...

就労支援、貧困・格差対策案の評価と課題

by user

on
Category: Documents
10

views

Report

Comments

Transcript

就労支援、貧困・格差対策案の評価と課題
2011 年 7 月 29 日発行
【 社会保障と税の一体改革シリーズ ③ 】
就労支援、貧困・格差対策案の評価と課題
~現役世代の働くリスク拡大への対応は不十分~
1
要 旨
◆ 「社会保障・税一体改革」(以下、一体改革)成案では、「高齢層に偏った設計とな
っていた社会保障を全世代型に変革すること」、すなわち現役世代の社会保障の機能
強化を図る方向が打ち出された。また、その際には受動的な所得保障ではなく、働く
ことを支える積極的な社会保障を重視する方針が示された。本稿では「一体改革」成
案のうち、働くことを支える社会保障に焦点をあて、その課題を考察した。
◆ 1990 年代後半以降の日本では、安定した雇用機会が縮小し、不本意型の非正社
員やワーキング・プアが増加している。男性世帯主の正社員就業を通じて現役世代
の生活が支えられる仕組みが縮小する一方、失業時の再就職を図る支援、ワーキン
グ・プアになった時の所得底上げ策など、現役世代のリスク対応能力を高める社会
保障が脆弱である日本では、現役世代の生活基盤が不安定化し、未婚化や少子化、
子どもの貧困が深刻化している。
◆ こうした状況に対し、「一体改革」は「就労促進」と「貧困・格差対策」の強化を
打ち出した。具体的には、若者・女性・高齢者等の就業率の引き上げ策や、非正社
員の処遇改善策の検討(ビジョン策定や有期労働契約法制の見直しに向けた検討)、
失業時のセーフティネットの拡充が柱として挙げられている。
◆ 現役世代の生活基盤が不安定化する現状を踏まえれば、「働くこと」を軸に、現役
世代の社会保障の機能強化を打ち出した「一体改革」成案の方向性は正しいものの、
その具体策は限定的な内容に止まるといわざるを得ない。例えば、500 万人以上
に上るとされるワーキング・プアの所得底上げ策や、消費税引き上げに伴う逆進性
の緩和策に言及していないほか、失業時のセーフティネットの機能強化についても
財源を示さない「検討」が多く盛り込まれている。また、もともと稼働能力のある
現役世代の受給が困難な生活保護について就労支援を打ち出しているため、生活保
護の機能が縮小する事態も懸念される。
◆ 今後の負担増に対して現役世代の納得を得るためには、現役世代のリスク対応能力
を高めるために、必要な社会保障の全体像を示すことが必要だ。その上で、厳しい
財政の中で、何が今できる機能強化か、何が今後の課題となる機能強化であるのか
を明示することが求められる。特に「給付付き税額控除」など、ワーキング・プア
の所得底上げにつながる政策は、必要な財源とともに、有効な対応策を早急に示す
ことが必要だ。
(政策調査部
大嶋寧子)
本誌に関するお問い合わせは
みずほ総合研究所株式会社
調査本部 電話 (03) 3591-1328
e-mail: [email protected] まで。
当レポートは情報提供のみを目的として作成されたものであり、商品の勧誘を目的としたもの
ではありません。本資料は、当社が信頼できると判断した各種データに基づき作成されており
ますが、その正確性、確実性を保証するものではありません。また、本資料に記載された内容
は予告なしに変更されることもあります
2
目次
1. 問題意識····································································································· 1
2. 現役世代の社会保障の充実に向け、改革案は何を打ち出したのか ·························· 3
(1) 基本的方向性···························································································· 3
(2) 具体策····································································································· 5
3. 現役世代のリスク拡大からみた「一体改革」成案の課題 ···································· 13
(1) 「一体改革」成案の方向性は正しい·····························································13
(2) 一方で改革の中身には課題も······································································14
4. 終わりに··································································································· 22
3
1. 問題意識
1990 年代半ば頃までの日本では、男性世帯主が企業で雇用されることを通じて、労働者
とその妻、子どもの生活が守られる仕組みがある程度機能してきた。長期雇用や年功賃金
など、いわゆる日本型雇用システムが適用される労働者は大企業や中堅企業の正社員男性
が中心であったが、国の積極的な公共投資や中小企業の保護策が、地方や中小企業で働く
正社員男性の雇用を支えてきた。
しかし、1990 年代後半の日本では、上記の生活安定の仕組みから外れる現役世代が増加
している。正社員の数は 1997 年の 3812 万人から 2010 年の 3355 万人へと 457 万人減少し
た1。背景には、グローバル化や技術革新、公共投資の削減、中小企業保護策の見直し等を
背景に、製造業や建設業、卸売・小売業など、男性に安定した雇用機会を提供してきた産
業を中心に、正社員の絞り込みが進んでいることがある。また、正社員の中でも若者、中
小企業勤務者などを中心に年収 300 万円未満の人の割合が上昇している。安定雇用の象徴
であった「正社員」は「数」と「質」の両面で縮小を続けている。
その裏側で進んでいるのは、現役世代の生活基盤の不安定化だ。本来正社員を希望する
不本意型の非正社員を推計すると、1999 年の約 137 万人から 2007 年の 389 万人へと 3 倍近
くに増加している可能性がある2。年収の低い正社員の増加などもあり、フルタイムで働い
ても最低限の生活を得難いワーキング・プア3の数も、20~64 歳で主に仕事をしている人の
うち、男性で 10%(321 万人)、女性で 13%(234 万人)に上ると推計されている(阿部(2010))。
ワーキング・プアに陥るリスクの拡大が、未婚化の進展4や子どもの貧困の拡大と密接に関
係していることを示す調査や研究が近年明らかにされている。例えば、内閣府が 2010 年に
20~30 歳代の男女を対象に行った調査によれば、男性の「既婚」割合は年収 300 万円未満
で大きく低下するという5。非正社員男性(既卒、50 歳未満)の 61%が年収 300 万円未満で
1
2
3
4
5
1997 年は総務省「労働力調査(特別調査)」、2010 年は同省「労働力調査(詳細集計)」。両者は調査
方法や調査月が異なるため(前者は 2 月実績、後者は年平均)、比較には留意が必要である。なお、同
じ 1997 年から 2010 年にかけては少子高齢化により労働力人口が 197 万人減少しているものの、これを
差し引いても正社員の減少傾向は明らかである。
ここでは、厚生労働省「雇用形態の多様化に関する総合実態調査」1999 年と同 2007 年を用いて、非正社
員のうち正社員への転換を希望する不本意型の割合を求めた上で、これを総務省「労働力調査」の非正
社員数と掛け合わせ、正社員への転換を希望する非正社員(不本意型の非正社員)数とした。
ここで言う「ワーキング・プア」とは、「主に仕事」を行って生活していながらも、他の世帯員の所得
や社会保障給付の合算所得が、相対的貧困 のラインに満たない人を指す。相対的貧困とは、社会の平均
的な生活水準の一定割合以下の所得しか得ていない状況と定義されている。ここでは、OECD の定義に従
い、全国民を、世帯人員の差を調整した1人あたり手取り収入(「等価可処分所得」)の順に並べ、全
体のちょうど真ん中の所得の半分以下しか受け取っていない人の割合を「相対的貧困率」と定義してい
る。以下で、貧困という場合には、この相対的貧困の考え方を用いている。
総務省「国勢調査」時系列表第 4 表によれば、20~34 歳の未婚率は、1980 年代半ば頃まで男性で 50%前
後、女性で 30%前後であったが、1980 年代後半より上昇傾向にあり、2005 年には男性で 69%、女性で
57%となった。国立社会保障・人口問題研究所『日本の世帯数の将来推計(全国推計)』(2008 年 3 月
推計)によれば、20~34 際の未婚率の上昇は 2030 年にかけて上昇傾向が続くことが予想されている。
内閣府(2010)「結婚・家族形成に関する調査報告書」による。なお、女性の場合には、男性のような
年収 300 万円を境に既婚者の割合が大きく低下する傾向はみられない。
1
あること6、正社員男性の中でも若年層で年収 300 万円未満が急増している7ことと考え合わ
せると、雇用を巡る変化は「結婚しにくい層」の拡大をもたらしていると考えるのが自然
であろう。
また、厚生労働省「国民生活基礎調査」によれば、子どもの相対的貧困率は 1985 年時点
の 10.9%から 2009 年の 15.7%にまで上昇している8。阿部(2008)によれば、子どもの貧困
率は、主な生計維持者が大企業の常用雇用者の世帯では 6%に止まる一方、主な生計維持者
が 30 人未満の企業の常用雇用者の場合は 19%、自営業者や 1 年未満の雇用契約を結ぶ契約
社員の世帯では 29%にまで上昇する。これが意味することは、子どもが貧困に陥るリスク
は、親の雇用の状況に大きく左右されるということだ。
