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始まりをつくる旅、地球を知る旅

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始まりをつくる旅、地球を知る旅
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和光大学現代人間学部紀要 第8号(2015年3月)
シンポジウム
主催:和光大学現代人間学部身体環境共生学科
始まりをつくる旅、地球を知る旅
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シンポジウム◎始まりをつくる旅、地球を知る旅
身体環境共生学科主催シンポジウム
「始まりをつくる旅、地球を知る旅」
プログラム概要
開催日時:2014 年 10 月 24 日(金)
16 時 30 分~19 時 30 分
会場:和光大学 J 301 教室
司会:身体環境共生学科教員 小林 正典
16 時 30 分 挨拶と趣旨説明
身体環境共生学科長 上野 隆生
16 時 35 分 講演
「旅が平和をつくり、平和が旅を可能にする」
ピースボートスタッフ 室井 舞花
17 時 20 分 講演
「講師としての乗船体験談」
身体環境共生学科教員 澁谷 利雄
17 時 40 分 講演
「地球を旅してみて」
ピースボートスタッフ 大和田 晶彦
(経済経営学部経営メディア学科卒業生)
18 時 00 分 講演
「地球一周の船旅と私」
身体環境共生学科卒業生 奈良恵理子
18 時 20 分~35 分 休憩
18 時 35 分~19 時 30 分 ディスカッション
19 時 30 分~ 懇親会(A 棟 10 階 第 4 会議室)
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和光大学現代人間学部紀要 第8号(2015年3月)
英文要旨
This symposium focused on intercultural experiences gained by participating in
round-the-world voyages organized by the Peace Boat, one of the best-known pacifist
NGOs in Japan. Our Department focuses on human and environmental well-being, which
we approach experientially and comprehensively. Therefore, the Peace Boat and our
Department share a common concern: how to enhance personal intercultural well-being.
Panelists represented the Peace Boat and our Department and included former students
who took advantage of the round-the-world voyages. All of the panelists discussed how the
voyage provides a unique opportunity to meet and interact with the various peoples and
cultures they encountered. The symposium clearly demonstrated that direct experience is
extremely effective in achieving mutual intercultural understanding. An English proverb
has it that “Experience is good, if not bought too dear.” “Experience is good, even if
bought too dear” is closer to our conclusion.
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シンポジウム◎始まりをつくる旅、地球を知る旅
シンポジウム開催に際して
上野隆生
現代人間学部身体環境共生学科長
身体環境共生学科は、さまざまな「共生」を考える
ことを重視しています。英文表記の学科名称にある
(よい状態で
Well-being(字義通りだと「よくあること」
あること)
、そこから「幸福」
、
「福祉」
、
「健康」といった
意味が辞書を引くと出てきます)から W 学科と略称し
