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ディディ=ュベルマンと歴史の問 ー

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ディディ=ュベルマンと歴史の問 ー
ディディ自ユベルマンと歴史の問題
小野 康男
George Didi−Huberman and the Pro’blem of History
Yasuo Ono
はじめに
ディディ=ユベルマンは、美術研究における現状を、「今日、あらゆる美学的言説に浸透している
居心地の悪さないし誤解の原因は、おそらく、少なくとも部分的には、この言説が20世紀芸術作品
の非特殊性一すなわち人類学的次売 を理解しようとするとき、多くの場合、多少とも宗教的
世界そのものと結び付いた古ぼけたカテゴリーをもう一度取り出さざるをえなかったという事実に
ある1」と批判している。特殊性の言説とは、カントに依拠して芸術作品の自律性、純粋性を主張す
るグリーンバーグ的なモダニズムの言説であるが、モダニズムの芸術理解を超え出て作品を考察し
ようとすると、たとえばバーネット・ニューマンの作品をユダヤ神秘主義的に解釈するときのよう
に、宗教的概念に頼ることになると批判しているのである。
「造形芸術に関してはいぜんとして美術史が中心的な研究学科でなければならないということ、
そして我々美術史家は、たとえ他の局面を考慮しなくとも、すべてではないにせよ多くの決定的な
問いを解決できるということ、これに対して、芸術社会学者、文花科学者等といった我々の同僚た
クンストヒスト リエ
ちは美術史から絶えず教示されないことにはやって行けないのだというこ.と一これには一
連の重要な理由があるのですが、その中から私はξりあえずひとつだけ挙げておきたいと思います。
それは、我々美術史家が彼らに研究の対象をそもそもあらかじめ調達しなければならないというこ
とです2」とべヒトが言うように、美術研究の基盤が美術史的な研究であることは否定できない。そ
して、美術史的な研究の基盤が実証的な研究であることも確かである。しかし、ゼードルマイアが
「第一の芸術学」と呼ぶ、通常の美術史が対象とする作者や年代の同定、イコノグラフィー、芸術
の社会史、様式の変遷などを超えて、「作品自らの美的性質、構造、究極的には1作品とそれを生み
出した世界や文化との関係へ向かう態度ないし構え(Einstellung)3」を考察する「第二の芸術学」
を要請したように、美術研究は20世紀の早い時期から、実証的研究の次の段階を見据えてきた。20
世紀において、形式分析とイコノロジーが美術研究のいわば国際様式として支配的な力をふるった
のち、1980年代以降、ニュー・アート・ヒストリーやカルチュラル・スタディーズといった学問領
域横断型の研究が進展した。ディディ=ユベルマンは、美術の研究において「人類学三次元」を導
入すべきだと主張するのである4。しかし、先の引用箇所に続けて、ディディ=ユベルマンがアウラ
ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ へ
を取り上げ、「見られるものがその観者を見つめている。ベンヤミンはこれを「目を開かせるカ」と
呼んだ。[……]この眼差しの関係は、他者性、失われた対象、分裂した主体、客体化しえない関係
ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ へ
を仮定する欲望の弁証法を含んでいる5」と語るとき、彼の言う人類学は、通常の意味での人類学で
2
小野 康男
はなく、宗教的概念を徹底的に世俗化するための方策として、メルロ=ポンティ的な現象学、フロ
イトーラカシ的な精神分析学を主たる準拠枠とすることが明らかとなる。ある意味できわめてフラ
ンス現代思想に特有のこのスタンスは、ディディ=ユベルマンにおいて、上記引用における羅列に
見られるように緊密な概念化ではなく、「イメージによる思考6」とも言えるモンタージュ的論述に
よって見えにくくなってはいるものの、しかし、とりわけ「歴史」の問題について重要な問題を提
起しているように思われる。以下、粗描的なかたちではあるが、ディディ=ユベルマンが「歴史」
の思考に対してもたらしつつあるものを、彼の言説の射程に含まれるさまざまな領域との関係にお
いて考察したい。
1.学問領域としての歴史
ディディ=ユベルマンの専門とする美術史ないし美術史学という言葉は、英語(art history)で
あれ、仏語(histoire de l’art)であれ、独語(Kunstgeschichte)であれ、「美術」と「歴史」を複
合した言葉である。「美術」が近代の産物として、その位置規定が問われているように7、「歴史」も
また今目、批判的検討の対象となっている。彼は、『時間の前』において、47頁を費やし1彼の所
属する社会科学高等研究院を牙城とするアナール学派を主たる批判的論争の相手とみなし、歴史学
に対する批判を展開した。それは、学問領域としての歴史学に対する問いかけと、広い意味で「歴
史」という言葉で了解されるものに対する問いかけの二重の相を含んでいる。まず、ディディ=ユ
ベルマンは、「哲学することは、それが歴史家の発言であれば、[……]死罪に値する」というフェ
ーヴルの言葉を取り上げ、学問領域としての歴史学における哲学め忌避を批判する8。それは、歴史
学における通俗的な時間概念に対する批判として現れる9。
ディディ=ユベルマンはほとんど常套句のように美術史研究者マイケル・バクサンドールのフ
ラ・アンジェリコに関する実証的な言説を批判している10。過去の芸術は「歴史的に妥当する」そ
の同時代の概念を通じて理解されねばならないとして、バクサンドールは、フラ・アンジェリコの
死後30年経ってこの画家について文章を書いたクリストフォロ・ランディ』ノが用いた概念に基づ
いて、フラ・アンジェリコを解釈した。しかし、ディディ=ユベルマンによれば、二人を分かつ30
年の隔たり.は、美学的、宗教的、人文主義的な環壇において、少なからぬ変化を生み出していた。
ランディーノの世俗性よりもはるかに複雑な聖書注解的解釈が必要なのである。ディディ=ユベル
マンは、フラ・アンジェリコとランディーノの間に、同時代性ではく、アナクロニズムを見出す。
しかし、差し当たり、これは実証主義が厳密さを求めて、その研究の権利を要請する格好の舞台に
ほかならない。より厳密な実証が必要だという主張にすぎないのである。ディディ=ユベルマンは、
ヘ ヘ ヘ りし ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ へ
続けて、フラ・アンジェリコ自身に凝集された異質な時間の混清を指して、,「アナクロニズムを形成
へ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ へ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ へ
する異質な時間の驚くべきモンタージュ」と述べ、「「様式」や「時代」というきわめて基本的な歴
史概念が、危険な可塑性をもっことが突然明らかとなる11」として、美術史に対する自らの異議申
し立てを正当化する。ディディ=ユベルマンは、過去を過去として確定することが可能かどうかと
いう問題を提起するわけであるδ
ディディ=ユベルマンは、大部のアビ・ヴァールブルク論『残存するイメージ』で、フッサール
へ
とフロイトの時間モデルを比較し、「フッサールが時間をある種の連続的な変化として、彼のいう流
へ
れ(6coulement)として思い描いていたのに対して、フロイトは、症状のなかに、さまざまな現在
ヘ へ
時ブロックの重層的な崩壊(6croulement)を見た」・として、フッサ」ルの時間概念の単純さを批
ディディニユベルマンと歴史の問題
3’
判している12。フロイトの時間概念は、事後性やファンタスムとして出現するアナクロニズムの時
間である。ディディニユベルマンは、フロイトによる時間概念の複雑化を挺子として、とりわけ「心
性の歴史」における無意識モデルの欠如を批判する。しかし、フロイトの無意識概念を、個人を超
えて集団に応用できるかどうか、ましてや、歴史的なプロセスに応用できるかどうか、これは大問
題であるし、何よりもまず、つねに否定的に扱われてきた問題である。われわれとしては、歴史に
対してフロイト的な精神分析を導入する議論は、広い意味での「歴史」に関わる議論として、すな
わち、「記憶」の次元を含んだ「歴史」の問題に関わる議論として、ここではいったん留保し、差し
当たり歴史学における一般的な議論を参照しておきたい13。
歴史学の小田中直樹は、入門書『歴史学ってなんだ?』’のなかで、歴史学の仕事を解釈と認識の
二つの観点に絞り込み、それぞれの難点を論じている14。小田中の言うところでは、認識とは「過
去に本当にあった史実を明らかにすること」であり、解釈とは[認識した史実に意味を与え、ほか
の史実と関連させ、そのうえで、まとまったイメージである「歴史像」を描く作業」である15。解
釈に関しては、マルクス主義の「大きな物語」が力を失ったとはいえ丸「大きな物語」は存在しない
とするいまや「大きな物語」となった物語も含め、さまざまな物語が語られている状況では、唯一
絶対の解釈を主張する歴史家の方が稀であ、ろう。.しかし、認識の問題は別である。ディディ=ユベ
ルマンは、歴史の対象が合理的構築の成果であることは、人は容易に認める。歴史家の現在がこの
過去の対象の構築に関与していることは、人は認める。しかし、過去そのものが、時間的パラメー
