...

日露戦争と樺太占領

by user

on
Category: Documents
18

views

Report

Comments

Transcript

日露戦争と樺太占領
目
次
序
一 樺太遠征 と露軍降伏
日 露戦 争 と樺 太占 領
領
占
太
清
争
三
二 樺太嘉 と軍警 衛
語
民政官衙 と北部 返還
日
結
購
序
大
山 .
梓
.
明 治 三 十 七 年 二月 九 日露 国 政 府 は 宣 戦 を布 告 し 、関 東 州 、沿 海 州 、 サ ガ レ ン全 島 、 東 清 鉄 道 沿 線 に戒 厳 令 を布 いた。 樺
太 居 住 の領 事 館 員 二名 、 漁 夫 三 百 三 十 九 名 が同 年 五 月 中 立 国船 で、 コルサ コフ港 か ら引 揚 げ る こ と にな った。 当 時 、 ニ コ
ラ イ エ フ スク地 方 は、 六 月 中 旬 迄 河 口 が結 氷 し 、 数 百 名 の在留 邦 人 が引 揚 げ る こ と が で き な か った の で、 シ ベリ ア を経 由
D
(
-
し、 欧 洲 か ら帰 国 し た。 本 稿 は樺 太 の軍 事 占 領 と軍 政 施 行 の歴 史 を、 根 本 史 料 に基 き 考 察 す る こと にあ る ,
一 樺 太 遠 征 と露 草降 伏
開 戦 に際 し サガ レ ン全 島 と 浴 海 州 な ど には 戒 厳 令 下 で 、 露 国 兵 士 は 、 居住 の日 本 漁 夫 七 百 余名 の所有 の銃 器 を 取 り 上げ
た。 島 内 では 、 流 刑 人 に小 銃 を渡 し 、 日当 を 与 え 、 軍 事 訓 練 を 実 施 し た が、 在留 邦 人 の観 察 で は 、義 勇 兵 の戦 意 は 旺 盛 で
な か った 。 露 国警 官 は 、 在 留 邦 人 の所 持 検 査 を 悪 用 し 、酒 類 を無 断 で飲 み、 屋内 で乱 暴狼 籍 す る者 が あ った が、 在 留 邦 人
し て いた ので あ った 。
車自由墜
は 領 事 館 から の注 意 を 守 り 、 隠 忍 呈
纈
太
樺
と
輔
期 を 終 っ た が 、 帝 都 、 モ ス ク ワ追 放 中 の免 囚 が 多 か っ た 。 ニ ケ 月 の兵 役 を も つ て 、 一ケ 年 の 刑 期 に 換 算 の強 制 徴 丘ハで 、 銃
(1 )
呼 ば れ る義 勇 兵 が組 織 さ れ た こ と を 通 告 し て き た。 当時 サ ガ レ ・島 の露 国 住 民 の多 く は流 刑 囚徒 か、 ま た は刑
明 治 三 十 七 年 八月 米 国 駐 割 露 国 大使 は 、米 国 政 府 を 通 じ 、動 員令 に基 き 、 浴海 州 、東 清 鉄道 沿線 、 サ ガ レ ン島 で、 国 民
露
日
を給 し 、義 勇 兵 を組 織 し た。
情 報 に ま る と 、 サガ レ ン島 の露 草 守 備 隊 は、 正規 兵 三中 隊 に すぎ ず 、 ア レ キ サ ンド ド ロ フの三 百 名 、 コ ルサ コ フ の三 百
名 な ど で 、多 く は流 刑 囚 や自 由 民 の義 勇 兵 と判 断 さ れ て い た。 現 地 から 増 兵 を求 めて も 、 極 東 の戦 況 は 部 隊 の派 遣 も 、 海
軍 の巡 回 も で き な か った。 当時 、 函 館 地 方 の漁 業 者 中 に、 戦 時 中 でも 、 邦 人 義 勇 兵 及 び 邦 人漁 夫 を、 サ ガ レ ン へ 渡航 さ
せ、 漁 業 を行 わ ん とし た。 政 府 はそ の無 暴 を 警 告 し 、 か か る計 画 を 中 止 さ せ た 。
樺 太 作 戦 に は、 長 岡 参 謀 次 長 が最 も熱 心 であ った が、 山 県 参 謀 総 長 に熱 意 がな く 、 寺 内 陸 軍 大 臣 は 反 対 で あ った 。 明 治
2
)
2
(
講
鰍
と
争
戦
曙
三十 七年 八 月 、 長 岡参 謀 次 長 が伊 集 院 海 軍 軍 令 部 次 長 を訪 ね、 樺 太 遠 征 を 相 談 し た 。 海 軍 では 旅 順 が攻 略 し 、 聯 合艦 隊 に
(2 )
大 な る損 害 がな いな ら要 塞 陥 落 後 一ケ月 経 過 す れば 遠 征 が可 能 と 答 え た 。 長 岡 参 謀 次 長 は 上 司 の賛 成 が得 ら れ な いが 、 樺
太 遠 征 の件 を 、 桂 総 理 大 臣 へ説 明 し た。 旅 順 は 陥 落 せず 、 実 現 で き な か った 。
旅 順 陥 落 の後 、 明 治 三十 八年 四月 参 謀 本 部 は樺 太 作 戦 の実 施 を準 備 し た が、 海 軍 軍 令部 で は 、 パ ルテ ッ ク艦 隊 の動 向 、
サ ガ レ ン港 湾 の気 象 か ら、 速 や かな 決 定 に応 じな か った。 ま た寺 内 陸 軍 大 臣 も 、 用 兵 上 から も 、 財 政 上 から も 、 樺太 遠 征
戦 の後 でも 、 海 軍 は樺 太 遠 征 に熱 意 がな く 、 元 老 伊 藤 博 文 、 外 務 大 臣 小 村 寿 太 郎 が、 奨
占 領 を 支持 し た に す
に反 対 で あ った が、 帰 国 中 の満 洲 軍 船 参 謀 長 児 玉 陸 軍 大 将 が、 そ の実施 を 求 めた 。 山 県参 謀 総 長 は 、 本 件 の可 否 を 決裁 せ
難
ず 、 容 易 に樺 太 遠 征 の実 施 計 画 を決 定 す る こ と が でき な か った 。
呆
ぎ な か った。 六月 五 日米 国 大 統 領 は金 子 賢 太 郎 に対 し 、 一旅 団 の陸 軍 、 二隻 か三 隻 の砲 艦 で、 サガ レ ン島 の軍 事 占 領 を勧
害 し た。 ま た 六月 十 四 日満 洲 軍 児 玉参 謀 長 も講 和 談 判 を有 利 に進 め るた め、 サ ガ レ ン島 を 占 領 す る こと が必 要 で あ る と の
電 報 を し た。 か く て陸 軍 省 もや っと樺 太 遠 征 に賛 成 し 、 海 軍 側 も 承 知 し た 。
六 月 二十 八 日原 口兼 済 陸 軍 中 将 の独 立 第 十 三 師 団 を主 力 と す る 樺 太 軍 は 、 竹 内 正 策 第 二十 五旅 団 長 を 先 発 と し 、次 の命
令 を下 し た。
﹁一独 立第 十 三師 団 ハ樺 太 ヲ占 領 セ ント ス
ニ貴官 ハ別 紙 (甲 、 乙) 諸 隊 ヲ率 ヰ南 部 上陸 隊 ト ナ リ ﹁コ ルサ コ フ﹂ 附 近 二上 陸 シ ﹁リ ユー トジ ﹂ ﹁ナイ ブ チ ﹂ ﹁ス ス
ヤ﹂ 河 口 ヲ占 領 ス ヘシ﹂
)
ヨ
(
3﹁
領
占
漱
と
争
職
階
七 月 四 日 北 遣 艦 隊 が護 送 し 、 七 日樺 太 南 部 メ レ ア へ上 陸 し た。
.
