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日本のコンピュータメーカと 7人の小人(2)

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日本のコンピュータメーカと 7人の小人(2)
連載
:
足跡
情報処理技術の
の
日本
日本のコンピュータメーカと
7 人の小人(2)
高橋 茂 (学)片柳学園
[email protected]
比
/360
1964 年 8 月 B-5000
7人の小人(2):残った 2 社
10)
Burroughs
事務機
Burroughs
,
郊外
軍用
.1959 年海軍 注文
最大構成
D-825
制御 10 台,
1962 年
大
完成,約 50
設置
1958 年 10 月
開発
完成,米国最後
陳腐化
1959 年
・
.IBM-650
記憶装置
磁歪遅延線
,翌年開発
使
中止
,
B-1211
分野
計画
狙
,陳腐化
定
始
,
B-5000
,
斬新
考
方
上位
多重
技術的
融合
継
700
年
完成,最初
発表
.
当
.
構造
夏頃
7700
.中型
1972 年 小 型
変更
,大学
.700
Burroughs
出荷
Sperry
実現
Burroughs
始
社員
.UNIVAC
思
.
合併
検討
Sperry
変更
社名
後
.合併
48 億
会社名
研究所
残
買収
,Sperry
Unisys
出
名前
こうえい
,Sperry Rand Univac 部門 後裔
一
NCR
従来
特長
完成
上位
発 表,
Burroughs
.合併後
1971
.6500,6700
出荷
1970 年代後半
実際
実態
,
出荷
,
1973 年
1 号機
.1700
Corporation
.
歓迎
20 台
公開
,動
開発
D-825
高価
.6700
変
消滅
(Descriptor) 使
割
.
月
9
4700
発表
1969
(6500,5500,3500,2500) 後
開発
,
特
.
,Burroughs
•
貯
,複雑
完成
支持
制御
,完成
B-8500
計画
多重
,5500
発表
6500
,1986 年 9 月
• MCP(Master Control Program) 呼
的
前提
1970 年 10 月,500
.
,
成功
継 800
使
互換
.一方
1985 年
移
3500
.
,
高水準
220
.
1966 年 5500
1700
回
小型機
B-2500
.5500
開 発,1 号 機
支持
•
970
入
明
,
熱烈
取
改良,
Burroughs
書
2700,3700
開発
決
時的
発表
,
.
環境
•
開発,
1966 年 4 月
結局
.
UNIVAC-FILE
1961 年
言語
,中型
改称)
真空管計算機
.一方従来
.
発表,1970 年
B-5500
行
B-5500
Datatron-220(B-220
開発
機械
出荷
3倍
年
州
設置
次
台
始
一方 ElectroData 部門
20 台
発展
.
.買収後
速度
長
,
,会社
路
点
COBOL
4 台,入出力
16
寄与
1956 年以前
(Paoli) 研究所
開発
開発
大
買収
ElectroData
見劣
1963 年
,翌年 4 月
持
NCR
,一部
発表
事業
IBM
NCR-304
44 巻 9 号 情報処理 2003 年 9 月
−1−
1953 年 Computer Research
進出
GE
図
,足取
製作,1960 年発表
吸収,
遅
1957 年発表
NCR-310
CDC-160
,
.
日本の情報処理技術の足跡
.1962 年 1 月
OEM
設置
本格的
強
銀行
完 成,700 台
NCR-315
分野
参入
,NCR
小売店対象
伝統的
日本のメーカとのかかわり
専用端末
.
日本
1968 年 CENTURY
1974 年
発表,小型機
約 5,000 台
小売店向
設置
専用端末
,電子式
1972 年
6,000 万
危機
機械工場
,人員整理
行
装置
,他
行
組織
地位
回復
施策
,
度
5 年間
,
2,3
各社
.Anderson
1974 年会長
中・小型
.CENTURY
能力強化
質
優
,1976 年
端末・
工場用
,1978 年
Quantor
,1979 年
,
端末
1980 年
上位
Data Systems(ADDS) 買収
.