ターとしての、そしてとりわけ、歴史学が作動する「自然な境位」としての安定性を失うことは、
それほど容易には認めない16」と述べている。史実の決定不可能性に関し、最も先鋭的なかたちで
問われるに至ったのがアウシュヴィッツに関する論争であろう17。ここでは、リオタールの次の文
言を引用するにとどめておく。「しかしアウシュヴィッツとともに、何か新しいことが歴史のなかで
生起したのである。それは記号であるほかなく、事実ではありえない。なぜなら、事実、すなわち、
「今」と「ここ」の痕跡をもつ証言、そして事実の意味ないし諸意味を示すはずの記録文書、そし
て数々の名前、要するに、結び合わされることで実在を構成する様々な種類の文の可能性すべてが、
可能な限り破壊し尽くされたからである。[……]アウシュヴィッツの名前は、歴史的認識が自らの
権能に対する異議申し立てに出会う境界をしるしづけている18。」
小田中は、「ちゃんと意見を交わし、必要なら議論をしでゆけば、うまくすると、「この油垢は、
絶対的な根拠はないかもしれないけれど、わりと正しいんじゃないか」という意見を他者と共有で
きるかもしれません。コミュニケーションのなかで決まる「コミュゴケーショナルに正しい認識」
は存在しているのです19」と述べ、ハーバーマスに近い立場を取るが、いささか素朴だと思われる。
この問題についても、ここで深入りすることはせず、,素朴な実証主義を批判するとともに、史実の
決定不可能性を主張する懐疑論を批判した、ギンズブルクの差し当たり穏当な姿勢を思い起こすに
とどめよう。「資料は実証主義者たちが信じているように開かれた窓でもなければ、懐疑論者たちが
主張するように視界をさまたげる壁でもない。いってみれば、それらは歪んだガラスにたとえるこ
とができるのだ。ひとつひとつの個別的な資料の個別的な歪みを分析することは、すでにそれ自体
構築的な要素をふくんでいる。しかしながら、[……]構築とはいってもそれは立証と両立不可能で
あるわけではない。また、欲望の投射なしには研究はありえないが、それは現実原則が課す拒絶と
両立不可能であるわけでもないのである。知識は(歴史的知識もまた)旬能なのだ20。」
しかし、小田中も指摘するように、認識に関する問題はひとり歴史学の問題ではなく、今日の学
4
小野 康男
問的言説一般の問題でもある。リオタールは、現代における科学的真理の条件として、「真理とは言
表が生み出されると同時に、第一に言表全体の理論的統一性が、そして第二にこの理論的統一性と
所与全体とのメタ統マ性が生み出されることだと言えるだろう21」と述べている。つまり、首尾一
貫性をもった理論的言説が、言説の対象となる所与の世界をカヴァーすると同時に、この参照対象
としての世界と理論的言説との何らかの統一性が生み出されなければならない。そうでなければ、
言説は世界と関わることなく、おのれ自身に閉ざされた言語として、飽くことなきシミュレーショ
ンを生み出すのみである。史実の決定不可能性に関する議論の背後には、科学的ないし理論的言説
と世界との乖離があるのである。メルロ=ポンティの「眼と精神」は特異な芸術論ないし絵画論と
して受け止められることが多いが、その冒頭はまさにシミュレーション以外に世界と関われなくな
った科学の現状を取り上げているのである。メルロ=ポンティの「眼と精神」の問題設定はそもそ
もこの次元にあったと考えることができるだろう。「科学は物を巧みに操作するが、物に住みつくこ
とは断念している。科学は物の内在的〔=観念的〕モデルを作り上げ、[……]現実の世界とはほん
のときたまにしか顔を合わせない。/もっとも、古典科学はなお、世界が不透明だという感情をい
だいていた。つまりそこでは、世界とは、ほかならぬ科学がその構築作業によってたどりつこうと
望んでいるものだったのである。古典科学が、その操作のための超越的ないし超越論的基礎づけを
求めなければならないと信じていた理由もここにある。ところが今日一科学とは言わないまでも、
かなり普及している科学哲学のなかには一まったく新しい考え方があって、そこでは、科学の構
成作業はみずからをそれだけで自律的なものと思いこみ、またそうなりすましており、そして思考
というものも、自分の案出した一群の捕獲術や密着術にきれいに還元されてしまっている22。」
だが、このような「メタ統一性」を失わせるに至った歴史とは何か、科学や理論の根源に理念が
あるとすれば、理念をこのようにかたちづくっていった歴史とは何か、あるいは、その歴史は別の
歴史性を切り開かなかったか、こうしたさまざまな問いのなかで、メルロ=ポンティは、「身体を携
え23」「絵のなかで考える24」画家たちに付き従い、「視覚という錯乱25」が教える絵画あるいはイメ
ージの歴史性を思考するのである。われわれは必ずしも決定的に世界と乖離して生きているわけで
はない、言い換えれば、われわれは科学的ないし理論的言説と、あるいは言語と完全に同一視され
る存在ではない。とすれば、メルロ=ポンティの問いは、われわれが生きている歴史性、あるいは、
われわれを支えている歴史性を考えるのはいかにして可能かという問いと同義である。(もっとも、
考えるのだから、多少は乖離しているのだが。)ディディ=ユベルマンもまた、メルロ=ポンティ同
様、現在を直下で支える歴史性を考察しようとしているのだと思われる。ディディ=ユベルマンは、
ニーチェの『悲劇の誕生』やフロイトのエディプス解釈を念頭に置いて、「ニーチェのアナクロニス
ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ
ムは、文化における反復というある種の観念なしには成立しない。そこには、19世紀の歴史主義者’
ヘ コ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ へ
のモデルに対するある種の批判が含まれている。フロイトのアナクロニズムは、心における反復一
一死の欲動、抑圧、抑圧されたものの回帰、事後、等々一というある種の観念なしには成立しな
い。そこには、記憶に関するある種の理論が含まれている26」と述べる。ここでは、美術史学のみ
ならず歴史学の通常の問題設定が大きく動かされることになる。それを、「美術」と「歴史」の問題
系から「イメージ」と「記憶」の問題系への移行と考えてもいいだろう27。
2.記憶としての歴史
ハンス・ベルティンクは、「イメージとは何か」という問題には人類学的なアプローチが必要だと
ディディ=ユベルマンと歴史の問題
5
して、美術史が分類、年代決定、展示の可能な「有形で歴史的な対象(an object・tangible and
his仁orical)」に関わるのに対し、イメージに関してはそうした物象化は不可能であり、物質的な存
在と心的な存在との澗で漂うとして、イメージの限定困難な性格を強調している28。ベルティンク
は、イメージの人類学を要請するものとして、マルク・オジェの『同時代世界の人類学』で提示さ
れた「ポストモダンというよりもむしろ「スーベーモダン」29」の状況を指摘しているように思わ
れる。過剰に進展したモダンであるスーパーモダンの状況は、集団的なコスモロジーの支えを失っ
て、個人が(情報的に)世界で生起する出来事と情報を通じて向き合い、意味付与の強制に駆り立
てられているような世界である。「新しいのは、『世界がまったく意味をもたなくなったということで
はない。世界がほとんど意味をもたなくなったということでも、以前ほどには意味をもたなくなろ
たということでもない。新しいのは、われわれが明白かっ強烈に、世界に対して何らかの意味を与
’える必要性を日常的に感じていることなのである。しかもそれは、「世界」に意味を付与する日常的
な必要性なのであって、これこれの村落やらこれこれのりネージやらに意味を付与する必要性では
ないのだ。現在に(過去にではなくとも)意味を与えるこのような必要性は、出来事の過剰な生起
に対してわれわれが支払わなくてはならない代価である。そして、出来事が過剰に生起するこの状
況は、「過剰」というその本質的な様態をいいあらわすべく、「スーパーモダニティ」の状況と呼ぶ
ことができるのではないだろうか30。」伝統や歴史がまさに全般化したアナクロニズムの様相を呈し
っっ、意味付与を過剰に要請される現代において、人類学的次元が必要とされるわけである。ディ
ディ=ユベルマンは、こうした現代の状況を背景として、ラカンによって読み直されたフロイトを
主たる準拠枠としつつ、イメージと記憶に関する新たな学の基盤を求めるのである。
フロイトを援用する芸術作品の分析は、サラ・コ7マンがすでに指摘した次のかたちを取るのが
順当だろう。コフマンは、フロイトの芸術作品の分析方法として、発生論的方法と構造論的方法の
ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ へ
二つを補完的な方法としてあげている。「一、発生論的方法。これは芸術家の伝記によって作品の意
味を裏付けるか、彼の登場人物また彼の造形的産物から出発して芸術家の歴史と彼の人格を構成す
ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ へ
る。二、構造論的方法。これによって、一人の芸術家の様々な作品を比較してそれらの鍵となる共
通の幻想をそこに発見することができる。この方法によって、抑圧の除去の程度に応じて、様々な
作品の制作時期を決定することができる。それは、芸術の一つの歴史の基礎を築き、、同じテーマを
もつ相異なる芸術家の作品を関係づけることを可能にする。この歴史の原則となるのはそのとき逆
に、.抑圧の幾世紀かの間の進み具合である。その方法は作品を、いずれもが一つの普遍的な幻想の.
