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『ラ・フランシアード』 をめぐって

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『ラ・フランシアード』 をめぐって
高
田
勇
ホメrロスもしくはウェルギリウスとの対話から生ま
ンキュスの伝説を信じない。このいつわりの叙事詩は、
ルの息子にして、フランス人の神話的先祖であるフラ
﹃ラ・フランシァード﹄をめぐって
?_
れたのであって、集団の信仰からではないのである。
この作品は、ロンサール自身が途中で筆を折ってしまっ
作者の意気ごみも、周囲の人々の期待も大きかった作品
しかしまた、この作品くらい発表の前々から吹聴され、
この作品は、物語と歴史と詩的冥想との間でためらっ
囲1 05
ている。 1
たこともあって、 ︼般の人びとの関心を惹かなくなった
もなかったのである。この作品を失敗作であると認めて
ダンの﹃フランス文学﹄︵Hり零︶もこの作品を次のように
ているし、これの継続ともいうべき、アントワーヌ・ア
ロンサールの文学観が明確にあらわれており、また当時
この作品の重要性は少しも減少しない。むしろこれほど
もいいくらいである。
の文学者の立場がはっきり出ているものは無いといって
ロンサールとその同時代人たちは、もはやヘクトi
簡単に片づけている。
の﹃フランス文学﹄︵H逡o。︶もほとんどこの作品を無視し も、作者の意図と、当時の人びとの文学観を探るうえで、
のももっともとうなつかれる。ベディエ、アザール共著
究の対象となるのが稀であった作品は少ない。もっとも
国鑓琴冨山Φ︵Hq刈トの︶くらい、失敗作ときめつけられて、研
lH㎝Q。㎝︶の作品のなかで、 ﹃ラ・フランシァード﹄ い⇔
ピエール・ド.ロンサール勺δ霞①山Φ勾02ω﹀”U︵μq卜Ω蔭
一、
− 日p◎﹁oロロD°。ρ喝゜困Hらo°
えたゼウスは、彼をかくも残酷な死から救うことにな
った運命を思いおこし、トロイアを破壊したことを後
の叔父エルナンのもとにつかわす。この一年間という
晦して、神々の使者ヘルメースをフランキュスの父方
ものは、自分の先祖の名誉を再興しようという気もな
の宿命とはいかなるものか、をエルナンに教えようと
く、あたら青春を無為に送っている甥のフランション
二、﹃ラ・フランシァレド﹄のあらすじ
先ずこの作品のあらましをたどってみよう。ちょうど
スはフランションをいつくしみ、彼の心のなかに讃辞
うとしているのを見て怒る。キュベーレと軍神アレー
后へーラーは、ブリュギャ人たちの栄光が再び花開こ
彼らは神々の母の名誉を讃えるのであった。ゼウスの
神キュベーレの祭礼を祝うために集っていた。かくて
につけていたように、武具甲冑に身をかため、彼らの女
とを去って、その昔コリュバンテスやクレーテスが身
れたすべてのトロイア人は、ギリシャの君主たちのも
トンを後にする。ゼウスが命じておいた日に、追放さ
の船隊をひきいたフランキュスは、叔父や、母のアン
ドロマケーと住んでいたエーペイロスの都市ブトロー
こしていたので、甥のために数隻の船を臓装する。そ
たし、ヘクトールの息子である彼の甥の偉大さをも見
また自らの予言的な能力からして、運命を見透してい
いうのである。エルナンはゼウスの命令を聴いた後、
ロンサールの秘書をしていたアマディス・ジャマン
﹀日ゆ岳ω︸≧≦HZ︵Hα心O’91]°㎝りGo︶がつけた梗概があるの
で、主としてこれを利用することにしよう。
囲1
第一章
フランキュスは、叔父のエルナンの命による長途の
旅から帰国した。さまざまな国の風習、作法を学び、
こうした知識によって、賢明にして、抜目のない、実
際的な大将にしたいという叔父の願いであった。アキ
レウスの息子のピュロスが塔の頂上から投げ落とし
て、確かに殺してしまった、とギリシャ人たちが思い
こんでいるフランキュスを、生き残っていて、ヘクト
ールの息子だということをギリシャ人たちに気づかれ
てはならないと彼は考えていたからである。トロイア
のかわりにいつわりのものを敵であるギリシャ人に与
の掠奪からフランキュスを救い、彼のほんとうの肉体
106
エルナンは、クレタ島からダニューヴ河の河口にたど
で、彼は女神アプロディーテに、彼らを護り、恵みを
建ててやり、彼らのために葬儀をとり行なう。その後
のキューピッドをつかわして、フランキュスが城に着
垂れ給えと懇願する。アプロディーテは、彼女の息子
を得て、徳を身につけたいという欲望の火をつける。
ュスに教える。
りつくには、海上のどの道をとるべきか、をフランキ
が彼に恋をするようにしむけさせる。城では祝宴が開
いたとたんに、王の二人の娘クリメーヌとイアーント
第二章
かれ、美事な歌い手テルパンが美しい恋の讃歌を歌う
。このはなやかな宴のさなかにもディセの顔色はすぐ
ヴェールのとりこになっていることを物語る。フラン
07
キュスは巨人と闘うことを申し出る。彼は勇気をふる ー
ディセは、彼の息子のオーレが、暴虐無尽の巨人フォ
い、死闘の限りをつくして巨人を殺し、とりこになっ
れず、ふと溜息をもらす。フランキュスに訊ねられた
ンは暴風雨に悩まされ、船をことごとく失ない、クレ
ていたオーレを救い出す。ディセのよろこびはこの上
フランキュスと彼の運命を海の藻屑にして復讐せんが
タ島に漂着する。この島でディセという名の王が、彼
なく、勝利者を抱擁し、彼の名誉をたたえる。
ス、風神アイオロスなどの助けをかりる。フランショ
と疲労で海辺に眠りこんでいるトロイア人たちに、鹿
いたのである。フランションは、彼の名前、生国、町、
かわして、この日に狩猟に行く気を彼におこさせてお
ーは、この王ディセが睡っている間に、睡りの神をつ
クリメーヌは、トロイアの王子の愛情を一人占めで
第三章
る。彼女たちは、二人の心に巣喰う悪い情念をそらせ
ーントの心に芽生えている恋心をとり除こうと努力す
たかも正当であるかのような諌言を用いて、妹のイア
ンキュスのもとに現われる。彼は彼らのために霊廟を
航海、難破などをディセに語りきかせる。暴風雨によ
って海の底に沈められた部下たちの亡霊が、翌晩フラ
きるようにと、まず大いに術策をこらし、見事で、あ
猟にやってきた時に偶然出会ったのである。キュベレ
を礼儀正しく、寛大に迎えてくれる。ディセは、飢え
ために、彼自身の力のほかにへーラー、虹の女神イリ
のために、いまだにトロイア人に怒りを抱いており、
ポセイドーンは、トロイアの王ラオメドーンの違約
、
ようとして、神々にいけにえを捧げるために神殿へ行
を海の女神に変える。
を変えて、海の深淵に身を投じてしまう。神々は彼女
願する。プロテウスの娘レウコテァーは、フランキュ
で身を清めることをフランキュスに要求する。フラン
雄々しい薫香と.毒気を取るための他の類似のいぶし
彼女は、黄泉の国の霊を鎮めるために生蟄を準備し、
ントは、彼女は彼を愛すべきかどうか、と永々と語る。
に示してくれるようにイアーントに懇願する。イアー
る。フランキュスは、彼の血筋から生ずる王たちを彼
ーントだけを行かせるようにと告げていたからであ
のアンブロワに、フランキュスから離れて、彼とイア
殿へ行く。一羽の小烏が話しかけ、フランキュスの供
愛情を告白する。イアーントとフランキュスは翌日神
王子フランキュスは、イアーントに、彼が抱いている
て彼を罰しようかと思いめぐらす。このブリュギアの
ランキュスがその原因ではないかと疑ぐり、いかにし
ディセは、娘のクリメーヌの死を知って激怒し、フ
第四章
く。ヘクトールの息子は海辺へ行ってアポローンに祈
スに彼の身にこれから起ることを予言する。ディセは
トロイヤの領主フランキュスが娘のイアーントの婿に
なってくれるように申し出る。フランキュスは運命と
あきらめて、感謝して申し出を受ける。王の息子のオ
ーレは、神々のために百頭の生蟄を捧げる。テルパン
ヘカテーの年老いた巫女に姿を変え、イアーントの枕
は勝利の女神に美しい讃歌を歌う。アプロディーテは、
もとにやって来て、不思議な効力に満ち溢れた彼女の
帯を寝台のまわりにめぐらす。フランキュスは彼の親
しい友である、ある偉大な王子の葬儀をとりおこなう。
怒り狂ったクリメーヌは、彼女の乳母のすすめで、恋
ランキュスの部下のテユルニアンに姿を変えたキュベ
文によってフランキュスの心を惹こうとつとめる。フ
ーレは、フランキュスの血から生まれるべき王たちの
名を、イアーントの口から聴くために、彼女にいい寄
は︽嫉妬︾の洞窟へと飛び立つ。︽嫉妬︾はその毒で
狂により懐えおののき、錯乱状態におちいって、ガリ
ありとあらゆる神々に祈願した後、イアーントは、熱
キュスが生蟄を殺し、プルートーンの支配する冥界の
もってクリメーヌの胸を冒す。とうとうクリメーヌは、
ヤへの旅をフランキュスに予言する。彼女は、王のマ
るようフランキュスにすすめる。このあとキュベーレ
彼女のよこしまなデーモンを追いかけながら、猪に姿
108
ルコミールのもとに出現することになっている亡霊の
原典協会︾、アシェット、ドロス、ディディエ書店、 一
勺帥巳 ピ勉ロヨo巳雪い国①霞① ユ①幻o房鋤凱一〇国口く冨ω
九一四年より刊行中、第十六巻、十四頁より十八頁まで。
8日且窪Φω’出帥oゴ①;ρ∪﹁o斜望9Φおおぱ∼以後、引
夢と、三百人の武将をもつ軍隊を率いるマルコミール
て人間の魂が新しい肉体に宿ってこの世へやって来た
が何をするかを予言する。それから彼女は、いかにし
三、﹃フランシァード﹂のなりたち
る。
用その他すべてこの全集にもとづき、略号﹂Dを使用す
けるものが何から生じたのかを語る。さらに肉体が消
り、あの世へ行ったりするか、また現世の生きとし生
の罪のためにいかなる罰を受けるのか、そして、いか
滅したあと、魂はどうなるのか、地獄においてぱ、そ
ル九世王に捧げる︽ラ・フランシァード︾の最初の四章﹄
ロンサール.作、一﹃このうえなきキリスト教徒なるシャル
この作品は、ヴァンドーモアの貴族、ピエール・ド・
のか、を語る。フランキュスは再び地獄の神々に生賛
い①ωの舜霞①七お罎凶興ω目霞Φω山Φいp閏田β9巴Φ9二即o団
にして、またどの位の期間を経てその罪が清められる
たちどころに出て行く。そこで彼は、彼の目に映って
血①勾o口ω母負○①馨凶ぎoヨ日①<p巳oヨo凶ω゜と題されて、
窪①ωoぼΦω二ΦPO匿=Φω”Z①︿ぽヨΦ鮎①8Zo日’冨Hコ臼お
を捧げる。すると魂は、生賛の動物の血を飲むために、
いる人たちが誰なのかをイアーントに尋ねる。こう
国冨昌o醇山①゜続いて前述のアマディス・ジャマンの﹃ラ・
囲2
ωO口昌Φけ①ph国く①口﹃匹Φ]≦O口ω凶①二殴山Φ幻OロuDp円傷節 山Φ ωp
﹃ロンサールと彼のフランシァードのためのソネット﹄
よって始まる。続いて、アンジュウの人ルネ・ベレの
まず通例どおり、九月十三日の日附になっている王の
囲1
特允状があって、相当長文の﹃読者へ﹄︾qい①9①弩に
された。
一五七二年、パリのガブリエル・ビュオン書店から上梓
して彼はフランス王たちの名を次ぎ次ぎに知り、悪徳
る。
ール・ローモニエ編﹃ロンサール全集﹄︽近代フランス
勺話ヨ冨議ピ零話ω山Φ冨閏目節po冨島Φ℃曽﹀幽智日団戸ポ
の最初の四章の梗概﹄ ピ①ω﹀﹁αq=ヨ⑦匿α㊦ωρ口葺お
﹃アマディス・ジャマンによる︽ラ・フランシアード︾
の王の恥ずべき行為と、有徳の王の高潔な偉業を知
109
1
フランシァ;ドの最初の四章の梗概﹄目⑦ω﹀同σq戴5ΦPω
囲3
山①゜。ρ仁p鍔Φ箕①日δ鵠=︿おω島①いp閃鴇pコo凶巴ρ続いて、
ルのラテン詩﹃シャルル九世に捧げられたロンサールの
パンポンの僧院長ジェルマン・ヴァイヤン・ド.ラ.ゲー
囲11
ロンサ⋮ルの肖像と四行詩、プレイヤード派の詩人レミ
﹃ロンサールへのソネット﹄ωo昌昌①け呼℃°山①即o昌ω費庫゜
・ベロー勾①B曳じd国いい国︾d︵H認G。lHq刈刈︶の﹃ロンサ
iルへのソネット﹄Qっo昌ロ①け卸℃°匹①幻05°。p己.シャルル
囲12−
第一章が一二四八行、第二章が一四八四行、第三章が
ある。
うに長々と続く、このあとようやく第一章が始まるので
フランシァード﹄目誘閃同p鵠o団⇔餌鋤勺・ヵo昌ω舞象鋤げOp8ξ旨九世の肖像とアマディス・ジャマンの四行詩、というふ
囲4
菊①σqΦヨ’ρ<巴①霧○β①=ごω゜同じ著者の﹃ロンサール
囲5
プレシーープロの領主で、 ﹃スカンデルベールの異名をと
殿へ﹄︾二ω①碍づ①霞α①幻o霧母α゜さらにこの同人物と、
さて、これから、この﹃フランシァード﹄がたどった 1
一五二〇行、第四章が一八九六行、合計六一四八行であ
るアルバニア王、ジョルジュ・カストリオの歴史﹄の著
る。もちろんこれらの四章で完結する予定ではなくて、
者、ジャック・ド・ラヴァル。タンの﹃ロンサールのフラ
囲6
二四章からなる予定であった。 10
ンシァードのために﹄冒勺゜即o奮霞隻閃鑓づ9巴餌・ロン
Z80ヵ﹀ωの四行詩、ド・トルシルU①日6ロω・。穿の
代の最良の友であり、王の秘書のシモン・ニコラ0。凶B8
の﹃ソネット﹄ωo旨簿二首、ロンサールの宮廷生活時
5
囲10
6
ぴ己゜娼㍗卜⊃Nート⊃ω゜
ぴ己゜℃°トつピ
幽げ一山゜℃°卜⊃ρ
ぴ凱.℃O’H㊤i卜⊃ρ
ぴこ.℃噂゜ド蔭lHQo°
ぴ凱.℃°Hω.