このように、現役世代の生活基盤が不安定化する一方で、日本の社会保障制度はこれに
十分対応してこなかった。図表 1 は OECD 統計に基づいて、2007 年の国別・政策分野別に社
会保障への公的支出規模を GDP 比(%)でみたものだ。図表の最下段は、それぞれの政策
分野における日本の支出規模を OECD 平均と比べた割合を示している。これによると、高齢
期向けの「老齢(老齢年金)」への支出が OECD 平均の 136%に当たるのに対し、主に現役
世代向けの「障害・業務災害・傷病」「家族(子育て支援等)」「積極的労働市場政策(職
業相談や職業訓練等)」「失業(失業手当等)」「住宅」では、OECD 平均の 3~4 割(住宅
については統計なし)の支出規模に止まっている。
こうしたなか、2011 年 6 月 30 日に、政府・与党は「社会保障・税一体改革の成案」(以
下、「一体改革」成案)に合意し、同年 7 月 1 日に閣議報告を行った。「一体改革」成案
のポイントの一つとして、高齢期に偏る設計となっていた社会保障を、全世代対応型に変
革することを打ち出した点が挙げられる。社会保障を全世代対応型に改革するということ
は、すなわち、これまで脆弱だった現役世代向けの社会保障を強化するということだ。現
役世代の疲弊が見過ごせないものとなるなか、そうした方向は正しいものと言えよう。
しかしながら、改革の方向性が正しいことと、その中身が適切であることは話が別だ。
「一体改革」成案では、現役世代の生活基盤の安定化に取り組む改革として、「就労支援」
及び「貧困・格差対策」が打ち出されている。本稿では、この二つの改革(「就労支援」
「貧困・格差対策」)に焦点をあて、これらの改革が、現役世代が直面する課題からどの
ように評価できるのか、どこに課題があるのかを考察する。
6
7
8
総務省「平成 19 年就業構造基本調査」全国編第 27 表による。
総務省「就業構造基本調査」によれば、年収 300 万円未満の男性正社員(既卒)の割合は、1997 年から
2007 年にかけて、20 歳代で 7%ポイント、30 歳代で 8%ポイント上昇したのに対し、40 歳代で 3%ポイ
ント、50 歳代で 4%ポイントの上昇に止まった。特に 99 人以下の企業に勤める 20 歳代、30 歳代ではこ
の上昇幅が 10%、12% と大きいものとなった。
厚生労働省「平成 22 年国民生活基礎調査の概況」による。
2
図表 1 分野別にみた社会保障への公的支出規模(国際比較)
(GDP 比、%)
主に高齢期
老齢
フランス
保健
遺族
生活保護 障害・業務
その他 災害・傷病
家族
積極的
労働市場
政策
失業
住宅
合計
11.1
7.5
1.7
0.3
1.8
3.0
0.9
1.4
0.8
28.4
8.7
7.8
2.1
0.2
1.9
1.8
0.7
1.4
0.6
25.2
11.7
6.6
2.4
0.0
1.7
1.4
0.5
0.4
0.0
24.9
6.5
6.1
1.9
0.3
2.5
1.2
0.7
2.1
0.2
21.6
9.0
6.6
0.5
0.6
5.0
3.4
1.1
0.7
0.5
27.3
5.8
6.8
0.1
0.2
2.4
3.2
0.3
0.2
1.4
20.5
5.3
7.2
0.7
0.5
1.3
0.7
0.1
0.3
NA
16.2
6.4
5.8
1.0
0.7
2.1
2.0
0.5
0.7
0.4
19.3
8.8
6.3
1.3
0.3
0.8
0.8
0.2
0.3
NA
18.7
136
108
134
38
37
41
35
43
NA
97
ドイツ
イタリア
主に現役時代
高齢期・現役共通
スペイン
スウェーデン
英 国
米 国
OECD平均
日 本
OECD平均に
対する割合(%)
(注)1.2007 年実績。
2.OECD 平均は加盟国の単純平均。「失業」と「住宅」の OECD 平均値は公表されていないため、そ
れぞれ 2007 年のデータが存在する 33 カ国、30 カ国の単純平均をみずほ総合研究所が計算した。
(資料)OECD Social Expenditure Database
2. 現役世代の社会保障の充実に向け、改革案は何を打ち出したのか
現役世代の生活基盤の安定化に向けて、「一体改革」成案は、どのような改革を打ち出
したのだろうか。「一体改革」成案では、年金制度の見直しや消費税率の見直しに関わる
項目として、「就労支援」「貧困・格差対策」を挙げているものの、必ずしも改革の中身
が具体的に示されていない。そこで以下では、「一体改革」成案で示された改革メニュー
を最初に提示した上で、関連資料から制度の中身や、関連政策の動向について説明を加え
ることとしたい。本章では「一体改革」成案の文言をそのまま引用する場合には、それを
明らかにするために、ゴシック体で表示している。
(1) 基本的方向性
a.
現役世代の社会保障充実を優先課題の一つに位置付け
まず、改革の基本的な方向性を確認しよう。「一体改革」成案は、高齢期に偏ってきた
社会保障を、現役世代を含めた全世代型へと転換すること、その際、現役世代の社会保障
においては、働くことを支える社会保障を軸とすることという方向性を示した。
図表 2 は、「一体改革」成案で示された基本的方向のうち、現役世代の社会保障の機能
強化に関わる部分を抜粋したものだ。これによると、社会保障改革は「全世代型」「全世
代を通じた安心の確保を図る」など、改革が「全世代」に対応するものであることが繰り返
し強調されている。また、「参加保障」「雇用などを通じて参加が保障される社会」「国民一
3
人一人がその能力を最大限発揮し、積極的に社会に参加して「居場所と出番」を持ち、社会経済を支
えていくことのできる制度」など、現役世代の社会保障の機能強化は、雇用を通じた社会参加
に関わるものであることが強調されている。
図表 2 「一体改革」成案の方向性(現役世代の社会保障関連、抜粋)
Ⅰ 社会保障改革の全体像
1. 社会保障改革の基本的考え方
(中略)
社会保障改革を行うに当たっては、社会保障国民会議、安心社会保障会議以来の様々な議論の積
み重ねを尊重し、昨年 12 月の社会保障改革に関する有識者検討会報告で示された「3 つの理念」(①
参加保障、②普遍主義、③安心に基づく活力)や「5 つの原則」(①全世代対応、②未来への投資、③
分権的・多元的供給体制、④包括的支援、⑤負担の先送りをしない安定財源)を踏まえたものとしてい
くことが重要である。
まず、セーフティネットに生じたほころびや格差の拡大などに対応し、所得の再配分機能の強化や
家族関係の支出の拡大を通じて、全世代を通じた安心の確保を図り、かつ、国民一人ひとりの安心感
を高めていく。このためセーフティネットから抜け落ちていた人を含め、すべての人が社会保障の受益
者であることを実感できるようにしていく。
制度が出産・子育てを含めた生き方や働き方に中立的で選択できる社会、雇用などを通じて参加が
保障される社会、子どもが家族や社会と関わり良質な環境の中でしっかりと育つ社会を目指す。
(中略)
①自助・共助・公助の最適バランスに留意し、個人の尊厳の保持、自立・自助を国民相互の共助・
連帯の仕組みを通じて支援していくことを基本に、格差・貧困の拡大や社会的排除を回避し、国民一
人一人がその能力を最大限発揮し、積極的に社会に参加して「居場所と出番」を持ち、社会経済を支
えていくことのできる制度を構築する。
(注)下線は、全世代型の社会保障、参加保障に関わる部分として筆者が加筆。
(資料)政府・与党社会保障改革検討本部「社会保障・税一体改革成案」2011 年 6 月 30 日より抜粋
なお、「一体改革」成案では、現役世代の社会保障の強化を図る背景、雇用を通じた社
会参加を強調する背景について、上記に挙げた以上の詳細な説明はみあたらない。説明が
あるとすれば、2010 年 12 月 8 日にまとめられた有識者検討会報告(「社会保障改革に関す
る有識者検討会報告」)の理念や原則を踏まえること、2011 年 5 月 12 日に提出された厚生
労働省案(「社会保障制度改革の基本的方向性」)を踏まえて、社会保障改革に優先順位
を付けるという言及に止まる。
そこでまず、「厚生労働省案」をひも解くと、社会保障改革が「全世代対応型」を打ち
出す背景として、グローバル化による競争激化や非正社員の拡大によって、従来のように
企業が国民生活の安定に大きな役割を果たせなくなっており、その結果、晩婚化・未婚化・
単身化、少子化の進行、貧困・格差の問題の深刻化など、社会保障を支える現役層が疲弊
していることがあると指摘されている。つまり、「一体改革」成案が現役世代の社会保障
4
に焦点をあてた背景には、企業経由の生活保障が縮小している結果、現状では社会保障を
支える現役世代の疲弊が進みかねないという問題意識がある。
また、「有識者検討会議報告」では、社会保障改革の目的は雇用を中心に能力を形成・
発揮する機会を拡大し、これを通じて社会の分断や貧困を克服することにあり、その具体
策として、所得給付、最低賃金制度、給付付き税額控除、支援サービス、パーソナル・サ
ポートなどのパッケージを、全国民に社会とつながる基本条件として提供するべきと指摘
されている。
(2) 具体策
以上のような方向性を実現するための具体策として、「一体改革」成案は、「就労促進」
と「貧困・格差対策」の二つを挙げている。このうち「就労促進」については、「全員参加型社
会の実現」と「ディーセントワークの実現」の 2 つが柱とされている。一方、「貧困・格差対策」
としては、a.「就労・生活支援が一体となったワンストップサービス」、b.「社会保険の適用拡大」、
c.「社会保険における低所得者対策」、d.「第 2 のセーフティネットの構築」、e.「最後のセーフティ
ネットとしての生活保護の見直し」の 5 本柱が掲げられている。
「貧困・格差対策」で挙げられた a.~e.の手段のうち、働くことを支える社会保障という点
で重要なのは a.と d.と e.である。なかでも、最大のポイントとされているのが d.「第 2 の
セーフティネットの構築」だ。以下では、「就労促進」の 2 本柱と②「貧困・格差対策(第 2 のセー
フティネットの構築)」を取り上げ、その中身をみていく。
a.