示差的な変異として読むよう促すのだ。様々な差異を超えて、構造論的類似性が仮定される。そし
てそれは、差異における同一物の永遠の回帰という理解可能性の原理となる31。」コフマンが定式化
した方法は、発生論的方法の恣意性を制御するものとして、とりわけ分析状況に立脚しえない芸術
の精神分析にとって、ラカン以後、標準となった方法である。しかし、ここでは、「抑圧の幾世紀か
の問の進み具合」という歴史性は「普遍的幻想の示差的な変異」に依拠し、幻想を成り立たせる抑
圧機制そのものを理解可能性の原理としている。
それは、結局、フロイトが『トーテムとタブー』で結論的に述べた「宗教、道徳、社会、芸術の
起源がエディプス・コンプレックスにおいて出会う32」とした事態を前提することではないだろう
か。そして、原父に代表される「原」の接頭辞をもつ神話群ないし神話的概念群に依拠することで
はないだろうか。ラカンは、「原」の神話学を、欲望と言語の出会いとして、20世紀半ばの理論的
知性に適合させるべく認識論的にアップデートした。その後、フpイトの読解は構造論として洗練
6
小野 康男
の度合いを深めてきたと言えるだろう33。しかし、それはフロイトの理論から歴史性を決定的に奪
うものでもあった34。ゲルマニストのジャン・ラコストは、「原現象」や「原植物」という概念を駆
使したゲーテについて、「起源あるいはダーウィンが由来(descendance)と呼ぶものに関する問題
をゲーテが実際に立てたとは言えない。彼はさまざまな種に共通する実際の起源を想像するところ
まではいかない。彼は形態学で満足し、現象の多様性にとどまることを好んだ35」、「彼は認識の最
後の言葉を見出すために鏡の彼方に赴ζ:うとすることは空しいと言った。人間のあらゆる認識は必
然的に象徴的な性格をもっている。媒介され限定されているのである。[……]この意味での断念は、
’けっして無力感のメランコリーと混同されるものではなく、ほとんど宗教的とも言える驚嘆の感情
の条件であるのだ36」と述べている。ここには人間的限界を条件とする想像力と感性の可能性と、
その学問への応用である発見術的な方法の可能性が述べられている。フロイトの「原」においても
同様の事情を想定できるのではないだろうか。構造と神話の二者択一ではなく、想像力というイメ
ージのカが導く第三の道があるのではないだろうか。
ディディ=ユベルマンは、現代フランスにおける研究者の慣例に従うかのごとく、精神分析を後
ろ盾とする。彼のいわば守護聖人はピエール・フェディダであった。ディディ=ユベルマンは、自
らが主催するセミネールにおいて、フェディダの決定的な問いかけがあったことを、『時間の前』執
筆に関わる動機として報告している。「美術史において真に創設者の役割、つまり「フロイト」の役
割を果たしたのは誰かと、十数年前あるセミネールでピエール・フェディダが私に質問した。最初
の答えはエルウィン・パノフスキーではないというものだった。いまでも彼を想定するのが普通だ
ろうが、本書はおそらくその問題提起により正確な答えをもたらすものであろう3マ」。
ディディ=ユベルマンは、2002年に死去したフェディダに捧げた追悼の書『気と石の身振り』’に
おいて、ラカンに負うことで通俗的な現象学を超え出るとともに、ビンスワンガーに負うことで通
俗的な構造主義を超え出るフェディダの二重の営為を指摘し、彼の恩恵を明確にしている38。ヴァ
ールブルク論『残存するイメージ』において、ディディ=ユベルマンは、ビンスワンガーに強い関
心を寄せた。ヴァールブルクは、1921年、若きビンスワンガーが所長を務める私立療養所ベルヴュ
ーに入院し、当初、快癒不能とみなされていたものの、1923年には「蛇儀礼」として知られる報告
「北アメリカ、プエブロ・インディアン居住地域からのイメージ」を行うまでに至った39。ディデ
ィ=ユベルマンは、ヴァールブルクとビンスワンガーの問に知的な対話のごときものがあったので
はないかと想定し、ビンスワンガーに好意的な解釈を行っている40。「ビンスワンガーは、[……]、
ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ
ヴァールブルクにおける思考の症状を転倒させ、症状の思考を出現させる、あるいは再出現させる
ことに成功した41」のである。しかし、ディディ=ユベルマンは、ビンスワンガーのフロイト批判
に言及し42、また、ビンスワンガーにおける「歴史」の重要性を指摘するにもかかわらず43、ビンス
ワンガーのフロイト批判がまさに「歴史」をめぐるものであったことを考察から除外している44。
ここでは、いわば補助線として、「歴史」に対して独自の視角から問題二三を行っている精神病理
学の渡辺哲夫の議諦を見てみよう。渡辺は、「分裂病論の前提としての「歴史」意識について」のな
かで、フロイトに対するビンスワンガーの批判を取り上げた。以下、渡辺に即しつつ、批判の要点
を辿っておこう。
ビンスワンガーは、フロイトが白紙の人間の理念に立脚するとして批判している。これに対して、
フロイトは、手紙のなかで、ほかの人にはむつかしすぎただろうと答えたものの、しかし、ビンス
ワンガーは保守的だとして論難した45。ビンスワンガーは、自然科学的認識と現象学的認識の対象
ディディ=ユベルマンと歴史の問題
7
として、それぞれ「生命機能」と「内的生活史」という概念を持ち出す。ビンスワンガーの「生命
へ
機能」はきわめて包括的な概念であって、「私たちはここで生命機能というものを、つねに身体的お
、、 、 オルガニスムス
よび心情的な自然事象、一言にしていえば両者の統「的な総括概念としての有機体という風に理
解している46」と述べ、「四つの生命機能(栄養と成長、運動と欲求、直観と認識そして記憶、思考)
から成る有機体47」と述べるように、通常の生活の全次元を含んでいる。
一方、「内的生活史」と言う場合、渡辺によれば、その歴史は「追憶」によってのみ形成される。
「「追憶」する経験とは、思い出す経験である。想起への意思をもち続けることである。「心情」や
「無意識」という「生命」の奔流を、その都度の現在において、言わば逆透視すること、言辞の道
を遡ること、これが「追憶」するということである。「実存」がく歴史とは何か?〉と問うのではな
い。逆に、「歴史」からく汝は何者であるか?〉と問われ、この問いに真剣に応じるところに「実存」
が、「内的生活史」が、造られるのである48。」
しかし、渡辺によれば、ビンスワンガーの「内的生活史」は概念的にきわめて脆弱であった。ビ
ンスワンガーは、フロイトにおける原人にせよ新生児にせよ、それが自然科学的還元を経て見出さ
れた理念であることに注意を喚起する。「こうしてわれわれは、いたるところで「自然人」の理念を、
いわば純粋培養の形でみることができます。すなわち生命衝動、快楽の満足(より大きな利益のた
めのより小さな利益の放棄)、家族が原型となっている社会の側からの強制と圧迫による抑制、外的
強制から内的強制へという個体発生的および種族発生的変化、ならびにこの変化の遺伝という意味
での進化の歴史などです49。」人類の歴史上の自然人と新生児という自然人の「これら二つの生物学、
的理念はともに人間を、その真の歴史性については、すなわち道徳性、文化、宗教、芸術といった
ものの可能性については、tabula rasa〔白紙〕としてみるわけです50。」
この結果、「さてわれわれがいまこの象徴を現実として、つまり人類の歴史の実際の始まりとして
