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長期に及ぶことで多様化する災害医療・看護 柔軟に対応できる看護師の
特集 1 座談会 これからの災害看護 災害の現場で、看護師は何をすべきか 長期に及ぶことで多様化する災害医療・看護 柔軟に対応できる看護師の パワーがますます求められる 未曾有の被害をもたらした東日本大震災をはじめ、国内外で相次いで災害が発生した2011年。 徳洲会グループは、TMATを核に精力的な支援活動を展開しました。 看護師、医師、管理栄養士とその職種はさまざまですが、 災害医療の第一線で活躍する人たちはどのような思いをもっているのでしょう。その生の声を聞いてみました。 ●参加者 荒尾 修平 看護師(千葉・四街道徳洲会病院) 野澤 敏昭 看護師(神奈川・介護老人保健施設かまくら) 三浦由紀子 看護師(東京・メンリッケヘルスケア (株) ) 髙力 俊策 医師(神奈川・茅ヶ崎徳洲会総合病院) 鑓水 弘樹 管理栄養士(山形・山形徳洲会病院) ●司会 瀬戸美佐子 看護部長(千葉・四街道徳洲会病院) 06 VIVO vol.31 [座談会]災害の現場で、 看護師は何をすべきか 各地の災害現場と比較しても 想定外の状況だった東日本大震災 あります。 瀬戸:今日は、TMAT(徳洲会医療 行きました。私は山形の人間なので、 救援隊)のメンバーとして国内外で災 東日本大震災ではすぐ隣の県が被災 害医療に携わっている皆さんにお集ま 地であることから、栄養士として何が りいただき、その経験をもとにこれか できるか模索しながら、現在も支援に らの災害医療 ―― 特に、看護を中心 関わっています。 に話していきたいと思います。医師や 野 澤 : 私は 、T M AT の前身である 管理栄養士の方々にもご出席いただい TDMAT(徳洲会災害医療協力隊)の ていますので、看護師とは違った視点 メンバーとして、台湾・921地震の活動 からの意見にも期待しています。 に参加しました。東日本大震災では現 それではまず、皆さんがどのように 地には行きませんでしたが、被災した 職。04年山形徳洲会病院に異動、現在に 災害医療に携わり、また今回の東日本 施設入所者の方を受け入れるための 栄養部会副部会長、山形県栄養士会理 大震災ではどのような活動をされたか 準備をして、自らの施設で待機してい 事。10年のハイチ大地震に出動。東日本大 を教えてください。 ました。震災に加えて福島第一原発の 南三陸町ベイサイドアリーナ臨時診療所で 髙力:私は、昨年1月と2月に続いて起 事故もあり、多くの方が避難されるこ きたハイチ大地震とチリ大地震、そし とが予想されていましたから。 て今回の東日本大震災の際の活動に 荒尾:私も、TDMATの頃からの参加 皆さんもさまざまな体験をされてい 参加しました。トルコでも活動経験が です。新潟県中越地震の後、ジャワ島 るわけですが、今回の東日本大震災 の地震、新潟県中越沖地震の活動に については、どのように感じています 参加し、東日本大震災では先遣隊とし か。これまでの災害とは、いろいろと て現地に向かいました。 異なる面があるように思うのですが。 三浦:皆さん多くの経験をされている 荒尾:私は3月11日の当日に先遣隊とし のですね。私は災害医療に関しては初 て仙台に向かいました。やはり現地は 心者で、東日本大震災での活動が初 混乱を極めていて、被災状況を把握す 参加です。米国に住む医療従事者の るどころか、どこに向かったらいいの 友人から「日本で支援活動をしたいと かすらわからない状態でした。津波被 ■プロフィール いう在米医療従事者をTMAT 米国チ 害の状況もわからず、情報伝達がほと 三浦由紀子(みうらゆきこ) ームとして派遣している」と聞き、私も んどなされていなかったのです。これ 勤務。その後、米国Emory大学WOC看護 加わらせていただきました。 