴが支配的である。今ではアルゼンチンを代表する音楽と
して世界中に、知られるようになった。
音楽家たちはその出身地域は異なれど、自らの喜びと悲しみを歌い上げるため、民俗音楽
を起源とするこの音楽ジャンルを選び続けている。過去に拘泥するのではなく、伝統を尊
重すべきとの考え方が優勢であるが、新しい世代による芸術表現も登場している。マスコ
ミの発達により独立系の音楽家の活動が生まれ、またマスコミを通じより多くの聴衆を獲
得できるようになった。こうした音楽は、素晴らしいけれどもつかの間の成功を得た後に
忘却の彼方に消え去ってしまう音楽とは異なり、作者不明も、今なお我々のレパートリー
となっている音楽と同様、時の試練を超えて生き残り続けるであろう。
音楽に対する関心が高まるにつれ、公共教育において様々な大衆音楽の専攻が設置される
ようになった。ひとたび民主主義が復活すると、1986 年にはブエノスアイレス州ビジャネ
ーラに最初のアルゼンチン大衆音楽教育の学校が設立された。マノロ・ホアレス、ロドルフ
ォ・メデロス、カチョ・ティラド、アニバル・アリアス、オラシオ・サルガン等、皆様も
ご存じであろう優れた芸術家たちにより設立された。
2003 年、ファン・ファルーの推進によってタンゴと民俗音楽の専攻を含む音楽高等学校が
ブエノスアイレス市に初めて設立された。60 年代においてはフォルクローレを根とした音
楽が広まり、同ジャンルに関わるアーティストが出現するなど芸術的進展をみたが、その
後の軍事独裁政権によって一時衰退をたどり、記憶から消去されることとなった。
しかし、再び民主化が始まる中で、失われていたかつての音楽の記憶を救い出す動きが出
てきた。大衆音楽課程の専攻が様々な大学において徐々に可能となってきた。また、国全
体で重要な音楽的出会いが活性化し始め、演奏と学術の両立が実現するようになった。技
術革新とともにグローバリゼーションが世界中に浸透し、活発なコミュニケーションの時
代であるにも関わらず、逆説的ではあるが、世界の他の場所においてどんなことが起こっ
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非公開会議(午前)
ているかに関して、まだ情報が足りていない。静寂に耳を傾け、人間性の核を見い出す作
業が必要なときが再び訪れたのかもしれない。その意味において、めまぐるしい時の流れ
においても、文化や民族アイデンティティの本質的な要素を維持することが必要なのでは
ないか。芸術をつうじた教育及びそれら要素を含んだ教育設計こそ、望まれる選択肢であ
ろう。「私が月に向かって歌うのは、月が輝いているからではなく、歩むべき長い道のりを
示しているからである。
」この一説は、アタワルパ・ユパンキという代表的な詩人であり音
楽家が、人間と自然との親密さを表現したものである。月は、静寂と深い思索の中に孤独
という「連れ」を伴う。かつての思想家や芸術家の知性のお陰で、われわれは歩むべき道
を見つけることが出来るであろう。その点において、日本の伝統と我々の音楽とが共有し
ている点との関連性を見つけ出すことは重要であろう。
最後に、日本とアルゼンチンとの文化交流の具体化に寄せる期待を表明したい。日本人は、
長い間、我々の文化、とりわけ我々の音楽に対し愛情を示し、そしてそれを維持してきた。
同時に、アルゼンチン人にとり、文化的豊かさと日本の人々と文化を知ることは、大変価
値のあることとなろう。両国の芸術家、教師、さらにはレベルの高い音楽学校の生徒によ
る相互訪問を促進しつつ、様々な分野において活発な芸術交流が出来れば大変興味深いで
あろう。
小倉/
ローカルな文化の重要性、アルゼンチンの音楽における多様性をあらためて認識させてい
ただいた。
伊藤/
マルタ・アルゲリッチという偉大な音楽家を生んでくださったアルゼンチンに感謝したい。
おかげで東京という大都市から離れた九州、別府で音楽祭を開催している。田舎町で偉大
な音楽家のすばらしい音楽祭が開催されるのは希なこと。
アルゲリッチはこの音楽祭で連帯や和平を体現している。彼女はよく連帯と寛容という言
葉を使う。音楽祭を始めるにあたって彼女は、日本がほかのアジア諸国から十分に理解を
されていないのでは、という危惧を示した。音楽は言葉の壁を容易に乗り越えて共通に楽
しみ、喜びを得られるものであり、音楽を通して平和に結びつく共生する社会を生むこと
ができるのではないかと記者会見で述べた。私達はこの考えに基づいて 15 年間音楽祭を開
催している。
世界をみても 1 人の海外の音楽家の名を冠した音楽祭は珍しい。財団法人の冠に海外の方