措定するとき、われわれは、自然と歴史と神話との歴史的関係に関する非常に示唆にとんだ科学的
逆転劇を体験します。われわれがふつう、人類史の最古期に神話を見いだし、祭祀と神話の伝承と
伝記から脱皮して歴史が出てくるのを見てとり、のちにこの歴史のなかで初めて自然に関する学問
がっくられるのをみるのに対して、いまや自然科学は方向を逆転して、初めに自然科学的構築の産
物たる自然人の観念を措定し、ついでこの自然人の「自.然の発達」から歴史を考え、さらにさきの
自然とこの歴史とから、神話と宗教を「説明」しょうとするのです。ここでいま初めてわれわれは、
自然人の理念を、そのまったき意味においてみてとることができます。つまりこの理念は人間を、
衝動と幻想のなかにはめこめてしまい重す。つまりこれは衝動と幻想の力の緊張から、芸術と神話
と宗教を発生させようとするのです51。」
しかし、ビンスワンガーの歴史は、通俗的な意味での歴史性を免れえない。想起の主体である自
然人が想起するものは、理念としての自らの起源でとどまってしまう。これは、構造論において、
構造の起源を問えないことと同型の問題である52。渡辺は、「ホモ・ナトゥーラのなかに「歴史」は
ない。それは「世界史」の歯車を回す欲動群以上のものではない。しかし、ホモ・ナトゥーラの「理
念」を造形した力としての「歴則は、ビンスワンガーによって静かに示唆されている53」とし、
フロイト晩年の『モーセと一神教』において、フロイトは自らの理念的構築物であるフロイト的自
然人の歴史性を想起しているとする。同じような題材を含む『トーテムとタブー』が自然人の理念
をもとに構築された自然科学的な(幻想の)著書であるのに対し、『モーセと一神教』は自然人の理
念そのものの歴史的可能性を「人間モーセ」の命運のうちに想起するものであったと言うのである54。
8
小野 康男
もちろん、『モーセと一神教』は、フロイトが雑多な聖書史料を取り込み、そ・して『トーテムとタブ
ー』以来の人類学的、民俗学的、神話学的議論によって補填した、きわめて問題の多い著作である。
しかし、歴史学的かつ人類学的な視点に立つ上山安敏が、フロイトによる物理的真理と歴史的真理
の区別を踏まえ、歴史学を含めた通常の科学が依拠する物理的真理に対して、「真理の判定にあって
最終的に裁定をくだすものは、「科学としての精神分析」であった」と歴史的真理の優位を主張する
ように、この著作に関する議論はいまだ終わっていない55。モーセ殺害説、獲得形質の遺伝、記憶
の系統発生など、フロイトの当時すでに通常の科学においては反駁されていた学説を、ρフロイトは
あえて採用した。上山が言うように、「科学」としての精神分析は、「明らかに還元主義的自然科学
者の志向する厳密な精密科学のことではなく、人類学や系統発生学、さらには「記憶の遺伝」すら
も包摂する幅広いゾーンの思考を指レている56」のである。しかし上山の議論は、彼が「エディプ
スたちの親殺し、つまりフロイトの言う「歴史的真理」」と言うように、ビンスワンガーと渡辺が指
摘した歴史の問題をもう一度非歴史化するおそれがなくもないように思われる。ここでは、歴史/
物理の関係について、マリー・モスコヴィッチが、歴史的現実とは「心的経験の無意識的記憶痕跡
の現実」であって、「反駁不可能な出来事」としての物理的現実に対立する概念であるとしているこ
とを参照し57、記憶痕跡の現実から出発する造形性=可塑性の余地を残しておこう。
精神会析の藤田博史は、「哲学が、内省に基づいて「時間」に纏iわる様々な思索を展開してみせて
くれたところで、このような思索が、、現実に直面している事態を変えてくれるわけではない。問題
は、徹頭徹尾、「時間を問題にする」という形で具象化されている「欲望」の解明である58」と言っ
ている。藤田のこの発言は、「時間」よりもいっそう「歴史」にふさわしいだろう。もっとも、相対
主義的歴史学のように「歴史」を「物語」に解消し、そ.こにおける主体の欲望の位置規定を考察し
『たところで、実りがあるとも思われない。渡辺がモーセ論のフロイトに見たような、何らかのかた
ちでの欲望の造形の継承が「歴史」の内実を作り上げ、その歴史が個人を造形するという視点を組
み込みようがないからである。
3.症状としての歴史
ディディ・=ユベルマンの方法論あるいは学問的なスタンスは、晩年のフロイトのような想起の大
胆な歩みではない。彼は、ベンヤミン、アインシュタイン、ヴァールブルクなど59の言説に依拠し、
いわば概念の調整役としての役割を果たす。要するに、フロイトは自分自身を転移の場としたのに
対し、ディディ=ユベル々ンは他者に転移の場を設定するわけである。イメージに記憶痕跡の役割
を求めたところで、あるイメージを選択し、あるイメージを排除するというかたちで、いわば史料
選択と同様の問題が出てくる。ディディ=ユベルマンが特異な美術史家の言説を研究するのは、一
つには、史料選択の問題を回避するためであろう。しかし、これら特異な「美術史家」たちの言説
を問うに値するものとするための基準はあるのだろうか。さらに、これら特異な「美術史家」たち
のイメージとの関わりは真正なものなのだろうか。ディディ=ユベルマンは、この疑問に対して解
答を提示したことはないし、提示したとしても、「賭60」としか答えられないだろう。もっとも、彼
の判定基準、あるいは、常套句はある61。それは、見つめ返すものとしての眼差しである。ディデ
ィ=ユベルマンは、・『残存するイメージ』のなかで、眼差しのレッスンとして、フロイトのヒステリ
ー患者に関する記述をもとに、ダーウィンの『人間と動物の情動表現について』とヴァールブルク
の「情念定型(パトスフォルメル)」を参照しながら、転移と視覚の関係として次の四点を指摘する,
ディディ=ユベルマンと歴史の問題
9
ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ へ
「身体形態と産出された運動の可塑的な強度」、「矛盾をはらんだ同時性」、・「置換」、「無意識的記載
と「記憶痕跡」の問題」である62。ディディ=ユベルマンの言う眼差しは、見るというよりもむし
ろ見つめ返されるものである。眼差しの対象に見つめ返され目を開かざるをえない眼差しはそれ自
身症状としての眼差しである。誘惑と拒絶の両極で硬直し、その硬直が幼児期の記憶の置き換えら
れた再演であるような19世紀のヒステリー患者の典型的な描写を考えれば、最初の三点は容易に想
ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ へ
像がっくだろう。「無意識的記載と「記憶痕跡」の問題」について、ディディ=ユベルマンは、「症
ヘ ヘ へ ヘ へ
状とは残存であるということ、記憶保持形成であるということ63」と補足的に述べているが、眼差
しの症状こそが、彼にとって、イメージの真正さと、それが開く歴史の問いを保証するものであっ
たと言えるだろう。
ディディ=ユベルマンは起源ないし根源についてベンヤミンが『ドイツ悲劇の根源』で表明した
考え方を引用する。「根源において志向され(gemeint)るのは、発生したもの(Ehtsprungene)
の生成(das Wesen)ではなく、むしろ、生成と消滅から発生してくるもの(dem Werden und
Vergehen:Entspr士ngendes)なのである。根源は生成の川のなかに渦としてあり、生起の材料をみ
ずからの律動のなかへ巻き込んでしまう64。」ディディ=ユベルマンは、とのべンヤミンの根源論か