樺 太 南 部 の ア ルチ シ エ フス キ ー大 佐 の率 いる 露 車 中 に は 元 ノ ーヴ イ ク乗 組 の マキ シ モ フ海 軍 大 尉 が 居 り 、乗 艦 を 失 って
から 陸 軍 へ合 流 し 、 部 隊 の参 謀 と な り 、 竹 内 少 将 の勧 告 降 伏 を容 れ ず 、 コルサ コフを焼 き北 方 へ退 却 し た 。十 一日 よ り 十
二日 のダ ルネ ー西 方 の密 林 で、 露 軍 の主 力 が敗 北 し 、 マキ シ モ フ海 軍 大 尉 以下 八十 名 が 捕虜 と な った 。残 余 の敗 兵 は森 林
に逃 れ、 著 るし く 戦 意 を失 い、 七 月 十 五 日降 伏 を 決 意 す る に いた った 。
・ト
プ ラ ソ ロ フ軍 使 は ア ルチ シ エ フス キ ー大 佐 の全 権 委 任 状 を 持 参 し 、 討 議 の末 、次 の降 伏 条 件 に 合 意 し た 。
本 軍 二引 婆
﹁一露 国 陸 海 軍 人 ハ総 テ俘 虜 ト為 ス コト
二兵 器 、 弾 薬 、 糧 秣 等 ハ現 状 ・暦
三 露 国 軍 隊 ハ明 十 六 日午 前 二時 マテ ニ ﹁ダ リネ i﹂ ノ北 方 約 三 百 米 突 ノ地 点 二集 合 ス ル コト
四 国家 ノ タ メ努 力 セ シ名 誉 ヲ重 ン シ将 校 及 将 校 相 当 官 ニ ハ帯 剣 ヲ許 シ並 二 ﹁ウ ラジ ミ ロフカ ﹂ マテ乗 馬 ヲ許 ス コト﹂
樺 太 南 部 に は大 佐 の直 率 でな い部 隊 が、 ナ イブ チ、 マウ カ、 チビ サ ン、 サ ユー ト カ、 キ サ ンな ど を 守 備 し て いた 。降 伏
は大 佐 の直 接 指 揮 す る部 隊 に限 ら れ、 将 校 二十 名 、 下 士 卒 七 百 八十 余 名 が、 七 月 十 六 日 ダ リネ ーで 降 伏 し た 。.各 地 守備 隊
は、 コルサ コフ州 で 小部 隊 に分 れ、 各 部 隊 長 が、 そ れ ぞれ 独 立 に行 動 す る 権 限 が、 上 級 指 揮 官 から与 え ら れ て いた 。
原 口中 将 の樺 太 軍 の独 立 第 十 三 師 団 主 力 は 、 七 月 二十 四 日樺 太 全 島 の首 府 附 近 の上 陸 地 点 第 一ア ル コア へ到 着 し た が 、
露 国 守 備 隊 は砲 火 に堪 えず 敗 走 し、 二十 五 日首 府 を占 領 し た。 タ ラ セ ン コ大 佐 の率 いる 歩 兵 五 百名 、 砲 兵 約 二個中 隊 、 予
備 下 士 卒 七 十 三 名 、 囚 人 義 勇 兵 約 二千 は 、 首 府 を 棄 て 、 東 方 ルイ コフ の防 禦 線 へ退 いた 。 当 時 ルイ コフに は歩 兵 三 百 五 十
4
♪
4
(
名 ・解 放 囚徒 の義 勇 兵 千 書
名 が守 備 し ・敗 丘ハと 共 に同 地 を防 禦 せ んと 総
・
樺 太 軍 は 、 ピ オ リ スキ i 山脈 の防 禦線 ぺ⋮ レ ンゲ 、 デ ルヒ ンス コイ要 塞 を 、苦 戦 の後 、 二十 六 日攻 略 し た。 他 の 一隊 は
二十 七 日 ルイ コフ へ突 入 し た が 、 同 地 か ら撤 退 し 、 二十 八 日占 領 し た。
ルイ コフ へ撤 退 し て いた 軍 務 知 事 リ ヤプ ノ ブは 部 隊 を率 い、南 方 オ ノー ル村 へ退却 し た。 二十 八 日原 口 司令 官 は、 ルイ
コフで ツイ モ フ州 セ ルギ ー、 ソボ レ ス長 官 と 会 見 し 、 リ ヤプ ノ ブ中 将 は 、制 海権 を失 った以 上 、本 土 へは脱 出 で き ぬ と 云
樺 太 軍 の上 陸 に伴 い、 直 ち に次 の司 令 官 の出、示 を 発布 し た。
い、暗 に降 伏 を求 め た 。
醐
コ 自 今 以 後 何 人 タ ル・問 ハス本 軍 占 領 地 域 内 並 二領 水 域 内 二人 ル・禁 ス
三住 民 ニシ テ兵 器 弾薬 ヲ所持 ス ル モ ノ ハ速 二之 レ ヲ最 寄 日本 官 憲 二差 出 ス ヘシ 日本 官 憲 ハ戦 争 終 リ ニ至 ル迄 之 ヲ保 管 ス
二自 今 以 後 何 人 タ ルヲ問 ハス本 軍 占 領 水 域 内 に於 テ漁 猟 ヲ為 ス ヲ禁 ス
鰍
と
争
戦
艦
四本 軍 占 領 地 域 内 ノ人 民 ハ本 軍 占 領 地 域 外 二通信 ス ル コト ヲ禁 シ又許 可 ヲ得 スシ テ印 行 集 合 ス ル コト ヲ禁 ス﹂
戦 地 の占 領 地 に は 一握 千 金 を目 ざ す 邦 人 の姦 商 が 入り 込 み、戦 火 に 乗 じ 、占 領 地 人 民 に対 し、 不 正 の暴 利 を博 す 虞 れ が
あ った 。 司 令部 は樺 太 住 民 の財 産 の譲 受 け んと す る者 は 、 予 め軍 政 署 を 通 じ 樺 太軍 司令 部 へ願 出 る こ と を命 じ た。 ま た樺
太 住 民 の財 産 に対 し 、質 権 や抵 当権 を設 定 せ ん とす る者 も 、 同様 の手 続 で願 出 て 、 司令 部 の許 可 を要 し た。
七 月 三 十 日 オ ノー ル村 のリ ヤプ ノ フ陸 軍 中 将 は、 軍 使 ア クチ ノ ブ陸 軍 中 尉 を 派 遣 し た 。第 十 三師 団参 謀 長 小泉 陸 軍 歩 兵
大 佐 は 、 軍 司 令 官 の命 に よ り 、 ア クチ ノ ブ軍 .使 と、 ルイ コ フ市 内 の ルイ コ フ寺 院 で 会 見 し た 。軍 使 が持 参 し た リ ヤプ ノ ブ
一
ら
(
5
領
占
漱
と
争
戦
露
日
陸 軍 中 将 の露 文 の書 簡 は 、 次 の内容 が記 さ れ て いた。
﹁縄 帯 材 料 及 薬 品 ノ欠 乏 ト負 傷 者 治 療 ノ不 可 能 ト ハ人 道 ノ 為 メ予・
ヲ シ テ閣下 ガ ﹁ツイ モ フ﹂ 州 長官 ラ 経 テ予 二致 サ レ タ ル
地 方 住 民 ノ生 命 財 産 ヲ確 保 ス ル条 件 ノ下 二今 後 ノ 流 血的 戦 闘 ノ中 止 二関.
シ閣 下 ノ勧 告 ヲ容 ル ル,
ノ已 ム ヲ得 サ ル ニ至 ラ シ
メ タリ ﹂
原 口司 令 官 は、 こ.
れ に対 し 、 次 の三 条 件 を 示 し 、 三 十 一日午 前 十 時 迄 に ハムダ サ村 へ回答 す る こ と を求 め た。
﹁一 一切 ノ武 器 、 弾 薬 、 馬 匹、 糧 食 、 其 他 軍 用 ノ物 件 及 官 二属 ス ル金銭 、有 価 証 券 、其 他 ノ動 産 、 不動 産 ハ現状 ノ佳 日 本
島 行 政 二必要 ナ ル凡 テ ・圭・
類 ・引 渡 ス コー
軍 二引 渡 ス モ ノ ト ス
二薩 臨
三 薩 恰 燵 守 備 軍 編 成 表 及 防 禦 計 画 二関 ス ル地.
図 及書 類 ヲ引渡 ス コト﹂
司令 官 は、 騎 兵 隊 長 安 東 陸 軍 騎 兵 中 佐 に対 し 、 ハムダ サ附 近 へ進 出 し 、 七 月 三 十 一日 午 前 十 時 か ら の 攻撃 を 準 備 さ せ
た。 他 方 第.