の名が冠されるのも希なこと。アルゼンチンの音楽家の紹介にも積極的で、バンドネオン
奏者のマルコーニも来日。成長してきている音楽家、三浦一馬さんとマルコーニとの出会
いももたらしたこのことはアルゼンチンを代表する音楽タンゴが一人の青年に大きな希望
と可能性を与え、両国の友好交流と理解を深めていくことに役立つものの一つになった。
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非公開会議(午前)
この音楽祭は、一流の音楽を鑑賞するだけではなく、人々のコミュニケーションを生み、
最終的には世界平和を目指している。音楽祭の正式名称は、 Argerich
s Meeting Point
in Beppu 、
「総監督アルゲリッチが創る∼出逢いの場 Meeting Point∼」。ここは「物」で
はなく「人」が中心となり、音楽がコミュニケーションの一つの手段となっている。
アルゲリッチは母国の食べるものにも困っている子供達が存在することにいつも心を砕い
ていて、どんな境遇にある子ども達にも世界共有の財産である音楽を聴いてもらいたいと
いう思いから、「おたまじゃくし基金」を作った。音楽の音符であり、カエルの子どもであ
るおたまじゃくしが、良い大人になるようにという心を込めた活動を行い、音楽祭の財団
化にともない「ピノキオコンサート」として引き継がれて現在も様々なコンサートを実施
している。
アルゲリッチは、長い間日本において業績を残し、演奏だけではなく社会的な貢献をした
ことで勲章を受けた。私達の日本での音楽祭がきっかけとなり、アルゼンチンでも姉妹音
楽祭が誕生した。在アルゼンチン共和国日本大使館の協力を得て、アルゲリッチピアノコ
ンクールの受賞者には大分名産の竹を使ったプレゼントを送ることになった。大分県でも
アルゼンチンの物産フェアを開催したりと、小さな個人のつながりから、地方都市に音楽
祭を生み、産業にも結びついてきている。こうした交流がたくさん生まれることで、両国
間の精神的な、文化的な交流、更に産業においても豊かな交流が生まれるのだということ
を自分の体験から思う。
私たちは偉大な芸術家を輩出したアルゼンチンという国を、音楽という分野を通して知る
ことになったことを感謝し、この交流が今後も豊かに実っていくことを期待している。
小倉/
出会い、それによる予想できない波及効果、スピンオフが重要であると認識させられるプ
レゼンテーションだった。
シュステル/
正岡子規が「良きも悪しきも、結局みんな人間である。」という趣旨のことを言った。人間
は日増しにバーチャル化する世界に身を置き、マスコミの役割は、物的なものを我々の意
識の中心から追いやっているようである。人々は、空間、時間、身体そして物的な限界を
越えて、画面を通じて伝えられる情報に基づきそれぞれの意見を形成する。世界のどこに
いても他の場所で起きている出来事の証人となれる。逆に、直接その出来事を目撃した者
ですら、後からテレビの画面を通じて実際に目撃したことを確認することを厭わない。人
間関係はウェブによる社会的ネットにより決められ、多くの人々が、フェイスブック、ツ
イッター及びその他のものにある自身のプロファイルを管理することや、他の人々のプロ
ファイルを探すことに人生のうちの何時間をも費やしている。電子メール、チャットとい
ったバーチャルの世界が我々の日常生活において重要な位置を占めるようになっている。
11
非公開会議(午前)
我々はマウスをクリックすることで世界の扉を開き、少し前までは想像もつかなかった世
界に遭遇することが出来るようになった。そして「思想」は素晴らしい科学的発展を成し
遂げ、物質的な条件、そして自らが支配されている制限からの最終的な解放を到達したよ
うである。われわれはまさに 20 世紀のサイエンスフィクションの世界の目前に立っている
かにも見える。
しかしながら、私は今般、実際はそうではないということを申し上げるために、訪日した。
もちろん、我々は技術が作り出した成果を否定しているわけではない。しかし、世界中に
情報を伝播した通信技術の発展により、空間、体、時間、物的なものを媒体とする人と人
との直接的なコミュニケーションが消滅するわけではなく、依然として我々のコミュニケ
ーションにおける原点であり続けている。我々は、肉体的、地理的、社会的な条件を背負
い生活しているからこそ、心理的、歴史的、文化的な条件下に身を置いているのである。
したがって、最新技術により我々の活動範囲が拡大されていくにつれ、逆に、各個人そし
て各国民はその地理的なアイデンティティを強調したくなるのは奇異なことではない。地