は、過去の国内の災害では考えられな 養成コース修了、米国WOC協会認定資格 瀬戸:私は、看護師になって4年目に いことで、「ここは本当に日本なのか」 創傷看護の講演・治療コンサルテーションを カンボジア難 民救済のためタイに滞 という感じを受けました。あまりにも広 中心に活動。2007年神奈川県立保健福 在して以来、災害医療を含めさまざま 域的な災害だったため、行政などの指 任。 その後、体圧分散寝具メーカーに勤務、 な国の支援に行きました。阪神・淡路 揮系統も機能せず、支援に駆けつけ 企画・学術担当。10年9月現職。11年東日 大震災、ハイチ大地震、チリ大地震、 た人たちも誰の指示に従うべきかわか 東日本大震災などで活動しました。 らないといった状況でした。 大学卒業後、都内大学病院で外科系病棟 取得。帰国後、医療機器メーカーで、褥瘡・ 祉大学看護学科で助教(基礎看護) に就 本大震災でTMATに参加。 鑓水:ハイチ大地震と東日本大震災に ■プロフィール 鑓水弘樹(やりみずひろき) 1991年、華学園栄養専門学校卒。埼玉協 同病院を経て、2003年千葉西総合病院入 至る。同院栄養副室長および全国徳洲会 震災では発生翌日に仙台徳洲会病院入り、 TMAT撤退まで現地コーディネーターを務め た。TMATインストラクター。 VIVO vol.31 07 特集 1 これからの災害看護 髙力:私は、荒尾さんたちの後の第一 私は、被災後4週目に現地入りしまし 陣として行きましたが、現地でまず行 た。それまでは、災害医療イコール緊 ったのは情報収集でした。行政関係者 急の外科処置および集中管理というイ や、先に入っていた DMAT(災害派遣 メージを強くもっていました。ところが、 医療チーム)からも情報を得て、宮城 今回はどうも違うらしいということが 県気仙沼市、岩手県大船渡市、南三 事前にわかりましたので、WOC ナース 陸町などへ支援を広げていきました。 としての専門性よりも、被災者の方の これまでの震災との大きな違いとい 生活支援を行うことが自分の仕事だと えば、トリアージがいらなかったという 考えて行きました。 こと。先に診療を開始していたDMAT 野澤:私は後方支援として、被災した によると、トリアージタグでいう赤や黄 施設入所者の方の受け入れ準備を整 色の緊急を要する患者さんがほとんど えて待っていたのですが、結局のとこ 来ないというのです。作業をしていて ろ来た方はほとんどいませんでした。 手を切った、寒さで風邪をひいた、飲 というのも、状況の把握がうまくいっ 護学校に勤務後、千葉西総合病院入職。 んでいた薬が流されてしまったので処 ておらず、個々の施設が孤立していた 災害看護学会社会広報委員。阪神・淡路大 方してほしい─被災直後にもかかわ からです。同じ医療法人内に病院があ らず、求められたのは、そういう日常 っても、ほとんど連携が図られないと 的な医療行為でした。 いった状態でした。こちらが支援の意 いろいろと苦労が多かったようです。 三浦:震災当日は、都内のオフィスで 向を伝えても、なかなか情報共有がさ それらのフォローも含め、災害支援時 帰宅難民となり、テレビやラジオのな れなかったようですし、ご自分の居住 のバックアップについてはどのように感 い環境で情報が入らず、インターネット 地を離れたがらない方が多く、関東地 じていますか? からの情報やSNSを活用して国内外の 方への避難を受け入れられないという 鑓水:仙台徳洲会病院では、ライフラ 友人から情報を得ました。 ケースもありました。 インに影響が出ていた中、周辺の取引 瀬戸:ご存じのように、災害は発災か 業者も多くが被災したために食材が入 らの時期によって、急性期、亜急性期、 ってこない状況でした。それでは、入 慢性期と、求められる医療が順に変化 院患者さんへの食事が提供できなくな していきます。しかし、今回の大震災 ってしまう─私たち栄養部会や仙台 は非常に広域的な被害をもたらしたこ 徳洲会病院では栄養 士が自ら動き、 とに加え、生死がくっきりと明暗を分 食材など物資や人員の運搬を行いまし けた状況であったため、急性期がほと た。でも、ガソリン不足で十分な行き んどなかったということが大きな特徴 来ができません。