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ハ ックが越 える社 会 の ハ ー ドル
of Hucltlcbemy
-edoentureE
阿
序論
第一章
第二章
白入社会
部
壮太郎
ハ ックとジム
結論
第二章 筏 の上か ら
銃 と釣針 。自分の身を守 るもの と、最低限食料 を確保で きるもの
。それだけあればハ ックは満足 に生
活は出来るで あろう。誰 に も知 られることの ない々 自適な生活 ルハ ックの望んでい
ることは、それだけ
である。
彼は森の小屋か ら逃亡する時に、自分があたか も殺 されたように
、入念に擬装 した。それは彼 の髪 の
毛 を血の塗 った斧につ け、喉 え叩 き切 った豚 に上衣 を着せて川に投
象徴
げ込むとい う方法である。この豚 の
するものは、今 まで自人社会の 中で生 きて きた、ハ ック自身でなかろ
うか。
彼は 'conscience″ とい う言葉 を多 く使 う。 この言葉は 、自入社会で
彼が学んだ「価値観 」 と言 い換
えて も良 い。そ して「僕 の顔 を打 つ神 の御手」 とは、単に
自人が勝手 に作 り上げた偶像 に過 ぎないので
はないか。
`
All right,then,I'll go tO hell″
彼 はそ う言 い切る。 まさに しが らみ よ りも、 自分 の気持 ちに忠
実に生 きるよ うと決断 したことを示 して いる。 もうハ ックは
迷 うことはない。
ジム にとって、ハ ックは一番信頼する自人である
、
。 しか し、彼の′
とは裏腹 に、ハ ックはジム を蝙そ
亡
うとする。ジムは 、ハ ックを自人の少年であるばか りでは
な く、自分の遠 く離れた子供 をも投影 してい
る。それだ けに 、彼の怒 りは大 きい。
ジムは疲れた よ うに筏の小屋に引 きこもる
。それに対するハ ックの
計算高 い少年であったならば、 ジム近 くの町で売 って
とは しなかった。彼は黒人奴 隷ジムの足 に もス
反応は どうでぁろ う。もし、彼が
しまっていただろ う。 しか し、ハ ックはそんなこ
をしてで も二 人の関係 を取 り戻そ うとする。
ハ ツク とジムは 、 ミシシッピー を
筏で旅する。その 中で二人はあたか も親子の よ うな関
係 をもつ。そ
れは、ぉ互 い に親子関係の愛情 に枯掲 して いたので
はないだろ うか。
ハ ツクは殻 を破 り捨てた。 この
殻 とは、既成の 自人社会であった り、自人力策 き上げて
きた文明であっ
た りする。 これか らのハ ックルベ リィ フィンは
、人種の壁 を越えた人間 となって行 くのである。
(指 導教員
-150-
中村 敦志
)
『ねじの回転Jに おけるHenry」 amesの 意図
林
序論
第三章
第 一章
第四章
第二 章
結論
幹
久
Henry」 amesの 「ね じの 回転 J(The turn Of the Screw)に は 、実 に多 くの 謎が か くされて い る。
ここで は、主な謎 を解 き明かす事 で作者 の 意 図 を探 る。
先ず 、 この作 品の 中で最 も重 要 で大 きな謎 となるのは 、 この物語 の 中で幽霊 は本 当 に出 て くるか否 か
つ 目は幽霊 ・幻覚折 裏説 であ る。
幽霊 出現 説 は家庭教 師 の 見た通 り、実際 に幽霊 は現 れ 、子供達 を悪 の世 界 に引 きず り込 もう と して い
る とい う考 え方 で あ り、最 も正 直 に この物 語 を読 んだ解釈 の仕 方 で あ る。
二つ 目の幻覚 説 は 、 この物 語が全 て家庭教 師 の視点 か ら作 られて い る こ とに着 目 し、家庭教 師 の 言動
の 名 か ら精神 的 な異常 も発 見 した ものであ り、彼女の 見 る幽霊 は全て幻覚 で あ り、子供達 を恐 怖 させ た
の は幽霊 で はな く、家庭教 師 の 狂気 で あ った とす る説 で あ る。
そ して三 つ 目の幽霊
幻覚折 裏説 は 、前述 の 2つ の 説 の どち らに も正 しい所 が あ り、幽霊 が 実際 に出
て い る場 面 と幻 覚 を見 て い る場 面 とが両 方存 在す る とい う考 え方であ る。
次 に問題 と して上 げ るのは 、幽霊 と して現 れ る 2人 の男女 の死 の真相 で あ る。 この 2人 の死 は謎 に包
●■t
■■■〓´■■ ■モ、■■・・ ■ιII一堅 ・
・
■一〓︰ ・
,
,
,
,
,
と言 う事 であ る。 この疑 間 には三 通 りの考 え方が あ り、一つ は幽霊 出現 説 、二 つ 目は幻 党 説 、そ して三
まれてお り、明 らか な証拠 とな る ものが ない ので あ る。 しか し、子 供 の内の 1人 、マ イルス が クイ ン ト
そ して次 はマ イルズの退校 処分 で あ る。突然 マ イルズ は学校 を退学 になる。 これ も明 らか な理 由が書
かれて い な いので あ るが 、生前 子供 達 に悪 影響 を与 えた ピー ター
ク イン トの存 在がそ こにあ る と思 わ
れ るのであ る。
最後 に、 マ イルズの死 の真相 で あ るが 、 これ は、幽霊 の 出現 を読 む者が どの様 に とるか で変 わって く