就労促進①-「全員参加型社会の実現」-
まず「就労促進」策のうち、「全員参加型社会の実現」と呼ばれる就業率の引き上げ策につ
いてみていこう。図表 3 は「一体改革」成案で、「全員参加型社会の実現」の具体策として
挙げられている内容を示したものだ。
ここで挙げられている具体策は、ジョブ・カードの活用等により若者の安定雇用の拡大
を図ること、女性の就業率の M 字カーブの解消を図ること、法改正により高齢者の雇用促
進を図ること等である。その工程は「就労促進策の継続的推進」とされており、2009 年か
ら 2020 年にかけて、若者の就業率を 74%から 77%へ、25~44 歳の女性の就業率を 66%
から 73%へ、高齢者の就業率を 57%から 63%へ引き上げること、ジョブ・カード取得者を
2020 年までに 300 万人まで拡大する数値目標が示されている。
5
図表 3 「一体改革」成案における「全員参加型社会の実現」策の内容
改革案
工程
○ ジョブ・カードの活用等による若者の安定的雇用
の確保
○ 女性の就業率の M 字カーブの解消
○ 超高齢化社会に適合した雇用法制の検討など
年齢に関わりなく働き続けることができる社会づくり
○ 福祉から就労への移行等による障害者の雇用促進
○ 地域の実情に応じた関係機関の連携と就労促進策
の総合的実施
就労促進策の継続的推進
・ 就業率
2009 年 75%→2020 年 80%
-若者 74%→77%
-25~44 歳女性 66%→73%
-高齢者 57%→63%
・ ジョブ・カード取得 300 万人(2020 年)
・ 障害者の実雇用率 1.8%(2020 年)
(資料)政府・与党社会保障改革検討本部「社会保障・税一体改革成案」2011 年 6 月 30 日
以上が「一体改革」成案で示された具体策の全てであるが、これのみで政策の中身を把
握するのは困難だ。そこで、「一体改革」成案の今後の進め方を検討するために、2011 年
7 月 14 日に開催された「第 11 回社会保障改革に関する集中検討会議」で提出された説明資
料(以下、「「一体改革」参考資料」)9を用いて、もう少しその中身をみてみよう。
「一体改革」参考資料で、若者の安定就業の促進策として挙げられているのは、新卒や
フリーター向けの就職支援の強化や、2011 年 10 月より新設予定の「求職者支援制度」(詳
細は後述)による支援、ジョブ・カードを活用した人材育成、民間教育訓練機関を活用した
職業訓練の実施などである。
これに対し、女性の就業率にみられる「M 字カーブ」の解消に向けては、男女の均等度合
いを労使が把握し、女性の活躍促進のためのポジティブ・アクション作りに繋げるシステム
作りや、仕事と家庭の両立支援の推進と保育サービスの充実が挙げられている。また、高
齢者の就業促進に関しては、高年齢者雇用安定法の見直しにより、高年齢者雇用確保措置
を強化する方針などが示されている。
なお、「一体改革」成案では、子ども・子育て支援として、2015 年を目処に 0.7 兆円の
財源を確保し、保育サービスの充実を図るとともに、この分野での雇用創出を図る方針が
示されている。これも広い意味では女性の就業促進策に入れることが可能であろう。
b.
就労支援②-「ディーセントワークの実現」-
「全員参加型社会の実現」で目指されている就業率の引き上げが、雇用の「量」の拡大に
焦点を合わせたものだとすれば、雇用の「質」の改善に着目したのが「ディーセントワーク(働
きがいのある人間らしい仕事)の実現」といえる。
図表 4 は「一体改革」成案で、「ディーセントワークの実現」の具体策として挙げられている
9
社会保障改革に関する集中検討会議(第 11 回)(資料5)「社会保障・税一体改革成案における改革項
目(参考資料)」。
6
項目と工程に関する記述を抜粋したものだ。具体的には、非正社員の雇用安定や処遇改善
策として、①非正規雇用者の雇用安定・処遇改善のための総合的ビジョン策定(2011 年中)、②
有期契約労働者(以下、有期労働者)の雇用安定や処遇改善に向けた法制度の検討(2011 年度
中に労働政策審議会で結論、これを踏まえて法改正)が挙げられている。また、働き方の見直
しに関わる改革として、「長時間労働抑制やメンタルヘルス対策による労働者の健康・安全の確
保」が挙げられており、「労働安全衛生法改正案について、早期国会提出に向け検討」すること
とされている。
図表 4 「一体改革」成案における「ディーセント・ワークの実現」策の内容
改革案
工程
○ 非正規労働者の公正な待遇確保に横断的に取り組む
ための総合的ビジョンの策定
○ 総合的ビジョン:2011 年に策定
○ 有期契約労働者の雇用の安定や処遇の改善に向けた
法制度の整備の検討
○ 法制度整備:2011 年度に労働政
策審議会で結論、所要の見直し
措置
○ 長時間労働抑制やメンタルヘルス対策による労働者の
健康・安全の確保
○ 労働安全衛生法改正案につい
て、早期国会提出に向け検討
(資料)政府・与党社会保障改革検討本部「社会保障・税一体改革成案」2011 年 6 月 30 日
雇用労働政策の動きに目を凝らしている人でもない限り、以上の項目から政策の経緯や
具体的な内容を把握することは困難であろう。そこで、主な項目について、関連資料にあ
たりながらその内容を見ていこう。
前出の「一体改革」参考資料では「非正規雇用者の総合的ビジョン」とは、「非正規労働者
の雇用の安定や処遇の改善の観点から、公正な待遇の確保に必要な施策の方向性を理念と
して示す」ものと説明されている。「一体改革」参考資料にはこれ以上の説明がないため
補足すると、このビジョンは 2011 年 6 月より厚生労働省で検討されている。
すなわち、非正社員の待遇改善に向けたビジョンを 2011 年中に策定するべく、厚生労働
省に有識者による「非正規雇用のビジョンに関する懇談会」が設置されている。この懇談
会は、2011 年 6 月 23 日にスタートし、本稿執筆時点で 2 回開催されたところである。ここ
では、これまでパート労働者、有期契約労働者、派遣労働者と非正社員の雇用形態ごとに
待遇改善策が検討されてきた反省から、より横断的な視点に立った処遇改善のあり方が検
討されている。
「有期労働者の雇用安定や処遇改善に向けた法制度の整備」に関しても、「一体改革」参考資
料には詳しい説明がないが、これに関しては、2009 年より行われてきた議論を振り返る必
7
要がある。その最初のステップは、2009 年 2 月から 2010 年 9 月にかけて、厚生労働省で開
催された「有期労働契約研究会」だ。この研究会では、有期労働者の雇用安定や公正待遇
実現に向けて、海外の政策を参考にありうる選択肢を提示した。第二ステップは、2010 年
6 月に決定された国の「新成長戦略」である。同戦略では、雇用・人材戦略の一環として「均
等・均衡処遇の推進」が挙げられ、その工程表で 2010 年度中に労働政策審議会で有期労働
契約に関わる検討を行い、2011 年度中に同審議会で結論を得た上で、必要な対応を行う方
針が示された。これを踏まえて、2010 年 10 月からは厚生労働省の労働政策審議会労働条件
分科会で、有期労働契約に関する締結や終了の問題、処遇の改善について、その具体的な
方策が検討されている。有期労働契約に関わる法制の見直しについては、2011 年 12 月末ま
でに、労働政策審議会での結論を取りまとめた上で、厚生労働大臣への建議が提出される
予定とされている。
最後に、「一体改革」参考資料によれば、「長時間労働抑制やメンタルヘルス対策による労働
者の健康・安全の確保」については、職場のメンタルヘルス対策の強化等を図るための労働
安全衛生法の改正について、早期国会提出に向けて検討する方針が示されている。ここに
ついても補足すると、職場のメンタルヘルス対策強化に関して挙げられている事項は、2010
年 12 月 22 日に労働政策審議会が厚生労働大臣に行った建議(2010 年 12 月 22 日「労働政
策審議会建議「今後の職場における安全衛生対策について」)に基づいていると考えられ
る。同建議では、職場のメンタルヘルス対策の強化(事業者が医師による面接指導および
医師からの意見聴取等を事業主の義務化)を行う「新たな枠組み」を設けることが提言さ
れている。
c.
