...

第12号 - 文学部

by user

on
Category: Documents
11

views

Report

Comments

Transcript

第12号 - 文学部
ISSN 1346-2555
初等教育論集
SHOTOU KYOUIKU RONSHU
THE JAPANESE JOURNAL OF PRIMARY EDUCATION
Vol.12
第12号
CONTENTS
第
Articles
号
12
How do they contribute, the lessons of Teaching Mathematics focusing mock-lessons,
to the intentions to teaching practices of the students
A Gap-Widening Society and Luther
SHOWDER Rio
1
HISHIKARI Teruo
18
も く じ
論文
模擬授業を中心とした教法算数が授業実践志向性へもたらす効果
Translation
― 1年半に及ぶ縦断的調査を手がかりとして―
正 田 良
1
格差社会とルター 菱刈 晃夫
18
菱刈 晃夫
31
翻訳
Melanchthon, Philipp. Epitome ethices. Translation Series 6
メランヒトン
『倫理学概要』
(Epitome ethices, 1532)翻訳
HISHIKARI Teruo
―メランヒトン邦訳ノート(6)―
31
Thesis
平成22年度卒業論文
Word Play in School Education: Practice and Consideration of Word Play
学校教育におけることば遊び ―ことば遊びの実践と考察― 西田 美樹
48
74
On the Mutual Communications among Generations
A Study on the Unit of Manual Training
48
世代間交流とは何か
鈴木 麻耶
SUZUKI Maya
74
工作の単元化についての研究
元 山 拓 也 112
MOTOYAMA Takuya 112
129
March 2011
Published by
The Primary Education Society
Kokushikan University
国士舘大学初等教育学会
Abstracts
NISHIDA Miki
平成22年度卒業論文概要
129
国士舘大学初等教育学会・会則/会計報告
154
国士舘大学初等教育論集投稿規定
155
編集後記 156
国士舘大学初等教育学会
2011(平成23)年3月
模擬授業を中心とした教法算数が授業実践志向性へもたらす効果
― 1 年半に及ぶ縦断的調査を手がかりとして ―
正 田 良
1.授業実践志向性への注目
2005 年度から,初等教員養成のための科目「教科教育法算数」
(以下「教法算数」
と記す)で,質問紙による調査を行なっている(1)。この質問紙で調べることができる
概念を,
「授業実践志向性」と名付けた。今回の報告もその調査報告(2)の一環である。
しかし,この被験者は教育課程の変更によって 「 教法算数」で模擬授業を行う機会を
これまでに比べておよそ倍程度(3)得た学年である。そこで 2009 年度に履修の前・後
だけでなく表 1 - 1 に記すような時期に行い,履修者の変化をより細かく調べること
を意図したものである。
表 1 - 1 時期並びに被験者のリスト
略称
年月
時期 0’2009 年 9 月
時期 0 2008 年 9 月
時期 1 2009 年 4 月
時期 2 2009 年 9 月中旬
時期 3 2009 年 10 月下旬
時期 4 2010 年 1 月
時期の性格付け
縦断・横断の区別
「 文系数学(基礎)
」を履修し始め 2009 年度入学
る時期
2008 年度入学者を中心
とする集団
「 数学概論」を履修し始める
「 教法算数」を履修し始める
公開授業研究会直後
「 教法算数」を履修し終えた
表 1 - 2 回答者数
略称
人数
時期 0’
29 人
時期 0
33 人
時期 1
40 人
時期 2
47 人
時期 3
44 人
時期 4
43 人
調査のときに欠席したり,履修していなかったりで,上のそれぞれの「時期」での被
験者数は異なる。その概略を表 1 - 2 へ記した。
これまでの報告とやや重複するが,なぜ授業実践志向性に注目するか,簡単に触れ
ておきたい。教員養成に関して,
中央教育審議会答申などで「実践的指導力」を養成し,
教員としての「即戦力」としての人材を育成することが求められている。他方,学生
の意識・感想では,そうした教員としての資質は教育実習で初めてその必要性に気づ
1
き,かつ,養成されたとする傾向がある。そこで,教育実習へ行く前に大学の教室で
もそうした資質を伸ばすこと。教育実習と有機的な関連を持つ大学の教室での教育が
求められるところである。
そこで,授業実践者としての意識に関する 11 の質問と,「 学校教育支援ボランティ
アの経験があるか」などの被験者の属性に関する質問とを含む質問紙を作成し,上述
の
「授業実践者としての意識に関する 11 の質問」
の主因子として観察される概念を,
「授
業実践志向性」とみなし,履修者のそれを増長させたかどうかによって当該の科目履
修の評価を試みようとするものである。
2.これまでの調査結果の概要と授業実践志向性への因子負荷量の確認
表 2 - 2 にまとめるように,これまでの過去 4 回の調査によって,当該の科目履修
は評価されている。
表 2 - 1 236 人全体に関して因子分析した場合の因子負荷量
問1
問2
問3
問4
問5
問6
問7
問8
問9
問 10
問 11
共通性
独自因子
0.4619
0.3066
0.1169
0.4208
0.1182
0.3714
0.4816
0.1863
0.0013
0.5460
0.4580
0.5381
0.6934
0.8831
0.5792
0.8818
0.6286
0.5184
0.8137
0.9987
0.4540
0.5420
因子 1
0.6796
0.5538
03419
0.6487
0.3438
0.6094
0.6940
0.4316
0.0361
0.7389
0.6768
これまでの調査と同様に,表 1 - 2 に記した被験者を,合計 236 人とみなして,即
ち時期が違えば同一人物であっても別人とみなして,主因子法バリマックス回転によ
る因子分析(使用したアプリケーションは Stat Partner で,他のパラメータは,その
デフォルトとした)を行ったところ,固有値が 1 を超える因子は固有値が 3.497 の 1
個のみで,その寄与率は 0.71 であった。
2
模擬授業を中心とした教法算数が授業実践志向性へもたらす効果
表 2 - 2 これまでの調査による教法算数などの評価
授業実践志向性に冠する統計的特長
教法を行った 公開授業研究会の特色
年度
公開授業研究会には参加し(11 の質問項目に絞った。また,2006 年
てはいない。
度のデータに公開授業不参加の場合とし
2005 年
ての対照としてデータを利用した)
2006 年
公立校で外部の人が授業を「公開授業研究会へ参加したことがある」
するのを参観し,協議会に は,5%の危険率で統計的有意にプラスの
作用をすることが重回帰分析によって示さ
も出る。
れた。
2007 年
明星学園での公開研。算数の 公開授業研究会で《
「先生」と呼ばせない
授業が学習指導案通りである ことなどにあらわれる「私立の自由さ」
》
ことに感心する学生あり。 に注目したことは,5%の危険率で統計的
有意にプラスの作用をすることが重回帰
分析によって示された。
2008 年
明星学園での公開研。子ども「教法履修」の前後で,対応あるデータで
の様子に応じて算数の授業が の差が 5%の危険率(片側t検定)で有
学習指導案からかなり離れた 意となった。
ことに感心する学生あり。
2009 年
明星学園での公開研。算数(当報告による)
の分科会はなかったが,学
生は理科・英語・総合など
に参加した。
因子の個数1の条件の下で得られた因子負荷量を表 2 - 1 へ記す。2008 年度での
データに関して,前回の報告では,
「その傾向は,因子負荷量が 0.5 以下か,以上かに
ついて,
2007 年度のそれと一致することから,ほぼ同様なものとみなすことができる。」
と記したが,今回も同様であった。以下,この因子得点を,対応する被験者のその時
期での「授業実践志向性」とみなそう。
統計的に有意であるかの検討は後に譲るが,それぞれの時期における授業実践志向
性
(主因子の因子得点)
の平均,
並びに,
表 1 - 2 に記した 6 つの時期それぞれに関して,
その時期における因子分析を行い,それぞれに得られた固有値を大きさの順に 3 つを
表 2 - 3 へ記す。
3
表 2 - 3 時期による変化の概要
時期 0’
時期 0
時期 1
時期 2
時期 3
時期 4
志向性の平均
- 0.3435
- 0.1982
- 0.0488
- 0.0392
第 1 固有値
0.1910
0.2766
3.5636
2.5881
3.8358
4.7218
3.3496
4.3118
第 2 固有値
1.1743
1.9932
0.9946
0.8418
0.9183
0.8588
第 3 固有値
0.8444
1.3019
0.6553
0.6069
0.5673
0.7021
この結果から次のことが指摘できる。
(1)時期 0 から時期 4 まで,時期を追うごとに(それが統計的に有意であるかは措く
として)単調に増加している。
(2)時期 0 と時期 0’とのそれぞれの「授業実践志向性」の平均がかなり異なるので,
被験者の「期」
(何年度入学生であるか)によってその様相が異なることが予想される。
(3)時期 1 から時期 4 については,1 を超える固有値の個数は 1 個のみであるので,
その因子構造は表 2 - 1 などに記した「236 人全体に関する因子分析」と同じとみな
すことができようが,時期 0 では 1 を超える固有値の個数は 3 個,時期 0’では 2 個
となった。
よって,次のことを明らかにすることを本稿の以降の目標としたい。
(1)時期 0 から時期 4 までの時期を追うごとの「授業実践志向性」の増加は統計的に
有意と言えるか。
(2)上記の「授業実践志向性」が有意,あるいは有意ではない理由は何か。
(3)時期 0 から時期 1 への因子構造の変化はどのような理由によるものか。
(4)また,この他にも「授業実践志向性」を変化させるような要因をこの期間での学
生の感想などから見出すことができるか。
3.データの属性による重回帰分析
「授業実践志向性」を目的変数とし,表 3 - 1 に示す変数を説明変数とする重回帰
分析(使用アプリケーションは上記と同じく Stat Partner)を行った結果,表 3 - 2
の結果を得た。
4
模擬授業を中心とした教法算数が授業実践志向性へもたらす効果
表 3 - 1 説明変数とした各被験者に関して真偽値をとる変数
説明変数
概略
学校教育支援ボランティアの経
験があるか
その時期までに教法算数の模擬
授業で授業者となっているか。
その時期までに教法算数での模
擬授業で自分の学習指導案が採
用されているか。
初年次を終えたか。
数学概論 A・B を履修したか
変数 1
変数 2
変数 3
変数 4
変数 5
回帰係数
p値
定数項
- 0.2534
0.0435
値の説明
質問紙の問 17 の記載による。経験のない場合
は 0 で,ある場合は 1 である。
時期 3・4 での問 16 の回答による。
(T1,T2
などを問わない)
時期 3・4 での問 16 の回答による。
時期 1 以降を 1,時期 0・0’を 0。
時期 2 以降を 1,それ以外を 0。
表 3 - 2 重回帰分析の結果
変数 1
- 0.0318
0.7916
変数 2
0.4799
0.0172
変数 3
0.0832
0.7210
変数 4
0.2205
0.2322
変数 5
0.0685
0.6877
」のみが
結局,変数 2「その時期までに教法算数の模擬授業で授業者となっているか。
5%の危険率で有意にプラスの方向の「授業実践志向性」への関係があることがわか
った。他の変数の回帰係数の平均値が正であっても回答者によるばらつきが大きいの
で統計的に有意とは言えないということになる。
しかし,この結果は,表 2 - 2 に記したような過去の分析結果とは矛盾する。どう
して今回だけ,このような
「変数 2」がプラスの方向に「授業実践志向性」への関係がある
という結果がでたのであろうか。まず,この因果性に関して断定的なことは言えない
と言わなくてはならないだろう。その上での心当たりという程度の話ではあるが,模
擬授業を行う機会がこれまでの倍近くになったことも遠因となるのではないだろう
か。しかし,もしそうであるならば,変数3「その時期までに教法算数での模擬授業
で自分の学習指導案が採用されているか。
」に影響するだろう機会も今回倍近くにな
っているはずである。
次にかなり長くはあるが,教法算数を履修したある学生の感想を紹介したい。その
上でこの考察を行うこととしよう。
自分はこの教法算数の授業で,初めて授業をした。実際に模擬授業を経験する,
しないの差は大きいと今回の授業で痛感したと思う。予想外の質問や予定時間内
5
に終わらない作業,実際に教壇に立った時の緊張感など,授業をする前では考え
もしなかったことが次々起こってしまった。どの教科でも言われているが,児童
がしてくるであろう反応を教師は数パターン又は数十パターン用意しておかなけ
ればならないことは頭に入れていたつもりだったし,その準備もしていた。しか
しまだ考えられる反応があることに気付いたし,大学生(児童のフリをしていた
が)相手につまずいてしまったことを考えると,本物の児童相手では,より多く
の反応があるだろう…(中略)…。そして今回の模擬授業で一番印象に残ったこ
とは時間配分である。自分ははじめ(
「教科書の」
:引用者補足)見開きだけで授
業なんて無理ではないかと思っていた。45 分もあるのに教科書 1・2 ページな
んて時間が余るに決まっていると決めつけていた。でも,実際授業をしてみると
45 分なんてあっという間で,本当に短く,むしろ時間が足りなかった。本当に
やりたいことを要領良く行わないと終らない…(中略)…。
授業者として授業をしたわけだが,
1 つ良いことを体感できたと思う。それは,
授業後に後悔したことだった。矛盾するかもしれないけれど,授業が終ったと
きに感じたのは,…(中略)…達成感と,
「あの時はこうしていれば良かったな」
という後悔だった。…(中略)…でもそれと同時に「もっとできる」とか,
「も
う一度挑戦したい」と思えるようになったことは大きいと思う(正直,授業す
る前は「もう一度やりたい」なんて思っていなかったので)
。
授業者としての内面がよく表れている。特に模擬授業をしてみての事前の予想と実際
が異なったことの指摘は,教法算数で模擬授業を行うことの意義を正当にとらえてい
ると言えるだろう。その上で最後の丸括弧の中に記された付けたし風の記述にも注目
したい。彼はそれほど模擬授業の授業者となることを希望してはいなかったのである。
だが「もう一度」と考えるような意欲にこの経験を通じて繋がっている。彼は,DV
カメラによる記録で自分の授業を振り返り「本番では(表現を)大きくしたつもりだ
ったがビデオを見る限りではまだまだ小さいと思う。
」と熱心な振り返りもし,担当者
としての感想を「一度やったことがあるというのは自信につながると思う。
」と結んだ。
では,なぜあまり授業者になることを希望してはいなかった学生が模擬授業をしたの
だろうか。それは,メンバーの中での模擬授業に対する意欲の分布と模擬授業を行う機
会との微妙なバランスの結果ではないかと私には思える。上の感想を書いたのは,こ
の感想の書きようからもわかるように真面目な学生である。その反面,
「表現が小さい」
6
模擬授業を中心とした教法算数が授業実践志向性へもたらす効果
ことを自分でも意識するような,派手なパフォーマンスを好む性格とは言えない。恐ら
く 10 人程度のグループで模擬授業を誰がするかを決めるのなら,彼を上回る派手なパ
フォーマンスをしようとする学生が授業者としての候補となるだろう。しかし 5 人程度
のグループで授業者を決めようとしたときに,彼の真摯な態度や責任感の強い性格を知
る他のメンバーが彼に授業者をさせようと彼の背中を押し得たのではないか。
他の学生の感想からまた引用してみよう。
今回私は,…(中略)…4 人の人たちとグループを組み,指導案の修正から教
具作り,予想される児童の反応など事細かに考え模擬授業に取り組んだ。元の
指導案は私のものを使用したが,模擬授業の準備をするにあたって,子どもの
立場に立った発想など,より具体的な意見が多くあげられたので最終的にはグ
ループ全員でこの指導案を作り上げることができた。
と,濃密なチームワークが報告されている。
さらに,他の学生の感想も紹介する。
「教法算数の授業を受けて,本当によかった
と思いました。指導案から模擬授業。初めてやることばかりで,すごく大変だったが,
とても身につくことばかりでした。やってみようという気持ちにさせてくれたのもこ
の授業から学んだことの一つです。
」と努力を意欲につなげ得た学生のものである。
模擬授業なんてできるかなぁ?そう思ってしまうこともありましたが,将来や
りたいこと。やりたい。やってみたいと思い。授業者に立候補しました。
指導案も私自身が書いた指導案で授業をやらせてもらったが,…(中略)…
45 分で終わりきるか。引き算の取る,無くなる,少なくなるといった動作をす
ぐに全員が理解できるのか。…サポート役のM君といろいろな話をしたが式ま
ではやらず,次の授業(時間)で式に入ると決めて指導案を書いた。
と,ここでも「サポート役」存在があり,立候補した仲間を盛り立てていくグループ
の存在を推測することができよう。
つまり,今回の場合,単に「模擬授業を行った」だけではなく,それに至る前にグ
ループの中でのメンバーの相互評価を行って,そのグループとして何らかの模擬授業
を行うという機会をよりよく活用するための意思決定を行ったこと。そして「その日」
へ向けて授業者を軸に作り上げていくグループの共同作品として模擬授業を位置づ
け,その実行者として意識を授業者がより強く持ったことが,過去の結果と今回の結
果とを異ならせたのではないか。言い換えれば,模擬授業の機会を倍以上としたこと
7
は量的な意味以上に,学生の相互評価による機会の利用の質向上として機能したと見
ることができるではないだろうか。
4.時期による変化の検討
表 2 - 2 に記した結果のうち 2008 年度のものでは対応のあるデータに関するt検
定(4)によって時期ごとの「授業実践志向性」の平均値は統計的に有意な変化をして
いるかについて検討している。一般に,重回帰分析よりも対応のあるデータに関する
t 検定の方が鋭敏な調査ができるからである。しかしながら今回の場合,時期 0 から
時期 4 までの 5 つの時期全部について回答をして各時期に対応するデータを得ること
ができたのは,17 名のみである。表 1 - 2 に記した人数よりもかなり少ないと言わ
ざるを得ない。この節での分析はこの 17 名のデータのみに対するものである。
「授業
実践志向性」は因子得点ではあるが,表 1 - 2 に記した全体のデータに関する計算結
果であるので,17 名の平均を取ったとしても 0 にはならない。この対象に関する限定
性はあるものの,少なくともその 17 名に関する変化を見ることは無意味とは言えな
いだろう。表 4 - 1 に各時期の「授業実践志向性」の変化を,表 4 - 2 に平均値に差
がないとした仮設を棄却するかどうかの判断に要する確率値を記す。
表4-1 時期による「授業実践志向性」の変化
平均
標準偏差
時期 0
- 0.3579
0.7051
時期 1
- 0.3208
時期 2
- 0.3026
0.7695
1.1536
時期 3
0.0834
0.9852
時期 4
- 0.0093
1.1516
表 4 - 2 平均値に関する両側 t 検定(p 値)
表の検定= ttest(上,左,2,1)
時期 1
時期 2
時期 3
時期 4
時期 0
0.868
0.856
0.079
0.283
時期 1
― 時期 2
0.926
― 0.926
0.016
0.129
0.016
0.135
時期 3
0.016
0.016
― 0.616
時期 4
0.129
0.135
0.616
― 時期 3 の平均値は,時期1に比べても,時期 2 に比べても5%有意な差があることが
わかった。また,時期 0 と時期 3 との間には,表 4 - 2 に記したような両側検定では
なく片側,つまり「時期 3 の平均値が時期 0 のそれに比べて大きい」ことを議論する
8
模擬授業を中心とした教法算数が授業実践志向性へもたらす効果
のであれば有意という微妙な程度であるが,時期 2 から時期 3 に掛けての顕著な変化
を観察することができる。
しかし時期4では,時期 3 に比べて平均値が下がっている。統計的に有意な下がり
方ではないものの,時期 0 ~ 2 に対して有意に平均値が向上した訳でもない。統計的
データの読み取りとしてはこの程度に止めるべきだろう。以下に記すのは,かなり推
測を交えた解釈である。
「時期 2 から時期 3 に掛けての顕著な変化」の原因として第 1
に考えられるものは,表 1 - 1 にあるように,明星学園小学校での公開授業研究会へ
の参加である。この効果については節を改めて学生の感想などを参照しながら後で検
討したい。しかし,逆にその効果が永続的ではなく,時期 4 で保持されてはいないこ
とは大いに疑問である。時期 4 は各自からのレポートを返却する機会に質問紙調査を
行うといったタイミングであった。それまでの一連の課題を遂行している緊張感と異
なった幾分か弛緩した気持ちがそうさせているのだろうか。また,公開授業研究会の
直後に見た現実の授業や授業研究の感動が並外れたものであったのだろうか。どちら
にしても,お祭り好きの盛り上がりやすく冷めやすい一過性から脱して,反省的思考
(reflective thinking)のできる永続的な授業実践志向性を獲得させるための方法の探求。
授業を構想することの習慣化,学生の体系化された経験として位置付けることが課題
となる。教法算数のみならず,学生の学部での 4 年間の学修全体を通じたアプローチ
として求められるのかもしれない。
最後に,再び他のある学生の感想から引用する。
教法算数の授業は,
“算数では,問題に対する答えを求めることだけではなく,
正解に至るまでの過程が大切である”ということや,
“論理的に考え,問題を
解決する力を身につける必要がある”ということを,小学生に,いかにわかり
やすく,明確に伝える方法を考え,学ぶ場だったと感じた。その方法は 1 つで
はなく沢山あると思う。子どもたちの実態によって…(中略)…授業を行う前
に子どもたちの発言を予想したり,一人ひとりへの対応をあらかじめ考えてお
くことが,どんなに重要かということもわかった。
まさにその通りである。そして若干の付けくわえを許してもらえるなら,算数の授
業を創るということも,そこに至るまでの過程を大切にして,論理的に考えて,しか
も日常の様々なことから引き出しに備えて授業創造を行える創造に関する方法・資質
を身につけるための入口として機能させたいのがこの教法算数での経験である。
9
5. その他の要因
5.1 時期0からの因子構造の変容
表 2 - 3 によって,時期 0 から時期 1 までの間に,並びに,時期 0’と時期 1 まで
の間に「授業実践志向性」に関わる因子の構造が変化していることを指摘した。この
ことについて,やや詳細にみることにしたい。
時期 0 だけでのデータでは,固有値が 1 を超える因子の個数は 3 であり,時期 0’
だけでのそれは 2 であった。
時期 0 の因子負荷量を表 5 - 1 へ記す。固有値の絶対値が 0.4 を超える箇所を太字
にして示した。
共通性
問1
問2
問3
問4
問5
問6
問7
問8
問9
問 10
問 11
0.6448
0.5374
0.2447
0.7935
0.1990
0.7904
0.5178
0.4428
0.3875
0.5582
0.6148
表 5 - 1 時期 0 の因子負荷量
独自因子
因子 1
0.3552
0.4626
0.7553
0.2065
0.8010
0.2097
0.4822
0.5572
0.6125
0.4418
0.3852
0.1807
0.6436
0.1049
0.6929
- 0.0075
0.0594
0.2258
0.2759
0.0810
0.6561
0.6520
教職志向
因子 2
0.7775
0.0831
0.0378
0.5327
0.4427
- 0.1253
- 0.0449
- 0.5679
- 0.6116
- 0.1927
- 0.2411
教科志向
因子 3
0.0873
- 0.3410
- 0.4820
- 0.1722
- 0.0549
0.8781
0.6818
0.2102
0.0834
0.3009
0.3627
創造性
因子 1 は,
2.教職に魅力を感じる。
4.現職の先生が授業について交流している研究会に出てみたいと思う。
10.模擬授業や授業をすることは楽しみだ。
11.模擬授業をしたり,学習指導案を書いたりする機会がもっとあればいいと
思う。
という問いに関する因子負荷量が大きいので「教職志向」として名づけられるような
因子であると解釈できる。因子 2,▽で逆転項目を表せば,
1.教科書などをみて,授業をあれこれ構想することは楽しい。
4.現職の先生が授業について交流している研究会に出てみたいと思う。
10
模擬授業を中心とした教法算数が授業実践志向性へもたらす効果
5.授業を構想することは創造的な作業だ。
▽ 8.学習指導案を作ることに関しては,いろいろと制約があると思う。
▽ 9.模擬授業とか,
授業をする場面ではあがってしまう
(あがってしまいそう)
。
という問いに関する因子負荷量の絶対値が大きいので「教科志向」
,同様に,因子 3
に関しては,
▽ 3.この世の中は授業に関する情報を,いろいろな本で調べることが可能だ。
6.授業プリントを作る作業は楽しい。
7.学習指導案を作る作業は楽しい。
という問いが挙げられるので,
「創造性」とした。しかし,時期 0’に関しては,表 5
- 2 へ結果を記すが,はっきりした解釈が可能な構造を見いだせなかった。
表 5 - 2 時期 0’の因子負荷量
問1
問2
問3
問4
問5
問6
問7
問8
問9
問 10
問 11
共通性
0.7641
0.6932
0.5510
0.4270
0.4713
0.5489
0.3788
0.1368
0.0386
0.4632
0.2403
独自因子
0.2359
0.3068
0.4491
0.5731
0.5287
0.4511
0.6212
0.8632
0.9614
0.5368
0.7597
因子 1
因子 2
- 0.8247
- 0.0905
0.2899
0.8277
0.3687
0.6450
0.6665
0.5309
0.5416
0.3366
- 0.0933
0.6525
0.4349
0.6442
- 0.1045
- 0.1644
- 0.5167
- 0.2924
0.1534
0.1729
- 0.1934
- 0.2262
時期 0 での 3 つの因子に対する因子得点(3 次元データ)を説明変数として,時
期 1 での因子得点を目的変数とする重回帰分析を,時期 0・1 の両方で回答を得た
27 名について行った。回帰係数の値の符号は統計的に有意(危険率 5 %)ではな
かった。
表 5 - 3 時期 0 だけでの因子得点と授業実践志向性との重回帰分析
回帰係数
定数項 - 0.1982
教職志向
0.6705
教科志向
0.1027
創造性
0.3660
標準回帰
標準誤差
係数
0.0000
0.8228
0.1237
0.4517
t値
0.0379 - 5.2299
0.0419 15.9837
0.0428 2.3997
0.0417 8.7670
11
p値
0.000
0.000
0.023
0.000
検定
**
**
*
**
危険率 5%
上限
下限
- 0.276 - 0.121
0.585
0.015
0.281
0.756
0.190
0.451
しかし,時期 0 での表 2 - 1 の因子分析による因子得点,即ち「授業実践志向性」
を目的変数として,時期 0 でのデータのみで行った3つの因子に対する因子得点(3
次元データ)を説明変数とする重回帰分析を,時期 0 で回答した 33 名について行っ
たところ,表 5 - 3 の結果を得た。
同じ回答から計算された結果であるので,後者の説明変数と目的変数とは相関が強
くなるのは当然である。しかしそれが時期 1 には残ってはいない。恐らく,入学して
半年程度しか経っていない時期では,表 5 - 1 に記したような,いろいろな要素が学
生の中に多様に存在していたものが,これらの要素相互の関連が1年の後半の時期の
何らかの経験によって強くなり,それが寄与率の大きな「授業実践志向性」として時
期 1 以降に現れるようになったのだろう。
では,どのような経験であろうか。この時期には,「文系数学(基礎)
」を履修し
た。しかしその他にも,秋期に固有な授業を履修しただろうし,運動会・音楽会な
ど本初等教育専攻での行事があり,その係りとして準備運営をするという経験もあ
った。そのどれが大きな寄与をしたのかは,時期による変化だけでは判断できない
だろう。しかし,
「文系数学(基礎)」の趣旨は,これまで公式を覚えるなどの「労苦」
としてのみ意識されてきた算数・数学を,将来の授業者として教える対象として意
識させることにある。それが将来の授業者としての自己像や,行事などでのチーム
ワークの必要性の自覚などによって,「教職志向」や,「創造性」に「教科内容への
意識」が関連を強めていったのではないか。そのような過程はまだ定かとは言えな
いが,より可視的にして,合理的なアプローチが可能となるような今後の研究が求
められる。
5.2 公開授業研究会参加による影響
既に前回の報告に,公開授業研究会参加への参加が学生にもたらした影響に関して,
学生が記した感想から抽出される特徴として次の 3 点を挙げた。
(1)予期的な同僚性の中での班活動として,
授業創りに取り組む機会として「教
法算数」が作用した。これはそれぞれの学生が持つ諸特性,
「学校ボランティ
アの経験の有無」
,授業係などの班内の分担などを交流し,個々のというより
も集団での学習を提供した。
(2)学校ボランティアでは得にくい授業創りに関する「立ち位置」を明星学園
12
模擬授業を中心とした教法算数が授業実践志向性へもたらす効果
での公開授業研究会が提供した。
(3)特に,明星学園の 2008 年度の算数では,必ずしも学習指導案通りではな
い授業の実際を示され,
「授業者の意図としての学習指導案と,その日の子ど
もの実際と,授業の実際」という 3 者の関係を理解し,授業創りの喜びの一端
に触れることができた。
2009 年度は公開授業研究会への参加の他に,12 月 5 日に「初等教育学会講演会」として,
町田算数サークルの岩村繁夫先生による講演会(5)を行っている。上記の特徴との重
複を避けながら,この講演会でみられた影響との対比を見ておきたい。
まず公開授業研究会参加への感想からいくつか紹介しておきたい。ある学生は,
最初行く前は時間も早いし面倒くさいとしか思っていませんでしたが,実際
授業を見ることで,授業の進め方や先生の苦労,楽しさを改めて考えられたの
で,いい機会になりました。
と,小学校での始業の時間の早さによる苦痛を率直に述べながらも,それに勝る価値
を参加に見出したことを述べている。また他の学生は,
この間自分が模擬授業をやったので時間配分や切り返し方,板書方法など授
業者側の視点で授業を見るコトが出来ました。自分がやったからこそ見えるも
のがあるのですね。また授業支援に行っている学校でも研究授業を見させてい
ただく機会がありましたが,どの学校でも,どのクラスでも指導案通りに授業
を進めていくコトがどれだけ大変なのか,クラスの子どもたちのコトをよく理
解していないと指導案は書けないのだとひしひしと感じました。もっと色々な
学校,授業を見てもっと自分に吸収して,自分にしかできない,自分らしさを
生かせた授業を作れるようになれたらと思います。
と,事前に模擬授業の授業者を経験したことによって,公開授業をみる質の変化があ
ったことを指摘し,その経験を通じて「自分らしさを生かせた授業」への志向を強め
たことを述べている。さらに別の学生は,
分科会は未熟な私にとって厳しい現実を知ることができて良かったと思
いました。総合の授業をするにあたって,どんなことを題材へ持っていく
か,または,小学校の周りに題材に必要な社会的活動があるかどうか,地
域の結びつきがとても大切であることがわかりました。地域の活動を学
ぶ,ふれ合うことは子ども達に考えさせることもできていて,さらに自
13
分で作ってみよう!など,自ら進んで学ぼうとする意欲を作っていまし
た。また,あの子はこういう意見を言うだろうと予想できることは,授業
を行うには大切なことであると良くわかりました。そして,子ども達にど
のような問いかけをするかが,どんなに重要であるかがわかりました。問
いかけることによって,この授業で何を学んで欲しいのかを子ども達に理
解させることもできます。逆に,子ども達にとって知らないことを当た
り前のように発問するのは,授業が崩れる原因であることも学びました。
私には足りないものばかりで,人間性的にも知識的にもこれからさらに吸収
していきたいと思いました。とても勉強になりました。
と分科会の厳しさから自分の未熟さを発見したことを記した。幾分か謙遜があるかも
しれないが,真摯な態度がみられる記述である。この分科会の厳しさについては,ま
た別の学生の記述。
分科会では他の参加者の人がほとんど教師だったようで質問も自分には思いつ
かなかったようなことを質問していて参考になりました。2 つほど聞きたかっ
たこともあったのですがすごい雰囲気にのまれて質問できなかったのが少し残
念でした。
次の機会があればぜひ質問できるようにしたいと思います
からも読み取ることができる。
一方,12 月の講演会の感想に,2 年生以外の学生ではあるが,次のような記述がみ
られた。
先生方が授業の行ない方や算数の面白ネタを話し合っていることを知り,驚き
ました。研修とは違い,先生方が自主的に集まって授業向上のための会を行な
うのはとてもよいと思いました。
と,「 研修」との違い,自主的自然発生的な性質に注目している。別の学生は,
先生方の間で,このようなサークルを通して教材研究や実践報告など意見交換
をしていることを初めて知りました。・・・(中略)・・・ 自分の中で授業を考える
と疑問点やうまくいかない部分が多く出てきてしまい。他の人のアドバイスが
日々とても勉強になっています。
と,同僚性への着目をしている。次に 2 年生の学生の感想を紹介しよう。
町田算数サークルは,かたい感じのサークルのイメージがあり,教法算数で行
14
模擬授業を中心とした教法算数が授業実践志向性へもたらす効果
った(明星学園小学校での : 引用者注)公開授業研究会の理科のような,はげ
しさと厳しさがあるのかと思っていたけれど,今回の講演会で少しは参加しや
すいイメージになった。
「かたい感じ」
,
「はげしさと厳しさ」という言葉が手がかりとなる。つまり明星学
園小学校の公開授業研究会で,学生は異文化ショックとも言えるような衝撃的な経験
をした。授業をするということに,これだけまじめに取り組み,そしてそれが喜びに
なりえることを知った。それを知るのに既に模擬授業の授業者となった経験が役立っ
た学生もあった。しかし,その経験はどちらかというと自分の至らなさを痛感すると
いう意識ともなり,授業実践研究がいまの自分と異なる世界であるような思いを持っ
た。それに対して今回の講演会は,「 少しは参加しやすい」イメージを同僚性が感じ
られる実際の町田算数サークルの様子から感じられるものであった。これが今の自分
と異なる世界となりやすい授業実践研究へ自分の手が届くようにするための鍵ともな
る「同僚性」の具体的な経験であった。
この異文化体験のような自分の広がりを持たせることができる経験と,それを自分
のものとするために手を伸ばせる手がかりとしての同僚性の経験とを,公開授業研究
会への参加を含む教法算数で糸口を示すことはできたのかもしれない。しかし,その
2 つの経験が学生の中で結実し,永続的な関心,ライフワークとしての授業実践志向
性には到達しえてはいないことは既に見たとおりである。単純な論理的帰結としては
学生自身が「サークル」を作りそこで授業実践に関する同僚性を発揮すればよいこと
がわかる。本学にも,特に初等教育専攻の学生が多数を占める「サークル」が既にあ
るし,私自身もそのうちのひとつに部長教員として参与している。しかし学生がサー
クルに割ける時間・能力・労力は有限であって,授業実践に関する専門性がまだ発揮
しえてはいない。これはサークルへの所属が重回帰分析で有意な変数とはなりえてい
ないというこれまでの報告から言えることである。
6.まとめと今後の課題
表 2 - 2 に記した一連の調査で得た知見などについて,まとめておこう。
「授業実
践志向性」は「教職志向性」に含まれる概念であって,算数に関しては教科教育法で
学生の発達を支援するべきものとして位置づけた。小学校の公開授業研究会に参加す
ることは,学生の「授業実践志向性」を伸ばすことに寄与するが,以下の条件によっ
15
てその効果が左右される。
1) その公開授業研究会が,授業前の教師の意図(学習指導案)が参観者に提
示され,子どもの実際が公開授業によって参観され,さらに授業中の教師の意
思決定が協議会で検討されるといった,教師の意図・子どもの実際・行われた
授業の 3 者の相互関係を知ることができるものであること。
2) 公開授業参観に当たって,授業実践は自由な創造的な作業であることや,
前項 1)
に記した「教師の意図・子どもの実際・行われた授業の 3 者の相互関係」
に注目できるように,学生へ事前指導をすること。
3) 班活動として模擬授業や報告書を作り上げる過程で,公開授業研究会で各
自が得た様々な「授業実践志向性」を他の学生と相互に共有するような活動が
為されていること。
公開授業研究会へ参加することは,教科教育法での活動に関して大きな寄与をするが,
その効果は参加した直後に大きくなり教科教育法の最後には,むしろ減少する。授業
者が示した創造への意図と意欲に対する感銘が,その学生のライフワークとしての授
業創造へ正当に位置づけられるためには,この教科教育法算数の期間や取り組みの過
程だけでは不十分であって,初等教育専攻の 4 年間の間の活動が体系的に組み立てる
必要があろう。
また,1 年次後期では,
「授業実践志向性」に関する因子構造の変化が見られた。9
月の時点(時期 0)では,
「教職志向」
,
「教科志向」と「創造性」という複数の因子が
見られたものが,その半年後の 4 月の時点(時期 1)では,因子の数は 1 つとなった。
これはそれぞれの学生が持つ因子の特徴が他因子の成長に寄与してそれぞれの因子が
相互関連を強めた結果であると解釈される。ただ,そのプロセス,特に 「 文系数学(基
礎)
」の履修がどのような寄与をするかについての解明は,今後の課題としたい。
【注】
(1) 正田 良「研究授業参観の授業実践志向性への影響 ― 算数の公開授業研究会参加などをダミ
ー変数とした重回帰分析― 」
『初等教育論集』第 9 号,2008,pp.1 - 13.