そんなとき、東京か になっているようですね。 ら大量の物資が届けられてきたので、 ■プロフィール 瀬戸美佐子(せとみさこ) 1976年日本大学医学部附属看護専門学 校卒業、同大学医学部附属板橋病院入 職。79年カンボジア難民救済医療団として タイへ (3カ月間) 。82年には日墨交換留学 生としてメキシコ (約1年間)。90∼99年看 2005年四街道徳洲会病院に異動、現職。 震災ボランティア活動、ハイチ大地震、 チリ 大地震、 東日本大震災後調査などに参加。 グループの力の大きさを感じました。 08 VIVO vol.31 支援活動を続けられるのは バックアップがあってこそ 髙力:バックアップはすごく大事ですよ 瀬戸:今回の震災では、物資の面でも にとっても、現地で食事の世話をして ね。そういう意味では、私たちスタッフ [座談会]災害の現場で、 看護師は何をすべきか くれる人がいることは、モチベーショ できる人がやるというスタンスがありま ンを維持してくれる一つの要素になり すよね。それも大切な役目だということ ます。温かいものが食べられるだけで、 を、みんな知っているんです。ハイチ 疲れも解消されますから。 で瀬戸看護部長が作ってくれた食事は 瀬戸:阪神・淡路大震災のときは、当 おいしかったですよ(笑)。 初はパンやおにぎりなどでしのぎまし 瀬戸:ありがとう(笑)。 たが、やはり温かいものが欲しくなり ッフのための食事を用意してくれる栄 混乱する災害医療の現場で 求められる医療者の能力とは 養士を帯同している点が大きな強みか 髙力:そういう意味でも、自分の本来 もしれませんね。 の業務に固執して、柔軟に動けない人 鑓水:被災者だけでなく、支援するほ は災害医療・看護の現場には向かない 介護老人保健施設の看護師には常に うの健康をサポートすることも栄養士 かもしれないですね。今話していた食 求められるもの。看護師の判断が入所 の大切な役割ではないかなと思ってい 事の準備もそうだし、スタッフを運ぶ 者さんへの対応を決めるという経験を ます。ほかの栄養士たちも、自分の用 運転手になることもそう。医療者であ 重ねている施設看護師のスキルは、災 意した食事がコミュニケーションを円 ることが必要ない部分でも、状況を判 害時にも役立てられるのではないかと 滑にし、雰囲気づくりに役立っている 断して、どんどん手を出すという姿勢 感じています。 ことが感じられると、自らのやりがい は大切だと思います。私もトイレ掃除 瀬戸:それに、災害医療・看護に対す になると話していました。 をしたり、物資を運搬したりすること るある程度の知識も必要かなと思いま 髙力:栄養士が不在のときには、調理 は当たり前。そういったさまざまな経 す。知っておくことが心構えになります 験が、むしろ医療者としての幅を広げ から。ただし学術的な知識では、あま てくれるように思います。 り意味がない。その点、設営などの演 荒尾:それは、職種に関係なく全般に 習も交えた TMAT の講習会は実践的 いえることだと思いますよ。チームとし で役に立ちますよね。 て一つになるために、どのように補い 荒尾:それは、いえますね。 合うかを考えられることが必要なんで 三浦:TMATに参加した後も、日本創 しょうね。 傷・オストミー・失禁管理学会から派 三浦:被災地に行ってみて、看護師の 遣され、重傷褥瘡が多発している地域 専門性だけでは物事が動かないという にWOC看護師として支援に行きました。 荒尾修平(あらおしゅうへい) ことがわかりました。他職種がしっか 物資が限られる中で強く感じたのは、 2001年国立長崎中央病院附属看護学校 りと連携してこそ、発揮されるパワー 現地で継続できるケアや指導を行うこ 四街道徳洲会病院に異動、現在ICU主任 はすごい。そういう意味で、自分の看 とが大切だということ。それを逸脱して 看護師。TMATベーシックコースインストラク 護観を見直す機会にもなりました。 しまうと、その場限りとなって支援の 整部。