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1 事例番号 124 所有と使用の分離によるまち経営

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1 事例番号 124 所有と使用の分離によるまち経営
事例番号 124 所有と使用の分離によるまち経営(香川県高松市・丸亀町商店街)
1. 背景
高松市は、四国北東部を占める香川県のほぼ中央に位置する、人口約 33 万人の都市である。
「高松」の名は、1588 年(天正 16 年)に生駒親正(豊臣秀吉の家臣)が玉藻浦に築いた城を「高松
城」と名付けたことに由来する。江戸時代は寛永年間以降松平氏の城下町として栄え、明治以降
は県庁所在市としてさらに発展し、1999 年に中核市に移行した。
その高松市の中心に位置する丸亀町は、高松城築城とともに開発された歴史ある商店街である。
後に丸亀の城が廃城になったことから同地の商人が高松に移り、それに伴って町名が丸亀町にな
った。同商店街は高松城の大手門から南にまっすぐ伸びる高松市のメイン・ストリート(総延長約
470 メートル)であり、かつては四国の銀座と呼ばれた。現在でも高松市の 8 つの中央商店街(丸亀
町、南新町、常磐町、兵庫町、片原町西部、片原町東部、田町、ライオン通り)のリーダーとなって
いるが、その丸亀町においても 1980 年代以降は通行量、売上高が減少する傾向が見られ始め、
1990 年代後半以降はその傾向が強まってきた。
その背景にはいくつかの要因があった。居住人口が減少していたこと、地価高騰で店舗賃料が
急上昇していたこと、商店街に魅力的な公共空間(コミュニティ・スペース)がなかったこと、商店街
にインキュベーター機能がなく業種の偏りを是正する力がなかったこと、周辺に新たな商業施設が
オープンしたこと等であるが、中でも影響が大きかったのは大型店の出店であった。1996 年以降、
郊外大型店や駅ビルデパートの開店、三越の増床、ロードサイドショップの乱立等が続き、39 万㎡
だった市内の商業面積は 6 年間で 62 万㎡にまで急増した。都心からはダイエー高松店、ジャスコ
高松店、高松ビブレが撤退し、多くのテナントは SC に移行した。また、郊外にシネコンができたこと
から、最盛期には 15 館もあった都心の映画館は 1 館になってしまった。このようなことから、高松丸
亀町商店街の通行量は 1995 年度の 2.71 万人/日から 2004 年度の 1.55 万人/日へと激減して
いた(休日の年間平均、高松丸亀町商店街振興組合調べ)。また、丸亀町の空き店舗率は 1995 年
の 0.6%から 2005 年の 18.2%へと急上昇していた(それぞれ 6 月 30 日時点、高松市資料)。
また、このような問題が深刻化する以前から丸亀町商店街は大きな問題を抱えていた。それは、
商店街としてのバランスのとれた店舗構成が失われてきたことである。丸亀町は高松市の最都心で
あるため地価上昇が著しく、それに伴って採算のとれるテナントの分野が限られるようになり、結果
として業種の偏りが著しくなった。高級ファッション系の物販店が 50%を越えてしまった(その背景
には丸亀町の敷地割(間口 3 間奥行 16 間)では洋品店以外は使いにくいという事情もあった)。ま
た、商店主の約 3 割が不動産賃貸業を営むようになってしまい、それが収益第一主義を強める要
因になった。それでますます業種の偏りが加速されるという悪循環に陥ってしまった。そのため、そ
れ以外の分野のテナントが外から新たに入り商店街の新陳代謝を図ることが難しくなってしまった。
そのような中で大型店の立地が相次いだことから、丸亀町が特化していた衣料部門にも大型店へ
とシフトする傾向が生まれ、あとには特徴のない雑貨や飲食関連の店が入るようになり、商店街の
魅力が失われる傾向が強まった。
ところで、丸亀町商店街の衰退は大型店の集中豪雨的な立地が生じる前から危惧されていた。
その直接的な契機は 1988 年の瀬戸大橋の開通である。それにより高松市が交通の本線から外れ
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てしまうことが懸念されたのである。折りしも同年は開町 400 年を記念する「高松四百年祭」が執り
行われる年であった。そこで、その準備を始めた 1983 年、高松丸亀町商店街振興組合の当時の
理事長であった鹿庭氏が青年会のメンバー(中心は現在の常務理事である明石氏)を指名し、丸