(2) 上記の他に,2007 年度に行った調査を,正田 良「研究授業参観と授業実践志向性との関
連の検討― 算数の公開授業研究会での注目点による差異」
『初等教育論集』第 10 号,2009,
pp.42 - 51.へ,2008 年度に関しては,正田 良「授業実践志向性を向上させる実践への接
16
模擬授業を中心とした教法算数が授業実践志向性へもたらす効果
点の探求的検討 ― いくつかの説明変数による差異を手掛かりとして ― 」
『初等教育論集』第
11 号,2010,pp.19 - 29 へ報告している。
(3) 教科のための科目のうちの 1 つであるである「数学概論 B」と,総合教育科目である「文系
数学(基礎)
」の正田担当分との間にある共通性に注目し,後者の履修を該当の学生に強く要
請しながら前者の内容を整理統合した。旧来の「教科教育法算数」の前半部分で行っていた模
擬授業の準備を「数学概論 B」の活動の一環として模擬授業の準備を行うようにした。教科の
ための科目と教職のための科目では,科目の性格が異なるが,小学校の算数の授業についての
活動としては,
「算数に現れる教材をもとに,検定済教科書の記述の具体から出発し,その教
育課程上の位置づけや,数学的な系統での位置づけを分析し,説得力のある学習指導案を作る
ことに資する。
」と「数学概論 B」のシラバスの「授業のねらい」にあるように,関連があり,
かつ,関連が要請される。
(4) MS - Excel のワークシート関数 ttest による。パラメータの指定については,表 4 - 2 の
キャプションを参照されたい。
(5) http://bungakubu.kokushikan.ac.jp/shotoukyouiku/Ronshu/kouenkai/anno09/
17
格差社会とルター
菱 刈 晃 夫
はじめに
ウィルキンソンは,
『格差社会の衝撃 ― 不健康な格差社会を健康にする法― 』の日
本語版への序文で,こう述べている。
〔1993 年当時〕日本は先進国の中で最も平等であっただけでなく,その他のほとん
どの指標でも最も良いか,あるいはそれに次ぐ成果を上げていた(例えば,健康状
態が良く,ほとんどの社会問題は深刻ではなかった)
。しかし,その後,日本の所
得格差は他の国々よりも急速に拡大し,日本はもはや OECD 諸国の中で平等な国
とは言えなくなったようである。
(中略)特に関心を引くのは,相対的貧困の中で
暮らす子供たちの数が増え続けている兆候である。最も問題なのは,親が(例えば,
低い地位や相対的貧困の中で生きることから)ストレスや困難を感じることが,家
族関係にも影響を与えるということである。家族関係の質は,子供の感情的・認知
的発達に影響を与え,大きくなってからは社会的行動や健康に長期的な影響を与え
る(1)。
イギリスでのサッチャーやメイジャーの政府(1979-97)
,アメリカでのレーガンやブ
ッシュ・シニア(1980-92)
,そしてブッシュ・ジュニア(2000-08)の政府は,個人
と法人の税率を削減すれば高水準の経済成長を引き起こし,その成果が貧しい人々に
も「浸透していく」とした政策をとり続けてきた。日本もまた,とくに小泉政権では
こうした新自由主義の流れに従ってきた。が,この「浸透効果」理論を裏づける証拠
は見出されることはなかった。
しかし,結果は,貧しい人たちと裕福な人たちの格差を拡大し,貧困生活を送る人
たちの数を増大させる傾向にあった。所得にもとづいて測定される貧困状態も,生
活必需品の剥奪状態で測定される貧困状態も,1970 年末から著しく増加していっ
た(2)。
18
格差社会とルター
ギデンズは,以上のように指摘している。
日本もまた,例外ではない。不平等度の高い国へ仲間入りした日本について,橘木
が『格差社会―何が問題なのか―』のなかで指摘している。ここでは,先進国の所得
分配の現状が 3 つのグループに分類されている(3)。
①平等性の高い国……デンマーク,スウェーデン,オランダ,オーストリア,フィ
ンランド,ノルウェーなど,北欧諸国。
②中程度の国……フランスやドイツなどヨーロッパの大国。
③不平等性の高い国……ポルトガル,イタリア,アメリカ,ニュージーランド,イ
ギリス,そして日本。
③の国に注目すると,ポルトガルやイタリアは南ヨーロッパという,ヨーロッパのな
かでは,いわば後進国ないしは中進国に位置づけられる。そして,イギリスやアメリ
カは,これまでも常に不平等度の高いグループに位置してきた。これらの国は,新自
由主義思想を基本とし,市場原理主義に基づいて競争を促進する経済体制をとり,
「自
己責任」が貫かれている。日本もまた,こうした新自由主義への信奉を強める傾向が
ある,と橘木は指摘する(4)。
ところで,
『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』を想起するまでもなく,
不平等性の高い,こうしたイギリスやアメリカは,もともとカルヴィニズムを中心と
した禁欲的プロテスタンティズム―ピューリタニズム―という,世俗内的禁欲の宗教
的基盤の上に成り立っている(5)。比するに,①の平等性の高い国に注目すると,ルタ
ー派が主流である。中間のフランスやドイツ,ポルトガルやイタリアに至っては,カ
トリシズムも有力である(6)。
キリスト教の宗派の違いによって,なぜこのような結果が見出されるのであろうか。
とりわけ,平等性の高い福祉国家といわれる国においては,なぜルター派がメインな
のであろうか(7)。格差社会と宗教的基盤とのあいだには,何らかの関連性があるのだ
ろうか。
小論では,この関連性を究明する前段階として,宗教改革者・ルターが(8),貧困や
社会福祉の問題とどう取り組んだのか,ルター神学の特質と関連させつつ,その一端
19
を明らかにしてみたい。
1 節 神の「容器」と「道具」
まずは,ルター神学の特質を浮き彫りにする準備として,ヴェーバーのいうところ
に再び耳を傾けてみよう。
世俗の職業生活にこのような道徳的性格をあたえたことが宗教改革の,したがって
とくにルターの業績のうちで,後代への影響がもっとも大きかったものの一つだと
いうことは,実際疑問の余地がなく,もはや常識だと言ってよい(9)。
職業もしくは天職(Beruf)という概念の確立とその歴史的意義をルターに見出した
ヴェーバーは,修道院を否定したルターが世俗内的義務としての職業の遂行こそが神
に喜ばれる唯一の道であることを以後ますます強調するに至った,と述べている。こ
れ〔職業の遂行〕のみが神の意志であり,許される限りの世俗的職業は,すべて神の
前では全く等しい価値をもつ(10)。
ところが,
ルターの場合は,
結局「宗教的原理と職業労働との結合を根本的に新しい,
あるいはなんらかの原理的な基礎の上にうちたてるにはいたらなかった」(11)。ルタ
ーが現世の紛争に巻き込まれることがより激しくなるにつれて,彼は「ますます,各
人の具体的な職業は神の導きによって与えられたものであり,この具体的な地位を充
みこころ
たせというのが神の特別の命令だ,と考えるようになってきた」(12)。つまり,
「聖慮」
》Schickung《という伝統主義的な色彩がより濃厚になった,とヴェーバーは指摘する。
さらに,摂理の信仰も度を増し,神への無条件的服従と所与の環境への無条件的適応
とが同一視されるようになる,と(13)。比するに,
「キリスト者の救いをその職業労働
と日常生活のなかで確証するというカルヴィニズムの中心思想は,ルターの場合はる
か背景に退いている」(14)。
カトリシズムはいうまでもなく,ルター派が最終的には伝統主義を脱しきれなかっ
たのに対して,カルヴィニズムは宗教生活と現世的行為の関係を全く異なるものにし
た,というのがヴェーバー説である。世俗内的生活を甘受すべき摂理としてではなく,
各人に与えられた使命(Aufgabe)として受け止め,このなかに各自が救いの確証を
見出し,そして世界をよりよいものに変革していこうとする積極的態度。ここにルタ
20
格差社会とルター
ー派とカルヴィニズムの大きな違いがあるという。たとえば,ミルトンの『失楽園』
には,人間が楽園から出て行くことでかえって大きな幸福にあずかる可能性が歌われ
ている。これこそ「ピューリタニズムの神曲」である。
ところで,当時のキリスト者にとって「救いの確信」は大問題であった。その際,
これを獲得するに当たって,
自分を神の力の「容器」
(Gefäß)と感じるか,
あるいは「道
具」
(Werkzeug)と感じるかによって,当人の生活態度に大きな違いが生じる,とヴ
ェーバーはいう。前者の場合,人は神秘的な感情の培養へと傾き,後者の場合,禁欲
的な行為へと傾く。ルターは前者の類型に属し,カルヴァンは後者の類型に属する。
よって,カルヴィニズムにおいて救いの確かさは,具体的な行為や働きによって確証
されなければならなくなる。信仰はカルヴァンにおいて「有効な信仰」
(fides efficax)
でなければならない。善行は救いをうるための手段としてはどこまでも無力ではある
が,選びを見分ける「印」としては必要不可欠である。この印は,救いについての不
安を取り除くための技術的手段ではあるが,しかし,やがて善行に励む人々,すなわ
ち「神は自ら助ける者を助けるということを意味する」ようになっていく。
4 4 4
つまり,往々言われるように,カルヴァン派の信徒は自分で自分の救いを―正確に
4 4
4 4 4 4
は救いの確信を,と言わねばなるまい―「造り出す」のであり,しかも,それはカ
4 4 4 4
4 4
トリックのように個々の功績を徐々に積みあげることによってではありえず,どん
4 4 4 4
な時にも選ばれているか,捨てられているか,という二者択一のまえに立つ組織的
な自己審査によって造り出すのだ(15)。
要するに,カルヴィニズムにおいて,神は自ら助ける者を助ける。逆に,こうした
自助努力を怠る者には救いの確信はえられるはずもなく,むろん神の「道具」として
の努力を怠るという点で選びの印すらも消え,見捨てられた者へと転落していく。が,
これは当然の成り行きであり,自己責任と見なされる。ここからの格差は必然である。
比するに,
ルターの場合には,
自分を神の
「容器」
と感じる受動性のほうが主であるため,
カルヴィニズムのごとき行為へ向けた積極性や,その印から測られる厳しい自己責任
への要請は,成立しにくい。ゆえに,ここではスタティックな消極性が目立つものの,
逆に幸いにも,すべての結果を自己責任に帰せられた末の格差もまた,減少するので
はなかろうか。
21
2 節 貧困とルター神学
中世ヨーロッパに目を向けると,貧困,あるいは乞食は一般的であった(16)。ル・
ゴフによれば(17),むしろ乞食(托鉢)は数が多いほど,物乞いへの軽蔑が和らぎ,
それどころか乞食だったかもしれないイエスのイメージは,中世にあっては非常に存
在感のあるものであった。さらに 13 世紀になってドミニコ会とフランシスコ会が都
市に出現したとき,人々はこれらを「托鉢修道会」と名づけたが,その名はたいてい
称賛として受け取られていた。ベネディクトゥスの『戒律』にも,
「修道院を訪ねて
くる来客はすべて,キリストとして迎え入れなければなりません」(18)とあり,12 世
紀のシトー会士フライジングのオットーは,
『年代記』のなかでこう記した。
門の傍らに敬神の念の篤い敬虔な修道士がいつも座っており,やって来る客,巡礼
者,貧者は誰でもキリストご自身を迎えるように親切に迎え入れ,まず足を洗って
やり……それから共に礼拝室に向かい,その後で客房へと案内した(19)。
祈る人・戦う人・働く人に 3 分された中世ヨーロッパにおいて,修道院は貧者救済や
社会福祉の重要な機関であり,とりわけ貧者を救済する点に,キリストの後継者とし
ての修道士の姿が表現された(20)。
さらに,
『マタイによる福音書』19 章 23-24 節にもあるように,金持ちが天の国に
入るのは難しい,金持ちが神の国に入るよりもらくだが針の穴を通るほうがまだ易し
い,という教えからも,今度は富める者も,自らの救いために貧民救済に取り組んだ。
そこで慈善行為(charity)の第一の目的とは,施しを受ける者たちの苦境を軽減する
ことではなく,救いと永遠の命に与るために,神の前で自らの功績を積むことにあっ
た。リンドバークによると(21),神の仲介者としての古来からの貧者の伝統は,貧者
を善行の対象とする神学によって補強され,彼らは救いのための手段とされたのであ
る。宗教改革前夜には,こうした「功績による敬虔」
(piety of achievement)は,礼
拝と福祉のすべての側面にまで浸み渡っていたという。
ところが,15 世紀までには,もはや貧困は神学上の徳でも,金持ちが救われるため
の善行の機会でもなくなり,貨幣経済の進展とともに,大きな社会問題となりつつあ
った。日雇労働で,しかもいわゆる一文無しの人々の数は急上昇するとともに,彼ら
22
格差社会とルター
は利益経済を拡張するための安価な労働力として位置づけられるようになった(22)。
そこに現われたのが,宗教改革者・ルターである。彼は,こうした中世的な礼拝と
福祉の在り方を,根底から一新した。貧者になることにおいても,慈善を施すことに
おいても,そこに救いのための価値は一切ない。ルター神学の要ともいえる義認論は,
貧困への中世的アプローチを骨抜きにした。リンドバークは,こう指摘する。
というのも,救いは神による自由な贈り物であり,貧困も慈善行為も救いのための
印を失うからだ。貧困の脱霊化(de-spiritualization)は,立ち向かうべき個人的か
つ社会的悪として,貧困を認識させることになった。恩恵のみによる義認は,貧困
理解のパラダイムシフトの原因となった。貧困は,もはやキリスト者にとって称賛
されるべき地位ではなく,むしろ立ち向かうべき社会的病理となったのである。貧
者は,もはや功績を積むための慈善行為の対象ではなくなり,義と公平を通じて救
助されるべき隣人となる。義と隣人への愛の題目の下で,ルターとその同僚たちは,
当局と手を結んで国による福祉政策の確立へと動いたのである(23)。
ルターの主張と,その制度化の具体例を次に見てみよう。
3 節 社会福祉の具体化に向けて
1517 年,いわゆる『95 箇条のテーゼ』の冒頭,ルターはこう宣言した。
1. 私たちの主であり師であるイエス・キリストが,「悔改めなさい……」〔マタイ 4
章 17 節〕と言われたとき,彼は信じる者の全生涯が悔い改めであることをお望
みになったのである(24)。
司祭によってゆるしの秘跡や悔い改めのステップや条件が事細かに定められていた当
時のカトリック教会の中心を,この言葉は直撃した。死と神の裁きを前にした不安は,
(教会によって制度化された)善行―貧民救済や慈善行為もそのひとつ―や贖宥によ
って償われるとされていたが,これ以降,そうした安心はえられなくなる。ルターの
義認論からすれば,あくまでも救いの約束と引き換えの善行や贖宥が,救いのための
手段には決してなりえない。が,ルターは貧しい人々を助けることを無価値としたの
23
ではなく,これに新しい基礎づけを施した。
43. 貧しい者に与えたり,困窮している者に貸している人は,贖宥を買ったりする
よりも,よりよいことをしているのだと,キリスト者は教えられなければなら
ない。
44. なぜなら,愛の行いによって愛は成長し,人間はよりよくなるからであるが,
贖宥によっては人間はよりよくならず,ただ罰からより自由となるに過ぎない
からである。
45. 困窮している者を見て,彼を無視して贖宥に金銭を払う人は,教皇の贖宥では
なく,神の怒りを自分に招いているのだと,キリスト者は教えられねばならな
い(25)。
このようにルターは,貧民を含めた慈善行為を人々に対して積極的に勧めている。む
しろこれ〔隣人への愛の行い〕こそが,真の神礼拝であり賛美であり,信仰の具体的
あらわれである。リンドバークによれば,
『キリストの聖なる真のからだの尊いサク
ラメントについて,
及び兄弟団についての説教』
(1519 年)のなかで,
ルターは礼拝(ミ
サ)改革を社会倫理と明確に関連づけたという。
このサクラメントの意義ないしわざは,すべての聖徒との交わりである。
(中略)
したがって,キリストがすべての聖徒と 1 つの霊のからだとなること,ちょうど,
1 つの町の住民が 1 つの共同体であり一体をなすものであり,どの市民も他の市民
と一体であり,全市の一員であることと同じである(26)。
わたしたちはみなキリストと霊において結び合わされたひとつのからだである。とこ
ろが,現実にはミサによってこの交わりが壊され,いっさいが逆さまにされていると
ルターはいう。その責任は,司祭たちにある。
しかしながら,昔は,このサクラメントをりっぱに行い,この交わりを十分に理解
するように民衆に教えたので,人々は外的な食物や資産をも,ともに教会の中に持
ち込み,そしてそこで,必要とする者たちに分け与えたほどであった。
(中略)そ
24
格差社会とルター
れゆえに,今日,ミサにはコレクタ(collecta)ということばが残っているのである。
それは,共同に集めるという意味であって,ちょうど,貧しい人々に与えるために,
共同金を集めるのと同じである。
(中略)当時は,ひとりのキリスト者が他のキリ
スト者の世話をし,互いに援助し,互いに同情し,互いに重荷や災難を負ったので
あるが,今日では,これが消滅してしまって,ただ多くのミサがあり,サクラメン
トを多く受け取るばかりで,その意義の理解も実施も全く欠いているのである(27)。
ルターは,当時の兄弟団の悪習について,集められた金はビールのために費やされて
いるとして,痛烈に批判している。豚でさえ,このような兄弟団の守護者になりたが
らないだろう,と。もし存続を望むのなら,貧しい人々に食事をせさ,神に奉仕せよ,
そして飲酒に使う金があるなら,困窮する隣人にとって役立つ共同金庫を作れ,とル
ターは訴える(28)。
こうしてルターは義認論の下,社会福祉を神礼拝と直結させ,その具体化を図った。
ただミサを数多く行いサクラメントを受け取るばかりが,真のキリスト者の「悔い改
め」の生涯では決してない。彼は信仰のみを通じて,実際に隣人への愛の行いを実現
しなければならないし,またそうした信仰があれば,自ずとそうならざるをえないは
ずである。
ところで,そうした社会福祉の最初の制度化が,ルター自身の手による 1520/21 年
の「家々や他の貧しい,助けを必要とする人の維持のために,われわれのところ,ヴ
ィッテンベルクで定められた共同財庫の規定」
,すなわち『ヴィッテンベルク共同財
庫規定』
(Beutelordnung )である。
金庫は 3 つの鍵をもち,教区教会の定められた場所にきちんと置かれるべきであり,
そこには,遺言によって遺贈され,あるいは喜捨を受けた金銭が入れられるものと
する(29)。
ここに蓄えられた資金をすべてのひどく困窮した貧者に用いるべく,12 の規定が記さ
れている。また,ルターの協力の下で市参事会が作成した 1522 年の『ヴィッテンベ
ルク教会規定』では,こう定められている。いくつか抜き出してみよう。
25
(3) 年齢や病気のために労働できない者であっても,われわれの町ではいかなる
乞食も認められない。乞食は労働を求められるか,町から追い出されるべき
である。病気とかその他さまざまな事情で貧しい者は,定められた適切な仕
方で共同財庫の世話を受けるものとする。
(4) どのような修道会であっても,われわれのもとでは,いかなる托鉢も行って
はならない。
(9) それなしにはその手工業を毎日なしえない貧しい手工業者にも,自らを養う
ことができるよう,共同財庫から貸与すべきである。彼は,利息なしで,定
められた時にこれを返済すべきである。これを返済することが不可能な者に
は,神のためにこれを免除すべきである。
(10)貧しい孤児もとくに少女にも,またそのほか貧しい者の子どもにも,適当な
仕方で共同財庫から手交し,支出すべきである。
(17)また,貧しい者の子どもが,学校に行き,学ぶに相応しいものでありながら,
貧しさのために学校にとどまりえない場合には,とくに注意すべきであり,
聖なる福音と聖書を説く学識ある人々をいつも持つため,また,世俗の統治
に相応しい人々を欠くことがないために,彼らのために立替えるようにする
とよい。しかし,学ぶに相応しくない者は,手工業か労働に向けるべきである。
これはこのようにとくに注意する場合に必要不可欠のことである(30)。
ここには,現代社会においてもますますリアリティをもって響く規定が,数多く記さ
れている
(とくに教育に対する支援の意義は大きい)
。
そして,
さらにこうした共同財庫,
もしくは基金の制定を明確にしたのが,1523 年のライスニク教会教区における『共
同金庫の規定』である。これには,虚弱で年をとった貧乏人のための支出,孤児や貧
乏な子供たちに給与する支出,貧困家庭の人々を助けるための支出などが,もっとも
整備された形で規定されている(31)。
さて,こうした福音的社会福祉は,その後ブーゲンハーゲンを中心として拡大して
いくが,これについては機会をあらためて取り上げることにしたい。
おわりに
ジュッテは,こう指摘している。
26
格差社会とルター
16 世紀におけるルターの救済原理とその成果に関する議論が,近代初期ドイツのみ
ならずヨーロッパ全土にわたって,中央集権化された貧者救済のシステムを形作っ
たことには,疑問の余地がない。貧者救済の世俗的システムを裏づける新しい社会
政策の発達のための道を,宗教改革は地ならししたのだ(32)。
以上より,ルターがその神学の中心にある義認論に基づいて,社会福祉や格差の問
題に取り組んだパイオニアであることが,明らかとなったであろう。先に見たサクラ
メントの理解も含め,
ルター神学の真髄には,
キリスト者としてすべての者に「仕える」
奉仕的精神が,
キリスト者の「自由」として,
しっかり根づいているのではあるまいか。
ここに,格差社会と取り組む基本的態度の違いも由来すると思われる。
比するに,カルヴィニズムにおいては,
「事業の成功は,
『選ばれた』者であること
の明確な証であった。それに加えて,プロテスタントは,救済への道としての善行を
否定することで,貧困と伝統的なキリスト教道徳の間の最後の結びつきを事実上断ち
切った」(33)。しかしながら,ルターにおいては,その神学に基づく「社会福祉の精神」
により,貧困および格差に対して(
「資本主義の精神」に抗して)新たな救済の愛の手
が差し伸べられるようになったことを,看過してはなるまい。ルターの精神から,今
日のわたしたちが学ぶべきものは,大きいといえよう。
注
(1) R.G. ウィルキンソン『格差社会の衝撃― 不健康な格差社会を健康にする法― 』
(池本・片岡・
末原訳,書籍工房早山,2009 年)
,4 頁。日本のより詳しい現状については,橘木俊詔『日本
の教育格差』
(岩波新書,2010 年)参照。
(松尾精文ほか訳,而立書房,2009 年)
,399 頁。
(2) A. ギデンズ『社会学 第 5 版』
(3) 橘木俊詔『格差社会 ―何が問題なのか ― 』
(岩波新書,2006 年)
,12 頁以下参照。
。しかし,こうした新聞記事もある。
(4) 同前書,13 頁(表 1-2)
(5) ヴェーバーは,ここでの禁欲的プロテスタンティズムを 4 つに大別している。1. カルヴィニズ
,
ム
(とくに 17 世紀に西ヨーロッパの主要な伝播地域でとった形態)
2. 敬虔派,3. メソジスト派,
ゼクテ
4. 洗礼派運動から派生した諸信団。M. ヴェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義
,138 頁以下参照。ピューリタニズムと資本主義
の精神』
(大塚久雄訳,岩波文庫,1989 年)
27
に関するヴェーバーの所説については,梅津順一『ヴェーバーとピューリタニズム ― 神と富
との間― 』
(新教出版社,2010 年)でも再検討がなされているが,とりわけ禁欲的生活態度
の形成過程が克明に描かれているので,参照されたい。
(石崎晴己訳,藤原書店,1992 年)
,152 頁(地図 24 プロ
(6) E. トッド『新ヨーロッパ大全 I』
テスタントの最終的勢力)
,171 頁(地図 25 1900 年における識字化)
。
「福祉との親和性高いルター派 近年,この問題に
(7) 大澤真幸は,ある雑誌でこう述べている。
示唆を与える新しい社会学的発見がなされている。シグルン・カールの歴史社会学的研究によ
ると,再分配率が高く高福祉を実現している国は,すべてプロテスタント・ルター派の伝統が
強い地域なのだ。今から 100 年強前,偉大な社会学者ウェーバーは,資本主義の誕生・成長
にとって,プロテスタント・カルヴァン派が極めて親和性が高いことを発見した。他方,最近
の研究では,福祉については,ルター派が親和性が高いというわけである。しかしこれは実は
たいへん不思議な現象なのである。もしカトリック諸国で再分配率が高いということであった
ならば,理解は容易だ。中世キリスト教(カトリック)の教えでは,貧者への施しは,施した
者自身の救済を保証する善行の一つと考えられていたからである。貧者はキリストの姿を彷彿
させるとして,人々は(自分自身の)魂の救済のために施しをしたがったのである。プロテス
タントとは,カトリックに反抗する者という意味であり,その反抗に関して最もラジカルであ
ったのがカルヴァン派である。カルヴァン派の影響の強い国は,一般に再分配率が低い(米国
もその一つ)
。実際,カルヴァンは,施しのような「善行」と救済とは無関係だと説いたので,
この結果は納得がいく。ルター派は,この両極の中間であり穏健なプロテスタントである。な
ぜルター派諸国において,カトリック諸国以上に再分配率が高くなるのか? ルターは外面的
な行為よりも内面的な信仰のほうが重要だと説いた。その教義の中に,救貧や喜捨を正当化す
る事項が含まれているわけではない。それどころかルターの教義を信奉したとき,外面的な施
しの実践にいたらずに,内面的な深い同情だけで十分だと考えるような,ローティが嫌悪した
あの欺瞞が正当化されはしないだろうか。ルター派的な伝統が高税率(高福祉)を容認する理
由は,謎である。カルヴァン派と資本主義は相性がよかった。だがカルヴァン派の教えの中に,
資本主義的な投資や禁欲を正当化する内容があったわけではない。まったく意図せざる結果と
して,カルヴァン派が資本主義の誕生や成長を促したのであり,ウェーバーはこの因果関係を
説得的に解明してみせたのだ。おそらくルター派と社会福祉の間にも,意図せざる因果関係が
ある。それを抉出(けっしゅつ)することができれば,理想の道徳的共同体を制度的に実現す
るためのヒントを得ることができるだろう。カギは,カトリックからルター派への転換の中
で,神の姿が,さまよえる貧者によって代理しうる神から,いかなる人物像によっても表象で
28
格差社会とルター
きない神へ,1 ランク抽象化したことにあると考えている(大澤真幸・週刊東洋経済 10 月 24
日号)
」
。http://blog.goo.ne.jp/wag18470/e/aaca55de5cf1f237b0bf60a01f357f1a より引用。下
線は引用者による。小論でも指摘するように,ルターの信仰は愛の行いと連動している点が,
ここでは看過されている。
「謎」とここでいわれているカギは,ルター神学そのもののなかに,
すでにあるといえよう。ちなみに大澤は,別の対談でもこう語っている。
「もう一つ思い出し
たことがあるんですが,うちの大学院生が北欧の手厚い福祉について面白いことを発見したん
です。というのは,福祉がいちばん行き届いてるのは,ルター派が強い国なんですね。逆に福
祉が薄いのはカルバン派で,間にカトリックが挟まる。これは非常に面白いんですが,その傾
向は 60 年代まで顕著で 70 年代で一度コンバージョンされる。ところが 80 年代になってまた
はっきりと出てきたわけです。この傾向を読み解くと,世俗化してきて宗教的な行動様式が一
度隠れたものが,80 年代になってまたせり出してきた。多分彼らは自分がルター派だなんて,
普段は意識してないと思うんですが,それでも行動様式という形をとって現れるのかなと思う
わけです。福祉の問題というのは,われわれがその社会において,どれだけ連帯心を持てるか
ということだと思うんですよ。自分の財産が他の人に渡ってもいいということを意味してるわ
けですから」
。http://www.kit-rg.jp/rg2008/rep2008/rep4.html より引用。下線は引用者による。
(8) ルターは,当時の初等教育改革にも大きな役割を果たした。詳しくは,拙著『ルターとメラン
ヒトンの教育思想研究序説』
(溪水社,
(金子晴勇・江口再起編『ル
2001 年)や拙論「学校教育」
ターを学ぶ人のために』世界思想社,2008 年所収)などを参照されたい。この点で彼を「教
育改革者・ルター」と呼ぶことも可能である(金子晴勇『教育改革者ルター』教文館,2006
年参照)
。
(9) ヴェーバー前掲書,114 頁。ただし,ルッターはルターと表記しなおした。
(10)同前書,110-111 頁。
(11)同前書,122 頁。
(12)同前書,122 頁。
(13)同前書,122 頁。
(14)同前書,124 頁。
(15)同前書,185 頁。
(16)Cf. Jütte, Robert. Poverty and Deviance in Early Modern Europe , Cambridge: Cambridge
University Press, 1994. W. フィッシャー『貧者の社会経済史 ― 中世以降のヨーロッパに現わ
れた「社会問題」の諸相とその解決の試み―』
(高橋秀行訳,晃洋書房,1993 年)
。
(前田耕作監訳,
ちくま学芸文庫,
(17)J. ル・ゴフ『子どもたちに語るヨーロッパ史』
2009 年),211 頁。
29
(18)
『聖ベネディクトの戒律』
(古田暁訳,すえもりブックス,2000 年)
,212 頁。
(19)H-W. ゲッツ『中世の聖と俗―信仰と日常の交錯する空間―』
(津山拓也訳,
2004 年,八坂書房),
102 頁。
(20)同前書,99 頁以下参照。
(21)Lindberg, Carter. The European Reformations , MA: Blackwell Publishing, 1996, p.113.
(22)Ibid. , pp.113-114.
(23)Lindberg, Carter. Love: A Brief History through Western Christianity , MA: Blackwell
Publishing, p.128. Cf. Lindberg, Carter. Beyond Charity: Reformation Initiatives for the
Poor , Minneapolis: Fortress Press, 1993, p.95ff.
(24)ルター研究所編『ルター著作選集』
(教文館,2005 年)
,9 頁。
(25)同前書,15 頁。
(26)同前書,98-99 頁。
(27)同前書,106 頁。
(28)同前書,118-119 頁。
『宗教改革著作集 第 15 巻』
(徳善義和ほか訳,教文館,1998 年)
,9 頁。
(29)
(30)同前書,15-17 頁。
(31)ルター著作集委員会編『ルター著作集 第 1 集 第 5 巻』
(聖文舎,1967 年)
,227 頁以降参照。
(32)Jütte , op.cit ., p.108.
(33)S.M. ボードイン
『貧困の救い方―貧しさと救済をめぐる世界史―』
(伊藤茂訳,
2009 年,青土社),
108 頁。
(小論は,2010 年度の日本ルター学会にて「格差社会とルター」と題して発表した原稿に,修正
を施したものである。
)
30
メランヒトン『倫理学概要』
(Epitome ethices , 1532)翻訳
―メランヒトン邦訳ノート(6)―
菱 刈 晃 夫
ラテン語テキストについては,既出「メランヒトン邦訳ノート (4)」を参照されたい。
ここでは,引き続き 27 節から 44 節までの試訳を載せる。
* * *
27. アリストテレスは情念についてどのように考えているのか。
すべての生き物にとって,感覚と同様に欲求は必要である。しかし,周知のように魂
の能力のなかに欲求の能力はあり,それは魂をしてふさわしいと見えるものを求めるよ
うに駆り立て,また不快なものを避けるように駆り立てる。すなわち,これを取り除く
ことは,魂そのもの,および事物の動きを自然から取り除くことである。したがって,
人間の自然本性から情念を取り除くことを命じるストア派は,判断を誤っているのであ
る。これでは,自然の優れた部分とすべての運動とを,自然から取り除くことになる。
ゆえにアリストテレスは自然から情念が取り除かれるべきではないと感じ,これが生き
物の自然本性のなかに植え込まれていると判断する。その結果,行われるべきことへの
駆り立てに向けて,ある種の刺激となるのである。また,あるものは腐敗しているので,
理性によって支配され,節制といったものへと連れ戻されるように,と教えている。す
なわち,限度といったものを突き破って,何か理性に反することをするようにわたした
ちを駆り立てないようにするためにである。したがって,怒りは兵士として用いられる
べきであって,指揮するものとしてではない,と述べている。同じことは,情念につい
て全般的にいえることである。彼が市民的義務について述べるとき,すなわち自然本性
は情念によって行動へと駆り立てられているのだが,しかし,これは理性によって支配
され,ある確かな流儀へと呼び戻されなければならない。というのも,欲求を抜きにし
ては,自然本性は何も求めたり避けたりしないからである。
31
28. プラトンが,人間は不本意的に悪であるといったのは正しいか。
この見解はしばしば引用され,多くの者が不合理なところは何もないという理由で,
これを称賛する。そこで,生徒たちはこれについて賢明に判断するように,これについ
て言及する必要があると思われた。最初に,なぜそうしたことをプラトンはいうのか,
そのように彼を動かしたものは何か,ここで考える必要がある。人間の自然本性は徳に
向けて作られていることは事実である,と彼は見た。つまり,人間の最高の部分すなわ
ち理性の判断によって,わたしたちは徳へと誘われている,と。その見解は正しく,ま
さにその他の部分は理性の判断に従わなければならない。それゆえに,これらがいうこ
とをきかない場合,人間は〔本来の〕意に反して不本意的に悪である,と彼はいう。こ
れは,自然本性の他の部分すなわち判断と争うことであり,そのわけは,複数の情念が
理性の判断と争い,多くの者たちが正しい判断よりも,自らの情念のいいなりになって
しまうことにある。さらに,しばしばいわれているように,あらゆる賢明な人々が,人
間の自然本性のなかにあるこのような多様性にしばしば驚いている。それは,キリスト
教の教えのみが明示してくれる原因を見ないからである。したがって,プラトンのいう
ことがそのように受け止められれば,人間は理性の判断を否認することで,不本意的に
悪ということになる。情念に関して理解されれば,
何も不都合なことはない。というのも,
自然本性には邪悪な情念がへばりついていて,自発的にそれが出現するのではなく,こ
の情念はわたしたちとともに生れついているのである。たとえ,人間の自然本性がただ
徳へと向けて作られているように見られるにせよ。他の残りは,外的な行いに関して理
解されては決してならない。あたかもプラトンが,人間は必然的に外的な過失を犯さざ
るをえないか,または情念は決して制御できないと考えるように〔理解されてはならな
い〕
。というのも,プラトンはしばしばいうように,外的な行いを制御するのが意志で
あり,たとえ情念と戦うことになるにせよ,これは人間の四肢に外的な品位ある行いを
命じることができるのだから。ちょうど,足を病んでいる者が,たとえ病気が彼を妨げ
るにせよ,ある程度歩くように命じることができるようなものである。人間はこのよう
に矛盾した要素から作られた,ある種驚くべき動物であるとプラトンがいったのは,ま
さに正しい。したがって,意志が外的な行いにおいて自由をもつ際には,人間は不本意
的かつ自発的に外的な過失を犯すことはない。よって,法は自発的になされた過失を罰
するのである。
32
メランヒトン『倫理学概要』翻訳 ―メランヒトン邦訳ノート(6)―
29. 正義について。
目的について,徳の定義について,情念について語った後,いよいよ〔これらの〕種
類についての説明を始めよう。というのも,徳の種類についての説明がまだ残っていた
ので,これに迫っていこう。徳の種類については,正義からとりかかるのがまさに適切
である。これは,要となる徳の種類であって,他のすべての徳なかのいわば女王に相当
する。というのも,社会での生活にとってこれはとくに必要であって,これを抜きにし
てはその他のものは役立つよりも害をなすことになるからである。したがって,これは
他の徳の用法を支配し,これらを社会的な生活に仕向ける。正義は人間の自然本性と最
大限に一致し,これと市民的社会とを固く結びつけるので,それにふさわしく最高度の
称賛によって讃えられるのである。アリストテレスが次のような諺を述べたことは,も
っとも真実で快い。宵の明星も暁の明星も,正義ほど美しくはない〔正義はもっとも美
しい〕
,と。しかし,国や帝国から放逐されてしまった後,静寂のなかへと逃げ込んで
しまった正義をわたしたちは取り出し,哲学者が書物のなかで語っているのを聞くとし
よう。このなかには,正義の形式について最上の表現がある。
30. 正義という言葉を単純に用いることはあるか。
ごく少なくだが,ある。というのも,だれにも最大限損害を与えないようにするため,
ときどきわたしたちは法に従わない者について,これを不正義だというから。そこで,
正義には 2 つある。ひとつは普遍的なもの,もうひとつは個別的なものである。普遍的
なものとは,法への服従である。したがって,これはすべての徳を包括するが,服従に
向けてすべての徳をまとめるのである。こうして,残りの徳は正義の呼びかけに従わさ
れることになり,法に服従することになる。そこで,確かにこの正義は個人的な人間本
性においてと同様,社会および統治においても,第一の徳となる。すなわち,分類され
た徳は自然法から成り立つべきであるから。ところで,人間における第一の自然法とは,
人間のその他の部分が理性に従うことを目的とする。こうして,統治および社会的共同
体における第一の法とは,法に従うことなどを目的とするのである。聖なる書物では,
何度も法の正義について言及されるたびに,この普遍的な正義が理解されているのであ
って,すなわちそれはすべての法に際しての服従を意味し,よってすべての徳を包括す
ることになる。しかし,パウロの議論においては,正義〔単に義〕とは恩恵の賦与を意
味している。というのも,彼は法の正義と福音を説く正義とを区別しているからである。
33
31. その他の正義の種類は何か。
特殊的正義はある確かな徳の種類であり,それはすべての徳を包含するわけではない
が,しかし,この社会的生活のなかで,報酬や懲罰の取引や分配のなかで実現される。
アリストテレスはこれを 2 種類に分けた。交換的なものと配分的なものである。交換
的正義とは,品物に応じて正当な報酬を与えることである。そして,これは商売に役立
つので,生活においてはとくに必要であり,社会生活のなかで使用されるべき私的正義
のなかで,ほぼ第一の段階を占める。そして,これには日常の定義がまさにぴったりな
のだが,それは法律に精通した者がプラトンから引用したもので,プラトンはシモニデ
スにその著者名を帰している。正義とは,
おのおのに各自のものを支払うことである。
〔そ
れぞれの人に借りているものを返すのが,正しいことだ(
『国家』第 1 巻 331e 参照)
〕
。
それにもかかわらず,この定義は,もしこれが繊細に解釈されるなら,他の正義の種類
にも応用することができる。というのも,他の種類はある程度正義という名称をこの段
階,あるいは交換的なものから借りているから。それゆえ,実際に残りの徳は,いわば
当然の価値を妥当な流儀で法に従って支払うがゆえに,正義といわれるのだから。よっ
て,法にそれは帰される。しかし,交換的なものはすべての契約を規定する。というわ
けで,これは生活にとって必要であって,もっとも遠くまで広がっていることが容易に
分かる。その上,これは次の自然法から生じている。だれも傷つけてはならない。すな
わち,上に見たように,個々の徳は自然法に由来することを知るべきである。したがっ
て,交換的正義はこの方面から定義することができる。交換的正義とは,物や振舞いの
交換においても,契約においても,だれも傷つけないことを意味する。アリストテレス
は,この正義の効果のみならず定義のなかで,その対象をも把握した。すなわち,交換
的正義を,契約において算術の調和によって平等を作り出すこと,と定義したのである。
さらに加えて,同じ定義のなかでアリストテレスは,もっとも聡明に,正義の最大の
特質は,すなわち平等を作り出すことである,と示した。というのも,商売においては,
あるいは物そのものによって,あるいは幾何学的,あるいは算術的な調和によって,あ
るいは理性によって,確たる平等が作り出される必要があるのであって,このとき平等
が保たれてはじめて契約的正義とわたしたちはいうのであるから。というのも,商売は
かくして真の平等が保たれない限り広まることはできないからである。ここに,平等や
同じく交換について教える格言がある。何かを与え,何かを得る。わたしは与え,得る。
同じように,エウリピデスもいう。人々のあいだに平等法が生じた。これは,平等から
34
メランヒトン『倫理学概要』翻訳 ―メランヒトン邦訳ノート(6)―
正義が生じることを述べている。さらにことわざは,平等によって共通の社会が保たれ
ていることを証言している。平等は互いに対して戦争しない。したがって,正義に関す
るすべての議論においては,平等といったものが求められる習わしとなっている。そし
て,この原則がこの議論すべてのいわば頭であることを覚えておかなくてはならない。
平等は正義において生じるべきである,という原則である。
配分的正義とは,2 つの交換的正義を正確に組み合わせたもので,そこでは幾何学的な
比例に従って手段が確立される。そして,その位置を分配の罰や報酬においてのみならず,
どこであろうと個人やより多くの立場で起こる契約においてさえもつことになる。ちょう
ど 20 リットルのワインが半分しかできないとき,それに値するブドウは倍の金になるは
ずである。もし,1 日の仕事が 1 デナリウスと評価されれば,2 日の仕事は 2 デナリウス
と評価されるべきであろう。罰と報酬においても,同じ簡単な理屈である。もし,軍隊の
戦友が 100 金貨で与えられるなら,指導者には 10 倍以上の 1000 金貨が与えられてしか
るべきであろう。もし,不正が 10 金貨として見積もられるなら,ゆえに,このように不
正を 2 倍する者は,
20 金貨の罰を受けるはずである。こうした例において,配分的正義とは,
まさに単純に 2 つの交換を組み合わせたものであることが,はっきりと認識されるのであ
る。というのも,第一に報酬と価値,あるいは物と報酬,あるいは過失と罰の単純な評価
がなされなければならないので,そのために立場と人の比較が加わり,その結果まず窃盗
においては,立場の比較によるよりも,算術の比例から構成された罰の評定がなされねば
ならない。窃盗が大きな罰によって罰せられるように,ゆえに姦通はさらに大きな罰によ
って罰せられなければならない。ユダヤの盗人はたいへん重い罰金が科せられるが,ドイ
ツの盗人にはより大きな罰が科せられるべきである。というのも,ドイツ人はより野蛮で
あり,法と罰による恐れから強制されることはさらに少ないからである。
32. もし罰と報酬に交換が関係するなら,なぜ配分と呼ぶのか。
主な理由はこうである。アリストテレスは生活においては,共同においてか,個人に
おいてか,2 つの商売〔やりとり〕があると正しく認識していた。個人におけるやりと
りは契約を生み,これは絶え間ないものである。したがって,そのなかで事物と価値が
評価され,全体の平等すなわち算術の平等が確立される。もうひとつのやりとりは共同
におけるもので,これは公的な報酬から与えるか,私的な資金から施しをするか,とい
うときのものである。この場合,資金は無限ではないから,功績の価値は人物の程度ほ
35
ど高くは評価されない。あたかも,だれかがよき指導者を正しく評価しても,十分に大
きな報酬が与えられなく,幸せではないと判断するようなものである。しかし,彼に劣
る者よりもより多くが彼に与えられる場合,彼のもつ徳の状態によるものであることが
分かる。この限りで,寛大の義務,あるいは段階に応じた感謝の義務において,わたし
たちの能力ばかりでなく,とりわけ彼らの価値もまた,その親切あるいは恩恵に関して,
そうあるようにわたしたちは望むし,そう与えるのを習慣としている。たとえ,好意そ
のものが徳と一致していなくとも。このようにアリストテレスは,幾何学的な比例がも
ともと共同体からの配分に関わっていると見た。したがって,彼はこの種を交換的なも
のと区別したのである。その上で,公共のことがらにおいては,罰において人の段階を
規定することが必要である。したがって,こうした配分や比較が,幾何学的な比例によ
って罰や報酬に的確に向けられることになる。とはいえ,やはり交換的なものが報酬や
罰においては有力であるので,そこでは単純な事物と価値が比較されて,やはりこれは
配分的と呼ばれることになる。というのも,公共的なことがらにおいては,罰と報酬に
おいて人の段階が評価されなければならないから。共同体からの配分が同じである場合,
幾何学的な比例が保持されなければならない。したがって,配分的なものは共同体から
授けられるべき場合に用いるのであり,交換的なものは自分のもののなかにその場をも
つのである。キュロスは他のだれかのことの場合には,正しく判断しなかった。彼は幾
何学的な比例に関して,配分的な正義に従って判断を下したのである。交換的で算術的
な比例に従って判断が下されるべきであったのに。そして,人を比較することなしに損
害が評価されるべきであったのに
〔クセノポン
『キュロスの教育』
第 1 巻第 3 章 17 参照〕
。
33. 幾何学的比例と算術的比例はどれほど異なるか。
算術的比例とは,3 つの数字が置かれていて,中項にある数字がもっとも近くの数字
から等しく上回り下回るもので,1 2 3 というようなものである。ここで中項の数字
は平等に上回るか下回る。2 5 8 のように,
ここでは 3 が中項の数字を上回るか下回る。
幾何学的比例とは,3 つかそれ以上複数の条件があって,たとえ数字が平等に上回った
り下回ったりしなくとも,均等な比率が保たれる場合である。2 4 8 がそうで,この
場合,中項にある数字は平等に上回りも下回りもしていない。しかし,関係は 2 倍の比
率である。2 × 2 = 4,
同じように 4 × 2 = 8。ここでは両方の場合に 2 倍の比率がある。
36
メランヒトン『倫理学概要』翻訳 ―メランヒトン邦訳ノート(6)―
34. 幾何学的比例は,なぜ配分的正義に用いられるのか。
簡単に分かることである。というのも,数多くの技術と賃金の段階が確定されるとこ
ろでは,比例に従って対比が行われることがふさわしいから。ちょうど,1 日の労働の
賃金が 1 デナリウスなら,2 日の労働が 2 デナリウスとなるように。もし,兵卒に 10
の金が与えられるなら,司令官にはより多く与えられるべきである。
35. なぜ契約においては算術的比例が用いられるのか。
というのも,そこでは段階が確定されるのではなく,単に商品と代価が比較され,最
大の同等性が買い手と売り手とのあいだで求められるからである。アリストテレスはリ
ネンについて説明している。もし買い手が 5 ペースのリネンをもっているなら,売り手
が 1 ペースで,判定者はリネンのあいだで同等性が成り立つように裁量し,お互いが 3
ペースもつようにするだろう。また,買い手が 5 の金に値する穀物をもっているなら,
売り手は 1 の金の代価で,判定者は 5 と 1 とを結び付けて,同等性が生じるように買
い手にもっと多くの穀物を放棄するように命じる。そして,同等の分け前がどちらにも
あるように解決する。このように,同等性は他者の損害が補われるように,算術的比例
によって求められる。あたかも,
買い手が 7 の商品をもっていて,
売り手が 3 の代価なら,
判定者は 7 と 3 とを合わせることになる。それから買い手はそれだけの値段で手放し,
両者とも 5 を獲得するのである。というのも,5 は同等性を作り出す中間だから。この
ようにすべてのものごとはここに関係し,契約における同等性が生じ,損害は全く同じ
価値によって返されるようになる。このように同等性が確立されるように,算術的比例
は求められる。というわけで,買い手が 5 の穀物をもっていて,売り手が 1 の代価を
もっている場合,判定者は同等性が生じるようにすべきであり,算術的中間を求めるこ
とになる。つまり,3 である。この中間は確実であり,どちらの側にも間違いとなるこ
とはない。そこで,
判定者がそれぞれの側が 3 を取りなさいと述べて命ずることになる。
つまり,買い手は 3 を取り,売り手も 3 を取るように,と。しかし,買い手がさらに
穀物をもっているなら,彼は算術的比例が示す残りを与えるか得るか,どちらかになる。
というのも,アリストテレスは次のことをとくに強く述べ教えるから。判定者は最大の
同等性が生じるようにすべきである,と。これは,ある算術的中間が確立されるなら
実現される。というのも,2 つのもののあいだの算術的中間は,1-3-5 といったように,
端と端とのあいだに同等性を生じさせるからである。
37
36. なぜ法律家は,正義が常に永遠の意志であると当然のようにいうのか。
なぜなら,彼らは人間の心のなかに神聖なものが植えつけられているという,ある確
かな観念によって支配されているか,あるいは神聖なものがわたしたちに植えつけられ
ているということに同意するからである。これらは他方で法とか律法とか呼ばれる。し
かも,これらの観念は正義の原因ともなっている。したがって,その法とはどのような
ものであり,その観念とはどのようなものであるか,探究されなければならない。
37. 法はどのように絡み合っているか。
法は自然法と実定法に分けられる。自然法は,とくに自然の知を表わしている。
〔自
然の知とは〕つまり,この人類社会のなかで身体や事物を使用することによって生じる
原理から帰結して必然的であるような実践の原理であり,確実な結論である。すなわち,
だれも傷つけられてはならない,富は人類の平安を保つために分割されなければならな
い,各自には各自のものが与えられねばならない,契約は守られなければならない,不
貞な性交は禁じられなければならない,血のつながりに対する敬意は親族に払われなけ
ればならない,人類社会をかき乱す者は罰せられなければならない,当局は共同社会の
平和を守るために設立されなければならない,そしてわたしたちはこれに従わなければ
ならない,といったことがらである。こうした神聖な知〔観念〕は〔わたしたちの〕魂
のなかに植えつけられているのであり,これがまさに本来の自然法なのである。しかし,
この法は知を示すのみならず,この知に続いて行動するための力をも示す。というわけ
で,これがこの法の本来の意味となる。これらの言葉は弁証学と関連づけて考えられる
なら,容易に理解される。
実定法は,自然法に対して,ある状況に応じて理性によって付加された当局の見解で
ある。この状況は機会に応じて変化するので,したがって実定法もまた変化する。つま
り,自然法は盗みが罰せられなければならないと教えるが,続いて当局はどれほどの罰
かをこれに付加し,これが確立れるなかで蓋然的理性が行使される。というのも,粗野
な性質は強固な鎖によって抑制されなければならないからである。ドイツ人は軽い罰で
は盗みを止めさせられないので,極刑が行使されなければならない。これは誇張的表現
ではなく,もっともな方法である。というのも,自然の判断は,より強力な鎖によって
粗野な荒々しさが抑制されるべきであると大多数の人々に教えるからである。ちょうど
馬の場合に見られるように。しかし,常に極刑が用いられるようになってはならないが,
38
メランヒトン『倫理学概要』翻訳 ―メランヒトン邦訳ノート(6)―
重い罰が必要なのは確かである。続いて,重い罰が強制された場合,国家にとって極刑
以上に適切で保安的なものはない。名誉はく奪やその他多くのことが役立たない後にで
も,
収監所のなかの者たちにおいては,
これが破滅であるとは見なされない。というのも,
しばしば収監所からは断罪されるべき大きなことが突然噴出するから。ちょうど,医者
が治療のなかで考慮しなければならない多くのことがらが同時に起こる場合に蓋然的な
理由に従うように,同じく法を作成する場合にも多くのことがらが考慮されなければな
らない。そして,その比較の際には証明ではなく蓋然的な理由のほうが用いられるべき
である。それにもかかわらず,これは自然法から分けられるべきものではない。という
のも,実定法はまずは自然法によって支配され,自然法によるある種の境界がそこには
あるからである。ゆえに自然法と争う法は,不正な法である。
38. 自然法は常に不変か。
何らかの自然の知は人間のなかに常に同じままで残存している。ちょうど,目には常
に同じ光が残存しているように。したがって,他の学芸の原理も永遠かつ不変であり,
よって自然法もまた不変である。自然法とはもともと実践の知,あるいはふるまいに関
する原理以外の何ものでもない。それゆえ,アリストテレスは自然法が不変であり,ど
こででも同じ力をもつと正しく述べたのである。ちょうど,ここでもペルシアでも火は
同じく燃え上がるように。にもかかわらず,そこには何らかの段階がある。確かに,何
らか自然的なものが変えられるなら,それは自然の破壊になる。そこで,これに固有な
ものは不変なのであり,その原理は正しく判定されなければならない。自然の破壊は,
激情という欲望に従って他人の生命や子どもや財産を管理することが許されるなら,こ
れに引き続いて生じるのである。他のある自然なものは変わるとしても自然から完全に
離れてしまうわけではないし,それに続いて自然が必然的に破壊されてしまうわけでも
ない。ちょうど,わたしたちは自然に右手を左手よりも用いるが,これは自然の破壊な
しにありうるのであり,ある人々は左手を用いるほうが多いのである。このようにある
種の可変的道徳というものがあり,それはたとえ自然法であるとはいわれても,第一の
階級のものではないが,自然においては必然的なものよりもむしろ蓋然的な理由をもつ
ものである。ちょうど,高利貸しは自然に反するが,それにもかかわらず当局は節度あ
る高利貸しを容認するようなものである。というのも,ほんのわずか自然から逸脱して
いるとしても,この変化が自然の破壊をもたらすことはないから。複婚は自然に反して
39
はいるが,しかし,互いに不一致のある場合には自然からそれほど逸脱するわけではな
い。したがって,自然を創造した神は,複婚を容認するのである。兄弟の妻と結婚する
ことは自然に反するが,しかし,自然を創造した神はユダヤ人に対してはそれを許すの
である。よって,ある種の自然なものは可変的であるということが入念に観察されてし
かるべきである。が,その場合には思慮深く判断されるべきであり,変化は実例の賛同
なしには許されるべきではない。さらに,可変的なことがらについて当局の権威は優勢
でなければならない。それゆえに,たとえもしその過失が当局に帰せられるとしても,
その判断は非難されるべきではない。
39. 最高法と公平あるいは寛容との違いは何か。
だれかの状況を少しも顧慮することなく厳格に法が適用される場合,それは最高法と
エピケイア
呼ばれる。つまり,一般には厳格法と呼ばれる。寛容は,ある種の状況において法を和
らげることであり,正義と争うことではない。というのも,それは恥ずべき行為を容認
するのではなく,むしろその状況に応じてより穏やかに罰するのだから。ちょうど,裁
判官がもともとの素質によると見られるだれかの過失を,治癒的に穏やかに罰するよう
なものである。さらに,寛容はすべての法の解釈においても広範囲に行き渡る。という
のも,寛容なくして,すべての状況において同じように厳格に守ることのできる法など
存在しないからである。したがって,解釈はすべての法に対して適用されるべきであり,
それによって法はより人間的で穏やかな内容へと変えられるのである。まさに寛容とは
根拠が欠けていることではなく,より下位の法から離れて自然法のようなより高位の法
に従うことに他ならない。しかも,さまざまに異なった法が衝突する際にも,たとえ同
等には守られないとはいえ原則は保たれなければならない。高位の法は下位の法よりも
優先されるべきである。ちょうど,だれか正常な者があなたの前に剣を置き,そして狂
乱した者が返せと要求した場合,下位の法は返してやるように命ずるが,しかし,高位
の法はだれをも傷つけることのないように,返すことを禁ずるのである。同様に,契約
は守られるべきであるが,もし悪事なくしては守られない場合には,公平は契約が無効
にされることを命ずるのである。このように,公平はより高位の法を保持するために高
位の法によって支配される。ちょうど,キリストが安息日を破り,法に反してらい病者
に触れたように。というのも,たとえさまざまに異なった法が衝突し合ったとしても,
それにもかかわらず,より重要なものが優先されるべきであり,それは教えの証を明ら
40
メランヒトン『倫理学概要』翻訳 ―メランヒトン邦訳ノート(6)―
かにし,同様に隣人に対して親切にするよう命ずるからである。同じく寛容は,安息日
に関する法によって怒るべきではなく,ひとつの行いの種類であると理解すべきことを
教える。すなわち,毎日通常の行い,畑仕事とか,ふつうの仕事とかいったものと変わ
らないことを。人を急に助けなければならないという突然の責任は,法によって妨げら
れないのであり,数え切れないほどの判断の実例があらゆる時代から提供されている。
マンリウス・トルクゥアトゥスは最高法を息子に行使した。彼は皇帝の命令に反して軍
隊の規律を解いてしまったので,極刑を招くことになってしまったのである(1)。他方,
独裁官・パピリウスは寛容を用いた。彼は,騎手の長であるファビウスが,命令に反し
て敵と戦ったことで告発された際,人々の要求にも関わらず罰を和らげた。それによっ
て,だれもファビウスがパピリウスに対して私的な憎悪を抱くことなど想像できなかっ
た。そして,再び騎手の長となったのであった(2)。ローマ法大全では(3),親殺しに関
するポンペイの法において,皇帝ハドリアヌスがその息子を,継母と寝たがゆえに彼を
殺すこともできたのであるが,国外追放にしただけであった。さらに,最高法によって
私的な殺人を正当化することはさらに難しい。ゲッリウスの著作 12 章 7 節では,最高
法廷の裁判官がスミュルナの女性を釈放した,とある。彼女は,夫とその息子を毒殺し
たのだが,その息子は彼女が最初の結婚の際にもうけた息子をかつて殺したのであった。
裁判官は,100 年たってその原因が分かるように判決を下したのであった。このように,
恐ろしい悪行は是認されることはなかったが,それにもかかわらず,罰は状況によって
軽減されたのである。というのも,母はもうすでに十分な苦しみによって焼かれていた
ように見受けられたから,等々。神々は同様の寛容をマルスとオレステースを許すのに
も用いた。というのも,マルスは娘の凌辱の復讐をし,オレステースは殺された父とい
う十分な悲しみによって,罰はやわらげられたのである。そして,しばしば裁判官は力
に対して力によって自分を守る者たちの罰を和らげるのであり,たとえもし申し分のな
い保護を少しでも超えている場合においても,そうである。
寛容は,トラシュブールスにとってもアテナイを再建するのに役立った。彼は祖国を
征服し取り戻したとき,恩赦の法をもたらした。それで,傷つけられ世襲財産を奪われ
た勝利者たちは,かつて自分たちのものであったものを取り返すことはなかった。その
結果,国では新しい動乱が引き起こされることはなかった。こうした慎み深さは,公的・
私的生活のすべてにおいて必要である。それによって,すべてのことがらに最高法を適
用することはなくなるのだが,しかし,最高法の適用はしばしば最高の損害であること
41
を知るようになるのである。そこで,召使に関するある女の,とても人間的な教えがあ
るのだが,それは召使はあまりに甘やかされ過ぎてもいけないし,あまりに厳しく管理
されてもいけない,というものである。
「音楽の楽器のことを考えてもみよ。それはあ
まりにも厳しく音をたてると,音が出なくなってしまう。そして,長く引き延ばせば壊
れてしまうだろう。労働者も同様である。不和からあまりにも自由だと,今度は服従す
ることにいらだつ。一方で,
強烈な説教は彼らの本性を壊してしまう。こうしたことから,
万事について節制〔慎み深さ〕を心得る必要があるのだ。
」このように寛容は,神法で
さえ和らげる。ダビデは彼に差し出されたパンを食べたとき寛容を用いた(4)。というの
も,儀式は国家のために制度化されているのであり,義認のためではないことを彼は知
っていたから。そして,もし必要とあらば,それがだれかのつまづきの石,つまり儀式
が放蕩に変化するのでないなら,ルールが破られるのも可能である。ヨシュアは殺さね
ばならなかったギブオンの住人に平和を約束した(5)。しかし,
約束が守られなかったとき,
それは撤回されなければならなかった。というのも,彼は法を適用するに際して,つま
ずきの石が一方の命令よりもさらに害を及ぼすことを知っていたから。そして,まさに
同じ法が説明を加えた。というのも,だれかが戦争に行かなければならないとき,すべ
てに平和が差し出されることを命じたから。マカバイ人たちは安息日に戦った。という
のも,彼らは安息日の法が通常の自発的な仕事を禁じているのであって,国全体やその
子どもたちを守る必要を禁じているわけではないことを知っていたから。それは最高の
愛の行いである。そして,同様の寛容はすべてのキリスト者が儀式を行うに際して必要
である。最後に,福音そのものが神法のある種の寛容に他ならない。というのも,それ
はもし法〔律法〕を満たすことがなくとも,正しく振舞うことをよしとするのだから。
40. 過ちはどのような場合に無知として許されるのか。
自発的に行われた〔自由意志による〕過失が罰せられる場合,非自発的な〔自由意志
によらない〕ものはわたしたちの力の内にはないが,その行いの原因は探究されなけれ
ばならない。ところで,原因は判断と意志にある。判断が犯す過失とは無知にある。し
たがって,無知に関してまず語られなければならない。しかし,無知には 2 つの面があ
り,ひとつは法についての無知,もうひとつは現実〔個別〕状況についての無知である。
規則としては,こう述べられる。現実状況についての無知は許されるが,法についての
無知は許されない,と。しかし,この見解には解釈が付加されなければならない。とい
42
メランヒトン『倫理学概要』翻訳 ―メランヒトン邦訳ノート(6)―
うのも,現実状況についての無知は常に許されるのではなく,法についての無知もまた
裁定されなければならないから。したがって,まず市民的な議論において,判断可能な
年齢にあって健康な者にとっては,自然法についての無知は許されないことが知られな
ければならない。アリストテレスは次のようにいっている。だれかが法,つまり実定法
において犯した過ちは許されうるが,しかし,第一の法と呼ばれるもの,つまり自然法
において犯された過ちは許されえない,
と。同様に神の法についての無知も許されえない。
というのも,そうした法はわたしたちの自然本性に植えつけられているからであり,福
音が地上全土にふり撒かれ,これによってすべての人々がキリストに耳を傾けるように
命じられているのと同じである。
「これはわたしの子,選ばれた者。これに聞け」(6)。し
たがって,キリストは『ルカによる福音書』12 章で述べている ( たとえ知っている者と
無知な者とのあいだに何らかの区別を立てるにせよ,それにもかかわらずすべての人々
が無知な者から罰を免除するわけではない )。
「主人の思いを知りながら何も準備せず,
あるいは主人の思いどおりにしなかった僕は,ひどく鞭打たれる。しかし,知らずにい
て鞭打たれるようなことをした者は,打たれても少しで済む」(7)。次に,現実状況につい
ての無知ではなく人間による実定法についての無知を装う者は許されない。というのも,
法ばかりではなく現実状況についても,有罪とされると知っているのにそれをするとい
うことは,装われた無知だからである。この無知についてアリストテレスは洗練された
形で述べている。
「というのも,選択における無知は不随意的〔非自発的〕ということの
原因ではなく,非徳〔罪深さ〕の原因であるから」(8)。しばらく後に,自分自身が無知の
原因である場合,そうした無知を裁判官は罰しなければならないことを彼は付加してい
る。このように義務によって自ら知らなければならない法についての無知に関して,裁
判官が許すことはない。自らの現実状況についての装われた無知は許されないのであり,
まるでそれはだれかが何かを所有していて,それが彼に預けられたのか与えられたのか
知らない場合のようである。法についての無知が訴訟当事者を許すこともなく,こうし
たことについてはスカエウォラがセルウィウムに対しておごそかに述べている。高貴で
名高い人に無知であるとして法を適用することは恥ずべきことである(9)。しかし,兵士
と女性の身分の者がここから免除されるのは常であり,その過ちは大目に見られたので
あった。第三に,さもありそうな現実状況についての無知は,自分自身のであれ他人の
であれ,弁明の余地がある。それは知らないあいだに娘が婚約者として与えられたヤコ
ブの無知のようなものである(10)。そうしたことについてもまたパウロが語っているが(11),
43
それは知らずして供え物を食べてしまうような者たちである。こうしたさもありそうな
差異は装われた無知においては広範囲にわたるのであり,しばしば原因において生じる。
アリストテレスは同じことを少し違う言葉で述べている(12)。彼は,知らず知らずに罪を
犯すのと無知のゆえに罪を犯すのとでは異なるといい,許されるのはただ過ちの原因が
無知にある場合だけである。しかし,無知ではなくわたしたちの怠惰もしくは欲望が過
ちの原因である場合,そこにおいての無知は許されない。ちょうど酒飲みの罪が無知に
あるのではなく知らないがゆえにあり,酒飲みであることが知らないことの原因であり,
したがって酒飲みであることは二重の罰せられるべきこととなるように。
41. 自発的な〔自由意志による〕過失は何と呼ばれるか。
自発的な過失は思慮と自由意志によるものに当てはまる。非自発的な過失は思慮とは
かかわりなく,あるいは意志に帰されるものでもなく,その人の力が妨げられていて,
あるいは何か逆らうことのできないものに駆られることにある。さらに,非自発的なも
のや暴力は,アリストテレスがいうように,外部に原理をもつものとして理解すべきで
ある。あたかも,嵐のなかでだれかが岩に向かって投げつけられるようなものである。
したがって,わたしたちが愛,憎しみ,怒りといったような情念によって駆られている
場合,こうした活動は多くの人々が恐怖についていうように,非自発的であるとか暴力
であるとか判断されることはなく,意志が意志を駆り立てているのである。わたしたち
が恐怖に駆られて行動するような場合,アリストテレスはこれを混合した状態という。
すなわち,自発的なものと非自発的なものとのあいだに立つ種類ということである。し
かし,実際にはこの種類は自発的なものに属する。というのも,危険が迫っている際,
あることがらを他のことがらよりも優先して選択することは意志の力の内にあるから。
徳はまさに判断と意志において本物であるがゆえに,過失の最高の段階は思慮と自由意
志において罪を犯すことの内にある。他の段階はやや軽いものであり,意志が妨げられ
るとか判断の内にないとかいった場合における過失である。ここから過失や不正につい
て判断する際に考慮しなければならない 5 つの段階が生じてくる。策略,大きな過失,
小さな過失,
とてもささいな過失,
そして事故である。策略は決して許されることはない。
そして,大きな過失はすべての人々が知っているかあるいは知るべきことを故意に無視
する〔知らないふりをする〕がゆえに,策略からそれほど遠くはない。こうした装われ
た無知は,アリストテレスがいうように,非自発的なものがその原因なのではなく意地
44
メランヒトン『倫理学概要』翻訳 ―メランヒトン邦訳ノート(6)―
悪な性向〔悪意〕がその原因なのである。小さな過失ととてもささいな過失は,より許
されるべきものである。というのも,ここでは思慮が罪人に対して与えられるわけでは
ないが,さらなる細心の注意が熱望されるのであり,こうした過失において装われた無
知はない。事故については,精神や意志が真に罪を犯すわけではないので,許されるべ
きものである。ちょうど,アドラストゥスが野生のイノシシを狩っていたときに,クロ
エススの息子を殺してしまった場合のように。あるいは,だれかが屋根の頂から落ちて,
そこに人が歩いているかどうか想像しなかった場合のように。しかし,ここではすべて
が判断の過ちからか,あるいは何か意志の障害からか,こうした段階が生じてくるとこ
ろを観察しなければならない。しかし,本来自発的と呼ばれるこうしたことがらは,思
慮と自由意志のなかで同時に生起するのである。
多くのことがらがここでは論じられなければならない。キリスト者にとって力を力に
よって抑えることが可能かどうか,さらにどの程度とか,キリスト者に財産の分配は許
されるのかとか,戦争は行いうるのかとか。しかし,わたしたちはこうしたことがらに
ついてすでに論じたので,これからは少し他の問題を付加することにしよう。
42. 個人が暴君を殺害することは許されているのか。
第一に,もし暴君が私人であり,決まりによってではなく暴動によって権力を侵害し
た場合,正当な官職者たちは彼を盗人として殺すことができる。したがって,市民はカ
ティリーナを政府転覆を企てたことにより正当に殺すことができた(13)。同様に,フル
ウィウスは逃げ帰って来た息子を殺したのであった。
第二に,もし暴君がどこかに権力を保持している場合,もし危害を加えるのに残酷で
ありそう伝えられている場合,権力に付随することがらにおいて,私的に被った危害に
よる場合にも,彼によって危害を被った臣民には防衛が許されている。ちょうど,スイ
スの歴史のなかで,当局が市民に対して息子と槍とを突き出させて,その息子に槍でも
って父を貫けと命じた場合のように。ガリウス・マリウスの軍隊で軍団司令官を殺害し
た青年も同様である。法は執政官を姦通を犯した者として殺されるのを許すのである等。
政務官が他の男の妻を寝取ろうとする場合にも同様なことが生じる。しかし,そうした
法外なことは敵に対してなされたのであり,暴君の命令から救い出したことはまさに許
されることである。ちょうど,ハルパグスが自分の息子を食べるようにと差し出したア
ステュアゲースに反対してキュロスに近づいたように。あるいは,ヴェネチアの暴君は
45
ある市民に対してその娘を連れてくるように命じ,それから市民を追放した。暴君は護
衛兵を送り力によって強制的に娘を連れてこさせ,凌辱した後に娘は朝になって返され
て切り裂かれた。父は,友人と慎重に話し合い,切り裂かれた体をヴェネチアの行政府
に送り,彼らに暴君を都市から追放するように頼んだ。その結果,暴君は追い詰められ
た。というのも,こうして市民が法を行使することは合法であり,暴君の敵となるから
である。
第三に,もし危害が公然ではない場合,法律家は当局の不正に寛容であるべきとまさ
にいえるであろう。これによって,裁判に関わることがらにおいて権威が保たれること
になる。というのも,いわれているように,個々の市民が国家や不法な規則を解消すべ
きではないからである。権威に逆らう者は,神の定めに背くことになり,背く者は自分
の身に裁きを招くであろう(14)。
43. なぜカエサルは合法的に殺されなかったのか。
戦争のことには全く触れないにしても,彼は確かに合法的に支配を保っていた。国家
から法や法廷を取り除くこともせず,最大の公平さでもって法廷を設けることで帝国の
平安を保っていた。さらに,彼は都市において市民たちの戦争による犠牲者を殺すこと
もなく,無防備な者に対して冷酷でもなかった。むしろ,彼は敵に対して元来の尊厳を
戻してやることさえしたのだ。したがって,彼は合法的に権力を獲得したのであり,当
局の法を保ち,市民に対して公にでたらめにひどい不正を課したことはなかったのであ
り,彼を殺したことは誤りであった。すでに述べたように,当局の軽い大きなものでな
い不正は大目に見られなければならない。ペライ〔テッサリア〕の暴君・イアソンが,
多くの正義を行うためには,何がしかの不正も行わねばならぬ,といったのがそうであ
る。そして,そうした不正は最高の原則において大目に見られなければならない。とい
うのも,国家の形態を保とうとする者は,その判断と法とを保つからである(15)。エウ
リピデスは,だれかが指導者の罪を負わなければならない,と述べている。
44.自分のものにしたいとぶどう畑を求める王を拒んだナバトは正しかったのか。
国家の形態はさまざまである。というのも,臣下が奴隷である場合,たとえばスキタ
イ人のような場合,自らの杯を飲むように,王が彼らの財産を支配することは可能である。
第二に,法が自らものごとの支配を裁定しているところでは,市民は所有権を確立し
46
メランヒトン『倫理学概要』翻訳 ―メランヒトン邦訳ノート(6)―
自由が与えられている。しかるに,その国の法や形態に反することを王が命じる場合,
彼は罪を犯すことになる。ユダヤ人の王国はそうしたものであった。ギリシアやローマ
の国家もそうしたものであり,そうした国の法をわたしたちは今日でも用いている。こ
れらの法はものごとの支配を裁定しているのである。こうして,公の理由がないにもか
かわらずぶどう畑を奪い取ろうとしたアハブは,ひどい罪を犯したことになる。とりわ
け,ユダヤ人の国家においては,神聖に伝えられてきた法を王が破棄することや,家族
の種別や神聖に築かれてきた財産を変えることは,王には許されていなかったのだ。し
かし,あなたたちの領地を奪う,これが王の権利である,などと書かれているが(16),
神聖に受け継がれてきた法を王が廃止することができると人々は思っていない,という
ようにこの言葉は受け取られなければならない。というのも,とりわけ王自らも法に従
った規則によって支配されているのだから。
〔次回に続く〕
注
(1) リウィウス『ローマ建国史』8,7.