得意
市場
足場
年代後半
NCR
勇敢
始
始
.
分野
参入
興味
引
門
AT&T
傘下
12)
収
.
NCR
分離
付
共同開発
最初
化
取
正式
2社
同
同意,「新
,協力
交
方針
.1971 年 10
開発
行
」
.翌月,日本電気・東
.日本電気
2
次項
残
.日立
比較的容易
述
,
合併
双方
自然
組合
東
成
行
,三菱・
.
Applied Digital
東芝
確保
,1980
東芝
開
足枷
解
計画
当
持
,1991 年 9 月
社長
Ralph Cordiner
強
,東芝
開発
,1996 年
事業
GE-600
.
東芝
GE
用
契約
GE
,論理素子
異
600
改訂
,
集積回路
京都大学萩原宏
TOSBAC-3400
改良
ELS(Entry Level System)
,下位
採用
1963 年
完成
採用
IPSJ Magazine Vol.44 No.9 Sep. 2003
−2−
.
指導
制御
伝
変
TOSBAC-5600
構成方法
天羽浩平
.
.
海外
,1970 年 1 月
.東芝
制御
成立
Fred Borch
Hershner Cross
含
結果
戻
GE
1964 年 10 月
.当初
,NCR
合併
独立会社
技術提携契約
展開
AT&T Global Information Solutions 部
思
GE
,副社長
AT&T
,
,
6社
条件
上
合意
覚書
要素
独禁法
厳
IBM 互換
組合
沖
6社
.
化
芝,三菱・沖
高品
,1972 年
,1971 年 9 月頃
打診
骨子
芝
大型
発
平松守彦
月 21 日両社
Data Pathing
Comten
・
大蔵省
一致
.一方 NCR
見
「
」
,共同開発
異
障壁
付
,
富士通
後継
.通産
上 「新製品系列開発補助金」
日立・富士通
.
規制,
.通産省
570 億円
.通産省電政課長
強化
脱
移行
通信技術
.
強
除
減
集中管理
知
影
受
非難
支出
,小売業,金融
出力装置
大
触
庇護
国際競争力
多
排
手厚
海外
,
収集
簡単
通産省
返
,本部
CENTURY
周辺装置領域
6社
発足以来,外資
制限
危機
発表
日本
通産省の「新製品系列開発補助金」とメーカの
グループ化
過
製品
地位
CRITERION
通産省
1971 年以降順次取
変更
供給
各工場
NCR
同時期
大臣・田中角栄
MOS-LSI 工
概念
,以来 10 年間
1976 年 NCR
任命
基本
部品
改革
与
輸入
州
工場
各工場
響
,
日本
伝統
社長
一方,従来
業分野
.
設計・生産
.Anderson
.
,全
陥
NCR
端末装置用
,会社
,
伸
William S. Anderson
.Anderson
.従来
上
,経営危機
,取締役会
異端者
11)
場 変
奪
出
切
銀行・
前
」
間
売
赤字
乗
本業
Singer
CENTURY
体
.
開発
新参
POS
述
各社 「小人
.
971
日本の情報処理技術の足跡
5600
130,140,160,170,180
1972 年
1974 年
間
38 台
過
置
完成
,1977 年
事業
取
義務
.東芝・GE
引
Honeywell
場
競合
系 列
設
.
1970 年 5 月 GE
買
,
5
撤退,Honeywell
技術提携契約
継
,東芝
,
権利・
日本電気
市
東芝
日本電気
提携,新
状態
両社組合
決
手
本電気
200
400
芝
TOSBAC
面
協調
,東芝
,双方
名
自社
600,700
販売
前
日本電気
付
撤退
損失
.
嵩
事業
撤退
.実質的
早
,日本電気
両社
販売
高
持
,
大型
,
利
日本電気
.
Honeywell
技術提携
.当時
決断
支持
反対論
,1962 年 7 月
製品
Honeywell
直
,社内
契約
.
