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アルゼンチン新政権の経済改革
みずほインサイト 米 州 2015 年 12 月 21 日 アルゼンチン新政権の経済改革 欧米調査部上席主任エコノミスト 大胆かつ細心なペソ切り下げと今後の課題 03-3591-1310 西川珠子 [email protected] ○ アルゼンチンでは12月10日、「迅速な改革」を掲げる中道右派のマクリ政権が発足、12年にわたる 左派キルチネル派政権からの政権交代により、市場機能重視の経済改革が始動した ○ マクリ政権は発足早々、為替制度を変動相場制に移行し、通貨ペソの切り下げを実施した。財政・ 金融政策の引き締め方向への転換により、インフレ圧力を抑制できるかが大きな課題になる ○ 経済改革を前進させるには、市場の信認と議会での超党派協力が不可欠である。マクリ政権の連立 与党は、議会上下両院ともに過半数を得ておらず、大統領の「統治能力」が問われる 1.マクリ新政権の誕生、「迅速な改革」が始動 (1)転機を迎えるアルゼンチンの経済政策、市場機能重視の経済チーム アルゼンチンでは、2015 年 12 月 10 日、中道右派のマウリシオ・マクリ新大統領(前ブエノスアイ レス市長、選挙連合「変えよう同盟(CAMBIEMOS)」所属)が就任した。マクリ大統領は、大統領選挙 の第一回投票(10 月 25 日)1で僅差の 2 位につけて、史上初の決選投票(11 月 22 日)に持ち込み、 逆転勝利を収めた(得票率 51.4%)。選挙戦では、経済改革を進めるペースが争点となり、「迅速な 改革」を主張したマクリ大統領が、フェルナンデス前大統領の後継候補で「段階的な改革」を主張し たダニエル・シオリ候補(前ブエノスアイレス州知事、選挙連合「勝利のための戦線(FPV)」所属、 得票率 48.6%)を下した。 マクリ政権の発足により、キルチネル元大統領(フェルナンデス前大統領の夫)の 4 年(2003~2007 年)およびフェルナンデス前大統領の 2 期 8 年(2007 年~2015 年)の計 12 年間にわたった左派ペロ ン党キルチネル派政権の統治が終わり、アルゼンチンの経済政策は大きな転機を迎えている。「キル チネリズム」と称される前政権の大衆迎合的、介入主義的、保護主義的な政策運営の結果、アルゼン チン経済は、通貨ペソの過大評価と外貨準備の枯渇、慢性的な財政赤字とインフレ高騰、国際金融市 場からの孤立といった深刻な課題に直面している。マクリ政権は、アルゼンチン経済を安定的な成長 軌道に乗せるため、キルチネリズムを修正する経済改革に取り組む方針だ。 経済改革を推進する経済チームは、市場機能重視の布陣となり、市場の期待は高い。マクリ大統領 自身、父が経営するアルゼンチン有数の企業グループ「ソクマ」で実務経験を積み、前職のブエノス アイレス市長時代にはインフラ整備の実績などが支持された。新政権では、従来は経済省に権限が集 中していた政策運営の枠組みを見直し、財務省およびエネルギー・鉱業省を新設、既存の労働省、産 業省、運輸省、農業省との6省庁体制とした。財務相には元中銀総裁(2002~04年)のアルフォンソ・ 1 プラットガイ氏が任命された。プラットガイ財務相は、2001年の債務不履行後、通貨切り下げで高騰 したインフレ率を鎮静化(2002年末41%→2003年末3.7%)させ、景気回復の道筋をつけた実績を持ち、 その手腕が期待される2。エネルギー・鉱業相には、英蘭石油メジャー・ロイヤル・ダッチ・シェルの アルゼンチン法人元社長のフアン・ホセ・アラングレン氏が就任し、中南米で最大の技術的回収可能 量が見込まれるシェールガスなど非在来型資源開発の陣頭指揮をとることになる。中銀総裁について は、フェルナンデス前大統領が任命したバノリ総裁が任期終了(2019年)を待たず辞任し、為替制度 の見直しに前向きなフェデリコ・シュトルツェネッガー氏(下院議員、元ブエノスアイレス銀行総裁) が就任した。 (2)公約に沿った経済改革の中身 大統領選挙での勝利以降、マクリ大統領が明らかにした経済改革の概要は、基本的に選挙戦での公 約に沿った中身となっている。具体的には、①変動相場制への移行、資本・貿易規制の見直し、②財 政拡張・金融緩和政策から引き締めへの転換、③対外民間債務(ホールドアウト債権者)3問題の解決 や対外経済関係の改善、などが主要な柱となっている(図表1)。