(2) リウィウス『ローマ建国史』8,30.
(3) 『ローマ法大全』48,9,5.
(4) 『サムエル記 上』21,6-8.
(5) 『ヨシュア記』9,15.
(6) 『ルカによる福音書』9,35.
(7) 『ルカによる福音書』12,47-48.
(8) アリストテレス『二コマコス倫理学』1110b31.
(9) ポンポニウス『法格言』1,2,43
(10)『創世記』29,23.
(11)『コリントの信徒への手紙 1』10,25.
(12)アリストテレス『二コマコス倫理学』1110b24.
(13)L.Sergius Catilina, BC.108?-62: ローマの貴族。政府転覆を企てたが,キケロに陰謀を暴かれ戦
死した。
(14)『ローマの信徒への手紙』13,2.
(15)アリストテレス『弁論術』1373a26.
(16)『サムエル記 上』8,11.
47
平成 22 年度卒業論文
学校教育におけることば遊び
― ことば遊びの実践と考察 ―
西 田 美 樹
はじめに
「寿限無寿限無,五劫の摺切れ,海砂利水魚の水行末,雲行末,風来末,食う寝る所住む
所,油小路ぶら小路,パイポパイポ,パイポのシューリンガイ,シューリンガイのグーリン
台,グーリン台のポンポコナア,ポンポコナアの長久命,長久命の長助(池田弥太郎『日本
故事物語』所収)
」子どもが得意げに唱える姿がとても印象的だった。
このテーマを設定したきっかけは,NHK で放送されている“にほんごであそぼ”という
教育番組に興味をもったことである。
「番組を通して,日本語の豊かな表現に慣れ親しみ,
楽しく遊びながら『日本語感覚』を身につけてもらうことをねらいとしています。それが,
コミュニケーション能力や自己表現する感性を育てると考えるからです。
」と番組のホーム
ページに記載されていた。この番組を見ることを通し,ことばの遊び方の多様性に魅力を感
じた。また,子どもたちに日本語のおもしろさや美しさを伝えることの意味を考えさせられ
た。
また,コミュニケーション能力が低下している現代の子どもたちが,ことば遊びを通して,
自分の考えや気持ちを「ことば」で表す力を身に付けられるのではないかと考えた。この考
えのもと,子どもたちが一日の多くの時間を費やす“学校で”ことば遊びを活用することが
効果的なのではないかと考え,実践を中心とした研究をしようと決めた。
第 1 章では,ことば遊びの定義・種類・効果を文献を参考にまとめ,研究する上での基盤
を築く。
(ことば遊びを体系化した初の総合大辞典を主要文献として使用する。
)
第 2 章では,学校教育に焦点を当て,学習指導要領の中からことば遊びに関連する要素
を抜き出していく。また,1 年生から 6 年生までの国語科教科書(光村図書・教育出版の計
2 社)を研究し,ことば遊びの要素がある題材を抜き出し,ことば遊びにはどのような目的
があるのかまとめていく。
第 3 章では,特別教育実習に行かせていただいている町田市立町田第一小学校の子ども
たちとことば遊びを実際に行い,そこから考えられること・気付いたことなどをまとめてい
く。45 分の授業にとらわれるのではなく,授業の最初や最後,朝のモジュールや放課後を
使い,様々な実践からことば遊びについて考察していきたい。また,ことば遊びを行うこと
は,どのような意味があるのか,自分の考えをまとめていきたい。
48
学校教育におけることば遊び
第 1 章 ことば遊びについて
第 1 節 ことば遊びの定義と歴史
ことば遊びの定義には様々ある。その中でも,ことば遊びに関する新旧ほとんどの事項を
おぎ う まち や
収め,解説と用例が豊富に挙げられている,荻生 待 也氏の『図説ことばあそび遊辞苑』から,
ことば遊びについて定義する。
言葉遊びとは,言葉の意味・発音・リズム・表記・形質などを利用し,さまざまな形を遊
戯化したものである。
(中略)言葉遊びの最大の魅力は,人が自身に内存している遊びの
精神と直接結びつく点にある。エンピツと紙さえあれば誰もが手作りできる。ことばを
遊具に取り込んで,自在に使いこなす楽しみは格別である。その点,日本語の表記・表
現の多様性と奥行きの深さは,ことばを知的遊戯化するうえで恵まれた特性を備え,こ
の遊びの形質をより多彩なものにしている。
(p.13)
定義の中の「自身に内在している遊びの精神」とは,一体いつの時代から存在しているのだ
ろうか。次にことば遊びの歴史について目を向けていく。同書には以下のように書かれている。
(前略)
「スフィンクスの謎」という話の中に謎かけが登場する。ことば遊びは四千年前
も前の古代ギリシャに芽生え,多くの都市国家において娯楽としての形態をととのえた。
(p.13)
次に,日本におけることば遊びの変遷について目を向けていく。同書には次のように述べら
れている。
日本でも言葉遊びの黎明が早々と『古事記』上つ巻に現れている。
(中略)古事記成立
(七一二)から『万葉集』の時代(八世紀後半)へと移っても,言葉の遊戯化にさしたる
進展は見られない。
(中略)万葉仮名に見るように,日本語の表記は未発達なままで漢字
借用一辺倒であったから。言の葉戯れにとって大きな制約となった。しかし,
平安に入り,
音節文字と片仮名と平仮名が考案され普及すると,和語の表記にとって一大変革となる。
さらに平安中期,漢字仮名混じりの和文体が王朝文学を中心に定着するようになると,日
本語の言語遊戯は一挙に花開く。つれて,語り言葉と文字の双方にまたがり,いわゆる
遊戯文学が盛りを迎える。
(中略)鎌倉時代に芽生えた連歌は,
室町時代には「俳諧の連歌」
というより卑俗な文芸を生み出し,さらに近世に入り俳諧・雑俳などの短詩文芸分野を
形作る。
(pp.13-14)
古事記成立から室町時代までのことば遊びの変遷について同書を参考にまとめていった。文
字の確立がことば遊びの形態変容に大きく関係していることがわかる。
江戸時代に至ると,言葉遊びの主役は〈洒落〉以外の何ものでもなくなる。
(中略)江
49
戸期に限定して見る限り,言葉遊びとは,庶民の「雑草言の葉」の集成といえる。
(中略)
庶民の世間話や与太が,戯作やかわら版や落書が,数々の優れた言語遊戯を生み出した
のである。明治・大正期の言葉遊びは,多くが先人の残した伝統の踏襲にすぎない。
(中略)
開国に伴う西洋文物の移入とあわせて,
〈アナグラム〉
〈プロパティ〉などの斬新な西欧技
法が相次いで導入されたことは注目に値する。
(pp.14-15)
ここへきて,私たちに身近なことば遊びが出現してきた。江戸時代の庶民の楽しみが,現代
のことば遊びの代表的なものを構成していることがわかる。第 2 節では,多様なことば遊びを
系統別にまとめていく。
第 2 節 ことば遊びの種類
ことば遊びと聞くと,早口ことば・なぞなぞ・しりとり・回文・ダジャレ・覚え歌など,自
分が遊んだ経験のあるものしかイメージできなかった。しかし,文献(前出『遊辞苑』
)を基
に調べていくと,18 系統・490 余項ものことば遊びがあることがわかった。
以下,18 系統のことば遊びの定義と,例をまとめていく。
(1)折句
和歌・狂歌・俳句等の各冠(頭)など,特定の箇所に配置された文字頭音をつづると,それ
だけで意味のある語句になるものを“折句”という。
《江戸いろはかるた》
(い)犬も歩けば棒に当たる
(ろ)論より証拠
(は)花より団子
(に)憎まれっ子
(ほ)骨折り損のくたびれもうけ
(2)アクロスティック
詩文・詞章で各行・各句の頭尾あるいは特定箇所の定置文字をつづるとまとまった意味の文
句になるものを“アクロスティック”と総称している。
《ダブルアクロスティック》
の
廻
は
ア
で
精
丸
*アクロスティック広告・朝日麦酒株式会社『朝日新聞』
三
ッ
矢
サ
イ
ダ
一
1950 年 6 月 30 日
倍
て
鱈
ヒ
っ
し
日
は
飲
に
ビ
杯
た
仕
旨
む
遊
―
や
あ
事
い
酒
び
ル
る
と
に
50
学校教育におけることば遊び
(3)音数遊び
音節数をあらかじめ決めておく,つまり音標表現の範囲に一定の制限を加える類の遊戯系“音
数遊び”という。
《数え唱え》
二十数え(伝承)
1 2 3 4 5 6 7 8 9 10
あ け ま し て お め で と う
ま け ま し て お き の ど く (これで二十)
(4)無同字歌
俳句や詞章などで同じ字音を二回使わずにつづったものを“無同字歌”という。
《いろは歌》
いろはにほへと ちりぬるを わかよたれそ つねならむ うゐのおくやま けふこえてあさ
きゆめみし ゑひもせす
(5)アナグラム
ある語句のつづりを一字ずつ分解し,そのすべてを使って,まったく別の語句に仕立てるも
のを“アナグラム”という。
《アナグラム 暗号》
る
あ
う
と
き
よ
ひ
と
り
は
の
て
。
で
お
す
つ
い
こ
か
あ
も
け
だ
ね
*左下「あ」を起点に,
時計回り渦巻き中心の「。
」へと読み下す。
(荻生作)
(6)尻取り
前の句の尻の一~三音節を次の句の頭に用い次から次へと言葉を連ね結んでいく遊びを“尻
取り”という。
《終わりのない歌》
ひーらいたひーらいた(伝承童歌)
♪ひーらいたひーらいた なんのはなが ひーらいた れんげの花がひーらいた
ひーらいたとおもったら いーつのまーにかつーぼんだ
51
(7)秀句
秀句には大きく二義がある。一つは一般的に知られている歌俳や詩文の批評用語で,優れた
作品のものをさす。もう一つは,座興をはじめ芸能,あるいは中・近代の咄本などで,
〈掛詞〉
や〈縁語〉を用いて表現する滑稽を“秀句”という。
《空言》
昔話より「空ごとばなし」
八十になる一人娘が,豆腐の角で怪我をし,こんにゃくのそらべら(削りくず)がのどに立っ
たので医者にいくと「千里山奥のはまぐりと千里浜辺のこうたけを取ってきて,水で焼いて日
で溶かし,明日の朝付ければ今日治る」と言った。
『日本昔話通観』19 奥山
(8)洒落
洒落という言葉は,用いられる状況に応じて次の三重構造をもつ。①一般にいう洒落。気の
きいた服装や格好よく見栄えのする言動をとる場合に用いる。②文学上の洒落。頓知・滑稽・
風刺など笑いを誘うようなエスプリと作品をさす。③言語遊戯の洒落。同音異義語や類音語
を使い,音義の変換に導くことによって,元の語句を別義に仕立て笑いをいざなう用法全般
をさす。すなわち,洒落こそ言葉遊びの動脈といっても過言ではない。
《駄洒落》
古典笑話より
「また時雨が降り出した。此下はお這入りなされ」
「こりや傘じけない」
も
(9)捩じりとパロディ
ことわざや詞章などの一部または全部を寓意的に同音異義語で差し替え滑稽を表現する技法
を“捩り”という。
《捩り ことわざ》
意地の上でも残念←石の上にも三年
杏より梅が安し←案ずるより産むが易し
(10)謎なぞ
ある事柄を答として用意しておき,それを隠蔽 ( へい ) した問を相手に発して,推察により
応えさせる遊びを“謎なぞ”と総称している。言語遊びの中では歴史が最も古く「何ぞ何ぞ」
と問うたのが語源である。
《二段なぞ》
伝承の二段謎
・すわると高くなり,立つと低くなるものは? 天井
・上は大水,下は大火事なものは? お風呂
《三段なぞ》
52
学校教育におけることば遊び
成熟期のもの
・焼け石に水とかけて 酔ざめととく 心は……乾き(渇き)が早い 『当時流行 なぞなぞ合』
・いろはにほへととかけて 盛り過ぎの桜ととく 心は……散りぬる前だ 『なぞかけ』
たと
(11)譬え
よそ
ある物事を他の物事に比えて表すことを“譬え”という。言語遊戯での譬えは暗喩に大別される。
《譬え言》
『譬喩尽より』
・石が流れて木の葉が沈む→世間の逆行現象,理不尽なこと。
・ナメクジの江戸付き→まどろっこしい場合の表現。
(12)連想遊び
山につれて川,初夢につれて宝船といったように,ある想念につられて関連する他の想念を思
い浮かべることを〈連想〉という。
“連想遊び”は連想を言葉遊びに反映させたものの総称である。
《突飛並べ》
ことわざより
・男心と秋の空(変わりやすい)
・女房と畳(新しいほどよい)
(13)早口
正確に発音しにくい言葉や類似発音を重ねるなどして,一段と言いにくいように作り,その文
句をいかに早く誤りなくしゃべれるか競う遊びを“早口”という。
《早口 文句》
伝承の早口文句
・裏庭には二羽,庭には二羽にわとりがいる
現代の早口文句(伝承)
・東京都特許許可局強化課却下係
(14)回文
頭から読んでも尻から読んでも同じ音で,
どちらも無理なく意味が通じる語句や文章を“回文”
という。
かいぶん ざっぱい
《廻文 雑俳》
近代川柳(投稿作品が中心)
・いらわれて年など無しと照れ笑い
・今朝花見旦那はなんだ皆は酒
53
・忠義だが知らず珍し敵討ち
(15)文字遊び
言語遊戯のうち文字に関するものを“文字遊び”あるいは“文字遊戯”と総称し,一系を成
している。
《漢字覚え歌》
・五文字覚え(旁)
伝 小野篁
♪はるはつばき なつはえのきに あきひさぎ ふゆはひいらぎ おなじくはきり
(椿,榎,楸,柊,桐)
(16)数と計算の遊び
“数と計算の遊び”は,言語遊戯のうち数・数字・計算が深く関与する領域を取りまとめた系
統である。
《漢字算法》
数字専科のもの
・13 ÷ 3 X= 国名 解は「武蔵」
む さ し
[ 註 ] 十三を三分すると六三四
・
(12 × 1)+30 X= 食物 解は「田楽」
とうふ
ひ
み そ
[ 註 ] 十二を一(火)にかけて三十を加えるから。
(ともに『日本文学遊戯大全』
)
(17)命名遊び
名付けを言語遊戯化することを“命名遊び”と総称している。
《長名》
寿限無寿限無,五劫の摺切れ,海砂利水魚の水行末,雲行末,風来末,食う寝る所住む所,油小
路ぶら小路,パイポパイポ,パイポのシューリンガイ,シューリンガイのグーリン台,グーリン
台のポンポコナア,ポンポコナアの長久命,長久命の長助 (池田弥太郎『日本故事物語』所収)
(18)ことばあそび落穂拾い
これまでの 17 系統にわたる言語遊びのうち,いずれかの章に繰り入れることができなかった
遊びの集成である。
《茶化し》
子供のからかい文句(東京下町の伝承)
お前の母さん,でーべーそ。
《以上の参考文献:荻生待也(2007)
『図説ことばあそび遊辞苑』遊子館》
第 3 節 ことば遊びの効果
藤田慶三氏は,自身の著書『ことば遊びで語彙を豊かにする』において,ことば遊びについ
54
学校教育におけることば遊び
て以下のように述べている。
「遊び」は「勉強」と対比して受け取られる。勉強は計画的であり,規範的であり,拘
束的である。
「勉めなければならないし,強いられる」性質をもっている。遊びはその逆
であり,随時性があり,自由で恣意的であり,リラックスして取り組めるという性質を
もっている。そして,何度も繰り返しできるし,魅力があり,楽しい。何よりも「体力」
と「言語能力」は,このような遊びの中で育てることがもっとも自然であり,無理のな
い調和のとれた発達が期待できる。言語能力を育てる「ことば遊び」は,
「ことばによる
遊び」ではあるが,
「ことばの遊び」でもある。ことばを使うことをめあてとして遊ぶ「遊
び」であることばの遊びに楽しんで取り組んでいくうちに,子どもたちは,生活に生き
てはたらくことばを学んでいく。
(中略)現在,ことばがことばとしての機能を果たさなくなってきていると言われる。
楽しいことば遊びを通して美しい日本語を自覚し,生活に生きてはたらく日本語の使い
手を培っていきたいと考える。
(pp.1-3)
藤田氏は「遊び」と「勉強」を対比して考えている。しかし,藤田氏の言う「生活に生きて
はたらくことばを学ぶ」というのは,学習の意義でもあると考える。そこで,勉強の中に遊
びの要素を取り入れたら,学習の効果はより上がるのではないかと考える。
「遊び」と「勉強」
は対立するものではない。そのため,学校教育の中で積極的にことば遊びを実施していくこと
に意義があると考える。
また,鈴木清隆氏は,自身の著書『ことば遊び,五十の授業 子どものことばは遊びがいの
ち』において,ことば遊びについて以下のように述べている。
ことば遊びは,学校教育のなかではまだ根づいていません。遊びは遊びであり,知識に
はならない,ゲームや遊びは学ぶことの苦痛をやわらげる補助手段,といった考えが圧
倒的なのではないでしょうか。しかし,一回でも子どもたちとことば遊びを遊んだかた
ならおわかりだと思いますが,遊ぶことそのものが豊かなことばの体験を子どもたちに
もたらします。遊ぶなかで,ことばのリズムやことばの法則を発見し,ことばとことば
の結びつきのおもしろさに気づく。無味乾燥と思っていた一つ一つのことばが組み合わ
せの仕方ひとつで躍りだすことを知る。ことばを音声にすることで,ことばの音のもつ
未知の世界に踏み込む。ことばと遊ぶことで,いままで気づかなかった自分の内面世界
が表出される。そんな一つ一つの体験が,こどもを自分のものにしていく基礎を子ども
の中に養っていくことにあります。
(中略)ことば遊びはことばの根っ子であり,そこからことばの幹が育ち,葉が茂り,
花が咲いていくことでしょう。
(pp.273-274)
鈴木氏の意見は藤田氏の意見に沿っている。しかし「ことば遊びは,学校教育の中に根付い
55
ていない」と言っている点で,ことば遊びを学校教育に取り入れるという私の考えの参考にな
る。ことばの美しさやおもしろさなどの魅力に気づくことで,子どもたちが学習に取り組む姿
勢に変化が現れるのではないか。そのためには,教師自身がことば遊びの価値や意味について
十分に知っておく必要がある。
また,広野昭甫氏は,自身の著書『学習意欲を高める ことば遊びの指導』において,こと
ば遊びの効用を以下のように述べている。
楽しみながらことばを増やしてゆく,わくわくしながら語感が磨かれていく―これが,
教室におけることば遊びの本領といってよいかと思います。まさに一石二鳥の学習の姿
ですが,さらに効用を区分けることができます。
第一に,子どもたちの学習への姿勢が積極的になり,生き生きとしてくるということ
です(中略)第二に,
子どもたちの頭の中が躍動的にはたらいているということです。
(中
略)第三に,自分だけでなく,他の人をも楽しませる効用があります。第四の効用として,
共同学習の楽しさ,すばらしさを会得させることができる,ということがあげられます。
(中略)第五に,ことば遊びの生活化ということです。たとえば,生徒会のスローガンや,
各委員会からの呼びかけの文言に工夫をさせよう,
というようなものです。
(中略)第六に,
余暇の善用に役立つということです。
(後略)
(pp.7-8)
「ことば遊びの本領を発揮する場が教室」という言葉がとても印象深い。子どもは様々な環
境に接するが,一番多くの時間を費やすのは学校である。子どもが「楽しい。
」と感じる授業
は「ワーワー」
「キャーキャー」騒いで,笑顔がたくさん溢れた授業では決してない。楽しい
授業とは,
「できた。
」
「わかった。
」がたくさんある授業である。できた,わかったという実感
が子どもの学習意欲を向上させるものだと考える。ことば遊びを授業で実施する際に十分に気
をつけなければならないことは,ただ単に「楽しかった。
」で終わらせない,ということである。
理解が伴った遊びを目指す必要がある。
また,ことば遊びは様々な場面で使用されている。広告や CM,レクリエーション,そして
学習。ことば遊びの種類や定義を把握した上で,目的に合ったことば遊びを使用する必要があ
る。そこで,第 2 章では,学習指導要領にことば遊びはどのように記載されているのか,教科
書にはどのような目的でことば遊びの要素を活用しているのかを調べる必要がある。
第 2 章 学校教育におけることば遊び
第 1 節 小学校国語科教育におけることば遊び
ことば遊びは様々な場面で活用することができる。
「数と計算の遊び系ことばあそび」は算
数学習の一助になる。また,私は小学校の時に,社会(歴史)の時代を覚える際に,歌にあわ
せて唱えることで暗記した。これは「覚え歌」の要素が含まれている。このように,ことば遊
びは各教科の学習に関連する。その中でも,国語は言葉を学び,磨く教科であるため,ことば
56
学校教育におけることば遊び
遊びを活用する場面が多いのではないかと考える。
まずは,小学校学習指導要領解説・国語編の中から,ことば遊びの要素が含まれているもの
を抜き出してみたい。なお,
平成 20 年 3 月 28 日改正・公示,
平成 21 年 4 月 1 日から移行措置,
平成 23 年 4 月 1 日から全面実施する学習指導要領を参考にする。
ことば遊びの要素は,
【伝統的な言語文化と国語の特質に関する事項】の中に多くみられる。
学習指導要領の記述には次のように定められている。
[伝統的な言語文化と国語の特質に関する事項]は,我が国の歴史の中で創造され,継承
されてきた伝統的な言語文化に親しみ,継承・発展させる態度を育てることや,国語の
果たす役割や特質についてまとまった知識を身に付け,言語感覚を養い,実際の言語活
動において有機的に働くような能力を育てることに重点を置いて構成している。
言語文化とは,我が国の歴史の中で創造され,継承されてきた文化的に高い価値をも
つ言語そのもの,つまり文化としての言語,また,それらを実際の生活で使用すること
によって形成されてきた文化的な言語生活,更には,古代から現代までの各時代にわた
って,表現し,受容されてきた多様な言語芸術や芸能などを幅広く指している。今回の
改訂では,伝統的な言語文化に低学年から触れ,生涯にわたって親しむ態度と育成を重
視している。
【伝統的な言語文化と国語の特質に関する事項】は,
〈ア 伝統的な言語文化に関する事項〉
〈イ
言語の特徴やきまりに関する事項〉
〈ウ 文字に関する事項〉
の 3 つの事項で構成されている。
それぞれの内容と構成は以下の通りである。
ア 伝統的な言語文化に関する事項
低学年では,昔話や神話・伝承などの本や文章の読み聞かせを聞いたり,発表し合っ
たりすること,中学年では,易しい文語調の短歌や俳句について,情景を思い浮かべたり,
リズムを感じ取りながら音読や暗唱をしたりすることや,長い間使われてきたことわざ
や慣用句,故事成語などの意味を知り,使うこと,高学年では,親しみやすい古文や漢文,
近代以降の文語調の文章について,内容の大体を知り,音読することや,古典について
解説した文章を読み,昔の人のものの見方や感じ方を知ることを示している。
イ 言語の特徴やきまりに関する事項
言葉の特徴やきまりに関する事項は,次のように構成している。
○言葉の働きや特徴に関する事項
○表記に関する事項
○語句に関する事項
○文及び文章の構成に関する事項
57
○言葉遣いに関する事項
○表現の工夫に関する事項
ウ 文字に関する事項
文字に関する事項は,次のように構成している。
○仮名の読み書きや使い方に関する事項
○漢字の読み書きや使い方などに関する事項
○文字文化に関する事項
次に,各学年の【伝統的な言語文化と国語の特質に関する事項】の事項別,内容解説を抜き
出していく。指導要領に記述されている,授業例や定義を中心に参考にしていきたい。
◇各学年の内容◇
第 1 学年及び第 2 学年
ア 伝統的な言語文化に関する事項
(前略)低学年では,まず,読み聞かせを聞くことで,伝統的な言語文化に触れることの楽
しさを実感できるようにすることが大切である。話の面白さに加え,独特の語り口調や言い回
しなどにも気付き親しみを感じていくことを重視する。
イ 言葉の特徴やきまりに関する事項
言葉の働きや特徴に関する事項
(イ)
(前略)日本語のアクセントは,一般に音節(拍)の高低として理解される。
「アクセン
トによる語の意味の違い」とは,
「橋」と「箸」
,
「雨」と「飴」など,同音の語でもアクセン
トによって意味が異なる場合があることを指している。
(ウ)
(前略)
「意味による語句のまとまり」とは,ある語句を中心として,同義語や類義語,
対義語など,その語句と様々な意味関係にある語句が集まって構成している集合である。例え
ば,果物の名前を表す語句,気持ちを表す語句などは,相互に関係のある語句として一つのま
とまりを構成している。
使用する語句の量や範囲を広げながら,語句相互の意味関係を理解するようにして,同義語,
上位・下位語,同音異義語,多義語などの学習に発展させる指導が求められる。
文及び文章の構成に関する事項
(カ)
「主語と述語との関係」とは,主語と述語との照応関係を指す。
(中略)文の意味を明確
に伝えるためには,主語と述語とが照応することが大切であるということについて,文章を読
んだり表現したりするとき強く意識できるように指導することが必要である。
ウ 文字に関する事項
(イ)
(前略)第 1 学年の配当漢字には,象形文字や指示文字が多く含まれているので,漢字の
58
学校教育におけることば遊び
字形と具体的な事物(実物や絵など)とを結び付けるなどの指導を工夫し,漢字が表意文字で
あることを意識しながら,漢字に対する興味や関心を高められるようにする。
第 3 学年及び第 4 学年
ア 伝統的な言語文化に関する事項 (ア)短歌の五・七・五・七・七の三十一音,俳句の五・七・五の十七音から,季節や風情,
歌や句に込めた思いなどを思い浮かべたり,七音五音を中心としたリズムから国語の美しい響
きを感じ取りながら音読したり暗唱したりして,文語の調子に親しむ態度を育成するようにす
ることが重要である。
(イ)
(前略)これら(
「ことわざ」
「慣用句」
「故事成語」
)によっては,先人の知恵や教訓,機
知に触れることができる。言語生活を豊かにするために,これらの言葉の意味を知り,実際の
言語生活で用いるようにさせることが大切である。
イ 言葉の特徴やきまりに関する事項
表記に関する事項
(ウ)例えば,
「泳いだ」の「泳」という漢字を学習する際には,
「泳がない」
,
「泳ぎます」
,
「泳
ぐ」のように活用させながら,送り仮名についても学習できるようにする。また,一つ一つの
具体的な語の送り仮名の指導をするだけでなく,その学習を通して,活用語尾を送るという送
り仮名の原則的な付け方についても理解を促して,活用についての意識をもつようにする。
(エ)
(前略)句読点は,文の構成と関係している。特に,読点は,低学年で取り上げたように,
意味を明確に伝えるために,文頭の接続詞などの後,主語の後,従属節の後,並列する語の後
などに適切に打つことが求められる。中学年では,それらに加え,文を読みやすくまた分かり
やすくするために,文脈に合わせて適切に打つことができるように指導する。
語句に関する事項
(カ)
(前略)中学年においては,辞書を利用する能力や態度を育て,習慣を付けるために,国
語辞典や漢字辞典などの使い方を理解するとともに,必要なときにはいつでも辞書が手元にあ
り使えるような言語環境をつくっておくことが重要である。また,国語科に限らず,他の教科
等の調べる学習や日常生活の中でも積極的に辞書を利用できるようにすることが大切である。
文及び文章の構成に関する事項
(キ)
(前略)中学年では,
主語と述語に加え,
修飾と被修飾との関係をはっきりさせるとともに,
「だれが」
,
「いつ」
,
「どこで」
,
「なにを」
,
「どのように」
,
「なぜ」などという文の構成について,
初歩的な理解ができるようにする。
ウ 文字に関する事項
(ア)ローマ字表記が添えられた案内板やパンフレットを見たり,コンピュータを使う機会が
増えたりするなど,ローマ字は児童の生活に身近なものになっている。これらのことから,こ
59
れまでは第 4 学年であったものを,今回の改訂では,第 3 学年の事項とし,ローマ字を使っ
た読み書きがより早い段階においてできるようにしている。
(後略)
(イ)中学年では,
「へん」
,
「つくり」
,
「かんむり」
,
「あし」
,
「たれ」
,
「かまえ」
,
「にょう」な
どの部首と他の部分とによって漢字が構成されることを知るとともに,実際の漢字についてそ
の構成を理解することを示している。
(後略)
第 5 学年及び第 6 学年
ア 伝統的な言語文化に関する事項
(ア)これら(
「古文や漢文,近代以降の文語調」
)の文章には,独特のリズムや長い年月を経
て培われてきた美しい語調が備わっている。音読することにより,その美しさや楽しさを感覚
的に味わうことができる。
(中略)教材に合わせて暗唱や群読を取り入れるなど読み方を工夫することが必要である。古
文や漢文は,読んで楽しいものであること,自分を豊かにするものであることを実感させるよ
うにする。
(イ)古典を解説した文章を読むことによって,それぞれの時代における人々がどのようなも
のの見方や感じ方をしていたのか,伝統的な言語文化がどのように変遷してきたのかを,生活
や文化とともに知ることができる。解説の内容を基に,昔の人々の生活や文化など,古典の背
景をできる限り易しく理解させ,昔の人のものの見方や感じ方に関心をもたせたり,現代人の
ものの見方や感じ方と比べたりして,古典への興味・関心を深めるようにすることが重要であ
る。また,言語文化への興味・関心を深めるために,能,狂言,人形浄瑠璃,歌舞伎,落語な
どを鑑賞することも考えられる。
イ 言葉の特徴やきまりに関する事項
言葉の働きや特徴に関する事項
(ア)音声は,発せられた途端に消えていくので,話し言葉は遡って内容を確認することがで
きない。このことによって,複雑な構文や誤解されやすい同音異義語を避けるなど,様々な表
現上の特質が生まれる。聞き手や場面の状況の影響を強く受けながら表現及び理解が進められ
るという特質もある。
書き言葉は,読み手が文や文章を繰り返し確認することができる。使用される語彙や,文や
文章の構造なども話し言葉と違いがある。また,
「器官」と「機関」
,
「機械」と「機会」など,
意味の違いを漢字の使い分けで表すことができる。こうした両者の違いについて気付かせるこ
とは,それぞれの特質に配慮した使い分けを身につけるための基礎を養うことになる。
表記に関する事項
(ウ)
(前略)仮名遣いについても,
語句の構成などに注意して指導するようにする。例えば,
「鼻
血(はなぢ)
」と「地面(じめん)
」
,
「みずうみ(湖)
」と「みかづき(三日月)
」などの区別を
60
学校教育におけることば遊び
付けて,正しく表記できるようにする。
語句に関する事項
(エ)語句の構成については,お米の「お」のような接頭語,お父さんの「さん」のような接
尾語のほかに,複合語,略語,慣用語なども含んでいる。このような語句の構成や変化を,意
味とのかかわりを大切にしながら理解することにより,語句の使用が一層豊かになるよう指導
することが大切である。
(オ)
(前略)このような語句と語句との関係を理解することは,語感を高めたり,言語感覚を
豊かにすることにもつながり,また自分が話したり書いたりする力を高めることにつながる。
(カ)語感や言葉の使い方の感覚に関する指導は,言葉のリズムをはじめ,語や語句の使い方,
文や文章の表現の柔らかさ,美しさなどに対する感覚について,各学年を通じて指導が積み重
ねられており,特に重点を置く学年が高学年であるということである。語感には,言葉の正し
さや美しさだけでなく,文や文章を含めて,実際にその言葉が使われる際に,適切であるかど
うかを感じ取る感覚も含んでいる。多くの文章を繰り返し読んだり,優れた表現を抜き出した
りする活動を取り入れるとともに,日常生活の中での話すこと・聞くこと,書くことの場面で,
語感や言葉の使い方を意識させることが大切である。
言葉遣いに関する事項
(ク)丁寧な言葉の使い方については,中学年までの指導を受けて,高学年においては,相手
と自分との関係を意識させながら,尊敬語や謙譲語をはじめ,丁寧な言い方などについて理解
することが大切である。
第 2 節 教科書におけることば遊び
第 1 節では学習指導要領解説・国語編の中から,ことば遊びの要素が含まれているものを抜
き出していった。第 2 節では,子どもの学習に身近な教科書を研究していく。多数ある出版社
の中でも,全国で利用学校数が多い「光村出版」と「教育出版」の二社を選んだ。教科書(1
年生から 6 年生まで)の内容に,ことば遊びの要素が含まれているものを抜き出し,表に教科
書名・ページ数・単元名(教材名)
・内容・目的という項目でまとめていく。
目的とは,文献や〔伝統的な言語文化と国語特質に関する事項〕を参考に下記のように分類
したものである。
(ア)①伝統文化 (イ)①文法 ②語彙 ③音声
(ウ)漢字・ローマ字
計 5 つの目的に分類していく。また,複数の目的が混在していることも考えられるため,目
的は 1 つには絞らないようにする。学習指導要領は一つであるが,出版社によって教材内容は
異なる。そのため,目的を種類別に合計数を出すことで二社を比較することができるのではな
いかと考える。また,
「学校図書」で特徴的な内容を挙げていく。教科書分析の詳細は参考資
61
料に記載した(本論文を掲載するに当たり,この参考資料は割愛した)
。以下は,目的別に教
材を分類した結果である。
〔目的別合計〕
光村図書
ア 伝統
イ①文法
イ②語彙
イ③音声
ウ 漢字
合 計
1年
2年
3年
4年
5年
6年
合計
1年
2年
3年
4年
5年
6年
合計
0
2
6
3
0
11
1
0
7
2
7
17
0
1
8
1
10
20
3
1
11
1
9
25
2
0
10
1
10
23
3
0
10
1
10
24
9
4
52
9
46
110
教育出版
ア 伝統
イ①文法
イ②語彙
イ③音声
ウ 漢字
合計
1
1
11
1
1
15
0
0
5
1
8
14
1
2
6
1
9
19
4
2
6
2
9
23
2
1
8
3
9
23
3
2
7
3
10
25
11
8
43
11
46
118
第 3 節 考察
国語科学習指導要領・解説からことば遊びの要素が含まれているものを抜き出す作業を通し,
各学年で学習すべき内容(各出版社で記載すべき内容)について理解を深めることができた。
そのため,各学年においてのことば遊びの要素を含む題材数・目的数はほぼ同じであった。
しかし,教科書分析を行うことで,出版社の取り組んでいる工夫点が見えてきた。光村図書
は比較的,
学習の要素が強い。知識として身につけるべきことと,
知識の定着を図った遊び(
『カ
ンジーはかせ』シリーズ)のバランスが良い。
それに対して,
「遊び」の要素が強いのが教育出版である。それは,
『しょうがくこくご 1 ㊤ ひろがることば』から『小学国語 6 ㊦ ひろがる言葉』までの教科書の最後の折りこみページ
に大きく現れている。また,二社ともにある題材『かんじのひろば』を比較すると,光村図書
が 1 ページで取り上げているのに対し,教育出版では(学年,学習内容によって異なるが)2
ページ使用している。教育出版はイラストも華やかで,学習に取り組みやすい。
目的別合計を比較すると,イ②語彙とウ漢字を目的とした題材が二社とも多く見受けられた。
それに対して,教科書でもっと取り上げるべきだと思われるのが,イ①文法とイ③音声につい
ての学習である。文法は知識(きまり)として学習する要素が強いため,
「遊び」の要素を多
く取れるとよいのではないか。
光村図書での『ことばっておもしろいな』
,教育出版での『ふろく ことばの ぽけっと 62
学校教育におけることば遊び
ことばのあそび』にあたるものとして,学校図書では『ことばであそぼう』というものがある。
そこでは,直接的に早口ことばや回文,漢字しりとりなどが取り上げられていた。回文は 6 つ,
しゃれは 10 つの例文が挙げられていた。光村図書と教育出版と比較して多くの例文を取り上
げていることから,よりことば遊びに入っていきやすいように感じる。しかし,国語科の学習
はことば遊びを学習することが目的ではない。ことば遊びを活用して,どのような力を子ども
につけたいのかが重要である。その点が学校図書は明確ではない。
ここまで,学習指導要領や教科書を読み深めることで,ことば遊びの“目的”について考え
てきた。それについて,向井吉人氏は自身の著書『授業への挑戦 149 ことば遊びの授業づく
り』で以下のように述べている。
なぜ教室で遊ぶのか。
(中略)
まず第一に,
創作。さまざまな技法を駆使することによって,
思いがけない空想やナンセンス,メルヘンが作り出される。経験や心情が中心の作文と
はちがう楽しみである。
(中略)
つぎに音読。これは教室でないとできない,大勢で読んだり,掛け合いをしたりとい
う楽しみ。
(中略)技法にもとづく創作や作品の作り替えのような過程は,子どものやり
取りが軸に展開される。そのやりとりのなかで,飛びかうことば,文句のおもしろさは,
筆舌に尽くしがたい。
第三に日本語教育という視点から,リズム,語彙,文法など,特定の指導内容を決めて,
それに即して<ことば遊び>をセレクトして授業することができある。
(中略)ただ,教
育とか授業とかを意識するあまり,遊びを形式化し,形骸化させてしまうことのないよ
うにしたいものだ。
(中略)
教室でことば遊びを楽しむことに,妙に意義づけ,理由づけしていくと,楽しさを失っ
ていくのではないかというパラドックスを忘れてはならない。
(pp.12-14)
目的を意識しすぎると楽しさを見失う。目的を意識した「勉強」と,目的を意識しない「遊
び」の 2 場面でことば遊びを実践することで,ことば遊びの意義について考えが深まるのでは
ないかと考える。そこで第 3 章では,国語科授業でことば遊びの実践と,授業外でのことば遊
びを実践し,考察していく。
第 3 章 ことば遊びの実践
第 1 節 実践について
これまでに,学校教育でことば遊びを実践する意義について考え,学習指導要領や教科書分
析を行ってきた。多様なことば遊びがある中,代表的なものは学習内容(教科書)に含まれて
きたことがわかった。また,ことば遊びは国語科学習で多く見受けられるが,授業外で実践す
ることで,子どもたちの緊張や遠慮なしに反応を見ることができるのでないかと考える。
私は,東京教師養成塾生として,1 年間を通して町田市立町田第一小学校で実習をさせてい
63
ただいている。先生方のご理解もあり,担当学級の児童を研究対象として,ことば遊びを実践・
観察をすることができた。この恵まれた環境を十分に生かし,ことば遊びの価値について考え
ていきたい。また,授業を通してのことば遊びと,それ以外のリラックスした場面でのことば
遊びを比較し,第 1 章・第 3 節で述べた「遊び」と「勉強」について考えていきたい。
第 2 節 実践の記録
(1)『カンジーはかせの大はつめい』(光村図書・二年上)授業実践
この題材は
「カンジー博士」
の発明品をもとに展開していく。光村図書ではこの 2 年生上
(
『カ
ンジーはかせの大はつめい』
)から 6 年生下(
『カンジー博士の漢字クイズ大会』
)までにわた
って計 5 回(各学年 1 回)
,カンジー博士が登場してくる。その最初の授業を,平成 22 年 10
月 8 日(金)第 3 校時・2 年 2 組の児童(欠席 2 名)対象に研究授業で実践させていただいた。
カンジー博士の単元は,漢字学習の中にも合体機械(ブラックボックス,弓矢)
,かるた,
しりとり,暗号解読,クイズなどを取り入れるなど,ことば遊びの要素が見られる。これは,
光村図書の特徴として挙げられる。そこで,
「遊び」を「勉強」に取り入れた授業とは,どの
ような長所・短所があるのかを実践を通し考えていきたい。
以下に学習指導案を記載し,掲示物・教具の写真(解説)
,授業の工夫点や反省点,子ども
の様子をまとめていく。
* * * * * * *
第 2 学年国語科学習指導案
平成 22 年 10 月 8 日(金)第 3 校時
町田市立町田第一小学校
第 2 学年 2 組 計 35 名
授業者 西田 美樹
1 単元名 「カンジーはかせの大はつめい」
2 単元の指導目標
漢字クイズを楽しみながら,漢字を正しく読んだり書いたりする。
3 単元の評価基準
学習活動に即
単元の
した具体的な
評価規準
評価規準
ア 関心・意欲・態度
イ 言語についての知識・理解・技能
・漢字を書いたり読んだりすることに ・第 1 学年に配当されている漢字を書くとともに,
意欲をもち,楽しもうとしている。 第 2 学年に配当されている漢字を漸次書いている。
①既習漢字を使って,意欲的にクイズ
作りに取り組んでいる。
②進んで漢字 2 文字を組み合わせて熟
語を作っている。
①漢字の構成を理解しながらクイズを作っている。
②漢字を正しく読み,漢字には色々な読み方があ
ることを理解している。
③熟語を正しく作り,読んでいる。
64
学校教育におけることば遊び
4 指導観
(1)単元(教材)について
本教材は,本教材全体を通しての漢字学習キャラクターであるカンジー博士が楽しい発明を
したことをきっかけに漢字学習が展開するという構成になっている。本教材は大きく分けると,
漢字の構成と熟語作りの二つの部分からなっている。漢字の構成では,漢字は部分の組み合わ
せからできていることに気づかせたい。そのことが部首の学習に繋がっていくとともに,漢字
を習得する大きな要素になっていくからである。また,熟語作りについては,一つ一つの漢字
の複数の読み方に気づかせる場を設けていきたい。他教材との関わりでは,漢字を楽しんで覚
えるということで,他学年のカンジー博士シリーズに繋がっている。また,漢字習得系統とい
うことでは,構成という点では「同じ部分を持つ漢字」
(二年上)と関連し,
「へんとつくり」
(3
年上)などの教材に繋がっていく。また,漢字の読み方という点からは,
「かん字の読み方」
(二
年下)に発展していく。
(2)児童の実態について
本学級は新出漢字の学習の際には,
「この漢字,以前習った漢字にどこか似ているところは
ないかな。
」といった言葉かけをしている。また,
「この漢字を使う言葉を言ってみよう。
」と
いった言葉かけもしており,児童は“ことば集め”の習慣がついている。そのため,児童は本
単元に取り組みやすいと考えられる。
しかし,漢字を書く際に音から入るため,意味の違いが曖昧な児童が多い。また,漢字学習
に意欲的に取り組んでいるが,習った漢字を忘れてしまう児童が多い。そのため,漢字の反復
練習が必要になってくる。児童はゲーム性やクイズ性の高い活動を好むため,楽しみながら漢
字の定着を図る。
5 指導計画(3 時間扱い)
時
︵本時︶
ねらい
学習活動
評価規準(評価方法)
・漢字の部分を組み合わせ ・漢字を合体させる機会でいくつかの部 ア-①(観察・発表)
1 ると新しい漢字ができるこ 分が組み合わさって漢字ができること イ-①(観察・ノート)
とを知る。
を知る。
・自分たちで漢字を合体させるクイズを
作り,解き合う。
・二つの漢字で言葉を作る ・カンジー博士の新しい発明「二つのか ア-②(観察・発表)
弓矢の絵や説明を理解し, ん字で,ことばをつくる弓矢」を使い,イ-②(観察・ノート)
漢字を正しく読んだり書い 二つの漢字が組み合わさると新しい言
2
たりする。
葉になり,読み方が変わることを売り買
いする。
・教科書の問題を解く。
・自分たちで熟語の問題を作 ・前時の言葉作りをもとに,自分たちで イ-③(観察・ノート)
3
り,みんなで答えを考える。 熟語の問題を作り,解き合う。
65
6 本時の指導(全 3 時間中の第 1 時間目)
(1)ねらい
漢字の部分を組み合わせると新しい漢字ができることを知る。
(2)展開
導入 展開 5
15
25
学習活動
指導上の留意点(・)
,評価規準(◇)
1 カンジー博士に出会い,漢字を合体させる ・児童の興味・関心を高めるために教師がカンジー博士
機械の使い方を知る。
に変装して,授業を展開させていく。
【問題】日+門→間
・漢字を合体させる機械を用意する。
2 本時の学習内容を知る。
かん字とかん字をがったいさせて,ちがうかん字をつくろう。
・合体機械に,漢字が書かれているカードを 2 枚入れて
3 合体機械を使って,問題を解く。
①「これとこれを入れます。さて何という漢 新しい漢字が書かれているカードが出る仕組みを説明
しながら見せる。
字が出てくるでしょうか。
」
・使ったカードは黒板に貼っていく。
【問題】
・ノートの書き方を確認する。
(縦書きで統一)
田+力→?