亀町が 500 年祭も迎えることができるよう、まちづくりの研究を開始させた(丸亀町商店街は 1987 年
の「高松地域商業近代化地域計画」で「近代化済み」となっていたので、計画作成費用等はすべ
て商店街振興組合の負担で賄われた)。そこで青年会が危機状態にある各地の商店街を調査して
みたところ、商店自身がその街を見捨てることによって驚くほど簡単に商店街が崩壊していく様が
明らかになった。商店街が存続していくためには「仲間に見限られない街」をつくることが何より重
要であるとの思いが強くなった。そこで地元の大学教授も交えて商店街存続の条件を考え、市民
アンケート等も交えつつ 1 年間検討を行った結果、次の結果が出された。
① 物販に特化しすぎた丸亀町が今後 100 年間、市民の支持を受け続けることは絶対に出来な
い。
② 丸亀町には、物販以外の機能強化が必要であり、導入すべき機能としては、市民広場、都市
公園、イベントホール、駐輪場、駐車場、休憩施設、公衆トイレ、レストラン等の飲食機能、生鮮
市場又は食品スーパー、ホームセンター等の生活雑貨店、マンション等の居住施設、(電車は
無理なので)バスターミナル等がある。
③ 丸亀町を「モノを買うだけの街」から「時間消費型の街」に作り変える事が、丸亀町が今後存続
する為の必要条件である。
丸亀町の周辺の土地利用状況を見ると、2 つの私鉄駅と JR 高松駅があり、市役所をはじめとす
る様々な公共施設がある。大型病院も複数あり、四国最大のオフィス街(中央通り)もある。また、
1,500 店以上の飲み屋を持つ歓楽街もある。つまりさまざまな機能が丸亀町の周りにコンパクトに収
まっている。このような土地利用状況を前提とすれば、商店街の機能強化を図ることによって丸亀
町は十分に巨大商業施設に対抗できるという結論が得られたのである。
こうして振興組合は 1984 年からまちづくり活動を積極的に展開することとなった。その内容は、さ
まざまな施設の整備、ソフト事業の展開、市街地再開発事業の実施である。なお、懸念された瀬戸
大橋の影響は実際にはほとんどなく、逆に支店・営業所はやや増加した。しかしながらその後も明
石海峡大橋の開通、港頭地区再開発事業(サンポート高松、2004 年オープン)、大型店の集中豪
雨的立地などの影響から高松の中央商店街にとっては厳しい時代になるとの見通しは変わってお
らず、高松丸亀町振興組合はまちづくり活動を引き続き積極的に展開する方針である。
2. 目標
高松市では 1999 年 12 月に「新・高松市総合計画(たかまつ・21 世紀プラン)」が策定された(目
標年次 2011 年)。これは、「21 世紀のたかまつを考える市民懇話会」が 1998 年 3 月に市長に提出
した「21 世紀の高松・まちづくりビジョン」を踏まえて策定されたものである。同計画は目指すべき都
市像を「笑顔あふれる 人にやさしいまち・高松」とし、次の 6 つの施策分野を定めた。
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高松市中心部地図 (資料:高松市観光課)
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高松市 10km圏大型店位置図 (資料:高松丸亀町商店街振興組合)
① 環境共生型まちづくりへの転換
② 少子・高齢化社会にふさわしい福祉のまちづくり
③ 心豊かな生活のための場と人づくり
④ 豊かで活力あふれる産業の振興
⑤ 広域・交流拠点性の強化
⑥ 地域みずからのまちづくり
また、「高松市中心市街地活性化基本計画」(高松市、2003 年 5 月変更)では、中心市街地活
性化のコンセプトを「心ときめく生活文化交流都心 ハート・オブ・高松」とし、次の 3 つのイメージを
掲げている。
① 高次都市機能の集積する環瀬戸内交流圏の中枢都心
② 広域から人が集まる商業・観光・アミューズメント都心
③ 人・もの・情報が融合し新たな生活文化を生み出す都心
これらの視点は丸亀町商店街のまち再生にも反映されている。丸亀町では市街地再開発事業
でまち再生を図ることとなったが、その際のコンセプトは次の 5 つであった(1990 年の高松丸亀町
商店街再開発計画)。
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① 美しい町並み、快適な「場所」をつくる。
② 住みたくなる町をめざす。
③ 毎日の生活を「楽しく、美しく、豊か」にする商業活動を展開する。
④ 市民活動を支える場所や機能を提供する。
⑤ サステイナブルを基本とする。