TMATメンバーとして、新潟県中越地 野澤:他職種との連携以外で、私が被 意味がなくなってしまう……。そういう 震、 ジャワ島中部地震、新潟県中越沖地 災地で感じるのは、ジェネラリストとし 状況判断は、TMAT での派遣活動で ての視点とケアの重要性です。これは、 学んだからこそ成し得たことでした。 ます。TMATの場合には、私たちスタ ■プロフィール 卒業後、福岡徳洲会病院に入職。その後 ター。 日本災害看護学会ネットワーク調査調 震、 ハイチ大地震、東日本大震災で活動。 VIVO vol.31 09 特集 1 これからの災害看護 荒尾:ある程度時間がたち、いかに現 看護に対する理解を広めていくことに 地の医療者に橋渡しするかという段階 つながると思います。 では、タイミングを計ることも必要にな ど感情移入をしすぎて、うまくフェード これからの災害看護は 継続的な支援が重要になる アウトできないことがある。もちろん、 瀬戸:先程も触れましたが、東日本大 「何かしてあげたい」という情熱は大 震災では、早い段階から被災者の生活 切にすべきですけど。 を支える医療・看護が求められました。 瀬戸:冷静に状況判断できることも必 災害看護というと、どうしても急性期 要です。でもその一方で、「災害看護 の活動に目が向きがちですが、今回の をやりたい」という気持ちは大切にし 体験から、被災地で支援を継続させる てほしいと思います。現地に行くだけ ことの重要性が再認識されたような気 倉総合病院へ転勤。ERでの勤務を経て脳 で得られることは多いですからね。 「あ がします。避難所イコール生活の場で 護主任として勤務。2005年から介護老人 りがとう」という言葉が身にしみる貴 あると考えると、生活援助をケアの大 保健施設かまくらに異動、現在看護主任。 重な体験は少なくありません。 きな柱とする看護師や介護士の力がよ いる。緊急被ばく救護訓練課程受講。99 荒尾:そうですね。現地に行こうとす り発揮できるのではないかと思うので 年TDMATメンバーとして台湾・921地震で る志は大切にしてほしいですよね。そ すが、いかがでしょう。 して、自分が得てきたものを周囲の仲 野澤:心のケアや生活支援など、でき 災者に寄り添って、現場の環境・状況 間に伝えていく─それも災害医療・ ることはたくさんあると思います。日頃 を把握するという働きにおいては、看 から培ってきた「なんだか変」、「いつ 護師や保健師は絶大な力をもっている もと違う」というアセスメント力も大い と思います。ですから、ときには医師 に役立つと思いますね。 ではなく看護師がリーダーとなる訪問 荒尾:極論ですが、看護師にはもうト 診療チームがあってもいい。役割に応 リアージ能力を求めなくていいのかも じて、各自が力を発揮できる体制づく しれません。もちろんタグの意味につ りも必要かもしれません。 いての理解は必要ですが。 三浦:現地の保健師の活躍にも期待し 瀬戸:それは、どうして? たいですね。地域の情報を最も把握し 荒尾:短期ではなく、中長期的なケア ている存在ですから。私が現地に行っ を実践する役割を大きくしたほうがい たときは、その情報をうまく入手できま いように思うんです。そこが看護師の せんでした。支援はまだまだ続けてい 得意分野ですからね。それと、被災側 かなければなりませんから、再編され 期研修。チーフレジデントを務める。05年松 になったときを想定して、被害を最小 た地域で保健師がどう動いていくかは 原徳洲会病院外科医長。11年3月より茅ヶ 限にとどめる減災のための看護も大切 重要だと思います。そして私たちのよう 会専門医、 日本救急医学会専門医、 JATEC になってくると思いますね。 に支援に訪れた看護師らと連携が図 インストラクター。ハイチ大地震、 チリ大地震、 髙力:巡回診療や、避難所での医療 れれば、被災された方々も安心なので 提供に看護師は欠かせないですよ。被 はないでしょうか。 ってきますよね。経験の浅い看護師ほ ■プロフィール 髙力俊策(こうりきしゅんさく) 1999年佐賀大学卒業、茅ヶ崎徳洲会総 合病院入職。