球上の境界がぼやけていくことで、先祖の伝統を確認・回復する必要性が生じていると感
じる。こうした傾向は経済分野でも、金を情報の形に変えてしまったバーチャル金融にお
いてもみられ、情報の量が実際の金の量を超えて、世界規模の無慈悲な危機を生み出すこ
ととなった。その意味では、現在の危機は、バーチャルの世界には、空間的、時間的、さ
らには物質的な限界が存在していることを暴露したといえる。たとえば、気候変動の問題
も、我々が実際に住んでいる空間というものを一層意識する必要性を再提示している。世
界の三分の二の人々は貧困の下での生活を余儀なくされており、よりよい生活条件を求め
て物理的に移動しようとしている。人類は、すべての者に平等と尊厳を与えるという人間
的プロジェクトを実行出来ずにきた。我々は過去に行ってきたことに対する責任を有すが、
現実世界あるいはバーチャルでの出会いを通じて、相互に学びあうことで、望ましい方向
に歩を進めていかなければならない。
日本とアルゼンチンは地理的に遠く、また、文化的にも異なっているが、双方の間での対
話が可能であることは両国間のこれまでの歴史が示すとおりである。この対話を促進し制
度化する方法を見つけなければならない。これまで両国間に存在する交流は、国家や特定
の人物の決定によるものではなく、自発的に生じたものであり、これを我々は確実にし、
そして大切にしていかなければならない。そして、相互に学び、成長していける方法を探
さなければならない。私は大学に所属しているが、そこでも教授同士の相互訪問、学生に
対する相手国についての教育等、価値ある多くの協力の方法が考えられる。博士課程取得
や共同研究の促進も一案であろう。ラテンアメリカの二大大学の一つであるブエノスアイ
レス大学において、日本とアジア太平洋の地域研究を行っている。日本においてもラテン
アメリカ研究が行われている。こうした空間を更に広げ、深めていくことを念頭に両国国
民間で対話を行えば、双方にとり有益であろう。アルゼンチンの大学には韓国研究センタ
ーを有する大学があるが、これは韓国外務省によって推進されたものである。日本とアル
12
非公開会議(午前)
ゼンチンとの関係も十分そのような関係になる資格を有しており、ブエノスアイレス国立
大学、また日本研究センターを有するラ・プラタ国立大学、さらには同様の施設を有する
コルドバ国立大学等の機関に加え、政治、コミュニケーション、社会、文化、芸術を扱う
日本・アルゼンチン間の協力センターが出来ることを願う。こうした手段が多ければ多い
ほど、様々な分野において日本・アルゼンチン間の協力の可能性が大きくなる。こうした
対話と協力が、両国国民の生活向上につながることを信じている。
小倉/
相互の研究の重要性を強調していただき、メディアの役割にも言及していただいた。
江口/
アルゼンチンを初めて訪れたのは 1982 年で、首都を中心に 3 カ月間ほど滞在してフォーク
ランド(マルビナス)諸島紛争の取材にあたった。85 年からブラジルのリオデジャネイロ
に 4 年間駐在し、アルゼンチンには取材のために何度も訪れた。ヨーロッパとアジアの支
局に駐在し、ラテンアメリカから遠ざかった後、国際ニュースの責任者として在職し、ラ
テンアメリカのニュースをできるだけ放送するよう努力した。
NHK では衛星チャンネルで毎日放送しているスペイン ETV のニュースと、毎週土曜日に放送
しているブラジルの放送局のニュースを通じて、視聴者にラテンアメリカの情報を定期的
に提供している。この二つの放送局からの情報が視聴者にとってラテンアメリカへの窓口
になっている。アルジャジーラというイスラム圏の放送局が大成功を収めているのは、イ
スラムのことは現地の放送局のニュースを見るに限るという視聴者の強い要望がある。ラ
テンアメリカについても同様で、この観点からラテンアメリカ全体をカバーするニュース
チャンネルがあると、NHK としても放送しやすいと思う。ラテンアメリカの様々な地域の情
報を、そうした放送局と提携して定期的に出していくという将来的な希望がある。
報道番組について言えば、NHK の予算・人員・能力には限界がある。独自の力だけで制作す
るよりも、現地のプロダクションとタイアップをして番組を作った方がより良いものがで
きる。制作費、機材の面でもシェアできる。日本での放送権についても NHK にとってはメ
リットがあるので働きかけをしているが、実績を作るにはまだ至ってはいない。ラテンア
メリカ担当者は、現地のいくつかのプロダクションの制作レベルは欧米と比べても遜色な
く、共同制作も含め交流を増やしていきたいという方針だ。
現状を見ると、2006∼2009 年までの 4 年間にラテンアメリカを扱ったドキュメンタリーは