貧困・格差対策-第 2 のセーフティネットの構築-
次に、「貧困・格差対策」の柱である「第 2 のセーフティネットの構築」についてみていこう。
図表 5 は「一体改革」成案に基づいて、「第 2 のセーフティネットの構築」の具体策として挙げ
られている項目と工程に関する記述を抜粋したものだ。なお、「一体改革」成案では、な
ぜこれらの項目が「第 2」なのかについての説明はないため、この点についても以下で説明
する。
まず「一体改革」成案では、貧困・格差を克服するための「第 2 のセーフティネットの構築」の
具体的内容として、①「求職者支援制度の創設」、②「求職者支援制度をはじめとした第 2 のセ
ーフティネット施策の切れ目ない連携」、③「生活保護受給者等に対する就労支援」、④「複合的
困難を抱える者への伴走的支援(パーソナル・サポート、ワンストップサービスによる社会的包摂
の推進)」が挙げられている。その工程表としては、求職者支援制度を 2011 年度に創設す
ること以外については、ほとんど具体的内容は示されていない。
8
図表 5 「一体改革」成案における「貧困・格差対策(第 2 のセーフティネット)」
改革案
工程
○ 求職者支援制度の創設
○ 求職者支援制度(2011 年度創設)
○ 求職者支援制度をはじめとした第 2 のセーフ
ティネット施策の切れ目ない連携
○ 引き続き総合的に推進
○ 生活保護受給者等に対する就労支援
○ 事業の継続実施
○ 複合的困難を抱える者への伴走的支援(パ
ーソナル・サポート、ワンストップサービスによ
る社会的包摂の推進
○ ワンストップ・伴走型の市町村主導の専任期
機関の設置
○ 住宅支援の仕組みの検討
○ 関連制度の改革と併せ検討
(資料)政府・与党社会保障改革検討本部「社会保障・税一体改革成案」2011 年 6 月 30 日
そこで、「一体改革」参考資料をひも解くと「第 2 のセーフティネット」とは、第 1 のネット
である「社会保険・労働保険」と最後のネットである「生活保護」の間を埋めるものでと
位置付けられていることが分かる。すなわち、雇用保険を受給出来ない求職者が直ちに生
活保護に陥らないようにするための、雇用・生活・住居に関する総合的な対策と位置付け
られている。
また、「第 2 のセーフティネット施策の切れ目ない連携」については、「ハローワーク、自治
体、社会福祉協議会等の連携、就労促進や就労インセンティブに配慮した取り組み」を行
うこと、「生活保護受給者等に対する就労支援」については、「地方自治体とハローワーク
の連携により、就職困難者や生活困窮者を対象に綿密な支援を行ない、就労による自立の
実現を目指す」と説明されている。その一方で、「複合的困難を抱える者への伴走的支援(パ
ーソナル・サポート、ワンストップサービスによる社会的包摂の推進」についての詳しい説明は行
われていない。
残念ながら「一体改革」参考資料では「第 2 のセーフティネット」についてこれ以上の説明は
行われていない。そこで、以下では筆者が、「第 2 のセーフティネット」として「一体改革」成
案で名前が挙げられている 4 つの施策について、その概要と背景を説明する。
9
[求職者支援制度]
まず「求職者支援制度」は、雇用保険を受給出来ない求職者に、厚生労働大臣が認定し
た民間の教育訓練機関が医療・介護・福祉、地域で求人の多い分野での職業訓練を提供す
ると同時に、一定の要件を満たす場合に訓練期間中の現金給付を行う制度である。
本稿の冒頭では、日本で現役世代の社会保障が脆弱であることを指摘したが、失業時の
生活と再就職を支援する制度はその明らかな例といえる。日本では、求職者の所得と再就
職を支える制度として労使の保険料に基づく雇用保険が整備されているが、失業の長期化
傾向や非正社員の雇用保険の加入が制約されてきたこと等を背景に、この制度でカバーさ
れない求職者が増加している。厚生労働省「雇用保険事業統計」と総務省「労働力調査」
により、失業者のうち雇用保険受給者の割合(雇用保険のカバー率)を計算すると、1980
年の時点で 57%であった雇用保険のカバー率は、2010 年には 21%まで低下した(図表 6)。
図表 6 失業者のうち失業手当を受給する人の割合
70
60
(%)
57
完全失業者のうち
失業給付を
受けた人の割合
50
40
30
25
21
21
20
10
0
80
82
84
86
88
90
92
94
96
98
2000
02
04
06
08
10
(年)
(注)完全失業者のうち失業給付を受けた人の割合は、受給者実員数(年平均)
/完全失業者数(年平均)×100 として計算。受給者実員数は、失業給付(高
年齢求職者給付金および特例一時金を除く)を受けた受給資格者の実数。
(資料)厚生労働省「雇用保険事業統計」
その一方で、生活保護制度が、現役世代のセーフティネットとして機能してこなかった。
というのも、生活保護の受給にあたっては、資産や稼働能力、家族の援助など全ての可能
性を駆使しても生活できないことが求められるが、これが厳しい運用や生活保護の受給断
念を引き起こしていることがある10。特に現役世代では、運営面で稼動能力の活用が強調さ
れる傾向が強く、申請段階で求職活動が強く求められ、申請を行わないよう説得されるケ
ースがあると指摘される(宮寺(2010))。五石(2011)の推計によれば、2007 年時点で
10
五石(2011)は、厳しい資産調査や預貯金を必要生活費の半分までしか認められないなど過酷な運用な
どから、生活保護の受給に強い負い目を感じ、受給を断念するケースがあると指摘している。
10
貧困世帯に占める生活保護受給世帯の割合は 19%であるものの、就労しているワーキング・
プア世帯のうち生活保護を受給する世帯の割合は 5%に止まっている。
このように、生活保護は現役世代の受給が特に難しいものの、いったん保護が認められ
ると、制度の枠内で生活のための様々な扶助が幅広く支給される制度設計となっている。
具体的には、日常生活に必要な費用としての「生活扶助」、家賃などの「住宅扶助」、義
務教育に必要な学用品を含む「教育扶助」、医療サービスを受けるための「医療扶助」な
ど、8 種類の扶助が状況に応じて支給される。このように生活の手段を根こそぎ失わなけれ
ば受給できず、受給すると生活の様々なニーズに支援を受けられる仕組みは、結果として、
生活保護を「入りにくく、出にくい」制度としている。
「求職者支援制度」は、こうした失業時のセーフティネットの機能不全に対応したもの
と言える。すでに、リーマンショック後の雇用情勢の悪化を踏まえ、2009 年 7 月に時限措
置として「緊急人材育成事業」が実施されている。この事業は、雇用保険を受給出来ない
求職者が一定の要件を満たす場合に、職業訓練の受講を条件に現金給付を行うもので「求
職者支援制度」の前身とも言うべきものだ。「求職者支援制度」は、「緊急人材育成支援
事業」の経験を踏まえ、就労支援や訓練コースの設定における産業界との連携を強化しつ
つ、恒久的制度として 2011 年 10 月に導入されることが決まっている。求職者支援制の実
施にあたっては、平成 23 年度予算で 775 億円が計上されており、対象者は職業訓練受講者
25 万人、訓練中の所得保障受給者 20 万人(いずれも年換算)が見込まれている。
[複合的困難を抱える者への伴走的支援(パーソナル・サポート)]
次に、「複合的問題を抱える者への伴走的支援(パーソナル・サポート)」は、家族関係や精
神面の問題など複合的な問題を抱えて自立が困難化している人が増えている状況に対応す
るものとして、導入が検討されている制度である。この制度は、パーソナル・サポーター
