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教会報162号が発行されました。

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教会報162号が発行されました。
日本基督教団
教 会 報
柿ノ木坂教会
162 号 2014 年 3 月 16 日
主任担任教師
牧師 渡邊義彦
〒152-0022
東京都目黒区柿の木坂
1-31-19
電話:03-3717-3870
F a x : 03-3717-3916
巻頭言
「反抗する者に絶えず御手を伸べて」
――マタイによる福音書26章12~13節――
牧師
渡邊
義彦
「この人はわたしの体に香油を注いで、わた
献げ物を経済で考えます。コストで考えていま
しを葬る準備をしてくれた。はっきり言ってお
す。しかし、彼らは尊い方に見合うほどの献げ
く。世界中どこでも、この福音が宣べ伝えられ
物を、わたしたちは到底できないことを考えて
る所では、この人のしたことも記念として語り
はいません。
伝えられるだろう。」
彼女は一心にキリストだけに思い致して尊い
(新共同訳聖書)
献げ物をいたしました。もちろん彼女にも人々
教会は、ひとりの女性のことを覚え続け語り
が考えたような常識はあったでしょう。熱狂と
伝えました。彼女の尊い行ないのゆえ、この女
いうこととは違うと思います。今ここで、この
性は教会で記念して語り伝えられることとなっ
時にということがあります。すべてを止めて、
たのです。彼女は行なったことで自分がキリス
すべてを後にして今しなくてはならないことが
トのものであるということを証ししました。キ
あります。彼女は、このことを見究めて、極め
リストを指し示すひとりの証人となりました。
て優れて信仰的な判断を下しました。尊いもの
彼女は大変に高価な香油をすべて主イエスのた
を、できるかぎりのものを、今、キリストに献
めに使い切りました。ほかの誰のためでもない
げる心を彼女は決めたのでした。
彼女によって油を注がれるキリストのお姿は、
キリストのために、彼女は油をすべて使ったの
王として即位するお方のお姿です。キリストは、
です。
これを見た人々は、このような高価な香油の
王として、すべてを支配なさる王として君臨な
使い方を、全くの浪費だ、と言いました。もっ
さる方として油を注がれ即位されます。けれど
と賢く、有効で、経済的な使い途があるはずだ、
も、この王は、何重にも城壁に囲まれて、数多
と彼女を非難しました。貧しい人々のために使
の警護の者たちに守られて、高貴な者と世の民
えば、その日、何十人、何百人という人々が食
を分け隔てる重く厚いベールの向こうに鎮座し
べられたのに、もっと良い使い途があったはず
ているような王ではありません。
だ、と非難します。非難した人々は尊い方への
- 1 -
キリストが王として最期を成し遂げられるエ
ルサレムの町にお出でになったときのことを思
一方、主の御側にいた弟子たちは、主を裏切
い出してもらいたいのです。キリストは、民の
り見捨ててしまいます。イスカリオテのユダ、
歓呼の中を、喜びの叫びの中をやって来られま
ペトロを筆頭とした弟子たちすべてがそうでし
した。人々が、手に手に棕櫚の葉をかざして喜
た。この弟子たちに復活なさったキリストが会
びに溢れる中を進んで来られたのです。人々は
ってくださいます。主がエルサレムへと上る途
このキリストのお姿に思いました。本当の王が
上におっしゃられたとおり、十字架の救いの御
やって来られた。柔和で、身を低くしてくださ
業を果たされ、死んだままではいないことを体
る王、まことの平安をもたらしてくださる王が
を示し明らかにしてくださいました。復活され
やって来られた。人々は喜びの声を上げて、小
た主にお会いして弟子たちは全く生まれ変わり
さなろばに乗られた王を迎えました。油を注が