いずれも、政府介入による裁量的な 政策運営を極力排し、市場機能を重視した政策へと舵をきる方向だ。発足後1週間で、為替制度見直し、 資本規制撤廃など主要な経済改革に着手しており、順調な滑り出しをみせている。 図表1 アルゼンチン前政権・新政権の政策比較 フェルナンデス前政権 クローリング・ペッグ - ペソ過大評価、公式・非公式レートの二重相場 マクリ新政権 変動相場制【12月17日】 - 競争力のあるペソ相場、二重相場の一元化 資本規制 外為取引規制の強化 - 個人・法人の ドル購入規制 外為取引規制の見直し - 個人・法人の ドル購入規制撤廃【12月17日】 貿易規制 穀物輸出税引き上げ 輸入規制の強化 - 輸出入均衡制度、事前輸入宣誓供述制度 穀物輸出税撤廃【12月14日】 輸入規制はWTO協定違反確定 - 2015年12月31日までに対応が必要 財政政策 ばらまき型の拡張的財政政策 公共料金の凍結 緊縮方向、貧困対策は維持 公共料金(電力・ガス)の引き上げ 金融政策 財政赤字ファイナンスのための通貨供給拡大 (マネタイゼーション) 金融引き締め(金利引き上げ) インフレ目標の導入 インフレ 物価統計の操作 国内原油価格の高値維持 物価統計の是正 国内原油価格の引き下げ 対外債務 民間債務交渉に応じず 外貨準備を返済に充当 民間債務交渉に前向き 国際市場での外貨調達で返済 対外政策 保護主義的な通商政策 - メルコスール域内重視 ぺネズエラとの連携強化 米欧に対する強硬姿勢 IMFとの関係悪化(4条審査拒否) 市場開放志向の通商政策 - EU・メルコスールFTA推進 ベネズエラとの関係見直し 米欧との関係改善 IMFとの関係改善(4条審査受け入れ) 為替制度 (注)【】内の月日は実施日。 (資料)各種報道等よりみずほ総合研究所作成 2 (3)変動相場制への移行と課題となるインフレ対応 最優先課題であった為替制度の見直しは、選挙公約の「12月10日の就任当日実施」こそ見送られた ものの、12月16日に発表された概要(次頁図表4)での事前アナウンスに基づき、翌17日から変動相場 制に移行し、資本規制を撤廃している。変動相場制への移行は、大胆かつ細心な計画のもとに実施さ れたと評価できる。移行に先だっては、外貨準備の積み増しや金利引き上げ等、混乱を回避するため の準備が行われている。また、制度変更の事前アナウンスも、12月16日の米国によるゼロ金利解除の 影響を見計らったうえで行われた。 これまでアルゼンチンは、ペソ安を緩やかなものにとどめるクローリング・ペッグ制度によって、 為替相場を管理してきた。割高なペソ相場を維持するための為替介入や各種の資本・貿易規制は、ア ルゼンチンの外貨準備の枯渇、産業競争力の低下、対内投資低迷の元凶となってきた。特に、外貨準 備は12月16日時点で242億ドルと、520億ドル超だった2010年末から5割以上減少し、2006年以来9年ぶ りの低水準となっていた(図表2)。 為替管理は、二重相場を生み出した。2011年からフェルナンデス前政権が資本・貿易規制を強化し たため、ペソの非公式取引市場が形成された。非公式レート4(12月16日時点14.0ペソ/ドル)は、政 府が管理する公式レート(同9.8ペソ/ドル)より3割程度割安な水準で推移していた(図表3)。 プラットガイ財務相は、12月16日の記者会見で、公式レートと非公式レートが一元化する水準まで のペソ安を想定していると発言し、実質的に約30%のペソ切り下げになるとの見通しを示している。 変動相場制に移行した12月17日の公式レートは前日比26.5%安の13.3ペソ/ドルまで下落し、非公式レ ートより依然割高ながら、かい離は大幅に縮小した。プラットガイ財務相は、「変動相場制への移行 初日のドル買い需要は特別に大きくはなく、制度変更は成功した」として、ペソの下落が想定の範囲 内にとどまったことを評価している。変動相場制に移行した12月17日は、中銀は為替介入を実施せず、 外貨準備の減少幅は前日比1,400万ドルとマクリ政権発足後で最少にとどまったと発表した。 今後については、中銀は行き過ぎたペソ安に対して為替介入を実施する方針を示している。