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42 - 日本森林技術協会デジタル図書館

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42 - 日本森林技術協会デジタル図書館
=
●□
森林
│ JAN。
¥
測
I
Yi.
今診浄
’
侭
’964
、
口
公・氏
も
一
日本林業技術協会測量指導部
一
新しい飛躍の年に
『
一一一
駒村雄
郎
明けましておめでとうございます。
オリンピックの聖火が,商'4と東京の空に燃上がる,繩かしい昭和39年の新春を迎えましたことを,心から
a
お喜び申し上げます。
終戦直後の,あの混乱と悲惨な生活の数珪を頚り象ますと,全く隔世の感なきを得ません。あの当時,僅か
10余年の短い期間で,祖国日本がこのような復興ぶりを示すであろうことを,誰が予想し得たでしょうか。
わが国のあらゆる面にわたる回復のすばらしさは,今日では西ドイツと共に世界の人六iことって,驚異の的
とされており室すb統空界の飛躍も,その一藻として取り上げることができます。そこで航空測趾について言
、
及して承ましェうo昭和38年ば航測界にとって.貴重な,歴史的な一つの時代を画した年であります。
それは,奇しくも終戦後’翼を失なった日本の航空界が翼をとり戻してから, というよりも日本人の手によ
って,再び航空写真が撮られるようになってから,丁度10年になるわけです。
一
すなわち,昭和28年に戦後初めて森林航空写真の撮影が, UM拓榊I1に燃ゆる林野関係者の人上によって,多
くの困難の末に,航空写真が慨られたのであり輩す。
1
それから10年,いまやわが国の航空写真測量の発達は,欧米のそれと比較して,いささかの遜色もない段階
に到達しておるのであります。
これは’官・民を問わず’航空測斌に関係のある,あらゆる分野の人'々の,協力と努力の賜物であって,殊
に,率先して全国的な森林航空写其の撮影を企画して実施に移された,林野庁当局の英断に対しては,心から
敬意を表してやまないものであります。
また, この期間,こうした斌新科学の内容を, この『森林航測」雌によって,平易に解説し紬けてこられた,
11本林業技術協会の,熱意に対し寵しても,併わせて深甚の磁謝を表し産す。
この間,不幸にして殉職された多くの方なの霊を慰めると共に,一瞬の停瀞も許されない厳しい科学の世界
において,絶えることのない研究と技術の練磨が,われわれに課せられた璽大な任務であることを, この卸か
しい年の初めにあたって,改めて心の中に銘記する次第であります。
(筆者:森林測友会会長)
−−−−−1−一一
(778)
羽田一香港一カルカックーラックノと距離はちょっ
とありますが,現代交通の渓ビード化はアシという燗
に現地であり,東蹴から,いきなり牛車の上に放り出
された感じで.環境の変化を自分にいい聞かせるのに
懸命でした。
この頃,印庇と中共朧交戦中であり,私達のメンバ
ーは彼等から見れば州↓、支那人と,思うのも無理朧な
いでしょう。群がり寄る人之にうっかりすると吊し上
げられ,言莱の通ぜぬために,
トラブルを起こしそう
です。
「ジャオー」〔ネパール瀞で行けの意)。隊長の大声
に牛車隊は一斉にむちを入れる。いよいよこれからで
炎乾期のために大地は細かい,砂踏を一面に数も、たk
うで,砂煙をあげなが
”。
ら, ノタリーガタ君←
〃量
一
ノタリーガタンと悪脇
はしがき
私通は6カ月間,西ネパールの未1%Iな土地i
西 ネパール
と人や中で“をしてき寵した。目的は力 i
を
ルナリ河流域の写真測量淀よる2万分の1脚:
作製に必要な図根点股置です。面職は,約
測
1,"O方粁。カルナリ河は西ヒマラヤ山脆か
i其白です。二人ずつ荷
:物と一緒に揺られて↓、
:るのですが,プト・振
る
I
り返えると誰も無言。
i
「これからが仕事だ』
i という張り切った気
ら出て印度に流れ,ガンジス河に合流する水
厳の蝋禰な河です。踏査区域は約7,000方粁
でした。羽田を発って3日目には既にジャソ i
グルを歩いており,柵京3日前までやはりジ
1.ソグルで仕蜥をしていましたので,報告と
はいっても何分未開発地のこととて,齋くMIF
(その1)
:持・
!
「これからどんなとこ
!ろに連れて行かれるの
|だろうか」と↓、う不
堀
一夫
柄も少なく,山岳地,あるいはジャングルの
中でのテン!、生活の日常感じたこと,見たこ
を進承ます。眼も鼻も
i安・ここまできてしま
iつた以上如何ともしが
”_.…ー…._..“ 一…_.…一….-...,-…._.…ー..;たい。 「期待となりゆ
とを報告にかえたいと思います。
きへの従順」とでい、うのでし生うか。砂の眼に入るの
もか室わず,ガッと見MIいて,荷台にしが承つき,キ軍
・出発
印度慨ティクニヤ部落の停車場に降りたのは東京を発
口,キ雲戸見回している。途中,印度,ネパール国塊の
って3日目で灸先発隊の出迎えの計らいは手願よく巡
ぴ,煉兀で作られた民家で1時間休憩,各自牛耶の人と
モハナ河を渡り鋪1キャンプ地のティカプールに鴬b、た
なり日適地に向って出発しました。
b,ました。
森林航測N0.42
のは夜の10時で,猛烈に寒く,人も牛も疲れ果ててし主
(1月号)
目次
○新しい飛蹴の年に.…………... , 、駒村蛾三郎. 、 1
○西ネパールを測る….……... .….堀一夫. 、 2
○航空写其と森林洲在][. .…. 、…・測量指郵部・・20
○これは何でし共う?NC‘9-1…. .編集室.│22
○恩b、出の大典安徽(承前) .…..…中村幸雄..5
○航測あ・ら・かると.. .…. 々..…. 、西尾元充.、8
○ソ述だより第2.3信.. . …...、渡辺定元. 10
○写爽地踵のはなし(II)…………武田輔幸. .12
○質疑100題
○カラーの写真について〔その2)
・・西尾元充・・14
○森林航測礁座
○トピックス….….………….. .編集室.、24
新しい森林調蕊Ⅳ………….鞠正撚. .16
0編集後記."………………………………24
第59問樹冠の大きさはどのようにして
測り童すか?………. ..縞集室,、23
第60問スクトスコープとは何ですか?
…... .…
、…. ... . . .編集室.、23
○これは何でしょうのお答.………・・調集室・・24
−2−
一
(779)
・テルロメーターf鐸
ネパールを守るように2,000∼2P500mの漂高を持った
仕ヰドは20km∼30km,∼40kmの山頂間をテルロメー
シワリーク山脈が東西に龍ちふさがってL,主す毎
夕−に依って観測し・巡絡しながら移動,設営の征日で
す。総勢は100人余,設営用具.発電機,バッテリー,
機材,食職.総てが人の肩に依って蓮ぴ.交通機関で頓
印庇平野のつづきでそこまでは坦灸とした平地です
が,ここから奥は山の連統に変わります。シワリーク山
塊から印度側に山脈と平行して¥W状のタライのジャング
れるものは自分の足だけです。
一恭苛労したのは食綴で,現地調達は望めず,たまに
ルが延びているのですが,この密林{│fはネパールの国境
に泊って南側を40∼50kmの棚をもって走っており.
雛が手に入る秘庇です。毎日100人からの柵秣は大きい
西ネ'ミール国が今日の,kう厳状態に典された原因の大半
もので,それに設営地が1日おき位に移勤してぃ龍すの
で'柿給巡搬の作戦が大そうむずかしい。補給は1011か
ら15日かかり.印庇より購入して運ぶのです。
朧彼と彼女のおかげです。
(ヒマラヤ山脈は彼であり, ダライの密林は彼女です。)
ネ'ミールより印度側糎出るに朧,川沿いに3カ所しか
2,0()Om│∼3,000mの山頂の生活は湿度が低いために
ありません。西ネパールに肱その1つがあり,それが力
快適で,
1カ月もすると体の調子もすっかり馴れて,作
ルナリ河なのです。
地政的にこの密林地描は
業進度も急速に延び,補給
=■
印旗とネパールの,先史よ
が間にあわぬ程でした。
30kmのllil隔をおし、て
り現代に至るまで交流をさ
「モシ,モシ」と通話をか
またげ, このタライを塩に
わすのを見てbた人夫達の
して,民族も,文化も異なり
驚きは大へんなものです。
深い断胴となって↓、霞す。
西ネパールの民族が今も
トラソジス少ラジオも鰻
初スイッチを入れたとき,
って1,200∼1,800年前の
あとずさりしたことでもわ
生活様式や人間感惰を統け
かると恩↓・主す。人夫達の
られると↓、うのはこのため
間ではテルロメーターを
ですが,その功罪は一概に
はいえません。少なくとも
「モシ,モシ」と名づけ,
何か不思鍍な力を持つ物体
として災敬の念を持ち,テ
写真1テルロメー全一と人夫,テルロメークーは現地の
人逮涯驚きと球敬の念を与えた
つとして香り高く,気品の
ル稗を述ぶ人夫は,他の人夫とくらべ威張っておりまし
あるものを持っており,しあわせのjli位を戸マンの尺度
た。
ではかることを許されるならば,西ネパールは桃源の国
私迷も人夫が多いので名前を覚えきれず,あだ名をつ
けて呼びました。仰らそうな容貌の人夫は,アシヨカ,
一
人側感悩に於ては,はつら
といえます。
ジャングルはターザンの映画にでてくる槻子と同じで
アレキサンダーとか,No. 1,チピ,カルナリとか,呼
名は思いつきで勝手につけたのですが, 「アシヨカ」と
呼べば返那するようになりました。多くのカースI・の述
う人夫を使いましたが,皆大そうよく働き,また風述の
持物は彼等にとってどれもこれも欲しいものばかりです
すが,大木はほとんど樫弧で材質は堅く,チーク材も多
い。
野獣や蛇の危険を考えずに昼:IIW歩けば赫寂であり,誠
に快い平和な林ですが,しばらく歩き,いろいろの獣を
見,啼き声を聞き出すと,その肺寂も筒すじの寒くなる
が,
ほど不気味となります。
6カ月洲一度も盗られたこと朧無く,誠に笑しい世
界です。今回の作業が而談に比べて短期間に推進でき主
したことは,彼等の力が多く与っており,今思いだし主
しても感鮒の念で一杯です。
広大な区域を図化する場合,図根設置作業に於て,テ
住んで、、る動物をあげて見ると.野象,野牛,猪,力
モシヵ,鹿,虎,豹,犀,コンドル,孔循,オオム,大
蛇,森蛇.大トカケ,カメレオン.サソリ.ムカデ,猿
(2翻頚)ワニとバラエティーに窟んでますが,可愛い
ル戸メーターの威力は大きなものです。印度測趾隊が同
いと思うのは鹿と猿と孔雀位なもので,あとはどれもこ
じ地区を三角測趾により成果を出した場合2カ年詣要し
て鮪ります。また今回は6カ月間費しましたが,ヘリ。
れもいただけません。
シgツトガン,ライフルと一応は持ついます泌気休
プクーを使用すれば30∼40日の間で終了し,経我的に