る とい う、非常 に複雑 な ものであ る。
結論 と して、 この作 品 には決 まった結 論 が な いの であ る。全 て読 む者 の 見方 に よって 決 まる為 、 どの
考 えが正 しい とい うので はない 。そ れが作 者 の意 図 とい えるので あ る。
(指 導教 員
-151-
中村
敦志 )
■一 ・
一一 ヽ一
‘ ■‘ ● ´
●︶
, .¨ ´一
,
,
の死 に関 わる もの と思 われ 、 ジ ェス ルの死 因 は 、 グロース夫 人の言葉か ら読み とれるの で ある。
イヌの 日か らみた人間社会 の批判
―― 「白い牙」 と「野生の呼び声J― 一
高
橋
康
彦
つは社会主義が もとになつて い
ジャックロン ドンの作品は 、大 きく 2つ の タイプに分け られる。ひ と
てい る人間や動物 を描 い
るプ ロレタリア文学 の作品。 もうひ とつは、適者生存、環境 に支配されて生 き
の び Jで ある。 こ
「
た自然主義文学 の作品である。私が題材 として選 んだ作品 は 「白い牙」 と 野生 呼 声
といわれてい る。
のふたつの作品 は、自然主義文学 に属する。そ して彼 の作品の うちの最高傑 作
い い る白い牙 では、野生 の本能
どちらの作品 も環境 によつて順応 し発展 してい く大や オオカ ミを描 て
へ
してい く様子 、「野 生の呼
をもつたオオカミ大 が野生の地の北国から飼 い大 としての南国生活 と適応
い が、北国へ 渡 つてやが
い
び声1で は、大が全 く逆 の発展 を してい く。それは、南国で暮 らして た飼 大
で野生化 してい くとい う物語 である。
い
1890年 代 の経
これらの作品の中には、社会の調刺、批判が潜 んでいる。その背景 となつて るのは、
か らお こつた ゴール ドラ ッシユ
済恐慌 の時代。そ して もうひとつ は 、1896年 力十ダで金鉱が発見 されて
の ときは、奴隷
い
である。作者 は1876年 生 まれで 、 このふたつの大事件を直接 、体験 して た。経済恐慌
へ
ったとい うことだ。
のような生活 を送 り、 ゴール ドラ ッシユの ときは、自ら一獲千全 を夢 みて北国 旅だ
い える。 この ことをふたつの
い
そ して このことが貴重 な体験 とな り彼 の作品執筆 に大 い に役立 って ると
い
作品の中でイヌの 目を通 してア メリカを調刺する作品 となつて る。
「掟」 とい うキー ワ ド である。そ して「 掟」 はだん
まず この作品を解釈す るうえで重要なものは 、
て い る。白 い牙 では
だん変化 してい く。そのことは、大が新 しい環境 に適応 していつていることを示 し
へ
生 の呼 び声ではその逆である。
野生 の掟 から飼 われることによつて人間に対する技支配 の掟 変化 し、野
人間、大 を支
これらの掟 は、その まま人間社会 に置 きかえることがで きる。そ れは、大 を被支配階491の
の時代 には、失業者 があふ
配す る人間を労働者 を支配 してい るひ とに ぎりの人間 とにである。経済恐慌
て豊かな者 はより豊 かに、
れた ように、もつとも打撃 をうけるのは 、いつ も社会的弱者 であつた。そ し
い
である。その ような人間社会、社会構造 を
貧 しい者 はさらに貧 しくとい うように貧富 の差が大 き 時代
批判 した作品であ る。
(指 導教員
-177-
中村
敦志 )
『老人と海』にみられるヘミングウェイとアフリカ
細
木
売
宏
この「老人と海Jは 、キューバに住む孤独 な老漁夫の話である。八十四日も魚が一匹も釣れない不良
が続 く。 しかし、老人はあきらめることなく、漁を続けるのであった。 この孤独な老漁夫、サ ンチャゴ
のそばで、ビールをお ごった り、釣の餌の心配をした りして何かと世話をやいていた少年、マ リー リコ
があるが、一匹も釣れない 日が四十日もつづ くと、少年の両親は、少年を他の船で働かせる。 しか し人
十五日日、残 り少ない餌に巨大なカジキマ グロがかかる。 この大漁との死闘を四日に渡って繰 り返 した
後、老人は勝つのだが、船 に くくりつけられたカジキマグロは、帰途、サメに襲われて、寄港 した時に
は骨だけになって しまうのである。これは勝利、敗北のどちらを意味するのであろうか。
海洋小説、ハーマン メルヴィルの「モービィ ディックJと r老 人と海Jは 、登場する人物やすば
らしい海の情景描写、人間の深遠な考察、海での漁の様子などこと細かに具体的に表現されている。 ど
ちらも対のようになつていて、当然、ヘ ミングウェイがメルヴィルの「モービィ ディックJを 意識 し
て『老人と海Jを 描いたのである。構成で違つているのは、
「モー ビィ ディックJヵ啜 後、死に向かっ
ているのに対 し、
『老人と海Jは 最後、勝利、生に向っているとい う点だけである。
永遠の敗北 と新 しい眼にみられる闘志、老人の舟の帆は、永遠の敗北を象徴 していた。また、舟だけ
ではな く、老人と老人のモノすべてが古 いのである。 しかし、眼だけは新 しく関志に燃えていた。
老人は何度 もアフリカやライオンの夢 を見るのである。 これは老人が若い頃、アフリカを中心に活躍