山+石→?
②「これとこれを入れたらこんな漢字が出て ・?のカードの裏側に答えを書いておく。
きました。さて何という漢字を入れたので ・問題を作るときは,①の形式で作ることを伝える。
しょう。
」
【問題】
生+?→星
糸+?→絵
4 自分で問題を作る。
5 自分で作った問題を発表する。
*他の児童が作った問題をノートに書く。
まとめ
40
6 次時の学習内容の確認をする。
45
カンジーはかせの大はつめい
+門 → 間
かん字とかん字をがった
日
+力 → 男
をつくろう。
田
+石 → 岩
い さ せ て, ち が う か ん 字
山
+日 → 星
66
かん字 → ちがうかん字
+
生
+会 → 絵
児童が作った問題
かん字
糸
(3)板書計画
・問題を思いつかない児童には,教科書巻末の既習漢字
の一覧表を見ても良いことを助言する。
・一人につき,3 枚紙を配布し,問題を書くように伝える。
(初めはノートに記入する。
)
・よくない例を出しながら,ルールを確認する。
〔評価規準イ-①〕
漢字の構成を理解しながらクイズを作っている。
(児童
の観察や記入内容の観察)
〔評価規準ア-①〕
既習漢字を使って,意欲的にクイズ作りに取り組んでいる。
(記入している児童や発表している児童の観察)
・次回の発明品に興味を持つような言葉かけをする。
・児童が作った問題を模造紙に貼り,掲示することを伝
える。
学校教育におけることば遊び
◇掲示物・教具◇
《写真①》
教室の後ろ全体を利用し,児童の作品を掲示
させていただいた。同じ漢字を使っている児
童が数人いたため,それらを離して貼るよう
に工夫した。
《写真②》
三枚目の答えとなる漢字を“?”で隠すことで,
答えがわかったら紙をめくって確認することが
できる。休み時間や放課後に遊んでいる児童の
姿が見られた。
《写真③》
合体機械の表(答えが出てくる様子)である。
この機会の仕組みを試行錯誤し,作成するの
に3時間要した。今後も使用できるように,
折りたためるようにした。
《写真④》
合体機械の中の様子である。箱内の筒状のも
のの中に紙を入れて,写真③の舌の部分から
出てくるという仕組みである。児童からは仕
組みが見えないように工夫した。
◇工夫点◇
授業を組み立てる上で①教師の服装,②合体機械,③説明の仕方,④掲示物の四点を工夫し
た。以下に詳しくまとめていく。
①は,子どもの興味・関心を引くために,私は白衣を纏い,めがねをかけ,帽子をかぶるな
どの変装し,博士なりきった。子どもたちは,私が教室に入ってくるなり,
「博士だ!!」
「西
田先生,何で変装しているの?」などの反応を見せた。普段は教師が変装して登場することが
ないため少し騒がしくなってしまったが,授業に引き込むことができた。
②は,実際に合体機械を作り,児童の発表の際にも使用できるようにした。子どもたち
67
は普段,このような教具を使用しないため,発表したいという意欲がわくのではないかと
考えた。
③は,漢字のクイズ形式( 田+力→? 生+?→星 )によって説明を分け,段階的に説明
していった。また,何を使用して書くのか,名前はどこに書くのか,発表する形式,今は何を
する時間なのかといった指示を明確に行うように意識した。
④子どもが書いた漢字を掲示し,
“?”がめくり答えを確認できる掲示物を作った。休み時
間や放課後に問題を解いている児童が見受けられた。授業中は発表することができなかった児
童の問題も掲示することで全体に紹介することができた。
◇反省点◇
授業をした上での反省点は,①教材研究不足,②児童の意欲,③児童の実態,④授業の展開,
⑤間違いの訂正の五点が挙げられる。以下に詳しくまとめていく。
①は,教材研究不足で部首(へんとつくり)についての指導が全くできなかった。ただ単に
漢字を分解するものだと児童は考え,口 + 十→田 口 + 十→古などのような作品を作った
児童が多く見受けられた。
②は,児童の授業への意欲をもたせるために作った合体機械が想像以上に好評で,使ってみ
たい,発表したいと言う児童が多く,収拾がつかなくなってしまった。そのため,授業のまと
めは疎かになってしまった。
③は,児童のわかるとすぐに答えを言いたくなるといった実態把握が不足していたせいで,
その対応策について考えられていなかった。
④は,カードを一枚ずつ黒板に貼っていくのは時間を要するなど,授業展開がスムーズに進
まなかった。
⑤の間違いとは,門 + 耳→聞といったように,正確には聞の中にある漢字は耳ではないこ
とを全体の前できちんと訂正できていなかった。
(掲示する際には本人には説明し,違う漢字
を書いてもらった。
)
◇子どもの様子◇
子どもたちは教師の格好や,合体機械にとても引き付けられている様子だった。そのため,
前に出てきて合体機械の仕組みを解明しようとする子が 2 名ほどいて,授業を何度か中断し
てしまった。何度か中断するうちに,子どもたちの中から「前に出るなよ。
」
「だめなんだよ。
」
という声が上がってきた。また,
ADHD と診断されているA君は,特に合体機械に興味を示し,
機械の舌の部分から漢字が出てくると「答えはジャジャーン,
“晴”です!!」と発表する役
割をし始めた。それに対しては文句を言う子はいなかった。
また,
「その発明品に名前はあるの?」と質問があった。
「まだ決まっていないから,後で名
前を募集しようかな。
」と言ったところ,授業中に 2 名,授業が終わった後に 3 名,紙に名前
※を書いて持ってきた児童がいた。
(※:べーべーくん,まつもとくん,かんじをだしますくん,
68
学校教育におけることば遊び
カンジーはかせのこぶん,おばおばけ)
授業の中盤になると,発表したいのに教師が指名しないことに文句を言ってくる子が目立っ
てきた。私は「ブーブー言う子は指しません。
」という態度を貫いた。すると,姿勢よく黙っ
て手を挙げる子が数名現れた。またその中から,指名してくれないと文句を言う子に対し,注
意や慰めのことばを言う子が現れた。発表できなくて拗ねていた子(2 名)も最終的には作品
を提出し,問題を解いて遊んでいる姿が見受けられた。
(2)モジュール・休み時間を利用した実践
◇お題しりとり◇
遠足のバスの中や給食中など,誰からということもなく始まるのがお題しりとりである。事
実,私の実習先の子どもたちが「食べ物しりとり」
「生き物しりとり」
「人の名前しりとり」な
どをしている風景をよく見る。お題のない一般的なしりとりではなく,お題を設けることで難
易度が上がり,何週も続いていくことが楽しいようだ。
しかし,同じことばを二回以上使ってよいのか,パスは何回までか,自分で考えたことばな
のではないか,などのルールが曖昧で口論になることがある。
◇早口言葉◇
実習先の 2 年生では,詩の学習の発展として「早口ことばのうた」
(藤田圭雄)を授業で取
り上げたことがあると聞いた。先生方にお聞きしたその時の子どもの様子や,子どもが私に披
露してくれた時の様子をまとめていく。下の詩は,子どもに配布したプリントの書き方をその
まま記述している。
早口ことばのうた
ふじ田 たまお
早口ことばを しってるかい
おやゆびしっかり にぎりしめ
くちびるじゅうぶん しめらせて
あたまをひやして しゃべるんだ
なまむぎ なまごめ なまたまご
むずかしそうだが なんでもない
おへそにちからを いれるのさ
ほっぺたよくよく もみほぐし
あおぞらみつめて しゃべるんだ
こうきょうきょく かきょく
きょうそうきょく
だれなのみてたの きいてたの
れんしゅうちゅうだよ だめですよ
ひとりじゃてれるよ まごつくよ
ふたりでなかよく しゃべろうよ
しょうぼうしゃ せいそうしゃ
さんすいしゃ
以下は,先生方の話をまとめたものである。
この詩は,子どもが楽しく詩に親しめるように選んだものである。テンポがよく,また早口
ことばを好む子どもたちは積極的に授業に取り組めた。授業のねらいは詩に親しむためだった
が,子どもたちは早口ことばに強く関心を持ち,
「他の早口ことばをあてはめようよ。
」
「他の
69
早口ことばにもチャレンジしたい。
」と言って授業を盛り上げた。しかし,早口ことばのリズ
ムやテンポには慣れ親しんでいたが,早く言うことは 2 年生には困難なようだった。ゆっくり
でも,リズムを感じ,正しく読むことに重点を置いた。
私がこの詩を読んで聞かせてほしいとお願いすると,子どもたちは我先にと聞かせてくれ
た。読み終わると,
「すごい?」
「先生もできる?」
「私はもっと早く言えるよ。
」などの反応
が見られた。また,途中でつっかえたり,間違ってしまったりしたときは「もう一回最初か
ら言うね。
」と言って,一生懸命な姿が印象的である。
◇なぞなぞ◇
私が子どもと関わっていく中で一番行われることば遊びが“なぞなぞ”である。実習先の
小学校では,
給食の際の放送でなぞなぞが出される。すると子どもたちは答えを口々に言い,
正解が放送されるととても盛り上がる。隣のクラスの子どもたちの楽しそうな声まで聞こえ
てくる。その後は各班の中でなぞなぞの出し合いが始まる。
そこで私は,放課後に残った 8 人になぞなぞを出し,子どもの反応を観察した。
「なぞな
ぞは好きですか?」という問いに対し,全員「好き」と答えた。また,
「難しいなぞなぞと,
簡単ななぞなぞ,どっちがいい?」という問いに対し,5 人が難しいなぞなぞ,3 人が簡単
ななぞなぞがいいと答えた。
私はなぞなぞの答えがわかった時,子どもたちはどのような反応をするのかよく観察した。
わかったらすぐに答えを言いたい子,他の子が答えを言いそうになると止める子,間違える
と恥ずかしいからわかっても言わない子(答えが当たっていると「やっぱりね。
」と得意気
に言う。
)など,子どもの反応は様々であった。そのうち,
「わかったら手を挙げて,先生に
こそこそっと言おうよ。
」と一人の女の子が提案し,その方法がとられた。
私が何問かなぞなぞを出すうちに,
「じゃあ,先生に問題ね。
」と言い,自分が作ったなぞ
なぞや本で知ったなぞなぞを次々に出し始めた。
様々な反応をする子どもたちだったが,中でもB君の反応が興味深かった。
「顔が 6 つ,
目が全部で 21 もあるものってなあに?」
(答え:サイコロ)というなぞなぞに対し,一番
早く答えることができた。そして,まだわからない子に対し,
「足し算だよ。
」
「この教室の
中にもあるよ。
」
「算数セットの中に入っているよ。
」などのように,ヒントを出し始めた。
そして,
「先生,なぞなぞできた。
」と,目を輝かせながら言った。
「水をあげなくてもすぐ
に芽をだすものはなあに?」
(答え:サイコロ)B君は私が出したなぞなぞの答えから新た
ななぞなぞを考えることができた。私はとても感心し,たくさん褒めた。すると次の日,ノ
ートを切り取った紙に 18 題のなぞなぞを書いて私に渡してくれた。そのなぞなぞに他の子
どもたちも興味を持ち,一緒になってなぞなぞの答えを考えた。
70
学校教育におけることば遊び
第 3 節 考察
まず,授業実践について述べていく。この授業では,子どもの興味・関心を強く引くため
に教具に力を入れた。また,合体機械を操作した発表を取り入れた。しかし,子どもは想像
以上に合体機械に興味を示し,授業の後半は収拾がつかなくなってしまった。
この経験で学んだことは,遊びの要素を取り入れた授業は子どもが大いに喜ぶが,
「遊び」
ではなく「勉強」だということをきちんと示していかなければならない,ということだ。
私自身,この教材を研究した際に,楽しい授業にしたいと考えていた。しかし,この授業
で理解が伴ったかというと,それはうなずくことができない。この授業のねらいは,
「漢字
の部分を組み合わせると新しい漢字ができることを知る。
」とある。3 年生で学習するへん
とつくりの導入にもなるこの授業では“漢字の部分”についてきちんとおさえなければな
らなかった。しかし,目先の楽しさにとらわれ,子どもたちに正しい知識をつけるまでに
至らなかった。
「授業は楽しいだけで終わってはいけない。
」このことを強く実感した授業
であった。
ことば遊びを通し,学習意欲を高めることができる。そして,ことば遊びが知識を習得す
る手助けとなる。私は 1 つ目のことば遊びの価値に重点を置きすぎたため,2 つ目の価値が
疎かになってしまった。
「勉強」の中に「遊び」と取り入れるということは,教師がねらい
を十分に理解し,めりはりをもった授業を行っていかなければならないとわかった。
次に,モジュールや休み時間を利用した実践いついて述べていく。先に述べたもの以外
にも,同じく 2 年生を対象に回文の実践に試みたが,子どもの食いつきが悪かった。なぜ,
活動を広げることができなかったのだろうか。回文とは「上から読んでも下から読んでも同
じになる文」と教え,まずは「○□と□○」といったように,回文の簡単な作り方から説明
した。
「イカと貝」
「坂と傘」といったような答えが上がった。しかし,それ以上の発展(よ
り長い文,
「○□と□○」以外の文)がなかなか見られなかった。その理由として発達段階
の影響が考えられる。子どもの習得している語彙数は,発達段階で大きく差がある。回文
の要素が含まれる学習は,教育出版の 3 年生㊦「ふろく ことばのポケット 言葉の遊び」
に取り上げられているが,回文作りを行うのは,6 年生㊦「付録 言葉のポケット 言葉遊
び」の学習の時である。このように,教科書では発達段階に応じてことば遊びを設定してい
る。つまり,2 年生で回文作りを実践するのは早かったと言える。発達段階に応じたことば
遊びを選択し,実践することが大切だとわかった。
また,ことば遊びを行う際はルールがポイントだと感じた。例に,しりとりを挙げて考え
てみる。しりとりのルールは次々に作り上げられていくものである。また,人によって今ま
で遊んできたルールが異なる。
「最後に“ん”がついたら負け。
」
「他の人が知らないもの(自
分で作ったことば)は使ってはいけない。
」
「同じことばを繰り返し使ってはいけない。
」
「パ
スは 3 回まで。
」などのように様々なルールがある。そのため,楽しく遊びを行うには始め
71
る前にルールを全体で確認する必要がある。しかしその反面,しりとりは勝ち負けにはこだ
わるのではなく,続いていく様子を楽しむ,暇な時間を埋める役割を担っている。このよう
な二面性はことば遊びの多くが持っている。ここがことば遊びの魅力だと感じた。
実習先の 2 年生では,
テレビの影響で
“謎かけ”
が流行った。生活科見学のお弁当の時間に,
A君が楽しそうに謎かけを披露していた。
「校長先生とかけて,大統領とときます。そのこ
ころは?どちらもえらい人でしょう。
」謎かけといってよいものなのか少し疑問もあるが,
周囲の子どもたちから「次は“電車”ね。
」
「
“西田先生”で謎かけつくって。
」などと,次々
にお題が出されるのに対し,素早く謎かけを作っていた。その様子に私はとても感心した。
A君の誇らしげな顔と,A君を取り囲む子どもたちの笑顔がとても印象的である。
また,なぞなぞ実践で登場したB君は,普段は自分の意見を積極的に発言することはほと
んどない。また,自ら私に関わってこようとしない。しかし,この放課後での出来事を境に,
B君と私の距離が少し縮まったように感じる。次の日にB君が作ってきたなぞなぞを学級内
で大きく取り上げた。他の子どもたちはB君のことを「なぞなぞ博士」と呼び,私もB君を
大いに認めた。子どもたちの中には,B君を真似して,休み時間になぞなぞ問題集を作って
いる様子が見られた。B君はそれからというもの,自分の好きなことや得意なことを積極的
に話してくるようになった。教師の卵として,こんなに嬉しいことはない。私とB君のよい
関係を作る機会にもなり,学級でのB君に対しての見方が変化した出来事であった。子ども
と教師の関係作り,子ども同士の関係作り,これらの大きな役割を担ったのがことば遊びで
あるといえる。
おわりに
ことば遊びの実践を通し,一番の収穫は子どもの新たな一面を見ることができた点にある。
私自身もことば遊びの魅力にとりつかれ,
「ことば」の価値について考えを深めるため,三
軒茶屋小学校(PTA 主催)で行われた,宮田章司氏「江戸ことば~売り声や呼び声~」の
講演会に参加した。本研究を通し,ことば遊びは江戸時代の庶民の中で確立したものだと知
り,このテーマにとても興味を抱いたのだ。20 種類以上もの売り声や呼び声を実演してい
ただき,子どもたちも一緒になって唱えていた。子どもによって声の大きさや音程,ことば
の伸ばし方(リズム)が異なり,個性にあふれていた。これが「心の引き出しになる。
」と
宮田氏はおっしゃっていた。ことばのリズムや感覚は,人々を惹きつけるものがある。こと
ばの遊び方の多様性とはここにあると考える。
研究を通し興味を強めたことば遊びを教壇に立ってからも活用していくことで,この研究
をより深めていくことができると考える。学習面では,ことば遊びを学習意欲を高めるため
の“ことば遊び”
,知識を習得する手助けをする“ことば遊び”の視点で上手に活用してい
きたい。しかし,授業は「勉強」であって「遊び」で終わってはいけない。授業を展開させ
ていく教師がねらいを十分に理解し,ぶれないようにしていく必要がある。そうすれば,こ
72
学校教育におけることば遊び
とば遊びを取り入れた「勉強」は「遊び」のように「楽しい」ものとなるのだ。
また,子どもと教師,子ども同士の関係作りにことば遊びは大いに役立つ。はじめに述べ
た,
“自分の気持ちや考えを「ことば」で表す力”とは語彙を豊かにすることと,もう一つ,
他者の中で自分を確立することなのだ。実践の中で登場した O 君や F 君は,ことば遊びを
きっかけに集団の中で自分を発揮することができた。
「ことば」を発すること,それは自己
を表現することだと考える。
本論文の執筆は教育実習と平行して行われた。そのため,町田市立町田第一小学校の子ど
もたちを対象にした実践研究を行うことができた。先生方のあたたかい協力と,子どもたち
ののびのびとした発想のお陰で書き上げることができた。記して感謝申し上げる。
引用・参考文献
『ことば遊びの楽しみ』岩波書店
阿刀田高(2006)
『ことばの発達』岩波出版
岡本夏木(1985)
『図説ことばあそび遊辞苑』遊子館
荻生待也(2007)
『日本のことば遊び』勉誠出版
小林祥次郎(2008)
『ことば遊び,五十の授業 子どものことばは遊びがいのち』太郎次郎社
鈴木清隆(1984)
『子どもたちのことば探検』教育出版
田近洵一・宮腰賢(1990)
『ことばあそびうた』副音館書店
谷川俊太郎(1973)
『笑撃度 200% !! ことばあそび大百科』成美堂出版
ながたみかこ(2009)
『学習意欲を高める ことば遊びの指導』教育出版
広野昭甫(1982)
『ことば遊びで語彙を豊かにする ( 遊んで学ぶ授業シリーズ 2)』東洋館出版社
藤田慶三(2007)
『授業へ挑戦 149 ことば遊びの授業づくり』明治図書
向井吉人(1996)
『小学校学習指導要領解説 国語編 平成 20 年 8 月』東洋館出版
文部科学省(2008)
73
平成 22 年度卒業論文
世代間交流とは何か
鈴 木 麻 耶
はじめに
今日,日本における家族の形態は,昔と比較して加速度的に変化してきている。かつては祖
父母,親とその子どもたちといったように,家族の人数も多く,世代が限られることがなく豊
かな人間関係を持つことができた。各家族における子どもの数も多かったため,兄弟,姉妹で
のかかわりも豊富であった。
しかし少子高齢化が進んだことなども影響し,現代の日本の家族は親と子のみによる核家族
の家庭が多くなった。さらに各家族における子どもの数も減少し,家庭内での人間関係が単純
化してきている。
このような変化により,現代の子どもたちは身近に世代間でのかかわりを持つことが難しく
なった。祖父母世代の人と日常的にかかわっている子どもは少なくなり,かつてのようにその
かかわりの中から学び,知識を得るという機会も減っている。また兄弟,姉妹が少なくなった
ことも子どもたちに影響を与えている。子どもは兄弟,姉妹とのかかわりにおいて,年上の者
を見て学んだり,直接何かを教わることができたり,また自分も将来こうなりたいという憧れ
を持つことができる。年下の者とかかわることで自分の普段とは違った面を見つけられたり,
責任感を芽生えさせるきっかけを得られたりする。しかし今日,子どもたちはこのようなかか
わりですらなかなかできなくなっている。
さらに,家庭以外の地域や社会においても世代間での交流機会は減ってきている。地域にお
いての人間関係が以前に比べて希薄になり,子どもたちが地域の人たちとかかわるという機会
もあまり得られなくなった。家の内でも外でも,子どもたちの周りの人間関係はとても狭く限
られたものになってしまっているのだ。
そのような中で小学校の児童たちにとって,小学校という場は 1 年生から 6 年生までの児
童がいるため,異世代との交流ができる格好の場である。しかし児童が自ら学校で違う学年の
子どもと遊んだり,交流したりしていることは稀な状況である。小学校において縦割り班での
活動などが行われていても,それが世代間交流として意義あるものになっているかは検討を必
要とし,その活動から日々の児童たちによる自主的な交流に発展しているとも言い切れない。
むしろ,ただ縦割り班で一緒に活動するだけに陥ってしまっている様子もある。
このように現代の日本は,子どもたちが自分と違った世代の人と関係を持ち,かかわること
が自然にできる環境ではなくなっている。もちろん子どもたち自身はそのことで不便な思いを
している訳でもなく,自分たちの置かれている状況がどういう状況か考えてなどいない。しか
し他世代の人との交流は子どもたちが育っていく上で欠かせないものであり,コミュニケーシ
74
世代間交流とは何か
ョン能力や社会性を育んでいくためにも不可欠な影響を与えられるものなのではないだろう
か。身近に機会を得ることができない子どもたちのために,そのような交流を体験し,そこか
ら何かを学んでいけるような機会を小学校で設ける必要があり,これは総合的な学習の時間や
生活科をはじめとする教科や領域においても実践していくことができるだろうと考えた。
そこで他世代の人との交流を「世代間交流」と定め,小学校において計画,実践していくこ
とのできる世代間交流について論述していきたいと考え,このテーマを設定した。
ここでいう「世代間交流」とは,ただ子どもたちが自分と違う世代の人とかかわりを持てば
良いのではなく,その交流の中から子どもたちが自主的に何かを感じ,学び,自分自身に生か
そうとする態度を芽生えさせることができるものであると定義している。またこの世代間交流
では子どもたちだけでなく,その交流の相手となった人たちにも得られるものがある,相互に
生きる交流でなければならないと考えている。
本稿においてはまず第 1 章で,世代間交流の背景として,歴史的経過や家族構成の変化が与
えた影響,世代間交流の価値について論じていく。第 2 章では世代間交流の種類や小学校の教
科・領域における世代間交流について論じる。第 3 章では第 2 章で挙げた世代間交流の種類
の中でも重要だと考えるものについて,実際に小学校の教科・領域で行われた実践例を挙げ,
分析していく。そして第 4 章ではこれまでの分析をもとに,自分自身の考える小学校の教科・
領域における世代間交流のカリキュラム,実践の提案をする。
第 1 章 世代間交流の背景
(1)世代間交流の歴史的経過
今日,世代間交流が様々な場で計画,実施されているが,なぜ世代間交流がこのように注目
され,行われるようになったのか。ここでまず世代間交流の定義について確認する。
世代間交流とは,
「異世代の人とのかかわりの中で,子ども達が自主的に何かを感じ,学び,
自分自身に活かそうとする態度を芽生えさせることができるような交流」のことである。また
子ども達とその交流の相手となった者,
「双方に価値のある交流」でなければならない。
このことを踏まえまずは世代間交流の歴史的経過を見ていく。
草間篤子の『インタージェネレーション―コミュニティを育てる世代間交流―』によると,
19 世紀の日本において世代間の交流はごく普通のことであった。明治初期に日本を訪れた欧
米人も,日本ではどこへ行っても子どもの姿が見られ,家族で農作業をしたり,大人がどこへ
行くにも子どもを連れて行ったりといった光景が見られるということを述べている(1)。現代
の日本においても子どもの姿や子どもを連れている大人たちを見ることはできるが,言葉で表
そうと思うような光景ではない。かつての欧米人たちがこのように述べるということはよほど
印象的な光景だったのではないかと考えられる。
そんな印象を与えていた日本であるが,いつしか日本において世代間での交流は計画して,
意図的に行わなければならないものになっていた。草野篤子は世代間交流の歴史を 1960 ~ 70
75
年代と 1980 年~現代に分けて述べている。これは世代間交流についての研究が盛んなアメリ
カの,ピッツバーグ大学のサリー・ニューマンの考えに基づいている(2)。
1960 年代日本は産業構造の変化により,人々が都市部に集中し地方の過疎化が招かれた。また
核家族化や小家族化といったように家族形態も変わり,それによって家族の機能も大きく変化し
て家族の教育力の低下が指摘されるようになった。この時期に日本の伝統や文化を次世代に伝え
ていくこと,高齢者の社会的孤立を防ぐことなどを主な目的として,自然発生的な世代間交流が地
方や都市に生まれた。老人クラブ,保育園,子ども会や,地域を中心とした年間行事に関連したも
のが主であったが,1970 年頃からは学校を中心とした形態のものも少しずつ実践されてきた(3)。
1980 年頃になると日本の都市化,過疎化は本格的に進行していった。家族は核家族化,単身家
族化など縮小傾向がさらに強まり,女性の就業,高学歴化が進み,子育てや介護に関する諸問題
が社会問題とされるようになった。1990 年代以降になると少子高齢化はさらに進行し,そのよう
な中で,高齢者施設と保育園・幼稚園などの子どもの施設を合築,併設しそこで統合ケアを行う
といった試みも増えていった。しかしそれによって各施設に,世代間交流の計画,実施等を行う
スタッフ,コーディネーター等が配置されていないこと,世代間交流の必要性が十分に認識され
ていないことが明らかになっていった。また今日,
アメリカやヨーロッパにおいては
「世代間交流」
が学問の一分野として定着しているが,日本はまだそこまで達していないのが現状である(4)。
このように見ていくと世代間交流は日本においてはまだまだ定着しているとはいえない。し
かし,1960 ~ 70 年代に世代間交流が自然発生的に行われるようになった経過を見ると,人々
は世代間交流を必要と感じていて,世代間交流が行わなければならない世の中になっていたこ
とは明らかである。家族形態の変容,人々の小集団化や個人化が強まったことによる地域コミ
ュニティの変容によって世代間でのかかわりは減少し,自ら世代間交流の機会を設けなければ
ならない社会へとなっていったのである。
また,かつて人々が生活の中で自然に行っていた世代間交流は「誰かのために計画された交流」
ではなく,交流の主役となる者が定まっているわけではない。そのためどちらか一方にしか得るも
のがない偏った交流ではなく,双方が価値を得ることのできる相互交流であった。自然なことで
あったため人々がその交流の価値を考えるというようなことはなかったかもしれないが,この双
方向性は今日世代間交流を考える上で欠かすことのできないものである。世代間交流の必要性を
感じ,その機会を設けようと考えるとき,このようなかつての交流の双方向性を無視して交流を計
画していては,本当に意味のある交流を作り出すことはできないということを忘れてはならない。
ここまで見てきて,家族,地域は人々にとって身近なもので,これらの変容によって世代間
交流が必要となっていったことから,これらは世代間交流の重要な場といえる。また子どもに
とっての学校,特に児童にとっての小学校は,世代間交流を自然にも,また意図的にも行うこ
とのできる場である。この家族,学校,地域の 3 つは子どもたちの世代間交流のための中心と
なるものである。そこで子どもたちの世代間交流について考えていくためにも,これら家族,
学校,地域それぞれの世代間交流の変質について見ていきたい。
76
世代間交流とは何か
(2)世代間交流の変質
家族,学校,地域は子どもたちにとって身近な存在であり,重要な世代間交流の場となるも
のである。これらの形態や様子の変化による世代間交流の変質をそれぞれ見ていく。
①家族
近年,三世帯家族が減少し核家族化が進行していることが指摘されている。また各家庭にお
ける子どもの数が減少したことで一世帯における人員が減り,いわゆる大家族のような家庭が
減ったと考える。実際,家族というものはかつてと比べどのように変化し,その変化は人々の
暮らしにどのような影響を与えたのだろうか。
次の図は日本の総世帯数の推移を表したものである(5)。
この図を見ると日本の総世帯
図 1-1 総世帯数の推移
数が年々増加していることは明
世帯数(千世帯)
らかである。これに伴い日本の
総人口も増加しているのであれ
ば,この図に特に疑問を感じる
ことはないかもしれない。しか
(6)
し「日本の統計 2010」
によれば,
昭和 50 年 昭和 55 年 平成元年 平成 6 年 平成 13 年 平成 18 年
(厚生労働省「国民生活基礎調査」より作成)
人口は昭和 50 年~平成 16 年ま
では増加しているとはいっても
増加率は低く,
平成 17 年には我が国の人口は減少した。人口が増加しているわけでもないのに,
世帯数は増加している。このことから各世帯における人員が減っていることがわかる。
また次の図は図 1-1 で示したグラフに,三世代世帯の割合の推移を表したグラフを重ねたも
のである(7)。
総世帯数の増加に反し,三世代
図 1-2 総世帯数と三世代世帯割合の推移
世帯は減少している。各世帯の人
三世代世帯割合
(%)
世帯数(千世帯)
昭和 50 年 昭和 55 年 平成元年 平成 6 年 平成 13 年 平成 18 年
(厚生労働省「国民生活基礎調査」より作成)
員が減った上に,三世代世帯で暮
らす人も減った。日本における核
家族や単独世帯の割合の多さがこ
のことからわかる。三世代世帯と
して一緒に暮らしていれば,子ど
もたちが祖父母世代の人と日常的
にかかわることができる。ともに
生活する中で特に意識しなくても,自然と知恵を得たり,学べることは多い。しかし別々に暮
らしていてなかなか会うことができず,たまに会うくらいの関係であると,子どもも祖父母も
お互いを特別な存在として考えてしまうのではないだろうか。たまにしか会えない孫だからと
にかく可愛がるだけになり,子どももそれに甘えてしまう。そのかかわりが良くないとは思わ
77
ないが,やはり普段一緒に生活している「祖父母と孫」の関係とは相互に与える影響も違うと
考える。
また近年少子化が指摘されているように,各家庭における子どもの数も減少している。子ども
が一人もいない世帯や,子どもがいても人数のあまり多くない世帯が一般的になってきている。
次の図は子どものいる世帯の推移と,
子どものいる世帯における子どもの数を示したものである(8)。
この図を見ると,子どものいる
図 1-3 子どものいる世帯と平均子ども数
子どものいる世帯の
子どもの数の平均(人)
子どものいる世帯数(千世帯)
世帯も,その世帯における子ども
の数も徐々に減少していることが
わかり,日本全体において子ども
の数が減ってきていることが理解
できる。また同調査では日本の全
世帯においての子どもの数の割合
が示されている。平成 21 年では
昭和 61 年 平成 4 年 平成 10 年 平成 13 年 平成 16 年 平成 21 年
(厚生労働省「国民生活基礎調査」より作成)
子どもが 1 人の世帯が 11.3%,2
人の世帯が 10.9%,3 人以上の世帯が 3.5%となっている(9)。子どもがいる世帯の中でも,1 人
だけという世帯が最も多いという結果である。このような結果から現代の子どもたちのうち,多
くの兄弟姉妹とのかかわりの中で育つことができる子どもは非常に少ないといえる。
かつては兄弟姉妹と暮らしながら,自然と社会性やコミュニケーション能力も養えたと考え
られる。また兄弟姉妹とのトラブルも当然起こることであり,その中から話し合って解決する
こと,人の意見を聞き入れることなども学ぶことができただろう。生活の中で自然に得られて
いた経験,知識,学びは子どもにとって非常に重要なことであり,同じ「子ども」という立場
の兄弟姉妹とのかかわりは,子どもたちの成長に様々な影響を与えるものであると考えられる。
家族の形態や構成が変わっていったことに伴い,家族の機能も変化していった。かつては父親
が働き,母親が家事をするという考え方が一般的であった。しかし今日,その考え方に変化が見
られるようになった。次の図は女性の労働力率(10)の推移を年齢階級別に表したものである(11)。
これを見ると女性の労働力率
図 1-4 女性の年齢階級別労働力率の推移
は年々上がっていることがわか
る。 特 に 25 ~ 29 歳,30 ~ 34
歳の女性は昭和 50 年の労働力率
昭和 50 年
昭和 60 年
平成 7 年
平成 20 年
が 40 ~ 45%であったのに対し,
平成 20 年ではそれぞれ約 75%,
65%となっている。この年齢は
ちょうど結婚し,子どもを産む
女性が多い年齢であると考えら
(内閣府「平均 21 年度版男女共同参画白書」より作成)
78
れる。労働力率には完全失業者
世代間交流とは何か
(働く能力と意志があり,求職活動をしているにもかかわらず,就業の機会を得られない人)
も含まれるため,この数字が直接,就業率となるわけではないが,今日この年齢で働いている,
または働こうという意思を持っている女性が以前と比較して多くなっていることは明らかであ
る。女性がいわゆる専業主婦となるのではなく,結婚,出産をしてから働き続けることも現代
では一般的になっている。
このような変化は家族の機能の変化,親子関係の変化にも影響を与えていると考えられる。
かつては子どもが学校などから帰ると,母親が家でそれを出迎えていた。しかし働く母親が増
えたため,子どもが家に帰っても誰もいないという状況も現代では多く見られる。母親が外で
働いているために,家庭内で母親と子どもがコミュニケーションをとることができる時間が減
ってしまうのは仕方のないことである。しかしそれによって親子関係が希薄になってしまうこ
とも考えられる。父親が働き,母親が家事をするという考え方が変化しているのは良いことで
あるとも捉えられるが,それが家庭内にもたらす影響を無視することはできない。
②学校
かつて子どもたちは放課後や休日などに,外で群れて遊んでいた。しかし今日,子どもたち
が学校以外の場で集団で遊んでいる姿はあまり見られない。この原因として『小学校における
「縦割り班」活動』の筆者である毛利猛の考えをまとめると以下のようになる(12)。
○子どもたちが戸外で群れ遊びをしなくなったのは,
「遊ぶ時間」
「遊ぶ空間」
「遊ぶ仲間」と
いう,いわゆる三間がいずれも満たされなくなったから。これらは集団遊びが成立するた
めの三つの条件。
○三間のそれぞれに悪条件が生じたため,最近の子どもたちは群れて遊ばなくなった。
①塾や習い事に通う子どもが増え,子どもの自由な時間が減るとともに,子ども同士のス
ケジュールが合わなくなった。
②都市開発やモータリゼーションによって「原っぱ」や「路地裏」など,子どもたちにと
って魅力のある遊び場がなくなった。
③少子化とともに兄弟姉妹の数が減り,近所で一緒に遊べる異年齢の仲間が少なくなると
同時に,テレビゲームなどの室内遊びが増えた。
異年齢の子どもと遊ぶことは,子どもたちにとってとても重要な世代間交流である。何か問
題が起こればそれを自分たちで解決しようと努力し,遊びの中で決められたルールを守ること
で協調性を身につけながら成長していくことができる。また年下の者は年上の者から遊び方や
ルールなどさまざまなことを学び,手本とすることができる。年上の者はリーダーシップや責
任感を養っていくことができる。かつては誰かに強制されるわけではなく,自ら楽しく遊んで
いるうちに自然とそのような機会に巡り会い,知らず知らずのうちに身につけることができた。
しかし現代の子どもたちはなかなかそれができない。そのような中で,仲間とうまく付き合え
ない子ども,いわゆる社会性のない子どもが増えているという(13)。
学校の中で,異年齢の仲間集団作りの取り組みとして行われる「縦割り班」活動があるが,こ
79
れは 1970 年代の末頃から全国の小学校で行われるようになり,現在ではおよそ 4 分の 3 の小学
校で行われている(14)。この「縦割り班」活動はその学校ごとに特色を生かしながら様々な活動
が行われているが,
異学年の子どもたちで班を作り「遊び」や「仕事」などの活動を行う形が多い。
小学校は 1 年生から 6 年生までの子どもたちがいるが,学校外で異年齢交流の機会があまり無
い子どもたちが,学校内で異学年の子どもと遊んだり,交流を持ったりするのは,何らかのき
っかけがないと難しいのではないだろうか。社会が変化し,地域でのかかわりも子どもたちの
過ごし方や遊び方が変化したことは,
学校内における異学年交流にも影響を与えていると考える。
現代の子どもたちが異学年交流を自ら行うきっかけとなるのがこの縦割り班なのである。
③地域
家族の縮小化等が進む中,地域におけるつながりにも変化が生じている。
かつては極めて強い地域のつながりの下,人々は生産,教育,福祉など生活にかかわる多く
のことを地域住民と共同で行っていた。しかしこのようなつながりは社会の変化の伴い希薄化
していった。1952 年に公表された「地方自治世論調査」(15)において「全体の約 70%の人が
近所付き合いをしなくても日常生活に困らないと感じている」
,また「約半数の者は同地域に
住む隣人間にあってもあまり深く付き合わないほうがよいとの態度をとっており,深く交際す
ることを望んでいるものは 38%である」と調査結果の概要が記された。さらに 1969 年に公
表された「コミュニティ―生活の場における人間性の回復―」では,近隣の人々との結び付
きが次第に希薄化している点が指摘されたとともに,地域のつながりの希薄化により生ずる問
題について懸念が表明された。つまり 60 年代後半においては,地域のつながりが一定程度希
薄化していたことがうかがえる。
『平成 19 年版国民生活白書』ではこれらの点から地域のつ
ながりの希薄化は最近始まったわけではなく,1950 ~ 60 年代から徐々に進み,近年におい
てもその流れは止まっていないということが指摘されている(16)。
地域におけるつながりが年々弱くなっていることは地域住民も感じている。次の図は地域の
つながりが 10 年前と比較してどのように変わったと感じているかを表したものである(17)。
これを見ると変わっていないという回答
図 1-5 10 年前と比較した地域のつながりの強さ
が半数近くを占めているが,次に多いのは
0.4%
弱くなっているという回答である。強くな
7.0%
15.4%
っていると感じている人が全体の 7%しか
■ 強くなっている
いないのに対して,弱くなっていると感じ
■ 変わっていない
30.9%
46.5%
ている人は約 3 割も存在している。地域で
■ 弱くなっている
■ わからない
■ 無回答
のつながりがなくても困らないという人が
増えている中で,地域住民自身がつながり
の希薄化を感じていることがわかる。また
*強くなっている」には「やや強くなっている」を,
「弱
くなっている」には「やや弱くなっている」を含む
弱くなっていると回答した人がその理由と
(内閣府「平成 19 年度版「国民生活白書」より作成)
して挙げている中で一番多いものは,
「人々
80
世代間交流とは何か
の地域に対する親近感の希薄化」や「近所の人々の親交を深める機会不足」でどちらも半数
近くの人が感じていることである(18)。このような結果から地域での交流やかかわりについて,
住民は希薄化を感じていながらも,自らつながりを求めようとはせず,特に交流のきっかけも
ないまま暮らしているということがわかる。同じ地域に暮らしていてもお互いにつながらず,
それぞれ孤立してしまっている。
またつながっていると感じている人たちの約 7 割が 50 歳以上であり,孤立化している人た
ちの約 6 割が 40 歳未満であるという結果も出ている。さらに地域での交流があるという 60
歳以上の人たちがその交流相手として挙げているのは「壮年の世代」が 67.8%,
「青年の世代」
が 47.7%となっており,それより下の世代との交流がある者は約 1 割ずつしかいない(19)。地
域でのつながりが全体的に少なくなっている中でその傾向は特に若年層に表れていて,交流を
行っている高齢者の世代でも若い世代との交流はあまり行っていない。かつて日本では子ども
がどこに行っても見られ,大人とともに活動する様子も当たり前のようにあった。しかし現在
は世代を超えての交流どころか地域におけるつながりすらも薄れてしまっている。そのような
中で,地域における世代間交流が自然に行われるのを期待するのは難しいだろう。
(3)世代間交流の価値
ここまで家族,地域,学校と分けて世代間交流の変質を見てきたが,これらの変質によって,
現代社会は子どもたちが日々の生活の中で世代間交流を行うことができない社会であるという
印象を受けた。
子どもたちが育っていくのは,周りのたくさんの子どもたちや異世代の大人たちに囲まれた
環境であることが望ましい。子ども同士のかかわりはその中で互いを成長させることができ,
やはり遊びを通じて得られるかかわりは子どもにとって身近で,自然なものだろう。また大人
とかかわることで,大人から伝統や文化などを受け継いでいくことも考えられる。受け継ぐこ
とはもちろん子どもにとってプラスになることであり,大人から何も受け継がずに育っては得
られるべき知識や知恵も十分に得ることができない。さらに大人からしても,伝統や文化を受
け継いでいく相手がいないというのは,自分たちの時代や大切にしてきたものがそこで終って
しまうという気持ちになる。その場における人と人,世代と世代のつながりもなければ,時代
と時代のつながりもなくなっていく。
また今日,子どもの社会性の無さや学力低下が指摘されているが,これは家庭や地域におけ
る教育力の低下も原因の一つであると考えられている。この家庭,地域における教育力は大人
と子どもとのつながり,さらには子ども同士のつながりがあってこそ,その力を発揮するもの
である。子どもが多くの場で他の人とつながりにくくなっている現代,家庭や地域においてな
されるべき教育が行われにくくなっているのも仕方ないと考えられてしまう。
これまで見てきて,子どもたちは成長していく中で様々な世代との交流機会を与えられるべ
きだということが改めてわかった。子どもたちにとって意味のある世代間交流が学校教育等を
81
通して行われなければならない。そのような交流にするためには 3 つの条件があると考えられる。
まず子どもたちが一方的に与えられるだけの交流では意味がない。交流をする中で子どもたち
が自らの意思を持って様々な働きかけを行っていけること,また自主的にその交流を発展させてい
こうという意欲を生み出せるものであることが重要である。自然発生的な交流でないためにどう
しても,用意された機会を子どもが自分の意思で生かしていくことが難しくなる。しかしその中で
子どもたちが自分で考え,自ら学んでいこうとする姿勢は大切にしなければならない。与えられた
交流であることは仕方ないが,できる限りかつての自然の交流に近い形で行われるべきである。
また子ども自身が,その交流を一度限りのもので終わらせたくないと思えるような交流でな
いとならない。先へと繋がっていく交流を行い,そこから子どもたちの日常における世代間交
流へも繋がっていけば交流の意味があったといえる。
さらに世代間交流の相手となった人たちにとっても価値のある交流でなければならない。異
学年交流のように小学校内の交流であれば双方の価値を考えやすいが,小学校外の世代との交
流であると,ただの交流相手として協力してもらうという考えになってしまう。しかしかつて
の世代間交流は双方に得られるものがある交流であった。ただ子どもたちの成長の糧とするこ
とのみを考えていては,このようなかつての世代間交流に近づいていかず,それと同等の価値
を得ることもできない。
第 2 章 世代間交流とは
ここで改めて世代間交流の定義をする。世代間交流とは,
「異世代の人とのかかわりの中で,
子ども達が自主的に何かを感じ,学び,自分自身に活かそうとする態度を芽生えさせることが
できるような交流」のことである。また子ども達とその交流の相手となった者,
「双方に価値
のある交流」でなければならないとする。このことを確認した上で第 2 章では世代間交流の価
値や,小学校で世代間交流を行うことのできる教科・領域について論じていく。
(1)世代間交流の種類とその価値
世代間交流における異世代の捉え方を小学生を軸として考えていくこととするが,まず交流
相手の世代によって,世代間交流の種類分けをする。
交流相手として考えられる世代を①乳児,②幼児,③小学校の異学年児童,④中学生・高校
生・大学生,⑤大人(父母世代,祖父母世代)のように分け,それぞれの交流の種類ごとにそ
の価値について考えていきたい。
①小学生と乳児の交流
乳児と日常的に交流機会のある小学生は限られている。自分の家に弟や妹がいて,様子を見て
いたりかかわる機会のある子もいるだろう。しかし乳児と呼ばれる期間は短く,歳が近い兄弟だ
と弟や妹が生まれた頃には自分自身もまだ幼いため,どのような様子であったのか覚えていない
のではないだろうか。家の外に出ても,どこかで乳児と触れ合う機会など多くあるものではない。
82
世代間交流とは何か
小学生が乳児と交流することから得られることは,単に乳児の様子を知り,かかわり方を学
ぶことだけではない。もちろんそのような価値もあるが,乳児という存在に触れることで生命
についても考える機会になる。生まれたばかりの乳児と出会うことで,生命を持って誕生して
きていること,かけがえのない存在として大切にされていることがわかり,自分自身もそうで
あったということにも改めて気が付くことができる。他の世代間交流も人と人との交流である
ので生命にかかわっていることに違いはないが,乳児とのかかわりは特に生命を身近に感じる
ことのできる特別な交流であり,小学生にとって価値のあるものとなる。乳児は小学生という
普段かかわることのない者とかかわることで,母親(養育者)以外の存在を知り,新たな世界
に触れる経験を得られるのではないかと考える。
小学生にとっても乳児にとっても互いに新たな存在や世界に気が付くことのできる貴重な経
験としてこの交流の価値を見出すことができる。
②小学生と幼児の交流
幼児との交流機会もまた乳児のときと同様に,家に弟や妹がいれば日常的に行うことができ
る。また幼児は乳児に比べ動きも増え外で遊ぶことも多くなるため,家の外で家族ではない幼
児とかかわる機会もあるかもしれない。しかし全くそのような機会のない子もたくさんいるの
ではないだろうか。幼児に興味を持って自ら交流機会を得ようとする児童はなかなかいない。
幼児期は,自分の意思を持ち様々なことに関心を示して,活発に活動するようになる時期で
ある。乳児は母親を中心とする養育者の助けの中で生活するが,幼児になると生活の様々な場
面で少しずつ自立していくようになる。しかし意思表示の仕方が上手くいかなかったり,生活
の中で周りの支えが必要なこともまだまだたくさんある。自我が芽生えてくるがまだ色々な面
において完全ではないこの時期の子どもは対応が難しいことも多い。そのような幼児と小学生
が交流することは,互いに多くの発見,成長が期待できると考える。
まず小学生にとってのこの交流の価値は年上(小学生)としての自覚や責任感を持てること
である。幼児とともに活動をすることで自然と「自分がしっかりしなければ」という気持ちが
生まれる。また大変な思いもしながら活動をしていくことで,その経験が自信につながり,普
段の生活では気付くことのできなかった自分の一面に触れることもできるかもしれない。幼児
との絆が深まっていくと幼児に対する思いやりも育つ。自分自身の幼いころの様子を考え,成
長を振り返る機会にもなっていく。そして幼児にとっても小学生と交流することは価値のある
ことであり,小学生に色々教わり助けてもらうことで,憧れや成長への意欲を見出すことがで
きるだろう。特に幼稚園,保育園の年長児にとっては小学校,小学生を身近に感じ,進学への
期待を膨らませることのできる経験となる。
共に活動を行うことで,幼小のなめらかな接続や,昨今問題とされている小 1 プロブレムの
緩和にも影響があるものと考える。
小学生,幼児は共にどんなことでも成長へとつなげていける時期の子どもたちである。その
交流からも大人の予想していなかったような発見が期待できるのではないだろうか。
83
③小学校における異学年交流
今日,人間関係の希薄化が叫ばれる中で,子どもたちの周りの人間関係も限られた,範囲の
狭いものになっている。かつては地域の子どもたちで集団になって遊ぶ光景もあった。その集
団は年齢の限られたものではなく,様々な年齢の子どもたちが一緒になって作っていたもので
ある。しかし第 1 章でも述べたように子どもたちを取り巻く環境が近年変化し,年齢問わず仲
間と交流できる機会であった群れ遊びが衰退し,地域の仲間を持つ子どもも減った。さらに家
でも兄弟姉妹がたくさんいるという子どもは少なく,2 ~ 3 人もしくは一人っ子という家庭が
多い。そこで小学校という場で児童が学級,学年を越えて,異学年の児童と共に活動する機会
は非常に意味のあるものとなってくる。
小学校には学年でいえば 1 年生から 6 年生まで,年齢でいえば 6 歳から 12 歳までの児童が
いる。その中での異学年交流は,全学年の児童数名ずつで作る縦割り班での活動やどこか二学
年の児童が一緒に活動を行う形のものなど,様々な交流の形が考えられる。例えば東京学芸大
学附属大泉小学校で行われている生活団活動(20)などがあげられる。
異学年交流は,その学校や地域ごとに特色を生かした活動も工夫できる。また小学校内で行
えるため,児童会活動,クラブ活動,学校行事なども含めた特別活動,総合やその他の教科,
領域など活動を行える場面もたくさんある。それぞれの交流の形によって見出せる価値をしっ
かり考えた上で意味のある交流機会を計画していく必要がある。
異学年交流を行う価値として上級生にとっては,責任感やリーダーシップを育てる機会とな
ることが挙げられる。また上級生として苦労する場面や困難も乗り越えていくことで,達成感
を得ることができるだろう。下級生は上級生のそのような姿を見て憧れを抱き,上級生から直
接色々と教わっていくことができる。
この異学年交流を行うことで,学校の歴史や伝統を児童同士を通じて引き継いでいくことも
可能である。毎年恒例のその学校の特別な行事も,異学年の児童が一緒になって行うことで下
の世代へと自然に伝えていくことができる。また異学年交流によって児童同士が知り合いにな
ると,その活動の時間以外にも児童たちが一緒に遊んだりするようになることも期待できる。
そしてその遊びが学校内のみではなく,地域における遊びにも発展し,集団遊びが充実してい
くことが望めるのではないだろうか。
④小学生と中学生,高校生,大学生の交流