ます。十字架に至るまでに主がお語りくださっ
れるキリスト、油を注がれて王としてここにい
たお言葉の意味を、主が為さった数々の御業の
てくださるキリストは、どこか遠くにおられる
意味を弟子たちも明らかに了解したのです。聖
方として、わたしたちと隔たったお方としてお
霊の息吹をいただいて大胆に、十字架の主イエ
られるのではなく、わたしたちの間に、わたし
スこそキリスト、メシア、油注がれたまことの
たちのところまで下って来てくださる王です。
王、救い主である、と弟子たちは伝道を開始し
キリストが油を注がれるのはまた、埋葬のた
ました。
めの準備でもありました。彼女がしたことは、
わたしたちは、誰一人、主を裏切ったイスカ
キリストの死と葬りを指し示す出来事でもあり
リオテのユダと一線を画した正しい者である、
ました。キリストは、死を経て、死をもってす
と胸を張って言うことはできないでしょう。主
べての罪人の贖いを成し遂げてくださいます。
を見捨てた弟子たちをわたしたちの姿ではない、
キリストの王座は、象牙で作られたものでもな
と言うことができるでしょうか。
しかし、神が救いを果たされるのです。人間
く、大理石から彫り出されたものでもなく、金
箔を貼られ宝石をちりばめられたものでもなく、
の醜さが露わにされて、あからさまにされた人
エルサレムの町外れの小高い丘に立てられた十
の裏切りをも用いられて、主を見捨てる弱さを
字架です。十字架にまでキリストは身を低くし
も用いて救いを為さることで、神が救いを果た
てくださって罪人を救ってくださるのです。
されるのです。そのようにしてまで、神は罪人
キリストの恵みにいかにして応えるか。どの
を救ってくださいます。神の御子を見捨て裏切
ように尊いものもこれに応えるに相応しくなく
るという究極の反抗を、神は救いに変えてしま
十分ではありません。たとえ、わたしたちが持
われました。キリストは、御自身の命をもって、
てるすべてを献げても等しいものとはなりませ
罪人が本当は負わなくてはならない罪の結果を
ん。そうですが、このひとりの女性はできるか
すべて負ってくださいました。ここに救いがあ
ぎりのことをしました。そして、このことは聖
ります。キリストは十字架にわたしたちを救っ
書に記され教会の民の記憶に留められることに
てくださいます。神は、救いの御手をなおも伸
なりました。彼女は、キリストを証しするひと
ばされてわたしたちを御懐に掻き抱いてくださ
りの証人となりました。
います。
- 2 -
―わたしたちは神さまのもの-
「はじめてのカテキズム」第 43回
原島 正
第二は「仲間」です。私たちは、一人では
問い55「われらの日用の糧を今日も与えた
答え
まえ」と祈るのはなぜですか。
生きていけません。家族、同僚、友人、そし
すべての良いものは神さまから来
て教会の仲間と共に生きています。
「日用の糧」
るからです。わたしたちの最も身
を必要とするのは自分一人のためではありま
近な必要においても、神さまはい
せん。なによりも家族のためです。たとえ家
つもわたしたちのことを心にかけ
族と離れて生活していても、仲間と共に生き
てくださるのです。
るための神さまの恵みとして、毎日の食卓に
「日用の糧」が並べられます。
今回は「主の祈り」の第四の祈りについて
第三は「仕事」です。私たちは「日用の糧」
学びます。まず問いに注目してください。
「な
を得るために仕事をします。けれども、生き
ぜですか」と問うています。
「何を」祈るか、
ている限り、他者のために役立つことをした
ではありません。祈りの内容は「日用の糧」
いと考えます。他者のための奉仕も立派な仕
です。今日の食物を与えたまえ、と祈るので
事です。その仕事のために「日用の糧」が必
す。まことに些細なことです。祈るならもう
要です。
少し高尚なこと、もっと「霊的」なことを祈
このような私たちの生活になくてはならな
るべきではないかと考えます。まさに「なぜ」