ています。
「よくあること」とは、自分自身の身体と
自身との関係、自身と他者との関係、いわゆる健常者
と障がい者との関係、そして自身とは異なる文化的・
歴史的背景を持つ人々や地域との関係、など対象は空
間軸的にも時間軸的にも広汎に及びます。
今回は、主に自身とは異なる文化的・歴史的背景を
持つ人々や地域との関係における共生を念頭において、
このシンポジウムを企画しました。
ピースボートと W 学科は提携協定を結んでいます。
その協定を前提に、ピースボート主催の「地球一周の
船旅」を組み込んだ「地球を知る」という正規科目を
W 学科では設置しています(提携協定はピースボート
と W 学科との間で結んでいるので、今のところこの授業
は W 学科の学生だけしか受講できません)
。今回のシン
ポジウムでは、ピースボート・スタッフの方々ならび
に「地球一周の船旅」に参加した本学卒業生の方々を
お招きして、具体的な経験談を踏まえて、さまざまな
角度から語っていただけるものと期待しています。
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和光大学現代人間学部紀要 第8号(2015年3月)
旅が平和をつくり、平和が旅を可能にする
室井舞花
ピースボート・スタッフ
ピースボートは国際交流を目的にした「地球一周の船旅」を企画する NGO です。100 日
間あまりで世界を廻る旅を、年に 3 回実施しています。
ピースボートが、飛行機ではなく船で訪れる旅を企画した理由。それは、31 年前の設立
のきっかけにあります。第一回のピースボートクルーズが出航したのは 1983 年のこと。今
では考えられないかもしれませんが、当時は国境を越えること自体が困難な時代でした。
その当時、早稲田大学に通う大学生数名が「世界を自分の目でみたい。現地に暮らす人と
直接言葉を交わしてみたい。
」と言い出したことが、ピースボートの始まりです。
なぜ飛行機ではなく船だったか。
それは、
「そこに借りられる船があったから」と言ってしまえばそれまでですが、実際に
は「飛行機で行くよりも船の方がより多くの人たちと旅をすることができる」というのが
大きな理由でした。最近でも、一人が「こんな旅をしたい。一緒に行く人いませんか?」
とネットで呼びかける、
“この指止まれ”方式の旅が流行っていますね。
ピースボートの旅の特徴は大きく分けると3つあります。
1)さまざまな出会い
船には年代・国籍もさまざまな人たちが乗船します。世代で言えば毎回 10 代~90
代までの幅広い年齢層の方々が乗船します。たとえば大学では、自分と同じくらいの
年齢の人たちが友達になることが多いでしょうが、船では少し年上の社会人経験者や、
すでに定年退職をした年配の方と話をすることができます。日本で暮らしている時の
肩書きやキャリアに関係なく対等な関係を築くことができます。
2)多彩な船内プログラム
船の旅は飛行機に比べて移動時間が長いです。飛行機でシンガポールへ行く場合、
所要時間は 8 時間ほどですが、船では 1 週間くらいかかります。この移動する時間=
生活空間となる船内では、毎日多くのイベント・企画が行われます。英語やスペイン
語などの語学レッスン、フットサルやバスケットボールなどのスポーツ、また夏祭り
や洋上大運動会などの大きなイベントも行われています。このほとんどが、ピースボ
ートスタッフだけではなく、参加者の人たち自身が企画者として運営に関わって作ら
れます。
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シンポジウム◎始まりをつくる旅、地球を知る旅
また、ピースボートの大きな魅力でもある「水先案内人」と呼ばれる洋上講師の
方々による船内講座もあります。水先案内人は、
「先生」ではなく「旅の同航者」のひ
とりとして、日本をはじめ世界各国で活躍する人たちを指します。渋谷先生も水先案
内人のお一人ですが、ほかにも池上彰さんや乙武洋匡さんなどの著名人や、中東を訪
れる際にはベリーダンサーの方に乗っていただいたり、先住民族のリーダーに乗って
いただいたりと、そのジャンルは幅広いです。
もちろん、船内でどのように過ごすかは自由なので、こういったイベントに参加す
る・運営するのも、参加しないのも自分自身で決めることが出来ます。船の旅だから
こそ見ることの出来る景色や海の色もおすすめです。
3)世界中の人と出会う、待っている人がいる旅
地球一周で訪れることができるのは 20 数カ国。そのすべての国で、ピースボートの
到着を待っている人たちがいます。現地の NGO や学生、そしてホームステイなど、
交流を目的にしたプログラムを継続することで、その出会いを途切れることなくつな
げています。
地球一周の寄港地の中には、皆さんが今まで知らなかったような国・地域が入って