小学生と社会に出て働く父母世代の大人たちとの間に当てはまるのが中学生から大学生まで
の世代である。幼児や異学年の子どもたちとは違い,これらの世代は地域で遊んだりすること
がなくなりそれぞれが自分の時間を持つようになるので,小学生が日常的にかかわることは兄
や姉の存在がない限り難しい。兄や姉がいても生活の時間が違うなどの理由から一緒に過ごす
時間が得られない場合も多いと考えられる。
小学生にとって中学生,高校生,大学生はお兄さん,お姉さんのような存在であり,これら
の世代の人たちとの交流を通して子どもたちは,成長への憧れを抱き中学生,高校生,大学生
84
世代間交流とは何か
の在り方を感じることができる。また優しくしてもらったり,何かを教えてもらったり,手伝
ってもらったことが喜びとなり,自分たちが年下の世代とかかわる時の様子も変わっていくと
考えられる。さらに中学生,高校生,大学生がどういうものなのか知る機会となり,特に小学
校高学年の児童が中学生とかかわることで進学への意欲,自らの進路に興味を抱くきっかけと
なっていくことも期待できる。中学生,高校生,大学生が小学生とかかわることで得られる価
値としてはまず,それぞれ中学生,高校生,大学生としての自覚を持ち,自己の有用性を感じ
ることができるということである。また中学生や高校生は部活や勉強などで忙しい時期であり,
大学生もそれまでの生活とは時間の使い方が違ってくるため,家族とのかかわりなどが減って
いく時期でもある。そのような時期に改めて小学生の素直で意欲的な様子を見ることで,日ご
ろの自分を省みるきっかけとなることも考えられる。
この世代間交流を行うことでそれぞれつながりの無かった小学校と中学校,高校,大学が今
後つながりを持っていくことも期待できる。特に中学生との交流から小中連携の形ができてい
くことは,教育のつながりから考えても非常に価値のあることである。小学校,中学校,高校,
大学,それぞれの学校が協力し合って教育を行っていくきっかけとなる点もこの交流の価値で
あると考えられる。
⑤小学生と大人の交流
大人といってもその中で世代が色々分かれるが,ここでは大きく分けて小学生から見た父母世
代にあたる大人と,祖父母世代にあたる大人(お年寄り)の 2 つに分けて論じていきたいと思う。
小学生にとって父母世代の大人は自身の父母をはじめ,親戚や学校の教師,習い事の先生な
ど日常的にかかわっている存在であるかもしれない。しかしその範囲もかつてと比べると狭ま
っている。狭まってしまった要因として挙げられるのは地域におけるかかわりの希薄化である。
第 1 章に述べた通り,かつては地域の大人と子どもが互いにかかわり合い,一緒に活動をする
機会もあった。しかし今日は地域において大人と子どもが一緒に活動をする様子はなかなか見
られず,隣近所の関係であっても挨拶を交わす程度の存在になってしまっている。このような
状態であるからこそ,
小学生と大人の世代間交流を意図的に行うことに意味があると考えられる。
小学生にとって普段かかわることのない大人とかかわることで,大人たちが日々どんな仕事
をしているのか,大人の存在が自分たちにとってどれだけ大切であるかがわかるだろう。そし
てそのような大人たちの姿を見て,
「自分は将来こういう大人になりたい」という理想を見出
すきっかけとなることも期待できる。それに加えて中学生,高校生,大学生とは違う「社会で
働く大人」との交流となるため,児童は学校と社会の違いにも触れることができる。普段の学
校の授業では得られない知識や知恵も得られるだろう。また大人たちにとって小学生との交流
は改めて多くのことに気づける機会となる。特に普段子どもと接する機会のない大人たちにと
っては,短時間であっても直接交流することで子どもから教えられることもあるのではないだ
ろうか。また小学生の職場体験という形での交流も考えられるが,これによって大人が自分た
ちの職場を新鮮な目で見直すきっかけにもなる。
85
小学生と大人が世代間交流を行うことは,地域のつながりの深まりにも効果を示すと考えら
れる。交流の機会がなく特にかかわりなく生活していた両者が,意図的に行った交流をきっか
けとしてその後もかかわっていくことが可能となる。そのような点にもこの交流の価値を見出
すことができる。
次に祖父母世代となるお年寄りとの交流であるが,祖父母と同居している子どもが少なくな
っている現代,この世代間交流の必要性は大きい。
お年寄りとの交流を通して小学生はお年寄りに対する理解を深め,共に活動をする中から生
きた知識を得ることができ,お年寄りを敬う心も育つ。一方お年寄りにとっては,特に普段子
どもとかかわっていない人には,小学生との活動はとても新鮮なものであり,日々の生活によ
い影響や刺激となっていくであろう。また孫がいてもたまに会うだけの関係となってしまって
いるような人たちにとっては,その交流が自身の孫とのかかわり方を見つめ直すきっかけとな
ることも期待できる。小学生に対して自分たちの持つ知恵や知識を伝えていくことができるこ
とに気付き,それをその交流のみでなく,また別の機会に自ら子どもたちとかかわっていこう
と思えるようになればそれは大きな収穫である。
小学生とお年寄りが交流することで,知識や伝統,文化を次世代へと引き継いでいくことも
でき,人と人だけでなく時代と時代をつなぐ交流となるのではないだろうか。
(2)世代間交流と実践教科・領域
世代間交流を小学生が行うにあたって,交流を計画し行える場面は様々である。その中でも
ここでは,生活科と総合的な学習の時間,家庭科,特別活動,道徳に焦点をおき,それぞれの
教科や領域で交流を行う上でどのような活動を行うことができ,どのような意味のある交流に
なるのか考えていきたいと思う。
①世代間交流と生活科・総合的な学習の時間
○生活科
生活科の目標は以下の通りである(21)。
具体的な活動や体験を通して,自分と身近な人々,社会及び自然とのかかわりに関心をもち,
自分自身や自分の生活について考えさせるとともに,その過程において生活上必要な習慣や
技能を身に付けさせ,自立への基礎を養う。
生活科には内容構成の具体的な視点として分類されたア~サの 11 の視点がある(22)。この
11 の視点のうち世代間交流に直接関係のある視点は以下の 2 つである。
イ 身近な人々との接し方―家族や友達や先生をはじめ,地域の様々な人々と適切に接するこ
とができるようにする。
コ 成長への喜び―自分でできるようになったことや生活での自分の役割が増えたことなどを
喜び,自分の成長を支えてくれた人々に感謝の気持ちを持つことができるようにする。
86
世代間交流とは何か
小学校低学年で行う生活科はその目標にも述べられているように,児童が自ら活動し,体験し
ていく中で学んでいくことのできる教科である。また視点イの身近な人々との接し方,視点コ
の成長への喜びは世代間交流を通して児童が得ることのできる価値としても大切な要素である。
さらに生活科の内容には次の図のような階層性がある(23)。
この図から読み取れるよう
■自分自身の生活
や成長に関する
内容
(4)(5)(6)(7)(8)
■自らの生活を豊
かにしていくた
めに低学年の時
期に体験させて
おきたい活動に
関する内容
生活や出来事
の交流
動植物の飼育・
栽培
自然や物を使
った遊び
季節の変化と
生活
公共物や公共
施設の利用
自分の成長
(9)
(3)
地域と生活
(2)
家庭と生活
学校と生活
(1)
■児童の生活圏と
しての環境に関
する内容
に,生活科は児童にとって身近
な学校,家庭,地域を第 1 の
階層とし,その上に生活におい
て児童が体験するべき内容が
あり,最終的に自身の成長へと
つながっていくようになって
いる。この階層性は世代間交流
を考える上でも関係してくる
ものである。子どもたちの身近
な存在を基盤に,そこから交流
の中で得た経験から学び,成長
への憧れや振り返りといった自分自身の成長について考えられるようになるのが世代間交流であ
る。特に生活科を行う低学年の児童にとって,身近なところから始まり普段は気付きにくい自身
の成長へ発展させていくという流れは,世代間交流を計画する上で考慮すべき部分である。
生活科の目標や内容,さらにその階層性との関連から,生活科において世代間交流を行うこ
とは意味のあることであるといえる。
○総合的な学習の時間
総合的学習の目標は以下の通りである(24)。
横断的・総合的な学習や探究的な学習を通して,自ら課題を見付け,自ら学び,自ら考え,
主体的に判断し,よりよく問題を解決する資質や能力を育成するとともに,学び方やものの
考え方を身に付け,問題の解決や探究活動に主体的,創造的,協同的に取り組む態度を育て,
自己の生き方を考えることができるようにする。
総合的学習はその学習内容を「国際」
,
「環境」
,
「福祉・健康」
,
「地域・伝統」
,
「人間」
,
「情報」
の 6 つのコアに分けて考えることができる(25)。この中で世代間交流は,その交流内容によっ
ては福祉も当てはまる場合があるが,おもに「人間」のコアに深く関係してくる。
また,総合的な学習の時間はその中で子どもたちに養われる力を「内容知」
,
「方法知」
,
「自
分知」として捉えることができ,それぞれ以下のように説明することができる(26)。
内容知:総合・各教科・領域の学習内容がそれにあたり,子ども自身が何を体験し,何を獲
得するかの再編・統合・精選である。知識としての獲得内容ではなく,子ども自ら
87
掴み取る知恵となるとき,これを内容知と位置づける。
方法知:子ども自身が「いかに学ぶか,どう学ぶのか」という学習方法であり,学び方である。
指導の効率化以上に,子どもの追求方法の実態に基づいたものでなければ,子ども
の方法知にはならない。
自分知:子ども自身がどう自分を発揮し,そしていかに生きるかに繋がる自己発見・自己理
解を積み上げることである。
「学習」と「生活」を結びつける知であるばかりか,学
ぶ意味や価値,
そして生きる力となる「自己の確立」を築くための不可欠な知である。
さらに,
「人間」のコアにおいて養われる力をこれら 3 つの知で見ていくと以下のようにな
る(27)。
コア「人間」
共同・協働体験そして感動体験
(内容知)ヒト,人間そして自分の成長と人間関係
自分と自分の成長に関わる人間環境とコミュニケーションを求める
(方法知)共同・協働・共創で生み出す学習活動と学び方
(自分知)自分の成長と人間関係
このコアの中では「自分の成長」と「人間関係」という言葉が示されているが,これらは世
代間交流においても重要な言葉である。世代間交流は異世代の人との交流により,人間同士の
かかわりについて学ぶ。さらにそのかかわりの中で自分の成長を振り返ったり,これからの成
長について考えられる経験をしたりしながら,自分自身という人間についても学んでいく。
総合的学習が体験的な活動を通して学習できる領域であること,
「人間」ということについ
て直接学んでいくことが可能であることから,世代間交流を総合的学習の中で行っていくこと
は非常に意味のあることであるといえる。総合的学習の中では子どもたちが自ら学んでいこう
とういう姿勢を見出しやすいと考えられるため,学びの多い世代間交流を実施することができ
ると考えられる。
②世代間交流と家庭科
家庭科の目標は以下の通りである(28)。
衣食住などに関する実践的・体験的な活動を通して,日常生活に必要な基礎的・基本的な
知識及び技能を身に付けるとともに,家庭生活を大切にする心情をはぐくみ,家族の一員と
して生活をよりよくしようとする実践的な態度を育てる。
さらに家庭科の内容は以下の 4 つに分けられる(29)。
A 家庭生活と家族
B 日常の食事と調理の基礎
C 快適な衣服と住まい
D 身近な消費生活と環境
88
世代間交流とは何か
これらの中で世代間交流が授業として計画,実施できるのは「A 家庭生活と家族」であると
考えられる。さらにこの A の中もいくつかの項目で分けられているが,学習指導要領解説で
は A(1)のアとして「自分の成長を自覚することを通して,家庭生活と家族の大切さに気付
くこと」とされている。
「自分の成長の自覚」は世代間交流から得られるものとして大切な要
素である。子どもたちにとって最も身近な世代間交流の相手である家族の存在,その中で支え
られながら成長することができたことに気付くことは世代間交流を通して子どもたちが得られ
る価値とも共通している。
家庭科において地域の異世代の人との交流をするような授業を行う機会はあまり無いが,現
代の子どもたちに不足している家族とのかかわりという点から考えると,家庭科という教科を
世代間交流に活かしていくことは効果的なことである。
③世代間交流と道徳
道徳の目標は以下の通りである(30)。
道徳教育の目標は,第 1 章総則の第 1 の 2 に示すところにより,学校の教育活動全体を通
じて,道徳的な心情,判断力,実践意欲と態度などの道徳性を養うこととする。
道徳の時間においては,以上の道徳教育の目標に基づき,各教科,総合的な学習の時間及
び特別活動における道徳教育と密接な関連を図りながら,計画的,発展的な指導によってこ
れを補充,深化,統合し,道徳的価値及びそれに基づいた人間としての生き方についての自
覚を深め,道徳的実践力を育成するものとする。
さらに道徳の内容は以下のように大きく 4 つに分けられている(31)。
1.主として自分自身に関すること。
2.主として他の人とのかかわりに関すること。
3.主として自然や崇高なものとのかかわりに関すること。
4.主として集団や社会とのかかわりに関すること。
世代間交流を道徳で行うにあたって,4 つの内容のうち最も中心となるものは 2 の「主とし
て他の人とのかかわりに関すること。
」であり,また学年によっては 4 の「主として集団や社
会とのかかわりに関すること。
」も関係してくる。これについて学習指導要領の 2 学年ごとの
分類をもとに見ていきたいと思う。
第 1 学年及び第 2 学年では内容 2 の
(2「
)幼い人や高齢者など身近にいる人に温かい心で接し,
親切にする。
」(32)が,第 3 学年及び第 4 学年では内容 2 の(4)
「生活を支えている人々や高
齢者に,尊敬と感謝の気持ちをもって接する。
」(33)が当てはまる。第 5 学年及び第 6 学年で
は内容 2 において直接世代間交流にかかわるような項目が挙げられているわけではないが,内
容 4 の(5)
「父母,祖父母を敬愛し,家族の幸せを求めて,進んで役に立つことをする。
」(34)
が世代間交流に関係している項目であるといえる。
世代間交流はその活動を通して,
人とのかかわり方を知り,
内容にも述べられているような「温
89
かい心」
,
「尊敬と感謝の気持ち」などを学んでいくことができる。そのため世代間交流での経験
は,小学校教育の中で児童が身につけるべき道徳心や道徳的実践力につながっていく。このこ
とから「道徳の時間」においても世代間交流を扱うことは可能であり,さらに他の教科・領域
との関連という点からの道徳ということを考えても,世代間交流との関係は大きいといえる。
④世代間交流と特別活動
特別活動の目標は以下の通りである(35)。
望ましい集団活動を通して,心身の調和のとれた発達と個性の伸長を図り,集団の一員と
してよりよい生活や人間関係を築こうとする自主的,実践的な態度を育てるとともに,自己
の生き方についての考えを深め,自己を生かす能力を養う。
特別活動の内容は「学級活動」
,
「児童会活動」
,
「クラブ活動」
,
「学校行事」の 4 つに分けら
れる(36)。この 4 つの中で特に児童会活動とクラブ活動の 2 つは異学年の児童が集まり行って
いく活動であるため,世代間交流の場として考えることができる。
特別活動という領域は授業という形で行われる他の教科・領域とは異なり,児童が学校生活
の中で実際に経験していくことにより,自立に必要な力を養っていくことができると捉えられ
る。児童会活動,クラブ活動といった時間で,異学年の児童とかかわり合いながら,世代間交
流から得られる異学年交流の価値が見出されていく。
児童が活動を通してさまざまなことを経験し学んでいくというように捉えることのできやす
い特別活動では,異学年の児童が共に活動を行うことができていれば良いというように考えて
しまいがちである。しかしどんな活動であってもねらいをしっかりと定めておかなければ,本
当に価値のある世代間交流とはいえなくなる。世代間交流の価値,特に異学年交流の価値をき
ちんと理解した上で活動を計画し,児童がねらいに向けて成長していくことのできるよう支援
していくことが不可欠である。そのようなことが踏まえられていれば特別活動において世代間
交流を行うことが可能である,
むしろ児童にとって必要な世代間交流となるということがいえる。
ここまで世代間交流を効果的に行うことのできる教科・領域を見てきたが,これらは小学校
の年間指導計画において,連携や組み合わせをしながら実践していくことが可能である。それ
ぞれの教科・領域の特長を理解しそれを活かしながら,より価値のある世代間交流の形を工夫
していくことが必要である。
第 3 章 世代間交流の実践分析
第 2 章において世代間交流の交流相手を①乳児,②幼児,③小学校の異学年児童,④中学生・
高校生・大学生,⑤大人(父母世代,祖父母世代)の 5 つに分け,それぞれの交流の価値につ
いて論じた。この章では種類分けした世代間交流の中から,小学生と幼児の交流,小学校にお
ける異学年交流,小学生とお年寄りの 3 つの交流を取り上げ,それぞれの交流についての実践
例を分析していく。
90
世代間交流とは何か
(1)小学生と幼児の交流
幼児との交流は小学校の近くにある幼稚園の園児との交流という形で,生活科や総合的な学
習の時間で行われている例が多い。ここでは品川区立第一日野小学校第 1 学年の生活科で行わ
れた実践例を取り上げる(37)。
* * * * *
○単元名「もうすぐわくわく 2 ねんせい」
○単元のねらい
(1)1 年間を振り返り,成長した自分に気付く。
(2)2 年生に進級できる自信や希望をもつことができる。
(3)年長者としての自覚をもち,思いやりを持ってかかわれる自分に気付く。
○評価基準
(1)生活への関心・意欲・態度
①自分の成長に関心を持ち,これまでの自分を振り返ろうとしている。
②自分ができるようになったことを実感し,意欲をもって生活しようとしている。
(2)活動や体験についての思考・表現
① 1 年間を思い出し,できるようになったことを自分なりの方法で工夫してまとめたり,
発表したりすることができる。
(3)身近な環境や自分についての気付き
①いろいろなかかわりを通して自分や友達のよさに気付いている。
② 1 年間の自分の成長に気付いている。
○活動・評価計画(全 17 時間)
子どもの活動
支援〇と評価●
● 1 年前の自分を振り返りながら,施設や園児とかかわる中で,
(3 時間)
1. わたしの一年間
体や遊びの変化や成長に気付いている。
〈関〉
去年の今ごろはどんなだったかな
〇楽しくかかわれるように声かけする。
・幼稚園へ遊びに行こう。
1 年間のできごとを振り返ろう
〇写真や観察(発見)カードなどの資料を整理する。
・楽しいできごとがいっぱいだ。
〇行事や思い出を学年の年表にしていく。
〇季節や内容によって色の違うカ一ドや袋を用意する。
●友達の発表を聞き,思い出す。
(発言・つぶやき)
〈気〉
2. できるようになったこと (4 時間) 〇入学したころの自分を振り返る資料(文字・絵・カードなど)
を準備する。
できるようになったことを見つけよう
●学校・家庭・地域と様々な場で楽しかったこと,がんばったこ
・どんなことができるようになったかな?
となどを思い起こす。
(発言・カード・行動)
〈関〉
見つけたことをまとめよう
〇学習・運動・身体・生活・遊び・心などいろいろな視点から,
・こんなことができるようになったよ。
できるようになったことを見つける。
(カード・発表 )
できるようになったことを発表しよう
〇できるようになるまでにがんばったこと,できたときの気持ち
・できるようになったことがいっぱいだ。
を思い出させたい。
(発表・つぶやき)
・思い出やできるようになったことを書こう。
●国語の「アルバムをつくろう」で作文の書き方を工夫する。
(作
(国語との関連)
品・発表)
〈思〉
●楽しかったこと,がんばったことなどを発表し,自分や友達の
よさに気付く。
〈気〉
91
3. いっしょにあそぼう
(5 時間)
新一年生を迎える会の計画を立てよう
・どんなことをすると喜んでくれるかな。
迎える会の準備をしよう
・ペンダント、招待状をつくろう。
・リハーサルをしよう。
ようこそ きりん組さん
・一緒に遊ぼうね。
・いろいろなコーナーで遊ぼう。
〇入学する前後のころを思い出して,園児に喜んでもらえる計画
を考えるようにする。
〇遊ぶコーナーの内容や準備はできるだけ児童の力で実現できる
ように支援する。
●グループで,工夫して遊ぶコーナーの準備や作業を進めること
ができる。
(行動・作品)
〈思〉
〇人とのかかわりが苦手な児童や園児に声かけをする。
●園児が楽しく遊べるように,思いやりを持って接するように気
を配る。
(行動観察・会話・つぶやき)
〈気〉
〇楽しかったこと,また遊びたいことなど絵手紙にかけるように
(5 時間)
4. プレゼントしよう
する。
すてきな教室をプレゼントしよう
〇進んで教室や靴箱などの掃除をしたり,球根の世話などをした
(国語・図工・特別活動との関連)
りする。
・きりん組さんに手紙をかきたいな。
●新 1 年生が喜ぶ教室を考え,飾るものをつくる。
〈思 / 関〉
・新 1 年生の教室を飾ろう。
●新 1 年生のためにたくさんできることがあることに気付き,楽
しんで行う。
(会話・行動観察・作品)
〈気〉
・もうすぐ 2 年生だね。
〇これからしたいことを考え,進級に希望を持つ。
この実践は児童が幼稚園児との交流でかかわり方などを学んでいきながら,自分自身の成長
に気付き,さらに第 2 学年に進級する希望へとつながっていくことを大きなねらいとして設定
され,年度末となる 2 ~ 3 月に行われている。
4 つの小単元からなっており,直接幼稚園児との交流が行われているのが第 1 小単元の「わ
たしの一年間」と第 3 小単元の「いっしょにあそぼう」である。さらに第 4 小単元の「プレ
ゼントしよう」では交流した園児に向けての活動を行っている。
ここでこの実践を第 2 章での論をもとに①小学生にとって価値のある交流となっているか,
②幼児にとって価値のある交流となっているか,③共に活動することで得られる価値が見いだ
せる交流となっているか,これら 3 つの視点から分析していく。
①小学生にとって価値のある交流となっているか
小学生が幼児と交流する価値としては大きく 2 つのことが挙げられる。
1 つ目は年上(小学生)としての自覚を持てるということである。幼児と交流することで自
分がリードしなければという気持ちが生まれ,小学生として責任感や自覚を持てるようになる。
この実践の第 3 小単元では小学生と園児が 1 対 1 のペアとなりいろいろなコーナーを回ると
いう活動がある。1 対 1 でのかかわりとなるため小学生には,自分が園児を引っ張っていかな
ければという思いが芽生える。これは年上(小学生)としての責任感,自覚へつながっていく
ものであり,直接かかわっているからこそ抱くことのできる思いである。この点ではこの実践
は価値のある世代間交流となっている。しかし実際には園児とペアを組めたのは 30 人の児童
のみであり,23 人の児童は各コーナーの係が割り振られていて,1 対 1 の交流は行えていない。
どの児童にも平等に交流の機会が与えられなければ,生活科の授業として計画して行っている
意味がなくなってしまう。
価値の 2 つ目は,幼児とのかかわりから自分自身の成長に気付くということである。この実
92
世代間交流とは何か
践は幼児との直接のかかわりがあるため,一年前の自分たちの様子を思い出すきっかけが得ら
れる。また第 4 小単元において新 1 年生のための教室装飾を行う活動があるが,これによっ
て自分たちが第 2 学年へと進級することを実感でき,進級,成長への意欲となると考えられる。
②幼児にとって価値のある交流となっているか
小学生と交流することで幼児が得ることのできる価値としては,交流の中で小学生に助けて
もらったり,教えてもらったりといった経験をすることで,小学生への憧れを抱くことができ
るということである。この実践では小学生が企画し,運営している「迎える会」に園児が参加
する。ここで各コーナーでの遊びを楽しんだり,ペアの小学生にいろいろ教えてもらったりと
いう経験をすることで,園児は「小学生はすごいな。
」といった気持ちになる。そしてそんな
小学生の姿に憧れ,自身の成長への意欲へとつながっていくと考えられる。
③共に活動することで得られる価値が見いだせる交流となっているか
小学生と幼児が共に活動することで,幼小の接続に良い影響を与え,小 1 プロブレムの
緩和につながるといった価値が得られる。この実践において児童の交流相手となっている
のは幼稚園年長児であり,もうすぐ入学を控えた園児が小学校,小学生に触れられる良い
機会にはなっている。しかし長い期間継続的に交流してきたわけではないため,幼小の接
続には不十分だと考えられる。幼小の接続,連携にはやはり,年間を通した継続的な交流
が必要である。またこの交流から小 1 プロブレムが緩和されるということはあまり期待で
きない。第 1 学年のみとの交流ではなく,中学年,高学年とも交流し,様々な小学生の姿
に触れる機会を設け,小学校生活とはどのようなものなのかを知れるような交流をするべ
きだと考えられる。
この実践は小学生,幼児共に,それぞれが価値を得ることのできる世代間交流になっている
といえる。しかし,全体的にもう少し直接かかわれる時間を設けるとさらに深まると考えられ
る。また「小学生と幼児の交流」という機会を,
「小学校と幼稚園の接続」につなげていくに
はまだ不十分な点があるのではないかと考える。
(2)小学校における異学年交流
異学年交流はこれまでにも述べたとおり,特別活動の時間に縦割り班の活動として行われて
いる形が多い。
ここでは東京学芸大学附属大泉小学校の実践を取り上げる(38)。同小学校では「生活団」と
いう異学年の集団がある。この生活団は各学年から約 5 人ずつが集まってできており,6 学年
18 クラスを 24 団に再分配して成り立っている。そして各団に教員一人が担当している。つま
り同小学校児童は自分のクラス以外にもう一つのクラス,もう一人の担任を持っていることに
なる。また 6 年生と 1 年生,5 年生と 2 年生,4 年生と 3 年生でそれぞれペアを組むことにな
る。次の表は生活団の一年間の活動を示したものである(39)。
93
異学年交流が意味のある世代間交流となるには,①上級生が価値の得られる交流となっている
か,②下級生が価値の得られる交流となっているか,③異学年同士が共に行う活動としての価値
が得られるか,という 3 つの視点が重要となる。それぞれの視点からこの実践を分析していく。
①上級生が価値の得られる交流となっているか
上級生が異学年交流から得られる価値として,責任感やリーダーシップを養うことができる
ということが挙げられる。この実践の生活団は団長を中心とする 6 年生の子どもたちがまとめ
ている(40)。団の話し合いは団長が司会進行を務め,別の 6 年生は書記をしたり,低学年の子
たちに対してわかりやすく説明したりしながら進められている。これによって 6 年生は自分に
与えられた役割を努めることで,最高学年としての自覚を持ち,リーダーシップを身につけて
いくことが可能であると考える。
さらに以下は 11 月に行われている全校遠足の様子についての記述である(41)。
きくまつりや全校遠足は,生活団にとって楽しく盛り上がる活動である。
3 年生や 4 年生が坂道に負けないように,元気なかけ声で仲間を励ます。団長や班長は地
図を見ながら力強く指示を出す。6 年生や 5 年生はペアのリュックをしょってあげ,励まし
ながら歩く。低学年の子どもたちはその励ましに応えようと精一杯頑張る。楽しいなかにも,
たくましいチームワークが見られる場面である。
全校遠足は団ごとにコースを選び,スケジュールを決め,自分たちの力を出し合って山を
登り,1 日を過ごす。
4 月に結成された団が半年かけて固まり,一つになる。
高学年の子どもたちは,自分のペアの子を中心に下級生の子どもたちをリードしている。ま
た中学年の子どもたちも低学年を励ましている。下級生の子どもたちと行動することでそれぞ
れに上級生としての自覚が芽生え,自分ができることに一生懸命取り組んでいることがわかる。
この実践は全学年の児童により団を形成しているため,高学年にとっては全体をまとめる力
を発揮しやすく,中学年も低学年に対して上級生となれる。教員ではなく児童が主体となって
行っているため,上級生の責任感は養われやすいと考えられ,上級生にとっての価値を見出す
94
世代間交流とは何か
ことのできる世代間交流である。
②下級生が価値の得られる交流となっているか
下級生の得られる価値は,上級生の姿を見たり色々教わったりすることで,上級生に対して
の憧れを抱くということである。この実践で下級生は,団の中心となって自分たちを引っ張っ
てくれる 6 年生の頼もしさを実感することができる。特に入学したての 1 年生にとって,ペ
アの 6 年生はとても大きな存在となるだろう。また先に示した全校遠足の記述からもわかるよ
うに,上級生は下級生が頑張れるよう声かけなどをして励ましている。このように上級生のた
くましさや優しさに直接触れることで,下級生は「自分もあんな風になりたい。
」という気持
ちになることが考えられる。
このようなことから世代間交流としての価値を見出すことができ,下級生の成長への意欲を
芽生えさせることのできる活動になっているといえる。
③異学年同士が共に行う活動としての価値が得られるか
異学年が共に活動をすることで得られる価値は大きく 2 つのことが考えられる。
1 つ目は異学年交流によってその学校の文化や伝統を児童同士を通じて引き継いでいくこと
ができるということである。この実践において生活団の活動は学校行事と結びつきながら行わ
れているため,行事の形式や運営を次の世代へと引き継いでいくことができる。その世代の特
色を活かしながら,伝統の守られた行事を行うことが可能であると考える。
2 つ目の価値は,児童同士顔見知りとなることでその活動の時間以外でも交流するようにな
るということである。私は以前この東京学芸大学附属大泉小学校の「お別れ音楽会」を見させ
ていただく機会があった。このとき児童の様子を見ていると,異学年の児童同士が当たり前の
ように会話をし,兄弟姉妹のように見えることがあった。同小学校には様々な地域から子ども
たちが通っているため,学校外での交流があるかは明らかでないが,異学年の児童の結びつき
ができているということがわかる。
この実践は一年間を通して行われ,さらに次の年度にはまた新しい団となっていく。世代間
交流を考える上で,
「一度限りの交流で終わらせてはならない。
」ということを第 1 章で述べた。
この生活団の一年間の活動から見る限り,交流がその場限りで終わってしまっている様子は見
受けられない。一年間の活動の全てについて明らかになっているわけではないが,この実践は
世代間交流の価値を十分に踏まえたものであるといえる。
(3)小学生とお年寄りの交流
お年寄りとの交流は様々な授業や活動の時間に実践されているが,ここでは総合的な学習の
時間で行われた実践例を取り上げ分析していく。
今回取り上げる実践は京都市立山王小学校の第 6 学年で行われたものである(42)。
95
* * * * *
○単元名(主題名)
「ライフ-Ⅱ ~おじいちゃん,おばあちゃんといっしょに~」
○単元(主題)のねらい
①自分という一人の人間が誕生してから今日まで成長してきた過程を振り返り,人間の体の成
長と老化,健康と安全,老後と福祉などについて体験的に調べながら,高齢者の抱える問題
をいろいろな立場で共感的に考えることができるようにする。
②高齢者の方々との交流を通して,自分を大切にする姿勢や人としての存在感,他者を尊敬す
る気持ちなどに気付き,自分の生き方を見つめていくことができるようにする。
○単元の指導計画
流れ・時間
1
課題を見付ける
2~4
主な学習活動
学習材・人材
〇ヒトの体について学んだこ ・理科教科書
とをもとに自分の体の成長に ・家族
ついて調べたり,これからど ・アルバム
のように成長していくのか話
し合ったりする。
〇歳をとると体にどのような ・祖父母
変化が起きるのか,80 歳の ・地域の敬老会
自分を予想したり,祖父母,・参考図書
地域の高齢者に尋ねたりして
老化について調べる。
生かす
〇聞いたり,見たりして調べ ・シュミレーター
たことをもとに,体の老化現 ・VTR
象について疑似体験する。
5 ~ 10 〇視野,視力,運動能力など
可能な範囲で疑似体験をし,
思ったこと,感じたことを話
し合う。
〇話し合ったことをもとに分 ・活動計画カード
かったことや疑問に思ったこ ・パンフレット
11 ~ 12
とを整理し,課題作りや計画
作りをする。
〇各自の追究課題に基づいて ・東九条特別養護老
調べる。
人ホーム,地域で活
ex: 成長と老化,健康と医療,躍するホームヘルパ
高齢者と福祉などについて
ーの方,老人医療に
13 ~ 23
〇地域の福祉施設,ホームヘ 携わる病院関係の方
ルパー,病院,地域の様子な など
どを体験的に調べる。
〇調査活動や調べてわかった ・模造紙
ことをいろいろな方法でまと ・'TP シート
める。
・調査資料
ex: 新聞形式・ポスター・劇 ・付箋紙
24 ~ 28
化など
・質問カード
〇発表会までに作品を掲示し
ておき,友達の活動内容が事
前に分かるようにする。
留意点
評価規準(評価方法)
理科学習と関連付けなが〈学習への関心・意欲・探究力〉
ら家族からの聞き取り調 健康・安全・福祉などに関心をもち,問題を意識し
査をするようにする。
ながら追究課題を見付けようとしている。
(発言分
析,記録分析)
自分の祖父母や地域の〈表現力〉
方々から直接話を聞ける 相手に尋ねたり,思ったことを伝えたりしながら,
ように事前にお願いして 高齢者の方とのコミュニケーションを楽しむことが
おく。
できる。
(行動分析,発言分析)
〈表現力〉
聞いた話の要点を整理したり,相手の表情から意図
をくみ取ったりして,願いや思いを知ることができ
る。
(記録分析)
身体機能の老化は,必ず〈学習への関心・意欲・探究力〉
誰もが迎えるという視点 地域の高齢者の話や疑似体験をもとに,80 歳の自
で体験させ,不自由な面 分という視点で健康,安全,福祉などについて問題
(行動分析,発言分析)
だけでなく高齢者の努力 を見付けようとしている。
についても考えられるよ
うにする。
解決の方法を具体化する〈計画力〉
ようにする。
自分の学習課題を明らかにし,課題追究のための調
査方法を考え,計画的に取り組むことができる。
(記
録分析)
調べる方法について支援〈生活実践力〉
できるよう,事前に関係 地壊の方々へ積極的にあいさつしたり話しかけたり
機関に協力依頼や打ち合 することができる。
わせ・調整をする。
(行動分析)
保健,社会科,家庭科な〈自己の生き方〉
どと関連付けるようにす 同じ目の高さで話す,表情豊かに話すなど,相手の
る。
ことを思いやりながら高齢者と交流しようとしてい
る。
(行動分析)
体験的な活動を通して分〈表現力〉
かったこと,教えてもら 調査結果や自分の考えを絵図や写真などを使って,
ったことが表現できるよ 分かりやすくまとめることができる。
(作品分析)
うに一人一人の個性に合
わせて支援する。
96
世代間交流とは何か
広げる
〇発表会を行い,健康・生き ・福祉,医療など京
がい・まちづくりなどの視点,都市の取組資料や関
で見えてくる現状や工夫して 係者
いる点,問題点について話し ・地域の関係団体の
方
29 ~ 34 合う。
〇自分の家族や地域に住む高
齢者の方と,共に生きていく
ことについて考える。
深める
調べた視点で,実際に地〈思考力〉
域の中を歩いたり,区役 介護体験と福祉事業,地域安全マップとまちづくり
所や関係機関を尋ねたり 事業など,学んだことを関連付けながらこの地域に
できるようにする。
住む高齢者の願いや思い,自分とのかかわり方につ
いて考えることがでぎる。
(行動分析,記録分析)
〈思考力〉
福祉問題,高齢者問題など,これからの取り組む方
向や方法について将来の自分に置き換えて考える
ことができる。
(発言分析,記録分析)
〇「80 歳の自分と社会」に ・地域の関係団体の 自分の問題として高齢者〈生活実践力〉
ついて,自分の生き方を振り 方
の方に協力できることを 高齢者にとっての安全なまちづくり,充実した生活
返りながら今の自分にできる ・生活点検カード
具体的に考えていけるよ を実現するための地域の取組に関心をもっている。
ことを地域の中で実践してい ・実践計画カード
うにする。
(発言分析)
35 ~ 40
く。
〈自己の生き方〉
相手の願いや思い,生き方などを共感的にとらえな
がら,自分の生き方について見つめ直している。
(自
己評価)
この実践において,小学生がお年寄りとの直接の交流を行っていると考えられるのは,単元
の 2 ~ 4 時間目と 13 ~ 23 時間目に行われている活動である。
小学生とお年寄りの交流から得られる世代間交流の価値は,①小学生にとって価値のある交
流となっているか,②お年寄りにとって価値のある交流となっているか,③共に活動すること
で得られる価値が見いだせる交流となっているか,この 3 つの視点に分けられる。これらの視
点をもとにこの実践を分析していく。
①小学生にとって価値のある交流となっているか
小学生がお年寄りとの交流で得る価値としては,活動を通してお年寄りから生きた知恵を直
接得ることができるということが挙げられる。この実践では小学生がお年寄りに直接話を聞く
活動がある。指導計画の評価基準の欄を見ると,お年寄りとのコミュニケーションなどについ
て項目が挙げられている。お年寄りとの交流から,接し方やコミュニケーションの仕方を学ぶ
ということも世代間交流の価値として考えられることであり,その点では小学生は価値を得ら
れている。しかしこれだけでは世代間交流として十分とはいえない。
この実践において,小学生がお年寄りからどのような話を聞いたのかは一部しか明らかでな
いが,
「歳をとって苦労すること」を中心に聞いたようである。ここで聞いたことがこの実践
の後半の活動につながってくることは理解できる。しかしこれがお年寄りから直接学んでほし
い生きた知恵であるかは疑問である。子どもたちにお年寄りから学んでほしい生きた知恵とは,
三世代世帯の中で子どもたちが育っていくことで得られたような,祖父母世代であるからこそ
知っている知識,知恵である。伝統や文化,歴史など学校の授業などでは教われないことを知
る機会となるのがこの世代間交流である。この実践でも多少はそのような知識,知恵を得られ
るかもしれない。しかしお年寄りの話を聞いているだけでは十分ではないだろう。何か一緒に
活動をすることを通して,その中で子どもたちが様々なことを学ぶ。そのような中で得たもの
が生きた知恵といえるものである。
このような点からこの実践は小学生が価値を得るには,
「お年寄りと一緒に行う活動」が不
足しているといえる。
97
②お年寄りにとって価値のある交流となっているか
小学生との交流によってお年寄りが得ることのできる価値はまず,小学生との活動がお年寄
りにとって新鮮な体験となることである。小学生はこの実践で,自分の祖父母や地域に住むお
年寄りから話を聞いている。普段小学生とかかわる機会のないお年寄りにとっては,小学生と
少し話をするだけでもとても新鮮な経験となったと考えられる。しかし小学生にとっての価値
を考えたときと同様,お年寄りもただ「歳をとって苦労すること」を聞かれて答えているだけ
では,交流として物足りない。
またもう一つの価値として,お年寄りが自分たちの知識や知恵を小学生に伝えることができ
ることに気付き,それをきっかけに普段から子どもたちとかかわろうという気持ちを抱くよう
になることが挙げられる。この実践では先にも述べたようにお年寄りが「小学生と一緒に行う
活動」が不足している。そのためお年寄りが何かの活動を通して,小学生に自分の知識や知恵
を伝えていくことができない。話をするだけでもその中で伝えられることはあるが,やはり一
緒に何かを行う中で伝えていくほうがより具体的なものになり,お年寄りも伝えられる喜びを
感じやすいと考えられる。
③共に活動することで得られる価値が見いだせる交流となっているか
小学生とお年寄りが共に活動することから,知識や伝統,文化を次世代へと引き継いでいく
ことができ,人と人だけでなく時代と時代をつなぐ交流となるという価値が得られる。この実
践では小学生とお年寄りとのかかわりが不足していると考えられるため,
「人と人のつながり」
という点もそれほど期待できない。また「人と人とのつながり」が不十分ということは「時代
と時代のつながり」にもなっていかない。ここで何度も指摘しているとおり,この実践は「共
に活動をする」という点で不十分である。そのためここで示した交流の価値も得ることができ
ない。やはりこの価値は小学生とお年寄りが「一緒に」何かをしなければ得ることができない。
この実践は全体を通して,小学生とお年寄りの直接の交流が足りないといえる。お年寄りが
話をする,小学生がそれを聞くという活動も意味のないことではないが,互いのつながりや交
流の価値を考えるならば,一緒に行える活動を提案すべきである。そしてそこから互いを知り,
世代間交流の価値を見出していく必要がある。
第 4 章 小学校における世代間交流のカリキュラムと実践
これまで,世代間交流の必要性と価値,小学校の教科・領域との関連について論じ,実践例
の分析を進めてきた。この章ではこれらをもとに私が目指す「小学校における世代間交流のカ
リキュラム」と実践の在り方の提案を行う。
(1)カリキュラムの提案
この章までの論述,分析から,児童には小学校の 6 年間を通じて世代間交流の機会を与える
必要があるということを明らかにしてきた。そこでここでは,小学校第 1 学年から第 6 学年
98
世代間交流とは何か
がそれぞれ行う必要があると考えられる世代間交流をカリキュラムとして提案する。
カリキュラムは横に沿って見ると各学年で行うべき内容が,縦に各教科・領域で行うべき内
容が分かるように作成した。各教科・領域は左から「生活科・総合的な学習の時間」
「
,特別活動」
,
「道徳の時間」
,
「教科」と実践の場を位置づけた。各世代間交流の内容に関しては,
「生活科・
総合的な学習の時間」
「
,特別活動」
の欄では第 2 章で論じた世代間交流の種類を示している。
「道
徳の時間」では第 2 章の道徳における世代間交流の論述を元に,学習指導要領の内容のどこに
当てはめられるかを示している。
「教科」では,他の教科・領域で行った世代間交流の内容に
関連した学習として,どの教科でどのような単元で取り扱うことができるか,またはどのよう
な教材を用いるのが効果的であるかなどを示している。
以下が私の提案するカリキュラムである。
生活科・総合的な学習の時間
生活科
幼児との交流①
第1学年
第1~6学年の縦割り班における
年間を通した活動
生活科
大人(父母世代)
との交流①
総合的な学習の時間
お年寄りとの交流②
中学年
上級生の様子を見て学びながら、自らも
低学年をリードしていこうと力を発揮する。
第4学年
総合的な学習の時間
大人(父母世代)
との交流②
第5学年
高学年
班のリーダー的存在となり、下級生を
引っ張っていく。
総合的な学習の時間
乳児との交流
第6学年
総合的な学習の時間
中学生との交流
教科
国語
お年寄りとの交流
(「お年寄り」という存在に
触れる教材)
学習指導要領2-(2)
幼い人や高齢者など
身近にいる人に温か
い心で接し、親切にす
(43)
る1)。
。
低学年
上級生に支えてもらいながら、様々なこ
とを経験し学んでいく。
第3学年
総合的な学習の時間
幼児との交流②
道徳の時間
その他
異学年交流として
含まれる活動
○低・中・高学年それぞれの
縦割り班活動における役割
生活科
お年寄りとの交流①
第2学年
特別活動
他
の
教
科
・
領
域
と
関
連
し
た
活
動
国語
幼児との交流
(「幼児」という存在に
触れる教材)
学習指導要領2-(4)
生活を支えている人々
や高齢者に、尊敬と感
謝の気持ちをもって接
(44)
する
2)。
。
ク
ラ
ブ
活
動
委
員
会
活
動
学習指導要領4-(5)
父母、祖父母を敬愛
し、家族の幸せを求
めて、進んで役に立
つことをする
3)。
。
(45)
家家
庭庭
生科
活
・
家
族
社会
くらしと産業の学習
(農業・工業・情報産業)
このカリキュラムについて,各教科・領域の欄に従い①生活科・総合的な学習の時間,②特
別活動,③道徳の時間,④教科と分けた上で,詳しく論じていく。
①生活科・総合的な学習の時間
第 1・2 学年が生活科,第 3 ~ 6 学年が総合的な学習の時間となっている。
まず第 1・2 学年については行う必要がある世代間交流が全部で 3 つある。1 つ目の「お年
寄りとの交流①」は,子どもたちが遊びを通してお年寄りと交流できる活動が考えられる。遊
99
びの内容を「昔の遊び」とすることによりお年寄りが子どもたちに知恵を伝えることができ,
伝統を引き継いでいく機会にもなる。またこの活動は,第 1・2 学年どちらで行っても良いと
考えられるため,共通の表記となっている。
2 つ目は第 1 学年で行う「幼児との交流①」である。幼小の接続等から考え,第 1 学年に設
定した。交流の相手は年長児がふさわしい。交流の内容は一緒に遊んだり,互いに幼稚園,小
学校を訪問したりと様々考えられるが,直接の交流の時間を多く設け,双方の価値を見出せる
よう工夫していく必要がある。
3 つ目は第 2 学年で行う「大人(父母世代)との交流①」である。第 2 学年の生活科では「町
たんけん」が設定されていることが多い。この「町たんけん」を通して子どもたちは地域の大
人と触れ合い,また様々な仕事を目にする。これは世代間交流としての価値も含みながら実践
できる活動であると考え,ここへ設定した。
第 3・4 学年ではどちらの学年でも実践可能なものとして 2 つの交流をあげているが,どち
らの交流も低学年で行ったものを発展させたものとなっており,②としている。
1 つ目は「幼児との交流②」である。第 1 学年で行った①では幼小の接続に重点を置き「1
年生と年長児の交流」であったが,ここでは「幼い子との交流機会があまりない現代の小学生」
という点から考えた交流である。交流の相手も年長児に限ることなく考え,また中学年となっ
たことにより,さらに子どもたち主体となった活動へと発展させ行う必要がある。
2 つ目は「お年寄りとの交流②」である。①は生活科で行われていたものが総合的な学習の
時間で行われることになるため,子どもたちが自ら課題などを見つけその解決に取り組めるよ
うな活動へ発展させなければならない。交流相手のお年寄りは①の時と違う方々でも良いが,
継続的な交流という点から同じ方々ともう一度交流し,子どもたちの成長を感じてもらうのも
良いと考えられる。
第 5・6 学年では 3 つの交流を設定している。1 つ目はどちらの学年で行っても構わないも
のとして「乳児との交流」がある。これは低・中学年では行われていない種類の交流である。
乳児は言葉で自分の意思を表せる幼児よりもさらに交流が難しく,大人でも慣れていないと接
し方に悩むことがある。高学年となり,低・中学年で幼児との交流を経験してきた子どもたち
に,新たに乳児という存在との触れ合いの場を設けることは非常に価値のあることであると考
えられる。またここまで成長した子どもたちが乳児との交流をきっかけに,自身の成長を振り
返ろうとすることも期待できる。
2 つ目は第 5 学年で行う「大人(父母世代)との交流②」である。これは①が第 2 学年で行
われているが,①ではどんな仕事があるのか,働いている大人の様子はどのようなものかを知
る活動となっている。第 5 学年では②として実際に子どもたちも仕事をする「職場体験」とい
う形で活動を行う。それを通して大人との交流はさらに深いものとなる。働く大人や仕事に対
する憧れもより具体的なものとなり,キャリア学習につながっていくものを想定している。
3 つ目は第 6 学年で行う「中学生との交流」である。これは中学校への進学を控えた子ども
100
世代間交流とは何か
たちが中学校がどのようなものなのかを知り,中学生の様子を実際に見ることで,成長,進学
への意欲を見出すことを大きな目的としここへ設定している。もちろん小学生が得られる価値
のみに偏った交流にならないよう配慮し,総合的な学習の時間で扱っているということも踏ま
えた上での活動にしなければならない。
②特別活動
特別活動においては
「異学年交流」
を設定している。第 1 ~ 6 学年の児童で縦割り班を形成し,
年間を通して活動を行っていく。このような形で行うようにした理由は,第 3 章で分析した東
京学芸大学附属大泉小学校の実践が異学年交流として非常に価値のあるものであると感じたか
らである。児童主体で行える活動を計画した上で,低・中・高学年の児童がそれぞれ,表に示
されているような役割を果たすことができるように配慮していくことで,どの学年の児童にも
価値のある交流となっていく。またこの縦割り班での活動を毎年行いその小学校の形として確
立していくことで,学校の歴史や伝統を児童自身が引き継いでいくことが可能である。
さらに特別活動では縦割り班での活動以外にも,他の教科・領域と関連させながら随時必要
に応じた異学年交流を行っていくこともできる。また第 4 ~ 6 学年で行われるクラブ活動,
第 5・
6 学年で行われる委員会活動も異学年交流として考えられる場である。
特別活動において異学年交流の場を設けることで,児童同士の結びつきが強くなり,児童た
ちが自ら異学年でのかかわりを持てるようになることが期待される。
③道徳の時間
道徳教育は小学校生活全体を通じて行われるべきものであるが,ここでは「道徳の時間」に
設定できる世代間交流を示している。第 2 章で述べた学習指導要領における 2 学年ごとの内
容分類に基づき,低・中・高学年で 1 項目ずつ設定し,低・中学年では国語との兼ね合いから
偶数学年で,高学年ではどちらで扱っても良いものとして計画している。道徳の時間では随時,
学習内容に適した教材を用いることが考えられるが,ここでも,内容分類に当てはまり,世代
間交流に効果的に作用する教材を選択して用いる。場合によっては道徳の時間に直接の交流を
計画することも可能である。
「人とのかかわり」について学習していく道徳の時間を上手く活
用していくことも,小学校における世代間交流には欠かせないことと考える。
④教科
ここでは生活科や総合的な学習の時間において行うべきとして設定した世代間交流の活動に
関連させながら,その活動をさらに効果的にしていくために他の教科で行うことのできる学習
が示されている。第 2 章で論じた家庭科に,国語と社会を加えている。
まず国語は第 1 学年と第 3 学年に設定している。第 1 学年では生活科において低学年で行
うべきとした「お年寄りとの交流」に関する学習を設定している。教材は教科書ではなく第 1