十 三 師 団 参 謀 長 小 泉 陸 軍 大 佐 を全 権 委 員 に任 じ 、 投 降 談 判 に関 す る訓 令 を 与 え 、 高 井 通 訳 ら を 従 え て ハムダ サ
村 で待 機 さ せ た。
軍 使 ソ コ ロフ陸 軍 特 務 少 尉 が持 参 し た リ ヤプ ノ ブ陸 軍 中 将 の露 文 の回 答 の条 件 は 、 次 の三 ケ条 で あ った が、
.将 校 の帯 剣
)
6
6
一切 ノ武 器 、 弾薬 、 馬 匹 、糧 食 、其 他 軍 用 ノ物 件 及官 二属 ス ル金 銭 、有 価 証.券 、其 他 ノ動 産 、 不動 産 ハ現状 ノ儘 日本
(
を要 請 し た。
コ
軍 二引 渡 スモ ノ ト ス
二 ﹁サ ガ レ ン﹂ 島 /行 政 上 必要 ナ ル書類 、 図 書 ヲ日本 軍 へ引 渡 スモ ノ ト ス
三 ﹁サガ レ ン﹂ 島 守 備 ノ編 成 二関 ス ル現 存 ノ書 類 ヲ引 渡 ス コト 、但 シ同 島 ノ防 禦 計 画 二関 ス ル書 類 ハ軍 機 二属 ス ルモ ノ
ト シ現 行 法 律 二照 シ軍 事 行 動 ヵ開 始 ト同 時 二皆 之 レヲ破 談 セ リ﹂
ソ コ ロフ軍使 は 約 束 に 反 し 、降 伏 談 判 の全 権 委 任状 を 所持 せず 、 談 判 を開 始 で き な か った。 小泉 参 謀 長 は、 軍 使 に対 し
軍 ・俘虜 よ
大 佐 自 身 が 小泉 参 謀 長 と降 伏 規 約 に調 印 し た。
三 時 間 の猶 予 を 与 え 、 一分 で も 遅 れ た ら 攻 撃 を 実施 す る と伝 え、 特 に彼 我 の時 計 を 合 わ さ せ、 オ ノー ル村 へ急 いで帰 還 さ
同 日 の午 後 、 露 軍 全 権 タ ー
フセ ・ ・肇
せ 、降 伏 談 判 を 促 し た。
纈
・解 除 ・総 ・ 呆
コ 肇
附 ス ルモ ノ ト ス
二露 華 ノ兵 器 、 馬 匹、 糧 秣 、 其 他 軍 用 ノ物 件 及 官 二属 ス ル金 銭 、有 価 証 券 、 其他 ノ物 産 及 不動 産 ハ現状 ノ儘 日本 軍 へ交
・軍 人 、 軍 属 八裂
漱
と
争
戦
曜
三露 軍 ハ薩 恰 唖 行 政 上 必要 ナ ル書 類 西 図 書 ヲ 日本 軍 二交 付 ス ル モ ノ ト ス
四露 軍 ハ薩 恰 殖 島 守 備 軍 ノ編 成 及軍 事 二関 ス ル ー切 ノ図 書 ヲ日 本 軍 二交 附 ス ル モ ノト ス
五霞 軍 ハ日本 軍 二交 附 ス ヘキ人 員 、 馬 匹、 其 他 一切 ノ物 件 ヲ整 理 交 附 ス ル為 メ適 当 ナ ル人 員 ヲ以 テ委 員 ヲ編 成 ヲ日本 軍
委 員 ト受 授 ノ方 法 ヲ協 議 ス ヘシ﹂
軍務 知 事 リ ヤブ ノ ブ陸 軍 中 将 以 下 、 将 校 七 十 名 、 下 士 官 兵 約 三 千 二百 名 が投 降 し 、 樺 太 軍 は こ れ を 捕 虜 と し 、 武 器 、被
服 、 糧 秣 等 を捕 獲 し た。
)
(
7
醐
蹴
(
1 )外 務省 編 ﹃日 本 外交 文 書 ﹄ 日露 戦 争 皿 五六 文 書
は 三種 類 が あ った 。流 刑 罪 人約 七 千 人 は純 然 た る 罪囚 で 、 目下 服役 中 の囚 人 で あ った 。流 刑殖 民約 六 千 ,
人は刑期こ そ 終 っ た
樺 太 居住 の露 国 の自 由 民 は約 一万 人 で、 官 吏 と兵 士 約 二千 六 百 人 と そ の家 族 以外 沸 概 ね流 刑 人 の妻 子 か親 族 で あ った 。流 刑 人
が 、 黒 竜 江 沿 道 以 外 に 移 住 が 許 さ れ ず 、特 定 の 営 業 の み が許 さ れ、 妻 帯 を許 さ れ た 刑余 者 で あ った 。ま た流 刑 農 民 は 既 に前 に
刑 期 を 終 り 、 帝 都 モ ス ク ワ以 外 自 由 に移 住 が で き 、各 種 の営 業 が許 さ れ、 家 族 と共 に島 内 に居 住 営業 し て い た免 囚 で あ った 。
流 刑 人 は 刑 期 短 縮 の特 典 が あ り 、義 勇兵 に勤 務 す る 者 が多 く 、交 戦 の 当時 五千 人内 外 に達 した と 云う 。北 部 の捕 虜 の兵 士 は 四
千 三 百 余 名 で 、 流 刑 人 義 勇 兵 の戦 死 も少 く な か った 。
で・混成 一旅団位 の兵力 で充 分で・上司 が心配す る
(2 )明 治 三 十 七 年 八 月 陸 軍 は 旅 順 要塞 を 陥落 で き る と 判断 し た 。小 村 外 務 大臣 の ご と き、 急 い で講 和 条 約 の た め の講 和 条 件 を 起 案
し た 程 で あ った 。
桂総理大臣に対し、長岡参謀次長はサガ ・ン島 の蟹 兵 力はすこぶる覇
の行 政 の貴 著
霧
知 事 の駐 在 す ・都 会 で・ 官 庁 ・ 兵
局 、印 刷 局 、官 立 商 社 、 中 央 倉 庫 、 陸 軍 病 院 、 監 獄 病 院 、 孤 児 院 、 学 校 が
散在 し て い た が、 言
館 、 図書 館 、警 察 署、 饗
手
(
3)
馨 州優 詔 箋 嚢 虐甥 糠 嚢 葎 竣 璽 頒価蕊 縣 紫 つ
た.当時戸摯
三百、人里
万 五 千 で あ った 。 家 屋 は番
瀞
営 、監 獄 、 大教 会 、蕩
あ った 。
瞬
二 .樺 太占 領 と軍 政 官 衙
樺 太 軍 は 上陸 に際 し、 次 の内 容 の軍 律 を布 告 し 、 自 国 軍 隊 の安 全 、 居 住 島 民 の保 護 を 計 った 。
﹁左 ノ所 為 ア ルモ ノ ハ既 遂 未 遂 ヲ問 ハス死 刑 二処 シ其情 軽 キ者 ハ禁 鋼 罰金 等 便 宜 之 ヲ処 分 ス
一道 路 、 電 信 、橋 梁 、 其 他 軍 用 ノ物 件 ヲ股壊 シ其 他損 害 ヲ加 フ ル者
8
)
8
(
願
鰍
と
争
戦
露
日
、
二軍 機 卑 情 ヲ敵 二通報 シ其 他敵 ヲ利 シ我 ヲ害 ス ル者
三間 諜 及 之 ヲ助成 誘導 隠 匿 シタ ル者
四 反抗 、 誹読 、 又 ハ人 民 ノ 騒擾 ヲ挑 発 シ造 言 飛言 ス ル等 総 テ安 寧 秩 序 ヲ害 ス ル者
五 許 可 ヲ得 ス シ テ丘ハ
器 弾 薬 ヲ貯 蔵 ス ル者
.
六 課 税 、 徴 発 、 課 役 、 響 道 、 漁 猟 、 印 行 、 集 会 、 占 領 地 及 其 領 水 ノ出 入其 他 二関 シ総 テ軍 ノ命 令 二従 ハス若 ク ハ詐 偽 ノ
所為 ア ル者
七 投薬 其 他 ・方 法 ヲ以 テ 用 水 ヲ霊、シ タ ル者
八官 二属 ス ル動 産 不 動 産 ・私 ・ ル者
九 財 物 ヲ盗 取 シ若 ク ハ詐 取 ス ル者
+ 放 火 ス ル者
十 一人 ヲ殺 傷 シ 又 ハ財 物 ヲ殺 害 ス ル者
十 二犯 人 ヲ庇 護 ス ル者
以 上 ノ所 犯 ハ軍 事 法 院 ヲ シ テ審 査 処 分 セ シ ム﹂
軍 律 の所犯 は軍 事 法 院 即 ち軍 法 会 議 の担 当 と し 、 高 等 官 一名 を判 士長 、 二名 を 判 士 とし 、 判 任 官 一名 を録 事 と し、 軍 事
法 院 を組 織 し た。
七 月 三 十 日 原 口司令 官 は 全島 に軍 政 を布 き 、 ア 寄 サ ンド ロフ ス キ i州 、 ツイ モ フ州 、 コ ルサ コ フ州 の首 都 の各 軍 政 官 衙
︾
9.
