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くらしき作陽大学食文化学部 塩見慎次郎「ケニア事情 ~JKUAT および
ケニア事情 ~JKUAT および人々のライフスタイルの今と昔~ くらしき作陽大学食文化学部 塩見慎次郎 アジア・アフリカ学術基盤形成事業「東アフリカにおける作物ストレス科学研究ネットワーク 拠点形成と次世代作物の開発利用」の一環として、2010 年 12 月 4 日~12 日の間、共同研究の進 展と新たな可能性の開拓を目的として、ケニアを訪れ、ジョモ・ケニヤッタ農工大学(JKUAT) でセミナーを開催し、ケニア国内の植生調査を行った。岡山大学を拠点期間とする事業であるが、 協力機関の一つであるくらしき作陽大学から参加させていただいた。17 年ぶりのケニア訪問とい うこともあり、訪問前から期待と不安が入り交じっていた。第 2 の故郷ともいえるケニアで当時 の同僚や卒業生に会えること、JKUAT がどのような姿になっているか、ケニアの社会やナイロ ビの町がどのように変化・発展しているかを実際に見られることが楽しみであったことはいうま でもないが、同時に治安の悪化が多少懸念材料であった。 ここでは、ケニアの今と昔について、JKUAT や駆け足で通り過ぎたナイロビ周辺の風景や人々 の暮らしとの関わりで述べてみたい。 ジョモ・ケニヤッタ農工大学(JKUAT)との関わり 私は、JICA の派遣専門家として 1989 年 4 月から 1994 年 12 月までジョモケニヤッタ農工大 学農学部園芸学科に在籍し、プロジェクトの一員として高等教育の基礎固め・充実を目指した技 術協力にあたった。その間、園芸利用学や果樹園芸学の講義、卒業研究などを担当しつつ、カウ ンターパートである学科長(赴任当初の学科長は現在の Prof. Kahang、その後、現在は JKUAT を離れた Prof. Wamocho に交替)との学科運営に関する協議・助言、資機材の購入、教官の学位 取得、テクニシャンのトレーニングのための人選や事前指導などにあたった。因みに、初めの約 1 年は、現行プロジェクトのコーディネーターである Dr. H. Murage と研究室を分け合って使用 していた。また、Dr. N. Mugai も当初からの同僚であり、彼が岡山大学で JICA 研修を受けてい た 2000 年頃には、知り合いが勤務する倉敷市の小学校のイベントに彼が招待された際に、私も 通訳として一緒に参加させていただいた。現在園芸学科の造園関連科目を担当している J. B. M. Njoroge は、私の在任中最後の文部省奨学金留学生で、大阪府立大学で博士号を取得した。 ジョモ・ケニヤッタ農工大学プロジェクト(JKCAT: Jomo Kenyatta College of Agriculture and Technology、ディプロマ教育)は、日本政府とケニア政府の技術協力協定に基づいて 1980 年に 始まった。設立当初から農学部に対しては岡山大学農学部が深く関わり、専門家としても岡山大 学農学部出身の守屋氏が長期専門家として活躍された。守屋氏の帰国後、ディプロマ教育に対す る技術協力から学士課程への協力を見越して、同じ岡山大学農学部出身の私に白羽の矢が立った。 私は 1988 年当時、エチオピアで青年海外協力隊をしていて、任期延長を考えていたが、岡山大 学農学部の中村教授からの連絡によりエチオピアから帰国することになり、1989 年 4 月ケニアに 赴任した。 1990 年に JKCAT が JKUCAT(Jomo Kenyatta University College of Agriculture and Technology)に格上げされると同時に、ジョモ・ケニヤッタ農工大学(学士課程)プロジェクト が新たにスタートを切った。私が赴任した 1989 年は、学士教育への転換の準備時期であり、ケ ニアの教育制度も旧体制(7-4-2-3 制)から新体制(8-4-4 制:初等教育-中等教育:高等 教育)への移行時期にあたっていた。したがって、1990~1992 年頃は 3 年制と 4 年生の学士課 程が共存し、加えて学士教育とディプロマ教育が並立して行われていた。私の任期は、ジョモ・ ケニヤッタ農工大学(学士課程)プロジェクトの始めの 5 年間の協力が終了する 1995 年 4 月で あったが、博士号取得の必要性を強く感じていた私は、任期途中の 1994 年 12 月に帰国、1995 年 4 月岡山大学自然科学研究科に入学し、稲葉教授の下で Ph.D 取得に向けた研究を開始した。 当該研究室は、これまでに JKUAT からの留学生を 5 名受け入れおり、うち 4 名は博士号を取得 している。そのうち、始めの 3 名は私の在職中の講師、学生、テクニシャンで、よく知っている 人たちである。