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シロイユキ第1話 「それは白い雪の花のように」(雨音視点)
シロイユキ第1話 「それは白い雪の花のように」(雨音視点) 1.イタリアでの死闘の最中に 目覚まし時計の大音量のベルが鳴り響き、雨音は大きなあくびをしながら目を覚ました。 時計を見ると、まだ朝の5時・・・朝陽の光が東の空から僅かに出ているものの、外は夜の薄暗さ が未だに残っている。 雨音の朝は早い。ファルソック青城支部が朝7時から始業なので、それまでに完璧に身体が目 覚めている状態にする為と、録画した深夜アニメを朝から観るために、仕事がある日は5時に起き るようにしているのだ。 カーテンを開けると新聞配達の男性が自転車を走らせながら、自宅のポストの中に今日の朝刊 を投函していた。 まだ寝ている人も多いのだろう。外は人が少なく、未だに夜の静けさに包まれている。 「・・・う・・・ん・・・ふぁ・・・」 ファルソックの制服に身を包み、ネクタイを締めている雨音の傍らで、雪音もまた目を擦らせなが ら目を覚ました。 雨音の温もりが残る布団を、雨音の残滓を感じ取るかのように、雪音はぎゅっと抱き締める。 同じベッドの上に、枕が2つ・・・雨音と雪音は毎日一緒に添い寝しているのだ。 「おはよう、お姉ちゃん。」 「雨音ちゃん、おはよう。今から朝ご飯を作るから、ちょっと待っててね。」 「うん。」 雪音もまたベッドから身を起こし、私服姿に着替える。 そして2人で一緒に台所に行くと、既に春奈がエプロンを身に着け、朝食の準備に取り掛かろう としていた。 おはよう~と互いに朝の挨拶を交わした後、雪音もまたエプロンを身に着け、春奈の手伝いに取 り掛かる。 雪音と春奈が朝食を作っている間に、雨音は机の上に置かれた新聞を広げた。 新聞のスポーツ面には、イタリアで開催されているフェンシングの世界選手権大会の記事が掲 載されている。 男子の部は日本時間の2日前の夜に終了しており、フルーレ、エペ、サーブル共に日本人選手 は全員1回戦負けの惨敗を喫している。 今日の新聞では時差の関係からか途中結果しか掲載されていないが、女子のフルーレ部門も 日本人選手は2人共、2回戦で姿を消したようだ。 残るは遥が出場する女子サーブル部門と、美羽と宏美が出場する女子エペ部門のみ・・・予定 では日本時間の今日の夜11時頃に、全日程が終了する事になっている。 その世界選手権大会・・・雨音は女子サーブル部門の出場選手として内定していたが、出場を 辞退した。 大学時代に強姦の被害に遭い、今も一生消えない心の傷を深く残す、雪音の面倒を見る為に。 その時の精神的ショックにより廃人状態になってしまい、今は何とか無事に廃人状態からは回復 したものの、それでも雪音は極度の男性恐怖症に陥ってしまい、今も就職活動はおろか満足に外 を出歩く事すら出来ず、社会復帰は困難を極めている。 男性に触れただけで発狂し、声を聞いたり姿を見ただけでも恐怖で震えてしまうのだ。なので雪 音の父親は、近くのマンションに単身赴任する羽目になってしまった。 FJE(日本フェンシング協会)は雪音の面倒を精神病院に任せる事を雨音と春奈に提案し、世界 選手権への出場を雨音に懇願したのだが、雨音は頑なに姉の傍にいる事を譲らなかった。 ようやく廃人状態から回復した今こそが、とても大事な時期だからと。 「は~い、朝ごはんが出来たわよ~。」 春奈に呼びかけられて、雨音はハッと我に返った。 雪音が春奈と共に作った朝食が、テーブルにズラリと並ぶ。 今日の朝食はオムライスとベーコンサラダ、コンソメスープだ。 ふわふわの卵焼きのほんのりとした甘さと、卵焼きに包まれたドライカレーのピリ辛が、雨音の口 の中で絶妙なハーモニーを奏でる。 ベーコンサラダも肉と野菜の旨みが絶妙にマッチしており、とても美味だ。 その雨音への愛情が込められた美味しい朝食を食べながら、雨音はハードディスクに録画した 深夜アニメを家族と一緒に鑑賞していた。 アニメの中には沢山の男性キャラが登場するのだが、雪音曰く『テレビの中の人は私を襲うわけ じゃないから、何とか大丈夫』らしい。 昔はアニメの男性声優の声を聞いただけで恐怖のあまり発狂していたので、雨音はヘッドホンを 着けてアニメを鑑賞していた物なのだが。 それが今では、テレビの声なら何とか大丈夫というレベルにまで回復している。 少しずつ・・・本当に少しずつだが、雪音は男性恐怖症を克服しつつあるのだ。 「それじゃあお母さん、お姉ちゃん。行ってきます。」 朝6時40分・・・雨音は鞘に収められたセラフィムを腰にぶら下げ、玄関から外に出た。 そして荷物が詰められた鞄をカゴの中に入れ、購入したばかりの真新しい変速機付きの自転車 にまたがる。 ここからファルソック青城支部の事務所までは、自転車で10分程度で行ける程の距離だ。 今日も快晴・・・清々しい太陽の光が雨音を優しく包み込む。 「行ってらっしゃい。雨音ちゃん。」 「車に気を付けてね。」 春奈と雪音に見送られながら、雨音はとても気持ち良さそうに自転車を軽快に走らせた。 ある程度のスピードに乗ってからギアを最大にし、全身に心地良い風を存分に感じながらペダル を漕ぐ。 青城女学院に通っていた頃から8年近く使っていた自転車がもうボロボロだったので、店員に勧 められて新しい機種に買い換えたのだが、暗くなるとヘッドライトとバックライトが自動で点灯したり とか、鍵穴がピッキング不可能な代物になっていたりとか、転倒防止の為にハンドルが動かないよ うにロック出来たりとか、ここ最近の自転車の性能の向上ぶりには雨音も本当に驚かされた物だ。 