いることもあります。同じように、訪れる国の人たちも日本人に出会ったことがない、
という人はたくさんいます。お互いがお互いを知ること、国と国という視点ではなく、
人と人という視点でその地を知ることで、
「世界」というものへのとらえ方が変わるの
ではないかと思います。
もちろん、このほかにも世界の壮大な遺跡や自然の姿を見る機会もあります。想像を超
えるスケールの大きな景色や場所を訪れて、
「地球」という私たちの暮らす環境を広い視野
で考えることが出来るのではないかと思います。
そして、これらの船内や寄港地での体験から生まれた数多くのプロジェクト活動も、ピ
ースボート活動の一環です。カンボジアをはじめとする世界中の地雷廃絶を目的に活動す
る「ピースボート地雷廃絶キャンペーン」
、現地のニーズを聞き、集め・届けるところまで
行う支援物資を届けるプロジェクト、サッカーを通じて国際交流を行うピースボールプロ
ジェクト。他にも様々な地域や課題に取り組むプロジェクト活動があります。
これらのプロジェクト活動が現地に行った若者から始まったように、ピースボートに若
い人が多く参加することを可能にしているのは、ユニークなボランティアスタッフの参加
費割引制度をもっているからです。もともと「お金がない、でも世界を見たい!」という
大学生から始まった団体なので、お金がなくても船に乗るにはどうしたらいいか?を考え
た結果、このボランティアスタッフ制度が生まれました。
これは簡単に言えば、
「地球一周に向けてがんばった人ががんばった分だけ安く旅をする
ことができる」というものです。地球一周の船を出すためには、町中に貼ってあるポスタ
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和光大学現代人間学部紀要 第8号(2015年3月)
ーによる広報活動や事務作業、そしてプロジェクト活動を進めていく人が必要です。それ
らに関わった人がポイントのように船賃を貯めて、自分が船に乗るときに使うことが出来
ます。この割引は 29 歳以下の若者であれば船賃の全額まで貯めることが出来ます。
「でき
ない理由を探すより、できる方法を探す」という発想が、年齢や金銭状況にかかわらず世
界に出ることを可能にしています。
このシンポジウムは「共生」や「多文化共生」
「異文化交流」がテーマですが、ピースボ
ートの旅は、その言葉について考えることよりも先に、知らず知らずに自分がその言葉が
指す状況に身を置いている場面に多く出くわすのではないかと思います。
私は大学 1 年生の時に初めてピースボートに参加しました。
当時、私は色々な国を見てみたいという気持ちでいたものの、海外に暮らす人たちと実
際に顔を合わせて会話をし、遊び、一緒に何かについて議論をするという経験はありませ
んでした。
しかし船に乗ってみると、
「自分と同じこと・違うこと」に国を訪れるごとに出くわしま
した。そして、自分の中に“ガイコク”に対するステレオタイプがたくさん作られていた
ことにも気づきました。暮らす場所や信じているもの、食べているもの、時間の使い方が
違っても、私たちは友達になることができます。一方で、違っていることによって腹を立
てたり、コミュニケーションがうまくいかないこともあります。
以前、南太平洋の島・タヒチの先住民族の男性が水先案内人として乗船した際にこんな
ことがありました。彼の暮らすタヒチ・マオヒ族の文化では、靴を履きません。それは、
土を踏みしめることや海に触れることが地球という大きな家を感じ、大切にする気づきと
なると信じているからです。彼に私たちが、
「あなたはなぜ靴をはかないの?」と聞いたと
き、彼はきまって「じゃあなぜ君は靴を履くんだ?靴を履き、地面から離れた高層ビルや
マンションを造ったから、人は大地の大切さを忘れてしまっているのではないか?」と投
げかけます。
ピースボートに乗っても、海外に行っても彼はほとんど靴を履きません。その彼が船に
乗ってきた際に、いつものように裸足でレストランへ行きました。それを見た参加者の男性
が、
「変な外国人が靴も履かずにレストランにいる。どうにかしろ」と苦情を言いました。
皆さんなら、この時にどのように答えるでしょうか? そしてタヒチの先住民族の男性
と、この苦情を言ってきた男性が同じテーブルで平和的に食事をとるには、どのような話
をしたら良いでしょうか。
ピースボートは「地球で遊ぶ、地球に学ぶ」をキャッチコピーに旅を続けています。海
を渡りながら、さまざまな土地を訪れること、そこで自然や人々と出会うこと、思いっき
り楽しむこと。その実体験が、自分とは何か、世界とは何か、平和とは何かを考えるきっ
かけに繋がっていくのではないかと思います。
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シンポジウム◎始まりをつくる旅、地球を知る旅
講師としての乗船体験
澁谷利雄