と呼ばれる個別支援者が、支援対象者の立場に立って様々な支援をコーディネートし、生
活再建から就労まで一貫した支援を行なうものとして構想されている。パーソナル・サポー
ト・サービスは 2010 年 10 月から 2011 年度末にかけてモデル事業が実施されており11、モ
デル事業の結果を踏まえた課題検討を行った上で12、恒久的な制度として導入することが目
指されている。厚生労働省はこの事業に関し、平成 23 年度予算で 4 億円を計上し、就職支
援ナビゲーター80 名の配置を行う予定である。また、政府の雇用戦略会議で 2011 年末ま
でに導入に向けた課題の整理が行われる予定である。
[生活保護受給者への就労支援の強化]
さらに、「生活保護受給者への就労支援の強化」に関連しても、すでに先行的な取り組み
11
パーソナル・サポート・サービスのモデル事業は、緊急雇用創出事業として地方自治体に造成した基金
(2009 年度~2011 年度)を活用し、2010 年末~2011 年度末にかけて全国数カ所で実施されている。
12
具体的には雇用戦略会議のセーフティネットワーク実現チーム・パーソナル・サポート・サービス検討委
員会で課題検討が行われる予定。
11
が行われている。具体的には、2005 年より厚生労働省の補助の下、一定の条件を満たす生
活保護受給者に福祉事務所とハローワークが連携して就労支援を行なう「自立支援プログ
ラム」が実施されている。このプログラムでは、国が設けた対象者の基準が生活補助受給
者の実態と乖離していること、支援を担当する職員の数や専門能力が不足していることが
課題として指摘されている(五石(2011))。
今後の具体的な動きとして決まっているのは、2011 年度に実施される「福祉から就労」
支援事業だ。これは、地方自治体とハローワークが協定を締結し、両者の担当者によるチ
ームが生活保護受給者、住宅手当受給者に個別の支援プランを策定し、積極的な就労支援
を実施するものである。この事業には平成 23 年度予算に 32 億円が計上されている。
なお、「生活保護受給者への就労支援の強化」は、「貧困・格差対策」の柱においても改めて
改革として打ち出されるなど、それなりに重要な位置付けを与えられている。生活保護に
おける「就労支援」が強調される背景として、「一体改革」参考資料では、生活保護を受け
る人のうち、稼働能力のある被保護者が増えていることが挙げられている。
[住宅支援の仕組みの検討]
「住宅支援の仕組みの検討」は、「一体改革」成案、「一体改革」参考資料の両者におい
て、特に説明の少ない改革だ。この具体的な内容を知るためには、「一体改革」成案策定
に向けて、厚生労働省が 2011 年 5 月 12 日に提出した同省案の解説資料(「全員で参加し
て支える社会保障の安心(厚生労働省案解説)」)にまで遡ぼる必要がある。
すなわち厚生労働省案解説では、
「住まいのセーフティネットの確立・強化の観点から、
適用される制度によってばらつきのある住宅支援施策について、仕組みの強化を検討」と
説明されている。つまり、住まいのセーフティネットを確立・強化していくこと、その際
に制度間の不公平を正していくという方針が示されている。
これについて、筆者なりの説明を加えると、日本では住宅困窮者に最低限の住宅を保障
する政策が弱く、これを利用できる人と出来ない人の差が大きなものとなっている。まず、
生活保護では生活の様々なニーズに対応する 8 種類の扶助の一つとして、住宅支援が受け
られる。しかし稼働能力のある現役世代に生活保護が認められにくいため、生活保護の受
給を認められる人とそうでない人の間で、大きな格差が生じている。
このほか日本では、住宅に困窮する低所得者向けに、低廉で良質な住宅を供給する公営
住宅制度が整備されている。しかし、日本の住宅政策は中間層の持ち家取得に力点を置い
てきたこともあり、公営住宅の供給は停滞し、公的な住宅補助制度も整備されてこなかっ
た。実際、国土交通省「住宅・土地基本調査」2008 年によれば、公営住宅の建設戸数は 1970
年代がピークであり、以後は一貫して減少基調にある。この結果、公営住宅のストック(全
国 209 万戸)のうち、半数以上が 1970 年代までに建築されたものとなっている(図表 7)。
12
図表 7 建築時期別にみた 2008 年時点の公営住宅ストック
80
(万戸)
71
70
60
50
43
40
33
30
18
20
10
1
20
18
4
0
1950以前
1951
~1960
1961
~1970
1971
~1980
1981
~1990
1991
~1995
1996
2001
~2000 ~2008年9月
(資料)国土交通省「住宅・土地基本調査」2008 年
その一方、高齢貧困世帯の増加や現役世代の雇用の不安定化を背景に、1990 年代以降、
公営住宅の応募倍率は明確に上昇している。公営住宅の応募倍率は 1998 年時点で約 3 倍で
あったが、その後の上昇により、2007 年には 9 倍となった。特に大都市圏での需給バラン
スの悪化が顕著であり、2007 年の東京都における公営住宅の倍率は 28 倍、大阪府で 11 倍
に達した(国土交通省(2010))。
なお、住宅困窮者へのセーフティネットに関連しては、2009 年 10 月より、「住宅手当緊
急措置事業」、すなわち 2009 年 7 月以降の就労意欲・能力のある離職者に原則 6 カ月、最
大 9 カ月住宅手当を支給する制度が導入されている。この制度の利用促進のため、平成 23
年度予算でも 12 億円が計上され、「住居・生活支援アドバイザー」(263 名)がハローワ
ークで住宅手当の申請書類の作成助言を行う等、求職者に対する住居確保に関する支援を
実施することとなっている。なお、これらの政策は離職者向けの一時的な住宅保障に関わる
ものであるが、ワーキング・プアの拡大や高齢化に伴う住宅困窮者の拡大に対応したもので
はない点には留意が必要だ。
3. 現役世代のリスク拡大からみた「一体改革」成案の課題
前章では「一体改革」成案で盛り込まれた、現役世代の社会保障改革の中身をみてきた。
「一体改革」成案で示された現役世代の生活保障の強化(就労支援、貧困・格差対策)は、
現役世代が働くことを通じて生活基盤を安定化させるという目的からみて、どのように評
価できるのだろうか。
(1) 「一体改革」成案の方向性は正しい
まず、「一体改革」成案が、社会保障制度改革の基本的方向性として、全世代型への転換を
打ち出したことは評価できる。企業を通じて国民の生活の安定が図られる仕組みが縮小するな
13
か、ワーキング・プアの拡大、未婚化と少子化の進行、子どもの貧困の拡大など、現役世代
と将来世代の疲弊を示す問題が拡大している。企業が現役世代の生活を保障できなくなっ
ている以上、社会を通じて現役世代の生活安定化を図り、経済成長や社会保障の将来の担
い手の更なる縮小を防ぐことが必要だ。
また、現役世代の社会保障の重点を、モラルハザードを引き起こしやすい受動的な所得保障で
はなく、働いて生活することを支える社会保障に置いたことも正しい方向といえるだろう。戦後、
社会保険や福祉の充実を進めてきた欧州では、第一次石油危機後の雇用情勢悪化を受けて、
社会保障や福祉の受給者が膨張した。これに伴う財政悪化や福祉に依存した人が社会との
つながりを失う問題に対応するため、欧州は 1990 年代以降、社会保障と雇用政策を連携し、
それまでの受動的な所得保障から「働くこと」を積極的に支える社会政策への転換を進め
ている。「一体改革」成案の方向は、こうした海外の経験とも整合的だ。
(2) 一方で改革の中身には課題も
a.