いものすべては、神さまから来るのです。す
祈るのですかと問いたくなります。その答え
なわち「わたしたちの最も身近な必要におい
は「すべての良いものは神さまから来るから」
ても、神さまはいつもわたしたちのことを心
です。ルターは『小教理問答書』で「日ごと
にかけてくださるのです。
」感謝しつつ、祈り
の食物とはどんなものですか。
」の問いに、
「そ
ましょう。
れは肉体の栄養や、生活になくてはならない
最後に二つのことを記しておきましょう。
すべてのものです。
」と答えています。ルター
第一は「今日も与えたまえ」と祈ることです。
は続いて、さまざまなことを例として挙げて
近藤勝彦先生によれば、
「
『主の祈り』は毎日
いますが、私は次の三つのことが「生活にな
の祈り」です。今日のことを、今日、祈るの
くてはならないすべてのもの」であると考え
です。
・
・
・
・
ます。
・
・
・
第二は「われらの日用の糧を与えたまえ」
第一は「健康」です。全く健康な人は、一
と祈ることです。同じく近藤勝彦先生によれ
人もいません。すべての人は何らかの病のな
ば、
「『主の祈り』は共同体の祈り」です。
「主
かにいます。病のなかにあって、健康なので
の祈り」は、個人で唱えるとともに、教会で
す。年齢に関係なく、私たちは生かされてい
唱和する祈りです。そしてこの祈りは「糧が
ます。その「健康」を維持するために「日用
なく飢餓の状態にある人々に対しては、援助
の糧」を必要とします。
の働きを求めるはず」のものでもあります。
(近藤勝彦『主の祈りの手引き』日本伝道出版)
- 3 -
主に押し出されて
私は結婚してはじめて、説教の準備が身を削るよ
ことが何時間でも続いている。日付が変わっても準
備は続いている。講壇に立つ為には、自分の力で立
からいろいろの用事をいいつかるからだ。それ等の
の仕事として何の予定も立てなかった。それは主人
局土曜日が総仕上げの時となる。土曜日は私も自分
は家庭集会がある。牧会的な様々の用件もある。結
次の日曜の説教の準備にとりかかる。一週間の中に
日曜の奉仕が終わって、一休みの時が過ぎると、
進できなかったのだ。そこで彼は霊的なものと一晩
れる為には、祝福を受けて力を与えられなければ前
たヤコブはこの川を渡ってエサウの住む地に足を入
ならなかった。兄との間に深い溝をつくってしまっ
は兄エサウに会う為にヤボクの渡しを渡らなければ
のだと思っていた。旧約聖書のヤコブの記事に、彼
必要だったのだろう。それが祈りつつの準備だった
つのではなく、押し出されて立たされるという力が
用事も今となってはほとんど忘れてしまったが、よ
中格闘した。祝福を受けるまで闘った。そして遂に
うな大変なものであることを知った。
くお茶がほしいといわれた。呑みごろのものを差し
講壇に立つ為には、押し出されて立たされると言
祝福を受け力を与えられて前進したのだ。
くてやけどしそうなものでなければならなかった。
う力が必要だったのだろう。それが祈りつつの準備
出すと、胃の弱かった主人は「ぬるい」と一喝、熱
カーライル夫人は胃弱でいつも気むずかしく、小言
だったのだと私は思っていた。
「この世に生きる信仰者」
(小川貞昭説教集)
巻末の「小川文エッセイ」より転載
なことは駄目だ」と一蹴された。
らお楽ではないですかと言ったこともあるが「そん
土曜を日曜と考えて、金曜に準備完了となさった
もないとつぶやいていた。
ない。説教の原稿をつくるのに要領のよくなること
主人はいつになっても説教に慣れるということが
の多い主人に、コーヒーを持っていくと「ぬるい」
と怒鳴られた。
怒 っ た 夫 人は 暖 炉の 火 をつ ま ん で ジュ ー ッと コ
ーヒーの中に入れたそうだ。それで彼女は悪妻のレ
ッテルを貼られたとか。私は夫人のその心情には同
情したくなる。
土曜日の夕食が過ぎると書斎にとじこもる。そし
て 部 屋の 中 を動 物園 の 檻の 中 の熊 の よう に行 っ た