全部で 23 本。そのうちの 5 本は NHK が現地に取材チームを送って独自に作ったもので、残
りは海外から買付けた番組である。カンヌとバンフで開かれる全世界の番組フェスティバ
ルなどでは、NHK は年間で 10 億円(1 千万ドル)を使って 150 本を買付けているが、ラテ
ンアメリカの作品はまだまだ少ない。制作した作品を番組市場に出すよう呼びかけるとと
もに、こちらから直接訪ねて話を具体的にしていきたいという。
13
非公開会議(午前)
この 4 年間でアルゼンチンを題材にしたドキュメンタリーが 1 本だけ放送されている。そ
れはスウェーデンのプロダクションが制作した 2000 年初頭の経済危機を題材にしたものだ
った。タイトルは「ORDINARY FAMILY」。家族経営の事業が行き詰まり、家族全員が最終的
にスペインのカナリア諸島へ移住していくという感動的なドキュメンタリーだった。こう
いった作品をアルゼンチンのプロダクション、あるいは放送局が制作して、世界市場に出
してもらえればと思う。
日本は世界で有数の教育国として知られる。NHK では教育番組の世界的なコンテストである
「日本賞」を、毎年主催している。幼児番組、青少年番組、生涯教育など 5 つのカテゴリ
ーに分かれておりグランプリが「日本賞」、他に「外務大臣賞」、「国際交流基金特別賞」な
どがある。過去にアルゼンチン、ブラジル、メキシコ、コロンビア、チリ、パナマ、ニカ
ラグアなどのラテンアメリカの国々からエントリーがあった。アルゼンチンからは 18 のプ
ロダクションや放送局が、作品をエントリーしている。「Canal Encuentro」はこの賞に児
童向け、青少年向け、生涯教育、福祉教育という 4 種のカテゴリーでエントリーした。題
材はスポーツ、自然環境、先住民の暮らしを扱った 30∼50 分のドキュメンタリー番組であ
った。担当者によると、ラテンアメリカからの参加番組のレベルは年々上昇し、いろいろ
な賞を受賞している。2006 年にはブラジルが子供番組部門で最優秀賞、同年コロンビアが
麻薬に毒された子ども達のドキュメンタリーを作り、青少年部門で特別賞を獲得した。ブ
ラジルは 2007 年にも特別賞を受賞している。
国づくりの礎は教育とされる。良質な教育・教養番組を通じて、青少年の成長やお年寄り
の生活を豊かにすることに貢献できるのは、放送人にとって大変重要なことであり、力を
注いでいかねばならないと考える。ともすると放送は早さだけを売り物にしているように
思われがちだが、情報の洪水に流されるのではなく、人間の日々の営みをじっくりと腰を
据えて記録する番組を制作することも、放送に課せられた責務である。
ここ数年 NHK が番組を通じて取り組む課題としては、政治や経済の問題、教育、エネルギ
ー・環境問題、新たな産業の育成、文化交流などがあげられている。
私はとりわけアルゼンチンへの思い入れが深いが、アルゼンチンと日本との交流が放送を
通じてますます盛んになっていくことを心から期待してやまない。
小倉/
共同制作をどのように促進すべきか、一つのテーマを提供していただいた。
ゴンサレス/
アルゼンチンにおける近年の公共放送の重要性について、また、アルゼンチンによる日本
の地デジシステム採用に関連し、カナル・エンクエントロが取り組みを進めている。更に、
細野教授から言及があった、松下洋教授によるアルゼンチンの労働組合運動について、非
常に質の高い本が出ている。
14
非公開会議(午前)
クリストファロ/
ラ・プラタ川流域では、地元の歴史の影響を受けたスペイン語が使われている。しかしこ
れはブエノスアイレスに限ったことではなく、各都市はその言語の歴史の影響をうけてお
り、そこで話される言語の調子、ニュアンス、リズム、風景によって各都市が認識される。
ラ・プラタ川流域のスペイン語は、イベリア半島及びアメリカ大陸のスペイン語にその他
の文化が混ざって出来たものである。
19 世紀はフランス、アングロサクソン文化の拡大に象徴される近代化の時代であり、アル
ゼンチンにおいても独自の近代化に向け、様々な論争があった。サルミエントの「ファク
ンド」及びマンシージャの「ランケル・インディオ」はそうした論争の舞台であった。不
平等な形での近代化は、
第二次世界大戦後、とりわけ 80 年代以降にその速度を増してきた。
それと同時に、言語に対しては同一性が求められるようになってきた。技術文明やマスコ
ミュニケーションは、ニュアンスというものを拒絶した。しかし、言語が個性を有して活
き活きしているときこそ、ニュアンスというものが生み出されている時なのである。ヨー