ピ.︼∪°戸×<押℃マωlHb⊃.
サールの師匠ジャン・ドラの︸①9。づ∪○勾﹀日︵δOOl
HαcQOQ︶のラテン語の﹃ピエール・ド・ロンサールのフラ運命を見て行こう。
>霞pεω℃o卑帥即Φσqごω゜コレージュ・ロワイヤルの雄弁
ンシァードのために﹄H口℃働ユ閃opω母岳閏冨昌o賦山PH9
囲7
も知られている、ジャン・パスラ一雷p勺﹀ωω国閃>6
術の教授で、﹃サティール・メニペ﹄の著者の一人として
3
7
に﹄H口勺.幻o昌゜。霞象国冨口o凶巴帥゜アマディス・ジャマン
囲8
ソGo蔭iH①O悼︶の ﹃ロンサールのフランシァードのため
1
4
2
囲9
(H
ひ己゜℃噸b⊃卜⊃◆
8凱゜℃℃°卜∂卜⊃Ibのω。
凶げ箆゜やト⊃県
ま凱.やト⊃ω.
一げ己.やbσ①゜
四、作品が発表されるまで
それではロンサールは、いったい何時頃からこの作品
を出している。さらに一五五〇年になると、もっと具体
的に﹃フランシァード﹄のプランを明らかにしている。
すなわち、﹃平和へのオード﹄○αΦ山o冨勺蝕区では、プ
囲3
リアモスの娘カッサンドラという予言者の口を通して、
﹃フランシァード﹄の大筋と、さらに主人公のフランシ
ォンの名前を明かにする。
さらに一五五二年になると、 ﹃オード集、第五の書﹄
ピ①Ωpρ三Φω日Φい写お画Φω○伍①ωのなかの第十番﹃クロ
−ード・ド・リニュリへのオード﹄跨Ω㊤aΦ画①=σq口Φ二
囲4
国け唱母Bo団8°■Φ鑓9餌口な
のなかで
竃9岡同鋤づo猷伍①oo日]βΦロo甑ρ
ランスの讃歌﹄出団ヨづΦ畠①国鎚づo①のなかに
を書こうとしたのであろうか? まず一五四九年の﹃フ
飼ー
閃pくoユ゜。p。暮げ閏冨pめo岩︾ρβ、串①ω菖日Φ
しかしそうかといって、この作品がすぐに進展を見た
と、作品の題名もあげている。
あなたに歌ってきかせましょう。
着手された私のフランシァードを
フェビュスが私の思念を熟させてくれるなら、
ω団℃ず伽びqω巳Φニユωけ]Bpb①昌ω仙Φ甲
囲5
国け甘醤含Φ﹁蝉日巴昌αq窪島①餌8pづρ
国昌賦昌け畠、=88おω9巳8♂σq三目①い
闘2
そしてユピテルは左手に雷電をとどろかせ給うた、
ヘクトールの子孫にして、彼の正統の種族と考え給
う、
フランス人に恩恵を授けつつ。
と、すでにフランス人をヘクトールの子孫と見る考え方
111
8
121110 9
のではなかった。ロンサールにはやるべきことがあまり
私は汝を見つけにほどなく乗り出すであろう。
汝の子孫︹アンリニ世︺が私に命じ給うならば、
ーωけ呼け9園O凶山讐ずOづO同①同
堕
と、アンリニ世の命を待ち受けており、さらに、
に多かった。さしあたっては恋愛詩の方が叙事詩の魅力
より強かったようである。
諺目ヨΦ・。β。盛ΦFい⑦ζ鴇8℃昌三①昌
囲6
ZΦo窪⑦喝oぎ梓窪い碧二臼U①な匡①P
武具よさらば。パフォス︹ヴィーナス︺の桃金嬢は
い①ω︿9°・”俸げω恥①8おH
UΦω冒①ω①臣仙①鼠﹃鋤三ΦωωΦ9
圏8
王権により 贈り物をほどこし
汝、王こそ詩を尊び、
詩をたとうべきである。
デルフォス︹アポロン︺の月桂樹に屈しはしない、
このことは、たんに恋愛詩を先にやって、叙事詩を後に
と、長い詩作のための物質的条件の改善を要求するので
ても書きたいという欲求度の問題であると思われる。
するという順序の問題ではなくて、ロンサールがどうし
さらにこれに輪をかけて、ロンサールには気取りと物
ある。ところが、この願いはなかなかかなえられなかっ
た。
一五五四年になって、彼はやっと待ちに待った王の招
きを得たにすぎない。それはアンリニ世のお気に入りの
高位聖職者、詩人のランスロ・ド・カルル日碧8一9α①
O>園い国︵ド田O懸−届①゜。︶が、王のためにロンサールが
作った﹃フランシァコド﹄のプランを、大いなる讃辞を
まじえて、王の前で朗読した後である。この朗読にはい
112
(∪
質的な欲求が見られた。
閏三αO昌o↓同9Φ昌 け9露富びp5畠Φ
︾ 堕
ω凶8昌ZΦ︿Φロ日①δOO日ヨ国コ山①
トロイァ人よ︹フランシォン︺、汝も汝の部
l巴ぼΦロ8u・一℃o霞けΦ訂o賃く2°
闘7
下も、
逃れよ、
一、
9三臼畠①ζ︾OZ団︵呂b。㊤懸ード㎝摯Yは、彼の詩集﹃浮
くつかの証言があるが、詩人のオリヴィエ・ド・マニイ
のロ①富口けω、①口雷鶴けρβ、oコ冨℃三ωω①Φ乱8が
O爲匹.ロ詳け巴幻o凶冨℃三ωωp口8Φωけω圃σq鑓p偶ρ
臼Φげh臼臨唱9ωρ賃、昌ヨ①800ヨ旨p昌傷ρ
すべての彼の祖先の讃辞を歌わんがため。
まれた︸
彼の讃辞、いや彼一人ではなく、神々の種族から生
ほかならぬ彼︹アンリニ世︺である。
のは、.
私のリュートをトロンペットに変えるよう望み給う
のロ.二昌8目噂ロ﹁50昌、団娼o口霞o謬おω冨85
闘11
かれ騒ぎ﹄Ωp団Φ8N ︵扇㎝心︶で次のようにいっている。
dゴ自①ωωΦぎρβΦα09ρ障h臥9
UΦω﹃ユ09①閏建暮貫山ρ
O口.ω凶げ6P出OO昌霞①h巴Oけ
い、ΦGoOユく巴口α ① 一 、 目 冨 島 ① ’
囲9
学識深い彼︹ロンサー.ル︺が、
イーリアスの作家を
なぜならかかる王の権力はこの上な゜<強﹂大で、
彼が命じ給うからには手がけよう。
それを避けることができるどころか、
う。
武装せる陣営とてもそれに抗す.べくもないであろ
rづσqo巳Φωヨ①︵一α㎝α︶でも、
さらには﹃アング!レーム殿へのオード﹄︾︼≦opωδ旨
観12
Ug図o詑冨ピ団Hゆ﹂、僧びpづユoづ昌ρ
ζ臥ωo同.唱醇げooヨ目缶昏仙oヨ㊦pけ
113
彼の学識深いフラン・シァードについてなせる計画、
彼はこの作品でこのうえなく巧みに模放した。
﹃カッサンドルへのエレジー﹄国げσq圃①卸Opωωp口山お︵一α罐︶
と語っている。これを裏書きするように、ロンサールも
曲10
では、
O、㊦ωけ一三ρ三く①oけρ口.①口時oヨ唱Φヰ①﹂、警ゲ⇔口σq①
竃o昌ピ⊆ρ仁。︷ぎα.㊦昌8pづ臼ω騨δ目餌⇒σqρ
ρ三8pけ冨ωロω幽①冨鑓8山①ωUδ⊆°。°
累opα①一三ωO巳リヨ鉱ω仙Φ8ロω゜励①ω9①信ω
自、
ZΦ<o巳o謬Φp伍Φ且け山①Bo一
だが今や、王の命により
歌いたかったこの頃であったが、
彼の部下をひきいて上陸したかを
フランキュスがいかにしてガリヤの浜辺へ
ρロΦoゴp口け臼﹀日o環お帥O餌ωω臼p時ρ
曲16
私はおまえの竪琴を捨てねばならぬ、
私の指に慣らされていた私の竪琴は、
いpσq冨昌α、孫8ヨ喝①暮①α①bd①=opp①゜
℃ゆ霞Φ暮o昌器同娼ξω訂三ΦB①暮
. 囲13
ひときわ高く鳴らさんがため。
日餌αq巨冨ωo蕊8°。日霞ωくΦぎρロω℃
9櫛9窪山○蓉ρ、導冨二く器牢829
と、恋愛詩に対する彼の親しみを述べた後、
アモールとカッサンドルを歌いたがった。
私の意志にかかわりなく、ひたすら
戦いの女神ベローヌの偉大なるトロンペットを
てしばらくの間、恋愛詩から離れようというのである。
と、いずれも王の命令ということを強調している。そし
ロンサールがこれまでのように計画だけではなくて、実
際の作品にとりかかったのは一五五四年である、とアン
圃14
リ・シャマ!ルは推測する。
ω①80げ①冨8&o霞ω箕①ωω仙ρ
しかし王は、決してロンサールを満足させてはくれな
ω一卸8⇒p①︿①F昌oω霞Φカ9馳
日二⇒①臼ωρロ、①コ一、げoコづ①β同山Φけ9
かった。詩人は﹃雑詠集﹄い①ωζ①巴雪σq①ω︵Hα呂︶に手
曲15
ては次のようにいっている。
をそめて、その冒頭を飾る﹃竪琴へ﹄︾紹ζおにおい
OOヨヨ①閏HPPO口ω四賃げO﹁αOP5一〇δ
汝の栄光は永遠に、
ではさようなら、哀れなフランキュスよ、
囲17
目蹄8日四い鴇①08ωωσρ
﹀︿①8、ω岱霞。唇①︿剛暮島Φω8巳お”
打喝破られた汝の︹トロイアの︺城壁の中にひそん
Z四σQ巳①屋o﹃9ロけ興﹂①︿oロ一9ω
ζ駐ヨ8一ロ。もぎ厭儀①も。p真£
114
だままとなろうv
ザ汝が、その子孫 の わ が 王 に 、
汝のほまれのために
私の竪琴を笏杖のように曲げよといわないかぎり
だがその装備の費用を、汝は支払わねばならない。
はては、彼は王に約束の履行を迫るようになってしまう。
﹃オード集﹄第三之書︵同紹㎝︶の ﹃王へのオード﹄︾ロ
国昌日Φ冨8ヨヨ鋤昌紆口計=げ①憎巴山o昌⇒①ヨ9
勾o団では︵
と結ぶ。右の最終句は、アンリニ世がロンサールを修道
は。
院長か司教に任命せよ、ということであって、非常に露
︸o鴨巷器ω8億口脱窪oヨ節卿けoロ8冨団冨琴ρ
0①ε①ε日、pω嘆o巨即卸℃o霞貯お8ヨ唱①蕊Φ
う。
時代から時代へ、生き生きと永遠に飛び交うでしょ
ス語を話している限り、
この名声はあなたの民衆がフランスの地で、フラン
あなたと、全フランスに名声をもたらしましょう、
めに、
惜し気なくお与え下さい、さればそれにむくいるた
は、私に約束なさったものを、
私にそれ︹フランシァード︺を命じるにあたって
日p韓ρg、窪閏Hき8閃冨謬嚇o剛ω8口需β且①℃霞一Φ冨﹁
囲19
の三く篤幽①ω凶8δ①コ匹①〇一①餅冒B巴ω︿o=Φ鑓
骨な要求といえる。この要求も﹃フランシァード﹄の進
行とともにますます強くなってゆく。
,O、①ωけげ白o凶Φ口ぽ98ωけ①口彗ヨΦω匹①℃2<oぼ
い①ωく興εω9δ匡窪ρ器噺①︿①口x88<oぎ
﹀ヨ窪興ざ口牢き2ωp<8口器σq冨巳、霞o需
∪5ω凶P噂o霞山o暮興﹃唱一器冨腎紆一、国霞8臼
さ互=①§ε9・同Φ=⑦ωh離山Φω゜:暮抽B
私が受けたいと望む徳と富、
それは、アジアからの大軍とともに汝のフランキュ
スを、
ヨーロッパの大部分を征服するために、
すみやかに武装させて連れてこれるような手段だ。
115
て、叔父のパリスの名をとって、パリと永遠に命名した
の詩では、フランキュスがセーヌ河のほとりにやって来
そして、ロンサールの強い自信もうかがわれる。またこ
0プp二ΦρO錠畠ぎ9畠①いoほ9剛口①では、
国℃置茸①匹①霊o嘆①山①菊oコω霞負餌霞Φ忽=犀ω球Φ勺Hぎ8
枢機卿、シャルルへのピエール・ド・ロンサールの書簡﹄
いる。この間の事情は、宮廷には広く伝わっていたので
dゴΦoαρロpΦo﹃9p。。oP°。①℃Φqけ討マΦω9⇒ω唱①づρ
こと、そしてその子孫がアンリニ世であることを語って
O㊤同二p=︿お巴σq鑓づ負節ω一巳oぎα、舜。二田o①
いpδ口σq⊆①儲﹁幽①α営鋤昌゜・鋤くp三ρロ①一.舘ず①<Φ♪
ZΦω、β。80ヨ且凶ωけpぎωざ嵩昌①h9巳け①ω℃同oβ︿臼
ζ9﹃琶①牢き。凶巴ρ。雲くお匹①δ口σq器ゲ巴①口①
レスコ勺δ舞Φい国ωOO日︵H㎝HO鼠i窃刈Q。︶が、ロンサー
あって、ルーヴル宮の建築家として知られるピエール・
ルの﹃フランシァード﹄をたたえて、ルーヴル宮の内庭
Zo℃p=巴鵠ω団山Φωヨpぎω゜。pβωρ=.o昌8お唱o=8°