も布利であることが分りました。
めです。
・交換貿易
・タライのジャングル
印度飼境よりモハナ河を越えて丸2日歩きますと,西
鮒1キャンプ.ティカプールより7粁ほど戻ったジャ
ングルの際にサッティという築藩があります。1週間露
−3−
(780)
営し霞したが,現地人とよく接するようになったのはこ
ヵ所も回りに焚いて大樹のもとや,岩影に野獣からの攻
れからです。
繋を避けて大地にじかに寝るのです。裸足で,着ている
部落中心にヒンズーの寺院があり200年前は大そう栄
えた部落といいますが,現在は乾期の象人の集まるマー
ものは男女とも木綿の肌着のようなものだけです。
ケットシィテイとなって満り,野天には南京袋につまっ
エヤーマットを使用してふるえていました。
た岩嵐が将よりも高く潤まれ,狡澗な印度商人が純心な
ネパール人から汗の結晶をしぼりとっています。
ここに住む誰もが強靭な意力の持主であり, 自然児で
あります。弱い人間はこれまで育つうちに死んでゆき,
強い若の承生き残る自然界なのです。
この附近の宗教であるヒンズー紋のシバ神も「弱き者
しるむ縁ア香熟
それはこうです。
カルナリ河上流に住むネパール人ば15∼20 1 1もかか
この頃の私達催,昼は外套を用い‘夜間は毛布5枚,
って,猛峨,恕没の危険
ています。また逆に
な逆をHしてけわしい
」のです。
山遊をやってきます。
しろの上に品物を並べ
人の担う砿熾は50
日の屋台と同じです。
kg∼60kgもありまし
ルミのIL糸,針,力
ょうか,背負った竹流
料,黒秒職..・ ・ ・・殆ん
の中には加年度1年か
かつて貯めた羊毛,米,
併でゑて主すと女の児
パターが入っており,
︲た汎さしⅢ玉のな
め ,あれも欲しい,
サッテイまで巡んでこ
これ
金がない,手に取って
こで,鴫皿熟たし、な比率
飢は賊にいじらしく,
線があうとホホエまし
で岩塩と交換するので
す。侮らで見てb、てそ
に思わずにっこりして
の不公平にjmのたった
まいます向山に住む人
径です。
にとって1コのビーズ
西ネパール漣於て朧
も1本の針もわれわれ
想倣以上に災亜なもの
産業といわれるものは
牧畜以外に何もなく,鳳
のでしょう。
必瀦紬は総て印度より求
蔵ブま閏
素適な美人がいたので
ねばなりません。それも
は綱のネッカチーフを
部が人の刑にたよるの
す。
レゼントしようと思い
したが,仲を受取って
この中で生活に絶対必
な塊紘,
な塊紘,
一
ると銭に値しないよう
ヒマラヤ附逓は
ヒマラヤ附近は チ
ペツトから5,000mの峠を
えない。西ネパールは
辱真2
写真3
(上)タヲイのジャングルを行く
(下)グロテスクな獲物, ワニ
物を人にあげるという習
悩がなく,交換は成立す
越えてヤクの背で輸入し,中部より南は印度から持ち込
るが,一方的なものは成立致しません。従って「有難
むのです。
本年は中共で国際関係悪化のため国境を閉ざしたので
う」という言葉は無↓、ようで, 6カ月間に聞いたことが
ありません。物を人にあげても無言で受取るだけで何と
塩が入らず,住民全員が印度側より垣を運ぶ結果となり
も狼合いのないことおびただしい。女の子はさすがに鐺
室した。生きるために,家畜を飼うために,垣はかかせ
しさをかくせず好意的な表傭がこちら種も解り,有難う
童せん。国際関係のとぱっちりはこんな秘境といわれる
という以上に真意がく桑とれました。
山奥にまで影鮮を与えているのです。中共の「毛サン」
こ川中烏の断を聞かせてやりたい思いでした。
その美人もネッカチーフは欲しいが交換条件が心配で
麓うわけにゆかず困って↓、るので, 「では写其を綴らせ
交換斑〃のための旅行は住民のどうしても年1回やら
ねばならない仕聯であり,歩けぬ病人と留守居の老人,
子供を残し,余力のあぁ人間は女も男も全員旅立つので
す。20人, 15人, 50人とグループは様々ですが,湛具
て下さい」と条件を出し受けとって徴ったしだいです。
貨幣以前の交換で成立していぁ経済状態というのでしよ
うか,ある約束は私達の生活とは縁遮く,なかなか面白
いと思いました。娘が男よりだまって州り物を受取ると
は各をうすい毛布’枚,食糧はトウモロ茸シのドソドン
きは愛人だけです。
焼や焼米を用います。早朝より歩き出し,夜は焚火を何
−4−−−。
(筆者・国際就業K.K・測赴2部測図2課)
に。
(781)
照)にも見らるとおり,東からガソ,北東からデルプー
ル,北からハウルとし、う3つの河がここに合流してアル
グソ河に注ぐところから生まれた呼び名で,ナラムトを
中心とした周辺数10km平方の地域に,いくつかのカザ
ックの部落が点在していた。このヅーラムトは地理的に見
て,北部大典安誤森林地粥の西の玄関口に当った。1943
年の捌査隊第1旺のコーメ朧, ソ澗刷境の北端漠河を起
点として. アムール,アルグンをさかのぼり,キラムト
を艇てこのナラムトを終点としたし,つづいて編成され
た鮒2斑は,ナラムトを起点として大典安の主嶺を縦走
一奉楽方
一︽が剛御峠一
し,オーコリドイ山を経て漠河を終点とした。また,こ
れよりさき,チチハル営林肋の淵卿独雄氏(現在秋田県
一
ハルビンから西に走る鉄逝は,そのむかし
東支鉄遊と呼ばれた帝政ロシヤの桶益であっ
ただけに,当時の豪華な名残りを偲ばせるコ
ると,間もなく, 目をさえぎ為もののない草
脱が洲け,やがて列車はハイラルにつく。こ
マソチユリー
の列叩の終着駅はソ満国境の街,潤洲里で
ある。
と
されたりしていた。この線踊を西に向う列車
が大典安繊の東斜面をあえぎながらのぼりき
ハイラルは,どちらかといえば離古的なム
ードのただよう街で,時にハダカ鳩の一群が
雄
砂塵を童きあげてメインストリートを駆けぬ
土
ンパートメント式のどっしりした車輌が連結
けたりした。当時のハイラル営林播畏が,い
霞日林協におられる松原さんだった。
ハイラルから北へ19()km,
‐
はてしなく広
、fj1IIj1くj∼I〃j1f1くlうq、くj∼Ij、畠
庁)た隙長とするガン河訓磁隊が1943年晩冬の雪上調
写其3小休止右から原忠平堀正之米慨の諸氏
恋を行なったときも,
往復ともこのナラムド
が恨蝿地となった。な
お,このカン河調査隊
には,私のほかに田ノ
本君や谷口政次君(い
ま勿来市在住)また,
前号の写典に著者の1
人おし}た│朧に写ってい
る上江銀次氏(当時満
鉄社員,戦後暴徒に殺
されたというウワサが
ある。)などが参加し
た。とくにガン河調査
では,物資輸送に馬ソ
リ左使い,ナラムトの
東方ポプロフカでカザ
がる虹原をトラックで進むと,行くてにコツ然と一つの
ツク輸送隊を編成して.約2カ月llliかれらカザックと苦
部落の姿が現われる。近づくにつれてまず目につくの
は,部落の中央仁ひときわ高い教会の白い尖塔,その上
に輝く十字梁,それをとりまいて.丸太造りの平屋が密
築し,周辺の丘や草地には放牧の乳牛が点’々とのどかに
楽をともにしたのであった。
カザックがたく承な騎乗と剪猛果敢な戦斗ぶりで,い
遊んで↓、る・−静かな一棚の絵,これが三河地方の中
くたの戦史に功名をとどろかせたこと,なかでも日露戦
争で大いに日本軍を悩ませたことなどは,よく日本人に
も知られてし、るが,その平時の生活ぶりにつ、、ては,そ
心地ナラムトである。
れほど知られていないのではなかろうか。日本人の頭に
<静かなるドン>やく母なるヴ封・ルガ>などの流域で
平和に幕していたカザックの生活にも,赤色革命の嵐が
浮ぶカザックに関するイメージ−それはドン・カザッ
サンガ
ク合叩姻lなどによって披辮された帝楽や剛り,ポリシロ
イ・サ・-カスで紹介された騎乗の妙技,色も鮮やかなル
吹きすさんだ。あくまでもツァーに忠賊を誓う人女は,
父祖伝来の土地をすてて赤い追及の手をのがれ’流れ流
パシカと両側に黄色い縦の太綴が入ったズボンに長靴と
れてたどり着いたのが,ここ三河地方であった。かれら
いった断片的な知識にすぎまい。幸↓、にもわれわれはこ
は故郷の現境によく似たこの土地を安住の地と定めて,
開拓のクワをおろし,建設のツチをふるった。その後も、
の三河地方で,かれらの生活を面接見聞することができ
くたの迫害や危難にも屈せず,特宥のネバリと血と汗と
カザックは, ダクールとスラブの混血といわれ,した
がってアジア民族(蒙古系)の血が流れているわけであ
る。16世紀半ばごろからソ巡成立まで半独立的存在をつ
によって,ガッシリと生活の根をおろし,かれらの故郷
の生活を再現したのである。
三河地方一一大典安繊略図(本雛No.40, p.740参
たのである。
づけた勝りを失わず,三河のカザック遊牧のかたわら,
−5−
(782)
騎蛎に励象,武技を練った。三河地方では,時々カザッ
ク騎兵のお祭りがあり,その日は男たちはきらびやかな
軍装に威儀をただし,閲兵,分列,曲乗りなどあざやか
なところを披露して,<隊長プーリバ>当時のおもかげ
を偲ばせた。
かれらの住む家は丸太造りである。四周の盤は,カラ
マツの丸太を枇にし,接蔚をよくするためにその,本,
本の下部を逆V字型にきりこんで下から順に職承かさ
ね,そのm1にコケなどを詰めて外界の空気を遮断する。
アゼクラ
食卓岡もベッドのシーツも消潔で,さすがにロシヤの婦
人は働きものと感心させられるたたずまいであった。
部屋は中央の壁ペチカによって3つか4つに仕切ら
れ,その1つは居間兼食堂兼応接I峨妹鰯の寝室という
のが多かった。ダブルベッドはいつも白いシーツにおお
われ,美しい装飾文字でイニシヤルが刺繍された2つの
枕が,ベッドの両端に立てかけられて部屋のアクセサリ
ーになっていた。客の多い時はこのペッドも椅子の代用
をつとめた。壁には大ていツァー夫爽の肖像画が掲げら
四隅は,ちょうど正倉院などの校倉づくりのように丸太
れていたが,ちょうどいまでも日本のいなかの家で鶴居
と丸太とを組欺合わせる。天井も同じように丸太をなら
に両陛下の写真が飾ってあるのと軌を一にしているよう
ぺて隙 間に誼ヶな
日
ど乾詰 めこ難,上
で興味深かった。
で興味深かった。 また,部屋の一
隅には必ずかれらの信奉するカト
‘こは乾 1,た土左散
リックの祭壇が股けられ,いつも
きなら くる。床は
'コーソクの灯がともされていた。
仮張り で,泥靴の
ままあがるには気
がひけ為臓ど,
き
れし、に暦きあげら
h,てし、
た。窓は二
砿窓でその外側に
は慨l子 IIMきの格子
戸がつ いていた。
つまり順と暇と天
作とで
四
つくられた四角い空間
完余に外気か ら遮断された
が,完
満洲大陸でもシベリヤと地続き
のこのあたりになると,一年の季
節のうち,とくに春と秋が非常に
短くて,夏からいきなり冬に,冬
が終わあとすぐ夏になる。冬は世
界で鰻も寒いと、、われるシベリヤ
のヴ桑ルホャンスク
にほど遠くな↓、だけ
に,群下40。C前後
口今
’ロ .−.