ロッパの文化は、個性に抵抗し、自身の嗜好を普遍的なきまり、抽象、妄想といったもの
で自らの文化を特権化する傾向を有している。このようにニュアンスを消去しようとする
ことは西洋世界の傲慢性であり、偏見である。
出版業界におけるこうした動きは、その時代のスタイル及び文学的言語に大きな影響を与
える。画一的でシンプルな言語が用いられるようになった。アルゼンチンで書かれた小説
はメキシコ、ロンドン、ニューヨークなどで書かれた小説、あるいはインドの作家により
書かれた小説と日増しに類似してきている。
文芸批評や比較文化研究において、文学の国際化について話題にし、各国文学の終わりを
熱心に宣告している。ゲーテはそのことをナポレオン軍の進撃、そしてヨーロッパ・ロマ
ン主義の開始の際に既に見抜いていた。
スペイン語市場向けの翻訳を普遍化するために、特定地域に特有のアクセントを制限した
「中性スペイン語」が出来たことは、そうした流れの最たるものである。日本文学の英語
を通じたスペイン語訳にも同様のことが言える。川端康成、大江健三郎、芥川龍之介、三
島由紀夫らの作品は、直接日本語から訳されたのではなく、スペイン語に翻訳されている
のである。
幸いなことにアルゼンチンには、ボルヘスという重くのしかかる「影」の向こう側に存在
する現代アルゼンチン文学の興味深い作品を紹介している小さな出版社や独立系の出版社
による力強い取り組みにより、スペイン語のニュアンスや独特のリズムといったものが生
き延びている。また、ブエノスアイレス大学文学科は文学界との活発な関係を維持し、独
自の方法で、学術用語による伝統的ヘゲモニーに抵抗している。
谷崎潤一郎の『陰翳禮讚』からテキストを引用したい。
「私は何も、照明、暖房、衛生の設備などにおいて文明が提供してくれる便利さに反対し
15
非公開会議(午前)
ているわけではないが、我々の習慣や嗜好をもっと大切にしないのだろうかということを
自問してきた。」という趣旨の節がある。これに加え、「実のところ、このようなことを書
き記したのは、そうした欠陥を補いうる方法が文学あるいは芸術に存在するものなのかと
いう問いを提起したかったからである。私としては、少なくとも文学の世界においては、
我々が消し去ってしまった影の世界を蘇らせたいと望んでいる。」この谷崎の指摘は、現代
においても的確である。
ラ・プラタ川と日本をつなぐ道を築き、深化させることが出来るのではないか。
小倉/
翻訳のあり方についても問題を提起していただいた。文化における普遍性の問題−類似し
たものを見つけることが普遍的なものを見つけることになるのか。難しい問題があること
を提起していただいた。
長谷川/
私は視覚文化、視覚情報についてお話ししたい。たくさんの情報をどう伝えていくかとい
う指摘がこれまでにあった。地域のオリジナルなものとグローバルなものをどう判別して
いくかといった問題提起もあった。その中で視覚芸術は、私たちの中に連綿と残ってきた。
ある意味で記憶の保管庫にあたるものであり、その一つのあり方が美術館ではないかと思
う。また現在ある様々な文化、視覚表現をどのように集め、どのようにマッピングし、現
在の視覚文化の鏡として見せるかという、ラボラトリウム(実験室)的な機能が、現代美術
館のもう一つの役割である。
現代美術は、絵画、彫刻だけでなく、デザイン、建築、写真、映像、パフォーマンスなど、
非常に多様な表現、メディアを含んでいる。その中で他の文化、他者をどのように理解し
ていくのかを学ぶ場として重要な機能を持つとも言える。
私たちは見ることを通して思考の訓練をし、それを通し他者とのコミュニケーションを学
んでいく。
現代アートの世界では、オルタナティヴ・モダニズムという言葉が出てきている。欧米中
心主義でなくそれぞれの地域で異なったモダニズムが発展してきた。グローバルマーケッ
トとしての美術市場、また美術館というインフラが教育とつながり、これらのモダニズム
を育んできた。アーティストが一度は欧米で学び、その内容と自分たちのオリジナルでロ
ーカルな文化をどのようにハイブリッドに創作をしていくかについて真剣に考えているこ
との結果だと思う。
ラテンアメリカにもポリティカルアートは多い。政治的な状況に対してメッセージを送る
批評としての芸術やコンセプチュアルなポップアートが出てきている。
ラテンアメリカは特に 90 年代後半以降、多くの国際展でフォーカスされるようになった。
特にリーヌ・ダビットが行ったドクメンタなどが注目を浴びた。ここから私が出会ったア
16
非公開会議(午前)
ルゼンチンのアーティストを紹介しつつ、具体的なアルゼンチンと日本の関係の可能性に