以上を踏まえて商店街が合意した目標は「ヒューマンスケールによる市民のための都市空間を
めざしたい」というものである。また、現在、高松丸亀町商店街振興組合が丸亀町全体について掲
げている基本コンセプトは、「出会い 賑わい おもてなし」である。
以上のさまざまな考え方は、高松の市場特性から導き出されたものでもある。すなわち、高松市
の市場は、商業の集積度が非常に高い(大型小売店数は全国 2 位)、消費者が新しいものに対し
て貪欲である(ファッション等)、消費者の可処分所得が高い(三世代同居の多い長男経済)といっ
た特性を持っている。そこから導き出された潜在マーケットが「豊かに暮らすアダルトシニア」(保守
的で調和主義)及び「ヤングキャリア」(品の良さ、育ちの良さ)である。上記のコンセプトは、このよう
なマーケットとターゲットを前提とした新しいライフスタイルの提案でもある。
一方、コミュニティ施設整備のイメージを形づくる上では、次のアンケート調査の結果が参考にさ
れている。
・ 丸亀町商店街によるアンケート調査(1995 年)で望まれた施設
映画館・劇場(47.1%)、コンサートホール(35.3%)
・ 丸亀町商店街レッツ前アンケート調査(2001 年)
広場(639)、ミニ公園(604)
・ 高松市中心市街地活性化基本計画の市民アンケート(1999 年)
休憩所・ベンチ・トイレ(59.3%)、ミニ公園・広場・ポケットパーク(48.6%)
3. 取り組みの体制
丸亀町のまちづくりは高松丸亀町商店街振興組合がすべての中心となっている。振興組合にお
ける体制は、青年会が中心となって発議し、常務会、理事会(各部代表)の承認を得て、物事が決
定され実施されるという形である。市街地再開発事業実施に当たっては、このような組合の体制に
外部の専門家等も加わって計画を練り上げ、行政の支援の下で事業の実現に至った。
振興組合では、市街地再開発事業はまちづくり事業の 1 部門と位置づけている。準備組合段階
での資金調達や実務は振興組合がデベロッパーとしての役割を担っているが、本組合設立後は
特定業務代行組織、一般業務代行組織を選定して事業を遂行するという体制である。
A 街区に関しては、ビルの取得会社として「丸亀町壱番街株式会社」を設立した。また、振興組
合に代わって町全体の運営管理を行う統括管理会社(デベロッパー)として「高松丸亀町まちづくり
株式会社」(第 3 セクター)を設立した。この会社は、各街区の取得会社から運営管理を受託する
他、小規模再開発ビルの取得、空き店舗の借り上げリーシング等も行う予定である。また、町営駐
車場、町営市場、町営スパ、町営シネコン等を振興組合と協力して設置運営する予定である。
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まちづくり会社の位置づけ (資料:高松丸亀商店街 A 街区市街地再開発組合資料から)
4. 具体策
(1) 高松丸亀町商店街振興組合のこれまでの取り組み
丸亀町は歴史ある古い街だけに、様々な面で空間構成が固定的になっていた。その町が生ま
れ変わるためには新たなハード整備やソフトの仕掛けが必要であると考えられた。そのため、高松
丸亀町商店街振興組合は市街地再開発事業決定以前、以後ともさまざまな取り組みを行ってきて
いる。例えばハード整備に関しては、アーケード、カラー舗装、駐車場(5 ヶ所目を建設中)、ポケッ
トパーク、テレビガイド、イベントホール、インターネット無線 LAN、町営バス、公衆トイレ等を整備し、
ソフト事業に関してはカルチャー教室、ポイントカード、クレジットカード、共通駐車券、パーキング
カード等の事業を展開している。以下に主な事業を挙げる。
1984 年 アーケード・カラー舗装の更新(旧施設は 1968 年整備のもの)及び
南北町営駐車場の整備(北 296 台、南 74 台、公衆トイレ併設) (総事業費 15.5 億円)
1985 年 百十四銀行前ポケットパークの整備(約 1,000 万円)
1986 年 山一證券前ポケットパークの整備(山一證券が負担)
1987 年 町営テレビガイドの整備(街頭端末 3 台) (約 3,800 万円)
1988 年 丸亀町 400 年祭(108 日間のロングイベント) (約 6,000 万円)
(1990 年 丸亀町再開発委員会発足)
1993 年 町営第 3 駐車場の整備(71 台、公衆トイレ併設)及び
丸亀町カルチャー館「ラ・ロンド」の開設(公衆トイレ併設) (総事業費 7.2 億円)
(駐車場前 2 階建て、1 階車路、2 階カルチャー教室(現在約 23 教室))