り来たりしている。かと思うと静かになる。そんな
- 4 -
文姉の思い出
故小川貞昭牧師夫人 小川
小川文姉が1月7日に100歳で天に召されました。
文才のあった姉のエッセイ2編と、古くからの教会員数人の思い出とを掲載いたします。
文先生
しかし苦しみぬいている姿を見ている者とし
文先生とは、小川先生の奥様として、また幼
稚園の先生として 4 人の息子がお世話になり、
て「良くなかった」とは口が裂けても言えず、
多くの接点がありました。いつも明るくケロッ
「神学校の先生じゃあるまいし、説教の評価は
とした雰囲気が接しやすく、言葉を交わす機会
できません」といつも逃げておりました。だか
も沢山ありました。中でも昭和 58 年 7 月 17 日
ら、教会堂建設に伴って新しい牧師館ができ、
に行われた「証し」の言葉は、テープに取って
主人が2階に籠って仕事をできるようになった
おり、いまでも強い印象が残っております。
時は、天国へ来たような気持でした。
」
文先生自身はこのように語っておられますが、
結婚した時に「主人がキリスト教の伝道に専
念できるよう、自分がすべての雑用を引き受け
神経が八つ裂きになるほど気を遣われたことが
よう」と決心をしたと語っておられます。しか
示すように、
「主人に何とか良いお説教をしてほ
し、週末に教会の看板を町中に立てに行くのは
しい、主人の役に立ちたい」という気持ちで一
未だ 24 歳の娘さんにとって大変だったようで
杯でした。毎週ハラハラしながら御主人の説教
す。中でも、当時地上1階にあった東横線都立
を聞いておられたので、説教の出来栄えは最も
大学駅のホームの向かいの道に看板を立てに行
よく判っておられたのだと思います。文先生が
くと、ホームの人々皆が見ているようで、
「そっ
このお話をされた時、皆の笑い声に交じって小
ちの方を絶対に見ないようにして急いで戻った」
川先生の笑い声もテープから聞こえてきました。
と語っています。その他にもいろいろ語ってお
「結婚した時、主人が何の憂いもなく教会の
られますが、中でも説教についての言葉が印象
御用に仕えることができるように、主人が説教
強く残っています。
に専念できるように、それ以外のことは総て自
「結婚するまで、説教の準備がこんなに大変
分がやろうと決心しました」と語っておられる
なものとは知りませんでした。あんなに苦しま
ように、小川先生の身の回りのこと一切を引き
なければ説教ってできないものか、自分だけで
受けておられました。教会に居るとよく牧師館
なく家族まで巻き込んでこんなに苦しまなけれ
の方から「文子、文子」と小川先生が大声で呼
ばできないものか?
説教の準備がピークとな
ぶ声が聞こえてきました。後年、
「あなたがご主
る土曜日には本当に神経をつかいました。主人
人を大事にし過ぎたから、あんなに何にもでき
は気が散るのを嫌がりましたので、主人が良い
ないご主人になった」と言われた時は「してや
説教の準備をできるように、邪魔をしないよう
ったり」とご満足であったのではないでしょう
に気を遣いました。子供ができてからは、時に
か。小川先生はお幸せな方だった、文先生は牧
は神経が八つ裂きになるほどの気持でした。
師夫人の鑑だったと思っています。
主人も出来が良くなかったときに限って「今日
(松江
繁樹)
の説教どうだった?」と聞いてまいりました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
私(編集者:井澤)の娘も、ベテル幼稚園の前身、幼児グループでお世話になったので、小川文姉は、文先生であった。
多くの教会員も文先生と呼んでいた。いただいたエッセイでも、呼びかけは「文先生」になっている。
- 5 -
小川文先生を偲ぶ
私が日曜学校に通い始めたのは敗戦の翌年で
の資料がある。
「日本基督教団柿ノ木坂教会小史
あった。日曜日に教会に行くと部屋には講壇と