,日本電気
電気試験所 ETL Mark IV
製品
流
汲
従来
直
成功
収
大
反響
.翌年 4 月 IBM
,Honeywell
評判
.
最初
日本電気
最上位
顧客
1965 年
梃子
,
Honeywell 系
一本化
NEAC-500
,Honeywell
H-4200
大阪大学
要求納期
間
ACOS
決断
合
一貫
契約
場合
条項
,
主張
,
中
含
.契約
,
比
,
.1970 年 Honeywell
吸収,
更改
日本電気
10 年続
日本電気
Honeywell
想定,
場合
,
東芝
開発
発表,日
製品
.
観点
継続
場合
対等
近
一方 1971 年 11 月,通産省 「新製品系列開発補助金」
/360
発展
H-200
転
.
列
.Honeywell 系列
当初計画
示
,
44 巻 9 号 情報処理 2003 年 9 月
−3−
提携
,共同
新
.ACOS
異
(200,300,400,500) 発表
NEAC-2200
機
支払
,大
発表
良
起
Olivetti
.最初
.日
是非,
石井善昭
社長・小林宏治
H-200
呼
発表
(200,1200,2200,4200)
.
別系列
NEAC-2200
H-200
展望
事業
NEAC-2230,2206
製品
技術提携
論議
利用
発表,既述
本電気
切
世界的
.
1963 年 11 月 Honeywell
本電気
打
再
Machines Bull
,
4位
契約(期間 10 年) 期限 1972 年
,社内
GE
,NEAC-2400,2800,3400,3800
国内
可搬性維持
販売
・
対抗
近
後年副社長
H-400,800,1400,1800
導入
成立
単位
HITAC-8000
,日本電気
,
多重
日立
Honeywell
契約更新
副社長・小林宏治
972
進
,6
8
.
6月
日本電気
便
,
遅
FACOM-230
13)
単位
開発
.一方出足
品揃
落
普及
/360
8
/360 出現前
富士通
移管
次
好
単位
汎用
出足
日本 IBM
.IBM
特長
H-200
事
1968 年頃
扱
「販売」
東芝
/360 対抗製品
,東
同年 4 月中・大型
移管
NTIS
東芝
,1978 年 2 月
.
,
,1974 年 3 月,日電東芝情報
表明,
業
開発
2200
(NTIS,出資比率:日本電気 60%,東芝 40%,社長:
事業
系列
NEAC
.
出川雄二郎) 設立
600 ,700 ,800
900 ,1000
計画,日
5
3
,販売
ACOS-6
(GCOS-8)
.
ACOS-200,300,400,600,700
開発
250 ,300 ,400
500 ,750 ,1500
,
両社
2
ACOS-4
(GCOS-7)
表 -3 ACOS
ACOS(Advanced
Computer Systems) 共同開発
200
注 1)
系列名下段括弧内は対応する Honeywell 名称.
注 2)アンダーラインのコンピュータ名は当初未
発表だったもの.
HIS
.1971 年 11 月,通産省 「新製品系列開発補助金」
梃子
コンピュータ
ACOS-2
(GCOS-2)
ACOS-2,ACOS-4,ACOS-6
対応
,各系列
含
3系
属
表 -3
.
ACOS-4 系列
語長 32
,日本電気
日本の情報処理技術の足跡
経験
NEAC-2200
.
対
,Honeywell
投資
出
避
方針
当初(1971 年東芝
開発
熱心
,
計画
Honeywell
独力
1975 年
,途中
共同開発
1977 年 10 月
完成
事業
日本電気
噂
高
,効果
機種開発
,4331
2
向上
発表
4341
比
・
,発表後 1
月
.
大反響
大
取
日本電気
.ACOS-250
拡大
1980 年 9 月, 日 本 電 気
ACOS-6
発表,翌年 3 月東北大学
汎用
米国
(GEISCO)
注意
1000 相当
大型機
性能
疑問
取
上
惹
.GEISCO
,GEISCO
GCOS-8
Honeywell
100%Bull
,実務環境
性能
比較
.ACOS
間無故障
,
取
政府
,
強
Bull
要
持分
手
引
株
Bull
.