学年ということからも絵本教材が理想的であり,1 つに限らず複数の絵本を扱うことも考えら
れる。お年寄りに関する内容の絵本を扱うことで,実際のお年寄りとの交流について考える機
会となり,お年寄りという存在がより身近になるよう活用できれば良い。第 3 学年では「幼児
101
との交流」に関する学習を行う。ここでも教科書以外の教材(自作教材等)を扱うことで,幼
児について考える機会とし,交流に活かしていくことが期待できる。第 1 学年においても第 3
学年においても授業数をそれほど多く扱う必要はなく,実際の活動と関連するよう学習を行う
ことで,世代間交流に非常に効果的に働くと考えられる。
次に第 5 学年には社会を設定した。内容は「くらしと産業の学習」であり,つまり第 5 学
年の社会で行う農業,工業,情報産業などの産業についての学習である。この学習全てを世代
間交流に結びつけるわけではなく,総合的な学習の時間において職場体験を行う第 5 学年の児
童が,
「産業」も仕事と関連させながら考えられるよう扱っていくということである。各産業
について学習を進めていく中で,
「そこで働く大人」の姿も示していくことで,子どもたちの
仕事に対する考えや知識をさらに広げていくことが期待できる。
最後に高学年に設定されている家庭科についてである。第 2 章でも述べたとおり,家庭科に
おいては学習指導要領に示されている「家庭生活・家族」が世代間交流に関わる内容となる。
家庭科において「家族」について学習することで,子どもたちは改めて「家族」の存在につい
て考えることができ,世代間交流の場としても重要な家族とのつながりを見直していけると考
える。この学習は家庭科を行う第 5・6 学年どちらで扱っても構わないものとして設定している。
以上のようにその他の教科は直接世代間交流を行うことは無かったとしても,交流をさらに
効果的で意味のあるものにしていくために重要な役割を果たすと考えられる。
(2)実践の提案
「小学校における世代間交流のカリキュラム」を(1)において提示したが,ここでは先のカ
リキュラムの中から 1 つの活動を取り上げ,その実践を具体提案していく。
今回取り上げる実践は,カリキュラムにおいて中学年の総合的な学習の時間で行うべきとし
た「幼児との交流②」である。この活動を取り上げる理由は,第 2 章で世代間交流の種類につ
いて論じた際「小学生と幼児の交流」にとても魅力を感じたからである。私自身幼児教育に対
する興味が高く,幼児とかかわる機会も多いが,その度に幼児の考えの豊かさに驚かされる。
小学生もまたどんな経験も学びへとつなげていくことができ,それらを吸収していくことも得
意な世代である。そのため小学生と幼児の交流からは価値や発見が豊富に見出せるのではない
かと考えた。
また低学年ではなく中学年での実践を選択した理由は,第 3 章の実践分析を進めていった際
に,
「小学校 1 年生と幼稚園年長児の交流」という形で行われているものが多いことに気づい
たからである。実践の目的が小 1 プロブレムの緩和や幼小の接続に重点を置いて計画されてい
るものが多かった。それももちろん大切なことであり,この論文においても触れている。しか
し「幼児との交流体験」という点に比重を置いて考え行う実践も必要である。
「小学校 1 年生」
,
「幼稚園年長児」に限ることなく交流を行い,その交流を継続的なものとしていくことが大切
であると考えられる。そのためここでは中学年における実践を提案する。
102
世代間交流とは何か
カリキュラムにおいては「幼児との交流②」を第 3・4 学年どちらで行っても構わないもの
として扱ったが,ここでは第 3 学年における実践として提案する。
以下が私の提案する実践である。
* * * * *
3 年 総合学習指導案
1. 単元名 「幼稚園の子たちと七夕パーティーをしよう」
2. ねらい
【内容知】○自分より年下の幼稚園児に対して興味を持つ。
○お兄さんやお姉さんとして幼稚園児と触れ合うことの責任を知り,自分たちも年
上として園児の見本となれることに気付く。
【方法知】○幼稚園児との活動を通して,仲良く楽しく活動するための工夫の仕方を考える。
【自分知】○幼い子とかかわることの魅力に気付き,交流の機会を持とうと積極的に働きかける。
○異世代の間でのかかわりに興味を持ち,異世代の人間とも豊かな人間関係を築こ
うという意欲を高める。
3. 単元設定の理由
現代の家庭は両親と子どもだけといういわゆる「核家族」の家庭が多く,家族の人数が少な
い家庭が多い。兄弟の人数も少なくなり,一人っ子という子どもも多くなっている。そのため
子どもたちは異世代の人との交流機会をあまり持てなくなってしまっている。異世代の人との
かかわりからは,その相手が年上であっても年下であっても,たくさんのことを体験し学ぶこ
とができる。年上の人との交流であれば,多くの知恵を教わることができたり,
「将来自分もあ
んな風になりたい」という憧れを抱くこともできる。また年下の子との交流であれば,
「自分が
年上なのだから」という意識から責任感を持つことができたり,普段知ることのなかった自分
の一面に気付くことができるかもしれない。これらの点から異世代の人との交流は,3 年生にな
り小学校にも慣れ,これから色々な経験をして育っていく児童には欠かせないものだと考えた。
また世代間交流の中でも「小学生と幼児の交流」が生み出す学び,互いに与える影響は大
きいと考える。さらに本校の児童は第 1 学年において幼稚園年長児との交流経験がある。第 1
学年時の活動からさらに児童主体の活動へと発展した「幼児との交流」を行うことで,児童の
成長も感じられるだろう。これらの理由から本単元を設定した。
この単元では七夕というイベントを通して近隣の幼稚園児たちとの交流を持つ中で,幼い子
どもに関心を持ち,どう接していけば良いかということをそれぞれの児童が活動の中で工夫し,
実践してほしいと考えている。その中で幼い子とかかわる大変さや魅力を実感し,これからの
自分自身の成長につなげていってほしい。
103
4. 指導計画(11 時間扱い)
104
世代間交流とは何か
この実践は「七夕」という季節のイベントを通した交流となっている。季節のイベントはど
の幼稚園でも重視されているものであり,園児にとっても興味が高い。また小学生にとっても
年に一度のものであるが,誰もが知っていることである。このような季節のイベントをきっか
けとした交流を行うことで,小学生も幼児も活動に入っていきやすいのではないかと考えた。
「七夕パーティー」の準備から実施,その後の「ありがとうカード」の制作へと続いていく
全 11 時間の実践であるので,6 月初旬から 7 月中旬辺りまでに行う活動になると考えている。
ここでこの実践を,提案した指導案の流れに基づき①ねらい,②単元設定の理由,③指導計
画の 3 つに分け,それぞれについて論じていく。
①ねらい
第 2 章で総合的な学習の時間について論じた際に,
子どもたちに養われる力として「内容知」
,
「方法知」
,
「自分知」について述べたが,この実践におけるねらいもその 3 つの項目に従って
示している。以下それぞれの項目ごとに論じる。
ア,内容知
まず内容知について第 2 章で示したことを確認する(46)。
内容知:総合・各教科・領域の学習内容がそれにあたり,子ども自身が何を体験し,何を獲
得するかの再編・統合・精選である。知識としての獲得内容ではなく,子ども自ら
掴み取る知恵となるとき,これを内容知と位置づける。
この指導案には内容知として 2 つのねらいを挙げた。1 つ目の「自分より年下の幼稚園児に
対して興味を持つ。
」は世代間交流を行う上でまず大切にしたいことである。活動を行う中で
小学生が幼児に対して関心を持ち,もっと交流したいと思うようになることは,子どもたちが
自ら獲得していくことであると考えここに位置付けた。
2 つ目の「お兄さんやお姉さんとして幼稚園児と触れ合うことの責任を知り,自分たちも年
上として園児の見本となれることに気付く。
」もまた,子どもたちが活動を行う中で,子ども
たち自身が掴み取っていくものであるといえる。教師が教える知識ではなく,自分で経験しそ
の経験から学んでいくものである。
イ,方法知
方法知については第 2 章において以下のように示した(47)。
方法知:子ども自身が「いかに学ぶか,どう学ぶのか」という学習方法であり,学び方である。
指導の効率化以上に,子どもの追求方法の実態に基づいたものでなければ,子ども
の方法知にはならない。
この実践においては方法知を「幼稚園児との活動を通して,仲良く楽しく活動するための工
夫の仕方を考える。
」としている。実際に活動しながら,
自分たちで考え工夫をしていくことが,
子どもにとっての学びになる。自分たちが体験したことから学びとして獲得されるため,より
105
具体的な学びとなって身についていくことが期待できる。
ウ,自分知
自分知は第 2 章において以下のように示されている(48)。
自分知:子ども自身がどう自分を発揮し,そしていかに生きるかに繋がる自己発見・自己理
解を積み上げることである。
「学習」と「生活」を結びつける知であるばかりか,学
ぶ意味や価値,
そして生きる力となる「自己の確立」を築くための不可欠な知である。
この実践において自分知としてねらいに挙げられていることは 2 つある。1 つ目は「幼い子
とかかわることの魅力に気付き,交流の機会を持とうと積極的に働きかける。
」である。幼児
との交流の楽しさ,面白さに気付いた上で,さらに自ら交流するための働きかけを行うという
ことから,これを自分知に位置付けた。気付きを行動へと変えていく大切なねらいである。
2 つ目は「異世代の間でのかかわりに興味を持ち,異世代の人間とも豊かな人間関係を築こ
うという意欲を高める。
」
である。これはこの活動における最終的なねらいとなると考えられる。
「幼児との出会い,交流」をきっかけに,今後自ら異世代との交流機会を持とうという気持ち
を芽生えさせることが,世代間交流としての大きな目的であると考える。この活動を自身の世
代間交流へと発展させていくという点から,これを自分知と位置付けた。
②単元設定の理由
ここはこの論文において論じてきたことを軸として書いている。第 1 章において論じた,家
族構成の変化等により子どもたちが日常で経験できる世代間交流は減っているという現状に触
れ,第 1 章や第 2 章で論じた世代間交流の価値について述べている。また私がここまで論じ
てきた中で感じた「小学生と幼児の交流」の魅力,さらにカリキュラム通り第 1 学年生活科に
おいて「幼児との交流①」の活動を行った上での今回の活動であることをここに述べている。
②指導計画
この実践は第 1 ~ 3 次の 3 つの過程に分かれている。それぞれの過程ごとに分けて論じていく。
第 1 次 幼稚園の子ってどんな子かな?
第 1 次は,幼稚園の先生から「七夕パーティー」の誘いの手紙があったことをきっかけに児
童が「幼児」について考え,話し合いを行い,一緒に七夕飾りを作るための準備を行うという
活動になっている。幼児との直接の交流がある次ではないため時間数も 2 時間と短めの設定と
なっている。私は第 3 章において実践分析をした際に,世代間交流の活動はやはり小学生と交
流相手の直接の交流が最も大切な活動であると感じた。もちろん事前・事後学習も大切である
ことに変わりはないが,できるだけ交流の時間を長く取ることで互いに得る価値も自ずと増え
ていくのではないかと考えた。
この次において大切なことは,
「幼児」に対する興味を児童にいかにして持たせるかである。
ここで児童が幼児への興味を抱かなければ今後の活動へもつながっていかない。そこで「幼稚
園の先生から手紙が来た」という導入をすること,
「七夕パーティー」という提案を行うことで,
106
世代間交流とは何か
幼児,またこの活動への興味や意欲を喚起しやすいのではないかと考えた。
幼稚園年中児についての考え,意見を発表する活動があるが,ここでは児童の幼児に対する
認識が正しくなくても構わないと私は考える。七夕飾りを作る活動で初めて幼児と顔を合わせ
ることになるが,その時に安全に活動できるようにすることを児童が意識できていれば,完璧
なかかわり方を求める必要はない。交流の中で学んでいくことが重要であるため,ここでは教
師が完全な答えを児童に与える必要性もないだろう。
第 2 次 幼稚園の子と友達になろう!
ここでは幼稚園での七夕飾り作り,七夕パーティーの準備,小学校に園児を招いての七夕パ
ーティーと実際の幼児との交流機会が設けられた活動が中心となっている。
まず幼稚園に児童が訪問し,年中児と一緒に七夕飾りを作る。児童と園児でグループを作り活
動を行う。後の七夕パーティーにおいてもここでのグループを中心として活動を行っていく。そ
うすることで絆も深まりやすく,互いに安心して活動を行えると考える。七夕飾り作りでは,児
童にとって思うようにいかない場面も見られるだろう。第 1 学年の時に交流した年長児との違い
を感じる児童もいるかもしれない。そのような経験から子どもたちは様々なことを学び吸収して
いく。そのためここで困ったり,苦労したりするのは児童にとって大切なことであると考える。
しかし児童も園児も楽しく行える活動にする必要もあるということを教師は忘れてはならない。
小学校へ戻り,園児と交流して気付いたこと,上手くいかなかったことを発表し合う。そう
することによって児童たちが自分たちの認識の違いに気付き,七夕パーティーの企画,運営へ
と活かしていくことができる。このような話し合いにおいても,この後行っていく七夕パーテ
ィーの準備においても,児童主体の活動になるようにすることが大切である。児童が自ら考え,
活動していけるよう教師は支えていかなければならない。時には手助けをし,解決へのヒント
を与える等しながら,児童がより成長できるよう支援の仕方を工夫していく必要がある。
七夕パーティーの日は先にも述べたように,前回作ったグループを中心に活動していく。児
童が企画したゲーム等の催しをしていくことで,幼児は「小学生はすごい」といった憧れを抱
くことができるだろう。そして幼児が楽しんでいる姿を見て,自分自身も楽しみながら七夕パ
ーティーを行うことで,
児童は自信を見出すことができる。また「楽しい」と感じることで「幼
児との交流」の魅力に気付くことを期待できる。
第 3 次 また一緒にできることを考えよう!
第 3 次は活動を振り返り,次に幼稚園児とやってみたいことを発表し合う。さらに「ありが
とうカード」を園児に送るという活動を行う。
ここで重要なことは幼児との交流を今回限りで終わらせずに継続させていくということであ
る。今回は「七夕パーティー」をこちらから提案したが,児童からこの先やってみたい交流に
ついて尋ねることで,次の活動へ意欲的につなげていけると考える。また幼児との絆やつなが
りも大切にできるよう「ありがとうカード」の製作も行い,今回の交流限りのつながりではな
いということを児童にも気付いてほしいと考える。また園児からもその返事を送ってもらうこ
107
とで,児童の喜びも大きくなると考える。
この活動を継続的なものにしていくためには,今後も小学校と幼稚園が互いに連携し合うこ
とが重要である。次の交流機会についても積極的に検討し,職員同士が協力し合いながら子ど
もたちの世代間交流の場を作っていく必要がある。
以上がこの実践の流れ,内容である。実際に子どもたちに向けて実践したものではないため
この通りにいかないこともあるかもしれないが,世代間交流としての価値を大切に考えながら
計画したものである。この実践やカリキュラムに示した他の活動を行うことで,子どもたちが
異世代との交流に興味を持ち,自ら交流を行いながら,様々な学びを積み重ねて成長していけ
れば良いと考える。
おわりに
私は,社会の変化により,家族や地域など子どもたちを取り巻く人間環境も変わってきたた
めに,現代の子どもたちは世代間での交流に乏しくなっているのではないかと考え,今回「世
代間交流」について論じた。
様々な資料をもとに分析,考察し,自分自身の考えを深めていく中で,大きく分けて 3 つの
成果を得た。
1 つ目は,現代の子どもたちにとっての世代間交流の必要性を明らかにできたことである。
はじめににおいても必要性について述べたが,この時点ではまだ裏付けとなる分析等は無かっ
た。しかし第 1 章において世代間交流の歴史,家族・学校・地域の変質を論じていくことで,
現代社会は子どもたちが世代間交流を自然発生的に行うことが難しくなっていることが明らか
にできた。家族内での人間関係が狭く限られたものになっていること,学校外で子どもたちが
集団で自由に遊べる場所が無い上に,子どもたちの遊ぶ時間までもが限られてしまっているこ
と,地域の人たちのつながりも希薄になってしまっていること等,当たり前となっている現代
社会を「世代間交流」という点から考えてみると,社会が発展していくにつれて人間環境が乏
しくなっていったことが明確となった。このような事実から,世代間交流を意図的に計画して
いかなければならないという考えが得られた。
成果の 2 つ目は,世代間交流を行うことで子どもたちやその交流相手が得られる価値を明ら
かにできたことである。これは主に第 2 章での成果であるが,自分自身の考えていた世代間交
流の価値を,その交流の種類や交流相手に従って順に明らかにしていくことで,自分の中での
考えが整理されていった。また世代間交流において大切にしなければならない「双方の価値」
が何であるのかもはっきりしていった。ここで価値を明らかにできたことにより,実践例の分
析やカリキュラム及び実践の提案の際も,自分の考えを見失うことなく論じていくことができ
たと考える。またここで明らかとなった世代間交流の価値は,今後私が世代間交流について考
えていく際にも軸となっていくだろう。
3 つ目の成果は,実際に実践例の分析をしてからカリキュラム・実践の提案を行ったことにより,
108
世代間交流とは何か
具体的なイメージを持ちながらカリキュラム・実践を提案できたことである。実践例として 3 つの
世代間交流の活動を分析し,その良い点,不十分な点について論じた。これによって自分の理想と
する「小学校での世代間交流」の形が明らかになった。その上でカリキュラムの提案を行ったため,
その全体像のイメージをしっかりと思い浮かべながら提案していくことができた。またここでも第
2 章で論じた価値,さらに教科・領域についての分析は大きく役立った。そして特に「小学生と幼
児の交流」の魅力や必要性を強く感じ実践の提案を行ったが,
「小学生と幼児の交流」についても
実践例を分析していたために,より価値のある世代間交流にしていくためにはどうすれば良いのか
ということを考え,自分自身の理想とする交流の在り方を表すことができたと感じている。
以上が本稿においての大きな成果である。また世代間交流について論じたのは今回が初めて
であるが,今後に向けての課題も残された。これも大きく分けて 3 つある。
1 つ目は,本稿においては日本国内の世代間交流の歴史,現状について論じるに留まり,他
国の世代間交流には詳しく触れていないという点である。しかし第 1 章においても少し述べた
が,アメリカやヨーロッパにおいては世代間交流が日本よりも定着しているということがわか
った。これらの国々やさらに他の国々の世代間交流について調べることにより,日本において
求められる世代間交流がさらに明らかになると考える。
2 つ目は,
今回分析を行ったのが 3 つの実践例のみいうことである。今回分析を行ったのは「小
学生と幼児の交流」
,
「小学校における異学年交流」
,
「小学生とお年寄りの交流」の 3 種類であり,
この論文においての種類分けで言えば「小学生と乳児の交流」
,
「小学生と中学生,高校生,大学
生の交流」
,
「小学生と大人(父母世代)の交流」についての実践例の分析については,まだ今後
の課題となっている。
課題の 3 つ目はカリキュラムからの実践の提案を,他の活動についても考える必要がるとい
うことである。今回は中学年における「幼児との交流」の実践提案を行ったが,他の活動の実
践を提案していくことで,カリキュラム自体もさらに具体的にしていくことができる。カリキ
ュラム全体を見直していくこともできると考える。また今回は実践の提案に留まったが,機会
を得て,実際の子どもの反応から振り返ることこそ不可欠なことであると考える。
私は本稿を論じることを通じて現代の子どもたちの置かれている状況を知り,世代間交流の
必要性をさらに強く感じた。教育に携わるものとして,今回の成果を活かし,さらには今回で
きた課題を達成していくことを志しながら,子どもたちの世代間交流について自身の考えを今
後さらに深めていきたい。
[註・参考文献]
(1) 草間篤子,2004,
『インタージェネレーション―コミュニティを育てる世代間交流―』
,至文堂,p.42
(2) 前掲(1)p.33
(3) 前掲(1)p.36
(4) 前掲(1)pp.39-40
109
(5) 厚生労働省,2006,
『国民生活基礎調査』
http://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/k-tyosa/k-tyosa06/1-1.html
(6) 総務省統計局,2010,
『日本の統計 2010』
,日本統計協会,p.8
(7) 前掲(5)
『国民生活基礎調査』
(8) 厚生労働省,2009,
http://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/k-tyosa/k-tyosa09/1-3.html
(9) 前掲(8)
(新村出,
(10) 労働力率…労働力人口※を生産年齢人口(総人口のうち 15 歳以上の人口)で割ったもの。
2008,『広辞苑 第六版』,岩波書店,p.3001 より)
※労働力人口…総人口のうち,満 15 歳以上の人口から非労働力人口(通学者,家事に従事する者,
『広辞苑 第六版』
,
病気や老齢で働けない者)を差し引いた人口。完全失業者を含む。
(新村出,2008,
岩波書店,p.3001 より)
『平成 21 年版男女共同参画白書』
,佐伯印刷,p.22
(11) 内閣府,2009,
(12) 毛利猛,2007,
『小学校における「縦割り班」活動』
,ナカニシヤ出版,p.2
(13) 前掲(12)p.5
(14) 前掲(12)p.6
(15) 内閣府,2007,
『平成 19 年版国民生活白書』
,時事画報社,p.77
(16) 前掲(15)p.77
(17) 前掲(15)p.82
(18) 前掲(15)p.83
(19) 前掲(15)p.74
(20) 東京学芸大学附属大泉小学校,2006,
『豊かな学力―教科・総合・心の学習の実践』
,教育出版株式会社,
p.126
(21) 文部科学省,2008,
『小学校学習指導要領解説 生活編』
,日本文教出版株式会社,p.9
(22) 前掲(21)p.19
(23) 前掲(21)p.22
(24) 文部科学省,2008,
『小学校学習指導要領解説 総合的な学習の時間編』
,日本文教出版株式会社,
p.10
(25) 千葉昇,2010,
『小学校に於ける「総合的学習」のカリキュラムデザイン―その実践的展望―』
,国
士舘大学文学部,p. 69
(26) 前掲(25)p.67
(27) 前掲(25)p.70
(28) 文部科学省,2008,
『小学校学習指導要領解説 家庭編』
,日本文教出版株式会社,p.8
(29) 前掲(28)p.14
(30) 文部科学省,2008,
『小学校学習指導要領解説 道徳編』
,東洋館出版社,p.137
(31) 前掲(30)p.35
110
世代間交流とは何か
(32) 前掲(30)p.137
(33) 前掲(30)p.138
(34) 前掲(30)p.139
(35) 文部科学省,2008,
『小学校学習指導要領解説 特別活動編』
,東洋館出版社,p.8
(36) 前掲(35)p.13
(37) 嶋野道弘,2003,
『最新 評価実践の提案 生活科・総合的な学習の充実をめざして』
,日本文教出版株
式会社,p.67
(38) 東京学芸大学附属大泉小学校,2006,
『豊かな学力―教科・総合・心の学習の実践』
,教育出版株式会
社,p.126
(39) 前掲(38)pp.128-129
(40) 前掲(38)p.127
(41) 前掲(38)p.129
(42) 国立教育政策研究所,2002,
『総合的な学習の時間 実践事例集(小学校編)
』
,東洋館出版社,pp.134-
135
(43) 文部科学省,2008,
『小学校学習指導要領解説 道徳編』
,東洋館出版社,p.137
(44) 前掲(43)p.138
(45) 前掲(43)p.139
(46) 千葉昇,2010,
『小学校に於ける「総合的学習」のカリキュラムデザイン―その実践的展望―』
,国
士舘大学文学部,p.67
(47) 前掲(46)p.67
(48) 前掲(46)p.67
111
平成 22 年度卒業論文
工作の単元化についての研究
元 山 拓 也
第 1 章 工作について
児童は,工作活動における様々な素材体験を通じて,教育的価値を見出す。そのためには素
材を扱う授業を作るにあたり,工作の内容と目標から,教師が工作教育の在り方を理解するこ
とが求められる。まず本章では学習指導要領における工作について,その内容と目標の 2 つの
観点から工作教育の役割を考えてみたい。
学習指導要領における工作について
ここでは学習指導要領の記述に対する見解を交えて論述したものである。
(1)工作の内容
図画工作科の内容は,創造的な想像力などを働かせ,描いたり作ったりする表現活動を行う「A
表現」と,作品や表現活動の過程などを自分らしい感じ方や見方によって,そのよさや美しさ
などを味わう「B 鑑賞」の二つの領域で表されている。更に,
「A 表現」は,
(1)材料などを基
にして,楽しい造形活動(造形遊び)をする内容と,
(2)感じたことや想像したことなどを基
にして,絵や立体に表したり,つくりたいものをつくったりする内容に分けて示されている。A
表現(1)では,身近な材料の形や色などから楽しい造形活動を思い付き,体全体を使って材料
を並べたり積んだりしながら思いのままに表すことを楽しみ,もてる力を働かせるようにする
ことをねらいとしている。また,A 表現(2)では,児童が自分の表したいことを進んで見つけ,
その思いをふくらませ,形や色,材料などを選び,表し方をいろいろ試しながら思いのままに
表すことができるようにすることをねらいとしている。
自分の表したいことを進んで見つけたり,
いろいろ試しながら思いのままに表したりすることや,自分らしい感じ方や見方をもつことが
子どもの関心・意欲の高まりによって支えられる主体的な活動であると考えられることから,
「造
形への関心・意欲・態度」がすべての内容の入り口となっていると言える。学習指導要領の各
学年の目標が,
(1)造形への関心・意欲・態度に関する目標と,
(2)A 表現に関する目標,
(3)
B 鑑賞に関する目標の 3 点にまとめて示されているのは,(1)の目標は(2)と(3)の目標の
それぞれに関連しており,
(2)と(3)の目標は互いに働き合う関係にあるためであり,学年目
標を実現するにあたっては,それぞれが相互に関連し,働き合って造形的な創造活動の基礎的
な能力の育成を目指すように内容を選択し構成することが大切である。
また新学習指導要領から,
表現及び鑑賞の各活動において共通に必要となる資質や能力が〔共
通事項〕として示されている。これは指導において,児童が自分の感覚や活動を通して形や色,
112
工作の単元化についての研究
動きや奥行きなどの造形的な特徴をとらえ,これを基に自分のイメージをもつことが十分に行
われるようにするためである。共通事項が示されたのは,表現と鑑賞は一体である内容の二つ
の側面であるため,明確に分けることができないからである。共通事項は,表現と鑑賞の二つ
の領域の活動を支える資質や能力であり,また指導の側面から,児童の資質や能力の働きを具
体的にとらえ,育成するための視点でもある。
(2)工作の目標
図画工作科の目標は,表現及び鑑賞の活動を通して,感性を働かせながら,つくりだす喜びを
味わうようにするとともに,造形的な創造活動の基礎的な能力を培い,豊かな情操を養うことで
ある。児童自身に本来備わっている資質や能力を一層伸ばし,児童が自らつくりだす喜びを味わ
うようにするとともに,造形的な創造活動の基礎的な能力を培い,生活や社会と主体的にかかわ
る態度を育て,豊かな情操を養う観点に立っており,具体的には次のような考え方で示してある。
「表現及び鑑賞の活動」は,図画工作科の学習活動のことを示している。
図画工作科の学習は,児童が感じたことや想像したことなどを造形的に表す表現と,作品な
どからそのよさや美しさなどを感じ取り見方を深める鑑賞の二つの活動によって行われる。表
現と鑑賞はそれぞれに独立して働くものではなく,お互いに働きかけたり,働きかけられたり
しながら,一体的に補い合って高まっていく活動である。
「表現及び鑑賞の活動を通して」とは,
児童一人一人が表現や鑑賞の活動を行うことによって教科の目標を実現するという図画工作科
の性格を表している。この活動を通して,児童が感性を働かせながら,つくりだす喜びを味わ
うようにするとともに,そのことから造形的な創造活動の基礎的な能力を培い,豊かな情操を
養うことを示している。
「感性を働かせながら」は,今回新たに加えられた文言である。これは,表現及び鑑賞の活
動において,児童の感覚や感じ方などを一層重視することを明確にするために示されている。
「感性」は,様々な対象や事象を心に感じ取る働きであるとともに,知性と一体化して創造性
をはぐくむ重要なものである。表現及び鑑賞の活動においては,児童は視覚や触覚などの様々な
感覚を働かせながら,自らの能動的な行為を通して形や色,イメージなどをとらえている。こ
れを手掛かりに児童は発想をしたり,技能を活用したりしながら自他や社会と交流し,主体的
に表現したり,よさや美しさなどを感じ取ったりしている。
「感性を働かせながら」とは,この
ような児童の感覚や感じ方,表現の思いなど,自分の感性を十分に働かせることを示している。
「つくりだす喜びを味わう」とは,感性を働かせながら作品などをつくったり見たりするこ
とそのものが喜びであり,楽しいことを示している。それは児童の欲求を満たすとともに,自
分の存在を感じつつ,新しいものや未知の世界に向かう楽しさにつながる。また,友人や身近
な社会とのかかわりによって,一層満足できるものになる。このようにして得られた喜びや楽
しさは,形や色などに対する好奇心,材料や用具に対する関心や,つくりだす活動に向かう意
欲などの造形への関心や意欲,態度を支えるものとなる。そして,一人一人の「造形的な創造
113
活動の基礎的な能力」をより働かせることになる。なお「つくりだす喜びを味わうようにする」
は,学年の目標においても重視するように示されている。
「造形的な創造活動」とは,自分の思いを形や色などで表したり,よさや美しさを感じ取っ
たりするなどの活動のことである。
「基礎的な能力」は,これを実現するために必要な能力の
ことである。具体的には発想や構想,創造的な技能,鑑賞などの能力になる。発想や構想の能
力は,形や色,イメージなどを基に想像をふくらませたり,表したいことを考えたり,計画を
立てたりするなどの能力である。創造的な技能は,材料や用具を用いたり,表現方法をつくり
だしたりするなど,自分の思いを具体的に表現する能力である。鑑賞の能力は,作品をつくっ
たり見たりするときに働いているよさや美しさなどを感じ取る能力である。それぞれの能力は,
児童が自己との対話を重ねながら,他者や社会,自然や環境などの多様な関係の中で活動する
ことによって培われることになる。
「豊かな情操を養う」について,情操とは,美しいものや優れたものに接して感動する情感
豊かな心をいい,情緒などに比べて更に複雑な感情を指すものとされている。図画工作科によ
って養われる「情操」は,よさや美しさなどのよりよい価値に向かう傾向をもつ意思や心情と
深くかかわっている。それは,一時的なものではなく持続的に働くものであり,教育によって
高めることで豊かな人間性をはぐくむことになる。図画工作科の学習は自らの感性を働かせな
がら,造形的な創造活動の基礎的な能力を発揮して表現や鑑賞の活動を行い,つくりだす喜び
を味わうものである。このような過程は,その本来の性質に従い,おのずとよさや美しさを目
指すことになる。それは生活や社会に主体的にかかわる態度を育てるとともに,伝統を継承し,
文化や芸術を創造しようとする豊かな心を育てることにつながる。
このように,図画工作科の学習を通してよりよく生きようとする児童の情意の調和的な発達
をねらいとして「豊かな情操を養う」と示されている。
【(1)(2)の考察】
今日の社会の国際化,情報化,価値観の多様化に加え,物質的な豊かさの中で子ども達はテ
レビやインターネット,ゲームといったものに興味・関心がいき,自然との触れ合いや生活体
験が不足してきている背景があると言われている。屋外で体を十分につかって遊ぶ子や,自然
物を取り入れた遊びの中から自ら何かをつくりだす機会が少なくなってきているという報告を
耳にすることもある。このような中で学校に求められることは,子どもたちがこれからの社会
を生き抜く力を育てることである。それと同時に図画工作教育のあり方を考えた場合,子ども
たちが創造することの楽しさを感じるとともに,思考・判断し,表現するなどの造形的な創造
活動の基礎的な能力を育てることが大事であると言われている。
新学習指導要領の図画工作科の目標には,
「感性を働かせながら」を新たに加え,
「児童が感
性を働かせながら,つくりだす喜びを味わうようにするとともに,造形的な創造活動の基礎的
な能力を育成すること。
」とある。
114
工作の単元化についての研究
領域「A 表現」では,
「児童が進んで形や色,材料にかかわりながら,かいたりつくったり
する造形活動を通して,発想や構想の能力,創造的な技能を高めるものである」としてある。
領域「B 鑑賞」では,
「感じたことを話したり,友だちの話を聞いたりする活動」とあり,他
者とかかわることで互いの見方や考え方を深めていくとある。
今日の子どもたちの実態から,身近にある自然物や人工の材料などに積極的に触れ合ったり,
発想豊かにつくったりして遊ぶ活動が少なくなってきていることが挙げられるだろう。その結
果,創造することの楽しさや喜びを十分に味わうことができず,身につけた力を実生活に生か
すことができないのではないだろうか。そこで,発想力・想像力を高める面から考えると,表
現活動の楽しさを味わう場で活動意欲を高めることや,教師の指導の工夫の必要性を感じた。
図画工作科で身に付ける能力は,
「造形への関心・意欲・態度」
「発想や構想の能力」
「創造
的な技能」
「鑑賞の能力」の四つの観点で示される。それらの観点はそれぞれが独立したもの
でなく,互いに関連し合って,より効果的に働くものであると筆者は考える。また,児童は自
分の思いや願いを絵にしたり,形に表したりするなど,人としての根源的な表現の欲求を備え
ているように映る。この欲求を満足させ,表現の喜びを味わわせることが図画工作科の一つの
ねらいであるならば,なおのことこの四つの観点を相互的に関連させた具体的な設定法が教師
に求められるのではないだろうか。
第 2 章 工作の素材と道具について
素材と道具は学習効果をあげる側面がある。それは,児童が素材と道具の適正性を理解し,
加工学習と関連し,思考力を引き出せるからである。したがって教師には素材の性質と加工法
の理解と,児童が考えて表現に向かえるような教材準備が求められる。
上記の観点から,小学校 6 カ年で扱う工作の素材と道具について調べる必要がある。これは
児童の思考力を育むための有効な単元設定や教材制作に繋げるためである。
第 1 節 素材の種類と特徴
本節では小学校図画工作科の授業で取り扱われる主な素材について,いくつかの基準を設け,
表記し,各素材の特徴を比較した。素材は大きく自然物と人工物に分けてあるが,その分け方
を以下のように規定する。
・自然物… 自然状態でそのままの性質を保つもの。
・人工物… 生活の用途や機能に即して人工的に加工されたもの。
これを前提に以下の基準を設け,素材を区分して表記した。
・種類… … 主に植物,鉱物,動物に分ける。
・形… …… そのものの形状を表す。
・大きさ… 使用可能な体積や面積として表記する。
115
・感触… … 手触りや肌触りの感じを表す。
(擬態的表現)
・変形性… 操作による変形作用を表す。
●素材の一覧
《自然物》
素材名 種類
形/大きさ
感触
変形性
砂
鉱物
粒状/小さい
ざらざら/さらさら/じゃりじゃり/つぶ 固まる/丸まる
つぶ
土
石
貝
葉
鉱物
鉱物
動物
植物
粒状/小さい
多様/多様
扇状/渦巻き状/多様
扇状/線状等/多様
ざらざら/ふわふわ/ねちねち/さらさら
ごつごつ/すべすべ/つるつる/ざらざら
つるつる/ざらざら/ごつごつ/すべすべ
ちくちく/すべすべ/ざらざら/かさかさ
/ごわごわ
枝・幹 植物
木の皮 植物
木の実 植物
竹
種
植物
植物
綿
植物
固まる/丸まる
割れる/砕ける
割れる/砕ける削れる
丸まる/折れる/ちぎれる/反る/縮
む/裂ける
線状/筒状/多様
ざらざら/がさがさ/ちくちく/つるつる 折れる/曲がる/裂ける/反る/穴が
/ごわごわ
あく
多様/多様
ざらざら/ぺらぺら/がさがさ/ごわごわ 折れる/曲がる/裂ける/反る/ちぎ
れる/ねじる
球状/多様
つるつる/すべすべ/ぼつぼつ/ぷちぷち 割れる/切れる/へこむ/穴があく
/つぶつぶ
折れる/裂ける/穴があく
筒状/多様
つるつる/かさかさ/すべすべ
粒状/多様
つぶつぶ/つるつる/すべすべ/ちくちく 割れる/切れる/へこむ/穴があく/
/ふわふわ
ちぎれる
細い繊維の集合/多様 ふわふわ/もこもこ
ねじれる/のびる/絡む
表記事項以外にも自然物は形や感触,変形性などが多種多様であり,それぞれ独自な特徴を
もっている。たとえば同じ種類の貝であっても個々は形や大きさ,模様などが異なっており,
触った感じも同様ではない。そもそも自然物は気候や風土の環境や,時間の経過による性質の
変容が作用し,形体が変化するものである。自然物は人工物と比較して,個々が特有の形状や
色,感触を持つのである。
また多種多様な自然物であるとはいえ,工作に使用する自然物の収集は限られてくる。した
がって,大きさ・触覚性の面を考慮した素材の選択と収集は不可欠となる。
《人工物》
素材名
和紙
画用紙
折り紙
種類
形/大きさ
感触
変形性
植物 正方形/長方形/薄い ざらざら/かさかさ /すべすべ 丸まる/裂ける/ちぎれる /折れる/ねじる
丸まる/裂ける/ちぎれる/折れる/ねじ
植物 正方形/長方形/薄い すべすべ /かさかさ
る/反る
植物 正方形/薄い
すべすべ /ぺらぺら
丸まる/裂ける/ちぎれる/折れる/ねじる
模造紙
工作用紙
植物 長方形/薄い
植物 長方形/薄い
紙パック
植物 立方体/長方体/ 10
~ 30 ㎝ほど
紙コップ
植物 円錐/ 15 ㎝ほど
ペットボトル 鉱物 多様/多様
アルミ缶・ス 鉱物 円柱/ 15 ㎝ほど
チール缶
すべすべ /ぺらぺら
すべすべ /ぺらぺら
すべすべ /つるつる
丸まる/裂ける/ちぎれる/折れる/ねじる
丸まる/裂ける/ちぎれる/折れる/ねじ
る/反る
裂ける/ちぎれる/折れる/反る/切れる
すべすべ /つるつる
つるつる/すべすべ
つるつる
裂ける/ちぎれる/潰れる/切れる/丸まる
潰れる/切れる
潰れる/へこむ
116
工作の単元化についての研究
丸棒・角棒
植物 棒状/多様
ざらざら/すべすべ
切れる/折れる/反る/曲がる
たこ糸
植物 糸状/多様
さらさら/すべすべ
切れる/巻く/丸まる/のびる
ビニール袋・紐 鉱物 袋状/紐状
段ボール材 植物 板/箱/多様
つるつる/すべすべ/ごわごわ
すべすべ/がさがさ/ごつごつ
切れる/丸まる/裂ける/のびる
裂ける/折る/潰れる/へこむ/丸まる/
ちぎれる/反る/ねじる
新聞紙/ちらし
発砲スチロール
ガラス
ろうそく
植物
鉱物
鉱物
植物
つるつる/かさかさ/ごわごわ
つるつる/でこぼこ/ごつごつ
つるつる/かちかち
つるつる/すべすべ
丸まる/裂ける/ちぎれる/折れる/ねじる
折れる/割れる/切れる/穴があく
割れる/砕ける
溶ける/削れる/折れる
割り箸
麻紐
植物 棒状/多様
植物 紐状/細い
つるつる/かさかさ
ざらざら/ごわごわ
折れる/割れる/削れる/反る/切れる
巻く/丸める/切れる/ねじる
曲げる/折る/反る/切れる
曲げる/折る/巻く/ねじる/切れる
曲げる/折る/反る/切れる
曲げる/折る/巻く/ねじる/切れる
曲げる/巻く/折る/ねじる/切れる
固まる/丸まる/のびる/ねじれる/ちぎれ
る/割れる/曲がる/切れる
長方形/薄い
板/箱/多様
多様/多様
多様/多様
アルミ板
鉱物 板状/多様
つるつる
アルミ線
銅板
鉱物 線状/多様
鉱物 板状/多様
つるつる/ちくちく
つるつる
銅線
針金
粘土
鉱物 線状/多様
鉱物 線状/細い
鉱物 多様/多様
つるつる
つるつる/ちくちく
つるつる/べとべと/すべすべ
竹ひご
アクリル板
ゴム
その他身辺材
植物
鉱物
植物
多様
つるつる/かさかさ
つるつる
つるつる/べとべと/びょんびょん
多様
平状/円状/細く長い
板状/多様
多様/多様
多様/多様
曲がる/反る/折れる/裂ける/切れる
曲げる/折る/反る/切れる
のびる/ねじれる/絡む/巻く/切れる
多様
接着に関する材料を人工物の領域のものと見なし,以下の基準を設けて表記する。
対象素材… 材料の使用目的に応じた素材を表記する。
《接着材》
材料名
糊
木工用接着材
対象素材
和紙 , 画用紙 , ケント紙 , 折り紙 , 模造紙 , 工作用紙 , 段ボール材 , 新聞紙 , ちらし
貝 , 葉 , 幹 , 枝 , 木の皮 , 木の実 , 竹 , 綿 , 割り箸 , 発砲スチロール , 竹ひご , 紙パック , 紙コップ ,
ゴム , 革 , 紙粘土和紙 , 画用紙 , ケント紙 , 折り紙 , 模造紙 , 工作用紙 , 段ボール材 , 新聞紙 , ちらし
発砲スチロール用接着剤 発砲スチロール , 和紙 , 画用紙 , ケント紙 , 折り紙 , 模造紙 , 工作用紙 , 段ボール材 , 新聞紙 , ちらし
金属用接着剤
アルミ板 , アルミ線 , 銅板 , 銅線 , 針金 , アルミ缶 , スチール缶
合成樹脂類用接着剤
プラスチック , ペットボトル , ビニール , アクリル板
ガラス用接着剤
ガラス , ガラスびん , ビー玉 , おはじき
ビニールテープ
割り箸 , 発砲スチロール , 竹ひご , 紙パック , 紙コップ , ゴム , 革 , 紙粘土和紙 , 画用紙 , ケント
紙 , 折り紙 , 模造紙 , 工作用紙 , 段ボール材 , 新聞紙 , ちらし
ガムテープ
幹 , 枝 , 木の皮 , 木の実 , 竹 , 割り箸 , 発砲スチロール竹ひご紙パック , 紙コップ , ゴム , 革 , 紙粘土
和紙 , 画用紙 , ケント紙 , 折り紙 , 模造紙 , 工作用紙 , 段ボール材 , 新聞紙 , ちらし
両面テープ
和紙 , 画用紙 , ケント紙 , 折り紙 , 模造紙 , 工作用紙 , 段ボール材 , 新聞紙 , ちらし
人工物は自然物を人間が目的に沿って加工したものであり,その素材自体が目的性を持つよ
うに作られている。人工物には生活する上で必要な素材が多いので,身近で手に入りやすい。
また自然物と比較すると工作に使用できる素材が多く,その種類は多い。自然物と比較すると
感触や形などはそれほど独自なものはないが,使用目的に応じて加工されているため,操作に
よる変形性が多種に及ぶ。また形が決まっているので,面と面の接着を施しやすかったり,心
材として活用できるという利点がある。
117
また接着剤については,種類は限られていても,多くの自然物と人工物の接着を可能とする。
更に,同種素材・異種素材それぞれの接着において素材に対応した接着剤の選択と適切な接着
法を行わなければならない。いずれにしても素材に適切な接着剤の選択が大切となる。安定性
と審美性を狙いとするのが接着の目的である。
小学校 6 カ年で取り扱う主な素材を自然物と人工物別に表化し,それぞれの特徴を調べるこ
とにより,素材を有効的に活かす手がかりを明確にすることができ,単元化と教材制作の準備
となった。そして素材加工に関わる適切な道具の使用法の理解も忘れてはならない。
第 2 節 道具の種類と特徴
本節では以下の基準を設けて表記する。
・対象素材… …………道具の使用目的に適合した素材を表記する。
・使用目的及び内容… 道具の使用目的や加工性を表記する。
道具の一覧
道具名
のこぎり
紙用はさみ
対象素材
板材/角材/幹・枝
使用目的及び内容
主に木材の切断を目的として使用する。両刃 , 同付き , 片刃など目的に応じて使
い分ける。
厚みの少ない紙類を直線的 , 曲線的に切断する。
多様な素材を直線的 , 曲線的に切断する。厚みの少ない素材が対象となる。
紙類
紙類/皮/ビニール
万能はさみ
プラスチック
紙類/発砲スチロール 紙類や合成樹脂類を直線的 , 曲線的に切断する。はさみよりも多少厚みのある
カッターナイフ
/ビニール類
素材も切断できる。段ボール材や発砲スチロール用のものもある。
主に木材の切断 , 削りに使用する。荒削りから仕上げまで段階的に使用する。
小刀
角材/板材/幹・枝
主に木材の彫り , 削りに使用する。丸刀平刀 , 三角刀 , 切り出し刀の 4 種類を彫
彫刻刀
板材/角材/幹
り方に応じて使い分ける。
主に曲線の切断を目的とする。木材や段ボール材に使用する。
糸のこ
板材/段ボール材
電動糸のこ機
板材/段ボール材
複雑な曲線の切断を目的とする。木材や段ボール材に使用する。
板材/角材/幹・枝/ 主に木材の穴あけに使用する。また , 釘などの埋め込みの準備に使用する。
きり
段ボール材
板材/角材/枝・幹/発砲 主に木材の表面加工を目的として使用する。荒目 , 中目 , 細目を目的に応じて段
紙やすり
スチロール/段ボール材 階的に使用する。
木工やすり
板材/角材/幹・枝
主に木材の表面加工を目的として使用する。片面は荒く , もう片面は細かくなっている。
金属類の切断 , 変形を目的として使用する。また , 針金などをねじって接合する
ペンチ
針金/銅線/アルミ線
こともできる。
ラジオペンチ
針金/銅線/アルミ線
金属類の切断や細かな変形 , 接合を目的として使用する。
金槌
木材
木材に釘を打ち付けて接合する目的でしようする。
ホチキス
紙類
厚みの少ない紙類同士を接合する目的で使用する。
ドライバー
木材
主に木材同士をねじで接合する目的で使用する。
紙類を媒体として , 筆やはけで彩色する目的で使用する。自由に色を作れたり ,
水彩絵の具
紙類
比較的広い面積に彩色できるという特徴がある。
紙類/紙粘土/木材/ 乾くと耐水性になるので , 水彩絵の具よりも多様な素材に彩色する目的で使用
アクリル絵の具
発砲スチロール/石
する。
紙類/紙粘土/木材/ 多様な素材に気軽に彩色できる。しかし大きな面を均一に彩色することには適
フェルトペン
発砲スチロール/石
さない。様々な素材に彩色を施すことができる。
紙類/紙粘土/木材/ 多様な素材に気軽に彩色できる。しかし大きな面を均一に彩色することには適
サインペン
発砲スチロール/石
さない。様々な素材に彩色を施すことができる。
118
工作の単元化についての研究
クレヨン
墨汁
パステル
チョーク
色鉛筆
コンパス
万力
筆
はけ
紙類
紙類
紙類
紙類/鉱石類
紙類
紙類/木材/発砲スチ
ロール/ビニール
主に紙類に彩色する目的で使用する。水を弾く性質を持っている。
墨を液体状にしたもので , 主に紙類に彩色する目的で使用する。
紙類に彩色する目的で使用する。柔らかい中間色が特徴である。
主に黒板や石などの鉱石類に彩色する目的で使用する。
主に紙類に彩色する目的で使用する。多彩な種類がある。
様々な大きさの円を正確に描く目的で使用する。また , 長さを等分したり , 倍加
したりすることができる。
小さいもの , 押さえにくいものなどを切断するために固定する目的で使用する。
幹/枝/板材/角材
圧力がかかるため , 素材の変形や破損に注意して使用しなければならない。
紙類/紙粘土/木材/ 多様な素材の彩色や保護を目的として使用する。平筆 , 丸筆 , 細筆など目的に応
じて使い分ける。
発砲スチロール/石
紙類/紙粘土/木材/ 多様な素材の彩色や保護を目的として使用する。筆よりも一度に塗れる面積が
発砲スチロール/石
広いので , 均一に塗ることができる。
加工とは素材に手を加え,目的の形に変化させることである。小学校 6 年間で行う主な加工
法には,切断,接着,接合,彩色,変形・変質(表面加工)の 5 つがある。自ずと加工は道具
の活用と密接な関係を持つ。表にある道具の調査はその内容を項目別に比較したものとなって
いる。使用目的と内容でみると明らかであるが,各加工の目的と方法は,主に道具の機能性に
よるものであることが分かる。
道具を個々にみていく。総括的に言えることは,各道具はその志向性により更に細かく分類で
きる。一例を挙げ,彫刻刀は大きく 4 種類があり,彫り具合に合わせた活用となる。他の道具も
同様で,基本的には加工の目的に沿った道具の選択があり,その使用方法の理解は必要であろう。
また私達の生活の仕方や環境の変化とともに,最近では以前のように木や竹などの自然物を
簡単に見つけるのが難しくなってきているという報告がある。その反面,プラスチックやアル
ミ・スチール缶,発砲スチロールなどの生活材(身辺材)
,つまり人工物は生活の中で多く出
回っている。この状況に呼応するように,使用する道具も多種多様化している。表記の万能は
さみやフェルトペンなどは,使用する素材の変化に対応した道具だと言える。
本章のまとめは,工作の素材と道具に関連した教育面から考えることとする。素材と道具は
実際の作業において相互性を持ち働き合うものである。工作だけでも多様な道具と材料があり,
個々の表現に応じて細分化している。道具と素材の関係は実に多様な展開を見せると言えよう。
素材と道具の関係は,発想・構想面の育成と技能面の習得の観点から,表現の中核に繋がるも
のとなる。そのなかで,児童が作りたいものを見つけたり,工夫したり,或は計画性を持った
表現に取り組んだりするのである。
教師は,児童が素材と道具を適切に使用できるように発達段階に合わせて素材と道具の選択
をし,単元設定を行うことが求められる。また本章で表記したものは図工科で使用するものの
一例であり,他にも身近な素材やそれに適した道具がある。材料になるものは児童の地域環境
によって様々であり,周囲にある素材探しも教育活動に取り入れられる。大切なことは,児童
が興味と関心を持って材料を見つけ出してその素材の特徴を理解し,自分らしいアイデアや表
現ができるように,教師が自然物や人工物,その組み合わせなど,それぞれの素材の特徴を活
かした有効な単元設定を行うことである。
119
第 3 章 工作の単元化の試み
本論のまとめとして,本章では工作の指導案の作成を試みたいと思う。ここでは低中高学年
それぞれの最も特徴的な工作単元を 3 つ取り上げ,指導案の試案としたい。本章のねらいは,