していたことを振 り返っている。ヘ ミングウェイ自信 もアフリカを受 していた。これは、彼の二作 目の
長編「武器よさらばJ力 =大 成功 し、これが劇化、映画化されて多額の収入を手に入れこ度目の結婚をし、
姿とアフリカを旅行、この頃がヘ ミングウェイの絶好調の時期であったようだ。
この作品は、 ビュー リッツァー賞やノーベル文学賞など数々の賞を受賞をし大成功を収めるが、それ
まで一時的、作家 として不振が続 く。この不振が「不漁」や「永遠の敗北」である。 しかし成功を収め
たいとい う願望が、
「闘志に燃える新 しいめ」や、
「モー ビィーディックJが 最後死に向っているのに対
し、この作品では勝利、生に向っている点などに現れているのである。成功への予感や意識ではないだ
ろうか。 このように、ヘ ミングウェイ晩年のこの作品は、彼の波乱に満ちた「生涯」 と思わせるのであ
る。
(指 導教員
-178-―
中村 敦志 )
「眼」の中で生 きた女性
―― 「エ ミリーに薔薇 を」一―
大
この物語 は,ア メリカの作家である ウイリアム
崎
麗
華
フォー クナーの「エ ミリー に薔薇 を」 とい う短篇小
のエ ミリーは、異性面 では父親に
説である。概略 は、町 を代表する グリアツン家の生 まれである主人公
エ ミリーは、舗装 工事 のため北部
すべ て拘束されていた。やが て父親は死に、その拘束か ら解放 された
る しか し、それ も束の間、
か らや つて来 たホーマー バ ロン とい う男 と知 り合 い、親 しくなるのであ 。
てお くために彼 を毒殺 し、その死体
彼 は町の人気者 で彼女 の思 い通 りにな らず、永遠に彼女 の側に留め
と長年一緒 に暮 らし、最後には74歳 で孤独 な一生 を終 える とい うものである。
み
一見、単純 に思える この物語 は、わずか20ベ ー ジの中で時間的配列や構造 などが複雑 に入 り組 、ま
とは、 目的をいわずに
の
たエ ミリー を中心 として起 こる様 々な問題 などが凝縮 されてい るのだ。そ 問題
せて人 々を騒力せ たりしたこと、
毒薬 を購入 した り、ホ ーマー バ ロンとの ことや屋敷 か ら悪臭 を発生 さ
い エ ミリーの言動 である。
そ して10年 前 の税金免除の効力が今 もある とし、頑な態度 を示す と う
る しく
ー
これらについて語 っているのが 、町の人々の「私たち」 であ り、エ ミリ の生 きざまを目まぐ
いの気持 ちか ら人 々はこれ
視点 を変えなが ら観察 してい るとともに、エ ミリーの死後、彼女 に対する弔
ている「私たち」
らの出来事 を時間的な ことには とらわれず、回想 して い るのだ。 しか し、彼女 を観察 し
てその人 々
はその時 々に応 じて年齢 、性別、階級な どが異な り、また構成員 も変化す るのであ る。そ し
で貧乏だと
の 「眼」 は、常 にエ ミリーあ るいはグリアツン家 に注がれていた。彼女の父親が死 に、孤独
い る彼女 を見 て 、気 を紛 らわす
知 ると同情 の余地がで きた と喜 ぶ 。 また ホーマー バ ロンと親 しくして
「1ヒ 部人の 日雇 い労働者」 をま ともに相手 にす るはずが な
ものができてよか つたと最初 は喜 ぶのだが、
二
し
ぃ といい「かわいそ うなエ ミリー !」 と噂 し合 う。その後、「町の不名誉 だ」 と非難 し、 人が結婚
の
を呼 ぶのである。逆に、
そうになると牧師を説得 にあた らせ、それが無駄だとわかると今度 は彼女 親戚
い
になる。ホーマー バ ロン
結婚が確定的 だと悟 ると、エ ミリーの味方 とな り親成 を追い返そう と う気
エ
ー
を買 うと、 こ
の姿が見えない と拍子抜け した り。子期 していたことだ とい う。終 には、 ミリ が毒薬
ー
られ る人 々の
こまで没落 した彼女 の 自殺 も当然 だと噂するのだ。 この ように、 エ ミリ に対 して向 け
ヽ
この物語 の上台 とな って入る。
亡
情」力`
「眼」 や、時の流れによつて変化す る人々の「′
一つ
一つの世代か ら次の世代へ と移行 してい くエ ミリーは、 この町では「一つの伝統、一つの義務、
こ し、邪魔
々
の厄介者」 であ つた。時 にはこの町の歴 史や運命を背負 わされ、時 には様 な問題 を引 き起
々の「眼」 か らは解放 されなかつた。
者や厄介者 となった彼女は、父親 の「眼」 か らは解放 されたが人
て
このような一生 を送 つた彼女 に対 して、作者 である フオー クナー は敬愛 の情 と励 ましの意味 を込め 、
い
がつ け られたのである。
彼女 に薔薇を送 りたい とい う気持 ちか ら「 エ ミリーに薔薇 を」 と う題名
(指 導教員 中村 敦志
-179-―
)
生 へ の執念
一― r怒 りの葡萄J一 ―
大
沼
央
の生 きる ことへ の執念 を感 じました。小
私は 、ジ ヨン ス タイ ンベ ックの怒 りの葡萄 を読 んで、人間
ニ
の中仕事 をさが して オクラホマか らカリフオル
説の内容 は、1930年 代のアメリカが舞台であ り、不況
い い
アまで行つた ジ ヨー ドー家を中心に民 主主義の矛盾 を描 て る。
い うことである。 どんなに食べ物がな くて