ル ノ メ 囲20
に面した彫刻に︽評判の女神︾の像を刻んでいる。
曲21
かくして、ロンサールは本格的に﹃フランシァード﹄
に手をつける。その一つが﹃讃歌集﹄いΦ。・=冤B口①ω︵嵩
オードやシャンソンならわけなく作れるでしょう
が、
116
に取り組んだようである。そのために、さまざまな習作
呂︶と﹃讃歌集﹄第二の書い⑦ωΦoo巳いでお血Φω=団日昌①ω
曹燥@︶である。このなかには、アンリニ世に捧げられた
そうはまいりません、仕上げるまでには、
フランシァードの如き息の長い作品になると
ら、明らかに叙事詩の習作と思われる﹃カライスとゼー
なぜなら、かくも大がかりで、かくも技に満ちた書
十年の長さが必要です。
きないからです。
磨きに磨いてからでなくては、手を離れること抵で
物は、
テスの讃歌﹄=冤日屋山①O巴p貯簿α①NΦけげΦ・・°﹃ポリュ
第二の書の末尾を飾る﹃この上なく名高き公、ηレーヌ
と大きな関係があることはあきらかである。 ﹃讃歌集﹄
ァード﹄における、フランキュスとフォヴェールの決闘
山ΦO器8門が含まれている。國これらの詩篇は﹃フランシ
デウケースとカストールの讃歌﹄国︽ヨロΦ畠Φ℃o一冨×9
﹃アンリニ世王の讃歌﹄頃団日昌Φ忌δ団出窪蔓目か
(同
はなかったことはいうまでもない。カトリーヌ・ド・メ
かしロンサールがこの計画を決してあきらめていたので
ディシスにあてた﹃王母への嘆き﹄Oo臼且巴三Φ餅冨
と、十年の年月を要求している。アンリニ世は、凡庸な
の関心を示さなかったのであろう。このため、ロンサー
δ旨①ヨ臼①含閃o曳︵H切①心︶においても、彼は未来の読
教養の持主であったため、フランキュスの運命に・さほど
ルはメセ.ーヌの役割を果していたロレー又枢機卿に呼び
者に話しかける形をとって、
=窪図
↓oざρ三く圃⑦眉。。餌肩Φωヨoざρ三くo団冨。・①昌ヨ⑦ぎω
ド ぬ
かけたのであろう。さらにこの詩のなかで、
]≦①ユ8三鐙三、ρ垢ロo鵠δωもoω8°。匹①ω一〇口2σq①ω゜
一㎡く9ω一、①゜。陀詫σq巴=pa節ずo鐸①β﹃αq①口①おロ〆
Z①診、巷やΦ=①ωヨ①三Φξ冨器ωω①長身唱。霞①長゜
の漏、価σqp=9﹂Φ山①き騨ω卸﹃αq﹃①β器゜目巴ρ
UΦ閃建⇒8P閏届昌90P卸仙①﹃司鑓昌o冨山ρ
UΦ日①u。Φo。oユω①ω唱ロ冨δけ一霞Φ鋤ヨげ圃臨①ロ×
一①昌Φω8¢﹃9°D℃①口ω臼ρ二Φ島①ω℃Φぎ#①ω①ω#四pσq①ω
﹂Z団ρ仁、ロ昌9巨$犀げ9■ωけ団娼霞二昌鋤同けo江Φロ姻
囲22
<鉱=ΦロコΦ閏境ロづo圃p。山ρoΦロくお冨びoユ①¢×﹁
私には信じられない、異国の画家たちが、
℃oロ同審マoロ旨匹αq雷口畠oΦβ︿Ho①昌8暮o﹃碧感①ωωρ
讃辞を運ぶ詩人である私たちに勝り、
ζ巴ωρ質げΦ゜・oぎσq冨ω閃o団ω日.o昌けh角凶=矯ユ①℃Ho目Φωのo”
囲24
空しい技で築きあげた一幅の絵が、
フランキュス、フランシォン、フランシァードなど馬
私の後にやつてきてhさ寒ぎまな場所に、 ’
と、美術家たちと比べて、詩人がいかに不当な扱いを受
るのを見るだろう汝よ、
べきであったのだが、
私はこの作品をギリシャのイーリアズに比肩させる
私の作品の野心的な題名があちこちに散ら憾ってい
たロンサールは、 ﹃フランシァード﹄の計画を一時放棄
ところが、一五五九年にアンリニ世が死ぬと、絶望し
する。そしてこの放棄は六年以上も続くこ乏になる。し
けているかを強調するのである。
囲23
は、
推敲を重ねた﹁フランシァード﹂に匹敵するなどと
117
私を、嘘つき、怠け者、憶病者などと呼ばないでくれ、
私はかくも偉大な作品を大胆にやりとげるための、
活発な精神も、勇敢な心も持っていたのだが、
ヤいざというときに、王様たちが、約束を守ってくれ
なかったのだ。・
と弁解している。これを読んだカトリーヌ・ド・メディ
シスは、怒りはしないで、強く心を打たれ、失意の詩人
に満足をあたえる決心をすることになる。彼女は、息子
の家庭教師であり、官中司祭、オーセール司教である、
高名なユマニスト、ジャック・アミヨ臼鋤oρ信Φω︾ζ磯○日
父ヨIHαOG。︶に頼んで、一五六四年に、ルーアンの司教
時代に師の伝記≦Φ山Φ℃幽創①渕oロ。。p凱︵嵩GoO︶を書い
アルの小修道院も手に入れた。ロンサールの弟子で、同
は、彼は、生地のクチュールからほど遠からぬクロワヴ.
ル九世をも招待する光栄を持った。さらに一五六六年に
ある。彼はここにカトリーヌ・ド・メディシスもシャル
もので、結局ここで彼は息をひきとることになったので
小修道院ととりかえている。後者はロンサ:ルの好んだ
これをトゥールの近郊、サン旺コーム闘レ闘トゥールの
離してもらう。ロンサールはこれを受けとった後同年、
区にあるベロザーヌの修道院を、ロンサールのために手
(ド
たクロード.ビネΩp二山ΦじdHZ国↓︵]°α㎝ωー]°①OOは
︶、
ロンサールの感激ぶりを次のようにいつている。
智B9。幽ωωげo訂焦㊤卸ド勺oαωすoけヨ蹄⑦コΦ中①9
∪①8ω8h碧Φ霞゜嵩お胃凶け8焉pσqρ2笹器ρ器
♂ω胃o﹂①冨山Φ冨.、同鎚暮凶帥山①、.”山o彗出碧o詳締Φω鼠
り
一①山①・aω麟℃p同四同・、=目Φ5ω亀①ρ億四け。HN⑦団く同Φωρ器
]餌団くΦ¢ω.
この恩恵によって彼は勇気を取り戻し、これまでに
なく詩に熱情を燃やし、 ﹃フランシァード﹄の計画 18
を実行に移した。彼はそのあらましを十四章の梗概 1
であらわしていたが、私はそれを目にした。
このためロンサールは、カトリーヌの息子シャルル九
世に感謝した後、アンリニ世に対してやった以上に強く、
シャルル九世に援助を懇願するのである。 ﹃王へのエレ
ジi﹄国辰σqδ餌口幻o団︵一♂﹃︶では、
聞o霞。ρ日op幻oざω、昌く8ω巳巴。.け2①撤密8
噸り●・・.・6⋮。・.・・.・・曽⋮。.,。・°創・・・⋮.。°.°.°..°°°.引゜.●.
ピp閃窓昌9巴Po2<お号一〇づαqoω冨oρ
司o暮♂℃oα8げ Φ 霞 Φ ロ × ⑦ け σ q 一 〇 ユ Φ 二 〆
国けヨ、ゴo郎o器N”8ω↓8団ω℃o団三N”8日①ωΦ§窪ρ
にいっている。
であるジャック・ベロー寅oρロΦしd国”国︾¢は次のよう
いた。たとえば、ポワトゥi地方の詩人であり、法律家
Oo日日9Dロ窪ΦN日o︽塵ヨポ岡ヨ①N8暮Φ誘Φヨ霞①ザ アード﹄の沈黙は、多くの人々の激励や、不信を呼んで
団Φ♂昌甘σq巴=碧辞8°ヨΦ茸①暮山国コωげωO圃Φ二x°
囲26
即oロω碧負ω臼o昌け8εoロ屋9ヨoロおg×けoω①ω〇二ω∼
ZΦ︿①旨op。。ーβ○ロ゜。幽Φ8団ρ蔑巴Φσq圃窃営o同①ロω①゜。噂
﹂それ故、、王よ、私が、
広大な作品であるフランシァーボ゜を作るのがお気に
ZΦ︿Φ冨o塁1づo蕊智ヨ巴ω8閃錯づ2ω①葺﹃8ユ゜。”
国団ヨロoPoα①ρωo昌Φけ9げロoo鵠ρ二①ωUo団ΦβωΦω”
O O ● 9 ● ● O ● ■ ● 9 り ■ ■ , ● , ● ● ● ● O ● ■ ○ . ● り ・ ● ● σ O ・ ・ . ・ 幽 . . . ・ . 9 ・ O O ・ ・ ● ● ・ 願 ・
﹁召す゜なら、 ° . 噸
私に命令し、同時に私を愛し、私を敬まって下さい。
この三つの点こそ、
活気にあふれさせ、天上界に昇らせるものと思われ
詩人を幸福に、輝かしい者にし、
ます。
アミヨを師に持ち、文芸を、とりわけロンサールの詩
を愛したシャルル九世は、この申し出を承諾し、叙事詩
の計画を遂行するようロンサールを勇気づけるのである
が、一つ条件をつけている。それはフランスの古い武勲
冒巴ω。。ρ貯尻ωρカoづ゜。碧負やoロ同δωヨoぎ時①ω㊦ω胃凶ω
0①ωo自く田σq①。・8ヨ日ロ昌辞゜・p口゜・U一⇔の.=ω臼仙、Φ×o器①ω、 1
19
︵日ロ℃曾ωけδ.℃山①8蕊観︶“h僧団oゴ皿曇興妙仲Φω
o①ω魏。岩づω・ぎN鋤二臣㊦二円ω臥。①=<同①山①ユ虞ω・,﹃p且
゜、]≦自ω①ω
嘗ω’
..か?
ロンサー.ルよ、汝の著作はいつも恋の作なのだろう
二音綴詩を好んだロンサールは、結局しぶしぶながらこ
かからないの.だろうか? , .. .. ‘
讃歌、オード、ソネット、楽しい牧歌にしかお目に
われわれは汝の嘆きのエレジー、
れを承諾する。ロンサールの永い聞にわたる﹃フランシ
詩に倣って、十音綴詩で書くようにというのである。十
e
われわれはすでに筆を執ったと聞く、
ユスに会えないのだろうか?
あのフランキ
闘28
をのせていることをあげて.いる。フランス修史官である
歴史家のベルナール・ざ・ジラール・デュ・アイヤン
束と構想﹄℃門O日①ωωOOけU①ωω①ぎσq山⑦一、出圃ω8冒Φ山O
一五七二年に、シャルル九世に贈った﹃フランス史の約
bd①ヨ母傷仙①○マp凱O信国﹀一Uい>Z︵一αωα国i目O一〇︶は、
甲碧8 のなかに、 一五七一年九月に、シャルル九世が
つまらぬ人たちに、ロンサールよ、おまかせなさい、
これらのありふれた仕事を。いいわけばかりしない
プロワのシャトーにロンサールを呼び寄せ、王の書斎で、
で、
︵汝はあまりに時間を浪費している︶、汝のミューズ
この翌年に﹃フランシァード﹄が発表されたことから
アマディス・ジャマンに﹃フランシァード﹄の第四章を
囲29
読ませていることが記されている。
に歌わせなさい、
値ある作品を。
ド∪°H°℃緊卜σ軽1ω9
考えても、最初の四章以後が出来あがっていたとは考え 20
1
られない。
われらの祖先、かのトロイア人たち、この上なく価
ロンサールは一五六六年から作品に再びとりかかる。
秘書のアマディス・ジャマンがロンサールを助けて、ジ
ャマシ独自の方法で﹃イーリアス﹄を翻訳し、ロンサー
ルのために陰喩、比較、付加形容詞、格言、その他のホ
メーロス風文飾などを蒐集する。とにかく一五六六年か
ら一五七二年までは、彼は多量の時間をこの作品に捧げ
ている。一五六七年以後には、他の作家たちの作品のなか
に﹃フランシァード﹄の抜葦がのるようになる。シャマ
7
ワbDb⊃層く°QGo心−卜⊃Gc①﹁
﹃平和へのオード﹄○匹①匹①冨勺繊×︵嵩αO︶.い゜U°日“
や①Q。”<°這−目Q。°,
﹃恋愛詩集﹄いΦω﹀日oξ゜。︵困緕b⊃γい×<押い9∪卿一く.
賢∪﹁目゜℃°旨ρ︿雲ωδりIH=°
炉P冒゜娼唱.嵩OI旨①.
ピ曜∪.臼.喝℃’ωーω9
ぴ己陰℃’ωρ︿⑦冨にoQー冨ρ
654321
ールは、ユマニストのドニ・ランバンUo三ωH>ZじdHZ
ソh①ーHα刈卜◎︶ が、 彼の﹃ホラコティウス﹄の第二版
ソ①刈︶に、 ﹃フランシァード﹄の第一章の二つの断片
(一
(目
筐店゜唱.トっP<卿ω81ωミ.
﹃リエスの司教、ランスロ・ド・カルルへ﹄
﹀い餌旨①δ紳伽①○節二ρ①︿o呂¢①α①即δN.<°し。ωーω①.