童で気温がさがる。
凪でもあれば,風速
態鮮難
形にな っていて,これはもちろ
1mにつき体感温度
ん長い冬のきびし{ 、寒さを防ぐ
は1°Cさがるとい
必典か ら生まれた柵造である。
われる。冬になる前
したが って.臘根はほとんどツ
にかれらはこのきび
といって・kく,ただ薄板
しい無さに伽える準
をリlil)つけただけの切 淫屋根
伽をする。暖房用の
で,腕
願根洪からは青空がすけて
マキわりはその労働
見えた 。罰や雨が少いからこれ
の大半を占める。主
た,迩物の外壁の裾
ケタリ
一
で結榊 IM,に合う。屋根奥には牛
馬の寝ワラが槻んであったり,
綴:絹
農概具が散らばったりしていた。
オロチヨンの包(家)
照オPチ画ソ
には土を盛りあげ
て,冷い空気が床下から浸入するのを防ぐ。入口のドア
内部の鯉には仮を張って,ペンキを塗ったり,盤紙を
は小さく,その周囲にばう桑ルトなどを喪りつけて隙間
謡ったりして,いつもきれいに整頓されていた。壁の襖
風を防ぎ,出入りする人は, ドアを小さくあけてそのす
棟など,主婦の工夫になるものが多いようで,私の見た
き間から体をすべりこませるようにするのがエチケット
ものの一つに,白い壁の上に, ワラ繩の端切れにペソキ
でもあった。
をひたして継ぐたたきつけ,ちょうど杉綾織のような槙
梯をつけたのがあったが,ありあわせの材料と,ちよつ
外は零下30。∼40。Cの寒さでも,室内はペチカの熱で
術春の暖さである。男も女も室内では薄着で,冬だから
とした工夫に,いまはやりのアプス1.ラクI、の絵のよう
といってぶくぶくと蓋ぷくれることはない。女の人も半
な趣を見いだして,大変典味を覚えた。
袖のワンピースで結榊しのげる。そのかわり一歩でも外
どの家も小ぎれいに難頓され,真冬でも窓ワクに鉢杣
の花が色とりどりiこ咲き乱れ,白↓、レースのカーテンも
に出る時は防寒の用意を充分にする。男は耳からアゴま
でかくれる毛皮の防寒欄,女は毛糸編の分厚いネッカチ
すがすがしく,サモワールの湯はチンチンとわきたぎり,
一プで頭を包承,袖も裾も長いシューバ“に毛皮のつ
,一一一6−−−.
(783)
いたオーバー)を着こ象,カートソキ(フェルトをおし
けると家盈の牧舎から牛が放される。牛はモーモーとの
固めたようなものでつくった防寒畏靴)をはく。日本人
どかに鳴きながら三を五とと部落の往還に集まると,ぞ
ろぞろと群をなして部落の外の牧草地に出る。これを適
のように,家のなかでも蒲ぶくれていて,隣の家ぐらい
ならそのまま駆けだしてしまうようなことはなかった。
るらしい。こうして1u中さんさんと降り注ぐ賜光のも
さえも日中1時間ぐらいは戸外で日なたぽっこをする習
慨のようであった。冬の寒さは別としても,夏は涼しL,
ったり。やがて陽が西挺餌き,教会のアンジニラスの錨
の音がもの悲しく草原に響きわたるころ,牧童に追われ
かというと’そうでもない。大陸的気候のために夏も結
た牛の群はぞろぞろと部落の往還に入ってきて,それぞ
榊綴く’日中30・Cにのぼることも稀ではなかった。た
だ, 日本のようにむし暑さはない。カラッとした暑さ
れ迷うことなく,ちゃんと自分の牧舎に帰った行く。
−これはまことに牧歌的な壮観であった。
カザックは,日本でいえば北海逆の屯田兵か,戦国時
代の郷士のような存在であったにちがいない。一朝事あ
幼い坊やが,ハダカ馬を自在に操って乗り回していた
り.やっとヨチヨチ歩きの幼児が馬の腹をくぐって遊ん
るときは,勇猛果敢に戦うが,平時は農耕にいそしむ。
だり,畑の仮小屋で子牛をベッドの下に寝かせたりする
かれらの農業は主畜農業で,各戸にそれぞれ牛,馬など
の大家畜から,羊,ニワトリ,ブタなどを飼い,養蜂も
やる。密蜂を飼うのは主として老人の仕事である。また
農法はいわゆる掠奪農法で,まず開盤して小麦を掃き,
3年ぐらい収盤して少し地力がおとろえると,燕変を3
∼4年やる, といった調子で,肥料などやらないし, llll
懇や燕の栃きつけ前には火入れをするから,地力はおと
ろえる一方。何にもとれなくなると牧草地にする。こう
して次から次へと新しい土地を棚塾して行く。土地が広
いせいか,はっきりした泓宥制度もなかったようだ。
こうして「森林も畑も部落から次鮒に遠ざかり.部落の
風策をよく見かけた。
閥囲には広☆とした採草放牧地が残る結果となる。部落
を中心にしてその周辺が股耕地,その外側が牧野,一番
外側が森林」というのが一般的な隣村集落の発達過穏で
あろうが,ここでは畑と牧野との位置的関係が逆で,部
といった趣さえうかがわれた。
落の周辺が牧野,その外側が農耕地,一番外側が森林と
いう配瞳となっていた。ナラムトでもすでに部落から20
一
と, こちらの草むら,あちらの丘と草を食べたり寝そべ
家畜は文字どおり家族の一員であった。 5つぐら0,の
で,木険に入れば汗もひき, WI夕はしのぎやすい。
一
うのは1人の牧壷。どうやらこれは部落共同で雁ってい
ただ, こういう家の柵造は,防寒という点では申し分
ないが,必然的に換気は悪い。そこ唾留守番の老人で
kmあたりまで畑地が遠ざかり,マキなどは40kmも行
かなければ伐れなくなったという古老の嘆きを剛、た。
そんなに耕地が遠くにあったら,愛作業をどうするの
か?一癖の播きつけや秋の収漉などの艇繁期になる
と,一家の働き手ば男も女も総出で,没作業に必要な器
共顛はもちろん,テソトや湛典や鍋釜の類を馬車に積熟
こんで,畑に出かける。そしてテント生活や仮小屋住ま
いをつづけながら,朝から晩蓑で働きとおす。土曜日に
は夕陽を浴びながら馬車をつらねて帰ってくる。翌日服
こういう一見平和でのどかな風策も,
1歩家庭のなか
に足を踏承入れて見ると,決して楽な生活ではなさそう
であった.食べ物こそ自給自足できたが,蒲る物も貧し
ければ,気の利いた家具があるわけでもなかった。現金
収入は少なく農作業はつらかった。−しかし,人女の
顔には,風雪に耐えぬいた苦労のシワぱきざ承こまれて
いても, ミジメさや暗いカケは見られなかった。天性楽
天的な国民性のためか,ぷんな明るい顔つきであった。
陽気で明るい人のよさは,来零の歓迎ぶりにもあらわれ
た。明日のパンにこと欠1,ても.お客は心からもてなす
私たちもしばしば彼らの家庭の客となった。ハラの底
では日本人を敬遠していたのかも知れなし、が,私たちに
朧心のこもった歓迎ぶりとうけとれた。食べ物はパタ
ー,チーズなどの酪農製品が主で,工場らし↓、工期とて
なも、この地方では,ほとんど自家製品か協同施設でつく
られたもので,手回しの脱脂分離磯ぐらいは家ごとに伽
えつけてあった。主食のパンは,ちょっとすっぱい味の
する媒バンで,直径40∼50cm,厚さ10cmぐらいの丸
い大きなパンだった。これを切って新鮮なバクーを壁の
ように塗り,蜂密をコッテリとつけて食べるうまさは,
新京(いまの長調で食柵配給の窮屈な思いをして↓、た私
たちには,こたえられないものだった。空気が乾煉して
いるせいか,彼らは好んで紅茶をのんだ。砂糖が批正品
扱いなの乙樟とんどブラックでのんでいたようだ。b、
日は安息日で,野良着を購薪に箭かえて,教会に礼拝iこ
っでもお湯をわかせるために,サモワールは生活必需品
行ったり,若い男女は広場に災まってアコーディオンな
ど持ちだして,唄ったり踊ったり,楽しい1日をすごす。
月附日の朝早く,ふただび野良蒲に蒲かえて,馬車なつ
シンボルとして,私たちに異国悩緒を満喫させた。
宮シア語は濁音が多くて,装理にも美し、、とはいえな
らねて畑に出かける。家に観るのは老人と子供と家畜で
ある。どうかすると,小さい子供や牛まで連れて畑にで
かける。そうなると老人が密蛉やニワトリの世話を見な
がら刺守番ということになる。
だった。サモワールとペチカの火はォ官シア人の生活の
いが,彼らの唄や音楽はすばらしかった。母なるヴォル
ガの生んだ美しい民諦の数殉は,めぐ堂れた美音と声斌
に乗って,はるかなる塾郷の思いをこめているかのよう
にわれわれ遊子の心にもいたく哀れにひびくのだった。
(北海遊林務部技師)
毎日の牛の放孜,これがまた見ものであった。夜が明
−−−−. 7
‘一一‐
(784)
じっと天井を見詰めているひょうてい先生の頭の中
は,どうやら勤で一杯らしいのである。別に雪にあこが
航測・あ・ら・かると
れている駅でもない先生が,こうして雪のことを1コにす
るのは,何かいわくがありそうである。
ひょうてい先生の仕事は,航空測激という一寸変わっ
た珍らしい峨業である。もともと航空写翼というもの
は,高い空の上から,真下の地形をれらって柵彫したも
のであるから,地衷面の有様は,細大もらさず手にとる
ように判る。これを基にして,地図を作ったり,地質を
ひょう てい先生
︷一口
行録
さぐったりするのであるから,地表面の状態がかくされ
西尾元充
るような掲合の写真は役にたたないのである。
だから航空写真の場合は,雪の降った時は写真は撮影
しないとも,うのが原則であった。
雪やこんこんの巻
をれまで,
じっとグラスを臓に当てたまま,長い間も
その外に蕊の影が地表面に写っている場合も,勿論駄
目な訳で, これで今までずっと通してきたのである。
の思いにふけっていたひょうてい先生は, .1、ソとグラ
ところが,この鉄則がくずれ去る日が遂にやってきた
スをテーブルの上に置くと,低い撫でつぶやくように歌
のである。これにはひょうてい先生だけでなく,この仕
いだした。
班に挑わっている巡中は一人残らず困惑したのである。
これは.全く珍らしいことであった。大体において.