為替介 入の原資となる外貨準備については、変動相場制への移行に先行する形で穀物輸出税を撤廃しており、 図表2 外貨準備 60 図表3 公式・非公式為替レート (10億ドル) 17 (ペソ/ドル) 2015/12/17 変動相場制移行 15 50 13 40 11 30 9 非公式レート 20 外貨準備 7 10 5 0 公式レート 2010 10 11 12 13 14 15 2014/1 実質切り下げ 3 (年) 10 2010 (資料)Bloomberg 11 12 (資料)Bloomberg 3 13 14 15 (年) 輸出増による外貨収入の一部を外貨準備に充当する方針であるほか、中国との通貨スワップの実行、 国際銀行団に対する中銀債発行等により、制度移行後1カ月で150~250億ドル増加させる計画となって いる(図表4)。 今後は、ペソ切り下げの副作用として生じうるインフレ圧力をコントロールできるかが課題になる。 アルゼンチンの消費者物価上昇率は、公式統計では前年比14.3%(2015年10月)5だが、民間推計では 同20%台半ばとみられており、ペソ切り下げにより同50%程度まで上昇するとの見方がある。大統領 選挙(決選投票11月22日)からマクリ大統領就任(12月10日)までに、ペソ切り下げを見込んだ小売 価格の値上げが進行していたが、切り下げ実施後は一段と値上げが加速している模様だ。また、労働 組合も、物価上昇を補てんできるだけの賃上げを求める抗議活動を実施する構えを見せている。今後 実施予定の電力、ガス等の公共料金の引き上げも、インフレ圧力となる。 インフレの急騰が暴動などの社会不安を誘発すれば、経済改革はとん挫しかねない。景気低迷や国 内原油価格の引き下げ(予定)はインフレ抑制要因となるが、金融・財政政策の引き締め転換が不可 欠だ。中銀は変動相場制移行に先立って短期金利の引き上げを実施しており、すでに金融政策は引き 締めに転じている。マクリ大統領は選挙公約で「2年間でインフレ率一桁台」を掲げており、シュトル ツェネッガー中銀総裁は、インフレ目標制度を導入する意向を表明している。 拡張的な財政政策の見直しも、インフレ抑制に欠かせない。アルゼンチンのインフレ高騰は、通貨 安や供給不足ばかりでなく、財政ファイナンスのための通貨供給拡大(マネタイゼーション)によっ てもたらされている側面があるためだ。公共料金の引き上げはインフレ圧力となるが、エネルギー関 連補助金の削減を通じて、財政収支の改善につながる。財政・金融政策の両面で、緩和的な政策から 引き締め方向へ転換することにより、インフレを鎮静化することができるか、政府・中銀の手腕が注 目される。 2.改革推進のカギを握る市場の信認と議会での超党派協力 (1)市場は経済改革を好意的に評価 マクリ大統領がショック療法にも近い野心的な経済改革を実現するためには、市場の信認を得るこ とで安定的な資金流入を促し、ショック療法の緩衝剤にする必要がある。 図表4 為替制度変更の概要 変動相場制への移行(12月17日~) 実質約30%の切り下げ、公式・非公式レートの一元化 中央銀行は行き過ぎたペソ安に対して為替介入を実施 資本規制の撤廃 個人・法人のドル購入に対する制限・課税の撤廃 外貨準備の積み増し(今後1カ月で150~250億ドル) 穀物輸出税撤廃(12月14日実施)による外貨収入増 穀物輸出業者は今後3週間で60億ドル(1日当たり4億ドル)を中銀に引き渡し 大豆は35%から5%ずつ引き下げ7年間で撤廃。小麦、とうもろこしは即時撤廃 国際銀行団からの調達(50億ドル超、金利7%程度の中銀債を国内市場で発行) 中国との通貨スワップの一部を実行(110億ドルのうち31億ドル) (資料)各種報道等よりみずほ総合研究所作成 4 これまでのところ、市場機能を重視するマクリ政権の経済改革は、市場からおおむね好意的に評価 されている。変動相場制に移行した12月17日のアルゼンチン株価(メルバル指数)は、前日比3%上昇 する等、制度変更を歓迎する反応を示した。フェルナンデス前政権により2014年1月に唐突に実施され た実質的なペソ切り下げ(1月23・24日の2日間で13%下落)が「アルゼンチン・ショック」となり新 興国売りを招いた時とは異なり、市場は事前に切り下げを織り込んでおり、他の新興国への目立った 影響はみられなかった。 格付け機関は、今後の政策運営次第では、アルゼンチン国債の格付けを引き上げる方向で見直す可 能性を示唆している。マクリ政権が、為替管理の撤廃や対外民間債務(ホールドアウト債権者)問題 解決への前向きな姿勢を評価しているためだ。ムーディーズ(外貨建て発行体格付け:Caa1)6は、ア ルゼンチンの格付け見通しについて、大統領選挙第一回投票後にNegative(弱含み)からStable(安 定的)に変更し、決選投票後にさらにPositive(強含み)に引き上げた。