やはり自転車はいい。車と違って維持費が大して掛からないし、その身に心地良い風を存分に 感じる事が出来るし、走らせる事自体が運動にもなる。 以前車を購入した梢子が、ガソリン代や税金が高くて大変だとか、車検も通さないといけないと か、雨音は自転車だからそういう悩みとは無縁よね~とか愚痴をこぼしていたのだが。 「おはようございます。社長。」 「おはよう新堂君。今日もいい天気だね。」 10分程でファルソック青城支部に到着し、出勤してきたばかりの社長に挨拶をして、自転車を駐 車場に置いて鍵を掛ける。 駐車場にズラリと並ぶ、他の社員の車・・・遥は徒歩、百子は電車で通勤しており、青城支部で自 転車通勤をしているのは雨音だけだ。 そして7時になってから社員全員が会議室に集まって朝のミーティングを行い、今日の予定と注 意事項を確認して、それぞれの持ち場へと散っていく。 同じ青城支部で働く遥は、イタリアで開催されているフェンシングの世界選手権大会に参加して いるので、あと数日は欠勤する事になっている。 その世界選手権大会への出場を辞退した雨音を、白い目で見る上層部も何人かいた。 世界選手権大会で活躍すれば、会社の名前がテレビやインターネットで連呼される事になるし、 新聞にも記事がでかでかと掲載される。テレビのCMや番組への出演依頼だって増えるだろう。そ うなれば経済効果は数十億単位だ。企業として決して馬鹿に出来る数字では無い。 だがそれでも雨音は、自分の決断を少しも後悔などしていなかった。 世界選手権大会で活躍して富と名声を得るよりも、何とか廃人状態から脱して今が大事な時期 である姉の傍にいる事の方が、余程大事なのだから。 男性恐怖症で外を出歩けない雪音は、現在は春奈の家事を手伝いながら内職をこなす日々を 送っている。 雨音や単身赴任をしている父親の稼ぎに比べると遥かに劣る金額だが、それでも必死に新堂家 に収入をもたらそうと頑張っているのだ。 家族に迷惑をかけまいと、不器用ながらも必死に社会復帰を目指そうとしている雪音・・・そんな 雪音を妹の雨音が傍にいて支えてあげないといけないのだ。 「それじゃあアタシも、青城女学院の警護に行くとしますか。」 「行ってらっしゃい、百子ちゃん。今日は射撃の訓練があるから忘れちゃ駄目だよ。」 「了解であります。雨音っち。」 雨音にビシィッ!!と敬礼をし、腰に鬼払いをぶら下げた百子が笑顔で青城女学院へと向かっ ていく。 それを見届けた雨音もまた、穏やかな笑顔で青城女子大学へと歩いていったのだった。 2.穏やかな訓練の一時 パン!!パン!!パン!! 午後3時・・・ファルソック青城支部の訓練施設において、百子の隣で雨音がゴーグルを着けて、 とても真剣な表情で拳銃を発砲していた。 雨音が引き金を引く度に、拳銃の乾いた発砲音が室内に何度も響き渡る。 その度に雨音の遥か前方に設置されている円形の的の中心部に、次々と硬質ゴム弾が命中し ていった。 的の中心部以外には、弾丸が当たったような痕跡が全く見当たらない。 つまり雨音は、それだけ優れた命中精度で拳銃を扱っている事になるわけだ。 雨音は高校時代のフェンシングの大会で美羽と戦い、3年生の時に梢子と同じクラスになり、さら にファルソックに入社して遥と知り合ってからというもの、この3人と比べて身体的な劣等感を抱くよ うになっていた。 百子と同じ位身長が低くて小柄な雨音では、梢子や遥のような剛剣を繰り出しても、その威力を 最大限に活かす事が出来ない。かと言ってエミリーのように、柔剣と剛剣を両方使いこなすといっ た器用な真似も出来ない。 小柄な自分でも大柄な相手と戦えるように、根方クロウ流と同質の後手必殺の拳法・鏡心流拳法 の極意を全て極め、それを見事にフェンシングと融合させる事に成功し、実際にフェンシングの世 界選手権大会でエミリーと遥を倒して金メダルも獲得したのだが、それでも警備員としての戦いの 中で、雨音は自分の戦い方に次第に限界を感じるようになっていた。 後手必殺は、相手に先に攻めさせなければ効力を発揮しない・・・凶悪犯に捕らえられた力無き 人々を助けなければならないような、1分1秒を争うような状況には全く向いていないのだ。 そんな雨音が着目したのが、拳銃・・・これなら剣と違って身体能力に関係無く一定のダメージを 与えられるし、腕次第では遠くにいる凶悪犯にも一方的に攻撃が出来る。 剣の修行も決して怠ったつもりは無いし、千羽妙見流の技も幾つか覚えたのだが、それでも雨音 は遥や美羽にも負けない自分だけの持ち味を作ろうと、射撃の訓練を徹底的に行ったのだ。 身長が低くて小柄な自分でも、銃を極めれば警備員として充分やっていけるだろうと。 元々銃の素質があった為なのか雨音はメキメキと頭角を現し、去年行われた射撃の全国大会に 出場し、見事に準優勝を果たすまでになった。 お陰で関係者からの熱い注目を浴びてしまい、次回のオリンピックではフェンシングではなく射 撃の部門に出場しないかという無茶な誘いまで受けた程だ。 「・・・ふうっ。」 弾丸を全て使い切った雨音は溜め息をついてゴーグルを外し、目の前の的を神妙な表情で見 つめていた。 マガジンに装填された18発中18発が、全て中心部に命中・・・その雨音の優れた拳銃の腕を目 の当たりにして、百子は心の底から雨音が凄いと思った。 