前 2 章の内容をいかに具体化して教材意義を見出すかという点にある。つまり,これは具体的
な授業構成を考えることに他ならない。本論の集約である単元化は,教育現場での活用を想定
した試みとしてある。教材価値の設定法と学習指導の具体化の仕組みを理解し実践することが,
工作のみならず図画単元は無論のこと,他教科指導へ反映できるものと考える。
指導言の考え方について述べると,指導言は発想・構想面,技能面を基にして教師が発問す
べきものである。本章では授業の進行に沿って,未来形,現在形,完了形で問い,反復・継続・
発展的に行うものとして設定した。
本章では工作単元について,単元名,主題名,題材設定理由,当題材の目標,指導計画,授
業の展開,教師の働きかけ(指導言)を設けて指導案を作成していく。
第 1 節 低学年の工作指導案
(1)単元名:思いのまま立体に表す(偶然の形から/粘土で)
(2)主題名:
「いろんなかたちをみつけよう」
(3)題材設定理由:
低学年の児童は,絵を描いたり,ものをつくったりする造形活動に大きな興味を示す傾
向にある。その行為は発達上の特徴から自己中心的であり興味本位なところが見られるが,
既成の概念にとらわれることなく柔軟な想像力を働かせるので,子どもらしいダイナミッ
クな作品が出来上がることが多い。また活動においては,作品の出来の良し悪しにこだわ
らず,絵を描くことやものをつくること,素材に関わることなど活動そのものを楽しむ傾
向にある。
本題材では,児童に粘土の感触を味わわせ,手や指を十分に働かせて多くの形を発見させる
ことを目的とする。粘土の特性の一つとして可塑性があり,その特性により多様な操作法が挙
げられる。たたく,曲げる,丸める,ちぎる,伸ばすなどの操作を中心に様々な形ができるこ
とを知り,そうしてできた形から何に見えてくるか発想させたい。児童が粘土の柔軟な変形性
を楽しみ,工夫次第で様々な形ができることを知覚することは,造形への意欲と技能の向上を
図れるものだと考える。本題材で児童が粘土という素材に関わる活動を楽しみ,親しみ,塑造
の喜びを味わえるようにしたい。
(4)当題材の目標
1. 粘土に触れ,思いつくままに形を作ることを楽しもうとする。〈関心・意欲・態度〉
2. 偶然にできる形から想像を膨らませ,何に見えるか自由に発想しようとする。
〈発想・構想の能力〉
120
工作の単元化についての研究
3. 粘土に触れながら思いつくままに手や指を使って,いろいろな形を作り出すことができる。
〈創造的な技能〉
4.作ったものを友達と見せ合いながら,一緒に楽しむことができる。
〈鑑賞の能力〉
(5)指導計画(全 2 時間,2 時間続き)
1 時間目:粘土に触れながらいろいろな形を見つける。
2 時間目:いろいろな形から想像を膨らませ,できた形を発表する。
(6)授業の展開(本時 1 / 2,2 / 2)
経過
主な学習活動と児童の反応
○指導上の留意点 ●評価
備考
導入︵ 分︶
・油粘土
1. 粘土の可塑性を確認する。 〇粘土の幅広い操作性を児童に想起させる。
〇転がす , たたく , 伸ばすなどの操作を実際にやって見せ , 児童に関心(児童の人数
C「丸くなる!」
「平べったくなる!」
を持たせる。
分×2+予
「細長くなる!」等
15
〇可塑性への指導言
備分)
「粘土を転がしてみたらどうなるかな。
」
・粘土板
〇導入のまとめの指導言
「粘土を転がしたり , たたいたり , 伸ばしたりすると , いろんな形にな
るんだね。
」
※他(7)教師の働きかけ【導入】参照
学習課題「いろんな かたちを みつけよう」
2. 粘土に触れながら思いのま 〇様々な操作を体感させながら , 児童が自分なりの面白い形を見つけ , ・予備分の粘
まに形を作り出す。
作れるように指導する。
土
〇操作の中からできた形をもとに , 何を表したいのか児童に考えさせる。
〇発想・構想についての指導言
」
「とげとげにしたい。
「ながく伸ばしたい。
「このとげとげがどんなものに見えてくるかな。
」
」
〇展開のまとめの指導言
「平べったくしたい。
」
「粘土をいろいろいじってみ
「丸くしたい。
」等
3. 偶然作り出した形をもとに , て , どんな形ができたかな。」
55 表したいものを思いつく。 ※他(7)教師の働きかけ【展開】参照
C「このとげとげが~に見え ●いろいろな操作を通してできた偶然の形から , いろいろなものを思い
る!」
ついて楽しもうとしているか。関心〈観察〉
「これは~なんだよ!」
●偶然の形から表したいものを思いつき , 思いついたものの感じや特徴
「もっとたたいて伸ばした がより表れるように表し方を工夫しているか。発想〈観察〉
ら ~ に 見 え る か も し れ な ●手を十分に働かせて何度も粘土を操作し , 自分なりの表し方を試した
り確かめたりしながら作っているか。技能〈観察〉
い!」
「もっと作ってみる!」等
・できたカー
4. 偶然思いついたものから , 〇できたカードを記入させ , 題名や特徴などを発表させる。
その作品の題名と特徴(ど 〇振り返りについての指導言。学習確認を促すため , 本授業の目的と方 ド
んな工夫をしたか)をでき 法の両方から指導言を設定する。
たカードに記入して発表す 「どんなものができたかな。
」
「粘土をいろんな方法でいじってみると , いろんな形になることが分
る。
かったかな。
」
5. 片付けを行う。
20
〇他教材への広がりについての指導言
「他にも粘土でいろんなものが作れそうだね。
」
※他(7)教師の働きかけ【まとめ】参照
●偶然の形から , 自分なりの工夫を発表しているか。
鑑賞〈観察 , できたカード〉
C「でこぼこにしたい。」
展開︵ 分︶
まとめ︵ 分︶
121
(7)教師の働きかけ(指導言一覧)
︻導入︼
︻展開︼
︻まとめ︼
「粘土を転がしてみたらどうなるかな。
」
(可塑性について)
「たたいてみたらどうなるかな。
」
(可塑性について)
「伸ばしてみたらどうなるかな。
」
(可塑性について)
「摘んでみたらどうなるかな。
」
(可塑性について)
「指で穴をあけたらどうなるかな。
」
(可塑性について)
「ちぎってみたらどうなるかな。
」
(可塑性について)
「ひねったらどうなるかな。
」
(可塑性について)
「粘土を転がしたり,たたいたり,伸ばしたりすると,いろんな形になるんだね。
」
(導入のまとめ)
「このとげとげがどんなものに見えてくるかな。
」
(発想・構想について)
「もっと~してみたらどうなるかな。
」
(発想・構想について)
「今度は~してみたらどうなるかな。
」
(発想・構想について)
「
(いろいろな操作)をしてみてどんな風になっているかな。
」
(発想・構想について)
「
(いろいろな操作)をしてみてどんなものに見えてきているかな。
」
(発想・構想について)
「まだ粘土はあるからもっと作ってみて。
」
(意欲について)
「粘土をいろいろいじってみて,どんな形ができたかな。
」
(展開のまとめ)
「どんなものができたかな。
」
(振り返りついて)
「どんなところをがんばって作ったかな。
」
(振り返りついて)
「どんな工夫をしたかな」
(振り返りついて)
「どんなことをしてみたかな。
」
(振り返りついて)
」
(振り返りついて)
「粘土をいろんな方法でいじってみると,いろんな形になることが分かったかな。
「他にも粘土でいろんなものが作れそうだね。
」
(他教材への広がり)
「粘土で今度はどんなものを作ってみたいかな。
」
(次時へのつながりについて)
〈まとめ〉
低学年の児童は作品の制作よりも,素材自体に興味を持ち夢中になって活動することが予想
される。その特性を活性化するよう本単元を設定し,それを教材価値としたのである。もとよ
り,粘土は小学校 6 年間を通して段階的に用いられる素材である。それは粘土はその柔軟な操
作性から,児童の思考力や発想力を引き出す素材であるからである。また部分的に付け加えた
り,削って単純化することができるため,児童が思いつくままに表現できるなど,扱い易い素
材といえる。
児童が粘土の感触を楽しんだり,手や指を十分に働かせるために教師は,たたく,伸ばす,
丸める,ちぎる,摘む,穴をあけるなどのいろいろな操作法(技能面)を助言し,試させて,
児童が楽しみながら表現を行えるような授業を構成する必要がある。そのためには教師自身が
教材制作を通して,どのようにすれば思い通りの形や表現になるのかを試みておかなければな
らないだろう。児童が分かりやすいように,なおかつ単純な操作を事前に把握して指導言を考
えることで,児童がより良い造形活動に取り組める筈である。
122
工作の単元化についての研究
第 2 節 中学年の工作指導案
(1)単元名:自分でつくった形から発想する造形遊び
(2)主題名:
「切って つないで くっつけて ~こんな生きものがいたらなあ~」
(3)題材設定理由:
中学年の時期の児童は,手などの働きが力強さや巧みさを増し,扱う材料や用具の範囲も広
がってくる。したがって想像力の高まりと相まって,子どもらしさと共に個々の特性を発揮す
るようになる。また 3 年次に入り,のこぎりや金づちなどの道具の基本的な使い方を既習して
いるので,更に発展的な道具の使用法を身につけさせたい。
総合科において木と森林,生活とのかかわりを学習した。木の働きやかかわりを想起させ,
素材としての木に繋げることを導入の入り口とし,本単元の素材性を意識させたいと考える。
そうすることで枝や幹など児童の関心を深め,素材としての木の良さを感じ取れるのではない
だろうか。そのように進んで材料に関われるように設定した。木にしっかり触れさせ,自然木
の形や色などの特徴を考える豊かな発想力や,切ったり組み合わせたり結合させたりする多様
な技術を使って,自分なりの新しい形を工夫する力を養うことをねらいとする。木を接着・接
合してかたち作ることで,自分の想いを表現することとした。本授業で使用する素材の接合経
験を通して,他の素材接合,つまり「つなげる」ことの面白さにまで発想が生まれることを期
待したい。
指導にあたっては枝や幹などの自然物による造形は初めてなので,木を使ってどのようなも
のができるのかという,自分なりの発想を大事にするようにさせたい。また,のこぎり,金づ
ち,錐,釘抜きなどの道具の適正な使用法を再確認させ,児童の発想が造形化できるよう丈夫
な接合法を習得させたい。手をしっかり働かせると共に,創造力を働かせ,児童の個々の想い
が造形に活かされているところを重視し,造形活動を楽しませたい。
( 4)当題材の目標
1.枝や幹などをもとに何ができそうか思いつきながら,造形活動を楽しもうとする。
〈関心・意欲・態度〉
2.材料の特徴や操作活動を通して,作れそうなものを連想することができる。
〈発想・構想の能力〉
3.集めた材料に応じた用具を用い,接着・接合や加工を工夫して作ることができる。
〈創造的な技能〉
4.作品の自分らしさやお互いの活動や作品の良さや工夫点を見つけることができる。
〈鑑賞の能力〉
(5)指導計画(全 6 時間)
第 1 次:題材と出会い,釘打ち遊びをする。
【2 時間】
第 2 次:自分の造形活動の方向を見つけ,木材で生きものを制作する。
【4 時間】
123
(6)授業の展開(本時 5 / 6 時間目)
経過
主な学習活動と児童の反応
○指導上の留意点 ●評価
備考
1. 生きものらしい組み合わせを ○前時で切断加工した木材を丈夫に接着・接合するために必要な材料 のこぎり/
導入︵ 分︶
工夫して,丈夫に接着・接合す
るために,既習事項をおさらい
する。
C「釘を打ってつなげる!」
「針金で縛る!」
10
「荷紐で縛る!」
「接着剤を使う!」等
や道具の使い方を確認させる。
釘/金づち
○道具の適切な使用法を確認させ,特に安全面に気をつけさせる。
/ペンチ/
○一人で切断,接着・接合をするのが困難な場合,友達と協力して活 針金/木工
動することを伝える。
用接着剤/
○接着・接合についての指導言
工作板/荷
「枝や幹をつなげるにはどうしたらいいだろう。
」
紐/自然物
○導入のまとめの指導言
(枝,幹,葉,
実,藁など)
「つなげるためにはいろいろな方法があることが分かったね。
」
/万力/紙
※他(7)教師の働きかけ【導入】参照
やすり
学習課題「しっかりつなげて生きものを作ろう」
2. 自分の想いにしたがって具体 ○児童一人一人が意欲を持って造形できるように,活動を具体的に認
的な形に接着・接合する。
め,助言する。
C「平べったいもの同士をつな ○接着・接合の作業が進んでいない児童に声かけをして,一緒に方法
展開︵ 分︶
げたい。
」
を考える。
「枝と枝をつなげたい。
○制作途中でも友達の作品を見て回り,刺激を受けたり素晴らしさを
」
「針みたいなとげとげを作り 参考にしたりさせる。
○発想・構想についての指導言
たい。
」
「
(いろいろな生きもの)に近づけるにはどんな工夫をしたらいいかな。
」
「どんぐりをくっつけたい。
」 25 「大きな幹にいろんなものを ○展開のまとめの指導言
「いろいろな方法でつなげてみたら,どんな生きものができたかな。
」
くっつけたい。
」等
3. 生きものの特徴がうまく表現で ※他(7)教師の働きかけ【展開】参照
きるように工夫して仕上げる。 ●自分の想いにしたがって制作を楽しんでいるか。関心〈観察〉
C「目玉をのばしてつけてみたい!」●材料の特徴を活かして自分の想いに合った組み合わせを考えている
「もこもこなしっぽをつけた か。発想〈観察〉
●道具や材料を適切かつ安全に使用して,丈夫な接着・接合ができて
い!」
「たてがみと耳をつけたい!」等 いるか。技能〈観察〉
4. できた作品について題名や特 ○できたカードの記入をさせて,児童が進んで自分の作品を紹介でき
徴,工夫した点などをできた る場作りに努める。
カードに記入して,発表する。 ○個性的な表現を紹介し,広がりを持たせるようにする。
○振り返りについての指導言
「どういうかたちができたかな。
」
・で き た カ
ード
○「つなげる」ことについての指導言
10
「枝や幹をつなげると,いろんなかたちや組み合わせができることに
気づいたかな。
」
※他(7)教師の働きかけ【まとめ】参照
●自信を持って自己評価をして,友達の作品とのちがいや良さに気づ
けたか。鑑賞〈観察,できたカード〉
まとめ︵ 分︶
︻導入︼
(7)教師の働きかけ(指導言一覧)
︻展開︼
「いろんな実をくっけるにはどうしたらいいだろう。
」
(接着・接合について)
「枝や幹をつなげるにはどうしたらいいだろう。
」
(接着・接合について)
「丈夫につなげる(くっつける)ためにはどの道具(材料)が必要かな。
」
(接着・接合について)
「つなげるためにはいろいろな方法があることが分かったね。
」
(導入のまとめ)
「
(いろいろな生きもの)に近づけるにはどんな工夫をしたらいいかな。
」
(発想・構想について)
「たくさん釘を打ってみたらどうなるかな。
」
(発想・構想について)
「荷紐を巻いてみたらどうなるかな。
」
(発想・構想について)
「枝や幹を組み合わせて生きものの形はどうなってきているかな。
」
(発想・構想について)
124
工作の単元化についての研究
︻展開︼
︻まとめ︼
「葉っぱや木の実をくっつけてみて生きものの特徴はどんなふうに表れてきているかな。
」
(発想・構想について)
「釘をたくさん打ってみたらどうなってきているかな。
」
(発想・構想について)
「いろいろな方法でつなげてみたら,どんな生きものができたかな。
」
(展開のまとめ)
「選んだ材料はうまく切れたかな。
」
(振り返りついて)
「どんなものができたな。
」
(振り返りついて)
「工夫したところはどんなところかな。
」
(振り返りついて)
「どういうかたちができたかな。
」
(振り返りついて)
「どんな生きものが作れたかな。
」
(振り返りついて)
「選んだ材料でつくりたい生きものの特徴を工夫できたかな。
」
(振り返りついて)
「枝や幹をつなげてみたらどんなふうに見えたかな。
」
(振り返りついて)
「どんなふうにつなげた(くっつけた)かな。
」
(振り返りついて)
「葉っぱや木の実をくっつけたらどんなふうに見えたかな。
」
(振り返りついて)
「自然の木や木の実を使ってみてどう感じたかな。
」
(振り返りついて)
いろんなかたちや組み合わせができることに気づいたかな。
」
(
「つなげる」ことについて)
「枝や幹をつなげると,
〈まとめ〉
中学年の時期は,心身の発達に伴って,道具の活用による素材の変化を楽しんだり,それを
作ることを知ったり,工夫を見出したりする時期である。これを基に,のこぎりや錐などの道
具を使った工作を行えることが期待できる。それは手や体の動きを活かす活動や道具の適正性
を踏まえた制作であり,材料に対する興味の幅も広がってくる。これらは主として素材加工を
通した発想の育成と,その手立てとなる技能の習得である。技能面では,切断・接着・接合の
作業に伴う道具使用の活用と素材加工の工夫であり,そこから児童がつくりたいものを考えら
れるような発想面を指導することが重要となる。そう考えると,造形表現がとは,素材と道具,
技能と発想とが緊密に結びついたものであることが分かる。
第 3 節 高学年の工作指導案
(1)単元名:構造を考えた立体工作(色付き方眼工作紙を使って)
(2)主題名:
「住んでみたい!夢の家」
(3)題材設定理由:
高学年の児童は,計画性のある作業や制作ができるようになってくる。思いつきや気分を大切
にしながらも,他方では構築したり仕組みを考えたりする。技能面の習得と相まって,段階的に
工程を踏む制作は,児童の思いつきや発想をより良く具体化するための手立てとなり得るのであ
る。
更に,
想像を具体化するための計画性は,
思考力が進む高学年に適した学習事項であると言える。
本題材では色付き方眼工作紙を使った工作学習を行う。
「住んでみたい!夢の家」という主題を
設定し,思いつくままに発想し,その想いにできるだけ近づけられるようにデザインを考え,展開
図の作り方や寸法取り,切り込みや糊しろなどを計画的に制作できるような授業構成を考えた。
設計図を作成する際に立方体や直方体,円柱など基本的な幾何形の展開図の学習から始めたい。
そこからつくりたい家のかたちやかたちのデザイン,色の組み合わせなどを思い付き,構造を考えた
工作方法を工夫させたい。その過程において,アイディアの発見や組み立てる面白さを引き出せれば
125
と考える。材料から発想した工作を通して,個性的で創造的な表現の能力を育ませたい。制作途中
で浮かんできたアイディアを大切にさせ,児童が楽しんで建物を組み立てられるように心がけたい。
(4)当題材の目標
1. 立方体の展開図を計画的に作成しようとし,色付き方眼工作紙の加工を楽しむ。〈関心・意欲・態度〉
2. 作る手順を考えながら,自分の作りたい建物を楽しんで発想したり,構想したりすることが
できる。
〈発想・構想の能力〉
3. 計画を立て,新しい発想を加えながら材料を加工し,強度を考えて組み立てることができる。
〈創造的な技能〉
〈鑑賞の能力〉
4. 自分や友人の工夫点や良さを見つけることができる。
(5)指導計画(全 5 時間)
第 1 次:作りたい家について発想を巡らせ,簡単なスケッチを行う。
【1 時間】
第 2 次:色付き方眼工作紙に寸法を考えた展開図を描き,各部材を切断する。
【2 時間】
第 3 次:中心となる土台と各部材を組み合わせる。
【2 時間】
(6)授業の展開(本時 2 / 5 時間目)
導入︵ 分︶
経過 主な学習活動と児童の反応
○指導上の留意点 ●評価
備考
1. 四角柱や円柱,三角錐などの立方 ○様々な立方体を児童に見せてから,それぞれの展開図を示す。・色付き方眼
○児童が構想している建物に沿う形の立方体の展開図を探させる。 工作紙
体の展開図を確認する。
・カッター板
C「展開図ってこんな風になってる ○迷っている児童には助言する。
んだ!」
○構想についての指導言
・カッター
「自分で描いたスケッチから必要な立方体を探してみよう。
」 ・段ボール用
「どうやって描くんだろう!」
○導入のまとめの指導言
カッター
10 「作ってみたい!」
「形によって様々な展開図があるんだね。
」
(確認)
「ぼくの家は~の立方体の形だ!」 」
(発展)
等
○「作りたい家のかたちの展開図を決めよう。
※他(7)教師の働きかけ【導入】参照
学習課題「家に合う立方体の展開図をつくろう!」
2. 自分の制作する家にあった立方体 ○作図をさせる際,糊しろをしっかりと作らせる。
展開︵ 分︶
・コンパス
の展開図を工作用紙に描き込み,○折り目にカッターで薄く切り込みを入れさせる。
・鉛筆
切り取る。
○工作用紙の升目を利用させる。
・定規
C「しっかり展開図が描けるかな。」 ○工作用紙で作成した展開図に問題がある児童には随時助言を ・いろいろな
」
「折り目がうまく曲がらない。
行い,一緒に考える。
立方体とそ
」等 ○穴を空ける,切り込みを入れるという作業は組み立てる前に の展開図
「糊づけはどうするんだろう。
3. 作成した展開図から立方体を一度 行うよう指導する。
○切り込みについての指導言
組み立てる。
「きれいに折る(曲げる)ためにはどうしたらいいかな。
」
C「穴をあけたい!」
○展開のまとめの指導言
25 「内側に色を塗りたい!」等
「丈夫に作るには糊づけや折り目を考えて,展開図を作らな
いといけないんだね。
」
※他(7)教師の働きかけ【展開】参照
●立方体の展開図を計画的に作成しようとし,色付き方眼工作
紙の加工を楽しんで行っているか。関心〈観察〉
●簡単なスケッチから自分なりの建物を考え,作る手順を確か
めながら展開図を考えているか。発想〈観察〉
●色付き方眼工作紙の強度を考えて,折り・曲げ・接着などを
工夫できているか。技能〈観察〉
126
工作の単元化についての研究
4. できた立方体の出来を確認し,友 ○できた立方体をお互いに観察させ,良い加工が施されている ・できたカー
まとめ︵ 分︶
10
達のものの良い点や参考にできる ものは紹介し,次時の活動のねらいを伝える。
ド
点を見つけてできたカードに記入 ○振り返りについての指導言
して,次時につなげる。
「どんな所が難しくて,どういう工夫をしたかな。
」
○広がりのための指導言
「他にもいろんな形の展開図があったよね。次に作る形を工
夫してみよう。
」
※他(7)教師の働きかけ【まとめ】参照
●自己評価をして,友達のものとのちがいや良さに気づけたか。
鑑賞〈観察,できたカード〉
(7)教師の働きかけ(指導言一覧)
︻導入︼
︻展開︼
︻まとめ︼
「自分で描いたスケッチから必要な立方体を探してみよう。
」
(構想について)
「いろんな形の立方体の作り方って知ってる?」
(発想について)
「自分の作りたい家の形に近いものはどれかな。
」
(構想について)
「形によって様々な展開図があるんだね。
」
(導入のまとめ)
「作りたい家のかたちの展開図を決めよう。
」
(導入のまとめ)
「ちゃんと糊づけするためにはどうすればいいかな。
」
(接着について)
「きれいに折る(曲げる)ためにはどうしたらいいかな。
」
(切断について)
「展開図を組み立ててみたらしっかり立方体が作れそうかな。
」
(計画性について)
「うまくできなかったところはどこが問題あるかな。
」
(分析について)
どんな工夫をしたらいいかな。
」
(発想について)
「段ボールの厚みが邪魔で糊しろがうまく作れない時は,
「どんな色を選んで組み合わせたらいいだろう。
」
(構想について)
」
(計画性について)
「穴をあける(内側に彩色する)のはいつがいいかな。
「丈夫に作るには糊づけや折り目を考えて,展開図を作らないといけないんだね。
」
(展開のまとめ)
「どんな所が難しくて,どういう工夫をしたかな。
」
(振り返りついて)
「どんなものができたかな。
」
(振り返りついて)
「きれいに糊づけできている人のものはどういう所に気をつけて作ってあるかな。
」
(鑑賞について)
「自分のスケッチのイメージが作れそうかな。
」
(次時について)
「新しく作ってみたい(足してみたい)ものはあるかな。
」
(次時について)
「このあとはどの部分を作り込んでいくのかな。
」
(次時について)
「他にもいろんな形の展開図があったよね。次に作る形を工夫してみよう。
」
(つながりへの指導)
〈まとめ〉
高学年の児童はある程度見通しを持った造形活動が学習のひとつの柱となる。どのような過
程を経れば自分の思いや作りたいイメージに近い表現ができるのかを,段階的に考えさせなが
ら造形活動をさせることが重要である。
また素材や道具の使用についても,扱うものが増えていることが分かる。図工科 6 年間を通
して使用する素材や道具は多くあるが,同じ道具でもその操作法は学年を追うごとに緻密さや
正確さを要求されるようになる。これは学年を追う毎に心身的機能の発達に伴い,段階的な技
能習得が望め,学習内容の難易度がそれに比例する。
このように,図工科の単元設定は常に児童の発達段階に即したものとなる。低学年では主観
性を重んじた表現を中心とした平易な技能活用を行う,中学年では想像を活かす表現が加わり,
127
技能の幅も広がる,高学年でこれまで培われた発想・構想面と技能面を更に押し進めた活動を
行う,というようにまとめられる。
総括
図画工作科のねらいは,児童の持てる力を十分に働かせ,創造的な想像力や技能,鑑賞の能
力を伸ばし,自ら作り出す喜びを味わうようにすることである。そのためには教材研究の目的
と方法を明確にすることが大切である。それがあって初めて児童が自分の力を自由に働かせた
り,新しいことを進んで試したりできるのであり,教師は学習指導を工夫し,取り組みへの評
価を充実させられるのである。
そもそも,表現への知識や技術は,学習指導要領にある内容や目標を実現するための手立て
である。それを通して,個々の資質や能力を引き出すのである。これをもって,図画工作科の
目的を人間形成に置くと言えるのである。つまり,何かに対する見方や感じ方を表現のなかで
育むのである。図画工作の学習の基盤はここにある。
図画工作では主として発想面と技能面で学習する。両者が相互作用することは本論で述べた
通りである。手立てとしての技能があり,発想が引き出されたり,伸ばされたりできるのであ
る。また,逆も同様である。児童が表現や活動を「面白い」と感じるためには,教師はこの両
面に意義や価値を明確に位置付けた教材研究と授業実践を行うことが求められる,といえよう。
つまり,これは教材価値である。
これを前提にすれば,発達段階の理解や学習目標の設定,具体的な指導法や指導言という単
元化の方策は自ずと生まれてくる。
工作に限定した研究であったが,図画についても今後取り扱いたいと考える。平面と立体と
いう分化,それ以外の未分化が図画工作の学習領域である限り,本研究を基本とした授業研究
を時間をかけ検証していかねばならないと感じた。それぞれの領域の考え方を繋げ,比較検証
しながら,個々の独自性と共通性を獲得していきたいものである。
人間形成にどのような在り方で寄与できるのか,という図画工作の根本的命題に対する自己
の課題意識を抱いたことが,本研究の成果であったといえよう。
参考文献一覧
1.文部科学省『小学校学習指導要領解説 図画工作編』日本文教出版,2008 年
2.板良敷敏・阿部宏行『図画工作の指導と評価』東洋館出版,2005 年
3.下野律郎『図画工作の新しい授業実践』日本文教出版,1996 年
4.田中基美『手作り工作集』私家版
128
平成 22 年度卒業論文概要
国語科
書く力を育てるために
井 手 静 香
自分の考えを文章でまとめていくことは,生きていくことに欠かすことのできない能力であ
る。文章とは自分の考えや意見を伝えるためのひとつの有効な表現手段であり,文章に表すこ
とよって,自分の考えを整理したり,より論理的に発展させたりすることができる。子どもた
ちがこれから意欲的に社会に参加し,豊かな人生を歩めるように,文章力や記述力といった書
く力を育てることについてよりよい支援をしたいと考え,テーマを設定した。
第 1 章では,書く力とは何かについて考える。第 1 節で倉澤栄吉や青木幹勇といった「書
くこと」の指導における第一人者の書く力についての考えについて述べる。第 2 節では,第 1
節をもとに,書く力の定義について考えていく。
第 2 章では,書く力の必要性について考える。第 1 節で PISA や全国一斉学力調査で得られ
たデータをもとに,第 2 節で学習指導要領改訂の内容から,学校教育に求められている書く力
について述べる。
第 3 章では,書く力を育てる授業例について考える。第 1 節では教育実習先の小学 3 年生
におこなった作文指導についての考察をし,第 2 節では第 1 節の考察をもとに,読むことを
中心とした教材の中で書く力を育てるための授業案を考えた。
第 4 章では,研究を終えて考えたこと,今後の課題を述べてまとめとしている。
発達障害のある児童への学習支援 ― 小学校国語科を中心に ―
北 嶋 悦 恵
私は,学習支援ボランティアや教育実習で,通常の学級に在籍する発達障害のある児童と関
わった経験がある。その経験を通して,将来自分が学級担任となったときのために,発達障害
のある児童にどのような支援をしていくかを知る必要があると考えた。そこで,発達障害のあ
る児童の学習支援について研究していくことにした。研究を進める中で,学級担任は発達障害
のある児童の支援をするために,
「個」の支援と「全体」の指導を意識していかなければいけ
ないことがわかった。
具体的には,第 1 章では,発達障害のある児童や発達障害の可能性が高い児童の実態,学級
129
担任の様子について自身の経験をもとに述べ,
現状について考えた。また,
本研究で取り上げる,
発達障害の特徴や定義について述べた。第 2 章では,通常の学級の担任でもできる,発達障害
のある児童が学習に取り組めるようにするための環境づくりについて,文献をもとにまとめた。
第 3 章では,小学校教育の中で,最も授業時数が多い国語科に焦点を当てて,発達障害のある
児童の学習支援について考えた。ここでは,授業のユニバーサルデザインという考え方と,そ
私の今後の課題となった「個」
れぞれの特徴に合った学習支援について紹介した。第 4 章では,
と「全体」を見ることのできる学級担任を目指すことについて述べた。
学校教育におけることば遊び ― ことば遊びの実践と考察 ―
西 田 美 樹
私は,NHK で放送されている“にほんごであそぼ”という教育番組を通し,ことば遊びの
多様性に魅力を感じるとともに,子どもたちに日本語のおもしろさや美しさを伝えることの意
味を考えさせられた。また,コミュニケーション能力が低下している現代の子どもたちが,こ
とば遊びを通して,自分の考えや気持ちを「ことば」で表現する力を身に付けることができる
のではないかと考えた。この考えのもと,子どもたちが一日の多くの時間を費やす“学校で”
ことば遊びを活用することが効果的なのではないかと考え,実践を中心とした研究を行うこと
を決めた。
第 1 章では,ことば遊びの定義・種類・効果をまとめていく。第 2 章では,学校教育に焦
点を当て,学習指導要領と国語科教科書からことば遊びの要素がある題材を抜き出し,ことば
遊びにはどのような目的があるのかをまとめていく。第 3 章では,私が特別教育実習に行かせ
ていただいている町田市立町田第一小学校の子どもたちを対象にことば遊びを実際に行い,子
どもの様子や,それから考えられること・わかったことをまとめていく。そして,ことば遊び
を通して,児童にどのような力をつけたいのか,自分の考えをまとめていきたい。
日記指導 ― 国語科・児童理解の側面から ―
山 田 あ ゆ み
私は自分自身が担任教師から受けていた日記指導をきっかけに,日記指導とはどのようなも
のかについて疑問を持ったことから,この論文の題材を設定した。日記指導を行うことで教師
が得られるものは何か,これからの教師生活で日記指導をするうえで必要となるものは何かを
知るべく,この論文に取り組んだ。
130
平成 22 年度卒業論文概要
この論文では,日記指導を行う意義や必要性,日記指導を行うことで教師,児童が得られる
ものをそれぞれの立場から考えた。さらに,日記指導について児童理解,国語科の側面から考
え,日記指導というものについてまとめた。
日記指導とはどのようなものか,
文献や自分の経験をもとに述べた。第 2 章では,
第 1 章では,
なぜ現代の教育で日記指導が必要なのか,児童の実態をもとに考えた。また,日記指導を利用
した児童理解とはどのようなものか,教師の働きかけや日記指導としてはどのようなものが適
切なのかを考察した。第 3 章では,児童は国語という教科についてどのように感じているのか
を調査したうえで,日記指導の持つ役割や,日記指導の位置づけについて述べた。第 4 章では,
実際に自分が行った日記指導をもとに,児童が書いてきた日記と私の書いたあとがきから,児
童理解や国語科につながると思われる日記を紹介した。
読書が児童に与える影響と効果的な読書指導法
長 島 大 地
近年,読書離れが叫ばれるようになって久しい。読書は児童たちの自己形成に欠かせないも
のであるにもかかわらず,これは由々しき事態であろう。もしそれが本当ならば,少しでも児
童達に本を読むようになって欲しい。児童達が本を読むようになるためにはどうしたらいいだ
ろうかと考えた。そこで私は「読書が児童に与える影響と効果的な読書指導法」をテーマに,
どのように児童たちに読書を勧めるかについての指導法を研究することにした。
まず第一章では,読むこととはどういうことかについて考えた。また,読書と読解の違いに
ついてを,倉沢栄吉の言葉や PISA 調査の結果から触れ,指導の必要性を児童の発達段階とい
う観点から論じた。そして,
「読書世論調査」というデータから,本当に子どもたちが本を読
まなくなっているのかという児童の実態に迫った。第二章では,児童に読書を勧める方法とし
て,読み聞かせ・ブックトーク・アニマシオンとはどういうものかについて触れた。そして,
それらの読書指導の実践例を見て,それぞれの実践例に私自身の考察を加えた。最後に第三章
では,読書やそれらの実践例が児童達にどのような影響を与えるか考えた。この論文のまとめ
である。
新語の発生と定着
雨 宮 敦
現在私たちの周りには新語が溢れている。意味や使い方は知っていても,どうして作られた
131
のか,作られるにはどのような原理・構造があるのかについては知っていることは少ない。ま
た,時代が変わっていくことで,新語の特徴や種類も変わってきている。そこで私は,新語が
持つ機能・規則,また新語が定着するまでの過程とこれからの展望ついて研究を進めていく。
まず第一章では,新語とはどういったものなのかについて取り上げる。一節では新語の定義・
種類・特徴など様々な視点で新語を捉え考察していく。また,新語が作られる要因には心理的
背景・社会的背景が関係している。二節ではこの二つの背景について考察していく。
次に第二章では,新語が作られる原理・構造について見ていく。新語にも多くの種類がある。
ここでは新語を合成形・短縮形・その他の造語法の三つに分けている。その三つには多くの新
語が属しているわけだが,それら一つ一つの定義・原理・構造について紐解いていく。
最後に第三章では,新語が定着していく過程とこれからの展望について取り上げる。一節で
は新語はどのように世間一般に定着していくのか,その要因となるものは何なのかについて考
察していく。二節では,ここまで研究してきた内容をもとに,新語がこれからどのような展開
を見せていくのか考察していく。
クリティカルシンキングを活かした国語科授業
― 自らの考えを表現できる授業づくり ―
青 柳 里 菜
相手の意見や書かれた文章を鵜呑みにせず,子どもたちが能動的に批判的な思考を働かせて
自分の意見や判断をもつ力を身につけていくことは,情報化時代の今日,学校教育で重視して
いかなければならないものである。さらに,自分の存在や価値を積極的に肯定できる自尊感情
の高い児童を育んでいくためにも,相手の意見を「受容」するとともに,
「批判」した上で自
らの意見をしっかりと述べることは大切である。そこで,本論文では,このような力を児童が
つけていくために,国語科授業でどのようなことができるのかを考察した。
具体的には,第 1 章でクリティカルシンキングの定義を述べ,なぜクリティカルシンキング
が必要であるかを,戦後間もない学習指導要領を振り返った上で論じた。そして第 2 章で,物
事を批判的に思考する能力の低い児童の実態を明らかにした上で,第 3 章では実際に教育実習
での先生方の授業実践を例にその内容について吟味した。これらを踏まえ,第 4 章では,クリ
ティカルシンキングを活かした国語科授業を学習指導案の形でディベート式討論の授業を提案
し,最終的にクリティカルシンキングは子どもたちの自尊感情を高めていく力もあり,社会に
出たときに必ず実となる力であることを明らかにした。
132
平成 22 年度卒業論文概要
理科
小学校におけるバイオマスエネルギーを取り扱った,
エネルギー環境教育の可能性について
佐 々 木 翔
現在,地球規模での環境問題として,地球温暖化やエネルギー資源の利用問題などがある。
そこで,近年日本でも注目されているのがバイオマスエネルギーである。今回,サトウキビか
らバイオエタノールを生成するための予備実験の結果,アルコール検知器の測定範囲内におさ
めるために,今回の実験では原液を 100 倍にまで希釈し,発酵に使用する酵母は,サプリメ
ント,ドライイースト,ドライイーストを用いた酵母ビーズの中で,ドライイーストを用いた
酵母ビーズが一番教材に適していると考えられた。またアンケート調査から,バイオマスエネ
ルギーへの認知度が低いことが分かった。そこで,より早い段階である小学校教育においてバ
イオマスエネルギーを取り扱った授業を行う必要があると考えた。小学校では,持続可能な社
会の構築という観点から,環境問題との関連で取り扱うことが考えられるため,地球温暖化に
対して CO ₂を削減する手段の一つとして,バイオマスエネルギーの利用を取り扱うことがで
きる。小学校理科の教科書には,バイオマスエネルギーの記載がないものの,バイオマスエネ
ルギーを取り扱った授業実践校は多数あることが分かった。このことから,小学校においても
バイオマスエネルギーの重要性や必要性を理解させる教育の有効性や可能性を感じた。
説明能力を伸ばす指導の工夫 ― 6 年「生物と環境」を通して ―
鈴 木 崇 弘
平成 16 年 12 月に,2 つの国際学力調査の結果が相次いで公表された。2 つの国際学力調
(TIMSS
査とは,
「生徒の学習到達度調査」
(PISA 2003)と「国際数学・理科教育動向調査」
「読解力」
「数学的リテラシー」
「科学的リテラシー」
「問題解決能力」
2003)である。PISA 調査は,
の 4 分野にわたり,主に記述式で解答を求める問題で行われた。TIMSS 調査は,学校で学ん
だ知識や技能等がどの程度習得されているのかについて,算数・数学及び理科の学習内容に関
し,上述の PISA 調査に比べて,より多くの選択肢式で解答を求める問題で調査が行われた。
単なる知識や概念の理解だけではなく,
これらの国際学力調査の結果のうち,TIMSS 理科は,
それをもとに現象が起こった理由を説明するという,児童の「説明能力」を図っている調査で
あった。そこで私は,この説明能力を児童に身につけるにはどのような授業が求められるのか。
また,説明能力が身に付いた状況はどのようなことかといった疑問をもった。
133
本研究では,第 1 章で様々な教育資料から,説明能力についてまとめるとともに,第 2 章
で一つの単元に絞って調査を行い分析し,第 3 章で説明能力の向上を想定した単元指導計画を
検討することを目的とした。
小学校理科と社会教育施設の連携・協力のあり方
― 千葉市科学館を軸として―
沼 倉 加 奈
平成 20 年に改訂された小学校学習指導要領では,理科の目標として「実感を伴った理解」
という言葉が新たに加わった。私は,小学校の理科教育を通して,実感を伴った理解を図るた
めには,児童が体験活動を行うことが重要であると考える。しかし,理科の単元において,学
校で体験活動を行うことが困難な場合もある。このような場合でも,豊富な情報を提供してく
れるのが,博物館や科学館などの社会教育施設である。
そこで,本研究では,児童の実感を伴った理解を図るために,教師としてどのように社会教
育施設と連携・協力していくのかを,千葉市科学館を軸として考えていく。
第 1 章では,小学校学習指導要領や文献を基に,小学校と社会教育施設の連携・協力につい
て考え,私自身が教師として果たすべき役割を挙げていく。第 2 章では,千葉市立大巌寺小学
校の先生方への調査や,千葉市科学館での調査を基に,小学校と社会教育施設の連携・協力に
おける現状を分析する。第 3 章では,千葉市科学館を軸とした小学校の理科教育における活用
方法を考え,千葉市科学館の展示物の調査を行い,千葉市科学館の活用を想定した授業計画を
作成する。第 4 章では,本研究を通して,小学校の教師としてどのように社会教育施設と連携・
協力していくのかについてまとめ,今後の課題などについて述べる。
小学校におけるデンプンの加水分解の研究
―6 年人のからだのつくりとはたらきを通して ―
水 谷 俊 貴
現在,小学校 6 年生と中学校 2 年生でだ液の働きを学習することになっている。この 2 つの
学年で共通することとして,子どもたちが思春期へと移行していくことが挙げられる。思春期
の子どもたちは実験で自分のだ液を使うことに抵抗を感じるのではないかと考えた。そこで子
どもたちが抵抗なく実験に取り組むにはどのような方法で行えばよいのかということをテーマ
とした。
134
平成 22 年度卒業論文概要
実験方法,実験器具など,教科書会社によって異なっていることは多い。さまざまな実験方
法がある中で,準備が手軽で実験方法がわかりやすいものはどれかということも研究すること
とした。実験方法については,だ液を使わず他の薬品を使ったほうがよいのか,ということも
研究した。さらにさまざまなだ液の実験方法を中学 2 年生を対象に行った。その中で,生徒は
実験に対してどのように取り組んでいるか,まただ液に対して抵抗感はなかったのか,などの
意識調査を実験前後で行った。あわせて,教科書における実験方法や実験器具・材料,発問の
内容,実験に対するアプローチの方法を比較した。その中で,それぞれの実験方法の長所や問
題点を整理した。そして,小学校理科でだ液の働きを学習する際に適した方法を,単元指導計
画や,本時案の中でどう生かすかということをまとめた。
「大地のつくりと変化」(6 年)におけるデジタルコンテンツの活用
菅 野 愛 美
平成 20 年 3 月に告示された
「小学校学習指導要領」
より,
児童が自然の事物・現象の働きかけ,
問題を解決していくことにより,自然の事物・現象の性質や規則性を把握することを付加して
いる。そこで,重要視されているのが,
「実感を伴った理解」である。時間やスケールの大き
い単元や教材を扱う場合に,いかに児童が事物・現象を身近に感じ,問題を解決していこうと
する姿勢をもてるか,指導のしかたはどのようにすればよいのか疑問に感じ,実際に体験した
り経験したりすることができない場合でも,
「実感を伴った理解」を感じさせるための手立て
として,
「デジタルコンテンツ」を考えた。
「小学校理科とデジタルコンテンツ」について考える。文献や学
そこで,まず第 1 章では,
習指導要領,教科書を基に,小学校理科とデジタルコンテンツの関連性について見ていき,授
業でデジタルコンテンツを有効に使用できるかを検証していく。
,
「理
次に,第 2 章では,実際にデジタルコンテンツを発信している「NHK デジタル教材」
「土地のつくりと変化」の単元で有
科ねっとわーく」のデジタルコンテンツについて調査し,
効に利用できる教材は何かを追っていく。それを基にして,実際にデジタルコンテンツを利用
した学習指導案を提案する。
最後に,第 3 章では,本研究を通しての自分自身のまとめ,これから教師として何ができる
のか,教師としての姿勢や心がけをまとめていく。
135
小学校 5 年生「植物の発芽と成長」を通して条件制御の能力を育てる
― 遠隔制御型植物育成システムの研究を生かして ―
山 口 あ ゆ み
近年,ICT〔Information Communication Technology〕を教育現場に導入する様々な取り組
みが行われている。そこで私は,ICT 機器の 1 つとして遠隔制御型植物育成システム〔アイ
テラリウム〕を用いて様々な条件下でファストプランツの条件制御実験を行い,アイテラリウ
ムの教育現場における可能性を提案するための研究を行ってきた。しかしながらこのアイテラ
リウムを用いた実験では,実物を観て,触れてという五感を通した観察,実験をする機会が少
なく,小学校の学習に導入することは難しいと私は考えた。そこで,この実験を生かし,小学
校 5 年生で設定されている「植物の発芽と成長」の単元で ICT 機器を用いて学習を進めるた
めに育成したい植物観察の視点,そして,この単元で育成することが求められている条件制御
の能力をいかにして育成していけばよいかという問題意識をもった。
本論文では,第 1 章で ICT の効用,本研究のきっかけとなったアイテラリウムを用いた実
験の概要を紹介し,第 2 章では基礎研究として行ったインゲンマメの発芽と成長の実験の記録
「植物の発芽と成長」の単元が学習指導要領でどのように扱われて
を紹介する。第 3 章では,
いるか,また,教科書ではどのように扱われているか,6 社の教科書を比較しながら私が考え
本研究のまとめとして,
「植
る理想的な教科書の扱い方を述べている。そして最後に第 4 章では,
物の発芽と成長」の単元指導計画を提案する。
社会科
小学校社会科における環境教育について
菊 池 沙 織
今日の環境問題は,生活に密着した問題から,地球規模の問題に至るまで,多様化・深刻化
している。これらが起こす健康に対する影響なども地球全体の生物の存在を脅かす重要な問題
なっている。そのため現代社会において,環境が人類に恵を与えていることを理解し,環境を
大切に思う気持ちを育むことが大切である。そのために,人間と環境との相互作用について正
しく認識し,実際の行動に生かす能力を小学校の環境教育において教えるべきだと考えた。こ
の論文では,これらのことを背景とし,船橋市の環境について考察し,教材化したものである。
第 1 章では,環境教育の始まりを考え,環境問題に対してどのような施策を行ってきたのか
検証し,環境教育に対する我が国の取り組みについて述べる。
136
平成 22 年度卒業論文概要
第 2 章では,学校教育の中で,環境教育がどのように位置付けられているか考察する。
第 3 章では,社会科に視点を置き,環境を正しく認識することの重要性について述べる。そ
して,社会科における環境教育の役割を考察する。
第 4 章では,船橋市を例に挙げて,環境教育に関する取り組みについて述べる。船橋市おけ
る環境教育推進の視点として,
「三番瀬」に焦点を当て,考察していく。
第 5 章では,第 1 章から第 4 章までを踏まえ,第 5 学年の社会科単元指導計画を作成する。
小学校社会科での食育指導について
能 勢 夏 子
現在,食料自給率 40%以下の低さや輸入に存在する「食料有事」の問題を含め,食料その
ものの存在,安全性,素材と利用の視点から食の重要性,それを産み出す自然の恵みへの感謝
や労働の意義等,食をめぐる教育的意義は大きい。しかし,教師の食育に関する知識,技術は
不足している。
学習指導要領解説『社会編』等の分析からも,
食育問題として「地産地消」
「トレーサビリティ」
「食の安全性」
「食料資源のグローバル化」
「食料自給の確保」の 5 つ問題がある。中でも,食育
の内容として食料自給の確保に特に注目した。食料自給の現状での食料自給率の低下や TPP 問
題等の話題に加え,社会科の食育の中で一番に思考,判断を迫られている内容だからである。
そこで,私は食育の正しい理解を持ったうえで,新学習指導要領に導入された経緯に触れ,
学校現場における授業実践の分析などから食育を研究していく。
第 1 章では,食育の意義と目的は何かを家庭での食生活の実態,生活習慣と学習意欲,政府
の政策上の取り組みの 3 つの視点から確認し,第 2 章では学校での食育の取り組みについて
学習指導要領の記述等から調べた。第 3 章では,社会科における食料自給の取り扱いを日本の
食料事情を踏まえ,第 4 章で実践分析から指導のポイントを押さえた。最後に,研究を踏まえ,
学習指導計画を提案へとつなげている。
小学校における金銭・金融教育について
植 木 和 樹
本論文では,小学校における金融教育について論じている。金融教育とは,私たちが日々生
活していく上で欠かすことのできない“お金”に関する学習を通し,自らの生活や周囲を取り
巻く様々の事象について広い視野を持ち,その中でより良い生活を目指し,未来に向けて主体
137
的に考え,行動する「生きる力」を持った人間の育成を目指すものである。
何故,今金融教育が学校教育において必要であるのか,金融教育とはどのようなものである
か第 1 章でその内容を示している。金融教育は特定の教科で行われるものではなく,各教科が
互いに関連し合いながら,そして児童生徒の発達段階に合わせ小学校から中学校・高等学校を
通じて完成する。各教科間,発達段階との関連に触れながら,第 2 章では実際の小学校現場に
おける金融教教育の事例を取り上げながら,その成果,課題点について考えている。
第 3 章では,第 2 章からこれからの金融教育について考える。各教科の果たす役割に触れ
ながら,社会科を中心とした小学校における金融教育の実践のために具体的な指導について考
え,指導内容を明確にしている。
最終章ではまとめとして,社会科での金融教育の指導計画・指導法を提示した。
歴史学習における地域教材の取り扱いについて
森 田 慎
歴史を実感できるもの,それは意外と近くに存在しているものである。私の生まれ育った新
宿区という環境は江戸幕府の発展に伴って大きく変化・発展を遂げた街であり,建造物だけで
なく河川や地名などにも江戸時代の名残を残しているものが多数存在している。そこで,それ
らの地域素材を教科書や学習指導要領に則して取り扱うことはできないかと考えた。そして,
その地域教材を活用した授業が児童の興味・関心を高め,歴史の実感と感動を与えられるもの
になるのではないかという考えからこのテーマを設定した。
そこで,第 1 章では歴史学習における地域教材の活用がどのように内容として定められてい
るかを,学習指導要領の分析から洗い出していくとともに,学習指導要領の改訂にともなった
歴史学習の取扱いについても分析する。次に第 2 章では,歴史学習における現在の問題点を考
え,地域教材を扱うことの利点を述べる。そして第 3 章では,実際に新宿区の地域素材を歴史
的な観点から調べ,第 4 章で教材化をして,単元指導計画へと表していく。
音楽科
早期教育は本当に必要なのか ― その問題点と効果的な実践方法の提案 ―
鈴 木 由 花
小学生未満の幼児に様々な「習い事」をさせる「早期教育」は,
「胎児教育」等と銘打って,
138
平成 22 年度卒業論文概要
ますます低年齢化が進んでいるのが近年の傾向である。この早期教育の中でも音楽に関する教
育を受けた子どもたちは,
大人になっても音楽が「好き」で,
音楽が「得意」になるのだろうか?