読み終 えての感想 は、人間の生活力 はす ごい ものであると
これが人間 とい う生 き物 で あ る。作 者である
も、仕事 がな くて も、 どうにか して生 きて行 こ うとする。
アルに当時 の状況が私に伝 つてきた。
ジョン スタイ ンベ ック自身 も生活難であつたために、 よリリ
が うとい うことである。奇数章は事実 、
また、 この 小説 の最大 の特徴 は、奇数章 と偶数章では内容がち
これにより効果的 に事実 と ドラマ を ミックスする
偶数章 は ドラマ とい うようにわかれているのである。
ことに成功 してい る。
ことである。急激 な社会変化 によ りとり残 された
民主主義 にお いての貧富 の差 は深 く考 えさせ られる
などで人間 として扱 って もらえな
人 々は、富 を持 ってい る人間 に雇 われる。そ こでは、低賃金、重労働
この組合運動 も自分 た
ぃ。そ んな中で賃上 げのための組合運動が起 こるとい うのは自然 な ことである。
めの怒 りを感 じるのである。その怒 リーつ
ちが生 きて い くための起 こ したことである。 人 々は生 きるた
一つが葡萄 のよ うに実 り収穫 の時 を待つのである。
こ い しか も ドラマ としてではな く
タイ トルである「怒 りの葡萄 」 の葡萄は本編 には少 ししか出て な 、
ベ ツク流 で い くと怒 りを表現す る
一つの農作物 の育 て方 の例 としてである。 したが つて葡萄はス タイ ン
ーつ一つが葡萄 の一房 一房であると思われる。
の
物 である。 カリフオルニ アに集 つた多 くの移民たち 怒 リ
`
い のであ る。そ して 「怒 りの葡萄 」力収穫 され
それが時がたちにつ れて しだいに育 つて大 きくなつて く
めに人 々は怒 りを爆発 させるのである。
る時 こそス トライキが起 こるとい うことであろう。生 きて行 くた
つ い で どこかに楽 しさを見つ けることがで
また怒 りの他 に も楽 しさ とい う感情 がある。 どんなに ら 時 も
い
りい ろい ろな ことを考 えて、 どのような状
きる。 これが人間 とい う生 き物 である。人間は先 に書 た通
ンベ ックは、 この ことを労働問題 をま じえ、「 怒 りの葡
況で も生 きて行 けるのである。 ジ ヨン スタイ
萄」 を通 して私たちに伝えたか つたのではなか ろうか。
(指 導教員
-180-
中村 敦志 )
自殺 の心理
一―「バナナフィッシュにうってつけの日」――
奥
崎
千
鶴
この作品は、サ リンジャーの 自選短編 集 「ナイ ンス トー リーズJの 中の一篇 である。舞台 は1948年 の
アメリカとなってい る。主人公シーモア とその妻が、旅行で フロ リダヘ 来て い るのだが 、 シーモアは突
然 自殺 して しまう、 とい うス トー リーである。 どうして突然 自殺 をしたのか、理解す ることが難 しかっ
たので、あえて作品研究に挑 んだ。
この作品 は、ある青年の自殺 、 とい う事件 を主題 とした作品である。何故青年が自殺する ことになつ
たのか 、 とい う点に作者の趣 旨があるように思 つた。それで、 この作品の主題、及び作者 の趣 旨を解読
するために、 シーモアの 自殺の原 因に照準 をあてて考察 した。そ して、自殺の原因を解明するために、
シーモアがいかなる人物であるかを追求 した。なぜ なら、自殺 した当人の性格や、当人 を
取 り巻 く状況
に自殺の原因が隠 されてい るか らである。以上の利用か ら、さらに、作者 はシーモア をどの よ うな人物
を設定 してい るのか、 とい う点 を考察する ことに した。
また、 この作品の連作である「大工 よ、屋根 の梁を高 く上げよ」、
「 シーモアー序章 ―」 も、シーモア
の人物象 を研究するための参考 に した。
研究を続けると、自殺 したシーモアとは知的な人物であ り、繊細で感性が鋭 く、神経 質な性格である
ことがわかった。そ して、シーモアは妻や妻 の両親 と不仲 であ り、世間一般 の人々の を
事 貶 して いた。
これ らの事が 、 シーモ アが 自殺 を した原因 と考えられた。
研究 の結果、シーモアは 、物の内面や本質を重視する人物であ り、ファッションに興 じる人 々 を
愚か
だと考えた。作者 もまた、虚飾 のはびこる社 会 を非難 してい るのである。そ して、シーモア この
が
世の
中で絶望 して自殺 したように、作者 もまた、この社会 と人々に対 して絶望 してい るのだ と思
う。そ して
愚かな人 々よ り、シーモ アの 方が まともな人間だと考えているのである。
(指 導教員
-181-
中村 敦志 )
Eagar AIlan Poeの 恐怖小説
柿
拓
崎
悲劇的な一生 を送 つたEagar Anan Poe。 彼の作品 は 、死、幻想、冒険 などをテーマ とし、その全て
に美 を追求 してい る。
Poeの 作品を分類す ると、物語、詩、批評 の 3つ に分け られる。私 はこの中で物語、特 に恐怖小説呼
Black Cat" “Willian Wilson" ・ The Tell Tale Heat"が そ れであ
ばれる もの 3つ を研究 した。 “
る。 これ らの小説は、四 と狂気が存在 し、また幻想の世界が支配する、Poe独 自の美的物語である。