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町営テレビガイド新機種変更、増設(5 台) (約 1,500 万円)
(1994 年 A 街区、D 街区市街地再開発準備組合設立)
1995 年 丸亀町イベントホール「Let's」の開設 (総事業費 8.9 億円)
(イベントホール(1 階 147 ㎡、2 階 206 ㎡)と公衆トイレ、2004 年までに 183 件のイベ
ント)
(同年 G 街区市街地再開発準備組合設立)
1996 年 丸亀町ハウスカード委員会発足
共通駐車券運用開始(8 町の中央商店街連合会による)
(8 町が民間駐車場・高松駐車場協会と契約、駐車場券は時間券ではなく金額券)
1998 年 ポイントカードの導入(200 店参加、途中からクレジット機能も附与) (約 8,500 万円)
(1999 年 高松丸亀町まちづくり株式会社設立)
2001 年 「タウンカード丸亀町」の導入(約 1,000 万円)
(クレジットカードの顧客に対するサービスの充実、120 店参加)
(2001 年 G 街区市街地再開発組合設立)
(2002 年 A 街区市街地再開発組合設立)
2003 年 町営第 4 駐車場の整備(総事業費 12.8 億円)
(325 台、公衆トイレ、託児ルーム(女性部スタッフが実施)、駐輪場併設)
また、振興組合では年間を通して青年会と婦人部が協力して様々なイベントを開催している。
2004 年度に行った主なイベントは次のとおりである。
〔春イベント〕
中央商店街連合会「春のウキウキフェスティバル」/丸亀町リ・ボーンフェスタ
オリーブカフェ(レッツ)/オープンカフェ/丸亀町タウンガイド(風船・お菓子プレゼント)
〔夏イベント〕
レッツビアガーデン/ラ・マル・カフェ(ストリートカフェ)
遊ばナイト高松(ゲームコーナー、飲食ワゴン等)
高松まつり総おどりに子ども会と参加/氷柱
〔秋イベント〕
岩清尾八幡宮秋の大祭に山車と太鼓で参加/ラ・マル・カフェ
〔冬イベント〕
現金でポン!(総額 1,000 万円現金還元セール)
丸亀町タウンガイド(風船・お菓子プレゼント)/クリスマスツリー設置/ラ・マル・カフェ
中央商店街連合会「まちブラ」(小冊子)発行
〔春イベント〕
現金でポン!(総額 1,000 万円現金還元セール)/丸亀町タウンガイド(風船・お菓子プレゼン
ト)
ラ・マル・カフェ/サッカーワールドカップ最終予選パブリックビューイング(レッツ)
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以上のほか、成人式持ちつき大会、大鍋接待、イルミネーション等の装飾、ビリケン祭、讃岐うど
ん接待、甘酒接待、ハーブティ接待、ストリートキャンドル教室、子供の手づくり遊び教室等多彩な
イベントを実施している。
(2) 市街地再開発事業の経緯
1989 年、丸亀町の南東方向にある瓦町駅(琴電)で駅ビル(コトデンそごう)開発が決定された。
その規模は当初 4 万㎡とも言われ(実際は 3 万㎡)、その影響で北部商店街の通行量は 30%以上
減少するとの調査結果が市から発表された。丸亀町の北には三越があるものの、瓦町駅ビルが出
来れば商業の中心は大きく南にシフトすると考えられ(実際にはそれ程でもなかった)、丸亀町では
自分たちの力で何とかしなければならないという危機意識が高まった。
そこで再開発の調査費を得て 1990 年度から振興組合で調査・研究を行った結果、丸亀町は総
延長 470 メートルに及ぶ大変長い商店街であることから、A~G の 7 つのブロックに分けて具体的
な再開発の方式(全面的な建替え、リノベーション等)を決めることとした。そして、1993 年、再開発
の熟度が高かった A・D 街区で市街地再開発事業の基本計画が策定されたが、両街区の中では
A 街区が先行して事業を具体化することとなった。A 街区は三越とともに中心市街地北部の商業拠
点であったことから開発ポテンシャルが高かったためであり、その特性を活かして A 街区ではブラ
ンド性、ファッション性の高い商業地区の形成を目指すこととなった(従前 15 店舗のうち 8 店舗が営
業継続を決定)。
高松丸亀商店街における再開発事業の街区構成と A 街区等の範囲 (資料:高松市)
振興組合は丸亀町全体の再開発のコンセプトを次のようにまとめている。
・ 市民が集う、にぎわいの広場を中心とした、都心にふさわしい商業機能の充実
・ 不足業種及びコミュニティ施設の導入
・ 都心居住を促進する住宅の建設