百子も対抗意識を燃やして拳銃を発砲し、放たれた弾丸が次々と的の中心部に命中する。 「も、百子ちゃん、どこ狙ってるの・・・」 ただし、隣にある雨音の的にだが・・・。 百子の目の前の的には、中心部どころか当たった痕跡自体が全く残されていなかった。 その百子の相変わらずのノーコンぶりに、雨音は思わず苦笑いしてしまう。 「ああもう、何で雨音っちみたいに上手く当たらないのかな~。」 「もう、肩に力が入り過ぎなんだよ、百子ちゃん。」 雨音が穏やかな笑顔で百子に寄り添い、百子の問題だらけの拳銃の構え方を手取り足取り修正 していく。 自分に密着する雨音の温もりと胸の柔らかさ、そして雨音の身体からほのかに溢れる淡い香りに、 百子は一瞬ドキッとしてしまった。 「それと肘も膝も伸ばし過ぎだし、左手は添えるだけでいいから。百子ちゃんは銃を撃った時の 反動を意識し過ぎて、肘も膝も無意識の内にビンビンに伸び過ぎちゃってるんだよ。」 「こ・・・こうかな?」 「うん。肘と膝の力を抜いて、そうやって軽く曲げる位が丁度いいの。そうそう、そんな感じ。その 状態でもう一度撃ってみて。」 膝を軽く曲げるのは膝に柔軟性を持たせることで、上半身を自由に左右に回転させたり傾いたり といった姿勢がすぐに取れるからだ。 そして軽く肘の力を抜いて少し曲げる事で、胸を底辺にした三角形の頂点に拳銃を握っている 位置関係になる。この状態が拳銃を撃つのに最も適した姿勢だと言われているのだ。 これは拳銃を扱う際の、基本中の基本・・・だが百子は発砲する際の反動に気を取られ過ぎて、 無意識の内に肘と膝に力が入り過ぎてしまっていたようだ。 雨音に身体を密着されながら、百子は再び拳銃のトリガーを引く。 放たれた弾丸は辛うじて的に命中したが、それでも的の端の方だ。これでは実戦レベルでは到 底使い物にならないだろう。 「う~ん、百子ちゃんのエイミング(照準合わせ)の仕方に問題があるのかなぁ・・・」 雨音の矯正を受けて、百子の銃を撃つ姿勢自体に問題は無いのだが。 自分に密着する雨音の胸の柔らかさと匂いにドキドキしてしまい、手元が狂ってしまったというの は雨音には内緒だ。 「おい新堂、秋田。そろそろ訓練の時間が終わりだぞ。」 「・・・あ、古木さん。もうそんな時間ですか?」 雨音が古木と呼んだ、防弾チョッキに身を包んだ屈強な中年の男性が、雨音と百子の元にやっ てきた。 壁に掛けてある時計を見た雨音と百子は慌ててゴーグルを着けて、床に転がっている硬質ゴム 弾を拾ってマガジンに再装填した。 硬質ゴム弾はエアガンで使われるBB弾と同じで、撃ち終わった後に何度でも再利用が出来ると いう利点がある。 ゴーグルを着けて弾丸を拾うのは、誰かが誤って銃を発砲した際に、弾丸が目に直撃する事故 を防ぐ為だ。 身体のどこかに当たるなら痛いで済まされるが、もし目に当たるような事態になれば、最悪失明 する事にもなりかねない。 「新堂。お前はこれから予定通り、俺と一緒に銀行への現金輸送の任務に当たってくれ。」 「あ、はい。分かりました。」 雨音は弾丸をマガジンに再装填した拳銃をホルダーにしまい、防弾チョッキを身にまとう。 そして雨音のベルトには鞘に収められたセラフィムだけでなく、ファルソックの開発部が雨音と汐 音の為に開発した、最新鋭の装備であるリフレクビットが。 8つの小さな盾の形状をした防御用の装備で、空中を舞って全方位オールレンジで敵の攻撃か ら自らの身を守ったり、襲われている者に向かって飛ばして助けたり出来るのだ。また取っ手もつ いているので、直接手に取って盾として使う事も出来る。 ビットの制御は雨音か汐音、表に出ていない方の人格が脳波を使って行うので、表に出ている 方の人格がビットの制御に気を削がれる心配は無い。 「リフレクビットも使うの?雨音っち。」 「やっぱり現金輸送の任務には、常に危険が付き物だからね。」 百子にそう告げた雨音は、鞄から包み紙を取り出して百子に差し出した。 包み紙の中に入っているのは、使い捨ての容器に入れられたおにぎりとおかず、割り箸・・・そし て弁当が痛む事を防ぐ為に、たっぷり冷えた保冷剤も入っている。 つい先程まで冷蔵庫の中に保管してあったのだろう。百子が受け取った包み紙には、ひんやりと 冷たさが残っていた。 大学卒業後に教師になり、青城女学院に赴任する事になった桂・・・今日はその桂が宿直で青 城女学院に泊り込むので、雨音が昼休みに大学の調理室を借りて、桂の為に夜食を作ったのだ。 「百子ちゃんは、今から青城女学院に戻るんだよね?だったらこれ、桂ちゃんに渡しておいても らえる?」 「もしかしてこれ、はと先輩の夜食?」 「うん。軽めのメニューにしておいたから夜食にして貰えるといいかなって。」 「了解であります。雨音っち。」 雨音にビシイッ!!と敬礼をして、百子は笑顔で訓練施設を去って行った。 それを見届けた雨音もまた、決意に満ちた表情で古木の後を追いかけたのだった。 3.緊迫の現金輸送 雨音が先程百子に語っていたように、現金輸送は常に危険が伴う任務だ。 一度に数百万、数千万・・・場合によっては億単位の現金を運搬する都合上、それを目当てに強 盗を企てる者が後を絶たないからだ。 ついこの間も現金輸送の任務にあたっていた遥が、外国人の強盗たちと派手な銃撃戦を繰り広 げ、この事件が新聞の社会面にでかでかと掲載されていた物だ。 