(
.
9
で、 軍 政 本 署 及 び 各 軍 政 支 署 を開 設 さ せ た。 か かる 軍 政 官 衙 は 、 陸 軍 高 級 武 官 を 委 員 長 と し 、 そ れ ぞ れ 陸 軍 将 校 及 び 陸 軍
(4 )
将 校 相 当 官 の軍 政 委 員 を任 命 し 、 占 領 地 の軍 政 に従 事 さ せた 。 即 ち 樺 太 北 部 の司 令部 の所 在 地 ア レキ サ ンド ド ロ フ、 旅 団
司 令 部 の所 在 地 ルイ コ フ、 ま た樺 太 南 部 の旅 団 司 令 部 の所 在 地 コル サ コフに各 々独 立 の軍 政 官 衙 が 設 け ら れ た 。
布 告 以 前 コ ルサ コ フ軍 政 署 は 、 コ ルサ コフ州 を 管 轄 し 、 軍 政 委 員 長 竹 内 陸軍 少 将 は 、 州 内 一般 の軍 政 を 統轄 し 、 州 内 を
四仮 軍 政 区 に分 ち、 各 地 に軍 政 委 員 長 及 び 軍 政 委 員 を 任 命 し 、 管 区 内 の事 務 を 保安 、 戸 籍 、 物 件 、衛 生 の各 係 に 分 ち 、 軍
政 を 管 掌 さ せ た。 仮 軍 政 管 区 で処 理 し た重 要 業 務 は 、 在 留 の露 国 住 民 の退 去 希 望 者 を 沿 海 州 へ送 った こ と で あ った 。 ま た
散した住民を招致した。また軍政委員は合
ウ ラ ジ ・ ・フ カ市 の市 街 工事 で あ っ疇 .
癩
太
樺
と
瀞
か つた。 戦 利 品 の食 糧 を、 労 働 賃 金 の代 り に 支 給 し 、 老 幼 婦 女 な ど の労働 に堪 え な い者 に無 償 で 配布 し た 。 ま た各 軍 政 署
及び物資を馨
したが、圭
と交 通 杜絶 のた め、 日常 生 活 品 の欠 乏 が著 る し
樺 太 南 部 軍 政 委 員 長 は 、 露 国 の行 政 方 針 を 参 考 と し 、 村 長 そ の他 自 治体 の長 老 へ若 干 の報 酬 を 与 え て雇 用 し 、 四 方 へ離
曝
は 生 活 用 品 、 食 糧 を 安 価 で 、 居住 の露 国 人 民 へ払 下 げ る に いた った。
樺 太 軍 司 令 官 は 、 軍 政 委 員 に対 し 、 施政 方針 の 心 得 を 示 し た。
二 軍 政 署 ハ軍 ノ安 寧 ト 占領 地 ノ秩 序 ヲ維 持 λ ル ヲ以 テ 目的 ト ス
0
1
切
ニ軍 政 署 ハ絶 対 的障 碍 ノ存 ス ル ニア ラ サ ル限 り ハ平時 其 他 二有 効 ナ ル法 令 ヲ尊 重 ス可 キ モ ノ ト ス
三軍 政 署 ハ占 簸
(
人 民 ヲ強 迫 シテ 人 民 ノ本 国 二敵 対 セ シ ム ル 。, ヲ得 ス
四軍 政 署 ハ占 領 地 人民 ヲ強 迫 シ テ占 領 軍 ノ属 ス ル国 家 二臣 従 ス ル ノ誓 ヲ為 サ シ ム ル コト ヲ得 ス
領
占
漱
と
争
戦
露
日
五 軍政 署 ハ占領 地 人 民家 族 ノ名 誉 、 権 利 、 生 命 、 私 有 財 産 、 並 二信 仰 礼 拝 ノ儀 式 ヲ尊重 ス ルヲ要 ス
六 軍 政 署 若 シ占 領 地 二・
於 テ従 来 被 占 領 国 ノ定 メ タ ル租 税 手 数 料 及 通 行 税 等 ヲ徴 収 ス ル ニ於 テ 八戒 ル可 ク現 在 有 効 ナ ル賦
課 徴 収 ノ規 則 二依 ル可 ク 且 ッ従 前 ト同 一ノ割 合 二於 テ地 方 行 政 ノ費 用 二充 ツ可 キ モ ノ ト ス
七 軍 政 署 若 シ前 条 二規 定 シ タ ル、
以 上 二於 テ占 領 地 ヨ リ金 銭 ヲ取 立 ツ ル ニ於 テ ハ此 取 立 金 ハ軍 隊 ノ需 用 又 ハ占領 地行 政 ノ
目 的 以 外 二及 フ コト ヲ得 ス但 シ金 銭 ノ取 立 ハ書 面 ヲ以 テ ス ル ヲ要 シ且 ツ負 担 者 二領 収 証 ヲ交 付 ス ル ヲ要 ス
軍 では行政 上露 国吝
を使 用したか ったが、露 国吝
及び文武官家族 は帰 国を求 め、各軍政署 が、 呆 内地 を経由
但 シ連 帯 ノ理由 ナ キ個 人 ノ行 為 二付 キ連 座 刑 ヲ科 ス ル コト ヲ得 ス﹂
八 軍政 署 ハ軍 令 並 二軍 事 法院 規定 二準 拠 シ審 判 シ刑 罰 ヲ科 ス ル コト ヲ得
奨
し 露 国 本 土 へ官 費 で帰 還 さ せ る業 務 を担 当 し た。 人員 は、 第 一回 二百 四十 人 、第 二回 三 百 人、 第 三 回五 百 九 十 四 人、 合 計
千 百 三 十 四人 に達 し た。 ま た樺 太 孤 児 院 の職 員 な ど 八十 九 名 、 政 治 犯 人 三名 、 商 人 及び 商 人家 族 十 名 も 、 文 官 及 び 文 武 官
(
6)
家 族 と同 様 の取 扱 振 で あ った。
当 時 、 樺 太 軍 は善 良 な 敵 国 人 民 に対 し 、 固 有 の居 住 地 か ら放 逐 す る こ とな く、 そ の去 就 は本 人 の自 由 意 思 に委 す を 原 則
と し た。 し かし 在獄 中 の罪刑 人 や流 刑 人 ら の窮 民 は、 必ら ず し も 好 ま し い良 民 で な く、
. 要 す れば 費 用 を負 担 し たと し て
も 、 大 陸 への移 住 を望 んだ 。
七 月 二十 六 日竹 内 旅 団 長 は 、 樺 太 南 部 の仮 軍 政官 区 で、 以 下 を告 示し た。
﹁
露 国 人 ニ シテ本 国 二帰 還 セ ント ス ルモ ノ ハ調 査 上 ノ上許 可相 成 ル ヘキ ニ付 各 地 村 長 ヲ経 テ ﹁コ ルサ コ ァ﹂、 ﹁ウ ラ ヂ イ ミ
)
ユ
σ
ー
領
占
漱
と
争
強
震
日
・
ロフ カ﹂、 ﹁ガ ルキ ノ、 ウ ラ ス ツ コ エ﹂ 駐 在 軍 政 委 員 長 二願 出 ツ ヘシ村 長 ハ右 願 書 ヲ 取纒 身 分 別 二名 簿 ヲ調 整 シ各 地 軍 政
委 員 長 二差 出 ス ヘシ
但 シ許 可 ノ指令 並 二出 発 ノ期 日 ハ追 テ達 ス ヘシ﹂
)
同 日、 吉 江 参 謀 から 樺太 南 部 の各 軍 政 委 員 長 宛 、 露 国 文 武 官 吏 と そ の家 族 、 自 由 民 、 流 刑 人 な ど の帰 国 希 望 者 の取 扱 振
を指 示し た。
二 帰 国 ヲ願 出 ルモ ノ ノ内 許 可 ス ヘカ ラ サ ルモ ノ次 ノ如 シ
モ ト義 勇 丘ハタ リ シ モ ノ (捕 虜 ト ナ ス ヲ要 ス)
軍 人 ニア ラ ス シテ抵 抗 ・ ナ ・ タ ルモ ・ (死 刑 二処 ス ル・要
囚徒 ノ刑 期 満 タ ス シテ戦 争 ノ タ メ解 放 サ レ シ モ ノ
家 族 ノ飢 渇 ヲ顧 ・
・
、ス之 ヲ捨 テ テ単 独 帰 国 セ ント ス ル者
右 ノ外 帰 国 ヲ許 ス ヘカ ラ スト認 メタ ルモ ノ﹂
樺 太 軍 は 、 島 内 に居 住 す る流 刑 人 の本 土移 動 を奨 励 す る た め 、島 内住 民 で 沿海 州 へ移 動 せ ん と す る 人達 を 、無 償 で 沿海
(7 )