それは一体何かというと,丁度1年前,つまり昨年の
1,2月に北陸一僻を襲った例の豪雪事件である。例年の
通りであると,山岳地帯に厚い雪が降って,平地部には
ひょうてい先生が歌をうたうというようなことは,今ま
少ないはずであるが, この時ばかりは,山嗣也併には余
でになかったことである。
一ゆうきやこおんこん,あられやこおんこん−ふ
ってもふっても叢あだ降りやさぬ−°
麓いたのは家族の人達である。何しろ絵に省いただる
り厚く職らないで,平地の部分は,軒のひさしまで埋ま
るような変わった職り方をしたのである。
まさんがものをいったと同じくらいの筋きであった。先
そのために,列巾の巡行はメチャメチ.γに狂ってしま
生より一足早L,夕飯をとった後,思い思いの淡勢で夕食
うという般悪の状態が現われるということになった。
人間の社会というものは,普段何の滞ることなく回転
していても,一寸どこかが狂ってくると,全体の動きが
後のひとときを楽しんでし、た子供達が,まず顔を見合わ
せてニャリとしたし,奥さんも.チヤブ台の向うから,
不思醗なものでも承るような顔で,眼をつむって歌って
全然バラバラになってしまい,遂には磯能が中止してし
いるひょうてい先生を跳めた。
まうという秘合が多い。
この豪雪もまたその一つであった。辨態がこうなる
と, これはJI大事件だという訳で,日本中の騒ぎになっ
遂にお嬢さんが口を開いた。
『おとうさん−どうしたの?』
一
その脚にハツとしたように眼を虻堂したひょうてい先
生は,皆の視線が自分に向けられてし、るのを知為と,照
れくさそうに,急いでグラスを取上げると口に巡んだ。
グラスの中味は,いうまでもなくサントリーならぬヨ
てしまった。そして航空写真を撮影したらと↓、うことに
なったのである。とんでもない,今まで雪のある写其は
絶対に写してはならないといわれていたのが,逆にその
雪を写すというのであるから,室さに180°の旋回だと
いえよう。
ントリーの水割りである。
ヨソトリーとは,先生の表現に従えば一番安いウイス
キーの別名である。
郡態が急迫しているとし、うので,到頭自衛隙のジェッ
ト機が出動することになり,深い雪におおわれた北陸地
襲った液体を, ぐっと一息に飲欺干すと,飯碗を手に
したが,やはりスピードは平日の何割かに落ちていた。
全く珍し↓、というか,不思議な現象であった。そして
方一幣が,おびただしい数の航空写莫で写しとられた。
それ以後は雛の話しかけにも応じないで嘘のように黙を
合が紳密に測られ,それが幾つかに階級区分されて,地
図の上にその分布が記入されて行き,焚那な秋雪深旋図
として夕飯を終わると,どっこいしょとばかりに遮い腰
航空写真というものは便利なもので,沢山の人の夜を
日についだ努力によって,雪の航空写真から醤の職り具
をあげて,皆から離れて隅の方に行くと, こんどはごろ
りと天井を向いて寝ころびながら雪はこんこん降ってい
というものが完成した。
る,人間はその下で生ぎているのですると右名な〃山び
士の努力がどんなであったかは,同じ商売をしているひ
ょうてい先生にとっては良く判るのである。
こ学校〃の詩の文句をつぶやいた。
‐
文字で省けば唯これだけであるが‘それに郷わった人
−−−−8‐−−.
〔785)
ひょうてい先生が判っただけでなく,航空写爽と、、う
ものは,雪を調べるのにも役に立つということが,広く
世間一般に知れわたってしまったのである。
PRが行き届くということは,商売上誠に有雌いこと
に進0.ないが,ひょうてい先生の場合には,ち坐つと劫ド
ってしまった。
「なに−’陽か当たるから雪がとけ為?当たり前じ
ゃよ3」
「ところがじゃね−,夜になると一段と谷川の水が
柵が変わってきた。というのは,ひょうてい先生自身
増えるのは何と解釈するかね.」
が,その渦の中に巻き込まれてしまったのである。
というのは,雪の澗恋という至極厄介な新し↓、仕蛎に
「要するiこじやよ−ーb雪が溶けるのはだな−℃温
度もそうだろうが,湿度じゃよ湿度」
「わしの↓、うことが嘘じゃと思ったら,街の魚屋淀聞
いてごらん。((幅の店先にある氷はどんな時に一番よく
溶けるかということをね。」
ひょうてい先生ば,混乱したような,すっきりしたよ
うな,一稲不可解な頭になって東京に帰ってきた。
いろいろな研究作業が.雪の紘空写其を悲に考えられ
臘接関係されるということになってしまった。その仕辨
は,なだれの調在などの外に,ある一定の地域の中に繭
もった雪から,一体どれだけの水が流れるのかというよ
うな,実にややこしい,まだ誰も手をつけていない新し
い“fに首をつっこさなければならなくなってしまった
のである。勿論先生ひとりの仕事ではなく,沢山の人全
の中に混じっての仕琲である。
作られていった。それは雪の黄り具合を脚ぺたり,木の
こんな叫確になって,先生がハタと当惑したのは,実
のところ,ひょうてぃ先生は,雪については,全くの素
生え具合など,面倒な幾種類もの判胱図が若い人達の手
人であったことを思いll1したのである。
が図面の上で,奇妙な一致点を見せ始めたのでああ。
この場に及んで,実はこうでありましたといっても,
恥はやどうにも仕方のないことである。雪について知っ
ていることといえば,雪合戦をした子供の頃の思い出と
スキーで楽しく滑れるということと,若い頃奥さんと手
をつないで見に行った職王の樹氷が,実に奇寵だったこ
とと,雪やこんこんの歌を知っていること“、であった
で作られていくと,不思議なことには,一つ一つの要因
つまり,現在生えている森林の分布と,雪の稜り具合
朧美事な一致を示すのである。菫たなだれの起こる場所
というものも.奇妙なことに,そこの地形が,地質など
の塞本的な要因の外に,方向,傾斜など,その外もろも
ろの要索が,一見複雑にから承合っているように見えな
がら’ちゃんとした一本の系列につながっているらしい
ことも判りかけてきた。要するに自然界の因果関係の深
のである。
ようと思っても,おいそれと直ぐ役涯立つ本が見当たら
さというか面白さというか,ひ袋うてい先生にとって
は,全く新しい別の目が開けてくるような気がしてなら
なかったのである。あれやこれやといっている中に,時
なかった。
その上,更に都合の悪いことには,雪について勉強し
間だけがどんどんと進行してしまって,独り取襲されそ
それは偶然の一致とはいえない一加の冷蛾さを持って
先生の胸の中に飛びこんできたのである。
うな状態になってしまった。
凝雪から6カ月の時間がさつとばかりに流れてしまっ
一
こL、らの魚屋より頭が悪いぞ」の一言にはぎやふんとな
た夏のこと,ひェうてい先生は,長い道中をゴ1,ゴトと
列耶にゆられながら,北陸まで出掛けていった。
目指すのは,北陸にいる気象の大先生の許に雪のこと
を伺いに行って,雪についての新しい情報を手に入れる
雪やこんこんといった程度の雪から,何時の間にか不
思議な力’それも歌力な圧力を持った雪にまで変化し
て,先生の頭の上におおい被さってくるようになってく
ると’股早や冗麟などです菫されるものでなく,何時の
間にか雪の魅力にとりつかれかかっていることが,最近
になって判ってくると’ひょうてい先生は一体どうした
ことである。
何人かの人達が輪になって,いろいろと話し合ってい
る肢中,不覚にもひょうてい先生は, うつらうつらとし
始めてしまった。その'聯,ポーッと霞んで熟える朋凹の
ら良いのかちょっと不安になってきた。
なだらかな曲線でつながる女体の美しさにも似た雪山
のあの美しさ’そして白い雪の肌の肺けさ,それでいて
風餓の中から,突然雪はどうして溶けるのかという素朴
な疑問が湧いてきた。一体哲はどうすると溶けるのだろ
うか,勿諭熱を加えると間述いなく溶ける。しかし大自
然の中に降りつもったあの沢山な, し、ろいろの形をした
画の溶け具合と↓、うものは一体どんなになるのであろう
はかり知れない強烈な力を秘めている雪,ひょうてい先
か?
まざまざと浮き上ってきていたのである。
ひょうてい先生は.思いあまって大先生に恐為恐る伺
生がひつくり返って天井を見つめている腕の奥には,自
分が今堂で進んできた,雪の上に点なと残っている足跡
と, これから遊んでいく何の跡形もない白一色の風最と
の中間に立って,唯じっと立ちつくしている心象風景が
一間もなく,また雪がふる一。
(錐珊?アジア航空測戯K.K.主任研究員)
って翠たのである。
その時の答えもまた振っていた。
「お前さん連は,そ
一-一・
9−−−−
(786)
ミナーで出席している国.々の代表がSamplingのことを
諸しをしても理解しえな↓、ようでした。私がわが国森林
1万プ麓ツトの全国SamPlingのデザインについて嚇し
ましても,
「何んだ,たった全部で』10haの森林しか,
捌遊しなし、のか」とゆうような蛍間が出る始末です。こ
ちらの森林調査のデザインは,空中写真による林相区画
した林避に,ストリップ法による現地調査をおこない.
林相区分の可否.秋林分椛戒,立木度, etc・を測定し
ソ連だよ り
て,森林調査簿を作成しており,このかぎりではドイツ
林業的色彩が強いといえましょう。
第2.3信
渡辺定
(2)樹木の反射スペクトル分布の研究
元一
ソ連の森林航測の特徴は,前述したスベクトロゾーナ
ルのフィルムの開発とともに,樹木
第2信
の反射スペクトルの基礎的研究が進
(1) ソ連の森林調査法
研修の誌議は, 2週間たち室して
=
んでし、るといえましょう。この研究
は,地上に大きなヤグラを組んで,
からようやく実習の段階に入りまし
太陽光線が濁木の反射スペクトルの
分布を樹孤’l1,年齢別,季節別に分
析した,いわゆる年間を通じた淵協
た。実習といっても,モザイク辱典
の作り方,偏ワイ修正のしかた,立
体視の仕方.樹高の測り方と↓、つた
感度の内業と,樹形や,樹冠の大き
さ.色測.林分織成を判銃する外業
約研究ですbこの研究の実用的な応
用はんいは,広く空中写其を撮影す
る際oどんなフィルムを使用した
にわかれておりますが,内業ではメ
ら,どんなフィルターを使用したら
テレオメーターにち上っとわが岡に
ばない機翻があり興味を持ったほか
また,どの季節に撮影したら,A樹
樋とB棚煎の塀真上からの判跳が可
能か否かをスペクトルの分布曲線を
は,ほとんど得る所がありません。
外業は丁鵬レニソグラード南西80
承ることによって判然としますの
で,空中写真を蝿影する際の韮礎的
kmのレニングラード営林局幡内シ
ルペスキー国有林において, ソ巡の
写真1野外で講識中のべロブ教授
な,研究といえましょう。そしてこ
瀞露霊欝禁慰籍瀞熱酬瀦鶏蹴曾灘鐵墨縦鰯灘
葉樹林地帯)を染るのは私の永年の
にして使用した。
思います。
望糸だったのですが,夢がかなえられて満足です。
(3)テストエリヤについて
ソ巡の空中写真による森林迩澗法は,林相区分が主
電小班区画は,林相区分をそのまま使用しているよう
なので,林型の判読には,相当の力を入れており童す。
ソ連は,空中写其による撫林洲査の技術者の錠成のた
めに,また,地域の施莱叶画を立案する際,潤迂員の判
脱を銃一するために,テストニリヤを設けてい誉爽こ
また,判説費料カードとか空中写其林分穣表ほ作成され
れは,わが国の固定プPツトや試験地の目的をも包含し
ておらず,森林の蓄蔵潤査にはDSamplingMethodは,
たもので,主要樹趣別,主要な林型別に設殴してあり,
使用されておりさせん。ソ連の空中写真からの森林の蓄
樹冠の形状,色調,密度,樹商蓄蔵等を空中写其と現地
秋の燕定は,樹高を測定して,胸高断面積を推定する方
澗迩の結果と比較したり林位級,成長匙稚樹の調査を,
法を採用しております。これは樹簡と胸高断面獄の相関
おこなうようになっています。こちらの経営計画綿成員
公係が0.8以上あり使用できるが,樹冠その他の樹木の
は,本調査に入る前は,このテストエリヤで, 1カ月ぐ
相関係数批0‘6程度で胸高断面讃の推定には,用をなさ
らいの訓練をうけるとのことです。私達の現地での実習
な↓、とのことです。それで,カナダやアメリカの空中写
はすべて,このテストエリヤで,おこなってし、ます°
爽材秋我のゆき方をさかんに否定していました。
わが国にも,こうした固定的なテストニリヤを設け
また!, SamplingMcthodについては, ソ連の先生方
や林巣技術者は,まったく知識が侍無といってよく,セ