それ故に現金輸送に使われる運搬車は、他の車と違ってガラスやタイヤが防弾仕様になってお り、現金を収納する荷台も簡単には壊せない強度であり、さらに指紋認証をクリアした上で、ピッキ ングが不可能な特殊な鍵を解錠しなければ開ける事が出来ないという二重ロック方式だ。 また現金輸送の任務を遂行する警備員たちも常に2人1組で行動し、さらに防弾チョッキやヘル メットに身を包むなどのフル装備だ。 全国的に事件の凶悪化、残虐化が急激に進んでいる情勢を受け、警備会社の大手・ファルソッ クとテコムは10年近く前から、一般の民間警備業者には認められていない拳銃の使用を、国に無 理矢理認めさせるに至った。 税関の厳しい監視をあざ笑うかのように、拳銃などの凶悪な武器がブローカーを通じて外国から 次々と大量に密輸され、もはや凶悪犯罪者が拳銃を使うのは当たり前となっており、それに対抗 するにはこちらも拳銃を使って対抗するしかない、そうしなければ力無き人々だけでなく隊員の命 さえも守れないと主張したのだ。 このファルソックやテコムの主張は国会でも極端な賛否両論が分かれて大激論となり、新聞や ニュースでも大々的に取り上げられた。 それでも実弾は決して使用せず、ペイント弾やゴム弾などの殺傷能力の無い弾しか使わない事、 拳銃や弾の管理を厳格に行い在庫管理を徹底する事、使用する事態になった際は使用するに 至った経緯や状況などの詳細を、レポートに書いて国に提出するなどの厳しい条件を付けた上で、 何とか辛うじて認められる事になった。 だがそれでも未だにこの件に関して反対意見を主張する議員も多く、強過ぎる力が逆に争いを 生む可能性や、流れ弾が一般人に当たる危険性、そもそも拳銃の使用は公的機関である警察以 外に認めさせるべきではない、民間人が使う事で犯罪の温床にもなりかねない・・・などといった意 見も出ている。 中にはいかなる理由があろうとも暴力はいけないとして、拳銃自体を警察も使用禁止にすべきだ という意見を出したり、さらには遥のアポロンや雨音のセラフィム、百子の鬼払いにさえもイチャモ ンを付ける女性議員までいる始末だ。 そんな彼らの意見を耳にして、雨音は心の底から思う。 現場を知らない背広組は、何も分かっていないと。 強過ぎる力が争いを生むのではない。争いを止める為に力が必要なのだと。 今の世の中には、力で押さえ込まなければ止められないような者たちや、どうしようも無い悪人た ちも沢山いるのだ。 そういう者たちから力無き人々を守り治安を維持する為に、剣や銃のような強大な力が必要なの だ。 暴力はいけないとか争いを生むとか、現実を見ずにお気楽な平和主義ばかりを主張する議員た ちを、雨音は心の底から軽蔑していた。 そんな甘い考えで、私のお姉ちゃんのような被害者を減らす事が出来るんですか?・・・と。 「着いたぞ。新堂。」 古木に呼びかけられて、雨音はハッと我に返った。 考え事をしている間に、いつの間にか目的地の銀行に到着したようだ。 銀行の係員の女性が雨音と古木を出迎え、裏口に繋がる駐車場へと輸送車を誘導する。 現在の時刻は午後3時半・・・まだまだ銀行には多くの人で溢れ返っていた。 多額の現金を輸送するという危険な任務を行う関係上、なるべく周囲の人々に目立たないように 行動しなければいけない・・・だからこそ裏口からこっそりと現金を運ばなければならないのだ。 だったら夜中にやれという意見もあるだろうが、それはそれで治安が悪いので逆に危険だったり する。 「よし、新堂。荷台の扉を開けてくれ。」 「はい、分かりました。」 「この間の星崎と若田部の時と違って、このまま何事も起こらなければいいがな。」 「・・・そうですね。」 雨音が車から降りて、荷台のセンサーに右手人差し指を当てると、ピピピッという軽快な電子音と 共に、ガチャリと鍵が解錠した音が響いた。 これで第1ロックが解除・・・後は鍵穴に鍵を差して、第2ロックを解除すれば荷台が開く。 その間に古木が警棒と盾を手に、厳しい眼光で周囲を警戒している。 今日は商店街のスーパーから、1千万円もの多額の現金の運送を任されているのだ。雨音と古 木に課せられる責任は非常に重大だ。奪われるような事態は絶対に許されない。 「古木さん、解錠しました。」 「よし、現金はお前が持て。俺がお前の盾になる。お前はこのまま裏口から銀行の中に入れ。」 「はい。」 身体が大きい古木に守られながら、現金が入った大きなジェラルミンケースを左手で持ち、雨音 は慎重に裏口から銀行の中に入る。 何故わざわざ利き手の反対の左手で持つのかというと、何かあった時にすぐにセラフィムや拳銃 を抜けるようにする為だ。 このジェラルミンケースもまた簡単には壊せない頑丈な構造で、さらに暗証番号と鍵の二重ロック 仕様で、おまけにGPSまで搭載されているというファルソック特製の代物だ。 現金輸送の任務の時はいつもそうなのだが、こうして多額の現金が入ったケースを実際に手に とって持ち歩く時は、物凄く緊張する。 雨音が会社に信用されているからこそ任されている任務なのだが・・・出来れば自分はやりたくな い、他の人に代わって貰いたいという気持ちも内心あったりする。 銀行の係員に案内されて、裏口から大きな金庫まで案内される雨音。 そこは一般人が決して入る事が無い、銀行の窓口の内側・・・周囲では銀行員たちが慌しく仕事 をしており、カウンターの向こう側には多くの客が詰め掛けている。 係員が暗証番号を入力して、金庫の扉を開けた・・・その時だ。 「全員動くな!!両手を上げろ、死にたくなければ大人しく金を出せ!!」 