ら根源の本来的なアナクロニズムを引き出し、夢における言語とイメージの関係を論じるときにも、
この渦(tourbi11Qns)という形象を使用する。そこでは、「「アナクロニッタな過去」をたえず「無
ヘ ヘ へ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ へし ぬし へ のも ヘ ヘ ヘ ヘ へ
意識的想起の現在」に転換し、イメ「ジの近づきをたえず言葉の遠ざかりに転換していく形象化の
カ」が指摘される65。根源とは、過去のある時点に位置づけられるものではなく、現在の直下にあ
って現在にかたちを与えるもの、言い換えれば、造形性=可塑性としての歴史なのである66。
ディディ=ユベルマンは、構造論と現象学ゐ間に身を置いたフェディダに論及しつつ、「間隙を抽
へ ヘ へ ヨし ヘ へ
象的な構造、空虚な場として考えるのではなく、むしろ具体的な出来事として、息吹きとして考え
ること、そしてラカンの理論装置を超えてビンスワンガーの感性的な記述を導入し直すこと」は、
ヘ ヘ へ へ ヘ ヘ へ ヘ へ
「われわれの日常的な知的態度がしばしば停止させておきたいと望むものを運動状態に置くこと
だ」と述べている67。これもフランス現代思想的な思考において定型的な言説あるが、しかし、デ
ィディ=ユベルマンは、、ラカンとビンスワンガーの対比を「欠如」と「リズム」とも言い換えてい
る。このとき、間隙は、ラカンにおける構造論的欠如の意味も帯びる。:Fort/Daの遊びにおいて、
幼い子どもは、母親を糸巻きに置き換え、糸巻きの在と不在を「オー(Fort)」と「アー(Da)」の
言語的分節に置き換え、かくして対象としての母親を喪失しつつ言語内に保持することで、自らを、
言語という人間的世界の基盤に参入させるのである。これは、通常の意味での歴史的世界に参入す
るとともに、起源としては「空虚な場」への遡行しか可能でなくなる人間の原初的な体験である。
だが、これは、おそらく二重の相において、運動と捉えるべきものなのであろう。まず第一に構造
論の内部的な運動として、意味がシニフィアンとシニフィアンの差異から、すなわち、その間から
生まれるものだとすれば、そしてその間が具体的出来事であるなら、それはシニフィアンの可動性
を生み出すだろう。田中純が『イメージ、それでもなお』に寄せた解説「歴史の症候一希望とし
てのイメージ」で要約しているように、ヴァールブルクが情念定型と呼んだものの一つである「急
ぎ足で歩む古代風の女性像」ニンフは、現代の写真では、「路上のポロ布のような無定形な物体の襲」
に変身し、「ガス室へと裸体で走らされる女性たちの、すでになかば灰と化したかのようなぼやけた
姿や、[……]屍体の集積からなる「無定形に近い敷物」が示す、「人間」が「似ざるもの」へと変
容してゆく過程」に通じるのかもしれない68。これは精神分析的に拡張されたイコノロジーやイコ
10
小野 康男
ノグラフィーの研究対象として、十分読解可能なものだろう69。しかし第二に、この運動は、精神
病理学の長井真理が「精神発達は、他者との関係の歴史、言語獲得の歴史、語る主体の主体性獲得
の歴史であり、おとなになってからでもそのつど今の一瞬において、先史時代からたどり直さねば
ならないような「非=時間」的歴史である70」と指摘しているように、見るものと見られるものの
交錯のなかで、言い換えれば、眼差しの症状のなかで、主体の歴史性を支えていく運動でもある71。
このようなディディ=・ユベルマンの歴史認識を準備したものとして、われわれは、メルロ=ポン
ティが「眼と精神」においてたえず問いかけた歴史と根源の問題をあげることができるだろう72。
メルロ=ポンティは、この論文において、絵画の歴史を、ある意味で、ラスコーの壁画に集約する。
「たとえ絵画がいかなる文明のなかで生まれ、いかなる信念、いかなる動機、いかなる思想、いか
なる儀式によって囲続されていようとも、そして見たところそれが他のいかなるものに捧げられ
ているかに思えるときでさえ、ラスコー以来今日まで、およそ絵画は、純粋であろうと不純であ
ろうと、具象的であろうとなかろうと、〈可視性〉の謎以外のいかなる謎をも祭りはしなかったの
である73。」
ここで、「眼と精神」の問題機制を簡単に記述しておこう。メルロ=ポンティは、触れる/触れら
れるという関係に依拠しながら、あるいはこの関係をメタファーとしながら、感覚の二重性、内外
の反転性をもつものとして、視覚の問題を扱っていく。しかし、触れる/触れられるという関係が
一個の身体において成立するとしても、見る/見られるという関係は一個の身体において成立しな
い。1
サこから、「物と私の身体は同じ生地で仕立てられている74」とか「〈現実的なもの〉のもつ〈想
像的組成〉(texture iniaginaire)75」とかといった拡張された身体の記述が出てくる。しかし、こ
れはあくまでそれ自体想像的な記述にとどまらざるをえない。メタファーを説明するのにメタファ
ーをもってするような仕方だからだ。デリダは、「何が(私にとって)メルロ・=ポンティの読解を、
これ耳ど難しくしているのか。何が彼の哲学的エクリチュールの様式の解釈を竃夢中にさせると同
時に難しいものに、それだけでなく時にはいらいらさせる、もしくはがっかりさせるものにするの
か」と言っている76。われわれなりに簡単に言っておけば、メルロ=ポンティは視覚と触覚を重ね
合わせる記述を行うことで、感覚の二重性や内外の反転性として、可視性の意味ないし・「謎」を論
じていくのであるが、視覚と触覚の重ね合わせの不可能性によって、二重性や反転性の亀裂を生じ
させ、ついには、触覚によって視覚を考えるのではなく、視覚によって触覚を考えるところにまで、
われわれを差し向けるのだ。だが、このとき、重ね合わせば、切迫として、言い換えれば、欲望と
して生々しい姿を見せることになる。われわれの議論で言うならば、歴史と主体が絡み合う場を指
レ示すのである。ラスコーの壁画が「起源」であるのは、絵画あるいはイメージの生産の直下にお
いて反復される起源だからなのである。メルロ=ポンティは、「質・光・色彩・奥行きといったもの
は、われわれの前に、そこにあるものではあるが、しかしわれわれの身体のうちに反響を喚び起こ
し、われわれの身体がそれを迎え入れるからこそ、そこにあるのだ。この内的等価物、つまり物が
私のうちに引き起こすその現前の身体的方式、今度はそれらが、これもまた目に見える見取り図を
生ぜしめないわけがあろうか。そしてほかの人たちのまなざしは、この見取り図のうちに、彼らの
世界観察の支えとなるべきモチーフを見つけることであろう77」と書いている。見る/見られると
いう関係を可能にする「世界の肉」があらかじめ成立しているとすれば、「二乗されたく見えるも
の>78」である何らかの外的な支持体の上に産出される鏡像や絵画などの視覚的イメ}ジは、あと
’から付け加わる余分のものにすぎない。だが、先のフロイトの例にならうなら、人類が生産してき
ディディ三ユベルマンと歴史の問題
11
た「二乗されたく見えるもの〉」である視覚的イメージという剰余から出発して、メルロ=ポンティ
は理念としての「世界の肉」を想起しているのである。それは、フロイト同様、恣意的な史料選択
ヘ ヘ ヘ へ
に基づくものであるかもしれない。しかし、τ身体形態と産出された運動の可塑的な強度」が想起と
しての、記憶としての歴史を可能にする限り、人を直下で支える生きた歴史の運動でありうる。