美 と私 は書 い たが、Poeの い う美 とは何 を意味 してい るのか。彼 は何 を追求 した のであ ろ うか。 Poe
の作品を考える ことは、彼 の美 の意識 を解 くことに他ならない。私 は美に焦点 をあて、研究 を続けた。
その結論 は次 に述べ るとお りである。
恐怖小説 における美 とは、死 を意味 してい る。Poeは 死 とい うもの を恐ろ しく、 しか し、それ以上 に
美 しく描 い てい る。死 とは本来、人に好かれるものではない。そ れは急 に、不意 に、もしくは徐 々に人
の身を覆 い隠 して しまう形 の ない恐怖 の対象であ る。Poeは 死 を、与えられるものではな く、 自ら願望
するもの として 、そ こに美 を見 い出 してい る。
生があれば、死 もまたある。Poeは これ らの両立を前提 とし、死 を身近な存在 と して描 きあげている。
彼 の作品のおける死 とは、人がただ漠然 と死に向かつてい くのではない。人は生の 中で罪 を犯 し、その
罰 として 、自 ら死へ 向 かつてい くのである。その過程には理性 と狂気 が交互に存在 し、狂気 に対する罰
が死なのである。 もちろん、狂気 に罰を与 えたのは他 の誰かではない。それは本人の理性 である。
結局Poeは 人の心 を探研 し、 してはいけないか らこそ して しまう、天邪鬼の心持 を見つ けだ した のだ
ろう。 この心持 の行 きつ く先 は死である。 この心持 はまた 、お よそ誰のIItに 底 にもひそんでい る怖 い も
のであ り、恐怖小説 の名 はここから発 してい るのではないか。
Poeの 恐怖小説 とは 、内体 的な死で はな く、精神的な死 の 中に美 を追究 した、独 自の世 界 の物語 であ
る。 また、死 とは、罪 を浄化するもの として考 えられるだろう。
(指 導教員
-182-―
中村
敦志 )
キ リマ ンジャロの雪
工
藤
健
治
のの行 きつ く
い
“キリマ ンジャロの雪"に 見 た世界は、主人公 ハ リーが死 の食前 に何かを追 求 めた も
世界であつた。
で ろうとする
獲物 を追い求 め 、キリマ ンジャロの頂 上近 くに倒れていた。豹の姿 と同様 に彼の作家 あ
に
るのである。
精神、死 の直前 まで小説を書 き続 け追い求 めた姿 は、決 して腐敗する ことな く永久 存在す
ばれ 神聖 な もの と して
彼の追 い求 める姿は、アフリカ最高峰 の 、マサ イ語でNgaje Ngaj神 の家 と呼
いいかえれば 、彼 の追 い求 める
い
象徴 されるキリマ ンジヤロの頂上 にたどりつ くことで強調 されて る。
いるので あ る。つ まり彼 の何
姿 をキリマ ンジ ャロ とい う神聖 な鏡にうつ しだす ことで読 み手に知 らせて
かを追い求める行動は神聖なものであ り、肉体消滅 を越 えた ところに価値 があるので あ る。
は「死」
内体の消滅を象徴す るものは雪 であ り、雪 は神聖なキリマ ンジャロの頂 にあ り美 しく準 く。雪
ベ
と「美 しさ」 を読み手に示 してい るのである。雪 の美 しさや死を導 くものは、致命傷 を負 い死 を ッド
で待 つ主人公ハ リーの回想か ら読み とれる。彼 の回想 は 5つ あ り、それぞれの彼 の小説 であ り、彼 の人
い
生 の断片 として紹介 され、半 日とい う短 い時間に、 5つ の回想 を含め時間の総量 を加 えて る。
「神聖」を示す キリマ ンジャロを舞台 に、彼 は回想 の 中 で行動
「死」 と「美 しさ」 を象徴 する雪 と、
これ
す る。彼 の行動 は、小説 を死の直前 まで追 いかけることであ り、作家 で い ようとする ことである。
ロ
はちょうど、獲物 を追いかけなければならない豹が、豹て いようとするためにキリマ ンジヤ の頂上近
くまでのは りつめた姿 と同 じなのである。
い
そ して彼が作家 と して追 い求めた ものは、死ぬ 間際に見 たキリマ ンジャロの頂上に輝 く美 し 雪 の世
に形容 されるのであ った。死へ の恐怖 を乗 り越え、作家 として死の うとする精神 は、肉体 と死 を超越
界
した世界つ ま り、死の平面 を離れた人間の精神的解脱 の世 界へ と導 いたのである。
(指 導教員
-183-―
中村
敦志 )
テネシー・ ウイリアムズ『ガラスの動物園』
――再現できないガラスの家族――
才 村 雅
志
『ガラスの動物園」 は、 トム・ウィングフィール ドがセ ン トル イスでの生活を思 い出す追億の劇で
あ
る。彼 は 、母親 のアマ ンダ、妹 の ロー ラと暮 らしていた。父は家 を捨てて 、行方がわからなかった ア
。
マ ンダは南部気質の女性で 、子供達 を自分 が望む社会水準に保 って育てたい と
考えて、努力 していた。
ロー ラは内気な、軽 い びっこの少女で、ガラス製の動物 像 を集めて
、その世界に耽 っていた。そんな彼
女 のために トムは、工場 の 同僚 ジム を夕食に招 く。高校生 の頃か らジムのことを知っていた ロー ラは、
あ らためてジム に好意を抱 く。ジムは ロー ラの繊細 さに引かれたかのよ うである。 ところが 、 ジムはす