て,常に調査員を訓練しておくことが必要といえましよ
う°
−10−
(8月7日, レニングラードにて)
一
(787)
第3信
コーカサスでの研修
ようやく秋色の濃b,レニグラードの1カ月の生活を終
えて,南に飛んで,太陽のギラギラ輝く, コーカサスの
ソチにきました。空港をおりると,ヤシが繁ってb,る亜
熱帯的な感じですが,淵走路の先には, コーカサス山脈
の頂上に氷河が熟られき十。ここの森林補は,海岸より
600∼700mがミズナラ・クリ縦600∼1,200mがブナ
{│f, 1,200∼1,800mがシラペ. トウヒ梢です。3,000
3,200mで氷河が現われます。
ソチは丁度黒海に面した海洋性気候で,寒暖の鑑が少
なく、丁度日本の下田,伊東とL,えましょう。自然林は
クリ,ナラ,シナノキClC.の広葉樹林ですが, フニニ
ックスやピロウ,シュロ,サイプレスが植えられてあり
一
ます。日本の樹木を移柿したのが多く,生垣はマサキ,
ツルグミなどが主です。ヒノキ,スギ,モミジ弧0ク画
マツなどよく植えられてあります。ピラミッドサイプレ
螺真2 コーカサスの針蕊樹林(職澗1,400m)
Abi"Nordmnndiana(コーカサスモミ)にPicea
orientalis(画一カサストウヒ)がわずかに混生する。
スなど,地中海の樹木をのぞくとその景観はきわめて日
本的といえましょう。ここはソ連最大の保養地となって
曝商は30∼.l0m
おり,丁度軽井沢を熱海に持ってきたような所です。街
私達のコーカサスモの研修は, ソチの樹木間での淵議
ソ巡での空中写真に・kる森林測迩に関する資料は,大
分手に入れましたので,帰りましたら,おめにかけるこ
とができましょう。韮礎部I叩Iでは,すでに,お知らせし
と, コーカサスの各森榊Wのテストエリヤでの爽翻にわ
たように,大分進んでいますから,大いにわが国の森林
けられますが,ここでは林相の判読法の習得が主で,と
りたてて進んだ空中写典の技術を得ることができませ
詞迩のうえよりお役にたてることができると存じます。
ん。
森林榊についての研究の方が私には非術に興味をおぼえ
ました。丁度日本と同じような立地の所ですので植物学
は非術ににぎわっており,海岸では日光浴や,水上スキ
ーをたのしんで糖ります。
ソ連の空中写真の技術は,蒸礎的研究の時代で,まだ
各圃と同じく数周:的,叶蹴的な練林調査の段階に入って
いないと思います。これがこのセミナーを通じて得た結
論といえ室しよう。
コーカサスでは空中写真の研修というより, こちらの
的にも林業的にも, 日本とソ述な比絞するのは好都合の
所です。林分榊成も代表的な所はぷなdataをとりまし
たので,私ば大いに溝足してし、る所です。 』1年前九大,
−
一
京大,東大,北大の4大学で, ソ連へイクスペ
ディションを計画し,私ば丁度森林生態と揃物
分布の部門でのメンパーに推進されましたが,
この計画はご破算になったのですが, こんなに
IfLくソ巡に来られようとは夢にも思いませんで
した。ゴーカサスの企樹則についても,知るこ
とができ,
ヨーロッパーコーカサスーヒマラヤ
ー中園一日本とつながる,旧大陸の温帯林の研
究の上から一般の人為のゆけない, コーカサス
の森林を見聞できたことば風の股上の喜びで
す。
10月の中旬には, ソ巡での生活を終えて日本
の土をふむことができ為と存じます。
写真3
コーヵサス広蕊削林の樹冠(写真右下および上半分は,QUCrCuS
ibezica(=一カサスナラ),中央部分から左下にかけてFIJgus
orientalis (コーカサスプナ),所舗こCurpinusCaucasiana
(=一カサスジデ)が混交する。
(○印の蓄騎はブナ95%で
450m3)
−11−
(9月25日. コーカサスのソテにて)
(擁者・林野庁計画課技官)
(788)
ここにその形態と摸橡を主に判読して地賛榊造を明ら
かにした例を示す。
写真地質の
第3図催主に航空写其判読により作成した地賀図であ
お・ この地域は2,000m級の山系が西側にそびえ, 地
はな
が,もし,航空
写其判読を利用
武田裕幸
しないで洲通し
たならば,優に
100日以上の現
4.
地形にあらわれた地質構造
地踏査を要する
ふつう航空写爽を判銃する棚合,写真の色調('one),
であろう。し力,
色(coloウ,"CeXiu",襖槻(pattern-水系棋槻.
も,それだけの
植生など〕,形態(shape--谷形,峯形,微地形など),大
きさ(Size)などに注目し,これらの種,々の要索の細合
ったものを判読してゆくのである。このことは森林判跳
と同橡ではあるが,地賛ではとくに形態,摸様を主要な
現地踏査として
も,この程度の
せることは困雌
であろうと考え
、
=F「
’
△ノ沁邸
悪
、
科
II
篭
卜
:W
、,
膨篭
4
レ
謬廼
−、
II
Mミ
〆
トー
li '
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ツ.
、
勺へ
、
辻
息
ミ、<嚇‘
、
、
8日10
//
I
/
蕊
雑
、
1
4
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』
亀
、
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且
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31
Qごり
鮒3脚
K醜
−12−
−
1
、
、
偽
I
澱
−−
V
姓
、
、
、で 、I
、
II I、
、、︽
、 . |
蕊爵
△陸0.迂1−
△”、
△”芯,ヨ
f、
、
十十
華淳
〕剛
、
州ⅧWⅢⅨ
蕊
IIM
手吋、︾、︾
、
謬尊ミご『
│Ⅷ.、 .
、
’
口■
地質図を完成さ
要素としている。
、
州晦娯岬岬雌
灘皀回圃団□
2
凡挫謁剃釧I湖封
30日間である
その
例囲日国日囿
形は急岐で踏在は極めて困難な地域である。われわれが
この地質図を完成するために要した現地捌飛日数は廷
し
一
(789)
られる°
ところでこの地質図は,ふつうの
地質”こ較べて異質のものでああこ
とに気付くであろう。すなわち,地
剛の境界線とか断嗣のほかに多くの
弱綴と山崩れが染られることであ
る。この弱線と山崩れはすべて航空
写真で判読したものを蹄識可能な地
点で確認したものであ為。この弱線
は,ある地域に集中し,断"や地届
塊界線と関係なく斜交して↓る。こ
の弱線は現在確認したところによれ
ば,大部分は大規模な岩石の割れ目
で. もともとは節理の鯉合体のよう
区.-両
なものであり,そこが一部淵って小
規模な断層となっていろ。しかもこ
の弱線の集中した地域は,弱線のな
い地域に較べて現在の侵蝕が激し
く,おびただしい殻の岩屑を押しだ
している。これは一且洪水ともなれ
ば,非常に大きな被害を下流部に与
える原因となるわけである。したが
郷4凶
ってこのような弱線の多い地域を重
ってこのような弱線の多い地域を垂
点的に防災工事を施す必要がある。
鮒4図は第3図の地質図を作成するために判銃した航
かるように弱線は近くの断層に平行なものと斜交してい
為ものとがああ。断溜に平行な弱線は断IW巡勤の際に生
空写真の一例である。この写真を見てわかる通り,水系
はやや直線的であり, このことは砂岩の分布地域でな↓、
ことを示している。実際これは粘板岩,千枚岩の分布地
域である。断層線は直線状に連絡して発達する線状換搬
成したものであり,斜交する弱線は,山塊の安定期に生
成したものと推定される。すなわち,弱線憾もともとあ
った節理の梨合体に断層運動による応力および張力が作
用して大きな剛れ目になったと考えられるのである。ま
を示し,弱線は山腹の棋槻に顕著にその特徴がでてし
た,断層巡動後の地質構造の安定化の過程においても.
る。この弱線の分布状況と断卿の発達状況とを欺為とわ
同じような大さな剛れuができると考えられるのであ
る。このように主に形態から地質拙造がかなり詳しく
‐
01
×
I
,
2 K1n。
1
協5図
−13−
×
×
(790)
一
力
ブ
こうした物体の表面が
一
反射すると光の状態を示
の
すために,分光反射率と
いうもので表われ
鋪2図は,われわれの
身近にあるものの反射ス
航空写真
について
苓坊薊魚
/グー・一口少
〃
ノ
ペクトルを示したもので
ある。拙軸に波畏をと
その
ll
西
尾
り,縦軸に反射の測合を
充
元
とる。こうした図で見る
ー寺。−〃‐『ー四一J唾画
と,それぞれの物体が,
3、
静−−
どの波長の部分で,つま
なぜ色が見えるのか
ぷどク
ご”
‘Jg
プグダ
第3掴太隅光線と甜避光
線の連い
りどの色の光を,どのような割合で反射していぉかが一
われわれが眺める世界は,すべて蝋かな色彩に包蛍れ
てし、る。見るからに食慾をそそる真赤なリンゴや,鮮や
目で判る。
かな密*│↑の色.または'腿に泌拳るような木との緑など,
航空写典を学ぶ掛合に,地上にある各郡各械の物体,
すなわち地上にある被寧体が,どんな反射スペクトルを
人間の生活の中に,ある時は安らぎを,ある時は強↓、刺
持っているか,ということが,最も大切なことである。
激を与えてくれている。
今迄,どうした訳か, この反射スペクトルを吟味する
ということが。航空写翼の分野では,かなり焦視されて
こうした各禰の色彩は,一体どうして表われるのであ
ろうか。
‐
し、たようである。
最近紘空写其の秘頚が墹えて,白黒の写爽だけでも幾
ここで前に示した第1図(本誌No.41, p.769参照)
を, もう一陛織り返して見て頂きたい。太賜光線は.そ
の波長によって,各種の色の集まりからなり立って、、る
ことが判った。この太陽光線が,ある物体を照らした
時,その物体の持っている固有の色によって,その物体
から反射される太陽光線が変化することが明らかにされ
種類もの数になり, カラー琴真にも変わった性質のもの
が現われてくると,この反射スペクトルのことが充分頭
に入っていないと判らなくなる恐れがある。
この図で,爽際の色を頭に思い浮べながら,その反射
スペクトルの逆いを良く考えてみもることにしよう。
ている。
5.
これを反射スペクトルと呼んでいる。共体的にも、う
と’ リンゴの美しい赤は, リンゴを照らしている太陽光
夜と昼でなぜ色が変わるか
反射される光の割合いによって,その物体の色が変わ
線の中から,第1図で示した赤に相当ずる部分の波長の
光線だけを反射しているからであるという。それでは,
その他の部分,すなわち,紫,青,緑などに相当する部
分の波畏の光はどうなっているのか,というと,反射の
反対.つまり吸収されている,というように裟現されて
ることが判った。そうすると同じ物体でありながら,昼
と夜では色が非常に変わって見えるのは何故か?という
疑問がでるに述いない。
全くその通りである。夜になって太陽が沈んでしまう
と,われわれは太賜に代わる照明を求める。
t,る。
このような光線,それは普通の電球か笠光灯などであ
り,稀にはローソクの光が使われることもある。
それでは臼や無はどうなのかという疑l111がで為だろ
う。その物体が,太陽光線の全部を反射する扮合,その
物体の色は白であり,逆に全部を吸収すると熱く見える
これらの光は太陽光線とは非常に違った性賀の光であ
る。どこが遮っているかということを第3図で示した。
と,いうことになる。
これで判るように‘一蔀の光が非常に少いか,または
全然なし、ことが判る。つま
及撒率幸・︶
〆
可'一
雲俳
二二二二塞垂=-塞訓
イク'
.”〃
goo
”。
み””〃
”〃
”
'
釘ダ。
(§良美家"診‘っ
第2図
3秒。
‘ダダ
…
り平均的な太陽光線が,ほ
ぼ等しい反射であるのに,
祗灯の場合は,非術に赤の
方, 、、L,かえると長い波長
の光を多く持った光である
ということがいえる。
このように,照りjする光
反射スペクI、ルの比鮫
−14−
の性質が違うために,反射
匡唾
(791)
されてく
一
zzz"
一
"
鰯
−
鍾謹ぷ 灘蕊 蕊 、.‐
−
臺薑
=一
へ
−
る光も変
ところで,色の3原色については,プリュースターが
わってく
「シアン」「マゼンタ」「イエロー」の3色を, 3原色と
る訳で,
赤味の多
する脱を唱えて↓、る°
いまぐろ
は黄色である。
7.