2001年SSA(湘南外科グ ループ) にて同院はじめグループ4病院で後 崎徳洲会総合病院外科部長。日本外科学 東日本大震災、 トルコ大地震で活動。 10 VIVO vol.31 ■プロフィール 野澤敏昭(のざわとしあき) 自衛隊勤務後、1992年徳之島徳洲会病 院入職。3年間離島看護を経験後、湘南鎌 卒中・消化器・血液内科の混合病棟で看 看護学生の老年看護実習指導も担当して 活動。 [座談会]災害の現場で、 看護師は何をすべきか 瀬戸:支援が長期にわたる場合だけ の生活の一部にある看護・介護サービ えるよう、情報発信をしていきたいで ではありませんが、現地にスタッフを スについて、訪問看護などによって、 すね。 派遣する病院や施設のほうのフォロー 食事・排泄・清潔といった面から看護 髙力:災害医療に携わるたびに、自分 体制を整えることも重要になるでしょう 師が支援することも考えなければなら がなぜ医師を目指したかが呼び覚まさ ね。もちろん、現地に行って活動する ないと思っています。 れます。ケアを行う医療者の圧倒的な 人は、休日を返上したりして留守を守 鑓水:今回の震災では、全国的に栄養 熱意、物資のない中での努力、そして ってくれている同僚の存在を忘れては 士が出遅れました。もっと積極的に活 何よりも患者さんからの感謝──そう ならないと思います。 動に加わるべきなのではないかと感じ いったものから、自分が医師であるこ 髙力:被災地に向かうとき、そして戻 ています。施設入所者や独居高齢者 との意義を見つめ直すことができるん ったとき、そのありがたさを本当に実 などの栄養状態のよくない方、また一 です。それはきっと看護師にも共通す 感しますよね。 時的に体力が低下している方が避難所 ること。だからこそ、今後も続けてい や仮設住宅にはたくさんいます。栄養 けるのでしょうね。 よりよい災害医療・看護のため 自分たちにできることを 士がサポートできることは、まだまだた 瀬戸:阪神・淡路大震災でも、支援は くさんあるはずです。 何年にもわたって継続されました。で 瀬戸:では最後に、これまで皆さんが 三浦:私は現在、病院と企業の 2カ所 すから今回の東日本大震災でも、長期 してきた経験を、今後の災害医療・看 に所属しています。そのためか、医療 的な支援が行われなければなりません。 護にどのように生かしていきたいと考 関係者と一般の方たちの、災害に対す 中長期的な生活支援をはじめ、心のケ えているか、一人ずつ話していただきま る温度差を感じずにはいられませんで アや小児へのケアなどにも対応すべき しょう。 した。被災地から遠く離れて普通に生 ですから、災害看護には「ここまで」 荒尾:被災地の最前線に出向くことだ 活している人たちにとっての災害は、 という範囲がありません。そのことを けでなく、現地の病院機能を守ること 時間がたつとともにどうしても他人事 忘れずに、最後の一人が仮設住宅から も大切な災害医療だと感じています。 になってしまいがち。私は今回の活動 出ることができるまで、その支援を続 混乱する中での現地との連携は困難な を通して、何物にも代え難い経験をす けていきたいと思います。 場面も多いですが、地域にとってはそ ることができました。今後も災害看護 荒尾:同感です。 の後の医療のベースにもなる、非常に 全般をライフワークとして取り組んで 瀬戸:今日は、貴重な時間とご意見を 意味のあることだとあらためて思って いきたいと考えています。そんな中、 ありがとうございました。 います。また、災害現場にはさまざま 一般の人にももっと関心をもってもら 一同:ありがとうございました。 なチームが集まりますが、長期的な支 援が求められるようになってきた現状 では、たとえば支援時期に応じた役割 を分担するといった検討も必要になっ てくるのではないでしょうか。 野澤:施設同士の連携に加え、途切れ てしまった介護サービスをどのように代 替すればいいのかということを考えま す。デイケアやデイサービスなど、人々 VIVO vol.31 11