国Fbd冨poゴ①B巴P↓ξ冒”90pざHG。8︾やQ。り゜
炉U°<H9燭7α﹃1①O°
U°∪°く昌゜灼O冒①OI刈心゜
ぴ己゜<°αーお﹁℃O¶零ー軌Qo°
ひ己゜︿¶おーδ堵喝゜①①゜
国①昌二〇ず卿89箆”寓⋮ω8凶H①臨Φ鼠℃一訟帥匹ρ↓°押や㊤り.
P卜,9
国αqδαq琴㎝簿窪碇①。・o①⊆<話ω喝oα戯皇①ω儀①智8仁o。・
いU°︶自く’℃℃9HωG。1辰紳く°旨軌−卜⊃Nρ笛δー鱒降oo9
切巽$虞勺o凶9①<冒︵℃〇一ρ凶Φ﹃ω 一α①軌 噂︶°°窪!−房即Oゲ暫B費斜
=δ8マ①山①冨コ禽四αΦ.け゜日曽喝.Hミ゜
匹゜・8マo亀。貯,距獣巴ρ“日やδ9,
まこ゜喝㍗HOQ。lHOり曾
五、﹃フランシァード﹄の反響
不幸なことには、 ﹃フランシァード﹄は、一五七二年
ま乙゜<°Hりートo斜やHGQ蒔
ださめない九月十三日に印刷を終えて、発表されたので
八月二十四日の聖バルテルミーの大虐殺のほとぼりもま
凶び凱゜<°一−ρやおω゜
い゜P<同.恒℃°HωGo−Hω心含
﹃オード四部集﹄︵第三版︶︵顧統︶﹃王へのオード﹄
﹀億”o甲い゜∪°<目゜唱やαlHρ<°co目lGQ9
たことは容易に想像し得る。けれども、一五七三年には、
あった。人々の心にこの作品を観賞するゆとりがなかっ
綜合作品集が出ており、 ﹃フランシァード﹄は、最終巻
やはり同じ書店からこの年に、ロンサールの第四回目の
同じ書店から、改訂、増補された第二版が出ているし、
炉∪°<目゜℃℃°bQ心1ωら.<°H設−δG。°
高田勇﹁ロンサールと造形美術ーロンサールの作品に
一四七i一四八頁。 ﹃ピエール・レスコへのエレジー﹄
おける神話研究の一環としてー﹂文芸研究、第十一号、
ピ.U×°勺゜ω 浪 1 ω 台 く ゜ し 。 O O i お 心 ゜
七二年[月十一日に、サンーーコーム小修道院長の資格で、
の続行を心がけている。この証拠に、ロンサールが一五
ている。またいぜんとして王の激励によって、彼は作品
第四版は、翌年の一五七四年にイタリヤのトリノから出
につけられており、これが第三版にあたるわけである。
﹀霊①旨⑦い.国ω。o∬匹Φσqすい゜Pד娼喝゜ωOOlωON
旨 埴
一げこ.く.ωQoω1ωGo①゜
ピ゜U.×目゜℃℃﹁ 嵩 b ⊃ ー H Q o Q Q ◆ < 曾 b ⇒ ω O l 卜 ⊃ 蔭 ①
﹁ロンサールと造形美術﹂、一四一−一五四頁
団山三〇poユ江ρ¢①℃舞即い9二50巳①さ国碧﹃Φ茸ρ這一〇°
121
2726
2928
8
9
18 17 16 15 14 13 12 11 10
2019
25 24 23 22 21
トゥールのサン“マルタン大教会堂参事会あてに、次の
決定的に﹃フランシァード﹄を放棄したという。、
如この世を去る。ロンサールはこのため勇気をそがれ、
その理由は、王のたっての願いが、彼をパリにひきとめ、
@二ωωΦ8ゴΦ<伽8ざ昌σqoロく田σqΦ”
ω一δ幻o団Oげ薗二①ω①ロωけく①゜。oF
祭礼の週務者の役を免除してほしいと頼みこんでいる。
﹃フランシァード﹄を続行させようというのである。
囲1
サールの権威の強さのあまり、批評らしい批評はなかっ
しかし、 ﹃フランシァ!ド﹄は、発表の直後は、ロン
たが、人々は失望したものである、とローモニエはいっ
ている。しかし、ユマニストのパピール・マソン勺巷貯①
憩8ωけρ⊆Φず日o誹一、①仁けくΦぎoF
ω僧日o暮旨①︿①言ρ三ωけ一〇〇〇億冨σq①゜
闘4
死が彼を打ち負かすやいなや、
私はこの長い作品を仕上げていただろうに。
もしもシャルル王が生きておられたら、
囲2
ラテン語のロンサールの讃辞を書いたが、彼は、ロンサ
彼の死は私の勇気を打ち負かした。
ζ︾ωω02︵一軌心心i]﹁①H一︶は、ロンサールの死を聞いて、
で、クレマン・マロΩ臥ヨ①暮ζ﹀閑○日︵一戯り①IHq蔭心︶
ールをヨーロッパ一の詩人と考えていた熱烈な愛好者
とは深淵によってへだてられており、ロンサールは古代
人を模倣していても必らず独創的なものをうち出してい
エピローグとしてつけられたもので、つまり全体のエピ
これは一五七八年に、 ﹃フランシァード﹄の第四章の
ローグとなるのである。
る、と考えていたが、叙事詩に関しては別問題だといっ
ている。彼がロンサールの作品で非難したのは﹃フラン
びに、手を加えられ、一五八七年版には︵ ﹃フランシァ
﹃フランシァード﹄は、その後も総合作品集が出るた
!ドについての序文、英雄叙事詩に関して。初心の読者
っているとはっきりいっている。
シァード﹄だけであるつ彼はこの作品が他の作品より劣
囲3
=霞。5=ρ︾目い9審葺摺℃お昌無゜という長い序文まで
ついている。
−に与う﹄中①貯8°。霞冨閃冨琴繭巴Φ”8ロ。ゲ§け一Φ勺oα日Φ
しなかったことと、予告もしなかったことはたしかであ
とにかく、ロンサールが﹃フランシァード﹄の続きを
書いたかどうかは明らかではないにせよ、彼が何も発表
る。そのうち、一五七四年の五月に、シャルル九世が突
122
一、
森
∪巴鋤ロ山仁口α、︾HO>ピ田菊Qっ︵Hα胡−目①卜。O︶は、九章から
詩人、司法官のピエール・ドローダン・デガリエ霊曾お
なる﹃フランシァード﹄を一六〇三年に発表した。ロン
で、フランキュスをヘクトールの息子であるトロイア人
サールの無数の模倣があったとはいえ、彼の試みは大胆
にしないで、ゲルマン人にしていることが、全くオリジ
いぜんとして人々の関心をそそっていたようである。た
とえば、パリの喜劇作者として知られたジャン・ゴダー
ナルな点である。この結果、物語が先史時代やギリシャ
ロンサールが筆を絶ったこの﹃フランシァード﹄は、
ル一①碧Ω○∪︾幻Uは、フランションのガリヤ到着につ
時代ではなくて、ずっと後世に展開されるのである。ま
えるために、 ﹃イーリアス﹄や﹃アイネーイス﹄に匹敵
であるが、彼はここでやはり、アンリ四世の先祖をたた
世にやったのと同じような韻文の序文に始まっているの
ている。これはロンサールが、一五五五年に、アンリニ
あり、一六二三年版の註釈をした詩人、クロード・ガル
その後も、一六〇四年に、ロンサールの遺言執行人で
理解されるように、難解な神話などを排した比較的単純
闘6
な文体をとっているという。
が書いたと思われるのに反して、彼はすべての人びとに
﹃王の戦勝記念品﹄↓同o℃ぽ①ω山qヵ9と題する詩を献じ た文体も、非常に教養あるエリートのたあにロンサール
いての悲劇を書いた後に、一五九四年に、アンリ四世に、
する叙事詩を書こうと宣言している。そしてかくも永く
ランシァード﹄の第五章をつけ加えているし、一六〇六
ニエΩβ■ロ山⑦○﹀閃ZH国幻︵餅岳引躍IH①ωQQ並黙︶が﹃フ
せることを誓い、そのプランを展開する。ロンサールの
待望された﹃フランシァード﹄を再びとりあげ、完成さ
プランに較べて彼の新しい点は、フランシォンが、アン
OdHい目○日が、やはり﹃フランシァード﹄の第五章を
年にも、ガルニエの好敵手のジャック・ギョ 冒8口Φω
の試みがあるのである。
出している。その後も、一六一五年と二六二三年に同様
曲7
リ四世がトルコ人たちに挑戦した地方で、かってトロイ
アがあった地方を彼らの重圧から開放するという点であ
った。しかし、アンリ四世は、この称讃者に興味をよせ
翻5
なかったので、彼は実際の製作は放棄してしまった。
プレイヤード派の、とくにロンサールの弟子であった
123
α、国○ヨσ同①①け匙①℃ぢ匹溝﹁①.]≦①けN”Hヨ灼ユヨ①ユ①男
昌PHQoO餅℃喝.トつOりlbつHρ
ラテン語にくらべて本質的に劣っているわけではない、
と信じていた。そのためには、 ﹃イーリアス﹄や﹃アイ
ネ⋮イス﹄に匹敵するような作品を生み出さなければな
ある。こうなれば、彼の名前は後世にまで伝えられ、彼
の名誉心は十分に満たされるわけである。
自分にはなし得ないと思われる夢をロンサールに託す人
は多かった。ロンサ!ルの盟友であるデュ・ベレは、作
ド・ロンサールへ﹄﹀℃δ議①伍Φ﹂幻o昌ωpH畠︵昌ααα1蜘①︶
品の方々でこれにふれているがうたとえば、﹃ピ・エール・
フランキュスのためにフランスはあげてきみを歌っ
いる。
宮廷はあげてフランキュスのために、きみを誇って
ρ仁Φ50器o卸ピpけぎ8仙Φ呼溜oω霞o閏鑓コ鴫9ω゜
国ω自ざoω①節審団蜜コ∬切oづ。。賃P卸8°・8ho凶ρ
, 、 闘1
筈p三ρ
勺oβ﹁ 閃富ロo¢ω一喝oロ同閏冨旨oロωけO口けΦ 閏﹃四勝OO け①
・:・:]りO¢け⑦一900口﹁けΦ<Pコ一〇
においては、
ソ悼卜⊃−H㎝①O︶作の﹃フランス語の擁護と顕揚﹄い9∪①h・
ある、ジョアシャン・デュ・ベレ冒poぼ桓゜山ロしd国ピいレ尾
一にフランスの名誉である。。フレイヤード派の宣言書で
たのか? かんたんにいうと名誉心からである。まず第
ロンサールはどうして﹃フランシァード﹄に手をつけ
⊥ハ、﹃フランシァード﹄の意図
ぴ己゜唱゜××’
旨こ.℃.×一×﹁
い甲一︶×<同゜℃㍗×<H目1×H×°
い.U°×<H°℃.ωω9
ω心ρ
ζ国o。ωop︵Hqら心lH①ドH︶°国゜O﹃魯旨℃δPH㊤b⊃心.℃燭ωωOi
このように考えたのはロンサールだけではなかった。
℃閂①旨①園o昌N団⋮¢昌ず=ヨ螢ロ冨3一9=p5ゲ帥昌計℃o営﹁①
勺①けユ幻o口ω舘象くぎ﹂ooぎΦ昌゜り﹃⇒oσ一醤ω℃o①けp。Φ国δσQ冒旨.