突然現れた5人の男たちが、拳銃を手に銀行に現れた。 男の1人が拳銃を天井に向けて発砲し、天井に設置された蛍光灯が派手な音を立てながら、 粉々に砕け散る。 雨音たちが使用している硬質ゴム弾などではなく、殺傷能力のある正真正銘の実弾・・・周囲の 客たちは悲鳴を上げて、銀行は一転して騒然とした雰囲気に包まれた。 昔から今も決して無くなる事が無い、犯罪の定番・・・銀行強盗だ。 「これを持って伏せていて下さい!!」 「ちょ・・・!?」 雨音はジェラルミンケースを係員に手渡し、とっさにカウンターの外に躍り出す。 古木は男たちを雨音に任せ、係員たちと現金を守る為に金庫の前に待機していた。 一糸乱れぬ慣れた連携・・・こういう状況に陥った際の役割分担を、雨音と古木は事前に何度も 訓練して頭に叩き込んでいるのだ。 「汐音ちゃん!!」 (任せな!!) ベルトに搭載された8つのリフレクビットが宙を舞い、男たちが放った銃弾を的確に弾き返した。 そして雨音は鞘からセラフィムを抜き、驚愕の表情の男たちに斬撃を浴びせる。 「ぐはっ!!」 「ごえっ!!」 雨音の斬撃を喰らった男たちが、激痛に顔を歪めながらその場に崩れ落ちた。 他の2人の男たちが必死に銃を発砲するが、リフレクビットが雨音の周囲を舞いながら次々と銃 弾を弾き返す。 その美しくすらある光景に、周囲の者たちの多くが思わず見惚れてしまっていた。 防弾チョッキを身につけているというのもあるが、何よりも汐音がリフレクビットで自分を守ってくれ るからこそ、雨音は拳銃を持つ者たちが相手でも存分に攻めに転じる事が出来るのだ。 「な、何なんだよ、このチビ・・・!?がはあっ!!」 「げぼあっ!?」 雨音が2人の男たちをセラフィムで叩き伏せた、その時だ。 「調子こいてんじゃねえぞ!!女ぁっ!!」 「・・・っ!?」 「このガキがどうなってもいいのか!?あああっ!?」 最後に残った男が近くにいた幼稚園児の少女を羽交い絞めにして、拳銃の銃口を少女の眉間 に突きつけた。 恐怖に怯えながら、少女が大きな声で泣き叫ぶ。 とっさに雨音はセラフィムを離して、拳銃を抜いて男に向けて突きつけた。 雨音が手放したセラフィムが、乾いた音を立てて床に転がり落ちる。 「よせ新堂!!迂闊に銃は使うな!!」 古木は拳銃を構える雨音に、必死の表情でそう叫んだ。 これは明らかに銃を使う正当な状況だと言えるのだが、弾丸を一発撃っただけでも国からの厳し い調査が入る上に、色々と文句を言われるからだ。 先述の遥が銀行強盗と銃撃戦を繰り広げた件にしても、遥は事件が終わった後、その時の状況 を記した膨大な量のレポートを書かされた上に、どう考えても明らかに正当防衛なのに、国のお偉 いさんたちに物凄い剣幕で怒鳴られたのだ。 古木の言葉で雨音はその時の事を思い出し、苦虫を噛み締めたような表情になる。 本当に背広組は、現場の事を何も分かっていない・・・と。 遥は凶悪犯から力無き人々を守る為に、命懸けの状況の中で最善を尽くしただけだというのに、 何故それを咎められなければならないのか。 「・・・・・。」 「早くその銃を捨ててこっちに投げろ!!余計な真似はするなよ!!少しでも妙な動きをしたら このガキを殺すぞ!!」 「・・・・・。」 「早くしろぉっ!!」 雨音の拳銃の照準は、正確に男の拳銃を持つ右手を捉えている。 だが男に人質にされている少女が、恐怖のあまり突然暴れ出したり、また男がヤケになって少女 を盾にしようとする可能性も否定出来ない。 そうなれば雨音が拳銃を発砲した際、誤って弾丸が少女に当たってしまう危険性もある。 そして万が一、弾丸が少女の目に当たるような事態になれば、最悪少女を失明させてしまう恐れ もあるのだ。 この状況では、拳銃を使うのは無理だ。 「・・・・・。」 雨音は観念したように、拳銃を男に向かってゆっくりと投げつけた。 乾いた音を立てて、雨音の銃が男の足元に転がり落ちる。 「へへへ・・・そうそう、そうやって大人しくしていれば・・・」 一瞬・・・男の視線が雨音から投げつけられた拳銃に移り、一瞬・・・時間にしてほんの数秒・・・男 の視界から雨音の姿が消えた。 雨音がセラフィムまでも手放し丸腰になったのを見て、男は完全に油断してしまっていたのだろ う。その僅かな隙を見逃す程、雨音は馬鹿では無かった。 千羽妙見流奥義・縮地法。 一瞬にして雨音は、男との間合いを詰める。 「は・・・!?」 「鏡心流奥義、重ね当て!!」 「ぐはぁっ!!」 雨音の両手から繰り出された掌底(しょうてい)が的確に男の胸にヒットし、男は羽交い絞めにし ている少女ごと、派手に吹っ飛ばされて壁に叩き付けられてしまった。 さらに雨音は苦しそうに悶絶する男との間合いを詰めて右手の拳銃を蹴飛ばし、男の右腕を背 後から締め付けて床に這いつくばらせ、動きを封じる。 雨音に関節技を極められ、男はとても痛そうに絶叫した。 「古木さん!!」 「おう!!」 古木に取り押さえられた男は、そのまま客からの通報を受けて駆けつけてきた警察に、雨音が倒 した4人の男たちと共に連行されていく。 雨音は少女を人質に取った男を油断させる為に、拳銃を抜いた際にわざとセラフィムを床に落と し、男の要求で拳銃を捨てる際に敢えて丸腰になるように自ら仕向けたのだ。 鏡心流拳法の達人である雨音は、徒手空拳でも充分に戦う事が出来る・・・全ては男の油断と隙 を誘う為の雨音の作戦だった訳だ。 泣き叫ぶ少女を安心させる為に、雨音は防弾チョッキを脱いで少女をぎゅっと抱き締めた。 