ついてお話ししたい。
(スライド)
<写真 1,2>
今日本で一番ポピュラーなアルゼンチンの作家といえる、レアンドル・エーリッヒの作品。
これは私が 7 年かけて開館に携わった金沢 21 世紀美術館のもの。プールの端に立って下を
見下ろし、プールの中にいる人物が濡れていないという、一種のギミック。彼はもともと
建築を勉強しており、より自由なことをやりたいと考え、アートを志した。この作品が多
くの人々の心を捉えたのは、参加の楽しさと「マジカルリアリズム」である。日本にはボ
ルヘスのファンもたくさんいるが、そういう日本人の感性に響いたのではないか。
<写真 3>
Neighbors 「ネイバーズ」というタイトルの、エレベータを開けると無限に鏡があるエ
レベータを作った作品で、イスタンブールのビエンナーレに紹介した。
<写真 5>
1961 年生まれのギレルモ・クイッカ。地図や建築図面を参照した。パリの教会、ディドロ
の『百科全書』という本で使われた図版からとった図面を水彩鉛筆で描いて水で溶かした
もの。ヨーロッパの伝統的な教会のプランをデコンストラクションする考え方。ヨーロッ
パ文化に対するアルゼンチンアーティストによる一つの解釈であるが、別の未来へのイメ
ージと、私は捉えた。それはある意味でのロマンティシズムと、鋭い批評的な視点が含ま
れている。クイッカは刑務所や劇場の平面プランを絵画として描きながら、それがとてつ
もない規模に広がっていく。現実にはありえないヴィジョンを作品を直してみせる。これ
もある意味で「マジカルリアリズム」の系譜ではないかと思う。
アルゼンチンはファーウェスト(極西)、日本はファーイースト(極東)。極地的な場所で
醸成されるイマジネーションの豊かさ、ユニークさがあるのではないか。それを孤立と呼
ぶこともありえるが、非常にユニークな感性が醸成される場所、1 つの夢の世界、大きな別
のイマジネーションを作る力があるのではないかと考える。メランコリーやロマンティッ
クであるとも言えるが、それらが多くの日本人の心をひきつける要素ではないか。
残念なことにアルゼンチンのアートは日本であまり紹介されていない。アルゼンチンの広
範な視覚文化をどのように美術館で紹介出来るか提案をしたい。
<写真 11>
タラマンドというデザインのグループによるもの。新しいライフスタイル、美学を提案し
ていく方法。ファッションだけでなく、家具など総合的な生活を提案し、固有のプロダク
トに限られず、時代の感性を反映したものを紹介していく方法。
<写真 16,17>
17
非公開会議(午前)
私はいくつか小規模な展示でアルゼンチンのデザインに触れた。非常に興味深かったもの
として、デザインとアートの融合を考える展覧会「スペース・フォー・ユア・フューチャー」
Space for your future
で招待したグループ
Contenido Neto
(コンテニード・ネト)。
ペットボトルを細長く切って編むことで作品にし、貧しい人も含めた彼らの仕事にしてい
く。ブラジルでも同じことが行われている。手仕事の良さを別のコンテンポラリーなデザ
インフォームにしてフィードバックしていく。そういったことを含め、多くのクリエータ
ーたちが社会的な問題に関わっている。
<写真 18>
絵画や彫刻だけでなく、その国の文化がどういう状態か総合的に紹介する展覧会の例とし
て「ネオ・トロピカリア」(東京都現代美術館)を企画した。ブラジル文化についての展覧
会である。ブラジルでは、60 年代にトロピカリアという音楽を中心にした文化ムーブメン
トがあった。80 年代半ば、軍事政権が終わった後でその精神がまた新しい形でリバイバル
してきた、そういう精神を若い芸術家は継承している、ということを含めたタイトルを付
けた。
<写真 19>
ミューラル・ペインティング(ベアトリス・ミリヤーデス)
(美術館の外観)
<写真 20>
12 の CD プレイヤー音楽がセットしてあり、ラジオヘッドフォンで動きながら聞けるように
なっている(AVAF)。壁紙のデザインと映像で空間を作る。
<写真 21>
AVAF はアートとデザインと音楽を横断する作家グループでインテリアに大きく影響を与え
ている。同様な動向は 60 年代有名なネオ・トロピカリアという運動にもあり音楽とアート
が連動した。
<写真 23>
リナ・ボバルディ(建築)
<写真 25>
ルイ・オータケ(日系人)が行ったプロジェクト。人々と色を相談してともにファザード
の色を塗り、デザインを変えることによって、ファベーラの人達の生活意識を変えていっ
たプロジェクト。
<写真 26>
イザベラ・カペート
地元のオリジナルな装飾をリサーチして、刺繍でコンテンポラリー