らない。それをやるのは、ほかならぬロンサール自身で
国゜O餌⇒山⇔鴇”カopIー固脱匹 oo口uワ凱σ﹁ひoOヨ日Φ 冒巳梓ロけ①口﹁
曲
bd
以来、ロンサールは、フランス語は決してギリシャ語や
124
1
2
3
4
5
6
7
州Φβo①①けH=ロω#9ぼop山①ドいp昌σqロΦ閏鎚昌oo団ω①︵一α幽㊤︶
(一
.ている。
ロンサールとの最初の出会いの時からこれを勧め、叙事
いた。ペルティエの変わった点は、模範と仰ぐ古代人が、
詩を作ってこそ、真の詩人の肩書きが得られると語って
これはロンサールにも大きな影響を与えている。
ホメーロスではなくてウェルギリウスである点である。
書け、今ぞ、臆せず大いにやれ、ロンサールよ、
まで。
レイモン・ルベーグは、このほかにも、ロンサールが
ギリシャ語もラテン語もわがフランス語に屈服する
と、激励している。
ンサールが﹃このうえなきキリスト教徒、若きシャルル
シャルル九世への訓戒の意味をも﹃フランシァード﹄に
囲2
持たせていたことをあげている。これは一五六二年にロ
それではなぜほかの作品ではなくて、 ﹃フランシァー
ド﹄でそれをやろうとしたのか? 要するにこれはプレ
九世王への訓戒﹄ぎω葺葺δ鵠でo霞一、巴9①ω8β8臼菊o団
国鋤二①びHO①①︵蔭①σ窪゜γ℃°δq°
﹃ロンサール、人と作品﹄勾op鴇巳し、ゲoヨヨΦΦ二、o窪く﹁9
O﹃効日鶴同倉鉾く9℃°ω①9
日。卯畠巨u・じd伽=畠”○国ロく話゜。唱゜σ二ρ器゜。冨鴨二σ昌臨
囲,
25
ていることを考えればうなずけるところである。 1
霞Φωo﹃器ω叶δpO匿ユΦω昌Φ亀三Φωヨo庫①o①昌o日 を書い
イヤード派の叙事詩に対する態度の問題である。この派
の詩人たちは、叙事詩が詩のなかで一番すぐれたもので
あり、文学の王座を占めるものと考えていた。デュ・ベ
レも、 ﹃フランス語の擁護と顕揚﹄の第二部第五章を叙
事詩にあてている。
彼にとっては、叙事詩人というのは、当時の貧しいフ
ランス語を、ギリシャ語、ラテン語の域に高める人であ
った。これはデュ・ベレの作品に大きな影響を与えたユ
マニストのジャック・ペルティエ冨oρロ①℃国ピ国日H国”
1
2
゙一、NI︼.qQob⊃︶の﹃詩法﹄﹀詳℃o偉5坦①︵扇親︶におい
他の文学に劣ったものとなる、と映るのである。そして
であり、叙事詩なしには、どんな文学であろうと、常に
ても同じである。彼の眼には、’叙事詩は詩の至高の形式
(同
エンヌ・パキエ国怠Φ隣昌Φ噂︾ωρ¢H国知︵一αトりりーμ①一α︶と
なっている。しかし右の数は、一つの句を作るのに、二つ
ついてはそれがあてはまる。ロンサールは、蜜蜂が、花
なくてはならない。特にウェルギリウス.とホメーロスに
三つのスールスを利用している場合があることに注意し
ロンサールが﹃フランシ噂・ード﹄を書くにあたって手
から花へととびかって蜜をつくるように、幾つもの模範
七、スールス
本にした作家は誰であったのか?群を抜いて多いのは、
では、
ンシァード﹄の最初の序文﹃読者へ﹄﹀信い①。8霞︵一宅b。︶
と評している。ロンサール自身の言葉を借りると、﹃フラ
ピエール・ド・ノラックはこれを、︽奇妙なモザイク︾
からもっとも美しいものを生み出そうとしたのである。
ウェルギリウスであって、ローモニエのあげたスールス
によると一二五回もあり、そのうち﹃アイネーイス﹄が
一一四回を、 ﹃農事詩﹄が一〇回を数えている。次はぐ
っと少くなって、ロドス島のアポローニオスの﹃巨船ア
Cーリアス﹄一九回、﹃オデュッセイア﹄が十五回︶オ
≠テ①け匹①憎印暮お一、震ぼゆ8雲鴨霞σq犀日①葺∼
囲1
鋤①<耳σq躍ρ一日犀9暮ε葺①゜・︷o﹃蝉日oコ℃o°。。。ぴδα④
鼠oヨ鼠匹、=oヨΦ富ρ5Φ。。霞 冨εユΦ賃ω①臼=σq①g①
將c唱舞8ロ昌ひヨo旨o①ロく冨唱冨8ωけω‘﹃貯昌a︿Φ
126
ルゴーの遠征謳﹄が三八回、続いてホメーロスが三四回
ウィディウスが二〇回︵うち﹃転身賦﹄.六回︶、 エモワ
ン︾団日oぎ︵HOOo。並黙贈︶が十一回、へーシオドスが七
ュ匂$ロい国≦>H力国U国切国いO国ω︵一儀刈ω1]°qN蔭”︶、グ
回︵うち﹃神系賦﹄六回︶、ジャン・ルメール・ド・ベルジ
レゴワール・ド・トゥールONΦσqoマo鎚Φ日o霞。・︵切ωQ◎癌1
㎝㊤ら癌︶が三回、 ロベール・ガガン 幻oげo腎O>OdHZ
ェbΩ㎝叫詩巾艸口[幽ωωード㎝OH︶、彼の同時代人のニコール・ジル
ピンダ.ロス、ホラーティゥス、プロペルティウス、フラン
ソワ・ラブレー閏冨口矯O凶ω幻︾Ud国い>Hω︵μ蔭O㎝相ーHα窃ω”︶、
アリオストい&o<幽oo︾濁HOω日○︵︼°斜刈蔭1︼°αωGQ︶、エチ
』、
゜真似゜て⋮⋮
を作った。だができるかぎり、両者の技巧と主題を
メーロスの素直な流暢さにもとつづいて、私の作品
私は、ウェルギリウスの入念な配慮よりもむしろホ
一、
(『
Z80=①OHいい団ωが三回、二回ずつがルクレティウス、
(μ
移っていることは明らかであって、一五八七年の序文に
とはいっているが、結果はウェルギリウスの方に比重が
ないのである。ルメール・ド・ベルジュは、いはばロン
てくるだけで、彼らの歴史書からのたんなる引用にすぎ
ル・ド・ト・ウール、ガガン、ジルは、第四章になって出
サールの先駆者であるので、むしろ少いくちいに思われ
おける次の言葉が、それを裏書きしている。
ル・ド・ベルジュを読んでいたことをあげている。 ・
旨Φ臼げω。。Φ母Φρ賃①8ω2︿一窪瞬sρ二①88口∬幽①ρロo曳
る。クロ﹂ド・ビネも、ロシサールが若い・頃からルメー
苛=①σq器くマσq頴且ロωωoロ<①三ρロ、=o旨興ρρ三
熱情から、フランスの国民的な歴史を﹃フラ.ンシァード﹄
①ω8旨ωopヨ田ω窪ρ簿ωopも暮δp⋮ヨ鉱゜。﹂①一、鋤 団このように一般にはロンサールは、﹁ペダンティ〃クな
聾け8器①×胃Φ。。”・。鴇。ゴ鋤暮ぽ窪ρ器昌oω閏田おo﹃
のつながりを強調している。ロンサールが﹃フランシァ
ているが、アンリ・フランシェは、ロンサールと中世と
o旨互⊆ω低Φ8σqβ9ωω㊤琴o山①<マσq剛δρロ①α、出o日Φおのために選ばないで、トロイアの伝説を選んだといわれ
曲2
①け店、櫛鐸霞っω9ロけ﹃Φ口鵠○同Φoω.
島①日﹃oδ︵目O㎝癌︶や、ルメール・ド・ベルジュの﹃ガ
ルbd①昌o冨幽①QO巴口81]≦9霞oの﹃トロイア物語﹄菊o日僧昌
ー下﹄の計画をたてたとき、ブノワ・ド・サント既モー
ーロスよりも、ウェルギリウスを多く引用している
私をねたむ人たちが、その師であり模範であるホメ
と非難するだろう、と私は確信している。しかし私
ωぼσq巳舞剛は。。αΦ月月06︵一㎝OOl]°α一ト⊃︶の伝説を続けてい
リヤの顕揚とトロイア霊異記﹄H=器霞p臨o昌山①O薗巳①①け
キュスとフォヴェ⋮ルの決闘のアナクロニスムをとりあ
曲4
げて、ロンサールと中世とのつながりを主張している。
﹃フランシァ︸ド﹄における十音綴詩の採用や、フラン
囲3
るのである、と考えている。その他にも、フランシ.エは、
これを見ても、ロンサールが直接お手本にしたのはウ
ェルギリウスであることがはっきりわかる。ロドス島の
︵目OO輝i=誤輝︶の﹃ブリュ物語﹄知o臼飴口α①口ご触巳
アポローニオスがホメーロスより多いのは、ロンサール
の趣味を示していて面白い。ただエモワン、グレゴワー
事実十二世紀からトロイア伝説は、ヴァース ≦︾○国
ウスをよく知っていることがわかっているからだ。
スや、他のギリシャの作家たちよりも、ウェルギリ
は故意にやったのである。フランス人は、ホメーロ
127
︵置呂︶、その続篇をなす﹃ルウ物語、別名ノルマン人の
矢を射てもらうエピソードは、 ﹃アルゴナウタイ﹄で、
アプロディーテがエロスに頼んで、メーディアの胸に恋
武勲詩﹄ヵo日碧瓦o幻oFoロ○窃8山Φω乞o同ヨ碧αω
︵匡誤伴二¶Oθ藍︶、﹃白鳥の騎士﹄Oげ①︿巴凶臼窪O矯σq器 の矢を射るエピソードを思い出させる。また有名なフラ
におけるポリュデウケスとアミコスの決闘に似ている。
ンキュスとフォヴェールの決闘は、 ﹃アルゴナウタイ﹄
で現われているのである。
イ﹄の、ヤーソンに恋い焦がれるメーディアの苦悩を思
また、恋に狂ったクリメーヌの苦悩は、 ﹃アルゴナウタ
l識滞︶等々の詩から、韻文年代記、散文の歴史にま
囲5
さて、それでは模倣の種類が問題になるが、それぞれ
ーントがメーディアと同様に魔術使いである。
わせる。さらに、もう一人、フランキュスに恋するイア
ピテート、イメージ、比喩、格言等のいわゆるホメーロ
ホメーロスの影響という点で、一番目につくのは、エ
ウスからは、 ﹃フランシァード﹄の大部分のエピソード
の喚起、メルキュールのブトロートンへの使者、噂の女
どプランにいたるまで、ウ属ルギリウスの影響を受けて
レタ島の王の難波者たちの歓待:⋮・したがって、ほとん
フランキュスへの予言、フランキュスの船隊の難波、ク
非常な類似が見られる。またフランキュスがフォヴェー
後者はナウシカァー°によって目をさまさせられる点など、
オデュッセウスがパイエークスの島貞前者がディ゜セに、
ているゆ漂着の島が、フランキュスの場合がクレタ島、
ス風修辞法である。フランキュスの冒険はまた、 ﹃オデ
ュ’ッセイア﹄における、オデュッセウスの冒険と酷似し
モールに頼んで、クリメーヌとイアーントの姉妹に恋の
唐ニ、、﹃オデュヅセイア↑のフ、エギオスとデモドコ・ス
っ・て打ち克.つのである。また﹃フラン゜シァ゜ード﹄のテル
常では大刀打ちできない相手に、﹁見事な精神の統一をも
.であるが、相手はともにネプチ評iヌの息子であ﹂り鴇尋
ルと、そしてオデュ’ッセウスが、ポリフ﹁エームと闘うの.
いるのである。その他の修辞法のこまかい点は数限りな
ルゴナウタイの出発と酷似している点である。続いて、
ひきいられた船隊の出発が、ヤーソンにひきいられたア
ロドス島のアポローニオスの影響は、フランキュスに
くあげられる。
神の肖像、ヘクトールのエルナンへの出現、エルナンの
ける神々の会議、ユピテールによるトロイアの最後の夜
が影響を受けている、と考えられる。オリュンボスにお
の模範から彼は何をとっているのか? まずウェルギリ
aB
フランキュスの祈願をきき入れたウェヌ’スは、息子のア
パ.
ユ28
(H
ただ、フランス人のトロイア起源説は、ロンサールの
の詩人たちも好一対である。
始めたものではないのはいうまでもない。十六世紀にな
ってからも、この伝説を最初にとりあぐたのは大押韻作
クトールへの手紙﹄い①け窪Φ鐸出88﹃血Φ↓8賓①︵一q置︶℃
家たちである。ルメール・ド・ベルジュの﹃トロイアのヘ
﹃ガリヤの顕揚とトロイア霊異記﹄や、ギョーム・クレ
ぴ罷゜やb⊃①心゜
勺゜OO°・け昌”い餌ρ口①ω臨O局ゲOヨ色β二①Φ仲一.σ<Oξ江op山億
Ω簿p畠9N”o唱゜9ρ℃°°卜⊃Qo°
盾nけ=窪ひ﹃臥器①p閃履帥口o①゜℃°HO一.
八、ロンサールの方法
さて、ロン,サールはいかなる方法で、 ﹃フランシァL
ド﹄を書こうとしたのであろうか?﹃フランシァード﹄.