ムーディーズは、マクリ政 権発足後1週間で打ち出された政策について、アルゼンチン経済が抱える歪みを是正し、長期的な成長 押上げ要因になると評価しつつ、財政政策の修正を注視するとしている。スタンダード&プアーズ(外 貨建て長期債格付け:選択的債務不履行(SD))も、選挙結果自体は格付けに影響しないとしつつ、 債務問題が解決すれば、格付けを見直す(CCCないしB格)可能性を指摘している。フィッチ・レーテ ィングス(外貨建て発行体デフォルト格付け:一部債務不履行(RD))は、債務問題の解決のタイミ ングは不透明であるとして、選挙結果をうけた格付け見直しは行っていない。 プラットガイ財務相は、債務問題の早急な解決を目指すとしつつ、交渉は厳しいものになるとの見 解を示している。実際に格付けが引き上げられるためには、債務問題や財政再建に関する具体的な施 策の実行が待たれる状況となっている。 (2)超党派協力形成に向け、マクリ大統領の「統治能力」が問われる 市場の信認とともに、経済改革を前進させるために不可欠となるのが議会での超党派協力である。 緊縮財政を推進するための歳出見直しやホールドアウト債権者問題の解決には、議会での立法措置が 必要とされるためであり、マクリ大統領の「統治能力」が問われる。 大統領選挙(第一回投票)と同時に実施された議会選挙では、ペロン党キルチネル派の「勝利のた めの戦線(FPV)」・同盟政党が議席数を減らしたものの、下院では最大議席を確保(117/257)し、 上院では過半数を維持(42/72)した。マクリ大統領の「変えよう同盟」の議席数は上院15、下院91 にとどまる。マクリ大統領の政策運営においては、政権交代後も絶大な影響力を握るペロン党との協 力が不可欠である。 ペロン党との協力体制構築は容易ではない。選挙戦では、FPVのシオリ候補も経済改革を進める方針 を示していたが、そのペースや範囲は限られたものだった。フェルナンデス前大統領は、対決姿勢を 鮮明にしており、マクリ大統領の就任式に参加しなかった(1983年の民政移管以来、前任者の欠席は 初めて)。フェルナンデス前大統領は、退任直前に地方交付金を増額する等の緊急大統領令を濫発し て財政支出を拡大するなど、「立つ鳥跡を濁す」政策を実施している。 マクリ大統領は、「変えよう同盟」を構成する政党「共和国提案(PRO)」に所属しており、過去70 年以上にわたり政権を担ってきたアルゼンチンの主要政党(ペロン党・急進党)以外から選出された 初めての大統領となる。これまでに、反ペロン党で一期4年を満了できた大統領は存在しないとされる。 5 マクリ大統領は、市場の評価を後ろ盾に、脆弱な支持基盤を克服して議会をまとめ、歴史を変えるこ とができるのか。南米では、ブラジルやベネズエラでも大衆迎合的な政策を掲げた左派政権の退潮が 顕著になるなか、市場機能重視に舵を切ったアルゼンチン新政権の経済改革の成否が、アルゼンチン 経済のみならず南米左派政権の政策運営に与える影響が注目される。 1 第一回投票結果と選挙戦の経緯、アルゼンチン経済が抱える諸課題の概要については西川珠子「大統領選挙後のアル ゼンチン経済~勝者を問わず高まる通貨切り下げの可能性」(みずほ総合研究所「みずほインサイト」2015 年 10 月 28 日)をご参照。 2 プラットガイ財務相は、2004 年にユーロマネー誌の「もっとも優れた中銀総裁」に選ばれるなど、中銀総裁として国 際的にも高い評価を得たが、キルチネル大統領と中銀の独立性を巡り対立したことから、再任されなかった。 3 ホールドアウト債権者とは、2001 年の債務不履行(デフォルト)後の債務再編交渉に応じなかった債権者を指す。 4 ブルーチップ・スワップ・レート。同一株式のアルゼンチン国内および米国内での取引価格差により計算される為替 レート。 5 マクリ政権は、経済統計の見直しに着手しており、12 月中に発表予定であった 11 月分の物価統計および 7~9 月期の GDP 統計発表を延期した。 6 ムーディーズは、主要 3 社の中で唯一、2014 年 7 月のデフォルト後に格下げを行っていない。 ●当レポートは情報提供のみを目的として作成されたものであり、商品の勧誘を目的としたものではありません。本資料は、当社が信頼できると判断した各種データに 基づき作成されておりますが、その正確性、確実性を保証するものではありません。また、本資料に記載された内容は予告なしに変更されることもあります。 6