おわりに
これまでさまざまな論者に手掛かりを求めながらイメージと歴史の問題を考察してきたが、もち
ろん、イメージの歴史性を考えることができるかどうかという根本的な問題は残る。それを認めた
としても、眼差しのレッスンによって示唆されるような身体性によって、イメージを規定していい層
のかどうかの問題は残るし、規定することが可能であるとしても、特殊歴史的、特殊地域的な規定
ではないかとの問題が残るざ簡単に言えば、あまりにも西洋的ではないのかという問題である。
ジャン=リュック・ナンシーは『哲学の退却』の日本語版序文で、「固有化[我有化]の究極的な
不可能性」から出発して、「人間に関すること」、「歴史」、「世界」を思考する可能性と義務について
.触れ、日本は、そのための「格好の位置にいる様々な地域のうちのひとつであり、様々な文化のう
ちのひとつ」だと言っている79。20世紀に進展したことは、渡辺哲夫が言うように、世界規模での
歴史不在の露呈であっただろう。しかし、それは、「「西洋」、およびその「諸モデル」と歴史がま
すます相対化すると共に世界化すること80」と同時である。「西洋」の相対化と世界化の条件、非西
洋的な文化が「西洋」の文化による世界化を受容するためのその文化固有の非固有性の条件、さら
には、今日、固有の文化がととさらに強調されるに至った条件、これらのものが、イメージの歴史
性との関連で思考されうるかどうか、すなわちイメージの世界化の条件に対する関心こそが現今の
美術研究の「人類学的次元」に対する関心を深いところで規定する歴史性であり、歴史を語る欲望
のありかを指し示すものであろう81。
1
George Didi−Huberman,0θγ3認1θ孟θ即昌:Les E ditions de Milluit,2000, p.238.なお、同書
は小野康男・三小田祥久の翻訳で法政大学出版局から出版の予定である。
2
オットー・ペヒト、『美術への洞察』(前川誠郎・越宏一訳)、岩波書店、1982年、3頁。
3
乃θ協θηηa5励oo1丑θad磯Edited by Christopher S. Wood, Zone Books,2000, p.11−12.ハ
ンス・ゼードルマイア、『芸術と真実』(島本融訳)、みすず書房、1983年、65−115頁を参照のこ
と。
4
美術史との関連で近年用いられるanthropologieの訳語としては「人類学」が最適であるものの、
最大限「人間学」の意味も込めておきたい。現在の人類学的方向性を取り上げた論集として、
且η泌rρρo/o劇θθo朔∬均Edited by Mari6t Westermann, Sterling and:Francine Clar:k Art
Institute,2005がある。新たな動向を示すものとしては、ハンス・ベルティンク(“Toward an
Anthropology of the Image”)、デイヴィッド・フリードバーグ(“Warburg’s Mask:AStudy’
in Idolatry”)らの論考があげられる。人類学的次元を含む二人の主著は、それぞれ、 Hans
Belting,.砿冨判η猛rρρo/b劇θ, Wihelm Fink Vbrlag,2001、 David:Freedberg,%θ.Powθr of
加281θ旦The University of Chicago Press,1989である。ほかに、ヴィクトル・1・ストイキツ
ァ、『ピュグマリオン効果』(松原知生訳)、ありな書房、2006年。同書訳者による解題「美術史
学からイメージ人類学へ」(393−408頁)は、人類学的次元への適切な導入である。また、David
12
小野 康男
Sulnmers,丑θ21β加。θ畠Phaidon,2003.現在の美術研究における美術史、美学、ヴィジュアル・
スタディーズの関係を考察した論集として、次めものがある。五露研5勘甥4θ5訪θ原錫巧b〃ヨ1
5加めθ昌Edited by Michael Ann且olly and Kleith MoxeX Sterling and Francine Clark Art
Institute,2002.
5Didi一且uberman,乃虹, p.238.対象が見つめ返すという議論について、ディディ=ユベルマン
は、当初、フロイトーラカン、近年では、ベンヤミンを参照するが、現象学的な研究の扱い方か
ら見て、’メルロ=ポンティの言説を引き継ぐところが大きいと思われる。
P ディディ=ユベルマンの営為と文学研究を結び付けようとする論集はまさに「イメージによる思
考」、を表題としている。P助5arp〃海5加ヨ8θ易Textes r6unis par Laurent Zimmermann,
ノ
Edition Cφcile Defaut,2006.
7 日本における「美術」概念に関する基本的な議論に眼寄しても、日本における「美術」の起源を
跡付けた北沢憲昭、『眼の神殿』、美術出版社、1989年、佐藤道信、『〈日本美術〉誕生』、講談
社i選書メチエ、1996年、木下直之、『美術という見世物』、ちくま学芸文庫、1999年などがある。
木下の『世の途中から隠されていること一近代日本の記憶』、晶文社、2002年は、その題名が、
ジラールゐ壮大な人類学的仮説を皮肉るものであるように思われる。ルネ・ジラール、『世の初
めから隠されていること』(小池健夫訳)、法政大学出版局、1984年を参照のこと。
8 Didi・且uberman,乃楓, p.44.
9歴史学の上村忠男は、ギンズブルクを参照しつつ、時間の問題に関連して、クラカウアー、フォ
シヨン、キューブラーに言及している。上村忠男、『歴史家と母たち』、未来社、1994年、141−155
頁。ジークフリート・クラカウアー、1『歴史』(平井正身)、せりか書房、1977年。1アシリ・フォ
シヨン、『かたちの生命』(阿部成樹訳)、ちくま学芸文庫、2004年。George Kubler,乃θ磁8ρθ
o!戯画θ,Yale University Press,1962.この三人はディディ=ユベルマンも取り上げており、イ
メージとかたちと時間ないし歴史の関係を考察するに着たろて、重要性をもつと思われる。
10Didi・且uberman,血潮, p.13−22.言及されているのは、マイケル・バクサンドール、『ルネサ
,ンス絵画の社会史』(篠塚二三男・池上公平・石原宏・豊泉尚美訳)、平凡社、1989年。
11
@乃∫とZ,p. 16−17.
12ジョルジュ・ディディ=ユベルマン、『残存するイメージ』(竹内孝宏・水野千依訳)、人文書院、
2005年、335頁。
13
?術史と人文学、そして人文学における歴史学の重要性については、パノフスキー、『視覚芸術
の意味』(中森義宗・内藤秀雄・清水忠心)、岩崎美術社、.1971年、11−36頁を参照されたい。
14
ャ田中直樹、『歴史学ってなんだ?』、PHP新書、2004年。平易な言葉で書かれた入門書であるが、
今日の歴史学の問題に十分踏み込んだ議論を展開している。より専門的な研究としては、たとえ
ば、二宮宏之の総説「歴史の作法」を参照されたい。『摩史を問う4歴史はいかに書かれるか』、
岩波書店、2004年所収、1−57頁。また、上村忠男、『歴史家と母たち』、『歴史的理性の批判のた
めに』、岩波書店、2002年なども参照のこと。
15.同書、40−41頁。
16Didi−Ruberman,.Z)θyヨ刀〃θ孟θ塑ρ昌p.35.