でに婚約 者が い ることを告げて、帰ってゆ く。 アマ ンダが ロー ラを慰めるパ ン トマ イム
を背景に
、 トム
は、父 と同 じようにこの家を棄てた、 と観客 に語 る。けれ ども、 ロー ラの思 い出にたえずつ
きまとわれ
て、彼は決定的に この家庭から逃れることがで きない 自分を語るので ある。
このよ うに、家庭 の崩壊、孤独 、新旧ニ フの生 き方の相克、これに幻影 と現実 との 立 とい ったこと
対
を扱 ってい るこの作品 は、ウィリアムズの長所 と同瞳に短所 をよく表 してお り、このことか ら
も、ウィ
リアムズの本質を把握するのに好都合な作品である。 ウィリアムズ はこの作品で、四人の
登場人物の生
活 の決定的な瞬間を提 え、それに強 い光 をあてて、それぞれの人物 にとっての 人生の深淵 を描 いてみせ
て くれるの であるが、そ うい った人物 を繊綱 に描 いて 、 しかも、かな りの説得力 を持っているのは
彼の
大 きな功績である。
物語 は 、彼 ら家族が引 き離 されて しまった現実世界か らやって きたジム によって、彼 らが生 きるガラ
スの世界は、 こなごなに くだかれて しまう。 トムはロー ラの幻想 をひきず り、
もと元へ は戻 らないガ ラ
スの家族 の思 い出を消 しさりたい。 こなごなになったガ ラス細工 を照 らすろう
そ くを吹 き消 したい。
一―だつてい まは、す さま しい稲妻が世界 を照 らしてい るん :そ の ろうそ くを吹 き消 して くれ、 ロー
ー
ラ
そ して、 さようなら…………・
(指 導教員
-184-
中村
敦志 )
『裸者 と死者』における人間的心理
佐
藤
佳
美
私が所属 した専門ゼ ミナールでは、文学作品 について調べ ることが 目的で した。最初 に私が選んだの
は短編だつたのですが 、 これはあ まりに も短す ぎて一度の レポー トではぼ終えて しまい ました。それで
次 は長編を読 んでみ よう と考え選 んだのが 、 この ノーマ ン
メイラーが書 いた r裸 者 と死者」 (1948)
で した。ただ この本は逆にあまりにも長す ぎて 、すべ てを読み終えて自分 の考えを文 としてまとめよう
とする と収拾が つかな くなつたために部分的 に抜粋 して レポー トを書 きあげ ました。 この物語 の舞台 は
おそ らく太平洋上の孤島です 。おそ らくとい うのはこの島の名前が作品中 に書かれてはいて も、所在地
ははつきりとかかれてい ないためです 。 ただ、この作品は日本軍 とアメリカ軍 とが戦闘状 態 であるとい
う設定 ですから第二次世界大戦中の物語であることは間違 いあ りませ ん。作者 自身、従軍経験があ り占
領下の 日本にも軍人 として着たことが あ りますが、作品中での 日本軍はあ くまで アメ リカ軍の対戦相手
で しかな く日本人個人の描写はほ とん どあ りません。 その上、アメ リカ軍側 も人間描写の方が 多 く書か
れてい ます。そのためにこの作品 は戦闘を主体 と した物語 ではな く、戦時下 の人間[ヽ 理 を主体 とした物
語 となってい ます 。そのため私が書 い た レポー トで も登場人物たちの心理 を主体 に、特 にハー ン少尉 と
クロフ ト特務軍曹 の二 人を取 り上げて書 きました。他にも登場人物は大勢存在 し、それぞれの心情 も過
去 も描かれてい るのですが すべ てを取 り上げるわけにはいか なか つたので この二 人を中′
ヽこ書 きました。
し
そ もそ もこの作品の中にはそれぞれの登場人物の過去 が性 質を詳 しく書 い た章が所 々に挿入 されて い ま
す。けれで もこれがかな り長 く書かれて いた り、あ まりにも本文か ら独立 した物語 と して存在するため
にかえつて本文の流れを さえぎってい るような感 じが しました。確 かに登場人物たちの性格設定や生活
環境 を書 くことはある程度不可欠だとはい って も、この作品ではかえって読みに くい もの としてで きあ
がつています。最後のこの作品の題名である「裸者Jと 「死者J力 `
何を指 しているのかを自分なりに定
義した結果は、一言で表すのなら戦場において存在するもの。つまり「死者Jと は死人その もので、
「裸者Jと はまだ死人になっていないものであり、自身の存在を守ることにのみ執着 しているものでは
ないかと考えます。本来、戦争には敵 と味方がありますが、この作品の登場人物たちを見ると、彼らは
敵である日本軍に勝 つこ とよ り、自らを守ることにのみ執着 してい ます。それこそ人間 として存在する
ために必要な理性 を捨て去 り、感情 を剥 き出 しに してい る彼等 を作者は「裸者Jと い う言葉で表 したかつ
たのではないか と思えます。「裸者 Jも 「死者」 もすでに人間ではな く、そのよ うな もの しか存在す る
ことを許 さない戦場 とい うものがいかに悲惨 であるかを作者は述べ たかったのではないで しょうか。
(指 導教員
―-185-―
中村
敦志
)
Anne 8oattieと 現代 アメ リカ
竹
澤
賢
晃
アメリカ現代文学の持つ独自性 とその時代背景を、Ann Beattie著 の Where you'1l find me"を
“
通