不十分なワーキング・プアの所得底上げ策
(a) 「一体改革」成案で示されたワーキング・プア対策
その一方で、「一体改革」成案で示された施策は、現役世代が働いて生活することを支
える社会保障という点からみて、大きな問題点を抱えている。その第一のものが、働く貧困層
の直面する問題、すなわち賃金と生計費のギャップをどのように埋めていくのかについて、具体策
を打ち出せていない点である。失業者の数が 300 万人超(2010 年:334 万人)であるのに対
し、本稿冒頭で触れたようにワーキング・プアも 2007 年に 500 万人を超えると推計され、
未婚化、少子化、子どもの貧困拡大の一因となっている。すなわち、ワーキング・プアの生
活安定化は、該当する人の数の面からも、社会保障の持続可能性を維持するという面から
も、失業時のセーフティネットと等しく優先課題と言える。
しかしながら、「一体改革」成案では、この点について有効策が提示されていない。ここ
で、「一体改革」成案を今一度振り返り、ワーキング・プアの所得の底上げに関連した政策
として何が挙げられているかを確認しよう。該当すると考えられる項目は、「就労支援」
で挙げられた、「ジョブ・カード等の活用による若者の安定的雇用の確保」、「非正社員
の待遇確保に向けた総合的ビジョンの策定」、「有期契約法制の見直し」等である。
なお、「求職者支援制度」を始めとする「第 2 のセーフティネットの構築」は、離職者
への支援であるから、働いても生活できないワーキング・プア支援へのには分類できない。
すなわち、「一体改革」成案は、ワーキング・プアの問題に対して、非正社員の正社員化や
非正社員の待遇改善で対応するという方針を示しているといえる。
しかし、これらの対策で本当にワーキング・プアの生活基盤が確立されるかには疑問が残
る。まず、「ジョブ・カードの活用等による若者の安定的雇用の確保」に関して示されて
いるのは、従来の政策を継続するという方針のみである。筆者は職業経験や職業能力への
客観的な評価や、座学と企業での実習を通じた職業能力形成の機会を組み合わせたジョ
14
ブ・カード制度自体は、今後の労働市場を支えるインフラの一つとして重要な役割を担う
可能性を持つと考えている。しかし、安定した雇用機会が縮小するなか、不本意型非正社
員が増加していることを踏まえれば、非正社員の正社員への移行促進策が特効薬になると
は考え難い。
非正社員の待遇確保に向けたビジョン策定や有期労働契約法制の見直しについては、ど
うだろうか。予定される「非正社員の総合的ビジョン策定」や「有期労働契約法制の見直
し」により、一定の待遇改善目標が策定されることや、有期労働者の雇用安定に関する何
らかの法制度が整備される可能性がある。しかし、そもそも非正社員とは、専門能力や技
能を有する常勤の者、定年退職後に嘱託等として再雇用された高年齢者、基幹的な業務を
担うパート、キャリア形成の機会が不足し生産性が低い状態に置かれているフリーターま
で幅広い層が含まれる。
こうした多様な非正社員の中でも、「より高度な業務」を担当する非正社員については、
「定型的・補助的」業務を行う非正社員よりも賃金制度や能力開発、正社員への登用制度、
賃金水準なども総じてより整備される傾向にある(労働政策研究・研修機構(2011))。
しかし、軽易な作業を担当してきた非正社員の場合、職業能力を高める機会が不足してい
る可能性が高く、その生産性を上回る大幅な待遇改善が起きることは考え難い。また、年
収 300 万円未満の正社員が増えているように、
正社員の雇用の質が劣化していることから、
非正社員の待遇改善という施策が、かえって厳しい条件で働く正社員の問題を見過ごすこ
とにつながる懸念もある。つまり、正社員への移行策や非正社員の待遇改善策は必要であ
るものの、これのみでワーキング・プアの問題を克服することは、現実的には難しい。
(b) 議論されなかった「給付付き税額控除」
それでは、ワーキング・プアの生活基盤安定化に向けては、どのような方策がありうるの
だろうか。実はその方策は「一体改革」成案策定に向けた検討で議論されている。具体的
には、2010 年 12 月 8 日に提出された「社会保障改革に関する有識者検討会報告」で、「フ
ルタイムで働いても低所得から脱却できないという事態をなくすために、最低賃金や給付
付き税額控除など、働く見返りを高めることが大切である。」と指摘されている。
このうち最低賃金は、2007 年以降、ワーキング・プアの所得底上げの観点から、引き上げ
幅の拡充に向けた努力が行われてきた13。地域別最低賃金の引き上げ額(全国平均)は 1999
~2006 年度にかけて前年対比 5 円以内に止められてきたものの、2007~2010 度年には前
年対比 10 円超が続いた14。しかし、「一体改革」成案では最低賃金への言及は見当たらな
い。「一体改革」参考資料まであたれば、非正社員の雇用安定・処遇改善策として、「最
13
2007 年 7 月には政労使の代表による「成長力底上げ戦略円卓会議」が開催され、2007 年度の地域別最低
賃金が所得の底上げに資するものとなるよう要望する合意を行った。また、2008 年 1 月に施行された最
低賃金法の改正では、働く人のセーフティネットとして最低賃金が明確に位置づけられた。
14
2011 年 7 月 27 日には、中央最低賃金審議会で 2011 年度の最低賃金引き上げの目安が決定されたが、東
日本大震災の影響を受けて、前年対比の引き上げ幅は全国平均 6 円に止められた。
15
低賃金の引き上げに向けた取り組み(最低賃金との逆転現象解消、中小企業支援)」とい
う文言を見つけることが出来る。しかし、これによって「一体改革」成案が、最低賃金の
引き上げ方針を明確に打ち出したとは言えないであろう。
実のところ、最低賃金の引き上げのみで、ワーキング・プアの所得の底上げを行うことは
難しい。その理由として、最低賃金の大幅な引き上げを短期間で行う場合、これに見合う
企業の生産性上昇が実現できず雇用機会が縮小する懸念がある。また、労働政策研究・研
修機構(2009)が厚生労働省「賃金構造基本調査」2007 年の個票を用いて行った分析によ
れば、最低賃金近辺で働く労働者は、パートタイム労働者では北海道や東北、沖縄などで
一定程度存在するものの、フルタイム労働者では全国的に少ない15。このために最低賃金の
引き上げが、フルタイムで働く生計維持者の所得底上げには繋がりにくい可能性がある。
それでは、給付付き税額控除についてはどうだろうか。給付付き税額控除は税と社会保
障を組み合わせて、所得の再配分を行う制度である。給付付き税額控除には多様な形態が
ありうるが、基本型は[1]勤労収入や子どもの数に応じて低所得世帯に税額控除を行う一方、
[2]所得が低く税額控除しきれない場合に、差額を給付するというものである。
給付付き税額控除は、所得控除のような逆進性の問題が生じないこと、課税最低限以下
の世帯や所得税額が少ない世帯にも所得再配分の効果を浸透させられることから、所得再
配分政策として効率的といわれている。また、子どもの扶養を条件とすること、勤労所得
が一定に達するまで、賃金が増えるほど手取り収入が増大する設計とすることで、勤労意
欲を損なわずに、狙ったターゲットに所得再配分を行うことも可能である。こうしたメリ
ットから 2010 年時点では、この制度を導入する国は、米国、英国、オランダ、フランス、
カナダ、スウェーデン、ニュージーランドなど、10 カ国以上に上る(鎌倉(2010))。
日本でも、政府税制調査会「平成 23 年度税制改正大綱」で「高所得者に対して結果的に
有利になっている所得控除の見直しなどによる課税ベースの拡大、さらには、所得控除か
ら税額控除・給付付き税額控除・手当へという改革」を推進する方向性が示されているよ
うに、制度化に向けた議論が始まりつつある16。これまで見てきたような経緯にも関わらず、
「一体改革」成案のみならず、「一体改革」参考資料にまであたっても、給付付き税額控
除に関しては検討の可能性すら指摘されていないことは、大幅な制度改正と財源を要する
本制度の議論を避けたようにも見えてしまう。
15
16
ここでいう一般労働者は民営企業、企業規模 5 人以上で働く常用労働者で、1カ月の実労働日数が 18 日
以上、1 日当たりの所定内実労働時間が 5 時間以上。「パートタイム労働者」は同じ常用労働者のうち、
1カ月の実労働日数が 1 日以上で 1 日当たり所定内実労働時間が 1 時間以上 5 時間未満とされている。
給付付き税額控除は納税者の所得の補足が正確に行わなければ、この制度が不正の温床となりかねない
という問題がある。そのため、日本で給付付き税額控除を導入する場合は、これに先立って納税者番号
を導入することが前提となる。こうした事情もあり、日本ではこれまでのところ、給付付き税額控除の
導入に向けた具体的な議論は行われていない。
16
(c) ワーキング・プアの所得底上げ策と「第 2 のセーフティネット」
ワーキング・プアの所得底上げ策は、2011 年 10 月に導入される「求職者支援制度」や、
本格導入が検討される「パーソナル・サポート・サービス」、生活保護受給者への就労支援