牛肉の色
光の3原色,すなわち‘ 「背」「緑」「赤」が,それぞれ
背
一
赤
鎌
b
。
●
罪P
▲
口
篭
●
碆当
露
ジアン
誤灘蕊
鰯
第‘1図は,これを示したものである。それぞれの光に
い不気味な色に見えてく
含まれている光の色の割合いがこれで判った。この3つ
の色光の組合わせの変化で多彩な光が生きれる訳であ
為。
る。この図をもっと摸式図式に渋わすと第5図の上段に
嘩暮悪態
がないから,反射する光が
る。これによると,波長の400m〆から5㈹m牌主での
なく,吸収される波長の光
光を青, 500mノ‘から600m浬までの光を緑, 600m似か
ら700m似までの光を赤として考えてゆくことにする。
次に,色の3原色はどんななものであるかを同じ形式
光猟になる光の性質につ
いてば, ここではこれ以_上
=
“。…“。
波長(m")
;
というのは. もう少し話が
もう少し詳しく説明しなけ
「シアンlは, 3原色が染まった白光から,赤↓、光に
相当する部分の光を除いたもの,すなわち,青い光と緑
の光が混じった400m"から600m"までの波長の光の
れぱならなくなるので,遊
色である。
「イエロー(黄)」は,白光から帝色に相当する部分の
蹴はこの位いにして,先を急ぐことにしよう。
6.
3原色とは何か
3原色には,光の3原色と色の3II(色の2通りがある
ことは,すでに学んでいるはずであるが,ここでもう−
1災復習することにしよう。
光の3原色は,イギリズ人のヤングと.
ー
まず鋪5図上段に示した光の3脱色の図と下の各列の
図を見比べながら読んで頂き庇い。
”。進んでくると,どうしても
鮒5図光と色の3原色
の図によって調べていこう。
深入りしないことにする。
釘■=グー且
イエ 百一
4図の
ような形を判り易く説明するために蜜き変えたものであ
うになる訳である。
鰯 灘;
示した光の3原色の図のようになる。ここでは,
赤い色に相当する波長の光
が多いから,黒く感じるよ
可全冒毒島守
…
一体どんな性質の光からなっているかを見て承よう。
臆どす黒
これは齪光灯の光には,
色のョ原色
3原色の性質
灯の下で
組合わせによって他の色感を生ずる。
光のご原色
「シアン」は青紫色で,マゼンタは洋紅色,イエロー
の刺身や
が,埜光
鮒4図3原色の塞本色感を示す‘それらの
明に困るというのが実状である。)
ドイツ人のヘ
光を除いたもの‘すなわち500m脚から700m似までの
波促の色である。
「・マゼンタ」は,同様に白光から綴に相当する部分の
光,つまり500m似から600m/』までを除いたもので,
400m〃から500m似までの背と, 600m似から700m"
までの赤に相当する部分の光が混り合った色である。
ルムホルツという2人の説によって, 「赤」「緑」晴」の
ここでよく気をつけると,色の原色というのは,白光
3つの色の光を混ぜることで.各孤の色が表現でぎるこ
から光の3塊色の中の各1色宛をそれぞれ引いたもので
とになって、、る。
あることが判る。
これを数式のような形で表わして承よう。
これを,ヤング・ヘルムホルツの3原色説とb,うoこ
れが今まで定説として現在に至っている訳であ為が,つ
(1)背十緑十赤=白
↓、 ‘1,5年前'0秒写真としてイ蒲なポラロイドカメラ
(2)W+"
一
の発リI新のランド博士が, 2色ですべての色が表現でき
シアン
(3)青十赤
一
るという,有名な2色法を発袈して,世界中を驚かせた
=白一線
マゼンタ
ことがある。
3原色脱ですべての人間が安心していたところへ,全
く新しい学税がでたのであるから,世界中が蓬くのも無
=白一赤
(1)逮土室
=白一背
イニ淳一
こんなにくどくどと書いたのは. これが非常に大事な
理はない。この章でも,折角3脱色の脱明をしているの
ことで動
であるから,これIこ触れるのが本当かも知れないが,そ
る。これは良く覚えて頂き腿いと思う。
んなことをしていたら,
この鮴座は何時終わるか判らな
い。ここの所は,ヤング・ヘルムホルツの説で我慢して
頂くこととする。
これを知らないと,後になって困るからであ
次にこれらの色と光の利慨を組合わせると,どんなに
変わるかを鯛べて象ることにする。
(我慢して頂かないと. ここ暫らく脱
−15−
(筆者:アジア航空測賦KK,主任研究員)
霊●;;●90︾
戸8228oL
新し
その4
い森林調査法
●
の
I◆ ●
令争◆参◇。◆。。◆◆0。。■0。。■。■0。■■qqo辱84●◆旬。gザ。◆●争守守谷寺●■
一講一伽座︾
溌澗熊撚
解
劫◆???pof、◆。律
6.3総材積の推定
西沢正久
説
中島
雛
ノ』
各燕の狼イントで形状高を合計しそれを断而欲定数倍
すると各ポイン1,のha当り材積がIMてくる。各届の平
均材積,平均分散,堂た総材職やその分散は,これを元
にしてII1・I算される。式で書き表わすと汝の.にうになる。
全体の而職な4, i層の而穣をjifとし,その屑のj
412Sri2そして総材積の分散Sf=ZAi2Sri2総平均材
i=】
ん
Wi(Iba当り)の分散S22=EAA脅S:3j
i卿のha当たり
[=1
材秋の変肋係数c−鋤f/愈として求められる。またこ
数, ,"$をさらにそれから抽出されたS、S、U・の数を記
の計算による総材職の95%信頼度での佃頼限界はX土
2SJYとなる。実際の計算では,各ポイントの形状閥の
合計をha当たり材積と同様にあつかい,妓後の段階で
平均材澗は断面秋定数倍,分散は断面讃定数の2乗倍し
号化したものとすれば, f周のj番目のP.S.U│・の材載
てha当たりの値に変換するのが便利である。
縦ロのP.S.U.の玲番目のポイント(つまりS、S.U、)
の材職を卿ノ&と番く。そして〃jをi囮のP.S.U・の
叩l
差平方和<S"りを求める。そうすればi胴の1ポイン
1・当たりの分散は
ヰ6.釘77
d艇學"
”.〃‘?
〃鍬/6‘
.』弓ノヲが
津?.、式錨
?"・えヨグ’ず身.‘タグI〆々コゴ身グl
盆?〃'
γ‘〃,/クノ
‘・ダ‘.J澤‘
ら2.タロ『が
′〃多〃湾
三還躯J壁〃
タイ.。‘デ
イ銭ダゴ’
/イヨ.イ召7
タざ.ダ鈩伊
ノ‘剣←ノ〃/
26α’』。γI
聟‘。.〃ず7
ソユ曳鐸‘
ノヨ喚S卓‘
アダ屋鱈浮I
‘身.夕J’
ノヮ歩ヱグ々
この変に拙上してある数値は形状高の航である。
"[
",
____
Z態'句=1177.829
"
国エ'fjg=243018.148
二恥,‘‘_"鋤,像')鰯'"-鯛'…”
j毒!
ー〕.認'#2=11804.622
え'K=Z"//2"$=#'i/2
"1
柳20苑一D
‘〃、罫36
ノぴぷ.〃がツ
ノ‘早_′タブ
‘2.?''
nf==6
〃Z
。9"'2
弘J:ア&『
胡・ Iノブ.Pj、クギ
〈注)
′4a,ずグク
ノクゴロ〆宰
ノギノ.クイヂ
毒鈩_jqZ〃’
針. |ご‘",“、7
クグコィ
(#‘薦‘')…イハ赫識‘・平方繩の計よ'獄脚し,偏
○
″〆嗣鐸
Ⅱ少
ポイント当たりのI1a当たり総平均材職は難=〃A
平均材澗,総材積の分散,漂準偶箆のWI・算は次のよう
麺鈍
針I
6
寵ず│o i胸に割当てられたP.S、U.の材積の平方和
ら〃、忽罫‘
グ写
封
部を合計すればよいのである。その式はX=EA"1
にして行なう。
身8.鐵三2
ゴ‘_皇壌婁l/‘感.クケケl
雷fi狂イ碇J湾β
九
K■1
ゾクョ.β、J写
ノ感ノ”7
ノ2
xWW""Kである。S.S.U.の数,つまり2個ずつのポ
イントを取ることにすれば〃li"fと朧2"I#要するに全
体の計を取ってこれで割ればよいのである。
総材職は各閣の平均材栽をその胴の而秋倍して塊に全
アーゲ=ご
ノグゲ.ククコ
3
か1座=l
ノ身〃β‘2
クノ
ノ星
刀f〃Zf
ダヨ.γ"・I,
〆三F.562
ノア
針ノ会ヮ癖弓l
小計
ヨゴ.タク〃
〃、ノタグlノ52.ざ7'1
2
を更に〃』‘で測ればよい。要するにその式が轍=ZZ
sz2=
ノゴゴゾダ”I
率押
Jp
ゴ華
クタ
計
さてそこでf厨の1ポイント当たりの平均材讃朧それ
針鴛拶獄
′,ノを7
・ど"46“
ノ
これを〃‘で細ればi脳の
P.S.U.当たりの平均材漬が出る。
ダダ,ノノ壱
ノョ
Z"=ZZ澁批と書く,
"l上笙1
j毎1
,針領樹
ヌー索一FE 7 Z
/鼻
〃【2
申
澗の合叶から求められる。これをもしルー2だったら
〃Z
ホイヤ殉
次にi間の慨木材讃の合計は各P,S,Uのポイン}、材
雛9変嗣ごと平均材漬および分倣計算喪
プワ学ク
窪わされ為。
=
閣稀号久H4
蕃苛
はポイントの材積を合計したものだから郷ノ=Z"j上と
k=t
薯サ
L
(792)
=98・ 152
で出る。これをルートで開きj間の標準個差Grd〕を求
める。i胸のS.S、U.当たり平均材職の分散碑のはそ
恥当り平均材畷言蝿=抑"
れを’2イで測ったもの,そして闇材戟の分敬(&i2)は
(注)4唯断而硫係政
x4・=392,610
−16−
sx'K2=Sx'f2/jI伽−1)
=590.231
"22=S"'f2x16ノー9,443.698
Sx22=、/SxF=97.1789
SXi2=S│罐ノ"-1573.949704
S"=、/Sfiz=39.6730
CJ%=錐《厳fx1"=0.2d18
‐
(793)
露αヨ
、
聯欽激
迭警'汰喰"今般
Xf<ロのxe)
七/舜”胤鋤1
一
7"乳ダノァヲβγ
J39.ゴュ“す
〃卑八“3
クゾゲ・走輝〃
≦74ゴググ
3聿唾蚕ぷ“ク
グダュ‘ノク
ごヱグョ.グヂ三三‘‘
ノググュゾギ?グクギ
輔噸蝿職
③
⑦
④
、
e
−
織職。今it?総計隼 騨榔j鉾雌
圃攻の手ガ
一
一
〃”"鞄z(丘④x@)
畝這乙〃粋ウ)
ノα7グざ′
4$手X『‘7ョ7コ
Z“.‘/J哲
・妬,イ報
Z寵夕塞
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タスョァ"割
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潅邸釘革工潅γざ写ご
?””7
雄A陸(・画) 〃を(②×。)
ノ麦ゴクッゴ
員亭苧
2斗”郡
碁写曇麦ノ‘?‘
ノ入ククヨ感ググ
蔓タ′窄
プ汐迂デデダ‘
″タ2ダクダ‘‘ゾ
猛律割
′疹卓
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耳罷ヨ窺夕汐餌、ぷ
ゴ錘ごグ”ぴ蓮ノ
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ざ配〆死‘
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ゴ、ぎ宮‘ノ
ゴ”ワノョふぎ
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搾葬評葬郵坪坪椛呼率郵坪
ョ嬉
層ごと材繭および露材積の推定
⑦|︾|錨
ユノザ
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一
恥
坤椎椛認ヒァ秘恥恥砕岬叶
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夕茸猛ノク〃宕弘ヶ
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"学"室3占ツ‘
厩?“ョ異J写当ヲ“
グざ/74
タ”“・宏…
ざノヨグ”
総紘蔵の分散Sx2=ZAf2SX2=1,696,332.535366
総材職の標準誤差SI−イ詠2=1,302,4333
総材澱の推定値Xi2S邦画30,184.9i2×1,302,4333=3(),184.9zt2,604.8666
(95%信頼度)
7666)=(27,000∼33,000)
(27,580.033‘1∼32,789
#鍵値の誤差率2sV羅一(2,604.8666/30,184.9)×100-8,629=9%
剛ごとの平均材積,分散の31・算は第9表に示す。また
それによる層ごとの値による総材蔽の計算を第10表Iこ
示す。
この表によって林相区分ごとのha当たりの材積とそ
の変動係数がわかる。11幟は小班蒋職推定に,後者は次
の洲迩での最適な林相区分での標本数の割当ての磁料に
なる例を見れば層ごとの変動係数は従来の森林漂本洲蕊
の齢級層化による場合より小さくなっているのがわか
る。なお総材積の推定糖度は9%で27,000∼33,"Om3
‐
の閥にあると推定された。
6.4総材積成長量の計算
材積成長鐘分散pha当たり成長量などの過程を研算
式で示すと次のようである。
1)平均材積成長趾および総材積成長量の計算。
"if : i層の成長拙澗在ポイントの数。
Zij; j層j番目のポイソI・の本数差。
””:同上カウソI、本数。
"-:z"贄!"": i鰯のha=DWf""lffl澱とha
当たり断面職の比。
yi:=γ録: i層のha当たり材積成長量。
Yj=A"f="Aiff‐ず。麺:糟の総材積成畏斌。
九
f=1
直径に応ずる現諭的水平距離と実測距離を対比すればそ
上H夕4
の木が10年前に数えられる木であったかどうかがわか
次に眉ごとの成長量調逆ポイントから求めたこの本数
齢種
X
牙.