州 へ輸 送 し 、 且 つ帰 国 願 を 軍 政 署 へ提 出 し な い人 達 に 達 し 、 行 政 上 の必要 か ら租 税 を徴 収 す る と定 め た 。 望 郷 の追 放 中 の
刑 余 者 のごと き、 こ の機 会 に故 郷 や 本 土 への帰 還 を望 み、 家 財 道 具 を 棄 てて も 、 多数 が帰 還 を 望 ん だ 。
露 国政 府 は樺 太 の住 民 に 土地 所 有 を認 めな か った が、 家 屋や 家 財 を所 有 す る者 が 多 か った。 樺 太 を 退 去 す る 露 国 人 民
に 、 私 有 財産 の処 分 を命 じ 、例 え財 産 を遺 留 す る と も、 後 日如 何 な る申 し 出 をす ると も 日本 官 憲 は 何 等 の責 任 を 負 わな い
2
1
)
12
(
こと を告 示 し 、 ま た 私 有 財産 中 、 自 己 の体 力 で 携 行 し 得 る荷 物 は携 帯 を認 め た。 帰 還者 は、 樺 太 南 部 で多 く、 家 財 の運 送
に 使 用 し た 馬 車 、牛 車 、 車輌 を 悉 く乗 船 地 へ放 棄 し 、船 舶 へ乗 船 し た と 云う 。
樺 太 軍 司 令 部 は 明 治 三 十 八 年 八 月 、 次 の露 文 の告 示 を 、 一般 住 民 に 示 し た。
﹁露 国 薩 恰 唖 島 在 住 露 国 臣 民 ニシテ 大 陸 露 領 二帰 還 ヲ希 望 ス ル モノ ハ浴海 州 ﹁デ カ スト リ i﹂ 二送 附 ス ルノ便 宜 ヲ与 フ可
キ ヲ以 テ希 望 者 ハ住 所 姓名 ヲ記 シ其 旨 可 成 速 二樺 太軍 司令 部 二願 出 可 シ
瀬
二各 自 ハ各 自 ノ体 力 ヲ以 テ携帯 シ得 可 キ荷 物 ヲ携 行 ス ル コト ヲ得
一各 自 ハ出 発 前其 財産 ノ処 分 ヲ終 ル可 ウ但 シ財産 ヲ売 却 セ ジト欲 ス ルモ ノ ハ其 何 人 二売 却 ス ルヲ問 ハス予 メ其 旨 ヲ 日本
但 シ出願 者 ハ左 ノ諸 件 ヲ心 得可 シ
漱
と
瀞
三 出 発 以 後 二於 テ本 島 二残 セ ル各 自 ノ財 産 二関 シ テ ハ日本 政 府 ハ何 等 ノ責 任 ヲ有 セ サ ルモ ノ ト ス
官 憲 二届 出 可 ・
曙
四 ﹁ア レ キ サ ンド ル フ﹂ ﹁デ カ ス トリ ー ﹂ 間 ノ乗 馬汽 船 ハ日 本政 府 二於 一
ブ確 実 ナ ル モノ ヲ供 給 ス ヘシ ト錐 全 行 程 間 食 料
二関 シ テ ハ各 自 ノ自 弁 ト ス
五 帰 還 者 ﹁ア レ キサ ンド ル フ﹂ 二集 合 ノ月 次 並 二 ﹁デ カ スト リ i﹂ 到 着 セ シ時 日 ハ掲 示告 達 ス ヘシ﹂
八 月 六 日 、 樺 太南 部 と 樺 太 北部 の各 軍 政 署 で の帰 還者 の取 扱 いが、 区 々 とな る の を防 ぐ た め、 次 の統 一方 針 が示 さ れ る
に いた った 。
﹁一帰 国志 願 者 ハ凡 テ沿 海 州 ﹁デ カ スト リ i﹂ 湾 へ送 ル
)
ヨ
G
ー3
二船 中 ノ費 用 ハ凡 テ官 費 ト ス其 他 ハ私費
三荷 物 ハ各 自 提帯 シ得 ル ヲ度 ト ス
四 上陸 後 ノ糧 食 八戒 ル ヘク多 ク携帯 セ シ ム ヘシ船 中 ハ官 ヨリ支 給 ス ル故 準備 二及 ハス上 陸 後 ノ食料 ト シテ若 干 ノ麦粉 ヲ
上 陸 地 二於 テ 給 与 ス ヘシ
五 帰 国者 ハ 一村 又 ハ数 村 ノ者 ヲ集 メ之 二取締 者 ヲ設 ケ責 任 ヲ帯 ハシ ム ルヲ要 ス
七 帰 国 志 願 期 限 ハ八 月 十 六 日 ヲ限 り ト シ軍 政 委 員 長 ハ其許 可 セ シ人 員 ヲ急 報 ス ヘシ
六各 地 ノ私 有 財 産 ハ他 日 故 障 ヲ申 立 テ サ ル様 受書 ヲ置 ク ヘシ
癩
九 ﹁デ カ ス ト リ i﹂ 湾 ヲ送 還 地 ト定 メ シ バ樺 太 北 部 ノ帰 国 志望 者 ノ希望 ニヨ ル故 二南 部 二於 テ 同地 二至 ル ヲ圧 フ モ ノ ニ
ハ本 島 退 去 ノ利 ヲ勧 告 シ尚 ホ聞 キ 入 レサ ル モ ノ ハ強 制 ヲ要 セ ス其 帰 国志 願 ヲ 取 消 シ ム ルヲ得
爪出 港 期 日 及 集 合 ・場 所 、 日 時 ハ追 テ 通 知 ・
蹴
と
争
戦
露
日
十 悪 漢 其 他 刑 期 満 タ サ ル罪 囚 ト認 ム ル モ ノ ハ暫 ク志 願 ヲ許 可 シ第 一次 二輸 送 セ ス第 二次 輸 送 ヲナ ス見 込 ナ リ﹂
輸 送 には 北 道 艦 隊 御 用 船 江 都 丸 (一
一
= 八 二噸 )、 東 洋 丸 (二五 〇 〇 噸 ) を使 用 し た 。
八月 二十 七 日 の 一次 輸 送 の前 日 、 ア レ キサ ンド ル フ軍 政 署 は 、次 の 内容 を告 示 し た。
﹁明 日 (露 暦 八月 十 三 日) ヲ以 テ人 員 五 百 名 ヲ限 り ﹁デ カ ス ト リー ﹂ 行 キ第 一回 ノ輸 送 ヲ開 始 ス ル カ故 二願 書 ヲ提 出 セ ル
モ ノ ノ中 左 ノ諸 件 二該 当 ス ルモ ノ ハ明 日 午 後 四 時 迄 二兼 テ ノ告 示 二基 キ所要 ノ荷 物 ヲ取 纒 メ穫 橋 前 二集 合 ス可 シ
一当 島 二家 族 ヲ有 セ サ ル モ ノ
4
1
の
q
二 当島 二私 有 家 屋 ヲ有 セ サ ル モノ
但 出 願 者 ハ本 島 二残 セ シ財 産 二対 シ何 等 ノ故 障 ヲ申 出 サ ル事 ヲ約 ス ル書 面 ヲ提 出 ス ヘシ﹂
当 時 、 下 級 官 吏 巡 査 のこ と き、 家 財 道 具 を徒 ら に多 く 携 行 せ んと し 、 輸 送 上 不 便 が予 想 さ れ た の で、 一入 二個 の荷 物 袋
に限 り 、 袋 の長 さ 一ア ルシ ン半 、 幅 は 一ア ルシ ンと 制 限 す るに いた った 。 ま た 帰 国 者 の船 中 の食 事 は 官 給 で あ る が、身 辺
の必 要 品 は 各 自 これ を 携 行 す べし と 告 示 し た 。
一次 輸 送 に は 四 百 九 十 名 、 ま た 第 二次 輸 送 には 二千 二百 六 十 名 が、 デ カ ス トリ i湾 へ向 つた 。 ポ ロァ ント マリ と ア レキ
謀長が任象
れ陸
軍将校及び 将校相 当官を叢 書
とし董 政
サ ンド ド ロフ から 、 帰 還 者 を 乗 せ、 沿 海 州 デ カ ス ト リ i湾 へ向 い、 船 中 に軍 医 、 看 護 長 、 通 訳 を 乗 せ、病 人 の救 護 を計 り 、
員長は・樺 太募
醐
署軍肇
船 中 で食 事 を給 し た ・
担当させた。
ルイ コ フ支 署 軍政 委 員 長 は 内藤 旅 団 長 が任 命 さ れ 、陸 軍将 校 及び 将 校相 当官 を 軍政 委 員 と し 、 軍政 を担 当 さ せ た 。七 月 二十 四
全盤
(・)樺太 北部・ ・キサ ・・ ル軍政葉
轍
と
瀞
曜
日樺 太 南 部 コ ルサ コ フ支 署 の 軍政 委 員 長 に竹 内 旅 団 長 が任 命 さ れ 、各 地 へ仮 軍 政 署 が 置 か れ て いた 。