交換,H-B
.
技術提携契約
RCA
.「世
内,特
反対
.
部
傘下
,提携
久保俊彦
.
RCA
提携
日立
結
,HITAC-3010
抑制策
開始
製品
終
野心的
大型機 601
開発
簡単
,Honeywell
状況
開発
踏
対
,RCA
社
通信機事業
取締役事業部長・
月前
.日立
販売
RCA
,提携
決断
3
,IBM 1401
対抗
直
国産化
発表,通産省
順調
落
技術
中央研究所・高田昇平
1962 年 3 月
競合力
,日立
各1台
月
下
早
.
事業
完成
RCA 301
ACOS-
ACOS-1000
,1961 年 5 月国産
電気試験所 Mark IV
開発
HIPAC-101
強
明
対
.
1991 年
完全
HITAC-301,201,102
遅
1
.
交渉
確保
切
最上位機
Honeywell
.比較
断
,
親会社 Bull
子会社
日立
.
検討
,
Honeywell
.Honeywell
持分
売
HIS
日立
提供
大型機
支援
事業
下位
小林
H-B(Bull:42.5% ,
必要
.日本電気
投資
後日本電気
一流紙
使
Mark III
新
HIPAC-101,103
,開発
徴
.
単身
.Spencer
意見
承認
売却,
2月6日
納入
,ACOS-1000 購入
検討
,Groupe Bull
日本電気
要求
15%
,GE Information Service Co.
注文
抱
ACOS-1000 上
群
請
ACOS-1000」 国内
有力紙
陪席
石井
政府
下位
2,000 台以上販売
寄与
売却
述
引
期待
大
界最高速
項
頃
8倍
,米国
上
後継機
会長 Edson W. Spencer
,
小林
投資
導入
含
優
.石井
技術
.
,1987 年 米 国
注文
1 週間後
呼
顧客
ACOS-1000
加
/370
超
切
事業
打診
真剣
・
国内
.
,新
4倍
発表
考
.
ACOS-1000
Honeywell 撤退後
発表
E
50,000 台
対
ACOS-250
日本電気
噂
.契約
,1979
3 年間
Honeywell:42.5%,日本電気:15%) 設立
新機種
社内関係部課
.1979 年 1 月 30 日 IBM
日本電気
Honeywell
発
大
前倒
要請
却
.情報処理企画室長
優
Honeywell
(当時会長) 訪問,石井
).
新機種 E
発表直後
今度
(NTIS
変更
画期的
IBM
,完全
始
手
,
払
1985 年突然 Honeywell
1978 年汎
移管
NEC 東芝情報
1978 年
,IBM
日本電
.後
方
事実上撤退,日電東芝情報
(NTIS) 通
1994 年社名
切
.一方東芝
入
Honeywell
考
示
契約
Honeywell
,1984 年 2 月
実装設計上
打
更改
OEM 供与,特許・著作権
,日本電気・東芝両社
用
石井
交渉
大
導入
興味
ACOS-1000
自然消滅
.
.
ACOS-6
,Honeywell
売
年 12 月
共同
Honeywell
.GEISCO
大
一方 1972 年 6 月
.日
計画
.開発
比較
.
計画
完成
上
,他
始
,
止
,1976 年
当初
発表
加
気独力
利益
開発
信頼性
決
500
差
行
相違
大
充実
共同
H-B
機械
GCOS-4
GCOS-8
ACOS-4
開発
同
型機 800,900
新
重視
提携時) 計画
GCOS-4
500
系列
,成熟
.日本電気
本電気
,
,
新機種
.
秋
IBM 新機種
待
失敗
切
懲
侘
噂
.
RCA
,本格的
新機種
.