タンOロ自櫛仁日ΦO閃屑日HZ︵置b⊃O鼠ード㎝bΩ㎝︶の﹃フラン
わが国の昔の年代記にもとづき、支えられて、私は
さて、詩におけるこれらの二つの光をまねつつ、
℃o紛ま♂℃節昌O旨山Φ冨く①ユ猷匿
囲1
oロロOロ“8同出団喝oGく巴けく①巳δ白Φω臼く鋤昌け山虞
600団一ゲ①ωo自bビ自oげ①ω︸ω一閃鑓ロoロω①ωけくo昌二〇ロ聞Hp口o⑦
ロoPOロω凶昌Oω幻o団。。ωO昌け日イO矯①ロ゜・o犀○霞ヨ9。嘗゜・導
.、閏田琴置α①.、り器冨ヨ①ωogげ邑匹8冨①゜。けく冨団o仁
節㊤℃Oロ団価ωβ﹃昌oω丘①三①皿︾口昌巴①ω℃“”9団ぴロωニヨ斡
○お一日津9づけ8ω山σロ×甘ヨ一曾霧山Φ、℃oαωδ9ho⇒島仙
を聞いてみようQ
実らしさ︾貫巴ωΦ日江碧8というごとである。彼の言葉
創作にあたって、彼が用いた最高の原則というのはギ・︽真
ス年代記﹄O訂O巳ρロゆ想田需巴。。Φ︵H㎝H切伴H㎝b∂㎝鳥︶醒︶や、
ジャン・ブーシェ匂①餌うゆ○ζO鵠国日︵ドミ①iH㎝㎝㊤輝︶の
﹃古代ならびに現代フランス王の系譜﹄ピ①ωき。δ口ω雲
ヨo亀①ヨ㊦ωσq仙昌伽巴oσq凶Φω匹Φも・同o団ω山①閃蜀づoΦ︵HαN刈︶など
を、コスティルは﹃ホメーロス問題とフランスにおける文
学趣味の変遷﹄のなかであげている。彼の説によると、ト
ロイア戦争の叙述は、 ﹃イーリアス﹄よりも、ブノワ・
闘6
ド・サント・モールによっているという。
い.U°×<一゜℃°9
曲 ’
ま己゜噂.ω心bO°
寓①昌ユ閃H9⇒oゲ①け“い①℃O①梓Φ①けωO昌O国ρく︻Φ
儀、巷吊ω
図op喝。碧拝Oゴ9日℃団oP一りbobっ”℃.bσ①ω曾
129
σq
4
6
5
1
2
3
それが真実であるかないかとか、われらの王たちが
私の﹃フランシァード﹄を打ちたてたのであるが、
も、私は彼から詩人という名前をすっかり奪い取る
がたんに素晴らしいのみならず、神々しいといって
彼の詩を作らなかったので、たとえ彼の数行の詩句
のだ。
トロイア人であろうとゲルマン人であろうと、スキ
ティァ人であろうとアラビア人であろうと、そんな
と、考えるくらいであるゆロγサールにあっては、叙事
ことは気にかけなかったし、フランキュスがフラン
スへ来たかどうかも気にかけなかった。なぜなら、
詩と歴史の対立は決定的である。彼は、両者の間にはい
ロンサールにとっては非常に大せつなてとである。彼は
かなる本質的な関係もないと考えている。両者の相異は、
真実ではなくて可能性にもとづけば、彼はフランス
へ来ることができたのであるから。
国口8お唱ロ①一、=﹃8マΦ①昌﹃雷ロ8賃Oα①ωo詳①ω゜。①
一五七二年の序文﹃読者へ﹄を次の文で始めている。
・8啄o門ヨΦ鐸賦−畑oα臨ρ・8ヨ日Φ6口くΦゴΦヨoβ8α①
ロンサールが﹃フランシァード﹄につけた序文の一部で
これは、一五八七年の綜合作品集の編集にあたって、
うなこと︾という意味で、霞巴ωΦヨげ冨三①という語の同
自Φロ︿Φρヨ興9ヨo昌鼠凶σQロΦρ節β。ロ#①ωωoヨげげ窪①ω
冨ユoが冨同きαq器ρ画①ωoユ℃二〇器匹①げ彗鉱=o°。鴇く已①ω“
詩人が雄弁家と同様に真実をまげてはならない戦
歴史というものは、熱烈な話しぶりや、演説や、
<箪団器Bげ冨巳①①ωけΦ巴o昌αq昌①山Φ冨く①ユ猷゜
囲3
肝ωo口けβ。島。。一①巴o口σq琴N一、ロコ亀①証三8ρ二①δ
富霞略巴ω漆臼げくBざω一①ωけ18ρ舜昌庫餅8霞ωε①け
oげoω①゜。”o口♂℃oαけ①謬Φ鮎o凶げけ昌op且二ωρβΦ﹁d鎚−
は歴史家の任務であるという。彼はルクレティウスを
∼彼は、真実らしさとありうべきことにもとついて
8”器巳⑦日Φ三〇蓉巴o口ωり目駐゜臼三霧・°
. 囲2
8po8画Φ勺o曾ρΦβ88ρβΦρロΦδロ①ω<9ω゜。oδ暮
ωΦ日げ貯昌8俸ω霞δ℃oω匹三ρ﹂①ξ団oω8α仁8暮
∼=づ、潜腿ω冨ω江ωo口02謹Φ旨同冨く冨団ー
義語と考えて良い。つまり、ありのままのことを書くの
ある。ここで彼のいう℃oω繊匡①という語は、︽ありそ
130
ように、多くの点で詩と類似しているとはいえ、し
闘、都市、河、海、山、その他の類似のものなどの
の末尾で、
てもいえる。彼は、 ﹃フランシアード﹄の第四章の梗概
・このことは、彼の弟子のアマディス・ジャマンについ
が真実と異っているのと同様に、たがいに異ってい
書きとなるために、わざわざこのいつわりの意見を
の王たちの精神を新しい肉体に来させるために、も
っともかんたんな道であり、もっともかんたんな筋
る、ピタゴラス哲学を扱っている。著者は、われら
ツの肉体から他の肉体への魂の移行︶と呼ばれ
第三部は、ギリシゥ人たちによって喬門繋S身eミハ
部に分けられる。第一部は恋愛を、第二部は魔術を、
要するに、この章はもっとも美しい章の一つで、四
かしながら、両者の主題にいたっては、真実らしさ
るのである。
ロンサ!ルは、とにかく﹃フランシァード﹄が歴史と
混同されることを恐れていたのである。
∼℃o葺8ρロ①訂 ヨΦ筥2お℃碧臨①山2昌oω霞oω
山①㌍§oρ8旨日Φω二、β。︿oぼ①口窪①質凶ω角8けa口団の・
℃Φ口ω①ρロ①冨舅笛旨o置偶⑦゜■o津コ昌①三ω8マo山窃幻9°。
る。それだけにとどまらず、彼は、 ﹃イーリアス﹄、﹃オ
占めるのが常である。このことをロンサールは忘れてい
詩には、歴史的事実が主題でないまでも、大きな要素を
しかし、ロンサールがどういおうと、特に初期の叙事
と、もらしているのである。
ば、彼は詩人よりも、むしろ歴史家に見えたかもし
囲5
れないからである。
8ユoσq民εゴΦ俸づo⇒℃oαけ⑦゜ゆお︷8=︿おoωけqロ 用いているのである。なぜなら、この介入がなけれ
閃o日俘。58ヨヨo一、目&Φ⑦げ一、﹀国p①雛ρ∼
囲4
∼というのは、わが国の大部分の人たちは、 ﹃フラ
﹂ンシァード﹄はフランス王たちの歴史であり、あた
かも私が詩人ではなくて、歴史家であろうと志した
かのように考えるからである。要するにこの本は、
のである。
﹃イーリアス﹄や﹃アイネーイス﹄のように物語な
デュッセイァ﹄などを完全なフィクションであると考
131
(一
いう。そして、これらの作品と較べられるものとして、
え、これらを歴史ではなくて︽物語︾δヨ9。づであると
﹃ランスロ﹄、﹃トリスタン﹄、﹃ゴーヴァン﹄、﹃アルチュ
ール﹄をあげている。
p団⑦昌け冨ヨ巴ωΦω鼠りρ巳oロけ8口ωδωづo昌ωΩ同Φρωぎ−
8♪勺oζ山餌旨ρ︾冨×鋤昌匹﹃ρ節B騨=Φ95窪①ωけ巴ω
oげΦ奉=Φ嵩目δ団①霧①話匂。①暮娼o吋融一①昌oヨ亀Φ一Φ口穂
︿⑦昌8N℃四﹁国oヨ①お”8﹁°自一〇①﹃Φω8津く罠ど一窃
℃鉱ω℃ず円矯σqδP節①ωけ玄①昌巴怨餅8σqコ9ω#Φ噂碧
蕾日。°・ヨΦω唇ヨ。・ρ器冨σq=①器摩畠Φ弓Φ助Φω−
ロンサールは、ギリシャの軍隊がトロイアを前にして
十年間も戦ったことは信じられない、と告白した後、そ
鼠略①ぎけΦ唱袋寓oヨ2ρoOヨ日Φρ仁①500ωσq﹃鋤く①ω髄午
数のこのような人物も、かつて存在したなどとは信
ル、ポリュダマース、アレクサンドロス、さらに無
そして、なお一そう私には、プリアモス、ヘクトー
け①鐸﹁ωO⇒けhΦ吋日①旨①づけ鎖器二層①”
翻7
の理由を、序文﹃読者へ﹄︵旨お︶において、
∼♂°。oゴ①︿巴繭臼u。団①二ωωΦづ汁℃臼山0500β冨αqρ㊤げω①暮ω
ω二〇口σq8ヨもω庫Φ8¢房︷Φヨヨ①90コ融コω卸旨p尻oづω”
磐ωω幽ρロ①冨8島εヨ①α①冨σqg員⑦﹂器℃霞Bg
ρ⊆、o嵩8ヨび象①の剛ざコσq蝿ΦヨΦ馨鎚Φ<鋤鳥⊆、5Φho簿Φ
囲6
∼騎士たちは、かくも永い間、彼らの妻子や家を後
在したのならば、トロイアの騎士たちは、彼らのプ
ぜ信じられないかというと、もしも彼らが本当に存
て作り出されたギリシャ風の名前を持っている。な
じられないだろう。彼らはすべてホメーロスによっ
にしては、その地で勇気を失ったであろうし、またゐ
して、この名前からしても、トロイア戦争は、幾人
リュギアの国の名前を持っていたであろうから。そ
<籠ρΦ昌信嵩”鉱qD①ω茸勉昌晦①同゜
戦争の習慣からしても、異国の、一つの要塞都市を前
スによって作り出されたものということになる。
かの権威ある作家たちが断言したごとく、ホメーロ
にして、永ながと戦うことを許されないからである。
と、述べており、°さらに強調して、
響曾くき$頓①容器凋p霞o輔ω曾忌お健①中ぢ旦・出Φo− と、結んでいる。けれども.ここでいうロンサ﹁ルの論
132
拠が全く意味のないことは、すでにあきらかである。詳
園8
しくは、この論につけたローモニエの註を参照されたい。
解を絶する神の権力の効果をあらわすために、
まな名前をそれに贈ったのである。
様ざ
↓﹃①ζ臼くΦ竃2×ぎ夢o国℃δのなかでも、次のように
といっている。ウィリアムズは、﹃叙事詩における驚異﹄
ところで、この時代のギリシャ入にとっては、トロイア
トールなどの英雄たちも歴史上の人物と考えられていた
ホメーロスの神々は、寓意的な人物というよりもむ
囲10
しろ、宗教的実在であった。
考えている。
戦争は、たんなる神話ではなくて歴史であったし、ヘク
のである。ロンサールはこれらの神々、英雄にもっと実
在性をもたせるべきであったのに、彼らを人物化された
﹃フランス詩法概要、サヴォワのオートコンブ修道院長ア
抽象的観念と考えている場合が多いのである。たとえば、
ルフォンス・デルベーヌへ﹄︾げげ器σq伽伍①一、﹀詳℃oα二ρロ①
汝の話を決して長びかせてはならない。この同じ主
噂9ωω韓侮Φ一.⊆昌妙一.o信#ΦΦコo①p一ωo詳①ω山Φくoユ①8N°
囲11
唱窪二8αq器ヨ窪=邑。§§日①゜■日Φωロげ﹂Φ計ヨ9醐ω
ユ雷旨讐5¢ρ節ρ三巨Φoo旨ω♂8ρ⊆.o昌餌9囲oP昌Φ
ヨΦωヨ①ωε9°O霞♂℃O①゜自δ自①﹃9ρ漏①・ρ巳Φ鴇
ぬ二①けロく二①≡Φω州巴お信昌=<同⑦8βけ①⇒江臼O①o①
Z①ω9ω冒B巴゜。δ口σq①昌仲Φω臼ωoo偉話い匹8p、①ω一
うな形式、構成の相異という結論を出すにいたる。
津9。嵩鴨o凶ω植餌>6げo旨ω①U①子①口ρ﹀げぴ伽幽①団画三Φ傷o日ぴ① さらに、ロンサールは、詩と歴史との違いを押し進め
33
て行くうちに、このような材料の違いのほかに、次のよ ー
①ロω鋤くo図Φ ︵扇①α︶では、
−け⑦=Φ。。αΦ謬ΦN昌①po⊆ω話嘆①ω①三Φ三鋤三80﹃o器ρロΦ
∼8ω]≦ロω霧樽﹀℃o=oPH≦①容舞ρ勺9。=窃節鋤暮H①ω
8°。噂三ω田口8ωα①U8二㊤=ρ‘色ぽω嘆①ヨδHωプo目−
ヨ①ω9︿o団Φ昌一αoロ5伽℃ξωδ⊆誘50日゜−唱oロ吋﹃ω亀く2ω
0中①o欝島①ωopぎooヨ冒①ず①昌゜・ま﹃ヨεo°。けΦ
囲9
∼ミューズ、アポローン、メルキュール、パラスな
らびにその他の神々も、唯一の神の力以外のものを
われわれに示すわけではない。初期の人びとは、理
りは。なぜなら、劇的であり、筋からのみなってい
題でもって一冊の本を作るとでもいうのでないかぎ
ことを、彼の芸術におけるこのうえなく必要な主義
なくて、真実らしさ、ありうることをたどって行く
彼︹詩人︺は、決して真実を一歩一歩たどるのでは
史家は、諺にもいわれているように、針に糸をとお
真実の叙述は歴史家たちにまかせるものである。歴
しれないことにもとついて、彼の作品を樹立する。
としている。そして、ありうること、なされるかも
る英雄詩は、同一の主題を長ながと扱うことはでき
時間的であ
ないのであって、ある主題から次の主題へ、無数の
多様性をもって移るのである。
こういうわけで、筋は劇的であるべきで、
ら終りまで追いかける。これに反して、思慮深く、
すように次から次へと、彼らの企てた主題を初めか
たゆまぬ巧技に満ちた詩人は、その作品を筋のまん
るべきではないので、
ロ①宕霞ヨp×冒①貫Φ゜・器。①ωω巴お窪の8碧け瓦①器
である∼
なかからや、ときには終りから始める。その後で、
ω9<冨冒日pぢBω餅冨ω一㊤︿巴βヨ巴ω鼠く鑓団、
34
彼はその筋をきわめて巧みに詳述し、続け、追うの ー
ωΦヨ窪雪β節δ唱oωω塗Φ一弾設二⑦℃o隆三〇卸ω霞
﹃︿Φユ鐙江Φ葛睡騨臨o口卑に×缶﹃8二〇σq吋巷げ①ρρ偉一
8ρ三器唱Φ暮ミ桶ρ出び国ω馨。・8ε︿鑓σqρ或ωω9暮
℃o霞ω三く①暮畠①h臨魯①ωαq巨す8日ヨ①○口臼け窪 つまり、ロンサールは、だらだらとした平坦な描写の