(1936~1965 年)」
(ガリ版刷り)、
「教会債発行
オルガン以外なにもなかったように思う。二間
のお願い」
(1967 年)
、オルガン奉献に当たって
の家の家財やその他生活に使うものはどこに片
の黒田一郎氏への感謝状(1974 年)
、
「主任担任
付けておられたのだろうか。玄関も分級に使わ
教師の交替について
れていた。クリスマスには押入れの戸も外され、
19 日)、故長尾志津姉から遺贈された現長尾記
上段にも下段にも子供たちがあふれていた。今
念館の取得の経緯関係書類(1995 年)
。
小川貞昭」(1983 年 6 月
にして思うと文先生が夜中に病身のお子様を気
小川貞昭牧師と労苦を共にし、支えてこられ
遣いながら特別の工夫をして礼拝の場を整えて
た牧師夫人文先生の姿がこのリストでも偲ばれ
おられたのだろう。
るのである。
(若林
文先生が最後まで保管しておられた教会関係
之矩)
忘れられないこと
文先生とのことで忘れられない思い出は一杯
あるがその中の一つ、ずっと以前先生が華道を
故この時期に、私が教会に再び通う決心をした
のか、ずっと謎であった。
習っておられた頃、礼拝時の花も担当されてい
ところが、時を経て、文先生がある時おっし
た。晩春の頃であったか、聖壇に飾られた花々
ゃったのだ。
「街角であなたにばったり再会した
の色の見事さに私はかたずを呑んだ。美しい色
時に、
『また教会にいらっしゃい』と誘ったのよ
合いの様々な花がそれぞれの存在を輝かせてい
ね」と。そうだったのだ!初めて謎が解けたの
る。何という上品さ!何というあでやかさ!礼
である。だがその時、私は「覚えていません」
拝中も圧倒されて、ひたすら花を見つめていた。
とはとても言えず、何とか相槌を打ったものの、
覚えていなかった自分をずっと責め続けた。
ところで、私の柿ノ木坂教会との出会いは
小学生 2 年生からであるが、どうも 1 年間だけ
最後に、これまでも文先生との何げない会話
で終わったようだ。和服姿の小川牧師のお姿と
をとおして、実に多くのことを教えていただい
近場のピクニックと降誕劇に出た思い出だけが
た。特に信仰者としてのありようを、身をもっ
残っている。
て示してくださった。
誠にありがとうございました。文先生が大事
その後、中学から高校へ向かう春休みから、
私は旧約聖書と讃美歌を八雲堂書店で買い求め、
にされておられた柿ノ木坂教会を私も大切にし
当たり前のように教会に通い始めたのである。
ていきます。
以来、今日の私がいるわけだが、しかし、何
- 6 -
(成松
三千子)
漫
画
町にいた頃、近くに美人の
夫人が住んでいた。彼女は小さな犬を飼っていた。
美女と野獣とまではいかないが、奇妙な顔をした犬だった。大きな丸いボタンのよう
な眼がグリグリと動く。そのすぐ下に鼻の穴だけ二個、これまた丸くて天井を向いて
いる。口もあごも長い毛がかぶさっていて定かではない。それでも血統書付きで、し
かもドッグショーに出るほどの名犬とのことだった。
夫人はエチケットバッグと引き綱
雨の日、この犬のお散歩に出あった。彼は赤いレインコート、赤い帽子、四本の足
には赤いレインシューズをはいている。お供の
夫人の漫画の一コマを時々思い出
た。心の中では大声で「ザマーミロ」と大満足。誰に向かって叫んでいるのだろう。
様のは何という種類ですの」。私は「うちのは雑種という種類でございます」と答え
立派な犬を連れた散歩姿の婦人に出あった。「うちの犬は〇○種でございます。お宅
血統書付きも雑種も飼い主は皆わが犬は利口で勝れ者と思っている。公園の入り口で
慢する。「公園に行って御覧なさい。バカな犬は一匹もいませんよ」と私は答える。
に、我が亭主も犬に目がない。「こんな利口でおとなしい犬はめったにないぞ」と自
飼い犬の自慢だ。堂々と、或いはそれとなく自分の犬は利口者だと自慢する。ちなみ
して苦笑する。公園には様々な犬と飼い主が集まってくる。飼い主のおしゃべりは皆