余程怖かったのだろう。恐ろしかったのだろう。雨音の豊満な胸に顔をうずめ、少女は雨音の身 体にしがみついて泣き続けていた。 「もう大丈夫だから・・・大丈夫だから。ね?」 「うわああああああん!!お姉ちゃん、怖かったよぅ!!うわああああああん!!」 「よく頑張ったね。だけど、もう大丈夫だから。」 とても穏やかな笑顔で、少女の髪を撫でる雨音。 そして少女の母親が涙を流しながら、雨音に礼を言って頭を下げ続けたのだった。 4.常咲きの槐の木の前で それから雨音と古木は駆けつけてきた警察からの事情聴取を受け、騒ぎを聞きつけてきたマスコ ミにも質問攻めにされ、事件の事後処理にも追われ、おまけに古木はともかく雨音は世界選手権 やオリンピックで活躍した有名人だものだから多くの人にも取り囲まれて、まともに移動するにも支 障をきたすような事態になってしまった。 ファルソック青城支部に現金輸送を依頼したスーパーまで、伝票の受け取りと手続きをしに行っ た為にも、事件を知った人たちにあっという間に取り囲まれてしまった程だ。 テレビのニュースやインターネットのニュースサイトでも、今回の事件や雨音の活躍について速 報記事として既に大々的に報じられていた。 昔と違ってネット環境が普及している今は、こういった事件の情報が一瞬で世界中に出回る時代 になってしまっている。 客の多くが携帯電話で、ツィッターや2ちゃんねるの実況板で一部始終を実況したせいで、事件 が起きてから10分も経たない内に、2ちゃんねるの雨音スレや雨音のブログ、さらには全然関係無 い遥や美羽のブログにまで賞賛の書き込みが殺到し、完全にお祭り状態になってしまっていた。 今頃イタリアは女子エペ部門の試合の真っ最中だろうか。試合が終わった後に遥と美羽が自分 のブログを見たら、一体何が起きたのかと驚くに違いない。 結局雨音と古木がこの一件から全て解放されて、ファルソック青城支部への帰路に向かう事が出 来たのは、事件が起きてから3時間以上も経過してからになってしまった。 周囲は既に夜の闇に包まれており、車内に流れるラジオではプロ野球の実況中継が行われて いる。 時刻は既に雨音と古木の終業時刻の、夜7時を回ってしまっていた。 「・・・そういう訳なので・・・その、社長・・・残業になってしまいました・・・。」 『いや、今回の件に関しては仕方が無いさ。それよりも君たちが無事で何よりだ。』 「あ・・・いえ・・・。」 『今回の残業時間に合わせて、後で君たちの勤務シフトを調整しておくよ。』 「あ、はい。分かりました。」 『それじゃあ私はもう帰るけど、君たちも寄り道せずに早く帰ってくるんだよ?いいね?』 「はい。それじゃあ失礼します。」 『うん。お疲れさん。』 携帯電話の通話を切って、雨音はふうっ・・・と溜め息をついた。 車を運転している古木の隣で、雨音が社長に今回の件についての事情を説明していたのだ。 ファルソックでは就労規則で、残業や休日出勤は一切ご法度となっている。 社員への残業代の支払いが会社にとって大きな負担になる上に、ダラダラと残業や休日出勤を させる事で社員のやる気を削ぎ、仕事意識を低下させる事になりかねないからだ。 これは親会社の松本グループの令嬢である美咲が、6年前にファルソックだけでなく傘下の企業 全てに命じた事でもある。 「すっかり遅くなっちまったなぁ。社長は何て言ってた?」 「その・・・私たちの勤務シフトを調整するって・・・」 「そうか。残業するとお嬢様(美咲)がうるさいからなぁ。」 「・・・そうですね。」 「まあ俺としては、残業が無くなったのは本当にありがたいんだけどな。確かお前と星崎が入って 来た頃だったか?残業がご法度になったのは。」 少し遠い目をしながら、古木は昔の事を思い出していた。 古木はもう20年以上も青城支部で働いているのだが、その間にファルソックも随分と変わった物 だと感慨深い表情をしている。 「俺がまだ新人だった頃は残業や休日出勤が当たり前でな。会社の雰囲気が残業せずに定時 で帰る奴は最低だ!!っていう雰囲気になっていてな。皆が頑張ってるのに何を1人だけ定時で 上がってるんだ、お前も皆と一緒に残業しろ・・・ってな。」 「・・・・・。」 「それが今ではお嬢様の呼びかけで、逆に残業や休日出勤がご法度になっちまったんだから なぁ。お陰で妻や娘との時間も取れるようになったし、俺のような身体の衰えが激しいオッサンには 本当にありがたい会社になったもんだ。」 「・・・そ、それ・・・古木さんが言っても・・・その、全然説得力が無いです・・・」 「はっはっは。」 古木は全身これ筋肉という屈強な肉体をしていた。 とても穏やかな笑顔で、古木は安全運転で車を走らせている。 幾ら社長が早く帰って来いと言っていたからといっても、それで慌てて事故でも起こしたら洒落に ならない。 車の運転にはその人の性格が出ると言われているが、古木が運転する車は彼の屈強な筋肉か らは想像も付かない程、とても穏やかな走りをしていた。 「お前もお姉さんの面倒も見ないといけないから、残業なんてとても出来ないだろ。」 「・・・そうですね。」 「そろそろ青城女学院に着く頃だ。確かお前と秋田の母校だったんだよな?2人共、青城女学院 では寮生活だったのか?」 「いえ、百子ちゃんは寮でしたけど・・・私は自宅から自転車で通ってました。」 「ほう、そうなのか。自宅が近くにあるのに寮生活をする子も多いって聞くけどな。」 