なデザインを作っている。
<写真 29>
ロナルド・フラーガ
同展覧会はこのあとサンフランシスコに巡回した。日本人の企画し
たブラジル展がサンフランシスコに行くということは珍しい。サンフランシスコにも日系
人がたくさんいる。そういう関心も含めて、マルティ・エスニシティの一つの例としてこ
18
非公開会議(午前)
の展覧会が選ばれたことに、非常に興味深く感じている。
2008 年に日本とブラジルの作家を 20 人ずつ組み合わせた展覧会を同じタイトル(「ウェン・
ライブズ・ビカム・フォーム」
館
When Lives Become Form )で、サンパウロの近代美術
MAM で行った。これも日系のアーティストに入っていただき高い評価をいただいた。
一方的に紹介するだけではなく、日本のアーティストもあわせて紹介できるような展覧会
ができたら良いと考えている。
小倉/
美術館の社会的役割はアルゼンチンにおいてもいろいろな議論があると思うが、その問題
についても触れていただいた。同時に日系人の仲介者としての役割についても間接的に提
起していただいた。
ゴンサレス/
参加者の発表を、関心を持って聞いた。アルゼンチン側からは、ラテンアメリカの貧困を
取り上げた問題が挙げられた。中南米における最貧国ハイチは自然災害により一層苦しめ
られることとなったが、クリクスバーグ教授からも明確にされたとおり、なんらかの対策
をとる必要がある。シュステル氏からは、アルゼンチンにおいてイメージ、言葉、現実世
界の再生に関連した技術について説明があった。こうした技術は人間の直接的経験にとっ
てかわるものではないという条件の下に歓迎されるべきものである。クリストファロ氏よ
り、すべての文化を特徴づけるニュアンス及び類似性の問題について、興味深い指摘がな
された。クリストファロ教授がニュアンスと呼ぶこうした特徴は、文化的補完及び文化的
協力といった作業を行う上で軽視すべきでない要素である。矛盾するように聞こえるかも
しれないが、こうしたものを軽視することにより生じる空虚な文化的普遍主義を作り出す
べきではない。クイッカー及びブラジルのアーティストなどは、普遍主義を目指す中で、
ニュアンスについて真剣に取り組んだ結果、素晴らしい作品を作り出した。ブラジルはそ
うした文化的ニュアンスに富んだ国であるからこそ、前衛的な芸術が盛んな場所となった
のである。その点について、アルゼンチンも重要な役割を果たしてきたことを指摘したい。
サバ氏は、アタワルパ・ユパンキなどといった偉大なアルゼンチンの詩人や音楽家につい
て言及した。
この機会に、日本側からの発表を聞くことが出来たことは素晴らしい経験であり、アルゼ
ンチン参加者を代表して謝意を表明する。生け花は人生そのものの源泉であり、また普遍
的理解の源泉である。伊藤氏は、アルゼンチンの偉大な演奏家マルタ・アルゲリッチの日
本での活動を紹介し、相互理解及び文化的普遍主義につき言及した。江口氏は、日本の進
んだテレビ放送につき説明するとともに、アルゼンチンのテレビ放送の歩みにも触れた。
公共テレビ放送はアルゼンチン民主主義の再建における核であり、公共テレビ放送のない
19
非公開会議(午前)
ところに本当の民主主義は発達しない。その点について、現在アルゼンチンでも活発に議
論されていることである。長谷川氏は、アルゼンチンの芸術家たちが素晴らしい表現活動
を日本で行っていることを紹介したが、アルゼンチン人でありながらそのことを知らなか
ったことを恥ずかしく思った次第である。
本シンポジウムは貴重な体験と学習の場である。細野教授のアルゼンチンについての幅広
い知識に裏打ちされた発表は、まるで鏡に反映する自分の姿を見ているようであり、他国
にいるアルゼンチン専門家を通じて自国について学ぶ必要があることを学んだ。これこそ
正真正銘の文化的協力であり、それが実現したことに謝意を表する。
細野/
クリストファロ氏が日本への関心を話したが、その中で「貧困と格差」、「人間と自然」な
どの普遍的な問題を議論していけたらと思う。
エルサルバドルで「プロジェクト X」をスペイン語に翻訳して放送した際には、放送のたび
現地のゲストを招いた。そのコメントに日本への関心が反映されると感じた。「おしん」の
里の風力発電、夕張メロン、時計でよみがえった諏訪の話。これらを始めとする多くのプ
ロジェクト X のドキュメンタリー吹き替えがアルゼンチンで行われている。
相互の関心に合った形での発信が重要。現地の人々が非常に感動して、大学の授業でも使
われたということを聞き、接点があることを痛感した。そういったことをきっかけにした