い。朝夕の散歩は近くの公園に連れて行くが、
ところがY町に越して来て思いがけず犬を飼うはめになった。柴と洋犬の雑種らし
ある。漫画の一コマになる。しっかと脳裏に焼きついた。
を持って従っている。人間が犬を連れているのではなく、犬が人間を従えている図で
S
S
我が家の雑種は人間のベッドの上を自分の場所と思っている。満腹すればベッドの
(小川文
随想集「約束」より転載)
- 7 -
S
上、留守番の時も、夜も昼もベッドの上。そして犬だって夢を見て寝言も言う。どん
な夢なのだろう。
4 ページにある「主に押し出されて」を読み
返していて、思い出される情景がある。
あのころ、青年会のメンバーが交代で週報つ
くりを行っていた。土曜日の夕方、やっと出て
きた小川先生の原稿を基に、謄写版の原紙をや
すりの上に置き、鉄筆で字をガリガリ書いてい
く「ガリ切り」をして印刷をしていた。
くたびれたなと思う頃、時々、井澤さん、お
茶いかが?と文先生から声が掛る。丁寧なお茶
の淹れ方で、実においしかった。
それは晩年、長尾記念館をお訪ねする時にい
ただくお茶と同じ、変わらぬ作法でお茶を淹れ
てくださっていた。
(井澤 浩一)
上のエッセイにあるように、ゴンちゃんは駒
沢公園で小川先生に拾われた犬で、八雲の長尾
記念館にお邪魔すると、いつも先生ご夫妻の脇
に、ぴったりはべっていた。
上の文集の終わり方に、
「花吹雪」というエッ
セイがある。
「毎朝ゴン(犬)を連れて近くの遊
歩道を駒沢公園まで散歩するのが日課になって
いる。」と始まる。文先生は晩年までゴンちゃん
を散歩に連れて行っていた。時々、遊歩道でお
会いすることがあった。
ゴンちゃんの若いころは力が強く、時折、文
先生が引っ張られることがあり、大丈夫かなと
心配したが、晩年はゴンちゃんも年を取って、
ゆるゆる歩くようになり安心したものだ。
K
ゴンちゃんの散歩
主の働き人・各会、各グループは今 18
青年会の活動
桝田
友子
青年会は福本久子会長の下、毎月第二日曜日の礼拝後に
例会として昼食会を行っています。
メンバーは 10 名程度と少ない人数ですが、皆で持ち寄っ
た食事を囲んで近況を報告し合い、交わりの時を持ってい
ます。
また聖夜礼拝でのキャンドルとココアのサービスや、CS
のおもちつきの手伝い等の奉仕もさせていただいています。
昨年は、アメリカから王陶子さんが家族で柿ノ木坂教会
に帰ってこられ、また一緒に礼拝を捧げられること、青年
会の時が持てること、本当に感謝です。
さて、毎月楽しいひとときを過ごしている青年会ではあ
りますが、一応悩みもあります。今青年会で一番の悩み事
は、青年会の「高齢化」です。青年会とは名ばかりで、実
際に青年と呼べるメンバーはごくごく少数。青年会の高齢
化を打開するべく、何か対策を練らなければ!と思っては
青年会のメンバーです。残念ながら
この場に写っていない人たちもいます。
いるのですが・・・。
今後はJCを卒業するメンバーが引き続き神さまとつながっていられるよう、青年会として少し
でも橋渡しができればと思っています。皆仕事や学校、育児等で忙しい中での活動なので、頑張り
すぎずマイペースに、青年会の場が心安まる場であったらと思っています。青年会のためにお祈り
いただけたら幸いです。
写真左:CSのお餅つきでいろいろなメニュー
のお餅に加工して配るメンバー。
上:聖夜礼拝で、キャンドルを配るメンバー。
右:聖夜礼拝後、玄関の外で暖かいココアや
くだものなどを配るメンバー。
- 8 -
☆☆☆教会の行事☆☆☆
――今まであったこと――(定例行事は除く)
1 月 19 日(日)
:礼拝後、好天に恵まれ、園庭で「教会学校おもちつき」が行われた。
←幼稚園児のお父さんたち、青年会メンバー、
↓そして園児も、みんな交代で餅つき。
できたてのお餅をもらいに並ぶ長い列。
メニューは あんこ、きなこ、いそべ(のり)
・・・
みんなおいしそう!!