現代人間学部身体環境共生学科教員
初めてピースボートに乗ったのは 1995 年でした。かなり古い日本の船で、船底に共同浴
場があって、10 人くらいは入れる湯船で波に揺られながら入浴したのを覚えています。こ
れまでに 9 回乗船したかと思います。とはいっても、3 か月あまりかけて地球を一周する
みなさんと違って、ほとんど毎回 1 週間ほどにすぎません。私の専門がスリランカの文化
研究なので、シンガポールまで飛行機で飛んで、そこから船に乗り込んで、スリランカの
文化、社会についての企画、講演やシンポジウムなどをこなし、コロンボで下船して飛行
機で日本に戻り、翌日には和光大学に来て授業を行うという具合でした。水先案内人とい
うボランティアとして、長期の船旅をする皆さんの応援をする役目です。
長く船に乗っていると体が慣れて船酔いしないとか、あるいは気にならなくなるらしい
のですが、私はいつも短い期間だったせいか、毎回船酔いしていました。でも、プログラ
ムをキャンセルしたことはないし、食事がのどを通らないほどでもありませんでした。
一度だけ日本から乗り込んだことがあります。2003 年 9 月のことです。東京港を出発し、
神戸、台湾のキールン、ベトナムのダナン、シンガポール、インドのチェンナイに寄港し
コロンボで下船しました。約 2 週間でした。ちょうど台風が九州に上陸しそうな時で、乗
り込んだ船は東京港で停泊したまま夜を明かし、翌日に出航しました。九州沖を通過する
ときは激しく揺れて、部屋の中を体と荷物が右往左往していたのを覚えています。
出航して 1 週間ほどすると、語学やダンス、カラオケ、卓球など、いろいろな自主企画
グループが動き出します。掲示板には毎日、呼びかけやミーティングのおしらせが張り出
されます。すでに新聞が発行されており、当日のイベントや講師紹介、次の寄港地の情報
などがのっています。日本では新聞を読まない人も、船ではみんな朝いちばんに新聞を入
手してその日の行動計画を立てます。
乗務員を含めて千人近い人間が限られた空間で肩寄せあって旅をし、生活し、働いてい
ます。限られた燃料、限られた食料と水、限られた設備からなるピースボート村です。移
動する村ですから、毎日、居場所が変化します。運命共同体です。こうした環境とともに、
何か見つけたい、何かつかみたいという志をもって参加している人が多いせいか、ピース
ボート村はハイな雰囲気に包まれています。特に若者たちの活躍が目覚ましいですね。オ
ジサンやオバサンたちも若者たちにあおられて、私も何かやりたい、何かできそうだとい
う気持ちになります。
出港と入港の時はしばらく陸地を眺めていたくなります。東京港を出て陸地が次第に遠
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和光大学現代人間学部紀要 第8号(2015年3月)
ざかっていきます。大海原に出るとトビウオやイルカを目にすることができます。カモメ
が飛んでいると陸が近いことがわかります。山や建物、灯台が次第に大きくなってきます。
やがて桟橋に接岸し停船します。現地の NGO 関係者が手を振って迎えてくれます。まも
なく、イベントへの参加組、各ツアー・グループ、自由行動組などに分かれて順次上陸と
なります。
この 14 日間のピースボートでは、私はそれまでの外国体験とはかなり異なる実感を得ま
した。台湾もベトナムも、シンガポール、インド、スリランカもみんな日本とつながって
いるという実感です。私たちはいつの間にか、地図に描かれている国境線で区切られた世
界を頭に刻んでいるのだと思います。飛行機で行くと、そうしたイメージのままに区切ら
れた別の国にやってきたという感覚になります。船で行くと、区切りのない連綿とした海
の水を眺めながらゆっくりと進みます。鳥や魚は国境線など気にしてないはずです。入国
審査は一括して旅行会社が代行するし、手荷物検査やボディ・チェックもありません。入
国管理官が船のなかに出張してくることもあります。下船外出の際には多くの場合、身分
証のみですみます。
確かに、地球のどこにいてもみなつながっているはずですが、私たちの頭のなかではい
つのまにか国境線で区切られているというイメージになってしまっているようです。たっ
た 14 日間の乗船でしたが、私にとってはとても印象深い体験となりました。日本を出航し
て 3 か月余り各地を巡り、また日本に戻るならば、もっとずっと強く、大きくつながりを
実感できるに違いありません。私はそうしたつながりの実感を大事にしていきたいと考え
ています。
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シンポジウム◎始まりをつくる旅、地球を知る旅
地球を旅してみて
大和田晶彦
ピースボート・スタッフ(経済経営学部メディア学科卒業生)
「自分探しの旅」とは、誰もが耳にする言葉だと思う。特に大学生にでもなれば、