17
泊スくの関連書籍があるが、歴史学における論争を示すものとして、次の論集をあげておこう。
ソール・フリードレンダー編、『アウシュヴィッツと表象の限界』(上村忠男・小沢弘明・岩崎稔
ディディ=ユベルマンと歴史の問題
13
訳)、未来社、1994年。
18ジャン=フランソワ・リオタール、『文の抗争』(陸井四郎・小野康男・外山和子・森田亜紀訳)、
法政大学出版局、1989年、121−122頁。ソシュール的ならざる「記号(しるし)」の問題につい
てば、拙論、「運動の面一リオタールによる」、『映像学』42号、日本映像学会、1990年、4−15
頁を参照されたい。
19
ャ田中前掲書、79頁。
20
Jルロ・ギンズブルグ、『歴史・レトリック・立証』(上村忠男訳)、みすず書房、2001年、48
頁。訳者の上村は、「現実原則」ないし「実在原則」という一見素朴な概念を次の論文で詳しく
検討している。上村忠男、「表象と真実」、『歴史家と母たち』所収、156−230頁。
21ジャン=フランソワ・リオタール、『異教入門』(山縣煕・小野康男・申出成・山縣直子訳)、法
政大学出版局、2000年、116頁。ポストモダン的あるいは構築主義的な問題設定の本質をなす問
題である。
22
<泣香<│ンティ、『メルロ=ポンティ・コレクション4間接的言語と沈黙の声』(木田元編)、
みすず書房、2002年、165−166頁。
23
ッ書、170頁。
24
ッ書、203頁。
25
ッ書、178頁。
26Didi一且uberman,乃虹, p.44.
27
史学における記憶の問題に関しては、たとえば、ピエール・ノラ編、『記憶の画一フランス
国民意識の文化=社会史第1巻対立』、岩波書店、2002年におけるノラの日本語版序‡、英語
版序文、「序論記憶と歴史のはざまに」を参照のこと。
28且ans Belting,“Toward an Anthropology of the Image,”in.4η訪ψρo面劇θ80曲4 Edited by
Mari6t Westerma皿, Sterling and Francine Clark Art Institute,2005, p.42.
29Z6虹, p.43−44.参照されているのはマルク・オジェ』、『同時代世界の人類学』(森山工訳)、藤i
原書店、2002年。なお、ベルティンクは「イメージの人類学」と「美術史学」の間で一種のす
みわけが可能であるとしている。』
ノ
30Marc Aug6,ム励妻θ眠1h伽。ぬ。施η2πηθ3η猛ηρo面ダθ飽」陵5π皿ηoぬ■ロ蝋Editions du
Seui1,1992, p.41−42.訳文は、前掲『同時代世界の人類学』の「訳者解説」における訳文を、
借用した。
31
Tラ・コフマン、『芸術の幼年期』(赤羽研二訳)、水声社、1994年、109−110頁。
32フロイト、『フロイト著作集3文化・芸術論』(高橋義孝他紙)、人文書院、1969年、277頁。
33
tに、英米圏では、生物学者、神経学者としてフロイトが依拠した学説の限界を通じて、フロイ
トを通常の意味で歴史化する試みが見られる。ルーシール・B・リトヴォ、『ダーウィンを読む
フロイト』(安田一郎訳)、青土民、1999年。Frank J. Su■owaX j聾θπ4茄b面劇5‘of猛θ伍加l
Basic Books, Inc., Publishers,1979.近年では、神経学におけるフロイトの読み直しに加えて、
ニューロン理論によるさらなる読み直しもある。K・H・プリブラム/M・M・ギル、『フロイ
プラスティシテ
ト草稿の再評価』(安野秀紀訳)、金剛出版、1988年。カトリーヌ・マラブー、「可塑性への願
い」(桑田光平訳)、『現代思想』2005年7月号所収、138−153頁。こうした研究は、むしろ、フ
ロイトの「原」の用法が実証的な歴史に対する留保ではないかと考えるわれわれにとって、考察
14
小野 康男
すべき論点を示唆するものである。リトヴォの議論は、1915年に執筆され・1987年に英語版が出
版されるまでその存在が広く知られていなかった「メタ心理学」を構成する論文「系統発生的空
想」を大きな契機としている。Sigmund:Freud,.4乃蜘8θηθ漉」晒η顔珊0肥■幅θ暇が訪θ
、 銑ヨ刀8炬rθηoθ三鷹05θ昌Edited and with an. essay by Ilse Grubrich・Simitis, Translated by
Axel:Hof色r and Peter T。 Hof眠T11臼Belknap Press of Harva楓UniverSity Pfess,1987.これ
はまた、精神分析ハンガリー学派のフ謡レンツィの『タラッサ』やイムレ・ヘルマンの『親に対
する子の本能』における系統発生的空想を読み直す機会となるだろう。“Thalassa, Essai sur la
th60rie de la g6nitalit6,” in Sandor Ferenczi,蕗yα強8η、2加θ1ZZ(瓦zlyzrθ500皿42ノδ6θ8
ノ
19!9−1926;Editions Payot,1974, p.250−323. Imre I{ermann,五至η5励。オ莇属Deno61,1972.
なお、いずれもがニコラ・アブラハムの考察の対象になっている。Nicolas Abraham et Maria
ノ
皿orok,五二。螂θθ‘海η卿〃,:Flammarion,1987.
34
fリダのラカン批判をこの方向で考えることも可能だと思われる。
35Jeah Lacoste,(嘉。θ訪θ.甜θηoθθ’.ρゐ伽ρρ】臨G Presses Universitah!es de:France,1997, p.80−81.
「由来」と訳したdescendanceは、『人類の起源(The Descent of Man)』の仏訳で用いられて
いる言葉である。昭和10年代の日本語訳は、.実際、『人間の由来』という題名であった。今西錦
司責任編集の中公バックス「世界の名著」『ダーウィン』(1979年)62頁を参照。
36 @10」と霞,p. 224.
37Didi−H:uberman,0θvヨη‘僧職辺ρ昌p.49 en note 109.同書での答えとは、アビ・ヴァールブ』
リ
ルク、ヴァルター・ベンヤミン、カール・アインシュタインである。
38
ノ feorge Didi・Huわerman,σθ5孟θ5ぬ1rθ‘dθpjθπ巳Les Editions de M海uit,2005, p.21.石と
訳したpierreは、フェディダの名前ピエールを参照するもめである。 ah!の訳を「気」1としたの
は、内容の解釈に偏り、空気や大気の物質性を弱める訳であったかもしれない。ディディ=ユベ
ルマンとフェディダは、シャルコーの復刻本『芸術における悪魔的なもの』を共著で出版したほ
か、多くの著書で相互に言及、引用している。J. M. Charcot&Paul Riche葛’五θ546塑。輻∂gπθθ
ノ
ぬη51乞r務Introduction de Pierre F6dida, Postface de Georges Didi・且uberman, E ditions
Macula,1984.、フェディダめ芸術に関する言及は次にあげる著作に顕著であるが、ほかでも至
るところで芸術に言及している。Pierre:F6dida,五θ訪θ4θ1管伽η8磯Presses Universitaires
de:France,1995.,ぬr oa oo1η加θ四〇θ海ω塑5乃πエηヨ∫η, Presses Universitaires de、:France,・
2600.
39アビ・ヴァLルブルク.『ヴァールブルク著作集7蛇儀礼』(加藤哲弘訳)、ありな書房、2003
年。ヴァールブルクの病状や時代背景については、田中純、『記憶の迷宮』、恥部社、2001年、
15−34頁を参照のこと。
40
Dディディ=ユベルマン、『残存するイメージ』》384−414頁。
41
ッ書、40、1頁。
42
ッ書、403頁。
43
ッ書、407−409頁。
ご
44フェディダは、ビンスワンガーの仏訳に寄せた序文で、歴史の問題に言及している。:Ludwig
Binswange葛∠4η3加θθ盟b孟θη翻θ∬θθ‘P研訪aη2加θ丘θロ二三.ηθ, traduction et avallt・propos
de Roger:Lewinte葛pr6face de Pierre:F6dida, Ganimard,1970, p。9−37.