3 月 5 日(水)
:灰の水曜日、受難節(レント)に入った。4 月 19 日(土)までが受難節。
----------------------------------------
☆以下は、柿ノ木坂教会の行事ではないが、柿ノ木坂教会で行われたものについての報告。
2 月 11 日(火)
:東京改革長老教会協議会長老研修会が柿ノ木坂教会で行われた。
2 月 23 日(日)
:南支区伝道講演会が柿ノ木坂教会で行われた。
「東京の伝道-福音の種を蒔く-」と題して、東京教区総会議長で西千葉教会牧師、
元・柿ノ木坂教会伝道師だった木下宣世先生の講演
が行われた。
その中で南支区合同聖歌隊が奉仕した。今年度の
南支区合同聖歌隊の当番教会は柿ノ木坂教会で、
指揮を桝田恒長老、オルガンを鷺晶子姉が担当した。
――これからの予定――
4 月 6 日(日)
:定期教会総会
4 月 13 日(日)
:棕櫚の主日、4 月 19 日(土)までが受難週
4 月 17 日(木)
:洗足木曜日夕拝
4 月 18 日(金)
:受難日
4 月 20 日(日)
:復活日(イースター礼拝)
6 月 8 日(日)
:聖霊降臨日(ペンテコステ)
- 9 -
今月のメッセージ
ホームページもご覧ください
-3月のホームページ巻頭言から-
http://kakinokizaka-church.com/
あなたがたは地上に富を積んではならない。
そこでは、虫が食ったり、さび付いたりするし、
また、盗人が忍び込んで盗み出したりする。富
は、天に積みなさい。そこでは、虫が食うこと
も、さび付くこともなく、また、盗人が忍び込
むことも盗み出すこともない。あなたの富のあ
るところに、あなたの心もあるのだ。
(新共同訳聖書・マタイによる福音書
第 6 章 19〜21 節)
クリスマスを終えて年明けには続けて二人の
姉妹を天にお送りし教会で葬儀を営みました。
100 歳、88 歳と長寿を全うされ、主が与えてく
ださった人生をそれぞれに懸命に生きられまし
た。お二人ともこれだけ高齢でしたが、葬儀に
は 100 人、200 人と出席され、生前、大きな証
しをされたことが思われる葬儀となりました。
教会では、毎年 11 月最初の主日に聖徒の日の
記念礼拝を献げます。それまでの1年に召され
た教会員たちを覚え、それぞれの葬儀で語られ
た式辞を冊子にまとめ発行することにしていま
す。この冬に召された姉妹がたの式辞も、その
折に冊子に載せることになりましょう。
葬儀の式辞を準備しながら、牧師として兄弟
姉妹の人生で注目するところは、その兄弟が、
姉妹が、いつ、どこで、キリストに捕えられて
いることに気付かされて、信仰を告白し洗礼を
受け、キリスト者とされて教会につながること
になったのか、という一点です。この一事が、
その兄弟、姉妹の人生において最も尊い時であ
るからです。
その人が人生において、どれほど大きな業績
を積んだか、どれだけ大きな働きをしたか、ど
れほどの困難を負いこれに耐えてきたかを語る
こと以上に、天に備えられてある尊い宝、時間
が過ぎ去っても、どんなに時代が変遷しても、
たとえ人が死を迎えても萎むことも衰えること
もない、天に積まれてある宝を、この人生の中
で確かに受け取る、その兄弟、姉妹の人生にキ
リストが臨んでくださる、洗礼という一事をこ
そ覚えることに心砕きます。
主イエスの十字架の死に与る洗礼は、キリス
トの復活の命に与ることでもあります。キリス
ト者として、与えられた地上の人生において洗
礼を受けていることを語ることは、同時に終わ
りの日の復活の希望を語ることにもなるのです。
主がお語りになるとおり、天に積まれてある
宝をこそ覚えなくてはなりません。洗礼は、こ
の宝がわたしたちの地上の人生に明らかになる
ときです。
(牧師 渡邊 義彦)
―――編集後記―――
集会案内
・柿ノ木坂教会初代・小川貞昭牧師の夫人と
して、幼稚園の主任として、教会のお母さ
んとして、お二人のお子様の母として、大
きなお働きをされた小川文姉が、100 歳で天
に召されました。古い会員に一文を寄せて
いただきました。
・青年会の活動を書いていただきました。CS
教師ほか、教会の働きの中核を担っている
人たちへ、主のお支えがありますように。
◇教会報へのご意見・ご感想を編集委員長の
井澤浩一までお寄せください。
主日礼拝 日曜日 午前 10 時 30 分
教会学校 日曜日 午前 9 時
(幼稚科、小学科、ジュニアチャーチ)
*ジュニアチャーチは中学生、高校生です。
聖書と祈り会 水曜日午前 10 時、午後 7 時 30 分
日本基督教団 柿ノ木坂教会
〒152-0022 東京都目黒区柿の木坂 1-31-19
電話 03-3717-3870(教会・牧師館)
03-3723-3870(ベテル幼稚園)
牧師 渡邊 義彦
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