「自転
車で日本一周」や「バックパックでアジアを巡る」なんてざらだろう。そもそも探したい
自分はどこにいるのか。そりゃあ、今ここにいるのが自分だろう。他のどこにもいるはず
がない。
「自分探し」なんて都合のいいことを言って、自分の旅に無理矢理理由をつけたい
だけではないのか? 周囲の人間から旅にでる理由を聞かれて羨望のまなざしを受けたい
が為に。
旅にでる理由はもっともっとシンプルで良い。
世界遺産を見たい、いろんな人に会いたい、知らないことを知りたい……。
「何となく、地球一周をしたい。」
誰だって、最初のきっかけなんて単純で、大概の理由は後からいくらでもくっつけられ
る。自分自身、学生時代に初めて東南アジアへ出かけていって、海外の魅力に取り憑かれ
た。和光大学に入学するまで日本国内すら廻ったことがない自分にとって、言語も、文化
も、伝統も違う人に会うことがとても楽しかった。そんな興奮や感動を一度体が覚えてし
まった以上、海外に繰り出さないわけにはいかなくなった。
しかし、そこは現実。海外に行くには時間とお金がかかる。お金を稼ぐのには働かなけ
れば行けない。働くということは安定した職に就かなければならない。職に就いたら時間
ができない。そういってあーだこーだ言っているうちに年を重ね、次第に行けない理由を
次々と見つけてきては、さも“海外に行きたいのにいけないのは仕事のせいです”なんて
言ったりする始末。自分を正当化したいが為に仕事に責任をなすりつける。結局、自分が
傷つきたくないのである。
「地球一周」と聞くととても大がかりで手の届かない所にある、いわゆる「お金持ち」が行
くことのできる特別なようなことに感じてしまう。確かに、自力で計画を立てるのならば
よっぽどの根気が無ければ不可能に近いだろう。ただ、ピースボートは違った。
初めての海外、地球一周の旅であればこれほど適した手段は世界中どこを探しても類を
見ない。町中で良く見かけるピースボートのポスター。これを貼れば参加費が割引になる
のだ。自分が希望したクルーズが出航するその日に、29 歳未満であれば最大全額分、割引
が適用される。言うなればタダ同然で地球一周ができる。
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和光大学現代人間学部紀要 第8号(2015年3月)
完全にタダではないのはオプションのツアー参加費やおみやげ代、BAR での飲食代など
別途かかってしまうので、そこは自分のさじ加減次第だが。
私はこの制度を利用し、129 万円分、約 4000 枚のポスターを貼って参加費を割り引いた。
余談だが、出航当日の預金残高は 300 円だった。
港に見送りに来た両親には呆れられた。元々自力で何とかするなら背中を押してくれる
両親なので、船賃全額分の割引を貯めたと話すと船旅への参加を快く認めてくれた。二つ
目の寄港地のシンガポールでメールが入り、「少しだけ餞別を入金したから、自由に使え」
と言う内容で、日本から約 5000km離れた土地で実家の方を向いてありがとうと叫んだのは
ここだけの話である。
船はアジアを抜け、インド洋からスエズ運河を渡り、地中海を横断、西ヨーロッパから
北欧へ舵を取り、北極圏にも面しているアイスランドへ。大西洋を南下して中南米の国々
を訪れ、パナマ運河を一日かけて渡り、いよいよ太平洋へ戻ってきた。アメリカ大陸西海
岸を経由し、はるばる太平洋を横断して日本へ。
102 日間の航海は、忘れられない記憶となった。
たった 3 か月ばかりでは横浜の景色は全く変わっておらず、壮大な夢を見ていたのでは
ないかという錯覚さえ覚えた。しかし、周りにはかけがえのない仲間がいて、持っていた
ノートパソコンには旅先での記録が残っている。何より、日本に帰ってきてからの何気な
い日常生活の中に旅先で見て、聞いて、学んだ事が時折顔をのぞかせる。
エジプトのピラミッド、抜けるほど青い空と白い壁が強く印象に残るギリシャのミコノ
ス島、見るものを圧倒するスペインのサグラダファミリア、自然が作り出した芸術、ノル
ウェーのフィヨルド。
数々の世界遺産もそうだが、各地で出会う人々の笑顔もとても印象に残っている。スリ
ランカで日本語を学ぶ学生と交流したが、現在も facebook で繋がっている。ベネズエラで
貧困と闘っている、スラムに住む子どもたちはみんなまぶしいくらいに笑顔がはじけてい
た。ニカラグアで一緒に野球をした若者たちと交換したユニフォームは今でも部屋に飾っ
てあり、見る度に白熱したプレーを思い出す。
この話を聞いて、1 %でもワクワクしたら、一度、地球一周に挑戦してみると良い。お金
が無いから……。なんて、お金の問題はナントでもなる。そのうち、仕事を始めたら時間
がとれなくなって、ようやく時間ができたときは見事に還暦を過ぎている。体力も落ち込
み、「若いうちに行けば良かった」と後悔するのである。