ディディ=ユベルマンと歴史の問題
15
45フロイト、『フロイト著作集8書簡集』(生松敬三他訳)、人文書院、1974年、430−431頁。
46ルートウィヒ・ビンスワンガー、『現象学的人間学』(荻野恒一・宮本忠雄・木村敏訳)、みすず
書房、1967年、70頁。
47
ッ書、71頁。
48
n辺哲夫、「分裂病論の前提としての「歴史」意識について」、花村誠一・加藤敏編、『分裂病論
の現在』、弘文堂、1996年所収、265頁。
49ビンスワンガー、前掲書、221頁。
50
ッ所。
51
ッ書、222頁。引用の冒頭で「象徴」と呼ばれているのは「白紙状態の人間」の理念のことであ
る。
52したがって、「ラカンに依拠した言説では、飽くことなくFort/Daの物語が語られることになる。
53
n辺、前掲論文、268頁。
54ジークムント・フロイト、『モーセと=神教』(渡辺哲夫訳)、ちくま学芸文庫、2003年。同書の
訳者解題「歴史に向かい合うフロイト」を参照されたい。渡辺の歴史に関する議論については、
とくに、『二〇世紀精神病理学史』、ちくま学芸文庫、2005年。狭義の精神病理学的な事態との
関係では、『死と狂気』、ちくま学芸文庫、2002年、『〈わたし〉という危機』、岩波書店、2004
年。
55上山安敏、『宗教と科学ユダヤ教とキリスト教の間』、岩波書店、2005年、122頁。『モーセと一
神教』を含む歴史と精神分析の問題に関して、歴史学からのアプローチとしては、ミシェル・ド・
セルトー、『歴史と精神分析』(内藤雅文訳)、法政大学出版局、2003年をあげておこう。
56
ッ書、121頁。
57Marie Moscovici,五b1η加θdθ1わ毎θ4 Editions du Seui1,1990, p.128.
58
。佃博史、『人間という症候』、青土平、1993年、154頁。
59
ヘ へ
fィディ=ユベルマンは、「驚くほど多産な契機であった。なぜなら、古典的美学の一般的門前
提が厳密な文献学によって検証されると同時に、正確な哲学用語で問題を提起しうる批判によっ
て、今度はこの文献学がたえず問いかけられ、再検討されたからである」として、20世紀初頭
のドイツとウィーンの動向を美術研究における決定的な時期と見ている。Didi−Huberman,
刀θ四η孟乃孟θエ卯昌P.54.
60
w時問の前』で、ヴァールブルク、ベンヤミン、アインシュタイン以外に取り上げた大プリニウ
スとバーネット・ニューマンについて「賭」と表現している。乃虹,p.55.
61この常套句的な判断基準は、芸術作品など分析状況に依拠しえない対象にアプローチする際、自
らのうちに生まれた情動の記述を常套句としたフロイトの方法に似ている。
62
fィディ=ユベルマン1『残存するイメージ』、310−322頁。ダーウィンについては、ダーウィン、
『人及び動物の表情について』(浜中浜太郎訳)、岩波文庫、1931年。ヴァールブルクについては、
『ヴァールブルク著作集』1−7、ありな書房、2003−2006年。
63
ッ書、322頁。
64
買@ルター・ベンヤミン、『ドイツ悲劇の根源上』(浅井健二郎訳)、ちくま学芸文庫、1999年、
60頁。
65George Didi・Huberman,σθ5‘θ5♂短rθ6 dθ」ワ」θπ巳:Les Editions de Minuit,2005, p.52−55.フ
16
小野 康男
ロイトの夢に関する議論を基にして形象化と造形について論じている。
66「直下」という表現は、渡辺哲夫や木村敏の著作から借用した。また、「造形性=可塑性
(plasticit6)」は、ディディ=ユベルマンの著作でも多用される言葉であるガミ、デリダに近いマ
ラブーが概念的な検討を行っている。マラブー、前掲論文参照。この論文は、マラブー編集の論
集『造形性=可塑性』の序文であり、この論集にはデリダやディディ=ユベルマンの論文も収め
ノ
られている。.%5翻d彪sous la direction de Catherine Malabou, Editions L60 Schee葛2000.
67Didi・H:uberman,伽d, p.22.ディディ=ユベルマンは、また同様の観点から、転移において
機能するものを「父親」から「先祖」に読み替えるフェディダの試みに注目している。ディディ
=ユベルマンは、「不在の母親的物質」、「イメージの母親的物質」というように、「母親」、「物
質」の問題系に結び付けているが、「先祖(anc6tre)」・は父親や母親のコノテーションとは異な
る過去性との関わりを示唆するようにも思われる。乃虹,p.77−83. C£Pie蟄re:F6dida,
“L’ombre du reflet. L’6manation des allc6tres,”in五2丑∼1掘θ1’(陽Z 2003「2004 p.195−201.
68
c中純、「歴史の症候一希望としてのイメージ」、ジョルジュ・ディディ=・ユベルマン、『イメ
ージ、それでもなお』(橋本一径訳)、平凡社、2006年所収、329頁。
69
@「分析的イコノロジー」、「分析的イコノグラフィー」はそれぞれ、ユベール・ダミッシュ、ダニ
エル・アラスの用いた言葉。ユベール・ダミッシュ、『パリスの審判』(石井朗・松岡新一郎訳)、
ありな書房、1998年。Daniel Arasse,五65妙θ6ぬη51θ孟三三a召,:Flammarion,1997.
70
キ井真理、『内省の構造』、岩波書店、1991年、127頁。長井はこれに続く部分で、デリダの議論
に支えられつつ、いわば起源の脱構築を行っている。
71
n辺哲夫は、Fort/Daの遊びについて、「ここには、母親と糸巻きを置き換え、さらに、糸巻き
の現前と不在を特定音素で置き換えるという特殊人間的な知恵がすでにして認められる。だが、
しかし、この遊戯のきなかに幼児が非感覚的時空分節世界総体を見出してしまっていると考える
こともできない」と指摘し、分節の未了性、言い換えれば、間の運動性を見出している。渡辺哲
夫、『〈わたし〉という危機』、岩波書店、2004年、124頁。
72フッサールの論文「幾何学の起源」との関連で出てくる問題意識であって、デリダを含め、現代
フランス思想を貫いている問題だと言える。なお、エドムント・フッサール著、ジャック・デリ
ダ序文、『幾何学の起源』(田島節夫・矢島忠夫・鈴木修一訳)、青土社、1976年、モーリス・メ
ルロ=ポンティ、『フッサール『幾何学の起源』講義』(加賀野井秀一・伊藤泰雄・本郷旧訳)、
法政大学出版局、2005年を参照。
73
<泣香<│ンティ、『メルロ=ポンティ・ユレクション4間接的言語と沈黙の声』(木田三編)、
みすず書房、2002年、178頁。
74
ッ書、174頁。
75
ッ書、176頁。
76ジャック・デリダ、『触覚、ジャン=リュック・ナンシーに触れる』(松葉祥一・榊原達哉他山)、
青二三、2006年、395頁。
77
<泣香<│ンティ、前掲書、174−175頁。
78
ッ書、175頁。
79ジャン・=リュック・ナンシー、『哲学の忘却』(大西雅一郎訳)、松籟社、2000年、11−12頁。歴
史性と世界化に関連するナンシーの著作では、ほかに現在邦訳のあるものとして、『神的な様々
ディディ=ユベルマンと歴史の問題
17
の場』(大西雅一郎訳)、松籟社、2001年、『世界の創造あるいは世界化』(大西雅一郎・松下彩
子・吉田はるみ訳)、現代企画室、2003年、『イメージの奥底で』(西山達也・大道寺玲央訳)、
以文社、2006年などがある。『イメージの奥底で』の冒頭に置かれた論文「イメージー判明なる
もの」の原題は“Uimag6−le distinct”であるが、この題名には、フェディダのイメージ論「イ
メージの不分明な息吹き」“L,e sou田e indistinct de l’image”の反響を見ることができるよう
に思われる。Pierre:F6dida,五θ謡θdθ1管舶η81磯Presses Universitaires de France,1995, p.
187−220.
80
ッ書、8頁。
81ストイキツァ前掲書に原著者が寄せた「日本語版への後記一甚五郎と梅ヶ枝」(337−342頁)
もこうした事情に触れている。
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