今回の訪問でも、そのうちの 2 人(Dr. W. Owino, Dr. M. Mwaniki)に大変お世 話になった。 私が日本に帰国した 1994 年の終わりに、ケニア側によって農学部・工学部のディプロマ教育 に終止符が打たれることが決まり、JKUCAT は現在の JKUAT(Jomo Kenyatta University of Agriculture and Technology)となった。学士課程に対する日本の技術援助は 1990~1997 年ま で続き、その後 3 年間のフォローアップを経て 2000 年 4 月に終結を向かえた。その後 JKUAT は、大学入学希望者の増大に伴って、カレンキャンパスやタイタタベタキャンパスなど、もとの Juja 以外の地にもキャンパスを増設し、学部やコースを増やすなど拡大をつづけ、学生数は当初 の約 10 倍の約 2 万人に膨れ上がっているという。 写真:JKUAT の正門から入ったところの事務棟。 以前のままの姿を残している。 写真:JKUAT の図書館(右)と AICAD の一部(左)。 以前、グランドであったところに建てられている。 ジョモケニヤッタ農工大学での交流(表敬訪問・その他 AICAD での滞在など) ケニア到着後、2 日目にしてエンブ・ムエアへ行く途中に JKUAT を訪れることになった。ま ずナイロビから Thika Road へ入るところから、もうすでにどこを走っているのかわからない。 少雨期の雨と道路工事の影響もあって、道はぬかるみ、ひどい渋滞である。昔のラウンドアバウ トや目印になる建物はほとんどなく、人や車がやたらと多く、知っている町のはずなのにわから ないことだらけ、という違和感にさいなまれる。いや、昔の思い出に引きずられている自分をも てあましている。やっと渋滞を抜けてスムーズに走り出したが、昔と違って Thika Road の両側 には、人家やアパート、商店などの建物がほとんどとぎれることがない。Thika Road はスーパー ハイウェイと呼ばれ、大々的な改修工事が真っ直中、完成するととても便利になることは間違い ない。 写真:Thika Road (Muthaiga Roundabout から Thika より)の工事による激しい渋滞状況。以前は あまりみられなかった大きな宣伝の看板が見える。 写真:Dr. H. Murage によるイネ 育種プロジェクトの様子。 ナイロビから JKUAT のある Juja まで、Thika Road 沿いに人家や商店、アパートなどの建物 がほとんど途切れることがなく、多くの人々がマタツ(乗り合いバス)に乗り降りしている。こ の風景も見慣れたものではなく、昔もこのような感じだったかと思い出そうとするが、思い出せ そうで思い出せない。JKUAT に近づいて、大学の入り口にあたる Juja の町並みが一変している のにまた驚いた。人や車がやたらと多く、建物も増えてゴチャゴチャした印象を受ける。JKUAT の入り口も昔がどうだったか思い出せないほど変わっている様子である。AICAD (African Institute for Capacity Development) が隣接している関係で、アクセス道路がわかりにくくなっ ている。 とにかく、初めの訪問では、同行の谷先生のカウンターパートである、Ms. Catherine Ngamau を農学部棟でピックアップすることであったが、行き慣れたはずの場所がなかなか見つからない。 やっとのことでたどり着いて、スタッフカフェテリアにて昼食を摂る。大学間協定を結ぶために 訪れたという、山形大学工学部のグループと鉢合わせになる。このカフェテリアで、懐かしい面々 に出会う。まず、Prof. Kahangi(副学長), Dr. H. Murage(プロジェクトコーディネーター), Prof. K. Ngamau(農学部長)である。いずれも、私が在任していた頃の同僚である。 正式な JKUAT 訪問は、12 月 7 日(水)で、Mr. Karanja, Dr. M. Mwaniki, Mr. F. Kimuyu の 案内で、学内の実験・実習室、研究農場などを見学した。(途中谷先生と、Ms. C. Ngamau は研 究打合せのため、別行動。 )特に感銘を受けたのは、日本から無償援助で設置された実験室の機器 類が非常によく維持され、以前と変わらず十分機能していることであった。日本から供与された 機材が、様々な問題で使用できなくなることが多いなかで、このことは、プロジェクト時代の技 術協力の賜と考えられ、当時の日本人専門家やケニア人スタッフの努力に頭が下がる思いであっ た。加えて、プロダクションユニットの一つとして以前から始められていた加工食品の製造販売 については、その種類や量、品質が以前とは比べものにならないほど向上していた。 写真:筆者が在任中使用していたガスクロ。今もきれ いに維持され、使用されている。 右は Mr. Karanja、左は Dr. M. Mwaniki。 