,筆者
関係
浦城恒雄
製品化
HITAC-201014)
躊躇
IPSJ Magazine Vol.44 No.9 Sep. 2003
−4−
輸入
973
日本の情報処理技術の足跡
,IBM
発表
/360
上
/360
,文字
第 3 世代
/360
相違
従来
2010
特徴付
,
時点
.2010
共通点
筆者
新
RCA
断念
州
,新任
行
出席,筆者 「286/2861
.日
急
」 述
文字
切
筆者
RCA 2
良
.RCA
導入
賛成
何
製品
.
却
1964 年 6 月,日立
持
何
決
Spectra 70(15,25,45,55) 発表
謳
日立
10 年前
年5月
更新
約
満足
不満
,RCA
方法
判断
力
,1965 年 9 月 8 日
,契約
日立
340 万
撤退
善
,特
論理設計
・
8500
異
70/55
.
技術,特
Spectra 70
当初
介
日立
多
発表
日立
8300
,
州) 約 1 年
筆者
責任者
参加
.
問題
974
切
構成方式
実装技術
相当
提案
.
真
向
対立
RCA
,日立
.日立
謳
交渉
代
妥協
IBM
.RCA
悪影響
,
,製品計画
結果
完全
.
1
始
対応
,日立・富士通
通産省 「新製品系列開発補助金」
日立・RCA
化
最初
技術提携契約
継続
,富士通
化
難航
.
,RCA
沖電気工業
Dan Neilson,日立
萱島興三,浦城恒雄
6名
日本
頃,沖電気
一応成功
」
工場(
RCA
行
,契
,
1972 年
思
主張
担当常務・橋本
好
戻
,1971
撤退
出席
事業
方針
,
共同開発
回復
.12 月 20 ∼ 21 日
支払
決
RCA
熱
払
更新
.1964 年 6 月
含
70/35
日立
今後
日立
改
学
日立
.共同開発
8000
打
事業
支払
得
RCA
技術援助契約
RCA
得
計算機構成方式
事態
RCA
.RCA
主張
.
少
結
(8100,8200,8300,8400,8500) 発
HITAC 8000
数名
事業
行
入出力
Spectra 70
対抗
,筆者
前
一二,筆者,田村清明
活用
,
4 日間,NTS
S. S. Barone 以下数名,日立
RCA
.日立
下位
機会
「RCA
RCA
日
.
後継
.日立
,話
,日立
互換性
開発 進
.
新
,
1971
相当)
/370
絶好
対応
.一方 RCA
互換性
/360
開
・
派遣
,契約
/360
独自
Les J. Limbaugh 以下数名
不能
新
新
方針
,
比較的
心
,高
発表,
,1971 年 1 月 25 日
始
.
日立
1964 年 12 月,
,
,RCA
,RCA
決
完全
立
打診
.米国他社
幸
自由
輸出
,一向
設計人員
HITAC 8700
IBM
考
Spectra 70
1969 年頃
遥
中型機開発
/360
」
日立
8400(Spectra 70/45
Donegan
設計
1 年遅
,少
神奈川工場
直
最近発表
得
,1970 年 11 月
8350
思
思
表
替
「新
,1 年経
.
.
数日後 Lonergan
岩間
計画
HITAC 8350
知
対抗
/360
後継
進
DIPS
.一方 RCA
年 7 月 発表 予定 HITAC 8350/8450
筆者
.
,到底
手薄
発
以前
,賛成
電電公社通研
払
/360
説明
286/2861
8
部門
製品企画部長 William R.
,
担当
,汎用
進
事業部企画部長・岩間喜吉
6
1969 年 5 月
参加
製品化
2010
日立
立
,
決定的
8
Lonergan
対抗
多
,
6
.一方 1964 年 4 月 20 日
RCA EDP 事業部
「超高性能電子計算機」 本体
,
後継
1967 年 6 月,通産省
製造
機械的
.