(5)明治 三十 七 年七 月 樺 太 南 部 を 、 独 立第 十 三師 団 が占 領 す る と、 原 口 司令 官 は、 軍事 上 の必 要 、 一般 秩 序 の維 持 の た め、 七 月 二
長、 第 二仮 軍政 区 は豊 原 で 、深 掘 順造 歩兵 中 佐 が委 員 長、 後 に開 設 の第 三仮 軍 政 区 は太 秦 供 具 歩 兵 少 佐 が委 員 長 で あ った 。 マ
十 四 日竹 内 正策 旅 団 長 に命 じ 、 コ ルサ コ フ州内 の 軍政 を担 当 さ せ た 。第 一軍政 区 は コ ルサ コフ で、 晴 気 市 三歩 兵 少 佐 が 委 員
ウ カ の 第 四 仮 軍政 区 は敗 残 露兵 の 掠奪 防 止 の た め 、 富 石寛 一歩 兵 大 尉 を委 員 長 と す る軍 政 官 衙 が 、暫 定的 に 設 置 さ れ た に すぎ
な か った 。
主 要 な土 木 事 業 も 、 第 二仮 軍 政 管 区 のウ ラジ ミ ロ フカ 市 の内 外 の市 街 準備 の工 事 で 、道 路 の改 修、 橋 梁 の架 設、 下水 の開 設 な
ど で あ った 。
の
Q
1
領
焔
罐
瀞
曙
土 木 工事 は 、竹 内 旅 団 長 が、 ウ ラ ジ ミ ロフ カ の重 要 性 を認 め、 軍 務 多 忙 の内 に、 建 設 を 進 めた も の で あ っ た 。
(6 )樺 太 軍 で は政 治犯 人 は普 通犯 人 と 区別 し 、自 由 に さ せ る方 針 で あ った 。
.
ニー博 士 は、 ア レ キ サ ンド ル二世 殺 害 の犯 人 の 一人 で あ っ た と云 う 。他 の 一名 は 家 族 の関 係 か ら、 他 の 二名 も生 活 の都 合 か ら
神 戸 在 住 の ラ ッ セ ル博 士 が 、米 国 への航 渡 費 用 を負 担 す ると 申 し 出 て、 政 治犯 六 名 を 現 地 で司 令 部 が 説 得 七 た 。政 治犯 ト リ ゴ
現地 へ定住 し た が 、 三名 が米 国 へ渡 航 し 、自 由 と な った 。
﹁樺 太 島露 国 住 民 ニシテ露 国大 陸 領土 二帰 還 ス可 キ露 暦 八月 二十 日 迄 二日 本軍 政 署 二届 出 サ ル モノ ハ行政 上 ノ必要 二依 リ 各 人
(7)明 治 三 十 八 年 八 月 樺 太 軍 司 令部 が 、 次 の告 示 を し た 。 一
二若 干 ノ税 ヲ課 ス可 シ﹂
民 政 官 衙 と 北 部 返 還
旧 来 、 露 国 住 民 は 、 樺 太 に 於 いて は 租 税 を 納 税 し た 経 験 が な く 、 公 租 公 課 の徴 収 か ら も 帰 国 を 望 む に いた った 。
三
明 治 三 十 八年 八月 に占 領 地 民政 署 職 員 に関 す る 勅 令 に基 き 、 原 口樺 太 軍 司 令 官 に直 隷 す る樺 太 民 政 署 が編 成 さ れ、 本 署
が ア レ キ サ ンド ロ フ に 置 か れ た 。 当 時 、 樺 太 全 島 に は 武 官 が 担 当 す る 軍 政 が 施 行 さ れ て い て 、 同 年 九 月 樺 太 各 地 の軍 政 署
(8 )
が廃 止 さ れ る 迄 、 樺 太 民政 署 の文 官 が担 当し た 民政 と、 二重 行 政 が実 施 さ れ て い た。 樺 太 民政 署 担 当 の行 政 も戦 時 占 領 地
民 政 の軍 務 に外 な ら な か った。
明 治 三 十 八年 九 月 五 日 調 印 の 日露 講 和 条 約 第 九 条 の条 項 で 、 樺 太 南部 (北 緯 五 十 度 以 南 ) の割 譲 が決 った 。 ま た追 加条
款 に依 り 、 樺 太 現 地 に於 け る境 界 劃 定 委 員 の委 員 派 遣 が決 った。 かく し て ア レ キ サ ンドド ロフ の樺 太 民 政 署 本 署 も 、 支 署
の所 在 地 コ ルサ コ フに移 り 、 支 署 と 合 併 す る に い た った 。 民 政 区 域 も 、 当 初 コ ルサ コ フ、 ポ ロア ント マリ、 ペ ルフ ヤ バ i
6
1
の
一
(
チ と 、 そ の附 近 にす ぎ な か った が、 次 第 に軍 政 署 から 引継 ぎ を受 け 、 そ の管 轄 地 域 を漸 次 拡 張 し た。 九 月十 四 日 、樺 太 南
17
(
)
・守備 二任
ー
部 の第 一仮 軍 政 管 区 、 第 二仮 軍 政 管 区 、 第 三 仮 軍 政管 区 、第 四 仮軍 政 管 区 に 、純 然 た る 民 政 が施 行 さ れ る に いた った。 ウ
ラジ ミ ロフ カ の民 政支 署 、 ま た ガ ル ノ キ ノウ ラ ス のウ ラ ジ ミ ロ フカ支 署 出張 所 の外 、 後 に ルウ タ カ に コルサ コフ支 署 出 張
所 が 置 かれ る に 至 った 。
関 ・統御 ・奨
九 月 半 、 原 口中 将 の第 十 三 師 団 は 内 地 の復 員 し 、 山 田保 永 樺 太守 備軍 司令 官 が 、 旧 樺 太 軍 司 令部 の権 限 を 継 承 し 、 一大
樺太守備軍司令部勤務令
隊 を 残 留 さ せた 。
﹁
ハ天皇 二直隷 ・樺太守備軍及 ・樺太民政署其他特 二指定 警 フレタ ル蔑
葎 太守備軍司書
領
占
鰍
二樺 太 守 備 軍 司 令 官 ハ守 備 軍 及 隷 属 諸 機 欄 ノ為 メ必 要 ナ ル兵帖 事 務 ヲ統 理 ス而 シテ其 事 務 二関 シテ ハ兵帖 総 監 ノ区 処 ヲ
シ其 民政 ヲ監 督 シ且 ツ経 理 衛 生 ノ事 ヲ統 監 ス
と
争
職
階
受ク
三 樺太 守 備 軍 憲 兵長 ハ樺 太 二於 ケ ル司 法 、 警 察 及行 政 警 察 二関 シ テ ハ樺 太 民 政 署 民 政 長 官 ノ指 揮 ヲ受 ク ヘキ モ ノト ス
四 樺 太 守 備 軍 軍 医部 長 ハ土 地 ノ景 況 二依 リ 樺 太守 備 軍 病 院 ノ定 員 内 ノ 人馬 ヲ以 テ分 院 ヲ設 ク ル コト ヲ得 此 場 合 二於 テ ハ
其 大 小 二応 シ三等 軍医 正若 ハ 一等 軍 医 ヲ以 テ 分院 長 二充 ツ但 シ隊 附 軍 医 ヲ以 テ分 院 長 及 分 院 ノ要 員 ヲ兼 掌 セ シ ム ル コ
ト ヲ得 然 ル ト キ ハ之 ヲ定 員 外 ト ス
五 樺 太 守 軍 獣 医 部 長 ハ樺 太守 備 軍 司 令 官 二隷 シ其 職 権 及責 任 二関 シ テ ハ戦 時 高 等 司 部 勤 務 令 弟 十 八章 を準 用 ス
領
占
鰍
と
争
戦
露
日
六 以 上 ノ外 樺 太 守 備 軍 司令 部 ノ業 務 二関 シ テ ハ戦 時 高 等 司 令 部 勤 務 令 第 二第 六 編 ヲ 又 ハ兵 帖 業 務 二関 シ テ ハ兵 帖 二関 ス
ル 一般 ノ勤 務 令 ヲ適 用 ス
附則
七 樺 太 民 政 署 民 政 長 官 ハ樺 太 守 備 軍 司 令 官 二隷 シ樺 太 ノ民 政 ヲ統 轄 シ其 安 寧 秩 序 ヲ保 持 シ且 ツ樺 太 二於 ケ ル諸 般 ノ軍 務
ヲ帯 助 ス
八 樺 太 民 政 署 民 政 長 官 ハ司 法 及 行 政 警 察 業 務 二関 シ テ ハ樺 太 守 備 軍 憲 兵 長 ヲ.