汁
ヒノ靴
Va
別
.』
哩穆蓑職 r蛎卿誕門画甚 『9男“鉦 惣乎旦墾
呉経《p1
毒4がJ
・却ロダ
アイ.『
ユ零‘
具ぷぷ
ごα匁
革,β
’-ヶ型
″ヨ。
・汀痙
淑教憾
詞‘β
ノユdオ
たがワ
’到禽
Jもj
ノハ‘
ユごぶ
pJ・ア
‘簿
み#S
/乳塁
ユぷ
〆さ_ぴ
ぶ厚
ノ.グ
グタ勘
ーヲEc
ぶ軟塾
しいと置いたものである。
−17−
X
(■xの秋
7競り
忠一
ロ』
│::淵鳴譲
〃風β
這
ミト
一亭,
身ごク
]・敦
r育てw
【ぷ一夕一F
グザ且
〃・垂
きす
熟典管;
斌J
吾掘が
展末
ると,つまり本数比がha当たりの断面積成長率となる
からである。そしてこの断面職成長率を材讃成長率に癖
〃〃グヴ
0
断面議定教
当たり断面積であり,本数蓬を断面稜定数倍したものが
10年間のha当たり断面戟成畏吐で,この両者の比をと
①
aメリ
ずぶざ5s
ダrlγ室
軋異凡昼壷
錐合計と現在の本数合計の比に間の材積を乗じて材穣成
長戯を求め, これを屑ごとに狼WI・して総材漬成長鼓を計
郷する。またこれを10で測ったものを連年成長没とす
るのである。それは本数を断面職定数倍したものが11a
t=I
認11袈ポイソl、ごと成長識l・i算表
な錘引けば10年前の皮付胸間直径が出る。するとその
る。現在の数えらオLた木と10年前に数えられたであろ
う木の本数差を求めることができる(第11表〕。
ノト
Y=ZYi=Z"Xf:総材積成長量。
成長錐で調査した林木につ↓、て,ポイントごとに樹棚
別に現在の皮付胸間直径から10年間の皮内直径成畏赴
X
X
→
/‘ |年‘ | ‘・‘‘
_夕鍬0
X
(794)
y−yyA: 1ポイント当たり総平均材漬成長堂(ha当
測i'
たり)
2)材載成長錘の分散の計算。
j=I
ZZdjwij:同上の本数差,カウント本数の秋和。
1
油f
j=,
,繩‘-詞でW庭冒爾諏鱈…鰯z劾璽-2,緋I,''")
”ク
加一Z〃f"抑':
1ポイント当たり平均カウンI・本数。
j堂1
:比の分散
"ガノ
Z"fjz; i届のカウント本数の平方和。
恥2−猟2S│塚(+ri2S"2: i層のha当り材秋成長瞳の
"(P
分散。
s'・f2・・AfSif='・f2Aig鍛拶+A"z2SrfE
か1
ZZfj2;同上の本数差の平方和。
j=1
-
=J・42"j2+遜電γi2? i闇の材秋成長通の分椴。
第12変平均成長量および分倣計算表
智
天
ガ
更
鉱'0
〆〆魔クク
〆a'〃
αご‘6グ
ノご塚ゲノィュ
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夕五コ.さりア
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"""
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ゴグ控畢港ク
ゴ罐‘ノク
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“8鐡野
”pだ"。
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ZK
(備考)よ小班は無立木地の0.6点(0.37hn)を含む。
芦▲
一デ
竿
耳
ざ
ノ
この連年の値から推定した閲ごとの材稜成長鯉および総
材澱成長量の値は鮒13表に示す。
ク
ダ
ダッシュのついてないのは10で測った連年の値である。
グ
身
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〃
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ずぎざ
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ュがついている数字は10年鵬lの数字をもとにしたもの,
イ
ゲ
斗
の平均成長量,分敵の#I・算例は鋪12表に示す,ダッシ
寡獣/β星ノグゴ
7
ヨノ
この計算によるYとS)・による総材積成長散の95%
佃蝋度での信頼限界は1'土2SI''である。屑内の棚加ごと
2
(1'a当り)
ク
三
2
ブ
f=1
ク
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華
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〃
S32=s'・2/42=ZSyj/A2 :総平均材讃成長戯の分倣
一
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分散。
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鋪15喪森林調査簿の面職智澗の対比
ル
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評.群舞勢謂”︾御御︾
f宮1
華2〆耳等/ござ
一湖
7野/
ハ
S''2=ZSrf=Z(γf2Sw2+Xl2SriZ) :総材秋成畏戯の
次のような点に考察が続けられなければならない。
この例ではポイント数が多くな↓ので推定誤雄は非’肘
によくないが,推定値そのものはさしておかしくな↓,で
①写真判胱と林相図化の能率化(前述)
あろう。
6.5小班蓄積,および成長量の推定
各林分において区分林相内の材稜変動を考旗した最適
分類基準を見出さねばならない貧
各魎のha当たり材菰("10表)およびha当たり連
③写其材秋表の作成にたいして
②林扣区分の鵬螂
年成長堂(第13表)に小斑の林相区分(屑)ごとの面溌
写真を層化の段階より進めて,頂接材積推定の資料と
(格子点数の0.0614倍)を乗ずれば,小避内における
その層の材積,成長蝿が求められる。
6ケ小班についてのWI郷例を第14表に示す。
するのが次の過程として望ましいのは当然である。写真
なお参考までに10ケ小班についての面穣,材秋値の
319算結果と森林調在榊との比較を第15表に示す。これ
材稜表は主として砿回帰式を使っているが,樹高と樹冠
閉鎖度による林相区分はこの資料収築の雅礎を与えるも
のである。次で写典判読と地上調査標本点の大きさの関
係を考究して,写真および地上での股適なプ戸ツトの大
によって客観的なサンプリングによる推定値が布効であ
きさと型を定める必要がある。
ることがわかるであろう。
④写真からの材蔽の直接推定
7.
三蓮抽出法やすでに層化の行なわれている場合には,
あとがき
写真による林相区分図の作成と,それにもとづいて名
大標本の判説とそれから抽出された小槻木の地上調査に
林相区分ごとの11a当たり材秋と成長堂を鋲イントサン
よる二正抽出も布効である。
プリソグで求め,全体を推定すると同時に林相区分ごと
⑤林相区分図の右効性と利用の高座比
の悩報を組立てて小旺梢報を推定する方法をのべたが。
−19−
(P.23に焼く)
航空写真と
(796)
森林調査
“
β
I
│−
測量指導部
母
4
航空写真利用の予備知識(その2)
jl.
輔8図中点の投影
中心投影
現在林野地帝撮影のために使用されているカメラ〔前
述のRMK型(ドイツ,ツアイス社)並びにRC5∼8
型(スイス,ウイルド麹〕のレンズのヒズミは非常に
小さく①.005mm)殆んど理想的なものですが,撮影
された航空写真は,地上の物体の典の形をそのままを示
しておりません。これは写其の映像が地図のような平行
投影(魂7図参照)から成り立っておらず, レンズの中
心を通った中心投影像であるからです。
航空写真上に判読記入した林相区画線あるいは一筆界
線を,地形図上挺移写する作業(このことについては
後述)が非常に多くなりますが,この時中心投影という
ことを知っておかねばなりませんので’ 2,3の例につい
て脱明します。
B
M
鮒8図は平面G上の3点A,M,Bを平面Bに投影し
た場合の切断面であり堂す。(注.GjBは紙面に直角な
一
平面。鋪3,第4図の場合も同槻)。
MがABの中心であってもG,B両面が平行でなけれ
ば,図から明らかなように、点はabの中点ではありま
せん。すなわち中心投影では中点Mが必ずしも中点mf
に投影されずAM=BMとい引MI係がくずれます。もし
平行投影ならば,Aはbにp Bはaに投影され中点Mは
やはり中点mJに投影されます。
鮒9図ではA,Bはa, bに中心投影されますが,A',
B'もやはりa,bに中心投影されます。従って投影され
た像からだけではa点がAの似なのかA'の像なのかわ
かり戎せんしD abの長さだけからでは, もとの長さが
(尾崎幸男署写其測錘参照)。
ABなのか.A'B'なのかも区別がつき室せん。
ABを地表面としますと,地表面より高いA'はAと
よ
同じ点aに投影されます。すなわち同じ平面位匠にある
点A'とA"でも高さが異なると,写真上では写る位隆
C
彰
IllllI
と
一
毎
)
+
IIlll
C
夕
A
鉱6図中心投影
9
第7図
−20−
平行投影
C
(797)
β
庁
4
A"
a
節9図比癌のある場合
‐
がずれてb,ます。
塊10図AB=A'Bノの秘合
鮒10図ではABとA'B'の長さが同じであって,投
影像もI可じ点a, bになぉので, もとの長さがわかつ・て
いても,それがA。BかA',B'かの区別がで
きません。
航空写真では第2∼4図のGを地表面,Oを
搬影点,, Bをプィルム面と考えればよろし↓,の
ですb
5.