かわりに、一挙に劇的な緊迫感のなかに読者をひき入れ
鷲o︿9げ①=①霞゜。ロ圧09Φ口#8岳曾只Φ邑臼8旨,
玄8嚢。牙囲。。ρ巳Φぎ号﹃びoユ窪ω①ぎ山器けユρ8日−
告するものがある。さらに、ロン.サールは、劇的という
目窪8ヨg二二ωε窃餅ドh凶p︾賃8曇筍マ①L①℃o葺よ
① うというわけで、すでに十七世紀の古典主義悲劇を予
p刈b◎︶では、﹃フランシァード﹄という詩の朗読法にも
目窪8ωo旨o窪くお窟Hδ目一苛広匹Φ一、霞σQロB魯計 ことを常に念頭に置いていた模様であって、 ﹃読者へ﹄
卸ε①5ロ駄o凶。。窓吋冨︷ぎ6三ω出侮巴三計窪o節
囲12
℃8誘巳けω凶玄窪。・8餌嶺ロヨΦ纂∼
る。つまり↓筋の運びも、作品中の対話も、劇を想定し
注文をつけて、情熱をこめて読んでほしい旨を述べてい
(ド
ているようである。また一五八七年の序文にいたると、
悲劇・喜劇が一日のうちに上演されるべきである、とい
う時の一致の規則にふれた後、叙事詩には一年の期間を
与えている。
ピ①℃oαヨΦ国⑦δ同ρ餌ρρ巳①ω酔8暮αqロ①ほ圃Φび
一節ω⑦日匡①ρ仁Φ<貯σq昌Φ団9けh四白一∼
闘13
他の名前によって、汝の作品を始めるべきであろう ー
35
ギリシャ人にならって、神の尊厳の結果をあらわす
り、神を畏れる姿勢をとり、神の名かさもなくば、
そして、汝が何か大作を企てるときは、宗教的であ
価Φ゜・℃oα8°。O器09∼
囲14
ωΦ暮oBε巴聲①①頃①9αo招ヨε①ω罫餅一、ox①巳且①
鴇暮o蝿窓同ωo旨昌o日o仁冨吋=昌餌9おぬ三お嘆甲
旨o口#⑦田。。器=σqδロ図節o層蝕σqき茸U凶2㌔①8ヨヨ①ロー
国けω幽εΦ暮お嘆窪ω臼巴ρ器σ舜田巳02︿話ε8
である。 ﹃フランス詩法概要﹄においても、
8ヨ凛①昌畠ω①巳o目o⇔二①゜・餌oユo霧匙、o昌o鋤昌p8①づ江霞Φ
英雄詩は、どんなに戦闘を描いていようと“ただ
一年間だけの筋を含むものである。そして、ウェル
ギリウスはこれに反したように思われる。
と、若き詩人にすすめているし、 事実、ロンサール自身
∼
かわらず、ウェルギリウス以上に、フランス王のことを
しかし、彼自身がこうした違いを強調しているにもか
も、 ﹃フランシァード﹄を、
スの時代と違って、王の数が多いのでこうしているだけ
ρロ.oO巷①=o#窪ωp﹄窪gω゜。08昌仙3
国三§け価、国88588団8山①琵江oP
∪Φω菊o岩岡♂⇒8鴇団゜。ω養偶①閃冨口20昌
〇三山Φ目p冨づσq置ρ節旨⑦oげ四口叶⑦冨鑓8
ζ二ωoρ三江Φ霧δωωoヨBΦ冨αo勺母8霧ρ
長ながと述べていることを気にして、彼はウェルギリウ
のことは後にもふれるが、大変重大な問題である。
にすぎない、と弁解しているくらいである。しかし、こ
ルが用いたものには、作品への神々の介入があげられる。
さて、筋に変化をもたせるうまい方法としてロンサー
勿論、この介入はたんなるエピソードとしてではないの
闘15
>°・な§鎚M卸費き目α①ω8ヨ餌口紆①“
パルナッソス山の頂を支配するミューズよ、
私の言葉を導き、私に歌わせてくれ、
トロイアの国人、ヘクトールの子、
その幼なき頃に は 、
アスティアナクスとかスカマンドルの名で呼ばれた
フランシオンから生まれたフランス王たちの種族
を。
と、ミューズへの祈願によって始あているのである。ま
た、そもそもこの作品は、ゼウスが、アキレウスの息子
のピユロスによってトロイアの城壁の上から投げ殺され
たか、オデュッセウスによって殺されたか、そのどちら
かになっているアスティアナクスを救っておいたことに
しなくては、成立しなかったわけであるから、ゼウスの
存在たるや決定的である。一五八七年の序文でも、
∼♂℃。α8冨§ρ器ぎく窪辞Φ節h・同αq①醇σq=日Φ霧
﹁囲16
∼叙事詩人は全く新らしい主題を創案し、作り出し、
神々を人間に、人間を神々に対話させる∼
たるものは百科全書的な広い知識の持主でなくてはなら
と、語っている。また同時に、ロンサールは、叙事詩人
ないことをも強く要求している。
ロンサールの方法は、模倣を排除しない。いや、むし
は。
精神、技巧、配慮にかけても、私にまさったからに
両者のプランを尊び、どこまでも追求するのだ、
アイネーイスを崇めよ、イーリアスを崇めよ、
したがった、フランシァー・ドよ、ひざまずけ、
私は彼ら︹ホメーロスとウェルギリウス︺の模範に
ω05σq°
゜囲17
ρq、凶﹃ヨ.〇三冨ω&餌.①ω嘆凶計窪、〇二強8俸山①
幻Φ︿臼①δ弩ω唱o霞ぽ巴けω植庫8ω鈴団山、窪ω゜・二〇ぎσq
>山oお一、﹀国づΦ凱ρ巴oお一、一=巴①” 1
36
匂曙ωξ︿=①霞窓霞o﹃卸σq①8蕊午§9巴Φ
いる。一五八七年の序文でも、
ろ、完全を期するたあには、模倣が必要であると考えて
8島昌oロ<$餌〆︷巴9①ロ一お窟二①同げω92区β。二×
ずoヨヨ①ω節8ωずoヨヨΦ゜。p仁因Uδq齢∼
と、全く従属的な態度をとっているし、またアマディス
・ジャマンも、 ﹃フランシァード﹄の梗概を始めるにあ
である、
と教えることに意見の一致を見ている。
團19
次に、描写の手法で、特にロンサールが強調するのは
とさえいっている。そして、あらゆるものに対して、こ
自然描写であり、これを自然の模倣と呼び、叙事詩の魂
まかい観察と、こまかい描写を要求している。
たって、
いて、著者は古代人、特に神の如きかのホメーロス
なぜなら、こうした描写、あるいはむしろ、自然の
ρ二ρ∼
昌鉾ロ話oo口ω冨88ロ8一、95①山①冨・勺o窃卿Φ=興o回−
囲20
O母・28=Φ噂位簿霞ρo信且蕊8ωけ凶ヨ津p江o昌ユ①一p
この骨の折れる﹃フランシァード﹄なる作品にお
の書き方を目ざした。この第一章で、ロンサールは、
ド
主としてホメーロスとウェルギリウスを模倣したと
はいえ、フランキュスの乗船の場面はロドス島のア
ポローニオスの模倣である。ロンサールは蜜蜂に似
ている。蜜蜂は蜜を作るために、あらゆる花々から
囲18
自らの利益をひき出すのである。
模倣といったもののなかに、英雄詩の魂がそっくり
この結果、 ﹃フランシァード﹄には、幾多の美しい自
存在しているのである∼
ンスの批評家たち全体についてもいえることであって、
した風潮は、ロンサールだけにとどまらず、当時のフラ
と、ロンサールの手法を説明している。ところで、こう
チオラネスクは次のようにいっている。
彼は、一五八七年の序文の終わりに、ホラーティウスの
ロンサールはジャンルの区別を強調した。このため、
然描写が見られるのはいうまでもないことである。
これに反して︹イタリヤ人、特にスペローネ・スペ
このように詩はその役割と、詩形の調子が定まって
ロニω℃霞oロΦω℃国殉OZ一︵HαOOl一qQ。Q。︶が模﹃
倣を
詩論﹄の次の一節、
蔑視したこと︺、フランスの批評家たちは、模倣は芸
術の真の鍵であり、詩人になるもっとも確かな手段
137
いる以上、もし私にそれらを守る力もなく、知慧も
ないとするならば、どうして私は詩人たる面目を保
ち得まし.伍うか。何故、誤まった差恥心から、人に
教わりたがらずに、無知に終わるのを望んだりする
囲21
必要があるのでしょうか。
を引用して、叙事詩には叙事詩の書き方があることを強
いでいる。
調して、さらに、その結論をやはりホラーティウスに仰
い゜P×<一゜眉℃°ω1心.
ま冠゜㍗ωωOQ.
睡び己゜娼や繕 1 9
ま己゜娼唱゜嵩ー目Qo°
い゜P×同く°や①゜
=.○げoB且oP6トっ伸℃°O°
M゜℃噸QQqo①゜
℃み叡8ω口﹁一鋤男富口o冨匹Φ﹂㎝Ooメい。O°×<一゜℃°ω斜L¢
M゜喝﹁ωQσ9
い①勺話日一巽い写同㊥匹Φ一㊤閃同鋤昌o冨匹Φ゜く゜Hlρピ゜U
UU.×H<°℃°①.
×<Hで゜b⊃9
炉P×<一.唱.ωω9
ま団阜や置.
いU.×<H.O.ω㎝“.
ソ︵紆霧︽冒巨曾①ωα①﹃℃蚕巴①︾uH<ユP目O①①︶昌 ー
﹀・9。﹃勉コ㊦。。。⊆・い印℃蛋麟伍①①二①勺。①∋①価で5=①・℃・ 38
く゜。。①1。。。。.鈴木一郎氏訳︵筑摩書房、世界文学大系、﹃ロ
ピ゜U°×<H°㍗ω心9
ーマ文学集﹄、二〇五頁︶による。
<・刈。。1謹・鈴木一郎氏訳︵同書︶。
九、﹃フランシァード﹄の不成功の原因
る。まず当初のプランの二四章の予定がわずか四章で終
れているが、この失敗には二通りの解釈があると思われ
﹃フランシァード﹄は失敗に終わった、と一般にいわ
ぴ箆゜喝.9
ヘ.喝゜9
一げ
一『
°。
15 14 13 12 11 10 9
19 18 17 16
2120
讐ζや①゜
醐げ
22
諸国の王や将軍の勲しと悲惨な戦いをどの韻律で書
曲22
くべきかを示した詩人はホメロスです。
℃み♂8ωロH一餌男﹁薗づ〇一四伍Φ. 一㎝oo刈゜い゜U°×<H’燭゜ω心P
囲
87.654321
いっておかねばならない。このように、ロンサール自身
が失敗作だと思っているものに、何度も序文をつけなお
ビネの手が加わっていないとは、絶対にいえないことを
すことがあるとは思えないし、何度も発表の機会があっ
わってしまったことが一つ、次は、いわゆる内容上から
ここでは、この作品が失敗作であるかどうかを問題に
普通にいわれる失敗作ということである。
するのが目的ではないが、少くとも、ロンサ⋮ル自身は
いることにはならないであろうか? また各版のヴァリ
この四章だけで一つのまとまったものと作者がみなして
﹃フランシァード﹄は、一五七二年に発表された後、
アントがとても多いこと、°削除、追加も数多く見られる
たその度毎に、最初の四章のみを発表していることは、
翌年の一五七三年に出た再版は、︽改訂.訂正.増補︾
みがうかがわれるのである。つまり、結局のところ、初
点から考えても、ロンサールがこの作品にかけた意気ご
﹃フランシァード﹄を決して失敗作だとは思っていなか
とうたわれており、さらに同年の綜合作品集においても、
った、ことをいわねばならない。
︽改訂、再訂正︾と記されている。 ﹃フランシァード﹄
上が訂正されたり、完全に書きかえられたりしているの ー
版以後、約九百行が削除され、残りの部分も三分の一以 39
である。
の巻頭を飾るかなり長文の﹃読者へ﹄も、再版以後は、
一五八四年の両綜合作品集では、この﹃緒言﹄も削除さ
ごく短かい﹃緒言﹄に変えられたかと思うと、一五七八、
れ、今度は一五八七年の綜合作品集では、 ﹃フランシァ
は失敗を自認していない。私も、これが失敗作だとすれ
ば、問題は一にロンサールの叙事詩についての考え方に
それでは第二の問題にはいろう。ここでもロンサール
あると思うのである。
ードの序文、英雄詩に関して﹄と題して、初版の序文の
三倍にも達する長文のものが出てくる。ただこの序文は
詩における主題の選択である。ロンサールが、叙事詩を
で一番問題になるのは、叙事詩と歴史との関係と、叙事
方が﹃フランシァード﹄をいちじるしく制約した。そこ
第一に、叙事詩について抱いていたロンサールの考え
クロード・ビネがこういっているとおり、
彼︹ロンサール︺は、かなり雑然とした、散文の英
雄詩論をわれわれに残した。そして、私がほとんど
曲ヱ
彼の意図するとおりにそれを整理しなおした。
完全なフィクションであると考えたことは、前章で述べ
で優劣を競いたかったことであろう。自分自身の名誉と
たロンサールは、ホメーロスやウェルギリウスと同じ場
いう点でも、ロンサールは、自分の先祖がダニューヴ河
め、フランスのホメーロス、ウェルギリウスたらんとし
いわれている。なるほど、詩人の創意と、処理法の鮮か
周辺の出身であることを誇っていたので、フランス人の
たことである。 一般に、叙事詩の基調は国民的なもので
さが鍵となるとはいっても、それはあくまで適正な素材
先祖が問題になったときも、トロイア伝説をとりたかっ
あり、宗教的なものが流れていないと成功は難しい、と
て、創意に走ってしまった感がある。
があってのことである。ロンサールは、素材を跳びこえ
たことと思われる。さらにこうした方が、援助を求めね
彼は、トロイア伝説を選んだわけであるが、彼の叙事詩
して、どんな基準を用いたかということである。結局、
何を題材に選んだかということより、題材の選択にさい
ほどである。ところで、問題となるのは、ロンサールが
題である﹃ランスロ﹄や﹃トリスタン﹄をすすめている
るが、この模倣論が災いして、 ﹃フランシァード﹄は自
する方法の一つに、模倣と︽驚異︾ヨ①﹁︿①配窪×説があ
叙事詩はかくあるべし、というロンサールの説を推進