文化交流、知的交流、よりビジュアルな発信も重要ではないか。
クリクスバーグ/
経済科学の分野で、日本はラテンアメリカにおける国際協力という形で多大な貢献をした。
2011 年、経済危機の中で一緒に新しい経済モデルを探し、それによって深刻な危機を乗り
越えようとしている。
本シンポジウムを今後どのように継続していくかについて触れたい。両国から参加した 12
名が、学際的かつ多文化的な視点を見いだし得たことは画期的なことと感じている。科学、
現代美術、音楽について多面的にとらえることが出来たことからも、特異な試みとなった。
この点を踏まえ、今後本シンポジウムをどのように深化させ継続させていくかを検討しな
ければならない。細野教授が想起したとおり、1998 年に大きな会合が開催されたが、その
後 11 年経ったタイミングで、ブエノスアイレスにおいて、私を含め多くの参加者が関与す
るブエノスアイレス大学との共催で、今回のシンポジウムにおける学際的かつ多文化的な
視点を維持し発展させた大規模なシンポジウムの開催を検討することは、大変有意義であ
ると考える。
そのシンポジウムの事前準備のプロセスで、本日話題にあがった学術交流を含めた共同プ
ロジェクトを見いだしていってはどうか。経済学の観点から私が思いつくことを提案する。
私は国連及び米州開発銀行の活動を通じ、ラテンアメリカ地域での協力分野で日本が近年
20
非公開会議(午前)
果たしてきた役割を承知しているが、日本は特に社会分野のプロジェクトを主導的に支援
している。この機会に十分な事前準備を行い、経済分野や企業間でのプロジェクトに加え
て、学問及び文化に関するプロジェクトを企画した上でシンポジウムの開催を検討するこ
とに意義があるのではないだろうか。これは両国関係の活性化に不可欠なことである。世
界経済危機の中で、現在のような事態に我々自身を導かないように新たな経済モデルを模
索しなければならない。100 億人分の食糧供給能力を有する一方で、世界の 6 人に 1 人にあ
たる 10 億 2 千万人が飢餓に直面しているような世界から脱出しなければならない。こうし
た状況を改善すべく我々は日々努力しているところであるが、今こそ万全の事前準備を行
い、協力プロジェクトを発掘した上で、シンポジウムを開催することが求められていよう。
この提案を是非検討していただきたい。
5.午前総括
小倉/
「平和」、「自然」、「格差」、「地方文化」、「グローバリゼーション」といったキーワードが
あげられる。
例えば自然災害からの復興というテーマ一つをとっても、単に経済的な対策でなく、災害
防止のための教育、災害後の心のケアにおける文化活動の意味、立ち直りの際の自然に対
する文化的な考え方の違いなどの問題が挙げられる。
また、サバ氏のお話からアルゼンチンは豊かな地域文化を持っていることを教えられた。
日本でも地域の経済的振興、社会的振興のために地方文化をどう活用できるか。また在日
外国人の持つ文化を土着文化とどう調和させていくかの問題なども出てきている。
今日の議論の中から交流ないし、対話すべきいくつかの問題点を抽出していくことができ
る。
今日はあまり触れられなかったが、東アジアでは今大きな変化が起こっている。特に文化
的な現象として、強い郷土意識が出てきている。このことの背景や意味について、またラ
テンアメリカにおいては全体としてどういう動きがあるのかも議論していきたい。
ゴンサレス/
国家間の関係は様々な歴史的局面と可能性を有するものである。ラテンアメリカの場合は、
メルコスール(MERCOSUR)について活発な議論がなされている。メルコスールとは、アルゼ
ンチン、ブラジルを中心に、パラグライ、ウルグアイを加盟国とする貿易連携体であり、
チリ、ベネズエラがアプローチしている。ラテンアメリカには、ベネズエラが推進する国
家間統合に向けた別の動きもあるが、ここにおいても南米大陸の将来像について政治的議
論がなされている。こうしてみると、詩、文学的体験、現代芸術にみられる芸術的動向は
地政学上の動向の先を行くようである。本日この場で参加者の発表を聞き、非常に勇気づ
21
非公開会議(午前)
けられた。このような場においては多くのことに思索を巡らせることが出来るものだが、
本日は頻繁に感じることは出来ない、深い感謝の気持ちと何かを学んでいるという気持ち
を胸に、閉会することが出来る。
小倉/
時間・空間に関する考え方の違いがいろいろな国の文化の根本にあるが、今回の会議では
日本・アルゼンチンの参加者の内ではそうした違いをあまり感じさせなかった。心が一致
していたと言えるのではないか。参加者の皆様の御協力に感謝する。
22
Fly UP