土地の起伏による写翼像のヒズミ
地表面に起伏がある掛合にはカメラの光'!Mliが
地衷而に垂直に向けられていても.写真像は図
に描かれる土地の形を示しません.もし地表而
が完全に平坦であり.且つ搬影軸が垂直であれ
ば写真像は地図として利用できるが,完全な平
坦地はあり得ないので,螺其そのものは正硴な
而職を測定する地図としては使用できません。
勿鯛地図の代用としての利用方法は多をありま
aL
すがこれは後腱述べます。
鮒11図でD Oをレンズ。 fを焦点距離│,H
V
を搬影高度(埜準面)としますと,
雄堆面からhの比商をもつ山頂のA点は写真
而上Aに投影され,その典位睡A'はA点より
A'
rだけズレて写っています。
Rを写真主点PからA点までの距離とします
泓涯〃写鳶
と,
起
>
r=L:-且
P夢
H
な為関係式が成立します。
すなわち
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r
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ゞ,
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尺
邦11閲土地の起伏による写真鮫のヒズミ
ー21−
一
11
、
−一
一一
,Z
7−、
(798〕
巴也
また第12図のように.土地が平坦である糊合.地上
厚嘉面
の1点Aに対応する塀其上の像aの縮尺は
X:-&:-iとなり
aの縮尺とnの縮尺は同一値となります。
すなわちレンズの光軸が地表面に垂直腱向けられ土地
が平坦である棚合には, 1/sは写真全部の縮尺でありま
す。
しかし,地衷面には必ず起伏があります、従って1枚
の写真の中でもI紙、ところは大きく,低b,ところは小さ
く写り, 1枚の写典の中に締尺の変化が生じます”
撮影高度を,韮準水面(標高Om)からの搬彫高度と
定義ずれば, Hなる高さの定義は明瞭ですが.爽際の写
真縮尺は,一を現地の地上漂高を加算せねばならなくな
ります。もしカメラの光軸が鉛直綴に対して少しでも顔
"12図写爽の縮尺
Oレンズ
f猟点距離
斜しておれば地褒面で方形のものも写真上でば方形に写
らず,辱其面の各部はこれまた縮尺の変化を生じます。
このように写典の締尺は考え方によって襖雑になるの
で一般には,撤影地域の平均漂高(韮地面)より,撮影
H擬影高度(地表而からレンズ迄の高さ)
機堂での距離(商さ)を搬影高度(H)と考えて.埜準
A
地我緬
〃
A地表面上の位磁の点
一
面における縮尺を標準縮尺として算出してい藍す。
③式枢①及び②式を代入して
r=f
H
、H,R・h
f
H
×
×
×
=R・h
H
例,いま航空写真が逃準面から,撮影高度(fD5,200
mで撮影され,韮準面からの比高差(h)
が500mある山頂(A)は写真主点(P)
これは何でしょう?No.9−1
とAを結ぶ綴上で真位醗(A')よりrだ
けズレて投影されているとすれば
.
●
R=150mm(写其上の長さ)
r−0.15mx"m=0,0ル1m
5.200m
.
査画
、
。
〃
&
の場合は
1
』
ひ
申
~
となります。
縮尺
凸
﹄
航空写真の縮尺は,その航空寧真を利用す
る目的から決定すべきものであります。日本
では森林鯛査用としてば1/25,000を標準と
していますが,森林調斑の象を目的(森林判
”としているときは縮尺1/20,000を標準
』
才
爵
、
︻1﹄
6.
稗
』
4
メ
』
■
関
としています。
−J
鉱12図において「レンズ」の光軸が地表
面に垂直に向けられてし、るとしますと,写真
の中心nの縮尺1/sは次式により算定されま
「態だよ,嘘だよ。航空写真にこんな摸搬が
出るなんて一。あんたは,時をとてつもない
す。
「何がなんだって, こんな九に十の字が出る
なんて,職に決まってる』:・ねえ−」
'/s-f
f・・ ・ ・魚点距離
ことをいうから。
膣んとに,畷なんでしょうかねえ−。
H…・撮影商陛
ロ
−22−
(799)
球島‘t”
#、導鍵l,・
obpU舎’
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質疑106題
質 1
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﹃P
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9
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評
編集室
第59問スタトスコーブとは何ですか?
誰体圧力計
答
スクトスコープとし、うのは空中写真を撮彫するとき
にカメラに取付けることのできる高度差記録計のことで
す。
この機械はドイツのツァイスで数10年前にIM発され,
一
鮒1図
現在のものは1858年に売出されたものです。
1.
機櫛の概要
4 JhL
第1図はスタトスーープですが,下部の円筒形の部分
が,液体圧力叶,中央部が通気部,上部が計器部です。
、
第2図は液体圧力計と祗気部との関係を図示したもの
I
で,本器を作鋤する直前には図に見られる内櫛と外糠の
液体は空気中と同じ圧力で液而は平らになって、、ます
が,片方の蝿い陸をすると気腿の変化に従って液面の高
司鴬舅
さが変わってきます。この液而の高さの変化は可変蓄電
器の働きをするようになっていて,図の右側に図示した
ようにホィットストンブリッジの原理を用し、た蝿気的平
衡により抵抗値C,を求められますb
銘2図
1
1
C菖はIリ変蓄電器
でこれを調節して真中の髄流計が窯になるように合わせ
ると,上式を満足するC1の他が得られます。飛行機が
撮影コースに進入し,撮影│州始の瞳前に上部の左のつま
糸で右のil"器の針を0に合わせ,液体容器の一〃の性を
鮒3図
します。澗腹の変化に応じて気圧が変化しますから,液
一一
面の高さが変わり計器の針が動きます。この目盛の価は
=
(P19よりの総き)
商さに換算されますが,気圧と気温の関数でその都度違
股初に労をかけるとしても,もし全圃的に林相区分図
いますが大体1目盛が1mから1.5m位の価です。こ
が作製されるとすれば,次図からは班化した簡所の象の
の目盛侭カメラにつながって写其上にも同吟に倣形され
差が分かります。第3図はその一例で, RMKカメラで
修正で布効な計画が血てられるようになる。林相区分と
地位, im当たり材職などの関係は一日でわかる図面の作
製が可能となり,土壌測在その他多くの分野で布効な利
撮影した聯其には全部つも,ています。これを使用しない
用法がある。
ときは針は動きません。
⑦成長量推定の1川魍点
ポイントサンプリングによれば林木の成長の潜在力に
ますから,妓初の撮影開始の写其に対する各写典の高度
本器は地上図根点がないか,芳しくは極く僅かしかな
いような鋤合の測量に使用されます。
このスタトスコープを用いるときは,飛行磯は自然に
地表面に沿って等高度に飛ぶこととなり,航空三角測鐙
の方法も少し異なります。締度は自乗平均隈挫が1.5m
位で可成り良いのですが,あまり精密な地形図作成には
不十分な憾熟があります。
比例した漂本が抽出されるので,これに関連した抽出個
数,推定方法については更に研究が必要であろう。もし
収穫予想表を成長戯推定に用いるとすれば,成長錐によ
み澗迩は省略することも考えられる。そして成長盆その
ものを林相区分をもとにして,林分,樹耐'i(または地位
指数)ha当断面讃(またはha当本数)などから推定す
る方法を進めねばならぬであろう。
(筆者・林業試鹸場技官)
−23−
−111鋤細卿勾州パ剛1判
て。,たう地壮
一べたをつそ︲の
但鐸弱錘麺蔀池
︸答すは
いて
体肉
いで‘時た
っ多
幾
一味本しのん当使た
一錘軸睡醗罐蝿噸魂
一し鋤舘鰄蝿恥畔侭
娠約きな,。↑
ら
大
人
て
為
降
、
,
か季
,つ
る罐
ま
一陣幹噛
恥し
睡あ
酸急毒
恥普雄螂珊も秘卵飛
○航空写真によるスモ・ソグ調査の開始
一蔀對詮畔坤銅︾秘跡嘩
111
(8")
近年,東京,大阪その他の大都市,または四日市等工
難郁市におけるスモッグ発生に対する調迩研究は緊急な
解決を要望せられるものとなった。これに対して今般,
I
消え去って行く機影が,この
の顔が,雲海の瀧に消え去って行く機影が,この
マークの中から,微かに浮んでくるような気かし
かに浮んでくるような気がし
科学技術庁,国立防災センターが中心となって総合研究
ても,戦の跡はまだ洩ってい
いの跡は,人間の眼には判ら
るのは,ただ航空辱典だけで
を進めることとなり.その発生状況,分布の現況を明ら
かにするために約240万円の予算を航空写爽による調査
方法研究に組象,日本写爽測盈学会にその協力を依頼し
た。学会においては丸安,中野,西尾,大曲,大賀,中島
の各氏が研究グループを組織し,実作業ばアジアK、K、
航測において行なわれている。その研究成果はjiiにスモ
ッグの承ならず,気象,生物難各方面の応川に効果の商
も、ものとして期待せられている。
O「新しい調査法による国有林の技術研習の実施」
空中写真を商度に活用して森林の資涼鼠と配賦経営
管理の資料を調査する方法についての辮習会が12月3日
より20日まで,林野庁の業務研習として各営林局より2
|
一
】
−−ー∼
名の撚習生を集め林業洲習所におし、て開1“られた。
なお.実習は. nil橘営林局中の条営林珊柚;内In有林で
行なわれた。
今回の講習は従来に比べ,写真測定の技術習得に一層
の、点が職かれ,進んで写真材積表の作成淡料の取りま
とめが加えられ,今後の国有林における綱迩方針の動向
を鋭く示している。
一
一∼一一ー
∼∼一一
網集後記
耳■■■◆●申一口凸■1
灘んで恨年の春をお祝い申上げます。
考えて承れば,昨年は何となくおかしな年だったよう
に思いますb月世界一番乗競争,原子力発電などと科学
技術の肢先端をゆくかと思うと, ライフル銃でのケネデ
謹賀新年
ィ賭殺,ナイフで力通111を刺殺,あるいはまた年末の全
然理屈のわからない全通のポカ休承斗争, I国会職員月給
が抜打ちに税抜き8万円の増額.…. .。報逝面に現われ
元且
る記辨を見ていると. 20世紀の人間が,いままで培って
きた人間としての良識を忘れているような傾向が見える
森林航測編集室
ようです。我欲と反射神腿だけがばぴこって,物事の其
願|Ⅲ木本氏房
蚕員山田茂夫,遮藤隆i
福原正雄,石戸忠五郎i
の愈味を考えるユl,リと,人と共に生きる喜びを忘れた
人生などは,まことに味けないものと思えるのですが?
今年は,地球上の人間が,社会人としての良職を取り
もどしたよい年でありますように祈ります。
沢田秀邦,中島巌.
笠松情,西尾元充
正木義治
聯務局松原茂,成松俊男
橋谷臭,中曾根武夫
田ノ本栄,丸山正,
(橋谷)
昭和39年1月10日発行(2カ月1回発行)
森林航測第42号
発行所社団法人日本林業技術協会
東京祁千代田区六寄町7毒地
萢話鯛淵縦“0援替東京6"4‘
渡辺宏
一・・・・-0.0.-.0・・ローロ。.。・・■・・・・--...o-....-.・・・−....−.....。−....−....−1
−24−
定価1部50円送料実聾
一
Fly UP