指揮 ス
九 樺 太 民政 署 民 政 長 官 及 民 政 長 官 ノ必 要 卜認 ム ル高 等 官 ニシ テ樺 太 守 備 軍 司 令 官 ノ認 可 シ タ ルモ ノ ハ軍 用 電 信 二依 リ 通
信 ス ル・得 ﹂
樺 太 民 政 署 開 庁 以 来 の予 算 は 、 臨 時 軍 事 費 及 び 臨 時 事 件 費 から 支 弁 さ れ た が、 明 治 三 十 八年 十 月 から は 地 方 予 算 が定 め
ら れ 、 陸 軍 大 臣 の認 可 を 得 て 支 出 す る こ と に な った 。
樺 太 民 政 署 の施 政 は 、 占 領 地 軍 政 の引 継 ぎ を 受 け 、 戦 後 の安 寧 秩 序 を 維 持 し 、 領 有 せる 北 緯 五 十 度 以 南 の拓 植業 務 、市
街 建 設 、 鉄 道 幹 線 、 海 面 埋 立 の事 業 経 営 を 実 施 し た 。 ま た 出 入船 舶 及 び 渡 航者 の 取 締 、 漁 業 仮 規 則 の施 行 、 土 地使 用 の許
否 、 徴 収 家 屋 の建 築 、 公 租 公 課 の賦 課 、各 種 営 業 の許 可 、 衛 生 行 政 の実施 、残 留 露 人 の保 護 の外 、行 政警 察 及び 司法 警 察
違 反 に対 す る 審 判 、 民 事 事 件 の審 判 な ど で あ り 、 ま た軍 令 ま た は署 令 を制 定 し た。
十 月 九 日 樺 太 守 備 軍 司 令 官 は 、 軍 令 第 二十 一号 で 、 占領 地 人 民 刑 罰 令 を 判定 し た。 刑 の種 類 は 、 死 刑 (斬首 ま た は 絞
首 )、禁 固 、 没 収 、 答 刑 、 拘 留 、 科 料 であ り 、 露 領 時 代 にも 答 刑 があ っ た。 衆 人 環 視 のも と の露 国 人 死 刑 囚 の 斬 首 の 執 行
8
ー
の
ユ
(
は、 露 国 人 民 が 日本 人 を野 蛮 と 笑 い、 日本 の治 下 に残 留 の希 望 者 が帰 国 を望 んだ 程 で あ っ た。 ま た 軍 令 第 二十 二号 で 、 民
事 審 判 条 令 が発 布 さ れ 、 審 判 に際 し ては 土 地 の慣 例 を 参 照 す る こと が決 って いた 。
樺 太 で は住 民保 護 の た め、 官 立商 社 が あり 、 生 活 必需 品 を安 く 住 民 に供 給 し て いた が、 戦 火 のた め営 業 が中 絶 し 、 北 部
住 民 は物 資 の購 入 に苦 し んだ 。 ア レ キ サ ンド ルフ軍 政 署 は 、 次 の私 立物 品販 売 所 仮 規 則 を制 定 し 、 一般 住 民 の便 宜 を 計 っ
た。
二物 品販 売 所 ヲ設 ク ル趣 旨 ハ露 国 住 民 二 一定 ノ価 格 ヲ以 テ需 要 品 ヲ供 給 ス ル ニア リ
二 物 品販 売 所 ハ当 分 ノ内 之 レ ヲ ﹁ア レ キ サ ンド ロ フ﹂ 二設 ケ
醐
三物 品販 売 所 ハ凡 テ軍政 署 ノ監督 ヲ受 ク軍 政委 員 ハ要 ス レ ハ販 売 所 ノ物 品 及諸 帳 簿 類 ヲ検 査 ス ヘシ
軍 人軍 属 ニモ物 品 ・販 売 ス ル ・- ヲ得
四物 品販 売 所 ハ其 販 売 ス ヘキ 品 目 及価 格 ヲ軍 政 署 二届出 テ其 認可 ヲ受 ケ価 格変 更 セ ント ス ルト キ ハ予 メ理由 ヲ 具 シ テ更
但 ・呆
漱
と
争
戦
曙
ラ ニ軍 政 署 ノ認 可 ヲ受 ク ヘシ
五 物 品 販 売 所 二軍政 署 二毎 週 ノ売 上 品 目 及価 格 ヲ報 告 ス ヘシ
六 物 品 販 売 所 ニ ハ其 販売 品 目 ノ価 格表 (日 露 両様 二区 別 シ) ヲ両 文 ニテ店 頭 二掲 示 シ置 ク ヘシ
七 物 品 販売 所 員 ノ氏 名 ハ軍 政 署 二届出 テ置 ク可 シ其 異 動 ヲ生 シ タ ル時 モ亦 同 シ
軍 政 署 ハ販 売 所 所 員 数 二制 限 ヲ加 フ ル コト ア ル ヘシ
八 物 品 販売 所 員 ハ軍 隊 二関 ス ル通 信 ヲ為 シ又 ハ物 品 販 売 以 外 ノ事 二関 係 ス ルヲ禁 ス
の
(
ー
九 物 品販 売 所 ノ営 業 時 間 ハ軍 政 署 ノ指 示 ス ル所 二従 フ可 シ
十 物 品 販 売 所 員 ハ如 何 ナ ル名 義 ヲ附 ス ル モ軍 政 署 ノ認 可 ヲ得 ス シ テ露 国住 民 所有 動 産 不 動 産 其 他 ノ物 品 ヲ譲 受 ケ 又 ハ之
二対 シ質 権抵 当権 ヲ設 定 ス ル コト ヲ禁 ス
十 一軍 政 署 ハ都 合 二依 リ物 品 販 売 所 ノ撤 去 並 二其 所 員 ノ退 去 ヲ命 ス ル コト アリ 此際 販売 所 員 力之 力為 ズ ニ生 ス ル損 害 ヲ
賠 償 等 ヲ訴 フ ル ヲ得 ス﹂
な戦 利 品 の 不 用糧 食 を 所有 し て い た 。 ア レ キ サ ンド ルフ軍 政 署 は 、
住 民 の欠 乏 を救 済 す る た め 、定 価 を決 め、 燕 麦 、 裸 麦 、
樺 太 北部 占 領 地 は 、交 通 杜絶 のた め 日常 の 生 活物 資 の不 足 に苦 し み、 露 国 貧 民 の救 仙 を要 し た。 北 部 樺 太 守 備 隊 は 多 大
廟
・ 塩 肉 ・牛 肉・ 聾 ㎝・ 紅 茶 を 払下 げ た・ 占 領 地 人 民 は・ 安 価 の糧 食 払 下 げ を喜 び ・ 先 き を争
小麦粉・南京米・莫
講 和 条 約 の条 項 に基 き 、 日本 軍 は 樺 太 の露 国 の領 有 に 帰 す べき 領 土 を 、 露 国 官 憲 へ引渡 す義 務 があ った 。 か く て第 十 三
い、 群 を な し て争 い、 車 馬 が集 る弊 害 の た め、 暫 ら く 払下 げ を停 止 し た位 で あ った。
・叢
獣
と
争
戦
囁
師 団 の復 員 に際 し、 特 に歩 兵 第 五 十 一聯 隊 を残 留 さ せ、 北 部 樺 太 守 備 隊 長 中 野 広 陸 軍 歩 兵 中 佐 に、 地 方 の守 備 、 軍 政 の施
行 を命 ず る を要 し た。 ま た聯 隊長 、 陸 軍 将 校 、 野村 領 事 を、 樺 太 北 部 引 渡 委 員 に任 じ 、 露 国 委 員 が、 樺 太 北 部 を受 領 のた
め派 遣 さ れ る のを 待 機 し て いた 。守 備 隊 は条 約 批 准 後直 ち に撤 兵 を予 定 し て いた。
十 月 六 日 イ ヂ ツキ ー 陸 軍 大佐 が 、 リ ウネ イ チ 満 州 軍 司 令官 の命 に よ り、 樺 太 北部 の受 領 の予備 交 渉 、 国境 の劃 定 、 兵 隊
の派 遣 のた め 出 張 し た 。 七 日 露 国 委 員 長 と 中 野 委 員 長 と の会 談 で 、露 国側 は ニ コラ イ エ フ ス ク の氷 結 前 、 歩 兵 一大 隊 、 山