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これらのコンセプトとゾーンコンセプト(7 街区別コンセプト)に基づき、再開発が進められている。
これまでの経緯をまとめると以下のとおりである。
1990 年 高松丸亀町商店街振興組合、再開発計画策定に着手
「まちづくりカンパニー シープネットワーク」西郷氏に全体計画策定を委託
1990 年 高松丸亀町商店街再開発計画公表(A~G 街区の方針)
1993 年 A・D 街区市街地再開発事業基本計画策定、A 街区市街地再開発準備組合設立
1994 年 D 街区市街地再開発準備組合設立、A・D 街区再開発事業推進計画策定
1995 年 A 街区事業計画策定開始、G 街区基本計画策定・再開発準備組合設立
1997 年 G 街区事業計画策定開始
1998 年 中心市街地活性化計画策定、TMO 構想策定
第 3 セクター「高松丸亀町まちづくり株式会社」設立
G 街区事業計画策定
2001 年 A・G 街区市街地再開発事業都市計画決定
G 街区再開発組合設立・実施計画策定開始
2002 年 A 街区再開発組合設立・実施計画策定開始
A 街区都市再生事業緊急整備地域(第 3 次)指定
2003 年 A・G 街区実施計画策定
A 街区都市再生事業緊急整備地域(第 4 次)指定で区域追加
(三越の平面駐車場を借地して立体駐車場化)
特定業務代行者選定(住宅床の処分権限を持ち売れ残りリスクを負う)
2004 年 A 街区事業策定・権利変換計画策定
A 街区都市再生特別地区(都市再生特区)指定(都市計画決定)
(権利者から提案された都市計画案がベース)
A 街区権利変換計画認可、着工(竣工予定:2006 年 10 月)
「高松丸亀町壱番街株式会社」(ビル取得会社)設立
G 街区実施計画策定
A 街区では、市民広場、屋上庭園、駐輪場(442 台)、駐車場(208 台)、イベントホール、カルチ
ャー教室、快適な休憩スペース、複数のハイグレード公衆トイレ、レストラン、カフェ、高齢者にも快
適なマンション、自転車道、快適な歩道と並木・花壇・ベンチ、噴水、水場等が整備される予定であ
る。また、G 街区では、シネコン、駐輪場(1,000 台)、駐車場(350 台)、生鮮スーパー、各種食品店、
子供用のレジャー施設、レストラン等が整備される予定である。
(3) A 街区の事業概要
丸亀町全体の基本コンセプトが「出会い 賑わい おもてなし」であることは先に述べたが、振興
組合ではそれを 5 つのサブコンセプトに分け、それぞれについて A 街区のキーワードを設けている。
それらのキーワードは A 街区が目指す街の雰囲気をよく伝えているので、以下に掲げる。
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〔丸亀町全体のサブコンセプトと A 街区のキーワード〕
1. 魅力的な都市空間
・ ヨーロッパの歴史的都市にみられる広場とガレリアによる公共空間を提案
・ 世界のスーパーブランド&セレクトショップを導入
・ 水、緑、光を採り入れた楽しい場所
・ 誰もが楽しめるコミュニティ施設の導入
2. 住みたい街
・ 豊かな外部空間を持った戸建て感覚の集合住宅
・ 自然をふんだんに採り入れたパブリックスペース
・ バリアフリー設計とセキュリティ完備の安心住居
・ 人の集まるコミュニティ施設
3. 毎日行ってみたい街
・ セレクトショップストリート 洗練されたライフスタイル提案
・ グッディーズストリート 親しみやすく個性溢れる専門店
・ コミュニティ活動をいきいきとさせるレッツホールとおいしい学校
4. お客様を迎えるおもてなしの空間
・ トータルビューティで癒しのひととき エステ・ネイル・ヘアサロン
・ 記念日を過ごすレストラン
・ 店主の人柄を感じられる居心地のよい店
・ 歴史的風土・文化の継承 玉藻城・常磐橋の歴史をモニュメントに
5. 持続的な仕組み
・ 土地資産を合理的に活用
・ 東西建物の一体的マネージメント
・ 環境に配慮した建築設備 中水利用システム導入
以上のキーワードに基づき、A 街区の階別テーマと機能は次のように設定されている。
1F High Quality of Life
・ セレクトショップ・ストリート(2 階も含めてスーバーブランド&セレクトショップを配置)
・ グッディーズ・ストリート(スーパーブランドよりは親しみやすい個性的なブティック街)
2F Slow Floor with Garden Cafe
・ セレクトショップ・ゾーン
・ ベーシックファッション・ゾーン
3F Cultuarl & Beautiful Life