この論文は,私が「早期教育」に関するいくつかの疑問に対して立てた仮説を基に,早期教
育の在り方について述べたものである。仮説としては,
(1)早期教育として,幼児期に音楽関
係の習い事をしていた子どもは,大人になっても音楽が好きである。
(2)音楽を早期に学ぶこ
とが,その後の発達において多大な影響を及ぼす。
(3)早期教育を受けていない子どもに比べ,
受けた子どもの方がその道のプロフェッショナルになる事が多い。という 3 点を挙げている。
まず第 1 章では「早期教育」とは何か,その定義や実態を様々な文献から調べていき,発達心
理学の観点から論じた。そして第 2 章では,音楽に関する習い事をしている子どもの割合やそ
「早期教育」の問
の期間などを調べたアンケートの結果を考察している。最後に第 3 章では,
題点を挙げていき,より効果的で実践的な早期教育の在り方を提案することと合わせて,私が
教育実習で実践した指導案を紹介している。
幼稚園における音楽教育 ― 歌唱活動の効果的な指導方法の考察 ―
櫻 井 雄 麻
本論文は,幼稚園の音楽教育,特に歌唱活動の効果的な指導方法について研究したものであ
る。幼稚園でどのような活動をしていたのかを振り返ると,遊んでいただけの記憶が強かった。
また,私は幼稚園の教師になることを目指しており,歌唱活動ではどのように指導がなされて
いるのかたいへん興味をもった。これらの理由から幼稚園の教育と歌唱活動ではどのような指
導を行うのが効果的であるか論文を作成することにした。
「幼稚園教育要領」
(平成 21 年施行)を元に幼稚園ではどのような教育をして
第 1 章では,
いるのかについて調べていく。第 2 章では,幼児を音楽的発達段階毎に区分分けし,段階毎の
発達の特徴を調べる。また,どのような指導方法が効果的であるのか資料を元に考察していく。
そして第 3 章では,第 1 章,第 2 章で調べたことを元に部分指導案を作成し,部分指導案に
ついて説明・考察していく。
私は本論文を通して,歌唱活動の指導方法は,幼児自らが楽しむ事が大切であると考えた。
また,指導は幼児に直接働きかけるような指導もあるが,保育者が幼児をよりよい方向に導く
といった間接的な指導が多いことを学んだ。
139
良いリズム感を身につけるために ―発達段階別の指導方法 ―
中 野 慶 祐
教育実習先の小学校の音楽の授業観察などで,曲のリズムをなかなかつかめない児童も見受
けられる。私はこの時,
「リズム感」とは何なのか,
「リズム感」とは小学校で身につけるべき
ものなのか,身につける必要があるなら,身につけるにはどのような方法で指導をしたらよい
のか気になった。音楽の拍の流れを感じ,拍の流れに合わせて自分の思いを表現できるような
良い「リズム感」を身につける指導方法について,表題のように「良いリズム感を身につける
ために」というテーマを設定した。
第 1 章では,平成 10 年 12 月 14 日に告示された今までの「小学校音楽科学習指導要領」と,
平成 20 年 3 月に告示された「小学校音楽科学習指導要領」とを比較する。第 1 節では「教科
の目標」と「1 1111 目標」について,第 2 節では「2 内容」について,リズム教育の位置
づけの変化を比較・検討し,まとめる。第 2 章では,発達段階別の良い「リズム感」を身につ
ける指導方法を考察する。第 1 節では,前章で検討してきたことと,一般的な「リズム感」の
定義などを参考に,どのような「リズム感」が良い「リズム感」なのか検討する。そして第 2
節では,発達段階別の良い「リズム感」を身につけるための「リズム」指導を紹介する。さら
に,実際の授業を想定した学習指導案を作成し,考察していく。
図工科
木版画の教材制作の研究
安 藤 丈 訓
木版画制作を通して,木版画には下絵・彫り・刷りの三つの工程があることがわかった。木
版画の制作はそれぞれ違う作業の特徴を踏まえながら行うことが大切であると知った。木版画
は工程上,最後に刷るまで全体がつかみにくい表現である。授業の際,各工程で児童が見通し
をもって作業を行える指導が求められる。
以上を要点化すると,木版画は段階的制作であることと,見通しを持って作業を行うという
計画性を含んでいることが分かる。また素材や道具の知識とその技能,線と面による濃淡表現,
主題にあわせた画面構成の工夫などが同様に教材価値であると言える。木版画制作ではこのよ
うな教材価値を,生徒がひとつずつ確実に身につけて表現できるような指導が教師に求められ
る。木版画の学習目標を把握し,実践できるように計画し,授業を具体化せねばならない。
本論の目的は指導ができるようするために行う研究であり,それには木版画の教材価値を踏
140
平成 22 年度卒業論文概要
まえながら,各単元観を確立する必要がある。おのずと木版画の素材や道具の扱い,工程法お
よび基礎知識を身につけなくてはならない。さらに小学校の木版画単元の実践例を扱い,木版
画の狙いを考察する。その中で自分が考える木版画教材の単元観を導き出し,それを基に 2 点
の木版画制作を試みた。
工作の単元化についての研究
元 山 拓 也
筆者は 3 年次に工作作品を制作してきた。その制作を通して,教材となり得る素材には多く
の種類があることを知った。素材は自然物と人工物とに大別され,その素材の種類は多岐に及
ぶ。また小学校 6 年間で用いる道具の種類も多い。教育的見地から,素材の特徴を活かした表
現技法や造形活動,題材理由なども多くある。
そこで筆者は児童がさまざまな素材体験をする中に,教育的価値や意味を見出せるのではな
いかと考える。本論では,低中高学年の発達段階の観点から素材と道具を扱う授業のあり方を
考察したいと思い,この主題を設定した。
まず,果たすべき図画工作科の役割とは何かを明確にしなければならないだろう。そこで第
1 章では図画工作科の内容と目標を分析し考察していく。次に工作で使用する主な素材と道具
について,授業に活用するための理解を深める必要性を感じた。そのため,第 2 章では工作で
用いる素材と道具について,その特徴と関係性を調べる。第 3 章では前 2 章を受け,どのよ
うな題材設定が児童の発想力の助長や技能の習得に有効であるのかを,低・中・高学年別に基
準を設け,具体的な授業案として示す。
図画工作科の題材として,児童の発達や成長に働きかけることができる素材と道具の研究と,
それを用いた授業のあり方を考察するのが本研究の目的である。
体育科
表現運動の教材開発に関する一考察 ― 導入段階を主にして ―
松 野 美 咲
来年度から施行される新学習指導要領は
「生きる力」
の育成を基本方針としている。その中で,
生きる力を育成するための観点の一つである表現力の育成に焦点を当て,身体表現を取り上げ
ることとした。また,チアダンスのインストラクターとしての経験を小学校体育科の表現運動
141
の授業に生かし,児童が楽しく取り組むことができる教材を開発したいと考え,本研究を行う。
第一章では,本研究を行うこととした動機を,学習指導要領の改訂を踏まえて論じ,自らの
ダンスの経験を小学校の表現運動の授業に生かしたいという目的を述べている。
第二章では,領域「表現運動」が児童から敬遠されているという現状とその原因を述べ,表
現運動の目的・内容を学習指導要領から説明している。
第三章では,教具が児童に与える影響を心理学的側面から捉え,教具の活用によって身体表
現を豊かにするという,教具を活用することの重要性を主張している。また,チアダンスのイ
ンストラクターとして行ってきた練習方法を具体的に表現運動と結びつけ,学習指導要領に基
づいた指導方法と照らし合わせている。
第四章では,第二章と第三章から導き出した結果を,学習指導案としてまとめ,自らの教材
開発につなげている。
第五章では,結論を述べ,結びとしている。
幼稚園における一輪車教材の採用に関する一考察
棚 網 愛 結
現在,一輪車は小学校の 95%以上が保有している。幼稚園にはあまり普及していないが,
実際に一輪車教材を採用している幼稚園もあることを知った。私は小学校から大学まで一輪車
競技を続けており,指導する機会も多くある。そこでは,幼児~児童前期(4 歳~ 8 歳)の子
どもは比較的短時間で乗れるようになることを実感している。このことから,幼稚園での一輪
車の教材採用を考察するに至った。
幼稚園教育要領の「健康領域」に「体の諸機能の発達が促されることに留意し,幼児の興味
や関心が戸外にも向くようにすること。その際,幼児の動線に配慮した園庭や遊具の配慮など
を工夫すること」と記載されている。一輪車を幼児の発達を促すために効果的な教材として保
育に取り入れていくことができるようにしたい。
そこで,第一章では一輪車の概要,教育現場へ導入されるまでの歴史,一輪車の分類につい
て述べ,一輪車とはどのようなものかなど特徴を記した。第二章では一輪車の特徴から,どの
ような教育的効果が望めるかを述べている。第 3 章では幼児の心理と発達特徴を述べ,それら
の特徴が一輪車教材とどのように結びつくか自分の考えをまとめた。第 4 章では,第一章,第
二章,第三章を踏まえて結論を述べ,幼稚園での効率的な一輪車指導の方法を考察,提案した。
142
平成 22 年度卒業論文概要
児童期におけるサッカーの指導法
― ボールコントロール技能を高めるトレーニング ―
安 田 雄 貴
児童期のサッカー指導の現状をみると,走力,持久力,筋力など生徒期に発達する体力の向
上を目的とした,子どもの発達段階にそぐわないと思われるトレーニングを行なっている場面
を見受けることがある。その要因として,指導者の児童期の体力に関する知識不足があげられ
る。発達段階にそぐわないトレーニングは,技能が上達しにくいということだけでなく,子ど
もたちの体を傷つけてしまうことにもなる。
サッカーを始めたばかりの子どもたちは,身体的には発達途上であるが,神経系の働きはす
でに成熟の域に達しているので,ボールをコントロールする技能を身につけるに適した時期で
ある。そのため,ボールコントロール技能の向上を目的とするようなトレーニングをするべき
であると考える。
ボールコントロール技能を向上させるためには,ボールに触る頻度が多くなるように指導内
容を考えていくことが望ましい。また,ボールを自分の思い通りに操るためには,自分の身体
を自在に動かすことができなければならないため,子どもたちが多様な動きを経験できるよう
に工夫していかなければならない。さらに,より正確にボールを蹴るためには,ただボールに
触る機会を多くするということだけでなく,軸足の位置,助走の入り方,上半身の向きを主要
とする基本的なボールの蹴り方も経験させていく必要がある。
また,
練習だけでなく,
試合も子どもたちの体の発達に応じたものでなければならない。練習で,
ボールコントロール技能の向上に重点をおいていたとしても,試合が,持久力勝負,筋力勝負
などになってしまっては意味がない。子どもたちに多くの試合経験をという考え方により,ル
ール上出場できる人数も多く,ボールに触る機会が多いということから,よりボールコントロ
ール技能が向上する確率が高い 8 人制サッカーが児童期の子どもたちには適しているのである。
体育嫌いをつくらない為の指導 ―運動技能(ボール投げ)の関係から ―
髙 岡 忠 史
近年,日本における児童生徒の学力低下と運動能力低下をよく耳にする。私は,体育嫌いに
なることが,運動能力低下の大きな要因になっていると考え,体育嫌いを作らないための指導
方法を研究した。
体育嫌いになる要因として,大きく二つの理由が挙げられる。一つ目は,心理的な理由であ
る。怪我をしたり,教師から不適当な扱いを受けたりして,心理的に体育が嫌いになってしま
143
う場合である。二つ目は,技能的な理由である。運動が思ったようにできない,上達しないな
どの,運動技能に関する理由である。
今回,私は特に後者に着目し,体育嫌いをつくらない為の指導方法について研究した。運動
技能を高める指導ができれば,児童に「できた」喜びを感じさせることができる。その結果,
児童は体育が楽しくなると考えたためである。
体育嫌いを理解するため,アンケートを実施した。また,指導案を作成し,授業実践も行っ
た。体育嫌いをつくらない為に,いくつかの要素に重点を置いて授業を行い,現場の実際を目
の当たりにした。
最後には,まとめとして“体育嫌いをつくらない為の指導方法”について論じる。指導要領
で示されている目標や内容を,どう捉え,どう工夫していくことが必要であるかについて,教
師として児童に指導していくための心構えを含め,論じていく。
チームプレーの重要性 ―体育のバスケットボールのゲームから ―
秋 庭 嘉 仁
私はバスケットボールの活動を通して多くのことを学んできた。特に,社会性具体的には協
力すること,認め合うこと,助け合うといった,ものをチームプレーから学んだ。
ほとんどの人が集団に身を置く,たとえば学校や会社,近所など。その集団でもスポーツに
おけるチームプレーは役に立つと考え,私は教員としてそれを児童に育ませてやりたいと思い,
論文のテーマを設定した。これを取り上げ,育てていく中で協力し技能を高め合い,楽しく活
動できることをねらいとした。そしてそのための授業を考え立案した。チーム全員が自分のプ
レーに自信を持ち参加できる技能を身につけさせたい。
この論文では,第Ⅰ章では,チームプレーについて探求するために「チームプレー」につい
ての定義づけをする。そこから,スポーツにおけるチームプレーを始めとし,バスケットボー
ル,体育の順に考察を深めていった。第Ⅱ章では,パスの技能からチームプレーを育む指導を
するために,練習内容を作成した。そして,それを授業でどのように扱っていくか,指導案を
作成した。実際には,実践までし考察までいかなかったが,この研究を基に教員になった時に
参考にして,チームプレーから社会性を育ませるための論文である。
144
平成 22 年度卒業論文概要
小学校におけるスポーツ事故に関わる事故について ― 対応と安全管理 ―
三 上 太 郎
今回の論文では,体育科におけるスポーツ事故について考察した。
おもな観点としては,自己の事例・原因の認識,事前指導の方法の明確化,事故発生後の処
置・対応の方法の認識の 3 つである。
自己の事例・原因の認識では,実際に,小学校の体育科で発生したスポーツ事故例を資料と
して収集し,領域ごとに分類した。それにより,大きく「体育科で頻発するスポーツ事故」と
「体育科で発生する命に関わる事故」の 2 つに分けることができ,それぞれの運動領域ことに,
細かい事故の要因を考察した。
事前指導の方法の明確化では,運動領域ごとの要因から,スポーツ事故の発生を防ぐための,
児童を取り上げた。器械運動を行う前のチェックや,水泳の規則など,事前指導や規則でスポ
ーツ事故を未然に防ぐために,行うべきことについて考察した。また,最も,スポーツ事故の
発生の割合の高い,器械運動については,児童の活動中にどのような留意点を持って,安全指
導を行うかも,領域ごとに考察した。
事故発生後の処置・対応の方法の認識では,不幸にしてスポーツ事故が発生した場合に指導者
が行うべき,応急処置について正しい知識を事前に身につけておくという観点で,心肺蘇生法や
止血法などの処置例を挙げ,授業中にスポーツ事故が起こった場合,という視点から,考察した。
家庭科 日本における子どもの教育 ― フィンランドの教育環境との比較から ―
奥 野 静 香
昨今,日本では学力低下が問題視されている。この学力低下を問題視するのに拍車をかけた
のが,PISA 調査の結果である。この中で,フィンランドの子どもたちの「学力」が高いこと
が注目され,教育研究への関心が高まりつつある。フィンランドの教育の高い「学力」の背景
には,何があるのだろうかと思い,本研究に取り組んだ。
1 章では文献調査でフィンランドと日本の教育を比較し,日本における教育の現状と様々な
課題について整理した。フィンランドでは子どもへの教育を
「未来への投資」
と位置づけており,
親の経済格差が子どもの「教育格差」
「希望格差」に直結している日本とは大きく異なる。また,
フィンランドでは教員養成を重要視しているとともに,労働環境が整備されており,日本の労
働環境の長期過密労働や教員同士のネットワークづくりが課題であることが明らかとなった。
145
第 2 章では,小学校教員と教員養成課程に所属する学生に労働環境および教育環境に関する
量的調査から,教員の過酷な長期過密労働の現状がわかり,学生からも同様の意見が得られた。
〈教育環境〉については,
子どもの変化や大学の講義への要望等があげられた。本研究をもとに,
子どもの教育に関する国際的な潮流をふまえ,子どもにとって重要な学びの環境と何かを絶え
ず考え,現場で活かしていきたい。
家庭科教科書における子どもの生活認識
高 橋 ゆ り
「なぜ男女別名簿は男子から始まるのだろう」
「なぜレディースデイはあるのに,メンズデイ
はないのだろう」など,日常生活での疑問から,日本における〈ジェンダー〉の現状を知りた
いと思い,本研究に取り組んだ。
第 1 章では,ジェンダーに関する国際的潮流を整理し,日本において男女平等が実現されて
いないことがわかった。また,ジェンダーに関する教育実践が様々な教科で展開されているこ
とが明らかとなった。そこで第 2 章では,戦後~現代までの小学校家庭科の教科書にジェンダ
ーに関する内容がどのように記載されているか,その記述の変遷も含めて分析した。戦後の教
科書の家事労働の記述では女性が担うのが前提とされていたが,1980 年代後半より男性の家
事労働への参加が登場していた。また,子どもの服装を見ても,近年では性別にとらわれない
内容に変化していた。これらの結果をふまえ第 3 章では,子どもたちが家事労働や男女平等に
興味・関心を持ち,日常生活で実践できるような学習指導案を作成した。
本研究の成果をふまえ,自分が教師になった時には,授業でジェンダーに関する内容を取り
上げるだけではなく,授業外の子どもたちとの関わりの中でも伝えていきたい。子どもが自分
の問題としてジェンダーについて深く考えられるような教育環境をつくっていきたいと思う。
生活科
生活科と自然環境との関わりについて
山 口 優
自然教育の始まりは,世界中のどの国を見渡してもある程度は同じである。自然教育の歴史
は,環境汚染や自然破壊がスタート地点となる。大人たちが国の発展のために,工業体制をと
ることで自然が破壊されていく。そのなかで,公害が発生し,人々に害がおよぶことで,自然
146
平成 22 年度卒業論文概要
を保護していこうという活動が盛んになった。そして,自然に興味関心をもち愛護しようとす
る精神を子どものうちから育てようとなったのが,自然教育である。生活科という教科の環境
教育の領域は「自然を愛護する心を育成する。
」こういう言葉でくくれば聞こえは良いが,裏
を返せば負の歴史から誕生した悲しい領域なのだ。
本論文では,小学校教育において生活科の環境(特に自然)の領域をどのように子どもに指
導することが有効かを研究し,まとめたものである。
栽培学習が子どもたちに与える意義について
佐 久 間 卓
小学校では栽培学習の授業がある。栽培学習は自然と直接的な体験ができる,数少ない機会
である。この自然体験で自然を大切したり,美しさや不思議さ,面白さなどの自然の素晴らし
さに気付いたり,生命尊重の心を育むことが期待されている。そこで,実際の学校現場ではど
のような栽培学習が行われているのか,栽培学習を行う際に気をつけるべき事を調べ,栽培学
習が子どもたちに与えるものは何かを調べた。
第一章では,小学校学習指導要領生活編をまとめ,指導要領での栽培の取り扱いについて考
察を述べ,第二章では実際の教育現場で行われている授業を紹介し,それを基に授業の考察を
述べた。第三章では栽培学習の注意点及び意義について述べ,第四章でそれらをまとめた。
気付きを活かす授業づくりの研究 ― 生活科を中心に ―
竹 内 亮 史
児童の学力低下や学ぶ意欲の低下,生活科を廃止した方がよいといった生活科に対する厳し
い声は,昨今の教育現場で存在する。それを打破するために,児童の気付きを活かす授業を重
んじたい。気付くことで,児童はできるようになったという実感を持てる。気付くことで,学
習の流れや仕組みがわかってくる気付くことで,児童は自分一人で学習できるようになってく
る。気付くことで,ものをよく視る視点が備わる。生活科という教科において,学習指導要領
にも書いてある通り,児童の気付きは無くてはならない。
生活科で必要となってくる気付きは 3 種類あり,児童が対象物に気付くこと,教師が児童の
気付きに気付くこと,児童ができたと気付くことの 3 つである。この 3 つの気付きがサイクル
される事で,はじめて児童の気付きは深まっていく。このサイクルを生むためには,教師の児童
の視点に立った指導や発問が欠かせない。また,児童の気付きを知的な気付きに変えることが
147
教師の大きな役割である。知的な気付きには大きく分けて 4 種類あるが,そのどれをとっても
やはり,教師の発問の仕方・教具の提示の仕方ひとつで大きく変化する。さらに,児童に対象
物に愛着を持たせることで,児童の学ぶ意欲は高まり,それとともに気付きの質も上がってくる。
生活科のめざす学力観 ―特に表現する力を中心に ―
郷 将 典
昨今,コミュニケーション能力の低下や引きこもり,少年犯罪の増加などの社会問題の深刻
化が叫ばれている。これらの問題は,自分と他人とのよい人間関係の形成を築くことができな
いことが,原因のひとつであると考えることができる。
他人とのよりよい人間関係を形成するための力を身につけるために,国語で聞く力や話す力
を育てる指導や,算数で論理だて,わかりやすい説明ができるようにする指導など,さまざま
な取り組みが行われている。しかし,最近の傷害事件や少年犯罪事件などを見ていると,その
ような力の育成の前段階として,自分と他人や社会そして自然について気づくことやそれらと
のかかわりに関心をもつこと,そしてそのかかわりを通して生活上必要な習慣や技能を身につ
けるといったことを,生活科を通して身につけることが必要なのではないかと私は考える。
よい人間関係を形成するために今の子どもたちに必要な力は,自分を表現する力がだと私は
考える。自分を表現するためには,まず自分の気持ちに気付くことや相手に伝えたいことに気
付くことが必要になる。言語力や論理性などの人間関係を形成する方法の指導をすると同時に,
生活科においてどのような力を育てる必要があるのかを,生活科における学力とは何かという
問題を中心にして考えていきたい。
生活科におけるコミュニケーションスキルの育成
日 野 玄 隆
今日,子どもたちのコミュニケーションスキルが低下しているように思える。その背景に
は,情報機器の充実,家族全体における生活スタイルの変化,地域での事故や事件の多発など
により,子どもたちの活動場所が外から中へと変わりつつある。その結果,家庭や地域の人と
話す機会が減少し,人と話すという行動に抵抗感が生まれ,人とコミュニケーションをはかる
ことが苦手になってきているように思える。また,コミュニケーションをはかることが苦手と
いうことは,社会性においても欠けている部分があるのではないかと考えられる。しかし,子
どものコミュニケーションスキルを育成することは生活科という授業を通して可能であると考
148
平成 22 年度卒業論文概要
える。子どもたちが,より多くの人と交流し,交流することで知識や情報を共有するためには,
児童期のうちから育成していかなければならない。それが,今日の社会で子どもたちがより幅
広く活動するためのきっかけとなるはずである。生活科の授業において,どのようにしてコミ
ュニケーションスキルの育成をするのかを考え,対策に移す。本文では,以上のような課題に
対応するものとしてまとめたものである。
道徳教育・特別活動
道徳教育に何ができるのか ― 小学校の場合 ―
藤 井 梨 恵
現代の子どもたちは,少子化や核家族化などの様々な社会変動の影響を受けながら生活している。
家庭・地域社会が孤立し,教育力の低下,人と人とのつながりの希薄化,さらに,凶悪事件の増加や
情報化によるサイバー犯罪,学校での暴力行為やいじめなど,様々な問題が起きているのが現状である。
こうした状況において,学校における道徳教育の役割は,ますます重要になってきている。
平成 20 年 3 月改訂の新学習指導要領では,中央教育審議会答申(平成 20 年 1 月)で,道徳
教育の充実・改善に向けた基本方針や具体的事項を示されたことや,約 60 年ぶりに改正され
た教育基本法の理念や従前からの「生きる力」の理念を受け,道徳教育の充実・改善に向けた
内容を示している。道徳教育の充実・改善は,新学習指導要領の柱の 1 つであり,抽象的で問
題点の多い道徳教育を見直すためにも重要な内容である。
小論では,社会状況の変化により,現在重要視されている道徳教育で,小学校では何ができるの
か考察していきたい。第 1 章では,子どもたちの道徳性を育む背景となる現在の日本の社会状況を
『小学校学習指導要領』や小学校の道徳教育の現状から,道徳教育に求め
見ていく。第 2 章では,
られていることを確認していく。第 3 章では,道徳教育に求められていることを,私なりに道徳教
育の実践例を提示しながら,小学校における道徳教育にできることとは何かを考察していく。
子どもの道徳性を育む体験活動 ―道徳教育と特別活動 -
草 野 祐 子
近年,教育現場では様々な問題が浮き彫りになってきている。道徳の授業においては,年間
35 時間あるにもかかわらず,児童は副読本を中心とするパターン化した学習を強いられてい
ることが多く,道徳の授業で学んだことを自分の日常生活に生かすことが十分できていないの
149
ではないか,という問題がある。道徳性は机上の学習だけで得られるものではなく,さまざま
な体験を通じて,初めて身に付くのではないだろうか。
『学習指導要領』の見直しも行われ,平成 23 年から完全実施となる。見直しされたなかで,
充実すべきもののひとつとして挙げられたのが「体験活動の充実」である。その体験活動の重
要性について,道徳教育と特別活動との相関に着目して再確認したい。
第 1 章では,文部科学省の「道徳教育,特別活動に関する参考資料」から,現代の小・中学
校における道徳教育の現状についてあきらかにする。第 2 章では,道徳教育と特別活動の関係
を示し,新しい道徳教育とは何かを確認し,特別活動における体験活動の重要性をあきらかに
する。第 3 章では,実際に小学校で行われている体験活動を紹介し,また体験活動を効果的に
進めるための手だてを確認する。
小論では,子どもの道徳性を育む体験活動を促進するための効果的な指導方法を取り上げ,体験
活動の重要性について確認した上で,教師としての指導や教師の在るべき姿について探っている。
総合的な学習の時間
里山をめぐる環境教育
吉 井 惇 也
今日,地球温暖化や酸性雨の問題など環境に対する問題は世界規模で話題になっている。
環境といってもその要素は様々であるが,私は「里山」と「共生」に焦点をあてて研究した
いと思う。私自身教師を目指すにあたり,児童たちに「共生」に対する学習をすることは大き
な意味につながると考える。
かつて人々は里山を大切にし,共に共生してきた。私たちは里山に感謝するとともにそれを
大切にし,次世代へ伝えていくべきなのである。そこで研究テーマを「里山をめぐる環境学習」
と設定した。
以上の理由から私は本題材を設定した。以下に本論文で論じる内容を記す。
第 1 章では,里山が持っている価値について記す。奥山,里山,人里の違いについて記し,
里山の定義を述べていく。
第 2 章では,里山を構成している要素について考えていく。里山を構成している人,雑木林,
水に着目して分析を行う。
第 3 章では,2 章までで分析した里山を教材とするポイントを踏まえ,里山,森(雑木林)
を素材とした 2 つの実践を分析していく。
150
平成 22 年度卒業論文概要
第 4 章では今まで分析してきたことから里山実践で大切になってくる視点は一体何であるの
か,それを踏まえた上で里山を素材とした実践のカリキュラムと実践案を提案する。
「いのちの授業」の実践的研究
―「生」と「死」から,子どもの生きる力を考える ―
福 田 彩 乃
現代学校教育の中では,不登校やいじめ等が問題視されており,さらには自殺の低年齢化や
小学生の殺傷事件といった悲しい事件が多く取り上げられている。この背景には,大きく変容
した現代社会を生きる子ども達が日々の生活の中で「いのち」というもの実感する場が少ない
のではないかと考えた。そこで私は「いのちの授業」が子どもたちに与えるものこそ,これら
の問題を紐解くものになると考え『
「いのちの授業」の実践的研究―「生」と「死」から,子
どもの生きる力を考える―』と研究テーマを設定した。ここでの「いのち」の授業とは,生と
死だけではなく自他の自尊感情などといった「輝き」にも目を向けていく。
第 1 章では「いのちの授業」を行う意味について論じ,さまざまな統計をもとに子どもたち
の死生観について考察する。そして「いのちの授業」が子ども達に与えるものについて論じる。
第 2 章では「いのちの授業」の社会的背景をふまえ,どのように「いのちの授業」が行われ
てきたか,また教科領域との関係などについても考察していく。
第 3 章では「いのちの授業」においての様々な実践例を比較・分析し,今までおこなわれて
きた「いのちの授業」の実践例について論じる。
そして第 4 章で,今までの実践的研究を基に小学校における「いのちの授業」のカリキュラ
ムを提案する。
福祉教育における相互交流の実践的研究 ― 障害者と健常者の立場から ―
望 月 健
現在,我が国における国民の福祉に対する関心は非常な高まりをみせ,教育界にも「福祉教
育」として分野をなしている。
しかし学校で行われている「福祉教育」の実践は福祉に関する知識や体験を行うことはでき
ても,内容を理解し,生活に生かすことが難しいのが現状である。
そこで研究テーマを福祉教育における相互交流の実践的研究と定めた。
第 1 章では,特殊教育及び特別支援教育の概要と歴史的経過をまとめた。
151
第 2 章では,福祉教育の成果として健常者と障害者の間に存在する「壁」を取り除くことが
できていないのである。健常者は障害者を,障害者は健常者をそれぞれ理解をしていても受け
入れることができないままなのである。健常者による「差別」や「区別」
,
障害者による「拒絶」
の「壁」は,福祉への関心が高まった日本でも存在したままである。
第 3 章では相互交流学習の実践例を分析し,それをもとにカリキュラムを提案する。
私は障害者であり,同時に健常者と生活を共にしてきた。
その経験を生かし,本論文では福祉教育の障害による壁にスポットを当てて,健常者と障害者そ
れぞれの立場から壁を考察し,
「共同」
「共生」のために必要な「相互交流学習」について論じていく。
4
4
4
4
児童・生徒におけるケータイ問題の追究 ―その価値と役割そして課題―
田 房 麻 理 子
現在,めざましい科学技術の進歩によって携帯電話は,益々その機能を多様化させている。
しかし最近では小学生がネットに関する事件に巻き込まれているという実態がある。
そこで私は,小学生が携帯電話を利用しているその実態を知り,研究していくことには大きな
4 4 4 4
意味があると考え,テーマを「児童・生徒におけるケータイ問題の追究―その価値と役割そして
課題―」とした。
4 4 4 4
第 1 章では,現在の情報の発達,特にケータイ,パソコンの機能に注目しながら研究を進め
ている。その際,コミュニケーション手段についても触れている。
4 4 4 4
第 2 章では,メディアと子供の接触時間について述べ,特にケータイについて取り上げる。
4 4 4 4
子供たちがケータイと接触している際に陥りやすいトラブルや危険について論じた。中でもサ
4 4
イバーいじめを大々的に取り上げ,サイバーいじめの事例や定義を述べている。さらに,ケー
4 4
タイ依存とはどんな状態なのか,何が原因なのかを述べている。
4 4 4 4
第 3 章では,ケータイを扱う授業の実践分析を行い,3 つの視点を設定し,各実践を考察した。
4 4 4 4
第 4 章では,ケータイを扱う授業カリキュラムと指導計画の提案を行った。
最後に,これらの研究の成果と課題を整理した。
世代間交流とは何か
鈴 木 麻 耶
今日,日本における家族の形態は,少子高齢化の進行等が影響し,親と子のみによる核家族
の家庭が多くなった。兄弟姉妹も少なくなった。この家庭環境の変化に伴い,子どもたちが家
152
平成 22 年度卒業論文概要
庭内でのかかわりの中から学び,知識を得るという機会が減った。子どもたちを取り巻く人間
環境は大きく変わった。
さらに,地域においての人間関係も以前に比べて希薄になり,子どもたちが地域の人たちとかか
わるという機会も得づらくなった。子どもが外で集団遊びをする機会も減った。家の内でも外でも,
子どもたちの周りの人間関係はとても狭く限られたものになり,異世代との交流も失われている。
このように現代の日本は,子どもたちが自分と違った世代の人と関係を持ち,かかわること
が自然にできる環境ではなくなっている。この世代間での交流は本来コミュニケーション能力
や社会性の育成を促し,子どもたちの成長に不可欠な影響を与るものである。身近に機会を得
ることができない子どもたちのために,世代間での交流を体験し,そこから何かを学んでいけ
るような機会を小学校のカリキュラムとして設ける必要がある。
そこで研究テーマを「世代間交流」と定め,この背景,価値等を明らかにする。さらに実践
分析を行った上で,小学校において計画,実践していくべき「世代間交流」の提案を行う。
小学校における伝統・文化教育について
―児童にアイデンティティを育むために ―
山 本 侑 弥
筆者は,未来を担う子どもたちには,適切で意義のある国際教育をすべきとの持論がある。
そこで国際教育の核の 1 つでもある「伝統・文化」領域を研究テーマとして設定した。それは,
子どもたちには日本人としてのアイデンティティを獲得し,日本人であることに誇りを持って,
世界へ羽ばたいてほしいと考えるからである。
第 1 章では,伝統・文化教育の概要を述べるとともに,日本人としてのアイデンティティと
は何なのかという点に着目し,国際化時代に求められる伝統・文化教育を論じる。
第 2 章では,諸外国の伝統・文化教育方法に触れ,自国との比較をしていく。イギリスとフ
ィンランドの 2 カ国を参考に,日本との比較や諸外国同士の比較をし,これからの日本におけ
る伝統・文化教育について論じる。
第 3 章では,文部科学省の委託事業であった,伝統・文化教材開発事業『堺の「CHA 文化」
の継承と創造をめざした教材コンテンツ開発』を基に実践分析する。分析の主軸は,
「日本人
としてのアイデンティティ」の構成要素や育成の視点を中心とし,考察・主張していく。
第 4 章では,各章で論じてきた伝統・文化教育や日本人としてのアイデンティティの考え方
を基盤に,児童に「日本人としてのアイデンティティ」を育む伝統・文化教育の指導計画を小
学校低・中・高学年それぞれ提案する。
153
国士舘大学初等教育学会・会則
第 1 条 本会は国士舘大学初等教育学会と称する。
第 2 条 本会は事務局を国士舘大学文学部初等教育専攻内に置く。
第 3 条 本会は初等教育の性質に鑑み,広く研究の場を提供すると共に,合わせて相互啓発の
場を提供することを目的とする。
第 4 条 本会は前条の目的を達成するために次の事業を行う。
1. 機関誌の発行。
2.研究会・講演会の開催。
3.その他の必要な事業。
第 5 条 本会は総会を開催する。
第 6 条 本会の会員は次の通りとする。
1.国士舘大学文学部初等教育専攻の専任教員。
2.国士舘大学文学部初等教育専攻の学生。
3.その他,入会を希望して,初等教育専攻の承認を得た者。
第 7 条 本会に次の役員を置く。
1.委員若干名。
2.監査 2 名。
第 8 条 本会の役員の任期は一年間とする。ただし再任をさまたげない。
第 9 条 本会の経費は会費・助成金・寄付金その他をもって当てる。
第 10 条 本会の会計年度は 4 月 2 日に始まり,翌年 3 月 31 日をもって終わる。
付則 1.本会則は総会に出席した会員の 3 分の 2 以上の賛成をもって変更することができる。
2.細則は別に定める。
3.本会則は平成 11 年 4 月 1 日より施行する。
所在地 〒 154―8515 東京都世田谷区世田谷 4―28―1 国士舘大学文学部初等教育専攻
平成 21(2009)年度会計報告[平成 21 年 4 月 1 日∼ 22 年 3 月 31 日]
◆収入の部
会費収入
郵便口座利子
前年度繰越金
◆支出の部
400,000 円 『初等教育論集』第 11 号制作費
696 円 講演会諸経費
1,533,024 円 払込手数料
郵送代
返金
計
1,933,720 円
計
次年度繰越金
154
474,842 円
116,000 円
760 円
680 円
8,000 円
600,282 円
1,333,438 円
国士舘大学初等教育論集投稿規定
国士舘大学初等教育学会は,その会則(以下「会則」と略記する)第 4 条第 1 項に定める
機関誌として,
『初等教育論集』
(以下「論集」と略記する)を発行しているが,その投稿並び
に編集の詳細に関して以下に定める。
1.編集の担当者を,会則第 6 条の第 1 項による会員(専任教員)の互選により 1 名以上定める。
2.「論集」の記事は,目次や編集後記等,編集の過程で生ずるものの他,次のものとする。
(1)本会の会員による投稿のうち,初等教育専攻での承認を経て,編集担当者が適切と判断し
たもの。
(2)会則第 6 条第 2 項による会員(学生)のうち,当該年度に執筆し,合格したすべての卒
業論文の概要。
(3)会則第 6 条第 2 項による会員の卒業論文のうち,別に定める規定による審査によって特
に優秀と判定されたものの全部,もしくは抄録。
(4)その他,会則・会計報告等,初等教育学会の運営に必要と思われる記事。
3.前条の規定に拘わらず,編集の担当者は収録可能ページの判断により,記事の次号送りや
収録保留を判断することができる。
また,前条(3)による収録の分量についての判断は,初等教育専攻の意を尊重して編集の
担当者が行うこととする。抄録の方法は,編集の担当者が箇所と字数を指示して著者本人が行
うか,もしくは,編集担当者が行いそのような抄録であることを付記するかのどちらかを,著
者が選ぶこととする。
4.「論集」の発行は,冊子体,インターネットなどによる情報機器を利用する媒体,もしくは,
その双方とする。2.に定めた記事に関して執筆者並びに著者は,その収録・公表および配付
に関して,投稿もしくは提出時に承諾したとみなす。
5.前条の規定により,執筆者並びに著者は,その記事に関して著作権等の義務を正統に処理
した状態である義務を負う。特に初等教育学会の責を問われることのないよう誠実に対処する
責任を負うこととする。
6.記事の提出は,原則として次の締め切りとする。第 2 条(3)の抄録を著者が著者自身で
行うこととした場合,当該年度の 1 月末日。その他の記事は,12 月 10 日。ただし,編集担当
者の判断によって,適宜その締め切りを後に延ばすこともできる。卒業研究の抄録は各卒業研
究科目ごとにまとめて提出するものとする。
7.論集の発行は原則として,3 月 1 日とする。印刷所は校正に関して著者と直接連絡をとる。
そこで,原稿の提出時に,氏名・住所・メールアドレス・電話の連絡先を添付することとする。
8.記事は,A 5 版として,横書きの場合,原則全角 37 字を 1 行に含む 30 行を 1 ページとする。
縦書きの場合,20 字 28 行の 2 段を 1 ページとし,電子ファイルとその紙打ちとの両方を提
出するものとする。電子ファイルは当分の間 MS-Word の文書ファイルを原則とするが,TeX
などの写真製版可能な版下での提出も可とする(数式などが多いものへの対応)
。
155
9.注等のポイントは MS-Word による場合,投稿時には落とさずに,校正時に適宜依頼する
ものとする。また,注の形式は,既刊のものを参考に統一のとれるよう留意する。
付記.2006
(平成 18)
年 1 月から施行する。2006 年 3 月に発行予定のものは,
執筆者にこれを,
投稿時にさかのぼって適用することの承諾をえるものとする。
編集後記
近年,メールやツイッターなどよる細切れで断片的な(会話になっていない)
「会話」
(と
きに「不快話」
)は花盛りですが,文章をきちんと書く訓練は,ますます減ってきているよ
うに思われます。よく考えもせず,そのときどきの情動的印象をつぶやいて,おしまい。こ
れでは動物のまま。
考えることに目覚めた人間には相応の苦しみももたらされるわけですが,それにもまして
学び知ることの喜びも大きいものです。この喜びを味わえるのは人間だけです。人間として
生まれてきたことに伴う特権ともいえるでしょう。このような「人間化」への意図的働きか
けを指して「教育」といもいいます。それを専門に手助けするのが教師。
学生を本来の「学」生にすべく,彼らの学びのスイッチを入れる努力をしてはいるのです
が……。読者諸賢からのご批判ご鞭撻のほど,よろしくお願いいたします。
編集担当 : 菱刈晃夫
執筆者紹介(掲載順)
正 田
良 文学部教授
菱 刈 晃 夫 文学部教授
西 田 美 樹 2010 年度卒業生
鈴 木 麻 那 2010 年度卒業生
元 山 拓 也 2010 年度卒業生
初等教育論集 第 12 号
発 行
編集発行人
発 行 所
制 作
平成 23(2011)年 3 月 15 日
国士舘大学初等教育学会 松田俊哉(専攻主任)
〒 154-8515 東京都世田谷区世田谷 4―28―1
国士舘大学初等教育学会
ゆうちょ銀行・郵便局から振り込む場合
(記号)10070(番号)9804211(名前)国士舘大学初等教育学会
他の金融機関から振り込む場合
(店名)〇〇八(店番)008(口座番号)
0980421(名前)国士舘大学初等教育学会
オリオン出版
156
Fly UP