して考察 し、近代から現代にかけてのアメリカの「本当の姿」を探求 してい
く。
第一 章 Ann Beattieの 作品の特徴
1.Ann Beattie 2.映 像的な表現
3.上 層 中産 階級
新進の女流作家 と しての今 日のアメリカ丈壇 を揺 り動か してい るAnn Beattieは
、彼女の個 性 的 な文
体から短 篇 の名手 と謳 われ現代アメリカ文学を代表する作家の一 人である。第一
章では、物 質的 に満た
された生 活 とどこか空白感の漂 う自己の内面 との交錯 を淡 々 と した文 で
体 描 くとい う特徴 をもつ彼女 の
素顔に追る。
第二 章
Where you'■ find me"の 解釈
“
1.あ らす じ
2
兄の秘密
3.私
の秘密
4.秘 密 の告自
この作品 は、主人公の私 と兄のフラ ンクがお互 い に秘密 を告 白 しあ い
5.裁 判所の象徴
、自分 自身の心の中のI● 藤 を整
理 した上で、 自分 自身の心の 中の「本当の気持 ち」 を追 求 してい くとい ったス トー リーで
ある。第 2章
では野良犬の存在、裁判所 の象徴、また『オズの魔法使 いJか ら引用 されてい る の
詩 意味などのい くつ
かのキーボ ンイ トを踏 まえなが ら、ス トー リーの真意 に迫 り、要約 してい く。
第三章
Am Beattieの 作品を通 して近代 か ら現代 にかけてのアメ リカを探 る
1.豊 かなアメリカ
2.カ
ルチ ャー・ レポ リュー シ ョン
3.お
わ りに
第二次世 界大戦後 、超大国 アメ リカの経済は安定 した情勢が続 いたが 、ベ トナム戦争の反載運動、公
民権運動 などとい った様 々 な運動が合流 し、それ までアメリカの道徳規範 とされていた中産階級の価値
基準全体が審判にかけられた。 この ような激動 の60年 代 をさか い に、アメ リカは確実に変化 した。第三
章では 、 アメ リカは具体的にどのよ うに変化 したのか 、また、その変化 の後 のアメ リカの価値基
準、さ
らにアメ リカの真 の姿 をAnn Beattieの 作品 と関連 づ けて追求 して い く。
(指 導教員
―-186-―
中村 敦志 )
ジョエル少年 に見 た精神的成長の持 つ意味
――カポーティ 『遠い声 遠い部屋J― ―
田
沼
幸 太郎
主人公ジ ョエ ル少年 は、 ニ ュー ォリンズ に母親 と二人で暮 らしていたが、その母 を亡 くし遠 い離れた
ラ ンデイングの地に住む父親 をた よってい く。 まだ精神的にも内体的にも幼 ないジ ヨエルだが 、一 人で
旅 を し、いろんな人 との新 しい出会 いによって 、段 々 と精神的 にも成長 してい く。その中で も、ランディ
ングに住む双児の姉妹 の妹
アイダベ ル との出会 いは、 ジ ョエルに与える影響 を大 きか った。 アイダベ
ルの性格 は、気 の強 い男 まさりといった ものだった。 ジョエ ルは最初 、アイダベ ルのその気 の強 い性格
が どうも気に入 らない ようだ ったが 、内 に秘 めた優 しさを見つ けた時か らだんだんと引かれてい く。
一方、父を尋ねて来た ジ ョエ ルだったが、何 だかんだ理由をつ けられ会わせてもらえない。だんだん
とい らだちを感 じてい くジ ョエ ルにとって、心の安 らぎを求めるあて はアイダベ ル といっ しょにいる こ
ヽ
とだけだった。そ して、′
し
身 ともにだんだんと強 くなってい く。
ようや く父親に会える日がやって来た。今 まで いろんな想像 をして父親の姿 を思 い浮かべ て きたジ ョ
エルにとって、成長 してい るとはい え、緊張 して手の震えが とまらないほ どになって しまうのは仕方の
ないことだった。そ して対面 。父は、身体 はまった く動かず動 く目をもつ像 といつた感 じだ った。それ
まで、父の姿 を思 い描 いていたジ ョエルにとって、その現実 は とてつ もな く大 きな シ ョックを与 えるに
は十分す ぎた。 しか しジョエルは、 ショックを押 さえ立ち向か つてい く。何 とかそんな父を好 きになろ
うと努力 をする。そんなところに も、ジ ョエルの精神的な成長が うかがえるだろう。 しか し、ジ ョエ ル
、
の.し 、
に安 らぎを与える ことはで きなか った。やは リジ ョエルの′
し
をな ご ませる ものは、 アイダベ ルだけ
だった。父に対するシ ョックとまわ りの人 々の態度 に、何 か煮え切 らない気持 ちでい たジ ョエルは、彼
女の夜逃げの計画 に迷 い なが らも乗 るのだった。彼の心 の 中の葛藤 は、安 らぎを求めることが強かった
のだ。 これらの数 々の出会 いや事件 は、子供 っぱい性格 を残 した人間の姿 を、強い精神 を兼ねてそなえ
た大人に育てあげてい くとい う一つの例だろう。 しか し、精神的に成長 し強 い心 を持てば 、何事 に も立
ヽ
ち向かつてい けるとい う反面で 、幼 く純粋ですなおな′
亡
を、だんだんと失 つてい くとい うさび しさを同
時 に心の中の どこかに、つ くりあげて しまうのではないだろうか。
(指 導教員
-187-
中村
敦志
)
ア ンダースンについ て
三 田村
環
シャー ウッ ド アンダースンは、オハ イオ州の田舎町で生 まれた。馬具製造業者の父親 は酒好 きで放