単純に寮生活に憧れているだけだという生徒も多いのだが、青城女学院の寮生というのは、そ れだけで一種のステータスのような物なのだ。 中には古木の言うように自宅がすぐ近くにあるのに、平日は寮で暮らして土日だけ自宅に帰ると いう生徒も多かったりする。 この学校のOBである綾代なんかは全く逆の例で、自宅から学校までの距離が結構離れている のだが、過保護の両親が綾代の寮生活を心配して、無理矢理自宅から通わせていたらしい。 雨音も綾代の家に何度か遊びに行った事があるから分かるのだが、確かに通えない距離では無 いのだが、別に綾代に寮生活をさせても良かったんじゃないかと思う。 雨音がデジタル式の腕時計で時刻を確認すると、夜7時20分を経過していた。 古木が運転する車が静かな音を立てながら、雨音の母校・・・青城女学院へと向かっていく。 ここから青城女子大学と、その目の前にあるファルソック青城支部に到着するまでは、大体5分く らいだろう。戻ってから片付けをする時間も含めれば、今日は30分程度の残業になりそうだ。 既に春奈と雪音には電話で残業になる事は伝えてあるが、残業になった状況が状況なだけに、 きっと2人共心配しているに違いない。 だが雨音と古木を乗せた車が、青城女学院の正門の前を通り過ぎようとした・・・その時だ。 突然雨音がグラウンドから感じ取った、凄まじいまでの聖なる力。 そして普段は正門で警備の任務にあたっているはずの、男性警備員の姿が無い。 不審者が校内に入らないように、警備員がトイレや休憩などで席を外す際は、必ず他の警備員 が交代して警備の目が決して途切れないようにしているはずなのに、その警備員の姿その物が無 いのだ。 校内で何かがあった・・・雨音は瞬時にそれを判断した。 「・・・止めて下さい!!」 「どうした?新堂。」 慌てて古木が正門の前で車を止めると、雨音はとっさに校内へと駆け出していく。 校内から放たれている、凄まじいまでの聖なる力・・・はっきり言って尋常ではない。 これは一体何だというのか・・・雨音は何だかとても嫌な予感がした。 「お、おい・・・」 「古木さんは正門の警備をお願いします!!」 あっけに取られる古木を尻目に、全速力で走り去ってしまった雨音。 凄まじい聖なる力を追って雨音が辿り着いた先は・・・校舎の近くにある槐の木だった。 そこで雨音が目にした物は、桂と百子、1人の中年の男性の姿・・・そして芝生の上に寝かされて いる青城女学院の制服を着た少女と、その少女の傍らで氷の剣を手にしている着物姿の少女。 その少女の寝顔に、雨音は見覚えがあった。 以前この学校に訪れた際に、桂に頼まれて剣道のルールで試合をした少女だ。 確か名前は、白野小雪と言っただろうか。 そして着物姿の少女は、どこか小雪と面影があった。 小雪の血縁者か何かなのか・・・だがそんな事よりも先程の凄まじいまでの聖なる力は、どうやら 彼女から発せられているようだ。 彼女は只者ではない・・・雨音はそれを瞬時に悟った。 それよりも問題なのは、彼女の周囲で苦しそうに顔を歪めて倒れている、4人の男性警備員たち の無様な醜態だ。 「・・・これは・・・一体・・・!?」 「う・・・新堂・・・先輩・・・」 「しっかりして、一体何があったの!?」 「あ・・・ありのままに起こった事を・・・正直に話しますけど・・・」 雨音に抱き起こされた男性警備員の1人が、激痛に表情を歪めながらも、一体何が起こったのか を雨音に正確に伝えた。 自分が目撃した出来事が、とても信じられないと言わんばかりの表情で。 「俺・・・校内を巡回してる途中に見かけたんですけど・・・あの女が突然彼女の前に現れて・・・そ れで・・・あの女がいきなり彼女に・・・キ・・・キスをして・・・」 「え・・・!?」 「そしたらそこの彼女が・・・いきなり虚ろな表情で倒れて・・・まるであの女に精気を吸われたかの ように・・・」 「・・・っ!!」 「それで他の皆と一緒に・・・あの女を捕らえようとしたんですけど・・・全然歯が立たなくて・・・ご覧 の有様ですよ・・・」 雨音は男性警備員を優しく寝かせ、セラフィムを抜いて身構えた。 とても厳しい表情で、着物姿の少女を見据えている。 男性警備員の話が事実なら、このまま彼女を放っておくわけにはいかない。 キスをして精気を吸うという事は、彼女は鬼か何かなのか。 だが彼女が鬼だというのなら、この凄まじいまでの聖なる力は一体何なのか。 彼女は一体・・・何者なのか。 「・・・貴方は・・・!!」 「ちょ、ちょっと待って雨音ちゃん!!私の話を・・・!?」 「新堂ーーーーーー!!」 慌てて間に入ろうとした桂だが、そこへ様子がおかしい事に気が付いた古木が慌てて駆けつけ てきた。 氷の剣を手にしている着物姿の少女、セラフィムを抜いて身構えている雨音、そして他の男性警 備員たちが倒れている光景に、古木も少女を不審者だと見なして、警棒を手に少女を捕らえようと したのだが・・・ 「・・・貴方もですか。仕方がありませんね。」 少女が氷の剣を薙ぎ払うと、凄まじい衝撃波が古木に襲い掛かった。 いきなりの出来事に、古木は驚きを隠せない。 「う、うおおおおおおおおおお!?」 「古木さん!!」 雨音が慌てて古木の前に立ちはだかり、セラフィムで衝撃波を弾き返す。 どうやら彼女は美羽や美咲と同じように、剣と術を両方使いこなすタイプの使い手のようだ。 目の前で倒れている4人の男性警備員、そしてキスをされて精気を吸われたかのように倒れたと 男性警備員が語った小雪。そして彼女は今、駆けつけた古木にまでも危害を加えようとした。 