写真:農学部食品学科が製造・販売している加工品。 ヨーグルト、果実ジュース、ジャムなど。 農場を見学している途中で、Dr. M. Mwaniki を通じて、懐かしい旧農場の建物にオフィスを 構える Prof. Kahangi(副学長、Deputy Vice Chancelor, Research, Production and Extension) にアポイントメントを取って訪問することにした。突然で、17 年ぶりの再開であったが、快く迎 えてくれた。今回の私の訪問の趣旨・目的、持参し手渡したお土産のこと、くらしき作陽大学と の交流の可能性、JKUAT の急激な変化・発展、それと比較して園芸学科があまり発展していな いのではないかということ、学生の満足度を上げるために様々な改革を実施してきた(その一例と してプールを新設した)こと、彼女の息子がすっかり大きくなって社会人になっているが、なかな か結婚しないことなど、わだかまりなく様々な話ができたことは大きな収穫であった。 今回のケニア訪問の目的の一つに、同行した山下先生のカウンターパートの発掘があった。数 人のケニアの教官に相談し、その目処がたったことで今後の共同研究の足掛かりができた。 また、AICAD (African Institute for Capacity Development) の宿泊施設に宿泊し、その立派 な設備に感銘を受けた。 JICA 専門家で AICAD のチーフアドバイザーを務める野坂治朗氏を訪ね、 大まかな活動内容を説明していただいた。アフリカ地域の人造り拠点を設置し、アフリカの人材 育成にかかる支援を行うという現行プロジェクトは 2012 年 6 月末をもって終了し、ケニア・タ ンザニア・ウガンダの 3 ヶ国にその運営が任されることになるという。 写真:学生の要望によって新設されたプール。 写真:山下先生と Prof. G. N. Njoroge(理 学部) 。共同研究の進め方について協議中。 ムエア国家灌漑公社訪問 12 月 6 日(火)にムエアの国家潅漑公社を訪問したところ、再び山形大学の副学長と鉢合わせ になる。JICA から農業省に派遣されている仁木専門家とも面談した。独立間もない南スーダン共 和国から調査団が訪れるとのこと、我々とあわせて 3 グループ一緒に公社の説明を受けることに なっていたが、南スーダン調査団の到着が予定より遅れたため、研究主幹の Dr. R. K. Wanjogu にムエア灌漑開発事業について概略説明を受けた。当該地域はもともと 1980 年代終わりに JICA を通じた無償資金協力として米生産の安定的向上を目指して始められたもので、ケニアの米生産 の 5 割以上を支える有数の稲作地域として知られている。(2010 年 3 月のガーナ・ケニア公式訪 問の際に、皇太子浩宮様もここを訪問された。)バスマティ米(香り米)やネリカ米の生産で有名 であり、ブランド力はあるが、生産量が需要を満たしていないということであった。新しい有償 資金協力として灌漑開発事業が始まり、米の生産量を現在の約 10 万トンから 30 万トンへ増大す ることが期待されている。また米の二期作や園芸作物との二毛作も可能になることが見込まれて おり、当該事業区の総作付面積も 2 倍以上になるという。イネの新品種開発に関して、JKUAT の Dr. H. Murage と学生たちが共同研究を進めている。加えて、同公社ではすでに周辺の農民へ の研修を実施しているばかりか、稲作に関して周辺諸国への技術協力も行っている。Dr. R. K. Wanjogu は、これらの事業に大いなる情熱と使命感とをもって取り組んでいる様子で、彼の話や 取り組む姿勢に大きな感動を覚えた。この食糧安全保障に関わる国家的プロジェクトの成功とそ れに対する JKUAT の多大なる貢献を祈念してやまない。 写真:Dr. Wanjogu によるムエア灌漑開発計画の 概略説明。右側が、南スーダン共和国からの調査団。 写真:イネの圃場見学。 Penta Flowers 訪問 Juja と Thika の中間に位置する、Penta Flowers を訪問・見学した。25 ヘクタールにおよぶ 温室を有し、主としてヨーロッパへ輸出するバラを栽培する、ギリシャ人経営者の企業である。 花卉栽培における先端技術を導入し、花卉栽培に適した気候と安いケニアの労働力を使って、高 品質かつ低価格のバラを輸出している。もちろん、ケニア人に対して雇用機会を創出しているの は言うまでもない。 写真:Penta Flowers の巨大な温室(左)と多くのケニア人が働くパッキングハウス(右)。 ケニアの今と昔 はじめのうちは、車と人が多く、埃っぽくてゴミゴミした感じで町全体が汚い(こんなに汚か ったかな?という)印象であった。(それが、数日のうちに何とも感じないようになるのであるか ら、第一印象などというものは、あまりあてにならないものかも知れない。 )家やアパート、ビル などの建設ラッシュ、Thika Road(スーパーハイウェイ)などの道路工事で確かに活気はある。 とにかく人と車がやたらに多い感じである。17 年前と大きく変化したところと、相変わらずのと ころが混在している。変わらないのは、多くの人が、道ばたで手持ちぶさたな感じで、ただ座っ ていたり、辺りを眺めていたり、マタツは運転が荒く危険である。変わったのは人々の意識か。 感動させられる場面がとても多い。自分たちで何とかしようとしている姿勢、特にムエアでは、 米の生産量を 3 倍に増やして自給できるように、あるいは周辺諸国を助けられるようになること を目指して、努力している。米の増産には JKUAT も共同で育種プログラムに取り組んでいる。 その両面を以下に箇条書きにしてまとめた。 17 年前と変わったところ 人と車の数が圧倒的に増加し、店やアパートなど建物も増えた。町に宣伝の大きな看板が増 えた。 (経済活動・商業の活性化、富裕層の増加が背景か。) おしゃれな、ファッションに敏感な、女性や子供が多くなった。JKUAT でも、きれいに着 飾った、あるいは美しい学生が多くなった。 (意識の変化、中流階級の増加が背景か。 ) 国立博物館やアンボセリセレナロッジ(リゾートホテル)のような、以前はほとんど見かけ なかった場所で、多くのケニア人を見かけた。(これも富裕層増加によるものか。 ) JKUAT で雰囲気のよくない学生が増えたように感じた。 (学生数が増えると質の低下は避け られないのかもしれない。 ) 辺り構わず騒ぐなど、公共の場所で迷惑行動をとるケニア人が増えたように感じた。 (ケニア に限らず、日本もまた世界中同じであろう。 ) ソマリアのアル・シャバブと紛争中である。 (治安に不安があったが、結局問題はなかった。 ) スーパーマーケットの品揃え、品質と量が格段によくなった。 ケニアにおいても携帯電話が日本と同じかそれ以上に広く普及している。これを使って仕事 を進めるのが非常に速い。 (話すことが得意な国民性によく適合していると感じた。) ケニアに園芸学会 (Horticultural Association of Kenya) が設立され、学会誌 (African Journal of Horticultural Science) が刊行されている。 国・職場のために懸命に働く人、何とかしようとする人、使命感・やる気に溢れた人にであ うことができた。(そのような人々は以前から少なからずいたであろうが・・・) 写真:典型的なトウモロコシ畑と青空。 写真:昔のままのヤギの焼き肉(ニャマチョマ)、焼き 肉をつけるソース(カチュンバリ)、ウガリ(右奥)、キ ニエジ(中央の緑) 、タスカービール。 以前とあまり変わらないところ アフリカ高地の青い空と澄んだ空気、町の周辺にも畑があり、トウモロコシ・バナナなどが 植えられている田園風景は以前のままである。 沿道のキヨスクや地方の市場の風景は以前のままである。(変化はナイロビに限られる!?) 多くの人たちが歩いて移動していたり、服装も貧弱で、貧しい生活している印象を受けた。 大学も含めて様々な場所に、手持ち無沙汰な人たちが集まって雑談している。 車、特にマタツ(乗り合いバス)の運転があらいが、交通事故はさほど起こっていない様子。 排水施設やゴミ処理などの基本的なインフラが整備されていない。 事業や工事・建設に計画性に欠けていると批判する知識人(大学の教官)がいる。 焼き肉(ニャマチョマ)やウガリなどの食事は以前のままでとてもおいしい。 写真:ナイロビ郊外の露店のマーケット。都市部を離れると、 まだ多くがこのような状況である。 JICA における国際協力の現状や今後の展望 今回、JICA ケニアオフィスを訪問し、斉藤真一所員(農業・農村開発担当)よりケニアへの日 本の技術協力の現状、特に農業・農村開発セクターの技術協力について説明を受けた。 ケニアの農業は GDP の 25%、輸出の 65%、地方での雇用の 80%を占め、国家経済の柱とな る重要な産業と位置づけられる。食糧安全保障や貧困削減の観点からも重要であり、これまでに もムエア灌漑事業による米の増産を始め、小規模園芸農民組織強化・振興ユニットプロジェクト などによる協力を行ってきた。現在も食糧安全保障、貧困削減の延長線上にある灌漑関連事業に よる農産物の増産や園芸農家への技術協力などが実施されている。 今後も、ムエア地域の灌漑開発事業による米や園芸作物の増産と農家の農業所得向上などを目 指した技術協力が予定されているほか、ケニア北部の乾燥・半乾燥地帯の遊牧民に対する協力と して、干魃に強い牧草の育種による牧畜の安定化への協力などが考えられる。また、これまでに JICA が強力に技術協力を推進し結果を残してきた JKUAT・AICAD を通じての新たな技術協力 についても、その可能性を探っていくとのことであった。