浪癖があ り、そのため働 き者 の母親 は苦労 をした らしい。
1895年 、母親が結核で他界すると、別の町で小 さな会社 を経営するまでに到 るのだが 、創作へ の意欲
が次第に高 まり、1913年 、会社 を放棄 し、 シカ ゴヘ 出、元の会社 に戻 つた 。
その頃シカ ゴは産業発達による急速な都市化の最中で、それに伴 う労働問題や農村人口の流出問題、
更 に大量生産や交通 の発達 で画一化せ られるアメリカ文化や、田舎町の独善的な閉鎖性 など、社会文化
上の問題 を抱 い てい た。そうした背景の中、 シカゴ ルネサ ンス と呼 ばれるシカ ゴを中心 と した文学的
気運が生れ、彼はこのシカゴ ル ネサ ンスの渦中で文学的啓蒙を受けたのだった。
さて、彼 の作品の特徴 は、何 と言つてもグロテスクだろ う。一言 で言 えばそ うい う事 になる。彼 は人
間の誰 もが持 ってい るグロテスクさに焦点 を合わせて、簡潔な筆で印象的な色彩豊かな人間像 を描 いて
みせている。全体、彼 の作品の主 人公は孤独であ り、畢
人生に於ける失敗者 である。それ らの人 々は
手工業か ら機械工業へ の過渡期 に於 て 、その様な時代 の流れについ て行けなか った人達 で ある。実際彼
自身、工業化 された以後 のアメリカ人が描けなかったのだ。
彼 は幼 き頃か ら雑 多な読書 は していた ものの 、正規の教 育 はあまり受けてお らず、その事 に対 し、劣
等感を抱 い ていた様で もあるのだが 、その事 も彼 の限界に関与 しているのか も知れない。
彼は畢
、産業化 の過渡期 の作家であ り、 この時代 でなければ、彼 も創作意欲 をか きたて られは しな
かったろう。
彼 はなんらかの挫折 を味わった人達 、心 の どこかに傷を負って い る人達 、時代の敗北者、孤独者、要
するに内的な屈折 を経て 、噛 み じめれば味わいの 出て くる様 な人物 を、理解 と優 しさを持って、然も淡々
と描 い てい るのである。
ともか く彼の「ワインズバーグ オハイオJや その他の諸短籠がアメリカ文学を語る上で も重要な地
位を占めている事は、後のヘ ミングウェイやフォークナーに与えた影響から見ても否めない事実である。
(指 導教員
-188-
中村 敦志)
iグ
・フィッツジェラルド
・ギヤツビー1を 通して考えるスコット
レート
村
子
夕
瀬
れは、最 初 の 1ペ ー ジか ら、強
ス コッ ト フイツツジエラル ドの小説 には、不思議な魅力 がある。そ
い ごとに、 しわ じわと魅了 されてい く
な文章 でひきつ ける ようなものではな く、回 を重ねて読 んで く
烈
とい う小説 である。
エラル ドの代表作 である。
「 グレー ド ギ ツツ ピーJも 、そ んな小説 のなかの一つであ り、 フイツツジ
ニ ツク キヤラウエイを通 して、 フイツツジ エ
主人公であるジエイ・ギヤツピー と、彼 を客観的 にみる
ラル ド自身の姿 が見えて くる。
の にある虚 しさ、絶 望的な敗北感、崩
フィッッジェラル ドは、物質的 なものに対す る憧れや、繁栄 裏
これ らの自分自身が、体験 して きたか らこそ生
壊 の中か らの希望 といつたテーマの小説が多 く、また、
かせ てい るのだ と思 う。
エラル ドは生 きてい た。長 くは続かなか つ
1920年 代 の好景気 か ら大恐慌 へ とい う時代 に、 フイツツジ
の中は、 いつ も
「文学的成功」 を手に入れ、華や かな生活 を送 つてい た こともあつたが、心
たに しろ、
はかない物質文明 の中に、永遠的 な何か を求めて
充 たさぬ想いが残 つていた。 フ イツツジェラル ドは 、
いたのだ。
「 アメリカン・ ドリーム」の成功者であり
「ギヤツピー1に 象徴 されている。ギヤツピーは、
それは、
生 を通して『本当に欲しかつたもの」は、とうとう
巨大な富を築き上げた。しかし、ギヤツピーが、
手に入らないまま死んでいつた。
が、 ここにも現れ てい るが、それは決 し
「夢」 に破れ、 フイッツジエラル ド特有 の 、姜失感や絶望感
わつてい たように、人生 にお いての夢 の崩
て悲劇的 ばか りとは言えない。 フイツツジエラル ド自身が味
こを原点 としてい るのではないか、 と
ル は
壊 とい うものは大 きな もので あ るが、 フイツツジエラ ド 、そ
思 う。
へ
して「無」 とい う状況にな つたときに
崩壊 と相反する栄光が、始 ま りではな く、栄光 か ら崩壊 、そ
いだたろうか。
そ こか ら始 まる「何 か」 を、表現 したか つたのではな
が、結局 フイツツジ ェラル ドは、街
アメリカ、特 にニ ユー ヨー クとい う街に対 す る郷愁を強 く感 じる
にも、時代 にも同化す る ことはで きなかつた。
「絶 えず過去へ過去へ と運び去 られなが らも、流 れに さか らう
「ギヤツ ピーJの 結末 にある ように、
エラル ドの一生を象徴 してい ると思 う。
船 の ように、力 のか ぎりこ ぎ進 んでい く」 ことが、 フイツツジ
(指 導教員
―-189-―
中村
敦志 )
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