何故か桂が彼女を庇おうとしているし、彼女の正体が気にはなるのだが、何にしてもこのまま彼 女を野放しにしておくわけにはいかない。 「・・・中々やりますね。」 「取り敢えず、今から貴方を捕らえて事務所まで連行します。」 「私の話を聞いて頂けないのですか?」 「話があるなら事務所でゆっくりと聞きます。その内容次第では警察に通報します。」 もし彼女が、桂がその身に宿す『贄の血』の存在に気付きでもしたら・・・雨音はそれを危惧して いるのだ。 今はとにかく、彼女を桂から引き離す事が先決だ。 「貴方も他の方と同じですか。私の話に耳を傾けて下さらないのですね。」 「貴方は小雪ちゃんにキスをして精気を吸ったのでしょう!?そんな危険な人の話なん て・・・!!」 「・・・いや、あの・・・それは確かに間違いでは無いのですが・・・まあいいでしょう。折角の機会で す。今ここで貴方に稽古をつけて差し上げますよ。雨音さん。」 「・・・な、何で私の事を・・・!?」 雨音の後ろで腰を抜かしている古木には興味を失くしたと言わんばかりに、少女は氷の剣を構 えて雨音に向き直る。 その構えだけで、雨音は彼女の実力を瞬時に感じ取った。 一瞬でも気を抜けば、やられる・・・雨音のセラフィムを握る右手に汗がにじんでいる。 「羽藤先生。小雪をよろしくお願いします。」 「ちょ・・・!?」 「天翔流星剣・正当継承者・・・白野雪花。いざ尋常に参ります!!」 雪花と名乗った少女は氷の剣を手に、凄まじい速度で雨音に斬りかかる。 並の者では反応すら出来ない剣速・・・だが雨音はとっさにセラフィムで迎撃した。 繰り出された氷の剣を雨音はセラフィムで辛うじて受け止め、そのまま2人は鍔迫り合いの状態 で睨み合う。 「くっ・・・!!」 「だから雨音ちゃん、私の話を・・・!!」 「はあああああああああああっ!!」 「雨音ちゃんっ!!」 何かを必死に訴えようとしている桂を尻目に、雨音は決意に満ちた表情で、雪花を相手に果敢 に戦いを挑んだのだった。 5.共鳴する『神の血』 春奈と雪音は夕食の仕込みだけ先に済ませ、食卓で雨音の帰りを待ち続けていた。 現在の時刻は夜7時30分・・・本来なら今頃は家族3人で夕食を終えている時間だ。 雨音から今日は残業になりそうだという連絡は既に受けているのだが、その残業になった状況が 状況なだけに、春奈も雪音も余計に心配になってしまう。 普段は雨音が帰ってきている時間だというのに・・・雪音は小刻みに時を刻む壁時計の針を、 じっ・・・と見つめていた。 雨音は、まだ帰ってこない。 とても心配そうな表情で、雪音は雨音の帰りを待ち続けている。 いや・・・『願っている』と言うべきだろうか。 警備員というのは常に危険が付きまとう仕事だ。力無き人々を守る為に凶器を手にした凶悪犯 罪者を相手に、身体を張って果敢に立ち向かわなければならない時もある。実際にそれで怪我を して病院送りになった警備員だっているのだ。 まして今日の雨音に至っては、銃を手にした銀行強盗を相手に戦ったのだ。これまで雨音が仕 事で大きな怪我をした事は一度も無いのだが、それでも雪音はどうしても不安になってしまう。 本当なら雨音にはファルソックを辞めて、普通の会社に勤めて貰いたいというのが雪音の本音な のだが・・・雨音が毎月稼ぐ給料の額が馬鹿に出来ない上に、満足に社会復帰も出来ずに家に引 きこもっている雪音には、雨音にそんな身勝手で偉そうな事を言う資格など無い。 「遅いわね。雨音ちゃん・・・」 「・・・うん・・・」 「ファルソックは残業禁止だって雨音ちゃんが言ってたのに・・・まあそれでも普通の仕事とは違う から、場合によっては残業しないといけなくなる時があるのかもね。」 「・・・うん・・・」 春奈の呼びかけに対して、力無く相槌ちを返す雪音。 雨音の事が心配で、テレビで流れているバラエティ番組の内容も、今の雪音の頭の中には全く 入っていなかった。 今の雪音の頭の中にあるのは、雨音の事だけだ。 時計の針が7時35分を回る。 雪音が心配になって立ち上がり、自宅の電話から雨音の携帯電話に電話をしようとしたのだが、 その時だ。 雪音の身に流れる特別に濃い『神の血』が、雪花の凄まじいまでの聖なる力を感じ取った。 そして同時に、その雪花を相手に懸命に戦う雨音の『力』も。 「な・・・!?」 「雪音ちゃん?どうしたの?」 「・・・あ・・・あ・・・あああ・・・!?」 「雪音ちゃん!?」 雪音は突然頭を抑えてうずくまり、とても泣きそうな表情になる。 その身に『神の血』を宿していない春奈には、雪音が何を感じたのかを全く理解出来なかった。 慌てて雪音に駆け寄り、とても心配そうに肩を抱き寄せる春奈。 「雪音ちゃん、どうしたの!?」 「・・・戦ってる・・・雨音ちゃんが戦ってるの・・・!!」 「え・・・!?」 「雨音ちゃんが・・・戦ってる・・・!!」 以前、柚明は遥に語っていた。 特別な血をその身に宿す者たちは、もしかしたら引かれ合う運命にあるのかもしれないと。 だとしたら雨音と雪花の出会いは、柚明の言うように運命だったとでも言うのか。 そして雨音と雪音の『神の血』が、雨音の戦いを通じて共鳴し合っている。 「雨音ちゃんが・・・雨音ちゃんが・・・!!」 「雪音ちゃん、落ち着いて!!雨音ちゃんは誰と戦ってるの!?」 「・・・分からない・・・だけど・・・だけど凄く大きな力・・・!!」 頭を抱えてうずくまる雪音を、春奈はとても心配そうな表情で見つめていたのだった。