体力も、時間もある今、地球に飛び出そう。同じ地球一周の経験でも、10 代、20 代です
るのと 60 代、70 代でするのでは全く違った意味を持ってくる。
一生ものの仲間が、待っている。
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シンポジウム◎始まりをつくる旅、地球を知る旅
地球一周の船旅と私
奈良恵梨子
現代人間学部身体環境共生学科卒業生
ピースボートに参加した目的と船について
大学 4 年という大事な時期にピースボートに乗船するという決意をするにあたっては、
さほど時間はかかりませんでした。当時の私はただ時間がなく、毎日が風のように過ぎ去
っていました。将来のことをゆっくり考える時間もなく、ただ時間がほしかったというだ
けだったのかもしれません。
和光大学でも初めての試みだったためもちろん不安もありましたが、とにかく今の生活
から抜け出して残り僅かの学生生活、自分自身とじっくり向き合いたいと思い、この企画
のことを聞くとすぐに参加することを決めました。私の場合、アルバイトをかなりしてい
たため、乗船のためのお金はそれなりに貯まっていたとも言えます。それでポスター貼り
などのポイント蓄積も考えず、事前にピースボート事務局などを積極的に訪ねることもあ
りませんでした。ピースボートのこともあまり知らないままに乗船したと言った方がよい
かもしれません。
ピースボートの船には、1000 人近くの老若男女が乗船しています。私は実際に乗船する
までは大きな学校のようなものを連想していたので驚きました。それはまるで大きな村が
海を旅しているような感覚です。
船に乗っている時間はとても長いのですが、日によって違う船内スケジュールというも
のがあって映画鑑賞ができるスペースやバーラウンジ、スポーツができる場所もあるので
退屈せず毎日過ごせました。生活をする部屋には机もあるので私は一日の多くをそこで卒
業論文に取り組んでいました。
私が乗船するにあたって、予め原則として決めていたことが二つありました。一つは、
一人で行動すること、もう一つはできるだけ冒険をすること、というものでした。この原
則に従って行動し、寄港先でも貴重な経験を(後から考えると少し危ないと思われるような経
験も)することができました。
印象に残っている国とエピソード
・エジプト
エジプトは本当に貧富の差を目の当たりにし、一番衝撃を受けた国です。とにかく街が
汚く、川の上流からはロバの死体がいくつも流れてきました。大きなゴミのかたまりが道
に転がっているのは当たり前で空気も乾燥し、とにかく悪臭でした。
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和光大学現代人間学部紀要 第8号(2015年3月)
エジプトといえばアラブの商人。言葉巧みに英語や日本語を交えて観光客から強引にお
金をとろうとする場面も何度か目撃しました。
三大ピラミッドをゆっくりみた後は、暑さにやられてのんびりルクソールの街を散策し
ていました。そこで目にしたのは異様な光景でした。いかにもお金を持っていそうな商人
の隣で今にも死にそうな人たちがたくさん倒れていたのです。寝返りをうつこともなくジ
ッと横たわっている、死人同然の人たちのすぐとなりで金持ちが商売をしている景色は本
当に衝撃的でした。
私は何を思ったのか、この死人当然のような人たちと同じ景色を見たいと思い、彼らと
少し距離を置いたところに寝そべってみました。砂の中に手を突っ込んでホッペを地面に
押し付けて初めて気付きました。ひんやりしている砂が肌に吸い付いて気持ちがいいので
す。
灼熱のエジプトにこんなに涼しい場所が足元にあったのかと感心しました。中には本当
に死にそうになっている人たちももちろんいるのだろうと思います。しかし私がそこで目
にした、横たわっている男性は気持ちよく眠っているだけでした。
物売りの少年少女たちが親や雇い主と思われる大人に殴られ、ムチのようなもので叩か
れているのを何度も目撃しました。歩道のサイドには物乞いをする人たちが並んでいまし
た。ピラミッドの周りで観光客に演技をして感情を沸かせ、嘘をつき、財布やデジカメや
iPhone を盗む。そういう場面も珍しくはありません。痩せ細った老人がもの凄い力でつか
んできたりします。
これが現実なのだ、と容赦なく突きつけられた思いです。知らない世界を知ることがで
きたという面では、本当に行ってよかったと思います。しかしそれと同時に、正直なとこ
ろ、二度と行きたくないとも思った衝撃的な国でもありました。
・トルコ
トルコでも貴重な体験をしました。トルコのクシャダスというところは観光地でありド
ルもユーロも使えました。
トルコの商売の仕方は上手で、日本人の特徴をとてもうまくつかんでいるようでした。
流暢な日本語で「落ちたよ!」なんて言われたらまんまと振り向いてしまう。これが商売