ていることでも、こうした傾向はうなずけるのである。
いると思われる、年老いたヴァンドワなる人物を設定し
スの家来たちのなかに、ヴァンドーム公の先祖を指して
ばならない王たちの気をひいたはずである。フランキュ
叙事詩の主題に関しては、プレイヤード派の内部でも
観からすれば、こうならざるをえなかったのである。彼
ける羽目になった。この結果、フランキュスがトロイア
由な筆の動きをさまたげられ、想像力と激しい情熱に欠
意見の不統一があった。デュ・ベレなどは、国民的な主
の考えによると、叙事詩の主題は、少くとも三、四百年
命とかいう第三者の手によって動かされるだけで、あや
再建に乗り出すのも、恋をするのも、すべて神とか、運
以上をへていなくてはならなかったので、たとえばフラ
ンス救国の女傑ジャンヌ・ダルクの話などはふさわしく
つり人形のごとき存在になってしまった。
なかったし、筋が変化に富んでいなべてはならなかっ虎
続いて問題になるのは︽驚異︾説である。ディドロの
のだから、キリスト教的な主題はまたふさわしくなかっ
﹃百科全書﹄のなかの︽ヨ臼<①已Φロ姻︾の項でも、マル
モンテル一Φ㊤⇒−閃同動づ矯O幽ωζ﹀菊︼≦OZ日国い︵︼°刈bQωー同刈りり︶
たのである。つまるところ、ロンサールの考え方からす
て浮かんでこないのである。また、フランスの名誉を高
れば、 ﹃イーリアス﹄か﹃アイネーイス﹄しか主題とし
140
ロンサールが、メルキュールの迅速な飛翔や、ヴィ
と思われる。ガストン・ビゾスは、
ーナスの魅惑的なお化粧や、いるかにひかれて浪の
がこの言葉を、
の大胆ではあるが、真実らしさがあるフィクション
叙事詩に捧げられた言葉で、これによって、ある種
上を走るネプチューヌの車や、ガニメードとチェス
ればこそ、ついに﹃フランシァード﹄の筆を絶ってしま
ったのだ、ともいえるのだが。すなわち、彼の説によれ
あるいは、見方を変えれば、それを徹底的に押し進めた
的に押し進めることができなかった、ということである。
一番決定的なことは、ロンサールが自らの理論を徹底
問題なのである。
と、いっているが、まさにこうしたロンサールの立場が
らの好敵手としてなのである。
曲4
マコスやアポローニオスの同時代人として、また彼
神の館へ行くキュベーレを描写しているのは、カリ
をしているアモールや、ライオンに鞭打って、夢の
を意味し、ありふれた思考の枠外にあって、精神を
驚かせる。ホメーロスやウェルギリウスの詩におけ
闘2
る異教の神々の介入のごときがそれである。
と、いっているように、ロンサールの考え方がそれ以後
踏襲されていることがわかる。グージェ師﹀びげαΩ碧山Φ
空Φ崇ΦΩO¢匂国↓︵H①O刈IH刈①刈︶の説も同様である。
︽驚異︾は叙事詩の魂と常に見られた。これは叙事
囲3
詩を物語や歴史から主として区別するものである。
ぎた。このため、 ﹃フランシァード﹄の筋の運びに必然
しかし、ロンサールは神々の介入にあまりにも頼りす
ば、叙事詩は物語であり、歴史ではないのだ。しかるに、
原則に忠実なロンサールとしては、ここで筆を折る以外
は歴史にはいって行かざるをえない。自己の打ちたてた
﹃フランシァード﹄の最初の四章を終えた時点では、次
注がなくなり、非常に人工的なものになってしまった。
に要求しているが、これは作品の雰囲気を出すことには
ることを強調し、ギリシャ人の風俗、習性をまねるよう
に手段がなかったのではないか? 恐らく、扱うべき六
序文においても、彼は、さかんに神話とその属性を用い
役立っても、作品において本質的な役割りははたさない
141
くロンサールにとっては救いであったであろう。
くのしかかったのであろう。シャルル九世の死は、恐ら
三人の王という重荷は、ロンサールの創作意欲に重々し
している私の意志に反して行なわれたからである。
綴の韻律でもってこの作品を展開させることを期待
難すべきである。というのは、いつの日か、十二音
をもって命ずる人たちのせいであるから、彼らを非
でもわかるとおり、ロンサールは初めはこのことを残念
しかし、今回は、服従しなければならない。
囲6
さて、一般に伝えられている﹃フランシァード﹄の失
敗の原因に、作詩法の問題がある。すなわち、一五五五
音綴詩であるように、ロンサールが﹃フランシァード﹄
がったものの、一五八七年の序文では、反対に、十二音
年の﹃讃歌集﹄第一の書の十五篇中、十二篇までが十二
も十二音綴詩で書きたかったのに、シャルル九世の希望
綴詩が散文的である、ときめつけるにいたる。これは序
﹃フランス詩法概要﹄における彼の次の文、
る。 1
文の冒頭でいわれているだけに、いかにロンサールが苦
しいいいわけをしているかがわかろうというものであ
42
によって、十音綴詩で書かざるをえなかったことである。
ω一﹄Φ昌、卑団8ヨ旨①5鼠ヨ9閃田琴冨畠①①昌く①誘︾δ−
×9a二霧“♂ωρロ色゜。﹂”曙日凶ω︵OO日ヨΦ 梓口 ωO餌一ω︶o口
ヒ団8日唱o鼠日薗..国冨g賦α①、”①p︿臼ω゜﹀﹃鎚ロ6
くoσq器卸Φβげo昌昌2さ出ω、9賦暮震①口締①節02× ロ器賦三け.①ω5Φ﹁<①三Φ5いΦ。8霞︾山85団﹂①
ρ三〇導唱ロ剛ωωp8畠①ヨ①8日日缶昌山9節口op妙8ロ
︿oδ耳曾o鉾8貯①ωけ州巴けoo三同①日oコσq民ρ窃唱①−
田馨ロ昌﹂o霞﹃貯マ①ヨ母oゴ9卿冨8畠づ8>げ−
囲5
舜⇒脅ぎ①一日巴ω℃o舞8けけ①h9°。路詩旨oげΦ胃゜
私が、私の﹃フランシァード﹄を、 ︵汝も知るご
とく︶私が弘め名誉を授けた十二音綴詩で始めなか
ったが、これは私の意志からではなくて、私に権力
かつては、私は若気のいたりで、無知のため、わが
読者よ、私が﹃フランシァード﹄を十二音綴詩旬
で書かなかったからといって驚くにはあたらない。
0霞ヨΦωゴ興05口①ω”∼
囲7
・窪ωo置審三同88°■梓同①賦昌σq器8同碧σq畠①ω
砕ぎρ自、窪爲Φh9。。①口日餌U①巷①ωωΦ”冨︻置昌o冨讐ρ
昌、
」σ
国の言葉にあっては、これが英雄詩の役割を果して
いると考えていたのであったが∼
−麟゜。幽︶も、アグリッパ・ドービニエ ﹀αqユ℃腿幽、︾d
また、アマディス・ジャマン訳のr﹃イーリアス﹄ ︵Hα謹
しd目OZ国︵μα窃b◎i一①ωO︶の﹃悲愴曲﹄﹃ω日冨σq凶ρロ①ω︵H①H①︶
も、ギョーム・デュ・バルタスOロ崔窪ヨ①含しd>幻日︾ω
ソ魔ー嵩OO︶の﹃聖週間﹄ω①8餌ぎ①︵嶺¶Q。︶も、いずれ
も十二音綴詩句で書かれていることから考えても、ロン
サールの弁解が決して本心からではないことがわかるで
あろう。しかし、それでもなお、十音綴か十二音綴かと
いう問題は、これまで述べてきたことに較べれば、あま
りにも小さな問題のように思われる。
が、一部の学者たちには興味深い存在であっても、ロン
もう一つ通説になっているのは、フランキュスの伝説
両α゜い帥¢旨〇三①びO°αρ
O冨ヨ且oPぢ謡㌦で.蔭陰
男゜ρ芝已冨ヨω“日冨︼≦o﹃<①竃窪客言昏①国営p
ま凱響喝O°昏ー9 . 。
℃ワ嵩りード①ρ
Ω餌ω8昌ud貯o°。騨男oロ゜。霞伍゜い①8昌①雲○自象P鵠㊤お
国伊ユΦδ①刈ードO刈ωいい゜一︶°×一く°噂゜bQq°
アンリ・シャマールは、この文中の︽①。・冨冨暮ロ三。霞︾
という句を︽巨﹂o霞儀薗口ω一、oく①三同︾︵将来のいつか︶
と普通に解釈しないで、︽§冒母紆霧♂冨ω怨︾︵過
鐸臥9ω言。・隠冨す︾ ︵かつて私は希望したことがあっ
去のあるとき︶と解釈し、︽①ω幕冨三︾を︽巴o話ρ自、国午
らP戸HHH°喝゜冨ρ︶°
た︶と解釈したいといっている︵匹ω8罵①魁Φ﹃距禽午
炉∪°×<H唱.ωωド
一〇、むすび
い面ばかり述べて来たが、良い面が数多くあるのはいう
さて、これまでは、 ﹃フランシツード﹄の好ましくな
サールのいう︽あまねくひろまった説︾8日B巷①87
巳8とはなっていなくて、一般の人びとの関心をひかな
かった、という点である。しかし、これもすでに述べた
とおり、選ばれた主題以前に問題があるわけであって、
詩法の問題と同じく、決定的な原因とはいい難い。
までもないことであって、当然のこととしてあげなかっ
たまでのことである。
143
1
3
2
4
5
6
7
(同
度に不決断な面が多く見うけられ、後味の悪い作品とな
くことは、この作品に対するときほど、ロンサールの態
ただ、 ﹃フランシァード﹄が他の作品と較べて目につ
要するに、ロンサールは自己の主義に忠実であった。
さがわかるような気がする。
これを読むと、ロンサールのこの作品に対する自信のな
の製作過程をたどって行くと、ロンサールによって代表
私には、一五八七年につけた序文こそが、ロンサールが
くなったときに、筆を折ってしまったのである。そして
り通したロンサールは、歴史窪・・8騨Φを選ばねばならな
あくまで、叙事詩は物語Hoヨpコである、という説を守
される当時の文学者のあわれさが痛感されるし、自らの
ったものはないということである。 ﹃フランシァード﹄
うちたてた理論に最後まで束縛されて、ついに手が出な
である。
四章以後を書かなくなったその弁解に思えてならないの
い゜P×<H℃。H卜⊃.
=、参考文献
○国牙話の8旨℃ぽ冨ω氏Φカo冨固鼠゜.国島瓜9臼三ρ口o唱舞
bδ﹁塵霞器母仔=窪卿卑ε器h冨8巴。・Φ.ピ賃o島。・ρ
﹀.﹀号B.”=け3冨ε話津§嶋巴。。①冒い霞gωωρおΦ8
畠Φω目Φ答①ω国冨鍔臨ωζ&臼⇒①ω︾憶一〇に∼
勺p巳いp信日〇三Φ5=㊤oゲ①耳ρ08斜︼︶乙冨5︽ωoo都$
144
て、胸を打たれるのである。たとえば、一五七二年の序
2,
1
くなったロンサールの苦悩がありありとあらわれてい
ぴ、pロ霞Φげ=鴇oOヨヨΦ①口く凶①二区”
q口甥ωけ8崔くお唱o罎凶嘆①づ時ρ
ロ①ω梓蝕撒傷o筥①︻Φ嘆窪傷門Φ
囲1
ζ巴ω]B巴巴゜。①仙Φh巴8ヨ一①目図’
ある人は、学ぶために、この書を読む。’
他の人は﹁妬みの心から、この書を読む。
よりすぐれたものを作り出すのは、容易なことでは
私を非難するのはたやすいが、
ない。
OO二﹃ωO‘ω出㊦コユ目.=poず9けρドcoco9
国゜ヒdσ母9①N”い①ω]≦o①霞ω唱o竃ωΦけ冨=け尽茜εH①伍①
一逡QQ.
bσ
1
3
4
文の末尾に次のような四行詩が出てくるが、
「
国゜○冨匿冠”震゜・ε冨傷①一鋤コひ同巴①゜u盛①﹁し㊤ωりI
H逡ρ
顕9§鼠・い・・鼠αq羅・飢・冨勺。盆・州§旦・・亀・
蜀園窪巴ω゜。き。ρしd。。。舞ユしりG。卜。°
幽ま邑話g宰雪。①゜︵量霧︽匿8諄島①
レ2︵嵩。。①Y国9﹂。冨茸ΦしO目ρ . −
カd
Wこ歪鼠①・ピ暴巳器・樽68β這①。︶り≦旦H④①①.
営巨曾Φ豊巴・℃感巴ρ︵2①・≦窪Φω8σq2三Φ3・けす
≦い・壽・渕。羅二い。a°p°。ずΦ巴節壽目琶畢
国・い・9σ・器勇8・・a.田酔否目8①︵蔭。ひ&°
1716工5
18
即o訂据葺涛。屋=−aΦけ゜・83碁ω゜9磐冒p目o卜。α゜
ρo。冨ヨカ。葛・旦。.ρ三①卑ω。昌。g霞①’ごσ。ヨp
O臣ぎ鋤昼ちωb。し89
蕪
寓゜甲雪。冨け⋮いΦ℃。σけ①①けω。:窪く話爵胃σ゜・幻。屋9目α゜
O冨ヨ豆。pH8卜。°
8馨①ヨ唱。轟凶 匿 ﹁ ζ 巴 。 け 一 ひ ρ 巳 に
言閏Φ三①コいΦωσgく巴・ω欝8器甘σQ曾冨二窪同ω
℃°い碧ヨ。三①5い四く剛①畠Φ勺゜山①カ゜霧陣乱自ΦΩ9&Φ
bき8・ド幻g・錠叫き葺ゲ・Ω§犀響す芝・°・謬α・−
H°望くΦコ菊8ω註き葺ゴ①臣ぎ8力曾駐ω罫Φ一員
一8H.
℃°.島・2。ぎ。憂8・・乙・け一、野慧三・ヨρ9磐9F
0﹄・。°・売駐鼠゜いΦ゜σp①飽○蚤pHα転。ド
尽まpbd9三pω゜9
ζ9≦ぎ。§“い.9。幕Φ欝8器①G9蒔酬器簿欝び?
且。P6卜。9
即.○≦壽霧⋮誤Φζ霞く①幽=Φ黄ぎひ①伺9b冨ヨ﹁
i嵩渣lH①=︶°国゜°O訂日娼一。p這b。蒔
℃°園。・N讐d昌ピB9巳ωけ2梓巴ぎ剛ωき什臣旨Φζ諮゜p
璽
8pO巳く①邑蔓L8ド ゜ .
即O。ω邑“訂程①゜・けδ旨ぴ。ヨ曾β器簿まく°巨凶゜p恥賃
o。ヨ曾ΦΦけ号空巳舞①゜ζ①貫閃゜bd﹃昌。覧゜。9
¢O鋤巳母”国。昌器践8器団島み8ヨ日Φ巨冨け.①霞
一、d巳・・邑鼠匙・ρ窪。げ冨導戸×H×︹謹ω︺︶.
ソq
C.
91旨゜冒。・・。①霊巳売8°・国円9缶聾㊦§しりω卜。°
145
19
20
21
22
23
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