の強化など、日本が失業時のセーフティネットを強化していく上でも重要である。これら
の制度を利用する求職者は、労働市場から離脱している期間が長期化している可能性があ
るため、仕事についてすぐに生活を支えられる賃金を確保できるとは限らない。そうした
なか、就労による自立を現実的な選択肢とするためには、「働く見返りを高め」、「働い
て生活できる見通し」を作ることが重要だ。
働いて生活できる見通しがなければ、求職者支援制度の対象者、生活保護、パーソナル・
サポート・サービスにおける就労支援は生活できない労働に人々を追い込む問題につなが
りやすく、また、それを懸念する人が出来るだけ長く所得保障を受けようとするモラルハ
ザードを引き起こす懸念もある。国は失業時の生活と再就職を支える第 2 のセーフティネ
ットの充実を急いでいるが、これは働いて生活できることを支える制度と整合的な形でつ
なぎあわせることが必要である。
(d) 消費税率引き上げの逆進性対策としての給付付き税額控除
なお、ワーキング・プアの所得底上げ策は、「一体改革」成案で示された消費税率引き上
げ(2010 年代半ばまでに消費税率(国・地方)を 10%まで引き上げ)の方針が、低所得者
に及ぼす負担感を緩和する上でも重要である。消費税は消費性向(所得のうち消費に回す
割合)が高い低所得者ほど、負担感が高くなりやすい。特に、消費税が 10%を超えるよう
な状況ではこれを無視することは難しい。
この逆進性問題を緩和する方策としては、①食料品等の必需品について軽減税率を適用
する方法、②低所得者の消費税引き上げによる負担分を所得税の中で還付し、課税最低限
以下の世帯には給付を行う給付付き税額控除(消費税クレジット)を活用する方策がある。
ただし、高所得者にも恩恵が及ぶ軽減税率より、低所得者にターゲットを絞り込める給付
付き税額控除の方が、逆進性対策としての効果が大きい(大和(2010))。「一体改革」
成案では、消費税率引き上げ逆進性問題への対策を示していない。消費税引き上げに対す
る国民の懸念を払拭するためにも、国は逆進性問題への対応策を具体的に示す必要がある17。
なお、給付付き税額控除には、国が賃金の上乗せをすることになるため、低賃金労働を
温存してしまう、所得の上乗せを行うことによって、世帯内の二人目の就労時間が抑制さ
17
鈴木(2011)によれば、カナダでは消費税負担の一部を低所得者に還付する目的で消費税クレジット(GST
クレジット)を導入している(厳密な特定消費に関する家計の消費税負担を計算するのではなく、家族
構成を基にした一定額を還付する仕組み)。カナダでは GST クレジットのほかに、就労所得に応じて税
額控除を行う「就労所得手当(所得に応じて税額を控除、控除しきれない場合は給付、所得が一定以上
になると控除額を低減)」や児童手当(児童数に応じた税額控除)などの形で、勤労意欲を低下させず
に、低所得や消費税負担、児童の養育に配慮した低所得者の所得の底上げ策を講じている。
17
れるなどの弱点があることが指摘される(阿部(2010))。従って、企業の生産性向上策
への支援と併せた最低賃金の引き上げや、非正社員の待遇改善策などを着実に行うことで、
この問題を克服することが必要となる。つまり、最低賃金の引き上げや非正社員の待遇改
善策は、単独でワーキング・プアの問題を克服するものというより、失業からワーキング・
プアまで、現役世代が直面するリスクを整合的に支える政策の一環として位置づけること
が適切である。
以上をまとめると、「一体改革」成案では、ワーキング・プアの所得底上げ策について十
分な対応策が示されていない。ワーキング・プアの所得の底上げは、少子化や子どもの貧困
対策だけでなく、消費税の逆進性対策、稼働能力のある生活保護受給者に対する就労支援
など、様々な側面から重要な課題だ。国は、給付付き税額控除制度など、低所得者の所得底上
げ策と必要な財源の見通しを早急に示すことが求められる。
b.
中長期的な機能強化の方向が明確でない第 2 のセーフティネット
第二に、雇用保険と生活保護の間を繋ぐ「第 2 のセーフティネットの構築」について、
必ずしも具体的な財源を伴う議論が行われていない。前章でみたように、「一体改革」成
案では、貧困・格差対策の柱として「第 2 のセーフティネットの構築」に関わる様々な施
策が掲げられている。
このうち、「求職者支援制度」については、前章で述べたように初年度の職業訓練受講
者は 25 万人、給付受給者は 20 万人(ともに年換算)が見込まれている。しかし、この制
度の事業規模は、1 年以上の長期失業者が年 100 万人(2002~2010 年の平均、うち男性は
年平均 73 万人)に上ることと比べて小粒に止まること、制度利用者の職業訓練や訓練後の
就職活動状況のモニタリングや個別支援を行なう体制が必ずしもハローワークに十分整備
されていないことへの懸念がある。本制度は厳しい財政制約の中で緊急的に雇用保険の附
帯事業と位置づけられ、法律施行後 3 年を目処に全額一般財源で措置するべく制度の見直
しが検討されることとなっている。その際、雇用保険や生活保護等との連携も念頭にその
規模の妥当性や、訓練と就労支援の有効性(就職率、就職後の雇用形態、就業継続期間等)
についてエビデンスに基づく検討が行われるべく、対象者の就業状況等について綿密なデ
ータ収集と検証を行うことが求められる。
さらに、「複合的問題を抱える者への伴走型支援」「生活保護受給者に対する就労支援」
「住宅支援の仕組みの検討」については「検討」の方向が示され、既に先行事業やモデル
事業が実施される施策が挙げられている。しかし、一定の財源確保が避けられないこれら
の支援について、導入時期の目安や必要な公費の見積もりは提示されていない。
このように見ていくと、第 2 のセーフティネットの整備については、既に導入が決定し
ている「求職者支援制度」も含め、機能強化が具体的な形で示されていない。この分野の
取り組みを現役世代の社会保障の機能強化の柱に挙げる以上、「複合的問題を抱える者への
伴走型支援」「生活保護受給者に対する就労支援」「住宅支援の仕組みの検討」については、こう
18
した政策の導入をどのようなタイムスパンで目指すのか、その場合に財源をどこに求めるのかを
明示することが必要となろう。
c.
生活保護の改革案にみられる問題点
第三に、一体改革「成案は現行の生活保護制度の問題点に触れないまま、生活保護受給者の
就労支援の強化を打ち出しているという問題がある。
第 2 章で触れたとおり、生活保護は生活の手段を根こそぎ失わなければ受給できず、一
旦受給すると生活の様々なニーズがカバーされるために「入りにくく、出にくい」制度と
なっている。また実態としては、稼働能力のある現役世代の生活保護受給は困難であり、
保護が認められるケースでは、労働市場から離れる期間が長期化して自立に向けた問題が
複合化している懸念がある。こうした制度設計の見直しを行なわないまま就労支援を過度
に強調する場合、支援の効果が出にくいばかりか、生活保護のセーフティネットとしての
機能が縮小する懸念がある。
ここで参考になるのは、2006 年に全国知事会と全国市長会が行った提言である。全国知
事会と全国市長会が提言したのは、現役世代向けに「利用しやすく、自立しやすい」制度
を創設することである。具体的には、就労に向けた活動に参加することを条件に現役世代
が最大 5 年間受給できる、18~65 歳未満向けの有期生活保護を創設すること、複合化する
就労阻害要因に取り組むために、福祉、教育、労働部局が連携して包括的支援を行なうこ
とが提言されている(全国知事会・全国市長会(2006))。モラルハザードを防ぐための
個別指導や活動状況のモニタリング、積極的な就労支援に従事することを条件に、稼働能
力のある現役世代の生活保障制度を創設するこの提言は一考に値しよう。
なお、全国知事会・全国市長会提言に類似した制度は、海外では一般的なものでもある。
欧州では、保険料に基づく失業手当のほか、失業者が税財源に基づく失業扶助や社会扶助
を受給することが可能である。このため、失業者のうち失業手当または失業扶助等の保障
を受ける人の割合は、ドイツで 94%(2008 年 10 月実績)、フランスで 80%(2008 年実
績)、英国で 55%(2008 年第 4 四半期実績)と、日本の 23%(2006 年度実績)と比較し
て高い(ILO(2009))。全国知事会・全国市長会提言と異なり、欧州の失業扶助や社会
扶助では受給期間の上限が設けられない制度が一般的であるが、福祉への滞留を防ぐ目的
から、受給の条件として就労に向けた活動(職業相談や職業訓練・支援プログラムへの参
加、求人への応募や受諾すべき求人の範囲の拡大)の義務を強化する方向にある。
生活保護制度について就労支援を強化するにあたっては、それが有効な施策となるため
の条件を整備することが必要である。そのためには、前述したようなワーキング・プアの
所得底上げ策によって労働市場に復帰するインセンティブを高めるとともに、稼働能力のあ
る現役世代向けの生活保護(失業扶助)を創設するなど、現役世代のセーフティネットとしての生
活保護の機能強化をどうするのか、そのあり方について検討を行うことが必要だ。
19
d.