砲 一小 隊 の上 陸 を求 め、 日本 側 が拒 否 し た 。 八 日両 委 員 長 は 、 約 束 書 の内容 を 討議 し た が、 中 野 中佐 に は 国境 談 判 の権 限
0
2
0)
(
纈
鰍
と
争
強
磁
(9 )
が与 え ら れ て な か った。 九 日両 委 ロ
貝長 が約 束 書 に記 名 調 印 し た 。
平時 の樺 太 は悪 漢 や 刑 余 者 が横 行 し、 市 街 でも 夜 間 の通 行 が危 険 で あ った が、 日本 軍 の占 領 以 来 、 民 間 人 所 有 の銃 器 を
保 管 し 、 地 方 の秩 序 維 持 に当 り 、 暗 夜 でも 安 全 に往 来 す る こと が可 能 と な った 。
し かも 日本 守 備 隊 が引 揚 げ る と、 寺 院 、 病 院 、 倉 庫 を不 逞 露 人 が掠 奪 し た 。 監 獄 へ放 火 し て そ の焼 滅 を 喜 び 、 附 近 の自
由 民 も 、 刑 余 者 の恨 み を怖 れ、 消 防 に従 事 す る こ と が でき な か った 。 ま た恨 み の警 察 の建 物 を 焼 き 火 災 は市 内 に類 焼 す る
な ど の こと があ った。
露 人 の殺 人・ 強 盗 ・ 放 火 の事 件 が続 出 し ・ か か る無 政 府 の状 況 は 、 特 に ルイ ・ フで 薯
で あ った 。 ア
撤 兵 準 備 のた め各 地 の守 備 隊 が ア レキ サ ンド ド ル フ へ集 合 し た。 既 に樺 太 北 部 の官 吏 や 警 官 が同 地 を 去 り 、秩 序 維 持 の
機 関 が欠 如 し・ 歪
レキ サ ンド ド ル フも、 住 民有 識 者 ク レi 、 グ ル シ ヤ コフ の二名 の自 由 民 が治 安 維 持 を陳 情 し 、 護 身 銃 の支 給 、 地 位 の証 明
を求 めた 。 中 野守 備 隊 長 は 、戦 利 銃 三十 余 を 与 え、 住 民代 表 とし て の地 位 を告 示 し た。
北 部 樺 太 守 備 隊 は 命 によ り 、 講 和 発 効 の十 月 十 六 日 引揚 げ 命 令 に接 し 、 準 備 し て い た。 同 日十 七 日露 国 軍 使 が漸 く 来 航
し た 。 樺 太 北 部 引 渡 委 員 長 兼 樺 太 北 部 軍 務 知 事 ワー ル エ フ大 佐 以 下 の文 武 官 吏 であ った。
十 月 二十 一日北 部 守 備 隊 の全 員 が復 員 し た 。 引 渡 委 員 のみ が残 留 し、 樺 太 北部 軍 務 知 事 に対 し 、 樺 太 北 部 の状 況 を 説 明
し 、 現状 のま ま引 渡 し を計 ると と も に、 露 人 の殺 人嫌 疑 者 及び 放 火 嫌 疑 者 の身 柄 を引 渡 し た。
次 いで北 遣 艦 隊 御 用 船 江 都 丸 が港 内 に搦 座 し て いる が、 明年 ま で保 管 を依 頼 す る件 な ど を協 議 し た。 ま た倉 庫 の糧 食 と
木 材 を露 国 貧 民 へ給 与 を求 め、 物 品 目 録 を交 付 し た 。
)
ユ
ω
2
更 に中 野 委 員 長 と露 国 委 員 長 は、 次 の書 面 を相 互 で交 換 し た。
﹁明 治 三 十 八年 十 月 二十 一日 (露 暦 十 月 八 日)日本 官 憲 及軍 隊 ハ北 部 樺 太 ヲ撤 退 シ同 時 二露 国 官 憲 ハ ﹁ア レ キ サ ンド ル フ﹂
二人 レ リ﹂
かく し て樺 太 北 部 の授 受 は 円 満 に 実 施 さ れ た 。
命された。
(8 )明 治 三 十 八 年 五 月 六 日勅 令 第 百 五十 六 号 占 領 地 民 政 署 の職 員 に 関 す る 件 に基 き、 七 月 二十 八 日熊 谷 寛三 郎 が樺 太 民政 長 官 に任
併 す ・ に いた った 。
帰 が 確 定 さ れ 、 樺 太 民 政 署 は 、 ・ル サ ・フ へ移 馨
八 月 二十 八 日軍 令 第 一号 で、 樺 太 民 政 署 が ア レ キ サ ンド ド ロフ に置 か れた が 、 殆 んど 実 務 に従 事 せず 、 樺 太 北 部 が盤 領 への復
癩
勅令第三+三号 で樺太庁官製
樺 太 民 政 署 の定 員 は 、 長 官 、 奏 任 官 八 名 、 技 師 二名 、 通 訳 官 二名 、 属 、 技 手 、 通 訳 二十 九 名 、従 卒 十 五名 で あ った 。
に直隷 し、後 に樺太守備軍 の隷下 で、戦時零
の畢 機
が引継がれた・官制 上葉
明治 四+年三早
司書
昆 施さ れ・樺太民政署 の霧
太
関 であ ったが、樺太民政庁は最初樺奎
公布・四旦
溝
庁は平時組織 の行儀
関 で あ った 。
(
9 )イ ヂ ツ キ ー大 佐 は、 北 部 サガ レ ン受 領 の予 備 交 渉 の 外 、速 や か に 歩兵 一大隊 、 山 砲 一中隊 の派遣 方 を要 望 し 、 十 月七 口 中 野 委
吾
鵜
露
日
員 長 が拒 否 し ても 、 日本 政 府 へ問 合 方 を求 め た 。大 本 営 の返 電 は 、海 路 の杜 絶 を 考 慮 す る 事 情 は 充 分 に 諒 解 す る が 、 政 府 の指
語
令 は講 和 条 約 の効 力 を 生 ぜざ る 以前 、 露 国 軍 隊 を我 占領 地 域内 に 入 れ る こ と が で き な いと し た 。 本 件 は 十 月 八 日附 書 面 で 回 答
した 。
結
樺 太 軍 は占 領 地 で軍 政 を 布 く が、 露 国 官 吏 を 必 要 と す る 分 野 で使 用 す る方 針 であ った 。 大 半 の 文 官 、 文武 官 吏 の 家 族
2
2
)
22
(
癩
漱
靴
離
日
は、 樺 太 か ら本 土 へ帰 還 を望 み、 ほ と ん ど在 留 す る者 がな か った 。 他 方 、 罪 刑 囚 や 刑 余 者 の流 刑 人 の好 ま し か らざ る住 民
が、 島 内 か ら撤 退 す る こ と が望 ま し か った。 樺 太軍 は帰 還者 の無 償 で輸 送 を行 い、 ま た島 内 へ の残 留 者 への課 税 を告 示 し
た。 多 数 の住 民 が、 家 財 道 具 を棄 て、 同 地 を撤 退し た。
樺 太 南 部 の仮 軍 政 署 は、 順 次 樺 太 民 政 署 へ軍 政 を 引継 いだ 。 樺 太 民政 署 は、 南 部 の拓 殖 、 諸 般 の事 業 を経 営 し た。 ま た
出 入船 舶 及び 渡 航者 の取 締、 漁業 仮 規 則 の施 行 、 土 地使 用 の許 否 、 徴 収 家 屋 の建 築 な ど を担 当し た。 ま た軍 令 ま た は署 令
照する暑
した。
の法 規 を制 定 し た 。更 に民 政 法 院 で 刑 事 事 件 の審 判 と 処 罰 を 実施 し、 ま た 民事 事件 の審 判 を担 当 し た が、 民事 の審 判 に は
土地の慣例 募
)
ヨ
ω
%
Fly UP