・ カルチャー・ゾーン
・ ビューティー・ゾーン
4F Restaurants & Community Life
・ レストラン・ゾーン
・ コミュニティ・ゾーン(丸亀町レッツの機能継承)
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5F~9F 共同住宅
・ 自然を採り入れた戸建て感覚の居住空間(コミュニティをはぐくむ通路等)
駐車場棟 歴史ある街角に建つ現代の厩
A 街区では商業床は 3 階までとし、2 階以下をファッションに、3 階を大型ブックショップに割り振
るという基本コンセプトとした。また、従前の雰囲気を残すため、地権者の店舗は西側 1 階に集めて
街並みを維持することとした。東棟 4 階にはイベントホール「レッツ」(1995 年設置の施設を機能強
化するもの)を中心としたコミュニティ施設を設置し、それより上の階(5~8 階)は住宅とした(なお西
棟は東棟からの容積移転により 1~4 階が店舗、5~9 階が住宅となっている)。
A 街区整備イメージ (資料:高松丸亀商店街 A 街区市街地再開発組合資料から)
2001 年 3 月に都市計画決定された A 街区の主な指標は容積率の最高限度 550%、同最低限
度 200%、壁面の位置 1m の後退等であったが、その後、より街並みを意識した計画に変更するこ
とが望ましいとの考え方に変わり、2004 年 4 月に都市計画決定された都市再生特別地区において
は壁面の位置と高さとを定めるかわりに斜線制限を適用除外にするという内容になった。これがい
わゆる「丸亀町ルール」と言われるものであるが、その目的は、丸亀町を快適で歩きやすいモール
とするため、建物を「街並み型」(Connected Building)へ誘導することであった。具体的には次のよ
うな内容である。
道路幅を D、両側の建物の高さを H とすると、下層の商業階では D を 11 メートル(両側の建物
が 1.5 メートルずつセットバック)、H/D=1.5 とし、街並みの一体感を持たせる。また、上層の住宅
階(4 階以上)では建物の間を 20 メートル以上とし、H/D=1.0 として十分な日光を享受できるよう
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にする。このように商業機能部分と住居機能部分とで違うルールを適用してそれぞれの環境がそ
れぞれの機能に照らして良好なものになるようにしたのである。
以上を前提にすると建物の高さは 33m(8 階建て)になるが、A 街区の東側の街区は南側の土地
が区域外であり将来的な環境の確保を考えるとボリュームを抑えることが望ましい。このような考え
から東側街区から西側街区へ容積移転を行い、その結果西側を高さを 36m(9 階建て)とした。
都市再生特別地区配置図(左)と高松丸亀町商店街の建築規制(右) (資料:前掲資料と同じ)
A 街区北側外観イメージ
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(4) 事業の特徴
丸亀町商店街を取り巻く課題は、先に述べたように、業種の偏り、不動産賃貸業化した商店主、
インキュベーター機能の欠如、定住人口の減少、コミュニティ空間の欠如等であった。このような状
況に対処するため、地価を顕在化させない商店街経営、経営と所有との分離による合理的な経営、
住宅の確保、インキュベーター機能の導入、コミュニティ空間の整備等を再開発で実現することが
求められた。このような認識から丸亀町商店街の市街地再開発事業は他の地区にはあまり見られ
ない以下のようなさまざまな特徴を持つものとなった。
① 土地から土地への権利変換と街づくり会社の保留床一括取得
丸亀町の市街地再開発事業では全員合意型で権利変換計画を定めた。通常の権利変換計画
では土地は権利者の共有になるとともに土地から床への権利変換が行われるが、丸亀町の場合は
土地から土地への権利変換が行われた。つまり、土地は従前のままの分有とし、その上に一般定
期借地権を設定し、それに係る権利金は設定しないこととした。これにより事業費を大幅に圧縮す
ることができた。また、原則として全館保留床とした(ただし従前の建物の権利は権利床とした)。保
留床、権利床は街づくり会社が一括して運営するが、その運営費には従前の土地所有者が所有
する土地の費用を市場価格では計上しないので、高地価が顕在化しない運営が行える。高地価を
顕在化させないことは、床価格を低く抑えることにつながり、床を処分しやすくするための高容積建