現役世代の生活安定化に向けた社会保障の全体像に関する課題
最後に、これまで述べた点とも重なるが、「一体改革」成案では、「仕事」を通じた現
役世代の社会保障の機能強化を打ち出しながら、そのための方策の全体像を示していない
点が問題である。そのために、社会保障改革が現役世代の生活安定化にどう寄与するのか、
全体的な判断を行うことが難しくなっている。
これを考えるために、図表 8 は、現役世代の生活安定化の仕組みの縮小と、現役世代の
生活安定化に向けて求められる対応を図表で示している。上段の a.は世帯主男性が正社員
として雇用されることを通じて、労働者と家族の生活安定が図られる仕組み(とその縮小)
を示している。これに対して下段の b.は、a.の仕組みが縮小するなかで、「働くことを支え
る」社会保障の方向性を整理している。b.のうち、○で囲んでいるのが、「一体改革」成案
で取り上げられた「現役世代の社会保障の機能強化」に相当する部分である。
世帯主男性が正社員として雇用されることで、労働者と家族の生活が支えられた時期に
おける国の役割は、ある意味でシンプルだったと言ってよい。国は、企業が正社員の雇用
を維持するよう支援する制度(雇用調整助成金等)や、公共投資や中小企業の保護策など、
企業を通じて正社員の雇用を守り、実際にこれが国民の生活の安定にも貢献した。
しかし、グローバル化による競争激化や国の公共投資削減などを受けて、1990 年代後半
以降、企業経由で国民の生活が守られる仕組みから外れる人が増えてきた。現役世代は共
働き、企業の外での能力開発、新たな職業や成長産業への移行など、様々な手段を駆使し
て生活の安定を図ることを次第に求められるようになっている。
こうしたなか、国には企業を守るのではなく、雇用政策と社会保障政策を連携して、現
役世代のリスク対応能力を高めることが求められている。具体的には、企業の人材育成投
資が縮小傾向にあることを踏まえ、企業ニーズに即した公共職業訓練の必要が高まってい
る。また、男性の安定した雇用機会が縮小するなか、子育て支援サービスや家庭生活と両
立できる働き方を推進する雇用政策によって、共働きで生活安定化を図る現役世代の戦略
を支える必要も生じてきた。さらに、雇用保険でカバーされない失業者の増加やワーキン
グ・プアの拡大に対し、正社員への移行支援策や非正社員の待遇改善策、ワーキング・プア
の所得底上げ策、第二のセーフティネット、問題が複合化した際のパーソナル・サポート、
最終手段としての現役世代向け生活保護を、重層的かつ整合的に整備することも課題とな
っている。
20
図表 8 現役世代の生活安定化の仕組みの縮小と拡充が望まれる社会保障
a.現役世代の生活安定化の仕組みの縮小
社会(公的セクター)
正社員の
雇用維持策
公共投資、中小企業保護
グローバル化
IT 技術浸透
資本保有構造の変化
世帯主男性の正社員就業を
通じた家族の安定
長期雇用・生活給
キャリア形成機会
現役世代の生活基盤
職業訓練の少ない若者の増加
ワーキング・プアの拡大
未婚化・少子化進行
子どもの貧困率上昇
失業の長期化傾向
b.「働くことを支える」社会保障の機能拡充の方向性
社会(公的セクター)
正社員の
雇用維持策
雇用創出
有期雇用契約
職場・職務限定正社員
正社員
共働きを支える
育児サービス
長期雇用・生活給
キャリア形成機会
有期雇用改革
中間的働き方推進
一定の雇用安定
生活と両立できる働き方
企業外の
能力形成機会
働き方見直し
現役世代の生活基盤
失業時の
セーフティネット
(所得保障、就労支援)
ワーキングプアの
所得底上げ策
稼働能力のある
現役世代が利用可能な
制度としての生活保護の機能強化
複合的な問題を抱える人
への個別支援
(パーソナル・サポート・
サービス)
従来型の生活基盤安定化ルート
(企業での安定雇用を通じた生活保障)
追加が望まれる生活基盤安定化ルート
(働くことを支える雇用政策・社会保障の機能強化)
(注)丸で囲んだ部分は、「一体改革」成案で挙げられている改革事項。
(資料)みずほ総合研究所作成
21
その反面、日本の厳しい財政事情に加え、東日本大震災の復興に向けて巨額の財源が必
要とされるなか、これら全ての対策をすぐさま十分に行うことが難しいことも事実である。
それどころか、消費税率引き上げの大部分を財政再建に充当せざるを得ず、現役世代の社
会保障の機能強化に充当できる部分は相当小さなものとならざるを得ないのが実情だ。
しかし、少子化や未婚化の進行、子どもの貧困率の上昇など社会の持続可能性が損なわ
れるなか、現役世代のリスク対応能力を高める社会保障の強化は緊急の課題である。また、
今後の財政再建に向けては、長期的に「一体改革」成案が示した以上の負担増が避けられ
ない。これを踏まえれば、小手先の機能強化ではなく、現役世代の納得を得られるような
社会保障の全体像を示すことは不可欠である。
国は、現役世代の生活安定に向けた施策の全体像を示し、今出来る対策と将来の課題となる
機能強化、そのために必要な財源を示すことが必要であろう。特に、ワーキング・プアに陥った場
合の所得底上げ策、問題の複合化により生活基盤を失った場合の生活支援などについて、より
踏み込んだビジョンを示すことが必要であろう。その際、高齢期に依然として偏る日本の社会保障
の構造を、より踏み込んで見直すことも求められよう。
4. 終わりに
「一体改革」成案では、現役世代の社会保障の機能強化を図る方針が示されたが、機能
強化の領域は限定的であり、また「検討」に止まる内容も多い。これは、特定官庁の問題
というよりも、現役世代が直面するリスクの拡大と、これがもたらす経済・社会への悪影
響に対し、政府・与党全体の意識が十分振り向けられてないことを反映しているようにも
見える。社会保障改革の実現に向けては、今一度、現役世代の生活不安定化の問題に立ち
返り、抜本的な対策強化の方針が示されることが望まれる。
22
[参考文献]
阿部彩(2008)『子どもの貧困』岩波新書
------(2010)「ワーキング・プア対策としての給付つき税額控除」埋橋孝文・連合総合
生活開発研究所『参加と連帯のセーフティネット
人間らしい品格ある社会への提
言』
鎌倉治子(2010)「諸外国の給付付き税額控除の概要」国立国会図書館『調査と情報-ISSUE
BRIEF-』678 号
五石敬路(2011)『現代の貧困 ワーキング プア』日本経済新聞出版社
国土交通省(2010)「住宅市場の現状と住宅政策の課題を踏まえた都市再生機構の役割に
ついて【参考資料】」第一回独立行政法人と市再生機構のあり方に関する検討会住宅
分科会
鈴木将覚(2011)「消費税増税案の評価と課題~長期の消費税率引き上げ計画と税の累進
度の提示を~【社会保障と税の一体改革シリーズ①】」みずほ政策インサイト
全国知事会・全国市長会(2006)『新たなセーフティネットの提案「保護する制度」から
「再チャレンジする人に手を差し伸べる制度へ」』
堀江奈保子(2011)「年金改革案の評価と課題~少子高齢化社会で持続可能な制度の構築
を~【社会保障と税の一体改革シリーズ②】」みずほ政策インサイト
みずほ総合研究所(2011)「社会保障と税の一体改革案の評価と課題~高齢者給付の効率
化と現役世代への支援拡充を~」
宮寺由佳(2010)「所得保障としての生活保護と社会福祉としての生活保護」埋橋孝文・
連合総合生活開発研究所編『参加と連帯のセーフティネット 人間らしい品格ある社
会への提言』ミネルヴァ書房
大和香織(2010)「消費税増税に伴う低所得者対策の検討~軽減税率よりも給付付き税額
控除単独の導入を~」みずほ日本経済インサイト
労働政策研究・研修機構(2009)「最低賃金制度に関する研究―低賃金労働者の状況―」
------(2011)「非正規雇用に関する調査研究報告書―非正規雇用の動向と均衡処遇、正社
員転換を中心として―」
ILO(2009),The Financial and Economic Crisis: A Decent Work Response
23
Fly UP