か、と感心しました。
明るくきれいな土地ではあったのですが、一歩裏路地にはいると、ぼったくりバーもた
くさんあり、平均 5 ドルのビールが最高 80 ドルまで請求されました。
昼間に海辺でのんびり過ごしていると、若い女性が話しかけてきました。彼女は「レモ
ネードのむ?」と聞いてきたのです。暑さもあって私は軽快に「イエス!」と答えると 15
分も歩かされた上にお店ではなく自宅に連れて行かれました。
彼女はやたらボディタッチが多く、私の髪の毛のにおいをかいだり、私に彼女の髪の毛
のにおいをかがせたり何かがおかしかったのです。レモネードもなかなか出てきません。
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シンポジウム◎始まりをつくる旅、地球を知る旅
彼女は服を脱ぎ始め、その異変に気付いた私はひたすら「NO!NO!」と言うと、突然
彼女は不機嫌になり家を追い出されました。
見知らぬ国の見知らぬ土地を迷いながら 30 分ほどかけて元いた海辺に戻って来ることが
できました。そんな経験も日本じゃなかなかできなかったとポジティブに考えることにし
たのですが、下手したら命がなかったかもしれません。
帰国直後と現在
自然とシャワーの時間が短くなり、一日くらいお風呂にはいらなくても気にしなくなり
ました。金銭的なことでも物欲というものがなくなり、自分が見てきた景色や各国の現実
と日本の平和を比べて、そのギャップについていけなくなることもありました。
日本人として生まれ、日本で生きている私には平和な日常がありふれています。その中
で自分がこの目で見て感じ取ったものを私なりに多くの人に伝えています。
私は去年もタイ、ラオス、台湾、NYと旅を重ねています。今しかない時間と体力を決
して無駄にしたくはありません。
ひとりで考えて行動することも素晴らしいと思いますが、さらにそれらを他者に発信し
てつなげることで、何かを変えるきっかけにつながっていくと信じています。
みなさんにも今ある時間と行動力で知らない世界を感じ取って未来の自分につなげ、た
くさんの人に発信していただきたいです。少しでも世界を知りたいと思っていたら、その
興味を無駄にしないで欲しいです。
私にとってピースボートの旅の思い出は、今でも向上心と冒険心を掻き立ててくれます。
いつまでもピースボートでの経験は私の生き方を支えてくれることでしょう。
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和光大学現代人間学部紀要 第8号(2015年3月)
─── ディスカッションと質疑応答
Q
:多くの一般旅行会社も各種の企画を提供している現在、船の旅を企画・運営すると
いうのはなかなか大変なことが多いのではないかと思われます。催行に当たってと
くにご苦労されているようなことがあれば、それは具体的にどういう点なのかをお
伺いしたいと思います。
A :ピースボートは 30 年ほど前に学生たちが立ち上げた組織です。そもそものきっかけ
は、アジアの国や地域に実際に行ってみようということからスタートしました。最
初は船を借りてくること自体が大変でした。1990 年代に入って「地球一周の船旅」
を始めました。現在では世界一周を船旅でというのは多くの旅行会社でも企画され
ていますが、その当時、ピースボートによるこの企画が日本における世界一周航海
の嚆矢でした。現在ピースボートでは、チャーター船で年に 3 回「地球一周の船旅」
を実施しています。携わっている私たちにとっては、苦労というよりも、企画する
段階から関わることができて、大変面白いといった方が偽らざる感覚です。
A :ピースボートのスタッフは現在約 200 人いますが、一回の船旅の参加者は約 1000 人
です。200 名のスタッフで 1000 人乗船する航海を年に 3 回実施するというのは確か
に大変ではあります。ただ、自分たちが主役で船を出せるので、誰かのためである
とか、営利目的で利益を上げなければいけないということで実施している訳ではあ
りません。いわばノルマや(アルバイトで言う)シフトなどがない活動で、私たちが
自主的に船を出し続けること自体がテーマの一つになっているといってもよいかも
しれません。
Q
:参加者はさまざまだということは先ほどのお話しでよくわかりました。そのような
多種多様な参加者が乗船している船内の模様は、どのようなものですか。
262
シンポジウム◎始まりをつくる旅、地球を知る旅
A
:私が乗船した場合についてお話しします。先ほど事前にポスター貼りなどでポイン
トを貯めて船賃の割引を図るという話がありましたが、私はそういうことをしませ
んでした。このような企画があると聞いて、それでは参加しようと思いたって参加
しました。いわばいきなり乗船した恰好でした。すると、多くの参加者の方々がす