築の必要性がなくなるので、良好な街並みを形成することができる。
丸亀町 A 街区の権利変換の仕組み (資料:高松丸亀商店街 A 街区市街地再開発組合資料から)
② 所有権と使用権との分離
時代の変化、まちの置かれた状況の変化に柔軟に対応してまち経営ができるようにする。そのた
め定期借地契約に基づき保留床、権利床を街づくり会社が一括して運営することとし、所有と経営
とを分離した。街づくり会社は適切なゾーニングとテナントミックスを行って床を経営し、地代・家賃
収入をそれぞれの権利者に支払う。権利者が出店する場合は家賃を街づくり会社に支払う。隣接
する三越と一体となってテナントミックスを計画しているため、有力企業テナントも決まっている。
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③ オーナーの変動地代家賃制
経営の合理性を貫くため、オーナーに支払う地代・家賃は街づくり会社の売り上げに比例して変
動する仕組みにした(売上歩合方式、売上の 8%)。街づくり会社はテナントの家賃や共益費から
借入金の元金や利息を返済し、管理経費を差し引いたものをオーナーに地代・家賃として分配す
る(信託方式に似た形)。このような仕組みであるため、街づくり会社とオーナーとは一体となって経
営の合理化に協力する関係になる。
④ 特定業務代行方式の活用
特定業務代行者が分譲住宅を取得し、その処分リスクを負うこととした。
⑤ ヒューマンスケールの尊重
丸亀町の街区構造は、豊臣秀吉による京の町割りとよく似た構造を持っており、この構造を破壊
することなく引き継ぐことが重視された。
⑥ 自然の尊重・人工の抑制
住宅である上層階においては通りをはさむ建物の間を大きくとり、日照が十分に得られるようにし
た。
⑦ 景観の尊重
人間中心のまち再生を図るためには公共空間を取り囲む形で建築物を配置することが望ましい
との観点から、街の中心的な公共空間である「通り」に面する建物の壁面の位置、下層階の高さを
揃えて良好な景観が創出されるようにした。また、建物全体の高さも低く抑えて周りとの調和を図っ
た。
⑧ 公共空間の創出
下階の商業空間と上階の住宅空間との間に位置する 4 階をコミュニティゾーンと位置づけた。そ
の中心となるのはイベントホール「レッツ」である(丸亀町商店街振興組合が権利変換を受ける)。そ
こには地域の食材開発に取り組むレストランを導入する予定である。
⑨ 回遊性・つながりの確保
通りの両側の建物の間にいくつもの空中歩廊を設け、通りを中心とする回遊性を確保した。この
ような形で通りが意識の中心空間になるようにした。
⑩ 賑わいの創出
アトリウムなどを建物の中に設けず通りそのものが賑わい空間の中心となるような空間構成を工
夫した。1 階店舗の高さを揃えて空間に統一感を持たせるとともに、2 階を通り側に迫り出させてそ
こに幅の広い廊下を配置し、休憩スペースを設けた。空中歩廊による回遊性の確保も賑わいの創
出に寄与する。
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⑪ 持続性の確保
運営における透明性の確保、地域住民主体の運営、外部の意見を採り入れる柔軟性(専門家
等)、周囲のまちとの調和への配慮、地域の中で資金が循環しやすい仕組みの採用等により持続
的なまち再生を図る仕組みになっている。例えば、不動産の証券化・小口化により地元の市民や
投資家が投資しやすい仕組みを採用し、それで転出者の土地・建物を購入し、地元主体の運営
体制を確保した。このような形でまちづくり会社の運営の基礎を固めるとともに、地域内の資金循環
を高める工夫がなされた。この工夫により、資金調達を補助金依存からコミュニティによる再投資へ
と移行させることができ、まちの自立性を高めていくことができる。
5. 特徴的手法
高松丸亀町のまち再生の大きな特徴は、まちの運営面における以下の工夫にある。
① 所有権と使用権の分離(適切なゾーニングとテナントミックスが可能になる)
② イニシャルコストの削減(用地取得をしない)
③ タウンマネジメントプログラムの策定と実施による自治組織の確立
このようなまち経営の合理化とともに、建築について独自のローカル・ルール(いわゆる丸亀町ル
ール)を採用したことも大きな特徴である。それにより人が集まる賑わい空間の創出と人が安らぐ居
住空間の創出とを矛盾なく両立させるプランになっている。
また、再開発ビルに公営の施設を全く導入していないのも大きな特徴である。再開発を実現する
場合、イニシャルコストに対しては行政の支援が必要であるが、ランニングコストは民間の負担とし