大型
1961 年 5 月
44 巻 9 号 情報処理 2003 年 9 月
−5−
1958 年
周辺装置
本体
完成
始
注目
手
OKITAC-5090
他社
最初
製品
遅
,
.
日本の情報処理技術の足跡
東大
5090
元岡達
指導
沖電気
藤井純
,磁心記憶装置
高速性
活用
成 評判
状況
日立
RCA,日本電気
技術提携
優
相手
技術提携
立
単純
後継
構
経緯
主張
立場
.1963 年 6 月
月沖
,
.沖電気
合意
.OUK
生産
開始
,沖電気
5090
生産
中止
1986 年 9 月 Burroughs
.
小型
製品
.1
買 収,Unisys
.沖
際
沖電気
名称
月
持分
沖電気
子会社
100%
沖
沖電気
消失
半導体
.
結果
沖
,1963 年
失敗
野
.日本
産業
,IBM
足
日立
相手
1 年経
,RCA
方
RCA
事業
撤退
日本
契約
勉強
.9 年後
売
当
,筆者
人材
,
日立
発
平坦
」 言
富士通
実力
潤
RCA
理者
.GE
,
足
引
多額
捉
場合
要
,
(1)CEO
職業的管
焼
人
事業
理解
.
(3)多額
手
.
見
目
原因
場合,
(1)優
.
(2)
資金
,Machines Bull
失敗
理解
張
,
必
良
,
種々
意味合
産業
様相
化
大
変
多
部分 「
・
」 求
.
」業
転向
.7 人
小人
,今後
残
道
2人
,
,
決
,日立
・
例外
.
参考文献
10)Gray, G.: Unisys History Newsletter, Vol.3, No.1, Vol.3, No.5, Vol.5, No.2.
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,情
報処理,Vol.43, No.2, pp.108-110 (Feb. 2002).
15)小松秀二 : 情報処理学会歴史特別委員会資料 (2003).
(平成 15 年 5 月 15 日受付)
想像
5社
怠
2
CDC
,
上
「
惨
扱
整理
抱
始
開発
社内
残
.
擱筆
機種
.
」 「
副社長・橋本真吉
事業
大
かくひつ
経営方針
視
遺産(6000
GE
,
,
.IBM
上
小人
生
.1962 年筆者
,当時
.確
差
見
入社
,
「高橋君,RCA
立
,7 人
強大
電気試験所
5人
大型
,(2)長期的
,長年
1990 年以降,分散化
小人
標準
Honeywell
,語長 32
挙
,1984 年
対処
粗雑
注
独断的
加
参入
.
融合
考察
息 絶
原因
利益
力
OUK
急
,
事業
動向
,Sperry
Norris
,7 人
起
3社
,
,
)
.
強大
半導体技術
市場
.前記
最大
持
会社
15)
相変
.
事実上
偏
原因
IBM
安
IBM PC
,(1)製品計画
発足
思
出現
発表
変更,1997 年 7
移管
大
急激
・
譲渡,沖
.同年 8 月
問題
頃
可能
1981 年
PC/AT
社名
撤退
,
分散化
発足
述
.
・
防衛事業
・
業務
完全
1989 年
,1996 年 3 月 Unisys
,
進歩
恐
項
Univac
遅
撤退
激
,商品名
,
変更
競合
出来事
.1970 年代後半
1004,1050
考
原因
共通
1985 年以降
.IBM
前,Univac 部門
UNIVAC
産業
JV 設
.
Sperry
個々
成立,同年 11
直
OUK
,
米国
(OUK,資本金:4 億円,出資比率:沖
51%,SR 49%) 発足
原因
,急
1980 年代後半
Honeywell,Sperry,CDC
会社
強化
.
1970 年代初期
単
Univac
狙
.
,業界 2 位
相違
,強
譲
比
Honeywell
見
明確
,営業部門
向上
.
走
開発
激
,一時国産機
Univac
開発
,
投資
原因
,RCA
.(2)
IPSJ Magazine Vol.44 No.9 Sep. 2003
−6−
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