でに「仲間」になっているようでした。そのため、他の参加者の方々どうしは知っ
ている事柄を前提に会話が進んでいたりして、最初のうちはいったいどこから話に
入ったらよいのかがよくわからず、少なからず戸惑いもしました。
「協調性がない」
と思われたのではないでしょうか。ただ、敢えて言えばよい意味で参加者は「変わ
っている」人たちの集まりです。時間が経つにつれて会話も弾むようになり、いろ
いろな考え方をするいろいろな人に出会ういいチャンスとなりました。その結果、
以前にもまして、多様な生き方を是認し共有できるようになったと私自身は思いま
す。
A
:船内ではボランティアのスタッフがすべてを行います。ですからその気になれば、
船内イベントも自由に企画できるのです。公共スペースは文字通りパブリックな場
となり、大変面白い時間を過ごせます。巷間東京都へのカジノ誘致などが取りざた
されていますが、
「地球一周の船旅」の船内は、そのようなものは不要な娯楽の時間
といえるでしょう。
Q
:乗船した経験で、自分自身で変わったと思えることなどがあれば、紹介してくださ
い。
A
:明確にいつから何が変わったということは言えないのですが、変わるタイミングと
いうのは自然発生的にやってくるのではないでしょうか。
「地球一周の船旅」はいわ
ば洋上のフリー・スクールです。どういう意味かと言えば、船内では私のことを否
定する人は誰もいませんでした。同時にお互いにお互いを否定することもありませ
んでした。私にとっては、自分のことを否定する人がいない、というのは大きなこ
とでした。
A
:ご質問のお答えとしては少しずれてしまうかもしれませんが、船内ではいろいろな
世代間企画も実施しています。それらを含めて、さまざまな共同体験をする、とい
うこと自体が大きな意味を持っているのではないでしょうか。肩書きなどは取り去
り、お互いに自由に一人の人間として対等な立場で考えを語り合う場になっている
のが「地球一周の船旅」の船内だと思います。
Q :3 か月という期間は長いように思われる一方、訪れる国や地域を考えるとそれぞれの
国や地域に滞在する時間は案外短いのではないでしょうか。そうだとすれば、
「地球
一周の船旅」のメリットはどこにあるのでしょうか。
A
:敢えて一言で言えば、多様な文化を一気に知ることができる、ということだと思い
263
和光大学現代人間学部紀要 第8号(2015年3月)
ます。この船旅でまず一度訪れてから、その後で、ご自分が気になったり、気に入
った国や地域をじっくり訪ねるということができると思います。
Q :割引制度について詳しく知りたいので、教えてください。
。
A
:先ほどもお話ししましたように、29 歳未満であれば最大全額分の割引が可能となる
制度があります。
「地球一周の船旅」のポスターを貼ることでポイントが貯まります。
このポイントは船賃にのみ使用でき、船賃全額分のポイントを貯めて乗船する方も
います。実は私もその一人でした。私の場合、おおよそ 3 か月くらいで貯めること
ができました。このようにポイントを貯めて「船賃全額をクリアした」ことから
「全クリ」とピースボートでは呼んでいます。もっとも、ポスター貼りといってもそ
の辺に勝手に貼るのではなく、飲食店などの店舗をいわば飛び込み営業的に訪れ、
ポスターを貼ることをお願いし、了承を得られると貼る、というものです。
「全ク
リ」を達成した私も、実は最初のうちはなかなか多くの枚数を貼れませんでした。
ですが、次第次第に増えていき、多い時だと一日で 100 枚貼ったこともあります。
ポスター貼りは一種の広報活動です。単に一枚貼るだけなら、自分の部屋に貼って
も一枚でしょうが、そのポスターを見るのは自分だけで、広報的な価値は限りなく
ゼロと言えます。そのため、飲食店や店舗など、不特定多数の人の目につくところ
に貼る活動が大切です。私の場合について言えば、
「地球一周の船旅」に参加しよう
と思ったきっかけは、たまたま入った居酒屋のトイレに貼ってあったポスターを見
たことでした。
Q :
「全クリ」達成者は、どれくらいの割合でいるのですか。
A
:ポイントを貯めようと始めた者のうち、概ね 10~15%といったところでしょう。半
額まで達成した者だとかなり多くなりますが。
「地球一周の船旅」は 1990 年代に入ってから)とのことでしたが、時
Q :30 年前に始めた(
代によって参加者に変化はあるのでしょうか。
A :それはないように思います。
Q :「学校」や「洋上大学」という表現が出てきましたが、どのような点でそういえるの
でしょうか。
A :自分たちで作る自主的な企画が多いことが挙げられます。
「学校」といっても、既存
の学校とは異なっていて、いわば、船の旅自体が活きた平和学習の場ともなってい
ます。
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