なければまちの経済が成り立たず結局はまちが衰退していくと振興組合では考えているからである。
「儲かる町」を作らなければまちは維持できないという考えから、安易に公共施設導入に依存する
再開発はしないということである。そのような方針を堅持できている背景のひとつに商店街の経済
力がある。高松丸亀町商店街振興組合は駐車場経営などを積極的に行ってきており、事業法人と
しても毎年 2,500 万円以上の固定資産税や事業税、法人所得税(2004 年度は 3,600 万円)を納税
している。町営の収益事業が必要というのが振興組合の基本的な考え方である。
以上の事業展開の背景には、高松丸亀町商店街振興組合の独自の「まち再生」の考え方、思
想がある。組合の基本的な考え方は、「舞台作り(まちづくり)をするのはオーナー(土地所有者)の
仕事」というものである。商売人には江戸の昔から「大黒柱には車を付けておけ」という格言がある。
また、最近でも「商店街の役員だけはするな」という親から子への箴言があるという。そして、組合の
明石常務理事によれば、これらは「全く正しい」ということである。ここに「まち再生」を論じる世の中
一般の視点とは大きく異なる視点、現実をリアルに見る視点がある。
商売人とは異なり、オーナーは「逃げられない」、「土地と心中をしなければならない」ということで
あるから、「良い街を作るのはオーナーの仕事」というのが組合の基本的な認識である。そのため、
高松丸亀町商店街振興組合ではオーナーだけを組合員にし、テナントは協賛店扱いにするという
仕組みが堅持されている。組合では 1984 年から約 53 億円もの再投資を行ってきているが、それが
可能となったのも 104 名の組合員のほとんどが基本的にはオーナーだからである。オーナーゆえ
に再投資への理解も早いし意思統一も簡単である。
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「テナントは人の集まる場所を捜して店を出す、寂れた地域や町を愛していたのでは飢え死にし
てしまう、移動を前提に店を作る」ということであるのに対し、「オーナーは自分の資産を守り、有効
活用するために、金も努力も惜しめないし、リスクも怖れておれない、自分で自分を守る」(明石常
務理事)という思想が根本的なところで高松丸亀町商店街を支えている。
6. 課題
高松丸亀町商店街振興組合によれば、「地元のやる気は満々」ということである。現在取り組ん
でいる内容は、力のある商店の組織化(60~70 あれば大型店に対抗できる)、作る商店の育成(ジ
ーパン、自転車等、若者が意欲を持ち始めている)、スローフードの定着(「スローフード塾」開催
中)、近代アートとの連携(「市立近代美術館」との連携)等である。
一方、「行政との協力」関係が引き続き課題である。その協力関係をより大きなものにしていくた
めには、「まち再生」の考え方に関する意思疎通を図ることが何より重要であるとの認識を振興組合
では持っている。組合の主張によれば、「良い街を作るのはオーナーの仕事である」というものであ
り、この点が理解されれば「都市再生には何が必要なのかが解るはず」ということである。そして、そ
のような認識に照らして不要な規制を撤廃ないし緩和していくことが何より重要であると振興組合で
は考えている。
工事が進む丸亀町商店街
(参考・引用文献)
高松市ホームページ
高松丸亀町商店街振興組合ホームページ
高松丸亀町商店街振興組合「丸亀町まちづくり事業説明資料」
高松丸亀町商店街振興組合・高松丸亀町 A 街区市街地再開発組合・高松丸亀町壱番街株式会
社「高松丸亀町商店街 A 街区第一種市街地再開発事業 計画概要」
高松丸亀町 A 街区市街地再開発組合「ふれあう街 コミュニティガーデン 高松丸亀町商店街 A
街区第一種市街地再開発事業」
明石光生「高松丸亀町商店街再生について」『新都市』2003 年 1 月号
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岩田吉隆「地権者の共同出資による市街地再開発 ~高松市丸亀町商店街~」『新都市』2004 年
5 月号
西郷真理子「都市再生特区の都市計画決定における提案と課題:高松市の事例」『都市計画 258』
日本建築学会編『中心市街地活性化とまちづくり会社』丸善、2005 年
西郷真理子「コミュニティに依拠した都市再生:高松丸亀町の事例から」『人と国土 21』2006 年 1 月
号
17
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